MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/04/30
栗本 薫「伊集院大介の冒険」(講談社文庫'86)

『グイン・サーガ』をはじめとするヒロイック・ファンタジー、SF、時代小説から評論に至るまで数々のジャンルで業績を残す大作家・栗本薫さんのミステリシリーズを支える名探偵・伊集院大介。本書はその伊集院シリーズの初短編集にあたり、昭和57年から59年にかけて『小説現代』等の雑誌に発表された短編がまとめられたもの。初刊は講談社ノベルス。

山科警部補のいとこが経営するペンションに幽霊が出るという。山科のたっての願いで「霊能者」のフリをして家族四人が経営するそのペンションを訪れた伊集院大介の前でもラップ音など怪奇現象が……。 『殺された幽霊』
恋人が出来たため暴走族から足を洗ったものの、様々な方面から命を狙われる十九歳の少年。彼が対抗暴走族に追い詰められ、袋小路に逃げ込んだところナイフで刺されて死亡してしまった……。 『袋小路の死神』
男勝りのデザイナーが殺害された。夫や従業員、モデルなど様々な容疑者があったが、死体が握りしめていた布見本が、特殊なチェック模様であったことから……。 『ガンクラブ・チェックを着た男』
伊集院大介学生時代の事件。高額のアルバイトに釣られて奇妙な屋敷に住む女主人。彼女が大介に語り、また大介が森カオルに語った彼女による「完全犯罪」とは……。『青ひげ荘の殺人』
膨大な財産を作りだした建設会社社長。彼は他人の恨みを買おうと世間が無理と考えようと「不可能を可能にする」ことを悦びとしていた。その彼が七十歳を過ぎた時、二十歳そこそこの女子大生を嫁に迎えると知り、財産をあてにしていた彼の子供たちが慌てた。 『獅子は死んだ』
吝嗇家で家族を誰彼ともなくしかりとばす鬼のような母親。還暦を過ぎた彼女と同居する四男一家は、彼女の久々の外出に思い切り羽根を伸ばしていた。その晩、半身不随の父親が毒殺されてしまう。 『鬼の居ぬ間の殺人』
山科警部補の友人が四十一歳の若さで死亡した。スポーツ万能だった彼は、晩年全ての運動を止めて肥え太ってしまっていた。警部補は妻による殺害を疑うのだが……。 『誰かを早死させる方法』 以上七編。

人間の多面性を中心とした演出と、神の如くの推理。評論からの実作へのこだわりもみえる特徴的な短編集
どれもこれも「不可能犯罪」を扱っているが、その処理の仕方が近年の本格ミステリとも、通俗ミステリーとも異なっており、その独創性がいかにも「栗本薫」という作家と評論家の二面を持つ作家らしく興味深い。
序盤、三作品はどちらかといえば本格ミステリ寄り。幽霊の出るというペンションの秘密を解き明かす『殺された幽霊』は、若干手掛かりが少なく、本格の妙味は薄いが現実的な論理が解決へと繋がっており、本格ミステリの系譜に連なる作品。また『袋小路の死神』は、不可能犯罪で真相はかなり突飛ながら、気付きにくい手掛かりがあり動機ほかも納得できるもので意外性を堪能した。『ガンクラブ…』は、ダイイングメッセージもの。だが、そのダイイングメッセージを逆手に取る推理の方法は、それまでの同傾向の作品を踏まえての批評性が込められていて、苦し紛れでも何でもなく既存のダイイングメッセージ・ミステリに対する挑戦状といった面もちを持つ独特の作品である。
一方、残り四作は、人間の多面性を重視している印象。つまりは「吝嗇家で口うるさい年輩女性」「家族を信用しない実業家」「甲斐甲斐しく働く優しい妻」といった記号が、エピソードを吟味して裏の意味を考えるにつれて別の意味が浮かび上がってくる面白さがある。(これだけ並べるとパターンのようにも見えなくはないが)幸福にみえる人、不幸にみえる人というのも見方によっては全然違う人物像に変じてしまう点、本格ミステリの真相が世界観をひっくり返すのにも似た快感が伴っている。同時に幾つかの作品では「完全犯罪」についても吟味されており(結局はプロバビリティの犯罪となる点に不満はあるが)、ミステリとしての奥行きは更に深い。
ただ、伊集院大介の推理としては、全体を俯瞰したうえで直感で先に結論に行き着いてしまっているところがあり、論理的な詰めの過程を楽しむよりも、いきなり驚天動地の解決を呈示するタイプである。ホームズ的というか、これはこれで成立しているので良いのだけれど。

「名探偵の名前+冒険」という題名は、短編集の題名の付け方の定番のひとつ。なので普通のミステリ作品がバラエティ豊かに入っているものを想像していたのだが、作品集全体を通じて漠然としたテーマ性が感じられてかえって新鮮な気持ちで読めた。あまり時代性も特有のクセもなく、現代でも十二分に通用する内容につき、ミステリファン全般に向けてお勧めできる作品集だと感じられた。


06/04/29
香住 泰「とんでもない旅」(柏艪舎'05)

香住氏は、「退屈解消アイテム」で第19回小説推理新人賞を'97年に受賞、'01年に同作品を中心とした『錯覚都市』という作品集を刊行している。本書は『小説推理』誌に掲載した二作に書き下ろし二作品を加えた第二作品集。香住氏にはほかに『牙のある鳩のごとく』という長編がある。

何かと自分に意地悪な仕打ちをしてくる上司の北見、厳しい状況からリストラを受け入れた垣内。彼は現実から逃れ、ある目的のためにボートで海釣りに来ていたのだが、天候の急変によって漂流し謎の島にたどり着くが……。 『リバイバル・ボイッジ』
老舗の和菓子会社に勤務する若手社員の片桐。急な大阪支店への転勤を命じられるが、その所長の井戸江はあまりにものんびりした人物。会社のためを思って上司への反抗をも厭わない片桐には戸惑いが。そんな井戸江と片桐の二人は、中国大連への出張に出向くのだが……。 『レジスタンス・トラベル』
業務についてゆけず落ちこぼれたナツキは、離島へのツアーに参加した。参加者に大企業の営業部次長がおり何かと傍若無人な振る舞いで添乗員を苦しめ、他の参加者に厭な気分を起こさせる。気の弱いナツキは、彼のペースに巻き込まれてしまい……。 『リフレッシュ・ツアー』
美術雑誌社を経営している刈谷。妻がガンで急死して依頼、仕事がうまく行かず学生時代と、妻とかつて新婚旅行がわりに訪れたことのある京都の竜寧寺を訪れる。茶屋で年寄りに絡まれ厭な気分を味わうが、名物の石庭をじっと眺めているうちにいろいろなことが思い浮かぶ。 『ルネッサンス・ジャーニー』 以上四作品。

会社生活を基盤とする人間の”極端”描写が巧み。物語にまで活かしているが欲しいのはあと半ひねり
題名が「とんでもない旅」、そして個々の作品の題名に「旅」を意味する単語が使用されている通り、旅をテーマにした作品集……ということになっている。確かに、それぞれの作品における”事件”というか”舞台”は旅先にあたる場所での出来事である。ただ、その旅はあくまで舞台というか”きっかけ”に過ぎないように思われた。
というのも、四作品とも規模や業界が異なるものの会社生活が関係しており、ひとつキーワードになるのが「強引過ぎる仕事をする人物」が必ず登場している。『リバイバル…』の主人公の上司・北見は、何かにつけ主人公に絡んできてリストラ条件を引き下げ、見合い話を勝手に断る。『リフレッシュ…』の田部井は、傲岸不遜、自らの欲望のままに行動する人物。今時飛行機で喫煙しようとするエピソードからもそれが判る。また『レジスタンス…』『ルネッサンス…』の二作は、主人公がそちら系統の人物。こちらはのんびりしたり気遣いをする周囲のことに気が付く余裕がない。というように四人が四様のタイプで、それぞれ現実の会社に(誇張が凄まじいものの)「ああ、こういうタイプ、いるいる」という人物を巧みに作り上げている。
この極端な描写が巧みで、それぞれにエピソードを絡めて物語に読者を引き込む力は高いと思う。まあ、現実に会社がお膳立てして、出張を旅行会社のツアーに組み込むというのはあるのかどうか判らない(小生の周囲ではあまり聞かない)が、旅の主目的である観光の内容以上に、旅の過程における他者との交わりなどの細かな描写が光る。一方で、一応は”ミステリー”仕立てを狙っているという、そちらの部分の焦点が今ひとつぼやけてしまっている点が今ひとつなのがもったいない。ブラックな味わいのある『リバイバル…』は、人物像をひっくり返したうえでそれまでの伏線が効いているため、ミステリとしての水準に達しているのだけれど、残りの作品は「いい話」に終わってしまい、登場人物や細かなエピソードの過程の面白さに比べトータルとしての物語の印象が薄れてしまっているかも。もちろん全て出版に値する作品だとは思いますよ。ですがもう一歩を踏み出すためには、このあたりが筆者の課題なのかなあ、と僭越ながら考える次第。

とはいえ、会社組織の軋轢などを描かせた時には抜群に巧さを発揮している点は、従来作からさらに磨きがかかっている感で、小生のようにひねくれた読者でなければ素直に「いい話」だと感じることが出来るはずの作品集。 『錯覚都市』が面白かったという方にはもちろん手にとってみて頂きたい。


06/04/28
打海文三「ロビンソンの家」(中公文庫'05)

'92年に『灰姫 鏡の国のスパイ』で第13回横溝正史賞優秀賞を獲得してデビューした打海氏は、その後、第5回大藪春彦賞を受賞した『ハルビン・カフェ』やこのミスで高評価を得た『裸者と裸者』など、様々なジャンルの文学に挑戦し、いずれも高い評価を得ている。本書はマガジンハウス社『鳩よ!』に一九九八年十月号から翌年の十月号にかけて連載された作品が単行本化の際に『Rの家』と改題されたものがオリジナル。ただこの際に主人公が交換されるなど書き下ろしに近い再構築が為されたらしい。更にC★NOVELS、そしてこの中公文庫と題名は『ロビンソンの家』に戻って刊行されている。

十七歳の誕生日を迎えて間もない七月のある日、ぼくは高校を暫く休学して「Rの家」で過ごしたいと申し出る。その「Rの家」は、おばあちゃんが創設したテキスタイルの会社を地方に移転させて親族六人で暮らす筈の家だった。おばあちゃん、父さん、ぼく、そして母親である順子さん、伯父さん、伯父さんが面倒を見ている知的障害を持つ華。その順子さんは、ぼくが病気で入院していた四歳と十一ヶ月のある日、そのRの家近くの海岸で車を乗り捨て、服を脱ぎ靴を揃えて海に向かって果てしなく泳いで……自殺していた。物心ついたぼくは父さんに、順子さんの生存の可能性を尋ねたが、それはないという。誰も住んでいないはずのその家には、おばあちゃんに勘当され若くして家出したまま消息を絶っていたはずの雅彦さん、そしてぼくの従姉妹で、風俗嬢をしている李花が先に住み着いていた。彼らを通じて、まだ一人の女性としての想いを寄せる順子さんの話を聞き、そして三人でいろいろなことについて話をした。果たして、順子さんに何があったのか……?

瑞々しい青春小説としての側面を確実に保ちつつ、家族の事情を巧みに絡めた、何かと主張の多い物語
いやはや、不思議な手触りの作品だ。基本的には十七歳、童貞、シニカルな「ぼく」の一人称で綴られている。その「ぼく」の性向が外向的でいながら微妙に内向き、様々な十七歳ならではのトラウマと、小さな頃に母親が自分を置いて出ていったという過去とを背負っていて、その落ち着いた会話などを読んでいると主人公の年齢を誤解しそうになる。(そうではないことの唯一の記号は「童貞」の一点に尽きる)。ただ、その大人びた会話のなかに、家族の在り方や売春という行為についてなど、きちんとしたテーマについて十七歳なりの真剣な受け答えをする場面が挿入されており、その部分部分に青春小説特有の青臭さと真剣さが同居した居心地の良さがある。特に、売春という行為について、男女、そして立場によってどう考えるかという部分については、かなり多面的に分析されていて物語の内部であるのに、何か出来の良い論文を読んでいるかのような面白みを覚えた。また、順子さんを筆頭に、彼女と結婚する前から、現在まで別の彼女と交際していたという父親や、そもそも子供の頃に書いた痴漢小説がもとで家出する羽目に陥った雅彦さんなど、一見無軌道放埒に人生を歩んできた人たち、それぞれの考え方が「Rの家」を中心とした事件を形作っているところも興味深い。
一応、ミステリとしての焦点は、そのぼくが四歳の時に失踪or自殺してしまった順子さん(彼は母親のことをこう呼ぶ)が、果たして当時にどのような行動を取って、何を考えてそのようなことをしたのか――ということになる。ただ、現在の物語のなかに「順子さん」は登場せず(主人公にしたって、彼女を知るのは四歳までだ)、その彼女の実像を様々な証言をもとに探り出していく展開だ。たった四歳の、しかも病気の子供を放ってそのような決断をするに至った経緯とは。――ただ、この点についても、本格ミステリ的な論理的な解決はなく、むしろ人間心理の綾を一枚一枚剥いでいくような作業によって徐々にその本質がみえるようになってくる。証言、当時の記録と記憶から再現された小説作品、そして別の人物によって映画のプロットとして語られる「順子さん」の姿が、本当に正しいのか……という点を曖昧にしているところが本書のポイントでもある。
そして、こういった込み入ったテーマを一つの長編としてまとめあげるだけの、構成力と文体がもう一つ作品の魅力となっている。この点については打海初心者の小生はまだ語る資格はなさそうなので、あまり強調はできないが、章ごとにさりげない工夫を凝らして「順子さん」を描写していくテクニックはさりげなくも凄いことだけは確か。

確かに分類するならば「ミステリ」なのだが、その手法をちょっと借りているだけでどうも本質はもっと家族だとか、人生の一時期の鮮やかさであるとか、そういった「謎」以外の個所の魅力が大きい作品。 付け加えておくと、村上貴史氏による文庫解説がよく本書の本質を突いているので、文庫版を読まれる方はそちらをぜひ参照頂きたい。


06/04/27
古川日出男「ルート350」(講談社'06)

「350」は「サンゴーマル」と読む。表題作は'03年にリクルート系雑誌(『じゃらん』ほか)に同時掲載された作品で、『SFJapan』二〇〇三年春季号で発表された『物語卵』、他は『小説現代』誌に二〇〇三年二月号から二〇〇五年二月号までに掲載されたノンシリーズの短編が集められている。巻末の初出一覧のところにひと言コメントがある代わり、本来の「初出一覧」を「補記」のなかで一気に触れてしまう遊び心も素晴らしい。

彼女がバッハの冒険について語る。バッハはハムスターで檻から逃げ出し、複雑な家庭環境下に置かれた三人の女の子たちに庇護され観察されていた。 『お前のことは忘れていないよバッハ』
男の子は他の誰からも見えない別の男の子たちと話をしていた。彼らは世の中がいかさまであることを教えてくれ、成長した男の子は別世界の存在を知り、ザ・マウスが中心となったテーマパークに対してある活動を試みる。 『カノン』
高校一年生になったばかりの僕はICUに入り、幽体離脱した。入学したばかりの学校が気にかかるがゆえに、三名のクラスメイトのところへと飛んだ。彼らは夜、揃ってある方向を見つめていた。 『ストーリーライター、ストーリーダンサー、ストーリーファイター』
旅が嫌いな僕は離婚をきっかけに旅に出た。遠くに行くはずだったが下車したのは飯田橋。そして神楽坂を気に入り、死体のフリをする少女と出会う。 『飲み物はいるかい』
一九七九年、昭和五十四年に鳥たち、即ちワカケホンセイインコが生まれた。彼らは捕獲され日本で飼われ、そして飼い主の都合で勝手に放たれた……という話だったはずなのだが。別の僕が浮かび、また別の物語を始める。 『物語卵』
東京湾の埋め立て地で、二月の最後の日、そして翌日が三月ではない日におれたちはユカさんに出会い、彼女は、彼女たちのグループの物語を語る。 『一九九一年、埋め立て地がお台場になる前』
頭が良すぎて小学六年生のレベルに合わせることが困難な子供たちのための夏期講習。その引率の先生が何者かにより、狙撃された。僕たちは先生の遺体を暗渠に放り込み、街のジオラマを作って観察を開始する。 『メロウ』
佐渡行きのフェリー。海の上に国道が走っている。自動車搬入口には車が吸い込まれ、日本酒は世界に旅だってゆく。 『ルート350』 以上八編。

物語、物語、物語。語り手も視点も性別も年齢も異なる、底流の迫力と切れ味鋭い観察を同じくする「the 物語」
通常のエンターテインメント文学の枠組みで括ることのできない「古川日出男」ブランドの物語が八編。語り手は、どこの誰とも判らない女の子であり、三十六歳の僕が二十九歳の体験を語り、大人以上の知能を誇る小学六年生の現在進行形であり、幽体離脱した高校生の観察記録であり……といったかたちで、主体がバラバラ。文体もそれに合わせて微妙に変化があり、物語の内容も本当にバラバラ。だけど、その主体に合わせた形で発揮される鋭い観察眼、世界を三次元、四次元感覚で縦横無尽に捉える柔軟さ、世界を覆う「何か」に対して、常に対決する姿勢……といった(言葉にはとてもしづらいのだけれど)古川文学の本質的な魅力を兼ね備えることによって、不思議と統一感の取れた、優れた作品集だといえる。
恐らく、読者ひとりひとりツボに入る作品は異なるだろう……という点も踏まえて、あまり決めつけた感想を書きたくない。個人的には、短編という小さな分量のなかに圧倒的な世界観を注ぎ込んでしまった『メロウ』『一九九一年、埋め立て地がお台場になる前』の二作品に圧倒された。どちらにも共通しているのは、戦いの文学であること、そしてその終焉が読者の手に委ねられているということ。何しろ、戦いであることは間違いないのだけれど、何をもって勝利条件とするのかが、さっぱり判らないのだ。判断ミスをしたら負け、という極限状況のなかで女の子や少年たちが瞬間瞬間で考え、先を選択し、生き延びるための最善の努力をする。その緊迫感は文脈にも繋がり、そして読者をそれぞれの世界に引きずり込んでゆく。
他の作品もそうだが、家族や社会共同体というものを信じているようないないような、人間関係の繋がりの不思議さを感じさせてくれる作品も多い。普通の意味での拠り所を喪った人間たちにも、まだまだチャンスも希望もあるぞ! という作者からのメッセージを(少なくとも個人的には勝手に)受け取らせて頂いた。いずれにせよ、細かな分析を蹴散らすかのような根源的に物語が持つ迫力が個々の作品に備わっていて、読んでいるあいだずっと何かに引っ張られるような、吸い込まれるような魅力をページが発している。そんな作品集。

ただ、古川作品の場合、その物語が発する強大なパワーが必ずあって、読者サイドにもそのパワーに対する”耐性”や”経験値”のようなものが必要なのかもしれない。ただ、それらが適度なバランスを保つ時、読者は最高の愉悦を手に入れることになる。古川日出男、底知れぬモノガタリスト。 今後もばんばんやっちゃって下さい。お願いします。


06/04/26
横山秀夫「看守眼」(新潮社'04)

横山秀夫が「短編の名手」と呼ばれることに異論があるわけではないが、これまでの実績から考えるといわゆる連作短編集によりその特性が出ているように思われる。なので本書のようなノンシリーズ短編、確かに面白く「さすが横山秀夫」という評価にはなるものの、傑作評価というのはまた別の話になる。『小説新潮』誌に2001年3月号から2003年11月号にかけて掲載された短編がまとめられた作品集。

県警の機関誌の編集に携わる山名悦子。退職予定者の手記を掲載する企画で、ただ一人留置場係主任の近藤の原稿がないことに気付く。悦子は近藤の自宅まで確認に訪れるが、彼は”刑事”の仕事のために戻っていないのだという。 『看守眼』
しがないライター三人組による自伝代筆業『執筆集団T.I.N』に初めての大仕事。大規模チェーン「兵藤電気」会長からの依頼だった。二人はその会長から切られたために、最後の一人、只野が面談へと向かった。 『自伝』
家裁の調停委員を務める関根ゆき江は、とある離婚調停に立ち会う。なんとその娘は、今でこそ結婚しているがゆき江の娘をかつて苛めていた筈の女であることに気が付いた……。 『口癖』
M県警ホームページの担当者である立原は、ある朝、ハッカーがサイトに侵入しホームページの内容が書き換えられていることを知る。慌てて対処に走る立原であったが、事の重要性がなかなか関係者に認知されない。 『午前五時の侵入者』
地方新聞社の整理部にいる高梨。割付終了後に突然バレエ発表会記事の挿入を命ぜられる。その結果、イベントの日時など原稿に間違いがあったことに気付かず、そのまま掲載。間違いを訂正するため走り回ることになる。 『静かな家』
県知事の秘書をしている倉内は悩んでいた。最近ハーバードを出たという若者が、知事の信頼を自分以上に獲得しているのではないかと疑心暗鬼に陥った。更に知事は倉内のことを無視するような行動を開始する。『秘書課の男』

人間の弱みを覆い隠そうとする”虚勢”を正面から描き、人間の弱さを逆に強く打ち出す
ノンシリーズ短編集であり、同一登場人物が各作品にいないこともあり、非常にバラエティに富んでいる作品集ではないか――と一瞬思われるかもしれない。確かに、警察の広報誌作成担当、家裁の調停委員、フリーライター、警察のHP担当者 ……といった、探偵小説の構造からも、警察小説の構造からも外れた、縁の下の力持ちといった役割を果たす人物に焦点を当てている。彼らは、今まであまりミステリやその他の小説では、主人公はおろかなかなかキープレイヤーとしての地位すら与えてもらえない立場の人間がほとんど。そんな彼らを敢えて主人公として押し出してきているような印象がある。このあたりは、横山秀夫らしいひねった視点という考え方はもちろん、組織のなかで目立たない、だけど頑張っている人々に対する優しさをも感じる。
そしてもちろん、そういった人々なりの”リアルな日常”を描き出す筆は相変わらずの冴えがあり、収録作全て何か納得させられる。(少なくとも作者の浮つき、もたつきといった表現は感じられない)。これまでの警察小説、新聞記者小説同様、硬質の文章でありながら読みやすい点も同様だ。
そして単に”ちょっと珍しい仕事をしている組織人”の話で物語が終わっていない。仕事に対する熱意、その仕事に対する虚勢、そして人間の弱さといった三点が、比重こそそれぞれ違えながらも、必ず存在しているように思われることだ。”縁の下の力持ち”だからといって決して聖人君子ではない。また、刑事や記者に比べると地味な仕事をしていることによる、ストレスやプレッシャーというものが、作品内で巧く引き出されている。その結果、彼らの生々しい感情が読者に迫るのだ。

表題作の『看守眼』、また『静かな家』の二作においては、本格ミステリなみのどんでん返し(犯人の深謀遠慮)がラストに待ち受ける。その他の作品についても重厚であり、また現代的な問いかけと皮肉が同居し、時にブラックな味わいで物語を閉じるものもある。その意味では、確かに”短編の名手”の名に恥じない個性とバラエティが同時に楽しめることは間違いない。


06/04/25
島田荘司「帝都衛星軌道」(講談社'06)

『小説現代二〇〇六年一月増刊号メフィスト』に掲載された『帝都衛星軌道』を前後編に分け、その間に、同じく『小説現代二〇〇四年五月増刊号メフィスト』に掲載された『ジャングルの虫たち』が挟まるかたちで刊行された長編(?)ないし中編集(?)。ところで、帯に堂々と書いてある「正直言って、自信作です。」というコピーは、本当に作者が言ったのだろうか?

一九九九年三月、市ヶ谷駅前のマンションに捜査一課特殊班の田所と猪瀬は向かった。このマンションに住む紺野貞三、美砂子夫妻の一人息子で中学三年生・裕司が誘拐されたとの報が入ったのだ。貞三は信用金庫に務めるサラリーマン、美砂子は専業主婦。脅迫は、彼らが以前に住んでいた中目黒の川沿いにある遊歩道の植え込みの下で夫妻が見つけた紙袋に書いてあった。明日、妻一人で新宿のコインロッカーに向かえというものだったが、身代金の金額はたったの十五万円。更に彼女にはズボンをはいて来るようにという細かな指示が。当日、高感度マイクを付けて犯人の指示が警察サイドにも伝わるようにしたうえで、美砂子は新宿に向かう。コインロッカー内部にあった犯人の指示はトランシーヴァーを介するもので、携帯電話は置いていくよう指示があった。そして美砂子は無線を通じて届く池袋までの切符を購入、山手線に乗車した。トランシーヴァーの能力ではせいぜい発信範囲は半径五キロ。警察は犯人がその付近に潜んでいるものとして猛然と捜査を開始した。しかし、山手線に乗車した美砂子の様子がおかしい。犯人の指示にて「はい」「いいえ」の答えをする彼女は結局山手線を一周以上したが、警察は犯人の姿を見つけられない。更に、美砂子は犯人の指示によって駒込駅からタクシーに乗車する……。『帝都衛星軌道(前編)』

冤罪問題、都市論、社会派テーマ。特異な誘拐ミステリに島田荘司の濃厚なエッセンスが振りかけられた
例えば、名探偵(御手洗清、吉敷竹史)、例えば本格ミステリの超絶トリック……といった要素を「除いた」部分における最近の作品における島田荘司らしさが様々なかたちで詰まった作品だ。表題作となる『帝都衛星軌道』が前後半に分かれ、その間に『ジャングルの虫たち』なる中編が挟まれているという体裁は、発表時期を考えると多少微妙な印象もある。
先に『ジャングルの虫たち』だが、一部幻想小説風の表現も混じる(この傾向(?)は『摩天楼の怪人』にもあったけれど)、現在の境遇はホームレスながら、一人の知人が同様の境遇で死んだことを知った男の物語。生前のその男、詐欺(詐話)に天才的な能力を発揮していたエピソードが、次から次へと積み重ねられていく。その詐欺ひとつひとつは小さく、実にせこいのだが、軽々と人間心理の裏や隙間を鋭く突いていく様は見事で、まさにコン・ゲームの楽しさが多く発揮されている。(個人的には、作品が舞台にした時期といい、人物のタイプといい、多岐川恭『私の愛した悪党』あたりをちょっと思い出した。が、ネタはほとんどかぶっていない)。
ただ、その詐欺を働いた男の末路を、現代の都市風景と重ねることで言いようもない寂寥感を打ち出している。東京という都市の移り変わりと、不器用な者にも器用な者にも等しく残酷なこの都市の本質を描き出そうとしているように感じた。もちろん、ホームレスたちによる行路病院の問題など社会派テーマをもきっちりこの短編に滑り込ませている点も島田らしい。加えて、その訴訟に携わるNPOの人間の自嘲めいた呟きなど、平均的な日本人の持つ悪い性向(目立つ者を攻撃する、善意の人間の裏側を勝手に読み取る等々)をちくりと皮肉るところもさすがである。
一方、表題作の『帝都衛星軌道』は、中学生の一人息子が誘拐される事件を、前半ではその父親と、捜査する警察側の視点で、後半は、その真相を身代金受け渡しに携わった母親の視点で倒叙形式で描くという二面性を持った作品。せいぜい5km程度しか交信範囲のない筈のトランシーバーでなぜ犯人は身代金受け渡しの交渉ができたのか? 十五万円という中途半端な身代金の意味は? そしてなぜ母親は、夫と息子の前から姿を消してしまったのか? 前半部は見事に警察を出し抜く犯人の鮮やかな手口が描かれているのだが、後半では想像もつかない(というか手がかりすらない)その動機と、真相が開陳される。誘拐テーマではあるが、その実行方法にほんの少し盲点を突いたトリックが使われているとはいえ、そもそも本書では島田は本格ミステリをやろうとしたものではなさそうだ。むしろ、後半部に様々に明かされる冤罪事件や、東京という都市特有の一般大衆がなかなか知ることのできない”ある秘密”といったところを描き出したかったところではないかと感じられるのだ。
特に、この東京が持つ秘密は意外なところで『ジャングルの虫たち』とも通じており、そもそも、本筋とは無関係にこの一連の話が非常に興味深い。(もう少し贅沢にこのエピソードを使用しても良いと思うくらい)。我々が見ている世界を、もっと大きな三次元の視点で描き直すのは島田荘司の常套手段だが、本書はトリックとは別に純粋にテーマとして焦点が当てられている印象だ。

作品全体を通じて、また事件の加害者、被害者を通じて、人間の罪、日本人論、都市論といった各方面にもそれぞれさりげなく作者はメッセージを発している。その意味を真っ正面から日本人として受け止めるも良し、何か考えるきっかけになればそれもまた良いだろう。豊富な具体的エピソードが多数描かれていて、読みやすさも相変わらず。さすが島田荘司、さらりと力作を上梓してしまう剛腕は相変わらず健在。


06/04/24
小森健太朗「魔夢十夜」(原書房ミステリー・リーグ'06)

大相撲殺人事件』以来、久々の刊行となる小森健太朗氏の長編書き下ろし作品。(長編は『Gの残影』以来か)。題名は「まむじゅうや」と読む。

かつては厳しい校則を持ったキリスト教系のミッションスクール名門校だった慈久学院は、四年前に経営主体が変わって普通の地元の生徒が通う地味な学校になった。遠距離通学をしていた丹崎恵は、高校二年になったことを機に両親を説得し学校内にある寮に入ることにする。入寮日の前日に寮を訪れた恵は、同室となる先輩・藍野望を紹介される。彼女は恵を見るなり少し驚いた表情を見せた。恵が、かつて藍野と同室だった藤堂千津香と似ているように思ったのだという。その藤堂千津香は、先月、寮の部屋で自殺を遂げていた。遺書も残されておらずその原因は不明なのだという……。一方、恵は一年の時に入っていたが幽霊部員化してしまっていた漫画研究会に加えて、文芸部に新規に入会することを検討していた。昨年、文芸部が出した同人誌に、恵が読むライトノベルの作家〈愛真覚悟〉の作品の原型と思しき作品が掲載されていることに気付いたからだ。だが、文芸部の部室を訪ねてみたところ霞戸はるかという三年生が、その〈愛真覚悟〉は確かにサークルにいるが、属している何人かによる共同執筆のうえ、それが誰なのかは秘密なのだという。恵は〈愛真覚悟〉の秘密、そして藤堂千津香の自殺の秘密を探る活動を開始する。

本格ミステリのロジックを学園小説風・少女漫画小説風・ファンタジーなど複数の殻で包む
芦辺拓、二階堂黎人のお二方が推薦辞を帯に寄せている。……のだが、どうも通常の本格ミステリの枠組みで評価すべき作品なのかどうか微妙な気がする。 確かに数多くの(少なくとも普通の女子高生が使わないだろう? というレベルの)暗号が作品内部に数多く登場し、学園の女王格の女性と、無関係と思われる少女が相次いで墜死し、ある少女に関わる生徒が次々と謎の死を遂げる。さらに文芸部の共同筆名の謎、夜中に行われている謎の儀式……等々、謎めいたエピソードが少なくない。
ただ、作品全体が発している雰囲気は、どうしても古い時代の学園もの少女漫画……といった感じなのだ。怪談じみた曰くのある寮/学校、スーパーな雰囲気を持つ最上級生を頂点とするヒエラルキー、生徒たちのあいだの約束事、秘密めいたサークル、好奇心旺盛で何にでも首を突っ込みたがる主人公、ついでにいえば幕間に挿入される怪奇趣味の歴史小説に至るまで、どこかで見た/読んだような”記号”で溢れている。これも恐らく作者自身、その雰囲気作りをわざと狙ったものだとは思うのだが、このあたりのベタさについては読者の好き嫌いが分かれそうな印象を受けた。むしろ作品の舞台は学園ファンタジー、と割り切って読むべきなのかもしれない。
とはいっても後半に連続する事件のサスペンス性は高く、さらに犯人を指名するためのロジックは、本格ミステリ的。次々と理屈で犯人候補が絞られていく部分のテンポは悪くない。ただ気になる部分も若干ある。(以下ネタバレ。イヤリングの右左であるとか、原稿の消失については犯人心理の援用として用いるならばとにかく、その事実を知る知らないだけを条件として犯人限定していく方法は、やはり決め手としては欠けるきらいがある。まあ、最終的にそれで犯人が自供しているわけだけれど。)。もうひとつ、オカルト趣味・狂信者の存在を作品に織り込むことによって後半部分に強烈な生臭さ(ここに社会派的な意義などがあれば許容範囲なのだが、どうも狂信者めいていて……)が漂ってしまっているのも個人的には気になる点だ。不幸をもたらす少女のエピソードの方は面白いと思うのですけれど。

作品全体としては、その少女漫画の雰囲気・要素だけでなく哲学や世界史、オカルト世界など小森健太朗氏らしい趣味が一つの作品に満載され、それが重ねられて独特の世界観が作り上げられていることは事実。学園ものでありながら、その世界観、登場人物のキャラなど現実界とは隔絶した雰囲気がやはりファンタジーを思わせる。ただ、やはりこのクセのある世界観ゆえか万人にお勧めしづらい印象の方が強いかも。


06/04/23
山田風太郎「棺の中の悦楽」(講談社大衆文学館'96)

『女性の記録』という雑誌に昭和三十六年九月号から翌年一月号にかけて連載された作品で、初刊本は'62年に桃源社から刊行されている。初期の忍法帖と執筆時期としては重なっているなか、その作品群のなかではそれほど数多いとは言い難い、風太郎の現代もの(まあ、もちろん当時の)探偵小説長編のなかの一つ。最近では光文社文庫「山田風太郎ミステリー傑作選〈4〉」として刊行されている。

主人公・脇坂篤は三十二歳の広告会社社員。大学生時代に家庭教師の教え子だった稲葉匠子に惚れ込んだ結果、今まで恋愛経験もなく童貞のまま彼女の結婚式に出席した。彼の気持ちも知らず、華々しい結婚式を終えた彼女は新婚旅行に旅だった。しかし脇坂は晴海の埋め立て地で思いを巡らす。かつて彼は匠子にまとわりつく男を遠ざけて欲しいという彼女の両親の依頼に過剰に答えて男を殺害した過去すら持っていたというのに。そのことを匠子は全く知らないまま。その頃の脇坂に、ある男が横領した公金一千五百万円を殺人の秘密と引き替えに入所期間の七年間預かることを要求してきて、脇坂は仕方なくそれを預かったという経緯があった。結婚式以降、匠子を忘れるために夜の女を相手にしようとした脇坂だが、性格も暗く遊び慣れていない彼は誰からも相手にされない。しかし突如、脇坂はその金の存在を思い出した。男が出所する前にその千五百万円を蕩尽しつくし、そのうえで自殺してしまえば良いのだと彼はその考えに取りつかれる。

精神の限界状況でのスリリングな花嫁交換ゲームの愉楽。精神の荒廃を癒す存在は有り得るのか
風太郎の奇想……という点は語られ尽くしている事柄だけれども、やはり一冊一冊にそれが込められているのを目の当たりにするとやはり感動してしまう。(風太郎作品は手元に相当あるのだけれど、まさに「読んでしまうのがもったいなくて手を付けられない」のだ)。本書もまたその奇想の籠もった作品。ひと言でいえば、想いを寄せていた女性が他人の男の手にわたったことをきっかけに、荒れた生活を送るようになった男の話――でしかないのだが、そこに諧謔とゲーム性を持ち込み、都市の風景を背景に、男の精神の孤独と男女の愛情の不確かさを描き出している。
千五百万円で六人の花嫁を、金の力によって手に入れる男。最初は金だけで相手を縛り付けていたはずが、徐々に経験を積むこと、そして豊富な資金力がもたらす大胆さなどによって男自身に魅力が備わり、女性の方が寄ってくるようになる皮肉が効いている。荒淫から貞淑、サディズムとマゾヒズム、純情から多情に至るまでさまざまな女性と交わり、その時々によって主人公は自らの犯罪を吐露し、破滅への道を歩もうとする。だが、その金と引き替えで手に入れた筈の女性たちの、それもまた変わった愛情によって彼自身の身は不思議と守られていく。思い通りにゆかず、だけどなぜか決定的な失敗には繋がらないという皮肉な人生が、過不足なく見事に描かれているのだ。人生のタイムリミットが迫るなかで初めて得られる幸福な日々。 思い通りにゆかない現代人の生活を極端なかたちで笑い飛ばしているようにもみえる。
だが、もちろん「零」と題される終章により、作者は実に残酷な運命を主人公に課す。この強烈なオチ(内容は明かせません。すみません)によって、読者も主人公も暗澹とした気持ちに引きずり落とされる。だが、これこそが現実であり、それまでの内容が現代人を皮肉ったファンタジーであるのだ。その束の間の幸せと現実との狭間を激しい落差を付けることで強調するのが風太郎の手腕。いやあ、大した作家である。

昭和三十年代の風俗を見事に描き出しつつ、人間心理の機微を見事に捉え大人に向けたファンタジー小説として昇華している。もちろん、サスペンス感覚溢れるミステリーとしての評価もできようが、作中のゲーム性などを考えると読後感はファンタジーのそれに近いように思う(これは傑作であることを否定するものではない)。同時期に発表される忍法帖小説群と、その読後感が近いという点も、この印象の証左のような気がする。


06/04/22
鯨統一郎「白骨の語り部――作家六波羅一輝の推理」(中央公論新社C★NOVELS'06)

実在の作家や人物を連作短編の探偵役に起用することの多い鯨氏のことなので、本書を実際に手に取るまでは連作短編集だと思っていたが、ノンシリーズの長編作品であった。一応トラベルミステリを目指した可能性もあるが、作品そのものはそうなっていないところに鯨氏らしさがにじみ出ていて面白い。

三年前、二十五歳の時に六波羅一輝は『イエスの墓の語り部』というミステリ小説でデビュー、新人のデビュー作品としてはかなりの成功作となった。しかしデビュー作の刊行もとである蜃気堂出版を始め、数多くの出版社から原稿依頼が舞い込んだものの、全く書けないまま早三年が経過、一輝は業界から忘れられた存在となった。そんな蜃気堂出版に新人編集者・北村みなみが入社。六波羅一輝の大ファンだという彼女は、先輩たちの制止も聞かず強引に六波羅一輝の担当となり、原稿の依頼をすることになる。一輝は次回は「遠野物語」を下敷きにする作品を考えているといい、偶然の助けもあって彼らは遠野への取材旅行へと出発する。一方、遠野の山奥にある猿村の大地主・昆家の四姉妹の次女、有希子が急に行方不明になる事件が発生していた。彼女には地元の旧家・河原家の息子と交際していた過去があったが、現在は銀行員の佐分利と交際が進んでいた。そんななか猿村に迷いこんだ一輝とみなみは、山中で白骨死体を発見する。死後一年は経とうかというその死体、歯の治療痕などから、有希子のものと断定されるのだが……。

鯨統一郎風トラベルミステリ? ミステリの古典的テーマに挑戦したトリック&伝説の新解釈
遠野の地で発生した殺人事件の謎を、東京から取材旅行に訪れていた作家と編集者コンビが解き明かす――。そうは謳ってはいないようなのだが、やはりトラベル・ミステリを志した部分があるのだろうか。レーベルが異なるためか、新キャラを創造してのちょっと唐突感もある「遠野」を舞台にした作品。ただ、ベテラン作家の方々が既に数多く発表しているトラベル・ミステリ、旅情ミステリといった基本的作風とはやはりかなり違いがあり、あくまで”鯨統一郎風”の作品構造という点は崩していない。
そのポイントとなる最初の謎は、二、三日前に失踪したばかりの女性の死体が、一年以上は土に埋まっていたと思しき状態の白骨死体となって現れた――というもの。ただ、このトリックの構造は横溝正史の昔から取り上げられているあるテーマを少しばかり応用したものであり、極めてノーマルな(本格ミステリの世界のなかでは)タイプであるためか、作品内で関係者が右往左往している程には、真相に衝撃はない。また、理屈の上ではそれで成立しているのだけれど微妙な齟齬が気になる。(以下ネタバレ) 例えば武藤咲子が生活していた家……に彼女は一年ほどまともに暮らしていなかったことになるのだが、指紋調べをした際にそういった形跡はなかったのか。歯の治療痕が有希子のものと一致した……という点は、入れ替わりを考えるとおかしくないか……など。
ただ、『邪馬台国はどこですか?』の作者らしい、遠野にまつわる伝説の大胆な新解釈などはやはり素直に楽しく、そちらには鯨作品らしい味わいがある。

全く書けない作家の自動書記という推理方法、またその作家の大ファンである女性編集者のとぼけた掛け合い&ほのぼのした恋愛譚など、作者らしい展開に作品の魅力があり、鯨氏の他作品同様、軽めのミステリとして手に取るのには不都合はないのではないでしょうか。


06/04/21
垣根涼介「君たちに明日はない」(新潮社'05)

第18回山本周五郎賞受賞作品。……垣根涼介氏が周五郎賞を受賞する点に異論はないけれど、何もこの本流と異なる作品でなくても(いや、本流と異なるからなのか?)という気もちょっとする。『小説新潮』誌に2004年5月号から2005年3月号にかけて『CHOKER』という題名で連載されていた作品の改題・単行本化。

終身雇用を是としてきた日本企業も、景気の局面局面では正社員を減らす必要が生じてくる。指名解雇は違法であるため、いきおい”希望退職”を募ることになる。主人公の村上真介は三十三歳、かつて中堅広告代理店にて可もなく不可もなくの勤務をしてきたが、そのリストラ請負業「日本ヒューマンリアクト株式会社」の社長・高橋の説得により希望退職、その後すぐに高橋直々の指名を受けて今や同社でもやり手として認知されるようになった男だ。村上のやり方は、相手のことを多面的に分析し、その弱点を突くというもの。そんな彼の仕事の一つ、建材メーカー『森松ハウス』のリストラでは『俺はこんなに会社のために尽くしてきた』といった男性陣とは一線を画す一人の女性と村上は面談する。芹沢陽子四十一歳。総合職女性社員の走りである彼女は今抱えている案件を半年かけて完遂してからでなければ辞める気がないという。仕事を介して知り合った彼れらであったが、元より年上の女性に愛情を感じる性格の村上は、相談を通じて彼女と個人的に遭うようになり、いつしか二人は双方で狂おしく惹かれ合う関係に……。

リストラ請け負いという精神的激務と裏腹に、全体に流れるラテンのリズムが快調
登場人物のあっけらかんとした明るさがいい。 決して法に触れるわけではないし恥ずべき仕事でもないけれど、他人の運命を弄ぶという意味ではかなり精神的な負荷の高そうな仕事・リストラ請負人。お客さま相談窓口などの辛さとは別の意味の辛さが、その職業の内容を想像した段階で感じられる。だが、そのせいで作品が暗いかというと決してそんなことはなく、むしろタッチとしては明るさが感じられる。仕事に対する真摯な姿勢や、その仕事が人に与える影響について主人公が真面目に考えているせいか。また「人を辞めさせる」という行為をゲーム感覚で描いていないところにも、作者らしい爽やかさが垣間見える。主人公の村上が必ずそうしている訳でもないが、基本的に”相手のためを思ってベストを尽くす”という行為が結果的に双方に利益をもたらす――(ビジネス書じゃないんだけどね)結果に繋がっている点が非常に好感される。ただ、会社のリストラという非情かつ理不尽な行為に対しての内幕暴露的社会派テーマについても色々なエピソードを通じて触れられていて、テーマそのものが持つ重みもきちんと感じさせるところも評価できよう。
”リストラ”の対象者の方は連作短編として、それぞれ独特のタイプがテーマとなっており、仕事の出来る女性、研究バカのまま管理職になった男、組織の軋轢に苦しんでいる旧友……というようにバラエティに富んでいる。ただ、それぞれのエピソードとは別に時系列できちんと発展するテーマがある。それがこの村上の、バカ正直な女好き度合い。 仕事を通じての年上の彼女との運命の出逢い、さらに彼女を落とすまでの熱烈なラブコール、そして濃密な愛情交歓に至るまでをしっかりみっちりと描写する。このちょっと一般的性向を外れた男性の愛情表現の描写の巧みさも垣根作品を全体を通じての快感だと思う。特に、相手に惚れ込んだらまっしぐら――というラテン的ですらある男の一生懸命さは、その真剣さゆえに笑いを生じるツボにもなっており、リストラという鬱屈しがちなテーマに相反したかたちでバランスが取れている。また村上の、恋した女性に対するさまざまな頑張りや気合いといった部分、マニュアル人間的であるのになぜか格好良くさえみえる。今時、例えばデートの計画などをしっかり立てて徹底できる(それはそれとした意味で)根性が、村上の過去から生い立ちと相まってごく自然な態度のような印象を受けるのだ。
もちろん、リストラ請負人の業務の部分にもしっかりとした裏付けがあり、サラリーマン諸氏であればいろいろと思い当たる部分もあるだろう。果たして自分は会社に対してきちんと利益をもたらす存在なのかどうか。自分の仕事に対する思い込みをただしてくれる部分もあり、エンターテインメント作品とは別の意味でためになる部分もかなりあった。

垣根作品には珍しく南米も麻薬も登場しないのだけれど、やはり通底している感覚は全体的に共通している。多少の落ち込みをものともせずに前向きに生きていく村上の姿に、日本のサラリーマンを超越した爽やかさと格好良さとが表現されている。