MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/01/31
道尾秀介「背の眼」(幻冬舎ノベルズ'06)

道尾氏は'04年に本作にて第5回ホラーサスペンス大賞の特別賞を受賞してデビュー(本作の刊行は'05年の1月)。確か選者の綾辻行人氏が、本格ミステリとして優れていると褒めていたように記憶している。続く『向日葵の咲かない夏』が、本格ミステリ大賞の候補作にも選ばれている。

駆け出しホラー作家の道尾は、骨休めのために福島県の山中にある白峠にやって来た。バスの停留所で降りてすぐにあきよし荘の主人・歌川が彼を迎えにやって来た。あきよし荘は、歌川が一人でやっている旅館で、今は道尾の他に宿泊客はいないのだという。近くを流れる白早川に散歩に出た道尾は「レエ……オグロアラダ……ロゴ……」という不思議な声を聴く。徐々に、この場所に何かいることに気付き始めた道尾は、旅館を引き払って逃げ帰る。その地では、四人の子どもたちが行方不明になり、その最初の一人は頭だけが発見されたのだという。道尾は「霊現象探求所」を構える友人・真備庄介にこの現象を相談。心霊現象について様々な解釈を持ち、真の心霊現象を求める真備は、助手の北見凛と、さらに道尾を従えて再び、白峠のあきよし荘へと向かった。先に真備が収集していた情報によれば、この地の周囲で「背中に眼」が映された心霊写真が撮影されており、さらにその「眼」が映った人々が自殺するという現象が起きているのだという。さらに彼らの調査の結果、この地にある天狗伝説や、他にも児童失踪事件が発生していたことが明らかになってゆく――。

ホラーめいた超自然現象を配置しながらも、確かにロジカルに構成された本格ミステリでもあり、さらに読後感が妙に爽やか
新人の作であり、微妙に展開にもたつきがあるものの、受賞の名に恥じないしっかりした構成を持った作品である。主な舞台となる”あきよし荘”であるとか、白峠とかいったところの描写と、その裏側にあるエピソードとの関係が的確かつロジカルであり、文体にも癖がなくすっきりした感覚で読める。その一方で、霊の存在を追求し、かつそれを的確に分析できる真備という人物を配することで、ちょうどホラーと本格ミステリの境界線上で物語が曖昧に振れて揺れる感触が心地よい。ホラー・ミステリとして一級品の部類に入るだろう。
登場人物の造形も巧い。特に宿屋の主人である歌川のへらへらしているようで、その背景にいろいろある――という設定が巧妙だ。また、探偵役となる真備、語り手である道尾、さらには探偵の助手である北見凛といったところにも、それぞれ個性と背景(過去)がさりげなく文中に織り込まれており、彼らが活き活きと活躍(というか活動というか)している様もなかなか興味深い。また、脇役である駅員や河原にいる老人、途中登場する少年及びその母親に至るまで、ちょっとした登場人物に至るまで造形(個性)に気を遣っており、手が抜かれていないのも好印象に繋がっている。(多少、事件に縁がありすぎとはいえ、それは仕方ない)。こういった人物の演出については正直、新人離れしたセンスと実力が感じられた。
全体的な構成については、全てのエピソードに現実にも超自然的にもロジカルを最後まで演出しようとした結果か、若干もたつく部分もある。とはいえ、これらをこなすことによって出来の良い本格ミステリを読み終えた時のすっきり感が味わえる点はポイントだし、エピソードを積み重ねることによって物語としての叙情感をもたらすことにも成功している。とにかく、幾つものエピソードを貪欲に取り込みながらも、それらを全て消化しきっている点に、素直に「おお、やるな!」と思わされてしまった。

正直『向日葵の咲かない夏』を読む前のウォーミングアップ(丁度ノベルズ版が出たところでもあるし)のつもりで読み始めた一冊なのだが、その期待値以上に楽しめた。このホラーとミステリの両方のバランス感覚は正直優れものだと思うので、遅ればせながら今後に注目したい。


06/01/30
吉村達也「白虎村の惨劇」(トクマノベルズ'06)

「朝比奈耕作最後の事件」そして「新・惨劇の村」シリーズと銘打たれて刊行される探偵・朝比奈耕作の新シリーズにして完結編。五部作の第三作目。これまた前作『朱雀村の惨劇』からは約半年かかっての発表となっている。

『朱雀村の惨劇』の事件のあいだに右目失明という障害を負ってしまった朝比奈耕作は、推理作家廃業を真剣に検討しつつ成城の家に蟄居していた。そこに朝比奈耕之介、尾車泰之を名乗る二人組から電話が入り、耕作に対してあるものを返せと恫喝してきた。一方、広島県では廃病院から黒いミイラが発見されたことが話題になっていた。その調査を担当した小山内教授によれば、ミイラは泥炭層に埋められていた七百年くらい前のものだが、それは戦前くらいに掘り出されて日本に移送させられたものであるのだという。そしてさらに一方では、東京・赤坂の住宅街の一角にあるSMホテルで殺人事件が発生したとの報があり、志垣警部・和久井刑事のコンビは現場に向かう。現場には無惨な暴力が加えられた女性の遺体。実際、SMとは縁のない女子大生が被害者だと判明する。しかし、営業を再開したそのホテルで第二の殺人が。被害者は、ミイラ事件の調査をしたあと、失踪していた小山内教授。しかも教授は失踪前に警察との面談中、『花咲、鳥啼、風吹、月影』さらに『青龍、朱雀、白虎、玄武』と呟いて卒倒していたのだという。早速志垣らは朝比奈耕作とコンタクトを取るが……。

単体としての謎は薄味。惨劇シリーズ全体の謎が点在するのがポイントになるか
先に本作単体のポイントだけを取り上げておく。七百年前のミイラに、SMホテルの殺人事件――と、扱われるテーマが派手になればなるほど、その理屈の方にわざとらしさが見えてくるのがまず痛い。特に連続殺人の方は、不可能犯罪というよりもその背景を作者が語らないことによって謎になっているというもので、いわゆる謎解きの魅力には欠けている。部分部分を取り上げると朝比奈耕作の推理も間違ってはいないが、容疑があるにしても犯人と特定するだけの根拠は薄いし、その疑われた人が犯人でしたというのも、後からエピソードで整合性を取った印象が強く、何かぎこちなさが先に立つ印象。特に宝石との絡みの部分はいくらなんでも強引すぎるように思えた。
また、謎の二人組が狙う宝石の出自が本作によって明らかになるのだが、その宝石の意味の謎、その二人組の正体の謎あたりが持ち越されて興味を引くものの、既に先の「惨劇の村」五部作を読んでいる読者ならお馴染みの朝比奈耕作の父親の謎(これは自明だと思うのだが、朝比奈耕作はこの謎から逃げ続けていた)に、ようやく正面から向き合うというエピソードがかなり大きく取り上げられている。名探偵として数々の謎を解いてきた、朝比奈耕作の人間的な部分が強調されているとはいえる。ただ、もともと前作に伏線を埋めていない以上、全体の枠組みが弱いのではないかと危惧される。
あと、プロローグで「『白い虎』を買ったやつはここにいる」として示される地点と、物語が進んで明かされる真相とのあいだに齟齬がある。まあ、登場人物の勘違いならばとにかく、でも黒幕だしなあ。

『朱雀村の惨劇』で書いたことが本作にもいえてしまう気がする。即ち、先の「惨劇の村」五部作を全て通して読んでいて、かつ朝比奈耕作シリーズの初期作品を押さえていて、さらにシリーズ前二作を読まれた方、そしてこの後のシリーズ最後までお付き合いする予定の方。という限られた読者向けの作品である。


06/01/29
鯨統一郎「パラドックス学園 開かれた密室」(光文社カッパ・ノベルス'06)

主人公がワンダ・ランドということで、一応は『ミステリアス学園』の続編ということになる作品。ちなみに前作は『ジャーロ』誌連載作品で、パロディとミステリ教科書のような独自のミステリ観が示される快作であった。本作も相変わらず独自の定義が示されてはいるが、若干中身は薄くなった印象。

パラドックス学園パラレル研究会。米国にある大学に入学したワンダ・ランドは、パラレルワールドを研究するというその通称”パラパラ研”への入部を決めた。所属している先輩は、ドイルにルブラン、アガサにポー。さらに同じく入部を希望する新入部員はカー、そしてフレデリックとマンフレッド。ワンダは彼らが著名な大作家(しかし生きていた年代は異なっている)であることを知っているが、彼らはミステリ小説など書いたことはなく、その世界にはミステリ小説そのものが存在していなかった。逆に、その世界で現実に発生する事件の方が、犯人が必死のトリックを凝らすミステリ小説そのもので、部員たちはそれぞれその事件を解決に導いたという実績を持っている。自分自身がその世界で浮き上がっていることに気付くワンダは、彼らにミステリ小説を書くよう勧めるが、そんな中、学園内にあるシェルターに籠もったカーが、密室内部で他殺されるという事件が発生する。ニコラスをはじめとする警察の面々が捜査を繰り広げるなか、部員たちは自らの手で真相をつかむべく、それぞれ推理を開始した。

ページの隅にミステリ・パラパラマンガ付き。しかし、そこに別の意味を持たせますか、普通。
前作『ミステリアス学園』では、日本の本格ミステリ史のおさらいと、大胆な分類が為されていた点が印象的だった本シリーズ、今回はパラレルワールドを舞台にまた大胆な(大胆すぎる)試みを行っている。まず、ポーからクイーンまでの作家をいきなりある世界に呼び寄せてしまった点。さらに、その世界ではミステリ小説が存在せず、彼らの解く現実の謎がそのままその古典の名作をなぞっているところが面白い。固有名詞にこういった大作家の名前を付けた作品に『十角館の殺人』があったりするわけだが、作者はもしかするとそこまで意識しているのかもしれない。
一方で、「現実」に起きる事件に対し、作中ワンダ・ランドは大胆な提言を警察に対して行っている。怪しい人物は犯人足り得ない、アリバイのある人物が犯人である等々。 数あるミステリの全てにおける真実とは言い切れない部分もあるのだが、それでも暗黙知としてミステリ読者が持っている感覚を赤裸々に明文化している点は興味深い。そういったあたりを踏まえつつ、この世界で発生したシェルター内部の密室殺人事件があるわけだが。
こちら、つまり本作における謎解きはいきなりトンデモorバカミスの極みを行く。フレデリックとマンフレッドのコンビの正体もかなりアレだが、密室殺人の真相についてもかなりアレ。なんとまあ、開いた口が塞がらないとはこのことですよ。無理に現実感覚を取り戻すことなく、ここまで徹底されてしまうと、もう許せる許せないの問題ではなく、鯨統一郎のある系統のミステリはこういう作品である――としか形容が出来なかったりも。少なくとも相当数、色々な作品を読んできたなかで、このトリック自体は初めてみた。

そのトリック自体を突き詰めると、ちょっと問題点もあるように思うのだが(どちらかといえば、読者が壁に本を叩き付けたせい、とした方が死体の状態とは整合性が取れるのでは)、これはこれで特異な試みとして強烈なインパクトを残す。ここまでくると、鯨統一郎がまたやってくれた、としか。何らかの覚悟を持ってお読み頂きたく。


06/01/28
古川日出男「13」(幻冬舎'98)

「じゅうさん」。後先になってしまったが、『アラビアの夜の種族』で第55回日本推理作家協会賞・長編及び連作短篇集部門と第23回日本SF大賞を受賞するなど、実力派作家としての地位を固めつつある古川日出男氏のデビュー長編。編集プロダクション所属だった同氏が小説家となることを決意しての書き下ろし刊行。本書は'02年に文庫も刊行されている。

一九六八年、東京の北多摩に生まれた橋本響一は生まれつき色覚に障害があり、その結果、色に対する特異な才能を持っていた。異常発達した知能を押し隠しながら成長した響一の絵の才能は際だっていたが、そのことを理解できるのもごく一部の人間だけだった。そんな響一が中学生になり、橋本家にはウライネという少年がホームステイすることになった。響一の歳の離れた従兄、関口昭彦が連れてきた少年は、アフリカのザイール共和国の森に住む狩猟少数民族・ジョ族の若者。関口はアフリカの霊長類研究センターに勤務しており、そのフィールドワークの最中にその民族に命を救われたことが縁なのだという。普段は人付き合いの悪い関口は、ウライネと意気を投合し何かれと世話を焼き、互いに影響を与え合う。やがて中学を卒業した響一は、新たな色を求めて高校進学を延期して関口を訪ねてザイールへと向かった。そのザイールにあっという間に溶け込みでジョ族の一員として認められ、その暮らしに馴染む響一。だが、大自然の驚異が響一に心境に変化を与え、さらにはその周辺の民族同士の対立が悲劇を生む……。

圧倒的。その圧倒的世界観を活字の世界に閉じ込めようという意欲の伝わってくる強烈なインパクトを持つ作品
月並みな言い方で恐縮だが、これがデビュー作品とは思えない完成度を誇っている。登場人物の個性、アフリカのジャングルの息づくような世界を演出する手腕、世界各国の人々の習慣の差異をさりげなく描き出し、エピソードとエピソードとの間の緩急の付け方等々、小説の種々の技巧について古川日出男は最初から最高級のものを才能として持ち合わせていたのだ――という点がまず衝撃である。そして物語の盛り上げ方、展開、個々のスリルや
そしてその物語、これにまた圧倒される。最近発表される古川作品は、時間に関しても地域に関しても数百年と全地球全域を存分に、そして縦横無尽に使い切るのがその特徴のひとつにあたろうが、デビュー作にあたる本書でもその時間と空間にこだわる傾向の端緒がみえる印象だ。橋本響一が生まれてから、そして中学生に至るまでが一気に描かれ、そしてその充実したアフリカでの時間、さらにある事件から一気に十年後へと飛ぶ時間の扱いの大胆さは今に繋がるもので、たかだか二十六年程度とはいえスケールの大きさは伝わってくる。一方で、空間の方も近作ほどではないものの大胆に移動する。日本の一地域で開始された物語は、主に当初はアフリカ・ザイールに移動したうえで展開するが、そのアフリカの原生林というスケールが意外なほどに大きく感じられる。また、後半部には南米や北米、そしてその他いろいろな場所に場面が飛ぶことでやはり全体としては地球的な拡がりを感じさせてくれるのだ。その両方に象徴的なのが、響一とほとんど音沙汰なくなってしまってから関口が南米のインディオの村で彼との再会を果たすシーン。時と空間を大きく隔てたかなり無理無理な場面にもかかわらず奇妙な説得力を持ち、それが静かな感動に繋がっている点も優れている。
あと、語り口の饒舌さをわざと押さえている点が特徴か。ビートが利き、リズムが迸るような古川作品からのリズムは、少なくとも本書においては実に控えめ。それでも一般的な読みやすさという意味では、こちらが上。ただその読みやすさイコール親しみやすさでもないあたりが”らしさ”でもありそうだ。
色彩に関する事象だけでなく、アフリカに土着したキリスト教、それを凌駕する紛争、人類平和、一種の宗教ともいえるカリスマ的な映画や音楽。下敷きになっているのは様々な”神”であり、その点については作品内部で一貫している。そして、本書は古川日出男がその神に関する世界観を、大鉈とペンでもって書物の世界に取り入れようとした成果でもある。物語として濃厚、充実。古川日出男、すげえ。

話題作から入ったために、デビュー作に乗り遅れたことをかなり恥じてます。圧倒的です。技巧もあるけれど、その技巧が小手先に感じられないだけのパワーが文芸という作品形態のなかに入ってます。今さら、ですが他の作品(例えば『ベルカ』とか)読まれた人が改めてこの作品に引き返して更に読み進められんことを希望。


06/01/27
大槻ケンヂ「大槻ケンヂ短篇集 ゴスロリ幻想劇場」(インデックス・コミュニケーションズ'05)

大槻ケンヂといえば、昔「筋肉少女帯」今は「特撮」で活躍するロックミュージシャン。だが小説の分野でも星雲賞の受賞経験があるなど、かなりの冊数の著書を持つ。本書は、ゴスロリ愛好家のための専門雑誌『ゴシック&ロリータバイブル』に連載されていた作品に書き下ろしが加えられた短編集。

UFOと共に観察される「エンジェル・ヘアー」それは宇宙からの綿状の生命体。地球に舞い降りることに成功した綿状生命体の一つは、咄嗟にクマのぬいぐるみの中に姿を隠していました。そのぬいぐるみは四歳の愛ちゃんのプレゼントとなり、ゴンスケと名付けられそれはとても愛されました。ゴンスケは夜中に起きだし、寝相の悪い愛ちゃんの身体にそっとタオルケットをかけてあげたり、入れ忘れた教科書を鞄に入れてあげたりとそっと愛ちゃんを助けてきました。しかし、愛ちゃんにもっと愛する岩井出くんなる男の子が現れたのです。ゴンスケはそっと愛ちゃんの家を出ました。しかし、その岩井出くんが血相を変えて、ゴミ集積所で一休みしていたゴンスケを抱き上げて自転車で駆けだしたのです……。『ゴンスケ綿状生命体』ほか、『妖精対弓道部』『メリー・クリスマス薔薇香』『戦国バレンタインデー』『ユーシューカンの桜子さん』『ゴスロリ専門風俗店の「七曲町子」』『二度寝姫とモカ』『月光の道化師』『ステーシー異聞・再殺部隊隊長の回想』『決戦ドレスは紅茶の後で』『奥多摩学園心霊事件』『爆殺少女人形舞壱号』『ギター泥棒』『東京ドズニーランド』『ぼくらのロマン飛行』以上十五編。

小説&写真でゴスロリ少女満載。でもって狂おしく凄まじい幻想精神の発露した小説群は素晴らしい
この作品集を読んで、私の持つある種の読書仲間なら絶対気に入るだろうなあ、コレと思った。誰とはいわないけれど。
さて、中身。ゴスロリの衣装を身に纏った少女たちを主人公とする身近なテーマ(ともいいきれないが)のファンタジー・ストーリーが中心。素朴な恋愛小説から、アクション系統の作品、幻想味溢れる作品から、かなり下品だったり残酷だったりする作品まで種々が揃った好短編集である。例えば「その頃、魔都東京では、二人以上の人が集まれば”月光の道化師”の話でもちきりでした」なる書き出しが魅力の『月光の道化師』。名探偵・明血小十郎が考え出したのは、弟子の小林森君にゴスロリの少女の服装を着せて囮にすること。……という展開がバカバカしくて素敵。でもこの作品には印象的なやり取りがあって。「美しきもの。君はなんだと思うかね?」「沢山あります。孤島に閉じ込められた気狂いの双子。殺された娘を中身につめた皮の椅子。深夜0時にボーンと柱時計の鳴る赤い部屋。黒い蜥蜴。銀のティアラ。人形しか愛せぬろくでなしの恋…それに…えっと…」 ね、いいでしょ?
他にもシャーロック・ホームズを模した作品もあれば、「東京ドズニーランド」なる遊園地のメインキャラクター・モッキーを主人公としているものがあったりと、ゴスロリ一辺倒でもない。とはいえ、登場する女の子はほぼ確実にそういう服装なんだけれど。
ただ、小説的に際だって巧みなのは、その想像力のみならず語り口の巧さ。 例え一人称の物語であっても、「誰かが誰かに語って聴かせる」という構成となっているものが多く、これが全体のトーンを落ち着かせている。また、作品それぞれのオチにしても、いわゆる「いい話」から強烈にブラックなものまで様々で、決して読者を飽きさせない。思いつきで読んだわりに値段分以上に楽しませてもらいました。

ゴスロリ少女たちの気持ちも何となく分かったし、読者モデルらしい彼女たちの写真もイメージを喚起するのに役立つし。それでいてオバカで楽しく、幻想的で美しく。作者のバックグラウンド抜きに、純粋な作品集として本サイトの読者であれば当たってみて頂きたい作品。


06/01/26
西尾維新「新本格魔法少女りすか2」(講談社ノベルス'05)

前作『新本格魔法少女りすか』の続編となる二冊目。『ファウスト』誌発表の二作、書下し一作と、合計中編三作が収録されているが、基本的に一冊目からの時系列に則るかたちになっており、順に読むことが前提となる。

世界を支配することを目的とする小学生・供犠創貴(くぎ・きずたか)と、同級生の水倉りすかは、廃病院を訪れていた。りすかは、『魔法の王国』長崎県森屋敷市出身で、大魔導師・水倉神檎を捜すため、県境にある『城門』を超えて佐賀県にやって来ている魔法少女。一方の供犠創貴は、『魔法』の驚異に晒される佐賀県の保安を担う警察組織の幹部・供犠創嗣の一人息子だ。彼らは、さきの戦いで倒した魔法使い・影谷蛇之に『メッセンジャー』以外に、神檎から預けられた『ディスク』の管理の役割があることを突き止めていた。もう一人管理にあたっている筈なのが火の魔法を使うという『火住峠』なる人物。二人は、夜の病院で火住と対決する……筈だったが、そこにいたのは別の魔法使いだった。ツナギ……繋場いたちと名乗るその元人間の魔法使いは、二千歳で全身に○○を纏う不気味な能力で火住峠を既に屠った後だったのだ。水倉神檎を仇だという彼女と、二人はしかし戦いを開始することになる。『敵の敵は天敵!』、ほか城門管理委員会の謎と、水倉神檎の放った六人の魔法使いの一人、『魔眼』人飼無縁との戦い『魔法少女は目で殺す!』、そして創貴の家庭環境と旅立ちを描いた『出征!』、三編。

相変わらずの壮大な世界設定に、飄々とした主人公。十歳という年齢がポイントなんだろうなあ……。
↑にも書いたが、十歳という主人公たちの年齢設定が、それだけで特異。 というのは、ファンタジー設定の魔法あり冒険ありのアクション系統の物語に大別されるであろう本書、主人公の年齢が十五歳以上(そりゃ十五歳だって、我々おっさんからみれば子どもだが)であれば、近い雰囲気を持つ物語はいくらでもあるように思う。それを身体も子どものままの十歳という年齢を中心に据えることで、西尾らしい特異な世界を造り上げているようにみえるのだ。
一つは、読者のほぼ100%がこの年齢を既に体験済みなこと。あと、この年齢だからこそ能力が異常な特異性を感じさせること。こういった要素を恐らく計算したうえで、エンターテインメントを展開すればシリーズ全体が西尾の持つ才能のひとつ、世界の構築という点に輪がかかるかたちで特殊な雰囲気を帯びてくる。
ただ、エンターテインメントとして素で巧い。ストーリーのメインストリームだけを取り上げるならば、代々と続く熱血少年マンガの代表的な流れと同一。 主人公が堅い信頼で結ばれた仲間と共に強大な敵に立ち向かう、昨日の敵は今日の友、敵側のキャラクタの能力は現在絶賛インフレ中という次第だ。確かに、主人公が自らの命を軽視するような博打を打って戦いに臨む点や、凝った作戦が毎回飛び出すあたりは個性がにじみ出ているが、全体の流れのなかでは小さなポイントとなってしまう。とはいっても、個々の戦い方における創意工夫は、上質のミステリにも似た意外性を秘めており、一作一作それぞれで必ずサプライズが味わえる点は素晴らしい。特に本書では二番目の作品における魔法使い・人飼無縁の使う特殊能力『魔眼』の正体を看破する部分、そしてその『魔眼』に意外な方法で立ち向かっていく場面等々、読者の想像を確実に超えた真相・アクションが次々と飛び出してくるのには目を瞠った。

一作目を読んでいたので何となく手にとってみた割に正直、予想外に楽しめてしまった。作者に乗せられている感もあるがそれもまた良し。特に萌えとか感じない(というかよく分からない)ながら、それなりにのんびりとシリーズ展開を見守ってゆきたい。


06/01/25
柳 広司「吾輩はシャーロック・ホームズである」(小学館'05)

携帯・パソコンによって受信できる文学配信サイトのひとつ『eBOOK』に配信された作品に大幅に加筆修正が加えられて単行本化された作品。かつて黎明期には、紙媒体で入手困難なものが電子出版へと移行していたように思うのだが、近年はこういった先に電子媒体にて発表された作品が紙に落ちるという形態が増えつつある。

一九〇二年「夏目狂セリ」という発信人不明の電報が打たれた――。その年、ベーカー街のワトソン博士のもとを奇妙な東洋人が訪れた。双子の下宿管理人に案内されて現れたのは、本来ナツメという日本人留学生なのだが、鬱の時期を抜けた途端、自らを”シャーロック・ホームズ”と名乗り、ホームズそっくりの行動を取るようになった人物。彼は自分がホームズだと言い張り、中途半端な推理を披露したりする。旅に出ていた本物のホームズからの電報の助けもあり、ワトソンはナツメをホームズとして遇することになる。そのナツメ・ホームズは押し隠そうと努力はしているが、恋をしているらしい。しかも相手は”あの人”と唯一本物のホームズが呼ぶ女性の妹だった。ナツメ・ホームズは強引にワトソン博士をマダム・シモーヌの降霊会にと誘い出す。彼の憧れの女性もいるその場で行われた降霊会の最中、殺人事件が発生。早速ナツメ・ホームズはその推理を開始するのだが……。

ナツメ・ホームズの迷推理が冴え渡る――かと思えば、意外な真相が興味深いマジメなミステリであって……。
柳広司氏は、歴史やフィクションを題材にとった意外性のある舞台が魅力の本格ミステリ作家。本書では、その題名通り、夏目漱石&シャーロック・ホームズを絡めるという離れ業に挑戦している。探偵役を歴史上の人物に当て嵌めるという手法は、一連の柳氏の作品のなかでもかなりあるし、他の作家でも同様の手法はしばしば使われる。ただ――本作のように、「架空の名探偵を真似た実在の人物」などという方法は、ちょっと普通ならば成立しそうにない気がする。史実や有名な探偵小説をモデルにした仮想フィクション(パスティーシュというのかこれは)が大好きな作者であるのだが、夏目漱石とホームズが同時代の英国に存在していたことを逆手にとって、ちょっとニュアンスは異なるながら彼らを同一化してしまうあたりの発想は、やはり絶妙にしてオンリーワンだといえるだろう。
ただ、その迷探偵によって扱われる事件の方は、謎の声が聞こえる倫敦塔の謎、降霊術のあいだ、全員が手を握っていた筈の状況下での霊媒師の毒殺事件など、かなり本格的にして怪奇の未知溢れた謎。また、意外などんでん返しや論理によって丁寧に筋道立てられた解決など、その解決は間違いなく本格の手順にそって行われている。 また、本格ミステリのパート以外をとっても、自らの目標の壮大さに呆然とし英国でホームシックに悩む漱石や、いろいろ秘密を隠しもっているワトソン博士といったあたりの絡め方がうまい。また、時折ナツメ・ホームズが披露する珍解釈、珍解決にしてもかなり可笑しかったりする。ただ、このナツメ・ホームズのいうことが、冗談として描かれているのか、きちんとした真面目な発言なのか、つかみにくいところも少々あったかも。
そして特筆すべきは、事件の真相だろう。この冗談のような設定が、その真相によって必然と化す瞬間はかなりの驚きがあった。 特にナツメに対するさまざまな描写がその真相に対して、そして主題に対して意味を持つという点など、唖然とさせられた。この気持ちよい「唖然」もまた、柳ミステリの持ち味だといえるだろう。

どうせ、ホームズのパスティーシュ……というくらいの印象で看過されるとするならば勿体ない話。本格ファンの人を含め、もう少し幅広く読まれて良い作品だと思う。


06/01/24
海渡英祐「忍びよる影」(光風社出版'83)

特に本書には明記されていなかったが、不倫と絡む犯罪をテーマにした本格ミステリ作品集。同題の作品集が徳間文庫からも刊行されていたが、そちらは本書収録作のうち『情事のパズル』が割愛されている。その『情事のパズル』、かなり本格ミステリ色の強い作品で面白かったのだが……、本格だから削られた可能性もあるか。

会社を経営していた愛する夫が交通事故で急死。残された妻はその死が会社での人間関係にあるのではと疑い始める。 『まだ眠らない』
格安の住居に引っ越したプレイボーイの男。しかし夜中の二時に必ずマキコと名乗る女性の間違い電話が繰り返しかかってきた。 『真夜中の電話』
市会議員の夫に飽きたらず、間男を家に引き入れる妻。しかし情事の最中に怒鳴り込んで来た夫を、彼女は殴り倒してしまう。 『焔の陰画』
しつこくつきまとうハイミスとの縁を切るため、男は完全犯罪を計画。しかし彼女の家で昏倒させられ、彼女は死体となって気付いた男の前に現れた。 『ジレンマの交錯』
独立して会社を興した夫の資金繰りのために友人宅を訪れた妻。その彼女は夫を亡くしており、謎の脅迫者の影に怯えていた。 『影の追跡』
ジグソーパズルマニアの男が、目眩く情事を夢見てかつて愛し、今や人妻となった女性との情事を夢見る。実現しかかったところで彼の前には彼女の夫の死体が。 『情事のパズル』
マジメな夫と暮らす妻の元に届いた脅迫状。かつてのボーイフレンドと情事に赴いた時の交通事故を暗示していた。事故からは五ヶ月が経過しており、今になって何故? 『暗い雨の夜に』 以上七編。

自らの行動の後ろめたさが命取り。心理の微妙な綾や隙間を縫ってサプライズが仕掛けられる
”えっち”というよりも”情事”、”不倫”というよりも”よろめき”といった、どちらかというと生々しい男女のやり取りが、この作品集を通じた根本にある。ちょっと脇道に逸れるが、本書のように精神的な恋愛感情を抜き、ないしそれよりももっと激しく、肉体的欲求(略すと肉欲ですな)が男女ともより強いかたちで描かれるのが、昭和期の不倫を扱った作品の典型にあるように思われる。不倫男女の恋愛感情の延長線よりも肉体的欲求の方がキツいのだ。(即ち密会=セックスですらある)。それに比べると平成以降の不倫を扱う作品の淡泊なこと。こういった点も、間違いなく時代以上に読者の感覚として当時と今とで変化しつつあるように思われる。
閑話休題。 本質的な部分でいえば、「不倫をネタに脅される」「かつての過ちの償いを求められる」といった精神が本書のメインテーマ。他人に知られてはならないという弱みが、作品全体の方向性や緊張感に独特の味付けをしている作品が多い。 海渡英祐が侮れないのは、そのネタを利用しつつも単なるサスペンスに終わらせていない点だ。必ず、ラスト近くにキレの良いサプライズが仕掛けられている。
また、不倫という不安定な状況のなかで揺れ動く登場人物の弱い心、それをネタにさらに高い目的意識をもって犯罪を構成する犯人といった、人間関係の不安定さも作品内部に良いアクセントを付けている。 一般的な上下関係は、この秘密を握られた途端に逆転するもの。こういった点を踏まえ、事件の裏側に、考えられないような別の人間関係を潜ませておくのが作者は抜群に巧い。また、その不倫をしていることによる登場人物の思い込みなども、伏線として微妙に機能している。このあたりのテクニックは『焔の陰画』や『暗い雨の夜に』といった作品にて顕著にその特徴が現れている。
一方、本格としては、意外なポイントが手掛かりとして効いてくる『情事のパズル』がやはり面白い。またブラック系統のオチがみられる『影の追跡』『ジレンマの交錯』といったところは、その皮肉なオチ独特の恐怖感が加えられている。テーマについて好き嫌いはあろうけれど、全般的に(海渡英祐自身のなかではなとにかく)ミステリとしてそれなりにレベルの高い作品が揃っているといえるだろう。

ベテラン作家らしい人間観察の妙がもたらす、様々な不倫のかたち。作品としてはどれも丁寧にきっちり仕上げられており、充実した読み応えを持っている。とはいえ、この作品集が海渡の最高傑作ということはない。まだまだ、海渡英祐の短編には傑作が残っているはずだから。


06/01/23
倉阪鬼一郎「汝らその総ての悪を」(河出書房新社'05)

'03年に刊行された『The End』に続く交響曲シリーズの第二冊目ということになる作品。一千枚の書下しで「純愛ノワール」というちょっと聞き慣れない推薦文句が目を引く。

母親の飛行機事故死の後、狂気の世界に囚われた哲学者の父親と、その父親の寝室にしばしば引き込まれていて自宅を出奔してしまった姉との三人暮らしをしていた大学生・水澤浚。その父親はマンションから転落死。浚は、世界をうまく認識することが出来なくなっていた。実は、浚は父親を突き落として殺していたが、元よりノイローゼと思われていた父の死因を誰も疑わない。彼のもとには、姉が何者かによって惨殺されたとの報が入る。浚は、地元の教会の側で謎の少女娼婦・ナナと邂逅、そして何気なく古本屋で手に入れた、黒の布クロスの表紙をもった古びた「聖書」。彼はその聖書から不吉な言葉だけを抜き出す作業を行うことで世界の秘密を知ろうとする。聖書を読みなさいという声に導かれる浚。「あなたの秘密を知っている」といったナナに心惹かれる浚は、聖書の解読とナナを求めて彷徨することを繰り返す。ナナは近くのホテルに住むという娼婦。だが、浚はそのことをよく理解していない。ナナから性の手ほどきを受けるうちに、浚はナナがまた自分の世界と唯一繋がっている存在であるように思い始めた……。

蓄積され、あふれ出てゆく狂気の軌跡。狂気を共有する男女の狂おしく歪んだ裏究極のラブストーリー
数多くの倉阪作品においては、心に狂気を纏った人物がしばしば登場する。それもサイコ・キラーとしてではなく、どうしようもなく世界と隔絶され、その自らの住む環境のなかで何かに縋り、何かを求めて生きる人々。その基準が世間の一般常識とかけ離れてしまうがゆえに、狂気の人というレッテルが貼られるような――そういう不器用な人々。 本書の主人公は、徹底的にして執拗な描写によって、その不器用さが浮きだしにされる男女二人である。(当初は、浚があくまで主人公の地位を保っているのだが、後半以降、ナナの視点もしばしば登場する)。
既に人を殺した過去を持つ浚と、ナナ。浚は自分の世界の謎を解き明かすために、聖書からキーワードを抜き出して物語を創り、自分がもっとも憎む母親と同年齢になることを病的に恐れ、浚の力で時を止めたいと願う女性・ナナ。彼らは儀式のように物語を創り、神父やマリアやキリストを殺害し、自らの物語を紡ぎ出そうと必死になって生きる。但し――邪悪とまではいいきれないながら――彼らの常識は世間の非常識。人を殺し続けることで自らの存在意義を確認しようとし、エクスタシーを求める彼らの行き着く先はただ一つ。(散文的に、彼らを追い求める状況を描く「SCENE」として挟まれる節が微妙に効いている。作品の雰囲気を損なわずに全体を見渡させるテクニックは流石なものがある)。その予定調和に向けて、破滅を続けていく二人の姿が、むしろ淡々と描かれる。 物語が、彼らの視点で描かれるため、読者であるこちらまで善悪の境界は溶け出し、果たして何が正しいのか……という点が彼らの狂気と混じり合って曖昧になっていく。歪んだ純愛、歪んだノワール。だけど、物語において、それらは総て正しく、そして間違っている。 なんとも不思議な手触りを持つ、不思議な小説だ。

ここのところ読んできた倉阪作品は比較的初心者でも入りやすい内容のものが多かったのだが、本作に限っては倉阪マニア向け――と限定してもそう差し支えないだろう。ただ、そのある種の倉阪マニアにとっては琴線に触れまくる傑作となり得る作品であることも特筆しておきたい。


06/01/22
二階堂黎人「カーの復讐」(講談社ミステリー・ランド'05)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月より開始された、シリーズの第8回配本は、本書一冊。二階堂黎人、カーといえば、JDカー? と思わせておいて、この「カー」というのが古代エジプトの魂を意味する言葉というのは、若干の不意打ちといえそうだ。イラストの方は(いつかは手がけると思ってましたが)遂に登場、喜国雅彦さん。

《古代エジプトの秘宝、パリに来たる》 怪盗アルセーヌ・ルパンの数ある変装の一つである大衆新聞《エコー・ド・フランス》のサルバトール編集長はこの見出しに興味を持つ。古代エジプトの研究者でパリ大学考古学教授のボーバン博士が発掘した数々の秘宝が、博士の娘婿・ゼローム男爵の手によって大々的に公開されることになっているのだ。そんな折り、警視庁に潜入させている腹心の一人、マルコがルパンと急なコンタクトを取ってきた。ボーバン家に潜入させたベロニック婆さんがボーバン家における血腥い事件発生の予感を覚え、助けを求めているというのだ。待ち合わせ場所に急行したルパンとマルコの前には死にかけたベロニック婆さんが。彼女は「ミイラの……復讐」という意味の言葉を呟いて息絶えた。犯人を捜すルパンは右と左の大きさの異なる奇妙な足跡を発見する。そしてマルコは、犯人は古代エジプトのミイラ男なのではないかと言い出した。ボーバン家では最近、ミイラ男の仕業としか考えられないような奇妙な事態が頻発していたのだ。

昭和期の翻訳探偵小説が平成の世に復活。当時の作品を深く意識した文体と展開が○
恐らく作者含め、ミステリーランドの対象となる「大人」の方、現在の二十歳代後半代以上の人々が「少年少女」の時分に慣れ親しんだ、例えばポプラ社やあかね書房といった版元から刊行されていた少年少女向け探偵小説。乱歩、ホームズ、クイーンといったところに加え、もう一つ人気があったのがルパンのシリーズである。本書を読み始めて感じたのは、そういった「少年少女向け探偵小説」というカテゴリーに対する大いなるオマージュ。 連発される奇怪な出来事、危機に至る登場人物、犯人らしき兇悪な人物の影、謎を追っての冒険――そういった筋書きや話運びはもちろんのこと、最後の章はやはり「大団円」で締め括るといったあたりにもその印象が強い。加えて、わざと難解な言葉を漢語を多く使用(もちろんルビは振ってある)するあたりも、昭和の昔に読んだあの小説の文体との重なりが感じられる。説明が過剰になりすぎる傾向のある作者の文体もまた、その雰囲気を高めるのに役立っているようにみえた。
物語は、エジプトの考古物を発掘する博士を主人とする一家に襲いかかる謎の不幸と連続殺人事件。ルパンは怪盗としてではなく、当然、探偵として事件に臨む。作品中では数多くの不可能犯罪が使われているが、これらを惜しげもなくジュヴナイルの本書に供出してしまうあたり、作者らしいサービス精神がみえる。加えて密室や暗号へのこだわり、ミイラ男が醸し出す恐怖感、秘密の地下道での冒険といった、現実的ではなくとも、こういったかつての探偵小説を彩ってきた数々のガジェットの扱い方についてもそもそも定評がある作者のこと、扱いは手慣れたもの。また、本格ミステリとしての伏線や手掛かりも忘れてはおらず、単なる荒唐無稽な恐怖譚に終わらせていないところからも二階堂作品らしい几帳面さが感じられる。
また、もう一つ気が付いたのは、ハウダニットとしてはレベルの高い謎を示しておきながら、フーダニットについてはわざと弱められているように思われることだ。穿った見方だが、年若い読者に対し「犯人も犯行方法も五里霧中」という状態で作品を提供するのではなく、「犯人は想像がつくけれど、犯行方法がさっぱり分からない」という探偵小説らしいテンションを物語に与えようとした結果ではないか。考えすぎかもしれないが、作者はこの手の作品についても詳しいはずで、そういった配慮があってもおかしくない。

ミステリー・ランドを追って読まれている方は当然読まれるべき作品。これまで刊行された一連の作品のなかでも『ラインの虜囚』と並んでの、時代を超越する「かつての少年少女向けエンターテインメントの常道」をクリアしているのではないかと感じられる。(あと、大人であれば本文と作者紹介のあいだにある二行のうちの最後の一行にさらに微笑むはず)。


06/01/21
石田衣良「ブルータワー」(徳間書店'04)

『問題小説』誌の二〇〇二年一月号より、二〇〇四年九月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。著者初のSF作品という位置づけにもなる。あとがきによれば、「9・11」で受けた衝撃を小説のなかで吐き出したいという思いから描かれた作品なのだという。

四十三歳になるサラリーマン・瀬野周司は頭の中に腫瘍が出来、余命数ヶ月を覚悟していた。車椅子に乗り放射線治療で髪の毛は抜け、親が所有していた土地に立てられた新宿ホワイトタワーというマンションの五十五階にて、関係の冷え切った妻の美紀と淡々と暮らしている。そんな彼のもとに同僚たちが見舞いにやって来た。後輩の萩原、目を掛けた部下の関屋と手島、そしてアシスタントの利奈。彼らが帰った後、引き返してきた利奈が、萩原と妻の美紀が密会していたと周司に告げる。そして周司の頭を耐え難い痛みが襲ってきた。そして――気が付いた時、周司は「セノ・シュー」なる人物として西暦二二二二年に精神だけがタイムスリップしていた。その世界ではかつてウイルス兵器として用いられた兇悪なインフルエンザ「黄魔」が世界中を汚染し、人類は破滅の危機に瀕していた。セノ・シューはそんな人類が住む「青の塔」の特権階級層にある人物。塔のヒエラルキーは固定されており、第五層から下やタワーの外に住む人々は貧しい暮らしと短い寿命を甘受させられていた。塔の解放を求める一派と、このヒエラルキーを固定したい一派とのあいだでは派手な争いが繰り広げられており、テロや暴力沙汰が数多く発生、治安は非常に悪い。シューは下層の人々と交わるうちに、どうやら伝説となっているこの世界を救う「偽りの王子」こそ彼のことであると気付くのだが……。

意外と本格なSF設定が背景にあるハードでちょい甘なファンタジー。
本格的なSF読みではないので、SFとしてどう、という視点から語ることは小生には難しい。(本書のラストは黄金期のSFのオマージュとあとがきにあるのだが、それすらピンと来ませんでしたよ、私にゃ)なので、素人の感想文として以下は大目に見てもらいたい。
人間関係を除いた現代そして未来の設定が印象的。現代のパートでは主人公は現代医療では治療のしようがない脳腫瘍で、延命治療によりぼろぼろになっている。そんな病み疲れた彼の状況描写がさりげなく巧い。先の見えない未来に対しオトナの対応をしようとしつつも、心のどこかが付いていかない。冷え切った妻との関係にしても、住んでいる豪華なマンションにしても(恐らくその主題上、主人公を高層マンションに住まわせる必要があり、その結果としてその土地を親が所有していた――という設定がつくられたのだろうが、これも後半への微妙な伏線となっている)、その空虚な心が反映されたかのような独特の冷たさが表現されているようだ。また、病身の彼に対する妻の打算なども、ベタながら奇妙に現実的なのは良し。その結果、かえって若い利奈の、未来のない主人公への献身が微妙に非現実感を伴うのは物語の構成上必要とはいえ、違和感は残る。
一方、謎の病気に席巻され危機に瀕している人類。その原因がありふれた病気だが、感染力抜群のインフルエンザが、戦争の道具として使われた結果……というあたりが巧い(とはいっても風邪が原因で人類が滅びかける話もありますが)。一気にそれが「黄魔」と名付けられたり、未来の人々の名乗る名前など全般にネーミングについてはちょいとセンスに疑問符もつくが、ヒエラルキーによって固定された塔であるとか、その生活環境、そして発生している闘争であるとかについては、現在の世界で発生している様々な問題と重なり、一定の説得力があるように感じられた。 練りに練ったという印象はないけれど、整合・暗合がいろいろと存在することは感じられる。冒険小説としてというか、ファンタジーとしての展開についてはこれで良いと思う。数々の裏切り、仲間の献身、必死の逃避行……といった急展開の連続は素直に面白く感じさせられる。ただ、かなりハードな展開をみせるにも関わらず、全体的にベタ甘な印象があるのも不思議。結局のところ、現代の主人公と利奈、未来の主従関係その他の部分に、いにしえの少年熱血漫画的な典型が見え隠れするからなのかと愚考する次第。

トータルとして一気読みさせられたことは事実ながら、かなりマジメなSF設定を構成した結果、本来石田衣良が持つような人間観察の鋭さや良さが薄れてしまった印象。……いや、このちょっと甘い感覚こそが石田衣良だという意見もあるかもしれないが。まあ、個人的な印象なのでSFとしてどうかとかそういったところは専門家のコメントの方を参考にして頂きたいところ。