MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/10/20
山中峯太郎「東亞旋風秘録」(同盟出版社'41)

戦前、昭和十六年に刊行された山中峯太郎作品。あるオフ会でkashibaさんより譲って頂き、状態も良かったのでそのまま旅程のなかでなんとなく読了。これは流石に時代を感じますなあ。刊行時期が時期だけに本来は漢字は旧字体も、以下は現代の字体に変更。

支那の清帝国が滅び、中華民国の共和国になっても旅順は日本が租借しており勢力下になっていた。この一隅に清皇室の残された大物・粛親王の本邸があった。清朝の復興を願う「宗社党員」の中心人物である親王は腹心の夏永健を呼びある使命を与えて日本へ向かうことを命ずる。清国復帰のために日本の元老・山縣侯爵と日本駐在の公使にして隠れ宗社党員の陸宗輿の二人と会って親書を手渡すこと。そして親王の娘で川島浪速のもとに寄宿させている娘・東珍の様子をみてくることであった。しかし、粛親王の様子は完全に見張られており、わざわざ女装した夏永健は日本に渡る船のなかから尾行がついていた。更に到着後は日本の警察庁の人間まで尾行に加わり、夏永健は窮した挙げ句、まず東珍王女である日本名:川島芳子のもとを訪れた。芳子は夏永健を冷たくあしらったうえ、親書を自分で渡すと取り上げる。仄かに王女に恋心を抱いていた夏永健は、そのあしらいに憤懣やるかたなく、誘いに乗ってスパイとなることを決意した……。 『満州国の夜明け前』ほか『汪先生と世界的秘密結社』『孫文総理と十八ヶ条』『死都を出た蒋介石』『射たれた抗日女王』『刺客と広東本営』『地獄谷の宋美齢』 以上を収録。

戦前の日本の眼から見た中国の混沌。視線の置き方が独特ゆえに奇妙に新鮮
戦前の単行本でぱらぱらと目次を見るに日中戦争が扱われている様子。となると、いわゆる戦意高揚小説かな……と思いながら読み始めたところ、少々様子が違うようだ。というのも、蒋介石や孫文といった題名にもある通り、作品の主人公の大半が中国人(しかもかなり有名な指導者クラスの人物)なのである。物語としては、恐らくかなり史実に近い状況のなかにちょっとしたフィクションを加えて状況を活写する……といったタイプで必ずしも盛り上がりがあるとは限らず、ほんのりとフィクションがかった実録ものというイメージか。
やはりフィクションが強い作品の方が面白いのは面白く、『汪先生と世界的秘密結社』あたりは、中華民国の未来の指導者とヒロインに対し謎の集団が襲いかかり、それと戦いながらその裏側にある真相が見えてくる……というもの。この謎の集団の正体がなかなか味わい深い。その一方で他の作品はどこか結末が尻切れトンボとなっているものが多く「ここから盛り上がるのかな」というところになってから、急にぱたぱたと店じまいをしてしまっている印象。
どうやら執筆されたのは昭和十年代前半であると思われ、その後の歴史についてはこの段階で触れられているわけではない。なので、この昭和十年代に少なくとも作者が日本から中国をどう見ていたのか……という視点が何とも興味深い。本書においての登場人物の描かれ方はかなり辛辣で、愛国の概念にとらわれず、自らに与えられる目の前の金や利権といったものによってすぐに節を曲げ、組織や国家を裏切ってしまう人物が実に多数登場する。このあたりが峯太郎としての中国観の一つだったのかもしれない。その一方で、決して日本軍を賛美しておらず(かといって貶めている訳ではないけれど)、日本の道徳観や国家が最高であるという書き方をしていないのもこの時期の刊行物としては特異なのではないだろうか。国際政治や戦争を題材として扱いつつも、戦前作品らしくみえないのはこのあたりに理由の一端がありそうだ。

あとで調べてみたところ、峯太郎の作品群のなかにはこういった「満州もの」と呼べるものがある模様。推理小説系統ではない作家なのでこれまであまり縁がなかったが、なかなか興味深く読めた。


04/10/19
松村善雄「ふたりの乱歩」(コスモノベルス'94)

副題として「真説・怪人二十面相」とある。松村善雄氏は、江戸川乱歩の甥で作家、評論家。'86年『怪盗対名探偵』にて第39回日本推理作家協会賞評論賞を受賞している。本書は解説は山前譲氏。

昭和八年。友人の花崎清太のもとを訪れた帰り、小林芳雄少年は「グッグッグッグ」と奇妙な笑い声を出す黒づくめの化け物と夜道で出会う。骸骨の仮面を取り去ったその下にはなんと江戸川乱歩自身の顔があった……。一方、探偵作家の山際登のもとに探偵小説雑誌「クイーン」の編集長・長谷部からの連絡が入る。「クイーン」は講談社の「キング」に対抗する意図で作られた雑誌で法外な原稿料をもとに探偵小説作家から原稿を集めて刊行されたが、読者に人気の高い江戸川乱歩からの原稿が取れず、結果ははかばかしくない状態が続いていた。長谷部は「江戸川乱歩の贋者がいる」という噂をもとに、山際に作品を代作させ、その贋者の乱歩から原稿を受け取ったことにして作品を発表しようとしていた。長谷部によれば、贋乱歩は浅草の遠藤サーカスに関係しているのだという。山際はサーカスに出向き「百面相・遠藤平吉」なる人物が贋乱歩なのではないかと考えてその痕跡を追うが逃げ出されてしまう……。

現実と乱歩世界と乱歩の思い出と作者のフィクションとが入り交じり、物語は混沌、そして破綻
松村善雄氏の場合、これまでも『江戸川乱歩殺人原稿』等、江戸川乱歩の名前を自身のフィクション作品に正々堂々と冠してきているが、これは現実に乱歩の身内であるという特権的地位によるものである。例えば、作品にて登場する「小林少年」は、この段階では『怪人二十面相』も『少年探偵団』も執筆される前のことでもあり、作者自身を反映しているものと思われる。

しかし、作品としてはもう何とも。ヒドイ。

登場人物の立ち位置がバラバラ。江戸川乱歩本人は登場する、若き日のシムノンが登場する、彼と同行して外国人警部が国際的麻薬コネクションを追っていたかと思えば、百面相の男がいて人々を煙に巻き、北見小五郎なる名探偵が活躍し、黒蜥蜴なる女性を事件に巻き込んで、文代という名前に改名させて結婚する……等々、虚実取り混ぜたといえば聞こえが良いが、必然性が全くなく物語が全く整理されていない。ストーリーもあっちこっちにエピソードが飛んで何がいいたいのかさっぱり分からないし、トリックらしいトリックもなく、遠藤平吉がなぜそれほど苦悩したのかという点についてもよく分からない。御都合主義以前に、作者の頭のなかで作品内部の現実と虚構が混乱しているような記述があちこちにあり、それが読者の困惑を増幅する。文章も拙く、時代背景についてもそれほど突っ込んで調べられていないせいだろうか背景も会話も昭和八年とは到底思えない。読み出してすぐにいろいろ引っ掛かりまくっていたのだが、途中で諦めた。ひさしぶりに読んでいて辛い作品に出会った気がする。

確かに乱歩の作品から抜き出した趣向はあるものの、その扱いが中途半端なだけに乱歩を愛するファンには受け付けられないだろうし、乱歩に対して興味のない方はまず本書を手に取ることはあるまい。確かに、松村氏にしか書けない作品かもしれないが「だから?」という印象。松村氏は「乱歩おじさん」に対する敬意と愛はあったのかもしれないが、これまで二冊を読んだ限りでは「乱歩作品」への愛が実はあまりなかったのではないかと思われた。


04/10/18
梶 龍雄「草軽伝説殺人事件」(廣済堂文庫'88)

'83年中央公論社C★NOVELSより『殺人者は長く眠る』という題名で刊行された作品の改題、文庫化。昭和三十年代にして廃線となった「草軽電気鉄道」(群馬県草津温泉と長野県軽井沢を結ぶ鉄道)を題名に持ってきたあたりに、なんか鉄道ファンを巻き込もうといった出版社側の意図みたいなのを少し感じるのだが……。

昭和三十四年、人気絶頂を迎えた大女優・白川梨香が、知人のパーティに出席するためマネージャーと二人して早朝の草軽鉄道に乗車していたところ、終点間際になって失踪してしまった。鉄道関係者はおろか警察によって山狩りが行われるも、その痕跡は完全に途絶えてしまい、彼女の名前は「高原に消えた大女優」として映画史に名前を留めることになる。それから二十四年が経過した夏。軽井沢の画廊に”女優Rの肖像”なる一枚の肖像画が展示された。決して才能を感じるものではなかったが、その意気込みが強く感じられる筆致に高室雄司という青年が目を留める。菅井電機の社長別荘に滞在しているという彼は、八十万円という価格をものともせず、その画を買い取るが、一人の少女が後から「その絵を売って欲しい」と彼に持ちかけてきた。鈴木ユカなるその少女は、白川梨香の隠し子の子ども、つまり孫なのだという。画の費用を捻出したいというユカは、雄司と二人、かつての梨香のパトロンを訪ね、その失踪の謎を解明しようとするのだが……。

もう今はない”大女優”という存在をメインに据え、プロット中心のサスペンスを活かす
謎の青年・雄司と、梶龍雄描く現代少女(このあたりはカジタツファンならば示すところはお解りだろうが)・鈴木ユカとのコンビがまずいい味を出している。その二人が挑む過去の失踪事件。その過程において殺人事件が二件発生し、自然死にみえながら実は殺人というその方法については、実に梶龍雄らしい物理トリックが用いられている。この方法は、梶龍雄の”ある趣味”がみごとに反映されており、その巧拙よりもネタとしてその趣味からトリックを持ってきたあたりに感心してしまった。
一方の失踪事件。こちらもよく考えられてはいるが、最終的には「どうしても、こうするしかないよなあ」という落としどころにキレイに嵌ってしまっており、恐らく大抵の読者(しかも今となっては梶龍雄の読者は梶龍雄のファンというケースが多いだろうから余計)であれば真相は透けてみえてしまうものだろう。とはいっても、細かな記述や登場人物の発言及び行動の不整合が謎のポイントとなっているあたりには梶龍雄らしい構成の緻密さが感じられる。その出来自体も決して悪くはないのだけれど、本書でさらに注目すべきはその失踪事件の背景部分にある。単に女優の失踪だけであれば、それほど目新しくはないのだが、本書の場合はそこに”ある陰謀”が加わっている。その陰謀が実に腹黒く、恐ろしい。失踪事件を取り扱うミステリの場合、その失踪のHOW?に注目されがちだが、本書の場合はWHY?の方に強烈な味があるのだ。大女優という存在であっても、一部の上流階級にあっては手が届いたというこの古き時代が、この事件の鍵を握っている。現代のアイドルはなってしまうと一般とは隔離されちゃうことが多いしね。

梶龍雄作品のなかにおいては傑作とは言い難いが、作者ならではの独特の味わいは存在する。ファンならば取り敢えず読んでおいても損はない。


04/10/17
神津慶次朗「鬼に捧げる夜想曲」(東京創元社'04)

第14回の鮎川哲也賞受賞作品。応募時点で19歳、受賞時点で20歳という若き俊英が登場した。改題されて刊行されているが、元の題は『月夜ヶ丘』。物語に登場する印象的な舞台を題名にしたこちらの方が美しいように感じたが、些末なことか。

昭和二十一年、乙文明は戦友で親友ともいえる神坂将吾が住む九州沖合の満月島へと向かっていた。鬼角島ともいわれるこの島にいる将吾が、近く祝言を上げるのでその祝いに明は駆け付けたのであった。島は網元であった神坂家と、同じように網元でありながら幾つかの事故が重なった結果没落してしまった門谷家が支配、現状は神坂家が圧倒的な勢力を誇っていた。その一方、門谷の娘・美咲の不可思議な行動に明は魅せられる。将吾の相手は、島で宗教的には絶大なる権力を誇る三科光善和尚の長らく養女であった優子。双方が互いのことを想う優子と将吾がベストカップルであることを明は感じ取る。そして婚礼の日。披露宴を無事済ませたはずの二人が神坂家独自の儀式を行うために、養父・三島光善の神社を訪れる。しかし、その二人は神社にある祈祷所の内部で腹を複数回刺され息絶えた。密室状態のなかでの殺害に警察の捜査は難航。発見時に側にいた美咲に疑いがかかるが……。

実に伝統的な設定に新しい発想を。若い才能がこの後どう展開していくものか
戦後すぐという時代設定、船でしか近づくことのできない孤島、孤島を支配する一族と対立する一族。複雑なその一族の系譜、過去にかけられた一族への呪い、島に古くから伝わる不気味な伝説、過去に発生した不可解な事件。
これだけ並べれば、思いつくのは普通、横溝正史の諸作。もしくは新本格ミステリでの孤島殺人の定番。だが、本書は応募当時十九歳の新人が書いたということで、この古めかしい設定がかえって選者に評価されたのだともいえるだろう。王道を逆手に取って果たして何をやらかしてくれるのか。期待が逆に高まるという寸法だ。この設定を定年過ぎのオヤジが書いて来ていたのであれば、問答無用に落とされたのではないかという気もする(偏見かな)。
そして定番ゆえに当然だが、ある意味全てどこかで見たような……という既視感にとらわれつつも、物語を綴る文体は平易で、少々会話の繋ぎにぎこちなさがあるもののすっきりと読める。新婚初夜を迎え、そしてやっぱり惨殺される若夫婦というあたりまではお約束。本書における独創性という部分は、実はこの後に発揮されているといっても良い。 というのは、トリックと事件の裏側にある背景が凝りに凝っているのだ。なぜ、そしてどうやって。二つの謎が物語において提起される。
夫婦殺しにおいて、それなりに新しい発想が伺えるトリック。しかし、それを思いついたまま単純に使用せずに踏み台にしている潔さが個人的には最大のポイントだと思われた。また事件の背景にある、裏事情についても同様。当初の解釈において「ああ、なるほどな」思わせておいて、その後にまたそれを踏まえた突っ込んだ内容の秘められた事件の背景を導き出す。当初の考え方を次から次へと踏み台にして次のサプライズへと繋げてゆく。確かにこれは上手い。これら先にある背景とトリックだけを物語にしただけならば、恐らく受賞は逃してしまっていたに違いない。この逆転を繋げてゆくセンスこそが、鮎川哲也賞という冠の証であるといえよう。

正統派ともいえる舞台と登場人物ゆえに、読む人を選ばないオーソドックスな本格ミステリ。 本作でみるかぎり作品のバランスをとるのが巧みで、ストーリーにしても手堅いセンスを持っている作家だといえるだろう。本格ミステリファンであれば、まずこの受賞に文句は付けられまい。


04/10/16
山田正紀「イノセンス After The Long Goodbye」(徳間書店'04)

押井守監督によるアニメーション映画『イノセンス』の別バージョンノベライズといえば良いのか。実際の映画そのものではなく、その前日譚をあの山田正紀がノベライズしてしまったという作品。『アニメージュ』誌に'03年10月号より'04年2月号まで掲載された作品を大幅に加筆修正したもの。巻末には実は同世代という押井守と山田正紀による対談が収録されており、そちらも興味深い。

家族のいないおれ――バトーは公安九課に務める義体(サイボーグ)。かつて愛した女はいたが、今は家族も友人も恋人もいない。共に暮らす一匹のバセットハウンドのガブしかいない。そして時々夢をみる。自分にいる筈のない息子の夢を――。 その日、バトーは非番で一日中家にいた。夜になり、ガブのお気に入りのドッグフード『巴吉度』が切れたので車でコンビニに買いに出掛けた。バトーはそこで車のフロントガラスを洗おうとしているホームレスの小男と大男二人に出会う。長身の男はアンドウと名乗り、奇妙な挨拶を俺たちは交わした。そうして車に乗り込んだバトーがステアリングを握った瞬間に車は何者かに乗っ取られたかのような暴走を開始した。しかも公安九課仕様の特殊鋼・装甲仕様。バトーはぎりぎりの選択で自らの意識を切断し、事態を収拾しようとした。それを救ってくれたのが身体を車の前に投げ出したアンドウだった。礼を言おうとするバトーだったが、アンドウの様子がおかしいことに気付く。「大切な思い出を殺してしまった、忘れてしまった――」と彼はいう。タクシーに乗って家に帰ってきたバトーだったが、九課の同僚からの連絡に気を取られている隙に、ガブが外に出ていなくなってしまう。俺はガブを探し回ることになった。

近未来世界の索漠とした虚無感と、サイボーグならではのクールと孤独と。山田正紀ボイルド作品
本書の評を書くにあたって全く自慢できることでもないし、本来は伏せておくべきなのかもしれないが、小生は映画「イノセンス」を現段階ではまだ観ていない。(いずれとは思ってはいるが)。なので、本書が実は映画のフロントストーリーであるとか、映画世界を前提としたノベライズ作品であるとか、読者が持っているであろう同メディアに関する知識をほとんど持たない。なので、そういった事柄とは無関係にこの作品のみを読んで感じたことを書く。
アクションシーン満載の近未来SFハードボイルド…… というのが本来のこの作品の居場所なんだろう。確かに細かな近未来設定には科学的な部分に加えて、人々の荒廃や生活の細々したところに至るまで、ところどころはっとさせられる緊張感が随所にある。(だが、それは山田正紀の、というよりも押井守、ひいては士郎政宗の功績なのかもしれない)。また、幾つか挿入されるアクションシーンについても迫力が凄い。その間の時間表現のコントロールや主人公内面の思考等が巧みであり、SFならではの設定を文章のなかで百パーセント、もしくは読者の想像力を喚起することでそれ以上に再現している。普通に読んでもエンターテインメントとして十分楽しめる内容なのだ。
しかし、そういった作品に対し、山田正紀が真っ正面から挑んだことによって、本書はそういった形容詞以上の風合いというか、風格というか、独特の迫力のようなものを備えてしまっている。 核にあるストーリーはシンプルといってもいいくらい。なのに、その輪郭を途轍もない孤独で覆っているような印象がある。未来設定ではなく、そこに生きる人物ならではの孤独にまで突き進めた思考がベースにある。もちろん、個々の登場人物(含む、犬)設定の妙や、脇役の存在感といったあたりが上手なのはいうまでもないが、彼らや世界に比して主人公の抱える行き場のない気持ち(孤独感といえばいいのか)が着々と物語の進行中も主人公のなかに積み重なっていく。その結果、物語における無機質な世界のなかに独特の叙情とセンチメンタリズムを織り込むことに成功しているように思えるのだ。恐らく誰が読んでもその孤独を感じ取ることになる。

設定は借り物なのかもしれないが、本書の底流に流れる山田正紀の魂によって、本書は山田ボイルド(さっき考えた)の作品群のなかでも遜色ない出来となっている。原作を知らなくとも、この渋み、そして人間ならぬ者だからこそ強調される孤独を噛み締めることは十二分に可能な作品。普通に読ませて面白く、深読みさせてさらに面白い。さすが山田正紀。レベル高え。


04/10/15
大山誠一郎「アルファベット・パズラーズ」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

大山氏は'71年生まれ。翻訳家で訳書には『永久の別れのために』(エドマンド・クリスピン)、『死の殻』(ニコラス・ブレイク)がある。かつてe-NOVELSにて開催された犯人当て企画『彼女がペイシェンスを殺すはずがない』(『本格ミステリ03』(講談社ノベルス)にも収録)の出題者でもあり、単著は本書がはじめてながら本格ファンからの支持は厚い。

三鷹市井の頭公園近くにあるマンションに住む四人の男女。元民事弁護士でマンションのオーナーである峰原卓、翻訳家の奈良井明世、精神科医の竹野理絵、そして捜査一課の刑事である後藤慎司。仕事柄、犯罪と関係することの多い彼らは時折オーナーの部屋で寛ぎながら、犯罪談義をすることを楽しみにしていた。そんななか取り上げられる三つの事件。
大きな御屋敷に住むある女性は被毒妄想に囚われているという。お手伝いさんが彼女を毒殺しようと狙っていると思い込み、大好きなアフタヌーンティーの時間にも缶入り紅茶しか口にしようとしないという。 『Pの妄想』
指紋認証によって厳重に管理された博物館内で殺人が発生した。しかし記録されたデータを検討する限り、犯人となる人物の出入りがあり得ないことが分かり、後藤は仲間に助けを求める。 『Fの告発』
京都市内で新進ベンチャーの社長の息子が誘拐された。父親は警察への通報を決断。一億円の身代金を用意し、犯人の要求通りに市中を駆け回った結果、ボート小屋に身代金を置いた。しかし犯人は警察への通報を理由に身代金ごと子どもを爆殺してしまう。しかも、共犯と思われた人物が直後に殺害されてしまい、真犯人は闇の中に消えてしまった。面々はインターネットにて再掲された手記をもとに、京都に乗り込んで実際に捜査を開始した。 『Yの誘拐』 以上三編。

ちょっとした不合理の歪(いびつ)を取っかかりにロジックの美しさを描き出す。本格ミステリ斯くあるべし
地味……といえば地味な作品群だとは思ったが、それがそのまま滋味に繋がっている。一見、どうということはない事件、それに半分迷宮入りしそうな事件。それらを、それぞれ独自の視点を持った四人の安楽椅子探偵たち(実際には捜査活動を行ったりもしている)が、事件のちょっとした矛盾や特徴から論理を用いて解き明かす。
それだけなら、本格ミステリとしての要件でもあり、どうということはないように聞こえるかもしれない。だが、その「ちょっとした矛盾」「事件の持つ特徴」といったあたりの、着眼点が抜群に素晴らしいのだ。それぞれの事件に「明らかにおかしい点」というのはほとんど存在しない。全て、事件を眺めているとこういったシチュエーションだとこうだよなあ、という感じで、関係者の行動は実に当たり前に見えてしまう。それなのに突き詰めていくと、ごくごく微妙な引っ掛かりがあって、その引っ掛かりを更に突き詰めていくことによって、事件の全体像が思いも掛けない方向からひっくり返されてしまうのだ。本格ミステリによって得られる、快感のエッセンスの凝縮された姿がここにある。この「引っ掛かり」が地味ゆえにミステリとして地味にみえてしまう訳ではあるが、ミステリとして全編通じた際の反転が実に鮮やかであるゆえに「滋味」へと評価が一変するという寸法だ。
誘拐ミステリとして二転三転の展開をみせる中編『Yの誘拐』に関しては逆に中盤まで推理が可能である点がポイント。ある程度事態を検討すれば、主人公たちが辿り着く幾つかの回答には読者も届くものと思う。そこで終われば凡作なのだが、周到なる作者はきちんとどんでん返しを用意している。正面からではなく横から不意打ちを食らった印象ではあるのだがインパクトが強烈。また個人的には「缶紅茶」に実に意外な特徴を付与している「Pの妄想」の完成度に驚いた。

刊行のタイミングが各種ランキングの締切近くという不幸はあるが、本格ミステリとしての完成度は年間ベストクラス。決してけれん味が溢れるタイプでもないし、萌えるキャラクタが登場するものでもなく、派手さは少ない。だがその裏でじっくり醸成されたロジックが深く濃く味わえる。本格ミステリファンのための本格ミステリとでもいうべき作品集である。


04/10/14
鳥飼否宇「太陽と戦慄」(東京創元社ミステリ・フロンティア'04)

アヒルと鴨とコインロッカー』によって華々しくスタートしたこの叢書も本書で八冊目。登場するのは、第11回横溝正史賞の優秀作品となった『中空』にて獲得した鳥飼氏である。

父親の財産を受け継いだ泉水和彦は天啓を得て導師を名乗り、地元・綾鹿市に住むストリート・キッズたちを「道場」(通称”スラッグはウス)なる場所で「使徒」として養っていた。身長が150センチに満たないリトル、ドラマーのナオミ、ヴォーカルのコージ、そして導師の養子でベトナム生まれまがら日本国籍を取得しているズアン。彼らはバンド《ディシーバーズ》を結成、未成年ながらマリファナやアルコールを摂取しながら、日々練習を続けていた。導師は「人間は滅びるべきである」という危険思想を優しく周囲に伝えるカリスマであったが、リトルらを養う以外の宗教活動はほとんど行っていない。それぞれ固有の背景をもったキッズたちのこともあり、警察も彼らを胡散臭く感じてはいたが、実際の被害がないため手を出せなかった。その《ディシーバーズ》の初ライブ。緊張しまくったせいもあり、演奏は上手くいかず、ライブハウスの人間とのトラブルも発生、しかし何よりも密室状態の楽屋のなかで、その導師が首を絞められて殺害されていたのだ。それから十年。《ディシーバーズ》のオリジナル曲の歌詞をなぞるようなテロ事件が次々と発生するようになる。

新興宗教絡みの事件を、その内側からリアルにそして切なく描く。ミステリよりもそちらのテイストが強し
ライブハウスという閉塞性の強い密室現場にて殺害された導師。また、世間の誰もしらないようなオリジナル曲の歌詞通りに発生する大規模テロ。ミステリという意味での解かれるべき”謎”が、物語中に点在し、本書が「ミステリ・フロンティア」のなかの一冊である点を強調している。だが、作者が本当に描きたかったのは、こういった密室や法則性を解決することよりも、このリアルな新興宗教と破壊思想に彩られた物語なのではなかったかと感じられた。
前半部は登場人物、おもにバンドメンバーそれぞれが抱える固有の背景の紹介に頁をかなり費やしている(なぜ彼らはストリートキッズとして生きていくしかなかったのか)現代社会の抱える妄想や悪意の結果、そういった子どもたちがとばっちりを喰らっていく様子が淡々とした筆致で描かれる。ただ、別の新興宗教の教祖の息子であるリトルをはじめ、彼らにはちょっと変わった経歴があるのもひとつ特徴だ。往年のロック歌手の名曲や音楽界に実在したカリスマも数多く登場。他に類似した例をすぐに思いつけないほど、このカルト教団は変わった(ひねくれた?)存在である。
密室殺人事件があるものの、どちらかというと後半部における指向は本格ミステリよりもサスペンスにあるように思われる。特にバンドのメンバーが次々とテロ事件の現場から死体で発見され、事情を知らない主人公が戸惑うのと同様、読者も不安な気持ちを共有させられてしまう。しかも必ず事件には続きがあり、それがどのようなかたちになるのか見えないし、導師が死んだ後、誰がこの事件を牛耳っているのかも分からないのだ。名探偵が出てくるタイプの物語ではないが、実に幾つもの謎を解明した先に見えてくるものは……? ここでは書けないが宗教における狂信者の持つ恐ろしさをまざまざと感じさせられるのである。

思わず、本書に登場した音楽のCDを引っ張り出してこの評を書いている。ちなみに本書は文学的で音楽的、そして破滅の予感に充ち満ちた不思議な物語でもあった。後味の悪さもこのストーリーならば仕方がないだろう。


04/10/13
島田荘司「龍臥亭幻想(上下)」(光文社カッパ・ノベルス'04)

遂に、という印象もある。石岡和己をメインに据え『龍臥亭事件』において積極的な邂逅を果たした御手洗シリーズと吉敷シリーズの探偵二人、即ち御手洗潔と吉敷竹史が同じ謎に取り組むという(シチュエーションは流石に変則的ではあるが)初の作品。島田氏の長編としては昨年の『ネジ式ザゼツキー』以来、約一年ぶりの作品である。

『龍臥亭事件』の舞台となった貝繁村。事件から八年、石岡や里美といった関係者が久しぶりに集まることになった。石岡は地元法仙寺の日照和尚から、平成の龍臥亭の事件、そして昭和の都井睦雄の事件より以前、明治の時代にこの地であったという森孝魔王(しんこうまおう)の事件について聞かされる。貝繁村に別宅を建てた元大名の華族・関森孝。風流は愛でるが経営能力のないこの人物の代に関家は没落してゆき、森孝は別宅を本邸とする生活に入ることを余儀なくされる。年若い妻と愛人、そして元愛人で屋敷で権勢を振るうお振りという女性との暮らしのなか、森孝の威厳は失墜してゆく。森孝は妻の策略によって事故に遭い足を切断、出歩かない夫を良いことに使用人と浮気をする妻。しかし、ある晩、森孝は鎧甲を身につけて裏切り者たちに血の制裁を加え始めた! ……実際にあった話に身震いする石岡であったが、また彼は実際に最近発生した事件の相談を受ける。貝繁村の近くにある大岐神社で祭礼の日に人間が消えた事件があったのだという。周囲を螺旋状に囲んだ山の頂上にある神社で、周囲が参拝客で監視されていたにも関わらず、巫女を務めていた筈の若い女性がまるで神隠しにあったかのように消え失せたのだという。さらに遅れてきた里美を乗せた車は、途中で浮浪者同然にて村で暮らしていた男性の行き倒れ死体を発見した。雪で孤立した村で、それから奇妙な現象が起き始める……。

どこか懐かしささえある。島田荘司にしか打ち出せない、あの強烈な幻想、そして快刀乱麻の解決がここに甦る
かつての島田荘司の打ち出すミステリ、しかも高い評価を得ている作品には、大まかな意味での定型のようなものがある。冒頭までに作品のなかで、昔話やお伽話のようなかたちで”ミステリー”が描かれていること。その”ミステリー”は”謎めいた物語”といったニュアンスでちょっと現実ではあり得なかったり、あったとしてもかなり特殊な事件だったりする。それを模したような現実の事件が発生し、御手洗、吉敷といった名探偵がその謎(現実の事件のみならず、その”ミステリー”における謎を含めて)鮮やかに解きほぐし、読者を新たな地平に立たせてくれる――。
本書を通読して、その定型の存在を改めて感じさせられた。その自らの定型を丁寧になぞったかのような見事なミステリ。特に上下巻含めての四分の三あたりまで、ずっとその謎をベースにしてこれでもか! とばかりの不可能・不可思議犯罪を積み重ねていくあたりの手腕は実に見事。まだまだ若い者には負けん、というよりも、島田荘司は別格であることを見せつけるかのような展開にひたすらに痺れた。
神社で忽然と消えた女性。コンクリで固められた土の下から地震のハプニングで現れた死体。鎧甲に具足をつけ、村の悪人を退治してしまう森孝魔王の再来。消えた死体、切断された死体。百年前の姿で現れる森孝。謎の手紙……。この不安感、物語のなかで「ホントにこの謎が解けるの?」という不安定感は、島田作品ならではの迫力と魅力に満ちている。村に伝わるエピソードを創作するかたちで謎の肉付けをしていくあたり、実に巧い。
そして、当然その謎は解明される。解明に至って改めて島田荘司の持つ創作能力の高さに舌を巻く。実に細やかで、かつ読者の目をスルーさせられていた伏線。時間と空間を自由に羽ばたくことによって得られるトリックの破壊力。 往年の島田作品を読んで、口をあんぐりしていた頃の自分をふと思い出す。なぜなら、この作品でも同じ表情を自分が浮かべていたことも間違いないから。(一点だけ不満があるとするならば、最後に残された謎の解明が、名探偵による論理ではなく、実行者の告白というかたちになっている点か。これでは推理の余地がない……とはいっても、その伏線はきっちり張られているので、読者が名探偵でさえあれば解けるのではあるが)。

一時期の島田荘司氏の同人活動(?)には少々疑問を呈していた自分ではあるが、こういった作品を見せつけられると何も言えなくなる。『龍臥亭事件』を読んでおくにこしたことはないものの、あくまで人物及び舞台の設定におけるリンクでもあり、本書単独で読んだとしてもネタバレ等に出会うことはない。いやいや、何よりもこのトリックと構成のみならず、これをこういったミステリに仕上げるという行為は、少々の才能では太刀打ちできるものではない。島田荘司、恐るべし。ひたすらに感服。


04/10/12
皆川博子「薔薇密室」(講談社'04)

一九三〇年生まれ。齢七十を超えてなお、旺盛な執筆意欲を持ち、幅広いジャンルにおける高い水準の作品を生みだし続ける作家・皆川博子。本書もその実力を裏付けるような歴史幻想小説。書き下ろし。

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの実力者ヒムラーは束の間の激務から離れるために、ドイツの山奥にある”薔薇の僧院”が接収し、癒しの場としていた。そこに自らの美学に基づいて双頭の男の子、感情を楽器でしか現せない子、年齢を重ねても成長できない男など異形の子どもたちを集め、元よりその僧院に住み着いていた薔薇育成の天才の中年男と、太った尼に任せるかたちで運営をさせていた。――その”薔薇の僧院”には、第一次大戦の頃、黴毒について独自の研究を進めていたものの世間に認められることのなかった科学者ラオレンツ・ホフマン博士が住み着いており、薔薇と人間の男とを共に育てる奇妙な研究をしていた場所。傷付いた若い士官を運び込んできた脱走軍人は、そこで薔薇と共生する元男娼のヨリンゲルと出会う――。『〈ヴィーナスの病〉の病原体とその治療薬に関する研究』と題された本に記された物語。ポーランドに生まれ、戦争に巻き込まれて苦労を重ねる少女・ミルカ。窮乏する生活のなかで侵略者であるドイツ軍の映像技師・ホフマンの庇護のもとドイツに居を移した彼女もまた、その本と物語に翻弄される――。

壮大にして緻密、繊細にして大胆。幻想がかった物語でありながら歴史の真実を鋭く衝く――この傑作においてさえ皆川博子の世界の片鱗でしかない
「物語を必要とするのは、不幸な人間だ。」――ヨハンネス・アイスラー
小序にあるエピソードに続いて一行だけ書かれている、冒頭のこの台詞が、非常に抽象的ながら物語のイメージを最も的確に表しているように思う。上のあらすじを読まれると分かるかもしれないが、まず筋書きだけを抜き出すことさえも非常に難しい物語である。かといって、物語が難解なのではない。どちらかといえばスケールが大きすぎること、そしてその物語の筋が複数に跨っており、かつその個々の物語が現実と幻想のあわいのなか、どちらなのかの判断を簡単にはさせてくれないことにある。そして、その壮大なあやふやさ、強烈なるペテンが皆川文学の魅力の一つ(そう、これだけの技術をもってしても数ある魅力のうちの一つでしかない)に数えられる。
美しい男と共生する薔薇。黴毒の治療。スピロヘータによる一瞬の煌めき。身体の成長のないまま成熟する男。異形の子どもたち。顔面の崩れた元男娼。SS。ポーランドの崩壊。銅版画。異母妹への憧憬。総統。戦争の侵攻。青い革表紙の本――。キーワードとなる事象が数あり、それらは複雑に絡み合いながら物語を形成する。そこにまた技巧が加わっているため、読者の幻惑感は強まって仕方がない。現実そのままに描かれる幻想と、幻想らしい幻想と、幻想としか思えない現実と。果たしてどのエピソードが真実なのか。 恐らくは作者は微笑みを描きながら執筆したであろう作品の凄まじさに打ちのめされるような気分。選択肢は読者に委ねられており、その結果、この読後感は個々の読者によって微妙に異なってくることも致し方ない。
冒頭のエピソードに繋がるスケールの大きい恋愛譚である一方で、侵略する者、された者、その狭間で感情を引き裂かれる者を描く戦争文学でもある。特殊なテキストの謎を巡るミステリでもあり、現在の科学ではあり得ない現象を描いたファンタジーでもある。しかも、それらが大胆に繊細に入り交じっているがために、単なるジャンルミックスなどという簡単なことばで形容できる代物になっていない。 結局、評者としては「皆川文学」という便利な呼称に縋るしかない。
どうにかこの作品の素晴らしさを伝えたいと思い、いろいろ弄してはみたが、私如きではこの作品の素晴らしさをまとめるのは、そもそも無理。読者として物語と対決するのではなく、五感をひたすら鋭くして世界に浸るための文学なのだろう。結局のところ。

大作――ではあるのだけれど、その厚みを感じさせない展開。個々の密度の濃さはいうまでもなく、物語という文学形態の魅力が全て詰まっている。読んで損はしない。というか、今年、この作品に出会えた自分を幸福だと思わせられる。本当に凄い作家だと思う。


04/10/11
吉村達也「トンネル」(角川ホラー文庫'03)

角川ホラー文庫が創設させた当初より、吉村氏は積極的に作品を寄せていたように記憶しており、最近は韓国ホラー映画のノベライズ等を手がけた関係もあって更にその注目度を増している。本書もホラー文庫書き下ろしにて発表された作品で、同文庫での十三冊目にあたる。

女子高生がまぶたにマッチ棒を嵌め瞳を見開いたまま自殺。新幹線ではトンネルで外を見ていた会社員が精神の変調を起こし、ジェットコースターに乗っていた若者は目を閉じないまま、安全バーの下をくぐって宙に放り出されて死亡した。一見、関連性のない怪事件が続いていたある日、渋谷の映画館で極秘裏に上映された自主制作の映画を鑑賞していた374人全員が消失する事件が発生、同日、東京ローカル新聞の記者・笠井は、自社宛にかかってきた泥棒? からの電話を受けた、特ダネ主義のデスクの指示により、目黒区五本木の現場に向かった。笠井と同僚の矢野は現場にて腹に不気味な丸い穴を開け、苦悶の末に命を喪った死体を発見した。しかし笠井の様子はその家に入ってからおかしくなってしまう。一方、映画事件の調査を開始したのは、警察に所属する政府特命のチーム・クアトロという四人組。超能力者二名に精神分析医、そして天才ハッカーを加えた彼らは、流されていた映画がトンネルの映像であることを突き止めるが、一向に現場消失の謎を解き明かすことが出来なかった。彼らはどうやら一般常識では考えられない事態に巻き込まれたらしいのだ。

スムースな語り口、絶妙の展開に唐突な残酷世界。人間の精神含めてホラーを捉える吉村作品らしい内容
一つは、一軒家のなかに放置された謎の死体。ガムテープで縛られたうえにお腹の周辺部に枠取られるように火傷があり、そのなかに三つ惨たらしい穴が開いている……。そしてもう一つは、脱出不可能の映画館からの三百人以上の人間消失。ホラーを標榜する作品である以上、それらに論理的な解決があるわけもない……と思っていたら、少なくとも前者には想像を絶する”過程”が隠されていたりもする。
新聞記者・笠井の変質、その姉の耀子の不気味な行動に加え、百数十台のパソコンの画面に映し出される苦悶した人間の顔といった映像がベースとなったような恐怖の盛り上げ方は、吉村ホラーらしい味わいに満ちている。加えてトンネルというテーマに仮託して、闇というものの根元的な恐怖をじわじわとも盛り上げていく。構成によって物語内部の緩急が激しく、読み出すと止まらない。特に中盤から後半以降、逆ネズミ算という独自の理論、そして視覚に関する科学的な蘊蓄を絡めて「理」に訴える怖さと、あくまで「不可思議現象」による怖さを並行して描き出していくのも特徴の一つ。とにかくとっつき易いだけに、不思議な怖さが長らく続く印象がある。また、例えば「若者は劇場に入ってもマナーモードにはしても携帯電話の電源は決して切らない」といった、ごく普通の人々に対する鋭い観察結果が、物語にさりげない現実感を付与している。このあたりの細かなエピソード遣いも巧い。

ただ、最終的に微妙にサイコがかってしまうのも特徴で、恐怖の対象が相手(通じては読者)にくどくどと説明を加えてしまうよりも、このあたりをぼやかしてしまった方が強烈な怖さを演出できそうな印象もある。ただ、吉村氏の読者の方を向いた姿勢からは、こういった不親切な怖さはあまり出てこないものなのかもしれない。いずれにせよ、吉村ホラーらしいホラー作品という印象を持った。