MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/04/20
横溝正史「迷路荘の惨劇」(角川文庫'76)

'56年に『オール讀物』誌に「迷路荘の怪人」として発表された中編を原型に、'75年に本題に改められ、ボリュームにして四倍に膨らんで長編化された作品。金田一もの。角川文庫の横溝ブームのさなか、旺盛な執筆意欲を示した横溝氏の業績の一つにあたるが、館や地下道など横溝テイストが満載されている点も嬉しい一冊。

明治時代、元老であった古館伯爵によって富士の裾野に建設された豪奢な館・名琅荘。政治的に危険な時代にあって、刺客から身を守るために数々のどんでん返しや抜け穴など多数のからくりが施されたこの館では、二代目の代にして一族間の嫉妬を巡る惨劇が起きていた。そしてそれから二十年、館は人手にわたってホテルとして開業されるにあたり、一族の末裔や金田一耕助らが客として招かれる。駅から馬車で館に向かう途中、金田一は怪しい人影を目撃する。そして到着した直後、その馬車の置かれている小屋の内部で、一族の孫にあたる古館辰人元伯爵が死体となって発見された。後頭部に一撃を受け、首を釣られた死体は、なぜか馬車に座った状態となっていたのだ。館に連なる抜け穴と鍾乳洞が事件に関係しているのか。犯人を求め捜査陣が彷徨うなか、第二の殺人事件が勃発する。

陰惨な過去の悲劇、嫉妬に狂う一族内部のもめ事、からくり館、鍾乳洞の冒険……金田一テイストの詰まった本格ミステリ
金田一ものらしいガジェットがこれでもかと配置され、それでいて物語にあまりごちゃごちゃした印象がない。大長編であるにもかかわらず、サスペンスの維持と謎の提出が整理されていて、するすると読めてしまうあたりが素晴らしい。
とはいえ、冒頭の演出、舞台の設定などは既視感を覚えるものがある。もともとの現実の事件をはじめる前の段階に、過去に一族を巡る血の惨劇があり、その容疑者であった人物が鍾乳洞に逃げ込んだまま行方不明。その片腕の人物の影が事件を謎めいた雰囲気で彩る。また、館にあるからくりはとにかく、鍾乳洞内部で行われる闇のなかの追跡劇は本書だけのものではないことは御承知の通り。鍾乳洞そのものに仕掛けがあったり、通り抜けるに際しての難所があったりでそれが事件の解明を妨げている点も既視感がある。
ただ、限定された登場人物のなかにきっちり犯人を配し、その犯人そのものを意外性で見せる手腕はオリジナル。終盤に犯人を多い込む罠を仕掛けるあたりにどたばた感があり、一応の納得をさせておきつつ、最終的に金田一がみせる名探偵としての冴えが素晴らしい。単に舞台や設定を利用したサスペンス・ミステリとなりそうなところに、意外な犯人とその動機を伏せてみせるあたり、まさに本格の面目躍如といった具合である。 これまた、いつものパターンとなりそうなラストの犯人の行動に対し、深い配慮をみせる金田一の姿も、いつも以上に格好良さがあり、読後感も良い。

ミステリというよりも、探偵小説という呼び方の方が相応しい作品で、金田一ものらしい味わいがありながら、その骨格にずっしりとした本格の重みがある作品。
原型となった中編そのものも出版芸術社版『金田一耕助の帰還』にて読むことが出来ます。


05/04/19
吉村達也「トリック狂殺人事件」(角川文庫'94)

吉村達也氏の代表的シリーズ探偵の一人・烏丸ひろみが登場する初期作品。『逆密室殺人事件』や『南太平洋殺人事件』といった本当の初期作品からすると、本作あたりから現在の”烏丸ひろみ”というキャラクタに近い造型がなされはじめている。本書は個人的に吉村達也に嵌るきっかけとなった一冊でもあり、思い入れが強い。

警視庁捜査一課のアイドル的存在である烏丸ひろみのもとに、一通の招待状が届いた。差出人は《トリック卿》と名乗る人物で、長野県にある《うそつき荘》なる建物に、男女七人を招いて六億円の賞金を賭けたゲームを行いたいというものだった。同封されていたのは百万円の現金。犯罪の匂いを感じ取ったひろみは、上司の財津警部の許可をとって休暇を利用して参加することにした。現地にて集合したのは、政治家や企業経営者、作家、市民運動家、女優、そして人気占い師にひろみをくわえた七人。ひろみを除く六人は、《トリック卿》にうそつきだと糾弾される人々であった。雪深い《うそつき荘》は無人で、彼らを出迎えた運転手は外国人で、彼らを降ろすとすぐに帰ってしまった。彼らはすぐに《うそつき荘》に仕掛けられたある現象の結果、山荘に完全に閉じ込められてしまった。《トリック卿》のどこからともなく聞こえるアナウンスはゲームの開始を宣言、そして連続殺人劇がそこから始まった……。

ゲーム性の高い設定が、本格ミステリの興趣を高め、真相は、本格そのものの盲点を突く
吉村達也の近年の作品をみると、かなり”現実”に即した内容であることが多い。それがホラーやサスペンスであってもあまりに現実離れした設定というものが減ってきている。吉村達也の活動の活発化したばかりということもあるのか、本書はその意味で冒険的な設定がなされているのが特徴。館ものであるのだが、この館の存在理由が非現実的であり、強引にして合理的でないのだ。そういった点に目くじらを立てるような読者には向いていないことをまず宣言しておく。
だが、その非常識な館と、これまた非常識な懸賞金を賭けた命がけのゲームという設定が、本格ミステリとしての興趣を高めているのは間違いない。派手な職業を持つ人々、そして原因不明の殺人が緊張感を醸しだし、その館によってもたらされる斬新な”雪の密室”によりサスペンスが盛り上がる。いきなり氷漬けの死体が登場するかと思えば、密室殺人で犯人が消え失せる。個々のトリックが凄いというものではないが、本格ミステリのお約束と、設定そのものを逆手にとったミスリーディングが秀逸。また、映画化を意識しながら書いたと思しき各シーンの”絵”が鮮烈に印象に残る計算だ。
また、名探偵として送り込まれた烏丸ひろみの存在意義というのが、これまた常識を逆転させる意味合いに繋がっているのがポイント。基本に忠実に警察官としての仕事を果たす彼女の存在は、犯罪者にとってどのような意味があるのか――という扱いはかなり斬新で、例をみないものである。閉ざされた雪の山荘内部での連続殺人というゲーム性自体に面白みを感じられるうえ、作者が試みて実現しているトリック(物理的という意味だけにとどまらない)の新しさが非常に印象に残るのである。

最終的に烏丸ひろみが名探偵となって数々の疑問を解き明かしてゆくラストも快感。いわゆる新本格ミステリの持つゲーム性を徹底して描き出すことによって、サプライズという点において高く成功している作品だと思う。本書あたりが評価された結果、90年代初期の「新本格ミステリ作家」の枠組みに、一時期吉村氏が加えられていたのではなかったかと改めて感じた。


05/04/18
新羽精之「鯨のあとに鯱がくる」(幻影城ノベルス'77)

'59年、別名義で発表した「炎の犬」が『別冊宝石』に掲載されたことでデビューした新羽精之氏。'62年には「進化論の問題」で宝石賞を獲得して本格デビューを果たす。本書は新羽精之、唯一の探偵小説長編で、書き下ろし刊行された唯一の単行本である。

佐世保に原子力発電所建設の気運が高まるなか、その反対運動のリーダーに立っていたのが志筑雄一郎だった。地元の大手洋品店の御曹司だった雄一郎はかつては革新的考えの持ち主で原発建設の推進派であったが、あるタイミングから完全に転向、現在は反対運動の若き旗振り役として周囲の期待を集める存在となっていた。その雄一郎が、長崎県沖の島で恋人とダイビングを行っている最中に急死した。重要人物の事故ということで徹底的に調べられたものの、不審な点はなく事故として処理された。雄一郎の妹の佐保と交際している新聞記者・兵主有平は、この死が他殺ではないかと疑い、状況におかしなところのある車盗難事件が当時に発生していたことを知る。果たして雄一郎が急に考えを変えた理由は何だったのか。彼が日記に残した「虎が雨に鯱を見る。何たる皮肉。鯨のあとに鯱がくる」という最後の言葉の意味は。調査を進めてゆく彼らだったが、事件に関係する者が次々と失踪、そして謎の死を遂げてゆく……。

七十年代の地方問題を巡る社会派の側面と、独創性高い本格推理のトリックとの融合
物語はほぼ全編九州の各地域が舞台となっている。著者の居住地が長崎だったということ以上に、九州という土地にこだわる人物だったという話も頷ける内容である。物語の根底にあるのは原子力発電所の誘致問題……というよりも、軍港として発展してきた佐世保という街の活性化という問題というべきか。今もなお続く、地方都市特有の問題を根底に据えた社会派作品としての重みが存在する。
ミステリとしてはその問題と絡むか絡まないか判らないかたちで、ダイバーの水死事件をはじめとする謎の事件を連続して配置する。その事故としかみえない事件の徹底ぶりは読者の不安を煽る。ただ、その部分にオリジナリティの高い理化学トリックを込めている点が面白い。いわゆる特殊な知識を要するタイプのものではあるのだが、どこか「ふーん」とならずに素直に「お、これは凄いじゃない」と思わせるのは、物語の各所に挿入される(本筋とは無関係でもある)蘊蓄系のたとえ話・雑学がいちいち興味深いから。少々そこに持ってこられる内容が本筋から脱線した内容であっても、本筋そのものにはぶれがなく違和感が少ないのだ。
残念ながら、表題ともなっている「鯨のあとに鯱がくる」という言葉自体に込められた謎の意味は、若干本格ミステリとしての興味からは逸脱する。(実際的な意味としての説得性としては奇妙なまでに高いものの)。それでも、一連の事件と本編とを繋ぐ重要な意味合いがあり、浮きすぎてはいない。

時代性や社会性の面からは、執筆当時を強く感じさせるものがあるが、むしろミステリとしての成り立ちは、様々な分化をみせた現代ミステリとの親和性があるように思えた。色々な試みを込めたこの長編第一作を残し、若くして夭折してしまった作家であることが非常に残念に感じられた。


05/04/17
上遠野浩平「禁涙境事件 some tragedies of no-tear land」(講談社ノベルス'05)

殺竜事件』よりはじまる上遠野浩平の「事件」シリーズの四冊目。外伝的なエピソードも交えつつ、本作単体でも物語として成立させているが、本来の筋道からは若干外れる印象。ただ、シリーズの読者を想定していることは間違いなく、単体だとちょっとツライかな……という作品。

一応、ダイキ帝国の委任統治領となってはいるが他の国家からぽつんと離れた位置に存在し、高度な自治権を獲得している都市”禁涙境”。半世紀も収まらない戦乱の地から近いという土地の特性と、天秤塔を中心に四つの尖塔”十字線(アンカー)”と呼ばれる遙か太古の昔から建っている魔導建築物と、創始者・エルウィンド・リーチによる隠蔽呪文の結果、全ての魔法の効力が四分の一になってしまうという特徴から、武器証人や娼館の集まり、独特の発展を遂げてきた。数十年の街の歴史は、後に”残酷号”と呼ばれる怪人による強烈な破壊活動によって終結させられかかったが、街の人々は再び街の復興のための作業に黙々と従事していた。そこに現れたのは顔に仮面を付けた界面干渉学の学者。EDと名乗るその男は、街の歴史のなかに伝わる奇妙な事件のことを知りたがった。

一つの街がどのような経過で生まれ、そして歴史を辿ったか――。連作仕掛けのファンタジー
物語の背景としては、EDや風の騎士らがかつて滞在していた街に戻り、その街で発生した事件を解き明かし、ある目的のために動く――というもの。今後、レギュラーに連なっていくであろう登場人物が出てきたり、ニーガスアンガーといった先の作品に登場している人物が過去形式でエピソードを披瀝するなど、「事件」シリーズの読者のためのサービストラックとしての位置づけも若干はありそうだ。
とはいえ、緩やかな縛りのなかで連作ミステリのように描かれていく物語は、この作品単体としての独特の感慨を持つ。ちなみに、あたかも地面から打ち抜かれたかのような矢によって死亡した指導者、部屋のなかでずたずたになって娼婦の死体と生きた胎児が発見された事件、顔の半分ばかりを潰して婦女を連続して殺害する殺人鬼、そして、街自体をずたずたにしてしまった”残酷号”なる謎の存在の事件――。不可能趣味を扱っているという点ではミステリとしての解釈も可能だが、意外性は狙われているものの本格としての作法はあまり意識されていない印象。少なくとも本作についてはファンタジー・本格ミステリといった印象はないし、また『海賊島事件』でみられたような政治的駆け引きもあまり感じられない。
むしろ、戦地調停士EDや風の騎士たちが登場していながらも、これらの事件に関わる登場人物たちを通じ、作者の視点は幾つものエピソードを重ねることで”禁涙境”という街を、歴史と共に浮かび上がらせることにあるように思える。元手なしから機転から大商人にのし上がっていく少年、祭のなかのレースに人生を賭ける男……といった、小さな人物たちのエピソードが強い印象を残す。そして、一連の事件の裏側にある真犯人の狂気といったところも一つのテーマ(この結果、本作が連作集の形式を持つわけで)だが、そちらの印象は若干薄くもあるように思われた。

そしてやはり要となる場面における登場人物たちはシリーズを通じての役割を振られている者が多いため、本作単体ではなかなか真髄に届きにくい。「事件」シリーズの世界観そのものを構成する市井の人々の生き方や街といった要素を意図的に少しずつ汲み上げて描いてみた作品のように感じられる。この世界の深みを知るのに適な一冊とみる。


05/04/16
戸梶圭太「ビーストシェイク 畜生どもの夜」(カッパノベルス'05)

クールトラッシュ 裏切られた男』に続く作品。職業的犯罪者・鉤崎が再び主人公を務める悪漢小説。

代理人を通じて強盗などの仕事を行う鉤崎は、桑原という男から仕事の提案を受けていた。桑原が肉体労働の現場で知り合った男からの情報で動物マニアのためのオークションで大金が動くので、その現場を襲おうというものだった。海外で動物を違法に仕入れた業者がマニアに秘密裡に売り捌くものなので、警察にも届けることができない。一見、良い話のように思えたが現場を下見した鉤崎は、逃走用の足が確保できないことを理由に一旦話を断った。しかし、安い主婦との情事を終えた鉤崎は、今度は二見という男から同じような誘いを受ける。桑原も二見もあまり腕が良くないため、鉤崎は二人を話し合わせるが、口汚い野罵り合いの末に出た結論は、三人ならば仕事をするというものだった。鉤崎も縁を感じ、結局現場の下見に出掛け計画を練り始めた。一方、強面のヤクザなど首都圏の動物マニアたちはその変態ぶりを部屋のなかで発揮、オークションの日々を心待ちにする毎日を送っていた……。

安さ強烈、クールが引き立つ。工夫と計画が無効化されてゆくトカジ流の悪漢・犯罪小説
二作目にして方向性が見えてきた……といいつつ、中身は主人公の鉤崎を除けば、登場するのが安い人間のオンパレードというあたりトカジ流。 何事にも動じず、犯罪であるからこそ警察に捕まるような愚を犯さず、幾つもの偽名を駆使して正体を隠し、仕事に役立つ人脈は何をもっても保ち、そして何重にも安全を確保したうえで犯罪を実行する鉤崎のクールさ。これが、彼の決断によって安い共犯者や被害者たちがばしばし切り捨てられていくことによって強調されてゆく。また、そのマニアの生態を赤裸々に描くこと自体が目的とされてしまっているようにみえる今回の被害者たちだが、その変態的なフェチぶりに近いものが実際のマニアたちも行っているのではないか――というあたりに奇妙なリアル感が溢れており、現実離れした登場人物たちを作品世界内部の現実として確固とした存在にする独特の手腕が見られる。
犯罪計画そのものは、周辺の問題を先に抑えておく点以外にそう独創性のあるものではない。(寧ろ、独創性がない点が現実的である)。ただ、登場する人物や動物がめちゃくちゃがゆえに後半の狂騒的展開が、ちょっと先読み不可能となっている点が素晴らしい。この展開のなかでの鉤崎の取る行動がまた冷徹にして酷薄。鉤崎の天性の犯罪者ぶりが強調されている点も特徴だ。
個人的に最大のインパクトがあったのは襲撃場面を巡るドタバタよりも。中途に出てくる『宝幸楽』を巡る、凛々としたエピソードなのだが、ここで内容は書けないし書きたくない。だが、このような世界はありそうで、一気に人間としての多面性を取り返し、鉤崎に対して様々な方向から自らの価値を訴えるヤクザの姿が滑稽であると同時に恐怖を覚えるのも事実。鉤崎の冷酷な一面がこのエピソードでズンと深くなっているように思われた。

悪漢同士が手を組み裏切り、卑劣な戦いを繰り広げるというあたりの犯罪小説としての原点的面白さをキープしつつ、かつトカジ流の人間描写によって独特のエンターテインメントが醸し出される。ちょっと類をみないシリーズになりつつある感。えぐい描写も多いので、そのあたりは覚悟して取り組まれたい。


05/04/15
西尾維新「零崎双識の人間試験」(講談社ノベルス'04)

西尾維新のいわゆる「戯言シリーズ」の外伝にあたる長編作品。'02年12月より'03年5月にかけ、講談社BOOK倶楽部にWeb連載されていたものに加筆訂正し、 カード型CD-ROM「スペシャル・ファンディスク」を付けて単行本化したもの。

十七歳の女子高生・無桐伊織は放課後、学校からの帰り道、自分の後をつけてきた挙げ句、訳の分からないことをいってバタフライナイフを自分に向けてきたクラスメイト・夏河靖道を造作なく返り討ちして殺してしまう。自分の行動に呆然となり、自首を検討していた彼女に声を掛けてきたのが、似合わないスーツを着た針金細工体型の男。男は、”殺し名”の第三位に列せられる殺人鬼の一族である「零崎一賊」の長兄にして斬り込み隊長にして不思議な大鋏の使い手・零崎双識だった。もともと、彼の弟で行方不明の零崎人識を捜しに来た彼は、偶然出会った伊織が覚醒したばかりながら「零崎一賊」に連なる者と認識するが、「私の妹にならないかい?」という一言で変態扱いされてしまう。一方、零崎の一族を付け狙う者たちが居た。同じく”殺し名”の匂宮の分家筋にあたる早蕨の兄弟。彼らは妹を零崎に殺されたことの恨みから、伊織を巻き込んで双識に戦いを挑む。

意外なまとまりを見せる、殺す者の論理(?)にスポットを当てた戦闘(バトル)重視の外伝。
……今さらとも思いながらも、刊行同時に手を出せないままも着々と戯言シリーズを追いかけてしまう。ミステリとして読むことはとうに諦めていながらも、作品内部から発する独特のエネルギーは認めざるを得ないと思うから。
さて本作。戯言シリーズ外伝といいながら、作品に関する世界観や登場人物の個性はこれまでのシリーズに依存しており、やはり正伝を読み継いでいる人向け。とはいえ、”いーちゃん”などは間接的にしか登場せず、本書は本書で物語としては完結している。ただ、そのセンスは独特で”殺し名”の名を持つ一族同士が戦闘を繰り返すという大筋に、ついさっき初めて人殺しをしてしまいましたーという女子高生を登場させて奇妙なアクセントを付けている。彼女を肉体的・精神的に作者が壊していく描写は凄まじい。(軽めに書かれてはいるものの)。
本書で強調されているのは、同じ殺人を生業とする”殺し名”のなかでも、天然殺人鬼である零崎と、あくまで完璧な殺し屋である早蕨の差異。先天的なものと後天的なものというような簡単な表現には収まらない、”性質”というような考え方が重視されているように思える。これは、どこか戯言シリーズの本編にも登場する異能者・天才たちにも通じるもので、”そうであるもの”は、”そうなろうとするもの”を常に凌駕する(そして後者は前者に敵わない)という法則が作品世界に存在しているようだ。その主題を殺人者を使ってやってしまうあたりが作者のセンスでもある。
また、登場人物が絞り込まれており、物語としては不思議なまとまりを見せているのも特徴。特に主人公の扱いは本編含めてシリーズのなかで異色だといえよう。殺人鬼といえども人の情があるという落差(特に終盤近くの電車のなかのシーン)が強く印象に残る。

シリーズ完結が宣言される『ネコソギラジカル』の発売が続けられている今、彼らがどのように物語に絡むか、絡まないかが興味の一つ。本書で描かれていない最後の場面の結末は、最終作のごく僅かなエピソードにて判明することだろう(多分)。


05/04/14
佐藤哲也「サラミス」(早川書房'05)

'93年に『イラハイ』にて第5回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した佐藤哲也氏だが、90年代の後半に一時期新作がなかった時期があった。'02年に『妻の帝国』を刊行しSF大賞となったあたりから再び精力的に作品が刊行されるようになっている。非常に喜ばしいこと。

ペルシア人の王クセルクセスは神意を得て広大な領地から軍隊を集め、父親の成し遂げられなかったギリシアへの侵略戦争を企て、大軍をもって攻め込んできた。ギリシアの主要都市・アテナイが支配するアッティカに地方に入り、二百万人ともいわれる大軍はアテナイに入った。既にアテナイ市民は既に避難を終えており、戦える者は皆軍船に乗り込み、アッティカの南にあるサラミス島に集結していた。自由を旗印とするギリシア連合軍とはいえ、ペルシアに荷担する国や日和見を決め込む国がありながらスパルタ人エウリュビアデスを総指揮官として結束を固めんとする。なかでも中核となるアテナイ勢の指揮を執るのはテミストクレス。彼らはサラミスでペルシア海軍を迎え撃つか、それとも地峡の守りを固める陸上部隊と合流するかで意見が分かれており、その結論を得るために果てしない議論が続けられていた……。

佐藤哲也の美学と古代ギリシアの激動と。歴史の一ステージが佐藤流解釈を受けて微妙なエンタへと昇格!
もともと、この時期のギリシアの戦いというのは知略に富んでおり面白い。戦いそのものもさりながら、その背景にある政治ルールであるとか、各国の思惑などのぶつかり合いが、かなりひねくれたかたちで存在しているから。そこで活躍するのは名誉を求める個の存在。彼らが、いかに自分の目的を詭弁によって達成するか……、というあたり、佐藤哲也のもともと持つ文学性と合致が感じられる。というか、佐藤哲也の文学性がギリシア哲学者たち由来のものであっても、全然不思議ではない。
いくつもの繰り返しや奇妙な比喩、とんでもない暗喩が凝らされて、登場人物が喋りまくって物語が全然進まないあたり、読者を選びそうだなあとも思うが、この会話のぶつかり合いを楽しまない手はない。特に個人の性格があるようでないような、複雑なようでシンプルな、不思議な詭弁がもたらす独特の世界。別に面白可笑しくしようという意図が(無いとはいえないまでも)それほど表に出ないなか、不思議なユーモアが物語を包んでいる。まさかこういった議論のための議論が戦場光景のなかで実際に繰り広げられたわけではない(という意味では歴史ファンタジー)だろうが、それでもどこかにあったかもしれない、もう一つの歴史を見せられているような気分になれた。
考えてみれば『イラハイ』や『妻の帝国』にしても、軍隊という主題を扱っていたわけで、軍隊の盲信性みたいなところと佐藤文学とのあいだには親和性があるように思える。その行動や理屈を多面的に捉えられない人々が、本人たちの気付かないまま読者の笑い者にされているというような感じといえばいいか。

誰もにお勧めできる……というような間口の広い作品ではないが、このテイストが好きな人にとってはここまで深い味わいがある作品もない、というタイプ。噛み締めると味が実に深い。佐藤哲也のマニアになってしまった人はきっと堅牢強固な意志の力によって永遠にマニアを続けるしかない……ということ。 仕方ない。ついてゆきますよ。


05/04/13
原 ォ「さらば長き眠り」(早川書房'95)

そして夜は蘇る』『私が殺した少女』に続く沢崎シリーズの長編三冊目、短編集『天使たちの探偵』を加えても四冊目となる作品。この作品自体、非常に時間がかかって登場したような記憶があるが、これ以降、十年近く、原ォは沈黙してしまう。

およそ四百日ぶりに東京に戻ってきた私立探偵・沢崎。西新宿の事務所に久々に帰ってきた彼を浮浪者が待っていた。彼は、ある人物から、沢崎が帰ってきたら連絡するように頼んでくれと頼まれたのだという。受け取ったのは一枚の名刺。〈ハザマ・スポーツ・プラザ〉川嶋弘隆という名前が×で消され、裏に魚住という名前と電話番号が書かれていた。魚住は電話に出ず、川嶋の電話番号に掛けたところ、不慮の事故で亡くなったところだという。葬儀に出て魚住の名前と住所を手に入れた沢崎は、再び魚住の電話に掛けたところ《ダッグアウト》というスナックだった。どうやら、魚住は野球の関係者らしいとあたりをつけ、沢崎は知り合いのスポーツ・ライターに調べを付けててもらう。かつて魚住は高校野球の選手で甲子園に出場しており、本来ピッチャーでなかったにもかかわらず素晴らしい投球によってチームを準々決勝まで導いた。だがそこでPL学園とあたって敗退する。しかし、その試合に八百長疑惑が掛けられ、事実、魚住の鞄から現金数百万円が発見されたことによって大騒ぎとなった。魚住は一貫して無実を主張、結果的にそれが受け入れられたのだが、マスコミの攻勢によって彼の姉が自殺してしまう悲劇が起きていた――。

哀しみに満ちた筆致、複数の人生が交錯する不思議。事件の重層構造がシンフォニーを奏で、ミステリは完成する
シリーズ作品としても、一個のミステリとしても、非常に完成度の高い作品。チャンドラーを敬愛する著者をわざわざ紹介する必要もなく、一個の文学として十二分に鑑賞に耐える凄まじいまでの仕上がりとなっている。刊行当時に読んだ時には「凄いミステリだな」としか実は感じていなかったのだが、年を経て再読することによって新たな感慨が湧き上がる。「もの凄い作品だわ、これ」となった。
もちろん中核にあるのは、過去にあった八百長事件と、その関係者の姉の自殺事件。そして、なぜ沢崎が長期間東京を離れていたのかという部分も謎となる。ただ、このシリーズは、単に謎解きをしてオシマイ、というかたちにならない。本書が初登場となる人物であっても、重要な役割を持つ人物であれば、その人間像が深く観察され、読者の目の前にさらけ出されるのである。人物描写を徹底さえすれば「人間が描けている」と直結させるつもりは毛頭ないが、もとより原ォの文学のなかではこの人物描写を徹底することによって、物語全体に独特のペーソスを与えている部分があり、この作品でもそれが成功している。事件の方も、複雑に絡み合い、そしてさりげない伏線が引かれており、八百長事件にしても、彼の姉の自殺事件にしても思いの外の結末を迎える。読者と対決するようなタイプではないながら、サプライズという意味ではかなり強烈なものがある。 そしてそのサプライズの強さは、決して物語の雰囲気を壊さない。むしろ、その結果現れる人々の秘められた想いが全体を通じて作品が持つ独特の雰囲気を補完し、より強烈なインパクトを発するようになっている。
この作品を野球ミステリ……というのにはさすがに抵抗があるが、こういった人気スポーツの裏側事情を作品に取り入れてしまうあたりは実に巧みだとも思う。しかし、結果現れてくる人間の悪意の強烈なことといったらない。人間の弱さを、卑怯さを怯懦を、見事にこのテーマを通じて描ききっている。
敢えて難をいうならば、若干彩りに欠けているように思われる点か。別に女性を入れて華やかにすれば良いというものではないが、登場する人物たち――私立探偵の沢崎、浮浪者の枡田、新宿署の錦織、清和会の橋爪……といった面子がやはりちょっと重苦しく、キツイ。彼らが交わることによって、沢崎シリーズの重厚感が培われているという見方もできるのだが、このあたりはちょっと難しいところ。

いずれにせよ、これで原ォの新作を読む準備が整った。(といっても四冊再読するのに半年近くかかってしまった)。沢崎シリーズ、やはり凄い。面白いと簡単に割り切れない。やはり凄いとしかいいようのないシリーズである。


05/04/12
太田忠司「天霧家事件」(徳間文庫'03)

太田忠司氏の代表的名探偵・狩野俊介シリーズの七冊目(長編としては五冊目)となる作品。『玄武塔事件』『狩野俊介の事件簿』と、このシリーズは徳間文庫から一旦、徳間デュアル文庫に切り替わっていたが、本書より再び徳間文庫に戻っている。

俊介が夏休みで同級生の別荘に三白四日で出掛けてしまった日、黒ずくめの服装をして顔をベールで隠した女性が石神探偵事務所を訪ねてきた。彼女はふたりの少年の写った一枚の写真を取り出し、その小さい方の少年の行方を捜して欲しいのだという。写真は十七、八年前のもので反対側にいる少年は彼女の夫で、鈴木政秀、依頼者自身は鈴木道子と名乗った。連絡先を教えようとしない彼女の依頼を野上は引き受けるが、アキと二人、その女性の欺瞞は見破っていた。野上は写真の少年の水着から、俊介の学校の先輩に彼らがあたると看破し、担任教師の松永先生から、その頃に生徒を教えていた引退教師の紹介を受ける。その教師は鈴木政秀は既に死んでいるといい、またその少年については頑なな態度で知らないと言い張った。野上は依頼人との会見で、その正体を明かすよう求めるが、喫茶店のなかで彼女が服毒死してしまう。やってきた警察によれば、彼女の本名は天霧瑞江。街の名家・天霧家の娘だった。

控えめながら野上もまた名探偵。人間の悪意を受け止める、探偵稼業の辛さが前面に出た一作
狩野俊介シリーズの一作でありながら、その俊介はほとんど登場しない。もちろん、謎の解決にも全く寄与しない。そういう意味では、これまでも決して鈍重ではなかったがあまり名探偵としての能力を発揮する機会に恵まれなかった、野上英太郎の活躍する事件である。だが、さすがに大人の探偵がぶつかる事件だけあって、その事件そのものに潜む悪意が強烈。冒頭にある恒例の石神法全への手紙にもある通り、、俊介にはまだこんな事件に関わって欲しくない、というのは本音だと思える。
野上の視点からみた事件であり、その物語の展開が秀逸。謎の依頼人から始まり、その依頼人の謎の死、そこから本書の主題となる天霧家の事件へと繋がっていく。最初に見せられた悪意は小さなものであっても、かつて発生したであろう事件と、その事件から現在へと罪を罪で塗りつぶすような卑怯な遣り口によって、その悪意(そしてもう一つ、ある人物の不可解な行動)が強烈に浮かび上がるようになっている仕掛けだ。最終的に真相が明かされた時に、その財産争いといった醜さとはもっと別の、ある人間の陥った数奇かつ哀しい人生が浮かび上がってくる。その人物の慟哭がまた、不思議な恐怖を覚えるような仕掛けとなっており、このあたりが印象に残る。
幾つか発生する不可解な殺人事件そのものは、どちらかといえばシンプルなトリックの部類に入るだろうが、ある意味人を食ったような大きな意味の仕掛けの方にサプライズがある。トリックというよりも、物語構造を重視した結果つくられた作品だからだろうか。悪意というか、人を人と思わないようなひどい人を描かせると、太田忠司、さりげなくも実に上手い。

このあたりから、シリーズとして落ち着いてきた感がある。狩野俊介シリーズはどれくらい続くのか、という質問がMYSCONにもあったが、「ジャンヌを殺したくない」という太田先生のコメントを聞く限り、なかなか「狩野俊介最後の事件」には至らないようだ。それはそれで有り難いことである。


05/04/11
恩田 陸「ユージニア」(角川書店'05)

『KADOKAWAミステリ』'02年8月から'03年5月号、そして『本の旅人』'03年7月号から'04年9月号にかけて掲載されていた長編が単行本化されたもの。いずれ文庫版も出るのであろうが、このハードカバー版の造本が凝っており、表紙カバーのみならず、わざと段組をずらしたような本文に至るまで読者の「不安感」を煽るような構造となっている。

北陸のある有名な観光地。夏。かつてこの地で発生した事件。名家・青澤家の当主の還暦祝いで集まった人々が、届けられた酒やジュースに入っていた毒物を飲み、子供を含む十七名が死亡した。酒を届けに来たのは黒い野球帽をかぶり黄色い雨合羽を着た男。差出人の名前は当主の親友だった山形の医院。青澤家の生き残り、盲目の少女・青澤緋沙子。犯人の残した唯一の遺留品、ユージニアと書かれた謎の手紙。十月になって自殺した青年。精神科の通院歴、犯行の告白。青澤家の毒殺犯人は――自分。一致する指紋。しかし、彼と青澤家の接点が見あたらない。真っ白の百日紅。現場にいた小学五年生・雑賀満喜子。彼女は学生となって、青澤家の事件を書き残す。刊行される『忘れられた祝祭』。青澤緋沙子に話を聞く。彼女の目が見えていたら――? 青い部屋の話、当日いったい何があったのか。そして犯人は……誰?

実に恩田陸らしい――妄想と現実とが入り交じり、ある夏の一日が幻視させられる
語り手を少しずつずらしながら、核心の周辺を様々な視点が通り抜け、その核心のアウトラインが徐々に浮かび上がる――という構造。この種の手法は、恩田陸の幻想系の作品でしばしば試みられているのだが、本書は真っ向からミステリ風に取り組まれた作品。しっかり文章を読みとることで様々なヒントが得られ、ある程度、読者の頭のなかで事件の組み立てが可能になる。ただ、わざと幾つもの見方(予断?)を持つ人物の証言を交えることによって、それが果たして正しいのかどうかという点は結末を迎えるまで(迎えても)定かではないという物語となっている。
時系列もずらしてあるため、事件の構造以前に物語としての構造にも、どこか戸惑いを覚えてしまう。ただ、その酩酊感すら伴うその戸惑いが、なぜか実に心地よいのだ。 決して爽やかだという物語ではなく、どこか心の闇を抱えた人々の、でもその闇を決して表に出さない人の心の裡を読みとる物語。だけど、恩田陸がその中核となる設定を事前に創り上げている(行き当たりばったりではない)がために、その中心がそこにある、という確信を読者が得ることができるのだ。
発生した事件。その事件をもとに描かれたテキスト。事件の取材と、テキストの周辺を巡る人々の証言。複数の視線によって徐々に浮き上がるアウトライン、だけどその焦点が若干ずれていてぼやけているが故の、効果が絶大。 その結果、本作は悲惨な事件を扱いながら、どこか幻想的な雰囲気を湛えたミステリとして充実している。

近年の恩田ミステリのなかでは、高い完成度を誇る作品。ただ、その完成度というのは普通の意味でのサプライズや、論理のアクロバットといったことを示すものではない。幻想的な雰囲気と、事件の謎めき。これらが一冊の書物にまとまることによって、独自の世界を造り上げているという意味での完成。 読者にとって残される不安感をも含めて計算しつくされた結果、生まれた作品なのだと思いたい。