MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/09/20
真保裕一「連鎖」(講談社文庫'94)

今や刊行するたびにベストセラーにランクインする人気作家・真保裕一のデビュー作品。第37回江戸川乱歩賞受賞作品。何作か続いた「小役人シリーズ」の第一作目でもある。

中学時代からの親友でジャーナリストの竹脇が酔っ払って車で海に飛び込んで自殺したという報せに東京検疫所に勤務する羽川は愕然とする。羽川は竹脇の妻・枝里子と不倫をしており、そのことに気付いた竹脇は数日間、家を出たままだったのだ。竹脇は幸い命は取り留めたが、先般チェルノブイリ原発の事故により放射線で汚染された食料が、第三国を経由して日本に輸入されていることを突き止め、大スクープをものにしていた。ただ竹脇の性格を知る羽川は、その記事で告発された会社の担当者が自殺していることもあって竹脇が自殺を試みるとはとは信じられなかった。その羽川は厚生省の元食品衛生監視員(食品Gメン)の資格をもっており、最近発生しているファミリーレストランへの農薬散布事件を追及するよう、上司の高木に命ぜられる。その事件は、どうやら検疫所で引っ掛かり、輸入禁止措置が取られた食品が横流しされている事件だと思われたのだが……。

知る人の少ない「現場」の裏側にある事件。後の真保ワールドに確実に繋がる手堅い作品
真保裕一はこの後、あまり人に知られていない役人の仕事の裏側をミステリに取り入れた冒険小説風作品(それが「小役人シリーズ」)を次々と発表、その集大成ともいえる、第17回吉川英治新人文学賞を受賞し映画化もされた『ホワイトアウト』でブレイク、偽札作りを描き、第10回山本周五郎賞・第50回日本推理作家協会賞を獲得した『奪取』でその評価を一気に高めた……。その真保裕一のデビュー作品である。小役人である
その構造は手堅い。食品Gメンという、あまりこれまでミステリに使われそうで使われない題材を用い、輸入禁制品の三角輸入であるとか、検疫業務の裏側とか、あまりに手薄い検疫業務の内幕であるとか、輸出入にまつわる保険の話であるとか……業界の裏側情報がまずばっちり。これに、親友の妻と不倫した結果、親友が自殺(未遂)となってしまったというバックグラウンドを持つ主人公を配している。この男の事件追求にかける姿勢が一貫しており、本作をしてハードボイルドと呼ばせてしまった点も頷ける。(本質はハードボイルドとはちょっと異なるような気はする)。また、周辺人物を巧みに配し、それぞれに一定の性格を持たせることによって作品に落ち着きを与えている。こういった物語の背景、人物等の作り込みはデビュー作とはいえ「プロの仕事」である。
しかも、物理トリックあり、二重三重のどんでん返しがラストに向けて待ち構えている。貪欲なまでにミステリの要素を取り入れた作品だと感じた。特に、親友の自殺の理由は何だったのか? だけに謎を集約するのではなく、不自然な輸出入の実態であるとか、次々と「とかげの尻尾切り」よろしく証拠が隠滅されていく理由は何なのか? 等々、物語が進むにつれてかえって謎が深まるという展開は実に魅力的。 さすがに終盤、全ての伏線を回収していくあたり詰め込み過ぎのような印象もあるが、このタイプのミステリは割り切れた方が、余りが残るよりも良いので、こちらの方が良い。そして……巧い。

知られざる世界を覗き込む――という乱歩賞の一種伝統を踏襲したうえで、数多くの謎を効果的に引っ張り、読者の心をつかんで話さない。 これこそが誰がみても文句なしの受賞作。


04/09/19
山口雅也「PLAY(プレイ)」(朝日新聞社'04)

一昨年、実にデビュー作以来という長編『奇偶』をものにした山口雅也氏であるが、その著書の多くは実はシリーズものの中短編集に偏っている。とはいえ、その中短編集も新作としては『続・垂里冴子のお見合いと推理』以来? 『小説トリッパー』誌の'03年秋季号〜'04年夏季号にかけて掲載された作品で「ゲームの終わり/始まり」のみ「ホーム・スゥイート・殺人(ホミサイド)」から改題されている。

東都医大の球磨教授は難しい手術を難なくこなす外科医のエース。だが実業家で性格のキツイ妻を持ち、一人娘の理香も高校生にして親のいうことを全く聞かず派手に男と遊び歩くようになっていた。妻は妻で若い社員と浮気。そんな球磨教授の心を癒してくれるのは葉山の別荘の一室にあるぬいぐるみたちだった……。『ぬいのファミリー』
インド・シルク生産工場の責任者となった私はインドのヴァーラーナスィー(ベナレス)に妻と二人の子どもを呼び寄せ四人で暮らしていた。子どもは現地の日本人学校に通っていたが、長男の浩介がある日から急に猿の物まねをするようになった。姉の茜はそれをゲームの呪いではないかという。私は家族と共に浩介を現地の医者に診せるが……。 『蛇と梯子』
青いポリバケツのなかから頭を殴られ殺された若い男性の死体が発見された。捜査にあたった刑事は彼の携帯にかかってきた電話から、彼らが《隠れ鬼》のゲームの最中だったことを知る。東都大学の隠れ鬼サークルと引きこもりの社会復帰支援とが合わさった大人の真剣勝負の最中に彼は殺されたのだという。 『黄昏時に鬼たちは』
僕は秋葉原のコスプレ喫茶でレイヴン姫と待ち合わせをしていた。彼女の紹介で僕はリアルでクールな殺人ゲームを入手する。それは発禁になった人殺しゲームをその筋の天才たちが中身を一人一人に合わせて”カスタマイズ”するというもの。僕のゲームには自宅と家族のデータが取り込まれていた。そして僕は家に帰りプレイを開始する。 『ゲームの終わり/始まり』 以上四編。

退屈な日常から一歩踏み込んだ「遊びの時間」、そこからさらに一歩踏み込んだ世界に幻想とミステリを
題名通り「PLAY」つまり、遊びを主題とした四つの中編。ただ、ここが「趣味」であるとか「ゲーム」であるとか「遊戯」であるとかではなく、あくまで「PLAY」という語感であるところがポイント。題名とあらすじからも判る通り、ぬいぐるみ、ボード・ゲーム、隠れ鬼そしてテレビ・ゲームが今回の題目。これら「PLAY」にのめり込む人々とと山口雅也が度々描いてきた「妄想」が絡んで独特な世界を醸し出す。
――ただ、全てはあくまで現実の世界のなかにおいての「PLAY」であるのが、良くも悪くも本書の特徴。これまでの山口作品であれば(例えば『マニアックス』であるとか)「PLAY」の世界を舞台にしてそこで物語を構築する手法をとってきたのが、本書の作品の場合、現実世界を中心に据えそこが「PLAY」の世界と交わっていく……といったかたちとなっており、どこか読者を幻想世界に巻き込むようなパワーは薄い。登場人物たちの心情は理解できるけれども、どこか隔絶された別世界の話だなあ……という印象となる。もしかすると、これまでの山口作品に魅力を感じられなかった人々にとってはむしろ『PLAY』の方が肌に合うのかもしれない。
というわけでアプローチが同じ四つの作品なのだが、その物語の展開は四つが四つとも異なっている。『ぬいのファミリー』は、思うままにならない現実を「PLAY」の世界に取り込んでゆく話。『蛇と梯子』は否応なく「PLAY」の世界に引きずり込まれ、その世界から現実を直視させられていく恐怖譚。『黄昏時に鬼たちは』は、現実側にたった人間が職務上の理由から「PLAY」の世界を覗き込む話で、この構成ならではのミステリ・トリックが仕掛けられている。そして『ゲームの終わり/始まり』では、「PLAY」を通じてしか現実を認識できなくなった主人公を淡々と描くことで、その本人自体の存在を読者に恐怖と共に見つめさせる趣向である。
結果、もっとも『マニアックス』テイストに近い『蛇と梯子』の評価が高いというのも頷ける話となる。「PLAY」の持つ力が現実を凌駕するほどに強ければ強いほど、山口作品の魅力は増していくということなのだろう。

一応「PLAY」ということで統一されているのに、正直な印象でいえばかなりバラバラのテイストを持った作品が並んでるように思えた。山口雅也ならではの作品であることもまた間違いなく、どれも佳作ではあるのでファンならば読んでおいて損はない。


04/09/18
氷川 透「逆さに咲いた薔薇」(カッパ・ノベルス'04)

'00年『真っ暗な夜明け』にて第15回メフィスト賞を受賞後、名探偵役を作者同名の”氷川透”とし、主に講談社ノベルスを中心に活躍……というのが昨年までの氷川氏の姿であったが、今年に入り『各務原氏の逆説』など、新シリーズと思しき作品を発表しはじめている。本書もその一環で、既に帯に次作予定として『間に合わなかった寒椿』という題名がみえる。

テコンドーの町道場を開く父のもとで練習を積み、体育系大学でテコンドー選手となっていた椎名梨枝。彼女は、公務員試験の勉強中に片手間で出場した大会にて五輪出場権を惜しくも逃した――準優勝してしまった。その背景のせいなのかどうか分からないが、梨枝は警察官となって内部試験を経て、希望していた花形部署・警視庁捜査一課の刑事となった。その彼女が遭遇したのが連続女性殺人事件。犯人は死体の足の小指を切り取って赤い靴下を履かせており、同一犯とみられるがその動機が分からず犯人像が全く浮かばない。梨枝はインターネットを通じ、この事件と酷似した内容の小説が昨年刊行されていることを知り、出版社と作者にその事実を正そうとするが、彼らも思い当たる点はないという。梨枝はブレーンとして友人で探偵の素質を持つ祐天寺美帆と共同歩調をとって犯人を追い詰めようするが……。

果たして、単なる軽めの本格ミステリなのか、それともこれは「最後から二番目の真実」なのか
作中の椎名梨枝という人物は恐らくこの作品が初登場であるが、探偵役の祐天寺美帆なる女性については氷川氏の第三長編にあたる『最後から二番目の真実』に登場している。奔放で我がままな性格とか(強調されているようだが)は、前作でもその片鱗は伺えたし、実際、氷川透の登場する『最後から…』においても、彼女は「ある意味での」探偵役として役割を果たしている。その意味ではシリーズ一冊目とはいえ、事実上の二冊目という見方もできる。
本書は近年のノベルスという出版形態を考えてもかなり薄めの作品である。扱われている事件も連続殺人とはいえ、一つきり。つまりは、死体を損壊させ装飾する連続殺人鬼を見つけだすフーダニットというもの。無差別殺害に近い状態のなかで、事件が小説をなぞっていることが発見され、その関係者が疑われるが被害者との接点はない。事件と小説の違いの意味とは、そして真犯人は? という展開。容疑者が少ない分、展開が早く感じられる。犯人が設定されたあとの捜査側と犯人とのロジックがぶつかり合う手続きに、論理を重視する作者らしさが垣間見えた。

ただ――氷川透という作者は物語を閉じた後に思い悩ませてくれる。(おかげで書評が大幅に遅れた)。本当に、作品内で示された解決でいいのかどうか、確信が持てないでいたのだ。それを否定する言辞は作品内には全くない。だが、本格ミステリにおけるゲーデル問題を意識的に使用する作者が、こんな当たり前の(トリックとしてはそれなりに説得力はあるとはいえ)作品を書くかな、という疑問は止まらない。
引っ掛かるのは、探偵役が祐天寺美帆という点(これは『最後から二番目の真実』を読んでいなければ、その意味は見えなかろうけれど)。またその美帆が安楽椅子探偵であり、梨枝と異なり全ての手掛かりを掌中に入れているとはいえない点。また小説内の作品の作者の側にいる思わせぶりな人物……といったあたりから、別解釈もわざと成り立つよう投げかけているようにみえて仕方ない。つまりは(ネタバレ反転)仮説1 実際の犯行は作者が実行したものではなく、難波が実行していたというもの。 仮説2 そもそも問題の作品は作者である朱星ではなく難波が書いたというもの。このあたりの可能性を美帆は知り得ていない。→最後から二番目の真実? (ここまで)そういったあたりの可能性があまり検証されていない点が不思議に思える。このあたりを「匂わせる」だけで、裏に何かあると想像させることが作者の狙いだとすれば、それは成功しているといえるだろう。ただ、小生の意見についても牽強付会な部分もあると思うし、結局のところ自分自身でも未だ確信が持てないでいる。

これで次作になるという『間に合わなかった寒椿』で、この『薔薇』の解決内容を否定するような記述があったら面白いな――などと考える小生も性格が悪い。とはいえ、何も考えずに表層通り物語を追うのが良いのかもしれない。


04/09/17
荻原 浩「メリーゴーランド」(新潮社'04)

荻原氏は'97年に『オロロ畑でつかまえて』にて第10回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。その後『誘拐ラプソディー』『ハードボイルド・エッグ』等、ミステリー寄りのエンターテインメント小説を著しており、個人的には興味ある作家の一人。'03年には『コールドゲーム』が山本周五郎賞の候補にも選ばれている。

人口七万人の地方都市・駒谷市。遠野啓一は九年前にそれまで勤めてきた家電メーカーを辞め、市役所に再就職した。それから結婚し長男長女が産まれ、当初はあまりにもギャップの大きかった民間企業との意識の差にも慣れきった。スローライフ。大きな満足もないかわり、大きな不満もない。そんな折り、彼は異動により「駒谷アテネ村」の再建に携わる業務につくことになった。駒谷アテネ村とはかつて町おこしで建設された第三セクターのテーマパーク。お役所仕事の結果建設されたその施設は魅力がなく、大赤字を垂れ流している状態であったが、元より関係者は誰もそんなことを気にしていない。『アテネ村・リニューアル対策推進室』も市長の肝いりではあったものの、選ばれたメンバーは誰も本気で仕事をしようとは思っていなかった。しかし、啓一は第三セクターにおいて行われた企画会議において発表されたあまりの企画のしょぼさに嫌気が差し、気付けば新たな企画を成功させようと意欲を燃やすことになる――。

閉塞感に風穴を。現状不満には行動を。 現代に甦るサラリーマン小説!
帯には「宮仕え小説」という言葉でこの作品が形容されている。僻地に建設された時代遅れのテーマパークを再生させようと頑張る異色公務員を主人公としたこの物語、ふた昔前であれば"サラリーマン小説"とでも呼ばれる(たとえ主人公が公務員であっても)類いの作品である。当時の作品群に比べると、お気楽サラリーマンは公務員となり、無能の上司は官僚主義や田舎ならではの金権体質と事なかれ主義となり、獲得すべき案件も単なる大きな商談や画期的な新製品をライバル社と争いながら戦うところが、万年赤字のテーマパーク再生(ということで相手は一般消費者)となる。また、必ず存在する会社の花ともいえる女性社員は、そのまま連れ添った妻に役が振られている。そう考えると、同じ宮仕え小説であるのに、時代が変わると設定も大きく変えなければならないものだなあ……と、本来の物語とは異なる意味で感慨が湧く。とにかく本作、不況や地方公務員の現状等々、現代に即したテーマと設定も的確になされており、今がまさに旬という印象。
ただ、この作品、家電メーカーでかつて命を削って働いた経験のあるサラリーマンの中途転職、しかもUターンというちょっと(現実にはそう珍しくないだろうけれど、物語のなかでは)異色の経歴を持つ男が主人公。その周辺を彩る劇団の座長をはじめ、破天荒な登場人物たちが良い味を出している。特に棟梁の孫息子で暴走族あがりというシンジの存在がアクセント。ある意味、どんなに困難な事案であろうが、エンターテインメント系の小説ではそれが一応最終的に達成されるという結果については読者は(想像というかたちとはいえ)知っているわけで、その"過程"がいかに彩られるかがポイント。本書はそれを破天荒な登場人物と彼らを利用した、アイデア勝負で低コスト、そして役所の官僚主義ゆえに無能な(語弊はあるが)上司たちを様々な手腕で出し抜く――という方法論で達成している。途中で抵抗勢力の間をすり抜け、押しつぶしながら目標に突き進むあたりの快感が堪らない、痛快。
ただ、イベントが成功裏に終了した段階でまだページ数が少々多めに残っている点が読んでいるあいだ気になった。この後日談ともいえる一連の話が、浮ついた成功体験を吹き飛ばしてしまう。確かに現実は残酷。だからこそ夢は夢のままでも良いのに……とも思う。

こういった土壇場からの起死回生の逆転劇を書かせると荻原浩は抜群に巧い。この作品の帯にいろんなジャンルのいろんな方の名前があるが、誰が読んでも納得/満足できるだけの普遍的な面白さがあるということ。ミステリ界隈に限らず「面白い小説」が読みたいという方には素直にお勧めできる作品


04/09/16
古神 陸「アストラルシティ 猛き神の紋章」(勁文社'93)

イラストは小林智美。かつて『月刊POPCOM』誌に連載されたファンタジー・アクション・ノベルが単行本化されたものである。知る人も多いと思うが、本作品の作者「古神陸」とは、後の馳星周氏である。『不夜城』でブレイクする以前の修業時期の作品ということになる……のかな。

二十世紀末。混沌とし民族同士の争いや戦争を続ける人類は、突如地上に降臨した神々によって宣言された「最終戦争(ハルマゲドン)」の結果、深刻なダメージを負った。地球上の主要都市の幾つかは壊滅し、人類はその人数が五分の一と激減。神々の指導のもと再生を進める人類は数十年をかけて主に七つの都市を中心に復興を進め、神に霊的な力を与えられた「霊的守護者(アスプ)」が人々を指導した。しかし、時が流れるにつれ、人の心の中から信仰心が徐々に薄れはじめ、どこの都市にも属さないフリーランスのアスプが暗躍するようになった。金剛界都市にて酒場の用心棒を務める聖武斗(ひじり・たけと)もその一人。スサノウ神のアスプである彼は、上層部にスカウトされるような強烈な力を持ちながら、孤独に生きる道を選んでいた。彼の側には彼の監視を命ぜられて以来、母性愛から彼を愛するアスプ・綾がいた。一方、武斗は街で襲われる一人の少女の悲鳴を耳にし助けに走る。愛香(まなか)と名乗るその彼女は、なぜか武斗の持つ力を増幅させることができた。

ノワール系ファンタジーからファン主導の萌え世界へ? 登場人物が徐々に魅力をまとってゆく
最初に世界観がぽんぽんぽんと提示され、その畳み掛けるようなテンポの速さに少々驚いた。つまりは、この作品世界は神々によって一旦大破壊され、そのうえで幾人かの神々の力を仰ぐことで再復活した都市が舞台となっている。そしてかつその神々同士がまた内々に争いを開始しつつあり、主要登場人物はそんな神の力を受け継ぐ超人である……噛み砕けばそれほど難しいものではない。登場人物同士がそれぞれの思惑に従って戦いを続けていく話なのだから。
その展開、物語性よりも、この作品の特徴はむしろ、徐々に魅力を増していく登場人物の描写にある。 作者があとがきで述べているのだが、本書が掲載されたのは「POPCOM」というパソコン誌であったことが幸いしたのか物語の魅力に読者が気づいたのか、イラスト入りのレターが数多く寄せられたのだという。その結果、読者の望む方向へ作者も登場人物を近づけていかざるを得なかった、そして結果的にそれが登場人物に厚みを加え、それがまた物語の魅力を増す方向へと繋がった――ということのように感じられる。作者自身が設定した登場人物の当初の雰囲気は後に馳星周名義で書かれるノワールの雰囲気にかなり近いのだが、徐々に温かみが付加されて変貌といってもいい変化を遂げているのが面白い

とはいっても物語に手抜きがあるわけではない。筋書きを抜き出せば、アクション・ファンタジーの王道ともいえる展開で、戦いシーンが少々多めで派手なくらい。冒険小説で鍛えた作者の筆の冴えは一筋縄ではなく、アクションシーンの迫力やなかなかに奥深い謀略・諜報戦など見所が多く、大人の読者も引き込むだけの荒々しい面白さも内包されている。

うーーん、当初は「恩田陸以前の"陸"」、古神陸名義にて描かれた馳星周がどんな作品を書いているかという興味で手に取っただけなのに、奇妙に続きが気になる。なにかに乗せられているような気もするのだけれど。機会があれば読んでみたい。(入手してないんで) ただ、ライトノベル系統にあたるので、馳ファン以外の普通のミステリ読者がわざわざ捜す本でもない……か。


04/09/15
横溝正史「びっくり箱殺人事件」(角川文庫'75)

ノンシリーズ長編『びっくり箱殺人事件』に、金田一ものの短編『蜃気楼島の情熱』がカップリングされている。『びっくり箱』は戦後すぐ'48年に『月刊読売』誌に連載された作品で後に探偵作家クラブの文士劇の原作にもなったのだという。、そして『蜃気楼』は'54年9月に『オール讀物』に発表された作品。

東京の興行界でも評判の梟座。こちらの呼び物は『パンドーラの匣』という美女が高高と足を挙げるレビューに、小説に随筆、脚本なんでもこなす深山幽谷先生のアイデアのスリラーを取り入れた出し物。このレビューは好評をもって迎え入れられたが、その七日目にして事件が発生する。深山先生が呼び込んだ俳優たちやマネージャーら男性陣が、レビュー開始前の楽屋裏で次々と殴られたのだ。その混乱が収まらないなか、演劇の最中に「パンドーラの匣」を開けた男優が、中に仕掛けられていたバネ仕掛けで飛び出すナイフによって胸を貫かれて死亡してしまう事件も発生。本来、匣を開けるはずだった紅花子を狙った反抗かと思われたが……。 『びっくり箱殺人事件』
骨休めのため、久しぶりに岡山のパトロン・久保銀造宅を訪れていた金田一耕助。久保は海外帰りの大金持ちの志賀と金田一を引き合わせようとした。志賀は初子ができた悦びで地に足が着いていなかったが、妻の弟の葬儀のために妻の実家に向かってから、その明るい性格が息を潜める。どうやら妻の親戚から彼にショックを与えるようなことを言われたものらしい。 『蜃気楼島の情熱』 以上二編。

えっ? 横溝正史の作品にこんなものもあるの? トリックよりもその構成と登場人物、語り口に奇妙に惹かれる
何も知らずにこの作品を読んだとして、果たして「等々力警部」という固有名詞を抜きに、果たして作者が横溝正史だと見抜くことができるかどうか、甚だ心もとない。というのも作者が文章に妙に凝っているのである。軽妙洒脱を狙ったというか、ユーモラスを心がけたというか。現代的な視点で読むに少々時代がかった印象は拭えないものの、全編におふざけのような語り口、そしてエピソードが溢れている。特に、新聞記者・野崎六介(これはかの作家/評論家と関係があるのだろうか?)を中心とした男女のどたばたぶりなどは、誰が読んでも微笑みを誘う楽しさがあるはず。何のことかはここで触れないが「モギャー、キャッ!」のエピソードなど実に秀逸。

一方で、その物語そのものは劇場内部の連続殺人事件を描いており、びっくり箱からナイフが飛び出し人が死ぬのを皮切りに、犯人を見たという人物や事件の鍵を握ると思われる人物が次々と刺し殺されるという陰惨なもの。ちょっと連続殺人を維持するのには動機弱いことと、かなり偶然の要素が多いので本格ミステリとしての要件を揃えているとはいえない。だが、この全体を通じての、語り口からリードされる奇妙なハイテンションの明るさがその雰囲気を和らげている。なんにしても、びっくり箱という小道具が、とにかく良い味を出している

もう一編収録されている『蜃気楼島の情熱』は、金田一耕介ものの短編。明かされる動機のどろどろさ加減は凄まじい。簡素ながら死体移動のトリックと、手がかりの提示方法が冴えた本格ミステリの佳品である。うまく扱えば長編を支えることもできたように思われるが、短編であっさり、そして綺麗にまとめてしまっている点、好感。

『獄門島』や『本陣殺人事件』のあとにいきなり本書などに入ってしまうと読者が戸惑うことは間違いないが、偉大なる通俗小説作家としても評価できる横溝正史の別の横顔を知るには好適。横溝作品をかなり読まれている読者で本書はまだ、という方は手に取る価値があるものと感じた。


04/09/14
貫井徳郎「失踪症候群」(双葉文庫'98)

慟哭』にて'93年にデビューした貫井徳郎氏の三冊目となる長編で、'95年に双葉社より刊行された。このあと『誘拐症候群』『殺人症候群』と続く「症候群」三部作の第一作目にあたる。'98年に文庫化されているが、当時のカバーは現在の双葉文庫のものとは異なっており、その体裁が『誘拐症候群』や『殺人症候群』と揃っていた。(『失踪症候群』の単行本は後の二作と装幀が異なっている)。

警視庁でも決して重要なポジションではない人事二課。所属する環敬吾は窓際族とも思われているが、実は庁内でも知る人ぞ知る特殊な業務を託されていた。捜査一課などが動く程でもない事件性の薄い事件を託される遊軍としての役割である。その環は、刑事部長より秘密要請を受けた。刑事部長の親戚の若者が失踪したのがきっかけで調査を行ったところ、最近都内で失踪した若者にちょっとした共通点が浮かび上がったというのだ。環は、警察を事情があって退職した有能な人間をスタッフとして起用しており、彼らを招集。普段は日雇い労働者の倉持、托鉢僧をしている武藤、そして私立探偵の原田はそれぞれ無作為に選んだ失踪者を捜し始める。ただ、その原田の娘が、原田の警察退職を機会に非行に走っており、この事件を捜査している途中に家出をしてしまう。

スピーディな展開、錯綜する謎に創出される謎。社会問題をくるんでの強烈エンターテインメント
……貫井作品とはデビュー当時から出会っていた訳でなく、実は最初に読んだのが文庫化された直後のこの作品(ということはたったの六年前ということになるのか)。その初読の感想も一時期、このサイトにてあげていたのだが都合により削除してしまっている。ちなみに、その時のコメントでは(引っ張り出すのはちょっと恥ずかしいながら)ベタぼめ。「……この作品は凄いよ。ホント凄い」だとか「超一流のエンターテインメント作品」だとか「ジェットコースターみたく読めるので、試す価値あり」だとか。とはいっても、再読してその気持ちが変化するようなタイプではないのだ。あれから千冊以上ミステリを読み重ねた今、それでもその気持ちは変わらない。改めていっておこう。「この作品は本当にすごい」と。

 当時も(もしかしたら今も)言われているかもしれないのが岡嶋二人『眠れる夜の殺人』との設定の近似。だが、もともと貫井氏はその設定に近いものをもとより目指したものであり、元より「本歌取り」の性格を持つ作品であることは作者自身が述べている。とはいっても、現代版の仕事人(ないし『ハングマン』)を目指すためには、いずれにせよどこかは似た設定となる必要がある筈。寧ろ、物語展開の妙が岡嶋二人の方法論に近いところに読者が微妙に反応したのかな、と今となっては思う。というのは、冒頭に謎をぶつけつつ、その謎が別の謎を次々呼びこんで物語が膨らんでいく――というあたり岡嶋作品のポリシーとそっくりではないか。
ちょっとした謎から、暴力的なバンドへ、イリーガル・ドラッグ、家族テーマ……等々、社会派ネタを重ねて織り込んでいきつつ、暴力的な悪人たちが、適度な「正義の力」をもって潰されていくという快感。(実は「力」というものが本シリーズの一つのテーマだと思われる)。次々と現れるエピソードがさらに伏線となって次へ次へと繋がってゆき、ラストに至るまでのスピード感がとにかく素晴らしいし、エンディングも心地よい。「あいつら」の正体などちょっとしたサプライズも気が利いている。力が籠もっているのに、肩からは力が抜けた自然体でのエンターテインメントの傑作。

この作品はもっと一般的に(例えば『新宿鮫』のように)読まれるようになって欲しい。『慟哭』とは少し角度を変えた貫井作品への入り口として、こちらも相応しいものがあるはずだから。


04/09/13
浅暮三文「嘘猫」(光文社文庫'04)

題名は「うそねこ」と読む。光文社文庫創刊二十周年記念にて書き下ろし刊行された文庫オリジナル。『石の中の蜘蛛』にて日本推理作家協会賞を受賞後、着実に著作を重ねるグレさんの作品において、今回はじめて「アサグレ」なる好青年が登場する。ファンタジックな自伝的青春小説。

一九八四年、今から二十年前、アサグレ青年は二十四歳であった。大阪の広告会社に就職が決まっていながら、広告の仕事が集中する東京での就職を希望したアサグレ青年は、頭を丸めて詫びを入れて上京、荻窪の常磐荘というアパートの六畳一間を借り、何もないところから生活をスタートさせる。だが、人間関係から入社したプロダクションをクビになったアサグレ青年は再びの就職活動を余儀なくされ、ようやく広告代理店・Z社への就職が決定した。そんな折りの梅雨時のこと。一匹の野良猫がアサグレ青年のもとを訪れる。ミヤと名付けたこの猫、アサグレ青年と少し仲良くなったかと思うと、いきなり布団のなかに子猫を五匹産み落としてしまう。捨てるわけにもいかない。心優しきアサグレ青年は、彼らのために環境を整えミヤを含め六匹の猫たちとの共同生活を開始するのであった。

この内容、嘘か真か分からないけれど、グレさんを身近に感じてしまう。猫好きと、アサグレ氏本人を知る方必読
小生、浅暮三文氏御本人を存じ上げている――といっても、ネットミステリ界(SF界でも)においては浅暮さんはMYSCONをはじめマメに各種イベントに参加してくださっており、直接会ったことがあるという方も相当多いはずだ。かなり年下の小生がいうのもなんだが、御本人は話題が豊富で話術が巧み、芸達者でもあってとても面白い方であり、話をしていると実に楽しい。そんな浅暮さんの自伝的小説。読まないわけにはいかないじゃないですか。
で、これが想像以上に面白い。いや単純に面白いといってはいけないのだろうけれど、やっぱり面白いのだ。単身上京したアサグレ青年(浅暮と漢字では本文に書いていないことだし)が、ペット禁止の下宿でこっそりと猫を飼う話を通じて、アサグレ青年自身の青春と、子猫たちの成長を描き出している――というもの。こう書いてしまうと他愛ない。けれど、さりげなく上手な文章と構成力によって描かれるそのポイントポイントが実に印象的な内容になっていて、テンポ良くするすると読めてしまう。恐らく八割方実際のエピソードではないかと想像するのだけれど、その扱いや呼吸が巧く、笑いのツボや泣けるツボが作者の思惑通りに刺激されてしまうのだ。たまりません。

例えば、産まれた子猫五匹が出勤するアサグレ青年を見送る場面。「お父さん、いかないで、どこへいくの? 僕らを置いていかないでの大合唱なのである。子猫たちの行動範囲はその庭の角までが限界なようで、そこから先は恐くて僕を追いかけてはこない。庭の角で、いくないくなと泣き続けるばかり。」 また、仕事から帰ってきたアサグレ青年を迎える場面。「そして子猫たちは無事だろうかと心配しながら、仕事を終えて帰ってくると、庭の角で五匹の子猫は、帰ってきた、帰ってきた、お父さん、僕たちここですと大騒ぎで鳴き、部屋に戻る僕の横を駆けると、僕がドアを開けるのとほぼ同時にばたばたと猫用の扉から走り込んでくる。」 浅暮さん、ズルイです。なんか。場面が目に浮かんでくるじゃないですか。

アサグレ青年が上京して、猫との暮らしだけでなくコピーライターとしての苦労を重ね、そしてようやく大人のステップを一歩昇るまで――の物語である。SFでもなくミステリでもない。(ちょっとだけファンタジーの要素があるようには思うが)。それだけの話なのに「ああ、なんかいい話を読んだー」という気分にしてくれる。

猫の描写は猫好きならではの愛の視線に満ちており、猫好きの方が読んでもすっきり納得、そして感情移入できる内容ではないかと想像する。また浅暮さんのお人柄を知る人にとっては、本書そのものがこれ以上ないプレゼントになるように思うのだ。ということで上述の通り、猫好きと浅暮さんを知る人は必読のこと。決して損はしません。


04/09/12
柄刀 一「火の神(アグニ)の熱い夏」(光文社文庫'04)

光文社文庫創刊二十周年記念にて書き下ろし刊行された文庫オリジナル。『OZの迷宮』等に登場する柄刀氏擁する名探偵の一人、南美希風が探偵役を務める長編(ちょっと短め)作品である。(ところで、火の神と書いてアグニと読むといえば、どうしてもあの作品が思い浮かぶ……系統は全く別だけれど)。

実業家で巨万の富を持つ加瀬恭治郎は、六年前に妻を何者かに殺され、犯人が特定出来ないまま未解決になっている事件に遭遇していた。その恭治郎は四日間の休暇にあたり、ゲストとして信頼できる身内と腹心と共にいくつかある生活拠点の一つであるレクリエーションエリアにやって来た。司法試験コースのある予備校に通う”僕”もその一人。めいめいがその時間をエンジョイしていた矢先、兄と共にジョギングしてきた父が、”ハウス”に入った直後、ガラスが割れる音がして火事となった。火は近くにある火力発電所の消化班チームらによって消し止められたが、父と思われる変わり果てた遺体が発見された。検屍の結果、父は何者かに刺されたうえ、特殊な溶剤によって焼き殺されたのだという。しかし、複数の人々の監視があった結果、誰も”ハウス”に近づいていないことが判明する。しかも部屋の中には、誰もが触れることのできる筈のない母の遺品が残されていた。監視カメラによって守られた敷地内には誰も近づいておらず、その時その場所近辺にいた人物の仕業であると思われたのだが……。事件の直後、叔父夫妻によってカメラマンとして連れてこられた南美希風は、現場の様子を調べはじめる。

文量は少ないながら事件の謎は大きくロジックもすっきり。本格ミステリのお手本的作品
表紙買いしたものの、ページを開いて少々驚く。活字と活字の間、つまり行間が妙に広くすかすかなのだ。うーん、何となく騙された気分だよな……と読み出したところ、内容自体は決して薄くないかっちりとした本格ミステリだったので逆に驚かされてみたり。(ただ、苦言をいうと内容に比べてプロットに凝ったせいか、特に序盤はなかなか情景が頭に浮かばなかった。再読するとすいすい入ったのだけれど)。
事件の方がなかなか魅力的。当初は単なる放火殺人と見せかけておいて、その様相が目まぐるしくも変化する。確かに放火は放火なのだけれど、その前に被害者がナイフで刺されている。それに持ち出し不可能、持ち込み不可能の母の遺品が現場にて発見される。偶然とはいえ、複数の人間が現場を見張っており、一見、誰にもその犯罪の実行可能者がいない――。フーダニットでありながら、アリバイ崩しとハウダニットが程良く混じり合った謎が提起されていくのである。
特に感心したのはハウダニットのあたり。この殺人を計画して実行した犯人がなぜそのような(ある意味突飛な)やり方をしなければならなかったのか。単なるトリック・ミステリであればそこに理由など不要なのだが、本書の場合物語のなかでそこに意味づけを周到に付加している点に感心させられる。序盤や中盤のほんのちょっとした記述が、色々な伏線として機能している点も終盤に気付かされる。これもまた、中編に限りなく近い分量でありながら、この作品の密度を濃くしている要因の一つといえる。つまり、短いのに中身は濃い作品なのである。幾つもの要素を組み込み、それらが有機的に繋がっている点が明らかにされるため、トリックを愛する方も、解決に至るロジックを愛する方も、サプライズを重視する方も楽しめる作品に仕上がっている点は特筆すべきだろう。(文章がこれでもう少し読みやすければ……)。傑作とまではいわないまでも、柄刀氏の読者へのサービス精神は発揮されたまま、これまでの重厚長大さから少々抜け出せそうな雰囲気を持つ佳作である。

真夏日の日数を更新するなど、ひたすらに暑かった今年の夏を象徴するようなミステリ。舞台となっている季節が夏ということもあるが、火事以前にどこか全体に”暑さ”を感じさせる。ただ、ミステリの謎解きはひたすらにクールなのでそういった意味では清涼剤みたいなミステリかもしれない。


04/09/11
藤木 稟「眠れない夜のための短編集」(新潮社'04)

'98年に『陀吉尼の紡ぐ糸』でデビュー後、ミステリー、ホラー、ファンタジー、SFと多彩なジャンルにわたって意欲作を発表する藤木稟さん。本書は『小説新潮』誌の2002年7月号から2004年8月号までのあいだに発表された四編を集めた中編集。

生理学教室が行う実験の被験者募集にアルバイトとして応募した僕。外界からの刺激を全く無くした真っ白い部屋のなかで空白に苦しむ僕は実験を終えたあとも、心に変調をきたしていた。あちこちにある物や人に「穴」が開いているのが見えるのだ。治療しても治らないこの幻視だったが、僕はその穴に触れてみると実際に穴のなかに身体が入り込むのだ……。 『内と外』
四十三歳の私は大手家電メーカーの庶務課に勤めている。家族からもほとんど無視され、会社でもリストラに怯える日々。特に庶務課内にある『肩叩きのデスク』の存在が私の心を暗くしていた。そしてある日、私は会社内にいる影法師の存在に気が付く。灰色の影のような物体が会社を闊歩しているのだ。私以外の誰も気付いていないようだが……。 『影法師』
インターネットの女の子部屋覗きサイトの相手「ひとみちゃん」に釘付けの俺は、七年間引きこもりを続ける新堂晃一二十七歳。鬱状態に陥りそうになっていた俺はひとみちゃんと電撃的な(と自分では信じている)出会いを彼女としてしまう。彼女を思うあまりに、俺はいつの間にか妄想を実体化する能力を身に付けてしまい……。 『妄想』
探偵事務所を開いている向田のもとに訪れた依頼人は中年の女性。彼女は行方不明になった娘の行方を捜して欲しいのだという。失踪人は十七歳の美佳。彼女は携帯から時々電話を寄越し、助けを求めるのだが、その場所に行ってみても彼女はいないのだという……。 『サカイヨ』 以上四編。

眠れない夜をより眠れなく。設定の魅力よりも、この後味の苦さがどうしても心に残る中編集
ノンシリーズで特に題材に統一性はないかわり、多彩なテーマが登場する。 生体実験→特殊能力→恋愛物語と転じる『内と外』、ネット内での妄想→現実世界の妄想→日本全体を巻き込むドタバタ劇となる『妄想』は、示した通り、主人公が中心となり扱われるテーマが中途より目まぐるしく変転していく(その意味ではどこか与えられたテーマを百パーセント生かし切れていない一抹の残念さもある)。一方、『影法師』は、リストラ寸前のサラリーマンが徐々に影法師の恐怖に怯える物語で、また『内と外』は探偵が巻き込まれる奇妙な現象をストリートとともに描き出した作品で、この両者は一つのテーマに集中してじっくりと雰囲気を醸成しているタイプである。
どちらのタイプもメインとなるテーマの扱いに独自性があり、そこから創り出される物語感覚もかなり突飛な方向性を持っており、特異な物語世界を小気味良く構成してくセンスはなかなか。一方で、オチというかその世界の終末については「こちらに行くしかないんだろうなあ」というところに持って行かれるのだけれど、そこに適当な救いを与えず、後味の悪さだけが残るのが逆に面白い。 これでは物語を終えた後、すっきり眠れるわけがないではないか。(だから「眠れない夜のための」、なのか! ハナから眠ることを放棄させようって訳だとしたら分かる)。
作者が女性だからという偏見があったら申し訳ないのだが、男性の性的な欲望についてかなりリアルに描けているとは思う。思うのだが何というか薄皮一枚の突き抜けが足りないせいで男性にとっての現実としてしっくりと感じられない。頭では理解できるし、書きたいことは分かるんだけれども、本当の意味の男性が持つ痛さみたいなものがあとほんの少し足りないような……。(これは個人的な思いなので他の方はそうは思わないかも)。

ちょっと最近、藤木作品とご無沙汰でもあったので表紙の写真に惹かれて購入してみた。当初こそ本格ミステリ(京極系と呼ばれていた時期が懐かしい)指向だった作者があれよあれよという間に多彩なジャンルに進出していった訳だが、その現在の作者の姿がぼんやりと見えた気がした。