MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/02/10
北山猛邦「『ギロチン城』殺人事件」(講談社ノベルス'05)

『クロック城』殺人事件』にて第24回メフィスト賞を受賞、その後、『『瑠璃城』殺人事件』『『アリス・ミラー城』殺人事件』と特異な〈城シリーズ〉を描き続ける著者の講談社ノベルスの四冊目。著者は「ファウスト」世代としてカウントされている一人。

ヒルベルト・ホテルの屋根裏に寄寓する幕辺ナコ。彼は人形塚という人形捨て場から一体の人形を拾ってきた。人形はからくり人形で「HELP」と自動書記し、さらに内部には女性とギロチンが写った写真が隠されていた。ホテルの経営者の甥・頼科有生は、ナコから人形塚近くにある「ギロチン城」なる建物で、実業家の道桐久一郎が一年前に密室内部で頭と胴体が真っ二つにされて不可解な死を遂げていることを知らされる。久一郎はアングラで法に抵触するギロチンなどを扱う古物商で、ロシアの『首狩り人形』を入手し、その人形のために「ギロチン城」を建てるまでに至っていた人物。未だに、道桐家の遺族の暮らすその館で何があったのか。強引に館に乗り込むナコと頼科。館には久一郎の息子、一と娘たちと使用人がおり、過剰なセキュリティによって厳重に外部との接触が断たれていた。そして二人の目の前で次々と密室殺人が発生する……。

徹底したリアリズムの破壊とパズル化した世界が醸し出す不思議な感覚。”小説”からの脱皮を狙う?
かなりマシになったとはいえ、小説としては決して上手くなったとは思えない。だが、北山作品を幾つか読んでいるうちに、著者のベースとなる考え方自体に興味が湧いてきた。語弊を恐れずにいえば、その「壊れっぷり」「極端なパズル指向」の二つ。当初、この作家の作品は「小説以下」として切り捨てた(まあ、当時の印象を書き換えることはしないが)が、北山猛邦の一連の作品の醸し出す味わいは、そもそも小説以外のところに存在するように思えてくる。
本書においても、謎の自称名探偵が、怪しげな館に嬉々として乗り込んでいくところから始まるし、館自体が人工的な仕掛けの固まりといっていい存在である。また館の住人にしても、元の当主がギロチンを扱う実業家というあたりから眉唾で、さらに首切り人形の伝説から、作中「スクウェア」と称される、一種の降霊イベント(部屋の四隅に人が立ち、順繰りに回るうちに人間が一人増えたとしか思えない状況になる)を専用に行われる部屋があるとか、極めつけは順番に数字の名前を持ち、生活感のない(生活感どころか、存在感すら薄い)館内部で完結した住人たちの存在。更に探偵達が館に入った途端に出入りが不可能となって、凄惨な殺人事件が発生するというお約束……。

現実感皆無。

が、本書においては、そういった小説としてのリアリティというのは既に些細なことだと思わされる。”都合の良さ”、作者の、自らの創造世界に対する暴君ぶりが北山作品の本質にあるようだ。パズルを構成するためならば、何をやっても構わないという、徹底したアンチ”小説”の姿勢は、北山猛邦のそもそもの持ち味と化している。また、人間の徹底的な記号化、建築学的に可能とは到底思えない館の仕掛けも凄まじく、このあたりの普通なら無理な物理トリックを平然と用い続けるところに、不気味さすら覚える。「従来のミステリの常識を覆す」という形容詞はしばしば斬新な作品に用いられるが、北山作品の場合はそもそも「一般的に刊行される小説の常識すら覆す」存在感がある。これを受け入れる、受け入れないは(恐らく受け入れられない層が圧倒的多数だろうが)あるだろうが、だからこそ「一体何をやろうとしているんだ?」という、この作家に対する興味が湧く。ここまで狙って創作しているのかどうか分からないながら、間違いなくこの作者の「壊れっぷり」は、独特の存在感を発するようになってきている。これこそが、一足飛びに進化したパズラー小説の姿なのかも……とも、畏怖とともに感じさせられてしまうのだ。

いわゆる良識的な本格ミステリファンに勧めることもしないし、登場人物もいわゆる(よく分かっていないが)キャラ萌えを喚起するキャラクタでもないと思われる。普通の小説のもたらす感慨とは全く別のところに、この作者に対する感慨を覚えてしまうのだ。果たして、この方向性は持続していくのだろうか。


05/02/09
大倉崇裕「やさしい死神」(東京創元社'05)

創元クライムクラブの一冊として刊行された作品で、『三人目の幽霊』『七度狐』に続く、『季刊落語』編集部の女性編集者・間宮緑と、編集長・牧による落語界事件簿シリーズ第三弾。『創元推理21』二〇〇一年冬号に掲載された表題作ほか、書き下ろし二編を含む短編集。

落語界の重鎮・月の家栄楽。ひとり暮らしで身体の具合が少し悪いがまだまだ元気で弟子が持ち回りで世話をしている。門下の花助が伸び盛りだが、栄楽は破門にした弟子・花朝の名前を口にする。その栄楽が自宅で転倒、頭を打って病院に担ぎこまれた。 『やさしい死神』
松の家の看板・文喬師匠が倒れた。弟子の文三、伸喬は腕を上げているが何か足りない。その文喬の復帰を控えた如月亭の周辺では呼びもしない救急車が立て続けに呼ばれるなど、奇妙な事件が発生していた。 『無口な噺家』
緑は、噺家・鈴の家梅太郎から幽霊と話をしてしまったという相談を持ちかけられる。梅太郎の小学校の同級生が結婚式の司会をしてくれという依頼をしてきたが、その当日、式などないことが判明。問い合わせたところ、その彼女は行方不明になっておりもう死亡しているといわれたのだ。 『幻の婚礼』
人気噺家・華駒亭番治の高座。熱演の最中、観客の携帯電話が鳴り出し、水を差された番治は噺の途中で引っ込んでしまう。その携帯の持ち主は番治の後援会長で携帯は切った筈だという。緑はその悪戯をした犯人捜しを頼まれる。 『へそを曲げた噺家』
松の家でも注目の若手、京太が、師匠の京楽から破門を言い渡される。師匠の自宅にあった”紙切り”の見事さに惚れ込み、紙切りに転向したいといったらしい。牧はそれが上方でかつて活躍して姿を消した”紙切り光影”の作品と見抜き、緑はその人物の足跡を追うため京都へと向かう。 『紙切り騒動』 以上五編。

芸の世界の師弟関係や落語ならではの情感を湛え、意外な着地点を演出する――。
『季刊落語』の編集長・牧と、編集者の緑というコンビが解決する落語界の事件簿……というアウトラインが固まり、作品における安定感みたいなものが出てきた。特にマクラの部分に伝統的な落語が、登場人物の上演というかたちで登場し(それはそれであまり落語に詳しくないこちらとしても興味深い)、その筋書きやその奥底にある精神のようなものが、何らかのかたちで発生する事件と関わっているという点についても、各話共通である。
また、このあたりは読者によりどう受け止めるかは様々であろうが、本作に収録された五つの作品のうち、幾つかは根底のネタが非常に近いところにある。ミステリとしての処理の仕方がそれぞれ様々なのでそれぞれ受ける感慨は異なる。とはいえ、その補助線を頭に浮かべることで、真相が中途で見えてしまうというのは共通か。落語界という世界のなかで、人間ドラマを作るという制約があるなかでは、ある程度致し方ないことなのかもしれない。このあたりは、歌舞伎の世界を描いた戸板康二が、隠し子ネタをよく使ったこととともどこか共通性を感じた。
また、全体として犯罪絡みではないことも関係しようが、”謎”の位置づけが各話微妙な印象もある。何というか、見えているのは奇妙な出来事なのであるが、それぞれの”謎”の存在が、誰かの計画的な作為によって生じているという点だ。その作為自体はもともと謎とすることを狙ったものではなく、それぞれ何らかの目的あっての行動であるの。それをもっとも謎らしく見える角度から眺めることによって、本格ミステリとして成立させられているようにも思われた。ただ、それらが結果的に落語と絡んだ”後味のいい話”として成り立っていることで、このシリーズの安心感がもたらされているともいえる。

古典落語の持つ安定感と、作者がある程度シリーズの作り方を体得したことによってもたらされる安定感と。二つの安定感が組み合わさるなかでの意外性を求めた結果、これらの落語ミステリ作品が生み出されている。解説の前島純子さんが期待されているように、小生もそろそろこのシリーズに波乱というか緑の恋愛が絡む話であるとかが出てきて、落語ネタ以外のアクセントが今後付いてきてくれるのではないかと楽しみにしている。


05/02/08
皆川博子「総統の子ら」(集英社'03)

死の泉』の発表以来、『冬の旅人』や『薔薇密室』など近代の欧州を舞台とした大長編を立て続けに皆川博子さんは発表しており、本書もその系譜にあたる作品。大作ゆえになかなか手が出ないでいたが、やはり読んでみての感激は深い。

一九三四年、ドイツ。第一次世界大戦による敗戦後、英仏やポーランドによって国土を限定され、その国力を落としていたドイツ。国民は、対外的に軟弱なヴァイマール体制からアドルフ・ヒトラーを党首として抱くNSDAPによる独裁統治を熱狂的に支持するようになっていった。強いドイツへの憧れ――から、ドイツの若者たちは十四歳になると我先に地元の《ヒトラー・ユーゲント》に入団し、国家への忠誠を誓った。ドイツ北方のシェレスビヒ・ホルシュタイン州で育ったカール・ハインツ・アンドレーセンは、ヴェーヴェルスブルグにある国家の最高エリート養成機関であるナポラ〈ゴルデンクロスター〉を受験するため、一人汽車に乗っていた。汽車のなかで、同じように受験するエルヴィン・レンバッハと出会う。彼らはこれからのドイツを担う若者たち。エルヴィンと従兄弟で既にSSとなっており、その将来が嘱望されるヘルマン。ドイツは彼らの成長と共に、欧州の戦争へと突入してゆく……。

内部に葛藤を抱える少年たちが、様々な経験を重ねて青年へ成長していく物語にして、敗者からみた戦争・歴史文学……
まずは、物語文学として本書を捉える。生い立ちにうしろめたさを隠してナポラ入学を果たすカール。そのカールの憧れの存在でありながら、父親の再婚相手に問題があり五輪出場の夢の絶たれてしまうヘルマン。国家の事情によって、その青春に明暗が否応なしにつけられる時代に生きる二人の青年(とその周辺)を中心に、様々な葛藤や試練が描かれる。 下敷きあるのは理想の国家の希求というそのストイックかつ真摯な姿勢は、実に純粋である。その望み通りに純粋かつ優秀な軍人という存在へと成長を遂げた彼らだが、その時期に着々と欧州におけるドイツは孤立、開始された戦争も泥沼と化しており、その理想と現実とのギャップに苦しむことになる。いわゆる青春小説と異なるのは、その理想の高みが彼らにとり崇高であり、どんな苦境にあっても幻滅しない点か。ゆえに彼らの運命が総じて悲劇的になっていくのだが……。特に生き延びた彼らに対する、社会の仕打ちの理不尽さについては筆舌に尽くしがたいものがある。壮大なページ数を操って創り上げられた二個の人格ゆえに、ここでひとことでまとめてしまうことは憚られる。読んで頂くしかこの本質は理解頂けない。(皆川作品に対する評はいつもこんな感じになってしまう――簡単な要約を許さない迫力ゆえ。致し方なし)。

そして、戦争・歴史文学としての側面が本書にはある。例えば、最近で言えば高田崇史氏がその著作で主張しているように、歴史というものは勝者によって作られるもので、その勝者に都合の悪い出来事はしばしば”無かったこと”にされてしまうもの。日本における中世以前の歴史もそうだし、第二次世界大戦における日本の存在にしても、例えば無差別の大空襲、原爆の投下にしても戦勝国からすれば必要不可欠の行為として正当化されてしまっていることは御存知の通り。ただ、それが実際に無かったことになるわけではない。
本書で取り上げられているのは、現在の世界においてはヒトラーを筆頭とした狂信者の集まりとして断罪される第二次大戦中のドイツ。我々の知るユダヤ人への大虐殺は確かにあったのだろうが、その一方でパルチザンや連合軍が彼らに対して(そして地元の住人たちに対して)どれほどの暴虐な行為があったのか――という点、つまりは敗者からみた歴史というのはいくつかある本書のテーマのうちの一つ。純粋に国を思う心から、戦闘に身を投じていく青年たちが目の当たりにする地獄は、現在の社会においては”無かったこと”にされている。だが、ある意味容赦なく、その事実を皆川さんは淡々と描く。特に後半における登場人物と重要な関わりをもった人物たちが次々とそのような目に遭わされる場面は、執拗ですらあるが、その執拗さこそが現実だと思わされる迫力に満ちている。

青年の思春期ならではの葛藤や恋物語も絡めつつ、浮ついたところを一切感じさせない。この時期に生きた、少年〜青年たちの人生を淡々と描くことで、かえってフィクションでありながら幾つもの事実を浮かび上がらせるのだ。

『死の泉』や『薔薇密室』と登場人物が重なったり(実際の歴史を取り上げている以上、当たり前といえば当たり前だが)しているところもあり、一連の皆川作品の読者であれば本書も見逃せない。読了するのに数日かかったが、そのあいだずっと皆川世界を堪能した。失礼ながら、これだけの著作があっても筆に全く衰えをみせず、作品ごとに未だ成長し続けているように思われるあたり、作者の底知れぬ実力は空恐ろしくさえある。


05/02/07
加納一朗「タイムマシン殺人事件」(ソノラマ文庫'78)

'60年に旧『宝石』誌にSF作品『錆びついた機械』(錆は旧字)を発表してデビューした加納氏はその後、一般向けのサスペンス長編とSFと両輪で活躍したが、'68年の『怪盗ラレロ』を皮切りに多くの少年向け作品を刊行しており、本書もそんななかの一冊。

二月十四日。青木是馬はクラス一の美人・北川ひろみからバレンタインデーのチョコレートをもらう。ただ過剰な包装に包まれていたそのチョコ、実は犬の虫下し用。間違いに気付いたひろみから、弟の荒馬と共に北川さんの家に招かれた兄弟、今度は本当のケーキを御馳走されることになった。ひろみの父親・北川南天博士がタイムマシンを発明し、そのお祝いなのだという。彼らがケーキをパクついている最中、部屋の扉の外で音がする。「どうぞ」の声にも反応はなく、訝しんだひろみが開けてみれば、中年の男が倒れ込んできた。縦縞のスーツを着て派手なネクタイを締め、猿のように毛深い男。だが、その男の胸にはナイフが突き刺さっており、絶命していた。身許の手掛かりになるものは何もなく、各国のスパイの侵入を恐れ、家は完璧な施錠がなされた密室状態。家のなかにいる者で隠れているはずの犯人を捜すが、怪しい人物は誰もいない。研究の邪魔になる警察の介入を恐れた博士は、またとないチャンスとばかり、死体を三日前に送り込もうとするが、作動した先に死体がダイヤルに当たり、死体は三日後に転送されてしまった。

SF本格になりうる要素はドタバタ劇のなかで消化。結局は少年少女のSFがかった冒険小説
タイムマシンという設定に、忽然と現れた謎の死体という展開に、これはもしかすると隠れたSF本格ミステリでは……? とちょっと(勝手に)期待した。死体を三日後に転送して……という更なる展開に期待は膨らんだのだが、残念ながらその後の展開にロジックが用いられず、結局、死体は忍び込んだスパイの仕業でした、ということになってしまう。まあ、元もと作者がそういった厳密なミステリを狙ったものではないようなので、勝手に期待したこちらにも問題がある。ということで本書、本格SFミステリではありません
ストーリーそのものは、タイムマシンの発明を巡る某国スパイとの争奪戦に、子供たちと死体から甦った泥棒男(これもまあ、御都合主義だが)とが加わり、双方の陣営が悪知恵を絞った闘いを繰り広げる――というもの。絵に描いたようなドタバタ劇に、登場人物のとぼけた言動が加わって、ユーモアSF作品として一定の体裁を為している。ただ、言動の笑いどころがさすがに時代がかっていて、お子様向けなのは否めない。ただ、この攻防戦のなかでも、某国スパイが博士の家のなかにどうやって忍び込んだかあたりミステリファンならくすっと笑えるポイントはいくつかある。探偵小説ファンには元ネタがみえみえなのがかえって嬉しかったり。

ひとことでまとめてしまうと、展開や登場人物、オチに至るまで完全なるお約束の物語。タイムマシンの扱いも類型的であり、今時のオトナが改めて読んであっと驚く部分は正直ないが、害のない典型的ジュヴナイル小説として読んでみても悪くないか。


05/02/06
中野順一「クロス・ゲーム」(文藝春秋'04)

中野順一氏は、'03年『セカンド・サイト』にて第20回(つまり最終回)サントリーミステリー大賞の大賞を獲得してデビュー。本書はその受賞後、第一作目となる書き下ろし長編。

住宅設備機器メーカーに勤務する独身サラリーマン・沢口航太。3DRPGのオンラインゲームを通じて知り合った優衣という恋人と離れ、名古屋に転勤となって現在ひとり暮らし。その航太は帰り道、謎の通り魔に襲われ刺されそうになるが間一髪難を逃れて自宅に帰り着く。さらに航太の行っていた、業務上の不正がバレ、さらに住んでいたアパートが放火されてしまう。会社を辞めざるを得なくなり、東京に戻った航太を迎える筈の優衣は現れず、あまつさえ彼女は行方不明となってしまっていた……。
いわゆる090金融を営む妹尾光彦。強面の小谷昌巳とともにあくどく貸し金を取り立てて、事業は順調に推移していた。彼らから金を借りたあとに自己破産したおもちゃ屋経営の熊井は、金の返済を断ったために弱点である息子を狙い打ちにした悪戯に会い憤慨する。その妹尾が営業で出掛けたまま行方不明になり、ホテルで他殺死体となって発見される。恋人の本田沙也加は警察に疑われるが、残された金で犯人捜しを開始した。

積み重ねられる興味深いエピソード。ワンアイデアから逆算された展開が、不思議な魅力を醸し出す
この作家、読ませる力が相当高い――。前作もキャバクラの世界がなかなか面白く描かれていたが、本作は一転してオンラインゲームを通じて知り合った恋人たちのエピソードと、090金融(いわゆる携帯一本でお金を届けてくれる闇金)によって引き起こされるエピソードとが、二つ軸となっており、序盤は双方が全く別の物語として交互に描かれる。そのネタの使い方が非常に巧みで、恋人のうち男性の方に次々と降りかかる災難の連続や、金を貸す側の事情と論理、そういった胡散臭い闇金にまで手を出さざるを得なくなった男の人生などが、次々と緊迫感溢れる展開で描かれていく。知識的興味と物語的興味が中盤まで両立しており、ぐいぐいと引き込まれる。
その両エピソードとも、重要な役割を果たしていた人物が死を迎えてしまう――あたりには実は唐突感を覚えた。もう物語も残すところ三分の一くらいで、事件が起きるのが遅すぎるのではないか――と思ったのだ。だが、本書の場合、それはそれで構成上の必然があった。ネタを割らずに書くのは難しいのだが、あるミステリのパターンの一つを使っており、そのヴァリエーションをつけるために、かなり特異なネタを使用している。特に、犯人が殺人を決意する動機がちょっと類を見ないほどに凄まじい。これまでもありそうであったとしても、リアリティか何かの問題で捨てられたような理由が遂に登場させられた……とでもいっておきたい。決してこの理由が荒唐無稽じゃなくなりつつある(読んでいてあまり現実離れを感じなかった)時代になったか。
ただ、二つの殺人事件及びミッシングリンクだけでは、ミステリとしては弱いことを作者は良く知っているのだろう。だからこそ、前半のエピソードの積み立てが必要だったのだ。そしてそれらが読者の興味を単に引くだけでなく、積み重ねられた細かい点が伏線としても効いている。オンラインゲームのなかのちょっとした部分にも仕掛けがあったり、登場人物の趣味嗜好がミスリーディングとなっていたり。

本格ミステリとして評価するのはさすがに難しいだろうが、紛れもないミステリであり、サプライズの度合いも決して小さくない。時の経過によって古びることを恐れない姿勢によって、しっかりと現代がつかみとられており、インパクトある作品に仕上がっている。長い目でみれば大化けする可能性も感じられた。


05/02/05
牧野 修「アシャワンの乙女たち」(ソノラマ文庫'04)

牧野修氏のソノラマ文庫初登場は、デビュー二作目となる書き下ろし熱血スポーツアクション小説『プリンセス奪還』という作品だった。これはしかし一九九五年のこと。それから八年後、二〇〇三年になって久々にソノラマより刊行されたのが『乙女軍曹・ピュセル・アン・フラジャーイル』である。そしてこの『アシャワンの乙女たち』。この二冊は主人公も舞台も全く異なるのだが、どうもそれでも同シリーズにあたるようなのだ……。

全寮制の女子校・私立第四ボロヴィニア学園の中等部二年に進級した木戸美弥は、天真爛漫で前向きな性格。学園がかわったことによって変更となる彼女のルームメイトは、その完璧な美貌で有名だった白鳥すこやか、長身で武闘派でぶっきらぼうに喋る小林燐、そして大人しくて声も身体も小さな古府薫の三人である。しかし、そんななか、一人の生徒が妄想に囚われ、木戸美弥に助けられた直後に自殺未遂を図るという事件が発生、平和な学園にどこか暗い影を落とすようになる。学園内に諍いが増え、どことなく雰囲気がぎくしゃくしているある日、白鳥が深夜に部屋を抜け出したことに残り三人は気付く。夜中に学校内を探険して白鳥の後を追った彼女らは、学校の主要教師と校長、そして白鳥が密談している部屋に辿り着いた。発見された彼女らは、部屋の中に招じ入れられ、学園の持つ秘密を知らされる。この第四ボロヴィニア学園は、この世に存在する〈絶対悪〉ドゥルジと闘うために設立された〈絶対の善〉のための学校なのだという。生徒たる彼女らはアシャワンの戦士。なかでも古府薫は、善神アシャの最終兵器たる〈クワルナフ〉たる存在なのだという。そして美弥はすこやかと力を合わせることで、アシャ最強の戦士・バアル・オームへと変身するのであった。

単純明快な勧善懲悪美少女戦士ストーリーにして、その下敷きとなっている世界は、あのバ○ム・ワン?
本書には二種類の楽しみ方がある、と敢えて断言してしまおう。一つは、迫り来る闇の〈絶対悪〉に対して、高い能力をもった〈絶対善〉の乙女たちが闘って勝利を収める(ま、ある意味ネタバレですが、この手の物語のお約束だし。いいでしょ)ストーリーを正面から受け止め、主人公たちの活躍を共に楽しむという普通の読み方。そして、もう一種類の読み方は、三十代以上及び特撮ヒーローオタク向けの普通ではない読み方
普通の読み方……の方は特に解説は必要ない。絶対悪の卑劣な罠が世の中に、学園にはびこり、それと全力をもって闘う少女たちのストーリー。アクセントとして男性消防局官が登場しており、彼自身が翻弄されながらも闘いに身を投じていくあたりも面白い。また、学園内に存在する裏切り者は誰なのかという点についても、簡単に予想はし辛く終盤になってようやく判明する仕掛けである。個人的には”萌え”がよく分からんながら、四人の個性的な登場人物や脇役もなかなか魅力があるし、来るべき戦闘に備えて要塞化しているという学園の存在も凝っていて良い。特に最後の迫り来る絶対悪のぐちゃぐちゃの描写は、牧野ホラーからそのまま移ってきたかの迫力があり、戦闘シーンの迫力も素晴らしい。うん、ディティールにはそれなりに凝りながら、ストーリーのベース自体がシンプル。ゆえに面白い。

さて、一方の普通でない読み方。これは、ひとえにこの物語の下敷きとなった、かつてのとある特撮ヒーロー番組を知っているかどうかにかかっている。となると、この物語に固有名詞を読み解く楽しみが付随して現れるのだ。例えば、木戸美弥の本名は、木戸猛(みゃう)であるとか、白鳥すこやかの”すこやか”は実は健という字であるとか、〈絶対悪〉のドゥルジという響きはどこかで聞いたことがあるな、とか、そもそもバァル・オームを早口言葉で言ってみたら……とか。古府薫というのも、考えてみれば凄い名字である。更に細かいところは、識者に任せる。

前作の『乙女軍曹ピュセル・アン・フラジャーイル』にしても、設定は昔の某アニメーションの世界であったし、本作は某特撮ヒーローの種々の特徴が取り込まれている。となると、やはり次作が気になるところで。まきの先生には某所で伝えることができたが、個人的には『ミ○ーマン』を希望。また、ホラー評論家の某氏は『ス○クトルマン』を希望しているという。さあ、実際は、果たして。


05/02/04
森福 都「琥珀枕」(光文社'04)

森福さんは'96年『長安牡丹花異聞』にて第3回松本清張賞、同年『薔薇の妙薬』にて第2回ホワイトハート大賞優秀賞を獲得してデビュー。その後もオリエンタルな舞台を得意とし、独特のユーモア感覚をもって各種作品を発表している。本書は、『小説宝石』誌に二〇〇一年より二〇〇三年にかけて発表された連作短編がまとめられたもの。

東海郡藍陵県の県令の一人息子で十二才になる趙昭之は、父親が礼を尽くして迎え入れた徐庚先生を師として社会を学んでいる。齢が二百歳とも三百歳ともいわれる徐先生は、長年にわたって県城の外れの古井戸に住んでいたすっぽんで、藍陵県のことならば知らないことはない。今日も二人は県城を見下ろす小高い山の中腹にある月照亭に赴き、県内の出来事を眺めている。
先祖代々伝わる飲み続ければ不死身となる仙薬をもって李通は、藍陵の富豪・鄭万進のもとを訪れた。病身の母の為にこの薬を売りたいのだという。 『太清丹(たいせいたん)』
藍陵に里帰り中の名医・白史雲は、命を助けた患者によって命が狙われることになると徐庚先生はいう。その難から逃れる鍵となるのは市場にいる、大食いの悪疾持ちの大賢である。 『飢渇(きかつ)』
開明池のそばを歩く莫士良。年齢の割に頭が良くなく実業家の父親からも見限られ、継母からこき使われている。そんな彼が金娘という女性を助け、父親が隠し持つという持つ開運の痰壺を探すが。 『唾壺(だこ)』
先の県令の妻が、妾たちの美貌を妬んで渡し場から身を投げた。それ以来、渡し船に乗る美人が謎の腕によって水のなかに引きずり込まれる事件が発生。女性は津に銭を投げ、霊を弔うようになったが。 『妬忌津(ときしん)』
薬枕の行商人の美人妻が浮気をしているのではと心配、笛楽士に伝言を頼む。果たして妻は別の男を引っ張り込んでおり、行商人の隠した遺産を探そうとしていた。 『琥珀枕(こはくちん)』
趙昭之の母親が独身の頃、二匹の犬と老僕を従えやむを得ない旅をしていた。木の根本に座っていた男が、二匹の名を付け直し、ある予言を彼女に与える。果たして彼女は無実の罪で捕まえられてしまうが……。 『双犀犬(そうさいけん)』
三十三年に一度、井戸の水が平になり、その水面を覗くと心から逢いたいと思う人との再会が叶うという井戸が趙家の敷地内にあった。その日、幾人もの男女が井戸を覗きに訪れるが、彼らのあいだで事件が。 『明鏡井(めいきょうせい)』 以上七編。

”森福版聊斎志異”のことばに偽り無し。優雅な舞台に即したヒネリとオチの絶妙加減に膝を打つ
実に丁寧に作り込まれているのに、その作り込み加減を読む者に感じさせない。欲望や愛情が絡んだエピソードの一つ一つが興味深い。妖異が物語の中心に据えられているものの押しつけがましさがなく、かといって物語の展開にそれぞれが重要な役割を果たしている。そして一つ一つの物語において伏線とヒネリが効いており、余韻がしっかり心に残る……という七つのお話。ミステリ風味が効いたオリエンタル・ファンタジーではあるのだが、それ以上に文芸としての小気味良い味わいが楽しい作品集である。
帯で”聊斎志異”を謳っている通り、一種の怪異譚であり、妖怪や妖異といった存在がある世界。そもそも、物語をナビゲートする徐庚先生がそもそもすっぽんの怪である。ただ、背景となる中国の世界がこの妖異と切り離せない雰囲気を保っており、元より中国を舞台とした作品の書き手である森福さんの筆の冴えは鮮やかにこの不思議な世界を確立させている。まずは、この雅な世界を楽しみたい。
その舞台のうえで成り立つ個々のエピソードも興味深い。二百日飲み続けることで不死の身体を得るはずが、百日目にその薬が盗まれたり、身体中に特殊な虫を飼っている男や、自らの身体にできた美しい女性の人面瘡とパートナーシップを結ぶ男が出てきたりと、様々な人物が絡んで、様々な事件や事態が引き起こされる。合わせて、その妖異をベースにしたり、しなかったりで、ミステリとしてもそれぞれの話が成り立っている点も興味深く、その事態を反転させる技も実に鮮やかなのだ。特に星新一の名作を思わせる『唾壺』や、『双犀犬』における母親の夫選びのエピソードなども一瞬虚をつかれるが合点のゆく結末となっているなど、物語運びが見事である。文章・物語・人物と三拍子が揃っており、ほとんどケチのつけようがないのだ。とにかく。

個人的に中国系舞台ミステリはツボなので、その分の評価が若干積み増されている可能性もあるも、差し引いてもやっぱり高いレベルにあることは間違いない。プロパーの本格ミステリが好きという方には、若干超自然現象分が割り引きだろうが、このキレと余韻は、本好きであれば誰でも満足できるものだと思う。最終話における趙少年の成長なんかのエピソードも良く、緩やかな縛りの連作短編集としても評価できよう。


05/02/03
田中啓文「UMAハンター馬子 完全版1」(ハヤカワ文庫JA'05)

笑酔亭梅寿謎解噺』が出るまでは、田中伝奇ミステリの代表作として(一部で)知られていた「UMAハンター馬子」シリーズが、完全版としてハヤカワ文庫より再登場。

謎の伝統芸能「おんびき祭文」を持ち芸とする蘇我屋馬子(そがのや・うまこ)は四十代に見える女性。太り肉にド派手な化粧とめっちゃ我が儘な性格、それに淫乱と何拍子も揃った彼女は、いわゆる「大阪のおばはん」そのままの人物である。しかしその実力は本物で杖一本で物語を語り、時に歌って人を感動させる能力は超一流。しかし彼女は、弟子で少年のような純情少女・イルカを連れて誰も行きたがらないような辺鄙な地での講演を繰り返す。その目的地の近くには必ずUMA(未知生物)と「不老不死」の伝説があった……。
典型的な過疎地帯にある龍鳴村。この村にある新龍鳴湖でネッシー型UMAがたびたび目撃されたことから、村ではそれをリュッシーと名付けて村おこしの起爆剤としようとしていた。 『湖の秘密』
八月の暑い盛り、徒歩で茨城県の山奥へと向かう馬子とイルカ。目的地の白弥村で開催される日本伝統芸能祭へ出場する予定の彼らだったが、どうやら馬子の目的は別にあるらしい。道程にある黒孔山は隣村の八戸村の住民により封鎖されており、ツチノコが出ると言われていた。 『魔の山へ飛べ』
不老不死の老婆が住むといわれるS県の村。彼女はキツネが住むという摩訶観山を知り尽くし歩き回るのが日課という。老婆を追って山に入った馬子とイルカは迷った挙げ句、野生のキツネの群に襲われる。 『あなたはだあれ』
広島は比婆山の近辺に出るといわれている謎の猿人・ヒバゴン。馬子はイルカを連れ、この猿人を探しにやって来たがもう二十年以上目撃例はないという。ヒバゴンを追う美女ライターと行動を共にすることになった彼女たちは、馬子の思いつきで飛騨高山へ移動する。ここにヒダゴンなる怪物がいるというのだが……。現地にいるとされるのは今度は河童だった? 『恐怖の超猿人』(前半) 以上四編。

田中啓文の持てる才能の三位一体エンターテインメントが復活。謎解き・ギャグ・登場人物・UMA……etc
四編のうち三編は再読とはいえ、改めて実に楽しませてもらった。『笑酔亭梅寿謎解噺』が刊行されるまで、田中啓文ミステリの最高傑作としての呼び声のあった作品だけのことはある。……とはいえ、このシリーズ、実は不遇であった。というのも、当初はe-NOVELSの内部で販売されていた作品が、満を持して学研M文庫から刊行された。そこまでは良かったものの、続く第二巻は編集方針の変更によって同文庫から出ることはなく、学研ウルフ・ノベルズより'03年に刊行された。しかし、ほとんど流通しないままウルフ・ノベルズという叢書自体が消滅してしまい、大三巻がどこからも出せないという事態に陥ってしまっていたのだ。(ウルフ・ノベルズ版は、個人的にも書店では一回しか見かけないうちにどこかに行ってしまったという苦い思い出が)。田中さん本人の嘆き節まで聞いたところで、この完全版の刊行の報には驚くと同時に狂喜した。全二巻の次冊には書き下ろしまでつくという。ようやく、この伝奇ミステリも完結するのか……と、そちらが出る前から感無量である。

さて、本書が傑作とされる理由。それは、ミステリとしての謎の良さ、田中啓文ならではの上滑りしないギャグ、そして現代を描いた作品にも関わらず、UMAを中心に据えることによって独特の伝奇作品としても読むことができること。つまり、三位一体のバランスが絶妙なのだ。 加えて本書に四編、近く出るであろう後編にも四編が収録され、全体を通じての大きな謎についても恐らくは解釈される楽しみが増えた。馬子自身が抱える秘密については、少しずつ伏線らしきものも登場しており、このあたりについてもすっきりさせたいところだ。
本格ミステリとしては微妙……なのだが、UMAの解釈が絶妙なのでその謎は相殺されるといって良い。特に本編で例を挙げるなら『魔の山へ飛べ』。 冒頭にツチノコの特徴を挙げてゆき、しゃあしゃあと出していったその特性から、ある結論を導き出す。その解釈は実に目から鱗が落ちるがごときものがあるのだ。とはいってもUMAを単に題材に借りてくるだけではなく、それに対する深い愛もまた存在し、UMAフリークの方も失望することはない。特に少年期の一時期にあの熱狂のなかにいた世代には、その思いはひとしおなのではないだろうか。

これまでの作品で買っているという方も、これは”買い”ではないかと思われる。また、古今の怪獣小説を網羅した本編巻末の日下三蔵解説にまた力が入っており、これも価値がある。(ああ、また読みたい作品が増えた……)いや、この世界、知らずにいるのは勿体ない。


05/02/02
歌野晶午「安達ヶ原の鬼密室」(講談社ノベルス'00)

歌野晶午のノンシリーズ長編。刊行時もかなり話題にのぼったはずだが、何か縁がなく、個人的になぜか一冊だけ残していた歌野晶午の未読作品だったりする。

『こうへいくんとナノレンジャーきゅうしゅつだいさくせん』 ――こうへいくんとゆみちゃんのたいせつなおもちゃがふかいいどのそこにおちていってしまいました。
『The Ripper with Edouard ――メキシコ湾岸の切り裂き魔』 米国はテキサス州南部にあるアーレイ校に留学生として滞在する日本人高校生・フセナオミ。隣校とのフットボールの試合に熱狂するクラスメイトに馴染めないままスタジアムのロッカールームを探していた彼女は、大量の現金がやり取りされる現場を目にしてしまう。相手は不良学生ビル。脅され掛かったところを間一髪逃げ出すことに成功した彼女は、その街では娼婦を狙う連続殺人鬼が跋扈していることを知る―――。
『安達ヶ原の鬼密室』。冒頭は『黒塚七人殺し』 昭和二十年七月。集団疎開でH県水口村に来ていた兵吾少年は、滞在していた寺をあてなく抜け出し、奇妙な枡形の屋敷に辿り着いた。東京に住むさる方の別荘で、そこには老婆が一人いて兵吾を館で休ませてくれた。留守を守る老夫婦の旦那は街に出ていておらず、老婆と二人きりのはずのその館で、兵吾は部屋に入って来ようとする鬼を目撃する。そこに傍若無人な日本兵が到着して勝手な振る舞いをするなか、彼らは次々と不可解な死を遂げていく――。

常に新しい試みを。歌野本格の精神が早くに具現化されたストレートな本格ミステリ
発表からかなり時間が経過しての読了なので、逆に当時は見えなかったのではないか――という点にいくつか気がついた。その最たるものは、本書が紛れもなく『葉桜の季節に君を想うということ』を頂点に結実する、歌野本格が指向するある特徴を兼ね備えているということ。それは、誰もやったことがないことをして読者を驚かせようという心意気。これが本書からもひしひしと感じられるのだ。その「誰もがやったことがないこと」というのはどういうことか。
本書の紹介文にもあるとおり「まだあった物理トリック」という意味での斬新さはある。とはいっても、既に今となっては類似のトリックを幾つか読んだことがあり、それが本作品のフォロワーなのか、それともそちらがオリジナルなのかは、発表時期があやふやなので何とも判断つきかねる。(さらに『名探偵コナン』でも似たコンセプトのものがあったし)。
このトリックという点で意欲的なことを否定するつもりはない。だが、本作において、より評価すべきは物語としての構造であろう。題名がおどろおどろしい「安達ヶ原の鬼密室」。安達ヶ原の鬼とは荒れ地に一軒家を構え、一夜の宿を借りた旅人を喰い殺す鬼婆の話(簡略化)ではあるが、これに相当するのは作中、戦時中に疎開してきた少年が金持ちの別荘に紛れ込み、不時着した米軍機パイロットを追ってやって来た日本兵たちが次々と災禍に巻き込まれて命を喪っていく話。この部分だけを抜き出せば『そして誰もいなくなった』を想起させる、館もののド直球本格ミステリである。だが、それだけではなく、並列するかたちで避暑地で発生した実業家とその愛人との不可解な死(こちらは現代)の事件が描かれる。さらにその二編の 枠を囲うようにして、米国に留学した高校生が巻き込まれる不可解な婦女暴行連続殺人事件が、さらにその事件を囲って、少年少女向け作品の如き、イラスト入りのほのぼのタッチの作品が描かれる。
マニアが驚くべきは、この恐るべき関係性にある。 一見無関係な事件がどこで繋がっているのか。半分過ぎくらいに、その関係は予想されるようになるとはいえ、やはりキレイにまとめられたこの長編構造にはそれでも慄然とせざるを得ないのだ。やれそうでいて、恐らくは誰もやったことのないミステリ――なのである。確かにこれは。

いまさら声高にこの作品の意義を叫ぶ意味があるのかどうかは分からない。また『葉桜』における衝撃と、本書における衝撃は、それを受ける読者層がちょっと異なるように思うので、本書自体は決して初心者向けではない。(昨年の実績でいえば、『』に狂喜した読者層とかに近いような……) ただ、やはり最近高アベレージでヒット作をとばす、歌野晶午ならではの本格ミステリなのである。(ネタを割らないように書くと曖昧な表現になってしまう点、申し訳なし)。


05/02/01
戸板康二「淀君の謎 −中村雅楽推理手帖−」(講談社'83)

その副題にもある通り、江戸川乱歩の推挽を経て推理小説デビューした戸板康二の創った名探偵・中村雅楽を探偵役とするシリーズ作品集。

淀君は歴史でいわれている通りの悪女だったのか? 雅楽は歴史上の疑問から幾つかの仮説から淀君の真の姿を考えてゆく。 『淀君の謎』
丸の内に建った劇場ビルの地下レストラン。その娘は気難しいことで有名な歌舞伎役者になぜか気に入られ、注文を楽屋に運んでいた。 『かんざしの紋』
雅楽が引っ張り出してきた昔の写真。そこにはかつて雅楽の夫婦役者だった芳之丞の姿が。彼はなぜ雅楽と別れ上方に向かったのか。 『むかしの写真』
進駐軍が駐留していたころに開演されたチャリティ観劇会。ある女性の指輪が紛失してしまった。関係者はおろおろするが雅楽がある指摘を。 『大使夫人の指輪』
ある女形の歌舞伎役者が芸養子を取ろうと二人の若者を家に入れた。その役者の妻がどうも一人に肩入れしているように役者には見え面白くない。 『芸養子』
ある人気役者の病弱な妻が亡くなった。役者の周囲には女性の姿も多かったが、妻はカセットテープに思わせぶりな台詞を遺していた。 『四番目の箱』
劇場の営業事務所に入った役者の娘。彼女はこの劇場で働いている若いカメラ好きの支配人のことが気に掛かる。そつのない彼に嫉妬した彼女は。 『窓際の支配人』
伸び悩んでいる若手役者のところにやって来た謎の女性。正体は誰にも分からなかったが、彼女の激励によってその役者の才能は花開いた。 『木戸御免』 以上八編。

これもまた、様々な楽しみ方のできる雅楽推理譚。論理の詰めは甘くとも味わいが深い
表題作である『淀君の謎』。これが実に中編(とはいっても短めの)といっていいほどのボリュームを誇る。淀君にまつわるさまざまな文献や画を、中村雅楽と竹野記者が検証する――のだが、実際は雅楽が示した暗示を竹野が時代物語に翻案したものを文章にしていることがその理由。雅楽の推理の大前提として、淀君の人生の指針があることに依っていたという点があり、そこが類推以前に想像でしかないので、歴史ミステリとしてはかなり弱点となってしまっている。とはいえ、物語として面白くないかというと決してそんなことはなく、一人の女性の生涯を描いた歴史物語としてそれなりに楽しめるのだ。寧ろ、雅楽を登場させず、一本まるまる時代小説にしても良かったのではないか――と個人的には感じた(異論もあろうが)。
それ以外の話となると、雅楽がもっとも得意とする「劇場、及びその周辺」に関する事件が多い。意地悪な見方をすると、けっこう雅楽の推理に強引な飛躍があるものもあり、本格ミステリとして評価するのはちと辛い気もする。だが、その分、独特の味わいを物語の方でアクセント付けている作品が多いように思われる。例えば『むかしの写真』。はるか昔に雅楽と常に行動を共にしていた役者が、何故雅楽のもとを去っていったのか。謎という意味では小味。だけど、雅楽自身が前面に出てくるエピソードということもあって、感銘が残る。また『四番目の箱』は、故人の残した言葉の意味を雅楽が解釈するものながら、かなり推理は強引。だがそこを強引にせざるを得ない雅楽の姿に、独特の優しさがある。『木戸御免』の突飛な女性の行動の真意や、『窓際の支配人』における物語中のちょっとしたオチなど、どこか心に残る場面が必ずあるのが、この作品集の特徴だともいえるだろう。

それぞれ、歴史ミステリだとか本格ミステリだとか、ジャンルとしての期待をあまり持たずに読んだ方が楽しめる作品集。雅楽らしい舞台と、雅楽らしい優しさあふれる物語に無心に向き合うのに適。