MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/09/10
東 直己「義八郎商店街」(双葉社'05)

北海道を舞台にした一連のハードボイルド作品で知られ、'01年『残光』で第54回日本推理作家協会賞を受賞している東直己氏。本書は「小説推理」誌'04年2月号〜11月号に連載された同名の作品が単行本化されたもの。

悪徳サービス業に引っ掛かり、家族を抱えて絶望した男が、義八郎商店街にやって来た。 『義八郎商店街』
義八郎商店街御一行が慰安旅行に出掛ける時、この街に恨みを持つ男たちが泥棒にやって来る。 『慰安旅行の夜』
「義八郎商店街」にマスコミの人々を呼び入れる画策。その真の目的が達成されるまで。 『座敷童子騒動』
不良高校生からの集中的ないじめにあって、世界に絶望する小学生。彼は果たして……。 『公園にて』
喫茶店の老人を誑かす中年女。不動産詐欺だと判っているのだが本人が頑なで……。 『街角の恋』
おれおれ詐欺を働く若者たちが、義八郎商店街の銀行で捕まりそうになり老人を犠牲にした。 『おれおれ詐欺』
ボランティアの地域ラジオを組織する人々が義八郎商店街を蝕む。そのボランティアの中にも……。 『義八郎村ラジオ』
義八郎商店街の側にそびえ立つ高級マンション。その内部にも人生に絶望する人がいた……。 『桜台タワー』
ラジオの進出により、義八郎商店街のシンボルが次々消滅させられそうになる。この街と、謎のホームレス・義八郎の真の姿とは……。 『消滅』 以上九編から成る連作短編集。

旧き良き時代を伝える商店街と、ちょっと不思議な人物と。気分爽快でちょっと哀しい物語
主に年寄りを中心に営まれる”義八郎商店街”。隣近所の信頼関係、義理と人情といった昔ながらの日本が持っていた”良さ”と”温かみ”が詰まった人々が数多く商売を営む商店街だ。それでいて、その裏には”武闘派商店街”の異名を持っているところがとにかく面白い。偶然、ないしはこの商店街を狙ってやってきた悪人は、警察ではなくその商店街に住む人々によって撃退されてしまうのだ。まずはこの部分、痛快。年寄りや非力だと侮っていた人々が、実はものすごい力を隠しもっていて、その町内の目的のためなら一致団結してコトにあたってゆく。さらに商店街近くの公園に住みついている”義八郎”の存在。不思議な力を発揮する彼により、町の平和は今日も保たれる――というのが前半。悪人はやっつけられ、「弱者が実は弱者ではない」という意外性と共に強烈なクライマックスが存在している
一方、「義八郎」とは誰なのか? という物語世界の謎に迫る後半の作品に差し掛かると、物語の色合いが若干異なってくる。彼らの力をもってしても撃退できない、善意の思い込みによる街起こし。実はその背景にはいろいろ複雑な事情があって、商店街及び義八郎は、別の存在に狙われていることが強調されてゆく。 一話一話で完結し、勧善懲悪・信賞必罰(?)が必ず施されているものの、物語空間は前半に存在した位置から着実にファンタジックな方向へとズレている。このあたりは、読んでいて若干の違和感を覚えた。武闘派という登場人物の属性が徐々に抜かれ、商店街の人々によるコージー(これもちょっと違うか)的雰囲気が薄れていく展開にはちょっと戸惑いを感じる人もいるはずだ。
個人的には義八郎という存在をラストまでずっと謎めいたものにしてしまっても良かったのではないかと思う。この点を追求していった結果、後半部はこの世界の「まとめ」に入ってしまうかのような印象が強くなる。ただ、その結末は実に意外(伏線なんてあったっけ?)であり、寂しく哀しさを感じさせる展開にて物語は閉幕へと向かっていく。印象という意味では、これはこれでありなのだろう。けれど。

水戸黄門的な勧善懲悪世界が楽しい前半。その前半によって盛り上がる気運が寂しい方向へと傾いていく終盤。通常のミステリを読む時とは別の意味で驚きのある物語だと思う。とはいえ、いきいきとして元気な登場人物たちによって、なんとも暖かな気持ちにさせてくれる作品である。


05/09/09
歌野晶午「女王様と私」(角川書店'05)

『野性時代』二〇〇五年四月号〜六月号に掲載されていた長編の単行本化。作品だけでなく造本そのものにいろいろ仕掛けがある。帯の「今年最大の問題作」というキャッチコピーもあながち的はずれではないが、年を越したらこの帯、どうするんでしょう?

真藤数馬は延延と喋りまくる母親を前に食事をしていた。父親はまだ帰宅していない。数馬は必要なだけの栄養を取り込むと食事を残したまま席を立つ。うんざりだった。翌日、真藤数馬は絵夢を連れて家を出た。門扉を押し開け、こぬか雨のなか、絵夢をしっかりと抱き寄せてひとつ傘のなかを昼下がりの住宅街を歩き、駐車場へと向かう。自分の黒いSUVに乗るまで100歩。そして数馬は助手席に座る絵夢に話しかける。「さてさて、どこに行きますか」「んー、どこでもいーょぉ」「そういう主体性のない答が一番困るんだよなあ」「ぢゃあ渋谷ぁ」ということで渋谷へ、しかし結局別の場所に数馬は向かう。到着したのはなぜか日暮里繊維街。そして、数馬はそこで女王様と出会った。

物語冒頭数ページから飛び出す、いくつもの「禁断」。あらすじ説明不可の「禁断」多用のミステリ
ある意味『葉桜の季節に君を想うということ』あたりから歌野作品に入った読者には、この作品はキツイかと思う。何を書いてもネタバレになるというその内容はもちろん、無職独身のオタク(というよりかはオタク的性格・外観をステレオタイプにしてその知性を抜き取った人物)を主人公に、独特の会話文体が脳味噌を裏側から刺激するこの展開。衝撃は強いとはいえど綺麗にまとまった本格ミステリである『葉桜』一冊だけの読者であればショックを受けてもおかしくない。「歌野さんどうしちゃったのー?」という悲鳴が聞こえてきそうだ。
だがしかし。歌野晶午という作家の本質はむしろこの作品の方にさらに良く出ているように思う。いかに読者を驚かせるかというミステリ作家としての命題を真摯に受け止め、その実践を、今まで誰もやったことがない実験的試みにて実行してしまうという独創性。本格という古来からの形式やルールにあまりこだわらず、それでもしっかりと伏線を張り、奇妙に読者を納得させてしまう「歌野本格」とでもいうべき独特の枠組み。 良くも悪くもそういった本格ミステリ作家として(良い意味での)問題児的な部分が、これまでの歌野晶午作品の歴史のなかには幾つかあって、それがこの作家の持ち味だと思うのだ。(もちろん、やろうと思えば精緻な伝統的本格ミステリも書ける方なので、そのギャップがまた読者を惑わせるわけで)。
そして、中盤に本書では従来のミステリでいうとかなり強烈な禁じ手すら使用してしまっている。ただ、その禁じ手を単純に利用するのではなく、主人公の置かれた立場であるとか性格であるとか、その禁じ手に至る過程もまたミステリに繋げている点も見逃してはならない。「やってはならない」ことをやるために、「やってはならないことをやってもおかしくない空間」を、わざわざ演出してしまうのが、歌野晶午。人と同じことをやらないだけでなく、それを無理矢理にでも読者に納得させてしまうだけの力を本作からは感じる。
読了後に見返しを目にした時、新たな驚きが感じられるのだが(真の意味でのオタク的要素はこの部分にしか見受けられないように思われる)、考えてみればカバーそのもの、帯に隠れているけれどこの妖艶な美女のイラストすらミスリーディングの一環として機能しているではないですか。

確か読了したこと自体を日記に書いてもう一ヶ月くらいになるかもしれないが、改めて時間をおいて本書を検討するに周到な試みと仕組みと両方が心に蘇ってきた。改めて頁を確認すると微妙な伏線も張られており、通常の本格ミステリ評価の延長線でもやはりそれなりに評価して良いのではないかと思うのだ。改めて書くが、「今年最大の問題作」というコピー、あながち間違いではない。


05/09/08
都筑道夫「幽霊博物館 都筑道夫少年小説コレクション2」(本の雑誌社'05)

幽霊通信』と同時配本された、都筑道夫によるジュヴナイルコレクションの二冊目にあたる作品集。本作では、前作に引き続き「おばけ博士・和木俊一」が活躍する連作一本と短編が三本、さらにミステリ味の強いノンシリーズ短編が三本収録されている。巻末エッセイは辻真先氏。

『ゆうれい博物館』 幽霊や妖怪の仕業としか思われない事件が発生、その謎を名探偵・和木俊一がさらりと解き明かす……。 
崖の上に建つ明治調の西洋館。誰もいないはずのその館ではしばしば幽霊とも思われる姿が目撃されていた。その館を探険にきた少年たちの前に、巨大な人影が現れ、訪れた警官と戦いはじめるが相手の姿は見えない。さらにその警官は胸に短刀が刺さって殺されてしまうが犯人の姿はみえない。さらにその警官はにせものだった……。 「第一話 崖上の三角屋敷」ほか、「第二話 のろわれた人形」「第三話 人魚殺人事件」「第四話 星の亡命者」「第五話 幽霊は昼歩く」
 『血をすうへや』『鬼がきた夜』『殺人迷路』 以上三編が和木俊一ものの短編。
正子が祖父の家に見舞いに行った夜、廊下に鬼のような顔が見えたという。兄の大学生の一郎は、その話を聞いた翌日、すぐに祖父のところに出向き、何か金目のものが無くなっていないか確認をする。祖父によれば金庫に入った絵巻物が確かにすり替えられてしまったのだというが……。 『鬼の顔』ほか、ノンシリーズ短編『午後十時の日食』『黄色いポロシャツ』『五ひきと二羽が消えた!』『竜神の池』『帰ってきた幽霊』

少年少女の奇妙な冒険譚+アクロバティックな着地を決める。都筑ミステリの真髄が凝縮
ゆうれい探偵・和木俊一が登場するということもあって、先にまとめられた『幽霊通信』と、さすがにトーンとしては似通っている印象を受けた。とはいえもちろん、そのレベルが下がったというわけではない。おばけやゆうれいの仕業としか思えない状況が発生、そのことに興味をもった少年少女が確かめに赴くと別のかたちで危地に陥り、それを和木俊一が救う――というのが、ひとつのパターン。だが、そのパターンにしてもディティールがそれぞれの作品で凝っており、まずそのディティール自体が面白いのが特徴だろう。特に、連作「ゆうれい博物館」にその傾向が強く、幽霊屋敷から始まり、持ち主を問わず壊されていく謎の人形、海の上で目撃される人魚、宇宙からやって来たと名乗る青年……、とかなり突飛な謎が供される。ただ、そのその怪奇現象そのものに、最初からいろいろな伏線が込められており、何がなんだか分からない目に遭わされた子どもたちもきっちり納得のできる現実的な事件へと、最終的にすりあわせが為されるので安心して読める。
確かにその”現実的な事件”については、麻薬密輸団であったり大掛かりな泥棒一味であったり国際スパイ団であったりと、その背景にある何かについては若干の荒唐無稽な部分が存在する。個人的には、こういった悪意ある存在の方をあまり現実的な存在として描写しないようにしている点に、逆に都筑道夫の配慮を感じるのだがどうだろうか。あくまで、物語の世界にて、子どもたちが心の中で冒険をすることは良い。ただそれを現実と陸続きにすることは一般向けの小説としては当然であっても、ジュヴナイルという特性を考えた時にはあまり相応しくないように思える。なので、わざと犯罪組織といったちょっと子どもたちと無縁の存在に犯人役を引き受けさせたのではないか(まあ、大掛かりな仕掛けをするのに都合が良いという部分もあるだろうけれど)。とまあ、つらつら考えるのである。

少々お高いことはもちろんあれど、都筑ファンならばまず「買い」。また、本格ミステリの原点をみるかのようなこのトリック群、これらがこれだけ楽しめる点、前も書いたがやはり結果的に今買っておくことが「お買い得」だと思われる。……でも、自分だけの楽しみに取っておきたくなるような、そんな作品集。


05/09/07
はやみねかおる「オリエント急行とパンドラの匣 ―名探偵夢水清志郎&怪盗クイーンの華麗なる大冒険―」(講談社青い鳥文庫'05)

青い鳥文庫のはやみねかおる作品といえば、まずは「名探偵夢水清志郎シリーズ」であろうけれど、近年は「怪盗クイーンシリーズ」も確実に冊数を重ねている。本書は、その両シリーズの名探偵&怪盗が共演(饗宴?)するというファンには夢のような作品。

雑誌『セ・シーマ』の編集者・伊藤さんからの強引な勧誘により、オリエント急行の取材に出向くことになってしまった夢水清志郎。また地中海からは、陸に揚がった海賊・ビルの息子ジャックが、占い師のお告げによってオリエント急行に乗車することになる。トルコの政財界に大きな影響を持ち犯罪組織『黒猫』を組織した双子・ジェラールとジャンダンは盗品「パンドラの匣」をオリエント急行を使って国外に持ち出そうとしており、その組織を追って国際刑事警察機構(ICPO)の探偵卿でフランス人のマンダリンが列車に乗車することになっていた。またマンダリンの跳ねっ返り娘・ボタン、意地を張りすぎてジョーカーやRDと仲違いをしたまま家出同然に飛び出てきた怪盗クイーンもまた、この列車の乗客となっていた。パンドラの匣は二十センチほどの小箱。イスタンブールから出発した列車は、さまざまな人々の思惑と、将来の騒動のタネを山ほど乗せて発車した……。

「名探偵」と「怪盗」。相容れない存在の二人を「赤い夢」のなかで対決、そして両立させるためには……?
記憶力が全くなく、貪欲な大飯食らい、それでいて突如として怜悧な推理力を発揮する名探偵・夢水清志郎。普段は世界最高の人工知能を搭載した飛行船で移動、派手な予告状を出して欲しい品物を必ず盗み出してしまう怪盗クイーン。これまでの作品でも二人は顔を合わせては来たが、今回はスペシャルにその二人の完全なる共演が実現しているのが特徴。
ただ、今回はオリエント急行ということもあって彼らに加えて準主役クラスや、今回のみの登場人物など多くの人々が登場。その掛け合いが実に楽しく、大人であってもこの緩急のついたボケやツッコミには笑わされてしまうこともまた間違いない。まず、ミステリとなる作品の全体をユーモアと優しさで覆ってしまうのがはやみね作品の人気の秘密で、本作ではそれが従来以上に効いている。また「なぜパンドラの匣は列車から消えたのか」「空を飛ぶ謎の首の正体は?」といったあたりに、様々な本格ミステリ的な工夫が凝らされており、これもまたシリーズ通じての特徴だといえるだろう。
そういった水準を全てクリアしながらなお、小生が驚かされたのは「名探偵」「怪盗」の共演をやすやすと実現してしまっていることにある。普通であれば、名探偵が謎を解き、怪盗を捕まえてしまえば名探偵の勝ち、逆に探偵を出し抜いて怪盗が品物を盗み出したら怪盗の勝ち、ということでこういった対決には優劣がつきもの。しかし、二人の主役格に優劣をつけるわけにもいかない――といった命題を、さらりとこの作品ではクリアしてしまっているのだ。
もちろん、夢水やクイーンより格下(物語世界のなかでは格上ということになるのだろうが)の探偵と盗賊を登場させていることもそのポイントのひとつ。しかし、その存在抜きにしてもこの作品においてはとある属性をパンドラの匣に付随させることで実に巧くその問題を解決している。どちらも「自分が勝った」といえる結末なのだ。このあたり作者がかなり工夫したのではないかと推察するが、それを過剰に表に出さないまま赤い夢の住人たちに花を持たせている点、プロの仕事だと感じられた。

……とまあ、いろいろ思うところはあったけれど単純に物語を追って楽しいのは、これまでのはやみね作品と同じ。夢水&クイーン対談などおまけ(?)も多く、素直にいろいろな人(特に小学生以上)に読んで貰いたい作品だと思う。


05/09/06
椹野道流「人買奇談」(講談社X文庫ホワイトハート'97)

今や二十冊以上が刊行されているホワイトハートの人気シリーズである「奇談シリーズ」の第一冊目にして、作家・椹野道流さんのデビュー作品。第3回ホワイトハート大賞「エンタテインメント小説部門」佳作受賞。

複雑な生い立ちを持ち、美大を目ざして家を飛び出して自活していたものの住んでいたアパートが火事で全焼して一切を失った琴平敏生。自棄になり彷徨い歩くうち、力つきてある屋敷の前で力つきる。そんな彼を助けたのは屋敷に住むミステリー作家の天本森。実の母が精霊であり、その守護を受ける敏生を助けて欲しいと精霊が天本に頼んできたのだという。天本も、実は精霊を使いこなして霊障現象と鎮める能力の持ち主で、「組織」に属する腕利きの術者であった。天本は、敏生の能力に気付き、行き場のない彼を家に置き、二人生活を開始した。天本は敏生に助手になることを要求、敏生は自らの能力に疑問を持ちながらもその条件を受け入れる。エージェントである早川が天本家を訪問、彼らは『人買塚』の伝説があり、最近変死人が続く有馬の保養施設に赴くことになった。

由緒正しき日本の正統派・オカルトアクションシリーズ(BLがそれなりに入ってはいますが)
ちょいと個人的に理由があって椹野作品を読み出した二冊目。
全く、このシリーズ自体に予備知識なく作品に臨んだ今回、デビュー作品というよりも、既に手慣れた作家のシリーズ冒頭作品のような印象を受けた。特に主人公格の二人、天本森と琴平敏生のキャラクタ造型がかっちりしているところに印象が残る。この二人の関係にBLを突っ込んでいるところがレーベルの意向なのか作者の方向性なのかはとにかく、その点が一般小説読者向けではないところを除けば、正統派、かつオリジナリティの高いオカルト・アクションである。ある程度、人物や背景に含みと「謎」を持たせ、次巻以降に繋がるように最初からしているところなど(デビュー作品として)お見事。
物語の骨子はシンプルで、組織に属する術者である主人公たちが、人を害する妖魔と戦うというもの。この筋書きだけであればありきたりといっていいし、戦い方そのものについてはオーソドックスな妖魔vs術者であり、これまでの伝奇作品を超えるような工夫はここにはない。むしろ見どころは、ただ単に妖魔を”悪”と見なすのではなく、そういう存在になった理由やその背景まで含め若干の「謎」を解き明かすことによる「なぜ」に回答を与えてくれるところがポイントか。それが結果的に戦いました正義が勝ちましたというような単純なストーリー以上に、物語全体に奥行きを発生させているように感じられる。
あと恐らくは、小生のような擦り切れたおっさん読者には感じられないような(冒険アクションパートにしろ男x男の組合せにしろ)ドキドキ感覚を本シリーズを支持する読者は感じているのだろう……ということも想像がつく。だが、その点についてはさすがにワタシから語るのは憚られるのでパス。

作品が継続していく人気シリーズとなるためには、最初からそれなりの奥行きや背景が作り込まれているという、当たり前の事実が再確認した感。さすがに読書のターゲットが異なるので全部は無理でも、あと何冊かは読むつもり。


05/09/05
牧野 修「記憶の食卓」(角川書店'05)

「週刊アスキー」誌に二〇〇四年三月から六月にかけて掲載されていたノンシリーズ長編で、その後e-NOVELSにてWEB上での購読が可能だった(今も)作品。帯には「ホラーミステリ界の旗手が放つ傑作長編エンタテインメント」とあるが、牧野さんてそういう位置づけでしたっけ?

折原が勤めているのは「日本リストサービス」という会社。社長の他に事務員の高崎美也がいるだけの、いわゆる名簿の売買を商売としている「名簿屋」である。給料は安く残業代もつかない仕事で、美也が勝手に注文した残業夕食のチャーハンも折原は実は嫌いで食べることができない。その残業中、ふと今日買い込んだ名簿の山のなかにあった薄っぺらい冊子に折原は気付いた。顔写真と現住所が記されたその名簿のなかに、折原自身の顔と名前が記されていたのだ。折原自身、その他記載されている人物に心当たりがなく、なぜそこに自分の名前があるのか判らず、薄気味悪く感じる。そして帰宅して何気なくテレビをつけた折原は、最近巷を騒がす猟奇連続殺人事件の被害者が、その名簿に掲載されていることを発見。更に調べると、事件の被害者四名の全てが名簿に記載されていた。愕然とする折原宅の電話が鳴り、ノイズ混じりの「おいしかったかい」と彼に尋ねる謎の声が……。

個々のシーンの強烈にして鮮烈な印象で恐怖を喚起。ミステリよりもホラー強調のホラー・ミステリ
この折原を主人公とし、事務員の高崎美也とが名簿の謎を追う一連のパートと、もうひとつ小学校六年生にして独特の知性を持ち、世界からの疎外感を覚えている遠藤悟一なる少年のパートの二部構成にて物語が形成されている。折原のパートでは、その謎の名簿を追う二人が、残りの掲載者とコンタクトを取っていくうちにやはり殺人者に追われるようになってしまうという強烈なサイコ・サスペンスが繰り広げられ、遠藤悟一のパートでは、そんな彼にまとわりつくちょっと変わった同級生・田辺珠美佳との二人が巻き込まれる恐怖の体験が描かれてゆく。そのどちらにも題名に「食卓」とある通り、食にまつわる不気味なエピソードが繰り返し描写されてゆく。
元より牧野氏は、何か独特の強迫観念に毒されてしまったサイコな人々を執拗に描かせると実に巧い。そのサイコ描写の巧さをミステリの形式に応用しているのが本作というのが小生の印象。名簿に記載された人々の異常性から、その殺人鬼の目的といったところが徐々に浮かび上がってくる展開には、この描写の巧さが欠かせない。もう一方のパート、遠藤悟一自身も少々変わった性格の持ち主であるが、途中から登場する「ボーシ屋」の不気味さは、ホラー小説のそれ。淡々と展開するこちらのクライマックスの方が、衝撃がより大きい。中盤以降の展開はネタばれになるので避けるが、読者の厭な想像をそのままそれ以上厭な方向へ引きずり込む手法は悪魔的であり、強烈であるとだけいっておきたい。
そして、この二つのパートもミステリである以上は繋がってゆく。その繋がり方もまた、物語における狂気のエピソードによって為されているのが良くも悪くもポイントになっている。狂気とサイコによる論理の綱渡りのうえに成り立つこの連係は、かなり際どい。 ゆえに現実味や巧緻なロジックを要求するようなミステリ系統の読者にとってはちょっと不満が残るかも。むしろ、このトンデモ感覚を楽しめる余裕が読者に要求されるともいえる。それでも、個人的には物語内部の落としどころとしては、結構綺麗に着地しているのではないかと思うのだが。

以前、何かのあとがきで「ホラーとしても理屈づけをしてしまう」と牧野氏が述べていたように記憶している。そして牧野ホラーにおける理屈づけにはしばしばミステリの手法が取られている。本書においてもやはりその印象が強く、恐らくホラー品として牧野作品を愛好する読者にとっても違和感はないはず。ホラー・ミステリであっても一連の牧野ワールドに繋がっている長編であることもまた間違いない。


05/09/04
東川篤哉「交換殺人には向かない夜」(カッパノベルス'05)

密室の鍵貸します』にて'02年に「カッパ・ワン登竜門」の第一期としてデビューして以来、東川氏はカッパノベルスでは、この「烏賊川市シリーズ」(というのかどうなのか)を発表し続けている。本書はその四冊目にあたり、だんだんこの独特の”ヌルさ”加減が病みつきになりはじめている今日この頃。

以前の事件で関係した十乗寺十三からの紹介状を手にし、善通寺咲子なる女性が鵜飼杜夫の探偵事務所にやって来た。彼女の夫は画家の善通寺春彦で、その夫の浮気を彼女は疑っていた。現在、下宿している遠縁の娘が夫の浮気相手なのではないかと彼女はいう。烏賊川市から離れた山荘に住む善通寺家へ、鵜飼は運転手として、そして鵜飼の大家で美女の二宮朱美がメイドとして潜入捜査を行うことになった。一方、探偵の助手・羽村流平は、以前の事件で関係した十乗寺さくらから、突然の連絡を受け取っていた。彼女の友人がさくらにカメラ店にある中古カメラの購入を頼んできており、その買い物に付き合って欲しいのだという。さくらのことを憎からず思う流平の返事はもちろんOK。更に、さくらと共に彼女の友人である女性のもとへ、カメラを届けにゆくところまで同行することになり妄想は膨らんでゆく。善通寺家では、咲子が外出の支度をして出てゆくのだが、どうやら鵜飼・朱美のみるところ善通寺春彦の様子がおかしい。そして雪が降りしきるその夜……。

独特の笑いだけではなく、プロットの本格としてじっくり読ませる。東川ワールド、確立中
題名に堂々と謳っている以上「交換殺人」が今回のテーマ。ただ、それらしき思わせぶりな描写はあるものの、事件の核心はなかなか見えてこない。このテーマを扱う作品の多くは、一般的に倒叙の形式を取るように思われるのだが、本書の場合、誰が誰と、そして誰を殺害しようとしていたというあたりがなかなか見えて来ず、むしろその「誰」に当てはまるのが登場人物の誰なのかというのが「謎」を形成している。ただ、物語展開のテンポが良く、キャラクタの動きが面白いので「謎」が明らかにされずとも、ぐいぐいと作品世界に引き込む力は強く存在している。
また、その交換殺人の謎だけならば普通のミステリなのだが、トンデモというかもうひとつ驚天動地の仕掛けが作品中に施されているのがポイント。 登場するある主要人物の”個性”というか”キャラクタ”というものに壮絶な仕掛けがあり、この点自体に大きなサプライズがあり、補助線ともなっているという不思議な構成となっている。中盤まで読んで「東川篤哉の女性キャラクタは個性的なのに、男性キャラは結構性格が被っているよなー」と思ったところが、まさか作者の誘導だったとは。しかしこのトリック、大胆すぎる内容ながら伏線もあり、また東川氏の作風であるユーモア精神とに微妙に繋がっているがために、目眩ましと納得性を同時に兼ね備えてしまっているのは怪我の功名か作者の作戦か。むー。でもやられました。おみごと。
付け加えておくと、東川氏のベタなユーモア描写は、全部が全部笑えるというものではない。時々はあざとすぎるし、時々は演出過多だったりとところどころ引っ掛からないでもない。人によって好きずきあろうけれど、はっきりいってワタシは好みだ。今回は、「二人はラーメンを食べながらしばらく楽天的な会話を続けた。」という一言がとにかくツボで、座布団を差し上げたくなった。

シリーズが絶好調に入った印象。最初は何となく読み続けていたこのシリーズ、今や今後が楽しみで仕方ないというポジションにワタシのなかでは持ち上がっている。いや、実に楽しい。


05/09/03
近藤史恵「南方署強行犯係 黄泉路の犬」(トクマノベルズ'05)

”近藤史恵初の警察シリーズ”という触れ込みで刊行された『南方署強行犯係 狼の寓話』から二年、シリーズ二冊目がこのたび刊行された。

南方署の管内で強盗傷害事件が発生した。被害者は幸いにして軽傷で被害額も数万円で済んだが、飼っていたチワワが合わせて盗まれていた。被害者の女性は担当刑事がそのことを深く取り上げてくれないことを不満に思い、自ら迷子犬情報を出していたところ、ある主婦から連絡があったと名物女刑事である黒岩を尋ねてきた。黒岩と、彼女とコンビを組む會川圭司はその主婦からチワワを引き取ったという女性を辿る。その女性・驫木有美は親の遺産で暮らすという彼女の自宅は近所でも有名な犬猫屋敷。犬の鳴き声から異常を察して捜索を開始した二人の目の前に現れたのは、狭い部屋に閉じこめられ、衰弱と共食いをしている犬猫たちと、その真ん中にぶら下がる驫木有美の死体という地獄絵図だった……。

愛玩動物を巡る問題を社会派風に提起しつつ、本格トリックを潜める手腕も見事
アニマル・ホーダーという世間的にはまだあまり認知されていない(小生がよく知らないだけだったらごめんなさい)病的心理を中心に取り上げている。動物たちを抱え込んで決して手放さない人たち。それがどういう人々なのかは、作品の内容に触れるところがあるのでここでは詳しくは述べない。
そういった人々と同時に動物愛護ボランティアの人々の苦悩や、ブリーダーたちの無軌道や功利主義、自覚のない無責任な飼い主たちの実態を赤裸々に描き出している。それらの(あまり実際に取り上げられることのない)社会問題を、本格ミステリというかたちを崩さないままに読者に訴えかけてくる手腕が見事だと思う。特に本書にて使用されているトリックの根幹部分にこのアニマル・ホーダーの心理を応用し、きっちりリンクさせている点もミステリとしてのプラスαとして印象を強くしている。
動物好きを自称する方にとって本書の内容(というか視線)はかなりショッキングなものを孕んでいる。真剣な方なら首肯できる内容である反面、一部のペット好きの方のなかには逆に気分を害される人もいるかもしれない。ただ、それでも近藤さんの冷徹で公平な目線の前では襟を正すしかないのではないか。

「整体師シリーズ」においても近藤さんは、現代社会における精神病理といったものを取り上げてきており、本書もそういった意味では一連の作品に連なる構造を持っている。 その結果――というわけでもないだろうが、当初このシリーズで掲げられていた「警察小説」としての匂いは若干薄れてきている。主人公の葛藤などを通じて、青春小説っぽく仕上げてゆく、近藤流にこのシリーズもまた馴染みはじめているということかもしれない。


05/09/02
霧舎 巧「九月は謎X謎修学旅行で暗号解読」(講談社ノベルス'05)

傑作学園ラブコメミステリ「私立霧舎学園ミステリ白書」シリーズ。四月から始まった六冊目が本書。
確か以前にこのシリーズの第一冊目にあたる『四月は霧の00密室』を読んだ時、このシリーズはもう読まないようなことを書いたかも……と思っていたらやっぱり書いていた。だが、決して数は多くないながら、この『九月…』の評価を各所で見るにつけ、改めて手にとってみた。シリーズ半ばを抜き読みすることについては……、まあ仕方ないと思ってくださいまし。

修学旅行で京都にやって来ている私立霧舎学園二年の羽月琴葉と小日向棚彦。彼らは琴葉の担任・脇野により、他の生徒とは別扱いで、京都にある倉崎家に連れてこられる。どうやら理事長の指示らしく、その倉崎家の住む館に連れて来られる。その倉崎家の当主が、館内部に「アステカの秘宝」を隠しており、その隠し場所を解く暗号を解き明かせという理事長の指示によるものらしい。倉崎家には当主の敬吾と、三人姉妹、そして使用人がおり、その次女である明日香と大学で同級生だったという”探偵”なる様もまた、館を訪れる予定になっているという。しかも使用人に化けて、明日香の母親で警視庁に勤務する倫子もまたその屋敷に潜入していた。訪れた二人の前で早速、その明日香が行方不明となってしまう事件が発生。その鍵となるのはプリクラに書かれている文字だった。一方、霧舎学園三年の自称”名探偵”頭木保も、校舎のなかで不審な書類入れを発見していた。彼は彼で学校内部の謎を解き明かそうとするが……。

前段の暗号活劇と後半の謎解き。ぎっしりと謎が詰まってお徳用ボリュームの本格ミステリ
館の主人が建設した数多くの奇妙な像のある中庭。そこにあるとされる財宝を示したと思われる謎の暗号。加えて、誘拐犯人から探偵に向けて仕掛けられる暗号と、題名にも示されている通り暗号尽くしの内容となっている。特に後者については、京都と東京で別々の探偵が取り組む謎解きが、両地共通の暗号が使われている点が特徴。また、それが「1四銀」など、将棋を 思わせる言葉を次々と追いかけるゲーム仕立てになっている点は面白い。個人的にミステリにおける暗号は、どうしても単なる作者の自作自演になる傾向があると思っており、その点について危惧していたが、うまくプラスα(この場合は誘拐と絡めたサスペンス)の趣向を加えることによって興味を持続させることに成功している。
ただ、感心したのは暗号そのものというよりも、実は明々白々に作品内に伏線が仕掛けられている、エピソードの謎に対する解決の方。 ○○トリックを絡め、終盤に矢継ぎ早に繰り出される、作中人間関係における謎解きは読み応え十分。というか、その点に関しては謎を謎と思わせない中盤までの作品構造が微妙に効いていて、その周到さには感心させられた。ちょっと気になったのは後半部に一気に慌ただしさすら感じさせるなかで謎解きが為されるため、それぞれちりばめられた謎の焦点がぼやけてしまうこと。(某本格系作家のマシンガン的謎解きを想起した)。かなり作り込まれた多数の謎なのにこれだけ一気に開陳されると個々の印象が薄れてしまう点はやはり難点。
相変わらずというか舞台設定は意図的にかやたらとフィクショナル(非現実的)だし、登場人物も完全に「駒」として使われている印象。動機にしてもとってつけたような感が否めないが、恐らくそれも意図的なものなのだろう。 その一方で、ラブコメ色が当初に比して薄くなっているように思われる節もあり、ライトノベル的な展開に目くじらを立てない向きには実はお勧めできるように思われた。

やはり表紙イラストが中年にさしかかった自分には一つの壁。そのイラストを含めて軽めに仕上げられている点は、良くも悪くも、年輩読者を排除しているとすら思わせる。だが、個々にはいろいろあるものの、十二分な本格精神が込められている点に改めて気付かされたことが収穫であった。(作者には失礼かもしれませんすみません)。


05/09/01
ほしおさなえ「天の前庭」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

元は「大下さなえ」名義の詩人であるほしおさなえさんの一般小説デビューが、第12回鮎川哲也賞の最終候補作でもあった前作、『ヘビイチゴ・サナトリウム』。本書は続いての二冊目の単行本。書き下ろし。

二〇〇一年八月。西原高校の新校舎建築の基礎工事の最中、白骨死体が発見された。死体は女性のもので、共に発見されたボールペンに警察は注目した。市販されているものではなく、1995.3.20の刻印があったのだ。捜査の結果、ボールペンは西原高校の卒業生である白萩尚(なお)が発注したものと判明、彼女の供述によるとほかに持っているメンバーは神林徹、中里柚乃、そして有島秀人なのだという。神林は出版社勤務、有島は大学院に通っており健在、そして柚乃は高校生の時に事故に遭い、そのまま意識不明のまま未だ入院していて、死体の該当者はいなかった。その柚乃が病院で九年ぶりに目を覚ました。しかし彼女は事件以前の記憶を全く喪っていた。ツグミさんなる、その事故で亡くなった柚乃の父親と交際していたという女性がずっと意識のない柚乃の面倒をみてきており、彼女が柚乃を自宅に引き取り、二人は生活を始める。彼女が保管していた柚乃の身の回り品のなかに旧いパソコンがあり、事故に遭う直前までの日記が残されていた。記憶を取り戻そうと、柚乃は他人事のようにその日記に目を通す。そこには親友の尚、そして神林や有島と柚乃が仲良くしていた記録があり、またユナなる柚乃そっくりの女の子が登場していた。尚や神林と再会を果たした柚乃であったが、彼らはユナなどという女の子など知らないという。

ドッペルゲンガー。滅びた世界。一流の青春ミステリに独特のスパイスがピリリと効いて
前半部はどちらかというと派手さはないが落ち着いた展開である。ちょっとした(それなりに多くの)謎めいた記述はあるものの、主人公の柚乃をはじめとした、男性二人、女性二人が健全かつ楽しい高校生活を送っている描写は、微妙な高校生男女の心象がよく捉えられていてまずは青春小説としての巧みさを感じさせる。一方、後半部に至ると、登場してきたドッペルゲンガーやアカシックレコードに加え、テキストにところどころ挿入される滅びた世界のエピソードであるとか、哲学的に突っ込んだ教義を持つ新興宗教であるとかが徐々に意味づけされてゆき、幻想味と超現実が物語を侵食する。 本格ミステリとして現実レベルで解かれる謎ではなく、そういった超現実のレベルで物語の不可思議を説明しようと試みられているせいか、多少ストーリーががちゃついてしまっている感は否めない。
主人公の母親がなぜ蒸発したのか、父親はなぜ事故で死ななければならなかったのかといった具体的な事象に加え、日記に登場するユナの存在であるとか、やはり前半部でミステリとしてのニュアンスを持つエピソードを多数登場させすぎたのがやはり、その印象の主因か。本格ミステリとして読むのでなければこういった点は気にならず、むしろ物語世界の変質・変転をサプライズとする青春ファンタジーとしては水準以上の出来映えだと思われた。また、全編を通じて不思議と暖かい雰囲気で物語全体が覆われているのも特徴。人の死や絶望といった状況が演出されているにもかかわらず、不思議と物語全体に殺伐とした雰囲気があまり感じられないところも、ほしおさなえという作者ならではの創造力だといえるのだろう。

「ミステリ・フロンティア」というレーベルらしい、とらえどころの難しい、新しいタイプのミステリだといえる。やはりトータルとしては超現実含みの青春ミステリーというあたりに落ち着くのだろうが、感性によって受け取られ方が若干変化しそうな、微妙な構成と文章によって形成された物語である。


05/08/31
奥泉 光「モーダルな事象 桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」(文藝春秋本格ミステリ・マスターズ'05)

芥川賞作家でありながら『グランド・ミステリー』や『鳥類学者のファンタジア』などエンタメとも境界を問わない作品創造を続ける奥泉光氏。本書で十八冊目を数える、本格ミステリ・マスターズのために書き下ろされた作品。脇役ではあるが、登場人物の一部は『鳥類学者のファンタジア』と重なっているようだ。

麗華女子短期大学で日本近代文学の教鞭を執る桑潟幸一教授。出世においても学業においても私生活においても全く冴えない桑潟氏であったが、執筆協力をした『日本近代文学者総覧』においても、執筆を切望した太宰治の項目は若手評論家に攫われてしまい、埋め草のマイナー作家数名の記事しか書かせてもらえず鬱屈した日々が継続していた。しかし、その時に近代のマイナー作家・溝口俊平について書いたことが縁で、研修館書房の猿渡なる編集者の訪問を受ける。猿渡は、その溝口俊平の未発表作品が書かれたノートを瀬戸内海の久貝島で偶然に発見したというのだ。猿渡は、研修館の雑誌『言霊』にその作品を発表しようとしており、その序文を桑潟に依頼してきた。傍目には嫌々引き受ける桑潟であったが、内心は得意げでそんな折り、猿渡は桑潟にこのノートが桑潟の手によって発見されたことにして欲しいという依頼をしてくる。「久貝集」と名付けられた溝口作品は、桑潟によるとどうしようもない作品という評価だったのが『言霊』における評判は上々、さらに別の天竺出版が「久貝集」を出版するとの話を持ち込んできた。桑潟は猿渡と連絡を取ろうとするが彼は、既に会社を辞めていた……。

錯綜するプロット、旅情探偵小説の趣とメタフィクショナルな奥泉ワールドとを堪能
駄目・アカデミズムを自ら体現する桑潟教授の行動するパートを上記で説明しているが、次々と関係者の死体が発見されるにあたり、北川アキ&諸橋倫敦の元夫婦コンビが自称・探偵役として謎の解明にあたるパートが中盤以降に挿入され、双方から謎解きが為されるという構造になっている。特に前半部、その童話集でもある「久貝集」が馬鹿売れしてしまい鼻高々に尊大な態度を取る一方で、場合によってはやたら卑屈に変じる桑潟教授の有様は笑いを誘うし、アキ&倫敦の二人の不一致な性格が醸し出す行動などにもツボが数多くあり、全体に独特のユーモアがちりばめられている結果、まず物語として楽しく読める
さらに、この二つのパートに伝奇、SF、ファンタジー、そしてもちろんミステリの要素が絡み、ジャンルごった煮エンタとなっているのが本書の姿だ。逆にいえば「本格ミステリ・マスターズ」のレーベルのみに惹かれて本書を購入した読者は、奥泉流の眩惑に戸惑われる可能性がある。もしかすると作者は、本格ミステリを指向したのかもしれないが、一般的なそれとは共通点は少ないように思われる。やはり本書は、エンタメ全ての要素をさまざまなかたちで貪欲に取り込みつつ、だけど奥泉作品という枠組みの中に位置する物語なのだ。(この「奥泉作品」という括りが一般的なのかどうかはなんともいえないが、メタ的な趣向を含め、超現実も肯定される世界を想像して頂ければ良いかと思う)。
アトランティス、大戦中の研究施設、薬品会社の歴史……といった、ひとつひとつを例示するには書ききれないような謎や、この物語における世界の秘密が次から次へと登場し、そのひとつの謎が更に次の謎を呼ぶ展開。主人公はしばしば妄想の世界に入り、それでいてその妄想が現実ともどこかで繋がっている。その全てが解決される訳ではないながら、物語の持つ吸引力が実に強いので、するすると世界に引き込まれていく。一種トンデモ的な世界観を示しつつも、ミステリの決着についてはそこそこ安心できるのもひとつポイントだろう。ただ、語りであるとかプロットの組み立て方であるとかに、実験的な匂いがぷんぷん漂っており、奥泉氏が計算したであろうその意図/趣向を汲み取って読むのも別の意味で一興かと。いずれにせよ、この混沌は一般的な本格ミステリファンを挑発し、その一方でブンガク系から入った奥泉ファンを狂喜させる構造になっているように感じられた。

「あっちから、ダサイおさむらいが来るよ」「ほう、さよう(斜陽)ですか」 といった駄洒落から始まり、そしてここに落ち着くという展開は嫌いではない。ただ文章も明快で巧み、さらにこの混沌とした内容そのものは実に面白く楽しく読めたものの、純粋に本格ミステリの観点からすると若干の軸ズレを感じる。 そのズレ自体が恐らく意図されたものながら、現行一般的に定義される本格ミステリの枠内に作品が収まっていないから、少なくとも小生にはどこか居心地の悪いものがある。だから、ひとつのエンタメ作品としては面白いと断言できるものの、”本格”ミステリとしては疑問符は残る。むしろ、奥泉ワールドを楽しみたい人に、ミステリと思わず読んでもらいたいという印象か。