MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/07/10
太田蘭三「顔のない刑事」(祥伝社文庫'85)

祥伝社のノン・ノベルに'84年に書き下ろし発表された作品が文庫化されたもの。貸本作家出身という異色の経歴を持つ太田氏の、今に続く人気シリーズである「顔のない刑事」シリーズの第一作目にあたる作品である。

奥多摩の山中から半ば白骨化した女性の死体が発見された。死体の身許は不明であったが複顔が試みられ、その顔をテレビで放映した結果、いくつかの情報が寄せられた。その中の有力な情報によって死体は立川のバーに勤めていた女性だと断定され、彼女の足取りが追われる。彼女は天涯孤独であり、売春紛いの行動をノートに記録していた。その結果、彼女が死の直前に会っていた男性が北多摩署勤務の刑事課のホープ・香月であることが判明する。確かに香月は結婚を前提に交際していた女性に振られ、その晩やけ酒を飲み、彼女を抱いたことを告白せざるを得なくなる。彼自身は犯人ではないが、疑いをかけられたことを潔しとせず、警察手帳を返上して自ら”顔のない刑事”として事件の捜査を開始する。彼女と関係していたヤクザなど、警察と無関係であることから体当たりの捜査を続け、事件の背後に違法な金貸しとその犠牲になった一家があったことを突き止めてゆく。

刑事でありながら刑事ではない。警察権力を使わずに執念の捜査を続けるタフな男――
将来を嘱望されるエリートが、ちょっとした躓きによって全てを喪う――というのは世間的にもよくある話。いわゆる不祥事に絡んで警察を追われるのではなく、本書の主人公の香月の場合は慰留する上司を尻目にさっさと辞表を提出、己の力で逆に警察にできない捜査をする男の物語。 主人公の描写が実に格好良くなされており、機転もきくしタフで暴力沙汰も平気。だが、必要以上に己を律し、度胸はあるもののわざと暴力の受け手に甘んじる。こうした警察組織のはぐれ者で、周囲と協調しない捜査によって犯人に肉薄する――というあたり、大沢在昌の某作品を想起しないでもないが、作品全体としては残念ながらそこまで洗練されてはいない。
まず、冒頭がいきなりセックスシーンからスタートするように、全体的に「下」系統の描写がきついこと、また、もともと作者の主要フィールドである山間地の描写がやたら多く、関係者がみな、ハイカーだったりするあたり、微妙に時流から外れているように感じられる。どちらかといえば、本書の段階で、もともとのノベルスの需要層であった、かなり高い年齢層の読者を想定しているかのようだ。(むしろ、このあたりは編集サイドの要求だった可能性もあるが)。
事件そのものは、視点と複数の事件の組合せによってそれなりに複雑な背景を持っており、意外な犯人が設定されている。とはいえ、本格としての意図があるかというと、そういう考えはあまり無さそうだ。事件も演出によって若干見え方こそ複雑になっているが、その本流にあるものはシンプルでもあるし。やはり、作者が描きたかったのはこういったタフな男が活躍する冒険ストーリーなのではないかと思われるのだ。

今となっては、若干時流から外れつつあるし、あまり若い読者に勧めたくなるような作品ではない。だが、本シリーズに後から入られるよりかは、この作品を読んでおいた方が良いこともまた事実。ただ特殊なハードボイルド作品としては一定の評価が与えられるものである。


05/07/09
斎藤 栄「死角の時刻表」(集英社文庫'82)

元は'72年に『日本列島SL殺人事件』の題名でサンケイより刊行された作品。ただすぐに『死角の時刻表』という現在の題名に改題され、版元を変えながら何度も刊行されている斎藤作品の一つ。この集英社文庫版も別に最新というわけではなく、この後に光文社文庫からも刊行されている。

日本列島に、僅かながらに残ったSL鉄道。そのSLが走る岡山県の伯備線近くの観光名所・羅生門近くの山林で男性の変死体が発見された。死体の名刺入れから”関原進二”であることが判明、また死亡推定時刻は、伯備線で「サヨナラD51三重連」の引退興行があった当日で全国各地からSLマニアが集まっていた当日であった。彼の叔父にあたる関原健太郎は、琵琶湖近辺の大地主であったが失火を起こしており、その結果、叔父と甥の二人で岡山に出てきたらしいが、行方をくらましていた。一方、東京在住の貝塚充は、SL撮影の旅に出ていて行方が分からない。その留守宅に中井と名乗る人物が訪れてきた。兄の恵介が受け答えをするが、中井はカメラが充のものと入れ替わってしまったため、至急、充と連絡が取りたいのだという。その中井の依頼によって、恵介は充が滞在するであろう秋田に出向くが、恵介は充の他殺死体と対面することになってしまう。果たして、秋田と岡山の事件は関係があるのか。そしてまた、捜査本部の必死の努力によって浮かび上がってきた容疑者には鉄壁ともいえるアリバイが何重にも存在していた……。

日本全国をまたにかけるアリバイトリック。複数の計画の裏に犯人が凝らす悪魔的なトリックを見破れるか?
国鉄→JRと連なる鉄道ダイヤの正確さのせいか、日本の国産ミステリにおいてアリバイミステリは独自の進化を遂げている。本書はその知名度からいえば、「知る人ぞ知る傑作」という位置づけゆえ、決して超有名という位置づけにない作品ではあるが、'72年という発表時期を考えると、そういった日本型国産アリバイトリックの源流に極めて近いところにあるものだと感ずる。
岡山で発生した殺人事件と、秋田で発生した殺人事件。これに東京や伊豆での目撃証言が絡むという展開で、詳しくここでの説明はできないが、前半部分を読む限り、同一犯人による犯行はどう考えても不可能。ミステリファンであれば、ここまで不可能さを強調している場合、アリバイ崩しよりもアリバイトリックに見せかけた別のトリックを想像せざるを得ないという状況。しかし、本作の凄さは別のトリック以上に、その強引なアリバイを複数のトリックを利用して、実はやっぱり成立させているという点にある。また、その強引ですらあるアリバイトリックによって、犯人が弄したある別の欺瞞が巧みに隠されている点が、本書のもう一つのポイント。単にアリバイが崩れました――だけでも、一応「理」で読者を納得させることはできるだろうが、サプライズという意味では強烈さが足りない点、作者が自覚的だったことが感じられるのだ。結果、綱渡りのようなアリバイトリックに隠れた犯罪動機がある意味赤裸々すぎるくらいのかたちで浮かんでくる。多少事件そのものに不自然さはあるものの、これだけの論理の山を構築している手腕は、やはり敬服に値する。

鉄道ファンという存在は今でも脈々と続いているものとは思うのだが、この当時はもっと全国区だったのだな……というのがちょっとした時代性か。鉄道ファンならずとも、ミステリとしての軸がしっかりしており、ダイヤが(当然のことながら)全く変わってしまっている現代でも十二分に楽しめる作品である。


05/07/08
古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」(文藝春秋'05)

古川日出男氏は'98年『13』にてデビュー。'02年に『アラビアの夜の種族』にて第55回日本推理作家協会賞と第23回日本SF大賞をダブル受賞する。本書は同書以来の久々の書き下ろし長編で第133回の直木賞候補にも選ばれている。

一九四三年。太平洋の北側、アリューシャン列島を日本軍が占拠した。一つはアッツ島、そしてもう一つはキスカ島である。アッツ島の日本軍は米軍の攻撃の前に全滅したが、キスカ島では静かに撤退計画が実行され、成功した。その結果、島には四頭の軍用犬が残された。一頭は海軍に属した北海道犬で名前は北。陸軍に所属するシェパードである正勇と勝。そしてもう一頭 は米軍捕虜の犬、エクスプロージョン。侵攻してきた米軍に対し、勝は目覚め、バンザイ突撃で自ら地雷原に飛び込み、死を迎えるが、残る三頭は米軍に所属、そしてエクスプロージョンは正勇の子供を身籠っていた。二十世紀は軍用犬の時代でもある。彼らを始祖とするイヌたち、そしてその子孫は、この後、数奇な運命と人間の介入によって全世界に拡がってゆく。
一方、現代。一九九X年のシベリアでは、山奥に住む老人宅を一人の若い男が訪ねるところであった。若い男は不意打ちで老人を殺害しようとするが、あっという間に返り討ちにあってしまう。老人は地球儀からイヌの頭骨を取り出し、そして動き出す……。

イヌをど真ん中に据え、イヌと共に駆け抜ける第二次大戦後の世界紛争の叙事詩。ただひたすらに圧倒される
第二次大戦中のアリューシャン列島の四頭からスタートし、様々に交配をしながら全世界に拡がっていくイヌたちの大河物語を縦糸(と横糸)にし、現代を舞台に、ロシアの暴力的な裏社会で絶対的な力を持つ”大主教”という人物(そしてイヌの調教師でもある)を巡る様々なエピソードが絡み合って、決して多くない分量にもかかわらず圧倒的かつ分厚い物語世界を形作っている。
そしてその物語世界を形成する部品――すなわち文章にしても計算され、完成した美しさを誇っている。さまざまな切り口を持ちながら、全てが作者のコントロール下にあるいくつもの挿話。基本的には客観的に、時に感情的に、時に下劣にいろいろな表現を組み合わせられた文章は、感情のうねりや時代の特性、世界の地域性など単純には表現しづらい”何か”を、絶妙に読者に対して伝えてくる。 とにかくまずは小説のテクニックとして十全なのだ。
一方で、この豊饒かつ流麗なる物語世界のすさまじさ。 単なる文章上のテクニックだけでは表現し得ない、作者独特のフィルターを通して観た戦後史が、たった一冊の単行本のなかに見事に開花している。”イヌ”を登場させたこと――世代交代が早く、人間に従属し、世界中に分布し、かつ知性を感じさせる――といった要素はもちろん素晴らしいのだけれど、それ以前にやはり作者独自の戦後観があっての話であり、そちらがしっかりしていないことには物語は成立しない。戦後、世界で重要な役目を果たしたイヌたちのピックアップも巧みであり、それぞれのエピソードひとつひとつがスリリングで興味深い。(ただ、ところどころエピソードの面白さが勝ってしまい、”全体”としての血統の縛りが一瞬ぼやけてしまうように感じられるところがある点は数少ない弱点か)。

直木賞の選考委員の理解は得られなくとも、読了した者の心は確実に奪い取っていくという希有な作品。 世間的な賞など獲れなくとも、この作品の凄さは読み終わった者は皆、理解している。


05/07/07
化野 燐「白澤(はくたく) 人工憑霊蠱猫02」(講談社ノベルス'05)

前作『蠱猫』が好調(?)で重版もかかっている妖怪文人・化野燐氏による妖怪系青春アクション小説の第二弾。現段階、同ノベルスにて既に三冊目となる「03」も刊行されているが、かなり構想としては大きいものが予定されているのだという。(なんといっても、シリーズナンバーの頭がゼロだし)。

美袋学園の付属図書館で美袋小夜子が親友と信じていた女性・千文字未緒との死闘を繰り広げる前作までのあいだ、学芸員・時実と、データベース構築の基礎ソフトを作成した石和百代の二人の身にもそれぞれ”有鬼派”による危機が着実に迫ってきていた。時実は、かつての恋人の高穂から、彼女の父親である嵯峨野教授がもう何日か行方不明であることを知らされる。時実自身は学園に頻発している奇妙・奇怪な現象は科学で割り切れるという信奉を持つ男。そして高穂との腐れ縁から時実は教授の捜索を引き受け、夜中に研究室に潜り込んでいたところ、有鬼派と相まみえる。一方、石和百代は美袋学園に納入したデータベースのトラブル復旧のために夜の学園に出向く。彼女は凄腕のエンジニアであると同時に、機械のなかにいる精霊を感じ取る能力を持っていた。一年ぶりに訪れた学園は様子がすっかり変わっており、当初百代と仕事をしていた学生たちも何やら魂が抜けてしまったような様子。そこで無理矢理に作業をさせられた彼女は、その現場で奇妙なものを目撃してしまう……。

変貌を遂げつつある美袋学園。対立する二派の図式が重層的に描き込まれる第二巻
前作が物語の開幕ということで、主人公格の美袋小夜子と、白石優の物語だった。……が、本作は意表を突いて、別の二人、即ち時実理一と石和百代という人物が中心となって物語が進む。ただ、別の二人とはいえ、敵対するサイドに”有鬼派”を配しており、時系列的にも前作と中盤までが完全に重なっている。このような書き方で物語の立体感を増幅してくるとは、正直ちょっと意表を突かれた。
ただ、第二巻となっても”妖怪好きが書いた、妖怪好きのためのエンターテインメント”という位置づけはそう大きく変わるものではない。特徴的なのは、この学芸員・時実が、こういった怪異現象を否定する立場にいるという点だ。実際に多少の怪異現象が起きても、時実は即座にその事象に関して科学的な分析を行い、その怪異そのものを否定する。作者の深謀も当然のことながら、対妖怪、対怪異現象に関する深い知識もお持ちであり、かつ作品にきちんと活かしている点にも驚かされる。
結果、物語は前作と重ね合わさることによって独特の立体感と緊張感を孕むことに成功、終盤にこれまで登場した関係者の多くが集まっての緊迫した戦いへと綺麗に繋がるようになっている。(蠱猫の活躍がちょっと控えめな描写になるのは少し残念かな)。ある意味、二巻をまるまる使っての登場人物紹介であり、本当の意味での盛り上がりはこれから、ということになりそうな予感。

強いて難点というか、希望を挙げるならば、徐々に増えてきた登場人物が読者として頭のなかでなかなか整理しきれない。こういったかたちで数ヶ月おきに刊行されるのであれば、冒頭に登場人物表のようなものがあった方が、続きにスムースに入れたかもしれないと感じた。いずれにしても引き続き読ませて頂きます。


05/07/06
太田忠司「まぼろし曲馬団 新宿少年探偵団」(講談社ノベルス'00)

太田忠司さんの人気シリーズ、新宿少年探偵団、いわゆる「宿少」シリーズの七冊目にあたる作品。

新宿駅南口。そこから南に連なる遊歩道――新宿サザンテラス――を歩いていた会社員が、寒風の中、くぐもった水の音のような不気味な音を聞く。空を見上げた彼は、そこに長さ数メートルに達する、とてつもなく長い生き物が飛んでいるのを目撃する。見たこともない魚……気付いた彼は失神するが、現実の彼は「駄目だ、逃がさない」という謎の人物の声と共に、足首からちぎれた靴を残し、巨大な虚に飲み込まれてしまう……。
新宿南口で発生したこの事件は、芦屋能満の弟子によるものであると新宿署捜査一課の阿倍北斗警部補と、宿少メンバーは察知していた。しかし、宿少の羽柴荘助は最近のメンバーがばらばらになってしまうことが気に入らない。特に七月響子は、彼らの基地である雑居ビルに加えて、道場での特訓を繰り返しており、また、壮助の親友・神崎謙太郎もまた開化ビルに大量のコンピュータを持ち込んで独自に秘密研究を行っていて付き合いが一層悪くなっていた。そんななか壮助は、不良に絡まれる初老の男を助け出す。現場に戻ってきたその男を見つめる銀色の仮面を被ったパフォーマーがいた……。

見えてくる主題と、動き出す主人公たち。徐々に宿少は物語性の中身を変化させつつある
当初のこのシリーズは、どちらかというとSF的なアクション主体の冒険小説であり、スケールやシチュエーションを違えつつも、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズの直系としての役割が主であった。ところが冊数を重ねてゆくにつれ、冒険小説としての位置づけこそ残しつつも、全体を通じての世界観の謎(そして登場人物たち自身の謎)をメインテーマとする陰謀ミステリーといった内容に変化しつつある。 本書も、その意味合いを強めていく方向性の途上にある作品だと感じた。
というのも、本書の場合(若干のネタバレになるが)、芦屋能満の弟子であるいわゆるマッド・サイエンティストたちが登場する点は変わらないものの、その事態に対処する宿少メンバーの様子がこれまでとは若干ながら異なってきているように思われるのだ。つまり、それぞれの特技を活かしたチームワークで臨むのではなく、個別に能力を活かすことで事態に対処するようになりつつある点、そして、背景に対する謎が一層深まるような描き方(特に味方同士で秘密を持ち合う)をしている点など、これまでにはあまりなかった光景である。それはそれとして、敵との戦いをクライマックスとする一冊としての上質のエンターテインメントとしての味わいはあるものの、いつの間にか「ここで読むのを止めるのはちょっと出来ないぞ」というような思わせぶりなシリーズ全体を通じての謎で引っ張られるようになってきている。気付けばそちらの興味の方が、強くかき立てられるようなシリーズへと変貌を遂げているのだ。――と、ここまで考えると、乱歩の少年探偵団にはそのような深い意図はなかったわけで、完全に太田忠司さんのオリジナルシリーズへの変形を、この段階で完成したものと考えられる。

一読者としてみれば、ここまで来てしまうと本当に最後まで読むしかなくなってしまった。既に完結しているという点、そういう意味では安心できるのだが。しかし、何となく作者の術中に嵌っている気がしないでもない。それはそれでいいのだけれど。


05/07/05
米澤穂信「愚者のエンドロール」(角川文庫'02)

2001年、米澤氏は『氷菓』にて第5回角川学園小説大賞奨励賞を受賞してデビュー。その翌年に書き下ろされたのが本書にあたる。もともとこの二冊は角川スニーカー文庫に収められていたが、現在は角川文庫に格上げ(?)されている。『氷菓』『愚者のエンドロール』は「古典部シリーズ」として'05年にソフトカバー単行本にて刊行された『クドリャフカ事件』に続いている。

『氷菓』の事件を解決した、省エネが身上・折木奉太郎をはじめとする神山高校古典部の面々。名物ともいえる派手な文化祭・カンヤ祭に向けての準備に沸き立つ夏休みの校内に、文集の編集のため、伊原摩耶花、福部里志、そして千反田えるが集まった。編集作業の終了後、なぜか部長の千反田の提案で、2年F組の体育会系生徒が文化祭に参加するために作った映画の試写会に 古典部はぞろぞろと付き合うことになる。千反田を誘ったのは”女帝”と渾名される入須冬美。映画は仮称「ミステリー」。それこそ文化祭映画の撮影のため、廃村の古びた劇場にやって来た六人の男女が映し出されていた。劇場の中をばらばらに捜索していた彼らのうち一人が行方不明、そして死体となっているのが発見される。しかし、映像はそこで途切れた。入須は、この映画のシナリオを執筆していた女子生徒が体調を崩したため、解決編のシナリオが存在しないことを彼らに告げた。なぜか成り行きで古典部はその映画の犯人とトリックを追求する羽目に陥ってしまう。

映画を使ったメタ・ミステリという体裁。それ以上に後半の細やかな心理への配慮に目が奪われる
その必然性はとにかく(いや、必然性という面でも、チャット画面を有効に利用して、『氷菓』を知る読者ならよく判る必然性を高く引き上げている上手さはあるが)、未完の映画の脚本家が、もともと志した真相について関係者や古典部が「あーだ、こーだ」と話し合うというもの。映画がテキストであれば(映画といいながら、本である以上テキスト化されているのだが)わかりやすいが、いずれにせよミステリだと初めから判っているものに対して、作中人物が推理を働かす構造は、素直にメタ・ミステリといっていいだろう。また、そこに何人ものダミーの解決を配し、それを奉太郎に否定させてゆく展開も悪くなく、一つ一つの案に対するキレは、短編ミステリが如き驚きがある。
物語の必然として、最終的な解決を奉太郎が提示するところまでは予測できるし、その解決内容にしても読者の盲点をつく、かつ手掛かりがきっちり提示された本格ミステリの手法によるもの。 ――ただ、小生が本作に対して真の戦慄を覚えるのは、そこからまだまるまる一章が残されている点だ。全く過不足なく終わったと思わせられた解決に、先がある。この点が実は個人的に最大のサプライズであった。そして、そこからの心理戦(といっても良いだろう)が、実に深い。細かなトリックだとか伏線よりも、このあたりの青春ミステリとしての心の動きへの目配り、配慮の方に遙かに米澤穂信という作家の特性が感じられる。
シャーロック・ホームズの諸作がヒントにあからさまに使われているが、そちらの面からは類推することができなかった。うーん、このあたりはちょっと悔しいか。しかし、いわゆる新本格をベースにした小ネタが多数配されていて、その点からは結構微笑ませて頂いたので良し。あと、ミステリ読者を対象にしながら、ミステリ読者の感覚のズレをうまく作品内に活かしているあたりも、さりげなくうまい手である。

心の動きに正解はないとはいえ、ここで何重に心の綾を見せつけるのか。この締めくくりに感じる仄かな暖かみまで含めて、やはり恐ろしい実力を持った作家であることを感じる次第。


05/07/04
大倉崇裕「白戸修の事件簿」(双葉文庫'05)

もともと円谷夏樹名義にて第20回小説推理新人賞を受賞し、大倉崇裕の本格デビュー作品となった「ツール&ストール」という短編があり、その短編に登場する白戸修を主人公とした一連の短編がまとめられたのが2002年に刊行された『ツール&ストール』という作品集。本書は、その作品が文庫化されたもので改題されている。

殺人事件の容疑をかけられた友人がいきなり家にやって来た。彼は現場でスリの手配写真に掲載されている人物を目撃したのだという。その男を捜し出すために、白戸は中野駅で元刑事の山野井という人物と待ち合わせ、スリたちを追う。 『ツール&ストール』
怪我をした友人の代理として中野にアルバイトに出向いた白戸。そのアルバイトとはいわゆるステ看を取り付ける違法な仕事であった。しかしステ看の世界にもいろいろと勢力争いがあって……。 『サインペインター』
中野の銀行で1万51円の預金を下ろそうとした白戸。銀行側の手違いで1万円が下ろせない災難に。しかし銀行のトイレを借りているあいだに武装した銀行強盗が下の階を占拠。謎の掃除人と白戸は反撃を試みる。 『セイフティゾーン』
中野駅で人待ちの勘違いを正そうとした白戸はストーカー対策を行う探偵と行動を共にすることに。その女性を見張っているストーカーは一ヶ月も尻尾を出さない強敵。果たしてストーカーの正体は? 『トラブルシューター』
中野の激安スーツショップに出向いた白戸は、時間つぶしの際に万引き犯と疑われ警備員室に連れ込まれる。その女性警備員から万引き犯を捉えるための手伝いを白戸は要請され、店内を携帯電話片手にうろつき回る。 『ショップリフター』 以上五編。

軽犯罪の手口とからくりを軽妙に描き、本格の興趣も十二分。趣向満載の巻き込まれ型ミステリー
まず最初に言わなければならないことがあって。大倉崇裕先生、ごめんなさい。 文庫化される今の今まで『ツール&ストール』は未読でした。小説推理新人賞を受賞した表題作なんて、考えてみれば大倉ファンを名乗るためには常識中の常識で、ちょっと引っかかりつつも単行本を入手しないまま数年が過ぎておりました。今回、文庫化に際して反省して手にとってみたところ、これが凄い、面白い。わたしのツボに入りまくり。 このままいけば今年、阪神が優勝しそうなんで公約通り『 無法地帯2』が今年から来年、いずれ読めそうなのは幸いながら(微妙なプレッシャー)、これも続きが是非読みたいシリーズであります。

白戸修。大学卒業間近な彼は中野駅に行くと猛烈な災難と強引な人々に出会って、事件に巻き込まれていく。その天災とも思える彼の運命はおいておいて、その軽犯罪絡みの事件がまずユニーク。スリ、ステ看、ストーカー、銀行強盗に万引きと事件の大小は様々ながら、そのどれもに通り一遍以上の蘊蓄が絡んでおり、犯罪に関する豆知識や情報が仕入れられるという、情報ミステリーとしての面白みがある。(どうやら著者の経歴に関係するらしい)。
ただ、単に情報を羅列するだけでこの作品が面白いわけではなく、それぞれにストーリーがまた凝っているのがポイント。単に白戸が事件に巻き込まれるだけではなく、その事件や出来事それぞれに「裏の顔」があり、その謎を解き明かしてゆくミステリとしての面白さが実にしっかりとしているのだ。殺人事件の真相、ストーカーの遣り口と正体、銀行強盗と対等に戦う相棒の正体、白戸が万引き犯を捕まえる手伝いをさせられる理由……等々、微妙に謎らしくないところにサプライズが仕掛けられており、その部分を名探偵よろしく白戸が(もしくは別の誰かが)解決する場面が実にすがすがしい。それぞれに読後感が良いのも特徴で、誰にでもお勧めできる内容となっている点も嬉しい。
また、巻き込まれて相手のペースに持っていかれる物語ばかりなのだが、その結果、物語のテンポがスピードを上げ、とんとんと進むところもさりげなく上手い。このあたりは作家としてのセンスであろう。

繰り返しになるが、単行本当時に読んでいなかったことを反省。文庫化されて間もない今、大倉崇裕は牧大路&間宮緑の落語シリーズと『無法地帯』だけの作家ではなく、こういった作品もしっかり手がけているしっかりと実力を備えた作家であることを知る良い機会。お見逃しなく。


05/07/03
伊坂幸太郎「死神の精度」(文藝春秋'05)

第57回推理作家協会賞の表題作「死神の精度」を含む連作短編集。『オール讀物』2003年12月号から2005年4月号、さらに『別冊文藝春秋』第255号にて発表された短編がまとめられたもの。いろいろな意味で装幀がまた、秀逸。

職業:死神。 名前:千葉。 指示された相手に相応しい人物像に変身し、その人物を事故などの不慮の事故で亡くならせて良いかどうかを判断するのが仕事。仕事の時はいつも雨、そして人間には興味がないが、人間の作る音楽をこよなく愛する。そんな彼が出会った六人にまつわる物語。
大手メーカーの苦情係に勤めるという藤木一恵。彼女にはストーカーらしき存在があったが……。 『死神の精度』
筋を通す古いタイプのやくざ・藤田。千葉は対立相手の居場所情報と引き替えに行動を共にするが……。 『死神と藤田』
雪の山荘に招待されたという老若男女。千葉の担当はうち一人だが、山荘で次々と殺人が……。 『吹雪に死神』
ブティックに勤務する若者と接触した千葉。彼は近くに住む女性に片思いしていたのだが……。 『恋愛で死神』
渋谷で人を刺し殺したという少年。北へ逃げる彼にはかつて誘拐事件の被害者だという過去があった……。 『旅路を死神』
千葉のことを死神と見抜いた老女は見晴らしの良い床屋で働いている。彼女が千葉に出した突飛な依頼とは……。 『死神対老女』  以上六編。

登場人(死神)物、設定、物語、連作の味わい。どれを取っても伊坂幸太郎、完璧。
死神という設定。病死や寿命といった死以外に唐突に訪れる死を管理する会社組織のように死神が存在する世界。こういったひねった存在を、全く違和感を覚えさせずに物語に溶け込ませている。恐らく、最初の一編を読んだ段階で死神の存在が実に身近に思えてしまう。このあたりの世界観の作り方の巧さは、伊坂幸太郎、天下一品。推理作家協会賞を受賞した表題作も確かに素晴らしいのだが、その受賞作品ですら踏み台にしてしまって、短編としての完成度がより高い作品が後から後から溢れてくるという(事実、本書は後半にゆけばゆくほど作品としては充実している)あたり、驚愕せざるを得ない。
また、一編一編の物語が一つ残らず素晴らしい。ヤクザの兄貴分と弟分の微妙な関係が独特の味を醸し出す『死神と藤田』、本格ミステリとしても十二分に読める『吹雪に死神』、わざと構成にアクセントを付けることによって、極上の恋愛小説に絶妙の苦みを加えた『恋愛で死神』、無軌道で無鉄砲な若者像を描きながら、嫌悪感を抱かせずにどこか人生について触れられているような『旅路を死神』。そして、連作短編集のトリを飾るに相応しい『死神対老女』は、仕掛けられた驚き以上に老女の人生に向かい合う姿勢に感動させられる一品である。空が晴れるところもいいし、犬も少年もいい。ラストを曖昧にしているところもまたいい。特に若干の閉塞感のある物語を連作短編集としてまとめつつも、視覚的に拡がっていく場面で締め括るあたり、センスだけでは測りきれない天然の計算があるように思われる。
まだ、何らかのトリックや仕掛けがそれぞれの作品にあって、ミステリのサイドに踏み止まってくれている点もポイント。オリジナリティというよりも、死神設定をうまく取り入れる結果、独特のサプライズを醸し出している。 手掛かりもしっかり残されており、本格ファンであっても満足できる内容ではないかと感じられた。
死神が音楽好きで会社制度のようなかたちで運営されている……といったセンスも伊坂氏独特のもの。死神による若干ずれた会話、常に無垢に人にあたる彼が醸し出すユーモアある雰囲気。ちょい役の登場人物ですら生き生きと描き出される文章の才。物語が床屋にはじまり、床屋に終わるというさりげない連環。 なんというかケチをつけるところがない作品である。強いていえば、CDというメディアにこだわり過ぎているところに終盤で若干引っ掛からないでもなかったが、まあ気にするほどのこともない。

するすると読めるながら、心の底にずんと響く物語が並ぶ。今年度のベストクラスの作品であることは間違いない。これだけのハイアベレージの作品を書き続けることのできる伊坂幸太郎の才能に素直に感心。現段階、パーフェクト。


05/07/02
戸梶圭太「自殺自由法」(中央公論新社'04)

本作脱稿直後、作者は鬱に陥りましたが、わずか二日で元に戻りました。読者の皆様もご安心ください。すぐに日常に戻れます。どんな日常かは人それぞれですが。 戸梶圭太」 という長編。トカジ流のifが効いた異色のシチュエーションSFといった内容。

  自殺自由法
 日本国民は満十五歳以上になれば何人も自由意志によって、国が定めたところの施設に於いて適切な方法により自殺することを許される。但し、服役者、裁判継続中の者、判断能力のない者は除外される。
……と、こういった法律が制定された日本。各自治体は”自逝センター”なる施設を建設し、人々に無軌道な自殺ではなく、安全快適に死ねる自逝センターでの自殺を奨励していた。日々の生活に悩む者、子供の無軌道に疲れ果てた親、生活苦といった人々が次々と自逝志願しセンターへと消えてゆく。当初は穏やかに自逝志望者を受け入れていたセンターだったが、人々の気付かないうちに老人たちや社会からはみ出した者たちに自逝を促すキャンペーンが進行し始めた。さらにセンター内部への侵入取材を目論んだ記者たちは誰一人帰還を果たすことができず、またマスコミの報道は厳重に監視され、その禁を破った者は人知れず消え去ってしまう事態となっていた。一方で自逝そのものがブームとなり、若者は競って自逝センターに並ぶようになり、また社会は自逝が当たり前のものとして受け入れるようになってゆく。果たして、この日本はどうなってしまうのか、そして自逝センターの持つ秘密とは?

異形・異様の迫力をもって描かれる自逝センターという国家の陰謀。戸梶圭太にしか描き得ない世界
描かれるキャラクタは、ほぼ例外なしに「安い人間」であり、その意味では従来のトカジ作品の延長上にある。だが、小説の構成上の狙いというか、必然のせいなのか、読み進めるうちにちょっとこれまでとは異なる雰囲気が感じられるようになる。自殺自由法及び、自逝センターという存在の不可解さが、読めば読むほどに徐々にその存在の謎が浮かび上がる構造になっているからだ。
当初は本当に不幸な家庭環境から自殺を検討する女性が、自治体のしつこい自殺の勧めに激昂する話から入ってゆくのだが、続いてはろくでもない人生を送ってきた若者が自殺に至るまで、自治体が狙い打ちで自殺を勧める話。そのあたりから、徐々に日本は自殺がポピュラーな行為として認められつつあることが判るようになり、男女のメル友の関係が破綻してゆくまでの話が描かれる。有名人が自逝し、家族に自逝を強要される若者が出てきて……と、エピソードを重ねることで、この奇妙な法律のあるパラレル日本の異常性が少しずつ浮き彫りにされていく。一つ一つのエピソードはバカっぽいことはもちろんなのだが、それだけで終わらない不気味な迫力がこの世界を包んでゆくのだ。終盤に至り、この自殺自由法の目的は漠然と明らかになるのだが、終盤まで”自逝センター”の存在の謎はひたすらに引っ張られてゆく。ここに至って不気味な吸引力が物語を支配し、頁を捲る手が止められなくなってしまう自分に気付くのだ。

こんな世界は絶対にあり得ない――なかで、でもこの作品のなかから沸き立つような邪悪さには戦慄せざるを得ない。ミステリやSFの常道を外れているため、解決部分はすっきりしない点も多いが、それはそれで想像力を働かせるしかないラストもまた、ストレート過ぎるだけに怖さが勝る。そしてオチについては何ともいえないが、ここまで創り上げた世界をこういったかたちで壊すのもまた、戸梶圭太という作家だから許される特権的なもののように思われる。いやいや、人に勧められない(普通の意味では)作品ながら、読んだ人同士でこっそり感想を交換したくなる不気味で不思議な物語である。


05/07/01
野崎六助「風船爆弾を飛ばしそこねた男」(原書房ミステリー・リーグ'04)

『北米探偵小説論』で第45回日本推理作家協会賞評論賞を受賞するなど、もともと評論家としての活躍していた野崎六介氏。'94年の『夕やけ探偵帖』以来、小説家としての活動が目覚ましい。本書もミステリー・リーグに書き下ろされた一冊。

戦前にプロレタリア文学作家としてデビューしたものの、共産主義弾圧のなか転向させられ、今度は探偵小説作家として再デビューした作家・北斗流星。国家の意に沿った国威高揚の冒険小説にて人気作家となった彼は、戦前のある時期にぴたりと作品発表が止んでしまう。その契機となった作品が「富号作戦」と題された、気球に爆弾を詰めて太平洋上を飛ばすという風船爆弾をテーマにしたものだった。これが実際に軍で開発されていた秘密兵器と重なってしまったのが理由らしい。しかも、事実上、北斗流星の作家生命はそこで断たれ、戦後も別の圧力によって復活することはなかった……。大学の古い校舎のなかに眠っていた、彼に関する研究文書が、剽窃をテーマにした文芸評論で売り出し中の若手・毛利のもとに託される。かつてその研究をしていた蔭山元教授は、この研究成果を発表しようとした際に助手が自殺し、本人も行方不明となった。真相を暴く者に呪いが降りかかる……。毛利は禁断の手記に手を付ける。

発禁の書物を巡る謎に、人物を巡る謎。メタの視座そのものを謎にして混迷は深まる
よくいえば意欲的、厳しくいえば難解なミステリである。基本的には「北斗流星」なる戦前〜戦後に生きた探偵小説作家がおり、彼を巡る謎を、昭和後期に蔭山という教授が周辺文書や関連人物のインタビューから解き明かそうとした「手記」があって、さらに、現代、毛利栄一郎が恋人とともにその「手記」にあたるうちに、いろいろと奇妙な現象に遭遇する……というもの。この段階で三重に謎が設定されているかたちとなり、さらに戦前はとにかく、現代に至るまで「国家的な圧力」に近いものの存在が見え隠れする……という謀略小説の衣をまとう。
ただ、この「手記」における迫力はなかなか素晴らしいものがあり、もとより野崎氏が評論家筋であることをしばしば想起させられる。もちろん、この北斗流星なる人物は虚構の産物であるのだが、戦前の同時期の出版状況やその後の追跡の難しさといったあたりのリアリティが抜群に出ているし、インタビューそのものを試みること自体の困難さが手記の謎めいた雰囲気をいや増している。参考文献に『幻の探偵作家を求めて』などが挙げられているが、そういった試みの雰囲気は実によく似ている。
その一方で、手記に凝らされた秘密と、現代発生しているサスペンスとの連関が若干判りにくい。いろいろなところで繋がっていて、かつ解決らしき答えも提示されるのだけれども、根本的な部分に関しては、読者の想像力に投げ出されてしまっている印象がある。もとよりすっきりした解決が見込まれる謎ではないだけに致し方ない部分もあるものの、ラストに関してはもう少し咀嚼しやすくして欲しかったようにも思う。ただ、全体を「戦中」を思わせる陰鬱なトーンでまとめた(現代のパートも徐々に「戦中」の影に浸食されていく奇妙なサスペンス感がある)物語全体の雰囲気は独特で、その意味から限っていえば、ラストにしてもこういうかたちしかないのだとも考えられるのだが……。

評そのものがラストにこだわった書き方になってしまっているが、実際はその途中のテキストを巡るメタな謎解きが主題となっている。そちらについては、戦争とは別の様々な感情が絡むものでユニークなのだが、個人的にはちょっと唐突な印象もあった。いずれにせよ、歴史ミステリや謀略ミステリ、テキストを巡る謎……といった既存の枠では括りづらい作品である。