MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/08/31
飛鳥部勝則「レオナルドの沈黙」(東京創元社'04)

鮎川哲也賞作家として堅実にその実績を伸ばす飛鳥部勝則氏により、東京創元社創立50周年記念出版のひとつとして(といいながら創元クライム・クラブの一冊としてだが)刊行された書き下ろし長編。本書は今後シリーズ化されるらしい名探偵・妹尾悠二シリーズの第一弾なのだという。

もともと異業種交流会からの流れで気の合う者たちが集まって行われるパーティ。今回はミステリー好きの脚本家・鍵谷が主催するのは、最近評判の霊媒師・波紋京介を招いての降霊会。他に参加するのは場所を提供する引退したプロデューサー・清水大五郎、その妻の正子。カメラマンの梶龍一、俳優の三木田多喜男、評論家の木暮太郎と洋子の夫妻、そして編集者の真壁と朋江。やって来た波紋は全身黒ずくめに白塗りの顔、そしてストレートの長髪。著書によればもともと女性だったのが性転換により男性となった人物なのだという。彼は、蝋燭一本を準備して降霊会を開始した。波紋はいきなり「悪霊を連れてきた」という真壁を指名、彼の亡くなった祖母を呼び出すという。実は真壁は借金により自己破産寸前のところにきており、波紋の降霊したというしわがれた女の声は、そのことを言い当てる。しかも現場の窓枠の向こうに白い顔が一瞬だけ浮かんで消え、誰もいる筈のないドアの向こうに人の気配が。騒然となる参加者をよそに、波紋は「思念だけで人を殺してみせる」と豪語。犠牲者を選べという。日中の会談で不快な目に遭わされた芸術家・枠井竹男を指名したのは木暮。しかし、現地に向かった人々が調べてみると自殺としか思えない状態で実際に木暮が死んでいた。しかも家の中の全ての家具が外に出された不可解な状態で……。

黄金時代の本格推理を強く意識しつつ、あくまで現代の探偵小説であらんとする姿勢に喝采
「遠隔殺人」「霊魂殺人」「さかさま殺人」……名探偵・妹尾悠二による事件を執筆する真壁による《序章》に副題として挙げられている通り、実に不可思議な事件が描かれている。怪しげな霊媒師が予言した通り、その予言している時刻とほぼ時を同じくして実際に標的が死んでしまっている。また、次の事件では霊媒師が予言する形容詞そのままに、謎の人物が雪に逆さに突き刺さった状態で死を遂げている……。連続する二つの事件に加え、なぜ最初の被害者は、家の中のものを全て外に放り出して死んでいたのか……。
謎の盛り上げ方が実に上手い。霊媒師に鉄壁のアリバイを持たせることに加え、そもそも降霊会という現実離れした設定のなかでの霊媒師の予言実現という序盤が不可能犯罪がサスペンスを異様なまでに盛り上げる。ちょっとオカルトじみた演出によって殺人事件を盛り上げていく手法はどことなく英米の黄金期の探偵小説作品を彷彿させるし、実際に本書でもその効果は最大限に上がっているといえるだろう。どこかで見たような、だけどあまりその先が見えないようなもどかしい気分で中盤の頁をめくらされる。警察の関わり方、名探偵の関わり方がどこか突き放したかたちになっているあたりも、計算されている印象だ。
そしてその真相の方。まさに大胆不敵。 終盤の《読者への挑戦》だけでなく、作品内部で交わされる探偵小説論争、類例として挙げられる他の作品、飛鳥部氏ならではの美術品に関する蘊蓄。そういったところに微妙な伏線とミスリーディングが隠されており、レッドへリングとしての効果も抜群である。特に作中のP165より登場人物たちによって提唱される《探偵小説作法十三箇条》が秀逸。ただ本作の魅力はひとことでいえば「よくもまあぬけぬけと」。 注意深い読者であれば、一旦犯人は読んでいるうちに引っ掛かる筈なのであるけれど、この「ぬけぬけさ」加減によって再び混迷に陥るはず。その陥った混迷を増幅させるのが《読者への挑戦》なのである。この展開、本格ミステリファンであれば、喜ぶこと間違いない。(一種危険な手法を用いているような気もするが、そのちょっと言い訳じみた《終章》もまた味わいとして楽しむべきであろう)。

本格ミステリとしてどこか端正な作りを意識した作りでありながら、作者の底意地の悪さを楽しませてくれるという意味で、不思議な魅力を持った作品だといえる。結局「通好み」の味わいになるのだろうけれど、個人的にはこの作品、非常に気に入った。物理的なトリックそのものよりも、その裏側の精神世界が滲み出てくるあたりに飛鳥部氏ならではの新しい試みがあるように思うのだ。あと飛鳥部氏の場合、国内ミステリ作品よりも海外作品からの影響が大なのではないかと想像しているのだけれどどうだろう。


04/08/30
岩井志麻子「痴情小説」(新潮社'03)

「週刊新潮」「小説新潮」に'02年から'03年にかけて掲載された短編小説がまとめられた作品集。発表媒体が異なるが改題によって題名が全て「色」「の」「名詞」で統一されており、独特の風情が醸し出されている。内容は――岩井節ともいえる、男女の決して美しくない愛憎模様なのではあるが。

元アイドルの美樹は、今や地元岡山の企業家で美樹の大ファン・黒岩の愛人となっていた。 『翠の月』
みき子にとって、世の中や自分を分割するものは「安心」か「不安」なのだった。 『灰の砂』
夫と離婚してイラストレーターとして東京に出た麻子。彼女が好きなのはベトナム人。 『朱の国』
岡山の南部と北部ではその気質が異なる。ひとみは両方の男と交際していた。 『青の火』
「まんが悪い」男運の悪い奈美栄は今は暴力を振るう自称作家と同棲していた。 『白の影』
比佐子は普通の会社勤めのOLだったがデートクラブに所属。彼女にはある特徴があった。 『黒の闇』
「よう、うつってじゃが」玲奈は結婚し、子どもが出来ず離婚しまた再婚をした。 『藍の夜』
ベトナムの地が気に入った愛子は滞在費を捻出するために、その地で援助交際を。 『茶の水』
岡山から東京に出てプロダクションに所属するサチは地元に戻れば有名人である。 『碧の玉』
歌舞伎町のスナック。常連客の韓国出身の男に迫られた美子は彼の申し出を拒絶。 『赤の狐』
三枝子はちょっとしたきっかけから悪くなりひとり暮らしを余儀なくされていた。 『緋の家』
会社社長の豊崎賢二は歌舞伎町のホステスの韓国娘に入れあげ、彼女を愛人にする。 『桃の肌』
母が倒れ田舎に戻った美佐子は兄の祐一に再会。彼は『ええお参り』を強調する。 『銀の街』 以上十三編。

都会風・洒落たといった形容詞と無縁。田舎風で野卑で俗な愛憎の物語が淡々と描かれる
さすがに新刊が出てすぐ、というほどまでには読む方が追いつかなくなりつつあるが、かなり岩井志麻子さんの小説を頑張って読み続けている方だと思っている。作品によりどこかで見たようなモチーフが重ねて用いられていることこそあるものの、常に独特の魅力というか毒、そして日常の延長の幻想を発見させられるのだ。本書もどこかで見たような風景(例えば、日本人女とベトナム人男との交歓であるとか、夫と別れて岡山から出てきた女性であるとか)が点描されているのであるけれど、その行き着く絶望が微妙にずれており、新しい物語との出会いを感じさせられるので不満はない。
そして、これらの物語は「全然美しくない」。都会的で洒落た、という形容詞が似合う恋愛小説は世の中に多数あるけれど、その正反対、田舎風で野卑で俗な即物的かつ金銭の伴う恋愛……といった、汚いとはいわないまでも「実際」を感じさせられる。恋愛小説を「憧れ」とするが、現実は……というような世界を臆面もなく描く。随所に挿入される岡山弁、そして自堕落なダメ男と他力本願なダメ女のだらしのない生活。そこに究極の愛情が絡み、幻想が絡み、独特の岩井世界が紡ぎ上げられていく。その行き着く先は絶望であり狂気であり死であったりする。ハッピーエンドを予感させる作品もゼロではないが、ほとんどない。寧ろ、読者はその絶望を楽しむだけの余裕が必要とされる
――ただ、そういった手法を用いることでしか描けない世界がここにある。現実の男女関係は差別に満ちており、不幸な少女は最後まで不幸で、欲望に飲み込まれた男は地獄へ堕ち、美貌を誇った女性もいつか年老いてゆく。あくまでこれが現実であり、その現実を描くことでしか、描けない物語がある。それを改めて気付かされるのだ。ただ、現実の残酷物語で終わらない意外性も、それぞれの作品が持っている。(いや実際、単なる残酷物語でしかないものもあるけれど)。追い詰められた主人公の思いきった行動。現実の隙間に見える幻想。そういった動きが物語に救いを齎し、あるいは地獄への道筋を作ったりする。いやいや、改めて不思議な作家だと思う。

美しいばかりの恋愛小説に慣れ親しんだ人には岩井志麻子は作品は強烈に過ぎるか。また、既にミステリやホラーといったジャンルで読む作家でも無くなってしまっているということも事実。それでも敢えて岩井作品を手にとってしまう読者は、一体なんなのだろう。強烈な現実を描きつつ、そこにはびこる一縷の幻想に奇妙な魅力があるからか。


04/08/29
吉川良太郎「ギャングスターウォーカーズ」(カッパ・ノベルス'04)

'00年に『ペロー・ザ・キャット全仕事』にて第2回SF新人賞を受賞した作者の四冊目。『ジャーロ』誌の'02年夏号より'03年夏号に掛けて連載した作品に書き下ろしのボーナス・トラックがが加わっている。連載形式をベースにしているため、大長編というよりも中編のエピソードの集積によって世界を積み上げているという印象。ライト・ノベル系の表紙イラストを使用している関係で、読者層が変わった可能性なんかもちょっと考えてみたり。

米国の奇襲により終結した米中戦争。上海を占領した米国軍であったが民兵マフィア組織〈老蛇聯〉の激烈かつ残虐な暗殺攻勢によりベトナム戦争以来の撤退を余儀なくされた。その地を彼らに代わって統治したのが英国軍である。「目には目を、マフィアにはマフィアを」ということで伝統ある英国の聖ヒラム騎士団が〈老蛇聯〉に対し補給線等の徹底的弾圧を加え、そのまま上海をフランスと分け合って統治。第二次上海租界が出来上がった。そして。
二〇六五年。元スコットランド・ヤード所属で現在は聖ヒラム騎士団の凄腕処刑士・シド・バレットは、かつて亡命していた〈老蛇聯〉大幹部の娘・羅月笙を救い出した国際的な大犯罪者ルーク・ギャングスターウォーカーを追い詰めていた。二重三重に万全を期した計画であったにもかかわらず、超人的な技でルークはその罠を突破し、逃走する。シドの上司で、以前の事件で半身不随にされていた聖ヒラム騎士団幹部で支部長のウォルトン卿は激怒するが、そんな彼はまた本国からの内務査察班の女性エース、ヴォルフガング・ウルフの上海到達に肝を冷やす。一方、聖ヒラム騎士団見習いでシドの下で修行中の護堂・マクシミリアン・渉は、自らの恩師である教授の処刑前に面談することを許されていた。教授は断首されてしまうが、その首を現れた謎の女性が持ち去っていく――。

複雑に絡み合った「魔都・上海」で繰り広げられる、エッジの効いた幾つかの要素が混沌と混じる類例不能の世界
近未来フランスを舞台にパルプ・ノワールを打ち立ててきた著者が描いた同時代の混沌とした上海。シリーズとしては繋がっているものではないが、共通の登場人物を幾人も配しており、吉川世界としては時代を共有されている。むしろこれまでの作品にて脇役だった人物が活躍していたりする点、吉川ファンには嬉しいところだろう。
物語としてよりもまず感じるのは、舞台設定の見事さ。 単に”選んだ”というのではなく”創り上げた”という点に作者のセンスのキレを感じさせられるのだ。オリエンタルな感覚と西洋感覚の微妙な融合、合理的な思考と迷信じみた考え方、更に古きものと新しきもの(SF的テーマ)の融合と、幾つもの要素を混淆させ、それを飲み込んで逞しく生き続ける上海という(架空の)街を実に見事に描きだしている。物語抜きに、この設定だけでも見るべきものがある。
更に物語を彩る登場人物がまた豪華。超人的凄腕の殺し屋、不思議な能力を持つ美少女、欲望剥き出しの支配者、神出鬼没のゲリラ、肉体改造されたボディガード、普通の少年。こういった登場人物の能力設定だけでなく、彼らそれぞれにこの物語ならではの理想と個性を付与しているあたりの深さが憎い。また、SF的な設定にしても単なる思いつきではなく、それなりのハードSFとしての素養が駆使されており、現実的ではない能力といえど少なくとも物語の地面には接している。さらに、全体の流れにしても、物語に先に歴史を付与し、その背景のなかで流れていくものであって、説明すればするほど荒唐無稽な物語であるのに作品としてはしっくりまとまっている印象があって、一旦引き込まれると逃れがたい魅力を覚えるのである。
雑誌掲載作品を一挙に収録した関係で、細かなエピソードの積み重ねのようになっている。そこが良きにしろ悪きにしろ本作のポイントの一つ。一つ一つの作品として、それなりに起承転結を持つのであるけれど、常に「語られていない何か」の存在が気になる。それは物語が進むにつれ徐々に明かされてはいくのであるけれど、まだ何かその「語られていない何か」がどこかに残されているような印象のまま、この一冊は終了する。ええい、続編はあるのか? それともこの宙吊り感覚のまま、この物語はおしまいなのか。気になる気になる。

この”世界”に浸っていると、正直なところ幾つかのカルトな人気を誇る漫画だとかの類例を思い出す(題名は敢えて挙げない)。その意味では、本作は異なるメディアとミックスされることにより、もっと多大な人気を博する可能性がある――のだろうけれど、それはそれ。今のまま知る人ぞ知るカルト作家のままでも良いように思うのだ。この世界に共感できる人だけが持つ共同幻想の維持というかなんというか。(ただ、それでは作者は困るのだろうが)。


04/08/28
加賀美雅之「監獄島(上下)」(カッパ・ノベルス'04)

KAPPA ONE 第一期にて『双月城の惨劇』を携えてデビューした加賀美氏のデビュー後第一作となる書き下ろし大長編。上下巻で二千四百枚にのぼるボリュームを誇る。『双月城』に引き続き、探偵役を務めるのはフランスの予審判事・シャルル・ベルトランである。

パリ警察が誇る名予審判事・シャルル・ベルトランは甥のパトリック・スミス(パット)と共にかつての上司であるイーグルロッシュ伯爵に呼び出され、彼に同行してサン・タントワーヌ島にあるタントワーヌ刑務所に行って貰いたいという要請を受ける。イーグルロッシュによれば、その刑務所内で陰謀が進行しているという匿名の手紙が届いたのだという。奇しくもタントワーヌ刑務所内には国際的な天才犯罪者でかつてベルトランが逮捕したアレクセイ・ボールドウィンも収監されているという。イギリスのスコットランドヤードの情報によれば、そのボールドウィンが残した犯罪ルートによりダイヤモンドの密売が復活している兆が見えるのだという。脱出不可能の孤島に建設されたタントワーヌ刑務所行きを承諾した二人はマルセイユに向かった。そこには同行するスコットランドヤードのジョン・カーターボーン卿、そして名目上、歴史ある刑務所の調査を行うため大英博物館の調査員のポール・ウェンライト、そしてロンドン大学歴史学研究室に所属するというメアリー・ケリイ嬢と合流する。パットはマルセイユで先にメアリーと出会っており、仄かな恋心を彼女に抱いてしまう。そして彼らは、刑務所が出した船によってサン・タントワーヌ島へと向かう。十字型獄舎を備えた刑務所以外は打ち捨てられた海軍練兵場、そして廃坑となった炭坑くらいしか建造物のない無機質な島。そこで彼らを出迎えたのは肥満体の刑務所長・ガルベス、そして看守長のミューラーと、ドーニャックの二人。舞台と登場人物が揃い、惨劇の日々がとうとう始まろうとしていた……。

良きにしろ悪きにしろ、徹底的なこだわりが込められた黄金時代の本格ミステリの再現
舞台が整うまで少々時間を要するのだが、一旦流れ出すと、不可能・不可解犯罪てんこもりの物語。物語の中途で船と無線が壊されて、島からの脱出が不能というクローズド・サークルでこれでもかというくらいに様々なかたちでの密室殺人が繰り広げられる。設定が戦前の仏国ということもあろうが、ここまで徹底されて黄金期の本格ミステリのコードによって世界を囲まれてしまうと、本書は本格ミステリを指向しつつも、物語はファンタジーの域に達しているとみることもできるだろう。そこをきっちり割り切れるかどうかが、本書を楽しめるかどうかの最初の試金石となるように思う。(というのは、本格ミステリに特化するあまりに、登場人物の行動の選択肢が少々現実離れしてしまっている部分があるように思われるから。ある意味、この作品は登場人物全てが(本人の意思ではなく物語の意志として)犯人に奉仕するように行動することによって作られた本格ミステリのための空間だからこそ成り立つ物語なのだ。

そういった舞台を得たとはいえ、しかし、よくぞこれだけ……という数の不可能犯罪を創り出したもの。最初の事件は、国際的犯罪者を閉じ込めた独房内で、内側から自ら閉じ込められたかたちで、看守長のひとりが撲殺されているというもの。逃げ出したと思しき犯罪者を追って島内探索を行う看守たち。その間隙を縫うようにして、時計塔から火達磨になった人間がぶら下げられ、絞首刑の如き状態で死亡し、続いて囚人の一人が短時間に斧でバラバラにされ、二重の密室となっていた独房内部を血に染める。所長に至っては姿を隠していたかと思えば、密室内でギロチンの側で身体を真っ二つにされた屍体となって発見され、あろうことか上半身は海岸の尖った岩に突き刺さった状態で発見される――。僧服をまとった謎の影、訪問者までもが惨劇に巻き込まれるに及び、ベルトランも凶弾に倒れる……!

もちろんオカルトではなく本格ミステリとしての解決があり、それら密室の謎の真相は様々。過去からのこのジャンルにおける蓄積されたトリックを組み合わせた合わせ技もあれば、なかなか類を見ない独創的なものまで。これらの謎を絡めた陰謀、さらに逆転に次ぐ逆転……と本格ミステリの骨法は満たしているし、この豪華絢爛な雰囲気はまさに黄金時代の本格ミステリといってもいいレベルにある。ただ――敢えて苦言を呈するならば、やはり長い。確かにこれだけの数ある謎をこなそうとするならば、このボリュームも必要ではあるだろう。ただ、長大な文量を費やすからこそ光景や心情の描写など徹底的に削ぐべきところは削いで欲しいというのが希望だと付け加えておく。

この本格ミステリに対する強烈な愛情は誰にも否定できまい。この作者の愛情とシンクロする読者にとっては途轍もなく魅力的な謎の詰まった美味しい御馳走となるだろう。逆に言えばド本格のミステリがスイートスポットに嵌らない方にはちょっと向かない作品だともいえてしまうか。


04/08/27
西澤保彦「方舟は冬の国へ」(カッパ・ノベルス'04)

巻末の著作リストによれば、西澤保彦氏の三十七冊目の作品。「小説宝石」誌に'02年5月号より'04年3月号にかけて掲載された短編(?)がもととなって構成されている長編作品。

同族経営で社員に猛烈な負担を強いていたエイチ・エンジニアリングを退職した十(つなし)和人は現在無職。ハローワークに通う日々を送っていた。そんな彼に、言語同断(てくらだ)と名乗る人物が声を掛ける。破格の条件そして好奇心に負けた彼は、彼の契約に従うことを決意。それは日本国内のある別荘を訪れ、和人は一ヶ月のあいだ三十七歳の”末房信明”という人物になりきり、同様に契約をした女性”栄子”、そして十歳くらいの女の子”玲衣奈”と”仲の良い疑似家族”を演ずるというものであった。但し、その別荘には大量の監視カメラと盗聴器が仕掛けられ、別荘から彼らが出ることもまた禁じられていた。到着した三人は早速、そのぎこちない生活をスタートさせるが、巧妙なルートにより別荘の場所も分からずテレビもラジオも受信は不可という状態。日常生活に時間を掛けることによって何とか生活リズムを創り出そうとするが、直に和人と”栄子”のあいだに不思議な現象が発現されるようになる。そしてやはり、その建物を監視している一団は存在し、何かがその裏で行われている――。

本格パズラー足り得なかった物語は、別の叙情を得てファンタジックで素敵なラヴストーリーへと転じて
「あとがき」にても作者自身が告白しているが、当初の本作の構想としては、一話ごとに提出される謎を解き明かし、それでいて全体を通じる謎がある――という連作パズラー形式(西澤氏の得意とする方式でもある)とする予定だったのだという。確かに前半部までは、”疑似夫婦”が、時間を潰すために双方が提示する過去におきた不思議なできごとを解き明かすという場面が必ず挿入されている。エピソードがいくつかあるなか、特に「家族旅行に出掛けつつ、母親がいきなり延泊を主張した」和人の父親と母親のエピソードあたりは、そのロジックの行き着く先に美しさを感じさせる綺麗な謎と解答が提示されていたりもして印象的。ただ、本作の印象は、そのパズラー趣味というよりも、やはり物語全体を通じての大きな謎、そしてその謎を通じての三人の変化を巧みに見せていく点にあるのだ。
中盤部より、そのパズラーとしての展開は少々抑えられ、もともと本作が抱えている”大きな謎”の方に引きずられるようになる。そこで物語の吸引力が薄れることがないのがポイント。むしろその結果、作者の計算とは異なるのかもしれないが、実に素敵な物語となっていくのだ。もともと「四六時中監視付きの家に滞在する疑似家族」という荒唐無稽な設定がベースにあり、もちろんその背景も最終的に明かされる。その部分の詳細は、”西澤氏らしい”というちょっと大技っぽい部分も感じられる。しかし、その大技を背景にしつつ、心理描写に小技が実に効いているのが素晴らしい。最初は一体何者なんだよ、と疑心暗鬼。いやいやそれはそれとして仲良くしなければ。あれ、仲の良い夫婦なのにセックスがないのは変かもなー、と互いに慮る家族の様子が実に細やかに描かれる。加えて、ある事件を通じて絆を深めていく三人の様子も微笑ましい。こういった”徐々に”という展開が、細かな伏線含みでありながら、実に丁寧に描かれている。
こういった細かなエピソードの積み重ねの結果、ちょっとしたカタルシスと、そしてその後の爽やかなエンディングが実に際立っているのである。ああ、ええ話やなあ。

最近は本格パズラー作家という軸足を片側にきっちり置きつつも、その反対側の足を様々な場所に置き換えることで次々と新境地を開拓している感のある西澤氏。もともとパズラー作家でありながら登場人物を駒扱いすることを潔しとせず、様々な人間を実に巧みに描写してきたという実績が編み出した突然変異。 ただ、この作品を突然変異だけで終わらせて欲しくない。個人的にはこの路線を続けていくことでより多くの読者に西澤作品が受け入れられていくに違いない、と確信している。


04/08/26
小森健太朗「眠れぬイヴの夢」(トクマノベルズ'97)

小森氏の作品には、作中に”小森健太朗”なる作家(及び”溝畑康史”なる名探偵)が登場するシリーズがあり、その系譜を引き継ぐ作品。長篇書き下ろし。(一種のメタフィクションにして楽屋落ちともいう)。残念ながら文庫化されていない。

作家・小森健太朗が翻訳したアブド・アッラーフ著『神の子の密室』。キリストの復活を検証したこの本には『あばかれたイエス』という続編が存在していた。キリスト教信者の猛烈な反発必至の涜神的な内容であるといい、話題を集めることは間違いないなか、大手出版社によるその版権争奪戦も激化していた。弱小出版社”壮神社”に勤務する若き編集者・初野沙緒里も小森を翻訳者として初めて世に出した関係性から、版権を狙っていた。アッラーフの版権を扱うムシキという人物が来日するのに合わせ、関係者が集まる予定だったのだが、ホテルの部屋を訪れたのは沙緒里と、彼女の同僚の竹内のみ。小森さえも現れず、沙緒里は今朝方見掛けたニュースでの殺人事件の被害者が、版権を争うT社の編集者でなかったかという点に思い至る。同じくK社の編集担当も行方不明となっており、小森の行方を知りたい沙緒里は版権争いとは無縁のS出版社の編集・溝畑に助けを求める。溝畑もまた、小森の行方不明に困っており、二人は小森の部屋に赴くが、内部は乱雑を極めており明らかに何者かに荒らされた痕跡が残っていた。

その出版を殺人までしてくい止めようとされる「イエス・キリストの謎」とは??
軽めのサスペンスといった内容なのだが、その扱われているテーマが特異。現代ミステリ作家のなかでも宗教的な話題に強い、小森氏以外に考えられないテーマなのだ。前作にあたる『神の子の密室』において扱われた、イエス・キリストにまつわる謎、そしてそれを公にされたくない人との戦いが一応の筋書き。宗教関係の出版物に関しては現実にもいろいろと事件が起きており、当然それを踏まえた内容となっている。
また、驚天動地の大トリックは扱われていないが、まずここまで人を動かす『あばかれたイエス』の内容は一体なんなのか? という謎が物語を引っ張る。実際に一度訳している小森が言を左右して沙緒里にその内容を伝えないことから、読者もこの点でやきもきさせられる。(ただダンセイニの短編をヒントにするあたりの遊び心は嬉しい)。また、小森の周囲にいるという襲撃者が誰なのか、そして主人公・初野沙緒里の恋心の行き着く先は……など、少なくとも音引き”ミステリー”という意味合いでの謎がそれなりに取り上げられている。特に沙緒里のケースでは(いや殺人者の場合もそうかも)、小森健太朗版の”見えない人”テーマともいえる内容で意外性があった。(いや、もしかしてあの人がはっぴーになるのかなとどきどきしていたんですよ)。
物語の進行速度もテンポが良く登場人物にも無駄がないのであっさりとした印象だが、謎にも魅力があって決して読後の印象は軽くない。少し残念なのは、これまでの小森氏の一連のメタフィクション作品に比べると、編集者名探偵・溝畑康史の扱いが少々軽いこと。とはいっても、溝畑氏が本棚の崩壊にあって身動きが取れなくなったりする場面があったり、某大森望さんの日記への言及があったり、ネットミステリ者の皆さんにはかなり楽しめる作品ではないかと思う。


04/08/25
麻耶雄嵩「螢」(幻冬舎'04)

麻耶氏の著作のなかには”漢字一文字”を題名にした作品がこれまで二つあり、一つが『痾』、そしてもう一つが『鴉』である。『痾』は如月烏有が登場することからも分かる通り、『翼ある闇』から続く一連のシリーズ作品で、もう一方の『鴉』にもメルカトル鮎が登場する。その意味では本作にはレギュラー探偵は一人も登場しておらず、独立した一作品として読むことが出来る。書き下ろし。

京都の辺鄙な山奥に建設されたファイアフライ館。世界的なヴァイオリニストにして螢コレクターでもあった加賀螢司が、建設した建物である。その加賀は十年前の夏、自らが組織したヴァレンタイン八重奏団のメンバーと練習のために逗留中に、メンバー六人を惨殺した。メンバーの一人・小松響子は行方不明、加賀は発見三日後に館内で発見されたが精神的に壊れてしまっていた。加賀は裁判を待つことなく獄死した――。引き取り手のないその館を買い取ったのは、アキリーズ・クラブOBの佐世保左内。彼はある商法の元締めとして莫大な財産があり、そしてその加賀螢司を敬愛し、ファイアフライ館をその惨劇のあった当時の姿に戻すことに情熱を傾けていた。そのアキリーズ・クラブとは、現在オカルトや幽霊屋敷の現場を訪れる肝試しクラブとして活動しており、昨年に引き続き、今年も会長の平戸を筆頭に現役のメンバー六人がファイアフライ館を訪れ、合宿をすることになっていた。佐世保の紹介で、館を見て回るメンバー、そして肝試し。昨年もこの館を訪れたメンバーも多かったが、一人を欠いていた。彼女・対馬めぐみは女性連続暴行殺人鬼・ジョージによって殺害されてしまっていたのだ。そして今年、大雨で交通と通信が途絶したこの館で惨劇が始まった――。

端正な”新本格ミステリ”にして、誰もが思いつかなかった強烈な一撃が秘められている――。
本書を読了して何よりも注目されるのは、使用されているトリックの変形方法だろう。そのメインとなる部分は残念ながらここでばらすことは出来ない。ただ、本格ミステリの変質をリードしてきた麻耶らしく、一筋縄でいくような内容になっていないのが嬉しい。オーソドックスな本格ミステリによくあるトリックを、意表を突いた角度から使うという大技をやってのけ、異形のミステリを創り上げているのだ。
舞台となるのは大雨程度で孤立する人里離れた独立した土地。過去に殺人(北陸地方名字ばかり)のあった怪しげないわくのある館。さらに館自体にも構造としての秘密が隠されている。訪れるのは学生(長崎県名字ばかり)。当時は電話線を切断するだけだったのが、今は圏外という外部との連絡を絶たれた状況(つまりは公権力の介入がない)。そして猟奇連続殺人……と、十数年前に刊行されはじめた”新本格ミステリ”のコードとしてよく使用された要素が実に数多く使われている。そういった条件が出揃ったあと、物語を引っ張るのも殺人が発生した後、誰が犯人か分からない状態からの学生同士の推理の応酬。どこかミステリの王道さえをも感じさせる。恐らくは作者はこの点に自覚的だろう。往年の”新本格ミステリ”としての読ませ方自体から、既にミスディレクションがスタートしているのだから。
普通に読めばこういった展開に荒唐無稽な印象を受けそうなものなのだが、物語のまとまりが良いためそれがあまり気にならない。必要以上に冗長にならず、適度な蘊蓄が混ぜられ、かといって不足を全く感じさせないボリューム。さらに文章における引っ掛かりもなく、物語の推進力も高いため、実にすいすい読ませてくれる。気付けばヴェテランの域に近づきつつある麻耶氏は、確実に”小説”が上手くなっている。これもまた、本作に秘められたトリックを際立たせる。いやいや実に上手い。なんたって本作、犯人の見当は手練れの読者であれば当たりをつけることは可能(というか簡単)なのに、驚きの一撃が思わぬところからやって来るのだから。注意深い読者であればあるほど、この驚きは大きいように思うのだ。

このラストがまた意味深。このように館と登場人物を消滅させてしまうことによって、トリックのために作られた物語とその背景を完全に消し去ってしまう。『螢』はまた、ここだけのお話、という決意が、作者の特権を行使によってひしひしと感じさせ、冷え冷えとした気分で物語を閉じることになる。ただ、そうはいっても、結局読み終わってすぐに再読させられる作品なのだけれど。通常の意味とはちょっと異なる意味になるが、麻耶雄嵩は期待を裏切らない。 本格ミステリを別の角度から常に捉えている作家だからか。


04/08/24
津原泰水「綺譚集」(集英社'04)

少年少女向けのジュニア小説作家から'97年に『妖都』で鮮烈な再デビューを果たし、怪奇小説・幻想小説、さらには本格ミステリまで幅広い作品をものにしてきた津原泰水氏。本書はその'97年以降、『異形コレクション』等に津原氏が発表してきたノンシリーズの短編小説を集成した作品集であり、桐野夏生、山田正紀、竹本健治ら、豪華な賛辞が帯に寄せられている点も話題になった。尚、初版には最近は珍しく著者の検印が押されている。

 静謐に喧噪を描き、これ以上は死ねない生を描き、無私の欲望を描く。文体の魔術師にして、物語の使徒。
  これぞ「天然の小説家」「最上級を超えたセンス」
   「稀譚」? 「奇譚」? いや、これこそが「綺譚」。津原泰水、恐るべし。


今年の、とか今年度の、とかのケチなことをいわない。この作品集はオールタイム・ベストクラスの幻想小説の短編集。シリーズ作品の短編でまとめられた『蘆屋家の崩壊』といった、これまでの津原の力作と比べても、単発の幻想群のこちらの方が寧ろその一冊としてのインパクトは強いかもしれない。一般読者向け作品を津原泰水が手がけるようになってから、いろいろな媒体に発表されたいろいろな作品。幾つかは収録もとのアンソロジーで既に読んでいた作品もあるのだけれど、そういったアンソロジーにおいても、他作品に比して異彩を放っていた作品が、一つの作者の名前のもと再集合を果たす。これにより、一冊の本は、別の更なるインパクトを示すのである。

そして、その「個」のインパクト。最初は通常の書評のごとく、一編一編にあらすじめいた一行コメントを付けようかと思ったのだが、一作目の『天使解体』からして、その行為に詰まった。普通の紹介ではこれらの作品を説明できない。最後の最後まで記さなければ、作品の意義は読みとれない、文章の特徴を現せない、物語の筋書き自体だけではあまり意味はない。……小生の実力不足もあるのだけれど、結局のところは「読んでみて」というしかない。なので、以下はほとんど私の覚え書きに近い。

自転車で女の子を撥ねた男を手伝う私。   『天使解体』
『サイレン』   姉から殺人の手伝いを求められる弟。
あの瞬間に死んじゃったんだな、ぼく。   『夜のジャミラ』
『赤假面傳』   村山槐多風津原泰水小説。
そのようにしてわたしは死んだ。わたしが死んだ夕暮れです。  『玄い森の底から』
『アクアポリス』  「どうやって沖縄まで運ぶんかいの」
水際の泥に半分埋もれていた。長い骨だった。  『脛骨』
『聖戦の記録』   果てしなき公園ウォーズ。犬とウサギ。
口内炎で不機嫌になった結婚間際の女性が。   『黄昏抜歯』
『約束』   ほんの一瞬の約束、そしてそれが一生の約束となって。
海。母子。    『安珠の水』
『アルバトロス』   戦争のなかのププカたち。
古傷のなかに太陽の大自然を持つ青年。そしてその三角関係の顛末。  『古傷と太陽』
『ドービニィの庭で』  ある絵画、そして庭に取り憑かれた人々。
これは本当の牧野修さんではたぶんないと思う。いやしかし。よく分かりません。   『隣のマキノさん』

なんか、フクの文章が支離滅裂であるがゆえ『綺譚集」がどんな内容の短編が集められているものか、これでは傾向と対策がさっぱり分からない――というような書き方で申し訳ない。だけど、『綺譚集』はそういう作品集なのだ。百人に百人の感想、百人の思い。個人的には『夜のジャミラ』が最大級のインパクトだったのだけれど、読者によってこの作品集のツボは必ず異なってくることも確かだと思うし。例え同じ作品を選んでも、そのツボの理由もまたきっと異なるはすなのだ。だから結局は本書「読むしかない」作品集なのですよ。


04/08/23
翔田 寛「消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

順調に刊行されている東京創元社の新シリーズ「ミステリ・フロンティア」の第七回目の配本。翔田氏は'00年に「影踏み鬼」にて第22回小説推理新人賞を受賞してデビュー。同年の受賞第一短編「奈落闇恋乃道行」で日本推理作家協会賞短編賞にノミネートもされている。これらの作品が収録された『影踏み鬼』が既刊としてあり、本書は二冊目の単行本ということになる。

明治維新前の日本において、イラステレイテッド・ロンドン・ニュースの特派員として清国経由で日本を訪れ、幕末そして維新後の日本を精力的に報道、日本人の生活ぶりに注目を続けた人物・チャールズ・ワーグマン。彼は日本女性と結婚し息子も得ている。そして明治六年。今日も取材のためにワーグマンは横浜を奔走している。
横浜・箕輪坂で長い髪を垂らした逆さまの生首が目撃された。幽霊? 加えて測量技師のマクビーンが見初めた元花魁の妻・多喜子もまた別の幽霊を近くで目撃したのだという。一方、ワーグマンの友人で医者のウィリスは、仇討ちをしてきたという若い侍の治療をすることになる。 『坂の上のゴースト』
遣り手投資家で金貸しのウィーラーがレストランにて青年に借金返済の督促をしているのが目撃され、そのウィーラーは数日後、白装束を着てあたかも切腹をしているかごとき状態で死亡しているのが発見された。 『ジェントルマン・ハラキリ事件』
歌舞伎役者の市川升蔵を連れて山下居留地の素人芝居&パーティに訪れたワーグマン。その主催者・英国商人のラムゼーの娘・ジュリアはウィリアム・スミスという青年と相思相愛だった。しかしそのウィリアムスはラムゼーとの不倶戴天の商売敵の息子だった。 『消えた山高帽子』
洋妾の子どもとして育った、お沙紀と平吉の姉弟。そのお沙紀の気が急に触れてしまう。どうやら背景にはかつてお沙紀が巻き込まれた事件の幽霊が絡んでいるようなのだが……。 『神無月のララバイ』
密閉された聖誕生教会の内部で青年が二人倒れているのが発見された。居住地取締官ベンソンらは扉を壊して中に入ろうとするが、管理者のマロン司祭がその行為に対し徹底的に反対する。何か裏があるのではと思われたが……。 『ウェンズデーの悪魔』 以上五編。

激動の時代と本格ミステリとの美味しい関係。「ならでは」がぴたりぴたりと当てはまる
ひとことで言えば、時代本格ミステリ。その「時代」という部分と、「本格」という部分、両者が実にしっかりと描かれているのがこの作品集である。そのどちらかだけでも感心なのに、本当の意味で両者に力が入り、かつ物語としてのバランスが取れているという点に好感。
まず、時代と背景は明治初期の外国人居留地。旧来の日本の文化と流入してきた各国の文化が流れ込んでくる混然とした街。この時代と場所という選択が巧い。つまり、決めつけられた一つの価値観では事件を単純に図ることができないのだ。西洋流・東洋流のものの考え方の違い、さらにそのギャップから来る誤解。言葉の違い。文化服装の違い。実際、何らかの事件は発生するのであるけれど、その事件をデコレートする様々な事情が、事件をミステリへと導いている。
ただ、そのあたりをアイデアとして思いつくだけなら誰でもできることかもしれない。本書の凄さは筆者にその時代を自然に描くだけの実力が備わっている点にある。全く知らない時代なのに、今の日本とも通じているある時代を、実に普通に描ききっているのである。歴史作品として、当時の生活を知る一端としても読んでよいくらいの価値がある。
一方で、ミステリとして本書をみた場合。これもまた渋いのだ。兇悪で狡知に長けた犯罪者が登場するではなく、大掛かりなトリックが弄されているわけではない。どちらかといえば事件そのものはシンプルである。それを時代と絡めることで「見せ方」を工夫。読者にとっては興味津々となる事件を演出する。
それらの要素をフェアに手掛かりとして提示し、探偵役であるワーグマンが東西の文化を絡めた論理を駆使し解き明かすのである。また、単に謎解きをするだけでなく、その解決に民間人素人探偵ならではの暖かみを持ち込んでいるあたりも上手い。個々の作品の背景はそれなりに悲惨なものもあるのだが、読み終えてみた時にあまりそれを感じさせない。寧ろ、爽やかな展開で締めくくっている。このあたりにも作者の実力を垣間見ることができる。

明治維新後の日本「ならでは」。西洋と東洋の混じり合いの結果「ならでは」の、ミステリと物語。 これをベテラン作家以上の手腕でもって演出してしまう。恐らく、どんな読者が読んでも本作は受け入れられるものと思われる。何かに抜けた特徴があるとまでは断言できないが、この作品をきっかけに読者を増やして欲しい作家だと感じた。


04/08/22
高田崇史「QED〜ventus〜 鎌倉の闇」(講談社ノベルス'04)

高田崇史氏のデビュー作品である『QED 百人一首の呪』から六年、八冊目のQEDシリーズである。MYSCONにて高田さんにお会いした際に伺ったところによれば、当初より「QEDシリーズは文庫化した方が売れる」と言われていたそうで、事実、文庫の販売成績は好調の模様。講談社ノベルスのなかでは比較的早いペースで文庫に落ちている点、お気づきだろうか。

かつては「稲村鋳物工業」として堅実な経営を続けていた小さな会社は、副社長にMBAを取得した宗像を据えてから急成長。「稲村モールド」と社名を変更し株式店頭公開を控えるまでに至っていた。そのプロジェクトチームの責任者・坂下祐子は書類に不備を発見し社長に確認すべく、秘書にアポを取って社長室に向かった。約束の時間に社長室をノックした坂下だったが、返事はなく、部屋内には社長秘書の枝川と、副社長秘書の姫島が倒れており、社長・竜願寺信久の姿は社長室に無かった。そして社長はその日を境に完全に人前から消えてしまった――。
一方、棚旗奈々は妹の沙織から鎌倉巡りを付き合って欲しいと頼まれる。鎌倉は彼女たちの実家があり、庭同然であったのだが、沙織の勤務する雑誌の特集で使うのだという。ちゃっかり沙織は桑原崇を呼びだしており、三人で鎌倉散策に出ることになる。源氏三代が都とし、現在は観光都市として賑わう鎌倉は、実は屍倉だという点を皮切りに、崇は鎌倉の真実の姿を彼女たちに語りはじめた――。

鎌倉散策のお供にQED。ガイドブックに載っていない”裏”観光案内(地図付)。表の歴史から窺い知れない鎌倉の真実
手に取る前から耳に入ってしまった巷間の噂で、殺人事件と歴史の秘密のパートがしっくりしていないと聞いていた。実際に読んでみて確かにちょっと繋がりは弱いことは感じたが、トリックそのものはきっちりしているのでこれはこれで良いのではないか。密室内からの人間消失という魅力的な謎を扱っており、文章にも周到な工夫があって、ロジックも真相もそれなりに凝っている。鎌倉の闇の歴史パートとの繋がりが弱い点を指摘されるとつらいとはいえ、裏に黒幕がいて事件をコントロールしようとするあたりについては共通性があるともいえるのではないか。ただ、個人的には社長の消失の理由に目がいき、こちらには歴史上に似た逸話がいくつかあったよなー(極端な話、諸葛孔明とか)、この事件は、そんな主題を扱う時に使えばもっと生きたかな、とと少々勿体なく思ったりはしたけれど。
しかし、いつもの如く、歴史の新解釈のパートは実に見事。特に高田作品の近作に一貫してみられる”史書に書かれているのは権力者にとって都合の良いことだけ”というフィルターを通して見る鎌倉の真実は衝撃的。人気の観光地であり歴史上の要衝である土地が、みるみるうちに苦難に満ちた歴史を帯びた土地へと全く異なる見え方に変じていく。特に、初めてカラー地図が本編に組み込まれたことでよく理解できたが、地政学の観点からこの鎌倉を考えた時に”なぜこれほど不便な土地に都が作られたのか”というあたりの普段は(普通の人は)考えつかないような視点が良い。井戸の話や遙拝の話から補強していくあたり、巧みだと思えた。また、源氏三代に対する解釈も面白い。どこまで事実なのかは浅学にして判断がつけられないが、少なくとも歴史をベースにしたフィクションだとしても、一定の説得力を持つことは事実である。作品内で発表されている仮説が真実であるかという点は実は気にならないし、その側面から本シリーズを論ずることはあまり意味はないように思う。この作品それぞれのなかで、”一定の説得力”がコンスタントに発揮されているのが、やはりこのQEDシリーズ最大の魅力だといえるから。

鎌倉には観光で数度訪れただけで、決して詳しいとはいえないのだが、それでもその数少ない訪問時に見た光景が本書からも甦る。――その意味では、さりげなくもやはりトラベル・ミステリの要素をも持っているということだろう。ただし正統派ではなく、やはり”裏”ガイドとでもいうべき内容なのだが。 それでも本書を読んで、自分の住む(知る)身近な土地にも桑原崇がやって来ないものかと願う読者も多いに違いない。 シリーズの末永い展開を期待しております。


04/08/21
伊坂幸太郎「グラスホッパー」(角川書店'04)

今年になって第25回吉川英治文学新人賞を『アヒルと鴨のコインロッカー』にて受賞、第57回日本推理作家協会賞を短編「死神の精度」にて受賞と、伊坂幸太郎の活躍は留まるところを知らない。続いて刊行された本書は、書き下ろしの新感覚クライム・ノベルとでも呼びたい作品である。

〈フロイライン〉という会社の契約社員として働く鈴木。道ゆく人に片っ端から声を掛け、怪しげな健康食品を売りつけてきた。入社から一ヶ月から経過し、幹部社員の比与子から”確認”の指示を受けた。会社は鈴木が復讐を狙っているのではと疑っており、その疑いを晴らすために拉致した二人の男女を殺してみせろという。確かに鈴木は、〈フロイライン〉の社長の息子、寺原に妻を轢き殺されており、その復讐のために入社し、やりたくもない仕事に耐えていたのだ。しかし作業は現場を監視しにきた、その寺原長男が交通事故にあったために中断した。会社は、それが一流の殺し屋である「押し屋」の仕業と考え、鈴木に後を追わせる。一方、政治家からの依頼で”鯨”はホテルの一室に訪れていた。彼は特殊な能力により相手を自殺させる殺し屋だった。また、”蝉”は普通の殺し屋。彼は上司の岩西を通じて、彼らの仲間を焼死させた息子のいる一家の惨殺を依頼されており、その作業を実行していた。ナイフ使いの彼はさっさと仕事を済ませる。鈴木が、後をつけた男の家で茶を啜っているあいだに、「業界」内部で殺し屋たちが互いを付け狙うという不思議な事態が進行しつつあった。

キャラクタの美学に組み合わせの美学。陰惨な世界を軽妙な物語に仕立てる伊坂マジック炸裂
実は日本には(多分特に東京には)アンダーグラウンドと表層の社会とのすれすれに「殺し屋」の業界があって、政治の力学とかが絡んで結構しっかりと色々なところに食い込んでいて警察とは無縁で、その中でも大手企業と中小企業と、匠の技を持つ個人商店とがあって、それぞれがまあ、持ちつ持たれつで存在している。……といった、物語の背景となる世界に、本当に「あっという間に」引き込まれてしまう。
そんな、ちょっと常識の歪んだ世界に投げ込まれた二つの石。大きな石は、その元締めとなる大企業〈フロイライン〉の社長の息子が、正体不明の殺し屋にやられてしまったこと。もう一つの小さな石は、妻の復讐を心に誓った、だけど常識人の鈴木が、その戦いに巻き込まれてしまうこと。『罪と罰』を愛読し、持っている特殊な能力で相手を自殺させてしまう殺し屋・鯨。よく喋る普通の若者でナイフの使い手で、良心が少々マヒ気味の殺し屋・蝉。業界内に知らぬ者はいないのに、その正体は不明、自動車や電車の前に対象を押しだし、交通事故に見せかけて標的を始末する「押し屋」。そして、本編の主人公である鈴木。彼らがそれぞれの視点で物語を綴る。扱っているのが「殺し」という実にシリアスなテーマであるのに、不思議なユーモアが漂う不思議。 命のやり取りを巡る超絶サスペンスであるにもかかわらず、どこかのんびりしたテンポが保たれている不思議。 プロットや登場人物でいろいろな効果を狙っているのが分かるのだが、その策略に素直に浸っていたい気分にさせられる
また、各所に挿入されているあまり大きな意味のない、それでいて「はっ」とさせられる警句も良い。脇役にすぎない登場人物でも、味わいを感じさせる性格を持つ。単なる殺し屋たちの被害者たちですら、幽霊となって再び物語に登場する。何というか、物語や登場人物が醸し出す、交響楽のような楽しさを素直に受け止めるべきであるように思うのだ。深読みであるとか分析であるとか、してもいいのだけれどする意味がないような……。

これまで発表されてきた伊坂作品のエッセンスが詰まっており、その意味では本流に近い作品。誰が読んでも満足するであろう内容である。いろいろな伏線が後で効いてくる物語構造もこれまで通りであるし、主人公の妻に対する想いが全編の底流となって通じている点も素晴らしい。エンターテインメントとしての完成度が高い、相変わらずの絶品である。