MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/04/20
半村 良「産霊山秘録」(集英社文庫'05)

伝奇SFの祖であり、ネオ伝奇という特殊な分野を開拓するきっかけとなった半村良氏の伝説的な作品。文学各方面から絶賛され、第1回泉鏡花賞をも受賞した本作は、これまでも何度も文庫化されている。ちなみに「産霊山」は「むすびのやま」と読む。

戦国時代、帝の周囲に一つ公式文書には存在しない役職があった。ヒの司といい、山科家が代々世襲してきた。ヒ一族。漠とした言い伝えでははるか遠い昔の御代の頃から彼らは存在し、何度も皇室の危機を救ってきた存在なのだという。彼らは神器を用いて不思議な技――今でいうところのテレパシーやテレポーテーションを用い、国の動乱期に人知れず活躍した。そして、その人数こそ減りはしていたものの、確かに彼らはいた。比叡山にて暮らす一番若いヒ一族・飛稚(とびわか)はようやくその技の一端、ワタリの修得を開始した。ヒ一族は勅命を受け、織田信長に天下を取らせるために動き始めている。宗主の随風と、彼の弟・明智十兵衛光秀が中心となりその任にあたるが、それ以外にも幾人かのヒが要所に配置されていた。歴史は動きだし、ヒ一族は激動のなか、天下を安定させるために聖地ともいえる芯の山を求める。織田信長の野望は尽きるとことを知らず、彼は飛稚の故郷でもある比叡山を討つことを決意し軍を動かす……。戦国時代のみではなく、その後の江戸時代、明治維新から第二次世界大戦から現代に至るまで、近世・近代の四百年の時を超えて生きるヒ一族の、そして日本の物語。

これぞ気宇壮大にして壮大なホラ話。だが、角度を変じて眺める日本史に独自の解釈を加える手法には、今なお新鮮な驚きが
初巻本の形式を踏襲して上の巻、下の巻と内容こそは分かれてはいるものの本文庫では一冊にまとめられている。そのなかに日本の四百年の歴史が詰まっている……といってもそう過言でもないだろう。足利幕府が衰退し、全国に有力な武将が割拠する時代をスタートにこの壮大な物語は開始される。ヒの一族の宗主たる随風らがこのままでは天下が乱れると感じ、そこから自らの超能力と、武将たちに対する謀略とが描かれる。ただそこに”現場”たる民の視点と、武将サイドの戦略的な動きとが絡められ、個々の描写は地味ながらしっかりと地に足が着いているのが特徴だ。その意味では時代/歴史小説特有の展開にも近いのだが、ただ、そこに”ヒの一族”という独自の補助線を引くのが本書が伝奇たる所以。 一般的な歴史的な事実に、様々な異説(例えば、ある人物が記録を重ね合わせると異常なほど長生きしていたのではないかと思われるなど)を重ね合わせ、そこの矛盾や謎の隙間に”ヒ一族”の存在を当て嵌めることで、高い説得性を物語に持たせる。この三点が絡み合ったような展開が実に巧み。また、単に巧みなだけではなく先読みを許さないエンターテインメントとしての面白さも十分感じさせてくれる。そもそも明智がヒ一族であるという点から解釈される本能寺の変の真相であるとか、武田信玄の大攻勢の直前の死であるとか、それぞれの裏側にヒ一族の謀略が存在していたといわれても簡単にはピンとこないとは思うが、そのあたりは本書を読んで頂くしかない。
信長が倒れ、秀吉から家康へと流れていく歴史。章が変わると、先の物語に登場しているヒの一族が再び登場するなど大河的な構想も素晴らしい。また、設定のなかにタイムスリップ的要素を加えているがために、”ヒの一族”自身の悲劇もまた太平洋戦争に至るまで継続させられている。下の巻になってくると、ヒの一族の立ち位置が、その一族自体の衰退と共に時代の傍観者といった趣に変化してくるのだが、そちらはそちらで別の面白さがある。江戸末期から明治維新、太平洋戦争、そしてアポロ計画に至るまでちょっとした歴史の隙間に”ヒの一族”のエピソードを埋め込む手腕は素晴らしく、また、戦乱を通じて徐々に視点が庶民に降りてゆくため単なる謀略小説以上の感慨が物語全体に加わっている。

いずれにせよ、SF/伝奇的な手法をもって日本の歴史を再構築したうえで、個々の物語のエンターテインメント性と作者独自の思想/世界観がさりげなく埋め込まれている。これこそが歴史ロマン。 そんな傑作作品だと思う。


06/04/19
平山夢明「怖い本〈1〉」(ハルキ文庫'00)

第59回日本推理小説作家協会賞短編部門を「独白するユニバーサル横メルカトル」(光文社文庫異形コレクション『魔地図』収録)にて受賞した平山氏。映画やビデオ批評から実話怪談シリーズの『「超」怖い話』、さらには創作の『メルキオールの惨劇』や『SINKER』など恐怖をテーマに様々な分野で活躍されている。本書は平山氏の代表作(?)'93年から翌年にかけて刊行された『新「超」怖い話1〜3巻』から作品がセレクトされ、再編集された実話系短編集。

かつての川崎は車がばんばん走り回り、交通事故など日常茶飯事という感じだった。中学生になった頃、私は高木君と下校途中、『おべった焼』を食べようと神社の脇の道を抜けようとしていた。そこに突っ込んできたトラック、そして急ブレーキ。続いて聞こえてきた女の悲鳴。小さな女の子がタイヤの下敷きになって亡くなった瞬間だった。その後、三週間ほどすると神社に子供の霊が出るという噂が立った。私と高木君は『見てあげなければならないのではないか』という妙な義務感を感じ、夜の十一時頃現場を訪れる。境内には誰もおらず何か煙のようなものが立ち込めていた。高木君は『……出た』といって走り出したが、私には何か霧だか煙だかがモヤモヤとしているようにしか見えない。高木君は『おかっぱの女の子』を見ていたらしい。家に帰ると布団を被って寝てしまおうと高木君は目を瞑るが、深夜遠くでボンボンとボールをつく音で目を覚ました。そしてそれは次第に近づき、彼の家の周りを巡るように響きはじめ、さらには家の中でその音が聞こえるようになってきた。そして……。『ボールをつく子』『もしもし』『自殺名所の管理人』『走る山伏』『覗かれている』『眼帯』『おすそわけ』『蝶のバス』『完璧に出るコンビニ』……といった短い恐怖譚が五十話収録されている。

あり得ない存在、伝聞、微妙に都市伝説から外れた展開。全国普遍に存在する怪異がじわりと心に忍び寄る
いろいろなタイプの”怖い話”が、五十編。本当にその種類はさまざまで、霊が見える人の話から、ちょっと不思議な暗合、実際に霊がそこかしこにいるのでは……という話。伝聞もあれば、体験談もある。結果的に、焦点が絞られていないきらいはあるものの、かえってそこに意図的にバラされたかのような数多くのツボ(この場合は落とし穴か)が作品中に存在しているという印象だ。
また、地域や環境、登場人物の境遇なども本当にバラバラでそれにより読者の恐がり方も確実に変わりそうだ。その場所や地域、経験した人の職業など特殊性を打ち出している話も多いのだが、どこかその本質的な部分についてはどこか全国に遍在するのでは……と思わせるものがある。また、これだけシチュエーションがさまざまであると、何か「ふっ」と気を抜いた時に本書に登場した似たような状況が頭のなかに浮かんで怖い思いをすることもありそうだ。(なんとなく、夜中に一人で想像力が走り出して、厭な気分になることはありませんか?) とにかく、様々な場面や人物が描かれるため、そのうちどれかは必ず”ツボ”に入る作品が幾つか含まれているであろうという点が、この多数の話が収録された作品のやはり最大の特徴ではないかと思う。

個人的には早い段階の三話目、『自殺名所の管理人』など、人間ではない何者かに襲われ孤立無援となる、ホラー映画的シチュエーションが強烈にツボに嵌った。また、マンションに何か得体の知れないものが潜む『うしろの正面』あたりからも厭な感覚を覚えた。(こう考えると、”霊”という言葉ですら割り切れないような得体のしれない存在に、小生は怖さを感じるようだ)。

全体としては、ほとんどが日常生活の延長のなかにある話。または、普通の人が何かのきっかけでそういった危険(?)ある世界に足を踏み入れてしまう話。つまりは、本書を手に取る一般読者にとっても無縁ではない――という世界。読者と作品との境界のぼやかしかたが実に巧い。実話系怪談のお好きな方には必読でしょうね。


06/04/18
五十嵐貴久「2005年のロケットボーイズ」(双葉社'05)

'02年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞の大賞受賞してのデビュー以来、ホラー小説作家という肩書きを付ける暇もないままに『交渉人』や『Fake』『TVJ』といった多様な作品を発表している五十嵐氏。既に現在は総合エンターテインメント作家という状況にあるか。本書もまた青春小説の系譜に連なる作品で書き下ろし。

文系人間ながら、いろいろな事情が重なって”おれ”こと梶屋は、王島電気大学付属高校に通うことになった。この王島高はかつては”荒れた高校”として近隣で名を馳せていたが、理事長が替わって以来、テレビ局主催の鳥人間コンテストに部活動として力を入れるなど確実なレベルアップが図られるようになった。入学早々、学校に対する不満を口にしていたおれは、鳥人間部の部長のダンナこと神野に目を付けられ、早々と退学勧告を受ける。結果、全てのサークルから門戸を閉ざされたおれは、同級生の口だけは達者なゴタンダこと大崎、天才スロッターで性格の良いドラゴンこと牧野らとつるんでスロットに汗を流す毎日。しかしとある問題が学校に発覚、おれは学校側から退学にしない交換条件としてキューブサット(超小型の人工衛星)コンテストへの作品提出を命ぜられる。賞金を餌に、成績こそ抜群に良いが守銭奴のうえ人付き合いに難のある上級生”大先生”こと成田を巻き込んで何とか設計図提出を果たしたところ、並み居る大学生たちを尻目に高校生にしながら優秀賞を獲得してしまった。続いて今度は、テレビ局まで巻き込んだイベントにて、実際にキューブサットを作らざるを得ない事態に追い込まれたおれは、ゴタンダと共に大先生に再び泣きつくことになった……。

”ロケット”とはまっすぐに飛んでいくこと。若者たちが何かに夢中になれる”楽しさ”を高らかに謳い上げる
題名だけで勝手に川端裕人の『夏のロケット』みたいな作品だろうと高をくくっていたのだが、その予想は見事に外れた。だってこれは題名に偽りあり。ロケットを飛ばす話ではなく、そのロケットに乗せて宇宙空間に放り込む人工衛星を作ろうという物語なのだ。なので実際に宇宙に行くために(即ち宇宙飛行士になるために)数学や英語やなんやかんやの努力をする青少年の話ではなく、それよりはもう少し身近にいそうな等身大の高校生たち、彼らが十二分に夢のある目標に向かって邁進する物語である。
人工衛星を高校生が自分たちの力だけで作る――テーマそのものは目新しいのだが、設計その他一番難しいところは”天才”の力を借りてしまうし、筋書きは予想通りというかシンプルでわかりやすい。幾つかの伏線はかなりあからさまに張られている一方で、ほとんど無駄な登場人物が出てこない。ただ、物語全体としてはその構成の平凡さを凌駕してしまうような青春パワー(書いていてちと恥ずかしいが)全体にあふれている。この点に関しては、主人公視点による多少偏った、すこしおちゃらけた文章が物語全体の雰囲気ベストマッチしており、単純に汗と涙の感動物語になっていないことに好感。登場人物のほとんど(主人公とゴタンダを除く)に特殊な能力があり、ちょっと感情移入はしにくいとはいえ素直な青春小説だといえるだろう。また、男女のべたべたした関係を意図的にかほとんど描写しない結果、本筋の主題に対するストイックな感情を素直に受け止めることができる。
今時の高校生がこれを読んでどう思うか、感じるかはさすがにこちらがおっさんなのでもう想像するしかないのだが、その高校生OBの立場から物語に接するに「ああ、ええ話やなー」と思わせる。ある意味、その時点で作者の勝ちか。

強いていえば、個々の実験の結果がどうなるか……という点で興味を引っ張っており、特に大きな謎があるわけでもないながら、全体に溢れる熱気と特異なキャラクタの魅力で一気に寄り切ってしまう作品。元気が欲しい方にどうぞ。


06/04/17
森 博嗣「θ(シータ)は遊んでくれたよ」(講談社ノベルス'05)

犀川&萌絵の”S&Mシリーズ”、保呂草潤平・瀬在丸紅子らが活躍する”Vシリーズ”、真賀田四季による”四季”に続く、森博嗣氏の新シリーズ、”Gシリーズ”二作目となる作品。時系列では他の作品の後、先のシリーズに登場する主要人物の固有名詞が今回も数多く登場する。書き下ろし。

二十五歳のフリータ・早川聡史が自室のあるマンションの八階から飛び降りて死亡した。飛び降りた部屋は施錠されており、剥き出しとなった電線コードがあった。そして彼の額の中央に、赤い口紅のようなもので記号らしきものが書かれていた。それはギリシャ文字の「θ」のようにみえた。さらに半月ほどして、看護婦の木村ちあきが勤務先の病院から飛び降りた。彼女に特に自殺するような徴候はなかったようにみえたと関係者は証言し、飛び降り現場の屋上にも争った形跡はみられなかった。ただ、司法解剖時に彼女の右手のてのひらに、やはり「θ」の文字が口紅で書かれているのが発見された。この二件の関係に気付いた愛知県警捜査一課の近藤は、偶然であった犀川にアドバイスを求める。しかしその晩、また一人の若者が建築中の十階建て建物から飛び降りて死亡した。今度はその右足の裏側に「θ」の文字があることが発見された。靴下を脱がせるまでそれは判らなかった。やはりその文字は口紅で書かれていた。捜査の一環で口紅の分析が依頼され、反町愛がその任にあたる。彼女はたまたま出会った友人の西之園萌絵にその事件の話をし、そして加部谷恵美や海月及介らにもその事件の内容が伝わってゆく。

常に冷静、クールな天才型の探偵たちが、事件の在り方すら落ち着かせてしまう
森博嗣氏の描き出す登場人物、特に探偵役を務める人物はいわゆる”天才型”であり、彼らは自らの仕事or研究に対して情熱を注ぐものの、当事者とならない限りは事件にはなかなか積極的に関与しない。彼らが答えを出すのは「誰かに問われたから」であって、自ら犯人を弾劾したり、正義を実現しようとしたりする意図がほとんどないのが特徴だ。彼らは、条件が揃うまでは蓋然性のある推測・仮説をもっていても答えを保留し、ただそれらの証拠が出揃った段階で回答を呈示する。(そのためか、主要登場人物が巻き込まれ型の性質を持たされているのがお気の毒)。積極的に事件に関与しない探偵(複数)が物語に登場するがゆえに、殺人事件であっても観察対象として扱われてしまうため、作品全体がクールな(いや冷静な、か)雰囲気にて包まれているように感じられるのだ。
前作に比べると、学生たち主導で進む物語ではないせいか、加部谷恵美が一人騒ぎ回っているものの全体的には浮ついたところがほとんどなく、奇妙に落ち着いた物語展開をみせる。だから余計にそのクールな雰囲気が通常よりも目立つのかもしれない。一方、ミステリとしては地味ながら周到さを感じさせる。「θ」を「日」とかでなく「シータ」と判断するのは普通の日本人的ではないけれど、シンプルな道具立てのなかから可能性のある者を順序立て、論理的に追求する推理は読み応えがあった。「推測に過ぎない」という点を強調しつつも、後から状況証拠を少しずつみせる手法も効果的(森博嗣作品だからかえって許される気がする)だ。

ただ――、このシリーズを楽しめるのは、やはり既存読者の特権なのではないか、という気がするのは事実。前シリーズに出てきた”彼ら”の現在の様子を端端でうかがい知る部分の楽しみが決して小さくない。確かにミステリとしては周到だとはいえ、年間ベストクラスの力が込められているというほどでもなく、あくまで小粋であるというレベル。それでも読者の母数を膨大に抱えている点がやっぱり強みなのだろうなあ。周回遅れの小生のような読者までを含めると。


06/04/16
平井和正「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)」(角川文庫'75)

累計二百万部のベストセラーとなった、平井和正絶頂期の作品。コミック版もあり、本書は角川文庫版ながら、ハヤカワや、最近ではハルキ文庫でも復刊されており、根強い人気が伺える。全三部の三部作となっており、〈2〉から読み出して多数のネタバレに気付いて、慌てて初巻を読んでおります

その頃、国家という枠組みを離れ、全地球的に強靭な肉体と精神、そして怪我からの驚異的な快復力を持つ人物が一般人、犯罪者問わずピックアップされる作業が続けられていた……。プロ・レーサーの田村俊夫もその一人。彼は獰猛で一匹狼的性格を持ち、素晴らしい運転の腕前を誇っていたが、レース中の自動車の故障により重傷を負っていた。彼の入院中、自動車会社は自社のミスを覆い隠したうえで俊夫のクビを切り、体面を保った。俊夫は故障の暴露をネタに騒ぐがほとんど話題にならず、ライバル社も彼と契約しようとしない。唯一の身内である身体の弱い姉を抱えた俊夫は、経済的に困窮するなか、十万ドルという報酬に釣られ、南米にあるゾンビー島での謎の”試験”を受けることになった。この島では、ハンティングナイフ一丁で猛獣がうようよする密林に放り込まれ、数々の罠をくぐり抜けて生還しなければならない。更に過酷なテストを終え、最終テストで片腕片目を喪いながらも何とかテストに合格した俊夫は、この謎の組織の真の目的を知らされる……。

強烈なサバイバル・エンタにして、”ゾンビー・ハンター”が”ハンター”になるまでの哀しくも壮絶な序章
昔の角川文庫なので活字がページに詰まっている。そのおかげで活劇シーンなどかなり多く分量が割かれているにもかかわらず、物語全体で217ページと薄くまとまっている。特徴的なのは、そのうち150ページに至るまで、本書の表題にさえも使われている「ゾンビー」にまつわるエピソードが全く登場しないのだ。はじめから三部作と割り切られているせいかもしれないが、それでもあくまで本書は「ゾンビー・ハンター」登場までの序章という位置づけになっているように思われる。(そこに至るまで〈2〉で登場する主要な人物のほとんどがエピソードを従えて登場してくる)。ただ、その部分が丁寧に描かれることによって、エンターテインメントの度合いが増していることは事実。
その前半部、とにかく”地獄のサバイバル”の場面の迫力が凄まじい。人間離れした能力を持つ者同士がぶつかり合い、予想できないトラップを回避し、更にテストを受けている人物を、精神的にも肉体的にも皆殺しにしようとしているかのようなテストが続いていく。決して物語の意図としては、多数→生き残りの過程をエンタメ化しようとするものではないながら、徹底したストイック(?)な展開が迫力を伴って読者に迫る。
一方で、そのテストで生還しゾンビー島を離れて帰国したあとの俊夫にまつわるエピソードもコンパクトにして怒濤の展開をみせる。俊夫を狙う謎の組織、その組織すらものともしないゾンビーの恐怖。まあ、ホラーの要素よりもミステリの要素が強く打ち出されている点も特徴だろう。(とはいえサプライズはあるものの、本格の手順を踏んでいるものではない)。とにかく起承転結のしっかりした物語として一流の冴えが存在している。

SF、ホラー、アクション、ミステリといったエンターテインメント総合の面白さがぎっしり詰まった作品。これは何度も復刊され、読み継がれてゆくわけだ。一旦この世界に嵌った読者を捉えて離さないだけの魅力がある。早く完結編が読みたい(というか探し出して買わねば)。


06/04/15
垣根涼介「ゆりかごで眠れ」(中央公論新社'06)

ワイルド・ソウル』にて第6回大藪春彦賞、第25回吉川英治文学新人賞、第57回日本推理作家協会賞と史上初のトリプル受賞を果たし、更には『君たちに明日はない』にて第18回山本周五郎賞を受賞するなど、留まるところを知らない快進撃を続ける垣根涼介氏。本書は周五郎賞受賞後の初長編。書き下ろし。

日系二世のリキ・コバヤシ・ガルシア。無政府時代のコロンビアの日系人移民の村に生まれ、ゲリラの襲撃によって親を喪い、丁度子どもを亡くした混血女ベロニカに引き取られ、育てられた。彼らは襲撃を恐れ、メデジン市の貧民街に移り住んだ。麻薬に支配される都市のなか貧困と憎悪と暴力の連鎖のなかで育ってきたリキは、その頭の良さがベロニカの自慢の種ではあったが、義兄の死をきっかけに地元のギャング団を引き継いだ。そして現在。リキは日系人の身でありながら、大規模なコカイン密輸組織の共同運営組織『ネオ・カルテル』の重要な地位を占めるに至っている。リキは、ある事情で共に暮らすことになった元浮浪児のカーサと共に来日。カルテルの会合と同時に、日本の警察に囚われている仲間を奪還する作戦を計画する。麻薬カルテルの動きに気付いた悪徳刑事の武田、そしてその武田の元の愛人にして元刑事の若槻妙子。彼らが東京の街を舞台に意地とプライドを賭けた戦いを開始する。

「愛は十倍に、憎悪は百倍にして返せ」を地で行く快感。徹底したクールと熱いハートの両面性が醸し出す切れ味
垣根涼介氏の描く”南米”及び”南米の人々”は、垣根小説の要素として、もはや定番なのだが、相変わらずその部分がとてつもなくうまい。少なくとも平均的日本人との感情や考え方の差異のギャップを強調し、物語のメリハリを付けている点が特に素晴らしい。平均的な日本人ならば、通常感じることのできない貧困と暴力の世界を”日常”として育たざるを得ない人々の、それでもラテン気質というのか明るさとパワーをもった人々が実に活き活きと描写されている。良くも悪くも平和ボケの日本人に対して一種の蔑視を投げかけるような登場人物であっても、徹底した彼らの人生背景の描写により、そう感じられても仕方ないという諦めに似た気持ちをこちらが覚えてしまう。(これはこれで本来感じる必要はないこと――のはずなのだが、なぜかそういう気分になる)。恐らく、作者がその描写を通じて、南米気質の魅力を余すところ無く伝えてくるからに他ならない。
そしてもう一つ。一つの人/ものに注ぎ込む愛情の烈しさと凄まじさの描写が素晴らしい。 愛する者をとことん愛し抜くという南米人気質もまた、本心を隠すことを美徳とする日本人にはなかなか馴染めないもの。少なくとも実行はし辛い感覚であるのだが、本書に登場する人々の執念じみた行動をみるにつけ、羨望に似た気持ちが生じてしまう。更には徹底した”ファミリー”の精神。仲間の気持ちに入り込み、仲間を助けるためにはどんな費用・窮地すら厭わないというリキの性格が反映されている。これは世界中の人々に共感を訴えられるものだ(それを実現させられるかどうか、という点に大きなハードルがあるにしても)。 この精神の結果となる日本における仲間の壮絶な奪還作戦は本書の読みどころの一つとなっている。
そういった、魅力的な登場人物と、平和な日本とのギャップを感じさせるエピソードを絡めつつ、強烈な愛情と仲間に対する同胞意識をしっかりと描く。主人公を巡る運命は、そのラストに至るまでシチュエーションこそ変えながらも、あくまで「愛は十倍に、憎悪は百倍にして返せ」に則って進んでいく点も興味深い。終盤に微妙な尻切れ感があるが、それもまたこのキャッチフレーズの行き着く先……を暗示しているように思われる。

スマートでエキサイティング、残酷にして合理的、だけど常にハートは熱い。強烈で魅力的なキャラクタを通じて描かれる物語は、読者に常に「日本は?」という反問を抱かせる。単純なギャング・エンターテインメントとして読むことも出来ようが、その裏側にある作者の描きたい”熱さ”をも感じ取って欲しい作品である。


06/04/14
小路幸也「東京バンドワゴン」(集英社'06)

小路幸也氏は、第29回メフィスト賞を『空を見上げる古い歌を口ずさむ pulp-town fiction』で獲得後、講談社のみならず、様々な出版社よりコンスタントに作品を刊行、着々とその人気を高めつつある。本書は各方面での評判も高く、いよいよブレイクの気配を濃厚に漂わせる書き下ろし作品である。

明治十八年創業。築七十年にもなる下町の古本屋・東京バンドワゴン。今時珍しい大家族が住むこの一家、79歳になる当主の堀田勘一、その一人息子で60歳になる伝説のロッカー・我南人、その我南人の子どもで未婚の母・藍子、フリーライターの紺と、その妻の元スチュワーデスの亜美、更にその息子たち、と多人数が賑やかに暮らす。勘一の妻で他界したはずの堀田サチは、今なお空の上から(家の中から)、彼らの様子を暖かく見守っている。この堀田家「文化文明の些事諸問題なら如何なる事でも万事解決」という家訓が示す通り、街のちょっとした事件を解決してしまうのだった。
春。いつも通り賑やかな堀田家。古本屋に小学生の女の子が、重い百科事典を朝置いて、また夕方に持って帰ってしまうという出来事があった。女の子はどうやらずっとそうしているようだ。女の子は近くのマンションに住む小学校一年生。学校の噂では、彼女はちょっと大人しくて内気だけれどもいい生徒らしい。果たして彼女は何のためにそんな行為をしているのか?

今はもう現実にはありそうにないホームドラマの流れが最高。程良いエピソードと謎が家族の絆を引き立てる
最終ページに「あの頃、たくさんの涙と笑いをお茶の間に届けてくれたテレビドラマへ。」という献辞(?)が入っている。わざわざそのコメントがなくとも、その下敷きになっているのが、かつて”お茶の間”で家族揃って鑑賞していたホームドラマであることは明らかだ。ただ――時代が移ろい、現代。これまでのようなホームドラマを、家族揃って観ることはなくなり(平日昼にはまだ生き残っている可能性はあるけれど)、そもそもテレビ自体、場合によっては一人一台所有となって家族自体が揃わないのではないか。そんな、家族バラバラの時代にあえて四世代同居という巨大家族の物語を正々堂々と発表する姿勢が何とも頼もしい。だから、ということではないと思うが、登場人物には現実の俳優なり女優なりのイメージが当て嵌められ、それに沿って性格みたいなところまで作られているように見える。ただ、この場合、その方法は数多くの登場人物を整理する意味でも、逆に成功しているようにみえる。
一方、そのエピソード群がまた、ベタ(これが重要)ながら、巧みに伏線が張られており、日常系のミステリとしても小粋にまとまっている一方で、家族小説としてもその謎→真相が微妙に絡んでいる点が巧み。さすがに猫の文庫本のエピソードには無理が多少あるにしても、女流作家の本を持ったまま老人ホームから失踪してしまうおばあちゃんのエピソードなど、物語の背景と主題、それに謎が三位一体となってぴたりと嵌るのは快感としかいえない。
また、家族それぞれについて、”最初の状態”から、物語が進むにつれて”良い関係”が次々築かれてゆくあたりも読んでいて気持ちが良い。さらには”次なる関係”を予感させてゆく締め方も素晴らしい。なんというか普通小説としては、絶賛意外あり得ないんじゃないでしょうか? (そりゃミステリ限定とかいえば、違う読み方になりましょうが、本書の場合は、普通に物語を楽しむのが正しい鑑賞法でしょう)。

素直に考えて、今年の「このミス」ランクイン候補。あえて持ち込んだこの設定と物語が、懐かしくそして新しいエンターテインメントを編み出した点、これは素直に評価の一手でしょう。これまでも確実に数々の”いい話”を生んできた小路幸也さんの評価がこの作品で一気に拡がることを期待したい。


06/04/13
多岐川恭「樹の中の声」(東都書房'62)

第4回江戸川乱歩賞を受賞した『濡れた心』は女子高生を主人公に据えたミステリであったが、本書は更にその傾向を絞り込み、元よりハイティーンの読者を想定して執筆されたという作品。そして本書も女子高生が主人公となるが、敢えて三角関係や愛人などどろどろした人間関係を持ち込んだというあたりが多岐川氏らしい。こういった心配りがマニアとしては堪りません。

母親を喪い、会社を経営する父親の光策と銀行員の兄・光一、そして中学生になる弟の末男と暮らす友田真名子。彼女は高校三年生になったばかりだった。彼女の家に、父親の紹介で家庭教師・加川安利がやって来た。真名子は最初に目にした時から加川のことが気に入らず、この男が友田家に不幸を持ち込んでくるのではないかと予感していた。そして、真名子は光一の婚約者である橘陽子の住むアパートを何気なく訪れたところ、シャワールームで死んでいる彼女を発見してしまう。彼女には頭を打った形跡があり、事故説が濃厚だったが、女性ならではの観察をした真名子は彼女の死が他殺であることを見抜いていた。陽子と加川のあいだにも関係があり、アリバイの薄い加川が疑われるが、それ以外の容疑者はなんと真名子の家族ばかりであった。陽子は持ち前の正義漢から、探偵活動を開始、陽子に振られたことのある加川の犯行とみて証拠を探しはじめるが、人間関係は意外な方向に繋がっていることが判明してくる……。

深刻な家族の物語のシチュエーションにユーモア感覚が籠もり、意外な本格テイストも味わえる不思議な佳品
まあ、ウブというか何というか。この女子高生の描写について今となっては凄まじいまでの時代性を感じてしまう。潔癖であり、世間知らず。ただ、昭和三十年代前半の普通の高校生というのはこんなだったか、という意味で何となく理解はできてしまう。なので、この純粋な心を持つ主人公からの視点や考え方を中心に据えることで、すれっからしの人間にとっては思いも寄らないかたちでのミスリーディングや、逆に伏線が張られている点が新鮮だ。ただ、探偵小説寄りの展開につき、微妙な青春小説(恋愛?)といったニュアンスは薄い。むしろ、最後まで読んだ時に残る思いとしては家族小説に近い感じがした。当時の高校三年生の社会性は、まだ家族の位置が最重要だったということだけかもしれない。
ただ、その主人公が自らの探偵活動の結果、知らされる人間関係については、相応に乱れた大人の世界のもの。その意味では何も知らない子どもが、大人の醜い世界を覗き見るという、ちょっとしたイニシエーション的ニュアンスが元もと作品にあったとも受け取れる。
まあ、そんなことはどうでもいい。本格ミステリとしてこの作品、意外にも面白いのだ。というのは、身内の婚約者でありながら、後からいろいろ本性が浮かび上がる橘陽子が殺されて、様々な(主人公にとっては特に)意外なエピソードが浮かび上がってくる。最初は誰も動機がない筈だった事件に、実は何らかのかたちで関係者のほとんどが関係しているという不思議。また、その関係者が実は(ネタバレ)ほぼ全員、殺害された後の被害者宅に時間を割り振りながら訪れているというシチュエーションの妙。こういった事件が明らかになったあと、探偵小説よろしく主人公が犯人を罠にかける場面などもスリリング。最終的に全ての材料を読者が手に入れるのは終盤を待つ必要があるのだが、トリックと思っていなかった部分に意外なトリックがあるなど本格ミステリとしての妙味も十二分に感じさせて頂いた。

残念ながら、本書はこの新書サイズハードカバー版のみの刊行となっており、後に文庫化もされていない。探してそうそう見つかる作品ではないながら、多岐川恭ファンであれば押さえておきたい一冊である。


06/04/12
岸田るり子「出口のない部屋」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

第14回鮎川哲也賞を『密室の鎮魂歌(レクイエム)』で受賞した著者の受賞後初長編。書き下ろし。

作家・仁科千里のもとに原稿を取りに出向いた魁出版の香川洋子。彼女は実は仁科千里の以前の姿を知っていた。彼女の方は洋子に気付かないようだったが名刺交換の際に彼女の目が光り、相手もまた自分のことに気付いたことが判った。彼女が差し出した原稿は『出口のない部屋』。その小説には三人の男女が登場していた。彼らは男性の作家、あとの二人は女性で、一人は大学講師でキメラに関する研究の第一人者、そしてもう一人は主婦で医者の夫と子どもに囲まれ一応は平穏な暮らしをしていた。彼らは生活の途中でいきなり記憶を喪い、コンクリートで囲まれた殺風景な密室に閉じ込められてしまったのだ。少し会話しただけでは彼らに接点はみられない。彼らは、それぞれ自らの人生について語り始める……。

落としどころすら見えるなかで、幾つもの”嫌な話”をどこまでが楽しめるか
研究に打ち込むようにみえながら、その中に男性至上主義社会への鬱屈した反発を抱えた研究者兼母親。かなり年上の売れっ子作家である妻の力で作家として何とかやっていきながら、そのことを認めたがらない作家兼夫、そして再婚した際に隠していた娘から脅迫紛いの葉書を毎年受け取り、家庭内で孤立する主婦兼元母親。三人の、欠陥(というと多少語弊があるけれども)ある人生を送る人物たちの独白、ないしそれぞれに関係する別の視点人物による物語が、本来この世に存在する筈のない「出口のない部屋」に集合することによってまとまっていく、メタ性を強く打ち出した強いミステリ作品。とはいっても、幾つものエピソードが重ねられるなか各人のプロフィールがかなりあからさまに描写され過ぎるため、誰の、どのエピソードが別の誰に繋がるのか、各物語のうち誰が誰と同一人物なのかは、普通のミステリ読者であれば簡単に気付けるレベルにある。恐らく、そのわかりやすさも一種計算のうちではないかと思われる。(もちろん、判らなければそれに越したことはないという意味で)。
ただ、そういった伏線が繋がって状況がもたらすサプライズよりも、どろどろの悪意が作品のなかに一本するっと流れており、その邪悪さ加減の方により印象が残る。メタ・ミステリの方法論を用いたうえで、この悪意が作品全体を支配していたことが判った時、別の意味の驚きがあり、そちらが本書の本質ではないかと思うのだ。

ちょっと視点がぽんぽん移動するので、読み出してしばらくの取っつきが悪いが、これも作品の主題を考えて後で振り返れば致し方ないところ。悪意とはいっても、まあ、これよりひどい悪意も多々ミステリには登場することを考えれば、寧ろ綺麗にまとめられていると捉えることもできよう。鮎川賞作家らしからぬ筆力、そして発想をお持ちの方なので、今後は恐らく本格からは離れていくのではないかと想像する。人間の暗黒面を眺めるのがお好きな読者向けかな。


06/04/11
福島正実「地底怪生物マントラ」(ソノラマ文庫'75)

「SFマガジン」「ハヤカワ・SF・シリーズ」など早川書房の現在の地位を固める様々な企画に参画し、特に前者では退社するまで編集長として務めた福島正実氏。ほか小説家・翻訳家・評論家といった様々な顔を持つ。訳書にはロバート・ブロック『サイコ』などミステリもあるが、基本的には「ミスターSF」の異名を持つほど日本へのSFの定着に尽くした人物。本書はジュヴナイルながら、その福島氏の創作のひとつ。

日洋漁業に勤務する峰大二は飛行機に乗ってマグロなどの魚群を発見して、同僚の船団にその存在を通報するのが業務だった。しかし、最近急に太平洋の魚が減少してしまい、今日もまた魚群は見あたらず、同僚の船団に遭遇した。しかし、その船の様子がおかしい。緊急着水した彼らは、人っ子一人いないもぬけの殻となった漁船群だった。一方、南アメリカ沖では米国の原子力潜水艦が謎の物体に遭遇、反撃もできないまま沈没する事件が発生していた。峰大二は友人のN大学海洋学の専門家・津田のもとを訪れ、事件について話し合う。津田は最近の研究の成果といって、日本海溝底にて発見された数千メートルもある海草の写真を峰に見せる。しかもその海草は幻覚成分を分泌するというのだ。漁船遭難事件とその謎の海草とを結びつける峰だったが、房総半島にあるその研究所がいきなり謎の物体に襲われた。ダイヤモンドより硬い触手を持った何かが研究所をずたずたにしたのだ。しかも何とか災厄から逃れた筈の峰らも、人間が化け物と化す幻覚を見る。これが地球上を恐怖のどん底に叩き込む”マンドラ”との序盤の邂逅であった。

特に前半部の怪獣系ホラーの迫力は圧巻。ジュヴナイルでなければ傑作まで突き詰める可能性あった作品
いろいろな背後設定があるのはもちろんだが、基本的には地底深くに存在した地球規模の怪物が人類を襲い、対する人類の最大の武器・核兵器をもってしても全くその役に立たないという物語。その怪物の圧倒的な存在感、そしてそのものの大きさがなんとも巨大で、ちょっとやそっとでは映像化出来そうもないくらいにスケールが大きいのがまず特徴だといえるだろう。例えば『ゴジラ』といった怪獣ストーリーなどよりも、遙かに敵が強大であり、本書が執筆された当時最強ともいえるグアム駐在の米軍が縦横無尽に蹴散らされる光景などはショッキング。さらに、通常攻撃で一旦退けた後に展開される掃討戦に至っては、ホラーの物語としかいいようがない。表紙イラストがまんまカブトムシだといえど、そのカブトムシにこのような秘密が隠されているとはちょっと考えられない。
序盤に圧倒され、中盤であるいかにもSFな展開によって人類に一瞬の救いがもたらされるものの、終盤までマントラの無情な攻撃は継続され、人類は絶滅の危機に瀕し、主人公である峰兄弟の身にも具体的な危険が……。ラストのラスト、本当にぎりぎりまで緊張感が継続される展開は、下手に少年少女が読めば夢に見そうな恐怖が存在する。一応ラストでかなり大胆な処理の結果、人類への救いがもたらされるのだけれど、それも人類の勝利ではなくあくまで自然の摂理の結果である点など皮肉である。ラストで人類は再建への希望に満ちた展開になっているけれども、ここだけ急に物語の現実感が喪失してしまっている。(というか、こういう終わり方でなければジュヴナイル足り得ないことは理解しているのだけれども)。圧倒的な存在の前に、人類はいかに無力か……という命題を突きつけるSFならではの作品だといえるだろう。

ソノラマ最初期の作品が古書店にて100円にて落ちていたので、何となく手に取ったのだけれど、その価格以上に楽しませてもらった感。これが単にSFジュヴナイルとして埋もれてしまっているのは惜しい。この主題はハードSF、ないし本格ホラーのテーマだったとしてもかなり興味深いと思われるのだが……。まあ、ジュヴナイルであることを惜しんでも今さら仕方がないことなのだけれども。機会があれば読める人は読んでみて頂きたく。