MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/01/20
伊坂幸太郎「砂漠」(実業之日本社'05)

残念ながら『死神の精度』は直木賞受賞を逃した(既に直木賞だけで候補になるのは四回目なんですよね)ものの、引き続き旬の作家・伊坂幸太郎による書下し長編。単行本はコンスタントに刊行されているが、帯に「一年半ぶりの書き下ろし長編』とあるので、これは実に『アヒルと鴨とコインロッカー』以来?

仙台にある国立大学、春。入学したばかり、同じクラスの学生が八十人ばかり集まって宴会をしていた。岩手出身の僕こと北村は少し醒めた視線で周囲を見渡していたところ、隣に座った鳥井という男に”お前は鳥瞰型なんだろ?”と本質を看破される。その鳥井は横浜出身のノリの軽い男だったが、この席で偶然に中学の同級生・南という女性と再会していた。その南には超能力があるのだといい、目の前で軽くスプーンが曲げられた。一方、場の中心となっていたのは誰がみても美人という女性・東堂。そして遅刻してきた挙げ句にマイクを握りしめ、演説を開始した学生・西嶋。彼らによって、僕の大学生活が劇的になるかもしれない。そんな予感とも期待ともつかない気配を、その時の僕は感じていた。なんてことは、まるでない。――のだが、五月になって僕には友人が鳥井以外にできず、その鳥井から麻雀の誘いを受ける。僕は麻雀なんて知らなかったが、熱心な誘いに根負けして鳥井のマンションに行くと、そこには西嶋と南と東堂も来ていた。東南西北。名字でピックアップされた僕たちは、なぜかそこから互いに関係を深めてゆく――。

伊坂流の微妙に醒めた感覚と、学生の時期特有の熱さとが絶妙のバランスを醸す青春小説
たまたま大学の同じクラスになったという、北村、鳥井、西嶋、南、東堂の五人組――視点こそ、僕こと北村にあるのだが、個性が溢れる五人が織りなす、普段はかなり静かで、時々急激に熱いキャンパスライフを描いた物語。 その五人の関係性、他者を排除して相互にべたべたに依存しすぎるわけでもなく、かといって通り一遍の付き合い以上の深みはあって、というどこか微妙に、現代的な人々が理想として求める関係性を創り上げている。主人公の北村の性格付けもそうだが、微妙に醒めていながらも、時々はめちゃくちゃに熱い……という性格を、彼らの相互関係にも当て嵌めているようだ。本書を多くの人が伊坂作品でも屈指の傑作として挙げる人が多いように思うのだが、彼らのような”チーム”的関係が、丁寧に再現された日常、どこにでもありそうな大学生活と重なることで、物語の本筋以上にどこか郷愁というか、過ぎ去った過去への憧れと後悔が混ざったような気分を読者に抱かせる力があるからではないか――などと漠然と考える。理想論を滔滔と語り、周囲を巻き込んでいく西嶋のキャラをはじめ、五人が五人、別々の個性が割り振られている。彼らのなかに入らない莞爾あたりまで含めて、読者が自分自身の”当時”を、ついついその誰かに当て嵌めてしまう、といった感情移入しやすくなるような仕掛けもあるし。
とまあ、春夏秋冬、それぞれが章題に記され、四つの大きな物語によって作品は構成されている。いつもの伊坂流の仕掛けがあるのだが、それはサプライズを求めるものではなく、恐らくは”納得を引き出す”ために存在しているように思う。つまり、単にミステリとしての驚きを読者に仕掛けるという意味ではなく、作品、そして主人公たちの成長であるとか関係性の深さの急進性であるとかの”理由”として必要だったのではないかということだ。また、その結果、語られない行間(期間)に思いを馳せさせるような効果もあるようにも感じられる。
もちろん、個々の登場人物の性格に合わせて発せられる気の利いた台詞、そしてもちろん、お気楽な日常と、彼らが関わる深刻なエピソードの破壊力も高い。大学の外の砂漠、本書でいうと強盗団、嘘つき、そしてプレジデント・マンの事件と関わることで、オアシス(大学内)と砂漠(それ以外の世界)の境界線を否応なしに超えてゆく若者たち。 その砂漠がもたらす彼らへのしっぺ返しもまたかなり強烈で、生々しい。それでも、青春小説の定石を伊坂流の物語で語ってゆく快感はなんとも比喩しがたい良さがある。若さゆえの痛さを痛快な気分に変えてゆくのは手腕は作者のマジック。特に西嶋が語る青臭い政治論も若さゆえの正義感に置き換えることで臭みを消したり、彼らの単純な正義感に基づくような行動もまた、この物語のなかだと浅慮というよりも直情にみせてしまうあたり、実に巧いのだ。

個人的には、ひりつくような羨望感は本書を読んでも感じなかった。(何故だろう? と考えてみるとゼミにしろサークルにしろ学生時代の仲間に恵まれていたからではないかと思うのだが)。だが、小説としての巧さはまたそれとは別。青春小説には人に薦めにくい作品もたまにあるのだが、本書は実に普遍的に多くの読者に訴えられる何かを内包した作品だと思う。


06/01/19
多島斗志之「海賊モア船長の憂鬱」(集英社'05)

前作『海賊モア船長の遍歴』の舞台から数年、海賊船『アドヴェンチャー・ギャレー』が再び我々のもとに帰ってきた。先の作品は『小説中公』に連載、同誌の休刊後に後半部を書き下ろしにて発表されていたが、本書収録作品は発表の舞台を『小説すばる』に移し、2004年1月号から2005年8月号にかけて掲載された作品がまとめられたものだ。

十八世紀のはじめ。イギリス本国の東インド会社の職員であるマイケル・クレイはインド洋に面した港町、マドラスへと船旅をしていた。マドラス駐在の上席商務員・フィリップスが帰国する際に託された、会社の決済金として用意された巨大なダイヤモンド〈マドラスの星〉と共に失踪した事件を調べるのが彼の任務。旧知の現地商務官より情報を仕入れたクレイは、その噂の一つとして、近頃名を挙げている海賊・モア船長の一味がフィリップスを拉致したのではないかというものがあることを知る。マドラスの現地商館の責任者・ピット長官はとかく噂のある人物で、かつて捉えたモア船長の逃亡を見逃したともいわれている。現地でいろいろと調べて回るうちに、イギリスとの同盟国ながら大洋の権益を争うオランダ人からこっそり手を組みたいとの申し出が。さらにイギリス海軍との接触を図ったクレイは、その途上でモア船長の一味に拉致され、数週間かけて彼らの隠れている小島に連れてこられて対面を果たした。その紳士的な対応に戸惑うクレイ。一方のモア船長は、大工や会計といった仲間が、オランダ軍に捉えられてしまうという失態を犯しており、また船の痛みが激しいという幾つもの災厄に見舞われていた。

これぞスリル、これぞ快感。壮大な罠のさらに裏をかく海賊モア船長の雄大かつ緻密な奇策と戦略に酔え!
物語の視点が、どちらかというとモア船長のサイドから、東インド会社職員のクレイに移されており、中盤にかけては海賊による冒険というよりも、十八世紀当時の、裏切りあり、抜け駆けありの生き馬の目を抜くような生々しい利権争いの方がピックアップされている。このあたりの腹の探り合いは、先の作品から引き続いて読む分にはちょっと戸惑いが生じるのも事実。だが、中盤から後半にかけての展開は「やっぱりモア船長はこうでなくっちゃ!」という冒険譚にしっかりと軸足を移しており、読者はおろか、モア船長以外の乗組員にも隠されていた秘策が次々と的中していくさまは、実に格好良く、そしてどきどきとさせられる。そして何よりも、その、もたもたしているように(少なくとも海賊の戦いではない)見える前半にちりばめられた細かなエピソードが、後半の盛り上がりに向けて大いに役立っている点、実に周到に物語全体が構成されている。
また、苦労を共にしてきた仲間を、難攻不落の牢屋から救い出す手口など、これまではどちらかといえば海戦で発揮されてきたモア船長の知略が、段々とスケールアップしてきている点も見逃せない。大ピンチから大逆転に繋がるオランダ海軍戦には大興奮させられること間違いない。特に今回、各国や高官たち、そして軍の思惑が微妙に異なっており、敵役といえど様々な個性がぶつかり合っている点が面白く、また終盤に最新鋭の軍艦とモア船長たちとの戦いは、まさに手に汗握るという言葉が相応しい。

冷静に読み始めたつもりが、やはり大興奮の中盤から終盤へ。海洋冒険小説としての面白さに加え、シミュレーションRPGめいたゲーム的要素も種々取り入れられているように思う。前作で明かされた各個人のプロフィールの秘密は、本作でも解説されており、必ずしも前作から続けて読む必要はないが、やはり思い入れからいくと『遍歴』から読み出すにこしたことはないものと思われる。前も書きましたが、冒険小説ファンには必読ですよ、このシリーズは間違いなく。


06/01/18
永嶋恵美「一週間のしごと」(東京創元社ミステリ・フロンティア'05)

東京創元社のミステリ・フロンティアのシリーズも順調に作品を重ね、本書が通算二十冊目。(背表紙に小さく数字があることお気づきでしょうか?) 本書の作者、永嶋恵美さんは2000年に『せん−さく』にてデビュー、第三長編『転落』が、2004年度の〈ミステリ・チャンネル〉にてベスト10入りするなど、次第に注目を集めるようになっている作家。

中高一貫の高校に特待生枠で入学した開沢恭平。経済的にはあまり恵まれず、学校の勉強ができるということが唯一の取り柄である恭平にとって、たとえ学校でお客さま扱いされたとしても、この生活は手放せないものだった。今日もクラスで唯一の男子外部生である碓井忍とのんびり学園生活を楽しんでいた――のだが。訳あって姉弟で二人暮らしをしている隣家の青柳菜加から厄介事が持ち込まれたのだ。犬や猫、果てはアルマジロまで、処理に困るものばかり拾う”拾い癖”のある菜加が、今回拾ってきたのは、渋谷の雑踏のなか母親から凄まじい剣幕で怒られた挙げ句に放り出された幼児だった。その子ども、名前を名乗らず、愛想が悪いが菜加は全く気にしない。一度、家に連れて帰ったものの、親が帰宅しないことに業を煮やして再び自宅に連れて帰ってきてしまったのだ。しかし、その母親らしき人物が自宅で集団自殺を図ったというニュースにより、彼らはパニックに。菜加と弟の克巳、そして恭平は「警察大嫌い」主義の菜加に振り回され、僅かな手掛かりからその子どもを身内のところに送り届けようとするのだが……。

シチュエーション・コメディだったはずが、深刻なサスペンスに変容していく不思議な青春ミステリ
何でも拾ってくる自己中心的わがまま女子高生が、自分の弟と幼馴染みを巻き込んでトラブルを増幅させていく……というのが序盤の展開。彼女に加えてオタクの弟である克巳、本来は優等生ながらこの隣人たちには頭の上がらない巻き込まれ型の主人公・恭平と三人の中高生たちが、一人の幼児を巡っておろおろする。その子どもの母親が自殺したらしい……という序盤はショッキングといえば、ショッキングではあるが、本書の中盤以降のサスペンスの強烈さに比べると、まだまだ序章に過ぎない。(……ことが後で判るのだが、それはそれでやはり衝撃だ)。
事情を抱えた子どもを抱えて右往左往、学校にはマジメに通わなければならない恭平が、電話で指図しながら菜加を、子どもの祖父宅に行かせるところなど、シチュエーションコメディの体にみえる。だが、結局このあたりは、登場人物の性格をそれぞれ演出しながら、さりげない伏線となっている場面なのだ。すっかり作者に騙された。
ミステリとして感心したのは、ある人物の扱い方が実に見事に処理されている点。ただ、どうもこの点を書き出すと真相に触れてしまいそうなので省略。なのでほかにいくつか感心した点について書く。
一つは、現代中学生・高校生の生態描写の見事さ。 現代の実際のところがそうなのか、小生のようなおっさんには検証のしようがないのだが、会話の一つ一つ、生活態度や学校のルールにしても、「ああ、今はこんな風なのだろうな」という風に、風俗的に見事にリアルに活写できているのだ。これにも関連するが、携帯電話の扱い方・描き方が近年読んだミステリのなかでも随一といって良い程に巧みな点も気に入った。単なる電話としてだけでなく、もはや若者にとり命綱と化しているともいえるこの機器について、各種機能だけでなく、人々との距離感、物語における流れのなか重要性なども含めて文句の付けようのないくらい巧い。エピソードとまではいわないが、小さなサプライズにも、ミスリードにもケータイが関係している。ここまで自然に、かつ深くこの小さな機器をミステリに絡めた作品は、ちょっと他に思いつかない。
また、単に学生が主人公であるという以上に、その貫かれた精神が青春小説でありながら、恋愛感情抜きというストイックな作風も少し興味深いところ。この、ちょっとドライな演出が、作品の雰囲気とよくマッチしている。
そして中盤から終盤にかけてのサスペンスがやはり強烈にして巧み。当初のどきどき感は、いつの間にか、はらはら感へと移行。途中からはページを捲る手が止められなくなってしまう。

若者言葉とかがダメ、という人にはお勧めできないが、現代を舞台にした青春ミステリ&サスペンスとして秀逸といっていい出来だろう。フロンティアに登場しなければ、永嶋恵美さんはノーマークのままだったと思うと、よくぞここに出てきてくれたという気持ちになった。


06/01/17
ミステリー文学資料館(編著)「剣が謎を斬る 時代ミステリー傑作選」(光文社文庫'05)

先に刊行された「幻の探偵雑誌」「蘇る推理雑誌」のシリーズに続いて刊行されるのが、本書をはじめとする「名作で読む推理小説史」。この『剣が謎を斬る』は、その名の通り時代ミステリーを中心に編まれたものだが、いわゆる「捕物帖」にあたる作品からは選ばれていないのが逆に珍しいだろう。現在のところ続編として『恋は罪つくり 恋愛ミステリー傑作選』と『ペン先の殺意 文芸ミステリー傑作選』が刊行されている。

一度は捕らえられた鼠小僧次郎吉は、不思議な術を会得しており、追っ手を簡単に撒けるようになっていた。 岡田鯱彦『変身術』
町奉行所の新参、律之助は殺人の容疑を受けているお律の様子に不審を覚え再捜査に乗り出すが……。 山本周五郎『しじみ河岸』
大いびきかきの仙太が入牢することになった。牢の唯一の楽しみである眠りを妨げると殺されるかもと仙太は恐れる。 松本清張『いびき』
気高い性格で知られる花魁薫の元に、彼女に振られた越中守の絵師が訪れ、枕絵を書かせて欲しいと頼み込む。 山田風太郎『怪異投込寺』
ささら者出身の願人坊主・浄慶。彼は時流に乗り、戦国の世で着実に地歩を固め遂に岡崎の実権を握るに至り……。 南條範夫『願人坊主家康』
鶴岡八幡宮にて源実朝の死を偲ぶ僧と遊女。彼らは実朝暗殺の際、御家人・三浦氏が関係していたと語り合う。 多岐川恭『雪の下 ―源実朝―』
新撰組に入隊した前髪の美少年・惣三郎。彼は同期の加納と衆道で結ばれたらしいが、彼の周囲で事件が勃発する。 司馬遼太郎『前髪の惣三郎』
轟屋番頭の貞吉が失踪した。その頃、轟屋の紅花取引に不正があるのではと若き勘定奉行が疑問を抱いていた。 永井路子『からくり紅花』
父親の仇討ちのために江戸に出た半五郎。仇の十兵衛を代わりに討ってもらおうと浪人に依頼したのだが……。 池波正太郎『だれも知らない』
カトリックを日本に広めに来た神父が人々の前で奇蹟を起こす。しかし一人の日本人がそのぺてんを暴いた。 新羽精之『天童奇蹟』
臆病のため火消しになれなかった文次。彼は奉公先の親父から臆病が治る不思議な頭巾を手に入れた。 宮部みゆき『だるま猫』 以上十一編。

歴史小説のみならず一般文芸でも親玉格の作家が繰り出す、タイプの異なるミステリー群を一気に楽しむ
ある程度の怪異を作品のなかに当たり前に取り入れることで、ブラック含め独特のユーモアを醸し出しているもの。不器用な人間を丁寧に描くことによって、江戸の暮らしの厳しさと生きてゆくことの悲しみを紡ぐもの、歴史の定説を小説のかたちで覆さんと試みたもの――と、一口に捕物帖ではない時代ミステリーといっても様々な種類があり、それらが適切なセレクトでバランスよく集められたのが本作だ。現代物ミステリーは、その大半が時代の経過と共に風化してゆく一方で、最初から「時代」が舞台となったこういった作品は息が長く、三十年前だろうが現在だろうが、恐らくは三十年後であろうが、その主題が色褪せてこないのがやはり最大の特徴になるだろう。この作品集に収録された作品の発表年代も、実は、一九五〇〜六〇年代のものがほとんどであることもその傍証になるか。(おかげで執筆陣のほとんどが物故者ではないですか)。
とはいっても、古かろうがなんだろうが、良いものは良い。 個人的にはほとんどの作品が初読だが、それでもそれぞれ作者独特の姿勢や、主題への取り組み方が様々で、非常に楽しく読むことができた。この作品集に限っていえば、人情+悲劇の要素の強い『しじみ河岸』、そして『からくり紅花』といったところが強い印象に残った。誰かが行う正義のおかげで、弱者が哀しい目に遭う……というのは、理屈で分かっていても、読んでいて辛く、その辛さが記憶へと繋がるからか。
ユーモアものでは、やはり『いびき』が秀逸だし、ミステリーとしての構造のうえでは『前髪の惣三郎』の不思議な情念をベースにした中身に惹かれた。とはいっても、『いびき』が清張で『惣三郎』は司馬遼太郎の作品というあたり、本来的な作者の特徴と微妙に外れている気がする。むしろ、作者が遊び心で書いた作品に魅力を覚えているのかもしれない。

時代小説ファンであれば、普段からこういった歴史作家の作品を当たり前のように読んでおられるのであろうが、主戦場がミステリだとなかなか手が出にくいところ。こういったアンソロジーで読むと、各作家が名前だけでなくやはりその才能と能力で大物となっていったのだな……と当たり前のことを感じたりするわけで。有名どころをあまり読まない自分としては、良い機会となりました。


06/01/16
太田忠司「予告探偵 ――西郷家の謎」(C★NOVELS'05)

太田忠司氏のノンシリーズミステリ長編。書き下ろし。白黒を基調とした装幀がなかなか格好良く、映画監督の金子修介氏が帯にて推薦の辞を寄せている。

一九五〇年。戦禍の記憶が人々の頭に残っている時代。鬱蒼とする森の中に建つ屋敷はその所有者の名前を取って西郷亭と名付けられていたが、屋敷を知る一部の人々はその周辺に生い茂る木々の名を取り「ユーカリ亭」と呼んでいた。西郷家にはかつて芸術家姉妹がいたが、不慮の事故で死亡。その作品は全て西郷家に集められ、門外不出となっている。十二月。西郷亭の現在の主人・西郷瑛二の元に一通の手紙が届けられる。「十二月四日十二時、罪ある者は心せよ。全ての事件の謎は我が解く。摩神尊」 確かにその日、西郷一族にとっては重要なイベントが待ち構えているのであった。一方、文章家の私こと木塚のもとを”友人”が訪れる。彼は幾つもの名前と職業を持つが、その探偵の時の名前が摩神尊という。摩神は木塚を引っ張り出し、強引に西郷亭を訪れる。彼らは当然招かれざる客であったが、傲岸な態度で摩神は一族の一人、倖也の信頼を勝ち取り、屋敷に滞在する。西郷家には涼馬、倖也の兄弟の他、花鈴という娘がおり、三名の候補者から結婚相手が指名されることになっていたのだ。そして、その指名の直後から殺人事件が発生する。

大時代的探偵小説に込められた強烈な一点ものトリック。この驚愕を貴方は許せるか、それとも?
まず最初に述べておかなければならないと思うのだが、本書には賛否両論噴出しそうな大掛かりなトリックが込められている。どこまで明かして良いものか難しいが、トリックそのものというよりも、その補助線にあたる部分に大いなる仕掛けがあるのだ。豪壮な屋敷で発生する、一族の難しい関係性のなかから発生する惨劇。冒頭には登場人物一覧に、屋敷の見取り図。そういった古式ゆかしき本格ミステリの手法に則った作品である点が、まずその目眩ましに一役買っている。
そして、その手法に従ってか、一族の紹介が終了してすぐに密室殺人や不可能犯罪が発生する。ちょっと性格的に変わってはいるが名探偵もいることだし、「果たしてどんな解決になるのだろう?」と、この段階では普通のミステリのわくわく感を覚えることだろう。だが、その真相――については、普通のミステリにおける秩序では予見できないところの手掛かりを引っ張ってこなければ、ちょっと解決は難しい。
まあ、読了した方には「壁」という人もいるだろうが、小生はこのネタ、十分に興味深かった。文章中に感じられた違和感(例えば、作品の時期と放射性廃棄物という取り合わせであるとか)、そして繰り返し語られる語り手である木塚が述べる、創作に関するある考え方、ちょっとした名詞の使い方など、実は真相を明かされてから振り返ると、その文章のなかにて周到な伏線となって埋め込まれていたことに気付かされる。とはいえ、やはりトリックとしては突飛であり、その結果、この作品自体が繰り返しの効かない創作物となっている点も否めない。でもやはり、どこか憎めないというか、作者の遊び心(実験心?)に、共感を覚えてしまう。 こういう作品があってもいいじゃない。

読了して改めて思ったのはさすが『帰郷』の作者である――ということ。太田忠司さんは、いつの間にか主戦場が本格ミステリだと思われている作家ではあるのだが、こういった系統の作品を書かせても巧みだということだ。いわゆるフツーのミステリファンには勧めにくいけれど、本格ミステリにおける新規の一点ものトリックとして絶対に記憶に残る作品であることは間違いない。


06/01/15
真梨幸子「孤虫症」(講談社'05)

第32回メフィスト賞受賞作品。作者は同年に『えんじ色心中』という作品を二冊目として刊行している。

都心から私鉄で四十五分ほどのところにある多岐森市。そのT市のシンボルタワーともいえるのが駅から十分ほどのところに建設されたマンション『スカイヘブン多岐森』だ。私こと長谷部麻美は三十六歳の主婦。夫は名門のK電機勤務で、小学校六年生の娘がいる。夫は順調に昇進し、周囲からみれば何一つ不自由のない暮らしの筈だった。しかし、私は妹がかつて住んでいた古いアパートの家賃を引き続きパート給与から捻出、週に三日、ネットを通じて知り合った別々の若い男たちとセックスを楽しんでいた。しかしその夏、体調不良を抱えて私はいらいらしていた。『毛ジラミ』。彼らのうち誰かからうつされたらしい。その相手と思われるタクヤに別れを宣言したが、そのタクヤが原因不明の奇病で死んでしまった。アパートを引き払った私だが、関係した男性が立て続けに謎の死を遂げてゆく事態が発生。平和で面倒見の良いマンションの住人やパート仲間が強い好奇心をもって微妙に関係を詰めてくるなか、小学生の娘が塾の合宿先で急死、さらに麻美自身が謎の失踪を遂げたことで、妹と夫がその背景を探ろうとするが……。

集団生活の悪意や乱れた性生活などに現実味があるものの、エンタメとしての構成には……?
一世を風靡した『メフィスト賞』という存在。その性格が変化して、いわゆる本格ミステリ指向も無くなり、一般エンターテインメント文芸全般の新人発掘というニュアンスに変じてきていることは噂では聞いていた。が、本作あたりを読むと、その意味合いがじんわりと響いてくる。満たされているのに退屈している主婦による危険な火遊び。女性作家によって繰り返し描かれる濃厚な性交の描写は、イメージとして知るレディスコミックの世界に近いように思われる。
さらにその感覚を増幅させているのは、主題への焦点のぼやけ方にあるように感じた。受け取り方によっては、読者のツボのいずれかに嵌る……ということになるのかもしれないのだが、例えば、明らかに性交によって連鎖する謎の奇病に対するパニック・ホラーにも成り得ていないし、高級マンションの内部で繰り広げられる笑顔の下に隠された意外な悪意というサスペンスにしては、中盤にかけての伏線の張り方が甘く、終盤に唐突なかたちで現れることによる戸惑いの方が大きい。姉妹の乱れた性生活を描くという意味でならばそれなりに成功しているのかもしれないが、それだけで興味を引けるのはごく一部の読者なのではないかと推察する。少なくとも小生にとっては、団地妻のよろめきだけでは後味が悪いだけで何ともプラスの感想は抱けないのだ。結果、話があちこちに飛んでしまい、作者として一番描き出したかった部分がぼやけてしまっているように思われた。
題名が「孤虫症」である以上、その部分が主目的――とするならば、中途半端な手記による入れ子構造によるトリックの部分は本来の興を削ぐ役割となってしまっている。つまり、本来その未知なるものからくる恐怖感以外に読者の意識が逸らされてしまうのだ。ああもう、作者はこの作品で、いったい何を描きたかったのだろう?

――ということでミステリとしてはやはり致命的に伏線が弱いため、評価しづらい作品。エンターテインメントとしても、果たしてどの部分に注目すべきなのか、少なくとも小生には分からなかった。筆力そのものはあるようなのだが、メフィスト賞の潮目を変化させるために無理矢理刊行したのでは――などと、いらぬ憶測をしたくなる。


06/01/14
鳥飼否宇「逆説探偵 13人の申し分なき重罪人」(双葉社'05)

'01年に第21回横溝正史ミステリ大賞優秀賞を受賞した『中空』以来、異色のミステリの発表を続けている。本書もやはり異色という意味では異色で、『小説推理』誌に二〇〇四年五月号から二〇〇五年四月号にかけて発表された十二の短編に、書き下ろし一作加わえられた作品集。

何かと黒い噂のあった刑事が、公園で死体となって発見された。暴力団抗争に巻き込まれたものと思われたが……。 『獅子身中の脅迫者』
保険会社の避難訓練の最中、本当に火事が発生した。火気のない筈のビルの内部では何があったのか……? 『火中の栗と脅迫者』
天才芸術家が何者かに殴られて死亡した。彼は「ペテンなんかじゃない」と謎の言葉を言い残していたが……。 『堕天使はペテン師』
綾鹿市独自で開催する野球大会のさなか、ゲストの宝飾品が紛失した。しかしその部屋にいたのはVIPばかり。 『張子の虎で窃盗犯』
ストーカー被害を出してきたエリートサラリーマンの妻が殺害された。夫の周辺にいる女性が疑われたが……。 『ひとりよがりにストーカー』
綾鹿教会の神父が殺害された。しかも死体は祭壇の脇でキリストの磔刑を模したような状態で発見されたのだ……。 『敬虔すぎた狂信者』
現役刑事の娘が誘拐された。かつて逮捕した犯人による逆恨みだと思われたが、身代金はしっかり奪われてしまう。 『その場しのぎが誘拐犯』
ペンダントやクレジットカードがスリの被害に。しかもそのスリは杉卓郎と名乗り、犯行声明を残していくのだ。 『目立ちたがりのスリ師』
綾鹿署管内で連続暴行事件が発生。女性宅に「おれおれ」で上がり込む手口は果たして誰が考えたのか……? 『予見されし暴行魔』
薬物密輸に関連すると思われた船員が死体となって発見された。その死体は奇妙な状態になっていて……。 『犬も歩けば密輸犯』
ホームレスのひとことから爆破テロリストを逮捕した五龍神田。無差別テロが予感され捜査が行われるが……。 『虫が好かないテロリスト』
ホームレスのたっちゃんが死んだ……。しかも殺人事件だ。果たしてホームレス社会で何があったのか? 『猫も杓子も殺人鬼』
(あらすじはネタバレになるので書きません) 『申し分なき愉快犯』 以上十三編。

ミステリにおけるパターンの妙味だけでなく、そのずらしっぷり、真相の吹き飛びっぷりが実に独特
西野中央公園に済むホームレスのボス格・田中辰也、通称たっちゃん。そして最近そこに住み着いた十(つなし)徳次郎、通称じっとくが、綾鹿署の刑事・五龍神田に捜査のちょっとしたひとこと(例えば「獅子身中の虫」など)を伝え、その言葉を働かせて五龍神田は独自の推理が働かせて、勢い込んで発表。だが、真相は別にあり、後で思い返すとそのじっとくの言葉が実に的確に真相を貫いていたことを知る――というのが基本的なパターン。推理における裏切りの妙味、そして面白みはまずこの部分が中心となっている。しかも、だいたい上記を読んでもらえれば分かる通り、その取り上げられる犯罪のパターンが、窃盗から殺人事件に至るまで、みごとにバラバラなのだ。(殺人事件は複数の作品で使用されているが、その背景となる犯罪がまたそれぞれ異なっている)。まずは、作者の幅広いテーマの取り上げ方に拍手。よくぞここまでやったもの。
ただ、本格としてはさすがにトリックが毎作品に仕掛けられているとはいえず、その題名からも類推される通り、論理によって導かれる真相がどうか、というのが主眼。 犯人の心理や現場の状況から醸し出されるもっとも適した論理が真相かと思いきや、意外な別論理によって犯人が明らかにされるというあたり、題名通り「逆説」がひとつ魅力となっている。(ただ、じっとくのアドバイスについては、なぜ彼がその真相に辿り着けるのか疑問の余地があるような)。そして、その「じっとく」の正体まで含めて、全編を通じての謎がきっちりそれまでの短編のなかに含まれており、終盤に物語全体の謎が明かされるという連作短編集ならではの楽しみもある。
ただ、全般的にミステリとして素直ではなく、脱力系の解決も多々見られる。 それはそれでフツーの本格ミステリからも逸脱した本作の魅力を、それこそ逆説的に醸し出しているといえるだろう。

十三もの短編が含まれ、中身が濃いのでじっくりミステリを楽しみたい人向け――なのだが、ちょっとフツーのミステリではないのでそういった作品を許容できる人向けか。(そういう意味ではマニア向け?) 少なくとも本書を読むと、近年着実に鳥飼否宇が「奇妙なミステリ」の書き手として認知されつつあることが実感できる。


06/01/13
岩井志麻子「瞽女の啼く家」(集英社'05)

近年の身近な話題をベースにした作品とは別に、やはり岩井志麻子の真骨頂といえるのは本書のような明治期の岡山を舞台にした作品なのではないか。『小説すばる』誌の2004年7月号、及び2004年10月号〜2005年3月号まで掲載された作品の単行本化。

明治時代の岡山。和気藤村という村落にある広大な屋敷は盲目の女たちだけが暮らす瞽女屋敷として近隣でも有名だった。そもそも、この屋敷の主たる瞽女頭が、庄屋の娘という恵まれた立場で生まれたことで、その設備はきちんと整えられてそこに住まう女性たちはその境遇のなかでも比較的平穏に暮らしていた。お芳は、その瞽女たちのなかでも最も目立たない女。生まれた時から盲いていたといわれ、二十五歳になる今でも別嬪でもなく、三味線や歌の腕が良い訳でもなかった。だけど彼女には見た経験のある筈のない風景が瞼の裏に浮かぶことがままあった。禁忌とされている牛が鉄の鍋で煮られている。一方、そのお芳の相棒として組んでいるのはイク。巨体と醜い風貌を持ちながら凄まじいうぬぼれを持っている自信家。悋気が強く、機嫌の善し悪しのひどい彼女は、それでも按摩の腕は一流で一目が置かれていた。そして、すわ子。彼女は気高く美しく、瞽女屋敷の頭として相応しい資質を備えていた。しかし彼女には、いつからかひどく恐ろしい女の幻が見えるようになっていた。牛の頭をした女。牛女。それは「件」という、怪談に出る化け物のだといわれるのだが、牛も牛女も見たことのないすわ子になぜそれが見えるのか。

三人の女性、それぞれの視点で禁忌の世界を罪深く、抉るように描き出す。この迫力こそシマコさま
立て続けに岩井志麻子自伝的作品を読んだ時は、一瞬「もういいや」とも思いかけたが、デビュー作『ぼっけえ、きょうてえ』より連なる、この明治〜昭和初期の貧しい岡山を舞台にした一連の作品における強烈な幻想味を打ち出す作品群については、別格なる迫力があり、やはり止められない。
三人のタイプの異なる女性によって編み出される、三人別々の視点(とはいっても、三人が三人とも盲いている以上、それは内なる感覚というべきもの)が、交叉することによって物語の背景にある何かが読者の前に鮮やかに映し出される作品。そして、その「何か」が醸し出す恐怖は、その幻想的な構成によって(特に終盤の盛り上がりについては)途轍もなく深い。いわゆる「理」に落ちない作品であり、そういった部分について論理的な説明はなされない。だが、これら一連の描写の結果、人間の業、悪意といったもので目の前が真っ暗になる。 やはり――こういったどろどろとした関係や、登場人物にとって容赦のない物語を描かせると、岩井志麻子さんは実に巧みであるという点、際立つ。
あと、この系列の物語だから発せられる色気は、普通に描かれる性交以上にエロティック。 平凡で目立たないお芳、リーダー格で美しいが過去に強烈な体験をしてきているすわ子、そして自惚れ屋で傍若無人なイク。それぞれが別個の色気を醸しており、それが実にねっとりと厭らしい(褒め言葉)。肉体の不幸が精神の不幸を意味しないことはもちろんだが、彼女らに平気で、そして当然のように普通の人間には耐えられないような業を背負わせてしまう。その不幸がまた、そのエロティシズムに不気味な香気を添えている。

人ならぬ存在に取り憑かれた女性たちの内面まで入り込み、その怪異もろとも一個の不幸な物語としてしまう。少し考えたが、近年の自伝的作品は自堕落だけれども、それなりに彼女なりの価値観における幸が描かれている点が、こういった完全なフィクションの物語群との最大の差異のように感じられる。表面上の語り口は似ていても、その落差は作者の意図以上に大きな隔たりがあるということから、作品の印象が大きく変わっているのかもしれない。


06/01/12
皆川博子「蝶」(文藝春秋'05)

八編からなる短編集。初出は1999年10月号より2005年10月号にかけて全て『オール讀物』誌に掲載された作品から成る。……しかし、同一雑誌に掲載された作品だけでこれだけ粒が揃うということは、まるで奇跡のようでいて、一方で皆川博子さんになら可能だとも思うわけで。

祖母の家に遊びに来ることが唯一の楽しみだった幼いわたし。だけど祖母の家の二階には、足の悪いわたしは登ることが禁じられていた。 『空の色さえ』
大戦中、南方で地獄を見てきた男は復員して儲けた金で北の辺鄙な地にて家を購う。彼は敵軍から奪った銃を大切に手入れして持ち続けていた。 『蝶』
桟橋で時間を過ごす少女に、その青年は自ら作成したという詩集を手渡した。しのぶは戦争で親を亡くした孤児で人々の情けによって生きていた。 『艀』
冬美と宮子と祥子とわたしは小学校の仲良し四人組ということになっていた。だが、わたしは祥子の従姉妹だという女性の家に入り浸るようになる。『想ひ出すなよ』
いつも眼帯をし、大学に通う叔父。彼は叔父の持つ美術全集のうち楽園追放の絵に恐怖を覚えていた。叔父は勤め人となり婚約者ができた。 『妙に清らの』
子どもの頃のある夏、わたしは小さな弟とねえやと共に海辺に家を借りていた。わたしは大家一家の勝男という男の子と知り合い、日々を過ごしていた。 『龍騎兵(ドラゴネール)は近づけり』
礼儀見習いのために十五で奉公に出たわたしは、すぐに奥様のお気に入りとなった。戦争が始まり周辺には混乱が出ていたが二人は甘美な時を過ごしていた。 『幻燈』
親戚宅に居候しながら学校に通い、家仕事を手伝う涼太。彼の家には、主人である伯父の恩人の孫・秋穂が滞在していた。彼女は上海で迫害を受け帰国していた。 『遺し文』 以上八編。

日本の詞の持つ”力”を言葉以上に引き出して。身と心が捩れるような切なさが残った。
ひとの存在は切なく、そして哀しい――。 短編集であるので一つの物語が何か一つの想いを残す……ということはなく、この作品集全体を通読して率直に感じたことだ。相変わらず日本語で綴られた至高の宝玉というべき八つの作品。もう今さら文章の妙や言葉の美しさを褒め称えることはすまい。もはや才能を超えて魔術めいた文章については、一度でもその作品を読んだ方ならば既にご存じのことだろうから。
それらを通じてこの作品集には、何か訴えてくるものがあった。各作品、登場人物も時代背景も設定も違えていながらも二つのテーマを持っているように感じられる。その一つは、旧き良き日本語で綴られた詞、そしてもう一つは人間が根元的に持つ疎外感の強調である。さらに短編集発行に伴う作品選択の背景が判らないながら、そういった統一テーマにて揃えられつつも、各作品が相変わらずも超ハイレベル(ああ、我ながら情けないほど平凡な表現だ)な作品が並ぶ好短編集となっている点は当たり前だが素晴らしい。
さて、その最初の方、”詞”だが、作品ごとに作者の創作ではなく古今の詩人や作家が創りだした言葉が必ず引用されている。作品の行間にあったり、登場人物の歌う唄の歌詞や、作った詩として登場したりとその扱われ方は様々。時に海外作品の翻訳であったりもする。これがまず凄い。引用の場合は、皆川さんがセレクトしたというだけのことかもしれないが、改めてこの世界の持つ言葉による破壊力をひしひしと感じさせられる。上っ面を撫でるだけであれば単に古くさい文章としか認識されないだろうが、日本語というのはかくも豊かな表現が可能であるという事実を、少なくとも私は思い知らされた。一行しかないのに鮮やかな光景が瞼に浮かび、その躍動や哀しみが行間を通じてじんわりと染みいってくる。普段から読み付けていないこともあり、自分が詩という表現形態の良き理解者であるとは到底考えていないが、だからこそ余計に打ちのめされたのかもしれないが。
もう一つ、物語から発せられる疎外感。幼いうちから「世の中の人は自分とは異なる」という認識がありながら、世の中を変えられる程の力がなく、強大な他者や外の世界に打ちのめされる弱気人々。それは時に子供であり、女性であり、男性でも病弱であったり。物言わぬ彼らの叫びや苦しみが、随所に織り込まれてもう一つの主題を為している。 皆川さん自身、多くの作品で描き、作者自身の幼少時分の反映ともいわれている主題なのだが、各作品にて様々な角度からその様子が描かれていて、その一つ一つが実に切ない。また、その処理が幻想的であったり、刹那的であったり、退廃的であったりと一様ではなく、それでも読み終わるとそれぞれの切なさでもって胸が締め付けられるような気分になる。皆川博子さんの作品が麻薬のような魅力を持つ所以であろうか。

皆川博子さんのファンであれば購入されるだろうし、そうでない方の入門としては……もしかすると強烈に過ぎるかもしれない。でも、多くの人に読んで頂きたいという、ああ困った。本当に本当の正直なところでいえば、自分だけの宝物でも良いの だけれど。


06/01/11
五十嵐貴久「TVJ」(文藝春秋'05)

'01年に第2回ホラーサスペンス大賞を『リカ』にて受賞後、立て続けにタイプの異なるエンターテインメント作品を生みだしてきた五十嵐氏。本書は二作目の『交渉人』にもどこか似たクライム・アクション作品。

お台場に建設された民放キー局・テレビジャパンの新社屋。二十五階建てで並び立つビル二つのうち、ゴールドタワー全体がテレビジャパンにて占められている。見学者を見越して設計されたそのビルには飲食店や販売店が軒を連ね、テレビ局の機能も全て詰まっていた。そしてそのビル全体を管理するのが”ブレイン”と呼ばれる集中管理コンピュータ施設。これらによって使用する電気量も最適化されるというインテリジェントビル。局の移転を記念し、四日連続七十二時間の連続番組の放映を間近に控えたテレビジャパン社屋に、密かに”少佐”と呼ばれる人物に率いられた謎の武装集団が入り込んでいた。何でもありというテレビ局の特性を利用した彼らは、あっという間にスタジオや社員たちを制圧し、局を占拠。十階、二十階にある防火壁を下ろして人質を取って立て籠もった。彼らはテレビを通じて国民に対してある要求を突きつける。一方、同僚に結婚の申し込みをされたばかりのテレビジャパン社員・高井由紀子は、彼らの要求に従う際、二十四階から転落してしまうが、ガラス拭きのゴンドラに入り込み、九死に一生を得ていた。完全制圧された筈のフロアに入り込んだ彼女は敢然と武装集団と対峙する。

ビルをまるごと制圧する謎の武装テロリスト集団 vs 徒手空拳か弱き女性OLの孤独な戦い
題名の『TVJ』は、その表紙にも記されている通り、「TV JAPAN」「TV JACK」「TV JUNGLE」「TV JOKER」の意。後ろ二つは物語を読むうちに意味が実感できるようになる言葉だが、前の二つでも分かる通り、日本のテレビ局がジャックされる話……というと本書は分かりやすい。舞台設定としては(恐らく作者のベースとなるイメージもそうだと思うのだが)ハリウッドの某映画と重なり合う部分がある。だが、もちろん全体的なイメージのみであり、個々の設定であるとかエピソードに関してはオリジナル性が強いのでそんな感覚はすぐに吹き飛び、読んでいるうちにぐいぐい引き込まれてゆく。
インテリジェントビルの防犯や防災を手玉に取るテロリスト集団の手腕、そのビルに関する知識のみを頼りに、逃げつつも何故か戦いを挑んでしまう主人公、その犯人たちのテレビを利用した劇場型かつ国際的な謀略、さらには奇想天外な要求……とまあ、普通に読んでも読みどころの多い濃い内容。また、個々のエピソードの伏線の張り方が実に自然で、犯人や主人公らの突飛と思える行動の一つ一つに、前半や中盤でさりげなく言及されているところに思い当たるなど、構成も巧みだ。
ただ、個人的には、交渉人と犯人のやり取りにおける緊張感が特に良かった。国民が注視するなかで、ブラフと駆け引きを繰り返す大島警視正の正々堂々とした交渉人ぶり、さらに犯人の余裕のある応対が生み出す不思議な感覚。ここに堅苦しい実務第一主義者を配置しなかったところにより、エンターテインメントの質が向上しているといっても過言ではない。
引っ掛かったのは、後半部に主人公のOLが自らの非力をアピールするところがあるのだが、さすがにこれだけの活躍を見せられた後にそこまで体力がないことを自慢されるとちょっと違和感が。普通にスポーツが出来るくらいの設定にしておいた方がより自然だったのではないだろうか。(まあ、これは重箱の隅を突いているだけです)。あと、ちょっと中途に挟まれる、犯人のカミングアウトが政治的に生々しいため、ドラマや映画化される場合はこの部分が改変されざるを得ない……と感じた。

いずれにせよ、エンターテインメントに徹し、エンターテインメントを実現した作品。スリルと冒険、わくわく感覚にサプライズといろんな内容が詰まってます。ノンシリーズでもあり、とにかく小説は楽しくなくっちゃという方に、誰にでもお勧めできる作品。