MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/10/10
太田忠司「白亜館事件」(トクマノベルズ'97)

太田忠司さんの狩野俊介シリーズの十作目。短編集を挟み長編では七冊目にあたる作品。

ホテルやレストランチェーンを経営する実業家・柊遼が石神探偵事務所を訪れた。彼は、応対した野上に対し、二十年前に自殺した彼の兄・凱の死の真相を調べて欲しいと依頼する。その柊凱は、高校教師であり在野の化石研究家と知られており、日本国内で白亜紀の肉食恐竜の完全な化石を発掘していた。しかし、追跡調査ではその化石以外の結果が見られなかったことから、その業績は疑問視されいつの間にか学会からは無視されるようになった。凱は内に引き籠もり、その妻も自殺してしまい、息子の慎也と隠棲していたのだという。現在は父親同様、柊慎也が山の中に建てられた”白亜館”にて外界との接触を断つようにして暮らしている。柊家の一族とその白亜館を訪れた野上と狩野俊介らは、一族内部の凄まじい葛藤と打算を目の当たりにし、その依頼を断ろうとしたのだが……。

夢を抱く孤独な人々の想いが、思いも寄らない事件を引き起こす。何とも哀しい本格ミステリ
純粋な意味の本格ミステリとして捉えた場合はどうか……とも思えるところはある。半分ネタバレになるが、そもそも館自体が特殊な構造を持っており、その特殊な構造に輪を掛けたかたちの仕掛けがあり、その仕掛けが引き起こすかたちで事件が発生するからだ。ただ、これまでの狩野俊介シリーズを通して読んできていれば、そういった仕掛けがあること自体を予想すべきなのだろう。つまり、その仕掛けそのものの存在に無意味に付加された機能などではなく、何らかの登場人物の隠したくなる/隠さねばならない意志によって創られたという点では共通しているのだから。
本書の裏側にあるのは、これまたお馴染みともいえる「一族による骨肉の争い」。そしてその醜く現実的な争いのなかで犠牲になる魂が事件を呼ぶ。また、この流れのなかで家族に恵まれない(本書の段階では、野上と俊介の繋がりが着実に固まっていて、それはそれで暖かい)俊介が、同様の立場の人間に対して抱く感情、そしてそれを乗り越え逞しく成長していく過程というのが明らかに大きなポイントとなっている。
あたかも数千年前の恐竜の化石によって食いちぎられたかのような猟奇的な惨殺死体。だが、この事件の裏側には、館を建てた者の哀しい意志がある。白亜館の真の目的と構造が明らかになった段階で事件は半ば解決したも同様だが、その思いの方が強く読後に残るのだ。さりげない作品ながら、佳品であるといえるだろう。

俊介、アキ、野上の関係性がシリーズを追うごとに着実に変化している点は、読んでいて微笑ましく、それがこのシリーズを追っていく読者にとっても楽しみとなっている。小生、遅れてきた狩野シリーズ読者ながら早く現在に追いつきたい。そんな気持ちが止められない。


05/10/09
岩井志麻子「楽園に酷似した男」(朝日新聞社'05)

『小説トリッパー』誌の2002年冬季号から2004年秋季号にかけて連載された作品の単行本化。

主人公の”私”は女性作家。日本で暮らすにあたり周囲の様々な人々との軋轢に耐え、時を見て南国・ベトナムに住む青年に会いにゆく。かつては外国人向けのレストランにいた彼は、今や私の愛人としてセックスをすることで、私の金で家族ともども暮らすようになっていた。私の金を当てにする彼とその周辺の人々の浅ましさに辟易しながらも、私は私で彼と会うことを止められない。そして私は日本とは別にソウルのホテルに勤める男もまた愛人にいる。彼との静かな暮らしもまた私を魅了する。私は私で、日本にはお腹を痛めた子供たちがいて、その子たちのことを死ぬほど愛しているのだが、それでもやはり愛人たちと会うことは止められない。日本の物価、そして作家の収入でそんな暮らしを賄い、彼らや日本にいる内縁同然の男たちのことを小説に書き、私は愛人と会い続け、セックスを貪る……。

一応はフィクションということになろうけれど、事実上のセミ・フィクション。小説といっても内情小説
岩井志麻子の描く、救いようのない幻想・怪奇・ホラー小説が好きだ。岡山を舞台にし、かつての日本の貧困さを正面から描き、その隙間の悪意や怪異を滲み出させる手法は、その文章の巧みさと合わせて、余人には真似できない高みに至っていると確信している。その一方で、岩井志麻子は最近、本書のような「半自伝的」な、自分とその周辺人物をモデルにした作品を数々発表している。何となく、流れでこちらの系統の作品も幾つか手に取ってはいるのが、果たしてこのような作品を好んで読む読者はいるのだろうか――と素朴な疑問が湧く。
既にさまざまなところで御本人が自ら明らかにしている通り、主人公の私=岩井志麻子である。本書で描かれている、愛人との生活も妊娠も堕胎も、出産(そして父親は韓国の内縁の夫か、ベトナムの愛人のどちらなのか分からない)も、多少の脚色はあるだろうが基本的に事実。本書は、その事実と雑感を多少の小説化を施して描いているに過ぎない。周辺人物や愛人たちに対する観察力や自分自身の情動に対する醒めた分析は、作家としての天性の才能によって文章化されており、断片として読ませるものの、物語としての感動も共感も残念ながらあまり得られない。一方で、ここまで無軌道で奔放で破天荒な生活をしながら、それを赤裸々に発表してしまえる度胸は、それもひとつ才能なのかもしれない。あまり自慢げでなく、淡々と綴っているあたりが特に。

まあ、これはこれで他の同系統作品と合わせ、岩井志麻子さんの近況報告みたいなものか。そういう意味では同じような内容のエッセイもあるはずなのだが……。不思議な人だと思う。


05/10/08
古川日出男「LOVE」(祥伝社'05)

『小説NON』誌(二〇〇四年一二月号から二〇〇五年七月号)に掲載された作品を集めた……短編集? 長編?――いや、作者の後記によればこれは全四七〇枚からなる「巨大な短編」らしい。

外資系企業に勤め、男と最近別れた椎名可奈・カナシーは目黒にいる。昼休みに目黒川に来て、いろいろと考える。そこで少年と出会う。携帯電話が落ちていることに気付く。遊歩道に若いママがいてデジカメを持っている……。 『ハート/ハーツ』
本名は真沙季。だけど十歳で今はジャキ。小学五年生で愛機の自転車と今日も走る。走る。走る。家の中はいろいろと大変だ。大荷物を持った男と公園で出会う。さすらいの料理人。僕たちは料理を食べる。そして「大人になるな」といわれる。 『ブルー/ブルース』
いつも無口でクールな戸田慎。ボーイ。七時間の物語。ボーイは恵比寿のホテルに泊まる。別のホテルのレセプションにいる磯部朋子。悪い奴らがいる。企んでいる。戦いが始まろうとしている。ボーイは職場にいる。 『ワード/ワーズ』
名前はオリエンタ。IT企業の人事で人を切ることがいつの間にか仕事。最近、友人が死に落ち込み、仕事で落ち込む。猫に気付く。猫を探す。同じ人種がいることに気付く。そして。 『キャッター/キャッターズ』

犬の歴史は時を超えて争われ、猫の歴史は”今”の面積を競う。人はそれぞれに生き、時折交錯するのみ
古川日出男独特の、硬質でエッジが効いた……というよりも生き急ぐようにビートを刻むような二人称の文章によって綴られる、東京都内・本来の山の手(例えば今の世田谷は戦前からいえば山の手ではないらしい)地区と新たに埋め立てられてできた湾岸地帯とに限られた、猫と、それにまつわる人々と、それにまつわる人々と交錯する人々との物語。恐らくは作者ですら、個々の登場人物が何をするのか、何を目指すのか不明なまま書いたのではないか(いや、やはり計算なのか。だとすると凄すぎる)。全体の構図と場所、そして人物が頭にあって、彼らが絡むことによって『ベルカ、吠えないのか?』にて描かれた犬の歴史と対をなす、古川流で今度は猫の世界を表現しようとした――作品だ。
ひとつひとつの中編は、語り手も異なり、登場人物も一部だけしか重なっていない。点景とまではいかないが、その中編にて登場する瞬間を目指して生きている。古川日出男――実際は各中編の登場人物が語り手となり、その中編中編で起承転結のないドラマが描かれる。読者の心には、個々の登場人物の強烈な個性と、そして物語の枠となる東京のある地区の姿がぶつんぶつんと刻み込まれていく。都市論とかそういうものとはまた異なる、断片による切れ味。読者の想像力をかき立てる(今もどこかで猫は戦い続けているのか、それを見守る人がいるのか)といった物語の持つパワー。実感させられる。興奮する。

読み終わって何が残るのか。人の心ではなく、猫だ。猫の世界だ。『ベルカ』は犬によって歴史が語られ、『LOVE』では、猫によって世界が語られる。 そんな小説。『ベルカ』を読んで感心された方は必読ですね、コレ。


05/10/07
西尾維新「ネコソギラジカル(中) 赤き征裁vs.橙なる種」(講談社ノベルス'05)

《戯言シリーズ》の最終話となる『ネコソギラジカル』全三冊のうちの真ん中の一冊。

狐面の男の使役する《十三階段》のひとり、奇野頼知によって謎の病魔に冒されてしまった浅野みいこさん。彼女に告白をした《いーちゃん》、そして骨董アパートの住人である石凪萌太、闇口崩子の三人は、解毒剤を手に入れるために狐面の男の招待を受けて、会場に指定された澄百合学園跡地へと向かう。測ったように登場する哀川潤を加えて突撃した彼らの前に現れたのは、《いーちゃん》の米国時代の親友、そして死んだと思われていた想影真心だった……。(前巻まで)。しかし、真心の様子はどうもおかしいと考える間もなく、石凪萌太が薙ぎ払われ、続いて匂宮出夢・闇口崩子の必殺の一撃をものともせず、哀川潤ですら歯が立たない。気付けば立っているのは真心一人。眠ったまま哄笑した真心は、突然その場に崩れ落ちる。落ち着き払って狐面の男は仲間を呼び、哀川潤をも連れ去っていく。解毒剤は手に入れたものの、完膚無きにやられた《いーちゃん》たちには、更なる試練が待ち受けていた。悲劇。そして、しかし、専守防衛から先制攻撃へと切り替えた戯言使いは着々と策を進め、《十三階段》の切り崩しを図っていたが、突如、狐面の男が一方的に戦いを放棄してしまう……??

物語の常道からくる予測をことごとく裏切る――。意図的な不完全さが不思議な魅力を醸す
ある程度の読者(それは漫画でもアニメでも構わない)であれば、シリーズとして続いた物語の終盤というものを幾つか経験するうちに予想というか想像というものができるようになると思う。それまで懸案として残されていた謎が解かれるとか、最終決戦に向けて仲間たちが集結して、シビアな戦いを強いられるとか、幸福なエンディングに向かって和解がなされるとか。まあ、ことばにすると尽くせないものだが、「ああ、こういう方向に行くのだな……」という方向性くらいは透けてみえるもの。ところが、この「戯言シリーズ」は、それが一切読めない。

なんといっても、最後の敵と思われていた狐面の男が(ネタバレ)自分の都合で主人公である《いーちゃん》との戦いを一方的に放棄してしまうのだから。何しろ、狐面の男が集めた《十三階段》も、きちんと全員登場していない段階でこれかいっ! と突っ込みたくなる。ならば平和なエンディングをすんなり迎えさせてくれる……ほど甘くはなく、そこはそこで読者の予想をあっさり裏切る。平穏無事な生活は再び崩れ去り、あとはもう何が何やら。
とはいえ、読者を混乱・惑乱させることも恐らく作者の計算のうち。物語は無理を重ねるでもなく、破綻するでもなく着々と進められていく。このあたりの落ち着きぶりには敬意を表したい。「戯れ言」は「戯れ事」でもあるということを誰よりも深く作者は理解しているということか。

まあなんにせよ、上中下とあるうちの中巻であまり言葉を費やすのも何なので、とりあえずこの巻についてはここまで。


05/10/06
森 博嗣「φ(ファイ)は壊れたね」(講談社ノベルス'05)

S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季四部作と続いてきた(除く短編集)、講談社ノベルスの森博嗣の新シリーズ。登場人物たちはS&Mシリーズと世界を同じくし、犀川創平や西之園萌絵なども登場するが、更に下の学生たちが主導権を握っている。どうやらGシリーズとなるらしい。

C大の工学部のM1・山吹五月は、友人の舟元繁樹のマンションに遊びに来ていた。その舟元はマンションの管理人を兼務しており、舟元が外出しているあいだに二人の女性が彼のもとを訪ねてくる。舟元の住む五〇一号の上の部屋・六〇一号に住む町田弘司の部屋を開けて欲しいという。彼女たちはN芸大の四年で町田の友人。頼まれたまま部屋の鍵を開けた山吹がドアを開けるとダンボール箱がいきなり部屋から飛び出してきた。そしてシンナー臭い部屋の中では、住人の町田が両手を天井からぶら下げられたかたちで、ナイフを突き立てられた死体となっていた。装飾された密室殺人。現場から一部始終が録画された「φは壊れたね」と題されたビデオテープが発見され、さらに謎が深まってゆく……。山吹と中学の同級生ながら現在はC大の後輩にあたる海月及介、そしてまた海月とも同級生にあたる加部谷恵美、N大の大学院のD2ながら山吹の指導にあたっている西之園萌絵らは、身近に発生した事件についてあれこれと論議を重ねる。驚いたことに西之園萌絵は、何かと警察に顔が利くのだった。

新シリーズの開幕。密室殺人は論理的ではあるが、論理的であるがゆえに冷たい印象
ああ、これは森ミステリィだよなあ……というのが全体を通読した印象である。新シリーズということで、再び工学部の住人たちを主要登場人物として新規に作成しているが、これまで天才や異能者(とまでは云わないまでも)たちに比べると理系とはいえ明らかに平凡な主人公たち。とはいっても森博嗣の作るキャラクタは基本的に論理的に思考するのでミステリ向きではある。
装飾された部屋における猟奇にして完全な密室……。巻き込まれた学生、事件に興味を持ち、真相を知りたがる周囲といった展開。飛び道具でもある西之園萌絵が、警察情報を入手してくるあたりは前シリーズの経緯をふまえているが、実際の謎解きは、新しく登場した人物たちに委ねられる。なんというか、「課題を与えられた学生たち」といった風情。 事件にタイするさまざまな論理が積み重ねられる中盤は悪くないが、……個人的には”真相”がちょっと。確かに理屈と状況の整合性といった意味からみればこれでも良いのだろうけれど、一般のミステリでは禁じ手とまではいえないまでも、引っ掛かりを覚える内容なのだ。例えば、(ネタバレ)被害者を含む関係者が演技していたとか、管理人室への犯人の脱出方法のタイミングであるとかあたり、かなり無理筋を押し通しているなという印象。まあ、このあたりへのツッコミが無粋だといわれるというか、この全体の、どこか冷えた雰囲気を味わうのが森ミステリィだと思うのでだから駄目というつもりもないが。

カバーの見返しをみていて感じたが、既に森作品の冊数はかなりの数にのぼっている。(時の経過を感じる)。これらを押さえている人が、続けて読むべき作品か。犀川、西之園、国枝といったS&Mシリーズの登場人物のその後を知ることができるあたりはポイントだろうし。


05/10/05
西澤保彦「フェティッシュ」(集英社'05)

書き下ろしにて刊行された長編作品。ノンシリーズで表紙・帯とも真っ黒(表紙の帯に隠れた部分は真っ赤)な装幀となっており、どこか同じ出版社から先に刊行されて白を基調にまとめられていた『パズラー』との対比が感じられる。ある意味中身についても。

定年退職後、妻を亡くしてひとり暮らしをする直井良弘の日課は、地元新聞の葬儀告知欄をチェックすること。彼は一日一回、葬儀に参列することを趣味としていた。葬儀が趣味ではなく、直弘の本当の目的は葬儀に参列する女性の黒のストッキング姿にあり、その姿をさりげなくデジカメに撮影することが目的だ。その彼は、偶然参列した葬儀で目撃した少年の姿が気に掛かる。彼は確か、以前にあった別の葬儀に女子高生姿で参列していた人物ではなかったか。しかも、今回も以前の葬儀も故人は不審死を遂げたものだった……。一方、看護士の及川由衣は深夜、勤め先の病院院長の二代目の手伝いを急に頼まれる。高級乗用車の後部座席からぐったりした美少年を下ろし、セキュリティの高い特別病室へと運ぶのだ。由衣は少年の脈が停止していることに気付くが二代目は大丈夫だと請け負う。果たしてこの少年は……? そして愛する妻から離婚を言い渡されて自暴自棄になっていた志自岐幸夫。その後、親の遺産を食いつぶして暮らす彼は、悪酔いして通りがかった公園に踞る一人の少年と出会う。なんとなく彼を家に連れ帰って世話を焼く幸夫だったが、彼と別れた妻とのイメージが重なった結果、その少年を抱きすくめようとするが、その瞬間少年は絶命してしまい、幸夫は呆然となる……。

個人個人の異なる欲情の断片と、謎の美少年とが交錯するとき、その安らぎの世界が崩壊する……
もともと一般的には、西澤保彦=SF本格ミステリないし論理追求型本格ミステリという図式が存在するが、その裏側に(?)隠れるように一応本格ミステリの形式をとりながらという前提はありつつも、ジョークに溢れた作品群と、サイコ系異常犯罪を描いた作品群が存在している。本書は、その後者に属するもので様々な種類のフェティシズムに囚われ、犯罪に巻き込まれる(引き起こす)人々の群像小説のような体裁が取られている。
本書以前にも、幾つかの作品のエピソードのかたちで人間の持つ特殊な嗜好(特殊な人間の持つ嗜好ではない)について作者は描いてきている。本書の場合は、ことさら異常性が強調されているきらいはあるが、市井の一般人でありながら、一般的に許容されない趣味嗜好を持つ人々が、物語の断片をそれぞれ受け持っている。美少年好き、女装趣味、ストッキングフェチ……等々。それだけであれば犯罪に触れない限り、そう問題はないのだが、さらにそこに混沌を引き起こす材料として謎の美少年を物語に作者は投げ込む。その結果引き起こされる特殊な悲劇が本書の主題となっている。
もちろん作者が西澤保彦であるところ、単なるフェチ小説に終わらせてはおらず、複数のエピソードを繋ぐかたちで、最後には特殊な形式ながら「謎解き」が行われているのも事実。だが、その混沌は晴れず読後感も決して爽やかなものとはいえない。ただ――、混沌と混沌とがぶつかり合う際に発せられる強いパワーは、こういった形式の作品でしか描き得ない独特の味わいを持っている。 登場人物の行動基準は確かに特殊だ。だが、人々の多くはそういった小さな隠れた嗜好を(本書の登場人物と同じという人はさすがに少数派かもしれないが)持っているのではないか。一般的ではなく、読者の共感を呼べるものではなくとも、この作品は愛の物語であり、哀の物語である。

若干、執筆の舞台裏が透けてみえるような気もするが、そこは気にするまい。一般的な西澤作品の読者にとって受け入れられるかどうかは疑問だが、作者が何かを吐き出すような迫力をみせている点はやはり特徴として挙げられよう。単なるサプライズ小説でも、論理の本格ミステリとも違う、西澤保彦の一側面。そういった気持ちで手に取る作品なのかもしれない。


05/10/04
西尾維新「ネコソギラジカル(上) 十三階段」(講談社ノベルス'05)

西尾維新のメフィスト賞受賞作『クビキリサイクル』が刊行された段階では予想もつかなかったが、この《戯言シリーズ》は、講談社ノベルスでも屈指の人気シリーズに成長した。本書は、その掉尾を飾る三部作の第一弾。

前作で受けた傷の治療のため入院中の《いーちゃん》。前作で登場し、一方的に《いーちゃん》のことを「俺の敵」とみなしてきた、自分から名乗らなかった男の正体についてあれこれ調べていた。西東天(さいとうたかし)。幼少の頃からの天才として才覚を伸ばし、米国でのERシステムにも参加。しかし今から十年前、西東天が二十九歳時に数人の仲間と共に帰国、娘に殺された……はずの人物。不明点も多々あったが、今の《いーちゃん》では、そこまで調べるのがやっとだった。そして、その娘というのが哀川潤……? 悩む《いーちゃん》のもとへ足繁く見舞いにやってくる骨董アパートの住人・闇口崩子ちゃん、そして浅野みいこさん。みいこさんがいる時、狐面の男の使者・《十三階段》の十二段目、奇野頼知がメッセージを携えて病室へとやって来た。みいこさんが彼を撃退するが、大したことのないと思われた奇野は、恐るべき仕込みを行っていたのだった。そして退院した《いーちゃん》は、骨董アパートの仲間らをはじめ、彼のもとに集まる面々と共に最悪のパーティに臨む。

登場人物の意識のなかで意識される物語、そして世界。最終進行のはじまり
……とまあ、最終巻も刊行されてから読み始めているので、トータルの物語として感想を述べても良かったのだが、なんとなく気付いたところなどを書きたくなったので分けた。
まずは、既に有名なことながら登場人物表。これまで登場したほぼ全ての人物を網羅したうえ、今後登場するという人物までずらずらと六十人以上が並べられている。生存者が全員何らかのかたちでこの最後の物語にかかわるということもあり、説明という意味もあるのだろうが、この「ユニークなネーミング」そして「多人数の異能」というあたりを眺めていると、清涼院流水のJDCシリーズと微妙に被りが感じられる。というか、脈々と続いている対戦系統の漫画の系譜でもありそう。で、これだけのキャラクタを、いくら特徴付けてもやはり読者の能力で読み分けていくことには限界があって、そこで竹氏のイラストによる視覚効果が、それをサポートしていると感じられる。普通の意味での文中イラストはないのだが、各章冒頭に記されるキャラクタのイメージ画というのは、本書においては非常に重要なのだ。
また、もうひとつ気付いたのは、ここにきて物語世界の説明が多くなっていることだ。これまでの《戯言シリーズ》では、普通の世界があり、それと異常な能力者が存在する世界が二重にあるようなイメージがあったが、その点に関しての説明が本文中にあり、奇妙に納得させられた。この説明をこれまでしてこずに読者を連れてきている点が、逆に改めて驚異である。
そして、もうひとつは「物語の加速」 本文中に散々述べられているのだけれど、微妙なメタ的な視点が登場するのが面白い。決して完全メタ視点ではない、半分メタ視点。自分たちが物語の登場人物だと自覚したうえでの「戦略」「予想」「理由探し」。その結果、この最後の物語の多くの部分に整合性がととのえられつつある。こういうかたちで最後を締め括ろうとするあたりのセンス。これが天性のものだとするとやはり西尾維新自身もまたは異能者なのだと思える。

……というあたりを考えながら、上巻を読み終えた次第。さて、続きを読むとするか。


05/10/03
大倉崇裕「丑三つ時から夜明けまで」(光文社'05)

「捜査五課」シリーズの連作短編集。『創元推理』18号、20号に発表された短編二つに『ジャーロ』二〇〇三年夏号、二〇〇四年夏、冬号に発表された短編が三つ。構造上は連作で一冊に大きな構成があるのだが、発表順と作品の流れが別で、二番目に発表された「栗端家の犬」が全面改稿されて、最終話の「最後の事件」となっている。

厳重に閉ざされた地下室内部で悪徳金融業者が殺された。しかし現場は密室。これは幽霊の仕業なのか……? 『丑三つ時から夜明けまで』
雪に囲まれた南アルプスにある小さな旅館でジャーナリストが殺された。オーナーが行方不明だが旅館を出た形跡はない……? 『復讐』
水産会社社長の娘が駐車場で刺殺された。凶器は頭上に刺さったナイフ。だが防犯ビデオには全く犯人の姿がない……? 『闇夜』
休暇中の米田警部補を追い、獄死した犯人の幽霊が飛ぶ。孤立した山荘で果たして私は米田の身を守れるのか……? 『幻の夏山』
布団の詐欺商法で財を成した会社社長が自室で殺された。部屋を開閉する特殊な鍵は被害者の傍らに。犯人はやはり幽霊? 『最後の事件』 以上、五編。

ちょっととぼけた設定と怪奇小説の妙味。パターンに囚われない本格のロジックは先読みを許さない
まず、設定に妙味がある。警察の調査の結果、人間は死後の一定期間「幽霊」となる。その死の衝撃が強く、もともとの霊力が強い場合は、強烈なパワーを持った幽霊となり、殺人事件の被害者が加害者に復讐を果たしたりするケースもある……。という前提から、さらには「捜査五課」なる、幽霊犯罪専門の組織がつくられた。その捜査五課と、普通の捜査一課に所属する主人公の「私」が協同捜査するというのが本書の設定である。
この連作の五作品、基本的には狭義、広義の密室を中心とした不可能犯罪を扱っている。うまいのは、毛色の若干異なる「幻の夏山」を除く四作、犯人が壁のすり抜けが可能な幽霊とも、トリックを弄した人間ともどちらとも取れる点。 この結果、「捜査一課」vs「捜査五課」の対立が発生し、この部分が繰り返しの妙も重なって微妙なユーモアを醸し出している。また、その両組織が見込み捜査を繰り返し、その立証段階で思い切り躓くあたりも面白い。捜査一課に所属しながら霊感が強く、謎解きの役割を振られる「私」が探偵役なのだが、その探偵役があまり目立たず、一歩引いているところもポイント。結果、個々のエピソードや、捜査一課・米田警部補と捜査五課・七種警部補の両名がやたら目立つようになって、その二人の対立が独特の味となっている。また一方で、幽霊が登場することもあって、ちょっとした怪奇小説的な味付けがあるのも好み。特に幕切れで「ぞわっ」とさせる部分があって、綺麗に割り切れないところでこの作品の設定が活かされているように思われた。
ただ、遊び心というか展開の面白さを狙った結果(というよりも、むしろ複数の雑誌に掲載された作品をイレギュラーに連作にまとめた結果)、一部に設定の矛盾があるように思われた。ただ、そのあたりも含め、ミステリ部分よりも”物語”を優先して作者が確信的に行っているようでもあり、厳密に検証して問題点を引っ張り出す作業が有意義だとは感じられない。

大倉崇裕氏の持つユーモア溢れる作風が如実に現れた作品でありながら、本格ミステリの手法が随所にみられ、それもまた大倉作品の持つ特徴でもある。なんというか不思議な味わいの作品であり、そして楽しめました。


05/10/02
加納朋子「てるてる あした」(幻冬舎'05)

ささら さや』に続く、佐々良シリーズ第二弾。『星星峡』の2003年7月号から2005年3月号にかけて連載されていた作品の単行本化。主人公はサヤから雨宮照代なる中学を卒業したばかりの少女に変わってこそいるが『ささら さや』のレギュラーメンバーの多くが再登場しており、やはり続編的ニュアンスが強い。

享楽的で美人の母親、その妻を愛することと車への情熱を欠かさない父親。いずれも金銭感覚の欠如した両親のもと、雨宮照代は進学高校に合格したにもかかわらず、その入学金を「お金がなかった」から振り込んで貰えず、進学できなかった。さらに雨宮家は多重債務に陥っており、債権者が家を訪れるようになっていた。楽天的な両親は何とかなるとばかりに夜逃げすることに決定。ただ照代は自ら反対して、夜逃げはするものの「遠い親戚の鈴木さん」なるところに預けられることになった。事前の連絡などしてもらえないまま、照代は荷物と、母親から貰ったプリペイド式の携帯電話を持って佐々良という田舎町にやって来る。紆余曲折の末に、その鈴木久代さんなるおばあさんの家に送り届けられた照代は、とげとげしくて痩せて背の高いおばあさんだった。口が悪く鋭い舌鋒を持つ久代さんと照代は同居することになる。年が離れ、口うるさいおばあさんとの二人暮らしに照代は居心地の悪い思いをし、我慢を続ける。
『春の嵐』『壊れた時計』『幽霊とガラスのリンゴ』『ゾンビ自転車に乗って』『ぺったんゴリラ』『花が咲いたら』『実りと終わりの季節』 以上七編……なのだが連作短編集というより一個の長編を読んだ感覚に近い。

どんなにどしゃぶりの気分でも、晴れ晴れとした気持ちでの読了を保証。元気をくれる小説
主人公・雨宮照代に課せられた「不幸」がまず強烈。もともと一家が貧乏で、仕方なく縁の薄い親戚のもとに身を寄せる子供……というようなケースを扱う物語はかつてもあったかもしれない。だが、本書の場合、親としての自覚が一切ない親の、あまりにも無計画で楽天的な生活の結果そうなってしまった……というあたり不思議な現代的リアリティが伴う。 十五歳にして世の中に対して絶望を抱く雨宮照代という主人公の造型自体は、語弊を恐れずいえば平凡といって良いにもかかわらず、その”両親”のもとに生まれてしまったという彼女の境遇に、大きなインパクトがある。
物語は連作短編集の体裁を取っており、個々には小さな問題(謎とも言い切れない)と、その解決がある。ただ、その小さな謎が解けたといって満足するような作品ではない。そういった個々の問題を通じ、照代の成長がいかに描かれるか、という点に注目する物語だろう。前作に引き続き、佐々良の人たちは”善意”をもって動いており、その善意を素直に受け取れない照代の姿に読者はやきもきさせられる。また、物質的な満足がなくとも、日々の充足感は得られるという当たり前の事実に照代が気付き、自分自身を取り戻し、そして以前の自分よりも大きく逞しく成長してゆくまでの過程が読みどころなのだ。
もちろん、個々の作品にて発生した小さな「?」が最終的には解体もされるし、根本的な謎でもある「何故照代は鈴木家に預けられたか」といった部分も大きなポイントとなる。良くも悪くもインパクトのある親のエピソードから始まった物語は、やはり、その親の持つ裏の事情へと繋がっていく。なので個人的には、雨宮照代の物語であることは理解しつつも、彼女の「親」の物語でもあるという二重性に印象が残った。

『ささら さや』はめろめろになって読んだ記憶があるのだが、この『てるてる あした』はそれよりかは少し引いて、多少は客観的に読めたように思う。結局、読書というのは主観的作業なのかもしれない……とちょっと感じなくもない。だからこそ”自分”に合った本というのが千差万別であり、そこが読書の面白いところである。

いわゆる、”素直に良い”物語。毒だとか悪意だとか、刺激を求める向きには当然物足りないだろうが、もともと加納朋子さんの作品にそれを求める人もそういないだろう。しかし、加納さんの作品と菊池健氏のイラストは相性が良いですねえ。


05/10/01
青井夏海「そして今はだれも」(双葉社'05)

'01年『スタジアム 虹の事件簿』にて本格的にデビューの後、テレビドラマ化された助産婦探偵シリーズ『赤ちゃんをさがせ』などでスマッシュヒットを放った青井さん。本書は書き下ろしとなるノンシリーズ長編で著者初の学園ものになる。

衝動的に「発作」を起こし万引きをしてしまう名門女子高に通う美加子。罪悪感を覚える彼女の家庭教師がその事実に気付く。しかし、先生はそれを告発するではなく別のことを彼女に求めた――。
名門女子高に通う良枝。友人の”お嬢様”との付き合いに普通の家庭に通う彼女の財政が耐えられない。昔の友人と出会ってある”アルバイト”を行い味を占めた彼女だったが、その行為が家庭教師に知られることになる――。
伝統ある名門女子高・明友学園に併設された男子クラス。女子に比べ圧倒的にレベルの劣る男子クラスに、新任教師の坪井笑子が着任した。そのクラスにはバイク事故で記憶をなくし、一学年遅れた棚橋恭二がいる。ほかに数名いる男子クラスの担当教師は、サブ校舎にある第二職員室に隔離されて勤務を共にする。その笑子に女子からお願いがかかった。新しく創る「ゲームプログラミング同好会」の顧問になってもらえないか――。快く引き受けた彼女は、放課後、生徒の一人に案内されて同好会のメンバーと面通しし、彼ら自作のパソコンゲームに挑戦させられる。「仮面の教師Xを探せ!」。学生の弱みに付け込む教師が誰なのか探すゲーム。しかもしれは実際の噂がもとになっているのだという。彼らの同好会とは実は仮の姿で、かつて棚橋恭二と交際していて、Xに脅され休学している西園寺楓を呼び戻すために、Xを探し出したいというのだ。そのXはどうやら第二職員室にいる教師のうちの誰からしい……。

思いがけない悪意と、予定調和を覆すラスト。ミステリを通じて青春の苦さが浮かぶ青井夏海の新境地
まず、序盤に描かれるエピソードで驚かされる。年頃の女子高生の家族にもいえないような悩み、そしてそれを食い物にする家庭教師。生徒と教師の関係ですら大きなプレッシャーであるのに、さらに加えて弱みに付け込むような強烈な悪意が淡々と描かれる。 これまで青井夏海さんには数冊の著書があるが、どちらかといえば平和な話が多く、まずこの段階で大きな驚きがあった。
続いては、生徒たちに引っ張られるかたちで、同僚のなかにいるその「悪徳教師X」を探す展開。この部分は特殊なかたちではあるがフーダニットのミステリとして機能している。退学・休学した生徒の情報をもとに、同僚の癖や経歴と照らし合わせて「X」が誰かを捜し出す。情報が小出しになるところがあり本格というよりも、どちらかといえばハードボイルドの手法を踏襲しているように感じられる。ただ、ここもそう単純な構造になっていない。癖のある教師陣はその尻尾をなかなか見せず、素人探偵である笑子もなかなか核心に触れられない。そして浮かび上がる「X」の正体とは……?
ただ――、本作、単なる学園ミステリーではない。もともと、記憶喪失の友人のために必死で行動する生徒たちの思いが伝わってくる。当然、作品の構造上「X」が誰なのかは、最終的に明らかになるが、この後に本書の最大のポイントがあるように思うのだ。つまり、休学していた彼女が戻ってきてちゃんちゃん、という予定調和では終わらないところ。ネタバレになる可能性があるのであまり詳しくは書かないが、こういった青春小説の定番・ルールといった調和をラストに打ち破ってしまうのだ。しかし、それが恐らくは自然な反応でもあり、読者は複雑な気分になる。この時期だからこその心の傷の深さ、そして一方の思いやりの深さといったところが、この予定調和に反した結末によって見事に強調されている。 その結果、単なる青春ミステリーを超えた、強烈な苦さが読後感として残るのだ。そのフォローも入れてあるので不快感はなく、むしろインパクトのみがぐさりと心に突き刺さる構造になっている。

シリーズ化されるタイプの作品ではなく、あくまで単発を前提とした物語。(いや、この学園自体を舞台にすることは有り得るか)。やはり普通のフーダニットミステリとしてだけではなく、一流、そしてオリジナリティ高い青春ミステリーとして心して味わいたい作品だといえよう。