MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/04/30
船越百恵「名探偵症候群(シンドローム)」(カッパノベルス'05)

『眼球蒐集家』にてデビュー、盗作疑惑などよくも悪くも話題を呼んだ作者の二冊目の長編。ちなみに、ミステリとはひとことも謳っておらず”長編ロマンティック・コメディ”という位置づけになっている。このあたりに、近年の出版業界のトレンドの一端を垣間見たように感じる。

結婚するものと思い込んでいた三年越しの彼氏から強烈に振られて自暴自棄になる三十二歳・相原茅乃、独身。趣味は電子工作。そんなこんなで荒れる茅乃のもとに腐れ縁の幼なじみ・早川花蓮からの結婚パーティの招待状が届く。親の圧力もあり、欠席できないうえに婚約者を連れていかねばならないという窮地に陥った茅乃。飲み友達に相談したところ「エスコート・サーヴィス」を利用してはどうかという提案が。そんな金はない! という茅乃であったが、なぜか勤務先である出版社の女性誌で、その「エスコート・サーヴィス」の取材をするよう業務命令が出る。仕方なく、いや渡りに舟と今回の結婚パーティの同伴を依頼したが、当日現れたのは前日までの打合せに来ていたのとは別の、刑部芯と名乗る美しすぎる男性だった。緊張しながら結婚パーティに出向いた茅乃だったが、その結婚パーティ、何やら波乱含みの展開……。

主人公が三十女のティーンズ文庫。とはいえ本格ミステリの度合いはしっかりと高い
文体が強烈……というか眩暈がする。カッパノベルスという、本来は(昔は)おっさん向けの新幹線小説(三時間で読める)を刊行してきたレーベルが遂にここまで許容するようになったか、と驚くことしきり。つまりは、冗舌にすぎる女性の一人称なのだが、独身適齢期女性の勘違いと独善と独りよがりがセットになっていて、もはや中年男性である小生にはツライ語り口・展開・内容なのだ。また豊かすぎる想像力と、少女マンガ的な登場人物配置と相まって、かなり派手にぶっ飛んでいる印象がある。こういった独特のパワーを持った女性が現実にいないとはいわないけれど、読んでいるうちにいわゆるティーンズ文庫のノリと印象が思い切り重なってしまうこともまた間違いない。ただ、コメディとしてのノリはさすがにみごとで、面白い面白くないでいうと、この文体に見合っただけの派手なドタバタ劇が展開されており結構面白いのだこれが。
ただ――、内容的には”長編ロマンティック・コメディ”  ――このキャッチからは想像のつきにくい内容、すなわち本格ミステリ。因縁のある結婚式に呼ばれた主人公たちが陥る”嵐の山荘”状態。孤立した館と、互いに問題を抱えた人間関係が引き起こす連続殺人事件……、と前半のノリは維持しつつもやっていることはミステリの定石を踏まえた本格の手法。ある意味、この文体で一般向けレーベルで本格をやるという点については、評価しても良いのではないかともちょっと感じた。とはいえ、前半のコメディのノリと後半のシリアスな部分とに雰囲気としてのギャップがあって、主人公の緊張感自体に方向性の差(絶対に真相に向き合えない)が存在する。つまり、主人公の視点が間違っているにもかかわらず、そのノリに引きずられて推理の妙味が薄くなる点が弱点にもなっている。

恐らくは読者によって評価の幅が大きく拡がる作品になるように思われる。人間描写という点で物足りなさが残るものの、読み終わるまで付き合えば、まあこのノリ自体は許せない(要は中年男性のわたしにとっても)ものでもなく、作者独自の味わいは出ているように思うから。本格ミステリとして要点を押さえているものの、特別に抜けた存在とはいえない。トータルで合う、合わないはホント読者次第という作品ですかね、やっぱり。


05/04/29
多岐川恭「吸われざる唇」(講談社'62)

'62年に刊行された後、翌年に講談社ロマンブックス入りしたものの、そのまま文庫化もされずに現在に至っている。多岐川恭の中期に差し掛かった時期に発表された長編作品。

スター軽車輌工業の幹部社員が集まった桃屋ホテル。その五号室で滞留予定のない筈の人事課長・塩地がゴルフクラブで撲殺された死体で発見された。部屋から逃げ出したところを発見されたのが、元社長の娘で、技術部の社員・古城益美と結婚した依子。依子の人柄と美貌に社内に崇拝者は多く、彼女の犯行だとは思えない。しかし古城益美は依子のもとを離れて九州支社のある小倉に出向、そこで愛人を囲っていた。しかしなぜかこの日、古城益美は別の愛人と共にこのホテルに滞在していた。警察の捜査によって各人のアリバイが確かめられたが、関係者のあいだに殺人を犯せる者はいないように思われた。依子は最初、偽証していたが、自分は目隠しされ縛られてその部屋にいたことは認めるものの、塩地と不倫の関係にはないことを主張。明らかに捜査員に対して何かを隠していた。事件が解決できないまま時が過ぎるが、今度は依子の弟の古城直志が、捜査関係者から聴いた姉の身体の秘密について心当たりがあると九州に向かう。しかしさらに直志が何者かに毒殺される事件が発生した――。

描写は古いが埋もれたままでは勿体ない。複雑なプロットが醸し出す謎と、人間心理のさらに深い謎
物語全体が地味な印象がある。
会社の管理職同士が集うなかでの人事課長の謎の死、そしてその現場で目隠しをされていたという人妻。会社という狭いコミュニティのなかにほぼ全ての関係者が揃い、また彼らの愛人がぞろぞろ登場するという展開に加え、その被害者の人妻に一目惚れした男が探偵役という、現代であれば何となく締まらないような登場人物配置と展開のように思われる。
だが、そういうディティールの古臭さ、人間関係の古臭さなどについては拭いようがないのだが、意外に本格ミステリとしてのロジックの面白みがある点が特徴である。特に警察調査の結果立証された分刻みのアリバイの結果、誰もが犯人足り得ないはずの第一の殺人のからくりであるとか、後半に容疑者が決定してからの警察サイドが総力を挙げて実施する徹底したアリバイ崩しなどなど、特に後半の見所が多い印象。少なくとも本格ミステリファンであれば、このあたりの内容についてもご満足を頂けるはず。
また一方で、全体に隠された「犯人は誰?」というサスペンスとは別に、一つの謎が徹底して物語を引っ張っている点についても興味深い。すなわち、依子が自ら殺人事件の容疑者となりかかっても、頑なに口を閉ざし続け、守ろうとしているある秘密とは一体なんなのか。この答えから導かれる強烈な愛の姿には感動を超えた凄まじき迫力がある。多岐川恭が当時、推理小説について、心理的なトリックを描きたい趣旨のことを述べているが、ある意味ではそれを本書のうえで一つは実現できていると感じさせられる。

ただ、多岐川恭の長編には本書以上の趣向や新しい試みが為された作品が多いため、こういった地味な作品は埋もれがち。作者の一連の長編のなかでも評価は中の中、ないし中の下になってしまう。だがそれでも、推理小説全体のなかにおいてはそんじょそこらのミステリ作家には負けない、本格としても推理小説としても重厚な味わいを持つ作品なのである。


05/04/28
内田康夫「天城峠殺人事件」(光文社文庫'85)

内田康夫氏の(いや、もしかすると世間的には国民的な)名探偵、浅見光彦を主人公としたシリーズの一作品。

ルポライターの浅見光彦は、母親の言いつけで取材に訪れた古式泳法の大会会場で「アサミ」という名の女性に目を留める。帰宅後、浅見は歌手の桜井夕紀という女性から自分宛に何度も電話がかかってきていたことを知る。かつて取材で彼女と知り合った関係だが、浅見はテレビで元気そうに歌う夕紀を見ているうちに、そんな電話があったことを忘れてしまう。それから一ヶ月ほど過ぎた頃、伊豆・修善寺に来ていた浅見は「アサミ」こと小林麻美がいることに気づき、声を掛ける。彼女は寺社に貼り付ける千社札を熱心に見ていたのだ。彼女の父親である小林彰夫が、百社詣での最中に行方不明となり天城峠のトンネル付近でつい最近、遺体となって発見されたというのだ。現場付近では十日ほどまえに大学生グループが事故のような音を聞いており、ひき逃げ事件とみて捜査が開始されていた。浅見は事件に興味を抱き、警察署へと足を運ぶが……。

ミステリとしては浅く小説として軽い。内田ミステリーらしい読みやすさ
本書を手に取った最大の理由、それは光文社文庫書き下ろしにて刊行された本作、解説を鮎川哲也が引き受けているのだ。内田康夫氏の作品の多くは自作解題を作者自身で行っているケースが多く、執筆裏話になっている作品がほとんどなのだが、これはちょっと珍しい。……ただ、解説というよりもこれは鮎川哲也のエッセイである。土屋隆夫氏が上京した折りに神田三省堂に連れてゆき、そこで内田康夫の『死者の木霊』を買わせた話がマクラなのだが、そこから内田康夫氏の様子を鮎川氏なりに描写する。同業なりに情報は得ているとはいえ、人柄などに触れておらず、軽井沢に住んでいるとかグラビアが出ていたといったあたりについて、センセイの推測混じりの文章で紹介されている。なんとなく人物像を捉えるにしても、どこか的が外れているように思える。
その後、一転して内田作品群を系統立てて分析していたかと思うと「手鞠唄」考みたいな話になり、手鞠唄なら横溝正史だろうと例を引き、そこからなぜか「伊達さん」なる人物の話に大脱線してゆくのだ。最後に内田氏の執筆の秘密の一端を鮎川センセイが明かすのであるが、どうもこれも書き方こそぼやかしているものの、直接内田氏から聞いた話ではなさそうである。推理という程でもないけれど、この解説は恐らく、内田氏のことを知る編集者から鮎川センセイがいろいろ手取り足取り教えてもらいながら、冒頭の思い出と絡めて書いた随筆なのではあるまいか。系統立てた分析も、センセイご自身ではなくてその編集者の方の受け売りじゃなかろうか、とか思ってしまうのである。まあ、それはそれでご愛敬なのではあるのだが……。

あ、作品内容について触れていませんでした! ミステリとしては可もなく、だけど決して不可もなくといった感じ。アンフェアではないまでも、登場人物の動きや関係が強烈に過ぎるご都合主義のもと構成されている点がちょっと気になるくらい。あとはいつもの内田ミステリーでした。


05/04/27
太田忠司「狩野俊介の肖像」(トクマノベルズ'96)

狩野俊介シリーズの九作目にして三冊目となる短編集。'91年にこのシリーズが始まっているのだが、かなりハイペースで作品刊行がなされているといえそうだ。収録の前二作品は『小説工房』という雑誌に掲載されたもので、後半二作は同誌が休刊してしまったことに伴い、書き下ろしとして加えられている。

飼育部の美樹は、月曜日の早朝、金糸雀に餌をやろうと禽舎を訪れたが、世話をするべき金糸雀の姿が無かった。檻自体に壊れたところはなく、地面には金糸雀の羽が落ちていた。美樹は俊介に事件の解決を依頼するが、俊介はなぜかそっけない。 『金糸雀は、もう鳴かない』
弓道部を体験しにきた俊介。弓道部には、つい最近兄を事故で亡くしたばかりの鶴岡奈々がいた。彼女はブランクもあってなかなか練習に集中できないが、そんな時に彼女のもとに怪文書が届いた。動揺する彼女は、大会出場を断念せざるを得ない。  『誰も気付かない、誰も傷つかない』
校長室の花瓶が何者かによって卓から落とされて連続して割れる事件が発生していた。現場は密室状態で、校長と教頭は名探偵と名高い狩野俊介に調査させようと、担任の松永麗子を通じて申し入れる。俊介はあまり乗り気ではない。『人が歩む、すべての道は』
俊介は自殺の名所と呼ばれる崖の上にジャンヌと共に訪れていた。雨宿りのための廃屋で俊介は奇妙な老人に出会う。その老人は俊介の境遇をひと目で言い当ててしまった。 『秋雨』 以上四編。

狩野俊介、中学校の事件簿は、孤独な心を持つ中学生ならではの悩みと悲しみに満ちて……
平均主義と悪平等に染まった学校内部において、極端に人より抜きんでた力を持つ者は必ずしも尊敬の対象とならない。というよりも、許されない存在として迫害の対象とされてしまう――。本書における主題はこの点に尽きるように思われる。もちろん、中学生にして名探偵としての天分の素質を授かっている狩野俊介少年自身にいえること。ただ、物語は俊介自身の持つ、そういった事態までをも達観した大人びた態度とは別に、他人から個性で抜け出すことによって理解のない周囲を悲観し、若くして自ら死を選ぶしかなくなった中学生や高校生の姿が淡々と描かれている。
そして、これが痛いのだ。ちょうど、大人の悪知恵と子供の無邪気さが同居する”中学生”という存在は、時にその存在自体が刃物となって周囲を切りつける。ある程度大人になって振り返ると思い出しもするのだろうが、この時期の少年たち少女たちのなんと残酷なこと。 『金糸雀…』の犯人の身勝手さ。『誰も…』のやるせなさ。『人が…』の実行指示を行った少年の孤独、そして『秋雨』で自殺した少年の境遇。いろいろなかたちの中学生が描かれながら、その環境のなかで、身の処し方を探索する狩野俊介の苦悩が実に痛いのだ。
それぞれの物語における謎は俊介によって解かれるが、最終話の『秋雨』を除くと、学校生活の特殊性が浮かび上がってくる。誰かが犯人ということは、その誰かを糾弾しなければならないということ。その糾弾を避けるために、俊介自身傷付きながらも自分の役割を健気にこなそうとしている姿には、小さな感動すら覚えてしまう。
本格ミステリとしては、一風変わった物理トリックが存在する『金糸雀…』が、四作のなかでは少し抜けているか。ただ、その他の作品においても、細かな手掛かりから真相に至ってゆく俊介の姿があり、ちょっとした事物から真実を引き出す腕は相変わらず抜群だと思われた。

ミステリそのものの出来を問う作品ではない。この小さな名探偵の苦悩を通して、学校や、そこに通う生徒の持つ残酷さをじわりと引き出しているような印象がある。それでもお勧めしたくなるのは、読後感が寂しくもとても暖かさに満ちているから。強いていうが、やはりシリーズ当初から読んでおいた方が良さそうだ。


05/04/26
藤木 稟「殉教者は月に舞う 十二宮探偵朱雀 蟹座(キャンサー)」(カッパノベルス'05)

藤木稟さんのデビュー作は『陀吉尼の紡ぐ糸』で、昭和初期、戦前の日本が舞台となり盲目の探偵・朱雀十五が探偵役を務めていた。本書では、現代が舞台となっており年取った朱雀十五が……ではなく、そこから関係者同士が婚姻関係を結んだ結果、恐らく三代後であろう、俳優にして天才の朱雀十八が探偵役を務めている。広い意味では朱雀シリーズということになるのだろうか。

有明メルローズ研究所。東京湾上に浮島として建設され、スポンサー名すら謎とされるこの研究所では、最先端の各種研究が異端の研究者たちによって進められていた。所長である鬼坂繁俊は辣腕の実業家タイプの人物で四十四歳。ハンサムな風貌で女性関係も派手であった。その鬼坂がスポンサー候補として島を訪れた製薬会社経営陣に、生物進化をシミュレートする水槽の説明をしている途中、口から一メートルほどの炎を吹き出して突如焼死してしまった。一方、死体の胸にM字型の傷をつけてイニシャライズする連続殺人犯が都下を跋扈していた。警視庁捜査一課に所属する柏木サクラと上司の貴島は、「オクラ系」「万年待機組」と揶揄される強行犯十一係に所属しており、連続殺人の捜査に加わりたがっていたのが、こちらの研究所の変死事件の方を担当することになった。捜査の結果、この研究所や鬼坂を巡る怨恨や乱れた男女関係が浮かび上がってきたのだが……。

確かに本格ミステリではあるのだが……どこか設定にラノベ(失礼)めいたの大らかさが漂う
猟奇連続殺人事件がプロローグなので、そちらがメインと思いきや、更に猟奇で奇妙な連続殺人事件が研究所で発生し、そちらを中心とした物語となる。梗概に紹介した、突然炎を吹き出して死ぬ研究所長のHow done it? の興味をそそり、そこに凝らされたトリックについてはそれなりの説得力はある。
ただ、全体としてのディティールが何というか、一般読者の追随を許さないような突飛な設定が多数為されており、どうしても最後までそちらの方が気になってしまった。新興宗教教祖の呪いだとか、医薬から物理まで統一感のない先端研究が寄せ集められた研究所だとか、探偵がよりによって人気俳優であるとか、二人暮らしの変人天才兄弟であるとか、タロット占いによる予言だとか、連続猟奇殺人犯だとか、インターネットの殺人請け負い業だとか……、かなり現実感の薄いガジェットが多く寄せ集められている印象。 これらのうち一つだけを取り上げて徹底的にディティールを補強してくれれば、それぞれ現実のミステリとして許せない設定ではない。だが、これらが全て一緒くたに取り上げられている結果、なんかお伽話めいた印象が作品全体を覆ってしまっている。ラノベというよりもミステリをベースにしたファンタジー世界と割り切った方が良いかもしれない。個人的には実現の可能性が感じられる研究(嘘をついても良いけれど)は許せるにしろ、物理的にちょっと「おいおい」という研究、つまりは物質を電離分解して瞬間移動させる研究と、その実験の結果というあたりに「いくらなんでもこれは凄いよなー」と、ミステリとは別の、どうでもいいような興趣を覚えた。
また、最初の被害者を中心とした爛れた人間関係がまたその混迷に拍車を掛ける。ただでさえ研究者の個性が強いところに愛憎関係までもが持ち込まれ、それもまた事件の真相を巡る鍵の一つとなっている。まあ、これはこれでアリなんでしょうけれど、そこまでこだわらなくても……というような感想となってしまう。

これまでの戦前の探偵小説の枠組みのなかでならば、多少の非現実性や迷信・宗教といった隠れ蓑もありで、それはそれで本格ミステリを形作るガジェットとなり得たし、事実、当初はそういったシリーズだと考えて割りと好意的に捉えていた。だが、それと似た混乱の世界を現代に簡単に構築するのはやはり難しいのか。小説としての読後感とは別に、いろいろ考えさせられる作品である。


05/04/25
浦賀和宏「松浦純菜の静かな世界」(講談社ノベルス'05)

特異な作風と独特の世界で読者を魅了する浦賀和宏、講談社ノベルスでは遂に十冊目となる長編。これまた不思議なテーマを感じさせる作品となっている。

妹と映画を観に行った帰り、店に入ると突然闖入してきた外国人に妹ともども銃で撃たれた高校生・八木剛士。彼は妹からプレゼントとして貰ったペンダントに銃弾が当たって奇跡的に軽傷で済んだが、妹は意識不明の重体となった。生き残った彼は「奇跡の男」として、好奇の視線に逆に晒される。そんな彼に興味を持つのが、かつてひどい事故に巻き込まれて大怪我を負い、二年間の療養生活を過ごして戻ってきた松浦純菜。彼女は強引な手段をとって、友人を通じて八木とコンタクトを取る。市内では、連続女子高生殺人事件が発生しており、その遺体の一部が持ち去られていた。そしてそんな折り、純菜の親友だった貴子が行方不明になってしまっており、二人はなぜかその事件を追い始める――。

サイコな事件を側面に配してはいるが、これまでにない不思議で純粋なラヴストーリー……
いわゆる「安藤」シリーズでは、猟奇とサイコをこれでもか! とばかりに取り入れ、人間の悪意や残酷さについて描きだすことでインパクトが強かった印象が浦賀作品にはある。だが、若干刊行ペースが落ちてきたうえで生み出された本作、浦賀和宏のテイストが間違いなく入っているにも関わらず、これまでにない「爽やかさ」が感じられる。
それでいて、Who done it?、Why done it? としてのミステリ要素もかなり意図的に込められており、その側面からも評価できよう。松浦純菜を襲った人間の正体は、冒頭近くから登場しており、その動機に思い至った時の意外性はなかなか味わいがある。 事件を二重にする物語構成によって、巧みに真相を読者から隠している点がまず良いし、もう一つ、松浦純菜がなぜそれほどまでに「奇跡的に生き残る幸運の男」に対してこだわりを持つのか、というさりげない疑問が解消されるあたりもいい感じ。(多少、非現実が入るのだが、その非現実な事態ゆえにこの物語が存在しているわけで)
物語運び全体として、そのミステリとしての部分に独特のグロさや、人間の根源的悪意は感じられるものの、これまでのように「はい、そういうことでした、おしまい」にせず、それを乗り越えてどうあるべきか、どうありたいかといった点に踏み込んでいるのがこの作品のもう一つの特徴。そこに至ったところで、本書はミステリの皮を軽くまとった希有のラヴストーリーへと変化しているのだ。もちろん、主人公の八木剛士のモテないくんとしてのひたすら内向きな自己分析など要素としては浦賀のこれまでの作品と登場人物像とどこか通じるものがあり、痛いといえば痛い。だけど、それも本書に限っては意義があるように思われた。

これまでの浦賀作品とは若干傾向が異なっており、安藤シリーズが肌に合わないという方でも本書ならばいけるのではないだろうか。恋愛小説として評価しても良いように思うのだが、ちょっとその評価軸と合わせるのは難しいかもしれない。ただ、ミステリファンであれば、素直に楽しめると思う。


05/04/24
舞城王太郎「熊の場所」(講談社ノベルス'04)

元版は'02年に刊行された舞城王太郎の初のハードカバー作品で、『群像』に掲載された二編と書き下ろし一編によって構成された中編集という体裁。実は未読だったのでノベルス版でようやく手に取った。残念ながら表紙がぷにぷにしていない。

小学校五年生の僕は、偶然、目立たない級友のまー君の鞄の中に切り取られた猫の尻尾を発見し、恐怖に怯える。しかしその恐怖を克服するために、僕は敢えてまー君に近づき、そして彼と仲良くなりながら、彼の秘密を観察していく。 『熊の場所』
調布の駅前にいた浮浪者、誰かが名付けた名前は”バット男”。自らバットを持ちながら、いろいろな人間たちから逆襲され、そのバットで殴られる。そして死ぬ。僕の通う調布中央高校のバスケット部の大賀。彼の恋人の梶原亜紗子は、大賀に放っておかれた挙げ句、いろいろな男と浮気、そのなかにバット男の名前があって……。 『バット男』
暴走族あがりの哲也と同棲するわたし。浮気者の哲也の周囲の女性をボコボコにするわたしは、愛する哲也とそろそろ将来のことについてきちんと話し合わなければならないとクリニックのアルバイトに精を出すがその哲也が奇妙な装飾をされて死体として発見されて……。 『ピコーン!』 以上三編。

過剰な言葉と表現はそのままに文学方面に傾斜していく舞城の、過渡的作品集
雑誌『ファウスト』でもそうだし、単行本でもそうなのだが、舞城王太郎は文章そのものを「見せる」に際して、活字フォントにこだわる作家である。本書、いわゆる普通の講談社ノベルスでありながら、やはり活字については三つの中編でそれぞれ異なるものを使用、さらに割付についても一段組と二段組が併存するという特殊なかたち。こういった我が儘(?)が通るのも、舞城王太郎が既に人気作家としての地位を確立しているからに他ならない。
段階を踏む必要があるかもしれないが、既にこの段階で「めちゃくちゃをしながら、何かを訴えだす」という舞城文学独特の味わいは確立されている感。好むと好まざるとに関わらず、主人公や登場人物に特殊なセンスを配し、感情移入をしづらくさせつつも、その特異なセンスが編み出す「何か」が常に強烈。『熊の場所』では、猫殺しを続ける少年と、彼に積極的に接触してゆく主人公との交流を「恐怖の克服」テーマと見せつつ、単なる奇妙なセンスを持つ者同士の心の交流として描き、『バット男』では、学生結婚をしながらもうまくいかない男女と、その親友を主人公に「世間ではなぜ弱者が存在し、必要とされるのか」というテーマがさりげなく描かれる。『ピコーン!』のみ、ミステリの要素を持つが、これもその法則よりも、「どんな難題も乗り越える強烈な愛」の印象が強く、その「過剰に過ぎる愛」テーマは、その後の著作でも舞城作品に登場する、ある意味普遍的ともいえるテーマである。
まあ、そんなことを構えずに特殊なエンターテインメントとして読む方法もあるだろうし、深みをじっくり読みとる文学的な読み方もあるだろう。とはいえ多分に自覚的に作者はいろいろと試みを行っており、疑り深く何かを読みとろうとする読者ほど、舞城作品には翻弄されてしまうのではないか。まあ、それはそれで良し。

個人的には「愛」が過剰ながら、サイコ系のミステリや現実の事件すら吹き飛ばす勢いを持つ『ピコーン!』の印象がもっとも強かったが、確実にこれは読者の経験や興味によって様々に分かれそうだ。そういった広い間口を持ち、かつそれぞれの分野で物議を醸す。そんな状況を恐らくほくそ笑んで楽しむ作者に、読者は混乱のエールを送り続ける。楽しく、そして難しい作品。


05/04/23
北森 鴻「螢坂」(講談社'04)

講談社の『IN★POCKET』に2003年7月号から2004年7月号にかけて隔月掲載されていた作品をまとめたもの。ダイニングバー香菜里屋の主人・工藤が探偵役を務めるシリーズの作品。なお、表題作『螢坂』の原題は『螢坂幻景』というものだった。

十六年前、婚約者を放って海外に修業に出たカメラマン。男は夢を捨て地方に引き込み、海外にいたあいだに別の男と結婚し、そして亡くなった婚約者のことを思い出す。彼女と最後に児童公園でみた螢のことを……。 『螢坂』
三軒j茶屋のタウン誌に掲載された飲み屋の看板猫のちょっといい話。実話をもとにその話を書いた中河のもとに、猫の顕彰碑を建てるという話が急に持ち込まれた。しかもその碑の場所もまた奇妙だった……。 『猫に恩返し』
三軒茶屋の駅前で金物屋を営んでいた南原。バブル期に駅前商店街に再開発の話があったが、立原美昌堂一軒が立ち退きに反対し、話は潰れ、南原も転職を余儀なくされていた。その美昌堂が閉店するという。 『雪待人』
印刷会社を退職して職を求める男に世間は厳しい。再就職の目的が果たせないまま、趣味で書いたミステリーでデビューした男。その身辺が俄かに騒がしいことになってしまうのだが……。 『双貌』
真澄は祖父が飲んでいた”狐拳”という名の焼酎を探していた。その”狐拳”には真澄と、五つ年が離れた叔父・脩治との思い出があるのだ。脩治は博学で真澄にいろんなことを教えてくれた。しかし今はもういない……。 『狐拳』 以上五編。

ダイニングバーの楽しみ方に定型などないように、工藤の登場する物語もかたちを変えてゆく……
バーに勤める男が名探偵というのは、決して北森氏がオリジナルではないが、やはり設定としては上手いと思える。そこに多数の人々が集い、カウンター越しに多くの話を行う。ましてやマスターが謎解きの名人ということになれば、不思議な事件を相談しにくる人々が続々やって来てもおかしくない。本作の場合、そこから”ミステリの定型”を作る誘惑を断ち切っているところがポイントだろう。単なる安楽椅子探偵としてのワンパターンに陥らないで、物語の幅を広く取る。その結果、このシリーズは閉塞感のないまま、次回への期待を抱かされるのだ。
事実、本書でも『猫に恩返し』と『双貌』の二作で、テキストを効果的に使用した謎を設定している。看板猫と酔っぱらいたちとのあいだの”いい話”から、奇妙な話が連鎖していく『猫に恩返し』のテクニックは心憎いし、どこからが事実か判らないような構成にしている『双貌』もみごと。両作とも、枠にはまらない作品である。ちょっとネタバレになるので詳しく書けないが『狐拳』にしても、その真相解明の部分にテキストが使われており、こちらも博学の工藤ならではの味わいを出すことに成功している。
また、時間の使い方が上手い。 ずっと営業を続けている香菜里屋という存在だけでなく、時間を隔てて複数の物語を描くことで登場人物に厚みが出て、また時間の結果見えにくくなる動機を隠す役割もある。時間を隔てても消えぬ思いが描かれているのも、物語の印象を強くする役に立っている。

いずれの作品も、軽重はあるながらも複数のトリックやアイデアを一短編のなかに込めている。短編の名手といわれる北森氏ならではの凝り方であり、その引き出しの多さ(これまでの作品数を考えると特に)には敬服させられる。ミステリとしての驚きは若干控えめながら、その分は香菜里屋で供される素晴らしい(だろう)料理によって十分読後感を満たしてくれる。そんな一冊である。


05/04/22
戸梶圭太「アウト オブ チャンバラ」(講談社'04)

「小説現代」誌に'02年12月号から、'03年12月号にかけて掲載された作品に書き下ろし一編が加わったトカジの時代小説作品集。もちろん、時代は江戸だが中身はトカジ

古く錆びた刀を拾ってしまった日雇い人夫の平六は、武士に化けて憧れの湯女風呂の用心棒になろうとするが……。 『拾い刀、錆び刀』
連続夜鷹殺人事件を解決するために、同心たちは夜鷹や芸人に化けることを強要され、罠を張るのだが……。 『夜鷹同心』
町火消『ち組』はここのところの火事で一番乗りをずっと逃していた。彼らをバカにする『ま組』に対し頭取は賭けを申し出る。 『町火消哀歌』
屋形船を経営する徳蔵は、斬新な仕掛けを取り入れた屋形船を製造、ボロ儲けを実現するが、徐々に客層を別の屋形船に取られてしまい……。 『ミッション屋形船』
くノ一装束で給仕するのが流行るお茶屋『ぴい平』の十六歳の看板娘・お笹の飼い猫・国光が逃げ出した。国光を探す高札が立ち、江戸中の人が探索に乗り出すが。 『ザ・ワイルドキャッツ・セブン』
飴売りに身を落とした武士の商売道具の船頭人形が突如しゃべり出した。江戸の街に巣くう悪を叩き切ることを進める人形だが……。 『錆びだらけの剣士』 以上六編。

江戸時代であっても安い人間は安かった。トカジ流時代エンタは奇妙に世界にマッチして
江戸時代――。江戸の街はやたら男が多く、女性の数は限られていたのだという。……というあたりから想像のつく通り、江戸時代の庶民がいかに辛く苦しい暮らしをしていたか(嘘)。怠惰に打算的に欲望の赴くままに生活する庶民が巻き込まれる悲惨な騒動が描かれた短編集。
だが、むしろ現代よりもそのめちゃめちゃぶりがマッチするように思えるのが不思議。昔の江戸は乞食でも何でも暮らしていける町だった……(むろん、今の東京ではそうはいかない)というあたり、トカジ作品の底にある奇妙な人生への楽観といった感覚が、江戸の世界と共鳴しているのだ。一作一作に趣向を凝らした”バカ”たちが登場するのだが、江戸ならオッケー! と彼らの存在を容易に許容してしまう懐深さがこの頃の町にある(本当かよ)。
本書収録中でも傑作は『ザ・ワイルドキャッツ・セブン』。 冒頭はまだ見ぬ十六歳の生娘に萌えまくる男たちの悲喜劇を招くような展開ながら、その行方不明になった猫の個性が凄まじい。気付けば、トカジ流風太郎忍法帖(変な例えだけど)のような趣に浸らされてしまう。愛猫の行方不明と共に猫化していく娘。江戸中を騒がす捕物(相手は猫)の騒動。しかし、その裏側では猫たちによって必死の計画が練られていた……。面白い。

さくさくっと読めるし、トカジ作品らしいバカっぷりがたっぷり味わえる。だけど、何かその裏に、この時代を選んだ周到な計算が働いているようないないような、不思議な読後感がある。書下しのラストの作品『錆びだらけの剣士』など、伝奇ファンタジーの面影まで背負っているからなあ……。


05/04/21
皆川博子「巫子 自選少女ホラー集」(学研ホラーノベルズ'94)

”学研ホラーノベルズ”という今は無き新書版ハードカバーシリーズの一冊として刊行された作品。後に学研M文庫にも同題の作品集として収録されている。表題に”自選”と謳われているが、あとがきで見る限り、東雅夫編集長と学研の担当者のMさんあたりの好みが強く反映されているようにも思われる。

義絶した親戚からの電話で祖父宅を尋ねることになった典子。彼女はその洋館で居心地の悪い思いをしながら、喪われた記憶の断片を垣間見る……。 『冬薔薇』
子育てを終え、ひとり暮らしをする志乃のもとに深夜にかかってきた電話。小さなアパートのなかで彼女はいろいろな過去に思いを巡らせる……。 『夜の声』
たまたま見かけたアンティークショップに入った麻子。彼女を誰かと間違えているらしい女性店主は一生懸命コレクションを彼女に披露するのだが……。 『骨董屋』
七十歳の夫と結婚した四十二歳の”私”。二人は私の実家の近くにある祭を見物に訪れていた。祭のなかで私は過去の記憶を取り戻してゆく……。 『流刑』
女学校を卒業して時が過ぎ、夫を喪って田舎でひとり暮らしをする玲子のもとを訪れた和代。別々の人生を経た彼女たちが胸のなかに抱く思いとは……。 『山神』
医者に強制されベッドのうえでメスカリンを飲む”わたし”。わたしは幻覚の世界のなかで、若いだけが取り柄のアイ子と官能の世界に生きる……。 『幻獄』
戦争で疎開していた子供たちと、その世話を任されていた若い女学生。その静かな山間部で、かつておきたある出来事……。 『山木蓮』
気高い性格を持つ姉の結婚式に出席した麻子。姉の恵子は常に光り輝いていた。しかし麻子は姉の持つ冥い側面をも知っていた。女学校での放火事件……。 『冥い鏡の中で』
戦後のどさくさのなかで、戦災孤児のチマを連れて三田村は霊能者として売り込んでいた。医者の伊庭は三田村の上客で交霊会を信じ込む人物。その娘の黎子もまた自らを霊媒として自認するようになる……。 『巫子』 以上九編

美しく哀しいばかりが世界ではない。皆川博子の持つ闇の深淵を垣間見せられる作品集
まず注目すべきは表題作の『巫子』だろう。'74年に発表されたこの作品は、後に『巫女の棲む家』となって'83年に長編化されて発表されることになる。どうやら、皆川さん自身、この巫女役の女性と近い体験があったようで、ディティールはこの長短編、両方が全くといって良いほど同じである。但し、この短編バージョンでは額縁相当の部分があり、フィクションとしての度合いが高い。短編、長編と読んでも、この作品はフィクションめいた内容であるが、その内実のどろどろした部分は強烈であり、このような体験をした主人公(=皆川博子)の身体の裡に澱のような妄念が蓄積されていく様が赤裸々に描かれていく。実体験をフィクションとして書き記し、心を浄化させるための作者のイニシエーションのような作品だと感じた。
全体を通じてみた時には、幻想描写の巧みさに舌を巻く。単にふわふわとした幻想ではなく、嫉妬や愛憎、各種の欲望といった人間の根元的な性質に依るかたちで立ち上る数々の幻想が、実に生々しく、また現実と幻想との境にしても曖昧にして極上である。女性が主人公の作品が多いが、過去に犯した罪から精神的に逃れられないまま苦しむ様が、手を変え形を変えて描かれており、その強烈な情念が紙の上で、一見淡々としかしずっしりと重く語られる。
『幻獄』の持つ強烈な官能性、『冥い鏡の中で』における額縁部分と内容とのギャップ、『夜の声』で描かれる不思議な輪廻転生……と、内容はそれぞれ様々(そして執筆年代もばらばら)ながら、どれも、いかにも”皆川博子”らしい彩りにて小さな物語世界を形成している。 そしてその印象は読者の心に突き刺さるような鋭さを持っているから始末に負えない。だから、凄いのだけれど。

智内兄助氏による表紙イラストが秀逸。文庫版でも同じイラストを用いているが、ハードカバー版の方が面積が広い(文庫版ではアップを使用)しているだけに、内容と通じる妖しい美しさがある。もちろん、幻想作品集としても極上。


05/04/20
横溝正史「迷路荘の惨劇」(角川文庫'76)

'56年に『オール讀物』誌に「迷路荘の怪人」として発表された中編を原型に、'75年に本題に改められ、ボリュームにして四倍に膨らんで長編化された作品。金田一もの。角川文庫の横溝ブームのさなか、旺盛な執筆意欲を示した横溝氏の業績の一つにあたるが、館や地下道など横溝テイストが満載されている点も嬉しい一冊。

明治時代、元老であった古館伯爵によって富士の裾野に建設された豪奢な館・名琅荘。政治的に危険な時代にあって、刺客から身を守るために数々のどんでん返しや抜け穴など多数のからくりが施されたこの館では、二代目の代にして一族間の嫉妬を巡る惨劇が起きていた。そしてそれから二十年、館は人手にわたってホテルとして開業されるにあたり、一族の末裔や金田一耕助らが客として招かれる。駅から馬車で館に向かう途中、金田一は怪しい人影を目撃する。そして到着した直後、その馬車の置かれている小屋の内部で、一族の孫にあたる古館辰人元伯爵が死体となって発見された。後頭部に一撃を受け、首を釣られた死体は、なぜか馬車に座った状態となっていたのだ。館に連なる抜け穴と鍾乳洞が事件に関係しているのか。犯人を求め捜査陣が彷徨うなか、第二の殺人事件が勃発する。

陰惨な過去の悲劇、嫉妬に狂う一族内部のもめ事、からくり館、鍾乳洞の冒険……金田一テイストの詰まった本格ミステリ
金田一ものらしいガジェットがこれでもかと配置され、それでいて物語にあまりごちゃごちゃした印象がない。大長編であるにもかかわらず、サスペンスの維持と謎の提出が整理されていて、するすると読めてしまうあたりが素晴らしい。
とはいえ、冒頭の演出、舞台の設定などは既視感を覚えるものがある。もともとの現実の事件をはじめる前の段階に、過去に一族を巡る血の惨劇があり、その容疑者であった人物が鍾乳洞に逃げ込んだまま行方不明。その片腕の人物の影が事件を謎めいた雰囲気で彩る。また、館にあるからくりはとにかく、鍾乳洞内部で行われる闇のなかの追跡劇は本書だけのものではないことは御承知の通り。鍾乳洞そのものに仕掛けがあったり、通り抜けるに際しての難所があったりでそれが事件の解明を妨げている点も既視感がある。
ただ、限定された登場人物のなかにきっちり犯人を配し、その犯人そのものを意外性で見せる手腕はオリジナル。終盤に犯人を多い込む罠を仕掛けるあたりにどたばた感があり、一応の納得をさせておきつつ、最終的に金田一がみせる名探偵としての冴えが素晴らしい。単に舞台や設定を利用したサスペンス・ミステリとなりそうなところに、意外な犯人とその動機を伏せてみせるあたり、まさに本格の面目躍如といった具合である。 これまた、いつものパターンとなりそうなラストの犯人の行動に対し、深い配慮をみせる金田一の姿も、いつも以上に格好良さがあり、読後感も良い。

ミステリというよりも、探偵小説という呼び方の方が相応しい作品で、金田一ものらしい味わいがありながら、その骨格にずっしりとした本格の重みがある作品。
原型となった中編そのものも出版芸術社版『金田一耕助の帰還』にて読むことが出来ます。