MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/08/10
横溝正史「夜光虫」(角川文庫'75)

横溝正史の戦前作品のうち、代表長編の一つ。'36年から'37年にかけて『日の出』という雑誌に発表された。この前後、正史は耽美系の作品を多くものにしている。本書は由利先生&三津木俊助が探偵役を務めるシリーズでもある。

昭和十一年の両国川開きの夜。色とりどりの花火が打ち上げられ人混みでごった返す両国で、さる事件の重大犯人が脱走した。その男、肩口に奇妙な傷を持った美少年。川に飛び込み、ある舟に乗り込んだところ唖の美少女がその傷を見て驚愕の表情を浮かべる。男は最後は奇矯な性格を持つ人気歌手・諏訪鮎子の気まぐれに匿われて川沿いの館へ迎えられる。鮎子はその少年の美しさと肩口に盛り上がった人面瘡に気付き、息を呑む。一方、由利先生はその両国の川開きを騒がせた人物を捜し出して欲しいという依頼を五十年輩の磯貝ぎんと名乗る女性から受け、さらに三津木俊助は別口から同一人物の探索をしようとしていた。というのも、ひょっとこ長屋という職業的乞食が集まる家に流れ着いた『黒痣』と白魚鱗次郎という親子のうち、丁度川開きの日に『黒痣』が殺されており、その嫌疑が鱗次郎にかけられ拘引された。その鱗次郎こそが脱走した美少年なのだが、親である『黒痣』は万単位の大きな仕事を企んでいたという。『黒痣』が握りしめていたのは稚児文殊の絵が描かれた半紙で、どうやらそれが鱗次郎の持つという人面瘡と関係がありそうだと見込んでいるという。果たして、その事件の裏側では巨万の富を巡る争いが開始されつつあった……。

探偵小説オブ探偵小説。戦前の正史の持つ耽美趣味が前面に押し出されつつ、プロットも見事な物語
莫大な財宝の在処の鍵を握る美少年を巡り、彼を恋する少女と人気レコード歌手が鞘当てをし、悪党たちが縦横無尽に策を尽くし、探偵たちがその謎に迫る――。いわゆる荒唐無稽な”探偵小説”を具現したといってもいいような内容、だが、その探偵小説でありながら、設計図がしっかりと引かれており、実に納得できる完成された構造となっている作品なのである。
そもそも重要な登場人物に、軽業師の技と肩口に奇怪な人面瘡を持つ美少年であるとか、座敷牢に押し込められている唖の美少女であるとか、はすっぱで妖艶な魅力を持つ歌手だとか、乞食長屋に住む人々だとか、由利先生や三津木俊助という個性的探偵たちに加えて、さらに大きな特徴を持つ人々を配している。加えて、仮面舞踏会であるとか、覆面の歌手、サーカスから逃げ出したライオン、座敷牢で狂い死にした佳人、シャンデリアを背に夜光虫のように輝く鱗次郎であるとか……、ちょっと日常生活では簡単にお目に掛かれないような、怪しげな雰囲気のある場面を次から次へと登場させている。こういった、非日常の積み重ねによって、本書はいわゆる探偵小説的雰囲気をむんむんと発揮している。
だが、荒唐無稽なのはプロットにおけるパーツのみであるという点が重要。これらの怪しげな登場人物や、怪しい雰囲気の場面などが、全て有機的に物語に奉仕しているのが本書の凄さである。確かにあまりにも都合の良い偶然や、都合の良い人間関係などが裏にはある。さらに最終的な狙いは財産を巡る争奪戦というのも陳腐といえば陳腐。にも関わらず、個々のプロットに無駄がほとんどなく、すいすいと読めてぐいぐいと引き込まれるのである。正史作品の特徴でもある草双紙趣味や怪奇趣味といったあたりが全開にされていながら行き当たりばったりになっておらず、事前に語られた伏線などまでしっかり回収されていく。探偵小説でありながら、これだけプロットをきっちりまとめてある点はやはり特筆に値するだろう。その意味では戦後の名作本格推理小説を発表する前段階として注目すべきなのかもしれない。

……でもって、この作品、さりげなく入手困難になりつつあるのが問題。とはいってもあれだけ部数が出た角川文庫に収録されていた訳で、古書店を丁寧に探せば見つかるはず。横溝正史=金田一耕助のイメージを持たれている方も多いと思うが、由利先生が登場するシリーズも見逃しちゃダメです。はい。(小生は実に二十年ぶりくらいの再読。ああ新鮮)。


04/08/09
翔田 寛「影踏み鬼」(双葉社'01)

東京創元社のミステリ・フロンティアに『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』が書き下ろし刊行されて、一部で話題になりつつある作者の第一作品集。前述の書を読む前にデビュー作品が読んでおきたくて手に取った。翔田氏は'00年、本書の表題作である『影踏み鬼』にて第22回小説推理新人賞を受賞。また受賞後第一作として発表した『奈落闇恋乃道行』が第54回日本推理作家協会賞の短編賞候補作品となっている。

かつて隆盛を誇った呉服屋で一人前の手代まで務めた男は、現在は、当時の若主人と共に乞食同然の暮らしをしている。その呉服屋に何があったのか。その店の一人息子が拐かされ、若主人の運んだ身代金は鉛板に変化し、子どもは戻らず、女房は狂い……。その一家を襲った悲劇と、その真実とは。 『影踏み鬼』
尼のようなボロを纏い盲目。芸人仲間から苛められるヨシだったが、四弦の鳴り物芸は超一流。彼自身の臭いもあって小頭から忌み嫌われていた彼は、一家に不幸続きで凋落の度合い激しい「藁屋」しか受け入れて貰えない。その主人夫婦以外誰もいない筈の藁屋で、彼は奇妙な体験をする。 『藁屋の怪』
諍いがもとで相手を殺めた夫・政吉を六年間待ち続けた加代。政吉亡き後、後添いの話は数あれど彼女は終生独り身を貫くつもりだった。かつて大店の娘で見目麗しかった加代には盗癖の噂がつきまとっていた。そんな彼女の本心はその時どうだったのか。そして政吉は何を思い彼女の周囲にいたのか。 『虫酸』
落語家の三笑亭左内が毒殺された事件は、世間で大いに話題となりその関係者も噂の渦のなかに巻き込まれた。左内の娘・お雪もその一人。最近になってお雪は、親以上に慕っていた姉やのタツ子が酌婦まで身を落としたうえに何者かに殺害されて果てたというのだ。お雪はその死の真相を突き止めようと誓う。 『血みどろ絵』
かつて歌舞伎の森田座で演じられていた『鏡山桜藤花錦絵』の最中、若手人気俳優の実川升太郎が台詞を忘れたうえ、相方の当代一の名脇役といわれた坂東彦助がとんでもない台詞を大音声で読み上げ芝居がめちゃくちゃになった事件があった。彦助は翌日自害。しかし当日黒子を務めていた私は、その失敗の元になった小道具を丁寧に彦助が焼いたと聞き、かつて彦助が品川の芸者と起こした事件を思い出す。私は事件に裏があると気付き、調べ始めた。 『奈落闇恋乃道行』 以上五編。

人の心の温もりと闇とを周到になぞって見事に反転。時代ミステリの魅力を最大に引き出した逸品
いやなんというか、凄い作品集なのだ。なのに、これまであまり巷間で話題にのぼっていた記憶がない。思わず本書の刊行年から逆算して「本格ミステリ・ベスト10 2003」を引っ張り出してきたが、本作に投票している人が一人もいない(もちろん小生も含めて)うえに、ざっと見た限り、山前リストにひっそりと題名が掲載されているのみで、本文で触れられていない。だけど、このプロット構成の妙味や反転の鮮やかさ。(個人的にツボに入ったということもあるけれど)、事前に知っていたら年間ベストクラスに間違いなく推していた。己自身をちょっと悔いている。
ただ――本来作者がやりたかったことがミステリ的サプライズを求めることにあったともまた思えない。あるちょっとしたできごとがあり、そのことを巡る人々の姿が彫り込まれ、隠す程に熱い人間の深みが徐々に浮かび上がってくる物語群。その手法として使用されているのが、ミステリの手法。 自分だけの裡に秘めた想い・思い・誓いを誰に理解させることもなく、その気持ちに殉じて死んだ(ないしは生きながら死んでいる)人々。別の誰かがその思いに気付き、筋道立てて事件の真相を求めていく。ただ、その探偵役の彼らも決して暴露趣味でそれを行うではなく、皆、自分が納得してその段階での最適な行為を成す……あたりに独特の美学があるといえよう。結局のところ、その物語性、ミステリ手法、どちらもが不可分に結び付いて極上の物語となっているのだ。また、一般的な本格ミステリと呼ばれる作品群でこのようなほめ方をする場合には、どちらかといえばトリックがあり、それに十分な物語が提供されている場合に使うことが多いのだが、本作に限っていえばあくまで物語がありきである点が違いといえば違いである点、留意して頂きたい。
個別にみてもレベルが高い。一押しはやはり『奈落闇恋乃道行』になるか。舞台で失敗した俳優の自殺。だが、その自殺の理由の裏にある深謀遠慮はインパクト大。探偵役の配慮が嵩じた一世一代の名演技、そしてそれを受ける芸者の粋が素晴らしい。協会賞候補というのも納得の一作。また、『虫酸』では、メタ構造に少々不満があるものの、ラストを迎えて世界が反転してしまうあたりの丁寧な作り込みに呆然とさせられる。男女の行き違う想いを、作者が読者に対して実に見事にひた隠しにしているのが素晴らしい。デビュー作の『影踏み鬼』はミステリ色が最も濃い作品。この作品には複数の犯罪者の行く末が込められている点、題名通り鬼気迫るものがあるが、叙情の点では上記二作に劣る。とはいえ、力量は十分感じられる作品で、新人賞受賞も納得の作品だ。

この数年、失礼ながら作者の存在さえも意識していなかったことを恥じ入る次第。これぞ埋もれさせるには惜しい才能。……となると、その翔田氏をミステリ・フロンティアに引っ張り出した某編集者の目利きぶりも改めて感じさせられてみたり。この作品集を読んで奇妙に納得してしまった。


04/08/08
伊藤人譽「人譽幻談 幻の猫」(龜鳴屋'04)

作者の伊藤人譽氏は'04年現在、九十一歳。室生犀星の弟子筋で、'42年にその犀星によって「岩小屋」という作品が芥川賞候補に推薦される手はずになっていたものの、文藝春秋社の事務上の手違いで本選から外されてしまったという経歴があり、あの氷川瓏が主宰していた文芸同人誌にも参加していた。昭和三十年代に短篇集『登山者』と長篇『猟人』が刊行されている。本書は限定五百十四部。既にネットのごく一部では話題となっている作品集。

登山道からそれた山の中で穴に落ちた男。脱出できそうで出来ない穴の中、男はもがき苦しむ。 『穴の底』
薬を求めて嵐の雪山を下りてきた老人。苦労して峠を越え戻る途中、一人の男と出会う。 『雪の仏』
精神病院のなかを我が物顔で徘徊する野良猫。なかでも西一号室にだけ姿を見せる、曰く付きの九右ヱ門は幻の猫だった。 『幻の猫』
下駄の歯と溝のあいだにはごく僅かなシメシロがある。昭和十年代に源七という貧しい下駄職人がいた……。 『シメシロ』
ぼくの家の近所に住んでいた「イノさん」という彫刻家は一体の塑像を大事にしていた。その理由は……。 『乳鋲』
ラッシュアワーに電車に乗っていたぼく。隣にいた女の人の髪の毛とボタンとが絡まってしまった。そして……。  『髪』
県営住宅に住む年老いた夫婦。原間源平は墓地を買う金がないため、夫婦二人で死ぬための穴を掘り始めた。 『猫の餌』
妻から虐待を受け、日中は何も出来ないよう縛られている川島幸三。彼は昔切断したまま瓶に入れてある指を遊び道具にすることを思いつく……。 『瓶の中の指』 以上八編。あとがきと、和田誠氏による「幻談の気配」という小文がついている。

茫洋とした主題の見えない幻想譚にして、確かに舌に残るざらつきが印象的。老獪にして渾身の作品集。
年月が経っても色褪せないもの、むしろ輝きを増すもの……。物語には時代を共有するものと、時代を超越するものがあり、本書に収録されている作品は全て後者に属している。
特定の読者を想定していないというか、失礼な言い方をすれば筆のおもむくままに書かれたのではないかというテーマも何もないような物語群。なのに、心の底に何かが引っ掛かる。 小生は作者の半分も生きておらず、本書掲載作品の一部は、生まれてもいない時代に発表されたもの。なので、共有する時代というものが見せる幻想などは本書にはない。だからその引っ掛かる何か――というのは、恐らくは全ての日本人に共通する原体験のようなものに繋がっているのではないかと思うのだ。
そしてその引っ掛かりは、そこはかとなく怖さを誘発している。『穴の底』における絶望感。『瓶の中の指』における閉塞感。『猫の餌』における人生への諦念。一方で『髪』は、日常のすぐ隣の気付かないところにぽっかりと空いている穴を覗くような、不気味な怖さが淡々と描かれている。かといってこれらが怪談やホラー小説かといわれると、やはりそうではない。やはり幻想であり、その幻想が原初の人間の持つ素朴な感情をこしょこしょと、時にぞわりぞわりと刺激してくる、といった印象の方がより本書の作品群に近い。
そして全編に漂う、そこはかとないペーソス、そして決して直接的な笑いを狙ったのではないユーモラスな筆致が、また世界を拡げている。短編で、決してそれぞれが長い物語ではないのに、彼らの人生がまるまるぶつかってくるような錯覚がある。物語の力。老成した作家のみが持つ物語における余裕と、それでもまだ訴えたいもの全てを訴えきれないような切実さとが、危ういバランスのうえで両立している。 その結果、他に比すこと不可の”伊藤人譽”という孤高の物語となって、ここに揃っているのではないか。そう思うのだ。

プヒプヒ氏が本書を論じて「日影丈吉の幻想的短編に似た味わいを持っている」というのは言い得て妙。ただ、これは日影丈吉の作品群と本書が同一手法で書かれていることを意味しない。あくまで人間という存在の根元、原初からの恐怖感をつつくことに長けているという意味での物語の成果のみが共通しているとい意味である。
このような限定的な刊行形態でなければ、素直に色々な方に勧めたいところであるのだが。でもやっぱり、この幻想、極上。


04/08/07
桐生祐狩「フロストハート」(角川書店'02)

桐生祐狩さんは『夏の滴』にて、第8回日本ホラー小説大賞の長編賞を受賞してデビュー。書き下ろし刊行された本書が二作目にあたる。透明感のあるクリスタルを基調としたイラストに涼しい装幀が特徴でパッケージは美しい……のだが。、

須藤千香子の両親は、難病の腎臓病を患っている弟・弘之の腎臓移植のドナーを待つために弘之共々オーストラリアに滞在している。高校を中退した千香子は両親に持参した費用を届け、単身帰国した帰り道に駅でたまたまぶつかった男に誘われ、怪しげな喫茶店に入る。男はぶつかった非礼を詫び、電車に乗り遅れた千香子のために、終着駅までのグリーン車の切符をくれるのだという。しかし千香子はそこで、南国リゾートに滞在してお金を湯水のように使う何年後かの自分を幻視する。幻視から覚めた彼女は、喫茶店の階段下に先ほどの男が倒れていることに気づく。タイミング良く現場に到着した救急車だったが、車に乗ってきた怪しげな男女は、「あれ。男が倒れているよ。女の子の方じゃなかったのかい」などという。千香子は救急車への付き添いを拒否、連絡先のみ残してその場を去ることになる。N県の自宅に帰り着いた千香子を迎えるのは、年老いて身体の弱くなった祖母と、妊娠をわざと繰り返して胎盤を売って金を稼ぐ姉・多香子。家に届いた手紙を祖母のために読んであげた千香子は、そのなかに一通、音信不通となっている幼なじみの享介の手紙が混じっていることに気づいた。享介は、輸血を一切禁じる新興宗教を盲信する叔父一家と共に暮らしていたが、ある時千香子が原因で大怪我をし、しかも千香子が医者に嘘を吐いたことから輸血されてしまい一家断絶して行方不明となっていたのだ。

序盤から怒濤の意味不明の展開。中盤の飛躍も激しく、果たして落としどころは……?
『夏の滴』は、少年たちの青春が(前半部)美しく、中盤から後半に至ってその裏側のどろどろとした主題が見えてくるという怪作であった。特に人間の醜さをあれほどまでに描ききったあたりに作者の力量の凄まじさを感じた。本書は受賞後の第一作にあたる作品で、O師匠に「すごい変な本だよ!」と勧められたので改めて手にとってみた次第。……確かにこれは凄い。何が凄いって、ツッコミさえも拒否するというか、全く先の読めない、意味の分からない展開がとにかく凄すぎるのである。
基本的には、臓器移植に絡む打算と欲望の問題がベースとなって、加えて「フロストハート」なる名前を持つ、人間の身体のなかに生成されるという奇岩を求める人々(蒐集家)とが絡み、なぜかその鍵を握るらしい千香子を巡って人々が右往左往する物語。千香子を中心に両親、祖母、姉、叔父夫婦、享介、そして移植コーディネーター・広瀬とその助手二人、凄腕の医者……といった多数の登場人物がいるのだけれど、何より凄まじいのは、主人公含めて彼ら全員が変人であるということ。狂気的な奇岩蒐集マニアだったり、新興宗教の妄信的信者だったりというあたり表面はいろいろなのだけれど、何よりも自分の幸福のためには他人の不幸を全くものともしない人々ばかりという点が極端。一見、いい人に見えても実は……というか、誰も彼も他人を蹴落とし自分の利を狙っているので、誰を信じて良いか分からない。
加えて、主人公自身が鈍くさく、どうにもキャラクタとしての魅力がない。魅力がないという点が重要な伏線でもあるのだが、それにしてもこれほどまでに不幸な存在でありながら感情移入ができないというのも珍しい。(恐らく幻視の場面における彼女の高慢にして傲慢な態度が微妙にその気分に影響している)。
結局のところ社会的弱者であっても、もともと良いヤツであっても、見た目温厚であっても、結局、すべての人間の心の奥底には「自分さえ良ければ他人なんてどうでもいい」という邪悪な根性があるのだ――というあたりに、桐生佑狩 作品の根底の特徴があるのだと思う。思いやりとか自己犠牲といった救いを見せかけつつも、足を掬って徹底的に嘲笑い、結果的弱者が負け、結果的強者が勝つというシンプルなルールに支配されているのが彼女の作品の特徴なのだと感じた。

あと、非常に気になったのだけれど、ビジネスクラスとエコノミークラス、本作で作者はたぶん間違えている。本文では千香子は「狭いビジネスクラスで」の御帰還。エコノミーより遙かに座席の大きいビジネスを狭いなんていう人は、普段はファーストに乗っているのが当たり前の金持ちなんだろうな……と、この段階で頭がそちらに向いた。オーストラリアに滞在する両親のもとに、振り込みも使わずに千香子に毎々現金を持参させる須藤一家。こうくれば大金持ちと思い込んでも仕方がないではないですか。なので、その後の展開に更についていけなくなったんですわ。お金持ちなのにグリーン車に乗ったことがない? んんん?? てな具合に。

あまりにも変な作品ゆえにお勧めというのも気が引けるのだが、奇妙な迷宮的ホラー作品を読まれたいという方には非常に向いているように感じた。(なので理性的に割り切りたい怖い作品がお好きな方には向いていない)。でも、なんか『剣の門』あたりも読んでみたいように感じてしまうあたり、自分にも困ったもんである。


04/08/06
吉川良太郎「シガレット・ヴァルキリー」(徳間デュアル文庫'02)

ペロー・ザ・キャット全仕事』にて第2回日本SF新人賞を受賞した吉川氏。受賞後第一作めは『ボーイ・ソプラノ』という作品で、続けて刊行された三冊目の書き下ろし作品が本書。デビュー作にも登場した女傭兵・シモーヌが主人公を務める、パレ・フラノシリーズ番外編。

一匹狼の職業的傭兵で〈死神ヴァルキリー〉とも渾名されるシモーヌ。稼いだ端から蕩尽してしまう性格の結果、一文無しになっていたところ、馴染みの組織の”教授”から仕事を依頼され引き受けた。現場は地中海に浮かぶ人工島〈パサージュ・ド・リラダン〉にあるカフェ。軍服を着た三人の男たちが取引を行っている。指令はその取引現場を襲い、取引品を奪取、そして立ち会った人物を全て殺害せよ、というものであった。取引が決裂して殺し合いを始めた彼らから、トランクを奪い取り、最後の一人を片づけようと後を追ったシモーヌだったが、仕込み杖を操る男が彼女の前に立ちはだかる。ギイと名乗るその男はあっさりと一撃で逃走者の首をはねとばし、そのトランクが自分のものだという。ギイにナイフを投げつけたシモーヌだったが、逆に謎の重傷を負わされトランクを持って現場から逃走した。再び”教授”と、彼の相棒であり、シモーヌの恋人でもあるエマと打ち合わせるシモーヌ。しかし、そのトランクから出てきたのは一人の美少女だった。

ベースはSFアクションなのに、全編に溢れる凛とした気品。暴力と謀略の世界を猫毛の女傭兵が駆け抜ける
この作家、気になっている。(といいつつまだ読むのは二冊目なのだけれど)。SF界隈での評価はもちろん高いようなのだが、全編に溢れるノワールの気品というか、根性というか、徹底した装飾みたいな部分は、ミステリ・サイドであっても恐らくハードボイルド系統の読者には絶賛されて然るべきだと思うのだが、今のところあまりそういう話は聞かない。でも、謀略や伏線は張り巡らされているし、考えようによっては正統派のギャング小説(これはこれで珍しいか)ともいえる精神が溢れているしで、ミステリファンが読んでも満足できる内容だと思っている。何よりも、構築された”世界”の完成度が素晴らしい
設定は二十一世紀半ばの欧州。世界のパワーバランスはマフィア組織の台頭によって激変している。その結果ということもないだろうが、ギャング映画のような雰囲気がぷんぷんしている。そして、その雰囲気そのものが作品の主題――例えば、強固な絆をもった家族の関係であるとか、組織に対する個人の従属であるとか、名前の持つ意味であるとか――と、密接に繋がりを持っているのだ。もちろん、物語を追う分にはそのような”主題”が表に出てくることはない。奇想天外な武器や人体改造、歪んで発達した各種の科学といった背景に驚き、シモーヌをはじめとするアクションに息を呑み、その裏側の謀略に感心していれば良いのだ。エンターテインメントとして十二分の物語性を持っており、肩肘張って読む必要など全くない、という点も大切にして重要なこと。
読了後に初めて気付いたのだが、本書はパレ・フラノにシモーヌがやって来る前の話であった。だからこそ、謎めいていたシモーヌの経歴・過去について深刻に描けるということもあったのだろう。単なる”怖いお姉さん”としてだけでなく、セクシーで、なおかつ「子どもだけは絶対殺さない」というポリシーを持った勇敢な女戦士として描かれる彼女の多面性に、どうしようもなく惹かれる自分がいる。

当初より伏線として語られてきたある事象によってひっくり返されるラストや、仕事する場面が全く描かれないところがかえって不思議な魅力を醸し出すエマであるとか、ポイントポイントを取り出しても見どころは多い。さて、刊行されているこのシリーズ、残り作品も読みたいところ。時間がかかっても、いつか。


04/08/05
倉阪鬼一郎「十人の戒められた奇妙な人々」(集英社'04)

『小説すばる』誌に'02年4月号より、'04年2月号にかけてほぼ隔月で掲載されてきた作品がまとめられた連作短編集。小口まで黒で揃えられた装幀にこだわりが感じられる。ただ何というか、この表紙自体が微妙にネタバレという気もしないでもない。

――あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 鬱屈した精神を抱える広告デザイナーの話。 『ナメクジは嘆く』
――安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 鬱屈した精神を抱える小説誌編集者の話。 『ロボットは怒る』
――殺してはならない。 鬱屈した精神を抱えるボーイズ・ラブ小説家の話。 『ユリアは笑う』
――盗んではならない。 鬱屈した精神を抱えるガードマンの話。 『ライターは消える』
――あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。 鬱屈した精神を抱える繊維工学を学ぶ学生職員の話。 『センイは喪失する』
――姦淫してはならない。 鬱屈した精神を抱えるリストラの結果、特殊浴場副支配人に就職した男の話。 『ヴィーナスは歌う』
――あなたは隣人の家を欲しがってはならない。 鬱屈した精神を抱える落ちぶれた将棋棋士の話。 『マックスは忍び寄る』
――あなたの父と母を敬え。 鬱屈した精神を抱える当たり屋一家の末っ子の話。 『メゾンは崩れる』
――あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 鬱屈した精神を抱える持ち帰り専門の校正者の話。 『ダイアリーは破れる』
――あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。鬱屈した精神を抱える上階に”第十宗教哲学研究会”が入居している男の話。 『メフィストは嗤う』 以上十話より成る連作集。

ホラーを無理には狙わずに、戒律に縛られた人々を「事件」シリーズのユーモア感覚にて描く
連作短編集を束ねる第十話を除くと、基本的な物語構造は同じ。鬱屈した精神を抱えたさまざまな人々が、あるきっかけから謎の組織”第十宗教哲学研究会”の勧誘に嵌り、信仰に帰依することで一時の安楽を得る。その階梯を上がるために、熱心な信者と化した彼らは戒律を授けられる。それは人によって異なるが、その戒律を守ろうと必死になった結果、彼らが更なる転落・破滅を迎えてしまう物語。その人数を物語の最後に数え上げる研究会の助手が不気味で、最終話への予感を掻き立てる。
……と書くと、いささか深刻なサイコ系の小説を想起されるかもしれないが、実際のところ描き出されているのは、シチュエーションをベースとしたブラックなユーモア。 倉阪氏のお得意のシチュエーションといえば良いのか、元もと神経的に病むような要因のある職業・境遇の人々が、一心不乱に何かを成し遂げようとする姿、そして限界というか常識の歯止めを喪って狂気に突き進んでゆく過程の演出がポイントの作品である。冷静なこちらからすれば「何を馬鹿な」というような行動が、彼らにとっては人生を賭けた必死さで追及しなければいけないという、状況把握のギャップに暗い笑いがある。氏の作品でいうならば、ホラー・怪奇小説の系譜というよりも『田舎の事件』をはじめとする事件シリーズに近い。
基本的な構造は同じで、その職業や境遇によって助手が与える戒律が異なるがために、彼らは異なる地獄へと突き進む。別に信仰していなくとも、これらの戒律全てを死ぬほど厳密に守れる人間はいないはずなのだが、そのあたりに気付かないところが哀しい。サイコがかった人間が発する怖さはあるが、物語トータルとしては怪奇小説というよりも諷刺小説といった趣きといった方がしっくりくるだろう。

ただ――敢えて苦言を呈するとするならば、シチュエーションというか登場人物にもっと幅が欲しいところ。このような連作短編にしろ、長編の登場人物にしろ、精神的な負担を抱えた人物としてデザイナーや校正者、編集者、作家といった周辺業界の人間が倉阪作品には必ずといっていいほど登場し、同じようなプレッシャーを受け、同じように壊れていっているような気がする。それはそれでシチュエーションが強烈なので、一作一作を読む分には気になるほどではないが、倉阪作品全体を俯瞰した際の”偏り”といったあたり、そろそろ気にならないでもない。

とはいっても、全編に溢れるクラサカ節は本作でも健在。第十話での落とし方は、怪奇小説からすれば”予定調和”なのだが、そのあたりに新機軸を打ち出すことが出来れば、倉阪氏は数々の称号に加えて”ブラックユーモア作家”としても認知され得たかもしれないとも感じた。奇妙でねじくれた笑いを求める方にお勧め


04/08/04
北野勇作「人面町四丁目」(角川ホラー文庫'04)

'92年『昔、火星のあった場所』にて第4回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞後、独特の世界観をキープし、2001年度の日本SF大賞を受賞した『かめくん』や『ザリガニマン』等々の作品を発表してきている。本書もまた、その世界観に通じるところのある不思議な物語集。

今は緑台となっているこのあたりは、二昔前まで人面町と呼ばれていた。妻の話ではこのあたりにはかつて人面の工場がたくさんあって毎日たくさんの人面が作られ出荷されていたのだという。それで人面町。近くにある妻の実家も大きな人面工場だったというが、戦後占領軍に閉鎖されてそのままになっているという。しかし私も本当のところ、その人面なるものが何なのか、よく知らない。妻に聞いてもあまり快く思っていないのか、明快な回答はない。妻もいずれ分かるという。そして妻だ。私は大きな災害に巻き込まれ、気付くと妻と一緒に暮らすようになっていた。妻は子どもたちに古いビデオを渡す代わりに情報を貰っている。子どもたちは赤目川に人面魚がいると教えてくれた。妻はそれを捕まえに行かなければという。私は都市伝説だと思っていたが、実際にいるらしい。小説家としての私に収入がないので、家計が苦しいから手伝って欲しいのだと。そして川には中年男の顔が貼り付いた人面魚がいた。私は手を噛まれながらなんとか人面魚を捕らえることに成功する。持ち帰った人面魚を妻は何か台所でやっていたようで、暫くすると出掛けてしまった。これはエピソード「その一 鱗を剥ぐ」だが、まあ、そんなお話が十ばかり。

非日常が日常の世界でのノスタルジー。アイデンティティが揺らぐ街での、どこかのんびりとした恐怖
いやそもそも北野勇作作品には不思議な手触りを持つ作品が多いというかそういったお話ばかりではなかったかという気もするのだけれどもやはりこの物語も実にぐろてすくな場面がたくさんたくさん出てくるにもかかわらず絶妙の主人公のきゃらくた設定によって何かほのぼのとした気分で読み終わらされてしまうというほらーふぁんたじーのべるともいうべき一冊でした。――と、ツマラナイ文体実験をしてみても仕方ない。本書はいわゆる北野ワールドと地続きでありながら(レプリカとか出てくるし)別の地方の別の時代を、また全く別の角度から描いた作品。 ホラーというよりも、ここまで世界がぶっ飛んでくると幻想小説として評価すべきなのではないかとも思う。
実際にこの作品内部にて描かれている世界と、どこか朴訥としてのんびりとした主人公のキャラクタが纏う「精神的な殻」のようなものとのあいだに埋められていない隙間がある。その結果、人面やお化け、異形の化け物といった対象が跳梁している世界を、主人公が比較的客観的に冷静に捉えることができているのである。主人公があまり恐怖を感じていない以上、読者ものんびりとこの残虐世界と向き合うことができるのだけれど、主人公が自覚していない主人公のアイデンティティに徐々に読者の方が気付かされていく。その過程がじわりじわりと怖さを誘う。だって本人気付いていないけれど、これって……。
そしてもう一つ特筆すべき存在は、主人公と世界を結ぶ「妻」の存在である。読む限りは明るく元気で主人公を庇い助ける理想的な配偶者でありながら、微妙にこの世界の秘密を主人公から遠ざけており、底が知れない。本来的には怖い世界であるのに、彼女のおかげで何とか「私」が生きてゆけているような……。ただ、このワケの分からない世界がそれなりにエンターテインメントとして成立できているのは、明らかに「妻」の存在あってのことなのだ。

そして、どこか読者のノスタルジーを掻き立てる世界は健在。バブル期以前、そして高度成長期が終焉した微妙な隙間時代ならではの微妙に活気が喪われたある時代をさらりと舞台として描き出している。 そこに異形の存在を持ち込むテクニックは巧いよなあ。個人的には特に寂れた遊園地が舞台となっている「腕を試す」あたりの展開が好み。本書そのものは、好みに個人差がある……という北野勇作的世界の延長ではあるので、万人向けではないのだが、それでもやっぱり奇妙な魅力あり。


04/08/03
恩田 陸「禁じられた楽園」(徳間書店'04)

『問題小説』誌の'01年1月号より、'02年の4月号まで連載された作品に大幅な加筆修正が加わって単行本化された作品。恩田陸久々の正統派ホラー小説。

世界的なイタリアの巨匠が撮影した映画に美術として参加するアーティスト・烏山響一。平凡な毎日を送る大学生・平口捷の前に、この男は同級生として現れた。どこから見てもカリスマ性のあるこの男は、親しげに捷に話しかけてくる。結婚を控えた捷の姉、香織は烏山の映像をみて「禍々しい」と断言する。果たして彼の何を彼は気に入ったのか。 そして、美大で彫像作りに黙々と取り組む律子。彼女もまたアルバイト先の喫茶店にやって来た烏山響一と出会う。まだ駆け出しの彼女の作品のことを、なぜかこの男は知っており、彼女に親しげに接近し、頻繁にアトリエに出現するようになった。 一方、ベンチャービジネスの立ち上げが趣味で、未だ大学に在籍する星野和繁は、今や大手広告代理店の営業マンとなったかつての級友・黒瀬淳と街中で出会い、飲みに誘われる。和繁は現在「探すこと」をビジネスにしようと考えており、淳は彼に子どもの頃に見た絵を探して欲しいと頼む。その淳は何かに気を取られている様子だった。そして数週間後、黒瀬淳の婚約者を名乗る女性が和繁のもとを訪ねてくる。二週間ほど前から、黒瀬が行方不明になっているのだという。全ての事象が指し示すのは、和歌山県は熊野にあるという、響一の伯父・烏山彩城が幾つかの山を利用して作ったという巨大なインスタレーション群であった……。

真綿でじわじわと心が締め付けられる。進んではいけないところへ、でも足を踏み入れたくなる恐怖
恩田陸の特に「序盤から中盤の上手さ」が抜群に発揮されている作品。謎のカリスマ青年・烏山響一を中心に据え、彼に見出された平凡な大学生、美大生、そしてエリートサラリーマンの失踪を追う、旧友と婚約者のコンビと。サブリミナルを混入したとされる謎の映画「カーテン」。そして、徐々に舞台は和歌山は熊野の山奥へ……。
そこまでの持って行き方がまず抜群。その知名度、そのカリスマから誰でも選び放題のはずの招待者は、なぜ捷と律子なのか。果たして行方不明になった黒瀬淳は、どういった意図で失踪してしまったのか。それとも本当に死んでしまったのか。謎が謎を呼び、そして彼らが皆、和歌山へと吸い寄せられていく過程が抜群。 どこかで引き返しておれば、このような恐怖を味わわなくても済んだのに、だけど好奇心に負けてしまう人間の性が非常に巧みに描かれており、読者自身このカリスマ青年の正体を知りたいという欲求に突き動かされてしまうはずだ。
そして、山奥にあたかもテーマパークのごとき建築されているインスタレーションの持つ禍々しさがまたスゴイ。そこを訪れることで良い結果を生み出すとは思えないなか、その芸術・試みに惹かれる捷と律子。彼らに対して実に邪悪な響一の計画。この一つ一つのイメージが実に素晴らしいのだ。現代に蘇るパノラマ島(by江戸川乱歩)といった趣があり、この壮大な”無駄”を物語のなかに強引に創り上げてしまうのは、これまでの恩田作品にも共通する凄さだといえよう。アクリル板を使って、あたかも何もないところを渡るかのようにスタートするこのイベント、特にゴムで作られた迷路における胎内くぐりにて最初の恐怖のピークが訪れる。本気で怖えよ、この場面。もし今後、映像化されたら尚更に怖い場面となることも必至。
結末に近づくにつれ、この物語の壮大さがまた別の方向へと進み、一種奇想天外ともいえるこの施設の真の目的がみえてくる。まあ、ここでそれまでの謎(少々現実レベル)との釣り合いが微妙に取れていないところがあって、真相のレベルが異なるように思えるのも恩田陸作品の愛嬌たる所以。ただ、一気に登場人物を幻想的な世界へと強引に誘ってしまい、少々の無理があっても物語をなんとか成立・完結させてしまうあたりの力量は流石だと感じた。とにかく序盤から中途への盛り上げ方が絶品。気になる謎をたくさん提示し、それを小出しに解決しつつ、とにかく最後に持ち込んでしまう構成も素晴らしい。

supernaturalな要素も多く、ホラー小説に分類することに何のためらいもないのだが、どこか物語として別の側面をも持つように思う。ラストにて一気に不思議なテーマが現れてしまうのは唐突な印象が強いし、中途の展開も恐怖ではあるのだけれどいわゆるホラーの恐怖とは質が異なる……どことなく「恐怖」よりも「畏怖」という言葉が似合うような気がする。本年度のホラー小説のベストがあれば、上位に来ることは間違いない。ホラー・SF系統の読み手にとっては、今年の暑っつい夏の最高のプレゼントになるだろう。(刊行されたのは春だけどさ)。


04/08/02
海渡英祐「謀略の大地」(徳間文庫'87)

江戸川乱歩賞受賞作家、海渡英祐氏の十九冊目の作品で元版は徳間書店より'80年に刊行されている。本文庫版の帯には「長篇暗闘小説」という謎のコピーが付けられているが、実質上は連作短編集に近い長編。また、解説を大沢在昌氏が書いているあたりに驚きがあると共に微妙な納得も(現段階の海渡英祐氏作品に関する再評価は本格サイドからなされている側面があるが、この80年代当時は、海渡氏は冒険小説リーグに近かった?)ある。

一九三〇年代。満州に進出し、中国本土侵略を着々と策謀する日本軍。日本国内の情勢も鷹派の軍部が発言権を増し、穏健派や非戦派は様々な謀略や圧力によって追い詰められつつあった。そんな時代。陸軍士官学校を卒業し、軍人として向いていないという自覚にもかかわらず、軍隊内部の警察ともいえる憲兵となった殿村義彦は、特務機関付の憲兵将校として、中国へと向かった。指令は満州国西南端にある熱河(承徳)へ行き、治安状況一般を視察せよというものであったが、もちろんその裏には別の目的があった。熱河に住む実力者で、親日家である楊尚全なる人物が行方不明となっておりその消息を探れというものであった。その近辺は日本軍が最近制圧したものの、馬賊や国府系の工作員が多数跳梁している。殿村は、司令部の指定した西口なる通訳と共に現地へと入る。楊尚全の愛人だった女性と会った殿村だったが、その翌日、彼女が殺害され地図が残されていた。その地図を手掛かりに奥地へと侵入した殿村は、絶体絶命の危機に陥るが、彼は頭の隅でまた冷静な計算を働かせていた……。
『砂塵と黒点』『雪と鮮血』『上海曼陀羅』『硝煙の夏』『屍臭の街』『白い壁赤い影』以上、特務憲兵・殿村義彦が活躍する六つのエピソード。

戦前日本の暗部を正確に描き出しつつ、その裏側にあったかもしれないエピソードを渋く痛快に描く
物語の導入部ですぐに気付かれることと思うのだが、入り口が重厚である。あたかも作者自身、自ら見てきたかのように描かれる戦前の日本史。それも概略をなぞるだけではなく、当時に交わされたであろう様々な会話や思惑、そして日本を実際に動かした(少なくともその当時)人々の状況が、実にリアルに再現されているのである。後の諸説を交えて描写される背景が、まず分厚い。なかなかこういった、込み入ったエンターテインメントを発表できる現代作家はいない。
一方で、フィクション部分がまた巧いのだ。特に素晴らしいのが殿村義彦の立ち位置。それなりの愛国心を持ちながらも、実に常に冷静。世界の状況、日本国内の置かれた状況、軍隊の思惑といったところを全て頭のなかで網羅したうえでの、日本側のスパイという特殊職業をみごとにこなす。彼は常に好むと好まざるにかかわらず、駒としての動きが要請される。彼の場合、その駒でありながら、謀略部分を見抜いたうえで、自分なりの結末を付けてしまうのである。クールというか、格好いいというか。当時の日本人像を超越したヒーロー像が創り上げられているのである。
また、この作風はある作家を思い出す。この時期の作品を扱ったことは確かなかったと思うが、山田風太郎がかつてよく用いた連作作品構造に近しいように思えたのだ。一人の主人公を歴史の流れのなかの重要なポイントに立ち会わせるという点はもちろん、ノンフィクションのなかに有り得そうなエピソードを込め、それがエンターテインメントとして成り立っている点、そして結局、一人の人物がいくら動いたところで大きな歴史がひっくり返ることはない虚しさ……。ただ、このタイプのエンターテインメントを成立させるためには、膨大なエネルギーが必要なことは間違いなく、海渡英祐にはそのパワーと実力を合わせ持った作家なのである。

個々の謎が、どちらかといえば謀略系(思いも寄らないところに裏切り者がいた! 等々)であり、本格ミステリとして再評価することは出来ないながら、壮大な構想と緻密な作業が両立したエンターテインメントとして記憶に留めたい作品だといえよう。


04/08/01
皆川博子「妖かし蔵殺人事件」(中公文庫'89)

'80年代、『壁 旅芝居殺人事件』が推理作家協会賞を受賞する前後、皆川博子さんは各社ノベルスを中心に「○○殺人事件」という小説作品をかなり発表されている。本書も'86年に中央公論社のC★NOVELSより刊行された作品が文庫化されたもの。ただ、その「殺人事件」のなかでは評価の高い作品の一つ。

千葉県の手賀沼近くに水舟(水槽)までも備えた古式ゆかしき芝居用の小さな小屋『瑞穂座』が移設され、巴屋水木璃若一門によってそのこけら落とし講演が行われることが決まった。江戸歌舞伎の楽しさを伝えるために璃若自身は演出に回り、若手俳優を表に立てたその講演、主役である鯉魚の精を務めるのは一座の璃紅であった。その最大の見せ場、天井からピアノ線で釣られた璃紅が大見得を切ったあと、水槽に飛び込み早変わりをする場面、三日目を迎えて変化があった。早変わりして登場する筈の璃紅が現れないのだ。劇雑誌記者の田浦は、その鯉を作った『乙桐小道具』の代々の主人が蔵に入ったまま行方不明になってしまうという事件が頭を過る。つい半年前、田浦が乙桐小道具を訪れた際、四代目当主・乙桐伊兵衛が小道具を収めてある古い蔵に入ったまま行方不明になってしまっていた。楽屋に訪れた田浦は、璃紅が水槽に入ったあと、着物を残して消失してしまったことを知る。大騒ぎとなっている楽屋に一本の電話がかかり、混乱に拍車を掛ける。その璃紅が、乙桐小道具のその土蔵で、首を吊って死んでいるのが発見されたのだという。

その奇怪で魅力的な謎、そして歌舞伎とその周辺世界。全てが溶け合い超絶のミステリに
ミステリファンと皆川博子ファンを自認しているつもりであるが、なかなか本書は入手することができず、読む機会がなかった。今回、某氏より借りて本書を初めて手にしたのだが、その運命(と書くと大袈裟か)を恨みたくなる程の、傑作皆川本格ミステリであり、驚いた次第。
まず、舞台設定そのものは現代。だが、物語の中心にあるのが歌舞伎の世界、そしてその歌舞伎を支える周辺の人々。蔵の中からの消失、水槽からの人体消失を始め、不可解な死が場面を彩る。一つの事件の整合性を取ると、もう一つがおかしくなるという絶妙のアンバランスさを内包したまま物語は進み、それが物語全体の危うさを感じさせる。主人公である編集者・田浦と綏子との恋愛を伴うような、伴わないような微妙な人間関係の造り方も巧い。加えて梨園特有の複雑で、かつ長期間にわたる人間関係も、この物語の奥行きに深みを加えていく。歌舞伎の持つ人工美と、本格ミステリの持つ、これまた人工の美学が一つに溶け合う美しさ。 特に複雑に絡み合った愛情は、歌舞伎の物語さえも凌駕し、時に美しく時に醜く読者の心に、少なくとも最後には届く。隠された人間関係が明かされた際に浮かび上がる図式の不可解さもまた、これが梨園の世界であるならば……なるほど!、と膝を打たせるのだ。特に、トリックにしろ人間関係にしろ、全てが綱渡り。綱渡りでありながら納得させてしまう世界を構築してしまう手腕が何よりすごいのだ。
恐らく、他の作家のみならず皆川博子自身でさえ、本作品におkる本格ミステリの要素のみを取り出して、別の舞台にてこの作品を展開しようとしても、何らかの不自然が生じてしまうだろうことも間違いない。この作品でしか表現しえないトリックと舞台と登場人物の三位一体、そして+皆川博子という作者。 奇跡をもって生まれてきた作品だといっても過言ではない。

私も未だに見つけられないので歯痒いのですが……。初心者に向くとはいえないまでも、ある程度、本格ミステリを読み込まれている人であれば本書は読む価値ありそう。特に『壁 旅芝居殺人事件』を読まれて感心された方が、次の作品として選ぶのに最適。これならば期待を裏切らないし、むしろ皆川世界にどっぷりと浸ることになるだろうし。