MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


05/11/19
太田忠司「帰郷」(幻冬舎ノベルス'98)

今やミステリ作家として認知されている太田忠司さんの作家デビューのきっかけが、'81年の「星新一ショートショートコンテスト」において、本書の表題作品でもある『帰郷』が優秀作に入ったこと……というのは有名な話。その顛末については太田忠司さんご自身のホームページ内「ものがきへの長い道」にて読むことができる。

私がまだ若かった頃、四月の終わりの寒い日の夜のこと、ふと眼を遣った路地にいる老人が奇妙な仕種を始めた。夜空を見上げ、何か呟いている。「ヤット、ヤット、フッテキタ……」『あなたに降る雪』
どうもここ数日、耳障りな音がしていると思ったら、案の定、冷蔵庫の裏で妖精が巣を作っていた。僕は「妖精狩り」のサービスセンターを呼び出し、駆除を依頼したのだが……。『妖精駆除』 ほか、『お父さん屋』『すぱいらる』『いつか、扉を叩く音』『へい』『保健室』『運命の輪』『生きている山田』『ただ一度』『父の恋人』『帰郷』『冷たい人』『講演――難病をこえて』『飛べない鳥のはばたきは』『龍の谷』『創造』『夏の川辺にて』『情事の結末』『雛の殺人』『夫・菊地洋介を語る』『理想的な毒殺』『目覚めるのはいつも午後一時』『おそるべき超能力』『地球に於ける”ア”の拡散と浸透』『狂い咲き』『夜を売る』『宣伝効果』『端役たちの私語』『夜の壁』『ライバル』『星に願いを』『思い出の小匣』『割れても末に』 以上三十四編。

奇想と切れ味の幅広いバランス。”ミステリ”という冠が付く前、作家としての太田忠司の原点
読んでみて「あれ?」と思った作品がいくつか。読んだことがある……と思っていろいろ考えてようやく気付いた。幾つかの作品については、太田忠司さん自身のホームページ内で読むことができるのだ。本書を読んでいうのも何だが、収録作のうち、恐らく太田さん自身の自信作にあたる作品が、現在もショートショート小劇場にて読むことができるのだ。考えてみれば、私自身この作品集をずっと(だけど漫然と)捜していたのも、このコンテンツを読んで、他の作品も読んでみたいなあ……という気持ちを抱いたからだったことを思い出した。
ということで、三十四編の宝石たちだ。読んでいる人間の属性(例えば、ミステリが好きか、SFが好きか等々)によって、ツボに嵌る作品とそうでない作品がありそう。つまり、SF風、ミステリ風、ホラー風、幻想小説風、日常の物語風……といった様々な作品があり、全てが全ての人にとっての珠玉とはいえないまでも、ほとんどの読者が「お、これは凄い」と思う作品が幾つもある。そんな作品集なのである。
個人的にはやはり、もともとホームページで読んだ時から大きなショックを受けた『へい』、ミステリ者としては、結末の残酷さがシンプルに響く『夏の川辺にて』、ネタとしては少々小粒ながら、キレの鋭いラストが強烈な『雛の殺人』といったところが好み。ただ一方で、自分の読書能力不足なのか、物語の断片としか思えないような理解しがたい作品も幾つかあったことも事実。ただ、久しく触れていなかったショートショートという世界の深みの一端を、何か思い出したような気がして、読んでいて幸福な時間を過ごすことができた。

既に刊行された際にはかなりの話題となった作品集であり、今さら太田忠司さんのファンであったら「とっくに読んだ」という方も多いと思う。ただ、そういった方以外であれば、ショートショートという世界の拡がりを知るには打ってつけの作品集であることは強調しておきたい。


05/11/18
椹野道流「無明の闇 鬼籍通覧」(講談社X文庫ホワイトハート'05)

奇談シリーズが人気の作家・椹野道流さん。彼女の一般向け作品として最初に発表されたのが講談社ノベルスで刊行された『暁天の星 鬼籍通覧』。その第二弾として同ノベルスで発表されたのが本書。だが文庫化の際にはご覧の通り、通常の講談社文庫ではなくホワイトハートにて刊行されている。

大阪府高槻市にあるO医科大学の法医学教室の新人・伊月崇。彼は先輩のミチルのいうところの「法則」に従うような毎日を送っていた。「続くときは同じような解剖が続く」。どうやらその近辺は、子どもの解剖が続くようだった。原因不明の死を遂げた赤ちゃん。ミルクによって窒息死したと思われる赤ちゃん。さまざまな遺族と、実際の死因とのあいだで揺れ動く伊月を周囲は叱咤する。そんななか伊月も医師国家試験に合格し、遂に先生となった。一方、法医学教室には交通事故で亡くなった老人の遺体が運び込まれてきた。ミチルはその発見者が小学生の女の子だと聞いてから様子がおかしく、その女の子について愚痴る刑事をひっぱたいてしまう。実はミチルには、子どもの頃に友だちの女の子の誘拐殺人事件の現場を目撃したという過去があり、そのことがトラウマになっていたのだ。その子の名前は砂奈子。そしてその死んだ砂奈子はミチルの前に現れていた……?

事件→解剖という現実的にすぎる現実のなかでこそ、微妙な怪異が心に響く。天網恢々疎にして漏らさず。
一つの長編としてラストに向けて盛り上がっていくというタイプではなく、どちらかといえば底流では同じ要素を持つエピソードが幾つも重ねて描かれているという印象。ただ、一般的に小説で描かれることのない法医学教室の現場が舞台ということもあって、この語り口は悪くない――というか、むしろ効果が高いように思われる。解剖を仕事にされている人の心理や矜持といった部分が軽めの語り口ながらしっかりと描かれており、その一つ一つに感心させられるのだ。(別の側面、即ちやおい的な要素については小生は無視させて頂くけど)。現実に、この現場に持ち込まれるのは常に無念の死。その無念を様々なかたちで受け止める人々の描写は、さすがに現場にいた作者ならではの感情や理念が込められていて、その真摯な姿勢が伝わってくる。
また、後半は交通事故の被害者以上に目撃者の無念を通じた展開によって別の事件がクローズアップされていく。多少御都合主義に過ぎる部分があるものの、本書の目的はそもそも本格ミステリではないし、急速に怪異譚としての側面がクローズアップされていく流れは小生の好みでもある。その怪異の存在を前提とした意外性という意味では、お約束の展開ともいえる内容ながら、その結果として得られるちょっと残酷な満足心は十二分に満たされる。信賞必罰〈違う)、でも悪人は必ず滅びるべし。
軽妙な語り口であり、前作でも書いたが登場人物それぞれが持つ萌えの属性などもあって、ホワイトハートというレーベルに入っていても違和感はない。だが、個々のエピソードがしっかりしているので、その内容を一般読者が眼にしたとしても、それはそれで違和感はないはず。そういった微妙な立ち位置がかえって椹野道流さんの作品にはあるように思われる。(といってもまだ四冊しか読んでないわけだけど)。

とはいえ、やはりシリーズが前提となる作品かと思われる。(このあたりがティーンズ出身作家の宿命?)なので、本作単独ではなく、前作より順に読まれることをお勧めしたい。


05/11/17
野崎六助「イノチガケ 安吾探偵控」(東京創元社'05)

前作『安吾探偵控』の続編として書き下ろされた作品。戦時中の東京を舞台に名探偵・坂口安吾が連続殺人事件に挑む。

昭和二十年の冬から春。B29の空襲により、東京各地は大きな被害を被っている。子どもたちは疎開し、若者は妻を残して戦地に駆り出される。それでも街には家を守る主人たちや徴用された学生たちなど、まだまだ多くが戦時下の厳しい統制下で生活していた。そんななか、蒲田に住む坂口安吾を中心に賢人同盟を名乗る人々が密かに集っていた。教員、保険員、事件記者、役所の戸籍係など、職業はさまざまだったが、彼らには探偵小説という共通の趣味があった。彼らは、一人の徴用工が、突然頭から血を流して倒れた事件をきっかけに集まり、その真相を推理しはじめた。賢人同盟の一員で、その事件時に現場居合わせた古林少年はなぜか口を噤んでいる。しかし、その日を境に空襲警報が発令され、焼夷弾の降り注ぐ夜ごとに、賢人同盟のメンバーが一人、また一人と謎の死を遂げてゆく。一人は密室状態の防空壕のなかで剣に貫かれて死亡し、また一人は首を切り落とされた死体となり、さらには首のないまま路地を駆け抜けていくのが目撃される。空襲と殺人との二重の恐怖に包まれた賢人同盟。坂口安吾の推理やいかに?
すれっからしを自認する本格ミステリマニアは必読。各種理論に裏付けされた本格度の高い探偵小説
当時の口語体を模したと思しき語り口と、冒頭での説明が若干端折られているように思われるあたりで読み出しスムースとはいえないかもしれない。だが、前作同様、不可能犯罪を中心に据えた、れっきとした本格ミステリである。防空壕という閉鎖的状況を利用した密室殺人事件に、奇妙な首切り死体といった単体でも魅力のある謎がテーマで、それについて関係者が各々の推理を持ち寄って解決しようとする展開は、論理型のミステリの常道。だが、本書にはその謎解きとは別の趣向が全体に被せられている。
戦時下の東京という特殊性だ。突然襲ってくる空からの焼夷弾・爆弾という名の恐怖。それにより街には無惨な死体が溢れ、その死は悼まれこそすれ、個の命の尊厳は相対的に軽くなってしまう。その一方で、奇妙な殺人事件によって死体となった人間はその特殊性ゆえに人々のあいだで特別扱いを受ける。……と、このあたりで笠井潔氏の名前が浮かぼうというもの(すれっからしの本格ファンであれば、特に)。評論家出身でもある野崎氏のこと、そのあたりについては間違いなく自覚的に演出しているはず。大量死に囲まれた状況下での殺人事件という舞台を、実際に引き出してしまっている点は素直に感心させられた。
また、本格ミステリとしてもかなり凝っている。手記のかたちで描かれることによって演出される様々なダミーの解釈。序盤はとにかく中盤以降の解決策についてはそれぞれ奇妙なまでに説得力が高く、それらがひっくり返されることなど思いも寄らない。仕掛けられたトリックは有効に機能しており、犯人の心理や特徴、さらには動機といった部分も戦時であることによって、通常の推理小説では得られない程の説得力が存在している。 戦争と殺人という二つの緊張感を演出していく手腕も見事で、だからこそ起きる殺人という特異な状況を描き出したアイデアは評価されて良いはずだ。

ただ、趣向が凝っていることとリーダビリティの問題もあって、一般のミステリファンに受け入れられるかというと微妙に難しい印象があるのも事実。その一方で、本格ミステリのファンであればあるほど、本作の凄さに感じ入る。 そういったタイプの作品である。


05/11/16
島田荘司「エデンの命題 The Proposition of Eden」(光文社カッパ・ノベルス'05)

系統の近しいノンシリーズ中編二作が入った作品集。『エデンの命題』は書き下ろしで、『ヘルター・スケルター』は、'01年に刊行された、島田荘司氏自身が責任編集を行ったアンソロジー『21世紀本格』にて発表された作品の再録。

アスベルガー症候群(いわゆる自閉症のなかでもIQの後退がない人々)の子どもたちが集められたアスピー・エデン学園。ラス・ヴェガスの郊外、砂漠のただ中にあり、出資者の希望により過去に在籍した学校において、問題児として孤立しながら学力が一般以上に高い学生が集まり、外界から隔離されて集団生活を送っている。ぼくことザッカリ・カハネは、ティアというガールフレンドと一緒にいることが多かった。しかし、その「地上の楽園」からティアが消えてしまった。ぼくの前には彼女の弁護士と名乗る男が現れ、彼女は戻らないという。彼女が残した情報によれば、この学園には壮大な秘密が隠されているのだという……。 『エデンの命題』
自分自身が誰だか判らなくなってしまった男。入院している彼に対し、女医が彼の病状を頭に受けたダメージのせいで問題が起きていると説明する。彼女は今から五時間に彼自身が記憶を取り戻す必要があるという。彼は自分が三十七歳だと思い込んでいたが、彼の顔がしわくちゃであることを指摘し、「今は二〇〇一年、貴方はもうすぐ七十歳」だという。交通事故に遭ったという彼は、必死で過去のことを思い出そうとするのだが……。 『ヘルター・スケルター』

島田氏の豊富な科学知識がベース。その知識が無ければ絶対に編み出せない奇想作品のカップリング
帯には「21世紀本格の白眉」とある。確かに一作は『21世紀本格』のために発表された作品ではあるが、ちょっと違うような……という印象は拭えない。むしろ、島田荘司の膨大なる各方面の知識を集約してミステリ形式に移し替えたもののように思われるのだ。アプローチは斬新ではあるのだけれど、それだけでこのまだ百年近くある世紀を語っちゃいけないだろう、ということで。
まず『エデンの命題』。こちらはアスベルガー症候群に関する様々な理解をベースに舞台を打ち出し、さらに旧約聖書の独自解釈を重ね合わせた作品。この二点における壮大な構想はさすが島田荘司というべき大胆な世界観に裏付けされている。だが、全体としての物語展開は、派手さが目立ち、舞台が米国ということもあって、どこかハリウッドの映画を思わせる。意外性というべきところがあまりにも素直であって、展開、そして結末だけをみるならばミステリとしては予定調和といって良い内容だ。世界観の大胆さが逆に微妙なトンデモ感(ないし「何でもあり感」)を突いてくるので、様々な情報小説的な部分を引っくるめて広義のミステリーとして楽しむべき作品という印象が強い。
また『ヘルター・スケルター』。先のアンソロジーを手にとっていなかったこともあって今回初読。こちらもまた、島田荘司の該博な知識と、学術的な用語と理解、それ以上にその世界の歴史的変化といった部分を全て頭に入れていないと発表できない作品。登場人物が少ないなか、奇妙なサスペンス感覚を醸成する手腕はさすが。ただ、この作品の驚きは、作品そのものの反転という意味以上に、「島田荘司すげー」という作者本人の頭の良さ(適当な言い方が思いつかない)についての感動の方が大きいように思われた。
総じていうなれば、読者となるべき人々の無知が前提(特殊分野の知識であり、無知で当然としても)となっている。現役のお医者さんが書いた医学ミステリなどと味わいが近い。サプライズの持ち込み方は若干違うけれども、根本的なアプローチの部分はそれらと近しいものがある。ただ、読者が前提として「島田荘司はあくまで専業作家である」と考えていることによりサプライズが編み出されているともいえる。

これもまた近年の島田荘司作品の一つの傾向のうち。手に取りやすい刊行形態でもありますし、ファンならばやはり読んでおくべき作品でしょう。


05/11/15
霞 流一「サル知恵の輪」(アクセス・パブリッシング'05)

あまりミステリ界隈では聞かない版元だなあ、と思えば文芸誌『生本』の出版社でしたか。同誌に2002年から四年にわたって連載された作品の単行本化。霞氏の抱える代表的探偵の一人・紅門福助のシリーズにあたる。

「紅門福助探偵事務所」。住居兼オフィスの部屋で営業用のチラシを作成している俺のもとに、一人の男がやって来た。死にかけで。四十過ぎのその男は、俺の腕の中で「探偵さん……ちい……たのむ」と言い残して絶命してしまう。彼の左脇腹には文化包丁が突き刺さっていた。警察が捜査を開始、被害者は近くの公園で刺されたらしい。その被害者が連れていたらしい一匹の犬が俺にまとわりついてくる。ビニール製の名札によれば、犬の名はチー太。被害者の遺留品には鉄板が形取られた特徴的なアクセサリー、そして原始的な腰革のパンツがあったがその身許は分からない。俺は推理を働かせ、お好み焼き屋「ジャングル」に狙いを定めて聞き込みを開始する。ジャングルの王者『ターザン』を模したその店の、どうやらオーナーが被害者らしい。杉並区内のその町・刃路原町では、お好み焼きやたこ焼きといった粉物で町おこしを図っており、被害者のつけていたアクセサリーは、その中心メンバーが持つ記念の品なのだという。しかし、俺が介入を開始した結果、その町おこしの主要メンバーが次々と凶刃に倒れてゆく……。

霞流一動物シリーズではあるものの、サルより犬が味を出す。犯人の狂気の前提がちょっとひねくれすぎ?
霞流・ひねくれたギャグはいつもの通り。 特に冒頭の中華料理屋と探偵のやり取りの妙味を眺めていると、奇妙な安心がある。この高いテンションがまず健在。あまりにベタで笑えないところもたぶんにあるのだが、ところどころ吹き出すような展開があるのは憎い。……ということで、これまでの霞・動物ミステリの常道に従って、題名通り”猿”尽くしの連続殺人が開始されるのだが……、これまでずっとシリーズを読んでいる自分としては、ちょっと違和感が。
探偵が介入しているにもかかわらず(介入しているから)、連続殺人事件が発生し……というのはいつも通り。だが、その猿尽くしというのが、微妙に甘い。というか、これまでの動物ミステリは明らかにその動物が模されたものと分かる事件だったのに対し、本作の事件は「言われてみれば確かにそうかな」という程度の印象なのだ。また、恒例の食にしても、お好み焼き、焼きそば、もんじゃ焼き……と、それぞれに旨そうではあるものの、これも猿ではないし、探偵の相棒として活躍するチー太も、猿ではなく完璧に犬だ。このあたりの違和感の理由は、結局のところ真相が明らかにされるところで、逆に思い当たることになるのだが、ここでは書かない。ただ、一つだけ、その真犯人なりの狂気の論理がこれまたちょっと苦しいのではないかと思われた。その結果、動物シリーズという枠組みのなかで比べた際に他の作品に一歩譲るような印象がある。
とはいえ、密室殺人あり、奇妙な死体あり、更にこれまでシリーズのなかでは仕掛けられてこなかったサプライズありと、ミステリとしては相変わらず、不思議なロジックにて統一されている。ただ、先に述べた通り、犯人の狂気の在り方がちょっと苦しいように思われるがため、本格ミステリではありながら、読者の想像を遙かに超越した真相に至ってしまっている点は微妙な印象。

非常に残念ながら、一連の動物シリーズの傑作群と比べると統一感や、意外性はとにかくミステリとしての謎と真相との繋がりなどが少々下がる印象。とはいえ、特にギャグの部分はいつもの霞節が満載されているので、語り口がお好きな方にとっては相変わらず十二分のエンターテインメントとして機能しているといえるだろう。それと、探偵の相棒となるチー太(犬)が非常に魅力的に描かれている。犬猿繋がりながら、このチー太の活躍が、本作品の他の要素を食ってしまっている部分もあるかも。


05/11/14
伊藤人譽「猟人」(小壺天書房'58)

室生犀星の弟子で幻の芥川賞候補者、伊藤人譽氏。2004年、齢九一歳にて限定五百十四部『人譽幻談 幻の猫』を刊行、一部では大きな話題となった。本書は著者唯一の長編単行本になる。奥付ほかの表記は本書では「伊藤人誉」となっているが、恐らく「譽」の旧字体が使えなかっただけ……だと思う。

約三十戸の農家と三軒の鉱泉旅館から成り立つ笠石の部落は、高く聳える日影山と谷川に囲まれた土地にあった。湯治客や登山客が部落の大きな財源で、なかでも旅館は部落の分限者で、なかでも鶴屋と金山荘は金持とみなされていた。その笠石の部落の小学生は、毎朝決まった時刻になると鶴屋の近くの道祖神の前に集合する。先頭に立つのは鶴屋の娘・輿石千代と金山荘の息子・村井登であった。片道二里の通学路は谷川沿いの険しい斜面に刻み込まれた村道であり、その集団のしんがりに黙りこくったままついて歩くのが、猟師の茂十の息子である和吉であった。和吉は背が低く角張った体つきをしており、何より鮭色に濁った気味の悪い白目を持っており、子どもたちは正体不明のものを指すように彼のことを『赤ん目』だの『赤ん目の和吉』などと呼ぶ。しかし、その和吉は無口な替わりにけものじみた行動と執念深い性格をしており、一応は一目が置かれる存在だった。千代が崖から落ちた時に真っ先に飛んでいったのも和吉だった。しかし、和吉は実はじっと千代のことを以前からその眼で見つめていたのだった……。

地方に根差した暮らしのなかで強調される、人間の根源的な何か。小説としては不器用も激しい情動がある
昭和三十年代に発表された、純文系統の作品ということになるか。なので、小生の普段読みつけない分野でもあり、他の作家の作品や当時の文壇の流れといったところとの対比で本作を捉えることができない。あくまで、本作を色眼鏡を通さずに眺めた印象が以下になる。
まず、鮮烈なインパクトがあるのは、前半部で描かれる、この山村の生々しい生活描写にある。特に特徴ある人物として生い立ちから性癖まで執拗く描写される和吉と、その親である茂十の暮らしぶりがリアルに描かれ、独特の個性が付与されていく過程は見事といえるだろう。村における貧富の差、さらには農村と旅館から成り立つ村の生活。そういった決して豊かでない土地のなかでも、更に貧しい存在として抜けているのが猟師の一家だ。貧しくとも、その境遇から脱出しようとせず、猟師特有の性癖によってひたすらに時を待ち構える。特に和吉は成長するにつれ、その良く言えば内向きでひたむき、客観的にいえばストーカー的な根性によって不気味な存在と化していく。――ただ、このあたりのせっかくの描写が場面転換の関係で途中で放ったらかしにされているのは勿体ない。
一方、その和吉が崇拝する千代。また千代と将来所帯を持つと目される村井登。この村井が都会に出て暮らす場面となると、途端に普通小説となってしまっている。地方から都会に出てきた青年のまごつきと悩み、田舎に残してきた千代への興味減衰、思わぬ人物との邂逅……といったアクセントはある。だが、これらの描写が丁寧に書かれてはいても、これまでも多くの文芸で語られてきたことが繰り返されているようで、正直何かを訴え出てくるような抜けた印象は、この部分にはない。
ただ、登が田舎へ戻り千代と暮らすようになった後の生活となると、また急に作品は魅力を取り戻す。都会を知った人間が田舎に縛り付けられたように生活することの閉塞感の描写が巧み。エピソードの絡め方も巧い。ここに成長して猟師となった和吉が再び登場する。……だが、やはりこの和吉の絡ませ方についてはあまり成功しているとはいえまい。千代を相変わらず付け狙う和吉の不気味さは更に強調され、彼の行為についても、一定の説得性と物語の流れのなかでの必然性は存在する。ただ、やはり先に述べた都会のパートが折角の和吉の存在を単なるサブ・エピソードに押し下げてしまっているために、衝撃や物語の訴えとしては希薄な印象が正直、感じられてしまうのだ。人間に関するいろいろなことを表現しようし過ぎたがために、小説としての面白さ・緻密な構成といった部分を犠牲にしてしまった作品といえるのではないか。

とはいえ、述べたように各所の描写に目を見張る部分はあり、また、個々の瞬間瞬間を切り取ると人間の衝動的ですらある情動の表現が巧みになされている点も事実。ただし、小生の読む限り、本書はやはり傑作とは言い難い作品であり『幻の猫』収録作品のような不思議なテイストは断片としてしか感じられなかった。読む人が読めば、また異なる感想になるのかもしれないが……。


05/11/13
小路幸也「HOMETOWN ホームタウン」(幻冬舎'05)

小路幸也氏は広告会社勤務を経てゲームシナリオを執筆のあと、2002年に『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』にて第29回メフィスト賞を受賞してデビュー。その後、同シリーズの続編となる『高く遠く空へ歌ううた』や、他ノンシリーズ長編を着々と発表している。本書は書き下ろし。帯にさりげなく、乙葉によるコメントがある点にちょっとした驚きが。

行島柾人は北海道で最も歴史のある名門百貨店〈三国屋〉で顧客管理部の〈特別室〉に所属している。大学を出てすぐ、柾人は、現会長の懐刀で嘱託社員であるカクさんから様々なことを学んだ。〈特別室〉の仕事は、昔は探偵のような仕事だったらしいが、今は怪しい取引先の調査や、百貨店内の不正告発といった業務をメインに担当する。柾人の最初の仕事は借金漬けになった社員の告発だった。しかし結果、依願退職した彼はそのまま娘を一人残した一家心中のようになってしまい、その結果を悔いた柾人は、その娘と祖母が暮らす家に下宿人として入っている。そんな柾人のもとに、妹の木実から数年ぶりの手紙が届いた。彼らは両親を不幸な経緯のもとで亡くしており、その経験により、二人は「自分たちには人殺しの血が流れている」と常日頃から感じさせていた。木実の結婚を素直に祝うことのできた柾人だったが、結婚式を控えて木実と、その婚約者である青山がほぼ同時に失踪してしまう。柾人は彼らを捜すため、もう戻らないはずだった自らの故郷へと舞い戻る。

オリジナリティある設定に普遍的な人間描写。人の持つ哀しさと優しさをしみじみと描き出す印象深い一作
小路幸也の作品の魅力のひとつに、オリジナリティの高い設定がある。 物語における登場人物に対する付加価値というか、存在意義というか、その能力であるとか職業であるとかといった部分に必ず、平凡なエンターテインメント作品ではこれまであまり見かけ無かったような設定を持ち出してくる。本書であれば、主人公の行島柾人の設定がそれ。私立探偵だとか、興信所の社員以外で、他人に対する調査能力を持ちうるという人物をより自然なかたちで物語に登場させている。そうか客商売で大企業、かつ歴史のある百貨店ならば、こういう人物がいてもおかしくない。この「いてもおかしくない」と思わせるのが実に巧いのだ。本書を無理矢理に類型化すると人捜しの物語であり、この場合プロ/素人の探偵役が物語を引っ張るのが定番であるのだが、そういった定型から微妙に外れたところで物語を綴っている点によって、自然なかたちで物語に引き込まれる。
また、周辺の登場人物にも魅力の高い人物を配しているのも特徴だろう。本書でいえば、カクさん、里菜、ばあちゃん、そして森。こういった人々に助けられる……ということで、主人公である柾人の魅力もまた輝いてみえるようになっているのは作者の計算のうちなのか。また、彼らのプロフィールといったところも、微妙に伏線に繋がっていたりして、物語構成の周到さという意味でもポイントになっている。いずれにせよ、その他の点においてもさりげなく配された細かな伏線があとでじわりと効くあたりが巧みで、小説としての味わいを深めている。
いわゆる広義のミステリーとしてのポイントが、物語全体を引っ張っていく牽引力となっている点もまた間違いない。ただ、その謎から導き出される焦点(エピソードの結末)よりも、物語全体の着地がどこに行くのだろうか? そういった物語全体を楽しむことができる点が本作最大の特徴。 そして、配された細かな謎以上に、物語の行く末自体に魅力を湛えているというのが、小路幸也という作家の作品全体に共通する最大の魅力だといえるだろう。

ちょっと情が勝ちすぎてしまった物語の結末については、読者によって好き嫌いが出てくるかもしれないが、小生はこれはこれで良いと思う。現在も着々とファンを獲得しつつある著者であるが、いずれ大きくブレイクする筈だと個人的に確信中。そうなった時には、本書あたりは確実に再注目を集めることになるはずだ。


05/11/12
古川日出男「ロックンロール七部作」(集英社'05)

『小説すばる』誌に『ロックンロール第一部』『青のロックンロール』といったかたちで短編形式で発表された七つの作品(パート)が、一冊にまとめられたもの。作者によるあとがきでは、「本書は純然たる長編小説として構想された」というコメントがある。このあたり『ベルカ、吠えないのか?』や『LOVE』と似たところがある。

ロックンロールはアメリカで生まれたけれど、ロックンロールはアメリカで憎まれた。不良の音楽だとか何とか問題視されて。排斥運動まで起きた。だからこの物語はアメリカから離れた土地でスタートする(と、あたしは決めた)。もちろん物語なんて、いつ、どこからでも出発できるし、それについてはこの物語も証明するけれど、とりあえずはスタート地点を設定する必要がある。/まずは場所。/イギリスだ。/なぜならイギリスはアメリカを侵略したからだ。(『ロックンロール第一部』の本文より)
語り手となるのは、徐々にその正体が明らかになっていく「あたし」。彼女が『第○部』ごとに、さまざまな場所・土地・時代から物語をスタートさせ、音楽だったり記憶だったり人だったりモードだったりムーヴメントだったりをキーワードにして様々な(本当に様々な)世界を流れるように描き出す。まさに物語。『ロックンロール第一部』〜『第七部』そして終章として『ロックンロール第○部』によって締め括られる、分割されてひとつひとつが独立した、それでも大きな、物語。なのだよこれは。

ビートを刻み、ソウルは叫ぶ。ロックンロールは音楽の歴史だけでなく、地理的にも世界を制覇した――というおはなし。
いや、奇想的な着想がベースとなり、普通の起承転結を無視した破天荒な八つの物語であり、饒舌に過ぎる語り口のテンポが溢れた、何とも不思議な魅力が全編に満ちあふれる。ロックンロールという得体の知れない音楽を、いや音楽としてのロックンロールは後付けですらあって、その何かロックンロールのような音楽を通じて、とりあえず世界(七大陸+α)を語っちゃいましょう! てなもんである。
そもそもロックンロールとは……なんて定義もなく、きちんと歴史を踏まえているというのにその蘊蓄をひけらかすこともなく、正確にして豊富な(音楽と歴史とそれともろもろの)知識を作者は持ちながら、常にぶっ飛びぶっ飛びしていく物語。
例えば、『第一部』は、曇天なるバンドを取り上げて、『あなたの心臟、むしゃむしゃむしゃ』というヒットソングを生み出した彼らの運命を描いていたかと思うと、そのリーダーがある事件を引き起こして国外脱出を図り、ラジオを信奉する飛行機乗りの話になったかと思うと、飛行機は墜落して音楽は隊商として砂漠を旅している少年の心に音楽を残し、アフリカ原住民を研究していて殺された女性科学者が登場したかと思えばすぐに退場してしまい、カセットテープは後にプロの傭兵となる少年の頭に刻まれ、ある「部族」の生き残り三姉妹へと伝わっていく……てな具合。と、この場合は、イギリスから始まってアフリカに至るお話であって、第二部ではアメリカ、第三部では共産圏といった具合に、物語の始まりはいつも唐突にして、ロックンロールにまつわる何かのキーワードがその運命と物語の義務に従って、世界を旅してゆくのだ。 ちなみに、もっともこれらの物語で軽視されているのは、もちろん、人間である。彼らは固有名詞を出来るだけ一般化(最初の”曇天”のように)した名前に変更されて登場するというルールによって、アイデンティティを奪われ、その分、キーワードの存在意義が増している。
ただ、作者もいう通り、第X部がいずれも物語として成り立っていて、それぞれが実に面白いのだ。個人的にはミシシッピの鰐のくだりが面白かった『第二部』と、ロックンロールの話なのに何故か格闘技の話になってしまう『第六部』が気に入っているが、他の作品もそれらに劣らず奇妙な魅力を燦燦と発している。

語り口の魅力もあろうけれど、最初の一ページから最後のページに至るまで高いテンションがずっと維持されているのも魅力の一つ。大好きな音楽(できればロックンロールと呼べるもの)をヘッドフォンで聴きながら読むのが吉かと。


05/11/11
山田正紀「ブラックスワン」(講談社文庫'92)

不可能犯罪を描いた傑作連作短編集『人喰いの時代』等を発表していたものの、まだ純然たるSF及びエンターテインメント系作家として認識されていた時期の山田正紀氏が、なんと講談社の「推理特別書下し」のシリーズの一冊として'89年に発表したのが本書。この講談社文庫版が絶版となった後、ハルキ文庫でも再刊行された。

白昼のテニスクラブ。受付の女性がほんの少し目を離した隙に、女性の大声がロッカールームから聞こえてきたかと思うと、火達磨になった女性がふらふらと彷徨い出てきて焼死してしまう。偶然、事件現場にいた捜査一課の稲垣が事件の保全を図るが、事件の全容ははっきりしない。女性は死ぬ直前、ロッカーに「橋淵亜矢子」と署名を残していた。一方、十八年前、お見合いのために京都に向かった筈の「橋淵亜矢子」は、両親のいるホテルに大阪から連絡をした後、失踪してしまう。娘のことを忘れられない母親は、個人出版業者・桑野に娘を知る人たちから寄せられた文章による文集を作成して欲しいと依頼する。亜矢子が見合いに行く前に、バイトで知り合った仲間六人と新潟県の瓢湖を訪れており、桑野の病床の妻もそのメンバーの一人であった。十八年前、瓢湖には黒い白鳥〔ブラックスワン〕が、白鳥の群に紛れていたのだという。十八年前の男女はそのブラックスワンを旅館に連れ帰るが、翌朝には瓢湖で死体となって発見された。果たして、十八年前、バイトで知り合い「白鳥の湖」を共に見ただけという関係の友人たちのあいだで一体何が起きていたのか。

謎の浮立たせ方と、読者の目の逸らし方が既に抜群。白鳥尽くしのなかで起きる事件の裏の意味とは……?
こと近年だけをみるならば、SF作家としてよりもミステリ作家としての活躍がより目立つ山田正紀氏(とはいっても、再びSFへの回帰が最近は感じられる)。とはいっても、本書が刊行された八十年代後半は、やはりバリバリのSF作家である。そんな山田氏の初期ミステリのなかでも傑作の一つとして名前の挙がることが多いのが本書。
テニスクラブで発生した、女性焼死事件が現在のパート。こちらは不可能性が強調され、関係者の記憶の不備によって捜査が難航する。その一方で、そのテニスクラブの事件と関係者の名前が共通する、十八年前の学生たちのあいだでの一晩の出来事(そしてその後の失踪事件)が手記を通して浮かび上がる仕掛けだ。まず、ミステリの構成としてみた場合は、目眩ましが非常に巧いということが挙げられよう。現在となっては証拠をもとに調べることのできない十八年前の事件。それを関係者が各々手記を持ち寄ることによって、出来事が様々な視点から再構成されていく。果たしてその晩何があったのか? という点に読者の視点を引き付けておいて、しっかりと別の角度からガツンとした一発が噛まされる。また、それが現代の焼死事件へとリンクしていく展開も周到だといえるだろう。
本格ミステリというよりも、読者からカードを隠すことによって発生するサプライズを楽しむタイプの作品で、内容としては広義のミステリーに含まれそう。アリバイトリックの真相については、作者の意図とは別に本格パロディめいた味わいがあるのだが。そして、もう一つ、この学生たちの熱い集まりを再現することによって、その瞬間瞬間に大きな意味合いがある青春ミステリとしての楽しみがある。また、全編にさまざまなかたちで”白鳥”を絡めることによる統一感が、独特の美しさを表現している点も忘れてはならない。まさか特急電車・白鳥まで登場させ、それらが全て有意義に繋がっている点は、小説技巧の凄さをさりげなく感じさせてくれる。

今となっては、山田氏のミステリのなかでも旧い部類に入るのだろうが、やはり構成その他、見事ですいすい読まされてしまう。山田正紀に外れなし――という、山田作品を読み出してすぐに感じた気持ちを改めて思い出した次第。