MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/08/31
奥泉 光「モーダルな事象 桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」(文藝春秋本格ミステリ・マスターズ'05)

芥川賞作家でありながら『グランド・ミステリー』や『鳥類学者のファンタジア』などエンタメとも境界を問わない作品創造を続ける奥泉光氏。本書で十八冊目を数える、本格ミステリ・マスターズのために書き下ろされた作品。脇役ではあるが、登場人物の一部は『鳥類学者のファンタジア』と重なっているようだ。

麗華女子短期大学で日本近代文学の教鞭を執る桑潟幸一教授。出世においても学業においても私生活においても全く冴えない桑潟氏であったが、執筆協力をした『日本近代文学者総覧』においても、執筆を切望した太宰治の項目は若手評論家に攫われてしまい、埋め草のマイナー作家数名の記事しか書かせてもらえず鬱屈した日々が継続していた。しかし、その時に近代のマイナー作家・溝口俊平について書いたことが縁で、研修館書房の猿渡なる編集者の訪問を受ける。猿渡は、その溝口俊平の未発表作品が書かれたノートを瀬戸内海の久貝島で偶然に発見したというのだ。猿渡は、研修館の雑誌『言霊』にその作品を発表しようとしており、その序文を桑潟に依頼してきた。傍目には嫌々引き受ける桑潟であったが、内心は得意げでそんな折り、猿渡は桑潟にこのノートが桑潟の手によって発見されたことにして欲しいという依頼をしてくる。「久貝集」と名付けられた溝口作品は、桑潟によるとどうしようもない作品という評価だったのが『言霊』における評判は上々、さらに別の天竺出版が「久貝集」を出版するとの話を持ち込んできた。桑潟は猿渡と連絡を取ろうとするが彼は、既に会社を辞めていた……。

錯綜するプロット、旅情探偵小説の趣とメタフィクショナルな奥泉ワールドとを堪能
駄目・アカデミズムを自ら体現する桑潟教授の行動するパートを上記で説明しているが、次々と関係者の死体が発見されるにあたり、北川アキ&諸橋倫敦の元夫婦コンビが自称・探偵役として謎の解明にあたるパートが中盤以降に挿入され、双方から謎解きが為されるという構造になっている。特に前半部、その童話集でもある「久貝集」が馬鹿売れしてしまい鼻高々に尊大な態度を取る一方で、場合によってはやたら卑屈に変じる桑潟教授の有様は笑いを誘うし、アキ&倫敦の二人の不一致な性格が醸し出す行動などにもツボが数多くあり、楽しく読める。
この二つのパートに伝奇、SF、ファンタジー、そしてもちろんミステリの要素が絡み、ごった煮エンタとなっているのが本書の姿だ。逆にいえば「本格ミステリ・マスターズ」のレーベルのみに惹かれて本書を購入した読者は、奥泉流の眩惑に戸惑われる可能性がある。もしかすると作者は、本格ミステリを指向したのかもしれないが、一般的なそれとは共通点は少ないように思われる。やはり本書は、奥泉ワールドというエンタメ全ての要素を貪欲に取り込みつつ、だけど奥泉作品という枠組みの中に位置する物語なのだ。(この「奥泉作品」という括りが一般的なのかどうかはなんともいえないが、メタ的な趣向を含め、超現実も肯定される世界を想像して頂ければ良いかと思う)。
アトランティス、大戦中の研究施設、薬品会社の歴史……といった、ひとつひとつを例示するには書ききれないような謎や、この世界の秘密が次から次へと登場し、そのひとつの謎が更に次の謎を呼ぶ展開になり、主人公は妄想の世界に入り、それでいて現実ともどこかで繋がっている。読んでいて、その全てが解決される訳ではないながら、物語の持つ吸引力が実に強いので、するすると世界に引き込まれていく。一種トンデモ的な世界観を示しつつも、ミステリの決着についてはそこそこ安心できるのもひとつポイントだろう。ただ、語りであるとかプロットの組み立て方であるとかに、実験的な匂いがぷんぷん漂っており、奥泉氏が計算したであろうその意図/趣向を汲み取って読むのも一興。いずれにせよ、この混沌は一般的な本格ミステリファンを挑発し、その一方でブンガク系から入った奥泉ファンを狂喜させる構造になっているように感じられた。

「あっちから、ダサイおさむらいが来るよ」「ほう、さよう(斜陽)ですか」 といった駄洒落から始まり、そしてここに落ち着くという展開は嫌いではない。ただ、文章も明快で巧み、さらにこの混沌とした内容そのものは実に面白く楽しく読めたものの、純粋に本格ミステリの観点からすると若干の軸ズレを感じる。 そのズレ自体が恐らく意図されたものながら、現行一般的に定義される本格ミステリの枠内に作品が収まっていないのだ。そこに収めてしまわないという行為が、作者によって計算された演出であるにしても。だから、一エンタメ作品としては面白いと断言できるものの、”本格”ミステリとしては疑問符。むしろ、奥泉ワールドを楽しみたい人に、ミステリと思わず読んでもらいたいという印象か。


05/08/30
東野圭吾「容疑者Xの献身」(文藝春秋'05)

どうも本来は「本格ミステリ・マスターズ」の一冊となる予定だった作品らしいが、『探偵ガリレオ』のシリーズ、つまりは探偵役を帝都大学理工学部助教授が務めるということで、オリジナルのハードカバーで刊行された模様。初版の黒っぽい表紙には、指紋がべたべたつくので評判が悪かった(一部ではビニールがけして売られていたくらい)のだが、再版以降は紙質が変更されている模様。

元錦糸町のホステス・靖子は現在は知り合いが経営する弁当屋に勤務、中学生になる美里と母子二人で慎ましくアパートで暮らしていた。しかし靖子のもとへ離婚した元夫の富樫が乗り込んできた。会社をクビになって以来、暴力を振るう彼から逃げ出して現在の生活をしている二人は恐怖し、自宅にやって来た富樫を二人して衝動的に殺害してしまう。その直後、アパートの隣人である石神が部屋を訪ねてきた。高校の教師である石神は独身で、毎日靖子の勤める店で弁当を購入する関係であったが、彼はひと目で何が起きたかを見抜く、冷静で論理的な頭脳の持ち主であった。石神は、死体をチェックし彼女たちのアリバイを作ることを考え始めた。一方、警視庁捜査一課に勤務する草薙のもとに、江戸川堤防で変死体が発見されたという連絡が入る。死体は全裸で顔が潰され、かつ指先が焼かれて指紋が破壊されていた。現場に残されていた自転車や遺留品となった衣服などから捜査が開始され、現場近くのレンタルルームから失踪した富樫慎二という人物が捜査線上に浮かび上がる。

捜査陣と読者に対して仕掛けられた錯誤の罠、そして論理と論理のせめぎ合いが、深く哀しい人間ドラマを際立たせる
ミステリ抜き、東野圭吾という”作家”としての本領でもあろうが、人間関係の作り方がまず絶妙。暴力的な夫から逃げて、ひっそりと暮らす母子が、その夫を返り討ちにしてしまう、という展開そのものは寧ろ平凡ともいってよさそうながら、そこに徹底的に論理的な支援者である石神を配したところが絶妙。とはいえ、決してモテ系ではない石神は、彼女たちをコントロールする立場にいながら、愛情は受けられず、精神的な依存のみしか報酬はなく、それでも献身的に彼女らに尽くす。その利用されるだけの立場を自ら甘受しながら、彼女たちに尽くす彼の存在は、共感されなくとも心に残るものがある。
そして、一方で当然、彼女たちに眼を付ける警察の存在があり、石神は実は湯川も認める論理の人物であることが知らされる。その石神と湯川の友情も、物語に微妙な影を投げかける。石神が裏にいることを知りながら、事件の謎を解く湯川の葛藤もまた、このドラマの眼目のひとつである。その他にも、彼女らにまつわる微妙な人間関係を巧みに描き出し、物語としてまず完成している点が本書の凄さのひとつである。
そして、作者みずから「自身最高の本格ミステリ」と称している通り、本格ミステリのテクニックが実にさりげなく本書には込められている。読者にとっては、真犯人は判っており、捜査が肉薄することによるサスペンスが味わえ、そしてそのギリギリのところによる緊迫感に緊張を余儀なくされる。しかし、その緊張ですら実は計算されていた錯覚であったことが終盤に判明するのだ。トリックそのものは他の誰かが思いついてもおかしくないタイプのものなのだが、それが東野圭吾の手にかかることによってまさに「魔法」の域へと達しているように思われた。人間ドラマを深く描くことによって読者の錯誤を招く。それでいて、真相にはその錯誤すら再び人間ドラマに取り入れてしまう貪婪な物語の姿がある。丁寧に読めば、トリックを先に気付いてしまう読者もいようが、それでも最後まで読ませてしまうはずだ。

今年度の本格ミステリとしても、文芸作品としても収穫のひとつであることは間違いない作品。さすが、ということばだけでは表現できないほどの安定感がありながら、手練れのミステリファンを唸らすだけの斬新さが同時に存在している。特に、ラストの慟哭は胸の深いところに染み入ってくる。


05/08/29
芦辺 拓「ネオ少年探偵 電送怪人」(学研エンタティーン倶楽部'05)

学研のジュヴナイルレーベルであり「エンタティーン倶楽部」芦辺氏のほかに、あさのあつこや沢村凛、森奈津子といった一般読者の注目を浴びてもおかしくない作家がかなり参加しており、。着々と刊を重ねているようだ。本作も前作『妖奇城の秘密』同様、学研の学習雑誌『5年の学習』に2002年から翌年にかけて連載された作品で、今回本書と『謎のジオラマ王国』二冊がほぼ同時期に刊行されている。

小学生の久村圭は、学校のいつもの帰り道どこからか「ブーン、ブゥゥーン」と奇妙な音を耳にする。その音源は道ばたに落ちていた携帯電話であった。圭がそれを拾い上げたところ、ちょうどメールが着信し、思わず彼はボタンを押してしまう。画面には「――悪魔が笑う煙突に向かって進め」という謎のメッセージが表示されたが、圭はそのメッセージを次々と解読、その携帯電話のメールの指示に導かれるように、廃墟のような建物に迷いこむ。そのメールの指示によってある窓を覗き込んだ圭は、数多くの謎の機械と古びた白衣を着た謎の老人を目にした。その人物の独り言によれば、彼は御神楽なる博士で、物質電送機を開発したというのだ。圭はその博士に発見され捕まるが、そのまま気を喪ってしまう。病院で目を覚ました圭は「電送怪人」なる人物の存在に思い悩む。その話を聞いてくれたのは新聞記者の光野、そしてクラスメイトの桐生祐也と八木沢美穂だけだった。祐也と美穂は圭と共に少年探偵団を結成、その謎に挑まんとするが……。

少年少女向け正統派冒険小説としての”匙加減”が絶妙。さまざまなテイストが大人読者を引き込んでゆく
もちろん、下敷きとして意識されるのは「明智小五郎シリーズ」、そして何よりも「少年探偵団シリーズ」であろう。電送怪人というネーミング、そして存在からしてそのことが伺える。実際、物語の内部においても、物質電送機なる機械を発明したというマッド・サイエンティストが登場、次から次へと恨みを持つ人物に対して不可能犯罪を働き、あまつさえ殺人事件にも発展するのだ。それに対するは、我らが森江春策、そして少年探偵団。人知を越えた謎の人物に対して、彼らは打つ手があるのか――?
……と、紹介すればするほど”いい感じ”になる。実際のところ、芦辺作品らしく物語に登場する全ての謎について、最終的には現実的な解決がつけられるのではあるが、その現実と虚構の作り込み方が微妙なのが実に興味深い。 例えば、物質電送機といった機械、電送怪人による犯罪予告、そして実際の宝物の消失といったあたり、現実的かといえばそうではなく荒唐無稽に近い。また、その荒唐無稽を大の大人が信じかかっている点についてもそう。(最近読んでないけど)現代の大人の読者が乱歩の「少年探偵団シリーズ」を読んだ時の感覚に近いものがあるのではないか。その段階で物語の軸足が、かなりファンタジー(そして旧き良き探偵小説)に移行しているといえる。
しかし、本書が現代的なのはその後。つまり、その謎のひとつひとつについて、本格ミステリの流儀によって解決がもたらされるのだ。確かに、その解決にしてもかなり大掛かりであったり、必然性が薄かったりして、一般向けのミステリではあまり使われないトリックが用いられている点は否めない。だがそれがいくら強引であっても、理屈で解決されることによって物語の地平が現実サイドにて回収されていることは事実。この結果、荒唐無稽に寄っていた物語が現実に引き戻されて着地している。このバランス感覚が素晴らしい。

あくまで清く正しい(?)小学五年生を対象に発表された作品であり、いろいろな意味で安心して読める。また、藤田香織さんによるイラストが、イマジネーションを膨らませるのに良いバランスを発揮している点も特徴だ。実際に本書を読んだ少年少女の印象を尋ねてみたくなる、そんな作品。


05/08/28
京極夏彦「京極噺六儀集(きょうごくばなしだいほんしゅう)」(ぴあ'05)

京都の狂言一家・茂山千五郎家のために、京極夏彦が書き下ろした妖怪がらみの新作狂言の台本をまとめた作品集。本書収録の作品は実際の公演にかけられ、好評を博している。『豆腐小僧』『狐狗狸噺』『新・死に神』は狂言、また『死に神remix』は落語として書かれたもの。

突然現れた豆腐小僧。そこに主人から無茶な言いつけをされて悩む太郎冠者が現れて……。 『豆腐小僧』
景気が悪くなり長年勤めた荘園を馘になった太郎冠者。目の前で旅の女性がばたりと倒れて……。 『狐狗狸噺』
自殺しようと、死に場所を探す駄目男。彼の後ろには死に神がぴったりついていて…… 『新・死に神』
職を失った幇間、弔い亭死に八。暗い人生に嫌気が差して死のうとするが、何者かに呼び止められて……。 『死に神remix』
ほか、これらが実際に舞台にかかった際の台本や、狂言師・茂山千之丞の寄稿やインタビューなどによって構成されている。

京極世界と伝統芸能との親和性がまざまざと。人間のツボと呼吸を押さえた見事なシナリオ集
帯には「京極夏彦 初の古典作品集!!」 とあるが、この場合の古典の語義が不明確だよな。とはいうものの、狂言と落語のシナリオに、講談として改変された「小豆洗い」までが収録された、これまでにない作品集であるのは確か。まさか豆本で読んだ『豆腐小僧』や『狐狗狸噺』が、このようなかたちで商業出版されると考えていなかったので、個人的には少々残念な気もするが、内容が良い以上やむを得ないところか。
『豆腐小僧』『狐狗狸噺』はオリジナル。『死に神』に関しては元になる作品が存在し、その内容を踏まえたうえで発展させた内容。(「死に神」という落語がそもそもあるので『新・死に神』『死に神remix』といった題名に変更しているものと思われる。)いずれも「笑い」をテーマにしているところが特徴だろう。
まず感心させられるのは、その「笑い」の質の高さ。いわゆる落語の下げや狂言における面白可笑しさといった、いわゆる「ギャグ」とは異なるかたちの伝統的なユーモア感覚が新作であるにもかかわらず、きっちりと表出しているところは素晴らしい。京極作品のメインとなる読者層は、比較的若い世代なのではないかと思われるが、本作収録の作品は、実際に老若男女、誰にでもおかしく思えるように作られている。さりげないけれども、これは凄いことだと思う。そして、もうひとつは、実際に演じられるにあたってのことを、実作の段階でかなり配慮されているように感じられる点も京極さんらしい仕事だといえる。描かれた台本の隙間から、演者の呼吸が感じられるのだ。実際、小生は上演そのものを拝見する機会がなかったにもかかわらず、その光景が瞼に浮かぶような錯覚を覚えたくらい。京極夏彦氏が、狂言や落語に深い造詣を持っているのかどうかは不明ながら、その伝統芸能の本質にある何かをつかんだ上での創作であると思われる。
また、こういったかたちでも「妖怪」にこだわり、それを物語に溶け込ませる手腕についても今さらいうまでもないだろう。

単行本としては、同じ話がオリジナル台本形式と実際に上演されるシナリオ形式で二度収録されているなど、若干の水増しのように(マニア向けといえばそれまでだが)、思われる。とはいえ、京極ファンでなくとも、『豆腐小僧』『狐狗狸噺』『死に神』の三つの作品は読んでおく価値があるといえる。


05/08/27
吉村達也「創刊号殺人事件」(角川文庫'91)

吉村達也氏は'86年に杠葉啓名義で『Kの悲劇』を刊行してデビューしているのだが、本書は吉村名義で刊行された最初の長編にあたる。元版は有楽出版社より新書にて'87年に発表された。'91年に新装版も角川文庫から刊行されているが、現在は品切れのようだ。

若者向け雑誌で部数を伸ばしてきた出版社・文文堂では、ワンマン社長の高齢化に伴い後継者争いが活発化していた。近く行われる新社屋の落成にむけ、二つの雑誌が創刊されることが決まり、その二誌の編集長である第一編集部長の江藤と、第二編集部長の須貝の同期二人が社長の後釜ではないかと目されていた。二人とも若者雑誌でヒットを飛ばしていたが、当初後継者争いをリードしているとみられた、風采の上がらない江藤の編集する雑誌が最近廃刊に追い込まれ、一方、見た目にも気を遣う須貝の新雑誌が好調と、現在は横一線の争いとなっている。その須貝が女子高生向けの新雑誌を創設するにあたり、取材チームと共にロサンゼルスに出向いたが、チームの一人が遊園地で変死、続いて須貝の愛人でもある編集部員がヨットハーバーで謎の死を遂げた。また、社長を逆恨みする人物が存在するなど、文文堂周辺には何やらきな臭いものが漂っているのだが……。

吉村初期作品独特の派手なサスペンスがとにかく目を引く
作者本人が各所で述べている通り、吉村氏にはどちらかといえば”海外謀略もの”を描いて欲しいという要望が出版社サイドからあったらしく、本作も本来の筋書きとは若干浮かび上がるかたちでそのようなエピソードが挿入されている。まあ、それはそれで悪くはないのだが、やはり見どころはどろどろの人間関係が織りなす独特のサスペンスと、二つの遠隔殺人にあるように思われる。
後の作品でもしばしば描かれるが、意外と吉村氏は会社内・家庭内の人間関係の様々な葛藤を描き出すことに長けている。この作品においても、社内で凋落しつつある江藤と、飛ぶ鳥を落とす勢いながら周辺にトラブルの多い須貝の二人の争いが醜く描かれている。ある意味ステレオタイプでもある彼らの描写に際し、不思議な立体感を際立たせているのが特徴だといえるだろう。そして彼ら二人とも内面に、表に出ないかたちの悪意を潜ませているがため、読者にとっても真犯人の姿がなかなか見えにくい構造になっている。おかげでサスペンスとしては上々の仕上がりだ。
ただ、一方で派手な場面展開を繰り広げすぎるあまり、ミステリとしての手掛かりそのものが物語中に少なすぎることが残念。また、二つの遠隔殺人の片方は、今となってはあまり評価できないタイプであり(差別意識とかそのような観点で)、もうひとつはよく出来てはいるものの、ちょっと専門的に過ぎる気がした。

とはいっても、一気に読まされること自体は間違いなく、初期作品ならではの「けれん」を楽しむ向きには十二分の内容だといえるだろう。シリーズ作品ではないので、目に付きにくいかもしれないながら、いずれどこかで復刊されるのではないかと思われる。


05/08/26
古川日出男「gift(ギフト)」(集英社'04)

『小説すばる』誌の二〇〇一年六月号から二〇〇三年二月号にかけて不定期掲載された「かわいい壊れた神」シリーズをベースに、書下しが三編加わった、ショートストーリー集。

吉祥寺の東急の屋上で彼女は妖精の足跡の捕まえ方を僕に伝授してくれた。地面にさらさらの砂で小さな山を作り、その表面に上がり段をこしらえる。すると、妖精がその階段を昇り、足跡を残す。僕と彼女は残念ながら別れてしまったが、僕はマンション一階の庭にて妖精の存在証明を捕獲することにする。一日めと二日めには収穫なし。しかし三日め、勤めを終えて帰宅したぼくは「うおお」と唸る。砂山に小指の先より小さな、キュートな足跡が十九個残されていたからだ。今度はぼくはビデオカメラをセットしてその足跡がつけられる様を記録しようとする――。 『ラブ1からラブ3』
叔父夫婦が猫を生んだときには、正直いってぼくも驚いた。世間的には臨月間近で死産というようなことになっていたが、彼らはわが子を既にいた二匹の猫とともに、猫として育てだしたのだ。そのことを知っているのはその猫とは従兄にあたるぼくだけだ。叔父は猫の成長速度を考え、仕事を辞めてフリーランスになって、子供と一緒にいる時間を増やそうとし六ヶ月のあいだ幸せに家族は暮らしていたが、買いものに出掛けた阿佐ヶ谷で夫婦は強盗事件に巻き込まれて、いたましい横死を遂げる。そして、ぼくは三匹の猫を引き取った。 『光の速度で祈っている』
とまあ、二つだけあらすじを書いてみたが、本書には十九編の物語が収録されている。ほか、『あたしはあたしの映像のなかにいる』『静かな歌』『オトヤ君』『夏が、空に、泳いで』『台場国、建つ』『低い世界』『ショッパーズあるいはホッパーズあるいはきみのレプリカ』『ちいさな光の場所』『鳥男の恐怖』『アルパカ計画』『雨』『アンケート』『ベイビー・バスト、ベイビー・ブーム 悪いシミュレーション』『天使編』『さよなら神さま』『ぼくは音楽を聞きながら死ぬ』『生春巻占い』

活字の持つ、物語の持つ、作者の持つパワーとエナジーに圧倒される。短いのにこんなにも、凄い
元のシリーズの題名が、端的にこのシリーズの雰囲気をよく現しているように思う。「かわいい壊れた神」。とはいっても、全体を通じて何か神様めいた存在が感じられるのではなく、十九の物語のなかに、それぞれ何か命であるとか、やっぱり神であるとか、生き方であるとか、人生の奥深いところにある「人間が神様を信じているとしたら使う頭の一部」に触れる、そういったテーマが存在しているように思う。
――ただ、一編一編を取り上げてゆくと破天荒な設定、登場人物が多い。お台場が水没して観覧車だけが取り残されたり、天才の赤ん坊が世界に絶望する話だったり、貯水槽で魚を飼う話だったり、十三歳になった途端にもとの仲間である子どもたちから付け狙われるようになったり……(ああ、全部紹介してしまいたい)と、実に奇妙にして不思議な世界が展開されているのだ。しかもパターンがなく、先が読めないし、オチもどうなるのか分からない。短いので一編一編がさくさくと読むことができるのだけれども、ひとつ読むごとに何か少しずつ、色々なことを考えたくなる。トンデモな設定であっても(いや、むしろそういった設定の方が)メッセージ性が強いから始末が悪い。世界への強烈な皮肉。神への素朴な祈り。そういったもろもろが感じられて仕方がない、落ち着かない。
とはいえ、それぞれの物語が微妙に冷めていてクール。実に格好いいのだ。計算しつくされた上で常に書かれていることも間違いなく、物語毎に文体や文章が変幻自在に、そして物語にとって適切なかたちに変化している。言葉の魔術師とかそういう形容を超えた、凄まじい表現能力をひしひしと感じさせられる。物語の持つパワーを、巧みに古川氏は引き出し、活字に置き換えてゆく。

実際、寝る前に少しずつ、少しずつ読んでゆっくりじっくりと読了した。完成しきったような、それでいてどこか壊れたかのような物語。続きを聞きたいのに、決して聞かせてもらえない物語。小説本来の持つパワーをこの薄い一冊から感じることができるなんて。ああ、凄い。凄すぎる。そしてこれは、読書をしていて幸せになる瞬間でもある。迂闊に人に薦めたくない。むしろ、どこかでこの物語を必要としている人に出会って欲しいという一冊。


05/08/25
綾辻行人「霧越邸殺人事件」(新潮文庫'95)

'90年に新潮社より発表された、いわずとしれた綾辻行人氏の代表作品のひとつ。特に最初期に発表された「館シリーズ」をはじめ、一連の本格もののなかでも最高傑作として名高い。

演出家でもある槍中秋清(やりなか・あきさや)が主宰する劇団「暗色天幕」のメンバーと、槍中の友人で劇団に協力する作家・鈴藤稜一らは、公演の打ち上げ旅行で信州の、開発計画が進んでいる最中のあるリゾート地へ来ていた。その帰り、一行が乗った車が車輌故障をおこし、彼らは駅まで徒歩で向かうことを選択する。しかし十一月の山の気候は不安定で、彼らはいきなりの吹雪に遭遇。遭難しかかるが、湖の側に佇む大きな洋館に助けを求める。そこには似た理由で滞在する医師・忍冬がおり、この館が《霧越邸》と地元で呼ばれていることを知らされる。サービスこそ手厚かったが、館の使用人たちは無愛想であり、主人は彼らの前に姿を現さない。館内部を勝手に動かないように釘を刺された彼らは、好奇心に負けて館を探険。メンバーの名前と館に置かれた数々の美術品のあいだに様々な相関があることを見出した。やがて館そのものも雪に覆われてしまい、外部との連絡が絶たれた状況下で、劇団メンバーのひとり榊由高が他殺死体となって発見された。死体は温室に置かれており、如雨露によって水が身体にかけられるという細工が為されている。槍中は館の主人・白須賀秀一郎と面会、しかし犯人を捜し出すよう要請を受ける。

十全の本格ミステリでありながら、その本質は幻想的な《館》の存在そのもの。深読みして味わい深い名品
e-NOVELSの企画の絡みで再読。折角なのでこちらでも改めてレビューしてみる。
まず、本格ミステリとして読んだ場合。犯人側にたったときにかなり偶然の要素が占める割合が大きいことが気に掛かるが、その提示される「謎」、意外な「犯人」、そしてそこに至る「手掛かり」と「論理的な構成」といったところのバランスが非常によく取れている。特に手掛かりのちりばめ方は絶妙で、何気ない台詞、何気ない登場人物の行動といったところが、思わぬところから手掛かりとして取り上げられている点が素晴らしい。また、《館》内部におけるクローズド・サークル内の事件にもかかわらず、外界で発生している諸事件が大きな手掛かりとなっているのも巧みだ。読者の視線を内側に内側に誘導しておいて、単なるエピソードにしかみえない外界の情報に大きな意味合いを持たせる。このあたりの手腕は見事としかいえない。
一方で、《館》の存在がある。何か後ろ暗いことがあるのではないかと思わせる住人、そして人間味の薄い使用人といったところまで合わせて、ゴシック的な雰囲気がぷんぷん感じられる。館そのものも、豪奢であり、そしてその内部には美術品が詰まっており、その雰囲気を増長させる。数々の事物が、訪れた人々の名前との暗合を示し、その事物に変化がある際に訪れた人の身にも何かが起こる。また、《館》そのものも、不意の闖入者の存在を予言していたかのような変異が発生している。本格ミステリとして割り切れる要素だけでなく、こういった超自然的状況が起きているのが本書の特徴のひとつである。
こういった《館》の動きを無視すると、本書は重厚でかつ論理的な”単なる”本格ミステリでしかなくなってしまう。だが、表の動機の裏側に《館》の意志を汲み取ることで、本書は幻想ミステリとしての側面を持つことになる。この《館》が引き起こした連続殺人事件という背景を知るに至って、読者はホラーめいた感覚によって背筋を凍らせることになるのだ。この《館》、すなわち幻想部分の匙加減が絶妙なのだ。その偶然とも思しき数々の事象を描き出すことによって、作品の質感は確実に単純な本格ミステリからは変化してしまっている。その感触こそが、本書を傑作たらしめている理由だと思われる。

幻想ミステリを主題としようとした場合、ミステリとしてのロジックが重要視されないきらいがあるし、その一方で本格ミステリとしてがちがちに考えると、幻想の要素は排除される。例えばSF世界で本格ミステリを描くことはこの作品以前にもあった。だが、その場合はSFの作品世界において設定された法則がミステリに対して奉仕をしている。本書の場合、それとは近しいものの若干手触りが異なる。というのも、恐らくその法則自体があって無いような不定形だからか。設定があって本格があるのではなく、本格があって設定が浮かび上がるという感じ。つまり、本格ミステリの枠を通じて《館》の存在が最後の最後に強烈にクローズアップされるという点、やはり印象深い作品だ。


05/08/24
椹野道流「暁天の星 鬼籍通覧」(講談社ノベルス'99)

講談社X文庫ホワイトハートにて「奇談シリーズ」の実績ある作者の一般向けエンターテインメントのデビュー作品。この後「鬼籍シリーズ」として『無明の闇』『壺中の天』といった作品が続く。ただ、このシリーズ、講談社ノベルスで刊行されたものの、文庫版は講談社文庫ではなくホワイトハートに収録されている。

大阪府高槻市にあるO医科大学に、法医学教室の大学院生として配属された伊月崇は、その教室に所属する個性的な面々に驚かされる。貧弱な体格で風采のあがらない教授二年目の都筑壮一。ずけずけした物言いと若々しい外見とにギャップのあるドクター二年目にして、教室ナンバーツーにあたる伏見ミチルほか、秘書の住岡峯子、技師長の清田、技術員の森……。右も左も分からない伊月は、彼らにからかわれながらも、着実に法医学への入り口を進み始める。彼にとって最初の解剖は殺人の疑いがある事件で、七十八歳の夫が病気で苦しむ七十三歳の妻を殺したというものだった。ミチルはその外見に似合わず、被害者の死体から、事件の意外な真相を見通していた。感心している間もなく、法医学教室には次々と死体が持ち込まれる。しかし、若い女性が被害者の事故死に、不思議な共通点があることを伊月とミチルは気付く。掌にあるアザ、そして髪の毛の一部が抜き去られていること……。伊月の小学校時代の同級生で刑事の筧らと共に、被害者を調べた彼らは、身許にある共通があることに気付いた。

強烈なリアル感が漂う法医学の現場描写。だからこそ不条理な結末が不思議な説得力を醸し出す……
当時、作者が現役の法医学者であったことを強く反映した作品。正直にいえば物語の導入部のキャラ立てを読んでいるうちは、どちらかといえばやはりホワイトハートの構成に近いよなあ……といった印象を持っていた。一人一人の属性が特徴的で、どこか萌え要素すら感じさせられる。だが、それはこの作品を描くための枠組みに過ぎない。(少なくともこの作品においては)。本作においてもっとも作者の強い意識が感じられるのは、法医学に則って実際に行われる解剖などの場面である。
とはいっても、必要以上にグロを強調したりするものではない。ミステリにおける捜査過程では付き物でもある「剖検」、つまり「解剖所見」がつくられるまでの実際過程がよく分かる。この点については情報小説としての側面すら感じられる。だが、実際の現場に携わる人たちがどのような活動をし、どのような思いで働いているかといった、これまでのミステリではほとんど描かれてこなかった彼らの視点で物語が構成されている点はとにかくひとつの特徴であるだろう。
前半部、老いた夫が妻を殺したと自供した事件では、解剖による所見と法医学者たちの考えによって真相が明らかになるというミステリ仕立て。後半、不自然な事故死を遂げた女性たちの事件については、ミステリ仕立てではあるが、結末はいわゆる論理的な解決とはちょっと異なる展開をみせる。この点は意外でもあったが、演出としては寧ろ際立っていて、そちらの属性を持つ小生個人としては非常に気に入った。

このシリーズがどのような展開をみせるのか、一冊目を読んでしまうとやはり気になるところ。ミステリではないとのことで食わず嫌いしていたけれど、意外と肌に合うのが不思議な作品であった。


05/08/23
井上雅彦「燦めく闇」(光文社'05)

背表紙に至るまで黒地に黒字というこだわり、表紙や帯はおろか、小口まで”黒”を基調とした装幀が美しい、異形コレクションの主宰者でもある井上雅彦氏の「自選短編集」。推薦辞が皆川博子さん。主に『異形コレクション』のこれまで刊行されたアンソロジーに自らが発表した作品が中心となっている。

赤とグリーンに燦めく夜。女はいつもの儀式を迎える。かつて煙突から出てきたあの男と会うための。 『赤とグリーンの夜』
男は、話し相手に自ら描いた仮面舞踏会の画を見せる。女は動かない。「巴里を見せてください」と云う。 『舞踏会、西へ』
妻を連れての故郷への帰還。男はホテルを抜け出し映画館へ向かう。そこで彼が観たものは。 『十月の映画館』
かつての恋人から譲られた悪夢をテーマにしたギャラリーを持つ男。そこを訪ねてきた女は――。 『鞍』
精神的に参った妻を連れ、雪の降る無人の避暑地を訪れた。しかし雪はひどくなり、彼らは――。 『白い雪姫』
海の見える部屋を舞台に演技を続ける男女。その映画の撮影場所を訪れる人々は一体。 『海の蝙蝠』
幼馴染みの彼女と一緒に食べた、あのチョコレートの味と芳香が忘れられず私は彷徨った。 『ボンボン』
ダイビングの教師たちが強制的に参加させられた教習。不吉な湖に沈んだ彼らが見たものは。 『沈鐘』
精神的に止んだ、親友の婚約者を前にする男。彼は親友と研究のために訪れた地を回顧する。 『クリープ・ショウ』
暗い森の奥に青頭巾は逃げていく。逃げた先にいる人々が語る死人についての数々の話……。 『青頭巾の森』
最後の舞踏会を控えた没落貴族の末裔。彼だけが持つ遺産には夜な夜な訪れる者たちがいる――。 『化身遊戯』
図書館で火事に巻き込まれた少女。彼女には不思議な能力が備わって。その力とは――。 『火蜥蜴(サラマンドラ)』
休暇で故郷に戻るために乗った豪華特急。その間に首都機能は麻痺したのだと報され――。 『北へ深夜特急』 以上、十三編。

日常の延長線上ではなく、狂気に溢れる日常そのものを舞台に選び、異形の者たちが踊り出す――
やはりただ者ではない。 自明のことかもしれないが、異形コレクションの主人の実力は半端ではないことを改めて認識させられた。井上氏は基本的にホラー小説作家であり、本書はその本領を発揮するもので、主題はある程度統一されている。即ち「恐怖」である。ただ、その恐怖の見せ方が実に巧いのだ。肉体的な痛み、精神的苦痛といった単純な暴力小説やサスペンスが喚起するものとは全く異なる、ホラー小説ならではの実存を揺るがすような恐怖感が、さまざまな舞台を借りて演出されている。
そして、そのそれぞれの舞台がまず美しい。二十世紀初頭のパリであったり、吸血鬼映画の撮影現場であったり、湖水の奥に沈んだ世界であったりと、設定そのものが一ひねり、二ひねりされているところが素晴らしい。日常が舞台となる場合は、登場人物の記憶や体験といった回想の部分をひねっており、いずれにせよ十三の作品ごとに全く異なる印象的な世界が演出されている。また、その舞台や世界を紡ぎ出す文章が凝っていて、決して読みにくくはないのに、その美しく狂おしい世界について丁寧に描写されているのも特徴だといえるだろう。各種の映画の影響(と私がいうのもおこがましいが)からか、一旦ショックを与えておいて、さらに世界観をひっくり返すようなラスト・ショックを演出している作品も目立つ。その意味では『化身遊戯』や『火蜥蜴』といった作品には強い印象が残る。
そして一定のパターンがない。作家によってはホラー作品を描くときに、恐怖を醸し出したり、読者にショックを与えるために一定のパターンを踏むケースがあるが、少なくとも本書収録の作品については、その手順が実に様々なのである。なので読んでいて先が読めない。(既読の作品が幾つかあったが、それですら新鮮な気持ちで改めてショックがあった)。日本ホラー小説界の”男爵”ならではの技量と、多彩な技がひたすらに堪能できるのだ。一編一編ごとに異なる恐怖の世界を漂い、幻想に溺れる。 素直にそんな気持ちにさせられる作品集である。

凝った装幀に比してか、ちょっぴり定価はお高め(2,300円)だが、それをものともしない濃密な闇の濃さが存在している。ホラー短編のお手本というべき作品がずらりと並ぶ様は壮観だといえるだろう。単にホラー小説のみならず、幻想小説を好まれる方にもお勧めしたい。


05/08/22
物集高音「大東京三十五区 亡都七事件」(祥伝社'05)

冥都七事件』『夭都七事件』と発表されてきた「大東京三十五区」シリーズ三部作の掉尾を飾る一冊。これまで同様、「ちょろ万」こと阿閉万が雑誌連載のために集めてくる怪異話を、下宿のご隠居・間直瀬玄蕃が解き明かす。「小説NON」誌に発表されてきた作品に、書下しの最終話が加わっている。

墓所近くにある便所に入ったご婦人方が次々と気分を悪くするという事件が発生。決まった便所ではないが、そこには謎の落書きが……。 『開カズの雪隠ノ怪』
夜中に農村で目撃される人魂。その人魂は遂に火事まで発生させるに至り、阿閉万らが現場に乗り込んでゆく。 『人魂躍ルル夜ニハ』
次々と不幸が訪れる呪われた一家。家族の住む家の庭には謎の穴があり、その奥底には死体の横たわる奥座敷が存在していた。 『地ノ底ノ怪座敷』
六十過ぎの白髪の男が次々と通り魔的な殺人を犯す。彼はその殺人を悪魔に命ぜられたものだと主張したのだが……。 『悪魔ノ命ジタル殺人』
わずか五歳の少女が行方不明になり、二十キロも離れた場所で保護された。果たして彼女は神隠しにあったのか? 『天狗ニ攫ワル童女』
家がひとりでに音を立ててきしみ、小石が降って来る。かつてある家族を襲った「鳴屋」の事件を、阿閉たちは解き明かそうとするが……。 『妖怪鳴屋、現ワル』
早稲田の柔道部の猛者たちが、次々とその学帽を歩いているうちに盗まれるという事件が発生。阿閉が事件を追うがその裏側には意外な人物がいた……。 『魔人、学帽ヲ窃取ス』 以上七編。

昭和初期ならではの”闇”を活かした謎の数々。キレあるアイデアが巧みに組み合わされる魅力
正直にいってしまえば、怪異譚に対する解釈として鋭く深く考察された短編として傑作クラスのアイデアと、ちょっとこれはネタとして苦しいのでは……と思えるアイデアとが混在している作品集。まず、普通に傑作なのが『地ノ底ノ怪座敷』。昭和初期からさらに四十年前に遡って語られる、一家八名中、五人が死亡したという「死の家」のエピソードから始まり、その発生した怪異に対して、ぴたりぴたりとパズルのピースが当て嵌められる展開が圧巻。特に歴史の縦糸の絡め方が抜群にうまく、それが同時に推理を補強する手段となっている点も興味深い。また、時代性の絡め方が巧いといえば『妖怪鳴屋、現ワル』もその系譜。 これまた、登場人物たちにとっては過去の時代の事件について考察するものだが、真相そのもの以上に動機に、現代にも通じる空恐ろしい感覚が存在する。作者にその意図があるかどうかは別にして日本人論的な意味合いすら小生は感じた。ラストを飾る『魔人、学帽ヲ窃取ス』は、怪異そのものの理由はとにかく、こちらもその怪異が発生するにあたっての原因の方に哀しさとやり切れなさが同居していて印象深かった。
一方で、『開カズの雪隠ノ怪』は強烈なバカミス(ただし悪い意味ではない)。何よりもその犯行の手順というか方法に強烈なオリジナリティがあるのは良いが「おいおい」と思わずツッコミたくなること請け合い。その理由に比べると犯罪の方が強烈に過ぎる(物語では軽微な被害に留まっていることになっているが)ギャップが奇妙すぎる。上記触れなかった作品についてはワンアイデアで引っ張っている印象が強く、伝奇的要素はとにかく本格ミステリとしては若干割り引かざるを得ない。

”魔物”や”妖怪”がギリギリ人々の心に住んでいた時代。 そういった怪異がまことしとやかに伝達手段をもって人々のあいだで共有される時代。そして同時にその怪異を論理的に割り切ろうと試みる人々がいても決して不自然だとはいえない時代。この三つの時代を結ぶぎりぎりのところに設定された作品年代がやはりこのシリーズの特徴なのだと思い至る。ここに独自のアイデアを盛り込み、独特の文体(これは過去に散々云ってきたので今さら書かない)で仕上げたワン・アンド・オンリーの作品世界。できればシリーズ一作目からご賞味頂きたい。


05/08/21
加藤実秋「インディゴの夜」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

加藤実秋氏は1966年生まれ。'03年この作品集の表題作である『インディゴの夜』にて第10回創元推理短編賞を受賞してデビュー。本書は同作品で登場したホストクラブ〈club indigo〉のメンバーたちが活躍するシリーズ作品集で、加藤氏の初単行本になる。

人気ホストについていた客が殺害され、クラブの関係者が事情聴取を受ける。発見者でもあるそのホスト・TKOが目撃した現場から逃げた女や、ストーカーの話を警察はなかなか信じようとしない。 『インディゴの夜』
indigoに勤務するホストの知り合いの娘・祐梨亜(11歳)が店にやって来た。彼女はオーナーの晶が面倒をみるが、彼女は偶然であった新宿ナンバーワンのホスト・空也に一目惚れ。その祐梨亜が行方不明に。 『原色の娘』
渋谷区長の娘の”御乱行”が撮影されたメモリーカードの奪還を依頼された晶。従業員であるホストたちから伝手を辿り、そのナンパの手口からある人物が浮かび上がるが……。 『センター街NPボーイズ』
不義理なかたちでindigoを辞めた元ホストから助けを求めるメッセージ。彼の名前を知る女性がぼろぼろになってindigoに現れたがその彼女も行方不明、そしてホストは死体となって発見された。 『夜を駆る者』 以上四編。

現代風俗の先端に生きるスタイリッシュな若者たちと、本格推理と冒険と。
昭和期に刊行されたミステリなどを読んでいて思うことのひとつに、エンターテインメントとしての本格ミステリの骨となる部分以外に付加された肉として、当時の風俗が描かれていることがある。その風俗は”昭和”という空気をまとっており、その独特の雰囲気を現代刊行する作品が真似ることはできても、完全に再現することは難しい。……などと難しくいうつもりはないが、現代の若者像を追い続ける石田衣良や、例えば裏世界の事情をフィクショナルに再現する馳星周などの作品を、十年後、二十年後に読むと同じような感慨を読者が抱くのではないかと思う。この加藤実秋『インディゴの夜』も、どちらかといえばその系統の作品にあたる。
ホストクラブのオーナー兼ライターという晶という女性を中心に、ホストクラブの面々が次々発生する事件を解決してゆくというストーリー。受賞作品である『インディゴの夜』あたりは謎解きの骨格がしっかり浮き出ているが、むしろホストを通じて現代風俗を巧みに描き出す情報小説としての側面が面白さを倍加させている印象がある。事件の方は、風俗産業ならではの色恋のこじれや、特殊性愛などから来る犯罪などを描いており、生々しいテーマを正面から捉えている。また、その事件を解決してゆくにあたって、ホストクラブの従業員ならではの”特技”がさまざまなかたちで活かされており、物語と設定との密着度が高いところもポイントとして挙げられよう。「ミステリ・フロンティア」レーベルながら、後半の作品にゆくごとに本格ミステリというよりも、一般的なエンターテインメント小説に移行しつつあるところもかえって面白い。
また、視点人物をそこそこの年齢の一般人である晶に据えることで、物語全体のトーンを浮つかせることなく微妙に引き締めているところも巧い。ホストが視点の中心となると、さすがに読者の価値観とは大幅にずれる可能性があるところを意識しているのかもしれない。
個人的に見聞きしている範囲では、ホストの方々のお仕事は大変だろうなあ(楽しいことよりも遙かにツライことの方が多い)という印象が強く、本作ではその「ホストの側」内面のどろどろしたところがかなり浄化されているように感じられた。まあ、フィクションなので無理にリアルに現実を描く必要はないのだが。例えば、情報を引き出すために『原色の娘』で売れっ子ホストの空也が、年輩の女性に夜のサービスを約束するあたりの生々しさが各所にあった方が、作品としてのインパクトは強かったように思う。(ただ、どうやら本書を支持する女性層はわざわざそんな場面は読みたくないだろうし、痛し痒し)。

いずれにしても、全体として作者自身が楽しんで書いていることが感じられるところは好印象。 まだ解かれていない謎(例えば、顔役・憂夜の正体であるとか)があるので、引き続きシリーズが発表されるのではないかと思われる。また、様々な異能を操る(?)ホストを登場させることで、一種の集団推理となっているところなど、今後も各キャラがさらに立てば人気を博することも可能だろう。映像化されてもおかしくない。