MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/03/20
三津田信三「厭魅(まじもの)の如き憑くもの」(原書房ミステリー・リーグ'06)

三津田氏は「ワールド・ミステリー・ツアー13」シリーズ、「日本怪奇幻想紀行」シリーズ等を企画した現役の編集者ながら、'01年に『ホラー作家の棲む家』を講談社ノベルスから刊行、小説家としてデビュー。同書を含め、三津田信三という名の主人公が活躍する作品を四冊上梓している。他に『シェルター 終末の殺人』がある。本書もまた、ノンシリーズのオリジナル作品。書き下ろし。

交通の便が極端に悪い僻地にある神々櫛村。この村では神様として山神であるカカシ様をお祀りしている。この村を治めるのは事実上大神屋と呼ばれる神櫛家(白の家)。それとは別に憑き物筋にあたり、”さぎり”という名の巫女を輩出する谺呀治家(黒の家)があった。村を二分するほどの大地主同士でありながら両家にのあいだには大きな壁があり、村には複雑な人間関係が渦巻いている。古い因習に支配される村のなか神櫛家の三男・漣三郎は旧弊や因習を嫌い、谺呀治家の巫女である紗霧とも親しくしている。彼は過去にあった出来事を論理的に解明できるとしていたが、紗霧の方ではそれ以外の何かがこの村に存在することを肌で感じていた。そんななか、怪奇小説家で怪奇譚を収集することが生き甲斐の刀城言耶なる人物が村を訪れる。排他的な村の人々の妨害のなか、協力的な人々を見出し滞在の許可を得た彼は、村に伝わる神隠しなど数々の怪異の話を収集する。そんな朝、村に居た得体の知れない山伏が巫神堂でカカシ様の笠を被り蓑を纏った状態で死んでいるのが発見される。更に村ではカカシ様の祟りとしか見えないかたちでの不可解の殺人が連続して……。

本格民俗ホラーと本格ミステリの激烈なハイブリッド。ホラーミステリ史オールタイムベスト級の傑作
まず文体が重い。漢字が多用され方言が飛び交う文章からは普通に土俗的で因習に支配された村の、現代感覚とは相容れないが日本の何処かには存在したかもしれない”旧い村”の雰囲気が漂ってくる。代々続く憑き物筋、山神様、カカシといった割り切れない存在が多々描かれ、村全体を覆う重い空気が読者の回りに纏わりついてくるような不思議な錯覚がある。もちろん、淡々とこれまであった事実が不可思議なこともいうまでもなく、何よりもその不可思議な事象を”カカシ様”の存在により無条件に(条件付きで)受け入れる村人たちの存在が、我々の感覚からみれば不気味に見えて仕方がない。不可能犯罪自体は不可思議であるけれども、それを憑き物や山神といった存在で割り切れってしまう感覚がホラーとしての妙味引き立てる。 とにかくそういった雰囲気作りが抜群に巧みなのだ。代々続く名家同士の葛藤であるとか、村人同士の柵・因習といったところ、冒頭に家系図があり、その関係性に重大な秘密が隠されているあたり、横溝正史の作品を思わせる部分も確かにある。だが本書での狙いは、寧ろかつての日本のどこにでもあっただろう共同体を再現することで、読者に原初の恐怖感覚を再現させようとしている点、動機をそこに求める横溝作品とは微妙に別個の存在だと考える。
人間業ではない怪異現象が多発、論理での検証を求めても解はない――という状況、更に禍々しい存在がそこに見え隠れするあたり、本格ミステリでも同様のシチュエーションはあろうが、本書はさらに道具立てを色々工夫することにより、本気で恐怖感を煽ってくる。特に不条理ともいえる惨劇の連続が引き起こすのは、何か得体の知れない”悪意”であり、その目的がみえない不条理さがエスカレートしていくがゆえに恐怖感は究極にまで高められている。この目的が分からないという部分がホラーの感覚である。
一方、謎を謎だけに終わらせない本格ミステリが後半部にみられる。ただ、ここにも工夫がある。怪異や殺人事件が系統立てて解かれるのではない点だ。色々な推理や論理を凝らすうちに、朧気ながら幾つかの真実(というか説明できる事象)が浮かび上がり、それらが最終的に収束していく過程で、続けて別の恐怖感が喚起されるという仕掛けがあるのだ。根本トリックそのものは色々な意味で、従来からある方法のバリエーションになろうが、この物語における世界観や道具立て、人々の価値観というさまざまな部分がそれに奉仕している見事さも兼ね備えており、衝撃度は高い。結果、ホラー度、ミステリ度いずれも高くなり、さらにそれらが密接に絡み合って得られる物語となっている。ホラーとミステリの根本要素を深く見据えることのできる作者ならではの傑作だと感じる次第。

冒頭に書いたように文章が重く、人間関係も複雑に設えてあるため、気軽に手にとって読むというタイプの作品ではない。だが、入り口さえクリアしていざ世界に入り込んでしまえばホラーファン、ミステリファン共に満足させるだけの充実した内容が待っている。繰り返すが、ホラーミステリの歴史に残る傑作だと信じる。


06/03/19
道尾秀介「骸の爪」(幻冬舎'06)

第5回日本ホラーサスペンス小説大賞特別賞を『背の眼』で受賞した著者の第三長編。心霊研究家の真備とホラー作家の道尾が登場する本書はデビュー作の続編にあたり、もともと『殺す仏』という題名が予定されていたのだという。また道尾氏は怪作『向日葵の咲かない夏』が本格ミステリ大賞候補作となったことでも話題を呼んでいる。

『背の眼』の事件の後、駆け出しホラー作家の道尾は滋賀で行われる従兄弟の結婚式への出席かたがた、僻地にある瑞祥房という由緒正しい仏像彫刻の工房の取材に訪れる。松月という女性と見紛うばかりの外見をした男性が率いる工房では、男性三人女性一人の弟子たちが仏像制作に勤しんでいた。その晩、工房に宿泊した道尾は、仏像保管所にカメラを置き忘れたことを思い出す。真の暗闇のなか、笑い顔の千手観音を目撃し、離れで不気味な「マリ……」という声を聞く。翌朝「マリ」という言葉に心当たりがないか尋ねた道尾は、瑞祥房から追い出されてしまう。戻ったその晩にめくらめっぽうに撮影した写真を現像した道尾は、仏像の頭から血のようなものが流れ出ていることに気付き、再び頼み込んで友人で心霊研究家の真備、その助手の北見と共に再び瑞祥房へと向かうのだった。しかし、彼らの滞在中に再び失踪事件が発生した。

オカルトめいた謎に本格の論理(ロジック)が突きつけられる。数々の妙味が詰め込まれた傑作
前作にあたる『背の眼』ほどではないものの、オカルトっぽさを強調した導入部の展開が実に巧み。死者の怨念、闇の中に浮かぶ笑う仏像に、血を流す仏像、謎の靄に季節外れの蛇……といった怪奇要素が基調となっており、前半は古き良き正調の本格ミステリを思わせる、良い意味でのうさんくささがぷんぷんと漂っている。一方、中盤以降はトータルとしての緊張感こそとぎれないものの、二十年前に発生した失踪事件や関係者の思わせぶりな態度の描写が中心となり、サスペンスという意味合いでは若干弱さが感じられた。関係者の意味深な発現は、真備ら探偵トリオが再来所する刺激により喚起はされているものの、彼ら探偵たちが事件に巻き込まれそうといった緊張感がほとんどないことが理由だと考えられる。さらにこのパートは作者によって意図された転調ではなく、怪しい筈の関係者に微妙に統一感がなく、読者も指向性を持ち得ないため。(つまりはこの部分に何かレッドヘリングを噛ましてくれていればなあという無い物ねだり)。
とはいえ、個人的に感じた本書最大のポイントは、明らかに不自然なかたちで張り巡らされていながら一向に読者の頭のなかに像が結べない伏線群(そう、群というほど謎が多量にある)と、その結果として導かれる急ぎすぎない解決場面にあるのだ。
ぎりぎりまでサスペンスを引っ張って一挙にラストで解決するのではなく「え、もう解決編なの?」というくらい早い段階(普通のミステリに比べれば、だが)で謎解きが開始される。ここからが、この作品めっぽう面白くなる。二十年前の失踪の謎、道尾の不可思議な体験、そして現在進行中の事件は何なのか。気付かせないように張られた伏線が、隠された背後関係などに説得力を付加し、哀しい人間模様が浮かびあがってくる。特に言わでもがなの一言や、不用意な聞き間違いなど、実に些細な事柄が大いなる悲劇に繋がっている物語作りには非凡なものを感じさせられた。

前作も『向日葵』もそうだが、道尾秀介描く犯人像は論理で追い詰められていくもののその犯行には”魔”が感じられる。この何かが取り憑いたかのような”魔”をしっかりと描けるあたり、ホラーを冠した賞の出身者である作者の矜持があるように思った。オーソドックスなようでいて、独自の本格観を持つ特殊な傾向の作品を打ち出す作家としてこれからも追ってゆきたいと思う。


06/03/18
柳 広司「トーキョー・プリズン」(角川書店'06)

そういう記述は特にないのだけれど恐らく書き下ろしとなる柳広司氏による戦後日本を取り扱った本格歴史ミステリ。(この場合の本格は、歴史にもミステリにも掛かることばとして使った)。

終戦後の日本。スガモ・プリズン(つまりは巣鴨刑務所)にはGHQにより戦犯認定された日本人が多数収監されていた。ニュージーランドから連合軍に志願し、欧州で二度の脱走経験を持つ元軍人にして元私立探偵・フェアフィールドは、日本近海で消息を絶った従兄弟の消息を辿るべく、スガモ・プリズンを訪れる。所長からは調査の便宜を図ってやる交換条件として、捕虜虐殺容疑で服役している貴島悟の、戦争中の丸五年間喪われている記憶を取り戻す作業を命じられる。貴島は過去に二度の脱獄に成功しかかったという切れ者で、フェアフィールドはこの人物の捕虜虐殺容疑が信じられない。しかしこの時期、刑務所内では密室状況のなかで評判の悪かった看守の一人が毒死しているところが発見されていた。状況から自殺か事故として処理されていたが、警戒厳重な刑務所内に毒物を持ち込む方法など無いはず。続いて囚人の一人が先の看守と同じような密室における毒死を遂げるにあたって刑務所内は厳戒体制が敷かれることになる。フェアフィールドは、貴島の幼馴染みで親友の頭木逸男と、その妹で戦時中に貴島と婚約していた杏子の二人と共に、貴島の過去について調べを進めてゆく。だが……。

世界のみならず、空間と時間を自由に創造し、その全ての要素を本格ミステリのために奉仕させる。傑作本格。
今のところ、古代ギリシャ、文学のパスティーシュ(パロディ?)、第二次世界大戦とこの三つの分野を中心に柳広司という作家は選んで、巧みにミステリ系エンターテインメントとして作品化してきている。(『聖フランシスコ・ザビエルの首』とかもあるので、引き出しがこの三つということはないですが)。 本書は、『新世界』に続く、第二次大戦もの。
終戦直後の東京で、監獄で発生した密室殺人事件に、冤罪で処刑されようとしている戦犯、その戦犯の持つ特異な推理能力と、日本という異文化と直面して戸惑う探偵役……、とわざわざ複雑なシチュエーションを積極に取り込んで演出される物語。そのストーリーテリングの冴えは抜群で、序盤から数多くの謎が登場して読者を魅了する。とはいえ、それらが全て本格ミステリの要素を持っているかというとそうでもなく、人捜しであるとか、証拠集めであるとか、ハードボイルド系統の探偵小説にみられるような足で稼ぐ謎解きでもある点、物語の展開に起伏をつけているところも注目されよう。
また、巧みだと感じたのは主人公を占領軍たるGHQでも、敗戦した日本人でもなく、元連合軍の軍人でニュージーランド人という、どちら側とも微妙に相容れない中立的な立場に立たせている点。その結果、事件そのものだけでなく、日本にとっての太平洋戦争という事実をも客観的に捉え分析することが可能になるのだ。ミステリとは別に、本書には天皇制のもと太平洋戦争に臨んだ人々の群集心理や指導層の姿が描かれ、戦争の真実を独特な角度で分析しており、その時代に生きた者が誰でも陥ったかもしれない恐怖がじわじわと心に染みいるかたちで描かれている。 戦争により人格や考え方が維持できなくなる恐怖は、この作品の底流にある主題の一つであろう。
一方、ミステリとしても「出入りを厳しくチェックされる監獄内にどうやって毒物が持ち込まれたのか」など不可能犯罪がいくつか入っており、満足度は高い。(ちょっと詰めが甘いように思われる点もあるが……) トリックそのものに強烈なオリジナリティがあるという訳ではないのだが、それでもこの時期の歴史と監獄という場所を綺麗に溶かし込んだ謎−謎解きには好感が持てる。 また、物語全体の謎、即ち貴島は本当に捕虜を殺害したのか――という点は、文化の違いによる証言の解釈の差までは早々と予想がつくものの、それだけで終わらせず、さらにヒネリを加えて主人公ほか関係者までをも巻き込んで別の構図を見せてしまう演出にはぎょっとした。この貴島という人物の意志の強さ、全てを見通す明晰な頭脳が選んだ結論には強烈なインパクトがあった。(単発の登場人物にするのが勿体ないくらい)。

間違いなく今年の本格ミステリにおける収穫の一つに数えられる作品。 そのテーマ性と、もともと引かれた物語の設計図の巧みさに瞠目して欲しい。戦争の狂気とひとことでいいきれない、だけど戦争が生み出した狂気そのものを見事に探偵小説の形式で挑んで、かつ成功している。


06/03/17
森 博嗣「レタス・フライ」(講談社ノベルス'06)

森博嗣の講談社ノベルスでは五冊目となる短編集。VシリーズやGシリーズに連なる作品に加え、ショートショートも五編収録されている。雑誌『メフィスト』『小説現代』『IN★POCKET』といったところで発表された作品に書き下ろし『砂の街』が加えられている。

かつての部下がいるこの国へ”私”はやって来た。辞表を受け取ってもらえなかったが故の一風変わった海外出張。その”私”を彼女が満面の笑みを浮かべて出迎える。そしてこの地の事件の話を”私”は聞く。 『ラジオの似合う夜』
僕を閉じ込めている檻。物心がついた時から既にそうだった。ただ、僕は長じるにつれ、檻の外側にある様々なものにも目を向け、僕なりに理解するようになった。 『檻とプリズム』
町一番の煙突掃除人だった父が町一番のお化け煙突から落下し大怪我を負って死んだ。その息子もまた煙突掃除人となり、町一番の煙突に挑戦する日がやって来た。 『証明可能な煙突掃除人』
一人旅の途中。ある場所の皇帝の墓を散策していた私をみかけた若い女性が、日本語の練習がしたいからとその遺跡を案内してくれることになった。 『皇帝の夢』
ミィが話をしてくれた、ちょっとした昔の話。おねえさんとおにいさんが山に住んでいました、その山奥でおいにさんはシバ刈りに、おねえさんは川へ洗濯に行きました。 『私を失望させて』
子どもの頃、遠足の引率をしてくれた、美しい黒髪を持つ若い女性。子どもだった私たちは、彼女の髪に「くっつき虫」と呼ばれる植物を投げつけた。 『麗しき黒髪に種を』
小学校低学年の頃の友人・コシジ君。大人になった僕は夢の中で、大きくなったコシジ君と時々出会っていた。でもそのコシジ君は失敗ばかりをしていて……。 『コシジ君のこと』
故郷の街に久々に訪れたところ、その街は灰色になっていた。至る所に砂が積もっており、車は砂を巻き上げながら走っていく。実家に向かう歩道にもやはり砂が積もっていた。 『砂の街』
山吹早月の故郷である白刀島。早月は寂れたこの島の唯一の旅館の息子である。同行していたのは加部谷恵美、そして海月及介。更に西之園萌絵が合流するという話もある。早速彼らは、その島での怪異譚の収集を開始、探険スポットに出掛けてみることになった。一方、西之園萌絵の叔母・佐々木睦子はその島に別荘を持っており、萌絵と睦子はヘリコプターで島へと向かっていた。 『刀之津診療所の怪』 以上九編。

森博嗣の乾いてクールな文章と、森博嗣独特の幻想との美しいハーモニーを再認識
冒頭の『ラジオの似合う夜』を読んでいて、良い意味での違和感を覚えた。「森博嗣って、こんなにシンプルで美しい文章を書いていたっけか?」
最近、森作品は刊行されてしばらくしてから読むケースが多いので、リアルタイムの変化に気付きづらい点は御容赦願いたいが、本書が特別に良いのか、特に小生の口に合うのか、すっきりした印象を受けた。元もと理系ミステリとまで揶揄された固めの文体から、徐々に小説としての丸みが出てきているのかもしれない。(偉そうなことを書いてすみません)。
で、中身もなかなか良い。厳密な意味での本格ミステリを期待されている方には食い足りないことは必定ながら(例えば『ラジオの夜』あたりの奇想はぶっ飛んでいて面白いものの、そこに至る伏線がちょっと恣意的に過ぎるし、電話でその事実を聞いた在日本の明晰な人々が、正解も聞かずに頭のなかだけで正解を決めつけてしまうあたりには微妙な違和感があることは事実)、いつもながらの森ミステリィの流れを汲む流れのなか、作者らしい独特の叙情性と相まっていい味の作品に仕上がっている。 また、ショートショートのうち『私を失望させて』は、いずれお伽話ミステリ・アンソロジーなどが出る際には採録されそうな独特の味わいが良く、ミステリ的に驚天動地のトリック(ネタ)を大胆に織り込んでいる『証明可能な煙突掃除人』が良かった。
あと、幻想系の作品については、その世界自体の創造能力よりも、そういった世界に絡む登場人物の壊れ方の描写がうまい。他人と自分が異なることは当たり前なのに、均質化を求めてくる世間・社会に対する主張が遺憾なく発揮されている。まあ、もともとそのテーマも森作品に通底するテーマでもある。

さすがに一冊目がこの短編集というのはお勧め出来ませんが、少しでも森作品を読まれている方なら楽しめること請け合います。ただ、ノベルスの割に段組が一段なのでちょっと水増しされている印象も実はあるのですけれど。


06/03/16
戸梶圭太「宇宙で一番優しい惑星」(中央公論新社'06)

戸梶圭太:1968年東京都生まれ。学習院大学文学部心理学科卒業。『闇の楽園』で第3回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞、堂作品でデビュー。人間の心の暗部を抉り出す、その独特の作風が支持を集める。(この作品の来歴がよく分からないので著者紹介を引き写してみました)。

惑星オルヘゴ。太陽が照りつけた瞬間に急速な勢いで頗割れが発生し、生物の生きることのできない泥の海に囲まれた大陸に、その星の知的生命体(人類に似ているようだが……)が住む。そのうちもっとも住みよい高地を占有し、国民所得も多く、文明も発達している一方で残酷さとグロテスクを愛する心を持つ高級国クイーグ。低地と湿地帯が国土の大半で人口が多い一方、風土病が横行し平均寿命は短く、無教養かつ低所得層が国民の圧倒的多数を占め、アテ族とホコ族の内戦に明け暮れる低級国ダスーン。その両国と国境を接する中間地帯にあり、文明もそこそこ節度もそこそこ、人口もそこそこで、ダスーンからの戦費補償を拒否し、クイーグに縋ってそこそこに繁栄する中級(だけどちょっとレベル低い)国ボボリ。この三カ国で繰り広げられる、低レベルな外交と虐殺、そして戦争がトカジケイタの手によって表現される……としか言いようのないストーリー。

物語としてのまとまりは欠くが、底流に流れる皮肉な精神は変わらない。実にトカジらしいトカジエンタ
自分勝手なエゴと欲望を剥き出しにして生きている点だけは共通しているものの、多数の登場人物が物語の視点を与えられ殺されて(殺されなくとも悲惨な人生の終焉を迎えて)しまい、モザイクのようなストーリーの断片が複数集まることで物語全体を織りなしている。一応、そのなかでも中心となるのは、ボボリの外交官クメダ、ダスーン国大統領ボガ、そしてボボリに夫がロリコンツアーに出かけているあいだに拉致され、恥ずかしい思いをしているアミエの三人になるか。彼らの行動がかろうじて、物語に筋書きを作っている。
オルへゴの三国は、斜陽の国・日本と、アジアの某国と某国、さらに中東とアフリカの某国を足して4以上の数字で割って、それをひどく下品にしたような仮想国家、さらに世界の警察を自認する某国あたりがモデルとなっているようだけれどそこはそれ。そのディティールにトカジ流のスパイスが効き過ぎていて、その明確なモデルがどこなのか、想像を巡らせてもあまり意味がないかも。とはいえ、同時多発テロに対する米国とイラク、平和ボケした日本を皮肉っているあたりが底にある点は間違いないのだけれど。ただ、そこに社会派的に何かどっしりした印象があるかといえば、見事なまでに何にもない。むしろ、人間の根源的な欲求・欲望をひたすら各国各様の下劣な特徴を活かして描き出している方が重要だろう。いつものトカジエンタがここにある。基本精神は「安い人間はどこまでいっても安い」。現社会というたがが外れている世界だけに、その鬼畜ぶりは他の作品以上に強烈だ。普通の人間を超えたところで世界を構成しているからこその、下品でグロテスクな根源的欲求が醸し出す爽快感が不気味な魅力となっている。

かなり内容としては”飛んで”いるのでトカジ作品に対する免疫がないという人には、絶対にお勧めしたりしない。めちゃくちゃで奔放、無邪気で鬼畜な世界を楽しめる(ないし、現世への警鐘と受け止められる)、心に余裕のある大人の方はどうぞ。


06/03/15
北川歩実「恋愛函数」(光文社'05)

覆面作家・北川歩実氏の久々の長編新作。長編では『お喋り鳥の呪縛』以来? 『ジャーロ』の二〇〇三年秋号から二〇〇四年夏号にかけて掲載された作品に大幅加筆しての単行本化。

恋愛小説作家の貴井典秋は『グロリフ』という結婚情報サービス会社を取材した関係で、その社長・和凪宏美にさまざまな便宜を図ってもらっていた。その『グロリフ』の会員・本村千佳が、紹介でお見合いをした直後に殺害されるという事件が起きており、その事件を週刊誌の記者が記事にするのを差し止められないか貴井は相談を受ける。さらに貴井は、以前取材した霜山芽衣子の妹なる人物からの連絡を受ける。芽衣子が行方不明になっているのだというのだ。さらに別の会員にはストーカー被害が発生、貴井もその事件に巻き込まれていく。どうやら『グロリフ』が売りにしている数学的な相性診断ソフト「GP診断」での相性が抜群とされたカップル同士のあいだで、暴力的なトラブルが発生する傾向があるようだ。事件の源は「GP診断」を開発したソフト会社ジーピーファンクションにあるのか。開発者である因幡、その婚約者である保田沙耶、そして因幡の甥である祥吾を巻き込み、事件は思わぬ拡がりをみせてゆく……。

謎めいて怪しく、だけど信憑性を感じさせる理論と、それに巻き込まれる人間サスペンス
北川歩実の長編作品の魅力の一つは、これまでミステリでは取り入れられなかったような科学的な裏付けのある(ようなないような)トンデモ理論がもっともらしく物語に登場する点にある。本作もそれは同様で、題名となった「恋愛函数」=「恋愛関数」となる、GP理論というのがそれ。GP理論は、蓄積されたある綿密な実験データその他の蓄積に数学的な補強がなされることによって形成されており、沢山の図形を見てチェックするような方式による科学的恋愛相性占いである。
物語の序盤で説明されるこの理論が殺人事件を引き起こしてしまっている? という謎から始まり、主人公たちはこの理論の成り立ちを調べ始める……、とここまでは良い。
だが、その後の電話と面談が繰り返され、仮説をもとに犯人像を推理していく中盤が若干ダレ気味の印象。関係者と関係者が会ったり離れたり、逃げたり電話したりという場面が多く落ち着かない感がある。とはいえ実際に発生した事件から、少しずつ引き出される証拠をもとに繰り広げられる推理合戦自体は論理に満ちていて読み応えは確かにあるのだ。だが、秘められた人間関係・親子関係といったところが次々と明らかにされていく結果、すぐに以前の説が否定されてゆくのは、ちょっとミステリ(少なくとも本格を)を名乗るには恣意的に過ぎるように思われた。(このあたりにも最終的にはある試みがなされていて意味はあるのだけれど、そうだとしても)。また中盤以降、GP理論の持つ秘密にも迫っていく場面でも、理論そのものの面白みがどんどん抜け、その成り立ちに迫っていくのみとなるのも何か勿体ない。むしろ、関係者が次々と謎の人物に襲われていくサスペンス小説としてのスリリングさの方がむしろ特徴となるか。
終盤ぎりぎりまで、構成のなかでどんでん返しを繰り返すあたりは「さすが北川歩実!」なのだけれど、全体の印象としてはこれまでの作品においてみせた奇想の部分が矮小化してしまって脇役に押しやられている分、小粒に見えてしまう。

北川歩実のファンにとっては論理とサスペンスの同居したこれまでの作風と同様なので、安心して読める作品だとは思われるが、初期作品のインパクトに比べると若干割引があるか。とりあえずこの作家の作品を読んだことがないという人は、『僕を殺した女』など、他の長編から入られる方が良いかも。


06/03/14
東野圭吾「ゲームの名は誘拐」(光文社文庫'05)

'00年から'02年にかけて光文社の雑誌『Gainer』に『青春のデスマスク』として連載されていた作品を本題に改題、'02年に単行本化された作品が元版。11月という刊行タイミングのせいか、2004年度版の「このミステリーがすごい!」では十一位とベスト10を外した。また本書を原作に『g@me』という題名で藤木直人、仲間由紀恵ら主演によって映画化されている。

効率主義者で敏腕の広告プランナー・佐久間駿介は、自身の自信作であった日星自動車向けのプランが同社副社長・葛城勝俊の命により中止にさせられたことを知らされる。葛城は会長の息子だが各部署で実戦トレーニングを積んだあと、アメリカ支社でマーケティング技術を身に付けたという切れ者。その葛城に広告センスを貶され、佐久間は納得がいかない。酔った勢いで、その葛城宅を訪れようとした佐久間は、葛城家の塀を越えて出てきた若い女性を見つけ、後をつけた。彼女は、葛城の娘・樹里と名乗り、家出をしてきたという。結果的に彼女を保護した佐久間は、家に対する恨み辛みをいう樹里と共に、狂言誘拐を葛城勝俊に対して仕掛けることにする。三億円に設定した身代金そのものが目的ではない。むしろ”ゲームの達人”を自称する葛城の鼻をあかしてやることに彼らは全精力を傾ける。インターネットの掲示板、電子メール、携帯電話を駆使し、警察の介入を想定してありとあらゆる手段を用いて勝負を続ける佐久間だったが、葛城の方もまた、佐久間の想定とは異なる動きを打ってきた。果たしてこの”ゲーム”の行方は……?

誘拐という一幕を加害者のみ側から描く通常とは異なる緊張感。結末まで一気、ノンストップ
登場人物の設定、舞台の設定、物語の展開、そしてサプライズに至る裏の図式に至るまで、完全に計算され尽くされた作品。状況描写の文章であるとか会話運びであるとかもエンターテインメントとして完璧であり、構成にしろ展開にしろあまりにもパーフェクト。なので、読者サイドは何のひっかかりもなくするすると読めてしまい、その裏側にある数多くの深謀遠慮に逆に気付きにくいという希有な完成度を誇る作品だ。
誘拐という犯罪をゲーム感覚で捉えるための背景として、犯罪者側にまずゲーム業界にも関わりのある知能の高い男を配し、相手となるのが、また本業でも彼と対立関係にある全てはゲームと言い切る男を持ってくる。さらにその娘との狂言誘拐とすることで、犯罪ではあるものの陰惨さを作品内に持ち込まない配慮が為されている。また、誘拐犯罪の定石である身代金受け渡し(それはそれで凝ってはいるが)よりも、相手との連絡に匿名のインターネットや携帯電話を巧みに利用する点、またゲームであるからこそ可能な、対警察の準備であるなど、語弊があるかもしれないが「実際に使えるかも……?」といった技術が多数取り込まれている。このあたりの次から次へと繰り出される「手」にまず見とれてしまう
ただ、そこは東野圭吾、単なる狂言誘拐が成功しました、勝ちました、で物語は終わらせない。ネタバレを避けるため言及は避けるが、このあとに大きな陥穽が主人公を待ち構えている。その裏側にある真実は、実は読者にも予想がつく内容であるかもしれない。むしろ、この”裏側”のために、主人公以外の関係者がどのように動いたのか、それが全てさりげなく伏線として先に言及されていた点に驚きを覚えた。このさりげなさも、ミステリ作家としての東野圭吾を熟練を示すものだといえるだろう。

数ある誘拐ミステリのなかでも異色にして佳作。世紀の傑作とまではいわないものの、それでも誘拐に着想した結果としての奇想は、余人の追随を許すものではない。未読の方なら読む価値あり。時間を忘れて読書にのめり込む興奮がここにあります。


06/03/13
沼田まほかる「九月が永遠に続けば」(新潮社'05)

2004年、道尾秀介の『背の眼』を特別賞においやり、第5回ホラーサスペンス大賞の大賞を受賞した作品。受賞者が五十歳代後半の女性ということも話題を呼んだ。

事情があって精神科医・安西雄一郎と離婚し、十八歳の息子を一人で育てている主婦「私」は四十一歳。免許を取り直すために通っていた自動車教習所で、安西の後妻・亜沙実の娘・冬子のボーイフレンドの犀田と知り合い、そのままラブホテルへと通う間柄となる。そんなある日、息子・文彦のガールフレンドで母親のいない服部家のナズナと夕食を共にしたある晩のこと、ナズナを送って帰ってきた文彦にゴミ出しを頼むと、その文彦はそのまま帰ってこなかった。財布も持たず、サンダル履きのままいなくなってしまった文彦を捜し求める「私」だったが、さらに追い打ちをかけるように犀田が、駅からの転落事故で死亡したとのニュースが入る。しかも、その事件には冬子が関係しているようだ。雄一郎と連絡を取り合う「私」だったが、双方で抱えたトラブルのなか、秘められた人間関係や伏せられた複雑な事情が明らかになってくる……。

ホラーは抜き。人間が生きるために否応なく持つ嫌らしい・矛盾・衝動を中心に据えたサスペンス
選者が文章力を絶賛したというのだが、その点については正直、絶賛するほどのもの? という疑問がある。確かに新人離れした落ち着いた筆致ではあるものの、既にプロとして活躍する作家に比べて更に抜けているかといわれると、そうでもないように思うのだ。むしろ、類型的でない登場人物とその描写に迫力を感じた。
現実に人間は、生きていくうえで相手によって自分を変えるなどの複雑な多面性を持っている。小説にそういった人物を取り上げるのはかなり難しく、主人公だけに注目するなどの手法でお茶を濁してしまうことが多い。本書の場合、その人間の多面性、特に嫌らしい自己中心性・自己正当性、それらの裏返しによる他者の排撃……といったところを複数の登場人物に割り振って、かつ徹底的に描き出しているところに、恐怖とも違う根源的な嫌悪感を引き起こしている源があると思う。「私」を例に取るならば、元夫の雄一郎には捨てられた恨みがあり、その一方で息子を溺愛する一方で、時々その愛するはずの息子に途轍もなく残酷な仕打ちを行い、十五歳年下の愛人との情事を楽しみ、行方不明になるのがナズナであれば良かったと思い……等々、ここに書ききれないくらいの矛盾した感情が切々とさらけだされている。謎の美少女・冬子や、元夫の雄一郎も謎めいていて、その謎にしてもどうも彼らなりの矛盾した感情によって結果的にもたらされているように思うし。ただ、文彦や冬子を中心とする未成年者に対しては、若干筆が甘くなっているようにも思われる。(まあ、あくまで中年陣のどす黒さに比べてだが)。 いずれにせよ軸になるのは文彦の失踪とその捜査ではあるが、その過程でさまざまな関係人物の嫌な部分を読者は目撃することになるのだ。
最終的には、実は彼らすべて”何か”、自分のコントロールできる感情以外の運命のようなものに引きずられているような印象を受ける。事件そのものについては偶然も多く、真犯人にしても意外ではあるがむしろ唐突で、ミステリ的なサプライズをきちんと計算しているとは思えない。なので、やはり醜い人間を醜く描くことで、嫌悪的恐怖を狙った作品のようにみえる。

作家としての実力は実力でお持ちであることは認められるものの、ホラーやサスペンスとしてのエンタメとはちょっと立ち位置の異なる作家さんでは、というのがトータルでの印象。次作が果たしてどういう方向に行くものか、微妙な興味あり。


06/03/12
小林泰三「脳髄工場」(角川ホラー文庫'06)

表題作『脳髄工場』が書き下ろし作品で、あとは『異形コレクション』やクトゥルー・アンソロジー『秘神界』『血の十二幻想』といったアンソロジー収録作品、さらに異色なのは『YOU & I SANYO』に発表された作品が幾つか含まれる点。(これは恐らく某社の社内報?) 表題作以外の発表年次は'97年から'02年にかけてとなる。

精神を安定させる「人口脳髄」を装着することが当たり前となりつつある社会。そのなかで自分の天然の頭脳で生きようとする少年は……。 『脳髄工場』
イジメられっこの僕は、自分自身が強くある姿を夢想し、それにドッペルと名付けて友達として生きていこうとするのだが……。 『友達』
バスのなかで怪談話にふける中学生。その話題は都市伝説から身近な怪談にまで飛ぶ。そろそろ降りる停留所というところで男が……。 『停留所まで』
久しぶりに同級生が集った同窓会。そこに現れる筈のない人物が現れて……。 『同窓会』
自宅を整理中に謎のビデオテープを見つけたカウンセラー。その画面の鼠色の男が語り出した症状は、ありふれたもののように思えた……。 『影の国』
未来の自分からかかってくる携帯電話。その通りにすることで私は大きな成功を手に入れていくはずだったのだが……。 『声』
世界的な変質が発生したことから日本沿岸のC市に各国の研究者が集められ「C」に関する研究を開始した。これに対し戦いを挑む者、懐疑的な者等々、立場が異なる者たちが議論と説得と研究を重ね、いつしかある異形の兵器が……。 『C市』
探偵事務所を経営する女性二人。その二人には特殊能力があった。そこにフスツポクと名乗る男が現れ、故郷の星から送られてくる殺戮マシーンから自分を守って欲しいという依頼を……。 『アルデバランから来た男』
生物を育てることに付随する様々な事柄が忌み嫌われる世界、いつしか人々はプログラミングされた玩具犬などのロボット犬、さらには人間の子どもまでがロボット化されて……。 『綺麗な子』
心霊写真研究家に送られてきた一枚の写真。その送り主という少女が訪ねてきて……。 『写真』
姉のもとを飛び出した拓哉が送る手紙。同棲中の恋人・涼子が作るタルトは本当に美味しい。何か秘密があるようだが、涼子はそれを明かしてくれない……。 『タルトはいかが?』 以上11編。

果てしなき試行錯誤の議論によって紡ぎ上げられていく、小林泰三的怪異の数々
SFがかった世界の恐怖を扱った作品、怪談風の作品、クトゥルーもの、ショートショート等々バラエティが豊かで、それでいてこれまで小林泰三氏が描いてきた世界の延長線上に間違いなくある作品集(強いていえば、本格ミステリがないのが少々個人的には残念)。ひとことでいえばハードSF作家としての小林泰三と本来デビューした日本ホラー小説大賞出身というホラー作家としての小林泰三との両方を楽しめる内容だといえるだろう。
個人的には、ホラー・SFの小林泰三氏には完成されて綺麗にまとまった作品よりも、センスが鋭く尖って他に類を見ないような奇想が、もともとの物語構想や作品世界を凌駕してしまうような迫力の勝った作品を期待してしまう。なので、そういう意味では表題作『脳髄工場』と、『綺麗な子』が抜けているように思われた。それぞれ登場人物が「自由意志とは何か」「何かを育てるとはどういうことか」について議論しているのだが、その噛み合うような噛み合わないようなテンポが絶妙なのだ。正論が詭弁によってその立ち位置をぐらぐらにされてしまうという議論の妙味。信じていた世界が邪悪な者の説得によってぐらついていく恐怖感というべき味わいが深い。その意味では『影の国』における鼠色の男の言説もそういった謎の説得力に満ちていて迫力がある。さらにいずれの作品のオチが実にブラックに、救いようがないところに閉じられている点も興味深い。(自分の邪悪さが、こういう作品を好むのか?)
客観的にみた場合はSFミステリ『アルデバランから来た男』や一風変わったドッペルゲンガーものである『友達』、もともと朝松健監修のクトゥルー・アンソロジー『秘神界』に寄せられた作品である『C市』あたりの評価が高そうだ。超能力をもった探偵たちのもとに訪れてきた異星人だとか、強い自分が自分以上に恋する女の子へのアプローチを進めてしまって戸惑う主人公だとか、途中経過の盛り上げ方がどれも絶妙であり、その発想の奇妙なセンスに読んでいて引き込まれるものがある。『C市』に至っては、現代科学の知識を背景に世界観を補強しながらも、最終的には様々な邪悪なものへの愛情が満ちあふれている。(ただいずれも、オチがキレイに決まり過ぎているという、本来では高い評価を得るべきところが、逆に物足りないように思うのは、これまたワタシが邪悪なせいです。はい)。

ある意味、強烈にどぎつい作品がない分、小林泰三のホラー・SF入門書にもなり得る作品集のようにも思われる。小林泰三ファンであれば当然読まれているだろうが、ホラー小説サイドからもSF小説サイドからも一定の評価を受けられそうな作品であり、幅広い層に読んでみて頂きたいように思った。


06/03/11
二階堂黎人「宇宙捜査艦《ギガンテス》」(徳間デュアル文庫'02)

'01年、「週刊アスキー」と「e-NOVELS」に同時連載後、e-NOVELSにて販売、更に徳間デュアル文庫で刊行された長編スペースオペラ・本格ミステリ作品。'06年には本書の続編として『聖域の殺戮』という作品が講談社ノベルスより刊行されている。

二十四世紀。宇宙の多くは知的宇宙人たちによる恒星連邦の支配下にあり、生態系の異なる宇宙人がそれぞれの環境を宇宙服などで補完しながら一緒に生活していた。また、一部の恒星系はまだ恒星連邦への加入を潔しとしないものがあり、異星からの未知なる恐怖も別に恒例連邦には脅威だった。そういった恒星連邦未加入のザルルン帝国では、同一種族から枝分かれしたザルック人とザロンゲ人とが分裂し、互いに対立していた。彼らに和平と恒星連邦加入を勧めていた地球人の親善大使が、不可解な死体となって発見された。場所は汎用小型宇宙惑星の地球環境居住区。彼女はバラバラに死体が切断されていたのだ。恒星連邦の命により宇宙捜査艦「ギガンテス」に搭乗している宇宙群諜報部の特別捜査官である菜葉樹人のリコッロブ艦長、地球人のシュトルム副長たちは、亜空間ワープ航法で現場へと急行した。しかしそのワープの最中に謎の艦隊からの迎撃を受け、彼らに先行する戦艦が撃破された……。

古き良きスペース・オペラの活字化+オーソドックスかつ丁寧な本格なのだが……
最初にいっておくと、結果的に非常に丁寧な伏線とロジックが作品内に込められており、さすがは本格ミステリの二階堂黎人という密室トリックが使われている。 オーソドックスながら読みながら事前には想像し辛いタイプで、設定が突飛であってもまずこの点に手を抜かない。また、これまでも、あまりSFミステリを書くことがなかった(でも皆無ではない)作者は、元より手塚治虫研究でも名を馳せているうえSF作品全般にも明るく、こういったSF系統のミステリ作品を打ち出してくる下地は十二分にあったといえるだろう。
また、わざと『スタートレック』や、古典のスペース・オペラ群あたり(すみません、あまり詳しくないです)を意識したと思しき全体設定も、「今、なぜスペオペ?」というタイミングの疑問を除くとそれほど違和感もない。友好的な宇宙人たちが力を合わせ、対抗勢力と戦うという古き良きエンターテインメント。地球人のみならず、植物から進化し、植物的な宇宙人や獣頭の凶暴な宇宙人、爬虫類系統のグロテスクな宇宙人といった設定はかなり裏設定で作り込まれているとみた。ただ一方で、短めの長編として打ち出すには読者がついてこられるかどうかという点まできっちり計算されているかというと、その点は疑問。特にこの世界観・科学観などについて「どこまでアリで、どこから無しなのか」が微妙にはっきりせず(例えば、ワープはありで瞬間移動は無しだとか)単にスペオペであれば物語を追うのみで良いところが、読者にも推理を要求する本格ミステリという面ではちょっとツライものがあった。また、独特のネーミングやオノマトベは映像ならばとにかく文章で読まされる身としてははっきりいって厳しい。(ゲドババァ! だけじゃなく ガルルゥ! ゲゲゲェ!……等々。独特の雰囲気を作り上げる効果以上に、読む段の引っ掛かりが増幅されてしまうので)。ただ、タイミング的に今なぜスペースオペラなのか? という冒頭の疑問はやはり残るか。世の中の受け手でも、この方面のエンターテインメントを希求している読者はごく少数ではないかと思うのだけれど。

なぜか続編『聖域の殺戮』が講談社ノベルスでいきなり刊行されたこともあって、まず読んでいなかった第一作を読んでみた次第。徳間デュアル文庫版は入手が困難となっているので、興味有る方はe-NOVELSにてどうぞ。