MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/01/10
森福 都「漆黒泉」(文藝春秋'05)

森福さんは、'96年に第3回松本清張賞、そして第2回講談社ホワイトハート大賞を受賞してデビュー。そのデビュー作品となる『長安牡丹花異聞』をはじめ、中国を物語の舞台とする一連の作品を中心に(もちろん現代作品もある)活躍を続けている。本書は、『別冊 文藝春秋』誌の二四九号から二五六号にかけて連載された作品がまとめられたもの。

宋の時代、繁栄を誇る開封の都。当時の宰相・王安石はこれまでにない新しい法律を次々と打ち立て、新興商人たちはその恩恵に預かっていた。そんな商人の一人である晏家に、主人の知り合いである奉元先生が訪れた。彼は、晏家の一人娘・七歳の晏芳娥に対し、彼女が男をも凌ぐ長身となることを予言する。それから半年後、晏芳娥のもとを典雅な男性が訪れる。彼の名は王ほう(雨冠に方)。王安石の嫡子で当代きっての才人であった。彼は晏芳娥に対し、自分はお前の夫となる男だと云う。彼女はその言葉を信じて稽古事に邁進するが……。僅か二年後、王ほうは謎の死を遂げてしまう。その結果、政変により王安石は没落、旧法を復活させる司馬公が宮廷での勢力を増大させる。やがて成長した晏芳娥は、王家に乗り込み、安石に自分が王ほうの妻であることを認めさせ、男装したうえで夫の仇、司馬公を暗殺するための旅に出る。開封の都でいろいろ調べるうちに、王ほうは「漆黒泉」なるものを探し求めていたことを知る。在りし日の王ほうと縁のあったとい、何やら曰くありげな人々を仲間に加え、彼女は計画を実行しようとするのだが……。

陰謀と裏切りのサスペンスが程良く加わり、オリエンタルな設定が活きた冒険行
中国・宋の時代。高邁な思想を具現化しようとした親子の息子の方に八歳で求婚された娘が、歳を長じて夭折したその息子の敵を討とうと策謀を巡らす物語。ただ、不審な死を遂げた”王ほう”の死の真相そのものが、当初の見せかけ以上に闇に隠れており、その謎を中心に物語の構図が二転、三転してゆくのがまず面白い。ただ、まず物語の展開以前に、中国を舞台にしたミステリを描くことには元より長けた著者のこと、その舞台背景や時代風俗などは実に安定した筆致で描き出されており、この世界に読者が入り込むことはたやすい。また、エピソードの一つ一つにおいて、その時代ならではの政治力学や人々の考え方を反映することによって意外性が演出されているのも特徴だろう。単なる復讐譚ではなく、その”王ほう”の人物像を巡る謎や、その謎からかつて彼が目指していたこと、考え方、性格といったところが次々と表出してくるところも、興味の一端を担う。
物語の方は、その風変わりな復讐譚からはじまり、様々な思惑をもった人物が主人公の周辺に集まって進められ、本当の意味での思惑に違いがあるため、いくつもの裏切りが発生することで動いてゆく。不思議なのは、そういった裏切りが様々なかたちで描かれるにも関わらず、個々の人物に対して不思議と悪意を抱けないこと。皆どこか飄飄としていて、なぜか憎めないし、実際に裏切られた側も深く根に持たない。これは、先に述べたように巧みに描かれる時代性と、作者の人物描写の妙との合わせ技のなせることかもしれない。
巧みな伏線によって「謎」に対する真相の意外性もいくつも演出されている点はミステリとしての読み方における興味を高めているのだが、それ以上に冴えがあるのが、物語が進むにつれて変化・成長してゆく(悪役や裏切り役も含め)人間描写。 ラスト近辺においての主要登場人物の去就などを読んでいると、不思議と暖かな気分となってくる。

歴史小説ほどの重さはなく、ミステリと言い切るだけの軽さもなく、その両者が程良くバランスを形成している結果、ファンタジックな面白さを演出している。作者最高の傑作ではなかろうが、興味を持たれた方にはお勧めしたい。


06/01/09
黒田研二「結婚なんてしたくない」(幻冬舎'05)

作者のご本人談によれば「この作品で賭けに出た」といった趣旨のコメントがあったような。『ウェディング・ドレス』でのメフィスト賞受賞以降、一貫して本格ミステリ畑を歩んできた著者が、あえて非ミステリに挑戦したのが本作。とはいえ、ミステリとしての趣向も(本格だとはいわないまでも)しっかり入り込んでおり、これまでのくろけん読者にも楽しめる作品となっている。

佐古翔(35)は女遊びが大好きで特定の女性に縛られるのが嫌いなナンパ男。仕事もしっかりしており若くして旅行代理店の取締役の地位にある。今日もいつもの手口で引っかけたレミという女性をマンションにお持ち帰り……のはずだったが、部屋の前で幼女が眠り込んでいる。その子がいうには「パパ、お帰り」。 蒲生要(33)はスポーツジムのインストラクター。おばさんにモテモテで独身女性の紹介を次々受けそうになるが、彼自身は実は男性しか愛することの出来ない体質だった。 真鍋聡士(42)焼鳥屋《ちょっと亭》の大将。良心と同居しており、身の回りの世話をずっとしてもらっている。だが、父親が倒れ母親が入院に付き添うことになってしまい、しばしのひとり暮らしになって……。 藤江克実(29)いわゆるオタク。なかでも『電撃ナイト☆ミスティ』に登場する春風うららに関しては世界一のコレクター。オークションサイトで探し求めるリアルモデルを発見したが……。 そして相馬浩文(27)。交際相手から結婚を迫られているが何か一歩を踏み出せない。そして悩んでいる最中、謎の美女と知り合って心が揺れる……。 五人の結婚しない/できない男たちが、それぞれ抱える悩み、そして巻き込まれる事件。

くろけんさんらしさを感じさせる、ミステリ風味で味付けされた恋愛コメディ
五人のそれぞれ事情を抱えた独身男性が登場する。まあ、女性に縁がない、もっと縛られずに遊びたい、女性に興味がない、結婚自体に否定的……とまあ、それぞれ「ああ、どこかにいるだろうなあ」というようなタイプが五人。ただ、題名の通りに「結婚したくない」という理由を物語風に綴った作品ではなく、むしろ彼らがそういったこれまでの「結婚と無縁の日常」から、色々なタイプの女性との新たな出会いや繋がりを描いた一種のシチュエーション・コメディ。 登場する男性のタイプは、これまでの黒田作品でも出てきていた人物と重なる部分があったりもするのだが、それでも真っ向からミステリ勝負とした他の作品とは確かに一線を画している。
ただ、このドタバタ劇がそれぞれ五人が五人、タイプが見事に異なっているため、物語としても全く異なった展開になっている。また、ある程度年のいった男性読者であれば、このうち誰かとどこか共感めいた気持ちを共有することになるのではないか。その一方で、同性愛が仮初の夫婦になるという展開や、心当たりのない子どもを預かる羽目に陥った男など、ちょっと特異なシチュエーションを複数並行させている構成に作者らしい凝りを感じる。また、アニメオタクの描写が通り一遍ではなくかなり本格的に見事な造形となっているのも印象に残った。
タイプの違う生活を送る彼らが、ある補助線によって一つの物語へと集約されていく……。この点、もとより、ミステリとしての趣向が仕掛けられているものの、どちらかというとサスペンス的盛り上がりに寄与している感。 読者が真相を見通す(見通さないまでもある程度予想する)ことを前提としたうえで、さらに中盤以降の「これからどうなるの?」という展開への興味を盛り上げていく作者の計算は見事。また、生活圏や交友関係の重ならない彼らの物語、一本化するにはかなり無理のあるように思われるこの設定をするすると終盤にまとめていく手際も巧い。ただ、全体に均等に割り振られたある役割のなかでは、真鍋の存在というか本編との関わり方がやや弱くなっている点がちょっとだけ気になった。

はじめてこの作品を手に取る読者にとっては、黒田研二という作家は恋愛コメディ作家として認知されるのかなあ、とふと思う。恋愛小説としても「ちょっといい話」という内容となっていることもあって、新たなファン層が獲得されることも期待できそう。個人的には本作を打ち出した結果、今後の黒田作品がどういった方向性に向かうのか興味深く見守りたい。


06/01/08
多島斗志之「海賊モア船長の遍歴」(中公文庫'01)

'82年、多島健名義で第39回小説現代新人賞を受賞した「あなたは不屈のハンコ・ハンター」でデビューした多島氏。ユーモアもの、人情ものの執筆のあと、多島斗志之と筆名を改め、'82年、『〈移情閣〉ゲーム』を講談社ノベルスより上梓し、ミステリ作家としての道を歩み出す。寡作ながら一部の熱狂的ファンを持つ多島氏による、初の海洋冒険小説となるのが本書。

一六九六年。イギリス国王から海賊討伐の委任状を授かり、中型帆船『アドヴェンチャー・ギャレー』号にて遠征航海に出たキッド船長。彼は、海賊を討伐して財貨を押収しなければ、スポンサーの貴族に船の代金や経費を返済する義務を負っていた。しかし、イギリス海軍の横槍により経験を持つ水夫を引き抜かれたため、途中のプリマスや植民地アメリカにて水夫を募集する必要があった。そんななか、一際目立つ働きを見せたのが、元東インド会社の船に乗っていたジェームズ・モアである。モアは不幸な事故から海賊一味との密通を疑われ退船させられたうえに、妻が失踪して他殺死体が発見されるという災難が重なり、故郷プリマスに引きこもっていたのだ。キッド船長の船は、十ヶ月ものあいだ海洋を彷徨ったが収穫は何一つなく、結果的に自らが海賊となることを余儀なくされる。海賊の基本流儀すら無視するキッド船長だったが、元の小市民の血がそうさせるのか、彼はイギリスへの帰国を望んでいた。結果的にそれなりの収穫を得た段階で、モアは幾人かの仲間と共にキッド船長と袂を分かち、『アドヴェンチャー・ギャレー』号と共に、自らが船長となって海賊生活を継続することにした――。

抑制された静かな文体、魅力ある登場人物、謎、そしてこの冒険の世界。オトナが胸ときめかせて何が悪い?
基本的にこの物語世界そのものは、歴史、地勢、海洋、国家、文化、船舶、科学、そして歴史上の人物といった部分については、現存の記録に残されている当時の状況を踏まえて形成されている。その点からの、いわゆる現実離れはなく、かつて地球上にあった歴史という意味で地に足の着いた世界観に支配されている。ただ、記録そのものの信憑性や、その絶対量の少なさ(そりゃ海賊たちが自分で歴史書は編みません)から、隙間に物語がはいりこみ、膨らませる余地というのも多分に存在する。そこを見事に突き、勇気と知略に溢れた冒険小説を書いたという段階で、既に作者の勝ち。
そして、その世界で冒険の限りを尽くすモア船長をはじめ、男爵(バロン)、大樽、穴熊、大工頭、奥方、ドクター、火薬猿のビリー、火の玉、イルカ……といった乗組員の面々が、それぞれ自らの技をもってチームワークで難局を乗り切ってゆく姿は読んでいて実に楽しい。 海賊でありながら独自の美学によって(読者にとっての)不快感のない活躍が、敵国やライバルの海賊相手に繰り広げられてゆくのだが、『アドヴェンチャー・ギャレー』号の性能を最大に引き出した戦略、また、個々の戦いにおける奇策の見事さ、バラエティの豊かさは、普通の冒険小説以上の「わくわく感」を読者に与えてくれる。 また、奇策といっても、ミステリのようにちらりちらりとその伏線を事前に張っていて、「あ、あれはそういう意味だったのか」という、謎解きに近い爽快感も味わえるのも嬉しい。
もちろん、個々の登場人物が抱えるプロフィールにまつわる謎、そしてライバルや国家の思惑なども謎めいた部分なども、最終的に明らかにされてゆく。ただ、謎が消えても物語の魅力(この先の展開を知りたい!)は引き続き残っている。作者自身もいう通り、読んでいるうちに読者自身が『アドヴェンチャー・ギャレー』号の船員になっているかのような錯覚に陥ってしまうのが、それまた楽しさのうちだろう。

海賊を主人公とした物語なんて、なんて野蛮な……なんて先入観を持たれている方が万一おられたら、是非その偏見は本書で撤回して頂きたい。色恋はほとんどないが、見た目無関係に「格好いい男たち」が自由奔放に活躍する傑作冒険小説。 冒険小説ファンを名乗るなら、絶対に外せない。入手可能な今のうちに是非。


06/01/07
新世紀「謎」倶楽部「EDS 緊急推理解決院」(光文社'05)

新世紀「謎」倶楽部は、本格ミステリ系の作家によるユニット名であり、その作品ごとに異なる作家が参加しているのが特徴。本作は、『ジャーロ』誌の二〇〇五年春号と夏号に二回にわたって掲載された作品を単行本化したもので、『堕天使殺人事件』などのリレー長編ではなく、『新世紀犯罪博覧会』のようなテーマに基づいた連作短編集に近い印象。

人口が集中する東京では犯罪や暴力の増加が問題視されていた。時の東京都知事はそれらに対し、様々な抜本的対策を打った。その一つとなるのが「Emergency Detective Service」、すなわち「緊急推理解決院」である。警察では対応しきれないような難事件や不可解事件を、市井の名探偵の知力を大胆に活用することによって、相談、推理、解決、救護措置といったサービスを三百六十五日二十四時間提供しようという組織であった。その持ち込まれる事件のタイプによって、専門分野を扱う「科」が対応。その「科」には探偵師(ホームズ)と助師(ワトスン)が基本的に常駐しており、それぞれの得意分野の知識を活かしているのであった。だが、その「EDS」を脅かすような事件が、クリスマス・イヴの当日に発生した。その一日の模様が、時間進行に沿って描かれてゆく。
参加した各作家が、それぞれ「科」を担当。また、まず全体を通じた「院長室」を石持浅海、「受付」「小児推理科」を二階堂黎人、「女性推理科」を松尾由美、「不可能推理科」を柄刀一、「歴史推理科」を高田崇史、「外国人推理科」を小森健太朗、「動物推理科」を鳥飼否宇、「スポーツ推理科」を黒田研二、そして「怪奇推理科」を加賀美雅之がそれぞれ執筆している。

統一感としては今ひとつも、個々の本格ミステリ度合いは水準をクリア。全体を通じての軽めの味わいが楽しい
個人病院は専門があるものの、幅広く患者を受け入れる。その一方で総合病院はそれぞれ患者の症状に合わせて専門の科を持ち、それぞれの担当医が診察を行う――という仕組をミステリの世界に取り入れたというのが大枠の設定。探偵の存在を一種公共的な存在にしてしまうあたりは、山口雅也の探偵士のシリーズ、また一つの建物に複数の探偵がいるという設定は清涼院流水のJDCのシリーズあたりを彷彿とさせるが、オムニバスに近い合作となっている本作は、時の流れが存在して一冊で丸一日が描かれるという趣向とも相まって、オリジナリティの高い作品となっている。
二階堂黎人が渋柿信介や水乃サトルを登場させたり、柄刀一がホームズ(これは本家ではなく、柄刀作品に登場するオリジナルキャラとしてのホームズ)を探偵役に起用したりする一方で、本作オリジナルの探偵も登場するなど、バラエティに富んでいる。また、自作や他の作家の探偵の名前が登場したり、将来の名探偵が子どもだったりと「分かる人には分かる」ツボが数多く含まれていて楽しい作品になっている。何といってもジェニーちゃんの登場には驚く一方で笑わせて頂いた。
それぞれの物語は時間の経過に合わせて切れ切れとなっているが、結果的には一人の作家が一つの本格ミステリ短編を寄せている計算。密室状態内部での扼殺という、困難度の高い謎に挑戦した柄刀一の「不可能犯罪科」は、トリック中心ながら周辺に様々な伏線を潜ませた力作。トリックを成立させるための要件を全て物語のなかに込めているあたりに力強さを感じた。また、一日だけ開業した病院という奇妙な謎に挑戦した松尾由美「女性推理科」。これも解き明かされてみるとちょっと無理がある動機ながら、不思議な魅力を発している。高田崇史「歴史推理科」では、短編で初期のQEDのような主題に挑戦している大胆さが面白い。提示された謎以上に、探偵役ジェニーちゃんのキャラクタが異常な魅力を発揮している黒田研二「スポーツ推理科」、切断された腕が病院内を這い回る不気味さが心地よい加賀美雅之「怪奇推理科」、犬の事件よりも飼い主の個性が際だって面白い鳥飼否宇「動物推理科」、文化の違いを巧みに作品に取り入れた小森健太朗「外国人推理科」……と、作者の個性と作品傾向がぴったりマッチして、どれも完成度の高い作品になっている。
ただ、とりわけ感心させられたのが「院長室」を担当した石持浅海の一連の作品。これもまた一連の石持作品に見られるテーマが複合した内容ながら、かつての探偵師と助師が殺し合ったという不祥事の裏側に隠された真相という謎の魅力に、推理現場の緊迫感が合わさってレベルの高い謎が提示されている。その解決、そして最後の余韻の味わいも深い。

ということで、個人的にはじっくり楽しませて頂けた。ただ小生の場合は、登場する全ての作家の作品をそれなりに読み込んできており、探偵役や雰囲気に違和感がほとんどなかったというアドバンテージがあることも事実で、何も予備知識がなしにこの作品がどう受け取られるのかは分からない。作者ごとに傾向の違いがあるので、全部が全部、全員が楽しめるかどうかの保証は難しいながら、お気に入りの作家がいるという方であれば読んで損はないだろう。 これを機に参加している他の作家の作品に手を伸ばすのも一興。


06/01/06
貫井徳郎「悪党たちは千里を走る」(光文社'05)

『ジャーロ』誌に二〇〇四年春号から二〇〇五年夏号にかけて連載された作品の単行本化。もともと社会派系統作品や、手堅い本格ミステリに関して定評ある貫井氏だが、本書は著者の新境地ともいえるコメディタッチで描かれたクライム小説である。(とはいえ、全体として貫井徳郎らしさは本書にも確実に存在している)。

強面の割に気の小さい園部を連れて、高杉篤郎は金本という名の田舎成金の家を(ちょっとびびりながら)訪問していた。高杉は元は勤め人だが、過去にあることがあってからはすっかり小悪党として生活している。今日は江戸時代の埋蔵金伝説をネタにし、金本から探索資金をせしめようと乗り込んだのはいいのだが、先に金本家を訪問してきていた女性に突っ込まれ、邪魔を入れられて退散してしまった。小判を準備したり元手がかかった計画だけにこれは痛い……。新たな計画を考えなければならなくなった高杉に対し、園部は営利誘拐を提案する。園部の考えに乗った高杉だったが、金本家で遭遇した女性・菜摘子が加わることになる。走り出した計画は意外な方向から、想像つかない邪魔が入って……。

プロットを積み重ね、意外性から別の角度の意外性を連ねる。読みやすさだけでない、凝った展開に舌鼓
なんか梗概が書きづらい。というか、ちょっと詳しく書いてしまうと全てネタバレに通じる……という、短いプロットで二転三転の変転をみせるテンポの良い物語展開が特徴的な作品。加えて、貫井徳郎のこれまでの作品でみられた全体的に硬質な文体に比べると、なんとも頼りない主人公三人組、特に中心人物となる高杉の半一人称による記述は比較的柔らかく、するすると読める。この部分も、ともすれば重厚さゆえに貫井作品を敬遠していた読者にとっては入り口として向いている可能性もありそうだ。
そして、もう一つ特徴的なのは題名にある「悪党たち」というほどには、彼らが悪党だと言い切れないところもポイント。せこい詐欺や、被害者もあまり懐が痛まないような悪事を働く主人公たちは、悪人を標榜しながら実に小心。非情になりきれず良心に縛られた小市民的存在なのだ。本当の意味で人間らしさの無い悪人像だって作者は描ける筈なのに(例えばいずれ出る『愚行録』の登場人物の笑顔の下の悪人ぶりなど凄まじいよ)、あえて彼らのような人間として小さな存在を登場させることで、ストーリー展開との親和性を高めているといえるだろう。高杉や園部、菜摘子の一種類型的な造形(台詞などもわざと類型的な喋り方にしているとみる)が、逆に”物語”の方に読者の焦点を集中させるのに役立っているのだ。
そして、何より特徴的なのが、畳みかけるようなショートスパンで物語の「謎」の焦点をずらしてゆくストーリーテリングだろう。例えば帯に書かれている「人道的かつ絶対安全な」誘拐――という部分にしても、本作の物語のなかでの一部であっても最大焦点ではないのだ。むしろこれは序盤の一エピソードに過ぎない。確かに誘拐は物語のなかでも大きなウェイトを占めるのだが、その誘拐の内容が章を進めるごとに変化してゆく。一つの謎を解き、一つの困難を乗り越えると、別の問題が待ち構えているといった具合なのだ。個々のエピソードの謎は小さく、かつ整合性が重視されていることもあって、このあたりだけに焦点が絞られると「どこかで見たトリック」だけで済まされてしまうかもしれないが、この変転の見事な繋がりぶりこそがポイント。さりげない物語運びのなかに作者の苦労が窺われる。
もう一つ。ある程度ミステリを囓った方なら、当然「ああ、この作品はあの手か……」と思わせられるツボを的確に突きつつ、なおかつそれを唐突に裏切るという離れ業が、少なくとも数回、この作品のなかで演じられている。具体例を挙げるとネタバレしてしまうので触れられないのが残念だが、細かなミスリードによってもたらされる「え?」という感覚は、本格ミステリで最後に行われるどんでん返しとは全く違う角度からのサプライズとして印象に残った。単に読者を驚かせるのではなく、読者の想像力の行き着き先をきちんと創作者の側が見据えているという事実に深い感慨がある。(但し、単に物語の筋書きを追っかけるだけの読者にとっては、この部分が評価されにくい/されない こともまた事実だと思うので痛し痒しではある)。

誰にでも楽しめることは間違いない一方で、色々な読まれ方をするだろう作品だと感じられた。単なるスラップスティック以上に、ミステリ精神が強く打ち出されている印象。むしろスラップスティックやクライムノベルと思い込まずに平たく読んだ方が、完成度の高さに対して色々な感慨を抱けるのではないか。ごちそうさまでした。


06/01/05
恩田 陸「蒲公英草紙 常野物語」(集英社'05)

前作にあたる『光の帝国 常野物語』から、実に八年ぶりの作品、だと思っていたら半年で三作目の『エンド・ゲーム』が刊行された。ただ、これを機会と『光の帝国』を再読できたのは収穫といえば収穫。でも、……追いついてない。

清国と戦争を終え、日露戦争の始まる前のある時代。県内でも比較的豊かな農村地帯である槇村。その槇村の名前のもととなった槇村家は代々の名家で優秀な人材を輩出しており、村の整備も槇村の財力によって為されたという。私こと峰子は、代々槇村から土地を借りて医院を営む家の娘。その槇村家の娘・聡子の話し相手として、私は槇村のお屋敷に出向くようになった。聡子は身体に障害を抱えており、病弱で成人まで生きられないといわれていたが、その名の通り聡明な性格をしていた。槇村の家には、発明家や画家志望の学生、仏像を彫る若い僧ら様々な客分が寄宿しており、そんななかやって来たのが春田葉太郎と、その妻、そして光比古、紀代子の兄妹だった。槇村の当主と知り合いという彼らは、どこか不思議な雰囲気を持っており、峰子はそんな彼らに興味を持つ。はっきりしたことは分からないが、何か不思議な力を一家は持っているらしい――。

光の帝国で創られた大きな枠のなかの、一つのエピソードがじっくりと語られる――
この文章を書いている現在、第134回直木賞の候補に本作がノミネートされている。本作については、作品の内容そのものよりも、この微妙な時代をきちんと描けているか(選考委員からどう読まれるか)とか、そういうところが評価基準になるように思われるが……。
さて、本作。前作では常野にまつわる人々のエピソードを小出しにし、登場人物がほとんど重ねないまま、常野の全体像をぼんやりと浮かび上がらせるというかなり実験的な短編集となっていた(恩田陸の初短編集なのに)。読む前の想像では、前作でもちょっとポイントのようにみえていた、現代の政治改革みたいなところに焦点を当ててくるのでは、と思っていたのだが、常野にまつわるエピソードを長編化したような内容であった。語弊があるかもしれないが、恩田陸さんの実力をもってすれば、この『蒲公英草紙』の内容は、前作の流れからなら短編でさくっと語れるレベル。そこを敢えて長編分だけの文章を与えることで、じっくりと常野の人々の暮らしや、彼らが周囲に与える影響といったところを描き出そうとしているようにみえる。
ただ、単に「引き延ばされた短編」ではないところがやはり凄いところで、槇村という一家を中心に、数多くの個性を持つ人物を配し、その中心に聡子という聡明で薄倖な娘を置く。そこに語り手の峰子、そして春田の一家を絡ませることで、世界の説明をし、歴史の説明をし、常野と俗世間との関わり合いを示し……といった具合に本作を超えた世界観の源である「常野物語」としてのポイントをしっかり押さえている。 それでいて、個々の登場人物をぶつけ合って、長編作品としての物語をしっかりと盛り上げている。中盤までの穏やかなテンポが、悲劇的で、かつそれでいて感動的な最終章へと繋げていく手腕はさすがだと思う。(考えようによっては、最後の方のエピソードに読者の泣きをつくるためのあざとさのようなものも感じないではないが……)。

恐らく長編単体として、素直に評価できるのだと思う。だが「常野物語」の全体像を追い求める読者にとっては、正直ちょっと食い足りない部分もある。数々のエピソードにしても前作にて作者が訴えてきた事柄の焼き直しであるし。そういう意味では親切な中継ぎ作品という見方も出来よう。いずれにしても次作以降が楽しみではある。……ってもう出てるけど。


06/01/04
北森 鴻「瑠璃の契り 旗師・冬狐堂」(文藝春秋'05)

狐罠』にて鮮烈なデビューを果たし、以降『狐闇』『緋友禅』と活躍を続ける、店舗を持たない古美術・古道具屋である旗師・冬狐堂こと宇佐見陶子の巻き込まれる四冊目の事件簿。今作でも下北沢の雅蘭堂が登場するなど、作者のサービス精神が嬉しい中編集である。

正真正銘の本物の和人形が、三度売って三度返品された。《富貴庵》の店主が陶子に語る。その人形を「預かり」のかたちで引き取った陶子は、友人の力を借り、返品された家の事情について調べ回る。 『倣雛心中(ならいびなしんじゅう)』
学生時代の陶子が”本物”と認めていた同級生。しかし火事で亡くなり、同級生はお金を出し合って彼女の追悼画集を作成した。現在になって、その画集の復刻版が急に陶子の元に送られてきた。だが、その狙いが判らない。 『苦い狐』
福岡の小倉に出張した陶子は、立ち飲み屋にさりげなく置かれていた瑠璃硝子の切り子椀を眼にし即買い取って帰った。撮影を頼んだ友人の横尾硝子が、その椀を眼にした途端ちょっと様子を変じた。その硝子職人が込めたメッセージとは。 『瑠璃の契り』
陶子がかつて結婚していた相手・プロフェッサーD。彼の行方が判らなくなるが、どうやら九州である博多人形を追っているらしいことに陶子は気付き、彼の足跡を追う。その作者が人形に込めたものは一体何なのか?『黒髪のクピド』

骨董品を巡る謎をテーマにしつつも、徐々に陶子を中心とした人間ドラマへと主題が変化中?
もちろんこれまで通り、四つの作品それぞれに謎を孕んだ骨董品が登場する。即ち、和人形、謎の画集、切り子椀、博多人形。それぞれ、その創造者による特別の思い入れが込められた品でありながら、その思い入れと、現実の品物とのあいだには断絶があり、主人公の宇佐見陶子はその謎を探り出すという役回りが振られている。引き出しの多い北森氏ならではともいえようが、その思い入れと各骨董品とのあいだにある繋がりであったり、その誕生秘話であったりといったところの「謎」のバリエーションはシリーズを重ねてきた現在もまだ豊富。工芸品、美術品であるからして、それぞれに職人や芸術家ならではの工夫があり、創意がある。でも何よりも「何を想って「何のために」その作品を創り上げたのかという点が物語のうえでは最も重要なのはいうまでもない。(結果としての美術品としてどうかは別だろうが)。 この物語の媒体が活字である以上、写真などで圧倒的な現実の美を読者は鑑賞できない一方で、故事来歴やエピソードというものが非常に重要なのだ。
その謎解きに加え、本作で気付いたのは主人公・宇佐見陶子、そしてその親友にしてカメラマンの横尾硝子二人の成長譚でもあるという点。右も左も分からないまま、骨董の世界に飛び込んで揉まれてきた陶子。カメラマンとしての自信がつきつつある硝子。特にやはり陶子の場合は、「女だてら」にこの世界にいることもあって、周囲の冷たい扱いに対し、常に突っ張って生きざるを得ない、その生き様そのものがドラマ。そういったテンパった部分と、そこから解放されてテンションを落とす場面と、両方を作者は描き出すことによって、オトナの女性としての彼女を感じさせてくれる。(物語のめりはりという意味でも)。
当初は、本格ミステリに類されるような凝った謎解きもあったシリーズなのだが、着実に物語のタイプとしては変化している感。宇佐見陶子の存在感が大きくなる分、その謎解きの要素(謎捜しの要素はあるが)は薄れ、様々な事件を通じて彼女自身が着実にステップアップしていくところの描写の比率が高くなりつつあるように感じられる。

本作単独でも十分楽しめるとは思うが、前述の通り、宇佐見陶子の成長を描く物語という側面が存在している。そういった意味では、やはり先に出ている長編二作は読んでおいた方がすんなり物語に入れそうだ。しかし旗師とは、全くもって因果な商売である。


06/01/03
山田正紀「マヂック・オペラ ――二・二六殺人事件」(ハヤカワ・ミステリワールド'05)

日本推理作家協会賞・本格ミステリ大賞をダブル受賞した『ミステリ・オペラ』に続く、昭和史を探偵小説で描く〈オペラ三部作〉の第二部として刊行された作品。『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』誌に二〇〇三年五月号から二〇〇五年七月号にかけて『検閲図書館 黙忌一郎』が大幅に加筆され、改題されたもの。

特高の警部補・志村恭輔は、課長からの指示により”検閲映画館”なる場所に出向くよう指示を受け、なぜか『新青年』を手渡された。先方に会う前に読んでおけと云われたのは、乱歩の『押絵と旅する男』。浅草に到着した志村は憲兵との諍いを避けるために逃げ出し、香具師たちの一団に救われた。『新青年』を割り符代わりに渡すと、伊沢と名乗る人物が志村を案内して一軒の映画館へとやって来た。一風変わった映画館で見せられたのは「押絵と旅する男」と似て否なる映画。更に伊沢は”乃木坂芸者殺人事件”備忘録なる冊子を志村に渡し、本来の目的地である小菅刑務所に着くまでに、それを読むように云う。奇妙な状況で一人の芸者が殺された事件。奇妙に思いながら、志村は”検閲図書館”黙忌一郎と会う前の準備として、その事件の参考人として囚われている遠藤平吉なる人物に会っておくよう指示を受けていた。その指示はその遠藤平吉にある人物の名前を告げること「相沢三郎中佐」……。昭和十年におきた相沢事件の犯人の名前である……。

やはり壮大。幻想味の勝った様々なエピソードから浮かび上がる、山田探偵小説のなかでの二・二六事件……
『ミステリ・オペラ』にもそういった傾向があったが、通読しての一度目は趣向を理解するまで時間を要する作品という印象。最後まで読み通さなければ「何を描きたかったのか」が判らない。その一方で最後まで読み通すことによって様々な伏線が連なって物語全体のテーマが圧倒的な力を伴って見えてくるという作品だ。
背景にあるのは、まず二・二六事件以前に起きた、その予兆となるさまざまな事件。恐らくは膨大な歴史資料が背景にあるだろうことも想像に難くない。それらについて山田氏が咀嚼しながら、探偵小説として読者の前に提示してゆく。その一方で、芸者が奇妙な状況で殺されたという不可能犯罪も見取り図入りで描かれる。その二重構造もそうだし、刑務所をはじめ各所に飛ぶ場面転換に最初は正直戸惑う。だが、その不可能犯罪と、歴史のなかで起きている様々な奇妙な現象が徐々に重なり合いをみせることによって、歴史自体の見え方が変化するようになっている。最終的に、物語は題名の通り、二・二六事件へと至る。山田氏によって、物語内部には架空の人物、架空の補助線が様々に入れられ、歴史以上の奇妙な事象が次々と発生させられているのだが、主人公・志村恭輔を狂言回しとし、歴史が、物語が双方から描かれて融合してゆく過程に力があり、読者をずるずると(ぐいぐいと、というのと少し違う)作品世界のなかへと引き込むのだ。最終的に、あの二・二六事件、ひいてはその原因となった種々の事件に共通したかもしれない(そして荒唐無稽でもある)ある事象を描いている。 フィクションにしてもノンフィクションにしても、歴史だけを辿ったのでは決して描けない構図。そして、そのためにわざわざ選択されているのが探偵小説という手法なのだ。 
ミステリとしての見地からいうと、不可能犯罪の扱いがさりげなくも面白い。幾つかの証言を変じてゆくことによって、事件の見え方、解決がくるりくるりと反転してゆく様子は、本格ミステリとしての面白みに満ちている。奇妙ではあるが平凡な事件の裏側にある陰謀がまた、明らかになればなるほど別の意味で物語の深みに斬り込んでゆく点など、後で気付かされてぞっとする。

前作における決め台詞「この世には探偵小説でしか語れない真実というものがあるのも、また事実であるのだぜ」が思い出される。この作品の凄いところは突拍子もないある発想がベースとなって、山田氏が探偵小説の手法を用いて昭和史を再現し、そして作品全体を完全な”山田正紀の昭和史”に昇華させている点だ。むろん、これが真実だとは思わない。(普通、思わないわな)。だが、探偵小説の手法を徹底的に利用することによって、その荒唐無稽が物語のなかにおける無二の真実として描きだす。この壮大な構想を実現してしまうのが、やはり山田正紀さんの実力であり、凄さなのだ。


06/01/02
都筑道夫「未来学園 都筑道夫少年小説コレクション5」(本の雑誌社'05)

前期三冊は「本格推理篇」として刊行された後、第四回配本の『妖怪紳士』と共に「SF・ホラー篇」として刊行されたのが本書。内容的には、ホラーよりもSFに強く寄った作品が収録されている。一部、これまでの単行本未収録の作品があるのもこれまで通り。

いまから百年先(ただし発表が一九六五年なので、今から考えると六十年先)、未来の学校生活の物語。大都会の生活は全て機械化され、学生たちは自然と文化の釣り合いの取れた学園都市にて勉強をする。二卵性双生児のマリとクニオは初等教育を終え、この学園都市「未来学園」に寄宿しながら学校生活を始めることになった。そんななか、マリは廊下で身体全体がくしゃくしゃになったような崩れた男の姿を目撃する。彼らはォの一号室で超心理学を勉強する学生のいうマイナス人間ではないかと疑うのだが……。 『未来学園』(「マイナス人間」「光線ナイフ」「顔のある機械」「日曜日のユウレイ」「はにかみ屋の宇宙人」「小犬は小犬」「手紙を書くには」「ゆうれい音響」「オオカミ男の呪い」「獅子のなみだ」「狂った花」「明日は今日のつづき」「不時着1965(豊田有恒との合作)」
ほか、指名手配の凶悪犯を追って宇宙からやって来た宇宙警察連邦スター・パトロール、メルと正義感の強い日本の少年・正夫の活躍を描いた『スター・パトロール』(「とうめい怪獣」「ゆうれい光線」、『宇宙からきた吸血鬼』『くるった時間』『ゆうれい少年』『いたずらゆうれい』『恐怖の銀色めがね』『暗い鏡』『超能力』『ロボットDとぼくの冒険』

都筑道夫と純粋なSFとの相性はちょっと微妙か。理に落ちない作品により深い味わいが
まだ日本SFが黎明期にあった時代に、ジュヴナイルとしてSFをこれだけ書いていた都筑道夫氏の業績を疑うものではない。だが、微妙にその作品の内容は、この少年小説シリーズ内でこれまで読んできた「本格推理」や「伝奇」に比べるとキレが落ちるように感じられる。ベースとなる各作品の背景となるシチュエーションや、スリル重視の展開については違和感がないのだが、どうも それぞれのエピソードにおける「理」の落とし方に無理があるというか、思いつきが先行しているようにみえるのだ。作品それぞれにいわゆるハードSF的な理屈はもちろん存在しないことは当たり前に仕方ないこととして、奇妙なシチュエーション、これが実は「○○」が原因だったのです、というあたり、特に『未来学園』『ロボットDとぼくの冒険』では行き当たりばったりに執筆されているように見えてしまう。
その一方で、短編ながら『宇宙からきた吸血鬼』や『恐怖の銀色めがね』、『暗い鏡』といった、恐怖感のみを煽る作品では、その行き当たりばったり感は無く、寧ろ上質のホラー作品特有の味わいがしっかりと込められている。 それらも一応の理屈はあるのだが、その理屈自体が恐怖という統一感にすんなりマッチしているからだと思う。これらは、抜き出してアンソロジーに採録されてもおかしくないレベルにある。
ただ、特に『未来学園』では、SF的テーマを通じて、都筑道夫氏の子どもたちへのメッセージが伝わってくる点が面白い。彼らを様々な事象にぶつけ、彼ら自身で考えをまとめさせるなかに、都筑氏の科学や未知のものへの考え方のようなものが込められている。あまり押しつけがましくなく、それでいて「なるほど」と(オトナの読者にも)思わせるあたりは、ユニークだといえるだろう。

個人的に「本格推理」寄りの読者ということもあって、若干醒めた目で本書を読んでしまったきらいがある。SFプロパーの読者が本書を読んでどう思うのか、というあたり、どこかで話し合ってみたい(いつ誰と?)。そんな作品集。


06/01/01
吉村達也「南太平洋殺人事件」(角川文庫'00)

再び往年の「早書き達っちゃん」の異名を取り戻すかのような旺盛な執筆ペースに戻りつつある吉村達也氏。本書は、吉村氏のごくごく初期の作品で、四冊目の長編にあたる。'91年に角川文庫で刊行されていたが、2000年になって一部加筆修正が入って「新装版」として同文庫で再刊されたもの。

一九七七年。タヒチ本島からさらに赤道寄りに位置する、珊瑚礁に囲まれたボラボラ島。伊藤編集長と共に取材に来ていた女性編集者・沢田明梨は一人で無人島にて遊泳していたところ、興奮した鮫の集団に出会う。その鮫たちが取り囲んでいたのは人間の死体だった。彼女は悲鳴を上げて助けを呼ぶが……。そして一九八七年。ワールド・リゾート・クラブ八丈島にて、同社の現会長・大谷浩吉により、息子の新社長・誠の就任パーティが開催され、同時に二十八番目のリゾート地建設の発表が行われた。南国タヒチにあるボラボラ島。十年前、彼の地を訪れ、同社の専務だった副島新吾が鮫に襲われ不慮の死を遂げていた。現在は、新吾の息子・副島努が誠の片腕となって常務取締役となっている。そして関係者が再びボラボラ島に集う時、十年前の惨劇が原因となって、更なる惨劇が引き起こされる……。

企業と男女の愛憎がメインのプロットによるミステリーながら、ポイントポイントのトリックが小憎い
現在も吉村作品に登場する烏丸ひろみ刑事が、この段階では似た性格ながら完全に現在とは別個の扱いがなされている点がまず特徴だ(と書くと怒られそうだが)。ただ、ひろみを含む女性陣が無闇とナイスバディが強調され、かつ、ひろみ自身、同僚のフレデリック・ニューマン刑事と非常にお熱い関係として描かれている。このあたり、現在の一連のシリーズを知る読者からすると違和感があるかもしれない。が、それも初期作品ならではの一興。
題名通り、南太平洋の珊瑚礁の島を詳細に描写した内容は、後に続く温泉シリーズなどの原点ともいえる印象。特に紹介しようという意図はないかもしれないながら、なかなかこの舞台となった土地自体が魅力的に表現されているのは元より吉村氏のセンスといえるだろう。また、ミステリとしての構造は、これまたワールド・リゾート・クラブという会社内の内紛と、ちょっとややこしい男女関係を創り上げたうえで犯人を眩ませるようになっているもの。全体的には犯人が不明であること、想像が付きにくいことからくるサスペンスが重要視されているように思われ、あまり本格ミステリを意識した構造とは言い難い。
ただその一方で、個々に凝らされたトリックが面白いのも事実。 不可能犯罪を提示したり、ミスリードのための巧みな伏線があったり、特に上記で触れ切れていない最後の事件における犯人の計画とその意表を突く方法からは、本格ミステリの精神が感じられた。

とはいえ、全体としては場面の派手さ、事件の派手さの割に、この直後より書かれ出す本格ミステリとしても十二分の要素を持った初期作品群と比べると、若干こぢんまりとした印象は拭えない。むしろ、真犯人が抱く、対象への恨みの深さがじわじわと謎解きの過程で染みこんでくるのが印象的。