MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


04/11/10
早瀬 乱「レテの支流」(角川ホラー文庫'04)

'04年の第11回日本ホラー小説大賞の長編賞佳作作品。早瀬氏は一九六三年生まれ。本書がデビュー作品となる。

自分の記憶の一部を消すことができる――。
今はしがない不動産仲介業の仕事をしている館岡怜治は高校から成績抜群だった。理工系の大学に入学後、バンド「レテ」を組み全国デビューを行うなど人気は絶頂を極めた。しかしその後に人気が凋落、バンドは解散した。ソロデビュー、プロデューサー業等をことごとく失敗。今は過去の栄光にすがって暮らす毎日。怜治は平穏な生活を得るべく、その人気バンドでの成功体験の消去を友人でS大学医学部で脳の研究をしている山村に依頼する。手術は成功し、怜治は長らく別居状態にあった優子ともあっさり離婚を成功させ、理想の暮らしに入ったかと思われた。ところがその術を受けてから、自殺した筈の高校の友人の姿が見えるようになり、怜治は混乱。同時期に、同じように記憶消去を行った人間たちの多くが怜治の高校時代の友人で、彼らはそれぞれ奇妙な体験をするようになる。山村の師匠である小山教授が後ろで何か糸を引いているようなのだが――。

記憶を主題にした科学的ホラーが一転、世界の変質をもたらす恐怖の物語へと変わってゆく
一応は記憶をテーマにしたホラー長編という分類になろう。こういった記憶をテーマに扱うSFやミステリは数多く存在する。本書も冒頭近くはその流れを汲んでいるかのようにみえる。記憶を消した結果、見えるはずのないものが見えるような体質に変じてしまう――というストレートな恐怖。これでじわじわと雰囲気を盛り上げていく。ここまでは普通。既にデビューを終えた作家ならばこのまま押し進めても商業レベルの出版にはなっただろう。
本書の特徴は、記憶消去から後に発生するイベントがちょっと流れからは想像つかないタイプであること。医学用語、精神用語を駆使して、(現代の医学においては)あり得ない手術を詳しく描写する。ただ、この行為による記憶の変質を内的に処理せず、外部に対する影響という方向に持ってゆくあたりが勢いというか非凡さの現れといえる。とにかく数人の記憶消去事件のはずが、都市一つどころか地球規模の変質を発生させてしまうあたり、作者の意気込み(あるいは悪ノリ?)が感じられるのだ。
一方で、全体的な緊張感はあるものの、物語内部における焦点やポイントが今ひとつピンと来ない。特に後半部の主人公たちの行動の理由、目的といったあたりが整理されておらず、勢いで突き進んでしまった印象がある。解説で大森望氏が述べている通り、恐らくそういった点を徹底的に並べてゆけば矛盾点や考え方の飛躍等が出てくるはず。ただ、特に後半部に不気味な迫力と勢いがあるため、読者にその部分をゆったりと検討する時間を与えてくれないようになっている。

コンセプトをそのままに、プロットと構成をもう少し読者に与える効果を検討していれば、傑作足り得る内容だけに、なんか惜しい。


04/11/09
和田頴太「南海の密輸船」(ソノラマ文庫'77)

和田氏は'75年小説現代新人賞を「密猟者」という作品で受賞。その後、捕鯨に関する作品を著したりしているが、代表作(たぶん)がこのソノラマ文庫に収録された「サウンド・ハンター・シリーズ」全五冊ということになりそうだ。本書はたまたま小生が見つけた三冊目で、これ以前に『大森林の逃走』『白いオオカミは撃つな』、本書以降に『スーパー・スターを奪回せよ』『豪華客船危機一髪』がある。

サウンド・ハンターとは、様々な”音源”を直接現地に赴いて録音する技師たちのことで、フリーないし依頼されて各地に赴いて仕事をする。当時の録音は種々の条件に左右されるうえに重い機材を運び回る特殊な仕事であった。オーディオ評論家である山脇達郎が主宰するプロ録音技術者集団「サウンド・ハンターズ・クラブ」。矢島響はまだ高校生ながら、その確かな腕と抜群の耳の良さが評価され、一人前のサウンド・ハンターとして認められている。山脇は響に対し、先輩録音技師の佐々木の助手として、ドルフィン・レコードが要求する音源を録りにシンガポールとマレーシアに行かないかと誘いをかける。現地の雑踏であるとか、現地にしかいない生き物の鳴き声、そして舞踏音楽を録音して欲しいというものだった。引き受けた二人は順調に仕事をこなし、類人猿の鳴き声を録音するため密林へと入る。そこで佐々木は怪我をし、更に奥地の村の人々を録音するために響はガイドを伴い一人で向かうことになった。しかし、その村では村長の息子が行方不明となっており、目的の舞踊は行われないという。珍しい鳥の鳴き声を録音しようとした響は、そこで不穏な会話を立ち聞きしてしまい……。

正統派の少年冒険小説でありながら、いわゆる”武器”に変化があってアクセントに
執筆された時期ならでは、という印象がある。これより昔であれば、海外に少年が一人で取り残されて冒険をするというのはかなり特殊な事情を設定しなければならなかっただろうし、これより後であれば、東南アジア程度ではこのような未開の地を設定すること自体が難しい。特殊な技能を持った少年ならば、或いは有り得るというぎりぎりの設定。日常の延長線に有り得るかもしれない冒険の舞台という意味で、執筆当時であれば「あり」の世界が創られている。そして、主人公は録音という技能こそ持つが普通の少年(高校生というのを少年とするのはおかしいかもしれないが、現代感覚でいえば主人公はやはり少年としか表現し得ない印象がある。スレていないというか率直に過ぎるというか)。
内容はいわゆる巻き込まれ型冒険ストーリー。 取材に南国の密林を訪れた主人公が、現地の密輸入組織に捕まってしまったものを、いかに脱出するかというストーリー。特に捕まりながらも、機転を効かして脱出し、しかしまた事情によって再び捕まって今度は異なる方法を案出して脱出、という繰り返しの展開が面白い。この経過のあいだにも敵キャラの性格にイメージが肉付けされていく心遣いも小憎い。正統派冒険小説としての妙味はもちろん、主人公が録音技師であるというポイントもところどころで巧く物語のなかに活かして使われており、単なる荒唐無稽な冒険小説という流れのなかに絶妙のアクセントをつけるのに役立っている印象だ。主人公のちょっとした恋愛ストーリーが絡められるなど、スパイスも利いており、安心して読める内容かと思えた。

あまり古書店でも見かけることのないシリーズでもあり、所有している人も限られるのであろう。血眼になって探し求める程の作品ではないとは思うものの、初期ソノラマ文庫の推理もの、ということで所有されているだけの方がおられるなら、一度目を通してもそれほど損はない内容である。時代の香りがかえって良い感じ。


04/11/08
小路幸也「Q.O.L(キュー・オー・エル)」(集英社'04)

'02年、第29回メフィスト賞を受賞した小路幸也氏。本書は氏の三冊目にあたる単行本で、早くも講談社以外の版元からの刊行である。書き下ろしのノンシリーズ長編。(彼らの活躍は続くのかな?)

三崎龍哉。千田くるみ。酒井光平。彼らは大学生の頃にふとしたきっかけで巡り会い、葉山の山沿いにある龍哉が母から遺された古い大きな家で社会人になった今でも三人で暮らしている。龍哉はかつてワルだった時期があり、またカリスマ音楽バンドに所属していたが今はリタイアして無職。くるみは図書館の司書として、そして光平は農林水産省の官僚となっていた。そんな暮らしのなか、音信不通だった龍哉の父親が死んだとの報せが入る。母親一人の手によって育てられていた龍哉にとって、父は生物学上の存在でしかなかったが、その遺産となる一台のアメリカ車、そして「あるもの」を、龍哉の命の恩人に運ぶという役目を引き受けるために、北海道へと向かうことになる。その「あるもの」とは実弾入りの拳銃。そして、その話を聞いたくるみと光平は、二人とも龍哉についていくことにする。くるみにも、そして光平にも殺してやりたいほど憎んでいる人物がこの世に存在し、そして二人はこの拳銃を使ってその気持ちを実行しようと考え始めたのだ。

人間が隠し持つ重く辛い感情を俎上に乗せ、コクは残しつつ優しく軽めに仕上げた物語
pulp town fictionの他作品を読了した直後ということもあったので、もしかしたらちょっとした先入観があったかもしれない。序盤、浮世離れしたような暮らしをする男女三人の不思議な関係が序盤で浮き上がるにつれ、これはこれで男女関係を軸にしたファンタジーなのかな……とも思った。ただ読み進むにつれて、当然その思いは霧散する。かなりハードな内容を伴う物語なのだ。
それぞれ独特の感性をもち、それぞれ何らかの辛い過去をもって生きる三人が、一つ家に集まって暮らす。一丁の拳銃の存在が光平、くるみが心の奥底に隠しもっていた殺意を浮かび上がらせる。三人の視点によって順繰りに語られることで構成される物語は、立体感をもって読者の目前に迫る。やさしめに、ともすればのんびりしたように思われる文章のなかで綴られる重い過去。この軽さと重さのギャップがこの物語の独特の雰囲気を作りだしているといっていいだろう。
殺人計画はある別の突発事件にとって代わられてしまい、物語は別のスピード感覚をもって動き出すのであるが、そのあたりのテンポの切り替えも良い感じ。それぞれの個性が見事に演出され、それほど多くない登場人物をうまく配置することによって物語を雑然とさせないまま、それでいて人間の動きを読ませない……という絶妙の配慮がなされている。読者によって感情移入する相手は異なるとは思うが、それが誰であれ物語に吸い込まれるはず。
最終的な落ち着きどころ、謎だった様々な事柄の真相についての意外性はさすがに小さい(のは当方がミステリ読みだからかもしれない)が、物語のピースが巧みに嵌っている印象。物語ができる前に作者の頭のなかで引かれただろう設計図からが実にキレイだったんだろうな――と感じさせられる作品である。
ただ、その結果――青春ミステリともちょっとしたコンゲーム小説ともいえる作品であるにもかかわらず、どこかファンタジーめいた印象もまた読後に覚えたことも事実。(悪い意味ではない)。この世界が、世界として完成した存在だから……なのかも。全てが現実に即した内容であるにもかかわらず、現実をあまり感じさせないというか。

三冊目にして小路幸也という作家の器用さを感じさせられる作品を見せつけられた感。随所に挿入される印象的な小道具(本書でいえば車だとか)、人物像の描写の巧みさといった小説としての技巧はもちろん、物語としての豊饒なイメージを膨らませることにも長けている。なんというか――読者への「見せ方」を既に手の内にいれている作家なのだと思う。


04/11/07
吉村達也「鳥啼村の惨劇」(徳間文庫'95)

吉村氏の代表的名探偵の一人、朝比奈耕作ものの初期作品。『花咲村の惨劇』に続く第二作目にあたり、続く『風吹村の惨劇』『月影村の惨劇』『最後の惨劇』と合わせ「惨劇の村五部作」として、トクマノベルズにて'92年刊行されているものが元版。本文庫版も毎月順に刊行されている。

推理小説作家・朝比奈耕作が発表した沖縄を舞台にした本格ミステリ『失われた七人』をドラマ化したいという企画が持ち込まれた。仕掛け人は東京ベイテレビに勤める三十過ぎの編成プロデューサー・鶴巻、そして制作部のベテランプロデューサー・柿沼。彼らは登場人物の一人に今年七十五歳になるベテラン俳優の鏑木敬造を登用、脚本はこれまた大物の窪田六郎を起用するなど力の入ったところを見せようとするが、『失われた七人』自体の筋書きを大幅に変更したいと申し出たため、朝比奈は態度を硬化させる。だが、彼らがロケ地として挙げたのが伊豆諸島最南端の青ヶ島と知り、朝比奈耕作は衝撃を受ける。そこには父親の郷土史家・朝比奈耕之介の残した四行詩に登場する「鳥啼村」があるのだ。結局、判断を保留にしたまま、打合せのためのホテルに鶴巻と共に出向いた耕作は、オートロックの部屋の中で青酸カリによって死亡している柿沼を発見する。部屋にはカルピスとスイカ。そして念仏を唱えるインコが一羽。直前に廊下を走っていった女優顔負けの美しい女性が事件に関係していると思われたが……。

前作の本格指向から一転、財宝伝説を巡るサスペンスへと転ずる。繋ぎの意味合い強い一作
満を持してスタート、といった意味合いを感じた『花咲村の惨劇』に比べるとこの作品の方向性は明らかに異なっている印象がある。もともとの吉村氏の出身でもあるテレビ関連業界を使うことによって作品内に独特の雰囲気を醸し出すことは成功しているものの、その業界の特質とも相まるのか、少々浮ついた雰囲気は否めない。五部作の二作目にして書き急いでしまったのかもしれない。
導入から冒頭の惨劇。これが青酸カリ死、スイカ、カルピス、インコに加え、ナタで腕を切られて青ヶ島に残る伝説を再現したかのような数多い謎があり、容疑者にもアリバイトリックの匂いがぷんぷん漂っている……という本来であれば魅力ある謎……のはずなのに、全体を通じてみればどうにも存在感が希薄。容疑のかかる人々が俳優や女優、テレビ局内部の事情といった派手な人物であり、そちらの描写にどうも筆を割きすぎているように思われるところが一点、そしてその事件と鳥啼村とがむりやりに繋がれているように思える点が一点。気付けば、その事件をほったらかしにしたまま関係者一同が南の島に向かってしまうという展開がちょっと急すぎるように感じさせられる最大の理由か。
結局、後半の物語の焦点は、冒頭近くに謎の死を遂げた柿沼の事件よりも、その柿沼が追っていたという南の島の財宝伝説の方に移ってしまう。「その財宝がいったいなんなのか」という点は、確か初読の際には非常に気になった点を思い出した。ただ惜しむらくはその正体の説得力が薄い点か。そこまで苦労しなくても他にもやり方があるだろう、と計画者の狙いのあまり不確実さはフィクションのためのフィクションといわれても仕方ない。

「惨劇の村」五部作を読むのであれば避けて通れない作品でもあり、ここで登場する人物は後の物語にも関わってくる。ただ、単体としてはあまり多大な期待を抱かず、軽く読み飛ばされても仕方ないレベルかと思われた。


04/11/06
森 博嗣「ナ・バ・テア」(中央公論新社'04)

ハードカバー版の装幀をみれば一目瞭然だが『スカイ・クロラ』に続くシリーズの第二作品。半年おかずにC★NOVELSにて新書版が刊行されているが、そちらは表紙及び巻頭に鶴田謙二氏による本書のイメージイラストが加わっている。(とはいってもハードカバー版の夕焼けをイメージした表紙も捨てがたいのでお好み次第)。

僕ことクサナギは、そのチームに転属になった。チームを率いるのはティーチャと呼ばれる伝説のパイロット。人間個人に興味をあまりもたない僕だったが、さすがに彼のことは気になった。そのチームで使用している飛行機は翠芽と呼ばれるタイプで、それまで散香という機体しか知らなかった僕にとっては少々重かった。それでもティーチャと初めて出撃した時に、僕は一機を落とした。だがエンジンに軽微な被弾があったことが気に入らない。整備士のササクラはそんな僕をフォローする。僕は純粋に飛ぶことが好きで、飛び続けるために相手を撃ち落とす。しかし、その結果を周囲に誇ったり、地上に降りたあとつるんで騒いだりすることが好きではない。着々と実績を上げる僕。周囲にいた同僚たちも、戻ってこなくなり、僕は様々な人々の注目を集めるようになる。

森博嗣の趣味とテクニックとが混じり合う、最高の空間にして最高の物語
「ナ・バ・テア」って何やねん……と最初は思ったが、よくよく表紙をみれば「Non But Air」をカタカナ読みしたものだということが分かる。そしてシリーズの二作目にあたる作品ではあるが、登場する飛行機の名称や、また別に登場人物の繋がりをじっくりみれば、本書が第一作の『スカイ・クロラ』の前日譚にあたることが分かる。
扱っているのは戦争。だがその戦争を実施しているのは会社。そしてその会社に雇われるというかたちで、特殊な身体を持つ少年・少女のパイロットが血で血を洗う戦いをする――という無常観ある設定。森博嗣という作家と、この突き放したような戦争に対する設定とが何か奇妙な取り合わせのようでいて、非常によく合っている。また、これらの設定について(戦闘機のスペックなんかは特に)これがかなり詳細に裏で決められているようにみえるに関わらず、あまり前面に細かく出てこない。この控えめな態度によって、実に静かに、それでいて深くファンタジー空間がリアルに感じさせられる。主題としては、クール系の物語の多い森博嗣作品群のなかにおいてもさらに強い孤独指向を持つ主人公の生き様。これが実に淡々と描かれるのだが、その淡々さゆえに、心の微妙な揺れが直接読者に届くという寸法となっている。
主人公に対し感情移入はできなかったが(個人的な問題かもしれない)、複数の登場人物が互いに緊張感を孕みながら影響しあって関係性を創り上げていく過程もスリリング。アクションにしろ、会話にしろ抑制されたリズムのもとに描かれている点も計算されているのだろう。 このあたりの計算された上手さは無視しようにも、無視できない完成度を誇る。

以前に『スカイ・クロラ』でも書いたが、森博嗣の物語が本来立つべきフィールドはこの作品の近辺にあるように感じられてならない。何にしても、登場する個々人よりも、創造されている大きな世界全体に漂う雰囲気が、実は主人公ではないかと思わせる戦闘ファンタジー。そして、その詩的で孤独な世界に静かに浸れるのが良い。


04/11/05
舞城王太郎「みんな元気。」(新潮社'04)

もう世間的にはメフィスト賞出身であることが忘却されつつあるような扱いとなっている舞城氏の八冊目の単行本。『新潮』の二〇〇四年一月号より同九月号までに発表された作品に書き下ろしの『Dead for Good』が加わっている。(以下、短編の梗概をまとめるのは私には不可能だったので、冒頭の文章でお茶を濁します)。

目を覚ますと、隣で姉の体がベッドからだいたい十五センチくらい浮いている。寝相の悪い姉はタオルケットをベッドの足下に蹴り落としてバンザイ、踊るように腰をひねってべんべんと重ねた足で4の字を書いている。 『みんな元気。』
神の怒りも罰も助けにならない。神は試すために怒り、罰するのだ。試されるのは人の気持ちで、神はそいつの気持ちを試すためにそいつの命を奪うことだってある。 『Dead for God』
リアルコーヒーの「We serve What You Deserve」「GET REAL」「マジでやってるマジコーヒー。リアルコーヒー・ザ・リアルコーヒー」という一連のコピーやキャンペーンやプロモーション活動で広告業界の大きな賞を取って授賞式に出て楯と記念品をもらってトイレに行って個室に入って、ズボンを穿いたまま便座に座ってパンツの中にブリブリブリ〜とやったときに僕は自分がこれからすぐに道を変更しないといけないことを知る。 『我が家のトトロ』
山火事大好き。西暁の山はほとんど隔年で燃えるのでたぶん山としての何か構造欠陥でもはらんでるんだろうけど、そういう問題はともかく山肌がまだらに赤くなってちろちろ皮膚を点滅させる様が夜空に浮かび上がると、裏山乙女の着替えのチラリズム、柔肌がほてって危険の赤いサイレンちかちか助けて〜って猛烈な官能に僕は国道の脇で地球のちんちんピンと立ちつくす。 『矢を止める五羽の梔鳥』
二年前に新宿の大塚家具で買った二十万円のソファが最近やたらと俺の中で大きな存在になってきていて、正直母親や恋人のように愛している。 『スクールアタック・シンドローム』 以上五編。

現代の日本社会から喪われたパワーがここに集結。負に走らず前向きに愛情いっぱい生きてみよう
舞城作品を読んでいて受け取るのは作品から発している独特のパワー。登場人物の行動といったところだけでなく言動や思想、その構築されている世界、その世界における現実や物理法則を無視したルール等々、ありとあらゆるところを現実で充足させることなく突っ走っている。 その結果、物語の展開が通常の意味での”物語文学”のお約束からかなりはみ出してしまっている。(このあたりがブンガク系統の読者に評価される所以だとは思うのだけれど)。恐らくつまらない現実法則を無視し、それに縛られず作者の求める主題を描くところに舞城氏独特の世界がある。
それぞれの物語にはそれぞれの設定が為されているにしろ、その基本となる精神は「愛」。それも特に「家族愛」。”愛こそすべて”だとか”愛は地球を救う”だとか、”愛”という言葉は広くいろいろ使われているわけだけれど、舞城が物語で語る愛は、かなりポジティブ。そしてプリミティブにしてアクティブ。肉親愛と恋人に対する愛も対等にして徹底的なまでに奥深い。相手を愛するあまりに壊してしまいかねないパワーが、人間の身体から本来発することのできる量以上のものが発揮されている(これも主題を重視するゆえか)。このパワーというか、勢いを借りて舞城氏は何にもしなくても登場人物は好き勝手に物語内部を内側から拡げながら動き回っている感。空、飛んだりとか。
個別には、ちょっとだけミステリ風味のある父子譚『スクールアタック・シンドローム』が好み。ダメ親が突如愛に目覚め、ダメ息子(ちょっとニュアンスは微妙)のためにいろいろ頑張ろうとする話(ただこれだけだと、この作品の持つ微妙なニュアンスは伝わりづらい)。

もちろんミステリではないですよ。着々と確立されつつある舞城文学というオンリー世界を読むための作品集。このパワーから逃げ出さず、受け止めることができれば、貴方の未来もきっと明るくなる。はず。たぶん。――その一方で、耐性がない方には読み通すのが辛い特殊文学になりつつあるような懸念も、ほんの少し。


04/11/04
福島サトル「とくさ」(角川ホラー文庫'04)

福島サトル氏は一九六三年生まれ。'04年、表題作の「とくさ」が第11回日本ホラー小説大賞佳作に選ばれ、本書は書き下ろしが加えられたデビュー作。同じく'04年、童話作品「はいけい、たべちゃうぞ」が第20回ニッサン童話と絵本のグランプリにおいて童話部門最優秀作品賞を受賞、こちらも刊行の予定。

神経を病んである事件を引き起こしてしまった男。小説家を志望していたその男が残した物語。母に手を引かれて花火大会に赴く少年。その母は少年にここで待つようにというと躑躅園の中に足早に入っていく。尿意を覚えて後を追った少年は母親の別の姿を見てしまいそうになり……。 『ナイヤガラ』
悪夢に悩まされ、記憶の一部が途切れている少年は、中学生になって鉄道の一人旅で、小学校の時分に転地療養で一時期過ごしたはずの山村に出向く。夏の長い日、神社の祭りに行き会った少年は記憶の底が疼くのを感じる。そこで村人に忌まれている一人の少女と出会う。 『掌』
新聞社に届いた謎の手紙をもとに取材に出向いた”私”。だがその住所に住む人物は手紙を他人の悪戯だという。その帰り道、車で私は一人の少女と行き会う。彼女は道の真ん中で死んでいる犬を愛おしそうになでている。私はその犬を埋めてやるため車に乗せる。 『犬ヲ埋メル』
虫刺されによって耳の奥に痛みを覚える私は、小さな未来予知のような幻覚をみるようになっていた。そんな私は勤めていた新聞社を辞め、少年少女向けのボランティアを親友の寡婦・日文さんと手伝っていた。そんな私のもとに御溝(ミカワ)と名乗る人物が、以前に私が書いた”ニスイ”に関するコラムに関して取材仕事を依頼してきた。 『とくさ』 以上四編。

幻想文学の新星誕生か? 様々なモチーフを物語に溶け込ませることで生成される感覚空間の妙
正直驚いた。あくまで「幻想文学(ホラー寄り)」というのが本書の印象。文学性の高さは最低限必要とされるながら、どちらかといえば一定のエンターテインメント性が重視されるように思われる同賞(審査員の性格だろうか?)において、ここまであからさまに幻想文学寄りの作品は珍しいように感じられる。
一つ一つが心に引っかかるような場面場面を積み重ねていって独特の世界を着実に醸成し、そして構成してくタイプの物語である。そのテクニック自体は抜群ながら(作者には失礼ながら)一般読者(いわゆるフツーの角川ホラー文庫の読者)に受けるタイプの作品だとは思えない。その一方で、この作者は本書一冊でカルトな幻想文学愛好者(少数?)のハートを鷲掴みにする多大な可能性を持っている。 一つ一つの場面がこれほどまでに印象に残り、その場面そのものから、これも作者の意図がある/なしに関わらず、どこか暗喩めいた感情が立ち上っている。
また、少年期の思い出や不条理な場面が数多く描写されているのだが、それらの取り上げ方、そしてその描写から抜き出される本質が非常に日本的である点も面白い。田舎の風景(そればかりではないが)が、物語に実によく溶けている。また、親子関係や背徳など、種々のテーマが暗喩されると思しき風景・ガジェットが、凝縮された日本語によって描写される点も素晴らしい。これらを次から次へとめまぐるしく登場させることにより、作品全体、そして作品集全体から豊穣なイメージを醸し出すことに成功していると思える。

個々の作品がどう、として捉えるのも良い。実際、起承転結が成り立っており、個々は独立した作品として楽しめる。だが、個人的な印象でいえば一冊通じて全体で酔わされたかのような読後感がなんとも味わい深かった。物語の境目が曖昧に溶け合う快感。作者はどこまでイメージを膨らませられるのか。今後の作品が実に楽しみな作家がまた一人。


04/11/03
森山 東「お見世出し」(角川ホラー文庫'04)

森山東氏は一九五八年、京都生まれ。表題作品にて第11回日本ホラー小説大賞短編賞を獲得してデビュー。どうやら超短編の方らしい。

京都にあるホームバースタイルのお茶屋。京都に出張した主人公は同僚の紹介で見世にいる小梅と知り合う。同僚は小梅の「お見世出し」の話をして欲しいとせがみ、自分の身の上から語り始める。彼女の大先輩に幸恵という舞妓になれなかった天才少女がいた。幸恵は周囲の妬みから計略に嵌り自殺に追い込まれる。小梅はその幸恵に生き写しのようによく似ており、その才能も豊かなものがあった。彼女は舞妓になることができたのだが……。 『お見世出し』
普通のOLをしていた主人公は舞妓を目指し「伝之家」の世話になる。そこには年下ながら先輩で気位の高い春紅と、霊感が強くおっとりした春雪がいた。首尾良くお見世出しを迎え、舞妓「弥千華」となった彼女にも後輩が。彼女の名は真奈。しかし真奈は春紅に徹底してしごかれることになる。 『お化け』
扇子屋「杉一」に十歳で養子に迎えられた要三。彼は周囲の職人たちから筋を見込まれるが、先代の作った「大呪扇」の話をも聞く。百年に一度、作られる「大呪扇」は見た者を恐ろしい災いに引き込む力があるのだという。先代がそれを作ったのは丁度、日露戦争がたけなわの頃の話だった……。 『呪扇』 以上三編。

京都という独特の伝統を感じる雰囲気と、その裏側の女性の妄念との絶妙バランスがこれ以上ない異界を生み出す
昔からの習慣とか伝統行事。祭もそうだし、儀礼的な様々な事柄が日本各地に存在する。昔の建築物や独特の習慣、そしてかつて都だった頃から綿々と続く伝統を今でも重んずる(少なくとも軽じない)街、京都。その京都を舞台にすることで、現代が舞台である筈の物語は、それがミステリであってもホラーであっても容易にタイムスリップを起こし、時の流れを歪めて読者のもとに表出する。 日本ならではの伝統の美と、それと対比するかのように、心の底に脈々と日本人が感じてきた懼れといった感情、さらに現代女性のあっけらかんとしながらもいろいろ複雑な女心とが絶妙のミクスチュアがなされている物語群が本書である。
選評を見る限り、本書には大賞授賞の声もあったという。とはいえ、読んだ限りではこのセンスに大賞を与えても誰も文句をいわなかったのではないか。一般人、一見さんだとまず入り込めない舞妓の世界の描写がまず見事。小道具であるとかイベントであるとかが丁寧に説明されている一方で、蘊蓄臭さがない点がまた良い。しかしその”なかの人”は数百年前から同じではなく(当たり前だ)、あくまで現代に生きる生身の女性。ポイントはその現代娘ならではの感覚を徹底し、嫉妬や欲望という現代的な欲望も含めてリアルに描いて、伝統的存在とのマッチングが図られている点にある。それらが結晶となったのが表題作の『お見世出し』、そして『お化け』。長年の伝統が同時に危険な”もの”を温存しているというあたりから恐怖が生み出される。個人的には『お化け』の後半部、鬼のような存在と女性のエゴがぶつかり合う場面に言いしれぬ闇を感じた。
一方『呪扇』は職人もの。恐らくそのような習慣が実際にあるとは思えないが、京都を舞台にした途端に「実際にあるのかも」と不安がらせるところから始まる。ただ、本書も結末よりも、その「呪扇」作成に至るまでの部分に鬼気迫る迫力があった。いずれにせよ、文章・舞台・人物等々のバランスが良く、上品な怖さを体現している

ホラーファンであれば手に取る価値のある作品集。女性を描き出すのが巧みなだけに、美しさと怖さの同居する不思議な空間がきっちり構築されている。


04/11/02
尾之江浩司(監修)「ホラーセレクション 平成都市伝説」(中央公論社C★NOVELS'04)

'04年の初夏にスタートしたC★NOVELSの企画第二弾。『モンスターズ1970』そして『暗闇』に続いて、予告通りまず「平成都市伝説」が刊行された。もう一冊『ゴーストハンターズ』が出ると聞いていたのだが、はて。

都市伝説……。口裂け女や人面魚にはじまり、消えるヒッチハイカーだの学校の怪談だの。ある”定番”ともいえる怪異譚が一つ核となって、そのパターンを踏襲した別の物語が人々のあいだで次々と派生し、拡がっていく。噂は時に現実を超え、世界を支配する。ああ、なんと魅力的な世界。
その世界を現代ホラー小説界をリードする各作家が競作で書いた。これは読む前から個人的にはツボ。そして読んでいる間もツボ、読後感もツボ。これはもう読むしか私に選択肢はない。

現代社会を変質させるパワーを持つ都市伝説を各作家がいかに飼い慣らして取り入れ、読者の恐怖を煽るのか……

梶尾真治『わが愛しの口裂け女』 余命いくばくもない父親が息子に母親の話をする。強い愛情で結ばれていた父と母。だが母は口裂け女に変身してしまう。見とがめられ家を出た彼女の行方は? ――口裂け女という定番を使いながら、アプローチを思わぬところに持っていったため、泣ける話に転じているという不思議な作品。ただ、ラストの幾つもの印象的なシーンは”巧い”と唸ると同時にちょっと滑稽になってしまっている印象も。

山下定『コウノトリ』 恋人と出かけた海外旅行で二人は喧嘩。席を立った恋人は戻って来なかった。そのまま異国の地を彷徨う男のもとになぜか赤ん坊がコウノトリによって届けられ……。 ―――有名な人身売買に関する都市伝説を下敷きに幻想的なホラー小説へと昇華させた作品。ちょっと現実と幻想の隔たりが大きく、その飛躍がポイント。

井上雅彦『飢えている刀鋩』 〈落武者〉伝説を取材にきたスタッフが漁村で目にした衝撃の場面とは。 ――普通の都市伝説ではなく、いわゆる「落武者」に関する伝説を物語に取り入れている。だが、本書の恐怖感は、場の邪悪な雰囲気と共に醸し出される生理的嫌悪感にある。別の都市伝説を生みそうな傑作。

北原尚彦『怪人撥条足男』 ヴィクトリア朝のロンドンで実際に出現したといわれるバネ男。残酷に女性を殺害して回る怪人に迫る女記者、そして彼女が巻き込まれる最大の危機。 ――北原さんらしいゴシックホラー。寡聞にして「バネ足ジャック」の存在を初めて知ったが、伝説そのものの本物らしくなさ(といえば良いのか?)が逆に不思議な恐怖感をじわじわと引き上げてくる。

奥田哲也『風聞』 丘の上に立つ家に住む少女。城のあったというその丘は呪われているといい、少女は少女で母と徐々にコミュニケーションが取れなくなってきていることを不安に思っていた。 ――単なる不幸な家庭の物語と思わせつつ、作品内の伝説が少しずつ現実を浸食していく感じが面白い。記憶テーマもさりげなく混ぜており、不思議な味わいを創りだしている。

田中啓文『見るなの本』 小学校のいじめられっ子の安らぎの場所はただ一つ学校図書館であった。だが、その図書館には呪いの本があるのだという。 ――いわゆる学校の怪談の世界が現実と溶け合うストーリーなのだが、その溶け合った後の混じり合い方が半端ではない。特に主人公の孤独と絶望と学校の怪談との親和性に注目したところに強烈な迫力あり。

斎藤肇『名残』 交通事故で命を喪った主人公は地縛霊となってその事故現場に浮遊していた。しかし彼の隣にはまた別の地縛霊の女性がいた。 ――本書最大の異色作。ホラーというより青春ファンタジーといった構成ながら、設定とキャラクタの雰囲気が実に調和していて「いい話」として深く心に残る。このアンソロジーだからこそ、光輝くのかも。

友成純一『悪魔の教室』 授業中居眠りをした挙げ句、夢精までしてしまった中川田は、今日もまた級友たちからの徹底的なイジメに遭う。その結果、命を喪う羽目に陥り彼は呪咀の言葉を吐きつつ無敵と化す。 ――さすが友成先生。学校の怪談というよりも、イジメによる負のエナジー噴出といった強烈なスプラッタホラーという言葉が相応しい。もう都市伝説なんてどうでもいいや、少なくともこの作品に関しては。

牧野修『伝説の男』 いい加減な知識で知ったかぶりをする人間を正さずにはいられない主人公。最もらしい怪談話を都市伝説だと決めつける。だが主人公は知らず自分がその都市伝説の世界に入り込んでいることに気付く。 ――アンソロジーの締め、そしてテーマの締めに相応しい作品。独特の余韻と次から次へと現実をぐちゃぐちゃにしていく手触りが堪らない。都市伝説否定論者と都市伝説を語る男との相剋が、読者の想像を裏切る闇を呼び起こす。ラストの「人間だって舐めるんだぜ」のひとことが、読者の世界を混沌とさせ、本は閉じられる。

世の中に数ある都市伝説。それ自体が恐怖の対象となるエピソード群であるのに、そこに各作家の奇想が乗っかるのだ。これで面白くないわけがない。誰もが知っている話がベースだけに、全て素直に物語に入れるというあたりもポイント高い。


04/11/01
辻 真先「改訂・受験殺人事件」(創元推理文庫'04)

仮題・中学殺人事件』『盗作・高校殺人事件』に続いて元版は昭和50年代にソノラマ文庫より刊行され、これがそれまでテレビアニメ界などで活躍していた辻真先氏のミステリー本格デビュー作品となった。一旦創元社より『合本・青春殺人事件』という名でまとめ刊行されていたが、改めて文庫化されたもの。元よりマニア筋からの評価が高い作品でもあるが、その理由は一読して頂ければ頷けるものと思う。現代の目の肥えたミステリ読者ですら、未だに騙されるはずだから。

ポテトとスーパーも受験を控えた西郊高校の三年生となった。その高校きっての女たらしの色男にして秀才・有原が校舎の三階から飛び降りた。目撃者が慌てて地上に駆け付けたところ、彼の身体は消えてなくなっていた。しかし、その四時間後、有原は墜死体となって本来死体があるべき場所から発見された。自殺なのか他殺なのか。事件が他殺だと信じるポテトとスーパーは同級の田辺の父親で出版社社長から「今回の事件の顛末を小説にして欲しい」という依頼を受け、捜査を進めつつ交互に筆を執ることになる。受験競争まっただ中に起きた殺人に周囲の動揺は大きいが、さすがのポテトとスーパーにもその真相は見抜けない。さらに受験のガス抜きを兼ね、喫茶店で行われた仮装パーティの最中、友人である田辺が殺された。犯人はいったい誰なのか。ポテトとスーパーはそれぞれ別の人間を疑っていたのだが……。

本格トリックに意外な動機、そしてその枠組みにまで作為が。読者を翻弄する辻ミステリの結晶
前二作では、舞台が始まる前に大上段に作者が強烈な謎を提示していた。本書にもそれに近い思わせぶりな台詞があるが、それらに比べるとほんの少し地味か。ちなみに「作中の名探偵が示した犯人とは別の人物が”真の犯人は私だ”と告白している」のというもの。考えようによってはこれでも十分派手ではあるが、前が凄かったから、また。
大学全入時代と呼ばれる今現在の十八歳もまた同じなのだろうか。ただ本書が刊行された1977年から少なくとも二十年間は、同じような価値観が受験生を支配していた。要は、社会で成功するためにはいい大学に入らなければならない――という呪縛。(現在においては いい大学→いい会社という図式が崩れているのは承知の通り) 本書においてもカリカチュアライズされた受験戦争が描かれており、その本質的な部分は長いこと日本を支配してきたといって良い。そういった背景のなか、発生する連続殺人事件。殺害される三人は皆受験生。事件の見え方が奇妙、真相は複雑。やはりポイントは本文中の意外な真犯人にある。――ただ、この作品では作者の予告通りそれはひっくり返される。このメタ的な手法は、現代の本格ミステリに確実に通じている、というか始祖ともいえる内容ではないか。
普通の青春ミステリと思わせておいて、爽やかさより”毒”の強い真相、狂気の論理が支配する真犯人の動機等々も辻作品ならでは。後味が良くならないように逆に計算されてさえいたのではないか。強く印象に残る作品である。

ポテトこと牧薩次、スーパーこと可能キリコの登場する三冊目になるが、この後もポテトとスーパーは成長してからも事件に巻き込まれ、解決をしていく。この三部作こそ容易に入手できるが、それ以降の作品も評価が高い割になかなか手に入らないのがもどかしい。ミステリファンを長くやっていればいるほど、読むまで死ねない作品群だと真面目に思う。