MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/02/20
富田常雄「姿三四郎 人の巻」(講談社大衆文学館'96)

この大衆文学館版の三冊目にして最後の一冊。柔道の天才児の多感な青春と戦いの記録、遂に完結!

身分の違いを超えて一介の書生たる姿三四郎への想いを募らせる南小路高子。しかし柔の道を行き、最愛の女性・乙美に対してさえも心を許さない三四郎は頑な態度を崩さない。そんな彼女に対し、父親の光康子爵は、伊藤博文公からの縁談をまとめようとするのだが、高子は首を縦に振らない。そんな折り、忍術と唐手の使い手である清国の密偵とが、偶然にも三四郎と何度目かの邂逅を果たした。その結果は、東京中が評判となるような戦いへと雪崩れ込み、三四郎は見事敵を打ち破るが、自身も大怪我を負い、南小路家へと担ぎ込まれる。数十日にわたる献身的介護をみせる高子であったが、三四郎の口から漏れたのは衝撃的な言葉。高子は遂に三四郎を諦めたかにみえたのだが……。

モテモテ堅物男・姿三四郎の優柔不断が招くトラブル、そして敵の超インフレによるクライマックス
本書はもともとの何冊かに分かれて刊行された姿三四郎の物語のうち、『柔』のごくごく最後の部分と『続・柔』から成る。ある意味、これらは三四郎を主人公としながらも後日譚の意味合いが強いのではないか――と、三四郎初心者ながら思わされた。というのも、乙美と高子のみならず、次から次へと三四郎を慕う美女が登場し、その美女を巡るトラブルに三四郎が期せずして巻き込まれるパターンが出来上がっているように思われること、そして、これまで向かうところ敵無しであった三四郎と戦う敵が強烈なインフレを起こしていることにあるだろう。
物語の当初は柔術家・格闘家との戦いだった物語は、プロの殺し屋やほとんど化け物との戦いへとその性質を否応なく変じてゆく。ただ、格闘シーンの盛り上げ方はさすがで、女義太夫の鈴を巡る、留作との戦いは、一応人間同士とはいえ、ほとんど怪物のそれ。ホラーじみてすらいて強く印象に残る。また、最後のライバル津久井譲介との戦いもまた、女性絡みなのだがいいのかそれで。
いずれにせよ、強くなり過ぎた姿三四郎の、強者ゆえの孤独が全体として描かれている点は興味深い。柔道一筋であり、連戦連勝でありながら、自分の実力を過信しない三四郎の姿は、奥ゆかしいといえば聞こえが良いが少々歯痒くすらある。果たして、最後のライバル・津久井譲介と三四郎、実のところはどちらが強かったのだろう?
もちろん本書には寄り道を続けてきた奥手青年淑女・三四郎と乙美との恋愛クライマックスシーンがある点も大きなポイント。よしださんも『姿三四郎と富田常雄』に抜き書きしていた「僕は君を……時々は柔道よりも大事だと思った」の名台詞には痺れますぜ。(いろんな意味で)

残念ながらこの版に収録されていない『明治武魂』/『明治の風雪』を除いたこのバージョンでも、『姿三四郎』自体が、かなり長大な物語であることは確か。明治時代の時代性が良くも悪くも色濃く残るが、それも今読むとなるとかえって新鮮。 物語という存在が持つ原初の面白みを十二分に湛えており、新聞連載において大いにファンを沸かせた点は素直に頷ける。実際のところ、読んでみて良かったと思いますよ、ほんと。きっかけを下さったよしださんに感謝。


06/02/19
奥田英朗「サウスバウンド」(角川書店'05)

'98年『ウランバーナの森』にて作家デビューした奥田英朗氏は、2004年に第131回直木賞を『空中ブランコ』で受賞した。本書はその受賞後第一作目となる長編で、第一部にあたる東京編(?)が『KADOKAWAミステリ』に連載され、さらに第二部の西表島編(?)部分が書き下ろされるという変則方式で刊行されている。

東京の中野の公立小学校の六年生・上原二郎。母親は喫茶店を経営しており、父親は何か作家になると家にいて文章を書いている。それに同じ小学生の妹と、デザイナーとして働いている姉との五人家族。実は、父親の一郎は、元過激派のリーダーにして無政府主義者だった。税金も年金も納めるのが嫌で役所とトラブルを起こすのは日常茶飯事、遂には学校に乗り込んできて修学旅行の積立金がおかしいと喚き立てる。そんな父親が二郎は嫌だった。一方、二郎は親友の淳と共にトラブルに巻き込まれていた。少し不良っぽい同級生の黒木が、中学生のカツという人物に脅されていて、彼らもまた持ち物を取られたうえでお金を要求されたのだ。大人に相談してもコトが解決しないことが判っている二郎は、なんとか子どもだけで解決策を見出そうと奮戦する。そんな折り、上原家に父親の旧い友人だというアキラおじさんが居候をはじめた。アキラおじさんは二郎たちに優しかったが、ある時、奇妙なお願いをしてきたのだった……。

大人の戦いと小学生の戦い。そして家族の絆。爽やかな風が吹き抜ける青春・家族小説
まあ、ひとことで言ってしまえば、無鉄砲で無責任な父親に振り回される家族の物語……ということになる。ただ、その基本精神がアナーキストな父親の物語はむしろおまけで、物語が多感な小学六年生・二郎の視点によって語られることにより、物語がふくらみ、拡がりがより大きく感じられる。中学生の理不尽なイジメに対抗する小学生の姿が描かれる前半部。子どもには子どもの世界があり、大人を介入させてもろくなコトがない……という子どもならではの諦念のもと、それでも必死に考える二郎たちの姿がいじましい。(そして奇妙にリアルでもある)。加えて、父親によって振り回される自身の学校生活、自分自身や家族の出自や過去の謎(?)、そういった点を一つ一つ乗り越えて逞しく精神が成長する思春期の描写は実に巧みだと唸らされる。子ども視点だからこそ、そういった謎が謎として成立している部分もあり、これも物語作りを熟知している作者ならではといえるだろう。
物語全体のテンポも良く、大人の一人一人にきちんと個性が付与されていて、子どもの視点からみる大人の姿(妥協であるとか本音であるとか)の垣間見せ方に、いちいち納得させられてしまうのだ。ただ、イジメのパートの結論として、どうあれ暴力を制するのは更に強力な暴力という点は、物語の清々しさの反面ちょっと残念ではある。
しかし、大きな事件の結果、何もかもを捨てていきなり西表島に移住してしまう第二部以降の展開がまた痛快。 島の人々の好意によって、廃屋を直して農業と漁業で暮らす生活。いきなりの自由人にして文化的生活を捨て去って、徐々に二郎と妹の桃子が島に溶け込んでゆく様子は微笑ましい。また、ここでもリゾート地建設とその反対派との運動が待ち構えているのだが、それらに対する父親の一本筋の通った姿勢が、何とも格好いいのだ。

良きにしろ悪しきにしろ、子どもは親の背中を見て育つ。そういった当たり前のことを格好良く描き出した作品でもある。読後感が実に爽やか。ミステリでもなんでもないが、読み終えて清々しい気持ちになれる、そんな作品。


06/02/18
福井晴敏「6(シックス)ステイン」(講談社'04)

長編(大長編?)指向の強い福井晴敏氏による初の短編集。ソフトカバーに縦帯という独特の体裁にて刊行された。一部を除いて共通した登場人物は登場しないが、防衛庁情報局という組織が全体のテーマとして存在しており、短編集ながら独特の福井節は本書にも健在。

建築会社に勤める中里は東京に戻る途中の列車のなかで、元北朝鮮のスパイと邂逅する。今や堅気の中里がかつて工作員だった頃の恨みを晴らすために男は現れたのだ。 『いまできる最善のこと』
旧ソ連と通じていた男が残した遺書。それは「スーツケース」なるある重大な存在が、男がかつて女と暮らしていた九州の民宿に隠されている事実を示していた。 『畳算』
根っからの事務屋・高藤が監視の現場に引っ張り出された。居酒屋で歓談する対象を、サクラという成人前の娘と共に監視する。彼女は若くしての警補官で高藤に足を引っ張るな、という。 『サクラ』
現代の海賊団の重要情報を持つ人物。内偵の輪に引っ掛かり、主婦で母親でもある根岸由美子は現場へと急行する。男は母親を見舞おうとしており、由美子に母親は帰れというが……。 『媽媽』
かつての名スリ師・椛山。引退して肩身の狭い隠居の身の彼にかつての刑事が仕事を持ちかけてきた。ある女性の鞄を断ち切り、電子辞書をスリ取って欲しいというのだが。 『断ち切る』
かつて同僚を死なせた経験を持つ警補官・須賀。普段はタクシー運転手の彼は、木村という若い狙撃手と仕事をした。そんな彼がある標的を守るべく、現場に急行するが”920”と呼ばれるかつての凄腕狙撃手が彼らの前を阻む。その守るべき標的は、防衛庁の不正のキーマン・松宮。彼は十年前の事件でも須賀と因縁があった。 『920を待ちながら』 以上六編。

平和ボケ日本を舞台に水面下で活躍する、哀しい”現代の兵士たち”への静かな鎮魂歌
読了後、”現代に蘇る忍法帖”というキャッチフレーズが唐突に浮かんだ。防衛庁情報局員、なかでも正局員を補佐して僅かな手当てを受けながら各種情報活動に専従する”下請け”警補官(AP)という存在。市井の人々のなかで決して表に出ることはなく、その戦いは激烈を極める一方で、その使用者たる権力者(防衛庁)からも時と都合により黙殺されてしまう存在――現代のスパイであり、間諜であり、特別な存在、そして紛れもない兵士でもある、情報局への協力者たち。風太郎の忍法帖などで、やはり主命・己の使命に則り敵を斃し、そして戦いのなかで人知れず死んでいく忍者たちと、どこかその精神構造に似通ったものがあるように感じられるのだ。水面下で生きる、そんな彼らを主人公とし、巻き込まれる戦いのなかで自らの生と、国家を見つめる極限の物語群が本書の本質だ。
ただ、平和ボケした日本のなかで繰り広げられる各種の情報機関同士のせめぎ合い、綱引き、外交といった要素をしっかり描く一方で、そういった大きな流れに対し、無力を承知で個人の尊厳を賭けて抗する人々の姿を中心に持ち込むところが福井晴敏。設定そのものに可能な限りの”現状”を注ぎ込み、その一方でフィクションだからこそ描ける人間の姿を描き出す。過程や結末にそれでも何らかのハッピーエンド(シチュエーションのなかでそれでも望み得る最高の)ものを持ち込む福井氏の姿勢には、どこか登場人物への暖かさすら感じられる。登場人物・物語を通じて、読者に国家とは、国民とは――といった”何か”を考えさせるところは、他の大長編作品とも全くスタンスが変わらない。
謀略・サスペンス小説の体裁を取っており、一種のサプライズを作品内に織り込んでいるのも特徴。『920を待ちながら』のトリックは本格としてみた場合は若干アンフェアで微妙な意味で「え?」と思わされないでもなかったが、むしろ本来の任務を上回る謀略が中途で暴露され、さらにそれに反抗を試みるという、本書内部でパターン化しているともいえる構成に独特の魅力を感じた。

基本的に謀略小説でありながら、現実と繋がる些細な描写が巧みで物語に引き込む力をそれぞれ短編が個別に持つ。二十世紀後半の香りが漂う二十一世紀の物語。我々の知らないどこかで誰かが我々のために戦ってくれているのではないか――という思いを馳せる。


06/02/17
戸梶圭太「グルーヴ17(セヴンティーン)」(新潮社'05)

新潮社のコンテンツデジタル配信ビジネス「新潮ケータイ文庫」にて連載されていた「Jack,Ready,Play!」という作品が、改題されて単行本化されたもの。当初は紙→デジタルだった方向性が、デジタル→紙という方向に近年は着々と変じつつある感。

最寄り駅は所沢。私立東京峯尾学園高校には普通科と芸能科があった。芸能科といってもつい最近学校側が人気取りで作った学科で実際に芸能活動をしている人間はごく僅か。将来の芸能活動を見据えて真面目にレッスンしている学生よりも、将来に目的が見えず漫然と過ごしている者の方が遙かに多い。それでも芸能科の学生は、普通科をパンジン科として一段低いものと見なしていた。テクノの作曲を趣味としている井出悠伍は、そんな芸能科に所属し、放課後は自らの音を求め新しい機材を物色する日々。一方、同じ峯尾学園の普通科の男子学生・隆弘と友樹は渋谷で広野と名乗る態度の大きい人物に食事を奢ってもらっていた。広野は六本木でパーティを開くから芸能科の女子を連れて来いと二人に命ずる。童貞を捨てるチャンスとばかりに張り切る二人だったが、彼らにコネがないがため、お笑い芸人を目指しているという中川という同級生に仲介を依頼する。その中川は性格が悪かった。が、実際に芸能科の女子を集めることには長けていた。その女子の一人・香川那美から、井出はパーティでその音楽をプレイしないかと誘われる。

男子高校生の下劣にしてリアルな濃厚な妄想と、その運命の見事なまでの明暗。うまいなー
主に三人の男子高校生が中心となって、織りなされる青春群像。トカジ作品で青春というと、ちょっと違和感があるかもしれないが、本書の場合はやっぱり青春小説独特の青臭さがぷんぷんと漂っている。趣味に没頭しつつも女の子にも興味がある童貞・悠伍、何かと暴力的な存在に憧れる割に本人はからっきし、女の子に強烈な興味のある童貞・隆弘、真面目が取り柄でマイナス思考が強く暗い性格だけれども、女の子にそれなりの興味を持つ童貞・友樹。タイプの異なる三人が、怪しげな六本木のパーティへの参加を前に、それぞれの妄想を膨らまし、そして現実に直面する……という物語。
高校生が主人公ということもあって、登場人物の行動に一定の縛りが設定されていてそれが作品全体の手綱として機能、かえってトカジ作品の持つ独特のグルーヴ感覚が夾雑物なく抽出されているような印象を受けた。一方で、高校生以外、学校の先生やその他の人々については、例の如く「安い」人物が数多く登場、高校生三人組との対比によって作品全体に立体感が出ているように思われる。特に、主人公格の三人が、丁度これからの生き方の岐路にあることが強調され、物語の結末が端的にその方向性を示している……というのは言い過ぎか。明だけに注目すれば、明るく楽しい青春小説と思える一方、暗の部分にどうしようもない青春の苦み渋みを込める残酷さがやはり持ち味。 これだけ戯画化されていながら、根本的な高校生の精神構造にどこか読者の過去が重ねられてしまう(たぶん)あたり、泥臭く青臭く汗臭い男子高校生の永遠の真実を踏まえているからではないか。

当初の発信媒体が紙ではない……ことが理由になるか不明だが、近年の戸梶作品よりもアクが少なく読みやすかった。強烈な毒を求めている方には物足りないかもしれないが、比較的戸梶作品の入門編としては適している方だと思われる。


06/02/16
津原泰水「アクアポリスQ」(朝日新聞社'06)

津原泰水氏が自ら提唱するプロジェクト『憑依都市』――すなわち、SF世界の大枠を津原泰水、牧野修といったコアメンバーが先に設定、それを創作者(クリエーター)向けに公開して、このプロジェクトに参加の意志を持つ各作家・アーチストが、設定を『憑依都市』から借りながら、オリジナルの作品を創り上げていくという試みだ。その津原泰水氏自身が満を持して打ち出した本作『アクアポリスQ』ということになる。

大きな隕石が地球に墜ちてきて消えた。鴉や数種の昆虫が大発生した。科学の複数の分野で多数のパラダイム・シフトが発生し、人間が突如化け物に変じてしまうモンスタレーションという現象が日本の国会でも発生した。日本政府は派遣されてきた多国籍軍になし崩しに牛耳られ、統治府が設置された。そして――世界の色相が劇的に変わった瞬間が人々の脳裏に感じられた。空虚点。今や紀元のように使われている。その空虚前二十年、総面積の四割が水没した都市Q市。その沖合に建設された人口島・アクアポリスに住む少年・タイチは小学生の時、存在し得ない牛が島に現れた時、全裸の少年と邂逅する。彼の名はサイト。そしてエンプティ。数年後、スーパーサイエンススクールに通うようになったタイチの前に「J」と名乗る白髪の女設計士が現れる。蘆屋道満の末裔を名乗る彼女は、アクアポリスの守護者と称した。協力を求めてくる彼女にタイチは戸惑いを隠せない。しかしQ市の壊滅計画が水面下で進行中であることを知ったタイチは、愛する都市のために戦う決意をする――。

奥深い拡がりを感じる世界観を内包しつつ、一個のエンタメとして素直に楽しめる
一応、一読すれば設定が判るよう配慮している一方で、テンポの良い近未来世界を舞台にした少年冒険小説としての体裁も完璧に整えられている。『憑依都市』のトップバッターとしての物語として肩肘を必要以上に張ることなく、それでも世界観をしっかり使い尽くす。文章の魔術師たる津原氏ならではのバランス感覚が読み取れる。ただ、そこまでしてもまだ設定が勝ってしまっていて、読者にとっては「設定を味わい尽くす」感覚がもう少し欲しかったように思いそうだ。ただ恐らく、この感覚は今後、このシリーズが継続されていくうちに「ニヤリ」と笑う感覚へと変じていくのではないか。
カバーや表紙裏に使用されているイラストも含め、物語全体としてはライトノベルのような体裁を、おそらくわざと取っている。文章や文体もわざと通常の(?)津原氏のものとは若干変更がされている印象で、比較的易しい表現が重視されているように感じられた。この結果、本筋であるタイチのストーリーが、設定の渦のなかに埋没せずにピンできちんと立っている点はさすがだと思う。(それでも恐らくはあくまでこの段階では「設定」の方がむしろ主人公である点も津原氏が意識していない筈もなく、その「設定」を活かしつつこれだけの活劇を生み出す点は非凡だといえる)。
いずれにせよ、やはりSFに属する作品であり、小生などは全般のイメージを楽しむように読んだが、SF系の読み手がどのように本書を捉えるものか、意見を聞きたいように思った。

それでも本編だけを読む限り「語られきれていない」設定が多く背後に見えるのは、あくまでこの『憑依都市』という特異な成立に依るものだといえるだろう。おそらく、ほかの作家の作品等を合わせて読み込むことで(設定資料集とかも?)、逆に奥行きが増していくのではないだろうか。もっとこの世界の作品を読みたい……と思うのは既に『憑依都市』の罠にかかったということか。


06/02/15
富田常雄「姿三四郎 地の巻」(講談社大衆文学館'96)

『姿三四郎 天の巻』に続く二冊目。物語としては一話完結ではなく、大きな流れを持つ長編となっているため、やはり一冊目から読まれたい。

桧垣源之助との死闘を制した姿三四郎と紘道館を付け狙う男たちがいた。源之助の弟で、九州で唐手を収めた源三郎と鉄心の二人である。彼らは柔道家を付け狙い、辻投げを敢行しており、その脅威は紘道館の四天王もまじまじと感じ取っていた。さらに、日本最高の柔道家として認められつつある三四郎のもとに、オッペンハイマーなる興行師が訪れ、スパアラとの他流試合をするよう要請がある。かつて柔道家が完膚無きに痛めつけられていた三四郎は、訳あってこの話に乗ることになる。他流試合を禁じた紘道館に背く三四郎は、自らを破門の身に落とし、源三郎・鉄心兄弟との果たし合い、そしてアメリカ人拳闘家のウイリアム・レスターとの試合に臨む。一方、三四郎の周辺には乙美のほか、華族・南小路家の令嬢・高子、下宿屋のおぎんといった女性たちが取り囲むようになっており、そのことに三四郎は困惑している。また、一連の戦いのなか、三四郎はただ者ではない実力者が、日本の街を跋扈していることを知ることになる――。

国威発揚のエピソードも着々と挿入。しかし、大筋の格闘&青春の小説の道筋はなおのこと太い
前巻に引き続き、三四郎は次々と倒した敵よりもさらに強大な敵と戦うことになる。 ただ紘道館を敵視してきた旧来柔術については徐々に退潮しており、むしろ米国人ボクサーとの戦いや、外国人船乗りの力自慢たち、次のライバルと目される謎の人物……等々、”敵”については確実にステップアップが進んでいる。なかでも『姿三四郎と富田常雄』でも触れられていた、ボクシングvs柔道の他流試合については、後世の有名なレスラーが用いたある試みが既に小説にて描かれていることを確認できて興味深いものがあった。また、戦いの渦中へと巻き込まれていく三四郎の友人として真崎東天なる人物が登場、弁論を得意とする彼と三四郎との天下を論じる会話や演説を通じ、発表当時の世相を反映する、国威発揚を促すエピソードが数々描かれているのもこの巻の特徴の一つといえるだろう。作者自身の考えかどうかはとにかく、物語の時代性を感じずにはいられない。即、戦争ということではないまでも、この当時に天下国家を論ずると、どうしても日本を飛び出さざるを得ないことになるのか。物語として巧いのは、三四郎本人には決してそういった大それた(?)指向を持たせない点。あくまで彼は柔道の道を究めることにしか興味がないのだ。
もうひとつ、”敵”だけでなく、三四郎を巡る女性の戦いがヒートアップしている。その結果、本来のヒロイン格であり、奥ゆかしいというかじれったい性格の乙美が弾き飛ばされんばかりの勢い。ただ、女性に関しては奥手中の奥手の三四郎と彼女が心を通い合わせる僅かな描写には、ほのぼのとした不思議な味わいがある。とはいっても、いつまでたっても”女性が苦手”という三四郎の態度からは、現代読者にとっては煮え切らないものが感じられるかも。

格闘小説としての見せ場、そして青春小説としての見せ場。この二点がうまく両立されていて、中巻であっても面白く読める点、前巻の印象と良い意味で変わらない。よし、三冊目の『人の巻』に早く取りかかることにしよう。


06/02/14
富田常雄「姿三四郎 天の巻」(講談社大衆文学館'96)

戦後初の直木賞作家にして、戦中から戦後を代表する人気作家・富田常雄の代表作品。柔道を扱った小説ではもっとも有名な作品であり、映画や漫画原作にもなっている。(もちろん『姿三四郎と富田常雄』に触発されて手に取ったのではありますが)。

明治中期。文明開化の流れのなかで日本武道である柔術は堕落・絶滅の危機に瀕していた。そんななか理論を裏付けとし、各種の柔術流派を取り入れたかたちで近代柔道を模索していたのが、矢野正五郎が中心となって設立された紘道館であった。会津から出てきて辻俥を引いていた姿三四郎は、当初門馬三郎率いる心明活殺流に入門しようとしたが、その殺伐とし理想のない姿に失望する。彼らが、紘道館の矢野正五郎を闇討ちにしようとしたところ返り討ちに遭うのを目撃した三四郎は、そのまま矢野正五郎に弟子入りし、その天賦の才と努力によって紘道館の四天王に数えられる人物となった。警視庁の武術世話係という地位にある良移当心流の村井半助は、弟子の桧垣源之助を制して警視庁で紘道館柔道との試合をすることになっていた。他流試合で心明活殺流の門馬三郎を破った姿三四郎がその試合に出ることになるが、半助の娘・乙美の存在が三四郎の心を微妙に揺らすのであった……。

スポーツ・格闘系エンターテインメントの太祖にして原型? 確かにこいつあ滅法面白い
素朴といえば素朴。明治を舞台とした時代の素朴、登場人物の味のある素朴。 だが、その素朴さゆえの面白さがぎゅっと詰まっている印象。もともと、「面白い」という先入観で読んだから、というバイアスがあったかもしれないながら、堕落しつつある柔術界からの刺客、さらに別次元から次々と登場する強大な敵を小柄な三四郎がばったばったと必殺の「山嵐」で投げ飛ばしてしまう爽快さに、まず格別のものがある。格闘シーンは派手とは言い難いが、柔道ならではの緊張感の描写は流石だといえるだろう。戦い相手の設定の妙、さらにその個々の戦いの印象強さ等々、格闘小説の始祖としての味わいがまず存在する。
加えて、宿敵・桧垣源之助の(勝手な)許嫁にして、警視庁の大会で対戦する村井半助の娘・乙美に対して募る静かな恋心といい、三四郎との試合に負けたことで没落してしまう旧来の柔術一派の姿といい、単に戦って勝ってすかっとするだけの物語ではないところが良い。その悩みを主流となる柔道の試合に巧みに絡めることによって、明治時代ならではの奥手青年・女性のための青春小説としての味わいが加わっている。まあ、現代的なシビアな視点で捉えるならば、緩い展開であることは否めないが、原初の物語が持つ勢いがそのちょっとした思いを圧倒してしまう。また戦って三四郎に敗れた相手が後に親友となったり、戦う相手が少しずつインフレを起こしていくあたりについても、少年スポーツ・格闘漫画の原点として、現代にも通じているような気がした。

この大衆文学館版はこの「天の巻」の後、「地の巻」「人の巻」と堂堂たる三巻構成。だが講談社版が底本となっており、新潮文庫版ほかの冒頭を飾るという「明治武魂」にあたる部分が省略というか付加されていない。従って、物語開始早々より姿三四郎が登場、いきなりに大活躍を始めてしまう。この前段が面白いという話でもあり、この部分についてはいずれ別途読んでみたい。


06/02/13
佐飛通敏「円環の孤独」(講談社ノベルス'06)

本書の著者・佐飛氏は1960年生まれ。'91年に群像新人文学賞評論部門優秀賞を「静かなるシステム」にて受賞している。本書が単行本デビュー作となる(帯にデビューとあるし)

2050年、宇宙空間に浮かぶステーションホテル。DNAロックにて施錠され完全に密室のホテルにて名探偵H・Mことハロルド・メルヴィルが果物ナイフで首を刺されて死んでいるのが発見された。事件前、H・Mは三年前の事件を解決するために宇宙くんだりまでやって来たと宿泊客に宣伝して回っていたのだという……。懸賞に当たった同僚の代わりにホテルに滞在していた日本人刑事・鈴木新こと”シン”と、英国警視のアーンショウは事件の捜査にあたるが難航。宿泊客の多くは同じく宇宙ステーションホテルに滞在中の大富豪・バンコラン氏によって招待されていたことが分かり、その多くの人物がまた、三年前、八十七年前への時間旅行に参加していたことも判明する。その三年前(八十七年前?)に彼らが滞在したイギリスでもある人物が鍵のかかった部屋の内部で、ある人物が毒を飲まされて死亡していたのだった。

本格としてのロジックは緻密――も、SF設定の諸条件が後出しっぽく、世界が薄っぺらくみえてしまう
カバーにある作者のことばでも、本格ミステリ作家の名前が挙げられ、〈本格〉にこだわったという趣旨のコメントがある。確かに、二つの密室殺人であるとか、その奇妙な状況が生み出すサスペンスであるとかにについて、本格の道具立てを使用している。また、その事件の成立するに至った経緯であるとか、密室トリックの真相といった部分についても解決段階で揃った条件におけるフェア精神で解決へと導かれており、本格ミステリとしての要件は満たした作品だ。冒頭にある事件も、宇宙に浮かぶステーションという意味で、外部からの侵入のない「嵐の山荘」テーマの新しい切り口であるといえるだろう。
ただその一方で、宇宙旅行+時間旅行という2050年舞台の設定そのものがどこか恣意的に見えてしまう点が少々残念。DNAロックという新たな鍵による密室までは良いのだが、例えば不可能状況を強調するあまりにそのロックの運用方法について無理が透けてみえたり、時間旅行そのものの設定や理論といったところが作者に都合良く、適当に作られているように見えたりするのは事実。過去に遡って古本を漁ったとして、それが現代に持ち込めるものなのかどうか。ある登場人物(人物というのかどうか)の存在もまた、説明が浅いままの、都合の良い設定と思えてしまう。SF設定を舞台にする以上、その設定そのものにも〈本格〉としてのロジック以上の緻密さが用意されるべきではなかったか。
アンリ・バンコランやH・M卿といった明らかにカーの作品から取った登場人物が散見されるのだが、それ以外のネーミングについては、哀しいかな浅学につき小生には不明。ただ、他にも探偵小説への言及など細かな遊び心が溢れていることも事実で作者の〈本格〉への愛情は作品全体からも感じられる。それだけに舞台設定の浅さが残念に見えてしまう。

残念ながら上記のような理由から、本格としてだけ読むのならばとにかく、作品全体に対しては高評価を与えにくい。設定を突飛にして中途半端な新しさを狙うよりも、真っ向からロジックの本格で読者と勝負するような作品を望みたい。


06/02/12
松尾由美「ハートブレイク・レストラン」(光文社'05)

『小説宝石』誌に二〇〇三年六月号から、二〇〇五年九月号までに掲載された作品を集めた連作短編集。スマッシュヒットとなった『雨恋』と底流で繋がっているような恋愛&コメディ&本格ミステリ。また本書収録の『走る目覚まし時計の問題』は、第57回日本推理作家協会賞短編部門の候補作品である。

ひとり暮らしのフリーライター、寺坂真以。家にこもって原稿を書いていると息が詰まるので、ノートパソコンを持って、頻繁にやって来るのが街道沿いのファミリーレストラン。お客が少なく、店員もどこか幸薄そうな雰囲気があるこの店、禁煙ゾーンの奥に常連として座っているのが上品なお婆さん。実は店員から「ハル様」と呼ばれている彼女、二十年前に亡くなった御隠居さんであり、生前を懐かしんで時々出てくるのだという。店員や客には、彼女が見える人と見えない人の両方がおり、真以は「見える人」。そのハル様が、真以やファミレスに訪れる人の抱える謎を次々解き明かす――。
手作りケーキの中から出てきた結婚指輪、しかしその指輪にはアリバイが……。 『ケーキと指輪の問題』
発明家の手によって作られた動く目覚まし時計。壊れていた筈なのに……。 『走る目覚まし時計の問題』
店長の見合い相手。デートの時に彼女の服装のコーディネートに疑問が……。 『不作法なストラップの問題』
店内で倒れた男。『十五キロというのは嘘でしょう?』の言葉の意味は……。 『靴紐と十五キロの問題』
南野刑事が抱える傷害事件。犯人としか思えない人物にはアリバイが……。 『ベレー帽と花瓶の問題』
発明家の作ったロボットが大会で詠んだ謎の俳句。誰のメッセージなのか……。 『ロボットと俳句の問題』 以上六編。

『隅のおばあちゃん』が解き明かす日常の謎&ほのぼの恋愛ストーリー。
安楽椅子探偵は地縛霊? とはいっても、どこかほのぼのとした上品なおばあちゃん。別に単なる普通の「生きている」おばあちゃんでも安楽椅子探偵は勤まりそうな気もするが、SF設定や奇妙な現象をスパイスとして加えることの多い松尾作品、やはりこういったちょいと不思議な設定がよく似合う。とはいえ、年の功で謎を解決するではなく手掛かりから論理を積み立てていくといったあたり、コアに本格ミステリとして評価されてきた松尾作品良さがある。とはいえその一方で、結果的にかもしれないが、事件そのものが謎めく裏側に人間同士のさりげない思いやりという感情が絡んでいる。そのあたりの感情の妙を見据えた解決となっている点、やはり年の功という発想があってのものという印象を受けた。
また、謎の設定が実に突飛なのもポイント。ケーキの中の指輪といった最初の作品はまだ普通だし、『九マイルは遠すぎる』をベースにした『靴紐と十五キロ』といったところも得心するものがあるが、発明家の三田村社長が登場する『走る目覚まし時計』や『ロボットと俳句』といったあたりは、まず「謎」自体が凡人に思いつくものではない。一方で『不作法なストラップ』など、女性ならではのトリックと問題をうまくまとめた作品もあり、その幅広い発想がこの軽めのミステリに集められている点にも驚きがあった。
連載時期の関係から……というのは穿ちすぎかもしれないが、作品集の中途から少しずつ主人公の真以と、ファミレスによくやって来る南野刑事との恋愛ストーリーが進展する。『雨恋』が売れたから路線を微妙にずらした……ということでもなかろうが、結果的にハートブレイクがハートウォーミングなストーリーに変転していく点、恐らくは多くの読者が感じるこの作品の最大の良さということになるのだろう。おばあちゃんの推理から自分の推理へと脱却していく、主人公の成長もまた良し。

柔らかな語り口と読者を選ばない暖かい感覚とがmixされ、まさに心温まるミステリー。毒やスリルには欠けるかもしれないが、元より存在する作者のセンスの良さが結実した短編集。単行本もそうだが、今後文庫などになった後も末永く読まれそうな予感。


06/02/11
よしだまさし「姿三四郎と富田常雄」(本の雑誌社'06)

WEBサイト・ガラクタ風雲を主催する「三冊二百円の男」「均一棚の魔術師」こと、よしだまさしさん、初の単著となる作品。もともと別によしださんは富田常雄ファンではなかった筈なのだが、ある時期より『姿三四郎』及び富田常雄にどっぷりと嵌り込み、その集大成となったのが本書である。正直なところ、単行本化の話を聞いた時にかなり驚いた。そして本書を読んでみてもっと驚いた。

もともと読書好きが嵩じて古本マニアとなったよしだまさし氏は、ある日、通勤途中に読む本を選んでいた。「えーい、今日はこれでいいやあ!」と偶然にも選んだ本が富田常雄の『姿三四郎』であった。それが全ての始まり。明治の開化の流れにおいて滅びつつある柔術を、若者・矢野正五郎は自らの手で紘道館を設立して統合体系化し「柔道」の創始者となる……ところから始まり、ようやく姿三四郎が登場。そこから更に格闘技としての物語、じれったい恋愛小説、青春小説としての楽しみにどっぷり嵌った――。そしてそこから、よしださんは姿三四郎と富田常雄について研究者のような独自の愛情精神でもって、情報をそして古本を集め始めるのであった。 富田常雄のデビュー当時の話から人気作家としての度合い、さらに晩年の様子までを再検証したかと思えば、『姿三四郎』の面白さを様々な角度から分析していたり。富田常雄の小説のおおよその傾向や、姿三四郎の外伝等の紹介などなどを実施。更には、著作一覧(よしださん曰くまだ不完全)や映画・漫画化リスト等々、あちらの図書館、こちらの図書館とこつこつと情報を求め、探して回った内容の、現段階まずは集大成といえる異色の研究・評論書。

まず軽妙な文章のノリに引き込まれ、続いて『姿三四郎』の知られざる魅力に触れる。『姿三四郎』が読みたくなる。
例えば、よしださんのサイト内にある「大丈夫日記」をご覧の方はお判りの通り、よしださんの文章は平易かつバランス感覚に優れ、ノリが良い。本書を読んでいて最初から最後まで感じたのは、そのサイトのイメージ通りの文章であるという点だ。『姿三四郎と富田常雄』は、評論本としての側面を併せ持っていることは確かながら、このよしださんの文章やエピソードの非凡な選び方により、そういった評論本特有の堅苦しさからは無縁で、むしろ評論エンターテインメントとなっている。(実際に「購書日記」という括りで日記形式で、富田常雄作品をを集めはじめた様子を、大丈夫日記から関係部分を抜き出して採録している)。
そして、取り上げられる『姿三四郎』の物語としての魅力を余すところなく引き出しているのも特長の一つ。「しかし、僕は君を……時々は柔道よりも大事だと思った」なんて台詞を抜き出されてしまうと、興味が湧かないわけないじゃないですか。いわゆる「少年ジャンプ」型というのか、戦う敵がインフレ化してゆく物語といい、女性にモテモテながらうまくあしらえない純情な姿三四郎といい、現代エンターテインメントの基本中の基本が『姿三四郎』に存在していることがありありと伝わってくる。 (ただ、モテモテだけど女性は苦手というのは、どこか城戸禮氏の一連の大衆小説にも通じるような気がしてきた)。 ここに至って『姿三四郎』を読んだことのない小生のような読者は「ああ、『姿三四郎』、読みたい!」 という気持ちに帰結してゆく。(複数の既読者が同様の趣旨のことを述べている模様)。
その一方で、作者である「富田常雄」情報についてもユニークなエピソードを交えて丁寧に書かれており、決してノリだけで面白可笑しく書かれただけの作品ではない点もポイント。困難な資料を図書館を回って必死に探し回る著者本人の様子も本書にはあり、かなりの労力をこの部分にも費やしていることが推察される。その成果ともいえる各種のリストは(誰が使うのかはとにかく)資料的な価値もある。また、『姿三四郎』の本編だけでなく、外伝や読者サービスでの登場といった場面を紹介していくのも、古書蒐集という努力の賜物だといえるだろう。忘れられかけているかつての人気作家とその作品の再評価をきっちりこなしている良い仕事だと素直に感じた。

よしださんが友人であることは否定しないので、このレビューが内輪褒めと受け取られるようなら、それはそれで仕方がないと覚悟。だけど、『姿三四郎』に全く興味がない状態で読み始めたのに、これがホントに面白かったんだもーん。