MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/09/10
北村 薫「語り女たち(かたりめたち)」(新潮社'04)

『小説新潮』誌に平成十四年四月号より平成十六年一月号までに掲載された短い幻想短編を連作形式にて一冊にまとめた作品。第114回『スキップ』、第118回『ターン』に続き、第131回直木賞候補となったが受賞は逃した。

実務家の弟に比べ、彼にはいささかの空想癖があった――。家が金持ちだった彼は三十を過ぎ、作家の作った物語を読むより、市井の人の実際の体験談を聞く方が興味深いと思うようになる。そして海辺の街に部屋を借り、寝椅子に横になって訪れた客の話を聞くという趣向。全国の雑誌、新聞に広告を出し、アラビアの王のひそみにならい語り女を募集した――。
光沢ある緑色の服を着た、三歳くらいの男の子を連れた女性の話。彼女は雑誌の編集者で、作家先生のお供で京都は嵯峨野の竹林に行ったという。その竹林を歩き回ったあと、新幹線で帰る途中、網棚の自分の鞄に緑色の小さな甲虫がとまっていることに気付く。――あ。口を開いた彼女のなかに、その光が舞い上がってすっと入って、彼女はそれを反射的に飲み込んでしまう。そして――。 『緑の虫』
数日後現れた銀髪の女性。孫を連れて車を運転していたときの話。バックミラーに映る後ろの女性はカーラーを巻いたまま目的地に向かっており、運転しながら化粧をしていた。日差しが強く彼女の顔の上半分は真っ黒の影になり、象牙色の唇だけがくっきり浮かんでいる。そして――嘴のようだな、と考えた。 『文字』
ほか、『わたしではない』『違う話』『歩く駱駝』『四角い世界』『闇缶詰』『笑顔』『海の上のボサノヴァ』『体』『眠れる森』『夏の日々』『ラスク様』『手品』『Ambarvalia あむばるわりあ』『水虎』『梅の木』 以上十七編。

日本語の美しさと豊饒さを再確認させられつつ、物語の持つ奔放な飛躍を楽しむ。実に贅沢な連作集
いまさらいうまでもないことなのだが、北村薫氏の表現力は素晴らしい。別に難しい言葉をふんだんに使っている(いや、恐らく御存知なのだろうが)からでも、常人とは別の神の視点をお持ちなのでもない。普段、我々が普通に使っている語彙と言い回しを使いながら、その的確な比喩により物語に描かれる情景が、より鮮やかに眼前に繰り広げられる。単純に文章力というよりも、ここまでくれば言霊を操る力を持っているのではないかと疑いたくもなる。
明るい外を眺めていると、まるで瓶の中に入ったようだ。」「白く覆われた海岸を海の舌が繰り返し嘗めていた。」「時の流れが足踏みしているようだった。」「空は椀を伏せたように曇り、風が強かった。」――等々、男が自分の周囲を表現した文章を少々拾ってみても印象的な言い回しがいくらでも出てきてしまう。(こういった表現を生み出すのにもしかすると苦心惨憺されているのかもしれないが、仮にそうだとしても全くそういう気配を見せずに)、さらりさらりと筆の赴くままに書かれているようにみえるところが、北村薫たる所以だと思う。
そして、訪れる女性たちが語る物語が面白い。わざとかもしれないが、現実に実際にありそうな「ちょっといい」話から、主人公までが巻き込まれてしまう幻想譚まで、幅広い物語が詰まっており、全くそれぞれの話の結末を想像させない。 日常のミステリっぽい話、妄想に近い話、ちょっと壊れた話、なんでもここにある。ただ冒頭の『緑の虫』のラストでいきなり超自然系のオチを持ち込んでいるあたりは周到。一話目にして「こういう話もありなんですよ」という予告とも受け取れ、作品集全体に対する事前の計算を感じる。
いくつもの作品が頭に残っているが、ユーモラスな反面、ちょっとした怖さを感じる『水虎』が、なぜか特に心に残った。背筋をぴんと伸ばして腰を曲げられない、ちょっと変わった身体的特徴を持つだけの男の話かと思いきや、本当に「水虎」の話になってしまうあたりはとにかく、女性が最後に、そして無邪気に残す一言――風呂の話なのだが、そこで一種戦慄のようなものが走った。恐らく途中にあった『笑顔』(これもいい話)のエピソードが作品集全体としての伏線として効いていたからだろう。実際、季節が巡り、訪れてくる多様な年齢、容姿の女性たちが醸し出す物語の幅の広さが実に興味深い。単純に並べばショートショートみたいなお話が、聞き役の主人公を持ち込むあたりで微妙な統一感を覚えるのも不思議。

決して分厚くない作品集なのに、心に残る物語が多すぎる。 それもこれも北村薫という作家の奥行きの深さを感じさせるものばかり。「私シリーズ」の頃に思い知らされていた筈の、北村薫さんに対する畏怖みたいなものを改めて噛み締めてみたり。


04/09/09
石田衣良「骨音 池袋ウエストゲートパークIII」(文春文庫'04)

石田衣良のデビュー作にして出世作、'97年刊行の『池袋ウエストゲートパーク』シリーズの三作目(外伝を含めると四つ目の作品集)。作品自体は'01年から'02年にかけて『オール讀物』誌に発表された作品に書き下ろしの『西口…』を加えて、'02年に文藝春秋より単行本で刊行されたものが元版。

池袋に住むホームレスたちが襲撃されていると日の出町公園の新さんと名乗る男がマコトに訴える。未解決の五件の襲撃事件のうち四件は骨を折られているのだという。マコトは犯人捜しの依頼を引き受け、タカシと連絡を取った。 『骨音』
池袋サンシャインシティ・アルパ。閉店間際のショッピングセンターの噴水にいる手足が棒のような女の子・香緒。いつも本を手にし、時々踊る天使。そんな彼女が熱を出して倒れたのに行き会ったマコトは彼女を自宅に連れ帰り、親に連絡。その親・ヒロコさんは連れだしパブに勤めていた。 『西一番街テイクアウト』
池袋の地域通貨が登場した。”ぽんど”はボランティアの報酬として支払われ、実際地元の商店を中心に使われるようになりはじめていた。その”ぽんど”に贋札が現れたのだという。タカシの紹介によりNPOの代表であるオコノギと会ったマコトはその贋札の出所を探る。 『キミドリの神様』
マコトを慕う呼び込みのエディ。ソフトドラッグとレイヴの好きな彼と共にタカシが見せたいといった”レイヴ”に参加することにしたマコトはスネークバイトなるドラッグの存在を知る。タカシの依頼は、そのスネークバイトの売人を排除すること。だがマコトはそのレイヴの中心となる義足の歌姫・トワコに惚れ込む。 『西口ミッドサマー狂乱(レイヴ)』 以上四編。

ストリートの持つ危うい魅力を醸し出しつつ、絶妙のバランスでエンターテインメントに仕上げる。凄い。
IWGPには現代風俗が描かれている――なんて、当たり前といえば当たり前。しかも文庫に落ちてから買っていたのでは、その”現代風俗”に至っても発表されてからは二〜三年前の話になる。だけど、その数年を隔てることをものともしない現代感覚がIWGPシリーズの魅力だといえる。恐らく、その底に流れているマコトの”熱い気持ち”といったところに不変の正義感があるから、いつ読んでも安心して楽しむことができるのだ。
本作もまずそのストリート感覚・現代感覚は健在。ホームレス襲撃、子どもの深夜徘徊、地域通貨、レイヴとドラッグ。時に社会問題を、時に経済のポイントを鋭く題材に切り取り、そこにマコトとタカシの名コンビを当て嵌めて物語は踊る。特に本作においては、タカシの存在感が増している。全能にして冷静な神様。街の秩序を自らの価値観において保ち、Gボーイズを統べる裏の帝王。一方のマコトは相変わらずフリー。金になる仕事、ならない仕事関係なく、自らの正義を貫くために厄介事に首を突っ込む。――ただ、マコトとタカシの価値観が基本的に同じであることが重要
問題が発生し、マコトが悩み、事件は解決に導かれる。その解決方法が奇想天外なのが本シリーズの面白さなのだけれど、すべて安心して読めるのはあくまで彼らにとっての勧善懲悪がきっちりと為されるから。物語はテンポ良く、スピーディに進む。ミステリであるとか、現代文学であるとか、細かいジャンルにこだわらせない物語の純粋な楽しさがここにある。
その裏側にあるのは、若者だけでなく全ての世代の全ての人々の欲望や希望が全て詰まったストリートを独自の基準で描き出している点にある。法律や世間の良識といったツマラナイ価値観ではなく、あくまでストリートのルールに沿って物語が進められ、そのなかでは落ちこぼれもはみ出し者も(その状態自体は)全て許される。街は優しいばかりではなく、そのルールに外れると厳罰が待つ――。この部分に作者の”振れ”がない点が、シリーズ全体を支える最大のポイントのように思う。

あまり言葉を費やす必要は感じない。IWGPシリーズは素直に面白い、とだけ言っておく。


04/09/08
綾辻行人「暗黒館の殺人(上下)」(講談社ノベルス'04)

館シリーズの前作である『黒猫館の殺人』から十二年。 『IN★POCKET』の連載開始より実に四年。二千五百枚にものぼる超大作。「新本格ミステリ」の代名詞的存在でもある”館シリーズ”読者待望の第七作目がようやく登場した。
(本書評の月日が発売日前になってますが、実際は9/20にこの文章は書かれています)。

出版社に勤務する江南孝明は母を亡くした。彼はその葬儀の最中、九州は熊本の山の中に今は亡き建築家・中村青司が改装に手を貸したという館があると聞き、その地へと向かう。外界から隔離され、湖のなかに浮かぶその館は、地元の人々から恐ろしがられ、いつしか「暗黒館」と呼ばれているという。そこへと向かう山道で、江南は地震に遭遇、道をそれた車は森に突っ込み大破。左手に怪我を負い、徒歩で館に向かった江南は湖をボートで渡り、何かに吸い寄せられるように広大な敷地内にある塔に登る。そのバルコニーに出て、館に人影を確認した江南は、再びの地震により外に放り出され……。
館の当主・浦登柳士郎の息子である玄児と東京で知り合った学生”中也”。彼は地震の際に、塔から外に放り出された人影を目撃する。現場に駆け付けた玄児と中也は、奇跡的に大怪我もなく意識を喪っている男を発見する。折しも館は〈ダリアの日〉と呼ばれるの前日。暗黒館の光を嫌う造作、改築を繰りかえされた屋敷に住まう異形の人々に翻弄されつつあった中也は、奇妙な宴への参加を要請された……。

狙ったのは館ミステリの最高峰か、それとも究極の本格ミステリか……超大作は饒舌に語り、かつ沈黙している……
館シリーズのレギュラーキャラクタともいえる江南孝明が謎の館を訪ねるところから物語が始まる。いつも通りの展開と思いきや、彼は事故に遭って事実上の途中退場をしてしまい、暗黒館に招かれた中也と呼ばれる青年が物語を引き継ぐことになる――題名や登場人物、設定からも明らかな通り、一応の体裁は「館シリーズ七作目」である。しかし、実際は前作近辺から「原稿より健康」の名台詞と共に、綾辻氏の本格ミステリ長編の発表は事実上途絶えており(ただ、テレビドラマ『安楽椅子探偵シリーズ』原作など、本格ミステリなお仕事から離れたという訳ではない)、ある意味、綾辻行人の本格ミステリ界へのカムバック作品として本書を捉えることも可能だと思う。

そういった意気込みを感じつつ、当初に入った最初の印象は「徹底した雰囲気作り」へのこだわりである。館の不気味な来歴、理由を保留しつつ参加させられるダリアの宴、腹に一物ありそうな従業員、そして一族を覆う狂気と異形の人々。これまでの「館シリーズのおさらい」を行いつつ(シリーズに登場してきた固有名詞が多数出てくる)、積み重ねられていく館の雰囲気の禍々しさが素晴らしい。注釈つきで時々変化する視点の問題はちょっと気に掛かったが、これだけの一族の人々をそれぞれ特徴づけてゆき、かつ館そのものが持つ特殊性を上巻まるまるかけて積み重ねていく姿勢には、執拗なまでの「幻想的雰囲気へのこだわり」無くしてはあり得ない。もとより、綾辻氏の創作姿勢は周知の通り本格ミステリ一本槍ではないし、本書が幻想ミステリとして物語を終えても別に構わない(但し、鹿谷の介入はその場合無しで)と感じさせられた。結局、謎解きが全て終わった段階でも、どこかこの一族と館が醸し出す幻想的な雰囲気は館に連なったままであり、綾辻氏ならではのこの雰囲気だけでも小説として評価したいと思う。このボリュームについても、この雰囲気を味わうと”必然”という印象がないでもない。

ただ、読み進めるうちに次の印象がむくむくと湧いてきた。それは「『黒死館殺人事件』超えを狙ったのではないか」という点。『黒死館』は、いうまでもなく昭和の三大ミステリのひとつ。(他は、『ドグラ・マグラ』と『虚無への供物』)。当初は館に住む異形の人々からの連想で『孤島の鬼』や『パノラマ島奇譚』のような乱歩世界を再構築しようとしていたのではないかとも考えたが、途中からは、特に禍々しい雰囲気を持つ館ものの先駆にして最高峰として『黒死館』を強く意識しているように感じられた。館そのものに地場から発する独特の魔力を持たせるというか、様々な故事や来歴を徹底することによって複雑な意志が絡み合った魔の空間を創り上げようとしているというか。館の人々が館から離れられない理由もまたその一つ。幾つもの狂気・狂信が錯綜することによって生まれる探偵小説の古くて新しい境地を追い求めている? というようにも思えた。ひとつひとつの事件に割り切れなさと館独特の狂気を絡めていく。

ただ、最終的な印象はまた変化した。読み終わって幾日かして考えついたのは、こういうこと。つまり「どんなにすれた読者であっても絶対どこかで驚くことの出来る本格ミステリ」 これは作者自らのことばでもあるが、そういう作品を実際目指したのではないかと思うのだ。序盤でいえばダリアの宴の真相。玄児が牢に入れられていた理由。過去の殺人事件の真相。抜け穴だらけの連続密室殺人事件。そして、この作品を支えているメイントリック。この物語の不自然さを抽出することによってこの部分に気付くことが出来る読者もいるかもしれない。とはいえ、そんなスーパー読者であっても、それ以前に提示されている全ての謎に回答することはできるのだろうか? ちなみに小生は、殺人事件の犯人とその動機までは判ったのだが、メイントリック等、判らなかったり気付かなかった謎の方が遙かに多い。恐らく本格ミステリの強者含む、ほぼ全ての読者(一応断定は避けとく)にとって、トリックや謎の一部は判っても、全貌については明かされるまで判らなかったに違いない。それは、裏を返せば「どんな読者にとっても、必ずどこかに驚きがあるミステリ」ということになるのではないか。(確かに、偶然や語られていない要素をベースとしたサプライズもある――のだが、本格ミステリの論理の文脈とは別にあくまでサプライズにこだわった結果だとしたらそれらは全て許容される。実際、そういう要素にしても全てサプライズに繋がっているわけだから)。

ただ――改めて言わなくてもという気もするけれど――いかんせん、分厚い。少なくとも館シリーズ初挑戦という読者に到底勧められる作品ではない。ただ、やはり謎が解けていく快感、そして待たせてくれただけのネタが詰まった傑物ではあるので、これまでの館シリーズは読んでいるけれど大作すぎて……という理由でためらわれている方には勧めておきたい。良くも悪くも、これまでの、そして現在の綾辻行人らしさの全てが詰まっている。
ただ、通常の範疇としての本格ミステリとして単純に評価できないあたり、個人的には未だ頭のなかにすっきりとこの作品の収まる場所がないのが今のところの実情でもある。


04/09/07
恩田 陸「黄昏の百合の骨」(講談社'04)

『メフィスト』誌に'02年5月号より'03年9月号まで掲載された作品の単行本化。『麦の海に沈む果実』に登場した水野理瀬を主人公とするシリーズ二作目(とはいっても『麦…』は『三月は深き紅の淵を』の姉妹編みたいなものなので位置づけは微妙)となる作品で「学園」はあまり登場せず、複雑な理瀬の家庭環境と、その祖母が住んでいた「白百合荘」の謎がメインに据えられた風変わりなミステリ。

「水野理瀬が半年以上ここに住まない限り家は処分してはならない」――港のある観光都市にひっそりと佇む古い洋館「白百合荘」。祖母が住んでいたころから百合の花が飾られ、噎せ返るような香りに包まれていたこの館は近所の人々からは『魔女の家』と噂されていた。祖母が亡くなった時の遺言により、学期途中から「白百合荘」に住むことになった理瀬は、血の繋がらない義理のおば、梨南子と梨耶子との三人暮らしとなった。もうすぐ一周忌の法事があり、従兄弟の亘と稔も戻ってくる。理瀬は新しい級友で「白百合荘」の裏手に住む脇坂朋子と友人となり、その幼なじみ勝村雅雪とも知り合う。雅雪の父親は、祖母の顧問弁護士で、また雅雪の親友・田丸は朋子に惚れ込んでおり、交際の仲立ちをせがむ。朋子の弟で身体の弱い慎二は理瀬に「白百合荘」に関して何か伝えたいことがあるのだという。脇坂家で飼っていた黒猫が毒殺され、「白百合荘」には謎の手紙が届く。そして家の中でも互いを信じられない状態となる。この家に隠された「ジュピター」とは?

悪意の存在さえ詳らかにされない疑心暗鬼。単発の心理ミステリにして壮大な恩田伝説の一部――
改行も多く、一冊の単行本として刊行されている割に決して文章量は多くない。だが何なのだろう、この濃密な空間は。
読了してから思い至ったのは、恩田さんは本作において「解かれる謎」と「解かれない謎」(暗示はされるものの明快な解を描かないもの)の両方を描いているから、ということ。もちろん、本書を単発で読んでも納得できるだけの内容であるのだけれど、この世界が持つ謎については、シリーズ全て読んでかつ想像力を働かせないと理解しつくせないようにわざとしているように思うのだ。(ちょっと佐々木丸美の作品世界を想起した)。恩田陸伝説というか恩田陸サーガというか(意味は一緒だが)、複数の作品をピースとして、ある世界を読み解いていくという壮大な構想が下地にある。だから余計に登場人物の台詞や独白、ちょっとした行動の一つ一つに別の意味も考えさせられてしまうのだろう。
とにかく、全ての登場人物の「底」が見えない。 脇役クラスはもちろん、主人公の理瀬を含めて。誰が悪意を持っているのか、本心を見せない演技派揃いの役者が登場人物に揃ったおかげで、サスペンスが否応もなく盛り上がる。祖母は殺されたのか、事故で亡くなったのか。「白百合荘」に住まう人々の狙いは何なのか。ジュピターとは一体何か。なぜこの家の周囲で小動物が次々死んでいくのか。そして、行方不明の少年、不自然な状態で死んでしまうある人物――。序盤はのんびりとしたペースで探り合いをしていたかと思えば、次の段階では次から次へと不可解な(物理的に、ではなく心理的に)謎が表出していく迫力が物語をひっくり返していく。
そこで改めて「底」が見えない点が効く。誰が何を狙っているのか、複雑に絡み合う利害と人間関係により、謎の焦点がぼやかされていく。読み進めながら感じる、この不穏な感覚は恩田陸の作品世界において特有のものであろう。最終的に、この作品における個々の役割は明かされるのだが、かえってそれがこの「恩田伝説」の深みを感じさせてくれるという点が凄い。

繰りかえすが、単発作品として「どんでん返しの多い心理ミステリ」として読むことは可能だし、そう捉えても問題はない。だが(若くして)善と悪の境界線を渡り歩く登場人物たちのいい知れない迫力が、そのミステリの深みを厚くしている点には気付きたい。『麦…』にも登場した理瀬の父親(すなわちあの謎めいた人物)が終盤に登場して、逆に少々ほっとしてしまうくらい。この独特の緊張感が本シリーズの持ち味といえるだろう。


04/09/06
山田正紀「魔空の迷宮」(C★NOVELS'86)

山田正紀さんのノンシリーズ作品。書き下ろしで同ノベルスより刊行され、'95年には中公文庫にて文庫化されている。文庫版の方がまだしも入手しやすいだろうが、いずれにせよ入手困難。

合併問題に揺れる大東銀行に勤めるエリート行員・竹宮。彼はぐでんぐでんに酔って後輩の山崎と青山を歩いていた。いつの間にか道に迷ってしまった竹宮は、赤い帽子を被った二人の女性が道ばたに佇んでいるのと遭遇。彼は魅入られるようにその二人に連れられ関係を持つがそのまま失踪してしまう……。
竹宮が失踪して一ヶ月。人形製作を仕事としている竹宮の妻の章子は、学生時代に交際していた水野良介を駒沢のマンションに呼び出す。水野は予備校教師をしながら翻訳の仕事をしていたが、予備校を馘になり時間を持て余していた。章子は竹宮の消息捜しを水野に頼み、未だ章子のことを諦めきれない水野はそれを承諾する。竹宮は大東銀行に政治家の口利きで入行しており、その橋渡しをした坂口という男に水野は会いに行く。彼の助力により竹宮の失踪当時一緒にいた同僚の山崎から話しを聞く。赤い帽子の女、そして青山を中心に進む土地の買い付け。青山には章子の作る不気味な人形が飾られるビルが増え、そして何がこの街に起きつつあるのか……?

バブル期ならではの都市伝説と妖しいポルノグラフィの華麗にして甘美なる融合
本書を語る際に山田正紀さんのあとがきにあるこの言葉は外せないと思う。「ぼくがデビューしたばかりでしたから、もう十二、三年まえになるでしょうか。半村良さんが小説の勉強のためにポルノを書きなさい、と勧めてくださったことがありました。(中略)ポルノ描写がたんなる読者サービスではなく、そのテーマに密接に関わっている、そんなセクシーな作品をなんとか書けないものか、と考えてきました
幸いなことに(?)近年の山田正紀氏の作品においては、既にポルノグラフィ的描写もお手の物となっており『女囮捜査官』シリーズ等をはじめ、実際セクシュアルな事項と物語とに密接な関係を持つ作品を多数発表されている。ただ、本作はそういった”山田正紀・セクシュアル路線”の端緒といえる作品ということになるのだろう。
物語の方は山田正紀らしい――壮大なマクロ的視野と、ちょっと情けない男のミクロの視野とが奇妙に交錯した展開。ひとくちで言ってしまえば、バブル期の地上げに喘ぐ青山界隈を舞台に展開される伝奇的ですらある大計画と、それに触れてしまう男の物語、である。印象的なのはプロローグで描かれる、アジア某国のクーデターの場面。これが物語とどう繋がるのかはお楽しみなのだが、その後アジア某国はその後の展開における重要な情報ではあるものの、場面として物語には登場しない。だが、そのあたりをしっかりとした描写にてスタートさせるところが山田正紀らしいといえるだろう。
一つテーマに”魔女”があり、そういったところにポルノグラフィックな描写が確かにある。微に入り細に入り描かれているが、いわゆる劣情を醸し出そうとする意図がないせいか、あまりいやらしい印象はない。確かにその場面というか、行為そのものが”魔女”というテーマに通じており、あとがきにあるような山田正紀の意図(つまりはポルノと物語との融合)は成功している方だと思えた。
ただ、あくまで幻想をベースにした作品であり、どこか地に足の着かない壮大さを抱えており、ボリュームとのバランスにおいて全体としての釣り合いが取れているかどうかはちょっと疑問か。そのあたり、正直、一昔前の伝奇SFという印象から脱却しきっていないように感じた。この時期の山田作品にはどこかこういった不自由な印象がつきまとうことが多く、本書にもその窮屈さがあるように思える。

様変わりしつつある青山をこういったテーマに乗っけてしまうあたりは、山田正紀ならではの職人仕事だと思う。だが、物語や内容が着々と現代からみれば古びてしまいつつあることも事実だろう。そういった点を全部引っくるめると、とりあえず山田正紀ファンのみが追えば良いのではないか、という気が正直するのだよなあ。


04/09/05
岡嶋二人「開けっぱなしの密室」(講談社文庫'87)

第28回江戸川乱歩賞を『焦茶色のパステル』にて受賞した岡嶋二人、初の短編集。'82年から'83年にかけて受賞した直後から翌年にかけて『小説現代』等の小説雑誌に発表された作品が収録されている。個人的には再読。

不正経理によって会社の金を競馬に注ぎ込んでしまった宮本太郎。彼は飲みに行った店でアサミなる女性と出会い、同じ会社の経理にいる野暮ったい佐々木花子に彼女が似ているように思う。だが、それは実は夜のアルバイトをしている佐々木花子本人で……。 『罠の中の七面鳥』
会社を休んだ奥山のもとを訪ねた若槻は、彼の家から出て来たと思しき赤いリボンを付けた少女と行き交う。しかし彼女はひったくりに合い、その男を若槻が捕まえた。しかし彼女は姿を消してしまっていた。 『サイドシートに赤いリボン』
ビルの屋上での映画撮影中に、顔にレモンパイをぶつけられた学生が転落した。過失致死とも自殺とも疑われる状況のなか、現場を撮したテープが発見され……。 『危険がレモンパイ』
借金を抱えた弟が結婚している姉を訪ねたところ、ガス中毒で彼女が死んでいた。自分が受取人となる生命保険の存在を思い出した彼は、自殺と思われた現場を触り、他殺の痕跡を残そうとするが……。 『がんじがらめ』
金持ちの伯父に映画製作の借金を断られた僕。その帰り道、巷で話題の放火魔を目撃、その跡をつけて自宅を確かめると一計を案ずる。彼を使って伯父を殺害させるのだ。 『火をつけて、気をつけて』
OLの夏美はアパートでひとり暮らし。ただ不在時に大家が家に入り込んでいるのではと疑う。彼女は親友の悦子と一計を案じ、外出を装って大家が侵入するところを捕まえようとするが、悦子が帰宅した時には彼女は殺されていた。しかも、大家にはアリバイがあるという。 『開けっぱなしの密室』 以上六編。

軽妙にして巧妙。そして都会的で洒脱。そして謎の飛躍が素晴らしい。岡嶋二人のアピール・ポイントの詰まった作品集
改めて感じたが、シチュエーションにしろ、ミステリとしての構造にしろ、登場人物の会話にしろ、実に巧い。そして古びていない。サスペンスあり、倒叙あり、本格ミステリあり……とバランスの取れた内容が並ぶ点はもちろん、その個々の作品が長編を支えうるような構造を持っているあたりに岡嶋二人というユニットならではの凄さをみる。 いわゆるストレートのミステリはほとんどなく、サスペンスを重視している印象で、また、事件が起きてそれを名探偵が解決するという定型がない(むしろ、そういった平凡な構造を彼らが嫌っていることを感じる)。当然、それぞれの事件はちょっとひねくれており、探偵役もその個々の素人だったり警察だったり。
特に倒叙の作品におけるシチュエーションのアイデアが秀逸。普通の倒叙ミステリであれば、動機があって誰かを殺害したいと考え、アリバイなどの計画を入念に施して殺害を実行。だが、完全犯罪が思わぬ綻びから破綻していく……という流れになるものだろう。だが岡嶋二人の倒叙はちょっと異なる。例えば『罠の中の七面鳥』では、犯罪計画を立てる男と、その計画の材料にされる人物が両面から描写されるし、『がんじがらめ』はそもそも自殺をわざわざ他殺に見せかけようとするものである。『火をつけて、気をつけて』では、他人を操って人を殺させようと計画する男の話である。そう、一筋縄ではいかない。
また、正統派の本格ミステリの要素を取り入れた表題作『開けっぱなしの密室』では、密室ではないのに密室となる奇妙な状況を創りだしたうえ、意外な犯人に意外なトリックによって事件が解決する妙味が楽しい。『サイドシートに赤いリボン』は、長編クラスのネタを大胆にも短編に使用してしまっており、一切の贅肉を省いたシンプルな作品となっている。

初期作品ということもあろうけれど、少なくともこの段階では徳山諄一のアイデアと井上夢人の筆力とが過不足なく結び付いて、全てが佳作以上という希有な作品集となっている。これだけ内容が濃いにもかかわらず、さらりさらりと読めてしまうあたりの物語運びの上手さにも注目したい。岡嶋二人は長編が多いが、最初に読む短編集ならばまず「コレ」ということで決まりだろう。


04/09/04
友成純一「絶海の黄金郷(エルドラド) 女戦士・フレア伝2」(ケイブンシャ・ノベルス'90)

'80年代後半から'90年代初頭にかけて刊行されたノベルス系の友成本がなかなか入手できない今日このごろ。なので、シリーズものの2巻として仕方ないながら、手に入ったものから読むことにしてしまう。ちなみにこの「フレア伝」、『邪神殿の少女』が1、そして3として『虚空の要塞島』がある。当然、未完らしいが。ちなみに表紙絵を担当しているのは永井豪。

失われた祖国アマゾンの仲間を求め魔剣イスカンダルを手に流浪の旅を続ける女戦士・フレア。北方民族とアマゾネスとの混血である彼女は、隆々たる肉体を持ちながらも色白で漆黒の肌が特徴的な美女。つい二ヶ月前まで南国にいた彼女であったが、彼女は北方の地・カデスの街に入った。カデスは北方民族で凶暴なバーサーカーの脅威に晒されており、街の人々は臨戦態勢にあった。一方、愚鈍で汚らしいオークの一族と人間の混血である若者・ポルク。醜い外見とその偏見ゆえに街の人々は彼を相手にしていなかったが、その肉体と戦士としての図抜けた能力により傭兵を率いる役目をこなしていた。そしてバーサーカーの襲撃。兵士に襲われそうになっていたフレア、そしてポルクが城壁の外に飛び出し獅子奮迅の活躍によって一旦は彼らを撃退する。カデスの街では危機を避けるために南海へ街ごと船で逃げ出す計画を立てており、この事件の結果その事業が加速。アマゾネスの一団が南方にいると聞いたフレアは彼らと行動を共にすることにし、魔の海へと旅立つ。

をを? 友成節とヒロイック・ファンタジーの絶妙なるマッチング
主人公が美女でありながら、実にストイックという設定にしたのが成功しているのか。少なくとも彼女は、自らの肉体に男が触れることを極端なまでに嫌うアマゾネス。何度も(貞操の)危機に陥りそうになっても、拳を振り回して相手を撃退してしまう。なので、少なくとも主人公を中心とした濡れ場みたいなものがない。
物語自体はシンプルで、フレアが集団と共に南方に移動するまでの冒険譚のようなもの。ただ、そのシンプルさと中途に挿入されるエピソードの数々に友成らしさが出ている。悪魔と契約した魔術師の色欲狂ぶり、また全滅した街に生き残った子どもたちと戦士の戦いは痛痛しい。また、旅を続けるうちに指導者同士の内紛がおきるあたりもなかなか凝っている。ただ、恐らくもっとも友成らしいエピソードは、醜いことを恥じていたポルクの変貌であろう。戦いを通じて成長を遂げるのではなく、変質を遂げていくあたりが生々しい。最後に縛めの身にあったフレアを解き放つあたりには最後の清々しさを感じないでもないのだが、その後の風の噂のかたちでとられるエピソードがまた強烈である。逃げ出したものに取り込まれてしまうという皮肉。人間の原点を「血と臓物の詰まった皮袋」と切り捨てる友成らしい残酷さが垣間見える。
戦いが物語の中心を占める以上、ある程度の残虐描写は避けられないものの、その程度としては大人しい。ただ、民族同士相容れない場合の徹底した破壊と殺戮といったあたりを淡々と描く点はポイントであろう。人というよりも、人間の種族まで立ち返った時に、原初の本能として持つ残酷さを思い知らされるというか。

一連の友成純一の作品のなかでは、比較的大人しい(あ、もしかするとオレが慣れたのか?)作品で、かつファンタジーとして物語こそ平凡ながら、個々のエピソードに友成らしさがみえる。正直にいうと、単純に面白く、そしてある程度の友成読者ならば面白がれる内容であった。 時々読む友成本には、何か麻薬のような魅力があるんだよな、これ。


04/09/03
蘇部健一「動かぬ証拠」(講談社ノベルス'01)

第3回メフィスト賞を、物議を醸した『六枚のとんかつ』で受賞してデビューした蘇部健一氏の三冊目の単行本として講談社ノベルスで刊行された。現在は一部作品が差し替えられた文庫版が出ている。最近の蘇部氏は青い鳥文庫に作品を発表するなど、作品の幅を拡げつつあるが、どちらかといえば本作のコンセプトはかなり冒険的で、その意味「さすが蘇部さん」と改めて唸らされてみたり。

歌舞伎町にあるカウンターバー《ロシュトー》の雇われマスター、小森功三はホステス出身の妻を愛していた。しかし五日前、小森は自分のアパートで妻が少年のようなホストがブリーフ一枚で愛を囁き合っているのを目撃。小森はその吉野というホストを家からパンツ一枚のままたたき出したが、妻をたたき出すことは出来なかった。彼は吉野に対し落とし前を付けさせる機会を狙っており、ヤクザ者が若い男を叩きのめしている場面を目撃、その凶器の鉄パイプを利用して吉野を殺害しようという計画を練る……。 『しゃべりすぎの凶器』
同じ大学に通うシンディ・フラナガンをデートに誘うために彼女のマンションを訪れた浦西。しかし彼女は部屋の中で額から大量の血を流して倒れていた。彼女が残した「カタウデノオトコ」という言葉。浦西は続けて訪れたシンディのルームメイトの悲鳴により、思わず現場から逃げ出してしまった。 『逃亡者〜片腕の男』
ほか『黒のフェラーリ』『天使の証言』『転校生は宇宙人』『宿敵』『宇宙からのメッセージ』『逆転無罪』『リターン・エース』『再会』『変化する証拠』以上十一編。

軽快に読み進める内容のベースとなる、試みと意気込みは◎。あとは著しいレベルの差が問題……かな。
「一目瞭然」という言葉があるが、その精神を地でいくミステリ。つまり、長さも内容も様々(とはいってもある程度はくくれる)短編を問題編とし、その解決を作品ラストにある一枚のイラストで説明してしまおうという試みがなされている。この試みは悪くないし、結果的に小生は先に読んだ『木乃伊男』にその精神は受け継がれているといえるのだろう。
問題編は、主に倒叙や半倒叙というべき作品が多く、犯罪者側から描かれており、それを警視庁の半下石&山田刑事が推理し「動かぬ証拠」を犯人につきつけるという内容。ただ、厳しいことをいえば純然たる本格ミステリを期待される読者には向いていない。ミステリとしては、そのトリックが安易に過ぎるし、イラストによる「証拠」にしても、実際のところ証拠能力があるとは思えないものがほとんど。(なので余計に真相を想像することを困難にしている)。 ただ、蘇部ミステリの一環として最初から軽めのつもりで読み出した小生にとっては、それなりに楽しめる内容であった。恐らく思いっきりリラックスして読むのが本書を楽しむコツなのだと思う。
そういうわけで事件のレベルが総じて高くないのだが、そんななかでも”魅せてくれる作品”がいくつか登場する。倒叙を逆手にとった『逆転無罪』の脱力感(オチに気付くのにちょっと考え込むことになった)や、『宿敵』のミスリーディングにより(誰がなんといっても事件の鍵は”紺のスーツ”だと思わされるのだが、実はもっと前半に鍵があった……)、これらのラストのイラストをじっと見て、そして考え込まされた挙げ句にようやくはたと膝を打つ感覚など、本書のなかでは本流から外れた作品の方に個人的には面白みを感じた。 本書における正統派でもっとも成功しているのは冒頭にある『しゃべりすぎの凶器』あたり。これはイラストのインパクトが文章では表現し得ないものである点が貴重である。そう、面白みといえば、刑事二人のベタなやり取りもそれなりに好感。ただ、やはり一方でオチが中盤で見えてしまう作品も多く、本当の意味で巧みに「文章による事件」+「イラストによる意外な解決」が活かされている作品がまだ少ない点が不満ではある。(全般にネタが小さくひねりが少ないように思われる)。

ただ、発売されて三年で文庫化されるなど、意外と普段からミステリを読まれている方以外の読者にとっても、意外と人気が出るものと版元が考えていることが分かる。『六とん』の時代より、蘇部作品には独特の魅力があり、それを活かそうと務めたのが本書ではないかと推察する。推理なんて過程を抜きにした、脱力系のミステリとして読まれるべき作品集だといえるだろう。そこのキミ、短気になってはダメだよ。のんびりと読むべし。


04/09/02
柳 広司「パルテノン アクロポリスを巡る三つの物語」(実業之日本社'04)

'01年に『黄金の灰』にてデビュー後、『贋作「坊っちゃん」殺人事件』にて第12回朝日新人文学賞を受賞。続いて刊行された『饗宴』、『はじまりの島』等が本格ミステリファンから絶賛された柳広司氏六冊目となる単行本。三中編が収録されているうち『巫女』のみ「月刊ジェイ・ノベル」'02年12月号に発表された作品で残る二つは書き下ろし。

デルポイの神託で有名な巫女・アリストニケ。彼女の占いの基礎は世界中に張り巡らされた情報網。強大なペルシア帝国がギリシャ・アテナイに侵攻すると聞き、撤退の託宣を下したつもりが人々はそれを勝手に誤解、アテナイは決戦に巻き込まれることになってしまうのだが……。 『巫女(ピュティア)』
ペルシア軍の猛攻から獅子奮迅の活躍でギリシアを救った戦略家にして英雄・テミストクレス。彼はサラミス海におけるギリシア人の大勝利をあたかも自分のものとしたという讒言を受け裁判に掛けられることとなった。テミストクレスの圧勝に終わると思われた裁判では、意外な証言者により予想も付かない方向へと……。 『テミストクレス案』
アテナイの傑出した政治家・ペリクレスと傲慢にして天才芸術家・フェイディアスは幼なじみ。民主主義を掲げるペリクレスは戦争により破壊された神殿の復興をフェイディアスに任せるようにする。その裏には市民に労働の代価を与えることで生活力を付けさせるという深謀があった。一方、フェイディアスは自らが暖めていたこれまでにないアイデアにより、世界一美しい宮殿の建設に情熱を注ぐ。 『パルテノン』

歴史世界を描く卓抜な筆力と光景を反転させる手法は健在。そして何よりわくわくさせてくれる物語
高校時代に日本史を選択していたこともあって(今となって言い訳にするのも烏沽がましいか)、紀元前のギリシアの様子といわれてもピンと来ない。せいぜい、同じ柳氏の著書である『饗宴』による知識くらいなものである。ただ、その『饗宴』、当時の背景を活き活きと描き出したうえに、そのなかで本格ミステリを成り立たせているという傑物であったこともあり、本書もそれほど心配せずに読み出した。――やはり。これまでと系統は異なれど、歴史作品として実にユニークな仕上がりの物語となっている
まず『巫女』である。実によく当たる占いがあって、その占いには実は当たるだけの相応の秘密が隠されていて……というあたりは、某TRICKではないがよくある話。この作品は、その老獪な占い師・アリストニケの変貌に面白みがある。金に汚い欲ボケ婆さんにしか見えなかった彼女が、一旦戦うことが避けられないとなるや、彼女は熱烈な愛国主義者となって裏側で縦横無尽の働きをみせるのだ。紀元前であっても重要なものは情報。このあたりを活かした戦い方等が痛快で展開に素直にわくわくさせられてしまうのだ。
続いての『テミストクレス案』は一転して裁判もの。ギリシアの裁判をテーマにする作品はちょっと珍しいのでは。(当時のギリシアは誰でも訴えれば司法の判断と無関係に裁判に掛けられてしまうしきたりがあった)。実際、巧みな戦略によってペルシア軍を退けたテミストクレス。様々な軍功の影で何が行われていたのか。英雄が単に弾劾されるだけではなく、その裏側にまた別の意図があったりと、目まぐるしく彼に対する評価が読者にとっても変幻させられるという不思議な作品。
最後の力作が『パルテノン』。あの神殿の世界一の力強さの持つ秘密が明らかに――されるのだが、それはどちらかといえば蘊蓄に属する話か(ただ、その理由を聞いて成る程と膝を打った)。二人の同時期に生きた大人物たちの変転する運命が物語のポイント。ただ、二人を通じてギリシアの全盛期そしてその衰退期の様子が垣間見えてくる。 先の『テミストクレス案』にて取り上げられた裁判がスパイスとしてピリッと効いており、彼らが裁かれることによって逆にスケールの大きさが強調されるという印象がある。

古代ギリシャの人々が今そこで生活しているかのような活写は相変わらずで、やはり世界構築の才は半端ではない。さすがに本作は本格ミステリ仕立てとはいえなくなったものの、物語にその感覚は活かされており随所に小さなサプライズがある。物語としての内容の豊饒さを考えれば、もう少し話題になっても良さそうなのに? 文庫化されることによってファンが一気に増えそうな作家ではあるのだけれど。


04/09/01
貫井徳郎「慟哭」(創元推理文庫'99)

貫井徳郎のデビュー作品。第4回鮎川哲也賞において佳作となり、北村薫の推挽を受けて世に出た作品。御存知の通り、初刊の刊行は'93年ともう十年以上前となるのだが、文庫化されて後、書店のPOPと北村薫の推薦帯を中心に再ブームを巻き起こし、貫井氏は広範な読者層を改めて獲得した。思うところがあって再々読。

〈奇数章〉「自分の胸にぽっかりと空いた穴」の為に精神的に虚脱状態にある男性・松本は、街で偶然に出会った一人の少女の美しい瞳に魅せられ、宗教に興味を持つようになる。彼は、幾つかの宗教を体験した後、《白光の宇宙教団》という団体に巡り会う。彼はその教義にのめり込んでいく。その教団の神こそが「自分の持つ穴」を埋めてくれると信じられたからだった。
〈偶数章〉キャリアでありながら警視庁の捜査一課長である佐伯。彼は大物議員の落胤であり、警視庁長官の一人娘と結婚、一人娘を設けていたが、家庭は冷え切っており彼自身は別居して生活している。警視庁内部でも切れ者として通っていた彼のもとに幼女誘拐殺人事件の通報が入る。手掛かりが極端に少ないなか事件捜査は難航、犯人の手がかりさえもつかめないまま、同じ犯人によるものと思われる事件が次々と発生し、彼への非難の声が高まっていく。

改めて読んでもやはり巧い! 再読で見えてくる新たなる物語に大いなる深みがあるのだ
実は『慟哭』については、消去してしまったが初読の際に一度取り上げている。その時の第一印象コメントはシンプル。「すげー面白かった!」 である。その後一度再読し、今回さらに改めて読んでみて、二つのエピソードの接点についての驚きこそ既知のものになってしまっているとはいえ、その展開の巧みさにとにかく唸らされた。本作、単なるサプライズだけが狙われた小説ではなく、実はそれぞれのエピソードの深みが素晴らしいのだ。
一つは「胸に開いた穴」を巡る松本の動き。松本の視点によるるこのパートは、当初は本人ですら胡散臭く感じている新興宗教という存在と「救い」を求めてそれに嵌ってゆく人々の姿を、切実にリアルに描き出している。何よりも自分に合わないと思われる教団の洗脳に対してはきっぱりと拒絶をするだけ強い意志を持ちながら、あるきっかけ一つでずるずると「自分の意志で」深みにはまっていく様が恐ろしい。通常の意味合いと異なるかもしれないが、ある種のホラー系サスペンスのような迫力がこのパートにある。また、本書が発表されたのは、オウム真理教が大きく社会問題化する以前(坂元弁護士事件は起きていたが、地下鉄サリン事件等は'95年のこと)だという点を合わせて考えると作者の先見性も明らかで、このあたりにも感心する。
もう一つは捜査一課長・佐伯のパート。こちらの警察小説としての迫力がまた凄い。組織内部の軋轢であるとか、捜査の過程の手堅さはもちろん、捜査方針に関する佐伯と上層部の対立、佐伯の家庭環境から来る複雑な状況など泥臭くも手堅く描写されている。改めて思ったが二十代デビューの新人の仕事とは思えない。犯人の挙がらない連続殺人に向かい合う警察の焦燥がこちらにも伝わってくる。このパートの緊迫感が最終章まで持続するあたりのテンションの維持がまた見事だと思う。
別々のかたちの緊張感を持つ二つの物語が、繋がりを予感させつつ、だけどラストに意外なかたちでずどんと繋げられるのだから、まずは驚く。実際、初読の際の驚きは今も覚えている。だけど、改めて読むと『慟哭』という秀逸な題名の意味が感じられる物語文学としての重みを二つのエピソードを通じて感じられるようになる。二十代で初めてこの作品を読んだ時と、三十代でこの作品を読み返した時とのリアルの違いとでもいえば良いのか。本書がサプライズだけの物語では決してないということが改めて感じられた次第。

万が一、まだ『慟哭』を読まれたことのない方がいるのなら、もちろん読んだ方が良い。絶対損はしない。でもってここで改めて強調したいのは、『慟哭』を一度しか読んでいない方にも、時を置いて改めて読んでみて欲しいということ。時を隔てても古びない「慟哭」の物語をより深く味わえることは間違いないから。