MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/09/20
朱川湊人「かたみ歌」(新潮社'05)

'05年『花まんま』にて第133回直木賞を受賞した著者の受賞後の初作品集、といっても『小説新潮』誌に二〇〇四年四月号から二〇〇五年四月号にかけて隔月連載していた作品をまとめたもの。

東京の下町にあるアカシア商店街。その中心に覚醒寺という寺社があり、かつては始終煙草を口にした店主が営業している「幸子書房」という古本屋があった。その街のかつての、そして思い出の物語。
三十年も昔のこと、私と比沙子はその下町に住み始めた。私は電柱の影からラーメン屋をじっと見つめる男の姿を認める。 『紫陽花のころ』
あの夏、虚弱な小学校三年生だった私は兄に守られて生きていた。私のことを書いた謎の張り紙が街に出現したのもこの頃のことである。 『夏の落し文』
酒屋の娘・邦子は街で見かける若い男性に片思いしていた。彼が立ち寄る古本屋で、彼女は一冊の本の隙間に自分の思いを書いた紙を挟みこむようになる。『栞の恋』
ろくでもない男に引っ掛かった元従業員の豊子を庇う初恵。だがその男が死んだ後も豊子はまだ男が家にいるかのような話しをはじめる。 『おんなごころ』
マンガ家を目ざし上京していた私のもとに紛れ込んできた一匹の猫。ある時、私の部屋に人魂のようなものが迷いこんできた。 『ひかり猫』
レコード屋の主人の若い頃。大学生だった彼は学生運動のさなか、近く死ぬ人を見分けることができる不思議な力を手に入れていた。 『朱鷺色の兆』
お寺の側にあるアパートに越してきた久仁子。お寺に毎日やって来ては石灯籠を覗いてゆく老人の存在に気付く。彼女の夫は編集者で夭折した女性詩人の本を作ろうとしていた。 『枯葉の天使』以上、七編。

昭和という一時期にあった旧き良き人情や交情をファンタジーにして昇華。この世界は「昭和時代劇」……。 (C)小路幸也さん
小説の舞台が東京の下町ということで直接繋がっているわけではないが『花まんま』と対をなす作品集のように感じられた。自分のイメージを無理にことばにすると「西のオムニバス、東の連作短編」といった感じで、舞台も形式も異なるのだが、通底している感覚に近しいものがある。
と思わせる最大の理由は、双方に共通する昭和という舞台の取り上げ方に共通性があるからだ。両者とも、現実にあった風俗や、事件(こちらはあまり強調はない)や、歴史はそのままに活かしつつ、どこかに”あったかもしれない”昭和の風景のポイントのみ抜き出して描き出している。その結果生まれているこの朱川氏による作品世界は、ファンタジーとまではいわないまでも、現代の平成の世の中に繋がってきた延長線としての昭和ではない、別の”昭和”なのだ。 ほんの十数年(舞台では数十年前)のことであるが、朱川的昭和は、記憶というフィルターを通してしか描けないもので、実際にその昭和の年代のあいだに昭和の作家が絶対に描くことのできない世界なのである。
その意味では、過去を舞台に取り上げる現代小説というよりも、その本質は時代小説にむしろ近いと思われる。人情だとか義理だとか、偏見だとか差別だとか、実際にあったかもしれないしなかったかもしれない。ある程度の縛りはあっても、逸脱があっても構わない。だけど、その逸脱にしろわざわざ検証する必要はない。時代劇に細かなつっこみを入れるのと同じくらいそれは無粋な行為だから。もちろん、この手法を否定するつもりはさらさらない。恐らく文芸の世界においては朱川氏がこの世界を恐らく真っ先に創り上げたことになるけれど、アプローチを変えながら同じ視点で昭和を見つめ、その世界を新たに造り上げる行為自体は、近年さまざまな分野で少しずつ出てきているように思うし。
おっと。そういう枠組みを別にすると、物語はひとつの商店街の一時代を通じて、ちょっと不思議な現象と人々の心の在り方とが描かれた好短編集。この不思議なことが起きても、別に不思議ではない街というテーマは他にもあるけれど、それを昭和の世界においたことでより親和性を上げている効果がある。(結局それかい)また、単に舞台として昭和を借りるだけでなく、その当時と、もっと後の時代、現代に近いところと回想の手法を用いて両方描きいて物語に立体性と奥行きを出している点、そして、さまざまな人が持つさまざまな想いをちょっとした怪異を通じて描き出す手法といった点など、どれも朱川作品の特徴。ちょっとしたサプライズを用いて印象的な物語に仕上げる点など実に巧みだ。現段階での朱川作品における良い特徴が全て備わっているともいえそうだ。
もうひとつ、良いばかりの話ではないところも本書の腰の強さに繋がっている。『夏の落し文』、『おんなごころ』といった作品でみられるやり切れなさをしっかり描くところ、このあたり徐々に作者の自信みたいなものを感じるのは穿ちすぎか。

『花まんま』が直木賞を獲得してしまったが、もし逃していても本書で再びチャンスがあったのではと思わせる高いレベルにある。当面はこの路線を確立することで、広範な読者(でも年齢層は決して低くはなさそう)を獲得していくのではないか。『花まんま』を気に入られた方であれば、安心して読める作品集だといえる。


05/09/19
桜庭一樹「少女には向かない職業」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

桜庭一樹さんは1999年にファミ通えんため大賞に『夜空に、満天の星』(刊行時は改題)が佳作入選してデビュー。その後ライトノベル分野に作品を発表、特に「GOSICK」シリーズは人気を博している。本書は、多彩な作風を誇る著者が放つ初の一般向け小説となる。

下関と橋で繋がる人口二万人の島で生活する大西葵・十三歳。中学二年生になった彼女は教室では剽軽な人気者としてクラスでも中心的人物で友人もたくさんいたが、家では怪我をしてから酒びたなった義父と、パートに出ている母親との二人暮らし。家に帰る足取りはいつも重い。明日から夏休みというその日、幼馴染みで境遇の似ている田中颯太とゲームセンターに行く約束をした。翌日、下関でドラゴンクローサーというカード挿入式の対戦ゲームを楽しんだ二人。来週にはそのゲームの全国大会へペアを組んで出場することを約束し、葵はその颯太にすこしどきどきとする。その帰り道、葵はのんびりと平和そうにしている迷い山羊を見て急に腹が立ち、その山羊を追いかけ殴りつける。そこに現れたのが宮乃下静香だった。彼女は目立たない同級生で普段口を利くことはない。だが、現れた静香はゴスロリを着こなし不思議な魅力を湛えていた。葵は静香に誘われ、死体を見に行く。海岸から揚がった女性の水死体。静香は島の網元の祖父と暮らしており、島の人間も彼女には一目置いている。そして彼女(さつじんしゃ)は、徐々に葵に接近してくるようになる……。

自身のせいでなく追い詰められ、逃げられなくなる自己、そしてその衝動と情動とを瑞々しく残酷に描く
ほかに、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』しか読んでいない読者が偉そうなことを語ってはいけないのかもしれないが。あの作品で覚えた思いと本書で感じた思いとが、あまりにも似ている。劣化コピーであるとかそういうつもりはなく、これが作者の方向性のうちの少なくともひとつなのだろう。
自分自身の力で一人生きることが出来るまでは、子どもは親の庇護のもと暮らしていくしかない。無条件で味方であるはずの親が、敵だったら……? という、恐らく現実にも決して少なくはないテーマが本書でも取り上げられる。経済力でも、身体の力においても圧倒的に上回る敵に対し、子どもたちがどう身を守り、そして戦うか。我が身によって招いたのではなく、選べない境遇によってそういう状況に追い込まれた彼女たちの、凝縮された思いが一冊の本のなかに込められる。
そして彼女たちの戦いは、親を倒したら終わりではない。むしろ世間は子どもよりも親のいうことを信じる傾向にあり、そういった意味では彼女たちは社会と、そして自分自身の心とも戦わざるを得ない。身体的にも、心の面でも非力な少女たちが、それでも現実に立ち向かう姿が引き起こすのは、読者の感動というよりも動揺かもしれない。読んでいるあいだ心に浮かぶ、この気持ちは一口に言い表すことが難しい。
しかし、本書は単なる戦いの小説だけではないのも特徴だ。桜庭一樹の描く少女たちは、少女としての日常や年頃ならではの感情ももちろん保持している。友人関係、学校、遊びといった日常生活と登場人物観点の感情表現などの描写力が抜群に高い。ちょっとした心の揺れ、時折見せる素直な心、幼さゆえの行き届かない考え、どうしようもなく噴出する怒りなどの感情。そういったバランスが巧みに描かれるため、主人公の姿は立体化されて奇妙なまでのリアリズムを持つ。青春小説とも違う、少女小説としての高い完成度が、物語世界に付随する。 結果、誰の心にもずどんと突き刺さるような重みが作品内に生ずるのだ。二人の少女が協力する、それぞれ異なる戦い、そして……。

一般文芸界にようこそ。桜庭さんが「君はいったい誰やねん?」と呼ばれなくなる日はごく近いのではないかと思ってます。(『ミステリーズ!』Vol13のエッセイを受けた話)。普通のミステリとはテイストの全く異なる、戦う少女社会派小説。


05/09/18
東川篤哉「館島」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

密室の鍵貸します』にて'02年に「カッパ・ワン登竜門」の第一期としてデビューして以来、「烏賊川市シリーズ」を中心に活躍、着実に読者を拡げつつある東川氏。本書は、これまで新書サイズばかりで作品を発表していた著者初の四六判(ソフトカバーなのでハードカバーとはいえないか)単行本にあたる、書き下ろし長編。

岡山県では有名な、工務店社長にして異能の建築家・天才・十文字和臣。彼の最新作にして遺作は、瀬戸内海に浮かぶ島に彼が老後のために建築したという六角形四階建ての館であった。内部に螺旋階段を持ち、六面に六つの部屋を要するこの建物の内部、螺旋階段の下で彼は死体となって発見された。その死因は警察にて墜落死と判断された。螺旋階段では転落はできても墜落はできない。捜査本部が設立されたが墜落現場は発見できず、捜査は暗礁に乗り上げた。それから半年。岡山県警の自称若手敏腕刑事・相馬隆行は、遠い親戚でもあった十文字和臣の妻・康子夫人に招待され館島を訪れた。館島には同様に十文字家のバックアップによって政治家となった野々村淑江、そしてその娘の奈々江や、吉岡という医師など事件の関係者が招かれており、さらに小早川沙樹という女探偵も現れる。相馬と小早川が事件現場を検証、事件の謎に立ち向かおうとしていた矢先、十文字家で殺人事件が発生。嵐によって警察本体の到着が見込まれないなか、若手刑事と女探偵が事件の謎に挑む。

コミカルなやり取りのなかに数々の手掛かり、最終的には大技トリックが炸裂!
東川氏の作風は読者を選ぶ。だが、おおよその読者はこの軽めのノリは受け入れられる範囲なのではないだろうか。基本的にはプライドが強く、ボケとツッコミのテンションの高い登場人物による会話が笑いの中心となる。いわゆる軽妙なノリとは異なり、あからさまに笑いを意識した文章には、時にあざとさが見え隠れもする。(その一方で、不意打ちのような笑いに襲われることもある)。だがいずれにせよ、東川氏の場合、その笑いとなる部分にトリックの手掛かりを潜ませているところが実に巧妙なのである。その”狙った”ポイントで笑わされる/笑えないに限らず、多くの手掛かりやレッドへリングが仕掛けられており、そのことに真相が明らかになった後に気付かされて愕然とするのだ。さらに、その手腕、これまでのところ作品数を増すごとに確実に巧みになってきている。
本作のメインとなる、館にまつわるトリックそのものは実は大掛かりではあるものの、基本的な思想についてはこれまでのミステリにおいて初めての試みとはいえない。その大トリックそのものよりも、それをやってしまうための伏線の妙味の方が作品内の味わいとしては上回る。 最初から最後まで高い位置で推移する登場人物のテンションによって、この大トリックが隠されているところに作品の深さを感じるのだ。
もうひとつ感心したのは、この館そのものが建てられた理由の方。作品内部の年代をそちらに引っ張っているところに意味を付加した価値は大きい。そして、その理由ですら作品内では別のレッドへリングとして機能している点は悪魔的ですらある。このユーモア溢れる作風を思う存分トリック創成に活かす東川氏、着々とただ者ではなくなりつつある。

「烏賊川市」のシリーズと基本的にノリは同じなので、そちらで東川氏を知った読者であれば、誰でも本書も楽しめるはず。ユーモア+本格という姿勢を持つ作家は他にも存在するが、その立ち位置が微妙に先行作家と違ってきているところに東川作品の価値があるように感じられる。


05/09/17
椹野道流「泣赤子奇談」(講談社X文庫ホワイトハート'97)

椹野道流さんのデビュー作品『人買奇談』を手に取った流れで、二作目も読んでみた。ホワイトハートの人気シリーズのひとつ「奇談シリーズ」の二冊目となる作品。

前の事件以降、天本森の家に身を寄せるようになった琴平敏生。徹夜続きで小説の仕事を仕上げた天本がようやく眠りについた頃、「組織」のエージェントである早川が天本家にやって来た。表向きミステリ作家の天本森は、霊障を解決する術者で、その仕事の依頼だった。事件は私立の女子校・押屋学園で発生したもの。理科室で高等部一年の生徒が自分の腹を包丁で滅多突きにして自殺する事件があり、それ以降、理科室では赤ん坊の泣き声が聞こえたり、ポルターガイスト現象が発生するようになったのだという。早川は一渡り説明すると、天本の承諾もなく敏生に事件を無理矢理引き受けさせて辞去してしまう。結局のところ、二人は事件を引き受けることになり、天本は代理教師として、敏生は学食の厨房で一時的に働くことにして内部事情を探り始める。二人の調査の結果、自殺した生徒は化学教師の林崎と深い仲にあったというが、学校側はその事実を隠そうとしていることが徐々に判りはじめた。

一見、なんの変哲もないゴーストストーリーに潜められた、微妙な意外性
若い美青年&美少年が女子校に潜入というあたりは女性にとっては何らかの萌え要素なのだろうか。そういった点からはあまり評価したり好悪を述べたりする資格はないので、純粋にオカルト・ストーリーとして読んだ。
そのような読み方であっても、結論からいえば結構読ませるだけの力が本作にはあった。まず、前作に引き続き本シリーズ内部の世界観がしっかりと組み立てられていて、その点からの揺らぎはない点に好感。「組織」の依頼によって霊障を取り除く仕事をするという背景、若干のBL要素を踏まえたうえでの天本森と琴平敏生のキャラクタ造型などやはり巧く、そういったところに夾雑物を感じさせないまま、本作におけるストーリーに没頭できるのはセンスの良さか。台詞回しや背景描写も手慣れたもので、そういったところにはこの段階での新人作家とは思えないだけの力量を感じさせる。
物語は、定番に近い学校の怪談(と、最初は思う)。自殺した女子高生の霊が引き起こす現象を解決するというものなのだが、正面から乗り込めず、学校関係者を装って調査するあたりにちょっとしたコメディ的要素があって面白い。また登場する幽霊にもひとひねりしてあって、死んだ女子高生に(ネタバレ)妊娠の事実はなかったというあたりの思わぬ展開に意外性があった。当たり前の霊障に裏があり、その裏まで突き止めて解決する必要が出てくる点、ミステリーとしての要素も加わって、コトの真相に至るまでそれを読ませないあたり巧い。また、読者を想定してなのか強烈な人間不信に陥るような結末ではない点にも好感できた。さすがに軽い作品であり、重々しさはないが、その軽さもまたシリーズ(もしくはレーベル)としての必然があるのだろう。たぶん。

あっさりと読み終わってしまったけれど、その時間分はいいおっさん(オレだ)であっても結構楽しむことができた。微妙な部分であっても、オカルトの定型を外そうとする作者の努力が感じられ、その分魅力が出ているということなのだろう。


05/09/16
戸梶圭太「東京ライオット」(徳間書店'05)

ご存じ、戸梶圭太のノンシリーズ長編。表紙の装画を真鍋昌平『闇金ウシジマくん』からのイラストで飾りインパクト十分。しかし、作品の最後にある「この物語はフィクションであり……」というフレーズが絶対必要な作品であるような。

二〇〇五年以降、不穏な大量殺人事件が相次ぎ、治安低下の懸念が著しい足立区綾瀬(フィクションだ。念のため)に新規建築された複合型超大型高級マンション・ソナーレ。足立区外に住む年収二千万円以上の富裕層をターゲットに販売されるこのマンションのキャッチフレーズは”選ばれた豊かな人を、お客さまとして大切に守るマンション”。敷地内にコンビニや美容院まで備えるこのマンションに入居してきたのは、やはりワンランク上を標榜する癖のある人々だった。彼らは地域住民との交流などハナから興味はなく、彼らだけで完結した生活を営みはじめた。しかし、足立区長の支持を受け、地元住民に全く相談なく建設されたこのプロジェクトは、マンション周辺の住民の血圧を上げ、住民に対する敵意は着々と醸成されていた。マンションを一歩外に出るとそこは無法地帯。マイカーや、駅までの特別バスに次々と危害が加えられてゆく。警備会社は必死になってソナーレの警備を続けるが、周辺で悪戯や事件が続発。そしてある人物の計画によってマンションにとっての最大の危機が訪れる……。

ストーリーはあって無きがごとし。強烈に刻み込まれる日本国内の多層化状況
綾瀬がどういうところなのか、実際のところはあまり縁がないので知らない。しかし、ここまで書かれて良いものなのだろうか……と、フィクションながら住民が怒り出さないか心配である。いずれにせよ、描かれるのは非常にモラルの低下した無法地帯としての綾瀬である。いろいろな人々を断片的に描き出すことで、その無法ぶりを強調する手法はこれまでのトカジ作品と同じながら、グロの方の描写に力が入っていることもあって強烈さは格別。日本の安い方は、ここまで来ているのか……と暗澹な気持ちになれることが請け合いの凄まじさである。
一方の超高級マンション・ソナーレ。こちらはいわゆるハイソサエティでアップグレードでゴージャスな暮らしを送る人々が描かれる……が、こちらも神経的にはあまりマトモとは言い難い。むしろ成功者と呼ばれる人々の個性を極端に変態化することによって別の意味での凄まじさを感じる。ただ、この周辺と内部は決して相容れない。 お互い異人種(同じ人間同士というレベル)を超えて、異性物、異星人として相手を捉えているようにみえる。
クライマックスでは彼らが入り交じることになるのだが、いつも通りのトカジ節で描かれるその場面はパニック小説のそれではなく、やっぱり異星人同士の戦いを眺めているような気分にさせられる。そして、やっぱり相容れないまま幕切れを迎えるのもある意味では予定調和の世界。本書を読んでいると日本の総中流なんて幻想はとっくの昔に終わってるんだという殺伐とした現代の状況が、強烈なデフォルメが施されているとはいえ、やっぱりどこか心に残ってしまうのだ。

なんで時々トカジ作品を手にとってしまうんだろう? という自分を自己分析しきれない。特に本書のみを特定の誰かにお勧めする気には到底なれないのだが、それでも読んでしまうという貴方向け。


05/09/15
飛鳥部勝則「鏡陥穽」(文藝春秋'05)

書下しで刊行された長編ホラー作品。系統としては問題作として一時話題となった『ラミア虐殺』の系統……でもないか。巻頭に稲垣孝二という画家の作品が数点、カラーグラビアで綴じ込まれてイメージを膨らませられる。この絵が作品にも繋がっている点は、飛鳥部氏の初期のミステリを思わせる。

同僚との飲み会の帰り、線路脇の暗い小道を自宅に帰ろうとしていた麻田葉子は、いきなり何者かに襲われる。その男の不潔な臭いに逆上した葉子は手近にあった何かの塊を男の頭に何度も叩き込む。ぐったりとして動かなくなった男。彼女は警察に電話しようとするが、携帯電話を持たないうえ、近くに公衆電話がないため、自宅にまで戻ってくる。事の次第に混乱したままの彼女は警察への電話を逡巡しているうちに、恋人の水谷武から電話がかかってきた。彼はエリートで葉子にとって申し分のない人物だったが、武は嫉妬深かった。葉子のちぐはぐな応対にいらつく武が今から彼女のもとにやって来るという。葉子は武に知られることを恐れ、死体を処分しに家を出る。結局、武の誤解は解けないまま、葉子は数日して友人の結婚式に出席するが、そこで彼女が殺した男とそっくりの顔をしたから「何故殺した」と脅迫を受ける。男は久遠仙一と名乗り、謎めいた言葉と行動を残して一旦は姿を消す。しかし、葉子の日常は彼の存在に徐々に脅かされるようになる……。

サイコな追跡者からはじまり、強烈なsupernaturalへ。肉体増殖をカルトに描く異色ホラー
そもそも女性にとっては災難としかいいようがないところから物語が始まる。突然レイプしようとしてきた人物を返り討ちにした女性が、その亡霊からまた苦しめられる。それだけであれば、一種サイコ小説じみたサスペンスになりそうなところに、飛鳥部氏はとんでもないモチーフを持ち込んでくる。ネタバレになることを避けるために直接的にはいえないのだが、題名にもある通り「鏡」、それも「合わせ鏡」がポイント。少なくとも、単なるサイコ・サスペンスに留まらず、ホラーとしての拡がりをもった作品であることはいえる。
合わせ鏡による永久に繋がる世界や鏡の向こうの別世界というテーマを用いた作品は乱歩の『鏡地獄』をはじめとして数多くあるが、その合わせ鏡を意外なかたちで活用し、終盤の怒濤の展開へと繋げているのが特徴。最終的なところではカタルシスに向けて世界がちょっと行き過ぎの感があるが、その直前に自分自身同士が殺し合う場面を見せつけられるヒロインの恐怖というのは、あまり個人的には類似の例を知らない怖さのように思われた。また、ホラーでありながら、結構「論理」にこだわりがあるところも飛鳥部氏らしい。後半の崩れてゆく世界の造型のために、前半部に多くの伏線が凝らされており、それらが繋がっていく手法はミステリのそれに近い。よくも悪くも、物語内部での様々な事象が(現実の理屈に則しているかどうかはとにかく)説明がつくために全体的にかっちり構成されたホラーという印象が強い。

トータルとしては重厚な物語であり、読むのに体力・気力を要した。とはいえ、それだけの読み応えもまた存在しているということ。飛鳥部氏の図象ミステリと相似形を為しながら、訴えてくるのがどちらかといえば、あとがきでもある通り作者内面のどろどろとした負の感情(?)。但し、なんというか形而上の何かではなく、創作者として内面に抱え込んでいる感情、という意味ではあるけれど。


05/09/14
森 博嗣「工学部・水柿助教授の逡巡」(幻冬舎'04)

どう考えても身辺を巡るエッセイなのだが、主人公が水柿助教授である通り”小説”と作者が言い張る作品。『工学部・水柿助教授の日常』の続編にあたり、『星々峡』二〇〇一年八月号から、二〇〇四年十月号まで不定期掲載された内容が単行本にまとめられたもの。

今回は、水柿助教授が日常生活のなかからなぜミステリィを執筆するようになり、なぜ作家となってしまったのか、そして作家兼業になってどう感じ、さらにどういう日常を送っているのか……というあたりが中心となってまとめられている。相変わらず、ひとつひとつの題名が無闇と長い。
『第一話 「まだ続くのか?」「命ある限り(高笑)」的な悪ふざけからいかにしてミステリィに手を染めたのか着メロを鳴らす』
『第二話 いよいよやってきた人生の転機を脳天気乗り越えるやいなやラットのごとく駆けだしてだからそれは脱兎でしょうが』
『第三話 小説家として世界に羽ばたくといって本当に羽ばたいていたら変な人になってしまうこの不思議な業界の提供でお送りします』
『第四話 サインコサインタンジェントマッドサイエンティストサンタクロースコモエスタアカサカサントワマミー』
『第五話 たまには短いタイトルにしたいと昨夜から寝ないで考えているうちに面白い夢を見てしまった。ああ、そろそろあきだなあ。そこで一句。短めにタイトルつけたら秋かもね。』
 以上五話。

過剰で意味のない文章のなかからエッセンスを取り出してゆく作業(読者) だが、その信条は独特で
もとより、デビュー作品が発表された時、執筆されたのは別の作品の方が先であるとか、もの凄いスピードで執筆しているとか、ほとんど過去のミステリ作品を作者は読んでいないとか、実際にあれだけ書いていながら国立大助教授の仕事はさぼっていないだとか、まあこれまでに、いろいろな情報が森博嗣氏に関しては飛び交っていた。そして本書、そういった数々の情報・事柄が(一応小説ということは割り引いても)基本的に真実であることを再確認させてくれる役割を果たしている。森博嗣ではなく、水柿小次郎という作中人物のことばで語られる数々の生活信条・仕事に対する姿勢というのは、実にユニーク、かつ常人離れしていることが判って興味深いものがあった。
特に、小説だから論文よりもずっと書きやすいだとか、一度のサイン会を通じてサインは無駄な行動と割り切ってしまうところだとかは奇妙に納得させられた。さらに大学助教授モードの時と作家モードの時とで完全に切り離した生活が出来ており、それが当たり前になっているというあたり、また、年を経て現場プレーヤーを離れて管理職的立場になる人間の感慨など、いろいろと個人的に感慨を受ける部分も正直それなりに存在した。
ただし。非常に読みにくい。というか、本筋(あるのか?)とは無関係でいてやたらと冗長なレトリック、意味があると思えない、そして笑えない冗談であるとかも同時に満載されているから。もしかするとこういった無意味な文章についても森博嗣の熱烈なファンであれば受け入れる余地があるのかもしれないが、一般読者は最初の数ページでダウンしてしまってもおかしくない。もしかすると、森氏はそういう一般読者をオミットするつもりでこういった文章を書いているのかもしれず、そうだとすると凄まじいものがあるのだけれど。

森博嗣氏本人と作品の大ファン向けの作品。そうとしか。


05/09/13
山口雅也「チャット隠れ鬼」(光文社'05)

『週刊アスキー』2004年6月29日号から11年16日号にかけて連載された作品が長編として単行本化されたもの。作品そのものは連載後にe-NOVELSにて公開されており、現在もそちらで読むことも可能。ネットがテーマということもあり、全編横書きとなっている。

小中高一貫教育の神名川学院に勤務する祭戸浩実は、中学生の生活指導担当ではあったが生来の気弱な性格が災いしてあまりその業務をうまくこなしていなかった。生徒からは「オタ茶」と呼ばれ、最近も生徒から逆にこづき回される始末。その祭戸が学園長から呼び出され、インターネットのサイバー・エンジェルとして、ネット・ウォッチをするよう指示を受ける。実際に教育に携わる人間を出して欲しいということで校長会で決定したものだという。もう一人、コンピュータに詳しい教師は別にいたが、彼の多忙を心配した校長が祭戸に白羽の矢を立てたのだった。ほとんどインターネットに触れていない祭戸だったが、結局その仕事を引き受けることになり、おずおずと日本最大のチャット・ルームを主催するJOLのチャットに参加。早速、「Jozebel-P」なる人物と知り合いになる。徐々にチャットの魅力に嵌りだした祭戸は、自分の本名を利用して女性になりすますなど、着々とネットの実力を付けてゆくのだが……。

良くも悪くもミステリと、ネット小説との相性とが見えてきてしまう……
某巨大掲示板やチャットルームという存在は、それそのままでも匿名性が高い、というか匿名そのものが売りになっている。本書は基本的に果たしてそれが現実には誰なのか? という点を追求するミステリ。帯には「ネット社会の闇をえぐり出す」とあるが、既にそういった匿名の集合体自体が闇であり、その匿名性を剥がす行為自体、物理的には専門性が高く困難であることは周知の事実。そして現実にネットを利用した各種の犯罪は行われていて、それをフィクションとしてエンタテインメントに昇華させるには何らかの工夫が必要になる。
多くの場合どうしても「ネット上の誰」が「現実の誰」に相当するかという点が謎を形成することになり、本書においてもその点は同様。ネット上の人物と現実の人物とがあまりリンクしていないということ自体に意外性はないことを既に我々は知っており、この点はいくら頑張って活字で演出してもサプライズには成り得ない。ここが恐らく、ネットという主題とミステリとの相性の悪さに繋がっている。本書の場合も、そこがひとつポイントになっているのだが、やはり相性の悪さは拭えない。一点、その人物に工夫が為されているところに山口氏の意地も感じられるものの、現実にそのような体験を(例えば(ネタバレ)酢鶏とか)少なくともネットワーカーであれば幾つか経験している筈であり、ネット系のミステリ読者であればあるほど、本書とも相性が悪くなるように思われる。
全くチャットを知らない、やったことがないという読者であれば、また異なる評価になると思われるけれど、個人的にはその部分が引っ掛かってしまい、強調される狂気にしてもどうも割り引いて考えざるを得なかった。

PLAY』など最近の山口氏は「遊び」を主題にミステリを描くことが多く、本書も一種その流れの一環といえよう。チャットの場合「単なる暇つぶし、遊び」の側面と「コミュニケーション」の側面が両方あることから、その流れから浮き上がるようになってしまったとも考えられる。


05/09/12
太田忠司「降魔弓事件」(徳間文庫'03)

読み方は「ごうまきゅうじけん」。狩野俊介シリーズの長編として六冊目、シリーズでは短編集を挟んで八冊目となる作品。

石神探偵事務所の野上が行きつけにし、彼のことを憎からず思うアキがウェイトレスをしている喫茶店『紅梅』。この『紅梅』のマスター、橘の紹介で野上は森名スエなる女性と引き合わされる。森名一族は、その教育方針が厳格なことから一部の親に絶大な人気を誇る修己学園高校を経営しており、その他親族に代議士など有力者が揃った名家。その学園の名誉理事長であり、本家の最長老であるスエは高齢ながらまだ一族全体に対して強い支配力を持っていた。彼女は、戦国時代に大きな弓矢を使いこなし、魔物退治で勇名を馳せた先祖・森名一族を信仰しており、代々の先祖を祀り、敬うことに絶対の価値観を見出していた。そのスエは野上に対し奇妙な依頼を出す。彼女の孫であり学園副理事長の保一の、先祖を敬う気持ちが本物かどうか確かめて欲しいというのだ。ちょっとした思惑もあり、その依頼を引き受けた野上だったが、森名一族の、家族とは名ばかりのぎすぎすした関係を見せつけられることになる。

シンプルなトリック小説だが――そのシンプルさの裏側にあるものがとてもとても重要
お寺に飾ってあるおおよそ人間では使用不可能な大きさの弓矢が、題名にもなっている降魔弓。寺に安置されているはずのその弓矢が、あたかも発射されたかのように遠く離れた家にいる人間を貫き通して殺害した……というのがメインとなる事件。さすがにある程度ミステリを読んでいる人ならば(そして狩野俊介シリーズがどういうシリーズかご存知の人であれば、いやそうでなくとも)、この事実を額面通りに受け取る人はまずいないだろう。そして、この欺瞞に隠された幾つかの事象についても想像できるはずだ。
勘の良い方ならば、その想像の幾つかは(全てはちょっと難しいと思う)恐らく正解されるとは思う――しかし、気を付けて頂きたいのはそのトリックが判明した段階で、本書が物語としての価値を喪うわけではないということだ。そのトリックによって暴き出される人間関係、そしてその事件の結果判明した隠されたいくつもの感情こそが本書の真髄。特に序盤に重要なヒントを提供してくれる屋敷に住む祐子と、俊介のさりげない交流が非常に深い味わいを最後に至って出しているのが特徴。このあたりには、親子像をさまざまなかたちで描き出すという、太田作品全体を通じるモティーフがさりげなく強調されているようにも思われる。

小生が読むのが前後してしまったが、本書中にある俊介に関するエピソードは短編集である『狩野俊介の肖像』と繋がっている。本書単独でも特に問題は感じないだろうが、やはりある程度シリーズ作品を読んでから、何冊目かで読んで欲しい作品か。


05/09/11
二階堂黎人「稀覯人(コレクター)の秘密」(カッパ・ノベルス'05)

二階堂氏のシリーズ探偵役の一人、水乃サトルが登場するシリーズの作品で、彼がまだ大学生だった頃に発生した事件を描く――つまりは「不思議」シリーズの方の三冊目にあたる。

手塚治虫ファンで漫画家を目指す女子高生・山口美也子。彼女は、熱心なファンで構成される手塚治虫愛好会・〈大都会〉に所属していた。参加者はそれぞれ、絶版の手塚マンガを集めていたり、アニメファンであったりと、様々な専門分野を持っており、老若男女様々な人々で構成されていたが、そのコレクションの最たるものを誇るのは会長を務める星城明人であった。〈大都会〉の例会開催中、その星城明人が死んだとの報が入る。自宅で首に縄を掛けられた死体が、温泉旅行に行っていた両親がによって発見されたのだ。現場となったのは明人が使用していた、家の離れで、部屋を内側からガムテープで目張りがされていた。また、部屋からは世界に数冊しかないといわれる貴重な初期の手塚マンガが持ち去られていた。警察は幾つかの証拠から他殺と断定。旅行に行っていた水乃サトルもまた、〈大都会〉メンバーの要請から調査を開始する。

密室殺人あり、手塚治虫の蘊蓄あり。しかしもっとも印象深く心に残るのは、コレクターならではの動機……
二階堂黎人氏が手塚治虫のファンクラブの会長をしていたというのは有名な話。本作は、恐らくその知識や経験がベースとなっているのであろう、手塚治虫に関するさまざまな蘊蓄が作品中からあふれ出るほどに詰まっている。また、登場人物のほとんどが、いわゆるマニア(現在でいえばオタクと呼んでも差し支えないか)であり、その”狙った獲物は逃がさない”対象に対する執念深さ、熱心さについても迫真の描写が次々と登場する。一般の人々からするとちょっと過剰にみえる彼らの行動も、古本の世界なら一部かじった小生からみれば、本書で書かれているさまざまなエピソードは当然この世界では普通に起こり得る、実話に限りなく近い話だということが判る。その意味では”手塚治虫””古本マンガ”の世界に関する情報小説といった側面を持っているといえよう。
ただ、流石に本格ミステリ作家としての矜持ももちろん存在する。冒頭で殺害場面が描かれ、死体は密室で発見される。倒叙の描写にしても、この密室構成にしても、なかなか一筋縄ではいかないレベルにある。しかし、次々と事件が発生し、その密室そのものも解明された後、今度は一流のWHo done it? が展開されるのだ。
さまざまな情報を作品に登場させることを優先した結果か、主人公の心理描写や場面描写、登場人物の台詞における”自然さ”という部分には若干のぎこちなさが感じられる。とはいえ、本格ミステリとしてはやはり内容は濃い。真犯人についても驚きだが(ただ、犯行が○○○によるものという点は厳密にはマイナス)、何よりもその動機には驚かされた。”コレクターの秘密”という題名に、なぜ”蒐集家”や”収集家”という文字が当て嵌められなかったのか。そういったところにも作者の深謀が隠されている点は興味深い。

本格ミステリ作家としての二階堂黎人色が発揮されている作品は、これまでも数多く刊行されているが、本書は”蒐集家”としての二階堂氏の個性が強く出ている点、なんとも印象的だ。マニアによる、マニアックな狂気を実に巧みに描いており、心に引っ掛かる作品であることは間違いない。