MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/08/20
倉阪鬼一郎「呪文字」(光文社文庫'04)

題名は「じゅもんじ」と読む。倉阪氏の光文社文庫書き下ろしとなる長編ホラー作品。ホラーにしては珍しく後半部が袋綴じになっており、帯には「袋とじに隠された前代未聞、驚天動地の大仕掛け!」とある。

守渡季里は五十路を迎えた作家。ただ昨年大病を患った結果、自らの余命があと数年しかないことを知る。彼は細々とした仕事を全て断り、残された人生を、彼の余命を知る編集者・井澤が担当する月刊「小説クロス」向けの連載長篇「時の血はここに甦る」に集中することにする。ただ、それとは別に美濃に住むカリスマ歌人・十文字俊夫が編纂する同人誌「呪文字」に連載エッセイの仕事を引き受けることになる。小説執筆における余熱、そして書き残すべき言葉をそのエッセイに込めるという算段である。その連載第一回目のエッセイを、守渡は何かに取り憑かれたかのように一気に書き上げた。遅筆の彼にしては珍しいことで、その文章の座りは悪く意味も取りづらい内容となったが、彼にはそれが唯一無二のものと思えた。第二回、第三回のエッセイも同じように、一気に書き上げることができたが、守渡の病状はあまり芳しくなくなってきた。神田の行きつけの喫茶店で打ち合わせした際、井澤は守渡に、長篇のための取材旅行を強引に提案してきた。守渡は承諾し、その準備が整えられた。宿泊先として井澤が選んだのは十文字の邸宅であった……。

倉阪氏の持ち味であるテキストに隠された秘密。果たして袋綴じの中身は……?
ちょっと文庫にしては行間が空きが大きく、頁の白さが目立つ作りになっている。一瞬「これは中篇クラスを一冊にしたのかな……」と思ったし、実際の文章量も決して多くはない。ただ実は、その部分、空白をつくることで読者にある点を気付きにくくさせるための微妙な深謀がある。(袋綴じ部を空けて、本書に隠された仕掛けを知れば、その意味は分かる筈)。とはいえ、その仕掛けを差し引いてもコストパフォーマンスについてはちょっと「?」かも……。
内容としては、倉阪作品の、特に初期に多い破滅型ホラー作品。本作でも、もともと余命の限られた作家が何かに取り憑かれたかのように執筆し、その裏側には作家の与り知らぬところで決められた運命の歯車が回っていた……というもの。遊びが少なく、思わせぶりな表現全てが後半への伏線となっている。倉阪ファンであれば、どのあたりに仕掛けが凝らされているのか? というあたりを作者と知恵比べ(?)しながら読むべきところ。 袋綴じゆえ、その結末は購入して開いてみないと分からない。正直なところをいえば、インパクトと、文章の完成度いう意味で、これまでの、例えば『文字禍の館』『内宇宙への旅』あたりには譲る印象である。また後半の壊れ方が急ぎすぎてかつ凄まじいため、倉阪ファンの方以外にはちょっと受け付けられないかもしれないという懸念もある。

文庫書き下ろしで入手しやすい作品ではあるが、倉阪ホラーをある程度理解している方向け。 倉阪初心者であれば、同じ光文社文庫から刊行されている『鳩の来る家』あたりの方をお勧めしておきます。


04/08/19
井上雅彦(編)「蒐集家(コレクター) 異形コレクション30」(光文社文庫'04)

御存知、井上雅彦氏による書き下ろしアンソロジーシリーズ《異形コレクション》。廣済堂文庫から光文社文庫に版元を変え、実に通巻を三十を数えるに至っている。この『蒐集家』には何かと話題が多く、初の公募枠が設けられたこと、その枠を射止めたのが松本楽志であったことに加え、事故の三日前に脱稿したという中島らもの遺作が掲載されている(しかも傑作)あたりも大きなポイントであろう。

『陰陽師 蚓喰(みみずく)法師』夢枕獏 貴族たちが罹った水飲みの病。その業病を治療して回る法師。彼が集めているものは?
『愛書家倶楽部』北原尚彦 稀覯書を集めている伯父が秘中の秘としていた本棚。伯父の死後、その棚は何者かに運び出されてしまう。
『いちばん欲しいもの』石田一 SF関係グッズの名の知られたコレクター。日本を縦断するように各種のコレクターが殺害される事件が……。
『箱』冲方丁 精神を病んで死んだ友人がコレクションしていた箱。それを友人たちがオークションにて売り出すことにするのだが、怪異が。 
『終夜図書館』早見裕司 ジュニア小説作家・早見裕司が紹介された完璧なるジュニア小説のコレクター。彼が所蔵しているのは本だけではなかった。
『ディープ・キス』草上仁 男性を対象とした猟奇連続殺人事件の犯人と思しき女が逮捕され法廷へ。初老の刑事は彼女をずっと追っており、法廷へと出向く。
『怪異蒐集家』木原浩勝 怪奇譚蒐集家のもとにインタビューに訪れた男。その蒐集家の周辺では、彼ならではの怪異がよく起きていて……。
『眼』竹河聖 華族の血筋を引くという優雅な友人・華世。彼女が集めているのは「眼」であるとの噂が女学校に走り、私は彼女に招かれた。
『プロセルピナ』飛鳥部勝則 ある目的をもって知り合った男女。女が男の住む奇妙な五重塔を訪ねたところ、部屋には女性の大量の屍体があった。
『蝋燭(コレクション)取り』飯野文彦 高座に掛けると不幸が起きるという禁じられた噺。寿命を司るという蝋燭の噺の内容は……。
『空中回廊』井上雅彦 僕が蒐集した〈絵画〉のコレクション。魔に魅入られた僕は、それを手放そうとしていた。
『參』浅暮三文 珍しい漢字・珍字のコレクション。辞書のように並べられ、そこに解説が付いている。込められた仕掛けとは?
『記憶玉』岬兄悟 男の精気を吸い取って生きる女性吸血鬼。彼女は一定期間を過ぎると男の記憶をも吸い取ってそれを玉に残すようにしていた。
『人形の家2004』久美沙織 全国的に発売され、一時期の女の子が夢中になるリリカ人形。彼女たちが意志を持ち、一方で電話を掛けてくる女性がいた。
『枷〈コード〉』平山夢明 男は暴力的に女性を虐げ殺害することで顕現を体現させることを悦びとしていた。彼は自らにある枷を嵌め、暴走を戒める。
『DECO―CHIN』中島らも サブカルチャー誌の編集が訪れたライブにてゲリラ的に登場したバンド。彼らは皆特殊な身体的特徴を持ち、絶品のサウンドを聞かせる。
『尊氏膏(たかうじこう)』朝松健 時の鎌倉公方に出来た腫れ物に効くという膏薬を求め、一休は奥秩父を訪れる。その領主が膏薬を作っているというが。
『ミアのすべて』安土萌 ミアの集めてきた虫や小動物全てをコレクションにしていた男。そのミアが死に、男はミアの毛皮に顔を埋めて泣く。
『蒐集男爵の話』菊地秀行 美しい女性を集める蒐集男爵。その男爵の眼鏡にかなうようその城館の女性たちは自分こそと己を磨き続ける。
『海を集める』松本楽志 夜ごと入院中の彼のもとを訪れる夜未という女性。彼女と二人夜中の海岸で漂着物を拾う。彼女は漂着物に名前を付ける。

このボリューム、そして濃い中身。奇談蒐集家・井上雅彦の熱意は衰えを見せない……
最初の『ラヴ・フリーク』が刊行されたのが'97年であるから、このアンソロジーも実に長いこと継続されていることになる。松本楽志氏の登場もあって久々に購入したが、そのレベルが全く落ちていない、寧ろ洗練されてきたような印象を受けた。これだけ様々な作家が、様々な時代や様々なテーマを取り上げていながら、全体としての闇の統一感がしっかりと存在している。

好作品揃いながら、特に印象に残ったのはやはり中島らもの遺作となった『DECO―CHIN』。サブカルチャーの現実をベースにして背景を馴らしておいてから、登場するのは身体障害を活かした強烈なバンド。その衝撃もさることながら、その後、編集者が取った行動に凄まじいものがある。筋書きだけならば他の作家にも書けようが、異形に取り込まれる人間の描き方が抜群に巧い。 また早見裕司『終夜図書館』は、ぎっちり詰まった文体とコレクターの神経とのせめぎ合いのなかに現代のライトノベル礼賛に対する諷刺がちくりと入っており、怖さとは異なる意味で考えさせられた。平易な文章が逆に特徴でもある木原浩勝の『怪異蒐集家』も強烈な印象を残す。怪異譚蒐集家の作者ならではのフィクションとノンフィクションとの境界の揺らぎが不気味な余韻を醸し出している。朝松健の『尊氏膏』は、ひたすらに禍々しく、その徹底した暴虐とその因果応報の後味の悪さが凄まじい。
別格 松本楽志の『海を集める』。 松本氏の作品を読んだのは本書が初めてなのだが、日記等で見せてくれるキレのある文章とはまた全く異なり、いくつかの異なる幻想が重ね合わされた作風に戸惑いさえ覚える。ただ、その幻想の一つ一つの場面が印象的にコラージュされており、独特の世界を造り上げている点は間違いない。不思議な深みを持っている。

やはりこのシリーズ、濃い。これだけのレベルを持つ短編が常に収録されているアンソロジーは、ちょっと他に類例がないのではないか。作品数が多いので読み出すと時間を要するため、その気分になかなかならないのが個人的には難点なのだが、実際に手にとってしまうとやっぱり止められないのだ。
最後に。余談であるけれど、蒐集家としては人後に落ちない作家『無法地帯』の大倉崇裕氏をこのアンソロジーに是非とも招いて欲しかったようにも思う。


04/08/18
垣根涼介「サウダージ」(文藝春秋'04)

ワイルド・ソウル』にて大藪春彦賞、吉川英治新人文学賞、日本推理作家協会賞の三賞を獲得してブレイク中の気鋭の作家・垣根涼介。本書は、既に文庫化されている『ヒート・アイランド』、及びその続編にあたる『ギャングスター・レッスン』に続く「裏金専門のハンター」たちの活躍を描く第三長編。

日系移民の息子としてブラジルで育ち、長じて日本に出てきた耕一。劣悪な環境で働く彼はある事件をきっかけにして更なる転落と、そして自分を一新する機会を得た。そんな彼のの度胸の据わった態度と頭の回転の良さに眼を付けた柿沢たちは、彼を「裏金ハンター」の一人として教育するが、一年後、耕一の持つ危険な性質を危ぶむ彼らは彼を切り捨てる。その後、単独で完全犯罪を行って生計を立てていた耕一。彼には一人の恋人がいた。コロンビア人の売春婦・DD。人目を引く容姿に抜群のプロポーション、頭は悪くセックスに貪欲。それでも耕一に尽くすDDを、耕一は彼なりに愛していた。DDと深く関係するうちに、彼女たち外国人売春婦を食い物にするチンピラヤクザを制裁した耕一は麻薬取引に関する貴重な情報を入手。大きなヤマであり、一人では手に負えないと判断した彼は、かつての仲間に連絡を取り、共同でそのヤクザの取引現場を押さえようと持ちかけるが……。

破滅の冒険小説を際立てるラテン系女性の明るいノリと、とことんまで暗い影を持つ男とのコントラストに痺れる
この「裏金ハンター」シリーズの続編……と上で書いたが、三分の二は本編の主人公・耕一とその恋人DDが関連する話であるので、本書から読んでも差し障りはない。ただ、前作迄のあらすじが一部ネタバレになっており、かなり物語の核心部分が明らかになってしまっているため、やはり順番に読むことをお勧めする。
さて本編。その「裏金ハンター」シリーズの続編というより姉妹編。本編の中心人物の一人・アキの恋という、本人にとっては一大事ながら、周囲からするとついからかいたくもなるサブ・ストーリーがあり、そちらはそちらでなかなかに切ない構成になっているのだけれど、あくまで本編は、別の二人の物語である。つまり孤独な日系人犯罪者・耕一と、底抜けに明るく、かつオバカな性格で周囲を振り回す売春婦・DD。犯罪に手を染める男と、そんな男の正体を知らずに尽くす女性。特にこのDDの造型が秀逸。グローバル化の進む日本においてもなかなか理解されづらいだろうけれど、不思議と”良い女”なのである。独特の貞操観念、タフさ、その美貌、明るさ、天然の自己中心主義。ラテン女(蔑称の意図はない)の魅力を、日本国内で顕現させているのはカリスマに近い。(ちょっと大袈裟だけどね) そして実際に身近にいたとしたら付き合いきれないようなとんでもない女なのだろうけれど、このDDに惹かれる耕一の気持ちもなぜかよく分かるのだ。実際、生まれてからずっと裏道の人生を歩んできて、そもそもが犯罪者である「裏金ハンター」たちからも切り捨てられ、とことんまで性格が暗い耕一と、同じように決して恵まれていないにも関わらず底抜けに明るいDDと。この二人が光と影を担い、物語が独特のコントラストを発している。その微妙に行き違いながら二人の関係が深まっていく過程が実にイイ。
また、いわゆる世間の裏側の情報小説としても優れており、外国人売春婦の悲惨な境遇もまた暗として舞台にある。ただ、作品では現実を現実として受け止めており、”告発”といった視点がないのがエンターテインメントに繋がっている。このDDの性格が単なる登場人物の描写に留まらず、最後の最後で強烈に物語に影響を与えるあたり、作者の深謀を感じた。
そして、物語のラスト。冒頭に書かれている「サウダージ……二度と会えぬ人や土地への思慕」という意が切なく迫る。同じ冒険小説のフィールドにおいても似たシチュエーションの作品はあまり見掛けないし、登場人物の個性が不思議と心に残る作品である。

日系二世に対する日本人の冷たい仕打ちであるとか、車を利用した破滅的なラストであるとか、微妙にこれまで発表された垣根作品と光景がダブるところがあり、微妙に作者の引き出しの数が気にならないでもない。ただ、デビュー作から一貫して、ノワールと冒険小説の面白みを双方抽出して独自の物語世界を作り続ける作者の姿勢には敬服する。実力は既に証明されていることであるし、今後も追ってゆきたい。


04/08/17
舞城王太郎「好き好き大好き超愛してる。」(講談社'04)

数々の異色作家を輩出するメフィスト賞出身作家のなかで、現在もっとも芥川賞に近い作家がこの舞城王太郎であろう。表題作は『群像』誌に掲載され、第131回芥川賞候補作となった作品。同時に中篇『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』が収録されており、こちらは鳴り物入りで刊行された『ファウスト』のvol.1に掲載された作品。しかし派手な装幀ですねー。

『好き好き大好き超愛してる。』 小説を書いて発表している僕。僕には好きで好きで堪らない恋人・柿緒がいたが、彼女は若くして癌に冒され長らく入院生活をしていた。僕はずっと彼女の側に寄り添い、彼女を助け励まして家族以上に尽くした。でも彼女は死んでしまった。僕は彼女に一番言いたいことが云えなかった。僕とその後も仲良くしていた彼女の兄弟たちとも僕が書いた小説がもとで、喧嘩別れすることになった。また、彼女が死んでから、誕生日の前日に彼女からの手紙が届いた。僕は彼女を思う。ずっと思い続ける。(すみません、あらすじになってません)
『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』 母親のこしらえたクソのような愛人と、アホな父親のその男に対する措置の結果、逆ギレしたその愛人が家に乗り込んできて、一家惨殺を図った。俺の家族が何人も殺され、俺自身、その愛人によって頭にドライバーを突き立てられたが、生きていた。ただ、俺は頭のなかで”村木誠”という、頭に穴の開いた、調布市に住むスーパーヒーローとなった。頭に角のある恋人・鞘木あかなと共に地球制服を企む悪いやつらと戦うのだ。

舞城流の「愛情論」。その極端に偏ったパワーに振り回されるのが心地よい。
まず表題作の『好き好き大好き超愛してる。』。 舞城らしくそれはそれで完結している幾つものプロットが錯綜。それぞれが互いに単純ではない層構造を持ったメタ形式(但し、その関係性は如何様にも受け止められる)にて描かれており、読者それぞれによって微妙に物語への理解が変化しそうな気がする。ただいえるのは、その一編一編に舞城らしいパワーが、まさに”ぶち込まれ”ているので、その舞城パワーがミクスチュアされた独特の感覚を素直に楽しめば良いのではないかと思う。本来一文にまとめない「好き好き大好き超愛してる。」という題名が示す通り、柿緒のパートを主軸に他の智依子のパートやニオモのパートや佐々木妙子のパートを小難しく分析するのではなく(それは文芸評論家の方々に任せておけばよろし)、それらをまとめて受け止め、そこから何かを感じることで読者はこの作品を消化していく……ということで良い。
ちなみに文芸上のテクニックやら狙いとかとは別に、素直に小生が受け止めたのは、舞城なりの愛情論。本当に好きな人に対し、自分は何をできるのか、何をしてやるべきなのか。好きという感情はいったい何なのか。一見、荒唐無稽に思える物語群のなかから、この真摯な問いかけが痛いほどにわき出ている。巫山戯た表現も、突っ走りすぎた表現もあって、単なるエンタメとしても読むことは出来ようが、その裏側には”愛”そのものに対する問いかけがあり、そして懊悩が隠されている。ただ――、その懊悩を笑い飛ばすかの如く(実際には笑い飛ばしてはいない。登場人物は常に真摯である)描いてしまうあたりに舞城の才能がある。

もう一方、『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』。こちらの方が飛ばし方が激しい。調布市で世界を救う主人公の頭の中に空いた穴を巡る陰謀の数々と、その穴に振り回される主人公。”夢”という設定を最大に活かしたアホらしい設定を真剣に描いているあたり大好き。ただ、実際のところは個人的には愛情と性欲のせめぎ合いに葛藤する十代男の子特有の悩みを極限化して描き出した作品とみたがどうだろう。

メフィスト賞受賞作から追っている当方からすれば、アッという間に舞城は手の届かない高みを目指して「行ってしまった」という印象があり、既にミステリのような片々のジャンルから論じることは不可能の作家となってしまっている。ただ、その当初からのパワーだけは健在であり、このまま己の道を是非貫いて欲しいところ。


04/08/16
殊能将之「キマイラの新しい城」(講談社ノベルス'04)

第13回メフィスト賞を『ハサミ男』で獲得。殊能氏が鮮烈なデビューを飾ってから早五年。名探偵・石動戯作が登場するシリーズで、新作長編は昨年刊行された『子どもの王様』以来となる。

フランスにあった廃墟と化した古城に魅せられた不動産会社社長・江里睦夫は、千葉県に「剣と魔法のファンタジーランド・シメール城」というテーマパークを設立、社長に就任した。しかし彼にその古城の持ち主だった稲妻卿ことエドガー・ランペールの亡霊が取り憑いてしまった。稲妻卿は貴族階級にあるにもかかわらず、戦いを求めて十字軍の遠征に従事。敗れて行方不明になっている間に、弟が跡目を継いでしまっていた。戦いによって性格の変化した彼は、奇妙な形をしたシメール城を設立、隠遁生活を送っていた。しかしその稲妻卿によると、彼は密室となっていた礼拝室のなかで何者かに剣で背中を貫かれて絶命したのだという。奇矯な発言と振る舞いを繰りかえす江里社長(稲妻卿)に困り果てた重役陣の一人、大海は、その七百五十年前に発生した事件の解決を、探偵・石動戯作に託す。助手のアントニオと共にテーマパークに乗り込んできた石動は、コスプレショップで魔術師の衣装に着替えさせられ、社長との体面を果たす。

ファンタジーとユーモアと歴史ミステリの希有なる融合。殊能将之の新しい挑戦……なんだと思うけど。
またまた奇妙な設定である……が、それを奇妙なまま納得させられてしまうのが殊能ミステリならではの面白みだろう。本書の場合、移設してきた城と共にやって来た亡霊に日本人が取り憑かれ、過去の不可能犯罪の謎解きが強要される……という、変梃な設定。死んだ本人が証言をし、現場は残されているものの科学的捜査が無効化された状態にある。事件は七百五十年前、そしてその時代が不可能犯罪と密接に関係があるというあたり、殊能将之の新境地(というかこの作家は一作ごとに新境地を開拓している)をみることが出来るだろう。即ち、「歴史ミステリ」への殊能流のオマージュといった感覚である。稲妻卿の回想を通じて、当時の状況などが緊密に迫力ある場面として再現されるあたりの作りが丁寧。恐らく考証的にもかなり頑張られたことが感じられる。
ただ、どうも作者の狙いはそれだけではないようなのだ。即ちユーモア・ミステリとしての側面である。現代人に取り憑いた結果、稲妻卿は七百五十年前の価値観・知識・経験でもって現代日本に登場する。彼の視線からみた現代。そして千葉から東京への逃避行、そしてある人物との対決等々、場面毎に大袈裟な表現があって、そのギャップにはかなり笑わされてしった。また、事件の解決を依頼された石動も面白い。「仕方ないですね、やりますよ」という感じで乗り気でないのに、巻き込まれて不本意な格好をさせられたり、適当に考えた、ええ加減な推理を披露してみたり。やる気のあまりない石動の姿や、彼のアントニオとのやり取りにのなかにも、シリーズ作品ゆえに醸し出される面白みがある 別に作者に「笑い」を強要する意図があったのかどうかは別にして、シチュエーションに凝ることによって導かれているユーモア。しかも上質であり、読書を推進していく原動力にもなっている。
そしてもう一点触れておきたいのが、ファンタジーとしての要素がかなり強くあること。稲妻卿自身、ロポンギルズに乗り込んで悪人たちと戦うのだけれど、このあたりのスピード感溢れる展開や、アクション場面なども充実。そもそも亡霊に取り憑かれたじいちゃんの強いこと強いこと。大アバレ。またその視点は逆に考えれば、未来世界で活躍する十三世紀の戦士なわけで、この段階でファンタジーとしての要件を満たしているとはいえないか。
密室の謎解き(特に二番目の方)の脱力感もまた素晴らしいし、作品設定を実に巧みにミステリのなかに織り込んでいるといえるだろう。とはいえ、かなり無理無理な感じがするのは殊能氏自身にこのあたり(つまりいわゆる本格ミステリ)をエンターテインメントのコアとして真剣に取り入れる気がないからのようにみえる。ただ、殊能氏自身はかなりミステリに詳しいはずで、その意味では「ミステリのお約束」を知ったうえでの逸脱を感じる。

これまでも、一見普通の「新本格ミステリ」のように見せながら、数々の他の要素をさりげなく加えていく仕事をしてきた殊能氏が、また新たな一歩を踏み出したかのように思える作品。裏返しのファンタジーに加え、特に本作、ユーモア面での進歩が大きい。本格ミステリ界のなかでも直球ではなく、手元で微妙に変化する球を持つピッチャーである。
あと、章の冒頭でその章の概要を数行にてまとめているあたり、横溝作品のイメージがあるのだけれど、このあたりはどうかな。


04/08/15
藤原審爾「新宿警察シリーズ マリファナ殺人事件」(実業之日本社JOY NOVELS'77)

国産の警察小説の走り……という位置づけにあり、数々の映画やドラマの原作にもなっており、藤原審爾のライフワークとも言われていたのが、本書を含む一連に「新宿警察」のシリーズ。題名(というかシリーズ名)が指し示す通り、新宿署に勤務する様々な刑事や警察官と、やはり都市構造が激変しつつある時期の新宿に関連した様々な犯罪とを扱った短編小説群である。

新宿警察署管内の事件が中心で、新宿署には、大ベテランで思慮深い刑事の鏡・徳田老、身体はごついが酒がダメ、猪突猛進型の根来、常に熱心に事件を追いかける中堅刑事・三浦、推理小説作家志望の変わり種で刑事らしからぬ風貌で女の子が 大好きの若手・伊藤ら、個性的な刑事が揃う。時折設定が異なる作品が見受けられる気もするが、基本的には彼らが扱う事件が一つ一つの短編となっている。デパートでの連続万引き事件を追い、その裏側にある事情が見えてきたり、田舎から出てきた真面目な青年が麻薬パーティの現場で殺され、一向に犯人が分からないばかりか、その殺人事件自体が関係者のなかで風化していったり。新宿を舞台にした、孤独と懊悩、そして都市ならではの虚無感に溢れた作品群である。
『花びらの鼓動』『殺しの標的』『しなやかな肢』『田舎刑事』『黒い膚』『マリファナ殺人事件』『新宿ぶろんど』『へんな夫婦』『狼の群れ』『下着泥棒』『新宿裏町小唄』 以上十一編を収録。

かつての新宿を通じ、その変化の激しい時代を描き尽くす。行間から立ち上る都市の哀しさに注目したい佳編
作品ごとの発表時期まできちんと調べたわけではないのだが、少なくとも物語の舞台となっているのは、日本が高度成長期に入った頃合いから、高度成長期のさなかの新宿。通常のノベルスサイズの一冊に、小さな活字がぎっしり詰まり、いくつものその時代ならではの新宿の風景がある。シリーズの背景となる「新宿警察」の組織等については、通常の警察組織を下敷きにしており、現代にも通じるオーソドックスな作りといえるのだが、その時代背景に加え、物語の展開であるとか進め方に特徴的なものがある。
まず、犯罪の背景にやるせなさ、虚しさ、哀しさといった叙情の漂うものが圧倒的に多い点。 一部若者の無軌道ぶりを描く作品もあるにはあるものの、あくまでそれは少数派であり、多いのは、貧乏や都会の孤独が背景にある、何ともその非を糾弾しづらい犯罪である。高度成長に取り残された弱者や、地方から出稼ぎに出てきた人々がやむなく落ちていく犯罪。この時代の東京の裏側を切実に感じさせられ、その結果、作品には独特の哀感が滲み出る。
彼らのことを思いやりつつも法の守護者である警察側にも苦悩があり、その現実を見詰める妥協のない筆致により、大都会ならではの社会矛盾が描き出されている。全く具体的な社会派要素を取りいれずとも、作者の視点が既にそういった矛盾を踏まえているがために、 一方、これも特徴的なのは、盛り上がりとかアクションとかの場面を重視していない点。 現代のエンターテインメントを基準にするとこのあたりアンバランスといっても良いくらいなのだ。チンピラとの証拠を巡っての刑事との駆け引きが丁寧に書かれていると思えばその結果、黒幕が出てきても「逮捕された」のひとことで終わっていたり。後日譚が数行しかなかったり。行間を読みとる必要があるともいえるし、文章的、物語的効果を狙った作者の意図とも受け取れる。このあたりは、現代の警察小説に慣れている読者には多少の抵抗感があるかもしれない。

まとまって読めないところが逆に良いのかもしれない。現代エンタとしては物静かに過ぎる風ではあるけれど、現代とは異相の都市空間を楽しむことができた。このJOY NOVELS版の表紙、読了するまで気付かなかったけれど、これは新宿大ガードじゃないですか。この風景だけはあまり変わっていない気がする。


04/08/14
内田康夫「津軽殺人事件」(光文社文庫'91)

浅見光彦シリーズ。'88年に発表された第39冊目にあたるという作品が元版。内田氏の量産ぶりはこの'88年あたりから際だっており、この年は、一年で十二冊もの作品が発表されたのだという。(だから中身が……)。

都内のホテルで弘前からやって来た古書店主が自殺と思われる状況で死亡していた。死体のポケットから「コスモス、無惨。マネク、ススキ。アノ裏ニハキット墓地ガアリマス。」と書かれた手帳の一ページが。しかし捜査の結果、彼は上京して司法試験浪人中の娘・石井靖子と前日に食事を共にしており、太宰治が描いた絵が入手できそうだと話をしており、自殺の気配などなかったのだという。警視庁の堀越部長刑事は、本庁の捜査主任のやり方が気に喰わず、内密に浅見光彦に助言を依頼する。一方、石井靖子のことを憎からず思っている同じく司法試験浪人生の村上も、友人で名探偵の噂が高い浅見に事件の捜査を依頼する。浅見は被害者が主宰していた「『津軽』を旅する会」に事件の鍵があるとにらみ、石井靖子とともに津軽半島を回る。その結果、数々の証言が得られ、また石井と接触していた人物が殺されるという事件と遭遇してしまう。

旅情を描いている部分に深み。残りのいくつかの要素は全て半端にみえる……
津軽半島にこれまで個人的に全く縁がなく、この半島を巡る描写についてはいろいろな部分でそれなりの感銘を受けた。作者自身の取材がもとになっているであろう現実の名所の数々は、良いところは良く、悪いところはきちんと悪く描かれており、それほどもともと興味がない人間であっても「ふーん、ちょっと行ってみてもいいかも」と思わせる力がある。この「ちょっと行ってみたい」と思わせる力こそが、旅情ミステリーが売れている理由の一つでもあり、少なくとも”旅情”という点については本作、合格だといえよう。
だが、どうもそれまでなのだ。作者が恐らく力を入れたであろう点は、本書のサブテーマでもある太宰治文学の考察。確かに北国の厳しい気候や土地が文学者を生み出したという点、更にはこの土地出身の人々ならではの気質が事件とも微妙に(というかラストでぎりぎり無理矢理に)結び付いている点はそれなりに評価できよう。だが、その点にしてもどこか強烈なオリジナリティのある主張とは言いかねるのではないか。(事実、どこかで読んだ記憶があるし……)。 また、「コスモス、無惨」から喚起される社会派的テーマにしても、一面的であり深みに欠けている。そして謎解きのミステリとしてみたときも、最初からの構想の薄っぺらさがやはり気になる。ダイイングメッセージの都合の良さ、証言の都合の良さ。与えられた材料による推理というよりも、隠された人間関係の類推がたまたま的中したというような展開。少なくとも、この作品における浅見光彦は論理を駆使するがゆえの名探偵というよりも、あくまで足で稼いでラッキーな場面を目にしたり、聞き取ったりすることによってのラッキーボーイ的探偵であるようにみえる。まあ、本格ミステリマニアのひねた視点が悪いのかもしれないし、そういう読者がそもそも手に取るべき本ではないという御指摘、ごもっともです。

この段階で既に内田康夫氏につく読者は、本格謎解きを期待するものではなかったであろうし、これが悪いことだとは言わない。ミステリーは、娯楽や時間つぶしの一手段として存在する側面をも持つのだから。


04/08/13
関田 涙「刹那の魔女の冒険」(講談社ノベルス'04)

'03年に第28回メフィスト賞を『蜜の森の凍える女神』にて受賞。その後続けて『七人の迷える騎士』を講談社ノベルスより刊行。本書が三冊目にあたる。デビュー作から続く、美少女名探偵ヴィッキーのシリーズ三作目にもあたる。

正月休み。風夏学園の中学三年生の菊原誠は心地よい眠りから姉であるヴィッキーに叩き起こされる。十年ぶりに刊行される探偵小説『ヴィッキーの隠れ家』で知られるシリーズの三冊目が発売されるのだという。当日まで伏せられていた題名は『千二百年時計のなぞ』。著者である関田涙本人が現れるサイン会にヴィッキーは僕を連れだして出発する。長々と待たされた挙げ句、ようやく関田涙の前に立ったヴィッキー。しかし彼らの目の前で関田涙は首を引きちぎられて死亡する。果たして何が起きたのか……? (算用数字の章)
ゴールデンウィーク直前の週末。ヴィッキーの親しい友人が所有する麗野高原の別荘に僕とヴィッキーはやって来た。独立した四つの棟で中庭を取り囲んだような奇妙な館には、管理人の中嶋夫妻の他に所有者である小田切教授の息子で、根っからの遊び人学生・明都が男性一人、女性二人の友人を連れて遊びに来ていた。季節はずれの雪が積もったその晩、女性の一人が殺され、中庭の池の中から発見された……。(漢数字の章)

物語としての究極の冒険、そしてメタ構造の破壊力を最大限利用した異端のミステリ
前二作を読んでからかなり時間が経過して(新刊として刊行されてからもかなり時間が経っている)いるなか、誰かが何かで言及していて(記憶が定かではないが、そんなもんである)、ずっと気になっていたので読み出した。……いや待てよ、これは、しかし……すげえ
三冊をまとめて読む機会があれば、そちらの方が良い。ただ、現段階では文庫という形態になっていない以上、これから入ってまとめ読みされるという方もそう多くはないだろうし、『蜜の森の凍える女神』『七人の迷える騎士』という、前二冊の内容を詳細まで頭の中に残しておけた読者もどれくらいいることか……。いわゆるメタ・ミステリとして凄まじい破壊力を秘めた試みが為されているのに、それを理解できる読者が非常に限定されるのではないかという点が危惧される。語弊を覚悟で例えるなら、一都市を吹き飛ばすだけの爆弾でありながら、実際の爆発が山奥の過疎地であった、みたいな。

本作で関田涙がやろうとしたことは、辻真先氏のあの名作に近いとでもいえば勘の良い本格ミステリファンならば分かるだろうか。いや、結果的にそうなってしまっただけで、元もとの目的はそうではなかったかもしれないか。

さて。 漢数字で章が記される「Bの読み方」では過去の雪の山荘における殺人事件と、現在進行形の、学園祭の出し物の、お化け屋敷を行っている教室での殺人事件の二つが描かれる。こちらはかなり正統派の新本格ミステリ。一方、「Aの読み方」は先の漢数字の章と、算用数字の章にて描かれる、(作品レベルの)現実におけるヴィッキーシリーズの作者・関田涙がサイン会の最中に首がいきなり切断されてしまうという、清涼院ばりの奇怪な殺人事件(しかも連続)、さらに加えてその解決のために『千二百年時計の謎』という物語世界に飛び込む……というメタ構造を前提としたファンタジックな本格ミステリ。作中作には四重密室殺人が演出されており、それぞれの事件の充実度もそれなりにある。

小生は最初から順に読んだのだが、最初の作者の企みについてはすぐに気付いた。もちろん算用数字と漢数字における「僕」と「菊原誠」が同一人物ではない、という点。ただ、その「Bの読み方」をした時に、その視点人物「僕」って一体誰なんだよ? という疑問。これは普通に考えても答えは絶対に出てこない。最終章に至って初めてその強烈な破壊力に呆然とさせられた訳であるけれど。作者指定の「Bの読み方」においても、メタ構造を巧く利用して、この時のあとがきにある”目的”を達成(過去二作の物語の完全なる無効化)を実現している点はかなり驚き。読んでいるうちに先の作品と舞台設定が似ているなあ……と感じさせられた印象にさえ、深い意味があったとは。実は、先の二作を読まれた方はこちらの読み方をされた方が衝撃が大きいかも。
しかし本書の更なる強烈さ加減はやはり「Aの読み方」つまりは普通に全てを読んだ方に軍配が上がる。実は、描かれている個々の事件について、読んでいるうちに実は結構引っ掛かった。正直なことをいえば、途中で解決が提示された段階で「論理の詰めが甘いよなあ」、と感じたのがその最大公約数的理由となる。(作者創作のファンタジーの舞台に入り込むあたりの設定は唐突ではあるけれど、なんとか許容できる範囲)。 その甘さ、一口ではいえないが、推理の過程にあたっての偶然の要素が多かったり、犯人限定の論理の要素が薄かったり、トリックのための事件・物語設定になっていたり。「このまま終われば本格ミステリとしては駄作かも」と決めつけかかった小生は、最後に至ってまさにあんぐりと口を開けることになる。 メタ構造を利用するによって、その”引っ掛かり”が実は伏線という離れ業(反則技)をやってのけていたのだ。それらが全て伏線とは思いも寄らなかっただけに、その強烈な落差に驚かされた。読者を選ぶ方法論ながら、なかなか普通の作家が試みるタイプではなく実に独特。”単なる美少女名探偵シリーズの作者”という印象だった関田涙という作家の変身(割り切り?)に、本作に賭ける気合いをみた。物語に対する作者の距離感の変化は、前二作を読んでいる人ならば気付かれるだろうが、この点にも驚きがある。
そして絶望的なのか前向きなのか分からないラスト。この冷え冷えとした印象も悪くはない。変なミステリを好まれる方なら必読(誉め言葉ですよ、もちろん)だろう。文章に癖があり、もう少しスマートにまとめることが出来ればなお良かった気もするけれど。

前二作の印象では、ストレートな本格指向を持たれている(但し、そこに至る論理の詰めが徹底している印象はないけれど)作家という印象があったが、本作はそこから次のステージ(いや、いきなり最終ステージ)に進んでいる感。しかし、関田涙は、ここまで来たら、どこに行くのだろう?


04/08/12
福澤徹三「壊れるもの」(幻冬舎'04)

福澤氏はホラー・怪談小説作家ではあるが、最近は普通小説も発表。特に最近は矢継ぎ早に著書を刊行し、その地歩を固めつつある。本書は書き下ろし長編で、日常のやるせなさの描写が巧みな、だけど幻想系のホラー小説という不思議な作品。

日本一のデパート・大成百貨店で課長職にある西川英雄。空前の好景気に沸いた時代に建てられた新興住宅地・ヒルズ玖我山の一軒家を中古で購入し、一人娘で高校生の麻美と、専業主婦の妻・陽子との三人暮らし。通勤には一時間半かかるが取り立てて不満のない生活を送っていた。ただ勤務先では上司との些細な仕事のミスでのやり取りから、かなりストレスを貯め込む毎日である。陽子が出掛けたきり十二時を回っても帰って来なかったある日、英雄は家の背後の森の中で何かの工事を行っているらしいことに気付く。一方、大成百貨店は不景気で英雄たちの業務は多忙を極めるにもかかわらず、賞与もほとんど出ないようになっていた。また希望退職者の募集に加え、リストラの噂も絶えない。先行きを不安がる陽子と会話していた英雄は、学生時代におきたあるできごとを思い出す。中堅の私立大学に通っていた英雄は健二という親友とつるんでいた。健二がやっていたバンドのファンだという二人、愛由美と陽子と仲良くなった彼らは四人で、噂の心霊スポット・ドリームハウスに行くことになる。その家は発狂した主人が妻と子どもを惨殺したまま廃屋となり、主人の幽霊が出るのだという。しかし、彼らはそこで思いがけない事態に遭遇した――。

不景気のなかのよくあるリストラ話を情感込めて描くサラリーマン小説……の隙間に悪夢を嵌め込む
既に”サラリーマン小説”という言葉は死語だろう。ただ、昭和三十年代には大衆小説の一ジャンルとして存在していたことは確かであり、内容としてはサラリーマン生活のなかにおける上司との軋轢や同僚との競争、独身ならばOLとの恋愛みたいなところを中心に描いたエンターテインメントである。本書の場合は、内容はリストラ絡みの非常に厭な話が中心なだけに、楽しませるというエンターテインメントとは意を異にする気もするが、やはりサラリーマン特有の世界を描き出していることは間違いない。
ただ――社内の噂に振り回され、リストラの対象とされ、実際に降格人事が発令され、自ら依願退職し、再就職活動をし、厳しい現実に晒される……といった過程それぞれの段階が実にリアルなのである。順風満帆のサラリーマン人生から転落していく様が段階ごとにじっくりと描かれている。個々のエピソードであれば、普通に新聞や雑誌でよく眼にするようなネタから拾われているものだと思えるのに、それが一人の人間の上に起こることでこれほどまでに厭な流れになるとは。
その社会人としての主人公とは別に、過去に心霊スポットの事故にて現在の妻との共通の知人を亡くした過去があり、更には家庭内不和が同時進行にて進んでいく。自らの寄る辺を次々と喪っていく大人の姿は、現実的なレベルでの恐怖の対象であるといえよう。しかし、本書には同時に恐怖小説としての側面がある。一つは、過去に主人公の身に起きた不可解な事件であり、また、誰も感知していない丘の上の工事であり、穢れを持った土地に建てられた住宅地の不吉さといったあたりにそういった部分が点々と描かれている。だが、それらの一つ一つのイメージは”不吉”に過ぎない。ラストに行き着く超自然と現実とがミクスチュアされた恐怖に本書の最大の特色がある。 怪談小説によくある因果応報が読者の不意を突いて襲ってくるイメージなのだ。

”現実の恐怖”のパートがリアルに過ぎて、中盤まではあまりいい気分で読めないとは思うが、ラスト20ページの目眩くような怒濤の展開が凄まじい。それまで張られていた細かな伏線がずばずば蘇り、豊饒で混沌としたイメージのなかで読者は混乱させられる。ラスト一行の醸し出す余韻も秀逸。一定期間以上サラリーマンをされている方ならかなりツボに入るように思う。その意味では本書、奇妙な言い方で恐縮だが、中間管理職向けホラーとでも名付けたい。


04/08/11
石田衣良「娼年」(集英社文庫'04)

'97年のデビュー作でドラマ化もされた人気シリーズ『池袋ウエストゲートパーク』で石田衣良氏は一躍その名を高め、'03年に発表された『4TEEN』にて直木賞作家となる。本書(元版)は'01年に刊行された石田氏の六冊目の単行本で、同年に第126回直木賞の候補作品となったもの。

大学に通いながらアルバイトでバーテンの仕事をしている二十歳の青年・リョウ(森中領)。彼は大学にも恋愛にも退屈しきっていた。そんな彼のもとにホストをしている中学時代の友人・シンヤ(田島進也)が、御堂静香という四十年輩の女性を連れてやってきた。彼女は盛り上げようとするシンヤをよそに、リョウに興味を示す。彼女は名刺を残して店を出るが、リョウはそんな名刺のことなどすぐに忘れてしまった。しかし御堂静香は再びリョウの前に姿を現し「自分の退屈なセックスの価値を知りたくない?」と提案、リョウは投げやりに承諾する。静香はボーイズ・クラブの経営者で、リョウを連れ回した後に自室に誘う。そして彼女ではなく代理のある娘・咲良とのセックスというテストを受けることになる。リョウは一旦落第させられそうになるが、咲良の助けもあってぎりぎりながら合格。「退屈から抜け出す方法はあるんだろうか……」。リョウは一晩明けたあと、静香に対してクラブで働くことを承諾する。リョウは、その夏「娼夫」としての第一歩を踏み出した。

コール・ガールならぬコール・ボーイ。少年の眼を通して人間の様々な姿を不思議と優しく描き出す
不思議な物語だと思う。筋書きとしては単純といってもいいかもしれない。一人の優しい少年が、娼夫となっていろいろな人と出会って自分自身も成長していくという物語。モラルの問題等にも立ち入っているし、それなりに性描写もあり、読者によっては引くような内容だといえる。それなのに、なぜか全体が優しさに満ちている
最終的な落としどころが見えない――というのは物語として当然で、それ以外に謎らしい謎はなく、本書はいわゆるミステリーに分類される作品ではない。やはり素直に青春小説とするべきだろう。ただ、何か訴えるところがある。物語を通じての主人公の行動、決断といったあたりに異端に対する作者の優しさみたいものが体現されているのだ。逆のことをいえば、世間の常識というものが暴力的に世の中を傷つけていることが分かる。
「お金で男を買う女性」が多数登場し、その度毎に主人公は一風変わった性体験をすることになる。だが、その裏側には女性の性的マイノリティたちの様々な事情が隠されている。恋人や夫にさえ(だから)隠し通している性的な欲求。それが、変態的行為と呼ばれることであってもリョウは決してそれを否定しない。元よりあるエピソードを抱えたリョウは、年上の女性に全く偏見がなく、性格自体も実にフラット。そういった彼の態度は、登場する女性を優しく包んで癒しを与える。そんな彼の人気は急上昇する。また、彼の周囲に配された主要登場人物も、性的や肉体的なマイノリティが中心。その反対の存在として”世間の正義の権化”、その象徴として登場させられる同級生・メグミの姿は気の毒ですらある。個人的には決して売春・買春を肯定しようとするつもりはないのだけれど、マイノリティの為の癒しという仕事は、誰かが受け持てるのであれば、それはそれで良いことなのではないか――という気にもさせられた。

結局のところ、本書に限らず石田衣良の描く登場人物についていえることだが”自分の眼で見て、自分の頭で考え、自分の持っている価値観で判断する”ことの大切さが訴えられている。男と女、買う側と売る側、どちらに感情移入するかは読者次第だが、そのどちらから読んでも、心に残る何かがあるはず。 計算されていながらその計算を全く感じさせない、さりげなくも凄い作品だと思う。