MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/09/30
射逆裕二「みんな誰かを殺したい」(角川書店'04)

第24回横溝正史ミステリ大賞の優秀賞・テレビ東京賞の受賞作品。射逆氏は一九六五年東京生まれ。本書がデビュー作品となる。

相馬文彦は関東近郊の峠の頂上付近で、ひとりぼんやりと離婚した妻に対する想いを温めていた。そんな彼の視界に入ってきたのは白いマークII。降りてきた禿頭の中年男をもう一人の小柄な痩せた男が鉄パイプでめった打ちにして殺害するのを文彦は目撃してしまう。一方、町村寄子はひなびた温泉宿で自殺を決行しようとしていた。男運の悪い彼女は人生に絶望していたのだ。そこに止めに入ったのは仲居をしている女性。「男は殺したの?」と不思議な問いかけをする彼女は、「どうしても死にたいなら男を殺してからにしなさい、私がアリバイを作ってあげるから」という。寄子は翌日、吹っ切れた顔で旅館を後にする。車を運転しながら峠に差し掛かると、男が手を振っている。相馬と名乗るその男は、ここで殺人事件があったのだという。携帯が圏外なので麓のガソリンスタンドまで連絡をしにいくあいだ、寄子は殺人現場で待つことになった。間もなく警察がやって来て二人は殺人事件の発見者として聴取を受ける。それが終わり、自殺するつもりで綺麗に磨き上げた自宅に戻った寄子は、テレビをつける。自分の発見した事件の前に報道されていたのは十一年前の殺人事件の容疑者出頭のニュースであった。そこに映されていたのは、自分を見送ってくれたあの仲居・宮寺厚美だった。

本作も面白いがそれ以上の才能を予感。プロット転がしから生まれる軽めの現代風サスペンス
選評にもあるように後半部に少々の欠点はあるものの、全体を覆う奇妙な軽快さと、併せて存在する奇妙なサスペンスは特筆もの。 複数の「人を殺すに至る人々」の背景や動機、実行方法といったプロットを錯綜させてゆく。淡々とした軽やかな描写と思いがけない残酷な描写とが、全体的に軽やかといっていい筆致で描かれており、内容は決して明るい作品ではないのに不思議と爽やかな印象を残す。
また単なるプロット転がしだけでなく、ミステリとしてのサプライズが幾つか仕込まれている点にも驚いた。(そういったタイプの作品ではないよなー、と思い始めていたところでいきなり来たので余計に)。緩急をつけた投球によって、決してそれ自体速くない直球が、もの凄い剛速球と見紛わせられるがごとく。特に、交換殺人した相手の正体が、つけ回していたにもかかわらず全然別人だった……というあたりは実にみごと。殺人を実行した人物までもが「何でこんなことになったのだろう?」と訝しむあたり、読者も同様に煙に巻かれてしまう。その真相はちょっと強引な気もしないでもなかったが、登場人物の性格付けよりも、この「プロット転がし」を重視した結果だと思えば、物語全体の構成のうえで納得はいく。というか、これだからかえって面白くなっているとも考えられる。
射逆とかいて「いさか」と読む筆名のせいか、現在人気絶頂のもう一人の「いさか」つまりは伊坂幸太郎との微妙な作風の近さを想起したのは小生だけではないだろう。本作を見せつけられると、次作はもっと凝った作品が出てくるのではないか、という期待が膨らむ。もの凄く特殊なことを書いているわけではないのに、どこか次世代を感じさせる作品に出会った感。

才能というよりセンスを感じさせる作風に好感。この作品も十二分に面白いが、長い目でこのレベルの作品をコンスタントに打ち出せれば人気作家への道を進むのではないか。強いていえば、あと必要なのは微妙なセンチメンタルな部分をもう少し織り込むことかな。


04/09/29
桐生祐狩「物魂―ものだま―」(ハルキ・ホラー文庫'04)

夏の滴』にて第8回日本ホラー小説大賞の長編賞を受賞してデビュー。『フロストハート』『剣の門』等の著書がある。

サブカル評論家・吉見昌弘が中心となって、その周辺に集まる人々。編集者の中尾と四十沢、占い師の玄武リドヴィーナ、歌人の遊佐緑子ら、彼らは健啖家が揃っており大ボリュームのある食事会を開きつつ、近く開催される『少女の鑑』というイベント準備を行っていた。ある日の食事中、彼らの前に謎の人物がやって来て、彼らが残らず死ぬという予言を聞かされる。事実、メンバーの一人である四十沢は他殺死体で発見された。その死体から判断するに生きたまま挽肉の機械に放り込まれたのだという。彼らはかつて、吉見の弟子を一人サークルから追い出した後、人形に対してある”行為”を行っていた。その呪いが彼らのもとに降りかかる。一方、人形を修理する「半月堂」主人を追い求める祐里子は、検索をかけようとして入ったインターネット喫茶で、一人の人物と知り合う――。

浮世離れした支離滅裂な登場人物のなかに、呪いのテーマが実に似合う。作者がもたらす奇妙な感覚の虜にされる
これでもかなり控えめに落ち着いたというべきなんだろうけれど……。 まだ二冊しか読んでいないのに断言するのはまずいような気もするながら、桐生作品における不思議な魅力はその物語性よりも、奇矯ともいえる登場人物にあるように思う。本作においてもその人物造形は健在で、それだけで実に楽しませてくれる。早熟の天才ながらドロップアウトしてしまった四十沢、食べることに異常な執念を燃やす真ん丸体型の中尾、ファッションヘルス嬢で大金を稼ぎながら、全くそのことに頓着しない祐里子、集団に所属することに汲々としながら全く周囲に対する気配りを喪っている緑子。なんというか、普通なようでいてその感覚にどこかネジが外れている――といった人々が多数登場する。
物語としては、復讐もの(と、ひとことでまとめるのも問題あるか)。かつて、サークルの人々がある人形に対して行った残酷な仕打ちに対して、復讐心の固まりと化したその人形が人間に対して更に残酷な復讐を行うというのが大筋。だが、フォントを変化させたプロットを登場させて登場人物の行動の時制を変化させたり、その人形そのものの独白を加えるなどのアクセントがある。ただその結果、当初は物語の方向性がよく判らない。(ある意味、この序盤の物語の迷走も桐生作品の特徴といえるかもしれない)。中盤以降は、ある程度のポイントは見えてくるものの、ホラーとしての落としどころが見えないがゆえに、読者として不安定な気持ちにさせられる。これがまた、奇妙な魅力となる。唐突にどんな酷いことが発生しても仕方ないような気分にさせられるというのは、この作者の作品特有の感覚ともいえる。
ホラーとしての恐い、恐くないというのは個人差がある。だが、理不尽かつ残酷な殺人描写があることは付記しておかねばなるまい。個人的には最初の殺人の、描写よりも死体の状態の方に奇妙な迫力があって背筋に来た。

この作品のみを万人に勧めるのはちょっと気が引けるのだが「桐生祐狩」という作家については(つまりは本作も引っくるめて)なんというか不思議な魅力があって個人的に離れがたい気分。『夏の滴』の桐生祐狩と、その後の彼女の作品とのあいだに微妙な差異があり、その点がツボに嵌るかどうかがひたすら読者を分けるポイントである。


04/09/28
戸梶圭太「天才パイレーツ」(朝日新聞社'04)

「小説トリッパー」誌に二〇〇三年春季号より冬季号にかけて掲載された作品の単行本化。トカジ作品としては珍しく装幀や作品内のイラストを別人(スガワラユウコさん)が担当されており、ちょっと雰囲気は異なる。内容はトカジ節である点は変わらないのだが。

ヤチヨ船舶という会社が主催で『ロードパル』という団体が開催する船上セミナー。定員百五十人の豪華客船『グリエラ号』を使用して行われるこのイベントは、「天才たち」のために行われるものだった。特殊な分野における天才的才能を持ちながら、日常生活において通常のコミュニケーションを取れない若者たちを船上にて集団生活を送らせることにより、矯正させようという趣旨。数学に関しては天才でありながら、大声で卑猥語を連呼し人前でもどこでも構わず自慰に走る住友武嗣、ロリ顔巨乳の美少女で言語に関する抜群の能力を持ちながら、普通の意味での”当たり前のこと”が全くできない米山和泉、他にも縺れたヒモを解きほぐす天才、抜群のリズム感を持つ天才、システムの不備を見通す天才、だけど一般的にはどうしようもないお馬鹿な若者たちが集められ、豪華客船は出発した。介護の人々や船の乗務員、さらにはこのセミナーを撮影しにきたクルーたちも一癖も二癖もある変人ばかり。果たして、この航海は無事に終わることが出来る……わけないね、やっぱり。

相変わらずのトカジパワー……だけどそのはちゃめちゃさのまとまり加減に少々「?」
ひとりひとりの登場人物を取り上げると、個性がめちゃくちゃ強い。天才たちに加え、その親、介護のスタッフ、撮影クルー、乗務員、船のコック、そして物語が展開するに従って乗船してくる「ある人物たち」。戸梶作品はそれなり読み込んでいる方だと思うが、従来作品の登場人物に比べて彼らの個性が劣っているということはない。寧ろ、下劣さを加えてパワーアップしている印象だ。事実、電車のなかでページを開いて読むには些か恥ずかしくなるような言葉がゴシック体にてそこかしこに記述されている。これならば、戸梶圭太のめくるめくパワフルな物語が堪能できると思った。
だが、この作品に限っていえば、何かちょっとおかしい。ひとことでいえば設計図が狂っているような印象がある。作品のボリュームに比べて登場人物が多すぎ、一人一人の役割がはっきりしないこと。エピソードが活かされている人物がごくごく中心の数名になっていること。せっかく天才を持ってきているのに、ほとんどの人間が結局単なる足手まといでしかないこと等々。そのあたりをわざと狙っているのかもしれないが、いくらなんでもこれは散漫に過ぎる。

そういった点を抜きにすると本書で特筆すべきは「バイオハザード」をパロったと思しき終盤の展開。もともとグロを書くのに長けた作者だけに、こういったグロ、かつsupernaturalな存在を書かせた時の描写力は抜群。恐怖映画は笑いと紙一重という言い方もあるが、もともと持っている戸梶氏の資質がこの恐怖映画的ストーリーの迫力を増幅している。少なくともこのパートについては、独特のイマジネーションが良い方向に出ているように感じた。

とはいっても、やはりまとまりが今一つという印象は最後まで読んでも変わらない。結局主人公がだれなのかよく判らないままだし、変態群衆小説というようなイメージが強い。戸梶ファンの方以外、無理して読むべき作品ではないように感じられた。


04/09/27
歌野晶午「魔王城殺人事件」(講談社ミステリー・ランド'04)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、講談社のシリーズの第五期配本は、ペースダウンしたのかこれまで毎回三冊がきっちり出ていたのに対し、今期は本書一冊のみと寂しいものになった。歌野晶午初のジュヴナイル作品。

ぼく、こと佐藤翔太は東京近郊の星野台に住む小学校5年生。同じ5年1組の1班に所属するKAZとおっちゃんと三人で51分署捜査1課と名乗って探偵クラブをしている。三人は次なるガサ入れのテーマとしてデオドロス城の探険をすることになった。デオドロス城といっても実際のお城ではなく、雑木林に囲まれた古い洋館のこと。滑戸なる持ち主がおり、迷惑だから星野台小学校の生徒は近寄ることを禁じられていた。デオドロス城には満月の夜に幽霊が集まるとか女の人のすすり泣く声がするとかのウワサがあった。KAZは散歩中に犬に逃げられたという設定で、敷地の生垣の隙間からデオドロス城の敷地内に入る。ぼくたちはそこで青白い女の人を目撃、彼女は庭の真ン中にある四阿のような建物に入ったことを確認した。しかし、出入り口を見張っていたにもかかわらず、女の人はその建物から消えて居なくなってしまった?

シンプルなトリックを見せ方巧みにジュヴナイルに仕上げた。歌野氏の器用さの光る佳作
なんというか、実に現代的なジュヴナイルだなー、というのが全体を通じての印象。まるでこういった小学校高学年向けの作品を長らく専業で書いてきた児童向け小説作家のような手際を作品から感じた。というのは、実に物語の設定や登場人物といったところがスムースかつ巧みなのだ。作者自身が経験したかつての小学校五年生ではなく、実際に”今”小学校五年生をしている人物らしい記述ができている。 その行動、人間関係。例えば携帯電話の扱いであるとか、服装に気を遣う小学生の女の子であるとか、そういったところにも細やかに配慮が為されている。
そうそう、描写だけではない。ミステリの扱いについても同じことがいえる。近所にある洋館の敷地内にある、様々なものが消失してしまうという建物がメインテーマ。かつてはサッカーボールが消え、今は女の人が消え、乳母車に乗った男の変死体が消えてしまう。このあたりの奇妙さ・不可思議さの演出が抜群。 幽霊であるとか物質転送装置であるとかの存在をほのめかしつつ、消えた死体が大阪で発見されたり、撮影した筈のデジカメに死体が実は写っていなかったりというあたりの謎の提示も気が利いている。その根本にあるのはあまりにもベタでシンプルな物理トリックである。ただ、演出が良いのでその構造のシンプルさにかえって目くらましされてしまったような印象。なかなか、オトナ読者(ミステリ・マニア)でも、本格ミステリの常識が盲点となるため、なかなかこの真相(見方によってはトンデモかも)に辿り着くのは難しいと思う。
ある意味、ジュヴナイルだから許されるということもあるだろうし、一般読者向けでこのトリックを使用するにはかなりの工夫が必要となる。だが、最終的にこういった現象が発生する以前、つまり何故このような建物が造られたのか、女の人はなぜデオドロス城にいるのか、といったあたりにまで現実の延長としての整合性を持たせている点は感心できる。ちょっと教訓めいた締めくくりもお約束。最初から最後まで引っ掛かることなくジュヴナイルとして読めるのである。

ボーナストラックとして捉えれば良いのか、巻末にあるあとがき「わたしが子どもだったころ」におけるジャンボマックスのエピソードも秀逸。これはこれでミステリ作品で使えそうな気がするのだけれど、現実の話のせいかさらりと流しているのが勿体ない。こちらのトリックは(例え現実であっても)かなりポイントが高い気がする。

帯代わりに貼られているシールのキャッチコピー「「葉桜」か「魔王城」か!?」はさすがにサプライズのレベルが違い過ぎるのでオーバーだと思うけれど(もしかしてこれはミスリードなのか?)、歌野ファンであるならば別側面を伺い知ることの出来る本作は必読。その他の方でも、読んで「損した」ということにはなるまい。


04/09/26
城戸 禮「タックル社員」(春陽文庫'64)

ちょっと新刊ミステリ読みに疲れてきたので、息抜きに城戸禮を手に取る。もちろん刊行背景など判らない。恐らく貸本関係からだったのではないかと想像する。

数ある一流会社からの誘いを蹴って、二流以下の建築会社・日東建材に入社した竜崎三四郎と、その相棒の伴大六。三四郎は学生時代に花形ラガーマンとしてならした美男子で、頭脳明晰で容姿端麗ながら、女性にもてすぎて女嫌いになってしまっているという好青年。伴は学生時代は万年補欠で大した面相ではないが、なぜか三四郎と馬が合って行動を共にしている。彼らは日東建材の事務社員から給料不払いの解消を、社長相手に交渉して欲しいと頼まれる。会社は儲かっているはずだが、社長はケチでおっぱい秘書兼二号の連子に対して社内の最高給を与える一方、古参社員には数ヶ月の給与不払いを続けているのだ。元より自分が会社の宣伝材料に使われることに納得いっていなかった三四郎は大六と共に社長と秘書を吊し上げ、給料支払いを約束させた挙げ句、退社届けを置いて帰ってしまう。失職中の彼らは、母校の後輩の練習をつけに出掛けるが、逆に後輩からたかられ、彼らを連れていった先はヤキトリ・キャバレー、通称ヤキキャバであった。

今回の三四郎は元花形ラガーマン。老社長にタックルかけて契約取っちゃうぞ!
なんというか、このままあらすじを紹介してゆけば、一冊まるまるきっちり読むのと同じだけの情報量が得られてしまうのではないか……、とちょっと考えてしまった。それくらい、シンプル&イージー。天下御免の無敵エンターテインメント小説(シリーズ?)なのである。
展開はお約束。悪徳社長を吊し上げ、頼れる先輩の紹介で人徳社長の下、悪徳社員を蹴散らし、大きな案件を獲得する物語。道で困っている老人を助けたところ、実は……に限りなく近い御都合主義が何ともはや、気持ちの良いことよ。また、相棒の伴大六にこの作品では春が来ているのみならず、あの女嫌いの竜崎三四郎にも、この作品においては恋の予感が漂ったりなんかしているのもかえってGOOD。相変わらず、鎧袖一触でヤクザやゴロツキを蹴散らしてしまう迫力は堅持しているので、単純かつスッキリとした勝利の方程式が作品内で十二分に味わえる。

読書が純粋に娯楽だった頃の作品だけのことはある。ちょっと前まで古本屋の店頭百均ワゴンに背ヤケした春陽白背が転がっていたのだけれど、最近あまり見なくなってしまった。いつでも城戸禮が手に入る時代であって欲しい、とこういう時だけ都合良く考えたりする。


04/09/25
恩田 陸「夏の名残りの薔薇」(文藝春秋 本格ミステリ・マスターズ'04)

当初は怒濤の勢いで刊行された感もあったこの”本格ミステリ・マスターズ”だが今年に入ってからは近藤史恵『二人道成寺』と芦辺拓『紅楼夢の殺人』に続いてまだ三冊目。本書は『別冊文藝春秋』誌二四五号〜二五〇号にかけて掲載された作品が単行本化されたもので、杉江松恋氏による解説とインタビューが付く。

紅葉からそろそろ雪が降り始めるというシーズン。その高原のホテルは沢渡一族によって貸し切られる。初老ともいえる三姉妹・沢渡伊芽子(いちこ)、丹伽子(にかこ)、未州子(みすこ)が、一族をまとめている。彼女らはその滞在期間、夕食の際に現実とも空想ともつかない昔話を列席者に披露、そして招いた人々をランダムにお茶会に誘って情報を集めたり、釘を差したりしている。行動は謎めいているが、彼女たちの機嫌を損ねることは沢渡一族から切り捨てられることにもなるため、その「毒」に当たるために一族は招かれると必ずホテルにやって来るのだ。彼女たちの息子であり実業家の隆介、その妻である桜子、桜子の弟である時光。また娘である舞台女優・瑞穂とそのマネージャー田所早紀。高級外車ディーラーの辰吉亮と、謎の大学教授・天知。彼らは、このホテルでいびつな人間関係を築き合い、そして彼らはそれぞれ自分自身にとっての事件(身近な誰かが殺される――)に遭遇する。しかし、それらは現実なのかそれとも夢想なのか――?

恩田陸らしい――としか形容できない、さりげなくぐしゃぐしゃの現実と穢ないようで美しい幻想のあわい
巻末のインタビューによれば本作のベースとなっているのは、クラシックの同題の曲で一つのテーマを繰りかえし変奏していくというもの。その手法だけを取り出すと、歌野晶午や山口雅也が試みているあるミステリ手法に近いように思われる。殺意をもった人々がそれぞれ「第一変奏」から「第六変奏」まで、別々の視点人物として登場し、それぞれの心情を独白しつつ殺人事件に巻き込まれる。ただ――(多少ネタバレか)それらが、一つの「変奏」で発生している筈の事件については、別の「変奏」では発生していないことになっている。(ここまで)。そこに「何故」はない。そういう物語だから。
ただ、ベースとなる現実が決してそうみえないのに実は人間関係がどろどろしている点がまず特徴。中心となる女性・沢渡桜子は弟と近親相姦の関係にあり、自動車ディーラーと不倫関係を持っているがそのことに対してこだわりはないし、弟の時光にしても妻子を持ちながら姉に対し全てを捧げる精神の持ち主。桜子の夫・隆介にしても実は愛しているのは桜子というよりも弟の時光であったりとホモ・ヘテロ入り交じる世界が繰り広げられている。ただ、そういった関係があまりにさらりと描かれているため、本来感じられるはずの不快な気分になりにくいのが不思議。
一方で、各変奏で発生する殺人事件。これにしても密室殺人であったり不可能犯罪であったりするのだが、あまり謎解きにこだわっていない。(一応解かれるのであるけれど)。論理を尽くして解明をするというよりも、そこに至る心情の方に重きを置いたミステリとなっているように感じられる。その結果、一種の幻想ミステリめいた雰囲気に作品全体が包まれているように感じられた。かっちり閉じられる本格ミステリに対し、ちょっとした余りが出る……というより、大いに余りの方が多いミステリという印象である。個人的にはこのような作品も好みなので範囲内。だが、かっちりした本格を望む方にはあまり合わないかも。
また、これもインタビューによると映画『去年マリエンバートで』とイメージが重なるということで、物語中にその原作(『去年マリエンバートで/不滅の女』アラン・ロブ=グリエ著 天沢退二郎・蓮実重彦訳)からの引用がかなりしつこく重ねられている。小生が原作を知らないこともあるのかもしれないが、ちょっとくどいような印象。作者が考えたと思しき効果よりも流れを阻害しているように見えたが如何。

相変わらず読み出すと止められないリーダビリティは健在で、謎の作り方は魅力的。ただ、先行する作品があることもあってその構成をどうしても比較してしまう。(この作品はこの作品で恩田陸らしいといえるのだけれど)。恩田陸さんのファンであれば満足できるだろう一冊ながら、単なる本格ミステリファンにとっては好みが分かれるかもしれない。


04/09/24
黒田研二「幻影のペルセポネ」(文藝春秋'04)

'00年のデビュー以降、黒田氏はかなりコンスタントな作品を打ち出してきたが、実はハードカバー、つまり単行本として刊行されたのは原書房ミステリー・リーグ『今日を忘れた明日の僕へ』一冊きりであり、中心はノベルズ書き下ろしである。(最初から文庫で刊行された作品もある)。本書は書き下ろしで残念ながらソフトカバーだが、表紙や装幀がこれまでの黒田作品とはちょっと趣を異にしている印象を受けた。

来栖正孝はコンピュータ雑誌に原稿を書いたりする仕事をこなすライター兼プログラマ。尊敬していたプログラマの先輩、ヒデ兄ちゃんこと各務秀則が、何者かに殺害された事件から四ヶ月。仕事先の近藤編集長から〈ヴァーチャル・プラネット〉を体験するよう命ぜられた日に、秀則の妹・菜摘と再会する。菜摘に対し正孝は思いを寄せていたが、事件の時に菜摘が飛び込んでいったのは別の人物だった――。正孝は気を取り直し〈ヴァーチャル・プラネット〉をPCにインストールする。それはネットゲームの一種で、自分の分身たる〈アバター〉を作成し、架空の惑星ペルセポネのなかに作られた電脳空間のなかで動き回るというもの。正孝はよく使うハンドル《クリス》を適当な人物に仕上げて、世界に送り出す。しかし《クリス》が目覚めた家には誰もおらず、手当たり次第に扉を開いて出会ったのは、胸にナイフを突き立てられた男性アバターの死体だった。電脳世界のこととはいえ、気持ち悪い思いをしながら現れた《メグ》なる女性の手引きでペルセポネの世界にはいる《クリス》。どうも、この電脳世界のなかにも複雑な人間関係が繰り広げられているようだ。そしてかつて秀則が操っていたアバター《ノリリン》もまた、この電脳世界でも殺害されていたという事実を《クリス》は知る――。

現実の事件と電脳世界の事件。二つが近接する世界の事件を論理と現実性の狭間でミステリに仕上げる
バーチャルリアリティを扱ったミステリは↓岡嶋二人『クラインの壺』を端緒として、PCの進化と発達と共に様々なかたちで数が重ねられている。その多くは仮想と現実の混同といったあたりが主題とされていることが多い。本作のようなかたちで、明快に電脳世界と現実世界が分けられ、そしてその二つがリンクされているというケースはまだ特異なものだといえるだろう。とはいえ、その設定そのものがなかなか自然に為されているのは、黒田研二氏の知識と経験もあろうが、ネットを繋ぎっぱなしでも当たり前という状態に現代が追いついてきたことも要因として挙げられよう。事実、《バーチャル・プラネット》のような遊び方をするアバターサイトも現実にあるし。
さて本編。現実に発生している殺人事件、そして電脳世界での殺人事件(実際にはそのような行為が商業ネット内で許されるとはないとは思うがそこはそれ。)がリンクしているという不思議がこの作品のメイン。特に電脳世界で操られていたアバターが殺害される時、実際にその操作者が死んでいるという事態が興味深い。アバターと現実を比較しても単純に分身ではないところがまたネットらしい。とはいえ、複数の並列連続殺人事件。かたや電脳、かたや現実。その複数に跨るというポイントこそが、本作の謎を解く大きな鍵でもある。電脳世界における生臭い人間関係が実にリアル。ストーリー展開も特に謎解きに至るまでがシンプルですいすいと読める。ただ結局、一連の事件の犯人は電脳だけ、現実だけのどちらかしか知らない人間ではない――あたり容疑者が絞られてしまうか。
中心のフーダニット以外にも作中には複数トリックが凝らされている。特に「人が死んでいます」を利用した電脳世界の密室トリックはこの世界ならではのもので、大技なれど「やられた……」。某清涼院作品に似たコンセプトの作品があったし、一種のバカミス系トリックではあるのだけれども、真相を知った時の脱力感は形容し難い。また、真犯人のアリバイトリックについてもレッドへリングが効いていて、評価できる内容。
ただ、電脳世界内部における真相については「なるほど」とは思うものの、その実行可能性については疑問が湧く点もある。電脳関係の謎については確かに物理的に不可能でないにしても、複数人物に肉体的な限界を超えた行動が必要だろう。とはいえ、作中に張り巡らされた伏線によって一応はぎりぎりのところで説得性を保っており、あまりこだわってはいけないのかも。

冒頭に描かれる本編と一見無関係なプロローグと、エンディングとが恐らくこれまでの黒田作品のなかでも最高に美しく繋がっている。 後から考えるとちょっとあざといようにも思えるけれど不覚にも「ぐっ」と来てしまった。いずれにせよ、一般読者よりも、電脳空間がより身近なネットミステリ系の読者によりお勧めしたい作品である。


04/09/23
岡嶋二人「そして扉が閉ざされた」(講談社文庫'90)

'87年、講談社より「推理特別書下し」として刊行された作品が元版。'89年に解散してしまう岡嶋二人の「後期三傑作」と呼ばれる作品(諸説あるが)『99%の誘拐』『クラインの壺』と並び称されることの多い、岡嶋作品には珍しい徹底した本格ミステリ指向をもった作品。再読。

毛利雄一は家庭用の核シェルターの内部で目を覚ました。三田雅代からの呼び出しを受け、自宅に招かれた際に睡眠薬入りのオレンジジュースを口にしてしまったのが原因のようだ。そのシェルターの内部には、他に成瀬正志、波多野千鶴、そしてこの三ヶ月会いたくて堪らなかった影山鮎美がいた。彼らも何故自分たちがここにいるのか判らない。こじ開けた部屋のトイレに赤いペンキで書かれた「お前たちが殺した」の文字、貼ってあるのは三田咲子の写真。どうやら三ヶ月前のあの事件が原因のようだ。しかし、彼らにも要因があったとはいえ、あれは事故ではなかったのか? 雄一と交際していた三田咲子は正志と鮎美、そして千鶴の五人で、彼女の別荘に泊まった。雄一は咲子の独善的性格に嫌気がさしており、その場で鮎美に惹かれていく。鮎美とのことが知られたあの晩、咲子と雄一は大喧嘩し、そして海辺の崖上に愛車のアルファロメオを目撃されたのを最後に、咲子は二ヶ月後に海から遺体で発見されたのだ。それ以来、連絡先を無くした雄一は鮎美と会うことも叶わず現在に至っていた。だが咲子の親、雅代は彼女が殺されたと考えているのか? 開く当てのないシェルターの内部で四人は事件の真相がどうだったのか、議論を巡らせ始める。

限定された状況下での安楽椅子探偵という超絶設定。改めて気付かされる周到な技の数々
初読の際には「核シェルター内部における若者四人の推理合戦」といったポイントの印象(そしてもちろん「超絶面白いミステリ」という当たり前の感想)しか実は持っていなかったように思う。だが、真相が頭のなかにあるままじっくり読み進めると改めて本書の凄さについて幾つも気付く点が出てきた。
まずいえるのは、構成の上手さ。核シェルター内部に閉じ込められた四人という点は冒頭から順列にて描写されてゆくのだが、「三ヶ月前、別荘で何があったのか」については、小出しにされて、一気に読者の前に明かされない。亡くなってしまっている咲子を含めた登場人物の描写も、シェルター内部以上にその三ヶ月前がポイントである点も重要だろう。この結果、謎解き以前に「何が起きたのか」が知りたい読者はページを捲る手が止められなくなってしまう。単純並列で現在と過去が描かれるのではこの求心力が得られなかったはず。
そして、事件の不可思議さ。誰にも犯行が不可能であったように思われる三ヶ月前の状況。全員にアリバイがあり、犯人以外には嘘はない。だけど誰にも人知れず咲子を殺害して海岸に運んで海に車ごと捨てるという行為は不可能。それを当時の回想場面、証言、そしてシェルター内の写真と手掛かりをもとに四人で推理を進めれば進めるほどに不可能性が強調されるという魅力的な事件となっている。犯人がいるはずなのに、誰も犯人ではない? そしてその着地点もまた見事なのだ。
さらにはサスペンス部の凄さ。理由は想定できても、直接全く犯人からのコメントがないまま拉致監禁されてしまっている四人。圧倒的無防備の状況から、それでも脱出のための努力は怠らない。とはいえ、極限状況にある彼らは徐々に精神的に追い詰められて……というあたりの緊迫感が凄まじい。
刊行された段階では「新本格ミステリ」ムーブメントが開始する以前、これだけ推理に特化したミステリが出ていたという点にも改めて気付いておきたい。社会的な問題や現実性と切り離しながら、この設定、この登場人物といったあたりから醸し出されるリアリティ。また論理による推理合戦など後世のミステリ作家に与えた影響というのも計り知れない。

なんか分析的なことばかり書いてしまったが、本書にはミステリが好きであれば必ず引き込まれるだけの面白さがある。上記した理由がエンターテインメント小説という枠組みのなかに溶け込んでいるから。もう十五年以上前に発表された作品でありながら、時代による風化もない点も素晴らしい。もし、まだ本書を読んだことのないという幸運な読者の方がここを目にしているようであれば、是非取り組んで貰いたい。「初めての岡嶋二人」がこの作品というのもまた宜しいかと。


04/09/22
小林泰三「AΩ(アルファオメガ) 超空想科学怪奇譚」(角川ホラー文庫'04)

元版は'01年に角川文庫より刊行されたハードカバーで、小林泰三氏の第二長編にあたる作品。第22回日本SF大賞の候補作品にもなった(この回の受賞は北野勇作『かめくん』)。ハードカバー刊行の際に何故か読み逃していたので文庫化を機会に手にとってみた。

宇宙。真空と磁場と電離体によって構成される世界に棲む若い固体「ガ」は長老たちの命により仕事に携わった。しかし不慮の事故を発生させてしまい、辺境の警備へ、そして電気龍との折衝、太陽表面の観測とガは失敗を繰りかえしてしまったがためにどんどん厳しい懲罰的な仕事に追いやられてしまった。ガは名誉を回復する最終的なチャンスを与えられる。影の世界からの侵攻、その「影」を追撃するというのだ。ガは宇宙空間を高速で飛行する「影」を追いある惑星に突入した。しかしガは空間を飛行する金属体と衝突してしまう。……原因不明の飛行機事故が発生、乗客は全員死亡していると思われた。沙織は夫諸星隼人の姿を求め遺体安置所へと向かい、まず左手を発見する。指輪からそれは夫のものと思われた。反対に左手を無くした死体を捜す沙織は「B七二番」の遺体と向き合う。遺体と思われた隼人は息を吹き返し場内はパニックとなる。……当然それはガが諸星隼人の身体と一体化した姿であった……。

SFでしか描き得ない、壮大な物語。七〇年代テレビヒーローのオマージュと一口に括れない世界の深みがあった
先にいろいろなところで本書に関するコメントを目にする機会があった。曰く「ハードSFの手法を用いたウルトラマン・パロディ」というのが一般的なものだったように思う。そしてそういった先入観をもって小生も読んだ。……確かにそういった側面はある。小林泰三氏ならではのハードSFの知識を駆使し、ウルトラマン(に似たもの)が現実に存在するためには……といった部分を物語の主要な軸として使用している。ただ、それだけではないのだ。というより読後の印象は、それはあくまでパートに過ぎず、大いなる叙事詩の一要素であって、物語全体を通じて描かれる壮大な回復の物語が本題であるように感じられた。

諸星隼人は宇宙人との事故で生命を失うが、その宇宙人によって人間には似ているが別のかたちでその生命を意識と共に回復する。宇宙人(つまり作中の「ガ」)の目的は、あくまで「影」を倒すことにある。できるかぎり人類に影響が出ないように配慮をしているが、その人類の方が「影」の影響によって「人間もどき」に怪物化していってしまうのだ。このあたりの描写のグロさは筆舌に尽くしがたい。混ざり合ってぐちゃぐちゃしてそれでいて永遠に痛い。(個人的には友成ホラー、ないし倉阪ホラー等でよく迎えられる混濁のラストを彷彿させる)。本書が世評の高いSF作品でありながら、通常の角川文庫ではなくホラー文庫収録というのはこのあたりに原因があるのだろう。また、ヒーロー化した「ガ」にしても、種々の理由に拘束され長時間戦えないだとか、徐々にその力を(しかも乗り移った隼人が理由で)喪っていくあたりの虚構内部のリアリズムが見事に描かれる。このあたりはハードSFならではの物語であるといえる。
その結果、単純な「怪獣を倒してジュワッ!」といった快感は本書では得られない。本当の意味で苦しみながら敵を倒さざるを得ない「ガ」の葛藤が伝わってくる。そして本気で人類の存在意義について考えさせられてしまうのだ。

単純なホラーではないし、ヒーロー・パロディでもない。生半可な気分ではなかなか最後まで読み通せないのではないか。がっちり構えて、特殊かつ緻密な設定を読みとって、人類に関する様々な事柄について共に考える――そういったタイプの物語である。小林泰三の凄さにしみじみと感じ入る一冊。


04/09/21
石田衣良「スローグッドバイ」(集英社'02)

IWGPシリーズが人気の石田衣良にとって刊行当時初の短編集にして恋愛小説集という作品。(確かにIWGPシリーズは中編というべき長さの作品ばかりだ)。『小説すばる』誌に'99年11月号から'02年3月号のあいだに掲載された作品が収録されている。

遊び人の親友と交際していたハナ。彼女がついに本当の別れを向かえた。だけど彼女は泣かない。 『泣かない』
いつでもどこでも。セックスの相性が抜群に良かった女の子と交際していた一夏の思い出。 『十五分』
ネットで出会った「私は醜い」と言い張る女の子。ぼくはその子と徐々に親しくなっていくがオフ会で。 『You look good to me』
彼氏彼女いない同志を引き合わせることが生き甲斐のカップル。二人はそんな彼らの前で偽りの演技を。 『フリフリ』
デートクラブの九十分二万五千円の女の子。ヒロトは毎週土曜日、金を払って彼女と会った。そして。 『真珠のコップ』
学生時代から交際を続ける史郎と曜子。曜子はシナリオライターになるための投稿を続けプロポーズに見向きしない。 『夢のキャッチャー』
「私と『ローマの休日』をしませんか? ネットに書き込まれたことばから瑞樹はメールフレンドを獲得して。 『ローマンホリデイ』
同棲中の嶺子と豊。互いに忙しく生活時間が食い違ううちに二人はセックスレスとなってしまっていた。 『ハートレス』
才能を見つけ育て上げたところで別れてしまうサツキ。彼女は地下鉄のポスターを書いた駅員に才能を見出す。 『線のよろこび』
その大学に伝わる別れの儀式。最後の最後にゆっくりとデートをする。それがスローグッドバイ。 『スローグッドバイ』 以上十編。

キレのある舞台に淡く優しい視点。どこにでも小さな恋物語は転がっていて、それを鮮やかにすくって見せる
頭の先から尻尾の先まで恋愛小説。男の子と女の子の出会い、始まり、その流れ、葛藤、倦怠。いろいろな部分部分を切り取って読者の前に「小さな恋」を綺麗に物語を通じて映し出す。 ほとんどの登場人物は二十代。だが特徴的なのは、セックスだのなんだのすることはするのに、どこか男の子の側にがつがつしたところがなく、枯れた雰囲気が漂っていること。『娼年』あたりと共通するのだけれど、彼らの性的欲望が肉体的なもの(つまりは「ヤリたい!」という気持ち)ではなく、精神的なところ(一緒にいたい、もっといろいろ相手のことを知りたい)から発しているように思える点。一方で、女の子側の性欲といったあたりもごくごくフツーのこととして描いている。このあたりは『ハートレス』で登場する男女二人のすれ違いあたりに顕著かな。その結果、インターネットやデートクラブといったあまり一般的とはいえない男女の出会いも、実にバランス良く素敵な物語と昇華することに成功している。特別ハンサムでもなく特別美人でもない男の子と女の子の、まさにBoy meets Girlな物語。
さすがに小生も年いっちゃってるので、素直にこういった出会いに憧れたりはしない。だけど、なかなか素敵だな、と思わせられる。個人的な好みでいえば、恋愛のスリルというよりも物語内部にミステリとしての仕掛けがある作品の方が好み。なので一押しは『ローマンホリデイ』。『ローマの休日』を語る女性、オフラインで会ってみれば……という意外性に加えて、更にどんでん返し(といってもいいだろう)が、その後の主人公・瑞樹の行動である。この作品においては、実際に恋愛はスタートさえもしていないのだけれど、瑞樹のような人間になりたいな――と素直に思わせてくれるところが良い。
また、純恋愛小説としての好みでいえば表題作『スローグッドバイ』は一番地味ながら凄い作品だと感じた。恐らくこの作品には作者がかなり投影されているのだと思うけれど、男と女が別れ際に共に涙を流し、それを互いに見て笑い合う……といったあたりの描写、さりげなくもかなり「来る」。ただ、この作品で「来る」のはある程度経験を重ねた人……のような気もするな。

恋愛小説好きには堪らないだろう作品集。女性にはもちろん、若い男性にも読んでもらいたいように思う。なんというか、この作品の主人公たちのような感性が持てたら、人生はもっと素敵になる――ような気がするのだ。