MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/10/20
太田忠司「昨日の殺人」(講談社文庫'96)

僕の殺人』『美奈の殺人』に続く太田忠司初期三部作(別名「殺人三部作」)の掉尾を飾る作品。即ち、太田忠司氏の三冊目の長編にあたる。

母親と別れて五ヶ月。父親が飲酒運転による事故で死亡した。その時には父と折り合いの悪かったはずの伯母と、伯母の息子のヨウイチが同乗しており共に亡くなった。主人公である僕こと西田健一は東郷大学の二年生。僕はその事故の直後、父からの手紙を受け取っており、それが事故ではなかったのではないかと疑っていた。その年の暮れ、父が一ヶ月ほど身を寄せていた伯父で作家の語呂仁の宅で開催されるクリスマスパーティに僕は招かれる。雪の積もった西影浦という街に赴いた僕は早速、伯父に父からの手紙をみせるが、伯父の返事は否定的なものだった。一方、語呂家には最近疎遠になっているものの、かつて僕と仲良かった娘・由佳がいた。大学生になった彼女の友人たちも数人がパーティに参加していたが、彼らは彼らで女性を巡っての鞘当てが行われていた。そして翌朝、その友人の一人が、奇妙な状況で死体となって発見される。転落死したと思われる死体は、その直前に庭を通った使用人は見かけていないというのだ。

アイデンティティの模索、一族を巡る葛藤、本格トリック。シンプルな構成のなかに太田忠司のエッセンスが籠もる
本格ミステリの舞台――という意味では格好の、閉ざされた雪の山荘がメインとなる舞台。もちろん、ここに死体消失・表出という奇妙なトリックが現れるわけだが、この作品は単純なる謎解き小説ではない。 むしろ、本格トリックという本来メインとなりそうな事象を、どちらかといえばエッセンス程度しか使用していないようにみえる。いや、密室殺人事件の真相は、正直論理で導かれる驚愕のタイプであり、これ自体が凄くないといっているのではない。むしろ結構作り込まれたトリックだといえるだろう。だが、やはり主眼はそこにないのだ。
むしろ作品のメインディッシュは、主人公のアイデンティティの確立といったところにありそうだ。 後の太田作品でもしばしば用いられるテーマである”親族・一族同士の血で血を争う醜い争い”が本作も背景にあり、そんななか、自分の生い立ちに疑問を持ち、その謎を自ら解き明かそうという主人公がいる。自らの遺伝子、殺人者の血といった主人公だけでなく、登場人物全てが自分の生きている意味・アイデンティティを模索する。そういった登場人物の行為同士が幾つも交差した結果、この物語は生まれたのではないか。するすると読みやすい物語であるにもかかわらず、様々な人生が作品のなかで交錯している点、不思議な感慨を呼ぶはずだ。

まあ、普通は三部作の最後に手に取る作品(小生もそうした)。だが、本書単体で読むのも何の差し障りもない。ミステリやトリックの愛好家でなくとも、アイデンティティ捜し系統の作品がお好きな方にはお勧めである。


05/10/19
倉阪鬼一郎「泪坂」(光文社文庫'05)

光文社文庫の書き下ろしにて刊行された、倉阪鬼一郎氏の単著としては四十二冊目の長編作品。

桐の箪笥や小間物を作ることを生業としている江戸指物師・橋上静次は、この下町に暮らし二十数年、合計では四十年のキャリアを持つ腕利きだった。物静かな妻の鈴子とのあいだに授かった美鈴も成長し、器量は十人前とまではいかないながらその器量が愛され、細川という婚約者が現れた。婿養子を取ることも考えていた静次だったが、細川の好青年ぶりに納得、式の日取りも決まった。静次は娘のために思いの一つを形にすることにした。姫鏡台。しかし、不慮の事故の結果、その姫鏡台が完成することは無くなってしまった。娘との思い出に浸る静次に隣の寺田が町会の夜桜見物へと誘う。次々と建設されるマンションなど、侵食してくる都会を嫌う町会の長老格・留じいが持参した酒を飲みながら、墓地の奥にあるうろのような場所で、彼らはひっそりと盛り上がっていた。改めて町会に誘われる静次と寺田。一方の長年コックをしてきた寺田には妻とのあいだに二人の息子がおり、出来の良い長男と出来の悪い次男とが仲を違えていた。父親と同様に料理の修業をしながら中途半端に開業を口にする次男に、米国に住む長男が猛反発していたのだ。寺田は妻とともにそのことをずっと気に病んでいた。泪坂のある下町にてひっそりと日々を送る彼らは、少しずつその決意を固めてゆく――。

ひっそりとした情感、そして下町。倉阪ワールドのなかにありて、これまでとはひと味違う方向性を感じさせる
下町でひっそりと暮らすおしどり夫婦、二組。ちょっとした違和感を湛えながらも、基本的にはその真面目で不器用な生き方が淡々と描写される。その静かな暮らしぶりの描き方は、これまでの倉阪作品でもちらりとあったように思うが、こういった人々を中心に据えたのは恐らく本作が初めてだろう。しっとりと落ち着いた感覚に、どこか倉阪作品の新境地を思わせる。 大人の情感がじっくり味わえるというのは短編はとにかく中編以上の倉阪作品では珍しく、それでいて意外にも馴染む。
また、カラオケの使い方(曲目のセレクトに作者の個人的趣味が色濃く反映されている。まあ何と形容して良いのか分かりにくい(世代が違うので)のだが、その分かりにくいなかに重要な意味合いが隠されているのも特徴。このあたりは作者らしさがにじみ出ているものの嫌味ではない。なぜカラオケというのは置いておくにしても、この意味づけの方向性は倉阪ミステリに近しいものがあってちょっとニヤリとさせられた。
物語の狙いについて気付いても気付かなくても……ラストに浮かび上がる背景は印象深い。物語構成が叙情に奉仕しており、構成しました以上終わりという作品と確実な一線を画している。 ワタシは気付いてしまった口だが、それでも半信半疑だったので十分に驚きがあった。というか、文章であるとか構成であるとかが周到なので、その細やかな配慮を改めて読み直すことで二重に面白さが味わえた。また倉阪氏の得意とする俳句も物語に良い印象を刻む。「打ち水や廃屋の前にも少し」

この光文社文庫で最近刊行されている一連の書下しにはほとんど解説がないように思っていたが、本書に収録されている日下三蔵解説が良い。あくまで倉阪氏のこれまでの業績を、作品毎ジャンル毎に分類、ショートコメントと共に紹介しているだけなのだが、「何でもあり」の倉阪ワールドを実に見事に分類・解体している。また、著作リストもあり、これから倉阪鬼一郎を読もうという方にお勧めできる一冊。そして偶然だとしても、手に取った貴方は実に幸せだ。


05/10/18
清涼院流水「ぶらんでぃっしゅ?」(幻冬舎'05)

講談社ノベルスの申し子(の印象強い)清涼院流水氏の初のハードカバー作品。ながら、表紙の赤ん坊のイラストが何とも複雑な味わいを醸し出していて、正直奇妙な印象があった。清涼院氏が結婚していて、かつ生後半年の子どもさんがいらっしゃる点がカバーで明らかになっている。

気付いたら、ぼくは母の子宮の中にいた。「ぶらぁぁぁぁぁん、でぃぃぃぃぃっしゅ」聞き慣れない言葉が聞こえてくる。そしてぼくは赤ん坊と共に生まれ出てくる。ただ、ぼくの人格はその赤ん坊のそれとは別個に存在しており、その赤ん坊――後に〈常盤ナイト〉となる子どもの中にいた。知っている言葉の流れのなかに時折混じる「ぶらんでぃっしゅ」。果たして、一体その言葉は何を指しているのだろうか。〈常盤ナイト〉は、〈常盤真昼〉という女性の子どもで母子家庭で育った。彼女は夜の仕事をしており、ナイトは保育園に預けられる。ナイトは言葉に対して非常に強い興味を示し、小さな頃から「言葉遊び」が大好きで、言葉についていろいろな意味合いを付加したり、意味を変じたりしてクラスの人気者になっていった。ただ、ナイトのなかのぼくは、時折、この人物と二度と会うことはない――という予感を覚え、それが死によって的中してゆくことを恐れていた。そうして言葉の天才児〈常盤ナイト〉は小学校、中学校と順に卒業し、物語はコドモの部から、そしてオトナの部へと移ってゆく。「ぶらんでぃっしゅ」とは一体何なのか、そして、ナイトのなかにいるぼくは誰なのか……?

(恐らくは)いろいろなかたちに仮託された清涼院流水本人の半生……そして徹底した「言葉遊び」
そう思わせるのが作者の狙いだという可能性は高いが敢えて乗ってみる。主人公〈常盤ナイト〉の特にコドモの部。生い立ちだとか交友関係などはフィクションだと思うが、この「言葉遊び」が好きな子どもというのが、清涼院流水本人がモデルなのではないか……と思われる。「みにくいあひるの子」で醜いのは親なのか、子なのかといった議論、そして言葉の意味を解体して別解釈を打ち立てたり、同じ音の別の言葉を引き寄せたりと、自由自在な発想によって言葉を操る〈常盤ナイト〉の才能は、そのまま《流水大説》にて、清涼院氏が物語とは別に様々な言葉を操って、普通思いつかないようなこじつけめいた意味合いを付加していたことを自然と想起させられる。自伝とまではいかなくとも、清涼院氏がコドモの頃からそういった傾向を持っていたことまでは間違いなさそうに思うのだが。
そして物語の中心は「ぶらんでぃっしゅ」。後にある人物が口にするというこの言葉は一体何を言い換えた(言い間違えた)ものなのかという点。普通に考えたらそうだよな、という説得性の高いものから、ここまでこじつけめいたものあり? と目を疑うようなものまで「ぶらんでぃっしゅ」尽くしである。面白い面白くないというレベルとは無縁に、延延とこの遊びが繰り広げられる。西尾維新、森博嗣、飯野賢治各氏はこの作品のなかで別名(想定できる範囲)で登場、この言葉遊びにゲストで加わっているという寸法だ。ただ、この言葉遊びにどれだけの読者が本気で興味をもってついていくのかはかなり微妙だろう。小生の場合は、あくまで清涼院氏の発想のユニークさを測るための一つの尺度として捉えたが。
一応「ぶらんでぃっしゅ」の回答、その言葉になぜ主人公がこだわるのか、そして”ぼく”の正体に至るまでラストにて解決され、強引なまでのハッピーエンドで締め括られる。完成度という点で高いとはいえないが、物語を強引にまとめ上げた点は清涼院流水らしいといえるだろう。

これまでの一連の作品とは異なる方向性を感じさせてくれた、だがやはり紛れもなく清涼院流水の作品である。いわゆる普通のミステリとは全く異なる、異形のエンタメ作品。
個人的に「ぶらんでぃっしゅ」ってどこかで聞いたことのある言葉だと考えてみたら、ハドリー・チェイスだった。


05/10/17
島田荘司「摩天楼の怪人」(東京創元社'05)

創元社の雑誌『ミステリーズ!』の創刊当初より目玉として連載されていた島田荘司の御手洗シリーズが満を持して単行本化された。意外にも島田氏の著作で創元から刊行されるのは本書が初めてのことになる。

ニューヨーク。一九一〇年に建設された三八階建てのセントラルパーク・タワーでは、往年の大女優・ジョディ・サリナスが自らの死を予感していた。三十四階にある彼女の部屋を訪れたコロンビア大学の助教授・ミタライらは、一九二一年、ニューヨークを襲った大停電の際に彼女が殺人を犯したという告白を聞かされた。しかしその日、停電でエレベーターは動かなかったはずで、三十四階の彼女が十数分で一階に降りて相手を射殺することは出来たはずがない。三十四階にガラスで出来た部屋が突き刺さった奇妙な構造、その先端に時計塔のあるこの建物では、他にも密室殺人事件や奇妙な幽霊の目撃事件、時計塔での残酷な殺人事件、全ての窓がいきなり割れてしまい、建築家が落下して死亡する事件など、長い歴史のなかにおいて様々な奇妙な事件が発生していた。女優からの約束により、事件の謎を解くことになるミタライ。さらに、サリナスがずっと崇拝してきたファントムなる人物の存在や、エジプト文字でヒエログリフに書かれた暗号、彼女があたかも瞬間移動でセントラル・パークを往復したかのような事件など調べれば調べるほど、謎が増えていく。果たしてこのタワーにまつわる数々の謎の真相やいかに?

「本格ミステリーの島田荘司の復活」を高らかに告げる? 中期傑作を彷彿させる大作。ボリュームと濃い内容の両立
作者御本人が「あとがき」で本書についていろいろと述べているので分析めいたことは書きづらい。また数々のトリックもネタバレがあるので、その凄さを具体的に訴えづらい。だが、最近着々と本格ミステリー(島田氏の場合は、本格ミステリというよりも”本格ミステリー”という言葉が相応しいように思われる)への回帰を見せている島田荘司の一つの到達点ともいえる作品である。
まず、ミステリとしてのみならず種々の試みがあり、内容が濃い。見取り図の図版だけでなくセントラルパーク・タワーのカラーイラストが随所に挿入されていて、それにより本書の理解が進むあたり、さりげなくもありがたいし、通読すればニューヨーク・マンハッタンという特徴的な都市を題材とした都市論にも、米国エンターテインメント界の初期の歴史論にもなっていることも分かる。真相に至っては「ははーん、アレを意識しているな」とミステリ・マニアの方であれば必ず思い浮かぶある考え方までもが敷衍されている点も周到だ。そういった様々な要素を下敷きとしつつ、科学的だったり物理的だったり心理的だったりといったトリックを縦横無尽に使い分けて作品を創り上げる手腕はやはり圧巻。 ルルウの『オペラ座の怪人』を意識した(実際に具体的な類似点もある)展開も、くどくなりすぎない点が素晴らしい。
また、シリーズとしての御手洗ものを読んでいる読者のためのサーヴィスも充実。真っ正面から嫌がらずに御手洗清が魅力的な謎を解き明かすだけでなく、彼らしい突飛とも思える行動が謎解きに寄与するとか、終盤に同行者を巻き込んだ冒険があるとか、犯人と対峙した際の微妙な思いやりだとか、もちろん鮮やかな絵解きに至るまで、これまで築き上げてきた御手洗像に沿ったかたちでの展開のツボがしっかりと押さえられている。
かつて、初めて島田荘司作品と出会い、わくわくしながら読んだ、あの時の気持ちが再び二十一世紀にも味わえた。 この事実だけで本書の素晴らしさが分かろうというものだ。

島田荘司氏ほどのキャリアがあり、既に数々の驚くべきミステリを積み重ねながら、まだこれだけの作品を打ち出せるという余力をお持ちという点はまさに現代の驚異。個人的には、アマチュア作家を対象にしたアンソロジーを編んでいたりするよりも、やはりこういった真っ正面からの創作の方がありがたいと思うのだが。初期作品とは若干の方向性の違いがあるが、中期にものにされている傑作群とは肩を並べられるだけの大作品が久々に登場したように感じられた。(まあ、最近の作品でも本格ミステリーへの着々とした回帰は感じられていたのだが) とにかく本書にはその決定版となるだけの”格”がある。


05/10/16
新庄節美「ホラータウン・パニック ゴースト通りの怪人」(小峰書店'99)

画・かまたいくよ。『修羅の夏』にて一般向け作品デビューを果たしたものの、やはり「名探偵チビー」シリーズの作者として知られる新庄節美氏。氏は『夏休みだけ探偵団1 二丁目の犬小屋盗難事件』で第28回講談社児童文学新人賞を受賞するなど、やはり児童向け作品にその著作が多い。本作もそんななかの一冊。

小学生の大岡実栗こと『ミックリ』は、夜、母親に頼まれたお使いでゴースト通りを通り抜けていた。市役所通りに曲がったところで彼女はあやしげな灰色の自動車を目撃する。幽霊自動車? ミックリはいぶかりながらも通り過ぎようとするが、灰色のコートを着た人物がその車から降りてきた――。学校があるはずの第三土曜日の朝、ミックリは遅刻気味に目を覚ます。漫画家で徹夜続きのお母さんを起こさないよう、そっと家を出て、そこからダッシュで帆浦小学校に駆け付けたミックリ。しかし、学校の門が閉まっている。校庭に人影もない。彼女はよくよく考えるが今日は絶対に土曜日だ。日曜日ではない。ならばなぜ? そんな彼女に声を掛けたのが同級生の『ベーコン』こと長谷川平二。マウンテンバイクに跨った彼は、ミックリに今日は日曜日だと告げる。ミックリはじっくり考える。金曜日までの記憶はある、だが土曜日の記憶が全くない。昨日が消えてしまった。そんなミックリに対し、ベーコンはアルバこと遠山有馬ならこの事件を解決できるのではないかという。有馬の父親は発明家で、有馬自身もいろいろな発明をしている秀才なのだ。

ジュヴナイルらしい突飛な設定と派手で無軌道な展開。それを活かすミステリ的な構成が裏にある
一応、叢書名になるのだろうか。裏表紙に「ミステリー・BOOKS」という言葉があったので入手して読んでみた。ただ読了して思うのはこの「ミステリー」はいわゆる推理小説のことではなく、あくまで奇怪な現象の意として使われているのではないかということ。超常現象まではいかないものの、インチキ発明家による怪しい研究が本作のテーマ。まあ、副題がホラータウン・パニックでもあることだし……。

金曜日の記憶の次がいきなり日曜日の朝。土曜日の記憶を完全に喪ってしまった主人公が、友人たちの手を借りてその真相と、その事件を発生させた張本人に迫るという物語。ユニークな登場人物にちょこっとした恋心、冒険心が溢れすぎて無謀とも思える主人公たちによる先の読めない冒険がある。もちろん冒頭に提示される大いなる謎の解決もある。ということで全体の筋書きとしては、いわゆるジュヴナイルの常道に位置している印象だ。ユニークなのは、その奇妙な事態が、これまた奇妙な科学者によって創り出されているということ。こういったむちゃくちゃな(一応の整合性は物語内部ではつくものの、現在の科学では考えられないという意)設定を正々堂々使うのはジュヴナイルの特権……でもあるけれど、実は個人的には通俗探偵小説を想像してしまった。科学的には何の裏付けもない謎の機械が醸し出す謎の事件。無慮というよりも無謀な主人公による冒険。敵として存在する絶対的な悪人。そしてスピーディな物語展開に至るまで、探偵小説の要件を押さえているように思われてくるのだ。
また、ホラーめいた名称とエピソードをそこかしこに持つ街が設定されているが、やはり大人の感覚ではあまり怖さがないのも逆に面白くある。ただ、そのむちゃくちゃ設定にしても、序盤の登場人物紹介といったところから微妙に伏線が張られており、それほどまでに突飛な印象を持たせないのは、やはりミステリとしての順序やルールを知っている作家の仕事だと実感させられる。

やはり後にきちんと一般作品を刊行できるジュヴナイル作家の作品はひと味違う。深読みし過ぎかも……という個人的な不安はあるにせよ、平易な文章に構成ながら、正直結構大人にも読ませる内容に仕上がっているように感じた。


05/10/15
獅子宮敏彦「砂楼に登りし者たち」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

確か獅子宮氏は歴史系の新人賞受賞歴がある……とどこかで聞いたような。とはいえ、2003年に「神国崩壊」にて第10回創元推理短編賞を受賞する。ただ、初の本格的単行本となる本書には同作は収録されておらず、これは「ミステリーズ! extra」にて発表された作品を中心とする連作中編集となっている。

牛に乗って諸国を旅し、貴賤を問わず治療を施す奇行の名医・残夢。彼は記録のうえでは百三十九歳まで生きたとあり、高齢になっても弟子の若者・永田徳二郎と共に全国を回り、奇妙な事態の謎をも解いて回っていた。彼らが出会い、聞いた不思議な四つの事件簿。
四十になっても浪人の身の上であった勘介。軍略の才に長けた彼を拾ったのは、諏訪王家を継ぐ諏訪王姫であった。諏訪の神を祀る彼ら一族は、同じ諏訪の頼満がその一族を狙って攻めて来ているのだという。劣勢の諏訪王家は最後の決戦に挑もうとするのだが……。 『諏訪堕天使宮』
国政を指導する地位を巡り、新旧勢力によって醜い争いが繰り広げられる美濃の国。その発端となったのは、将来有望と思われる青年が、密室状態でライバルとなる人物を討ったという事件であった。果たして雪の密室のなかで何があったのか。 『美濃蛇念堂』
伊賀を代表する上忍のひとつ・百首党。二十年もの昔、彼らは大和で筒井氏と争いを続ける越智氏に依頼され、筒井順興の殺害を請け負っていた。当時は失敗し、臥薪嘗胆の末、興福寺の仏像に潜んだ刺客によって殺害に成功したかと思えたが、それは影武者だった……。 『大和幻争伝』
残夢と徳二郎は駿河の今川家のもとにいた。穏やかな性格の今川氏豊の元を訪ねる武闘派織田信秀。氏豊お気に入りで信秀の嫡男・吉法師を育てていた曲舞女・朝絹が謀反を起こす一派に連なるという。彼女を押し込めた寺を訪ねた一行は、そこで彼女が人のいないところで斬り殺されるのを目撃する。 『織田涜神譜』(涜は正字)

正統派の伝奇風歴史小説+純然たる正統派の本格。意外といえば意外な居心地の良さあり。
日本の歴史と本格ミステリの意外なコラボレーション。 これに尽きる。
日本を舞台にした時代ミステリは数あれど、本作のアプローチは他にあまり例がないように思うのだ。例えば、歴史上でも、実際に謎となっている事態を取り上げ、その真偽や別解釈について追求するミステリはある。また、捕物帖形式で本格ミステリの形式をとっている作品もある。時代ミステリと銘打たれていても、実際は謀略小説となっている作品もあるだろう。だが、本書は、戦国時代を中心とした「時代小説」のなかに、しっかりと「本格ミステリ」としての形式を溶け込ませ、かつ時代小説における歴史上の人物についての考察といった味わいをしっかりと残しているのだ。不可能犯罪をそのまま、物語のなかに発生させ、それぞれがエピソードとしても、そして人々に与える影響としても必ず何らかの意味がある。本格としてのトリックそのものよりも、背景へのそのミステリ仕掛けの溶け込ませ方が実に巧い。トリックそのものよりも、その背景との一体感を強く評価したい作品集である。
風太郎忍法帖のオマージュの匂いが濃厚に漂う「大和幻争伝」は、先行作が偉大すぎるため、生半可な本格トリックを入れても風太郎の凄さがかえって際立つという不幸な作品でもある。ただ、その他の三作品に関しては、歴史ものとしてもミステリとしても水準は超えているといえるのではないか。とはいえ、ミステリとしてフェアを目指すあまりにトリックそのもののインパクト自体はあまり大きくない。とはいえ、連作としての趣向はそれでもなかなか凝っており、その点はプラスの評価。
また、時代小説としてもいわゆる超メジャーな登場人物よりも、ちょいマイナーな人物を引っ張り出している点なども、手堅い仕事のように感じられる。その結果、「将来」というものが変化する予感みたいな感覚を醸し出すことに成功している。
探偵役に残夢及びその弟子を配置し、異なる時代でありながら統一感を出している点も成功している。文章については若干改善の余地があるように見受けられるが、それでも達者な書き手であり、実力をお持ちである点は誰にでも分かることだろう。

問題があるとするならば、現在、時代小説+本格ミステリという需要がどれほどあるかという点かもしれない。若い読者には多少とっつきにくいであろうし、正統派の歴史小説ファンからは当面スルーされてしまいそうだ。着々と著作を出されて、読者の数を増やしてゆくことが作者にとっての当面の課題ではないだろうか。


05/10/14
都筑道夫「蜃気楼博士 都筑道夫少年小説コレクション3」(本の雑誌社'05)

『幽霊通信』『幽霊博物館』に続く「都筑道夫少年小説コレクション」の三冊目。本格推理編は本書が最後となる。とにかく順調に刊行が進んでいるのは慶賀の至り。表題作は、ソノラマ文庫等にも収録された連作中編だが、本書の目玉は後半に収録された、写真を手掛かりとする「フォト・ミステリー」十二編。単行本初収録作品も多く、見逃せない。

週刊誌の記者をしている草間昭一と中学二年生の次郎の兄弟。心理学者の祖父の助手をしていた久保寺俊作――ドクター・ミラージと呼ばれたマジシャンで、心霊術師のインチキを見破るのが得意――のもとを訪れた。昭一のもとに峠原忠明という霊媒が超能力で人を殺してみせるといっているので、その件を相談しにきたのだ。結局、彼らは峠原の実験に立ち会うことになる。昭一はナイフに印を付け、峠原の身体検査をし、ロープで椅子に縛り付けて洋服箪笥に彼を閉じ込め、入り口を鎖で縛り付けた。監視されるなか、深夜、峠原は箪笥から出てきて言った。「真瀬裕之助という男に短刀を突き立てた」。そして実際に峠原のいう場所にて男が殺害されていた。しかも凶器のナイフには昭一が書いた印が。峠原に事件を知る機会はなく、ナイフを持ち出せたはずもない……。果たして超能力殺人は実在するのか? 『蜃気楼博士』 ほか、同シリーズ作品になる『百人一首のなぞ』『午後5時に消える』
実在の芸能人を物語に織り込み、さらにその写真が手掛かりを示すという異色の企画シリーズ作品が十二編。『死体はなぜ歩いたか』『消えた凶器』『宇宙人がやってきた』『月に帰った男』『ふたりの陽子』『消えた身代金』『新幹線爆破計画』『消えた文字の秘密』『となりの誘かい事件』『消えたトラック』『ゴムの仮面』『赤い道化師』 ゲスト・エッセイでは加納一朗氏がソノラマ文庫時代の思い出を語っている。

都筑道夫ミステリの裏真骨頂。ジュヴナイルといえど手抜き無し。オリジナリティ高い純粋本格がここに
都筑道夫氏のミステリの代表作といえば、『やぶにらみの時計』『三重露出』『なめくじに聞いてみろ』といった初期作、『なめくじ長屋』『七十五羽の烏』『退職刑事』といった中期作が普通には挙げられよう。だが、この『蜃気楼博士』も、それらに負けないだけの新規なアイデアとトリック、そしてストーリーテリングの詰まった代表作のひとつなのである。何よりも、この正統派の本格ミステリを正々堂々ジュヴナイルとして発表している点が素晴らしい。こういった都筑道夫氏の業績によって、現在のオールド・ミステリファンとなっている人々が形成されているかもしれない。
本書収録においてもポイントは『蜃気楼博士』の連作の比重は高い。恐らくソノラマ文庫に収録された他の作家を含む一連の初期作品のなかでも一、二を争う本格ミステリの傑作であるといえる。(とはいえ、辻真先さんもいるのだが)。けれんのある設定でありながら、中学生を巧みに使い、探偵の役割を彼に与えることによって絶妙のバランスが構成されている。この手の仕掛けを都筑氏が使用するのが稀であることも、ミステリのサプライズに寄与。中盤の不可能犯罪を次々見せつけられる結果得られるサスペンス効果も絶大だ。
また、一連のフォト・ミステリーは、近年ではなかなか作られそうにないタイプ。設定の派手さや芸能界がしばしば登場するところなど、ちょっと懐かしいイメージがあるが、その実、内容はやはり本格ミステリである。白黒写真によって形成される(若干、分かりにくいところあり)伏線の使い方が実に巧い。それでいて、恐らくはほとんどの作品で写真がなくとも成り立つようになっている点も素晴らしい。

このシリーズ、一冊単価がそれなりに高いが、それでも今のうちにしっかり押さえておくのが吉。都筑道夫をよく知る読者にとっても、これから入るという方にとっても、この作品集はまとめて面倒をみるだけの魅力に満ちているといえる。


05/10/13
辻村深月「子どもたちは夜と遊ぶ(上下)」(講談社ノベルス'05)

第31回メフィスト賞を『冷たい校舎の時は止まる』にて受賞、(上中下)の三分冊にて刊行され話題を呼んだ辻村深月さんの受賞後の第二作目。

D大学の工学部の大学院に所属する狐塚孝太と木村浅葱。狐塚は努力型の秀才で周囲に好かれるタイプ、一方の木村は孤高の天才肌でいつもクール。二年前、米国留学がかかった論文コンクールで二人は争い、どちらかがその最優秀賞を射止めることが確実視されていたなか、「i」という匿名の人物から送られた論文がその栄誉をかっさらった。「i」は最後まで正体を現さず、その存在は謎のまま。そして現在。狐塚を追ってD大学に入学した月子や、狐塚のルームメイトの石塚らに囲まれ、その月子も幼稚園教諭の資格を得ようとしていた。そんななか、木村浅葱には悩みがあった。自らの封印した過去……親に虐待されており、双子の兄「藍」が自分を庇ってくれたこと。親をその「藍」が殺害したこと。兄と離ればなれになって入れられた孤児院にいるあいだに受けた数々の子ども同士での虐待――「i」こそは「藍」なのではないか。浅葱は、「i」とすれ違いを起こすなか、「i」から提案を受けた世間と戦うための殺人ゲームに身を投じてゆく……。クイズに対応する人物を殺害するゲームを終えた時、浅葱と「i」は再会を果たせるのだと信じて……。

囚われた狂気と理性の狭間のなかで揺れる心理の描写に迫力。手法はとにかくミステリの趣向も
先に辛かった点を述べておくと、やはりこの上下巻の長さがひとつポイントか。物語世界を形成するのに様々なエピソードを織り込んでおり、登場人物のひとりひとりにかなりの人物描写が割かれている。意図としてはやはり出来るだけいろいろと書き込む方向で物語世界を深く描いておく……ということなのだろうけれど、このあたりに作者が愚直に取り組むあまりに読者の負担を強いている感がなくもない。ここは印象的なエピソードをうまく利用してもう少しスリム化して欲しかったところ。また、細かく人物を描きすぎ、人物を際立たせすぎることで、かえって登場人物に対する読者の感情移入を妨げることに繋がっているようにも思えた。ただ作家としての実力はお持ちの方と見受けられるため、このあたりはゆくゆくセンスが磨かれていくものと思われる。
物語としては二人のタイプの異なる天才たちの静かなる葛藤や、女性たちの片思い、そして謎の人物「i」とその狂気のゲームに振り回されて精神を崩壊させてゆく木村浅葱の物語。連続殺人ゲームはどうなるのか。「i」とは一体誰なのか。そして、この悲劇的な結末の行き着く先はどこか。大人になりきれない子ども……が主題(題名から類推するに)というよりも、純粋なるサイコ・サスペンスといった趣を強く発した物語展開となっている。その意味からは結末は、サイコ・サスペンスのお約束として予想の範囲内ではある。だが、その結末に至るエピソードの矛盾を綺麗に解消してゆく手腕はなかなか。意外性よりも緻密さがより目立つ。また、幾つか仕掛けられたサプライズ(例えば、月子が何者なのかというあたり)は、意表を突かれた。語ることによるのではなく、これだけ冗舌に語られているなかの省略を疑うべきだったとは。

かなり強引ともいえる筋書きに対する構成の緻密さ。そのアンバランスのうえに本作の魅力が成り立っているように思われた。大学生の青春を描いた……とはちょっと言い難いが、若きサスペンスの書き手としての実力を感じさせる力作である。


05/10/12
田中啓文「UMAハンター馬子 完全版2」(ハヤカワ文庫JA'05)

田中啓文氏の代表作足り得るシリーズであったにもかかわらず、出版的には不遇な扱いをかこってきた「UMAハンター馬子」の書き下ろし一編+完結編を含む、最終巻。結構いい感じのボリュームになってます。

謎の演芸「おんびき祭文」の語り手・蘇我屋馬子(そがのや・うまこ)。弟子の少女・イルカをどつき回し、我が儘で自己中心的性格に派手な化粧と衣装が特徴の典型的な「大阪のおばはん」である。そんな彼女が訪れるところ、なぜか必ず不老不死の伝説があり、一方で山野財閥の当主の命を延命しようと暗躍する山野千太郎の一味と衝突する。
奥飛騨に棲むというヒダゴンを求め、役所でヒアリングを開始した馬子。ヒダゴンはいないが山奥にある伊豆鼠村には「ひだり」の伝説があるという。山を越えてその村に向かう二人を男の影が追う……。 『恐怖の超猿人』(後半)
辺鄙な漁村の恵比寿神社の祭に呼ばれた馬子。貧乏な村の人々は、その日、余所者が海に近づくことを良しとしない。何やら海からその村人が待ち望むモノが現れるようなのだが……。 『水中からの挑戦』
相撲発祥の地とされる奈良の田舎。相撲大会に出場させられるイルカ。しかし奈良公園では鹿が何者かに血を全て吸われて死亡するという事件が頻発、この村の禁断の森にその秘密があるらしい……。 『闇に光る目』
謎の海の化け物に襲われ漁師の父親を亡くした良三。船を襲い人を千切る化け物が確かにいる。浦島伝説のあるこの地を訪れた馬子らは、その海のなかに秘密があると知り、イルカは無理矢理ダイビングさせられるが……。 『ダークゾーン』
山野財閥会長は志半ばに寿命を迎えたが、千太郎は巨財を注ぎ込み、「ヨミカヘリ」の準備を整えた。数多くの命を使って遂に二千年の時を超えて巨大な化け物が復活する。そして馬子の正体とは……? 『史上最大の侵略』

やはり傑作。伝奇・未確認生物・ギャグの三位一体。まさに比類なき啓文的世界が、ついに終結。
UMAハンター馬子 完全版1』が出た際に「続きがすぐにでも読みたい!」というようなことを書いた(本心)。この「完全版2」が出てすぐに購入した(本当)。……が、結局、読み終えたのはさっきだ。「美味しいものは後に取っておく」という奥ゆかしい性格が災い過ぎるほどの災いとなり、前作で前半までしか収録されていなかった「恐怖の超猿人」を再び読み返して、この完結編に臨むことになった。……実に楽しい。
既にお馴染みであり、着々と作を重ねるごとに強烈にパワーアップを続けてゆく馬子のはちゃめちゃ加減、その馬子に引きずり回され、大迷惑を相変わらず被り続けるけなげな少女・イルカ。作品がかわる毎に都度登場する善良な人々は彼女たちのパワーの前にひれ伏し、毎回姿を見せる怪しい人々は彼女らやUMAの予想外の攻撃にやはりひれ伏す。その一方で、段々マニアックな(世間的にはマイナーな)グロブスターやチュパゲブラといったUMAが次々日本に登場、奇怪な雰囲気が醸し出す恐怖を盛り上げつつも、その正体見たり枯れ尾花……というミステリとしての手法が用いられる作品構造も引き続き健在。特にチュパゲブラの正体が○○な○○というのには、脱力を超えて盛大な拍手を送りたくなる。
最終的な馬子の正体……というあたりは、各短編のなかに伏線のちりばめられた、この作品シリーズ全部を読んでのお楽しみということになるが、これまでの壮大な全国旅行の意味がそんなところにあったとは……。そして伝奇・ミステリ・ダジャレ・ホラーといった田中啓文氏の作品要素がバランス良く連なっており、氏の代表作となるシリーズとしての評価は、ワタシのなかでは揺るぎない。
『史上最大の侵略』にて、最終復活なった異形の化け物が大阪の街を破壊し尽くすのだが、この大阪の街が妙に具体的で地元民としては楽しい。「御堂筋沿いに大阪を北上し、今は梅田を蹂躙していた。大阪駅や大丸、ヨドバシカメラなどは跡形をとどめないほど破壊し尽くされ、阪急と阪神もその毒牙にかかろうとしてた」 ここまで具体的な破壊描写があると、イメージが湧くなあ。明日からの出勤、どうしよう……と不安になるではないか。

お疲れさまでした……。本書が文庫で気軽に手に取れるようになったことは、日本エンタメ界の収穫(いいのか、ここまで言って)であろう。UMAの存在に惹かれる方ならもちろん、伝奇ミステリ好きな方には外せないシリーズである。


05/10/11
佐藤哲也「熱帯」(文藝春秋'04)

書下し刊行された佐藤哲也の長編。帯が伊坂幸太郎氏であることは誰が見ても自明だが、この何とも愛らしい島と水母の漂う表紙は実は、『ヘビイチゴ・サナトリウム』などの著者・ほしおさなえさんによるものであることは知られているのだろうかどうだろうか分からない。

一年の半分が真夏日にあたる南海に位置する多々羅群島にある多々朗島。そこでは真夏になると北極に船で氷山を取りにゆく風習があった。多々朗島の人間は夏になると氷を背負って生活するのだ。ある時、地方交付金をかきあつめ、最新型の装備を揃えた多々朗島の人々は、南極の巨大氷山を取りにゆく計画を策定し実行。成功したかにみえたがその氷山は勢いがつきすぎ、そのまま島と衝突。島は僅か二時間で沈んだ。その船団長・多々見寸前は不明の理由から不起訴となり、本州に居を定め妻を娶って一子を設けた。すなわち多々見不運である。多々見不運は国家安全の要となる政府機関・不明省に職を求め職員となった。今は結婚し、七階建ての賃貸マンションの六階に住んでいる。二十九歳。テレビを観ていた彼に電話が入る。クーラーの室外機に爆弾を仕掛けたというものだった。爆弾は爆発し、室外機のみ破壊された。これは日本の夏を快適にしてしまおうという大日本快適党の仕業だった。その党の領袖は多々見不運の叔父にあたり、島沈没事件の生き残りである多々利無運である……いくら紹介してもなかなか梗概にならないぞ、なぜだ。

暑い日本の夏は、こんな人々を実は増殖させている……。佐藤哲也ワールドが脳味噌を快く刺激する
大まじめに大ボラを、冗舌な口調・文体・背景にて語り出し、語り出したら止まらないという佐藤哲也節が序盤から展開される。様々な人物が、その関係性が不明に登場し、みな妙に癖があり、とんでもない性格と習慣をもって暮らす世界。それでも、このパラレルワールドとしての日本は、現実の日本同様に「夏は暑い」。まさに題名通り、我々日本人が皮膚感覚で実感している、いつの間にか熱帯と化していることは。その暑い日本の夏が舞台となっている。ただ、そこを走り回るのはCIAであり、システムエンジニアであり、水棲人であり、テロリストたちであり、国家公務員たち……なのである。縦横無尽に彼らが思う存分暴れ回る……という、相変わらずの訳わからなさは、まさに佐藤哲也の真骨頂。 帯で伊坂幸太郎が絶賛しているが(本来、佐藤哲也が伊坂幸太郎を絶賛するべき立場であるように思うのだが、売上や知名度というのは何とシビアなことであろうか)、日本語でこの作品を読めるのは幸せだ。例え平易な英語であっても、この作品を同様に理解するのは不可能だろう。
不明省という、日本の役所悪いところの最大公約数を表現したかのような省庁が登場し、さらにの変更に変更が繰り返されるシステムを請け負った業者たちの姿が、(たぶん)ギリシアの故事(叙事詩?)になぞらえて描かれているのは執筆時期が『サラミス』と重なったからかもしれない。さらに、日本の暑さを肯定的に捉え、クーラーを敵視し、既に目的が何なのか分からなくなっているテロリスト集団と、彼らと戦うCIA、さらにソ連の秘密諜報組織の残党、水棲人たちまでが加わって血みどろ、汗みどろの戦いを繰り広げ、「事象の地平」を目指す、というのが本作なのだ。これが面白くない筈があろうかいやない。つまり面白い。最終的な落ち着きどころも、その過程も訳がわからないが、それでいてこの物語が面白いことだけは読んだ誰にでも分かるという希有な作品である。

暑い夏に読み始めたところ、訳が分からなくなったので涼しくなってから改めて読み直した。でもやっぱり訳が分からなかった。が、面白かった。たぶん、そういう読み方で良いのだと思う。作者の高度な計算などあるのかもしれないけれど、知ったこったない。


05/10/10
太田忠司「白亜館事件」(トクマノベルズ'97)

太田忠司さんの狩野俊介シリーズの十作目。短編集を挟み長編では七冊目にあたる作品。

ホテルやレストランチェーンを経営する実業家・柊遼が石神探偵事務所を訪れた。彼は、応対した野上に対し、二十年前に自殺した彼の兄・凱の死の真相を調べて欲しいと依頼する。その柊凱は、高校教師であり在野の化石研究家と知られており、日本国内で白亜紀の肉食恐竜の完全な化石を発掘していた。しかし、追跡調査ではその化石以外の結果が見られなかったことから、その業績は疑問視されいつの間にか学会からは無視されるようになった。凱は内に引き籠もり、その妻も自殺してしまい、息子の慎也と隠棲していたのだという。現在は父親同様、柊慎也が山の中に建てられた”白亜館”にて外界との接触を断つようにして暮らしている。柊家の一族とその白亜館を訪れた野上と狩野俊介らは、一族内部の凄まじい葛藤と打算を目の当たりにし、その依頼を断ろうとしたのだが……。

夢を抱く孤独な人々の想いが、思いも寄らない事件を引き起こす。何とも哀しい本格ミステリ
純粋な意味の本格ミステリとして捉えた場合はどうか……とも思えるところはある。半分ネタバレになるが、そもそも館自体が特殊な構造を持っており、その特殊な構造に輪を掛けたかたちの仕掛けがあり、その仕掛けが引き起こすかたちで事件が発生するからだ。ただ、これまでの狩野俊介シリーズを通して読んできていれば、そういった仕掛けがあること自体を予想すべきなのだろう。つまり、その仕掛けそのものの存在に無意味に付加された機能などではなく、何らかの登場人物の隠したくなる/隠さねばならない意志によって創られたという点では共通しているのだから。
本書の裏側にあるのは、これまたお馴染みともいえる「一族による骨肉の争い」。そしてその醜く現実的な争いのなかで犠牲になる魂が事件を呼ぶ。また、この流れのなかで家族に恵まれない(本書の段階では、野上と俊介の繋がりが着実に固まっていて、それはそれで暖かい)俊介が、同様の立場の人間に対して抱く感情、そしてそれを乗り越え逞しく成長していく過程というのが明らかに大きなポイントとなっている。
あたかも数千年前の恐竜の化石によって食いちぎられたかのような猟奇的な惨殺死体。だが、この事件の裏側には、館を建てた者の哀しい意志がある。白亜館の真の目的と構造が明らかになった段階で事件は半ば解決したも同様だが、その思いの方が強く読後に残るのだ。さりげない作品ながら、佳品であるといえるだろう。

俊介、アキ、野上の関係性がシリーズを追うごとに着実に変化している点は、読んでいて微笑ましく、それがこのシリーズを追っていく読者にとっても楽しみとなっている。小生、遅れてきた狩野シリーズ読者ながら早く現在に追いつきたい。そんな気持ちが止められない。