MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/11/10
石田衣良「1ポンドの悲しみ」(集英社'04)

スローグッドバイ』の続編(?)にあたる、石田衣良二冊目の「恋愛短編小説集」。「小説すばる」誌の2002年8月号から2004年2月号にかけて隔月連載された作品が単行本化されたもの。

自分の持ち物にイニシャルを必ず書いて同棲する二人。イニシャルを入れない子猫を貰ってきて……。 『ふたりの名前』
後輩の退屈な結婚式に出席した男。彼は式場で働く一人の女性に惹かれる自分に気付く。 『誰かのウエディング』
毎週決まって花束を買いに来る男。子持ちの彼女と彼女持ちの彼の淡い心の交流が意外な方向へと。 『十一月のつぼみ』
突然、声が出なくなってしまった。筆談しなければ意志の疎通が出来ない彼女を助けてくれる彼。 『声を探しに』
長いあいだ付き合った彼と別れた後、別の男と付き合っても長続きしない。そんな時にかかってきた電話。 『昔のボーイフレンド』
ナンパ公認のバーに現れた一人の女性。話しかけても会話のテンポが全く噛み合わない。しかしそんな彼女を……。 『スローガール』
滅多に会えない彼と彼女とがホテルの一室で濃厚な一時を。その短い時間が終わりを告げる時に思うこと。 『1ポンドの悲しみ』
彼女は本と男が好きだった。彼女は本を読む男が好きだったが、なかなかそう都合の良い男性は見つからない。 『デートは本屋で』
年の離れた夫と暮らす彼女。夫は彼女との年齢差が一つだけ縮まる二週間のあいだ、妙にはしゃいでいる。 『秋の終わりの二週間』
恋愛依存症の彼女が、一年の男断ちに成功した。そんな彼女のことを祝ってくれる女友だちと男友だち。『スターティング・オーバー』 以上十編。

気の利いた言葉や素敵な男女よりも、ちょいと不自由だったり特殊だったりする「設定」に物語の魅力が
もう、この世の中には恋愛を描いた小説なんて小説が星の数ほど存在していて、同じく恋愛を描いた映画だとかドラマだとか漫画だとか演劇だとかその他もろもろなどまで合わせると、地球上の砂の数より沢山あるに違いない。本書で描かれる十編の恋愛小説。正直な印象でいえば、表題作を含む何作かについては、恐らくこのまま砂の中に埋もれてしまうような気がする。ちょいと気の利いた台詞が飛び交う、ちょっとした恋愛小説。これだけでは記憶に残らない。いやもちろん、そういった軽く、誰にでも気軽に味わえる作品の方が良いという人もいるだろうし、悪いことではない。でも、少なくとも私の記憶には内容が残らない。
じゃあ、本書の何が魅力かってえと、その微妙な状況の特殊性にあると思う。 恋愛の足枷となる何か。生活の際のちょっとした不自由。恋愛におけるちょっと特殊な環境。あまり従事している人がいないような仕事……といったほんのちょっとしたスパイスが、見事な調味料となって物語そのものの味わいを引き立てている点だ。個人的には、このあたりを縦横無尽に自由自在に描きだせる石田衣良という作家は、恋愛小説とは無縁のところでも作家として凄いと感じている。例えば、主人公が属しているのが、中小企業だったり、大企業の社員・OLだったり、個人事務所を経営していたり、主婦だったり、自宅作業者だったり、工場勤務者であったりするのだが、それぞれが実に自然な流れのなかで描写されているのだ。また、もう一つ、女性の描写、特にファッションであるとか化粧であるブランド趣味であるとか、一人きりの時の生態であるとかの描き方も巧い。(ただ、この点については優秀な女性編集者などが寄ってたかってサポートしている可能性も感じられる)。軽薄な(恋愛小説だから)文章でいるようでいて、意外と深い。 このギャップが石田衣良作品の魅力の一つだと考えている。
恋愛小説という観点からは、まあ、いろいろなケースがあるので……といってお茶を濁したいところだけれど。ただ、当たり前の恋愛をドラマに仕立てているという点では、シチュエーションの勝った『ふたりの名前』や『声を探しに』あたりが個人的好みではある。

もちろん、巷間に溢れる恋愛小説集のなかの一冊としてあっさりと読むのも吉。小生のように設定に感心しながら読むのも吉。ミステリや幻想小説ではないので、本サイトをご覧になっている方の好みには合わないのかもしれないけれど、石田衣良の作品は、それはそれで職人芸のような巧緻で深い味わいがあるので、私は好なのだ。


05/11/09
鮎川哲也「囁く唇 鮎川哲也名作選11」(角川文庫'79)

角川文庫の緑背の時代に鮎川哲也の一連の作品が刊行された後期、”名作選”という形で短編を発表年代順に収録した作品集が並ぶ。本書も同様に、'67年末から'68年にかけて各種小説雑誌に発表された七編が収録されている。各大学推理研OBが務める解説、今回は青山学院大学から風見潤氏。

良縁を得られそうになった敏腕営業マンは、自分の秘密を知る恋人が邪魔になり、計画を練り始める。 『囁く唇』
放送作家の大御所に身体までを自由にされる北爪亜土。彼は女性との恋路を邪魔され、計画を練り始める。 『背徳のはて』
翻訳事務所で行っていた不正が嗅ぎ付けられた。鷹揚に脅迫に応じていた男だったがある事件をきっかけに、計画を練り始める。 『蟻』
会社で行った不正を嗅ぎ付けた電話交換手。秘密厳守を条件に相手に結婚を迫る。男は計画を練り始める。 『黒い版画』
かつて友人が事故とも他殺ともつかない状況で死んだ温泉旅館。男は事件に何か裏があるのではないかと周辺を調べはじめた。 『かみきり虫』
よろめき奥さまとの浮気に励む男。その夫を死の罠に陥れるため、男と女は手を組んで、計画を練り始める。 『墓穴』
家に遊びに来るセールスマンが妻と浮気をしていると知った大学教授。復讐の念に駆られた男は、計画を練り始める。 『逆さの眼』 以上七編。

完全犯罪を計画するに至るまでのしみじみとした味わいが吉。いつもの……じゃない作品がやはりスパイス
国産本格ミステリの父ともいえる鮎川哲也氏の中期以降の短編小説には、本格ミステリとはいっても倒叙形式の作品が一気に増えてゆく印象がある。(本来はきちんとデータを取って論証する必要があるのだろうが、ここではしない)。本書もそういった中期以降の倒叙作品を中心に(それ以外は『かみきり虫』のみ)集められた作品集。
そのベースとなる犯罪に至るまでのディティールは鮎川氏ならではの美学をもとに構成されており、犯罪者がなぜ相手を排除する必要に迫られたのか? という疑問に関して非常に多くのパターンが作られている。野心を満たすための結婚の障害になるかつての恋人を除こうとする黄金パターンもあるにはあるが、不正行為が第三者に知られた結果、脅迫を受ける立場になってしまった人間であるとか、同じ動機を持つ別人を犯人に仕立てようとしたとか、細やかなディティールによって人間心理の機微が映し出されており、本格ファン以外の読者からも鑑賞に耐えるだけの深みが存在する。 もちろんもう一つ、その動機の面白さだけでなく、彼らが考案する完全犯罪のパターンが様々あるのもまた面白い。アリバイを作るもの、別の犯人を示す手掛かりを残すもの、自分に疑いが向かないようにするもの……等々。特に、倒叙という形式に埋もれがちではあるが、この普通人ができる範囲で行う種々のトリックのアイデアについてはやはりみるべきところが多い。
ただ、ちょっと問題なのは、その完全犯罪が破綻する、通常の形式のミステリであれば「解決」に相当する部分が腰砕けになっている作品もまた散見されること。実は犯人はおろか、読者にすら文章から読みとれない裏事情がありました、だとか、犯人の視点からは見落とされたため、描写されていないある事情が実はありました、だとかいうのは、やはり折角のテンションが嫌なかたちで崩れるだけで、ミステリとして面白いとはいいづらいと思う。
そんななか光るのが『黒の版画』。甘栗に付く指紋を利用するといったパターンを逆手に取って、題名の黒い版画が皮肉な意味合いをもって真犯人を逆に窮地に追い込んでゆく終盤のどんでん返しが実に鮮やかだ。また、本作品集唯一のフーダニット作品『かみきり虫』も名作。特に、温泉旅館での殺人事件の動機の部分に、奇妙なまでに説得力のある事態を持ち込んでおり、このアイデアはやはり秀逸だと思う。これは困るよなー、確かに。

それでもやはりトータルとしては結局楽しめてしまうのは、本格ミステリだから? ……いや、それ以上に油の乗った時期の鮎川先生の物語性の面白さによってなのかな、という気持ちの方が強い。いやもちろん、ミステリとしても十二分に楽しめると思います。全部ではないですが。


05/11/08
三崎亜記「となり町戦争」(集英社'05)

三崎亜記さんは1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部卒業、福岡県在住……(と略歴を引き写してみる)。本書は第17回小説すばる新人賞受賞作品。現在は、第二作品として『バスジャック』も刊行されている。

となり町との戦争がはじまる。僕、こと北原修路は毎月郵便受けに入れられる町内報〔広報まいさか〕の紙面でのことだった。開戦日は九月一日、開催地は町内各所。内容は「拠点防衛 夜間攻撃 敵地偵察 白兵戦」とあり、お問い合わせは「総務課となり町戦争係」。となり町は、僕の職場のある地方都市と、住んでいる舞坂町との中間にある。そして僕は何の実感も湧かないまま、九月一日を迎えた。しかし、ニュースでも通り魔殺人は報道されても、戦争のことは何も触れられない。僕はこの戦争が抽象的概念的なものと思いはじめた。しかし、再び配られた〔広報まいさか〕の町勢概況のなかに(戦死者12名)とあることに愕然とする。そんなある日、僕のもとに役所から連絡が入り、僕は戦時特別偵察業務への従事を、総務課となり町戦争係の香西さんという女性の口から告げられる。幾つか質問しながらも、よく分からないまま辞令を引き受けた僕。しかし、その偵察業務も普段通り仕事をしながら、通勤時に目撃したことの報告書を書くというものだった……。

戦争という存在と現代人の無感覚とを、微妙にシンプルにすりあわせる不思議な小説
自分の住んでいる自治体がいつの間にか、となり町との戦争状態に入ってしまった……という発端も面白いし、それが実際に主人公が目にしている範囲ではそれらしい動きが全然無いという点がまず面白い。(自衛隊が中東に派兵されていながら、実際には何にも変わっていないという日本の状況にも重なるのかもしれない)。これに、若干諷刺的視点の入った役所仕事が延延と描かれて、戦争という業務も役所にとっては(恐らく背後で動く人々にとっては)業務の一つであることが認識させられる。これは、実際の戦争のイメージが常に最前線であることに対するアンチテーゼなのか? 恐らく実際の戦争にあたっても、後方で管理をしたり、糧秣や武器弾薬など消耗品を動かす人々は、やはり淡々と業務として仕事をこなしていそうな気がするし、そこに恐らく私情や私憤が挟まる余地などないのだろう。殺し合いとしての戦争をリアルに描かないことによって、かえって戦争そのものを際立たせていく手腕には素直に感心した。
そんなシチュエーションにいきなり放り込まれる主人公だ。彼の感覚が、現代人の平均として(たぶん)描かれおり、興味の持ち方や、自分自身の考えの少なさなど、これが結局現代の日本人の姿だといって良いのだろう。(その分、戦争終了後のセンチメンタルが入った現代文芸風のラストについてはちょっと個人的には違和感が残る)。
まあ結局のところ、一つは現在でも世界のどこかで起きている戦争に対する日本人の実感の無さが自省(ないし揶揄)されながら描かれているように思われる。恐らく現在の日本人で怖いものは、極論すると 通り魔殺人>テロ>戦争 といった感じであり、ほとんどの世代にとって戦争は実感ではない。それでも、人はどこかで誰かのために知らないあいだに死んでいて、その犠牲のうえに我々が生きているということ。これくらいは知っておいて欲しいということか。

淡々とした文章がかえって、物語の不思議さを引き立てており、登場人物にも無駄がなく、いろいろな深読みを読者に強いる。物語が単純な分、現代の寓話として読者の方が考えさせられるという作品だ。つまりは、読者の立場や世代によって本書の受け取り方は様々になるのだろう、ということだけ感じさせられる。余計なものを描かないシンプルさゆえに、実に完成度が高くなっているという作品。


05/11/07
藤岡 真「ギブソン」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

藤岡氏は、'92年、第十回小説新潮新人賞を短編「笑歩」にて受賞し翌'93年、一部で話題を呼んだ'93年の長編『ゲッベルスの贈り物』を刊行。その後、間を空けて『六色金神殺人事件』を発表、本書は久々に刊行された第三長編にあたる。

午前六時。上司の高島部長を迎えるために”おれ”こと日下部功武はコンビニエンスストアの前で車を停めて待っていた。過去に四回ここで待っていたが、今朝に限って部長の高島秀政が現れない。気になって開店準備をしている豆腐屋に確認したが部長の姿は見ていないという。自宅のインタフォンを押す時に遠くでパーンと銃声のような音が聞こえてきた。不吉な思いを胸に部長宅を尋ねるが、息子の俊輔が出てきて、部長は五時四十分頃には出たという。日下部はゴルフ場に向かうが高島部長は現れず、そのまま広告代理店七星社営業第一部の席に座ることも二度となかった。部長の家からは「正面の道」「右の道」「左の道」の三通りしかなく、どうしても部長の行方を捜し出したい日下部は、後輩の笹崎と共に周辺の聞き込みに回った。消えた消防車、銃声、ストーカー騒ぎ……と手掛かりらしき事柄が少しずつ判明するものの、依然として部長の行方は分からない。そんな二人に対し何者かが脅迫を……。

何が謎なのかすら分からないもやもやとした気分。行き着く先にある(めちゃくちゃ)意外な真相
基本的な流れとしては、広告代理店の社員が、上司で恩人にあたる部長の失踪事件を探る……という展開。失踪人捜しという、ハードボイルドや私立探偵小説であるならば本来、実にオーソドックスであるはずの題材を、藤岡真らしい破天荒な味付けで料理したのが本作。 確かに部長の高城秀政は失踪し、地道な聞き込みを続け、関係者から話しを聞いて……という作業を、後輩と二人手分けして会社やその他からかかる圧力にもめげずに実行し続ける内容は、本来であればサスペンスフルに緊張感溢れた展開となるものだろう。だが、本作はどこかのんびりとしており、例えば最初の謎、即ち高島部長は家を出たはずなのに、そこから至る三本の道のどこで消えてしまったのか分からない……という、物理的本格ミステリとも思えるトリックがあるのでは? と疑わせることに成功している。だが、その謎が魅力的かといえばそれほどでもなく、多数登場する関係者が複雑に絡み合っていて、中盤までは緊張感よりも読者が覚えるのは退屈感ではないかと危惧したくなる。
実際、中途に至っても謎の核心がどこにあるのか分からず、登場人物同様、読者も含めて彷徨が続く。一体どこへ行くのだこの話は……? だが、安心していい。最後に全てが一点に収束する。 実にこの真相は手練れの読者であってもそう見抜けるものではない。伏線が張られまくっていることには後から気付くだろうが、登場人物の思い込みが意外性に奉仕して凄まじいまでの読者のミスリードを誘っているからだ。序盤の退屈さゆえに読者を選ぶきらいがあるのは事実ながら、最後まで読むと、一般的分類が不可能の謎のミステリが浮かび上がってくるという寸法だ。

「訳の分からない強烈なミステリが好き」というマニアにとっては堪えられない作品(たぶん)。個人的にも、いろいろ「何がやりたいのか分からん」悩みながら読んだが、それが結果的に面白かったという読後感に繋がっている。スレた読者を面白がらせることに長けた作者ならではの作品だといえるだろう。それゆえにあまり一般的な読者に向いていないような気がするのだが、それは藤岡氏の作風の宿命かもしれない。


05/11/06
森奈津子「倉庫の中の美しき虜囚」(KKベストセラーズ'05)

『問題小説』『小説新潮』『小説NON』といったところに2001年から2004年のあいだに発表された「現代物の官能短編七本」が収められた作品集。特殊なシチュエーションを演出することによって女性の感じるエロティシズムを追求する著者ならではの特長の出た一冊。

いじめグループの首謀者に対して一歩も引かない真由子に対し崇拝の気持ちを持っていた小学生の香奈。香奈は真由子に弄ばれることに強烈な快感を抱くようになるが……。 『彼女への供物』
彼――かつて私と訣別したことのある一彦は、今日もマンションの私の部屋にやって来る。彼はいつの間にか私のいう通りに辱められることを最大の悦びと思うようになっており……。 『永遠の花婿』
姉一家が所有する伊豆の別荘を訪れた光次。小学生の姪、千夜に誘われて性的興奮を得てしまい自己嫌悪に陥る彼は、夜中に更に凄まじい光景を目にしてしまう。 『幼い淑女と崇拝者たち』
ある儀式の結果、いつの間にかマンションに現れた名前のない男。四人の女性が、一人一人異なる方法で別々に彼に対して究極のプレイを授けてゆく……。 『名無しの男と四人の女たち』
セックスフレンドの絹夜の指戯により、公園で放出させられる保。絹夜には別に好きな男がいる。その公園から、人形のかたちをした草が生えてきていて……。 『人形草』
女性に性の興味を覚えていた優等生の頼子。彼女は友人の亜紀への片思いに悩んでいたが佳苗との出会いによって、その生活が変化し始める……。 『少女と少女』
性的な欲求不満を抱える真知は友人の誠子から秘密厳守を条件に、倉庫の中に囚われた美青年との遊戯を許される。彼に対して欲望を吐き出すうちに……。 『倉庫の中の美しき虜囚』 以上七編。

人間の抱えるセクシャリティの多様さを無限の可能性として赤裸々に描き出す……。
小生も別に研究したりしたことはないのだが、男性向けのエロ小説のシチュエーションというものは何のかんのいってもそれなりに限定されているように思う。過激かソフトか、シチュエーションの差があるかないかといったくらいで、伝統的にそう大きな変動はなく、著者が変わり時代が変わっても需要そのものは基本的に枠のなかで不変であるように思うのだ。
しかし、森奈津子さんはその牙城(?)に斬り込む。 自身が女性であることももちろんだが、彼女の独自のセクシャリティが、これまで無かった(あったかもしれないがあまり表に出てこなかった)マイノリティのための様々なシチュエーションやセックスプレイを考案し続けている。趣味の延長だとか、そういったレベルを超えた性の求道者的精神が感じられる。変態を変態として、開き直って堂々と描く精神は、ある意味清々しくすらある。
基本的に全て「エロ小説」であるのだが、個人的にはホラーの要素が混じる作品にやはり惹かれる。『永遠の花婿』は、美青年を女性が自らの思い通りに操る話だが、ラストに意外性を与えていると同時に微妙な寂寥感が滲みでていて不思議な感覚が残される作品。そして、本書随一なのはやはり『人形草』。リカちゃん人形のようなものが地面から生えていて、その地面から下の部分が木の根っこ状になっている――という存在自体かなりアレなのだが、それを取り囲む周辺人物がまた微妙に異常なのを当たり前としているのが怖い。この作品にもそういった描写はあるものの、エロよりも恐怖感が圧倒的に勝った作品。

なんだかんだいいましても「エロ小説」ですので。ただ、こんな世界が世の中には存在しているということ、知っておいても損はないかもしれません。得するかどうかは読まれた貴方次第でしょうけれど。しかし、森奈津子さんは不思議な存在だなあ。


05/11/05
都筑道夫「前後不覚殺人事件」(光文社文庫'89)

この時期、光文社文庫にて書下し刊行されていた、滝沢紅子シリーズの三冊目の長編。だが、本書ではほとんど本来の主人公である紅子が登場しないという異色作になっている。

滝沢紅子が急にいなくなった……? このシリーズの書記役は紅子自身が務めるのが、これまでのお約束だったが、民雄や周平、春江ら、今谷少年探偵団の面々が慣れない筆を振るって書き上げたという体裁が本作。メゾン多摩由良にて爆発物を仕掛けたという連続脅迫騒ぎが発生。警備主任の滝沢を名指しにする犯人だったが、爆発物が実際に仕掛けられた形跡はない。しかし、続けて二度の脅迫を受けた古本屋は急遽休業することになる。一方、マンション近くの廃工場跡地で奇妙な他殺死体が発見された。死体は段ボールに入れられ密封され、またその空間も密室になっていた一方で、関係者からのものと思しき通報によって警察に発見されたのだ。死体は不良少年の寺西徳治と判明、その兄の慶太から探偵としての事件捜査依頼を受けた民雄は俄然張り切り出す。一方、その徳治は事件の直前、メゾン多摩由良の商店街にある古本屋で、住人の元同級生・高瀬美智留に謎の紙包みを預けていた……。

物語に絡めた多彩な蘊蓄こそ超一流も、論理のアクロバットがいかにも小粒……。
コーコシリーズの第三弾。もちろん、都筑道夫氏による長編シリーズの一冊。……なのだが、確かに都筑作品であるという確信は得られたものの、都筑ミステリとして数に入れてはいけないんじゃないかしら(都筑風表現)という気分にさせられたことも事実。
趣向は間違いなく一流。廃ビルで発見された死体は、全く意味のない数重の密室状態に置かれており、「アブドラ」なる言葉が謎を呼ぶダイイングメッセージがあり、ファストフードの景品から男女のポルノに至るまで十枚もの写真に暗号が隠されているなど、マニア心をくすぐる設定が随所にみられる。加えて、都筑氏らしい古典や映画、おもちゃに至るまで多くの蘊蓄が踏まえられた台詞にはやはり、一流の美学があって楽しい。(アンパンマンが、都筑作品に名前とはいえ登場しているとは知らなかった)。もちろん、本来の主人公である紅子を登場させず、周辺人物による異なった文体による手記といった趣向も凝っているといえるだろう。
だが、問題はあって。それらの趣向から醸し出される意外性が、実に乏しいのだ。 これだけ様々な準備だけしておいて、その着地点が平板なのは「そりゃないですよ」といった思いが出てしまう。宙返りも何もなく、飛び降りてアクロバット無しに綺麗な着地だけを行っているという感。

なので、読み終えても「都筑作品を読んだ」という意味では満足するものの「面白いミステリを読んだ」という印象が残らない。ミステリに強く精力を傾けていたとはいえない後期の都筑作品なので、今更いっても仕方がないといえば仕方がないことだが……。都筑ファンであっても、読むのを後回しにして良い作品という位置付けか。


05/11/04
北野勇作「空獏(くうばく)」(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション'05)

北野勇作氏は1962年兵庫県生まれ。『昔、火星があった場所』が第4回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞してデビュー。2001年『かめくん』が第22回日本SF大賞を獲得、ほんわかしたノスタルジックな風景とSF的なアイデアを融合する独特の作風が特徴。本書もその系譜に連なる作品だといえる。

昔々のこと。それまであった世界が古くなってきていろんなところが壊れたりほころびたりしてきたので、新しく世界を創ろうとした人たちがいました。結局、そんな大袈裟なことをするより直した方が早いという人が多く、その人たちはせめて新しい世界の夢を見ることにしました。みんなで同じ夢を見て、そしてその夢のなかに新しい世界を創る。みんなが同じ夢を見続ける。そんな仕組みが作られました。名前は『獏』。人々は一生懸命その仕組みを作り上げ、そしてようやくその『獏』が成長した時に、計画通り『獏』のなかでみんないっしょに眠りにつくことになりました。しかし、今度はその『獏』の方に迷いが発生してしまいました。自分のなかにいる人たちは、もう死んでいるのではないか――。そんな『獏』は、自分のなかに発生した不確定要素、即ち悪い夢のような不安を消してしまうために、いろいろとやってみることにしました。何度も。それがこの世界のはじまりです。――こういう世界を体現する、九つの短編と十の掌編が本書。短編の題名は『商店街で待ち伏せ』『溝のなかでリレー』『西方浄土』『お馴染みの天井』『西瓜割り世界大会スイカップ』『宇宙の戦士』『月世界公園にて』『夢の会社』『蟻の行進』

大きくて中身の詰まった西瓜。夢をぱくぱくと食べる貘。巨人に乗って戦闘。西瓜割り。塹壕堀り。
小さくて箱庭みたいだけれど、小さな花が咲いていて、女性が待つ家に帰る自分。天井の染み。商店街の自転車の山。何の意味があるのか分からない戦争。行列。ヘルメットを被ると見えるもの、見えなくなるもの。宇宙人。独身寮。会社……。観客がいることで確定される演劇。
さまざまなイメージの断片が、物語の断片となって短編小説を形成する。そして、その隙間に存在する掌編が、元より頼りない短編世界の存在をぐずぐずに揺らがせてゆく。
人間のみる夢というのは脈絡がなくて、だけど一本筋が通っていたりして。普段生活している自分が、誰かの夢のなかの物語の登場人物でしかなくて、その誰かが目を覚ましたら、自分自身が消えてなくなったりして。いやいや、自分が自分でいるためには、その誰かをずっと眠らせて、途切れず夢をみせ続ける必要があるってことで……というように、誰かと誰かの夢(楽しい夢と悪夢)とが、どれが正解ということもなく、物語はずっと断片のように描かれてゆく。フィクションといえばこれ以上のフィクションということもなく(なんたって夢オチが前提なのだ)、とはいっても、どうにも各エピソードの断片が幾つかのキーワードの共通性でぎりぎり繋がりながら、取り留めなく細切れになっている。ただ、そういう物語構成は、「ああ、いつもの北野勇作だ」という奇妙な安心感すら覚えさせてくれる。
感じたこともない未来のノスタルジーを先取りしちゃって悪いねー、というような書評とも感想ともつかないコメントでお茶 を濁すしかない自分……といいつつ、こんなこと書いている自分ですら誰かの夢でしかないかもいや、このコメントを書き記している行為自体が自分の夢……。というような入れ子構造が、結局心地よく、ああ、早く暖かい布団で眠りたい。(だけど、最近ワタシは夢を見ない。もしかすると見ているのかもしれないけれど、起床後に引きずるような夢は全く見ない)。

いきなり本書を手に取られた読者は呆気にとられるかもしれないが、それはそれとしてこれが北野勇作的な世界なのである。何となく父親的暖かみが加わったかのように思うのは、あんまり関係ないかな。


05/11/03
柳原 慧「いかさま師」(宝島社'05)

柳原さんは1957年東京都生まれ。'03年『パーフェクト・プラン』にて第2回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞、翌年デビューした。本書は同氏の二作目にあたる書き下ろし長編。

デザイナーの高林紗貴は、三十代後半の独身女性。寝たきりになった母親・ナオの介護に精力を傾けつつも仕事をこなし、七年来の年下の恋人・優がいる。彼女の父親は岡田敬一という男性で、ナオとは籍を入れず彼女の尽力で事業を拡大したにもかかわらず彼女たちをほったらかしにしたまま、幾人も愛人を持ち、挙げ句は別の女性と結婚してしまうという風来坊だった。紗貴とナオは母子二人、彼の助けを借りずに逞しく生きてきた。そんな思い出を整理していた紗貴は、母親が隠し持っていた一通の手紙を発見する。差出人は鷺沢絖。彼が描いた全ての絵を母に譲るという遺言書だった。調べてみたが鷺沢絖は、高名な文学者・鷺沢絵林の息子で、画家ではあったが絵はあまり売れないまま三十年前に自殺していた。紗貴は鷺沢家と連絡を取ってみるが、丁度絖の妻・ミネは亡くなったところで、娘の摩里は行方不明。市職員が縁者を捜していたのだという。幼い頃の記憶から、紗貴には、その家にフランス画家・ラトゥールの作品があるはずという確信があったが、大量の鷺沢絖の絵はあるものの、その絵だけは見つからない。そんなところに、鷺沢絖の孫だという鷺沢鋭士が彼女にコンタクトを取ってきた。

絵画ミステリとしてはちょい薄。複雑な人間関係をベースにみせるどんでん返しが魅力
もともと女性関係に奔放な男性がいて、その彼がいろいろなことをして色んな子どもが生まれ、その人たちの子どもや孫の代の人物たちが織りなす物語。さらにそういった様々な関係者や、思い出に視点がカットバックされて序盤が構成されているため、なかなか本筋がつかめずもどかしい思いをさせられた。文章の量をあまり嵩張らせないまま、多数の登場人物を描くためにはやむを得ないところだとは思うが、ちょっと辛かったのは事実。中盤以降で幾つかの事件を経た後、ようやく整理されてくるのだが、やはり遺産争いを巡る人間関係。権利関係がやや複雑であることには変わりがない。
売れないまま自殺した天才画家と、彼が所蔵していたと思われる価値の高い名画を巡る謎。いくら家捜ししても見つからないという絵の在処については、ある程度絵画ミステリを嗜まれる方にとっては(隠され方が見え見えなので)あまり謎としての魅力は少ないのでは。本書の魅力は寧ろ、終盤に二転三転してゆく人間関係の方にある。 題名の『いかさま師』は、本書でも中心的な話題となっている画家・ジョルジュ・ド・ラトゥールの代表作の名前でもある一方で、本書の登場人物を示す言葉でもあるのだ。隠された名画を巡る虚々実々の駆け引き。主人公の寝たきりの母親を襲う謎の人物。それぞれ善意の顔をもって近づいてくる人物たちの真の狙い。そして、本書における「いかさま師」は一体誰なのか? こういった人間の持つ「裏の顔」が立て続けに明かされてゆく終盤はテンポが良く面白い。終盤に同じパターンを二度繰り返しているのだが、その確信的な遣り口がかえって「いかさま師」たる人物の個性を際立たせている。

二作目とはいえ、登場人物の個性の描き出し方が巧みで既にプロとして作風がこなれているように思われた。もう少し登場人物を絞れば、映像化にも向いていそうだ。
最後に作品の巧拙とは関係ないのだが、物質を分析するところのやり取りがちょい気になった。FTIRにしろEDXにしろ物性を調べるところは分かるし、何かと何かが同じものか異なるものかを分析することは出来る。だが、その違いがあったとして、何によってそれがもたらされたのかの判断は非常に難しいはずなんだが。(少なくともいきなり蜜蝋なんて言葉が出てくるのは凄い違和感があるんだよなあ)。


05/11/02
畠中 恵「とっても不幸な幸運」(双葉社'05)

2001年に『しゃばけ』にて第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞、同じシリーズである『ぬしさまへ』『ねこのばば』といったシリーズが人気の畠中恵さん。本書は『小説推理』誌に'04年6月号から同年11月号にかけて連載された作品の単行本化。

新宿東口、伊勢丹デパートからそう離れていないあたりに古くからあるバー『酒場』。古参の客が多く、三十代半ばのオーナー店長・洋介は血気も盛んで客との喧嘩も辞さない。ただ、先代から仕込まれたバーテンダーとしての腕前は確か。そんな洋介には中学生になる娘・のり子がいる。のり子は学校帰りによく行く百円ショップで偶然『とっても不幸な幸運』と名付けられた缶を購入した。仕事帰りの父親が寝ている朝、幼い頃に母親を亡くした彼女は一人朝食を食べていた。目に付いた『とっても不幸な幸運』の缶を引き開ける。空だった。しかし、彼女は電子レンジのドアに亡くなったのり子のお母さんの顔が映っていたのだ……。のり子は、寝惚けていたのではないかという洋介に怒り、夜になっても口を利かない。結果、洋介は職場である『酒場』に彼女を連れてくる羽目に陥った。のり子が店に持ち込んだ缶のなかには何故かしなびた茸が。医師の飯田、刑事の花立、ウェイターの健也、マジシャンの天野らが好き勝手な推測を述べ立てるなか、洋介は彼女の抱える問題の核心を突いた……。『のり子は缶を買う』 以下、『とっても不幸な幸運』の缶が『酒場』で開けられるたびに奇妙な事件が発生し、なおかつエスカレートしてゆくのだった。『飯田はベートーベンを聴く』『健也は友の名を知る』『花立は新宿を走る』『天野はマジックを見せる』『敬二郎は恋をする』以上による連作短編集。

不思議な缶がもたらす不思議な事件。だけどバー『酒場』と、そこに集う仲間たちの連帯感が心地よい
表紙が微妙に地味であり、ファンタジーを打ち出した帯によって微妙に手を出しづらかったのだが、これは当たりを引いた。居心地のいいバー、そしてその常連客の抱える事件を寄ってたかって解決していくストーリー。 こういった店ならではの、オトナの関係性みたいな部分に惹かれるし、それぞれが特技をもって問題に対処していくという展開も良いし、何よりも居心地の良い店でくつろげる雰囲気のようなものが伝わってくる点が素晴らしい。
隙のない登場人物も万能ではなく、自分の問題になった途端におろおろしてしまう人間性が味わい深く、健也の話や、のり子のエピソードなど、若者の成長譚がそこここで綴られている点も好感。常連客に関連するエピソードを積み重ねることで、物語が序盤よりも、終盤にかけて人間描写に厚みが加わってくるあたりもポイントだろう。謎解き……という部分には若干甘さもあるのだが、総じてエピソードの作り方が巧いので、ミステリ風味と人情味の効いたオトナ向けエンターテインメントとして楽しめる。通じて「とっても不幸な幸運」という缶がもたらす不思議な光景という部分があって、そこが現実から逸脱しており、ファンタジーとの繋がりを作者が取っておきたかったのではないか――などとも類推するが、恐らく純粋な人情譚やミステリとして成立させても十二分に作者はその腕を発揮できることは間違いない。
作品を通じて読むことによって、バーテンダーの洋介であるとか、『酒場』成立の経緯であるとか、序盤にさりげなくちりばめられた伏線が回収されていく点も周到。読み終わった後には、こんなお店の常連になってみたいなーという気分がすっきりと残るのだ。そういう意味では、読むと元気が出る物語でもある。

総じて人情譚が多いのでウェットな味わいがあるのだが『酒場』の描写になった途端に明るく元気な雰囲気が取り戻される構成によって全体としては軽妙な雰囲気に繋がっている。ちょっと作風は異なるが北森鴻氏の「ダイニングバー香菜里屋」にも通じる雰囲気がある。同シリーズがお好きな方であれば、本書もツボかもしれない。お勧め。


05/11/01
北山猛邦「『アリス・ミラー城』殺人事件」(講談社ノベルス'03)

『2004本格ミステリ・ベスト10』にて17位とかなり高い評価を得、メフィスト賞作家・北山猛邦のブレイクスルーともいわれる作品。なぜか読み逃していたこともあり、今さらながら手にとってみた。

ルイス・キャロルゆかりの「アリス・ミラー」なる鏡の捜索を依頼され、複数の探偵たちが東北地方にある孤島・江利ヵ島に集められた。島は酸性雨に冒され、謎の機械が路上に放置される無人島で、もとの所有者が建設した『アリス・ミラー城』がぽつんと存在する。招集者であるルディはイギリス人のクォーターという謎めいた若い女性。彼女のお手伝いの堂戸。さらに探偵側は、傍若無人の振る舞いをする観月、蘊蓄を垂れ流す老人・窓端、元刑事で粗暴な言動の目立つ海上、失語症の女性・入瀬と、彼女をサポートする无多……。城の居間には思わせぶりなチェス盤があり、館そのものも、無数の扉があったり、扉が増えたりと奇妙な動きをみせる。そして、間もなく惨劇が開始され、奇怪な状況下で探偵たちが次々と殺されてゆき、チェス盤上の白い駒が、事件が起きるたびに一つずつ減ってゆく。探偵同士の不信と裏切りが状態の悪化を加速し、そして……。

狂気の異世界と世界の終わり。本格と残酷なファンタジーが醸し出す不思議で不気味なハーモニー
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の世界を下敷きにした謎の城。そして、インディアン人形のかわりに、城に置かれたチェス盤が示すのは、クリスティの『そして誰もいなくなった』の世界。不思議の国、鏡の国で発生する不可能殺人と、孤島ならではの舞台が示すサバイバル・ゲームが、二重にミステリ読みの心を刺激する。道具立ても古式ゆかしい本格ミステリに則っており、一つ一つの事件が示すトリックの手筋もやはり本格ミステリのそれである。
とはいえ、本格ミステリにおけるトリックの一つうえの事象を本作は示す。確かに冒頭の密室トリックの手筋などは、複雑な要件を伴って構成されており、驚きというよりもその工夫に感心する。しかし、その密室トリックを作った意味という点になると、これはもう前代未聞の理由が示されるのだ。複数の名探偵を登場させておきながら、キャラとして埋没させることによって得られるサプライズというか、犯人の考えも作者の企みも悪魔的な本格パロディになっている。
また、個別には狂っているとも思える海上という探偵のロジックも悪魔的である。残された者に犯人がいる、しかし自分は犯人ではないことを自分が知っている……という状況は、これまで数多のミステリ作品で描かれてきたシチュエーションながら、そこからこの結論を引き出してしまう点は常軌を逸している。(でも、一定の説得性がある)。このように個別のトリックに破格ともいえる見どころがありながら、更に結末に用意されているサプライズももの凄い。巧みなミスリードによって死角が発生しており、その点に気付かせないテクニックは確かに素晴らしい。また、連続殺人の動機についても狂っていながらそのオリジナリティが高い。(褒められるのかどうなのかは微妙だが)。

確かに、読む者を狂気に引き込む怪作ミステリであることは間違いない。その一方でいて、探偵たちにそれぞれ魅力を配し、奇妙な癖を与えているなど、物語としての成長も従来作から比べると著しい進捗がある。確かに、本作で「化けた」という表現があってもおかしくない。万人にお勧めできる作品ではもちろんないのだが、本格ミステリのマニア度合いが高ければ高いほど不気味にツボに嵌るという不思議な作品だといえるだろう。