MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/09/30
伊坂幸太郎「魔王」(講談社'05)

小説現代が新創刊した特別編集の雑誌「エソラ」の第一号・第二号に連続掲載された連作中編二作がまとめられたもの。

『魔王』 一流の国立大学を出てそれなりの有名企業で働く安藤は常にいろいろなことを思索し続ける性格の持ち主。子供の頃、高速道路の事故で両親を亡くして以来、弟の潤也と二人で暮らしてきたが、現在の潤也には、詩織という彼女がいて三人で生活をしていた。その安藤は、突然自分に奇妙な力があることを自覚する。近くにいる他人に思ったままの短い言葉を喋らせる能力。電車のなかで運の悪い老人の、上司に理不尽に怒られる先輩社員の口を動かした安藤は、その力の使い道を探ろうと考える。政治の世界には、物事と日本の将来についてずばずばと物をいう犬養という人物がいた。安藤の友人でこれまで選挙に行ったことのない島ですら、投票所に足を運ばせるその犬養に、安藤は不穏な空気を感じ取る。
『呼吸』 『魔王』から五年。潤也と詩織は既に結婚三年目、東京から仙台に引っ越して、潤也は猛禽類を観察する仕事、詩織は人材派遣により事務の仕事につき、穏やかな暮らしを手に入れていた。潤也はある時から、自分に特殊な能力があることに気付く。じゃんけんに決して負けないのだ。相手の考えていることが分かるのではなく、潤也の直感通りに物事が運ぶ力。二人は、その能力を試そうと地方競馬場に赴いて馬券を買ってみることにした。一方、政治の世界では犬養の所属する政党が政権を取り、犬養が内閣総理大臣となっていた。犬養は、憲法改正の国民投票を実施することを決めており、世間はその話題で持ちきりであったが、ある理由からニュース嫌いになった潤也たちはそのことを一向に気に掛けていなかった。

特殊な能力と幸せな兄弟・夫婦、そしてさりげない世界観。伊坂ワールドのふくらみを実感
最初に述べておくと、本書はこれまでのようにサプライズを強調した伊坂ミステリとは一線を画する作品集だ。二中編が収録されているが、その世界は繋がっているため、考えようによっては二部構成の長編という風に読むことも可能だろう。ミステリを前提にしていない伊坂作品は、本書収録作が初めてのはず。だが、いわゆる驚きに相当するオチがなくとも、通底している世界の味わいはこれまでとどこか共通したものがある。 なので、これまでの伊坂ワールドに親しんできた方なら、まず安心して読めるはず。
先に出てきたエピソードの繰り返しであるとか、伏線の思わぬ利用方法であるとか、これまで伊坂ミステリにて多用されてきたテクニックが、サプライズではなく物語の拡がりに奉仕している点が特徴。 実際、他の作品の登場人物がゲスト的に顔を出しており、それが結末を予見させるという離れ業が演じられている点には感心させられた。また、ファシズムをはじめ、いくつもの主題が取り上げられていながら、それが重すぎないかたちでさらりと表現されているあたりのセンスは、伊坂作品独特の味わいにも繋がっている。また、それらは、読んだ読者を何か”考えさせる”だけの力をも持っている。日本人がダメ(といわれている)理由、若者がダメな理由、日本の政治の問題点などなど登場人物の口を借り、押しつけがましくなく、それでいて非常に力強く様々な問題提起をさりげなく行っている点もポイントだろう。日本人であれば、読んでいる途中で、ふと自分の周囲のこと、さらには現在の日本の姿に思いを馳せてしまうのではないだろうか。特に、大きな事件も二回目になるとマスコミなどが「祭り」にしようとしない、といったあたりの考察の鋭さには舌を巻く。それらの考察が、物語においても有機的に繋げられているのもまたセンス。やはり凄いですな、これは。

既に伊坂世界に魅せられている読者であれば、黙って手を出して吉。ミステリではないけれど、それ以上の深い読後感が待ち受けていることは間違いない。独断を交えていえば、こういった一定レベル以上の創作が続く以上、伊坂幸太郎は直木賞もいずれ間違いなく獲得するのだろうなあ、と本気で思った。


05/09/29
鯨統一郎「なみだ特捜班におまかせ! サイコセラピスト探偵 波田煌子」(祥伝社NON NOVEL'05)

『なみだ研究所へようこそ!』にて初登場した「サイコセラピスト探偵 波田煌子」のシリーズ二冊目。「小説NON」誌に二〇〇三年七月号から二〇〇五年一月号までに掲載された作品がまとめられたもの。見返しの〈著者のことば〉にて「主人公に危機は訪れません。」というのが微妙に本シリーズの本質を突いていて面白い。

迷宮入り事件を専門に捜査する警視庁の特捜班。定年間近の久保主任、違法な囮捜査で左遷された前泊ナナ、そして犯罪心理分析官として派遣されてきた極めつけが波田煌子。燃えるエリート・高島警視が怒鳴り散らすなか、野暮ったい姿で天然ボケを連発する煌子の論理が冴える?
バーのホステスが自宅マンションで全裸で殺害されていた。身体は二本の薔薇で装飾されていたがその目的は分からない。 『涙の赤い薔薇』
寿司屋を経営していた男が自宅の家庭用冷蔵庫からバラバラ死体となって発見された。しかも冷蔵庫にはガムテープで目張りが。 『涙の冷蔵庫殺人』
五年前、人で賑わう海水浴場で砂に半分埋められた大学生の生首が発見された。果たして誰が何の目的で? 『涙の海岸物語』
大型文具店のエレベーターガールが、客を迎え入れ、お辞儀をした瞬間にその頭を転げ落とした。一体何が? 『涙のエレベーターガール』
実在人物の人形を扱うテーマパークでアイドル歌手の死体がディスプレイされた状態で発見された。なぜ? 『涙の少女人形』
国立に住む実業家婦人が自宅の広大な庭のなかで髪の毛と両腕が切り離された状態で発見された。両腕は左右反対にされていた。 『涙のクニタチーゼ』
引退したプロ野球選手の自宅から、その選手を模した人形が発見された。問題はその人形が選手の身体の一部を用いて作られていたことだった。 『涙のサヨナラホームラン』 以上七編。

ここまでくると「飛躍の強引さ」も全て芸。パターンとシチュエーションの妙を楽しむ
前作にあたる『なみだ研究所へようこそ!』は、どちらかといえば日常の謎を扱った作品で、同時期に刊行された童話の裏側にある謎を実際の謎と絡めて解き明かす『九つの殺人メルヘン』と共に、短編に決まったパターンを設け、そのパターンに則るかたちで謎の方にてバリエーションを作る――という鯨統一郎の連作短編集の今や特徴ですらある才能をまざまざと感じさせられて大きな驚きを覚えた記憶がある。(残念ながら、その後は同じような趣向・形式であっても若干ミステリとして内容が薄まったり物語が浅くなったりしていたり、またこちらが慣れたせいもあるのかインパクト自体は小さくなりつつある。たまに強烈な作品もあるのだが)。その当時のインパクトの片方、『なみだ研究所』の波田煌子が、なんとプロファイラーとして警視庁の特捜班にて謎解きをするというのが本作。
警視庁にてお蔵入りになってしまった七件の未解決猟奇殺人事件を、次々と煌子が解決してしまうというストーリー。……なんですが。ほのぼのとしていて、野暮ったく、我が道を突き進み、かつ強烈な天然ボケをかましてくれる煌子のキャラクタとその周辺人物とのすれ違いの掛け合い漫才めいた会話はかなり面白い。怒りっぽいエリート上司・高島警視の叱責もどこ吹く風と受け流し、それでいてたまに強烈な皮肉を天然で口にする。また彼女に対する主人公の当惑ぶりなども含め、全体的に込められたユーモア部分はまずまず。そしてミステリとしてはその雰囲気とは裏腹に猟奇的な事件が並ぶ。これまた凄まじい。バラバラ死体が冷蔵庫に保管されていた事件や海水浴場で発見される生首から、主婦の両腕が切り落とされ、左右逆にされている事件に至るまで、死体を弄ぶような猟奇趣味が強いインパクトを放つ。
ただ、前作でも感じたことだが、問題はプロファイルというか、推理というかの飛躍が著しく激しいこと。魅力的な謎、そしてそこへのアクロバティックな着地はかなりの飛躍がみられ素晴らしいのだが、その間の空中浮遊のロジックに牽強付会な印象が強く、決して美しいと思えないのだ。伏線も十二分に機能していると言い難く、「なぜハムスターなんだ! ウサギでも猫でもいいやんか!」 というように(?)論理の脇が甘い(伏線から伏線以上のものを勝手に読みとるのは……)、本格ミステリとしての要件は備えていないと考える。

ただ文章から謎から登場人物から、現時点における”鯨統一郎らしさ”という特徴が全て遺憾なく発揮されている。鯨ファンであれば手にとって間違いはないだろう。この論理の飛躍を、鯨氏の「芸」として楽しむ余裕のある読者向け。


05/09/28
恒川光太郎「夜市」(角川書店'05)

「大賞は二年おき」のジンクスが相変わらず続く一方で出身者の打率(人気作家になる率?)が非常に高い、日本ホラー小説大賞の第12回大賞受賞作品。恒川光太郎氏は本書がデビュー作になる。

『夜市』 大学二年生のいずみは、アルバイト先で一緒になって以来付き合いの続く高校時代の同級生・裕司の家を訪ねる。心なしか元気のない裕司は「夜市」なる市場に行こうと彼女を誘い、二人は岬の公園に出掛ける。しかし、その周辺に人影らしいものは見あたらない。公園の森の暗がりに二人は入り込むとそこにほのかな青白い光が見えてきた。そこには無数の、そして様々なものが売られていた。裕司はかつて弟と夜市に迷いこみ、あるものを買った経験があるのだという……。
『風の古道』 七歳の春、家族と花見に小金井公園に行ったとき、私は迷子になった。親切そうなおばさんが教えてくれた道は未舗装で他に誰も人がおらず家の裏側を縫うように通っている。自宅のそばまで行った私はある家の生垣を通り抜けて無事に自宅に帰り着いた。父はそれを遊歩道だといったが、実際に後から行った遊歩道はその道とは違っていた。そのことは長い間秘密だったが、を初めて人に話したのは十二歳の夏休み、気の合うクラスメートのカズキに対して。カズキは早速その道に行ってみようという。二人は道にすんなり入り込み、小金井公園を目指すが、その道は普通の人が入って良いような道ではなかった……。

背景と、心象風景における闇と光が独特の美しさを演出する。怖く、そして哀しい物語
まず、「夜市」について。 異界にさまよい込んだ男女が体験する不思議な物語というのは、この手の作品における定番といって良い展開。普通に売っていないものが買えるということだけで、何かわくわくするような気になるのは不思議だ。本書でもガラクタや珍品ばかりではなく、禁忌の品物や人の能力さえも売っており、また人ならぬ者共が集う「夜市」という存在はなかなかに神秘的であり、ごたごたした猥雑さと神々の持つ神々しさを緩やかにミックスされたような独特の雰囲気を作り出すことに成功している。(個人的には、映画『スター・ウォーズ』でしばしば表現される市場を想起した)。そしてもう一つ「夜市」を形成するにあたって、そのルールづくりがうまい。この作品も「夜市」そのものよりも、その場における縛りによっていろいろな恐怖と哀しみを醸し出している(この点は、書き下ろしされて弊録されている「風の古道」にも共通した上手さだ)。
ただ、このベースとなる発想だけで賞は獲得できまい。その裏付けとなるセンスに、さりげなくもやはり非凡なものがある。 特にシンプルに、徹底的に絞られた文章の表現力。その結果、読者を自ら作り出した異境にみごとに誘い込む。そして「夜市」における、闇と光、希望と絶望のコントラストが絶妙で、そこに物語の筋書き以上のインパクトが発生しているように思う。「風の古道」における表現についても同じことがいえる。やはり少年が異境に入り込んでしまう話ながら、その異境自体の描写が巧みで、不思議な自然さをもってするすると読者もそのイメージのなかに入り込んでしまう。
そして、どちらも構成力にも際だったものがある。「ルール」を応用して、読者の予想をするりと裏切る展開をそれぞれが見せてくれる。一流のミステリーにも似た、凝ったプロットが物語としての面白さを引き出し、かつ主題を見事に強調しているのだ。

強いていえば「どぎつさ」みたいな怖さはない。だが、静かに心に闇がしみこんでくるような、そういうタイプの静かな恐怖が創造されており、それがまた心地よい。ホラーという意義の広さに相応しい実力。大賞授賞に相応しい作品であるといえよう。


05/09/27
西尾維新「ニンギョウがニンギョウ」(講談社ノベルス'05)

講談社ノベルスなのにハードカバー、この薄さにて定価1,500円。活版印刷を使った独特の活字と紙を使用、ある意味ノベルスの限界を超えた造本の作品。内容は『メフィスト』誌に発表した三作品に、書下しが一編加えられた四つの中編によって構成されている。

映画を見に行くことになったのは、妹が死んでしまったからだ。映画を見るのは実に五年ぶりのことで、妹が死んだのもやはり五年ぶりのことだった。妹が死んだから映画を見ることにしているのだが、私が持つ二十三人の妹のうち、死ぬのはいつも十七番目妹だった。迷った末に私が見ることに決めたのはドイツ製の、名も知らぬ監督のものだった。映画のあたりをつけたあと、三足の靴を履いて私は外に出た……。
『ニンギョウのタマシイ』『タマシイの住むコドモ』『コドモは悪くないククロサ』『ククロサに足りないニンギョウ』以上、四編。

人物設定の不条理x思考方法の不条理x舞台設定の不条理=超絶の不条理小説
主人公の持つ雰囲気というか、登場人物の淡淡としたところ。世の中と自分とを隔絶する膜の存在を否定せず、それでいて、決してその世間とはズレた自分を自慢せず、かといって卑下もせず自然体でその感覚を受け入れているところなど、これまでの西尾作品各シリーズでみられた主人公たちと、本書の主人公”私”も共通する部分はある。だが、本書には驚天動地のミステリも、世の中を征服しようという野望も何もなく、あくまでこの”私”が置かれた環境のなかで、淡々と状況に対して判断し活動していく作品である。
だがやはり、総合的にみるならば歪んだ観念小説……ということになるように思う。一つ一つを挙げていっても仕方ないくらい、登場人物の依っている信念が訳わかんねーし、その彼らが生きている世界というのも訳わかんねーし、その彼ら自身がいったい何者なのか(人間なのか?)もよくわかんねー。というか、作者である西尾維新には、この作品の中身に何を書きたかったのか意図というか念というようなものは実はどこかにあるのかもしれないけれど、少なくともそれを読者に分かりやすく伝えようという意図だけは、微塵もないことも間違いない。西尾維新の抱えている妄念をそのまま淡淡と文章に直されるとこんな感じになるのではないだろうか。少なくともストーリーが不条理になることを厭わず、不条理をそのまま描き、不条理な信念と不条理な人間とを読者の前に見せつけるという意味では成功している。
読者の共感を求めるのではなく、西尾維新の噴出する何かが小説となっているような印象。正直、わかんねーを連発すると自分の理解力の無さをさらけ出しているだけのような気もするが、本書に関しては仕方がない。この作品のなかから、何かの暗喩やメタファーを取り出す気力というか興味も湧かなかったことも事実なので、以上、終わり。

ということで、西尾ファンだけが読んでおけば良いのではないかと。それと他に、高尚な文芸がお好きな方であれば、じっくり本作に取り組むことで何か新しいことが見えてくるのかもしれない。残念ながら小生は混乱したままページを閉じちゃったのだけれども。


05/09/26
清涼院流水「とくまでやる」(徳間デュアル文庫'04)

最近はラノベ方面への進出が著しい(ようにみえる)、メフィスト賞作家清涼院流水氏の書き下ろし長編。

夏休みが開けた九月一日。名門女子高・聖光女学院の生徒が自殺した。その翌日もまた別の生徒が自殺し、三日もまた生徒が自殺した。聖光女学院の弓道部に籍を置く双月フレアとクレアの双子姉妹も、その噂を耳にする。しかし、その噂をしていて真相を突き止めるといっていた友人までが自殺してしまう。一方、厳しい校則の女学院の生徒が唯一の息抜きをする24時間営業の大型ビデオ屋にてアルバイトをする出有特馬と山本新悟の周辺でも、週末になると不可解な自殺事件が連続して発生するようになった。毎日、一人ずつが自殺するという異常な事件に学校側はパニック。しかし全てが自殺ということで警察も乗り込んで来ず、さらには有力者の子女が通う学園にマスコミが押し寄せることもない。双月姉妹は、ふとしたきっかけで特馬と話をするようになり、彼らは二つの自殺事件の原因が何か存在すると考え、期せずして意見を交わし合う仲となる。自殺事件の発生した周囲では「弓道少女」なる人物が目撃されていることが判明するのだが……。

徳間デュアルと謎解きをかけて「とくまでやる」――題名の語呂合わせ、まずはさすが流水
清涼院流水にしては大人しい、普通のライトノベルだよなあ……というのが第一印象。というよりも、もともと偏屈な大人系統の読者が多い講談社ノベルスよりも、こういったライトノベルのレーベル(デュアルがどうかはちょっとおくにしても)の方が、許容範囲の広い読者層に面しており、拒絶反応といったものがなくて良いのかもしれない。
。 9月の新学期早々から巨大女子高校の1年生、2年生、3年生、また1年生という風に平日に毎日一人ずつ自殺者が出て、週末になるとレンタルビデオ屋でバイトする就職浪人中の二人のフリーターの若者の共通の知人が自殺するという展開。この部分だけ取り上げるとさすが流水。また、この物語をきっちり一日を2ページ(見開き)のなかに押し込み、クライマックスだろうが退屈な日々だろうが、そのペースをきっちり守るというあたりもさすが流水。また、さらには「弓道少女」「謎のせくしーお姉さん」「犯人当て的中率100%の男」といった登場人物に、これだけ魅力的な(?)謎を次々と繰り広げながら救急車と警察官というあたりもさすが流水。ただ――、主要登場人物四人、フリーターの出有特馬と山本新悟、女子高生の双子の双月フレアとクレアのつかず離れずの仄かな恋愛模様の演出が微妙で、これまで流水大説を読んできて感じたことのない、ほんわかとした気持ちを覚えた。イラストの効果なのかは不明ながら、作風がいつの間にかこんなことになっちゃっているあたり、さすが流水

ということで、清涼院流水氏が三十歳を超えて初めて刊行したのが本書ということらしく、そこでこういう小説(大説)を発表しちゃうあたり、ようやく肩肘の力が抜けてきているのか、着々と普通の小説家に近づいているのか不思議なところ。


05/09/25
田中芳樹「ラインの虜囚」(講談社ミステリーランド'05)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、シリーズの第7回配本分で『神様ゲーム』との同時刊行。本格ミステリ系作家中心のレーベルだけに、田中氏の登場は若干異彩を放っている感もあるが内容は素晴らしい。またイラストは鶴田謙二さんが担当している。

一八三〇年、十六歳になる少女・コリンヌは故郷のカナダを離れ、パリに住む祖父・ギイ・ド・ブリクール老伯爵のもとを訪れていた。偏屈な伝統主義者の祖父は、対立してきたナポレオンがまだ生きているという噂を気にし、ライン河沿いにある双角獣の塔に幽閉されている人物の正体を探ることをコリンヌに命ずる。それができたら彼女にブリクール家の莫大な財産を相続させるというのだ。コリンヌ自身は財産に興味はなかったが、父親の名誉を守るために五十日の時間と旅費を貰い、仲間を集めるために伯爵家を後にする。パリをよく知らないままコリンヌは市内で幾つかのトラブルに巻き込まれ、大将軍を父に持つ未来の文豪・アレクサンドル・デュマ、イギリスやアメリカでお尋ね者となっている自称・美学を持つ悪党・ジャン・ラフィット、さらには灰色の髪を持つ元軍人・モントラシェらと知り合い、共に旅をすることに同意する。しかし、コリンヌ一行を執拗に付け狙う『暁の四人組』という悪党の一味がおり、その旅程からして波乱を極めた。果たして彼らは期日までに双角獣の塔にたどり着けるのか……?

文句の付けようのない少年少女向け正統派冒険小説。大人も子供もご一緒に、めくるめく冒険の世界へ!
これまで刊行されてきたミステリーランドの作品群からは間違いなく一線を画するが、文句のつけようのない極めて上質の冒険小説であり、本書こそはこれからも長い期間、出版社や版型が変わったとしても読み継がれていって欲しい作品である。さすがに大人の読者であれば、あっという間に読み終わるであろう少々短めの作品ではあるものの、その平易な文章に置き換えられつつも圧倒的な奥行きを持つ世界描写といい、さりげなくも熟慮された年代設定といい、冒険小説の定型に近いながらも魅力的な登場人物を配するなど、作者の熟慮とその実力が遺憾なく発揮されている。またストーリーも波瀾万丈で、盗賊や敵との戦いの妙味があって、旅の楽しさも描かれ、それでいて結末への興味が尽きない。エンターテインメントを知り尽くした田中芳樹ならではの作品となっている。
また、巻末に記された参考資料一覧が膨大であり(その数七十余!)、実際の歴史をできるだけ取り入れ、さらに実在した登場人物を巧みにアレンジして物語に登場させる。主要テーマがナポレオンというばかりではなく、その周辺にまで実は深い配慮があるのだ。主要なメンバーでもっとも有名なのはもちろんデュマであろうが、その他の冒険者も実在の人物だ。それらを組み合わせることによって生み出される作品の魅力は相乗効果となって確実にプラスとなっている。
物語の最後に主人公たちが冒険の後、どうなったかがまとめられている点や、イラストがそれに応じて変化している点など、なんとも細かな配慮があってそれがまた小憎いくらいに嵌っている。

冒険小説系の読者のみならず、軽妙かつ上質のエンターテインメントとして誰にでもお勧めできる。子供が読むことを前提にしながらも、大人の読者の厳しい批評にも十二分に耐えうるから。素直に学校推薦図書にできそう、というだけでもしかするとミステリーランドの作品群のなかでは異質なのかもしれないが、それだからこそ価値があるのかも。


05/09/24
薬丸 岳「天使のナイフ」(講談社'05)

'05年、第51回江戸川乱歩賞を受賞した作品。薬丸氏は'69年生まれ。これまで漫画雑誌の原作賞に三度の佳作入選歴を誇るが、小説は本書がはじめてなのだという。(受賞のニュースをみた時名前をみて、知り合い? と思ったことは秘密です)。

セルフサービスのコーヒーチェーン店・ブロードカフェ大宮店の店長・桧山はまだ幼い娘の愛美と二人で生活している。桧山の妻・祥子を殺人事件で喪っていた。家に愛美といた祥子は家に押し込んできた何者かに刺されたのだ。祥子名義の何百万円かの貯金が引き出されていた形跡はあったが、桧山には動機も何も判らなかった。警察の捜査の結果、犯人は判明したが、逮捕はされなかった。なぜなら、犯人は三人組の中学生だったからだ。兇悪な犯罪者が単なる補導にしかならず、氏名すら明かされない法律の壁に桧山は悲嘆し、マスコミに対して「犯人をこの手で殺してやりたい」と漏らした。それから四年。店に刑事がやって来た。少年たちの一人、沢村和也が殺されたのだという。現場は桧山の職場のすぐ近くで、桧山は重要な容疑者となっていたのだ。もちろん桧山の犯行ではないのだが、アリバイの証明は出来ないまま刑事は一旦引き上げた。改めて桧山は少年たちのことを知りたいと思い、沢村が行っていた更正施設に向かう。彼の行為は周囲から嫌がられ、何者かに襲われたり、さらには弁護士が現れて恫喝されたりした。しかし、引き続いて第二の殺人が……。

深い哀しみをもつ犯罪被害者と少年犯罪とを複雑に絡めることによって紡がれる、人生のミステリ
少年犯罪そのもの、その実行犯にあたる少年たち、そして少年犯罪の被害者。現行の法律の壁によって大きく隔たれた彼らの人生が再び交わる人間ドラマ。近年、ようやく保護の方向に動きつつある犯罪被害者及びその家族。確かな殺人動機を持つ主人公が疑われ、そして過去の事件の謎を解くべく動く前半。プロットの組み立て方がうまく、いきなり引き込まれてゆく。個人的に良かった点は、犯人ではないかという疑われ方で前半で不安を引っ張りつつ、それを後半にあっさり放棄して別の興味に読者を誘導する点。主人公が犯人ではないことが明白なので、その興味だけで引っ張るのは物足りないとは思っていたら、あっさりその点が満たされてかえって驚いた。
前半部にちらりと出てきていた謎が後半に大きな意味を持たせ、登場人物のほぼ全てに何らかの過去があることが明かされていく展開。さすがにここまで来れば、ちょっと御都合主義が行き過ぎているように思わないでもない。だが、必ずその点に何らかの意味を持たせ、ミステリとしてのサプライズに寄与しているため、気にしすぎる程のことではないか。二重、三重のサプライズの末に明かされる真犯人の意外性も、前半のミスリーディングが効いているせいか効果的。全体的に演出の巧さが強く印象に残る。
強いていえば、問題意識を喚起するだけ喚起させておいて、果たして「じゃあどうすれば」といったあたり、何らかの作者の主張があっても良いのではないかとも思ったが、そのあたりどうも丸く収めてしまった感がある点がちょっと引っ掛かる。とはいえ、プロット型のミステリとして好作品であるという評価は変わらないが。

新人離れした着想とテクニックが随所にみられ、乱歩賞の名に恥じない実力をお持ちの方とみた。今後、主題を変えた時にどういった物語を作ってくるのか楽しみである。

おまけ。本書には”貫井哲郎”なるルポライターが登場、ミステリ作家の貫井徳郎さんに伺ったところ、この作者と面識は全くないそうです。偶然の名前の一致なのか、『殺人症候群』あたりを意識した何らかの狙いが作者にあるのか気になるところ。同様にベテランアルバイト店員として登場する”福井健”という人物も合わせて気になります。


05/09/23
篠田真由美「すべてのものをひとつの夜が待つ」(光文社カッパ・ノベルス'05)

『ジャーロ』の二〇〇三年秋号から二〇〇五年冬号にかけて六回連載された作品がまとめられたもの。作者あとがきによれば、近代小説の源流ともいえる、ゴシック・ロマンスの手法を意識して執筆したものだという。ただ、本書の場合は、そのゴシック小説の系譜が、確実に日本のミステリにまで伝わっていることを再確認させてくれるような役割を果たしているようにも思える。

幕末から代々連なる名家・満喜家。本州最南端にある町に住む一族は長男が代々寿一郎を襲名する習わしとなっていた。その寿一郎の招待状を受けて、五組十名の男女が全国から集められた。現在の当主である老人は、満喜家の莫大な財産を継ぐ後継者を欲しており、うち五名がその候補なのだという。残り五名は彼らのパートナー。相続人決定の試験はなんと宝探し。そのK町の沖合にある小島に建設されている巨大な西洋館のなかに、大きなダイヤが隠されており期限の十日のうちにそれを発見するというものだった。外部との接触を完全に断たれた状態で大学生・佐伯杜夫と草薙冬樹の又従兄弟ペアをはじめ、一癖も二癖もある若者たちが色違いのトレーナーを着せられて島に乗り込んだ。満喜家の秘書だという沖という青年の監視のもと、一斉に捜索が開始されるが、館は不吉な雰囲気に満ちていた。そして、その宝探し自体も何やら胡散臭い。そんななか、参加者の一人が浴室で吊されているのが発見され、一人、また一人と不吉な死を遂げてゆく。館は脱出不可能。果たして彼らの運命は……?

強調されるゴシックは、古き良きミステリの緊張感へと繋がり、豪華な館は正統派の本格ミステリを紡ぐ
なんというか、ひさびさに無条件に”新本格”ミステリを堪能した――というのが率直な印象。離れ小島、代々の名家の遺産、不自然に建築された西洋館、背景にある不吉な伝説……といった数々のエピソード、そして舞台装置や物語設定は思いっきりゴシック調のうさんくささで統一されている。こういった条件をこれだけ数多く満たせばゴシック小説という肩書きがついても確かにおかしくない。
ただ、その一方でこれらの要素は、かつての本格ミステリ作品が好んで取り上げてきた伝統的なガジェットとも同じなのだ。脱出不能の館に取り残される登場人物(閉鎖状況)。『そして誰もいなくなった』を思わせる孤島での連続殺人(限定されたメンバーでのフーダニット)。背景に確実に存在するものの、それが何なのかよく判らない企み。館そのものの不可解な存在や、当事者以外の登場人物の行動における謎……。 そういった様々な要素が「謎」として読者の前に立ちはだかる。 この緊張感、そして真相及び解決をひたすらに希求したくなる感覚。これはまさに伝統的な本格ミステリにおいて感じる気持ちと同じもの。現実問題としてはどうかと思える環境で、名探偵も作品内には登場しないが、数々の謎が解かれ、最終的にこのゴシックな様々な事象が理由付けされていく過程は、やはり謎解きミステリと同じ快感を伴うものだ。
これだけ非現実的な(例えば遺産争奪宝捜し)といった要素を作品中に取り入れれば、ミステリとしては非現実的という批判もあろうが、本作あくまで”ゴシック・ロマンス”を狙ったもの……といわれてしまうと、確かにこれはこれでありだよなー、と納得させられる。綾辻行人が『十角館の殺人』でやろうとしたことを、篠田真由美がこの作品で別のかたちで行おうとしている……というのが穿ち過ぎか。でも、こういった怪奇的な雰囲気のなかでの謎解きは、必ず一定の需要があるものと思うのだが。(私のように)。

とにもかくにも堪能、堪能。本格ミステリとして読むに何の差し障りもない、というか、近年稀にみるストレートな本格ミステリですよ、この作品。ゴシックという形容詞に惑わされずに、昔からお馴染みの純粋な謎解き小説として楽しみたい逸品。建築探偵でも端正な本格を継続している篠田さんだが、やはりこちら方面(純粋な本格ミステリ)の才能はまだまだ窺い知れない深さをお持ちだと思う。


05/09/22
小泉喜美子「太陽ぎらい」(出版芸術社ふしぎ文学館'05)

'85年に不慮の事故で急逝の後、小泉さんの作品集やエッセイ集が何冊か立て続けに刊行された。しかし『時の過ぎゆくままに』を最後にその動きは止まり、'93年に本書と同じ出版芸術社から刊行された『弁護側の証人』含め、その全てが絶版・品切れという状態が長く続いてきた。本書は久々に刊行される小泉喜美子さんの作品集である。

在日フランス人家庭の子供・アンリは悪戯好き。度を超した悪戯に周囲は悲鳴をあげるが……。 『子供の情景』
プロの観光ガイドが迎えるアメリカからの一家。失恋に苦しむ娘が失踪、ガイドは一計を……。 『観光客たち』
地球にスパイとして送り込まれた彼は、人間の女性と結婚することに。彼女は特別な機械を持参してきた。 『遠い星からきたスパイ』
専務令嬢と結婚の約束をした男の前に、地味な昔の恋人が妊娠したとやって来た。彼は彼女に殺意を。 『殺さずにはいられない』
大学教授と交際する女子大生。彼女の自慢は長い髪の毛。その教授が彼女をある職人のもとに連れてゆく。 『髪――(かみ)』
クリスマスの夜に男が購入した奇妙なゲーム。ゲームに成功するとその肩書きを持つ実際の人物が……。 『抹殺ゲーム』
毛皮職人とブローカーが、見たこともない素晴らしい毛皮を持つ動物を飼う女性のもとを訪れた。 『奇形』
ドラキュラと友人になった作家は、家に彼を招くためにドラキュラの苦手なものを片っ端から片づける。 『太陽ぎらい』
実際の古城を使った怪奇映画の撮影に、その城に眠るある人物が目覚め、そして迫真の演技を。 『ヒーロー・暁に死す』
山道に迷いこむ少年に愛の手ほどきをする美しい女性。彼女のもとにまた一人の男の子がやって来た。 『秋のベッド』
ミステリ作家の美幽子が自殺したと聞き、二人の友人女性は彼女のことを噂にする。彼女は本当は……? 『本格的にミステリー』
雑誌の取材で旧家を訪れた編集者。メインとなる雛人形が無くなっていることに家人は気付いて……。 『雛人形草子』 以上十二編。

華麗にしてお洒落、その世界に悪意をひとたらしした意外性。小泉喜美子の魅力を今また味わえる幸せ
この世に同好の士がどれくらいいるのか見当もつかないが、小泉喜美子さんの作品を収集する過程で立ちはだかるのが、幻想・SF系作品を集成した『幻想マーマレード』、そして集英社のコバルトシリーズとして刊行されている『またたかない星』である。(付け加えれば、メジャーとはいえない青樹社のノベルズで出た作品も入手は大変である)。有り難いことに本書、その前記二冊から九編が取られており、若干その入手できない渇を癒すことができる。(でも、収録作を読んで『幻想マーマレード』は欲しさの本気度が高まったかも)。
その結果(と、編集の千街晶之氏の趣味?)からか、どちらかというとミステリ要素をもった幻想・SF系統の作品が多くを占めている。 とはいえ、小泉ミステリーが持つ味わいはあまり薄れている印象はない。女性はあくまでお洒落を気にし、男性も矜持持ち、哀愁を秘めている。作者が嫌っていた泥臭さが、どの作品からも感じられないのはやはり特徴といって良いだろう。ミステリなのだ、現実離れして何が悪い、という作者の姿勢がどこか伝わってくるような印象だ。
そして、収録作品のセレクトが渋い。冒頭近くに『観光客たち』を置き、いきなりのショックを与えたかと思えば、系統の同じ『遠い星からきたスパイ』でじっくり楽しませる。小泉短編のなかでも屈指の皮肉な結末が素晴らしい『殺さずにはいられない』があるかと思えば、『抹殺ゲーム』で皮肉繋がりを見せつける。『太陽ぎらい』と『ヒーロー・暁に死す』はいずれもドラキュラ譚だが、特に作者の趣味が見え隠れする『太陽ぎらい』は、そのオチ以上に時代ならではの大量に登場する固有名詞に魅力があったりもする。『秋のベッド』は、意外性よりも年を重ねる女性の哀しみがじわりと感じられる佳作。作者自身が投影されたかのような人物が登場する『本格的にミステリー』も、その結末もまた作者の願望かもしれないと思うとミステリとしての出来以上に味わいが濃くなる。

いずれも、小泉ミステリの不思議な世界を堪能できる作品ばかり。全ての作品を所有する猛者の方はとにかく、これから小泉喜美子に入ろうとする読者にとっては麻薬のような役割を果たすかもしれない作品集なのである。で、ホントにどこかから『痛みかたみ妬み』出るんすかー? (どきどき)


05/09/21
石持浅海「セリヌンティウスの舟」(光文社カッパ・ノベルス'05)

論理パズラーの作家として、着実にその認知度を高めている石持浅海氏のカッパノベルスでは四冊目となる長編。帯にある「本格ミステリーの21世紀旗手」というコピーもあながち間違いではないように思われる。

たまたま一緒に石垣島でダイビングに出掛け、悪天候のなか海に潜った六人のダイバー。美月、清美、麻子、三好、礒崎、そして僕・児島克之。大時化のなかで遭難しかかった僕たちは、六人全員で輪になるようにして海に浮かび、救助を待ち続けた。そして、僕たち六人はそれからかけがえのない、心からの仲間になった。ある日、いつものように全員で都合を合わせて伊豆半島でのダイビングを楽しんだ週末。三好の家で夕食兼飲み会を終え、僕たちはこれまたいつも通り酔いつぶれて雑魚寝していた。朝方、目を覚ました僕は六人の一人、米村美月の様子がおかしいことに気付く。彼女は毒を飲んで死んでいたのだ。警察の捜査の結果、彼女の死は青酸カリを服用しての自殺と断定された。彼女の死を見つめ直すために日を改めて集まった五人。彼らは現場を撮影した一枚の写真に違和感を覚える。なぜ自殺に使用した青酸カリの小瓶が、キャップが締まった状態で倒れていたのか。美月の自殺の真意とは何なのか。僕らはさまざまな可能性について検討を開始した。

全幅の信頼関係のなかでのさまざまな議論。小さな疑問からよくぞここまで拡げたもの
石持浅海らしい作品であり、石持浅海らしくない作品でもある。
石持浅海らしい、という意味はやはり登場人物による徹底的、かつ様々な角度から事件を検証しようという物語展開にある。絶対の信頼関係にあり、最後まで良好な関係を持っていた美月が突然自殺した。その原因となった青酸カリが入った小瓶が「キャップが締まった状態」で「机の上に転がっていた」という二点が、地味ながらこの作品の中心となる謎となる。他の人間を巻き添えにしないように? それとも共犯者が? 徹底的に論議を尽くす姿勢を登場人物が持つのは、いくら不自然であっても良くも悪くも石持ミステリの特徴だ。また題名にも登場人物名(セリヌンティウスはメロスの友人)が使われている通り、太宰の『走れメロス』が物語の下敷きとして存在しており、ミステリとしての結末にもリンクしている点は評価できよう。
ただ一方で、かなり無理があることも否定できない。極限状況で全幅の信頼関係を築いた仲間という前提はもちろん構わない。ただその結果、死者を含む仲間同士に対して全幅の信頼を寄せているという設定があることに対し、その自殺を仲間による他殺ではないかと疑うあたりで、かなりそのラインが作者の恣意的に動かされているように感じた。自殺の動機、そして結末についても、まあ理解はできるのだけれど、作品世界に対して今ひとつ弱い気がする。全幅の信頼のなかには生き抜くことは入らないのか。読んでいて、作品内の理屈によって読者が覚えるであろう感情が無理矢理に押さえ込まれているような感じがして、そのあたりは石持浅海らしからぬ、という印象を覚えた。

正直にいって、よくぞここまで膨らませたものだというのが率直な気持ち。本格パズラーとしてのレベルは石持浅海そのものでありながら、小説としてはちょっとこれまでのように素直に絶賛しづらい、そんな作品であった。