MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/10/31
森 雅裕「会津斬鉄風」(集英社文庫'99)

再読。元版は'96年に集英社より刊行されている。極端に文庫化作品の少ない森雅裕氏にとって、2005年現在、エッセイを除くと最後に文庫化された作品が本作にあたる。(まあもちろん、今後のことは分かりませんが)。

刀工・河野春明は贋物として扱われてきた本物の自作と、本物として扱われてきた別作品とを両方目にする。その落とし前をつけるために彼はある策略を使おうとする……。 『会津斬鉄風』
十一代兼貞となった古川友弥。彼が作った刀によって会津藩士・波田崎の妻が自刃した。妖刀と噂される刀の裏側に友弥は裏切りがあるのではと疑い始めるが……。 『妖刀愁訴』
会津藩士・佐川官兵衛の名を名乗った人物が坂本龍馬暗殺に関係した? 身に覚えのない事件を探り、官兵衛は敵方にいるかつての兄弟子に巡り会う……。 『風色流光』
薩長軍と官軍がぶつかり合う直前の京都。身重の奈美同宿となった唐人お吉。奈美の夫は新撰組に入っており、彼を追って彼女は戦場に出てきたというが……。 『開戦前夜』
薩長軍に追われ、北の地、北海道に立て籠もる土方歳三。彼のもとに松前藩に縁ある女性から、秘宝の地図の入った螺鈿の箱を捜して欲しいという依頼があった……。 『北の秘宝』 以上、五編。

時代物を描くにあたっての真摯な姿勢から生み出された、味わい深い歴史ミステリ連作集
刀の鉄で始まり、金山の金で終わる――などと書くと堅苦しい印象を持たれるかもしれないが、作品構造に凝った連作ミステリ集であることは間違いない。『会津斬鉄風』は、会津藩の刀剣工・河野春明の物語から始まる。この作品で相手方として設定される同じ職人の古川友弥が、その次の『妖刀愁訴』で主人公を務め……、と最終話の土方歳三に至るまで主人公が次々とリンクしながら変転してゆく。また、時代設定も幕末の一八五六年から明治元年にあたる一八六八年へと少しずつ、進めてあり、森雅裕流に時代の変化を捉えていっている点も興味深い。
また、基本的に歴史的にそれなりに記録の残る人物を配しており、その一人一人が魅力的に描かれている。表題作の河野春明こそ、歴代の森作品の主人公に近い、仕事の腕と頭は良いがぶっきらぼうで人付き合いの悪い人物として描かれているものの、その他の登場人物はそれぞれ恐らくは史実に近いイメージに沿って造形されている印象だ。特に『風色流光』に登場する会津藩士・原田官兵衛の描き方など秀逸である。ただ、この作品は悪役として強烈なインパクトを残す相方があってこそではあるのだが、その結果人間味の描き方に強烈な深みを残している。
本格というニュアンスはないが、それぞれの作品にミステリとしての趣向も凝らしてある。最後まで読み至ると、意外なところで意外なものが活躍したり、真相だったりするため、単なる歴史文学とは一線を画している。(このあたりが一般的に評価されにくい部分でもあるのだろうか)。それでも、歴史や風俗、刀剣などにおける深い知識が意外性を呼んでいるあたり森氏らしいといえるだろう。サプライズそのものではないが、新撰組に身を投じた一志士と、その男を追って伊豆下田より戦場にやって来た身重の女性が登場する『開戦前夜』など、そのミステリとしての仕掛けが物語全体にえもいえない余韻を醸し出している。味読して頂きたい作品だ。

ちょっと最近、森雅裕さんに関するあれやこれやがあったので手に取りやすい文庫版を引っ張り出しての再読。あまりそういった方面からはきちんと評価されていないのが不幸だが、森雅裕の歴史ミステリは奥が深い。ストーリー以上に背景に気を遣ってあり、普通の作家が看過しそうな部分にまで手が行き届いている。このあたり、やはり再評価されるべき作品・作家ではないかと改めて感じた。


05/10/30
加門七海「203号室」(光文社文庫'04)

伝奇小説やフィールドワーク作品を中心に女流ホラー作家としての地位を確立している加門七海さん。なぜか小生、縁がなく読む機会が無かったが、某所でサイン本を入手したので読んでみた――。光文社文庫の書下し作品。

大学に入ったら東京で一人暮らしをする。そう決めて上京してきた沖村清美だったが、大学は郊外にあり、見つけたアパートも都心からは近いといえない場所にあった。しかし清美の心は弾んでいた。どこにでもあるモルタル二階建てのワンルームマンション。自分の城・203号室を、彼女は可能な限り自分の理想の部屋に近づけようとお金を使わずにインテリアに凝ってみた。しかし、落ち着いてみるとその部屋では時々異臭がする。そしてその次に気になるのは、足の裏に感じる床の暖かさであった。誰かが直前まで座っていたかのような人肌の暖かさが、床の一部に感じられるのだ。さらには、寝ていると誰か男が近づいてくるような気配がする。天井の染み、蠅の大量発生……。大学のミステリ研で親しくなった新里、バイト先で知り合ったゆき子らに相談するが、彼らは通り一遍のアドバイスはくれるものの、そう親身になってくれるものでもない。部屋で発生する怪異はいつしかエスカレートしてゆき……。

決して、一人暮らしの人は読まないでください。かなり、当たり前の夜が怖くなります
いわゆる「家もの」ホラー小説。とはいっても、他の人の部屋には何にも問題がないようなのに、自分の部屋だけに怪異が発生するという点、ちょっと変わった趣向がある。日本で多い、若い人の都会一人暮らしをターゲットにしている点、本書と同じような環境の方には堪らない作品となっている。本書を読むことによって、一人でいること――が、凄まじく実感できてしまう筈だ。
個人的な経験でいえば、家のなかで心当たりのない異音がすることは結構、普通にある。温度変化による建材の膨張だとか、建付や安定の悪い棚のなかで何かがいきなり落ちたりだとか。また、風向きや家の構造によっては、聞こえないはずの声や物音が配管を通じて聞こえたりすることもある。だが、それらが徐々にエスカレートして次から次へと怪異となって襲ってくる本書の恐怖はなかなかに凄まじい。いわゆる普通の家でも起こり得る微妙な現象を巧みに作品の怪異に取り入れ、発展させてゆくのだ。手法そのものはありがちかもしれないながら、必ず読者の経験と物語とを重ねさせて、物語で描かれる恐怖感を何倍にも増幅させてしまうテクニックは並大抵ではない。
個人的なツボは、部屋の天井に霊験あらたかな御札を貼り付ける場面。その後の家の怒りの描写が凄まじい。また、自称・霊能者を家に招く場面にて家の中の様子が一変してしまっているあたりも、何かぞわぞわするものがある。ちょっとした怪異がエスカレートしていく一方で、人間らしい心の動きを麻痺させてゆく主人公の変化もなんだか怖い。更に、主人公が陥れられる都会のエアポケットの描写も見事で、作品トータルとしてさりげなく完成しているものを感じさせられる。

恐らく、一人暮らし経験者であれば、何か本書から重ね合わせて、自分自身の「恐怖のツボ」を踏んでしまうだろうことが間違いない作品である。一人暮らしを現在進行させているアナタに……って、こわすぎまっせ。


05/10/29
海渡英祐「罠のなかの八人」(集英社文庫'84)

もともと立風書房より『罠のなかの七人』という題名で刊行されていた作品を文庫化に際し、「肌色の影」という短編を除いて、「蒼白い誘惑」「透明な仮面」の二編を新たに加えたもの。結果、作品数が増え、題名が『罠のなかの八人』に変更されたというユニークな経緯を持つ作品集。

社長の後妻との浮気と使い込みをネタに会社員の伊関は、交換殺人への協力要求を受ける。その男の指示通りにガレージで指定人物に襲いかかるが……。 『ひねくれた死』
バー勤めのわたしが愛した篠原康夫は車で転落死。わたしは助かった。だが篠原は会社で数々の不正を行っており、しかも死因は毒なのだという。 『影を愛したわたし』
元教え子の人妻と火遊びを続ける若き大学助教授・塚本。彼は情事の現場を写真に撮影されて何者かから脅迫を受けるのだが……。 『蒼白い誘惑』
金のかかる彼女との交際でいつもぴいぴいしている僕。遊びに来た旧友の手帳に宝くじの一等当選番号が書かれており、それを盗み出す計画を立てる。 『大外れの犯罪』
経理部長の久保のところに届いた脅迫状。確かに久保は商品先物に手を出してはいたが会社の金に手を出してはいない点、脅迫者は間違えていた。 『拝啓、経理部長』
妻殺しの決意をした佐伯は遠縁のルポライター・辻野に妻の尾行を頼む。しかし妻と逢い引きするのは変装した自分であり、そこが計画でもあった。 『鏡の中の死』
団地をぶらぶらしていた男が声を掛けた魅力的な女性。彼女の部屋へ行き裸になったところ謎の男が現れて、包丁で襲いかかってきた。 『透明な仮面』
箱根の山中で車に乗った男が死亡。その顔は目茶苦茶になっていたが、すぐに野津という男と判明した。野津の恋人と、その恋人を追う男が来合わせていたからだ。 『見知らぬ恋人』 以上八編。

危険な情事に耽った代償は危険な罠。本格ミステリ+サスペンスに組み入れられた彼らに未来はあるのか……?
海渡英祐の本格ミステリ作品集には、アリバイものばかり集めた『閉塞回路』や、変わった場所でおきる事件を集めた『事件は場所を選ばない』など、ノンシリーズでも一定の趣向でもって作品を集めてきているものが多い。本書もその一環となる作品集で、題名通り、悪夢のような事件に巻き込まれる人間を主題にした作品ばかりが集められている。 その趣向は作者のあとがきである「ミステリィ版フレンチ・ポップス」のなかに詳しく、このあとがき自体がなかなか凝った趣向をもって自作を解説している。(そして、更に瀬戸川猛資氏による名解説までが文庫版には付くのだ!)。
作品集全体を読了して思うのは、やはり動機の流れに時代が色濃く反映されているということ。作品の多くで登場人物は必ず意に添わぬ結婚をしており、必ず深刻かつ身体の相性だけは抜群という浮気を別の誰かとしていて、その結果、脅迫されたり、犯罪を計画したり、奇妙な事件に巻き込まれたりする……というパターン。こういったよろめきネタは、逆に最近のミステリではなかなか見ないように思われるのだが、海渡氏は他の作品も含め、かなり好んでネタに使用している。ただ、単純に同じパターンに終わらせるでなく、きっちりとそこから多様なヒネリを編み出しているのはさすがである。
浮気がばれることを恐れて唯々諾々と脅迫者に従う人物が陥る様々な状況は、はっきりいってかなりの見物。特に、そのあたりを全てひっくるめて意外な真相に奉仕させている『見知らぬ恋人』は傑作。八作品目の最後にあることから、読者の頭までをも巧みにミスリードさせてしまっている。また、『大外れの犯罪』の、人間関係の錯綜も悪くない。特に最後の最後の皮肉な結末はこれ以上ないくらいのブラックな感覚に満ちている。ただ、一方でこうなるんだろうなあという予測の範囲から外れない作品もあり、全てが傑作とまではいかないのは、いささか残念。

こういったどろどろした男女関係が八回登場する点、好悪も分かれようというものだが、本格ミステリとしても、サスペンスとしても趣向を凝らしてあり、読者が満足できるようにしてある点は流石。時間をおいて『罠のなかの七人』の方も読んでみようという気分になっている。


05/10/28
折原 一「黙の部屋」(文藝春秋'05)

折原一氏が自らのホームページで追い求めていることを公言して憚らない、謎の多い画家・石田黙を主題に取った作品。書下し。

地下室の中で目覚めた男は自分が誰なのか判らない。「俺は誰なんだ」という男の問いに対し、部屋に入ってきた男は「お前は画家だ」「石田黙という画家だ」と告げる。男は了解し、キャンパスを前にして絵筆を手に取った。確かに自分は画家であることは間違いないらしい……。 一方、美術専門の出版社で「月刊美術情報」という雑誌の編集をしている水島純一郎は、ある美術評論家への取材を予定していた。途中で寄った画廊からの道で雨が降り出し、水島は雨宿りのために一軒の古びた古物商の店に飛び込む。そこで偶然に出会った、薄汚れた「夜光時計」という絵に魅せられ、財布の中のお金をほとんど吐き出してその絵を購入する。作者は石田黙という画家で美術業界にいる水島にして聞いたことのない人物だった。年鑑など調べてもその名前は美術界ではあまり知られていないらしい。しかし、いかなる運命の悪戯か、水島がチェックしているイン ターネットオークションで、石田黙の作品が売り出され……。

実在の画家・石田黙を謎の中心に据えた、折原流サスペンス
石田黙とは誰なのか。作者である折原一氏が「私がこのホームページを開いた一番の理由は、「黙の部屋」を開くためだった(と言い切ってしまおう)。」と言い切るほどに傾倒されている画家である。石田黙の作品は、折原氏のホームページから観ることが出来る。なるほど、黒を基調に白く様々なものを描く独特な手法。不思議な魅力を持つ画家だと、素人の小生も思う。
本書は、その実在の「石田黙」という画家を巡る謎を中心に据え、そこに折原氏が得意とするサスペンスの手法を絡めた絵画ミステリ。 美術業界の裏話もそこかしこに現れて情報小説のような部分もあるが、やはり主題はサスペンスであり、数々登場する謎の人物が一体誰なのか? というあたりが謎としては基軸となっている。残念ながらミステリとしてだけ取り上げると、やはり人物と人物をいかに当てはめてゆくか? という謎になっており、若干「謎」の興味は薄いと言わざるを得ない。
だが、それを補って余りある作者の「画家・石田黙」に対する熱意が伝わってくる。モノクロ・カラーの図版によって石田黙の作品が次々と作品内にて具体的に登場。作者の思惑通り、石田黙の正体探しであると同時に、ちょっとした絵画集としての役割をも果たしている。

本格謎解きという意味合いではちょっと薄いので、一連の折原サスペンスに連なる作品と考える必要がある。その一方で、やはり無名画家の生涯を後から発掘してゆく……という過程が「事実は小説よりも奇なり」を地で行く面白さを伴って描かれている点は興味深い。美術ミステリがお好きな方であれば、きっと満足頂けるものだと思う。


05/10/27
蒼井上鷹「九杯目には早すぎる」(フタバノベルス'05)

蒼井氏は2004年、本書収録作でもある『キリング・タイム』にて第26回小説推理新人賞を受賞してデビュー。翌年、これも本作収録の『大松鮨の奇妙な客』が第58回日本推理作家協会賞・短編部門の候補作に選ばれる。その二作に『小説推理』発表の三作品に書き下ろしを加えた、著者の初単行本が本書。

男は鮨を注文すると律儀に一カンずつ食べ残し、ジャンボ茶碗蒸しが出てくるや、どんぶりを要求した。鮨を全てどんぶりに入れ、その上から茶碗蒸しをぶちまけ、掻き回し始めた。店主はかんかんでその男はたたき出され、簑田は成り行きに唖然とするあまり、男の尾行に失敗する。 『大松鮨の奇妙な客』
出張帰りの男がマンションの管理人とホールで出会う。男はその管理人の妻と実は浮気してきたところであった。管理人は男から焼き肉屋の匂いを嗅ぎ取ったが、それはトリックのうちだった――。 『においます?』
インターネットで小説を発表していた相尾翔。彼のファンという大学生・狛江がいつの間にか彼と合作が出来ると信じはじめ強烈なネットストーカーと化した。そんななか、狛江の呪縛を断ち切って相尾が投じた作品が小説賞の最終候補に選ばれて……。 『私はこうしてデビューした』
朝からギネスが飲める幸せ。退院した私は自宅のダイニングテーブルで幸せを満喫していた。足許に愛猫。元看護婦の妻……。 『清潔で明るい食卓』
コンピューターシステム販売会社の課長補佐・串本。唯一の楽しみだったのは近所にあるバー〈サード〉で仕事を終えた後、一杯飲むことだった。しかしそこへ、串本とは性の合わない小野寺という老人がやって来たことによって、彼はいらいらを募らせてゆく。 『タン・バタン!』
美人ミステリ作家のストーカー撃退のためにプロデューサーの三谷は、彼女そっくりの女性を連れてやって来た。 『最後のメッセージ』
バーに勤めるノリオは、風邪のマスターから店を一晩任される。花粉症の彼は、彼お気に入りのある女性客から良い医者の紹介を受けていたが、その病院内部にいる彼女を見てしまい、病院には行けなかった。彼女はその医者と関係があったのだ。 『見えない線』
バーで潰れている蛙のような二人連れが口にした言葉「九杯目には早すぎるよ」「ぎいれっとなら尚更だ」。カウンターに座っていた男はミステリの話だと思って声を掛けるが……。 『九杯目には早すぎる』
SBIという会社に勤める佐伯が日曜日、駅で立ち読みをしていると、上司の黒住に声を掛けられる。黒住の家族が出払っているので酒に付き合えという。佐伯は実は黒住の娘と秘密の交際をしていて……。 『キリング・タイム』 以上九編。

フツーのミステリに見せかけといてヒネリが一回りと+30度。微妙に奇妙な味わい
日常に疲れたサラリーマンであるとか、駆け出しの作家であるとかが登場し、事件に巻き込まれていくノンシリーズ作品集。全体を通じての印象をひとことでいえば、才能が勝っていて小説技巧が若干まだついていけてない、という感じか。というのも、各作品ヒネリが十二分に効いており、ネタとしての面白さが十二分にあるのだが、なにぶん演出が過剰だったり過小だったりという構成の問題があって、せっかくのサプライズが生かしきれているとは言い難いように思われたのだ。
とはいえ、才気が溢れており、読者の方でしっかりと受け止めることが出来れば、小粋な作品集として水準以上のものは持っている。特に選評にもある通り、人間のせこさや小さな悪意といった、大きな犯罪計画と違った人間誰もが持ちうる暗い影の部分の描き方が秀逸なのだ。また、ブラックな味わいを持つ小説として、ある程度皮肉な落としどころというのは読んでいて予想されるものだが、それを微妙にずらせたところに着地させてしまうアイデアは小憎いばかり。この微妙なずらせ方が蒼井氏の才能だといえるだろう。
やはり受賞作『キリング・タイム』、そして『大松鮨の奇妙な客』。オチのひねり加減についてはこの二作が秀逸。特に『大松鮨…』については予想の裏切り方が大きく「ぽかーん?」とした状態に陥ってしまった。一方の『キリング…』は、設定の妙味を最大限に活かしており、その最終的な伏線が思わぬところに仕掛けられている点が巧い。ブラックさ加減もこれが一番か。『私はこうしてデビューした』も面白いが、ネタをひねりすぎて若干構成が分かりにくくなっているのが難点。

なぜ本作の題名が、書下しショートショートでしかない「九杯目には早すぎる」なのか? という点が取り沙汰されているようだが、個人的には「酒を飲む場面」というのが各作品、かなり象徴的に登場するから……と見たのだが。作品集全体のイメージとしてもしこのショートショートが別の題名であったとしてもそれほど違和感はなかっただろうと思う。だって、収録作品も九つだし。

興味をお持ちの方は気軽に手にとってみてはいかがでしょうか。今後大化けする可能性も秘めてます。


05/10/26
石田衣良「東京DOLL」(講談社'05)

『小説現代』誌に二〇〇四年九月号から二〇〇五年二月号にかけて連載されていた長編作品の単行本化。帯によれば、著者四年ぶりの長編恋愛小説とある。確かにもともと中短編の多い作家だとはいえ、そんなに恋愛長編のブランクがあったのかというのはオドロキ。

ゲーム業界の風雲児。友人と設立した会社・デジタルアーミーにて、自ら企画した育成型RPG『女神都市』のパートVまでミリオンセラーをたたき出した原案者は相楽一登、通称・MG。年収五千万から二億円のあいだを激しく上下する彼は、パートWの原案作成中、コンビニでバイトする水科代利・ヨリに目を留める。彼女が次回のゲームイメージに合うと直感した彼は、いきなり彼女にモデルを頼み込む。MGは彼女に仕事の説明をしっかりと行い、モデルとなることを承諾させる。彼女には少年院帰りの船乗り・ヨシトシという彼氏がおり、MGは彼とも挨拶を果たす。ヨシトシはヨリには不思議な力があり、一度命を救ってもらったのだという。一方、デジタルアーミーには『女神都市』の販売を委託している大手のエッジ・エンターテインメントの新社長から、是非会ってもらいたいという話が届いていた。米国帰りという新社長は、デジタルアーミーを制作会社として傘下に入れたいと申し出てきており、MG自身は動揺しなかったものの、彼にぶら下がっているという自覚のある他の社員たちに動揺が走り、チームワークに亀裂が走り始めた。

恋愛小説としてと同時に、一匹狼の天才クリエイターを巡る経済小説としても面白く読めた
いわゆるIT業界や芸能・スポーツ界出身以外の、若くしての現代成功者の造型がいきなり無造作に巧い。港区の巨大なマンションに住み、金のかかった服を無造作に着こなし、乗っている車はレンジローバー。自分の居る世界については相応に詳しいが、その他のことについては無頓着、だけど成功者ならではのオーラを纏った男。エンターテインメント小説のなかで現代の若き成功者像を描こうとすると、実業家の二代目キレ者だとか、IT業界の成功者といった現実にもありそうな方向性を持ちがちのなかで、このMGの奇妙に生々しい実在感はかなり映える
また、その天才を囲むチーム的な小規模会社と、そこに誘惑の餌を投げかけてくる狼的大企業という構図もリアル。こちらは全体の構図そのものがありがちななかでの具体的な切り崩し作戦の方が、生々しく描けている。株式であるとか、企業の本質などを突く絵の巧さは『波のうえの魔術師』の作者ならではの鋭い経済的感覚に満ちている。そして、もちろん単にこれだけでも十二分にエンターテインメント小説足りうるなかに、プラスαがある。
それがヒロインのヨリだ。彼女の持つ危うく繊細な魅力、そしてパーフェクトな造型。更には特別な力。光も持てば、影も持つ、確かに魅力的なヒロインである。本来的な主題は彼女と主人公・MGとが互いに惹かれ合う部分にある。とはいえ、お約束といえばこれもお約束でしかない。ただ、ほんの少しファンタジーorSF的要素を描かせると元より巧みな著者のこと、経済と恋愛の二つの大きな流れを重ね合わせ、そこにヨリの能力を加えることで大きな物語を創りだしていく。東京のハイソサエティ(高級レストランだとか高級ブランド品だとか)を流れのなかで自然な舞台にしつつ、あまり成金めいた嫌らしさを感じさせない。そういった細かな配慮によって、恋愛小説であると同時に経済小説という両立が成り立っている感がある。

恋愛小説としての要素だけであれば、ちょっとベタベタした略奪愛(?)物語になってしまうし、会社買収絡みの話だけであったら、やはりこてこての泥臭い話になってしまう。その相反するような二つの要素を絶妙にブレンドした結果が本作。やはり、物語の語り手としての才能を感じざるを得ない。――とはいえ、やっぱり恋愛要素の方が若干強いので、恋愛小説ということで良いのだろう。だけど、本作を単なる恋愛小説にしていないのが石田衣良の強みなのだと思う。単なる恋愛小説は――飽きちゃいますからね。


05/10/25
倉知 淳「猫丸先輩の空論」(講談社ノベルス'05)

ご存じ、年齢・職業不詳、童顔にして神出鬼没の猫丸先輩が探偵役を務める「日常の謎」シリーズ。講談社ノベルスからは三冊目、シリーズ五冊目となる作品集。

毎日ベランダの手摺りに置かれる、水の入ったペットボトル。種類はまちまちだが執拗に毎日繰り返される。果たしてその理由は? 『水のそとの何か』
友人が車に撥ねられた。現場に置かれた手向けの花。その場所を訪れた男の前にタクシーが止まる。呼んでもいないタクシーが続々とその場所に現れる。 『とむらい自動車』
「虐待されている猫ちゃん救出作戦」――幸太は幼馴染みの真美に付き合わされ「猫婆さん」の家から一匹の子猫を救い出すことになる。その顛末は。 『子ねこを救え』
正式競技としてのスイカ割り大会に駆り出された雅春。テントの中に入れていた大量のスイカが何者かによって割られていた。一体どういった理由が? 『な、なつのこ』
外観は普通、だけど超大食い娘の早苗。友人の明日香を伴い巨大ラーメンをまず撃破。続いてステーキ店のチャレンジメニューに挑戦する筈が失踪? 『魚か肉か食い物』
夜中に一人残業する編集部勤務の”僕”。他に誰もいないオフィスに電話が響く。部署を順繰りに鳴っては切れる電話の音に、僕は……。 『夜の猫丸』 以上、六編。

キレというよりも「味」重視? 猫丸先輩の空論を楽しみ、物語を楽しむ
日常の謎――という縛りがあることがかえって良いのかどうなのか。猫丸先輩が神出鬼没なこと以上に、倉知淳が送り出してくる作品の舞台そのものが「何でもあり」で様々な方向性に向かっており、パターンを作らない点が素晴らしい。視点人物も毎回のように変動させ、それすらも時にはトリックの一部となる。冒頭の作品あたりは、「日常の謎」基本パターンともいうべき、「奇妙な体験をした人からの伝聞」なのだが、その次以降は、交通事故の発生した道路、虐待猫を助け出す子ども、スイカ割り大会、大食いチャレンジ店舗での謎、そして夜のオフィスと場所も時間も見事にバラバラ。この非日常の空間からさらに謎を紡ぎ出す手腕はいつもながらお見事。
そしてまた、今回は「空論」と題名にあるとおり、猫丸先輩が「空論」を語っているところも面白い。 日常の謎は事件ではなく、ちょっとした人と人との関係から発するもので、無理矢理に検証して解決するものではない――ということになるか。つまり、本作品集における謎に対する答えは、推論であり「空論」であって、確実な真相ではない(実際その「空論」が真相である可能性が高いにせよ、証明はされていない)。それでも、奇妙な納得性はそれぞれにあるし「空論」は「空論」なりにロジカルなので違和感を覚えるものでもない。ただ、事象に対する推理の”キレ”という点だけに目を向けると、さすがに「空論」だけに今ひとつな印象もある(他の解釈がいくらでもつきそう……という意味で)。それでも、物語は微妙に人情系でまとめられているのでそういった流れのなかでは、やはりこれが最適の選択なのだと思う。ただ、十分に伏線は存在するし、それらが回収される点は同じ。唯一無二の真相を解き明かすのでなくとも、条件から想像を働かせて最適解を求めるという行為によって、十二分に本格ミステリとしての要件は備えているように感じられる。
『魚か肉か食い物』において、女の子が巨大ラーメンに挑戦してこなしてゆく描写が個人的にはツボ。こういうのは見ていて気持ちがいい。

個々の題名はもちろん、古今東西の有名なミステリの題名のパロディ。何が何にあたるのかはご自身でお考えください。それもこの作品のなかでは「謎」のうちでしょう。いつも通りの倉知淳、シリーズ通じてのんびりとお楽しみ頂きたい。


05/10/24
西尾維新「ネコソギラジカル(下) 青色サヴァンと戯言遣い」(講談社ノベルス'05)

西尾維新の超人気「戯言シリーズ」の最終話『ネコソギラジカル』三部作の最後を飾る、事実上のシリーズ完結作品。

宴九段の裏切りにより玖渚友の命が危ないことを知ったいーちゃんは、様々な回想を頭に過らせながら友のもとへ向かう。そこでいーちゃんは友との決定的なすれ違いに気付かされ、絶望のなか彼女に究極の選択を迫られる。そして。その帰り。零崎人識の運転で骨董アパートに戻ってきた彼らは、完膚無きまでにアパートが破壊されているのを目にする。せっかくアパートの住人と馴染んできていた筈の想影真心? なぜ彼はこんなことをしたのか。物語は最終局面へ。西東天といーちゃんとの命を賭けた、赤き征裁vs橙なる種との決戦が開始される――。(梗概はわざと簡略化してみました)。

読者がどうあろうとどう受け止めようと。いずれにせよ、一つの物語の、終わり。
様々な別ジャンルからの影響であるとか、膨大な登場人物と萌えの取り込みだとか、異世界構築の方法論であるとか、ライトノベルと一般向けで本来あった講談社ノベルスとの垣根だとか、冗舌にして意外と様々なテクニックが駆使されている日本語であるとか、本シリーズを読み終えていろいろと個人的に思うことはある。ただ、本書に関しては多くの人が読まれており、そういった観点から分析する人がきっと他にもいくらでもいるであろうので、とりあえず雑感を留めるのみとしたい。
まず、物語のなかの様々な伏線、即ちエピソード、登場人物、人の名前や境遇、関係性……など、これまで伏せられていたり、軽く流されていた部分がうまく回収されているな、というのが第一印象。もちろん、まだ具体的に描かれていないエピソードも残してはいるものの、作者が恐らく語る必要なしと判断したのだろう。また、どちらにでも転がすことができた物語をプラス方向にまとめて終わらせた点については、少々意外でもあり、納得するところでもある。(どっちやねん)。主人公のアイデンティティを作者が弄び、それを崩壊させることも獲得させることも、実はこの最終巻の中盤まで思いのままだった筈。この結末は作者が選択したものだと信じたいのだが……このあたりに微妙な疑念も実はあったりもする。(講談社ノベルス全体売上を左右する人気シリーズですからねえ)。
あと、この巻の冒頭、いーちゃんと玖渚友とのやり取りは秀逸だと思う。人を好きになる行為における感情の一方通行、と書くとそれまでなのだが、それが哲学的ですらあるやり取りのなかで巧みに表現されている。恐らく読者も自分のアイデンティティをこういった部分から作品に重ねてゆくのだろうなあ、とちょっと考えた。
あと、一つ。 最終ページの一ページ前。一応、大団円中の大団円となるエピソードを語る直前にある「んじゃま、いっちょう戯言――いってみようか。」というひとことが気になって仕方がない。世間的には、帯にしろイラストにしろ、全てが大団円を示唆しているということで納得されてしまっているようなのだが。この言葉以降、物語のラストまでが「戯言」である可能性はないのか――な? そうだとしても世界は健在という部分は生きているので良いのだけれど。いーちゃんの名前については、もう自分のなかで答えが出ているし、まあ、このシリーズはこれでいいのでしょう、きっと。

特に皆さんへのメッセージはありません。ごちそうさまでした。


05/10/23
都筑道夫「妖怪紳士 都筑道夫少年小説コレクション4」(本の雑誌社'05)

幽霊通信』『幽霊博物館』『蜃気楼博士』と三冊続けて初期配本は「本格推理」をメインとした作品集であった。この『妖怪紳士』は、SF&ホラー篇の1として、都筑道夫が得意としていたもう一つのジャンル、恐怖小説やSF小説をまとめている。

遊びの帰り、小学生の太田章一は雪に見舞われた。さっきまで汗ばむような陽気だったのに。工事現場の土管のなかに避難した章一だったが、その中には汚れた燕尾服を着て、頭にシルクハットを被り、サングラスを掛けた奇妙な男がいた。男は「折れた角」と名乗り、この現象が妖怪による仕業だと看破する。雪女、そしてぬけ首。「折れた角」は妖怪世界の番人だったが、その妖怪たちが何者かの手引きによって現世に逃げ出した責任を取らされているのだという。 『妖怪紳士』
小学校六年生の沢村浩は、祖父であり群馬で妖怪研究をしている学者・沢村玄太郎からのSOSを電話で受ける。兄の猛の車で研究所に向かったが、研究所の前には見えない壁があり、様子を見に来たらしい巡査の死体があった。漂ってきた煙の中に人の顔を見た浩だったが、それを倒したのはこじきのような身なりをした痩せた紳士だった。「折れた角」と名乗るその男は、浩と共に妖気が溢れるその研究所に入り込む……。 『妖怪紳士』《第2部》
ぼく・友永幸一、ボク・友永幸一、そしてぼく、友永幸一の三人が仲良くなって冒険をする話――友永幸一が自転車で坂道を下っていると、ぼんやりと突っ立ている少年に衝突しそうになった。不思議な力が働いて危うく衝突を避けられたが、その少年は幸一と同じ顔をしており、友永幸一と名乗った。また、彼らの頭のなかに、もう一人友永幸一という人物からのメッセージがテレパシーで流れてくる。どうやら彼らは別々の世界にいた幸一が一つの世界にまとまってしまったらしい。自分たちの世界に帰るために、彼らは冒険を開始するが……。 『ぼくとボクとぼく』(最後の”ぼく”は白抜きフォントで表示) 以上、三長編を収録。

桃源社版コンプリートのファンでも必携。妖怪紳士の第一部、第二部が揃って読めるのは本書だけ!
先に少し書誌的なことを。(編者が日下三蔵氏でもあり、単行本をみれば書いてあることだが)表題作でもある『妖怪紳士』は「週刊少年キング」に連載され、その後朝日ソノラマより〈サンヤング〉シリーズの一冊として単独刊行された。その後桃源社の『おはよう妖怪たち』にも全編収録されているので、比較的読もうと思えば読める作品であった。本書のポイントはその《第2部》である。これも「週刊少年キング」に連載されたまでは良いが、その後、まったく単行本にまとめられていない作品なのであり、今回が初収録となるのだ。(『ぼくとボクとぼく』も『おはよう妖怪たち』に収録)。従って、実はこの本の雑誌社のシリーズ、桃源社から刊行された四冊の少年小説作品集を所持していれば読めるという作品が多かったなか、本書が一つの目玉なのである。

そして『妖怪紳士』だ。ひとことで内容をいえば、妖怪vs妖怪紳士(+少年とその親族)によるアクション、アクション、アクションの連続が延延と続く超絶エンターテインメントである。雑誌連載という制約があり(探偵小説の新聞連載みたいなものか)、章ごとに必ず山場を挿入する必要があるというなか、しっかりそれをこなしている。登場する妖怪たちも、日本古来からの伝統的なタイプ、さらに伝統的なタイプを現代風にアレンジしたタイプ、そして全く都筑道夫オリジナルなタイプとさまざまで、そちらの面からも興味は尽きない。(名前はさすがにアレだが、どんな車にでも化けてしまう妖怪ってのはモダーンなイメージがあって非常に面白い)。また、アクションが続きすぎて、最終話にあたるところでもエンディングがじっくり描かれていないのもご愛敬。ただ、連載小説にありがちな設定のミスや、前後関係の矛盾はざっと読む限りは感じられず(じっくり読めばあるかもしれない)、するすると最後まで読めてしまうのはやはり特長だといえるだろう。
噂の《第2部》では、登場する少年が変更されてしまっているのがちょっと続けて読むと勿体ない気もするが、しっかり最初の『妖怪紳士』の設定を踏まえたうえでの続編であるところはやはり嬉しい。こちらもエンディングは非常にあっさりしているのだけれど。
『ぼくとボクとぼく』は、実験的SF作品。ただ、ここまで複雑な設定をジュヴナイルでやっちゃいますかという点、驚いた。多少中だるみがあるなあ……と思わせておいて、終盤にこれまでの物語を無効化するほどの設定どんでん返しがされているところで、恐らく更に驚ける作品。完成度としてはちょっと今一つのような気もするが。

満足、マンゾク、まんぞく。いいですよー、これ。散々述べてきた通り、都筑ファンならば必携ものだし、妖怪小説好きの方であるとか、ジュヴナイル小説ファンであるとか、様々な需要を満足させそうな作品集なのだ。


05/10/22
遠藤 徹「弁頭屋」(角川書店'05)

姉飼』にて第10回日本ホラー小説大賞を受賞した遠藤氏の、小説としては二冊目の作品集。同志社大学の教員でもある遠藤氏には小説以外にも化学関係の著書が数冊ある模様。

戦争と首都圏を襲ったテロの結果、郊外に移った大学。そこに通う安村靖之は授業を抜け出し、いつもの弁当屋を捜しに出ていた。昼休み近くなると学校の外に並ぶ弁当屋のワゴン。なかでも靖之のお気に入りは双子の美人姉妹・サチとミチが経営している店だった。 『弁頭屋』
美人の女性教師・高槻先生が生徒を食べていた。僕の昼休みの居場所、焼却炉の裏側でそれは行われていた。人嫌いの僕は、先生から「食べたい方?」「食べられたい方?」と尋ねられ、テニス部の高宮真紀と共にその活動に参加することになる。 『赤ヒ月』
「できちゃったみたい」 結婚して三年、法的にも認められた配偶者である拓郎と夕菜。夕菜のこの言葉に拓郎は愕然とする。二人のあいだには距離があり、拓郎に心当たりはない。「この人なの」と夕菜が紹介したのはなんと電子ジャーだった。 『カデンツァ』
毎晩、ネバ虫に狙われるわたくしは、明け方、壊れた少女を拾いました。殺虫剤を撒きすぎ、身体にも染みこんだわたくしが夜中に家を転び出たところ、ずいぶんと壊れたその少女がいたのです。家に持ち帰って修理しなくてはなりません。わたくしはそっと彼女を抱いて家に帰ると久しぶりに工場のブレーカーを上げました。 『壊れた少女を拾ったので』
ありとあらゆるものがピンクに染まる街。この世に存在する万象全てを糧として増殖を続けるピンク色。部屋に入り込み、身体に入り込み、人々は次々に倒れてゆく。毒物を無効化しながら進化するピンク色に、人類はもはや打つ手を喪っていた。 『桃色遊戯』 以上五編。

単なるカルト・ホラーではない。ねっとりと濃い事象の先に透けて見えるものが何もない――という恐怖。
表題作の『弁頭屋』はパラレルワールドの日本(といってもそうめちゃくちゃに異なるわけでもない)にある郊外の大学を舞台にした恋愛+カルト+シュールをミクスチュアしたホラー作品。人の頭に弁当を詰めるという発想は狂っている(褒めている)。 二作目の『赤ヒ月』は学校を舞台に一部学生・教師のあいだで繰り広げられる愛情溢れる人体解体と内蔵愛撫の饗宴。とはいっても人体を切り刻まれる残酷さよりも「異なる人種」における異常な恋愛譚として受け取れるか。 三作目『カデンツァ』は、いわゆる家電製品とそれぞれが愛情を交わすことによる異常な愛を描く一種のコメディ。淡々と家電製品との愛情を深めていく人間の姿は恐ろしいが、その家電とのあいだにコドモを生ませるといったあたりを当たり前に世界に取り込んでしまう作者の大胆さの方が実はもっと恐ろしく感じた。 四作目の『壊れた少女を拾ったので』は、姉なる人物に虐げられ卑屈になった少女の独白調で綴られる幻想小説。時間や登場人物がかなり強引に作中で動かされるので難解ではあるが、独特の幻想味が作品集内ではもっとも強く出ている作品でもある。 最後の『桃色遊戯』は、あるかたちでの世界の終わりを描いた作品。地球の終末にきちんと理由があり、それなりの説明が為されているため、ホラーというよりも終末系SF作品に感触は近いだろうか。作品集中、もっとも分かりやすくはある。ただ、短編ながら細かなエピソードを積み重ねることで、作品世界の凄みと独特の叙情を引き出している。
……とまあ、寸評を書いてみた。前作『姉飼』の時も感じたことだが、この遠藤徹、作品集よりも作者の才能が恐ろしい。 この作品集、五つの作品のベクトルがそれぞれバラバラなのだ。文体も異なれば、求められるホラー(恐怖)の方向性も異なり、舞台も登場人物も(それはこれまで小説化されたことがないとはいわないが)全く統一性がない。それでいて、個々の作品がそれぞれホラー小説として別のかたちで完成している。 ホラー小説作家の作品を幾つか読むと、その人が持つ引き出しというか、描き出したい恐怖のツボのようなものが見えてくるように思うのだが、この作家には今のところ、まだそれを感じることができない。なぜなら、全部異なっているから。

『赤ヒ月』で主人公がかつてイジメの復讐をした行為が数年後に別の形で発露するシーンがあるのだが、そこが個人的にはぞわぞわ感のツボ。恐らくこのように、人によって異なる恐怖のツボがどれかの作品のどれかの場面で必ず刺激されるだろうと思われる。表紙というより帯が過激に過ぎるが、元よりホラーだ。正々堂々レジに運ぼう。


05/10/21
恩田 陸「光の帝国 常野物語」(集英社'97)

再読。出版事情に疎いもので先般刊行された『蒲公英草紙』が、この「常野物語」シリーズの続編だということに気付き、久しぶりに読み返してみたもの。単行本としては、恩田陸初の短編集にあたるが、あまりSF系統の読者に受けがよくなかったように記憶している。(何で?)

古来からひっそりと暮らしている、様々なかたちの超能力を持つ一族・常野(とこの)一族。常に野にあれ、という名前が示す通り、普通の人々とのあいだで目立たないよう暮らしていた彼らだったが、その歴史は迫害に満ちたものだった。今は全国各地にいる一族が、時にその能力を隠し、時に封印されたまま、それぞれの人生を歩んでいる。しかし、時が満ちたのか、彼らのなかから少しずつ常野の力を一つにまとめる動きが始まりだした……。
例えば表題作 『光の帝国』は、本作のなかでしばしば登場する百年以上も学校の校長を続けているというツル先生の物語。太平洋戦争中に常野の子どもたちと教員を襲った悲劇が描かれる。また、他の作品では主に現代を舞台にしており、主要登場人物の一部は重なるものの、全編に共通する要素はない。ほか『大きな引き出し』『二つの茶碗』『達磨山への道』『オセロ・ゲーム』『手紙』『歴史の時間』『草取り』『黒い塔』『国道を降りて…』 以上十編。

あまりにも巨大な物語の破片。単行本一冊にして全編プロローグのような不思議な作品集
前回読んだ時の印象が「物語の断片」だったが、今回読んだ印象は「物語の断片と破片」であった。確かに全体に奉仕するような「断片」となるエピソードがある一方で、コンセプトこそ同じながら繋がりがかなり難しいのではないかと思われるエピソードもあり、この後、どのように使われていくのか興味がある。
とはいえ、まだ全体の骨組みすら、針金のような細い線でようやく繋げられた段階であり、最終的な物語は全く見えない。その意味では、これからの物語のために設定を綴っただけという大胆な作品集だともいえるだろう。分かるのは、過去から常野の一族という、普通の人類とは異なる能力を持つ一族がいて、現在も裏の世界ではある程度”何か”と対抗するために団結しており、彼らは今や自覚しながら自覚のないまま市井の一市民として暮らしている――ということ。『オセロ・ゲーム』や『草取り』といった作品ではちょっと他とは繋がりが薄いエピソードながら「敵」らしきものが現れている。
とはいえ、断片、破片とはいえ、恩田陸の語り手としての巧さはやはり際だっており、上記のような作品だといえど、一つ一つを読ませてくれるのは事実。 悲劇あり、サスペンスあり、恋愛小説あり、自分捜し小説あり……と、それぞれのバラエティに富んでおり、これ一冊だけを読んで、残りを全て想像で補うというのも一つの楽しみ方かもしれない。ただ、(結局、続編刊行までに八年という時が流れてさえいなければ)、シリーズ作品として多くの読者に対して絶大な人気を誇れる可能性がある(あった)。その可能性が恩田さんがあまりに人気作家になりすぎたことによって潰えかかっているようで何かもったいなさが、これは間違いなく存在する。

本シリーズがまさかこれほど時を置いて刊行されるとは思わなかったので、とりあえず本書の評価は一旦保留。『蒲公英草紙』を読んでからまた考えたいと思う。