MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/04/10
伊坂幸太郎「陽気なギャングの日常と襲撃」(祥伝社NON NOVEL'06)

これまで連作短編集や重なった世界観の作品はあれど単行本ではシリーズ作品のなかった伊坂幸太郎「初」のシリーズ二冊目もちろん『陽気なギャングが地球を回す』の続編にあたり、前作の登場人物を引き継いでいる。特に本編の第一部は雑誌に発表された短編四本を長編の一部として加筆修正のうえ組み込み直してある点も特徴。

人の嘘を完璧に見破ることのできる成瀬の本職は市役所職員。彼は、部下の大久保と出張中に、刃物を持った男が老人を人質にしているところに出くわす。その老人は、かつて窓口にいた大久保に対して正義論をぶちかました自称・正義漢。どうやら男を注意して逆ギレされたらしいのだが……。
演説の達人・響野の本職は喫茶店のマスター。彼のもとに常連の藤井が会社を休んでやって来た。彼は酔うと記憶を喪う癖があり、前の晩にも女性を自室に連れ込んだようなのだが覚えていないという。響野はその「幻の女」を探すために立ち上がる。
正確無比な体内時計を持つ雪子の本職は派遣OL。彼女は勤め先の社員OLから人気劇団のチケットを見知らぬ人物から貰ってどうしようかと相談を受ける。響野の妻・祥子と共に彼女を公演に出向かせそして何が起きるか様子を見たが……。
天才スリ少年・久遠は、いきなり何者かに殴られた中年男に興味を持つ。殴った男の財布を掏った久遠は、男と共に歯医者で彼が何者かを調べるのだが……。その中年男自身もギャンブルで借金を背負う事情を抱えていた。
……いつもの銀行強盗を成功させたあと成瀬はそこに別の事件を見出していた。四人のエピソードが微妙に絡む、その誘拐事件の顛末は?

シチュエーションと伏線の妙、さらに登場人物のインパクト。全てを備えるエンタの王道
伊坂幸太郎の伏線の妙というのは今に始まった話ではなく、ミステリとして伊坂を評価する人は必ずといっていい程、その芸術的ともいえる繋がりを評価する。いわゆる本格ミステリの謎の論理的な解決に向けた伏線という位置づけになるか。本書においても序盤もとは短編四つが合わさった第一章におけるエピソードのなかに、その後の展開に繋がる伏線が多数埋め込まれており、作品全体(特に序盤と終盤とを)を引き締めている。先に何気なく描写される光景が、後半に別の意味をもって見え方が変わるサプライズは、本格ミステリのそれと実に近しい。
一方で、その前後における緊張感とは別に、本書においては別のテンションが登場人物同士の間にあるように思われた。作品の構成方法、キャラクタの造形方法にも関係しているのだが、幾つものエピソードにおいて「判っている人」「判っていない人」の二種類がいるのだ。例えば人間嘘発見器・成瀬は基本的に「判っている人」であり、演説の天才・響野はほとんどの場合「判っていない人」となる。事件が無軌道に走り出すのではなく、あるプランニングが実は既に敷かれており、そのレールの上を「判っていない」登場人物も走る。その行き着く先は「判っている人」がいることで、少々スリリングであっても「安心」というのが、別のかたちで物語に存在するテンションとなっている。
同じことが「判っている」作者(当たり前ですが)と、「判っていない」読者とのあいだにもいえる。その作者の行き着く先に、読者はこれまでの伊坂幸太郎作品を読んでいるという経験から「安心」を、結末を知る前から得ているのだ。この「安心」を強烈に裏切ったり、もしくはスリルも何もなく安心過ぎたりするエンターテインメントはこの世に多数あるとは思う。だが、その匙加減が抜群であることがベストセラーになっている理由の一つなのではないか。……まあ、他にもいろんな要素があることは承知のうえで、ちょっと戯れ言でした。もちろん、登場人物ひとりひとりの良さや、それぞれのシチュエーションが醸し出すユーモア溢れる状況なんかもありますよ。軽妙な語り口と相まって、誰が読んでも面白い! と思える作品になっているのが伊坂作品の魅力だといえるわけで。(このあたりは、もう今さら言い尽くされていることだし)。

前作を読まれている方はどちらにせよ読まれるだろうし(それが文庫化された後のタイミングであっても)、前作を読んでない人は、『陽気なギャングが地球を回す』を購入して読むべきだ。と、そういう作品。


06/04/09
西村京太郎「消えた乗組員(クルー)」(講談社文庫'98)

西村京太郎氏がトラベルミステリーを活発に発表するようになる以前、「消失もの」と「誘拐もの」を好んで発表していた時期があった。本書もそんな時期、『消えたタンカー』『消えた巨人軍』などに連なる「消えた」シリーズ(と呼ぶのか?)の一冊。元版は'82年に光文社より発表されている。探偵役は西村作品ではお馴染み以上の存在、十津川警部(実は元ヨット部らしい)。

バミューダ三角地帯などオカルト主義の著作を数多く発表し、テレビなどにも数多く出演していた研究家・細見竜太郎。彼の論に反対する一派のリーダー格が科学評論家の吉村昭之であった。この二人が論争したが議論は平行線。そこに細見が自分の所有する豪華ヨット「アベンジャーU世号」で「魔の海」海域調査を共同実施しようという提案をする。テレビ局がスポンサーとなり、吉村や細見の細君ら九名の人員が乗り込んだヨットは出港、しかしその海域に入ってすぐ消息を絶ってしまう……。同号は漂流中のところをタヒチを目指して航海していた日本の「シャークT号」に発見され。だが、船内には事故の形跡も荒らされた跡もなく、朝食の準備すらしてある状態のまま、乗組員が一人残らず消えていた。「シャークT号」は「アベンジャーU世号」を日本に回航し、事件は海難審判に委ねられることになった。横浜海難審判庁の日高審判官が捜査にあたるなか、シャークT号の乗組員五名のうち、二名が何者かに殺害され、更に一名が行方不明という事態が発生、十津川警部がその殺人事件の捜査に乗り出した。

西村京太郎が「マリー・セレスト号の謎」に挑戦?
十九世紀、米国を出帆した「マリー・セレスト号」はスペイン沖で行方不明となり、漂流中のところを発見された。船内には荒らされた痕跡など全くなかったにも関わらず、人間の姿が一人も発見できなかった。船内には高価な積み荷が残されており、対直前まで船員が生活していた痕跡が残っており、死体すら発見できなかったこの事件は現在もなお謎として語り継がれている……。(と、ちょっとここまで書いて思ったが、朝食の準備があったとかコーヒーが温かかったなんてのは後から面白可笑しく付け加えられた噂が事実にくっついたのではないのだろうか?)
……という謎がまずメイン。特に、海難審判庁による「海難審判」によって、この事件の真相を、天変地異から病気、事故に至るまでさまざまな方向から仮説を立てて議論してゆく点が実に面白い。 法廷物に近いテイストなのだが、裁判とは異なる手順も興味深いし(実際にこれほど悠長なやり方はしないだろうし)、本格ミステリにて検討されるような仮説と論理と祥子のぶつかり合いが結構スリリングである点も意外。特に、ぱっとこの謎を提示された時に、必ず読者の頭でひらめくような幾つかの仮説が(たぶん)否定されているはずだ。また、そもそも仮説としてとんでもないものまで真面目に検討している点にも奇妙な現実感があり、かえって好感が持てる。
ミステリとしては、その海難審判の裏側にて発生する殺人事件が別にあるのだが、その真相がこの現代版「マリー・セレスト号の謎」と繋がっているのがポイントではある。ただ、全然別の陳腐な物語を付け足したようにみえるのがちと残念。これはこれで別に構わないのだが、海難審判の部分が楽しいだけに微妙な落差を感じたことは事実。

特に本書の評判をどこかで聞いて手に取ったわけではなく、たまたま手元にあった京太郎作品を読んだだけなのだが、それでも水準以上の出来であり満足。そして文章が平易で、分量のわりにするすると読みやすい。やはりベストセラー作家にはベストセラー作家となるだけの理由があるものだなあ、と感心した次第。


06/04/08
多島斗志之「不思議島」(創元推理文庫'06)

近年では『症例A』が話題となった多島斗志之氏ではあるが、寡作ながらその発表範囲は多岐を極めている。初期に多く発表された国際謀略小説もあり、本書や『二島縁起』ほかでみせる瀬戸内海を中心とした作品もあり、海洋冒険小説の傑作『海賊モア船長の遍歴』など、代表作の系統すら定まっていない。そんなカルトな魅力を誇る多島氏に焦点を合わせ、《多島斗志之コレクション》の刊行を開始した東京創元社は偉い。

瀬戸内海に浮かぶ伊予大島で教師として働く二之浦ゆり子。最近、島に定着した若い医師・里見と知り合い、彼の積極的なアプローチもあって徐々に彼に惹かれてゆく。その里見は戦国時代の文献に記載されている、不思議な現象を解きたいという。かつて村上水軍がこの一帯を支配していた時代、通行料を支払わずに来島海峡を強行突破しようとした船が、通り抜けたにもかかわらず、先に側を通ったはずと同じ島に到着してしまったというもの。地元に暮らすゆり子は、その謎をあっさりと解き明かしてしまう。里見は、ゆり子と共にその事実を確認しようと無人島巡りを行うが、ある島を目撃したことでゆり子は十五年前の事件を思い出してしまった。十五年前、まだ小学生だったゆり子は何者かに誘拐された。警察に連絡する前に身代金を支払ったことにより、無事に家族のもとに戻れたのだが、その目撃した島こそが彼女が置き去りにされた島だったのだ。里見の強引な進めもあって、ゆり子は未だに犯人も捕まらず謎の多い、十五年前の事件ときっちりと向き合うことを決意する。

風光明媚な瀬戸内を叙情豊かに描き、男女の微妙な機微をも巻き込んだトリッキーな作品
'91年に徳間書店より刊行され、翌年第106回直木賞候補に選ばれている。……本書のコアとなる部分にはシンプルなトリックを複雑に絡めた結果としての本格ミステリの要素が詰まっているのだが、恐らくは瀬戸内海の島を舞台にして、その島に生きる人々の気持ちや暮らしを叙情性豊かに描いた部分が評価されたのではないか。(直木賞そのものは受賞を逃したとはいえ、結構この作品が候補作となることが不思議だったので、分析してみたが)。
さて。多島斗志之作品に”らしさ”という先入観は禁物。 本当に何を打ち出してくるか判らない作家である。本書も序盤に、海峡をすり抜けた筈がまた捕まった海賊の話が出てくるが、これがまたまた序盤のうちに、ヒロインによってあっさり解き明かされてしまう。(とはいえ、この解決は大方の読者が問題を見た瞬間に予想するものだろう)。ネタバレぎりぎりの記述となるが、このエピソードについては物語後半に別の解釈が登場する。表の解決に対して裏の解決があるという印象で、それがこの物語のトリッキーなミステリという意味合いに繋がっている。特定の一部を除くと登場人物に必ず”裏”がある、という点だ。具体的に誰とはいわないが十五年前の誘拐事件の様相が、もともと未解決だったとはいえ人々の”裏”の顔が絡むことによって様相が見事に変化していく。この結果、ヒロインの前に次々に現れる疑惑が、更に次の疑惑を呼ぶという展開となり、サスペンスの度合いが高まっている。ただ、この疑惑という部分と、瀬戸内海に浮かぶ島という特殊事情とがいろいろなかたちで密接に繋がっており、作品全体のまとまり度合いが高い。
ただ、ある意味メインとなる仕掛けの部分はフェアとは些か言い難い部分もある(あくまで本格ミステリとして捉えた場合だが)。ただ、その人工的ですらある犯罪工作そのものも、物語中にある様々な事象やエピソードが繋がることでヒントとなっており、全体としてほとんど無駄のない構成である点はやはり素晴らしい。しっとりとした叙情性、大人の恋心がにじみ出る展開でありながら、それらすら物語の「謎」に奉仕させてしまう。こういった「謎」に対してストイックな姿勢が、物語全体をまさに「不思議」な雰囲気で包んでいるように思われた。

瀬戸内海の風物を語っているだけにも思われる記述にすら暗合があり、登場人物のさまざまな行動に表と裏がある。 気付く気付かないにかかわらず全体としての”まとまり”が優れている点は驚異ですらある。恐らく非情に考え抜かれた構成であるのに一読そうと気付かせない、まさにプロの仕事がここにある。復刊されたことを素直に喜びたい。


06/04/07
矢作俊彦「リンゴォ・キッドの休日」(角川文庫'05)

矢作俊彦。高校在学中からダディ・グースの筆名で漫画家として活躍していた彼は、'72年『ハヤカワ・ミステリ・マガジン』に「抱きしめたい」という短編を発表、21歳の若さで作家デビューを果たす。'78年に初長編『マイク・ハマーへの伝言』を発表、各方面から絶賛を受ける。本書は同年七月に刊行された二冊目にあたる。主人公の二村永爾は、最近十数年の時を超えて発表され、各種ランキングでも高評価を得た『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』でも主人公を務めている。

非番の日の朝、神奈川県警捜査一課の二村刑事は突然かかってきた所轄署の署長からの電話を受ける。横須賀の洋館で若い女の死体が発見されたこと、また同じ日に一般人は立ち入り禁止の米国基地で、ワーゲンが海に飛び込み、男性の死体が発見されたことを連絡してきた。二つの事件は無関係だと思われたが公安警察の動きが見え隠れし、事件をもみ消そうとする動きがあることに苛立つ署長は、二村を呼びだし、極秘裏に事件の捜査をすることを無理矢理に承諾させる。まずは女性の方の被害者の隣人・由(より)を探し出すのが最初の仕事になる。『リンゴォ・キッドの休日』
タレントのマネージャーをやっている人物の依頼で、湘南近辺でロケ中の大物女優・浅井杳子と面会を果たした二村。彼女は何者かに狙われているのだという。一方、、神奈川県内では殺人事件が発生。その犯人の大学生はすぐに捕まったが、その理由となる麻薬に関しては、杳子がかかわる映画のスタッフとも関係があるのだという。『陽のあたる大通り』 以上二編。

謎解き以上に登場人物の個性が魅力。そして舞台の街の描写も見事。今なおクールなハードボイルド
表題作に関していえば、謎の構造が若干複雑。無関係にみえる二人の人物の死が徐々に繋がってゆくミッシングリンク系統のミステリだとはいえる。だが、主人公の発する多数のワイズクラックが会話をお洒落に格好良くする代わりに、そのポイントとなる部分を判りにくくさせているマイナス効果もあり、素直にミステリとしてだけ読もうという方には少しお勧めしにくい。謎解きのシンプルさに関しては、二編目の『陽のあたる大通り』の方が整理されている印象で、事件自体がシンプルな結果、物語としてのバランスはこちらの方がきちんと取れているように感じられた。
とはいえ、本書の場合はミステリとして読まれるというよりも、数々の洋画や海外ハードボイルドからの引用、さらに横須賀、湘南といった都市の描写を楽しむ、初期和製ハードボイルドの傑作としての存在価値が高い。昭和五十年代初期の時代風景を活写する腕の冴えは抜群であり、登場する都市に”貌”を持たせる都市小説としての側面もある。何よりも、作品の根底にあるハードボイルド(この場合、反骨?)精神が、時代を経てもまったく古びていない点が、今なお評価され復刊される最大の理由だと思われる。確かに、この作品が発表された時代に、これだけお洒落で格好いい世界を描けば、当時多くの注目も浴びたという点、大いに頷ける。
また主人公の二村はもちろん、ヒロインとなる由(より)、女優の杳子といった女性陣や、署長や悪役を張る面々に至るまでがそれぞれ個性的に描写されている。決して生い立ちから語るなどとい野暮なことをせず、それでもこれだけ人物像が心に残させることが出来るのはセンスがよほど優れていないとなかなか難しいのではないか。チャンドラーをはじめとした海外ミステリ/ハードボイルドの影響も顕著ながら、それが嫌らしくなく物語内部に響くのは、こういった舞台や人物の造形が見事な証左だともいえるだろう。
一つだけ気になった(というか小生が気にしても仕方ないことながら)のは、やはり癖のある文体ゆえに現代では一部好悪が分かれる可能性がありそうなこと。この文章が合わないという人には徹底的に合わないように思えてしまった。

とはいっても、その文章が醸し出す独特の雰囲気こそが本書最大の魅力であることもまた間違いない。そしてその雰囲気は、発表当時までのハードボイルド含む和製ミステリに類似品がない。二村を中心とした独特の美意識は読者を熱狂させるに足る魅力を発している。 本書が後世の日本人作家に与えたであろう影響も小さくなく、やはり記念碑的な名品である点には素直に頷くしかない。


06/04/06
平井和正「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)〈2〉」(角川文庫'76)

累計二百万部のベストセラーとなった、平井和正絶頂期の作品。コミック版もあり、本書は角川文庫版ながら、ハヤカワや、最近ではハルキ文庫でも復刊されており、根強い人気が伺える。全三部の三部作となっており、〈2〉から読み出したワタシのやり方は邪道(しかも本人が損したと思っている)ですので、マネされませんよう。

アラスカ北部。厳寒のこの地でゾンビー・ハンター田村俊夫は、CIA所属のハンティング・ガイド、ジョージ・ガンサーと共にゾンビーと思われるある人物の狙撃をするために待ち続けていた。米国国防省の高官であるロバート・ロスがその標的。彼は娘のアンジー・ロス、さらには地元の腕利きハンティング・ガイドのソープの三人は、この地にハンティングに来ていたのだ。俊夫はロバート・ロスの殺害を猛獣に襲われた跡に擬装できるよう、徹底的な慎重さをもってロバートが一人で行動するタイミングを待っていた。ハプニングを迎えての狙撃の結果、彼はロバートの殺害には成功したものの、ソープをも射殺してしまい、娘のアンジーは襲ってきた巨大な熊に襲われて死亡してしまう。しかもロバートはゾンビーではなくただの人間であったことが判明、冷酷な精神構造を持つはずの俊夫もこれには動揺してしまう。彼に命令を出す司令官によれば、ロバートにはゾンビーに関して殺されるだけの理由があったというが……。仕事を終えた褒美にメキシコに滞在したものの、荒涼とした気持ちを抑えきれない俊夫。彼に新たな命令が下される。日本に住む退職したエンジニアがゾンビーである可能性があるというのだ。現場に急行した俊夫は、エンジニア一家に取り入るために一計を案じる。

SFアクション長編にて描かれる魂の荒涼、そしてその筋書きにある本格の趣向が物語の吸引力を高めた
冒頭に書いたが、三部作の二番目。見つけた作品から、ということで気軽に読み出して自分の浅慮にかなり後悔。ひとことでいえば、一作目を読んだのと同じくらいの情報を得てしまった。なので、一作目で(恐らく)描かれた物語の結果、ひたすらにゾンビーを憎む一個の人間が冒頭から登場することになる。田村俊夫。ゾンビーに身近な人間を殺され、左手に強力な義手を、眼にも特別な義眼を入れた元レーサー。運動神経は抜群で目的に対する行動は周到にして迅速。冷徹かつ非情な一級の”殺し屋”としてまず本書では登場する。そしてもう一方の主人公は”ゾンビー”。宇宙からの侵入者にしてその取りついた人物の肉体や精神をも強奪して奴隷に変えてしまう存在である。
アラスカで一件の仕事をこなした後、彼は荒れ、さらなる任務を得た日本人エンジニアとその家族を抹殺する計画のなかで人間としての迷いや良心を否応なく捨てさせられる……。以上が簡単にまとめた本書の内容。全体として”殺し屋”になりきれない”殺し屋”の迷いや哀感といった部分が底流にあり、その強靭な肉体とアンバランスな精神の揺れがひとつ本書のポイントとなる。気の利いたワイズクラックなどはないが、十二分に魂に深い孤独を抱えた、ハードボイルド作品の主人公としても通用する人物造形が巧みなのだ。
そんな彼の孤独な戦いが、迫力有るアクションシーンと共に描かれるのが一方の主題。不死身に近い肉体をもち、通常武装の人間をものともしない強力な敵。銃器を駆使して戦う主人公だが、そこにもう一つの主題がある。つまり、「本当のゾンビーは誰?」というフーダニットの要素だ。 これが唐突ではなく丁寧に張られた伏線の結果浮かび上がってくるため、SFアクション小説としてだけではなく、本格ミステリという側面からも本書を楽しむことができる。司令官より、ゾンビー狩りの命令を受け、ゾンビーに対してのみ深い憎しみをも武器に戦える主人公。だが一方で、そのゾンビーが果たして対象のうち誰なのか正確なところが物語内での技術では判然としないため、一抹の疑いと共に戦わざるをえない葛藤が存在する。ここから物語は深みを出し、三部作全体への主題にも(恐らく)繋がっているのではないかと想像する。

さすがに、年季の入った本格ミステリ読者にとっては、ミステリ部分は見通すことができるレベルではある。だが、その一方でSFアクションの要素の方の味わいが深く読後感としては十二分に深い。こんな読み方をしているので、他人に当方からお勧めすることはまだ出来ないが、いずれ残りの作品も読んでみるつもりではある。


06/04/05
東川篤哉「殺意は必ず三度ある」(実業之日本社JOY NOVELS'06)

カッパワン第一期デビューの一人、東川篤哉氏。そのカッパノベルスでは「烏賊川市」を舞台にした一連のシリーズ作品が刊行されている。本書は実日のJOY NOVELS。本書は同書からの一冊目、『学ばない探偵たちの学園』に続く、私立鯉ヶ窪学園探偵部を主人公(断じて探偵役ではないのがミソ)にしたシリーズ二作目となる。書き下ろし。

鯉ヶ窪学園高校野球部。甲子園を目指す大会においても常に一回戦であっさり敗退するため恨みを買う恐れなどない弱小野球部。しかし、夜中のうちに野球部備品のうち本塁、一塁、二塁、三塁の野球ベース四枚が盗まれてしまうという事件が発生した。何者が一体なんの目的で? 野球部キャプテンの土山はこんな意味の分からないことをするのは探偵部しかいない! と、多摩川部長をはじめとした面々が疑われるがもちろん探偵部の仕業ではない。それからしばらくのある日、鯉ヶ窪学園野球部は実力が同レベルながら、最近運動部に力を入れて専用球場まで建設したライバル高校・飛龍館高校との練習試合に赴く。多摩川部長、先輩の八橋さん、そして唯一の下級生のオレ(赤坂通)も、部長と親しい(?)生徒会長桜井さんと共に練習試合に駆けつける。学園の関係者が揃うなか、九回サヨナラホームランをバックスクリーンに追った(? アウェイだから先攻ではないのか?)生徒が、鯉ヶ窪学園の野球部監督の他殺死体を偶然発見してしまう。死体のそばには、グローブとボール、そして鯉ヶ窪学園から盗まれたベースが……。果たしてこの殺人の真相は?

”東川篤哉&野球ネタ” これが面白くないはずがない(反語による強調)
デビュー作以来、独特の緩く生温かいギャグを作品に取り入れた本格ミステリ作家として少しずつ知名度を高めつつある東川氏。ただ、その作品数が増えていくにつれ、それぞれに凝らされた本格ミステリによる謎解きよりも、その背景にある緩いユーモアが、本格のトリックよりも実は魅力的なのだということが徐々に浸透しつつある。もちろん、その謎解きの方に手抜きがあるとかそういう意味ではない。きっちり伏線を張り、証拠なり手がかりなりを文中にちりばめ、迷探偵役がその道具を間違って使って顰蹙を買い、真の探偵役がそれらを集積・駆使して真相にたどり着くという、実にオーソドックスな手順が作品にて実践されている。ただ――この期に及んで思うのは、そちら以上に登場人物のとぼけたキャラクタや、野球をアテにした会話群の方がやっぱり魅力的なのではないか――ということ。
特にデビュー作(だったか?)から顕著であるが、古今のセリーグを語らせると東川氏、ネタの扱いに抜群に巧いものがある。本書では、懐かしいネタだけでなく、ふっきれたかのように2006年現在の状況(ないし2005年の状況)を積極的に取り入れている。時間の経過など何するものぞ。これぞ通俗ミステリ、それでこそ東川篤哉だあっ! とここは思い切り褒めるところ。恐らくプロ野球を知る人にとっては「くすっ」以上にツボに嵌るネタが必ずあるはずだ。(かくいうワタシも相当入った)。もちろんそれ以外、一般的な会話のなかに込められた自虐ともとれるギャグの応酬もみどころあり。多摩川部長に八橋、それに語り手の赤坂の三人が誰かと掛け合う展開は、テンポと独特のノリで彩られていてこちらは万人が楽しめるはずだ。
ミステリ? むー……。メインとなる謎はトリックのためのトリックという話もあるけれど、これはこれ。なぜこのように手の込んだことを実行したのかという動機が今ひとつ繋がってくるような気がしないが、この文体に対置されるべきはこういった大型の物理的トリックなのかもしれない……などと考え込んでしまう。また、限られた登場人物のなかに錯覚を起こさせるあたりの伏線の使い方もあり、それがなかなかうまいという点は付け加える必要がある。(ただ、やっぱりメイントリックは無駄に肥大化していると言わざるを得ないか……)。

シリーズを通じて読んでいる人にとっては、やはり見逃せない作品。ミステリとして評価をするしないは別に、このとぼけた味わいがかなり癖になりそう(事実、新刊が出るたびに買ってしまうんですよね)。この生暖かいユーモアを楽しめる同志(?)には、是非とも読んで頂きたい作品だ。


06/04/04
黒田研二「カンニング少女」(文藝春秋'06)

本書の著者紹介は”メフィスト賞でデビュー”という文言が無く、いよいよ一般小説作家(?)に向けての舵取りを開始したかのようにみえる黒田研二氏。『結婚なんかしたくない』に続く、ターニングポイントに位置する(かもしれない)長編作品。表紙は西島大介氏。有名書店員の書いた帯にある文字は「青春ミステリー新主流派宣言」。

都立K高校三年の椿井杜夫は、短距離走でインターハイ好成績を収めたため、既にスポーツ特待生として大阪の有名私大への入学が決まっていた。学校で教師と衝突した帰り道、椿井は学年トップの成績で東大確実の優等生・並木愛香がカラオケボックスへと入っていくのを目撃する。そこに機械いじりが大好きなオタクで推薦入学の決まっている友人の平賀隼人が現れた。待ち合わせをしているという彼らから、椿井はクラスでも引っ込み思案の天童玲美が事情を抱えていることを聞かされる。その玲美は、私立大学の名門・馳田学院大学に今から猛勉強してでも、どうしても入学したいと言い出した。彼女の姉で、椿井の陸上部の先輩でもある芙美子が最近交通事故死していたのだが、彼女が遺した日記によると、その背景にはどうやら馳田学院大学の研究室が関係しているらしい。ただセキュリティ対策ががっちりしている同大学は、関係者以外立ち入り禁止が徹底しており、芙美子の死の真相を解くためには玲美自身がどうしても馳田学院に入学する必要があるのだ。但し、現在の彼女の成績では客観的にみて合格は難しい。ならば、合格するためには非常手段を使うしかない……。彼ら四人が力を合わせて狙うは……もちろん究極のカンニング、である。

何が飛び出すか判らない。カンニング受験生 vs 監督する学校側の虚々実々の駆け引き
その後の人生の岐路というか試練というか、受験というイベントには実力が試されるという意味合いに加えて、やはり多かれ少なかれ”賭け”の要素が入る。これをミステリに仕立てようとした場合に、本人の実力があって試験問題がすらすらと解けるというのは当たり前だが×。当然、一発逆転を狙っての賭けがあるからこそ、作品におけるわくわくどきどき感が高まるのである。カンニングも犯罪同様、”いけないこと”である点は同じであり、当事者がその手段に知恵と工夫を尽くすのは、普通のミステリと同じこと。 なんにせよ「ばれたらおしまい」という点、きっちり共通している。
その意味では、やはり登場人物が工夫に工夫を凝らした、各種多様なカンニングの詳細がまず本書のポイント。当たり前(?)のカンペ等を利用したカンニングに始まり、ちょっと特殊な器具を使用したり、受験という状況そのものを逆手に取ってみたり、その準備のために心理状態までコントロールしたりと、そのありとあらゆるカンニングのバラエティが実に楽しい。加えて、物語の下側に微妙な恋愛感情を織り交ぜながらの展開と惜しみなく注ぎ込まれるアイデアの取り合わせは、どこか往年の岡嶋二人が意識されているようにも思えた(考えすぎかも)。一部のカンニング方法は五十嵐貴久の『Fake』とも被るが、これは最新情報機器を取り入れた場合における、カンニングの行き着く先は同じだということなのか。
惜しむらくは、最後の最後の詰めの甘さ。こうするしかなかったことも判るのだが、いくら背後に事情があろうと名門大学のトップクラス難関校が出す試験問題で”これ”はあり得ない。(採点なんか出来ないじゃないですか、この問題は)。困難な関門を乗り越えるために全員で努力するという、フィクションなりに現実寄りだった物語が、この試験問題にて物語が一気にいきなりフィクションのための都合の良いフィクションに傾いてしまう。物語としての着地としてはすっきりするのかもしれないが、この部分の処理がもう少しうまく出来ていれば……という点、やはり惜しまれる。

ミステリーを離れるような発言がありながらも、やはり物語展開はミステリそのもの。カンニングというコン・ゲーム的要素と、姉の事故死の謎といったスリリングな部分と謎解きの部分、さらには仄かな青春小説的な部分との物語上バランスが良いだけに先に述べた瑕疵が惜しまれる。ただ、この設定に物語、誰が読んでも共感が持てるであろう印象で、非常に読者に対する間口の広い作品であることは間違いない。


06/04/03
宮部みゆき「模倣犯(一)〜(五)」(新潮文庫'05)

『週刊ポスト』誌に'95年から足かけ五年の連載後、2001年に加筆のうえ単行本化された作品。この単行本の段階で「このミス」一位など大いに話題を呼び、第55回毎日出版文化賞特別賞、更には二〇〇二年芸術選奨文部科学大臣賞〔文学部門〕受賞と、既に多くの勲章を持つ宮部みゆきさんが、更に新たなメダルを獲得することになった作品でもある。(しかし、本書であれば既に受賞して資格のなくなっている各賞でも受賞できたのではないか――と思う)。今回、五分冊にて時間をかけて初文庫化されたが、舞台設定の時期が九十年代半ばというのはそういうわけで連載時期の問題なのですよ<文庫で初読の方。

東京都墨田区の大川公園で若い女性の右腕とハンドバッグが発見された。発見者は近所に住む塚田真一という少年で、彼自身家族を強盗に殺害された生き残りという過去を持っていた。調べた結果、そのバッグの持ち主は、三ヶ月前に謎の失踪を遂げていたOL・古川鞠子であることが判明。さらには「犯人」を名乗る人物からテレビ局の報道局へ電話が入り、「あの公園からは何ももう何も見つからない。あの右腕は古川鞠子のものではない。彼女たちは別の場所に埋めてある」とボイスチェンジャーによる大胆不敵なコメントが寄せられた。この報を聞き、失踪女性に焦点をあてたノンフィクションを執筆中のライター・前畑滋子もまた取材のための活動を再開する。犯人は、古川鞠子の遺族に対してコンタクトしてきたうえ、祖父の有馬義男は犯人の指示通り、慣れない新宿のホテルを動き回ることになる。警察は、大川公園を中心に過去に犯罪歴のある者を調べてゆくが、その捜査線上に一人の人物が浮かんだ。だが、その男・田川はテレビ局に登場するやいなや、犯人から挑発的なメッセージがそこに寄せられる。未曾有の連続女性誘拐殺人事件はこのような派手な幕開けを開始したのだった――。

犯罪の関係者の様々な心情をひとりひとり実に丁寧に描き出し、未曾有のドラマに仕上げる手腕。さすが宮部みゆき。
原稿用紙にして三千五百枚超なのだという。長大な物語。その長さを感じさせない――とはいわない。やはり、読んでも読んでも物語が続くような印象はある。ただ、少なくとも一向に飽きさせないという点は宮部みゆきの醸し出す物語の巧さだと思う。
この物語、大きく分けると三部構成となっており、第一部では犯人像が明確ではないまま、連続殺人事件の被害者の側から物語が描かれる。この部分は犯罪の当事者以外(被害者といえど)からの視点であり、事件が世間からみるとどのように見えるか、という視点にて計算して描かれる。一転して第二部は、第一部の終了間際で犯人と思しき人物が登場した結果を受け、その人物たちの側、周囲から事件に至るまでの様々な流れが描かれる。この部分は、犯人たるべき人物の”嫌さ”を徹底させる。犯罪学者たちが理由付けするような判りやすい理由に近い(?)歪んだ特権意識、歪んだプライド等々、そこいらにいる普通の人間の、だけどそれぞれが小さく持つ負の特性だけを特に肥大化させたような人物像が描かれ、犯罪に至る過程も淡々と描写されている。(PTSDみたいな部分もあるが、あまり同情できるような描写ではない)。 そして第三部にて、これまで見えてきた状況が全て集合し、読者にとって犯人は分かっているなかでの、一般野次馬大衆やマスコミ、警察、関係者の動向が描かれる。この部分では、確かにどうやって犯人が明らかになるのか? という興味はあるものの、むしろ事件よりも事件に群がる人々の動きの方に重きが置かれている。第一部、二部で事件に実際に関わった人々の様子を描写したうえでの、それを取り巻く世間の在り方――をじっくり描くことによって現代社会そのものを描きだすのだ。
具体的な名前を出すとネタバレになるので伏せるが、犯人や容疑者、被害者(遺族)、警察サイド、ライターといった事件の中心人物だけでなく、関係者の家族の姿が必ず描かれているのが特徴だ(そして物語が長くなってしまった理由でもある)。無遠慮に報道するマスコミ、強引な捜査を取る警察といった人々の周囲で、迷惑を被る人々の姿を描き出すことによって物語の膨らみが、他のミステリと比較のしようがないほどに増している。事件とマスコミの関係性を描く一方で、そこに顕れないかたち(黙殺されるともいう)での家族の姿が、被害者・加害者にかかわらず一様に不幸だという点、問題提起でもあり、日本の腐った村社会の現実でもある。ただ、宮部みゆきが凄いのは様々な社会的な問題を要素として物語に封じ込めながら、その一つ一つを強く主張していない点か。犯罪被害者の問題、冤罪の問題、マスコミの問題、犯罪報道の問題、野次馬の問題、家族の問題、男性社会の問題……と、一つ一つ取り上げるとポイントとなる描写があって、それぞれテーマ性がはっきりと打ち出されているのに、物語トータルとしては「これは○○テーマの作品です」と言わせない。結局「現代を描いたミステリー」に落ち着いてしまう。これだけをまとめあげ、更にはエンターテインメントとしてしまうのは、やはり稀代のストーリーテラーたる宮部みゆきのセンスの凄まじさを物語っている。

いろいろなことを語りたくなる一方で、結局は「宮部みゆきスゲー」に落ち着いてしまう感。 真犯人がなかなか浮かばないなか、これだけの連続殺人事件に対する警察捜査に関して微妙な違和感もある(調べ方が事件当初、微妙に不徹底にみえる)のだが、そこがフィクション。ミステリという枠を使ってミステリを遙かに超えた、現代社会小説として間違いなく歴史に残る作品である。本書で語られる多くの記号、恐らく二十一世紀を通じて機能するものが沢山ありそうだ。


06/04/02
連城三紀彦「戻り川心中」(光文社文庫'06)

連城三紀彦が雑誌『幻影城』に連載した「花葬シリーズ」がまとめられた作品集。表題作は第34回推理作家協会賞の受賞作品にあたる。少し前にハルキ文庫で「花葬シリーズ」八編全てがまとめられていたのだが、本光文社文庫版は、講談社版が底本となっており、下記五編のみで構成されている。

色街を騒がす連続殺人事件。その容疑者として語り手の愛人と同じ長屋に住む代書屋が挙げられ留置場で自殺した。果たしてその裏側には何があったのか――。 『藤の香』
私が警察学校を出て最初に手がけた殺人事件。暴風雨の明けた盛り場で男の他殺死体が発見された。男の手には桔梗の花。私はその男が入ったという娼家を尋ね、まだ幼い鈴という少女と出会う。 『桔梗の宿』
あることから小指しかない貫田の兄貴の弟分となった俺。貫田の兄貴は萱場組で大きな顔となっており組長の信頼も厚かった。しかし俺をかわいがる一方である女を抱けといった奇妙な要求をしてくるのだった。 『桐の柩』
幼い頃に母と二人東京に出てきた私。私は、母が誰かを刺し殺している場面や、燃え盛る炎を目撃したという幼年時代の記憶があった。母は果たして人殺しなのか。私はその記憶の真実を知ろうと関係者を訪ねる。 『白蓮の寺』
近代の天才歌人・苑田岳葉。天才的な歌をものにし、何度かの愛人との自殺未遂を経て最後に自死した伝説的人物。私は彼の生涯を小説にしていたが最後を未完のままにしていた。岳葉の行動における不審点は一体何を意味するのか――。 『戻り川心中』 以上五編。

やはり名品。流麗にしてトリッキー、恋愛よりも人生が浮かぶ仕組みに改めて驚嘆
改めて読み直してまず感じたのは、大正から昭和という時代を背景にした、その舞台設定の特異性だ。単に色街だとか、戦争だとか”ありがち”な設定を排して代書屋だとか、文人だとか、博徒だとかちょっとひねった設定にしてある点、そもそも作家に成り立ての時期に発表されたと思えない”豊かさ”がある。そしてその状況を描写する文章の流麗さはいうまでもなく見事。日本人であることをを誇りに思える瞬間が、この本を読む時には必ずあるはずだ。
そして視点設定の妙。単純に事件をリアルタイムで描くことはなく、事件当時の記憶をもった人物や、事件関係者の知人、警察関係者といった、事件そのものに関わってはいるものの決して重要な役割を果たしていない(もしくは知らずに役割を振られていた)人物が、当時を回想するような形式を取っている。その視点人物の立ち位置が考え抜かれての結果か、それ自体センスなのか、少なくとも物語全体を効果的に語るのに最適なところにある。本書をミステリたらしめているのも、その視点人物の位置によって謎が際立つようになっているから。
さらに意外なトリックの数々もまた改めて素晴らしい。トリックそのものというよりも、物語(この場合「人生」という言葉の方が適切かもしれない)と密接に関係した位置にある「謎」。その「謎」が解かれることによって反転し、見え方の変化する物語全体の妙味が堪らない。特に、反転した結果、実は序盤から物語の下敷きになって読者が容易に見抜けない、登場人物の感情がふわりと浮かび上がってくる点は、素晴らしいとしかいいようがない。また(自分自身で勘違いしていたが)、そこで浮かび上がってくるのは男女の愛情ではなく、もっと別の何かへの執念じみた感情なのだ。愛情に類したものもあるにはあるが、やはり愛というより妄執、執念といったことばが、より適切なように思える。美しい文章のなかでトリックを介して浮かび上がる情念が、愛情というよりもむしろ執念であるという事実に読者は、より大きなサプライズを覚えるのではないか。なんとなく恋愛小説のように思い込んでいたのが、この作品を読めば読むほど、恋愛を超えた別の何かを描き出そうとしている小説のように考えるようになった。

とはいえ、大人による鑑賞に耐える一般小説として超一流でありながら、トリッキーなミステリであるという根本的評価は変わらない。特に犯罪など矮小な事件の方ではなく、そもそも登場人物の人間心理の方を弄ぶように解体し、再構築して物語を作り上げることによってもたらされる謎。事象における論理ではなく、心理における論理性がこの作品集を本格ミステリたらしめているように思われる。


06/04/01
高木彬光「刺青殺人事件」(光文社文庫'05)

2005年より光文社文庫では探偵小説の大家の一人・高木彬光の代表作を隔月で復刊している。(以前も光文社文庫で刊行されていた経緯もあり、全て「新装版」と銘打たれている)。本書はいわゆる改稿版の方の復刻で、横溝正史の遺品整理の際に発見されたという神津シリーズ未発表短編の「闇に開く窓」という作品が付け加えられている点にも価値がある。

本郷の東大医学部標本室。ここには百枚近くの刺青が彫り込まれたF博士による人皮のコレクションが眠っている。そのなかの一つ、トルソにされた見事な大蛇丸の刺青は彫安という刺青師が自らの娘に施したものだという。妖婦・野村絹枝。このトルソこそが酸鼻を極めた刺青殺人事件の記念碑である――。捜査一課長を兄に持つ松下研三は軍医として出征して復員後、東大医学部に所属し、現在二十九歳。彼は、たまたま「江戸彫勇会」開催の刺青競艶会に弥次馬として参加し、そこで一人の美女と知り合う。彼女は野村絹枝といい、研三の中学時代の友人・最上久の兄の情婦であった。彼女は見事な刺青を身体にもっており婦女の部で優勝する。彼女には刺青をコレクションすることで有名な早川博士がアプローチをかけており、一方では彼女を巡っての様々な噂もあった。絹枝は研三を自らの店に誘い、彼はその誘惑に負けてしまう。その前後より絹枝は自分が命を狙われているということを不安がっており、その自宅に招かれた研三は密室と化した風呂場にて切断した女性の手足を発見してしまう。しかし彼女最大の特徴である刺青を背負った胴体はその場には無かった……。猟奇的な殺人事件として研三の兄の松下英一郎が早速捜査に着手するが、彼女の情夫たる最上竹蔵が同じ時期に行方不明となっていることが判明した。

やはり傑作。戦後の混沌の描写、そして人間(読者)心理の死角を見事に衝く本格探偵小説の奇跡
小生は高木彬光の良い読者とはいえないが、それでもこの作品だけはこれでたぶん読み返すのは都合四回目くらいになる。当初はおどろおどろしい、初期の探偵小説の持つ(良い意味での)いかがわしさと、なぜか強く強調されていたような気がする「それまでは実現不可能とされていた日本家屋における密室トリック」という二点の印象が強かったが、さすがに今となってはそちらよりも全体を通して作者によって計算された「読者の錯視」という部分に改めて強く惹かれた。(本書では、高木彬光自身がこの作品について述べた文章が多数掲載されているので、その影響ももちろん否定できないが)。
まず本格ミステリ(この場合は探偵小説だが)としてのトリックの凄さ。どうしても風呂場で発見された手足頭のバラバラ死体に眼が行きがちだが、やはり本来的に本書の凄さが顕れているのは、物語全体を通じての双生児と刺青を用いた錯覚トリックにある。絹枝という全身に刺青を背負った女性の描写がなんとも妖艶でかつ不思議な魅力を湛えており、その彼女に翻弄される松下の動揺や行動すら、犯人の冷静な計画のうちであることの衝撃。序盤、何がなんだか判らないなかで述べられた言葉や、ちょっとした行動がきちんと伏線として回収される美しさ。通常メインと考えられている物理トリックそのものが、実は心理トリックに向けた下敷きであった点など、本格ミステリの観点からみた場合の本書の凄さは筆舌に尽くしがたいものがある。(特に改稿版ということで様々な要素が補完されている点ももちろんあるだろうが)。
一方で、物語としての拡がりもあまり評価されないながら、十二分に備わっているように思われた。確かに真犯人の動機であるとかは陳腐かもしれないが、特に男女のどうしようもない惚れた惚れられたの関係や、愛情をもって憎悪で返すような人間関係の切り口は現代においても斬新ですらあるように思われる。戦後独特の頽廃した雰囲気が創り出すロマンティシズム。 この点は、視点人物たる松下研三自身をも巻き込んで多くの登場人物を翻弄する、稀代の妖婦・絹枝の存在は実に大きく、この作品の持つ独特の迫力は彼女の存在抜きには考えられない。
あと、刺青という存在に対する切り口も斬新で、その芸術性を賛美しつつも、トリックの一部として消化しつくす高木の冷静な態度という距離感も素晴らしい。刺青マニアの早川博士の存在がレッドへリングでありながら、この作品における刺青という存在の位置づけを高める点にも一役買っている点なども巧みだ。

本書は高木彬光のデビュー作品にあたるが、本稿をいきなり江戸川乱歩に送りつけてデビューしたくだりはあまりにも有名。加えて昭和を代表する名探偵の一人・神津恭一郎の初登場作品であり、この段階で神津の造形に(現代的なスマートな名探偵としても)完成されたものを感じさせるのもまた高木彬光の深謀なのか。何度読んでも興奮し、そして引き込まれる。『本陣殺人事件』などと並び、現代本格ミステリのルーツとしてもやはり重要な作品である。現代のミステリに通じるモチーフが幾重にも織り込まれている点なども改めて注目されたい。