MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/02/28
都筑道夫「最長不倒距離」(光文社文庫'00)

「謎と論理のエンタテインメント」を唱えた都筑氏による、本格ミステリに軸足を置いた実作シリーズ「物部太郎」三部作の二作目にあたる長編。別の作品では主役を張る片岡直次郎がワトソン役、「TARO MONONOBE, PSYCHIC DETECTIVE」を看板に渋谷・宮益坂に”客が来ないように”事務所を構える、ものぐさ太郎の末裔(と本人が信じる)物部太郎が探偵役というシリーズ。

仕事をしたくない物部太郎が実業家の父親の手前、仕事していなくても仕事をしているようにみえるように開いた探偵事務所。その開業相談に乗った片岡直次郎が助手役で一緒に勤務する。しかし、思惑通り閑古鳥が鳴いていたのも一月、茨城県で怨霊騒ぎが起きて更に殺人まで発生する事態に巻き込まれ『七十五羽の烏』のお話は、物部太郎が意外な推理力を発揮して解決に導いた。しかし、そのあいだに勝手に留守番していた父親が、心霊捜査の依頼を受け付けてしまっていた。幽霊が出ると評判のスキー宿の主人が、その幽霊が出なくなったので調査して欲しいというのがその依頼。温泉でスキーを楽しんでいれば良い、と直次郎に説得されて、いやいやながら腰を上げた太郎は、群馬県の黒馬温泉を訪れる。依頼元の鐙屋旅館に腰を据えた二人だったが、早速怪奇趣味の主人にもてなされ、さらに直次郎はスキー場で大きな木をまたいだ不思議なシュプールを目撃する。さらには、旅館の浴場にて身元不明の若い女性の死体が発見されてしまい、太郎は嫌々ながら事件に巻き込まれる。その死体は密室状況で発見され、さらには頭に髪の毛がなく、片手に腕時計を二つ嵌めていた……。

本格ロジックはもちろん、さまざまな”見せ方”に工夫が凝らされた佳品
世評の確立された傑作本格ミステリ……であることはもちろんである。だが、何度かめの再読をしてみたところ、そのトリックが凄いというよりも(一部のトリックは本来ワトソン役である片岡直次郎が絡んでいたりとアンフェアだとも思えるところがある)、その論理的な帰結と、その論理のきっかけをつくる不自然な状況の”演出”に意義があるようにみえるのだ。
大きな木をまたいで存在する幽霊シュプール(これを読むといつも、たがみよしひさの某作品が本歌取りしていたことを思い出す……)、ふたつの腕時計をした死体、死者からかかってきた電話等々、冒頭にその不可思議なシチュエーションを配した展開にまずみどころがある。ぐぐっと読者の心をここで引き寄せる。いわゆる”雪の山荘”シチュエーションでありながら、それ以上の興味というか、謎を各所に配する心配りが巧みで、もとより退屈とは無縁の内容なのである。
加えては、殺伐とした本格ミステリにおける多数の蘊蓄。特に映画や芸能などB級日本文化に関するものが本作目立つ。ただ、この点は本来評価すべきなのだろうけれど、今となって読むと少々くどい感じがしなくもない。都筑道夫がちょっと苦手という方からみれば、こういった蘊蓄関係の存在がかえって読みにくさに繋がっているかもしれない。
もう一点、謎の演出が素晴らしいこと、そしてその解決が論理的な帰結に基づくものである点、改めて書くが疑いない。が、そのトリックというか真相の部分については、ちょっと今となって眺めてみるに単純というか、ひねりがないというか、そういった気持ちがあることも確か。ここは論理を重視した結果、突飛なトリック(いわゆるトリックのためのトリック)を使うわけにはいかなかったものと解釈すべきところか。

探偵役・物部太郎とワトソン役・片岡直次郎それぞれが持つ独特の個性や関係性、物語構成と必然性といったところにいろいろな計算が見え隠れする。 ただ、そういった実験的な内容を持ちながらも、娯楽とミステリという部分について綺麗に両立させているのは職人芸のなせる技。末永く読み継がれて欲しい……と思いつつ、ついこの前に出たと思ったこの光文社文庫版、もう入手できないんですね。


06/02/27
多岐川恭「処刑」(宝石社'62)

多岐川恭の長編。他に文華新書版が二種類刊行されている模様。

与党に属しながら、派閥に所属せず利用できるものは全て利用した大物政治家・吾妻猪介。七十三歳になる彼は一旦政界の中心から一旦外れたかにみえたが、首相の度重なる失政の結果、次の首相候補となるに至っていた。その本心は誰からも隠したまま、伊豆の仙石原の自宅に引きこもっていたが、そのニュースが世間に流れるや、さまざまな人物が彼のもとを訪れてきた。猪介の秘書・多門透は、そういった訪問客のうち、大物だけを猪介に会わせたが、その誰もに対して猪介は本心から失礼な言葉を投げつけていく。しかし、外相や同一選挙区の代議士、思想家といった六人の人物が猪介宅に泊まり込むことになった。恋人で東京のOL、稲葉さちをたまたま伊豆の旅館に泊まらせていた多門は、猪介の意外な計らいによって、業務を早めに切り上げ彼女のもとに向かうが、そこに猪介が行方不明になったという連絡が入る。地元関係者らが必死で捜索、ある目撃者によって芦ノ湖に大きな荷物を捨てた者がいるという報により、必死で湖を捜査するのを嘲笑うかのように、ロープウェイに吊された猪介の死体が発見された……。

多くの人物に狙われる大人物……という多岐川恭得意パターンによる不思議なフーダニット
裸一貫でライバルを蹴落とし、他人を踏みつけにしてのしあがった実業家や政治家という存在は、多岐川恭の好みだったようでしばしば長編作品に登場する。当然、数多くの人間の恨みを買っていることもあり、多数の容疑者が登場し、フーダニットとしての興味が高まる……というミステリ寄りの意味合いよりも、そもそもそういった悪辣な大人物そのものが発する独特の個性を多岐川氏が好んでいたのではないか、という気もする。本書も、同様に昭和中期ながら揺れ動く日本政治を舞台に、乾坤一擲の勝負をかけんばかりだった政治家の姿が描かれる。
基本的には、この政治家、即ち吾妻猪介が序盤で、かつ奇妙な状況で殺害されてしまい、その残された秘書や警察による探偵活動がメインとなっている。どこで殺されたのか。なぜロープウェイにぶら下げられたのか。多数いる容疑者のうち、犯行が可能だったのは誰なのか……、と書くと正調フーダニットのようにも思えるが、物語の主題はこればかりではない。だが、一筋縄ではいかないのは、その殺された猪介が混迷する政局のなかで「何を考え、我が身をどう処しようとしていたのか」という謎が後から浮かび上がってくる点にある。架空の政治状況でありながら、その点が非常に現実的であり、それがまた殺害のトリックとも密接に絡んでいる点は見逃せない。ただ、惜しむらくは、解決部分が非常に駆け足になってしまいトリックの必然性というあたりに若干疑問が残されたまま物語が閉じてしまう点か。共犯の存在のヒント等も物語からは読み取れないため、本格としては疑問符がつく。

とはいえ、実際に走り回る主人公・多門透と、ヒロインの稲葉さちのラブストーリーがからっと描かれていて気持ちよいし、プロローグで登場した更に大物の引退政治家・新関泉太郎とその世話役の三夜子の意外な(本当に意外な)活躍に驚かされたりと、一個の小説としての魅力は高い。まさに多岐川ファン好みの一冊であることは間違いない。


06/02/26
海堂 尊「チーム・バチスタの栄光」(宝島社'06)

'2005年開催の第4回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞受賞作品。原題は『チーム・バチスタの崩壊』。海堂氏は1961年生まれ、本書がデビュー作品となる。

東城大学医学部付属病院。出世欲のないままに競争に取り残されつつ、不定愁訴外来という特異な地位を自ら創り上げ、大ベテランの藤原看護師と共に”愚痴外来”を取り仕切る田口公平。彼は病院長自らの依頼で、大学病院のエース臓器統御外科の桐生助教授のバチスタ手術の外部チェックをすることになった。バチスタ手術は難易度の高い手術だが、桐生は一年で三十例近く連続成功させていたが、最近三例、立て続けに失敗し患者が死亡する事態が発生していた。術中死であるが、病院のリスクマネジメント委員会の正式調査を待てないということで、桐生自ら調査を望んでいたものだった。田口は、バチスタ・チームにあたる技師や看護師らから事情をヒアリングしていくが、少々不仲があるにしてもチームの誰かがミスをしたとは思えない。病院が注目を集めるアフリカの小国から搬入されてきた子供の手術は成功するものの、その次の手術、その田口の目の前で完璧にみえた術中、またもや患者死亡の事態が発生、田口は厚生労働省から高階が呼び寄せた白鳥という人物に更なる強力を要請されるのだが……。

ややもすれば平凡な筋書きが、綿密な構成と計算されたキャラにより強力エンタに大昇格!
著者自身もお医者さんとのことながら、大学病院内部の権力争いや働く人々の生態(?)が、からっとした文体で描かれていて戯画的でありながら奇妙にリアル。病院関係者の丁寧な観察から生まれた本質が抽出されているからか。さらに数多くの脇役たちにしても性格や特徴が極端に強調されており、彼らが、個々に独自の個性を発揮している点にも好感。登場人物の人数も少なくないが、結果的に彼らを描くことによって大学病院という空間を地道に、そしてきちんと演出している点が、この物語全体のかっちりした枠組みをまず支えているポイント。
物語としては、謎の医療事故(術中死?)の調査ということで、謎そのものが一般的とはいえないため、読者に対する引っ張り方はやや弱め。本作のような、なぜ凄腕の外科医の手術が立て続けに失敗するようになったのか? という謎だけならば、描き方によっては全くつまらないものになりかねない。ところがところが、この作品、その普通の(というと身も蓋もないが)謎に、上記のような様々な個性ある人物を絡めることで奇妙な魅力が膨らんでいくのだ。
『このミス』大賞の選者のことばにも散見されたが、特に白鳥という後半からの登場人物のめちゃくちゃさ加減がおもろい。「こいつアホなんちゃうか?」という行動と言動を繰り返し、病院を混乱に落とし込み、人間の弱点を残酷に突いては逆襲を受け、ホントに問題を解決する気があるのか、空元気かやせ我慢か、思わせぶりな台詞を繰り返すこの人物。だけどいつの間にかこの白鳥そのものが本来の謎よりも大きな謎となって物語にそびえ立つ。どんな解決を見せてくれるのだろう、という大きな期待がいつの間にかこちらの胸に膨らんでゆくのだ。結果、「謎」x「人物」によって、もともとの地味な謎が究極のエンターテインメントに変じている。探偵役の個性が、謎そのものを凌駕してしまっている。そしてそれが成功しているのだ。

後半は白鳥に押されてしまうものの、大学病院で潰されずに生き残る主人公・田口公平の地味な魅力も効果的だし、事件の謎が解決した後の事後処理などについても再び、この作品の特徴を活かしたリアルに落ち着いていく点にも作者の力量を感じる。現実的、かつ戯画的な結末はさりげなくも凄いのではないか――と思う次第である。既にかなり売れている模様だが、それをなるほど、と素直に思わせる力作である。


06/02/25
斎藤 栄「ガラスの密室」(集英社文庫'85)

斎藤栄氏の短編集。元版が'82年に双葉社より刊行されており、この集英社文庫版を挟んで、再び'94年に双葉文庫に収録されている。その三冊で全て収録作品は同じ。ノンシリーズ。

上司の命令で、とある団地そばの喫茶店に出向いた茂呂。彼は勘違いから、団地売春の主婦に連れ出されてしまう。 『たそがれ団地夫人』
SMプレイに執着する病院長と金のために従う看護婦。それを覗き見していた隣の男が恐るべき犯罪を……。 『裸形の悪魔』
人気画家が毒殺された。警察は夫人に眼を付けるが、彼女にはゴルフ練習場にいたとのアリバイが。 『アリバイの蟹』
日馬衣子は五十五歳の独身実業家。やることなすこと成功し人生を味わい尽くしたという彼女が、自宅のガラス張りの密室内で死体で発見された。その死体は実に奇妙な状態を呈していた……。 『ガラスの密室』
家の裏で倒れていた男を助けた私。彼は「大倉山のバラ園にある黄金色の猫を譲る」と言い残す。私はそのバラ園を訪れてみた。 『黄金の猫』
念願の一戸建て住宅を中古ながら手に入れた里見夫妻。しかし、その庭の物置の床下から全裸の女性他殺死体が発見されてしまう。 『庭つき一戸建殺人』
ゴルフ仲間の友人から一億円もする宝石を借り出した主婦。彼女がその指輪を嵌め、夢心地で訪れた音楽会にて、彼女は指輪を紛失してしまう。 『エメラルド色の犯罪』
会社の屋上ビルから連れ込みホテルを眺めていた二人。しかし火事が発生、ホテルの屋上に現れたのは会社の社長と、片方の男の恋人だった。 『死の舞踊』
刑務所から強姦殺人の罪で出所したばかりの男の取材に訪れた大貫。男は自分の罪は裁判所で裁かれた内容ではないことを話し出した。 『藪の中の殺人』 以上九編。

バラエティ豊か……。いやしかし、表題作のトリックのアンバランスな凄まじさに悶絶
もともと斎藤栄氏は、本格ミステリからサスペンス、幻想文学系統に至るまで非常に引き出しの多い作家である。本書にはそんな氏の持つバラエティ豊かな才能による各分野の作品が一冊にまとめられている。本格ミステリあり、サスペンスあり、ブラックな小話風の作品から、クライムノベルまで。なので一冊全体の印象を述べるとするならば、やはり「バラエティ豊か」という言い方になってしまう。
クライムノベル系統の『裸形の悪魔』や『藪の中の殺人』といったところ、これらは(現代の価値観からすれば)あまり趣味が宜しくない。時代風俗といった点が濃厚に反映されている点はマイナスではないが、題材が女性や弱者への暴行にあり、テーマ性を何一つ訴えることなく非常に読後感が悪い。同様の『エメラルド色の犯罪』は、アイデアは平凡ながら登場人物を一家崩壊の悲惨の極へと落とし込むことによって、他にはない奇妙な味わいにはなっている。あまり楽しくなる作品でない点は他と同じだが。
ただ、一方で、本格ミステリ系統の作品は「ある意味」非常に魅力的である。『庭つき一戸建殺人』などは、戸建てを買った夫妻が死体遺棄事件に巻き込まれるという内容で、登場人物が限定されているなかで真相にサプライズを仕込むテクニックは小技ながら素晴らしいと思った。が、表題作である『ガラスの密室』がすごい。豪邸にあるガラス張りの部屋内部で、全裸で緊縛された状態にて奇妙な姿勢で死んでいる死体。しかも、密室は内部から施錠が為されており、犯人の入り込む隙間がない……。何者かから送られてくる犯行宣言。死者を恨んでいると思われる五人の人物……と、本格ミステリのお膳立てが綺麗に整えられているのだが。が、しかし。  まさか病気で余命僅かな被害者がヨガの修業をしていて、自分で自分の身体を縛ったのだとは、お釈迦様でも気がつくめえて。

ミステリ短編として水準クラスの作品もあるにはあるものの、後味の悪い作品と悶絶の作品との印象が強すぎる。その意味でのインパクトはある。ただ、今さら皆さまにお勧めするものでは決してないので。


06/02/24
山田正紀「郵便配達は二度死ぬ」(徳間書店'95)

近年は山田正紀のミステリといえば独自のセンスの光る本格ミステリであるが、本書あたりから独特の設定がみられる印象があり、どこか近年の作品傾向に近くなっているように感じられる。本書は書き下ろしでハードカバー版が刊行されたあと、文庫化されておらず現在は比較的入手し辛い一冊。

中央区夢島郵便局。この郵便局には全国の女子中高生から郵便局宛ての手紙が届けられる。彼女たち向けの雑誌「メロウティーン」で、この集配範囲にある地名「小井思坂」を「恋思う坂」、「梅畑森」を「夢果つる森」と読み替えた読み物を発表した結果、読者が予想外の反応を示してきたのだ。この夢島郵便局に勤務する独身の若き集配員・早瀬邦夫は、郵便局のアトラクションで”しんありさ”という新人タレントと簡単な会話を交わす。このことがきっかけで熱烈な”しんありさ”ファンとなった邦夫は、自分の配達区域にある彼女のマンションに、毎日のように変名でファンレターを送るようになっていた。そんな邦夫があるビルに配達に訪れたところ、何者かに襲われ傷つけられた挙げ句、郵便局の制服が奪われてしまった。その制服を利用して、恋思う坂に集まってくる女子高生が暴行される事件が発生した。女子高生のミカも、恋思う坂にやって来た一人。そんな彼女は、歩道橋の上で倒れている郵便局員を発見、巡回中の婦人警官に通報する。しかし、現場に駆け付けた警察官は、歩道橋の”下”に落ちている死体を発見した。死んでいたのは、怪我をした邦夫の代わりに配達していた、彼の同僚の権藤だった。邦夫は権藤の行動をトレース、マンション小井思坂に眼を付けた……。

メルヘンチックな雰囲気のなかに隠される複数テーマ。暗号に不可能犯罪と山田本格としても一流
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が何か意識されているのか……と思ったけれども借りているのは題名のみ。郵便局という、ミステリでは「見えない人」に分類されそうな分野に焦点を当てて独自の本格ミステリを創り上げている。特に、歩道橋の上で発見された死体が、誰にも落とされない状態で発見された……という不可能犯罪も描かれてはいるものの、本書のミステリとしての眼目は、その具体的方法にあるのではない。例えば郵便配達局員を装った悪質な犯罪行為が淡々と描かれているなど、その背景など全て「伏線」となってそれらが総合されたミステリとしての特殊テーマに繋がっているいるところに唸らされるのだ。加えて、序盤には書き散らかされたような、本筋とどう関わるのか分からないエピソードが多数あるのだが、全てを読み終わった後にそれらのプロローグを読むと「かちりかちり」と音を立てて物語のなかに嵌っていく快感が味わえる。
また、メルヘンチックな童話に隠された暗号(作中には「誰でも解ける」とあるが、読者でヒント無しで解いたという人間は皆無では?)があったり、「恋思う坂」「夢果つる森」といった同じくメルヘンを想起させる要素がちりばめられ、新人アイドルに憧れる郵便局員も含め、全体を独特の雰囲気でまとめてあり、物語のトーンが「家族とは何なのか」「実らない恋」という趣旨のエピソードで統一されている。その一方で、暗号が作成される経緯といい、ヤクザに脅される郵便局員といい、この作品のミステリとしてポイントとなる「なりすまし」という特殊テーマがまた、その上で二重に統一されていることに気付いた時の衝撃は凄まじいものがある。確かに登場人物が多く、人間関係もシンプルとはいえないながら、読み終わるとそれもまた意味があるわけで、むしろマニア筋にとっては堪えられない作品だといえるだろう。

同じテーマに則った小技を多数重ねることで、結果的に読者に大技トリックを仕掛けているような作品。本格ミステリとして十分評価できる作品だと思うのだが、あまり読まれていないように思うのはなぜ? (かくいう自分が今さら読んだわけでもあるが)。大仕掛けの多い山田ミステリのなかでは刊行時期のせいか比較的目立たないながら、佳品といって良い一冊だろう。


06/02/23
多岐川恭「仙台で消えた女」(講談社ノベルス'88)

京都で消えた女』『長崎で消えた女』に続く、”消えた女”三部作の最後の一作。この三冊はいずれも講談社ノベルス→講談社文庫という流れに乗っている。本書は多岐川恭のミステリ長編のなかでも、遺作の『レトロ館の殺意』の前、すなわちラス前の長編にあたる。

息子や自分の周囲に訪れる不幸は、かつて息子と恋人関係にあり、自らその仲を引き裂いた瀬戸溶子にあると信じ、新興宗教の教祖の教えや興信所を通じて仙台に乗り込んできた中年女・田部稲子。かつて自らの捜査のなかで、気持ちを傷つけるような過ちがあったことを謝罪したいという理由で、偶然新聞に掲載された一枚の写真からやはり瀬戸溶子を追って仙台を訪れた警察関係の中年男・塩尻。そして、病床にある父親の内縁の妻であり、父親が今なお執心するその女性・瀬戸溶子を父親と再会させるために連れ戻しに訪れたという若者・金崎恵一。彼らは、三人三様の理由を持ちながら瀬戸溶子を求めて仙台の街にやって来た。息子には花巻の親戚宅に行くと偽り、興信所の調査をもとに進めてゆく稲子。かつての馴染みだった水商売の女性の伝手をたどる金崎などやり方は様々だったが、徐々に包囲網が狭められてゆくなか、溶子は巧みに彼らの追跡から逃がれてゆく。一方、その瀬戸溶子にかつて世話になったことがある森田久美。彼女は恩師の娘・悠里と二人いるところで、カメラマンの帆村と名乗る男と出会う。その帆村は、悠里と徐々に接近し、第三者的に溶子の事件とも関わることになるのだが……。

薄幸の美女か稀代の悪女か。”消えた女”シリーズの三作目は魔性の女がテーマ
「本格旅情ミステリー」ないし「多岐川恭のミステリー・ロマン」と銘打たれている。仙台という地名が題名にあり、仙台市内や鳴子といった土地が舞台となっており、多くの登場人物が旅行者(その土地に住む人間ではないという意味で)である点は、旅情の部分があるにはあるが、どちらかといえば「ロマン」の方が勝っている作品だ。
多岐川恭は『京都で消えた女』で、失踪した女性を追うストーリーを使って一人の女性の姿を創り上げた。本書は、失踪する女性を追う人間が三人おり、彼らが彼女を追う真の目的を徐々に明らかにしていく展開のなかで、この瀬戸溶子なる女性の姿がぼんやりと浮かび上がってゆくストーリー。だが、中盤に至るまで、三人のエピソードが代わる代わるに描かれる展開は工夫はあるもののどこか冗長に思える。瀬戸溶子が何者なのかよく分からず、登場人物がみんな嘘つき。核心を外されたもどかしさが読んでいるあいだ感じられる。しかし中盤、このうちの一人が何者かに殺害されるに至って物語は緊迫感を増し、ぐっと引き締まるのだ。ここからが本書の面白みに繋がる。
三人が何故「瀬戸溶子」を追っていたのか。彼らが本性を剥き出せば出すほどに浮かび上がる謎の女性像。彼女は終盤にようやく読者の前に姿を見せるのだが、彼女自身の本質を最後の最後まで作者はうまく隠し続ける。ここに至って究極ともいえる愛憎劇が繰り広げられ、物語はクライマックスへと至ってゆく。また、意外な部分に(まあ、読み取れるが)も仕掛けがあり、その結果、この瀬戸溶子の人間像は更に強化されるあたりも周到。ミステリとしてよりも、人間ドラマとして奇妙な余韻を残す作品だといえる。

工夫の多岐川ミステリの系譜のなかでは、こういった二時間ドラマ系の展開は異色といえば異色。他の作家でも書きそうなテーマではあるのだが、そこを上質のテクニックで包み多岐川恭らしい皮肉が効いて効果を出している。とはいえ、多岐川作品にはもっと読まれて欲しい作品があるので、本書のみを特にお勧めする理由はないですね。多岐川マニアだけが読んで喜ぶべき作品かな。


06/02/22
西條奈加「金春屋ゴメス」(新潮社'05)

第17回日本ファンタジーノベル大賞の大賞受賞作品。作者の西條奈加さんは女性で、1964年北海道生まれ。会社勤めの傍ら二十代半ばから創作を開始、本作が初の長編なのだという。

二十一世紀の半ば。なぜか日本の国土のなかに江戸時代を真似て建国されたまま独立国として三十年が経過する江戸国が存在している。諸外国からは認められていないものの、日本の属国として存在するれっきとした国だが、鎖国されていて外部との交流は厳重に制限されいる。もちろん観光や旅行もダメで、江戸国に行くには住民となる必要があり、その競争率は三百倍にも達していた。その江戸国出身の父親の頼みで応募した二十歳の大学生・辰次郎。彼はあっさり入国を許され、厳しい抽選を勝ち抜いた松吉、奈美と共に江戸入国管理局から原始的な船で入国した。早速辰次郎は、江戸国の住人なら泣く子も黙るという金春屋ゴメスのもとで働くことになった。金春屋ゴメスは長崎奉行という役職で多数の手下をこき使って、江戸国に発生する諸問題を表から裏から取り締まり、解決するのがその役目。少しずつ暮らしに慣れはじめたが辰次郎は、実は江戸国で生まれており、彼が幼い頃に罹った”鬼赤痢”なる病気の謎を追うことがその使命だと知らされる。

からっとした江戸の気っ風とファンタジーとの微妙な融合。時代小説の面白みと不思議な整合性と
小説家がネタに困ったとき、いろいろと関係ないものを組み合わせてそこから発想を膨らませる……なんて話を聞いたことがあるが、そんな感じの作品。二十一世紀、だけど、日本国内に江戸国、しかも独立して江戸時代の生活を再現している?? と、ほとんどテーマパークな発想に正直、いきなり面食らう。さらに、主人公の辰次郎が、あっという間に江戸に同化してしまうんですよね。なので、序盤をちょいと過ぎるとほとんどノリは時代小説となってしまう。ところが、この時代小説としての描写がこの作者、なかなかに巧み。江戸の町中から田舎の風景といった描写から市井の人々の暮らしぶりに至るまで、しっとりと落ち着いた筆致で描かれており、恐らくは作者自身かなりの時代小説マニアであるはず。この部分が浮ついていないのが、本作の成功とダイレクトに繋がっている。
また、加えて登場人物のキャラが立っているのも特徴。お気に入りは、もちろん題名にもなっている金春屋ゴメス。見た目といい、性格といい、その正体といい(このあたりは本書を読んでのお楽しみだ) いろいろな意味で個性が凄まじい。折角なので、もう少し登場&活躍する場面が多くても良かったかも。また主要登場人物となる辰次郎、松吉、十助といったところまではなかなかに魅力的なのだが、手下連中と悪役関係は人数も多いせいか若干魅力という意味では割り引きがある。
そして、後半、改めて本作がファンタジーとして再び浮かび上がってくる構図に驚嘆。 なぜ江戸国が日本から独立し、これまで存在してきたか。文化や人、祖国とは何なのか。単なる時代小説だけでは描ききれないテーマが、このような特異な設定を取ることでじわりじわりと浮かび上がってくるのだ。このあたりがファンタジーノベル大賞の大賞として選ばれただけの理由となっているともいえそうだ。

主人公が追い求める”鬼赤痢”の謎が、主人公の記憶の思い出しにかかっていて、きっかけがないとなかなか思い出せないという理由で物語の中盤が引っ張られている点、中だるみしている。ただ、最初と終わりがきちんと締められており、情緒をはじめいろいろな物語としての面白さがきちんと演出されているため、読後感としては至極満足。


06/02/21
多島斗志之「二島縁起」(双葉社'95)

『小説推理』一九九五年五月号から七月号にかけて連載された作品が単行本化されたもの。海上タクシー〈ガル3号〉を操る寺田を主人公とした、多島斗志之氏には珍しいシリーズ作品。長編の本書のほかに短編集『海上タクシー〈ガル3号〉備忘録』がある。

瀬戸内海の西方、客の依頼によって島々のあいだを航走する海上タクシー。東京出身ながらその地に居着き、海上タクシー〈ガル3号〉を操る船長・寺田は、荒れ模様のある晩、同業の男から奇妙な依頼を受ける。幾つかの島に点在する乗客を乗せて回るのだが、全員乗船したあとにその行く先を教えるというものだった。女性船長が操る〈竜王〉号と手分けして指示に従う寺田は、彼らが密漁も厭わない荒くれ揃いの潮見島の漁師たちであることに気づく。しかし、その行程の途中で〈ガル3号〉は、潮見島と敵対する風見島の船群による執拗な妨害に遭う。〈竜王〉号と共に、何とかその危地を脱した寺田だったが、最終目的地を前にして乗客の指示によって引き返させられることになった。しかし、潮見島・風見島の対立が橋梁問題を機に先鋭化、どうやら双方にきな臭い雰囲気が漂うようになる。そして不自然な事件が続発。潮見島と風見島にまつわるアウラ衆の秘密とは。そして……。

他に類を見ない設定が醸し出す、冒険小説とハードボイルドが混じり合う不思議な孤絶感
世の中には海洋冒険小説といったジャンルがあるし、サスペンスもハードボイルドもそれが一つのジャンルを為している。ただ、地に足の付いた設定のなか、それらが見事に融合しているという作品は少ないのではないか。その貴重な一例が本書だ。瀬戸内を巡る〈海上タクシー〉。沖合の小島を回り、定期便のない時間帯や、特殊な依頼を受けて水上を巡る海の男。海の上には道はなく、その船を駆ることによってあくまで自由自在な行動を取れる一方で、自然という厳しい制約が存在する。そんな〈海上タクシー〉という存在を、いわれのない謎の陰謀と絡めて手に汗握る冒険小説といった様相をまずはこの物語は呈する。さらに主人公の寺田には、己の生き方にこだわった結果、家族と別れて暮らさざるを得ない孤独な男の陰がある。冒険小説なのにハードボイルド。
一方で、彼の生きる瀬戸内に根強く残る島同士の対立が背景に存在する。フィクションが混じるとはいえ、戦国時代に端を発する地域特有の謎があり、さらに現代の利得によって炙り出された過去の事件の歪み――。これらが謎となって寺田を巻き込んでゆく。手掛かりとしては完全にフェアとは言い切れないが、どこか伝奇ものの本格ミステリに似た手触りがある。
そして、中盤からはその謎に近づいていく寺田や、その周辺人物に対して謎の犯人の触手が伸びてゆく。何者か分からない敵に注意しながらも、隠された秘密に少しずつ近づいてゆく主人公。手に汗握る展開の面白みは、やはりサスペンス小説の味わいに近い。
こういったジャンルミックス的面白さを様々に取り込みつつ、作品全体としては地に足が付いている(実際は海に浮かんでいるわけだが)。地理的、歴史的な側面、経済的な側面、人の心理的な側面、そういった物語の設定の隅々まで配慮が行き届いているのだ。 この結果、本書は冒険小説でありながら、ミステリでありサスペンスであり、そしてハードボイルドであるという希有な融合をごくごく自然に果たしている。そんななかで見どころはやはり、海上タクシーという乗り物の特異性を活かした活劇となる部分。船に対する様々な妨害行為や干渉を、知恵と勇気ではねのけ、乗り越えていく様子からは後の『海賊モア船長』のシリーズに近い快感が得られた。船自体馴染みの薄い暮らしのなかでは、そういった閃きと勇気による冒険に対する憧れのようなものを覚える。

最終的に明かされる、意外過ぎる犯人に至るまで、全体的には地味な印象ながら作者のサービス精神は旺盛。とにかく色々な物語の特徴が要素となって混じっているため、特定のジャンルに区分・依存することもなく、一個の上質なエンターテインメント作品として楽しめる。細やかな配慮が集大成されるクライマックスの緊迫感も抜群。今となっては入手も困難な作品なのかもしれないが、多島ファンならば探し出して読むべきであろう。