MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/05/10
太田忠司「レストア オルゴール修復師・雪永鋼の事件簿」(カッパノベルス'06)

数々のシリーズ作品を持つ太田忠司氏による、新たな探偵がこの雪永鋼。『ジャーロ』誌に二〇〇四年秋号から二〇〇六年冬号に至るまで掲載された作品がまとめられたもの。だが、どちらかというとこの連作短編集として一冊にまとめられることで、この探偵の役割は終わったもの(つまりは続編はもうない)と思われる。

同族の会社に勤務しながら心の平衡を乱し、メンタルクリニックに通いながら、愛犬ステラと共にオルゴール修復師「レストア」として静かに日々を送っていた雪永鋼。基本的に仕事の依頼は、彼の「レストア」の能力を見出し、師匠のもとに送り込んだ遣り手の女性・遠江早苗から届く。その遠江早苗は、もう六十歳を過ぎている筈なのに、そう見えない魅力を湛えた女性で、自宅に「camelia hall」と名付けられたオルゴール専用のホールを所有している。ある日、鋼は早苗から呼び出しを受ける。孤独を愛し、他者との会話が苦痛になる鋼に対し、早苗は古い知り合いの娘だという飯村睦月を紹介する。睦月の父親が持っていたオルゴールが、死後に全く別の曲が鳴るのだというのだ。人間嫌いの鋼は、謎の魅力に惹かれるまま飯村家を訪問、複雑な事情を抱える彼女一族の話を聞くが、謎も解き明かす。それから睦月は、鋼に興味を抱き、何かと構ってくるようになるのだが……。『夏の名残のバラ』『秋の歌』『冬の不思議の国』『春の日の花と輝く』『我が母の教えたまいし歌』以上五作の連作短編集。

個々の謎解きは小粒でも、網のように張られた物語全体への伏線が見事。物語から受ける感銘が大きい作品集
太田忠司氏が生み出す探偵たちは、推理能力と同時に総じて人間的な弱さを同居させていることが多い。ただ、そちらの場合は、事件を通じて精神的ダメージを受けながらも前向きに生きてゆく、といったテーマで描かれることに対し、本書に登場する雪永鋼は、最初から心に傷を負った状態から探偵業を開始する。 その探偵業も、別に探偵として請け負うのではなく、むしろオルゴール修復という仕事を通じて引き受ける、いわば「日常の謎」系統の事件
演奏する曲目が、持ち主の父親が亡くなったあと違う曲になってしまったオルゴール。痛ましい火事の事件のなかで一部が破損してしまったオルゴール。鋼の師匠で、常に完璧に仕事をこなしていた筈の人物が残した、修理が不完全なオルゴール。そして、意図的に音が鳴らないよう部品の一部が捨てられてしまったオルゴール……。そういった、不完全なオルゴールたちのなかに込められた、持ち主たちの想いをレストア・雪永鋼は解き明かしてゆくのだ。個々の「謎」は、オルゴールの機構などに絡むことなので、読者の推理を要求するものではない。むしろ、そのオルゴールが負った傷がその持ち主の心を反映しているところがポイントになる。 自分自身の心が折れた状態で、必死で暮らす雪永だからこそ、その持ち主たちの繊細な想いを見逃さず、残された人々へと伝えることができる。また、彼を見守る飯村睦月をはじめとする人々の存在も大きく、謎解きだけでなくアフターフォローの部分でも暖かく物語を感じさせてくれる。
さらにこういった一連の事件のなかに様々な伏線を仕込み、最終話である『我が母の教えたまいし歌』では、雪永の過去を明かし、さらには、登場してきた様々な人物の後日譚なども織り込まれ、物語全体での綺麗な着地をみせてくれる。オルゴールという趣味の機械が主テーマとなるゆえか、全体的にファンタジックなイメージもあるが、むしろ一貫して主人公の心の中での生き方の模索/戦いが真摯なかたちで描かれていることに注目したい。

一応、構成としては連作短編集であるけれど、やはり単行本として一冊通して一気に読むべき作品。人によっては主人公の存在が心に痛み入るケースもあるだろう。繊細な心の持ち主であればあるほど、この本を通じて感じるところは多いはず。もう間違いなくないと思うので蛇足だが、ここまで綺麗にラストにて着地させられると続編を望もうという気分にはならない。


06/05/09
山田正紀「翼とざして アリスの国の不思議」(カッパノベルス'06)

あとがきによれば山田正紀氏が影響を受けたミステリ作品三冊のうち、一つがジャプリゾの『新車の中の女』だという。本書は、『シンデレラの罠』『新車の中の女』二冊に共通する「アイデンティティの揺らぎ」をテーマに二部作として構想された作品の一冊で書き下ろし。続刊は『サスペンス・ロード アリスの国の鏡』という題名になる模様。

一九七〇年代、学生運動が収束に向かいつつある頃、国立大学三年生の”わたし”こと瀬下綾香は『魁別働隊』という新進気鋭の右翼団体に参加した。わたしは、ワンダーフォーゲル部の後輩・伊東紗莉と共に新宿にいたところ「ベトナム戦争反対」のデモに巻き込まれてはぐれてしまう。そこで出会ったのが市民団体と対立する男四人と女一人のグループ。リーダー格の嶋田、弁の立つ大澤、武闘派の来島、中国人・黄国明、そして知識が先に立つ池田亮子。わたしは彼らに興味を持ち、紗莉と共に彼らと行動を共にすることになる。そして、『魁別働隊』は行動を開始する。日本をはじめとしたアジア各国が領有権を主張する南洋の海鳥諸島にある無人島「鳥迷島」に上陸し、日本人としてのランドマークを打ち立てようという計画だった。しかし、その初日、上陸早々に仲間の一人が断崖から突き落とされた。その犯人は、わたし? わたしは、わたしが人を突き落とす場面を確かに見ていたのだ。仲間からの弾劾を恐れ、逃げ出したわたしは結局彼らに捕まり、軟禁されてしまう。しかし、再びわたしは、わたしが人を殺すところを目撃することに――。

中盤に至るまでの不可能的サスペンスの吸引力が抜群。本格への着地により、全体像が歪んだか
無人島に上陸した男女のあいだで突発的に殺人事件が――という、いわゆる「絶海の孤島」テーマの作品ではある。そして、殺人事件が連続して続く結果、いつしか事態はサバイバル状態へと変じ『そして誰もいなくなった』に代表されるような、強烈なサスペンスに物語全体が彩られることになる。――表面上はそういうことなのだが、本書から受ける手触りはそういった一連の作品群とは少し異なっている。というのも、主人公たる綾香のアイデンティティが序盤より崩壊しつつあり、視点人物が必ずしも冷静ではないため、事件の発生状況が今ひとつ客観的ではないのだ。特に、事件証言が実はとても曖昧だったり、手掛かりがどこかへいってしまったりと、本格ミステリであることの前提(アイデンティティ?)すらもわざと放棄するかのような不思議な展開を見せている。
わたし、たる綾香が、どうも”わたし”が犯したらしい殺人を、一つのみならず二つも目撃するという展開。一つは崖上からの突き落とし、一つは同じ部屋での撲殺。その絶望感、混迷感の描写はさすがといったところで、物語は何が何か判らないまま幻想的な雰囲気に溶けてゆく印象だ。また、洞窟を効果的に使用した不可能犯罪もあり、この島の上での人々の混迷には拍車がかかる。さすがに奇妙な謎の提示方法については定評のある著者だけに、その手際は見事なもの。ただ、そういった段階を踏んで――それぞれ発生する謎、殺人者のいない殺人ともいえる不可能状況にも山田正紀氏は強引なまでの決着を付けてしまう。 この決着、……確かにすさまじいのだけれど、評価が難しい。論理のアクロバットは現実に向けて着地しているのだけれども。山田正紀氏にしてこの着地なのか、という点が意外というか何というか。結局、この点が強引に感じさせられる結果、この作品全体の主題すらぼやけてしまうように思うのだが、その一方で本格としての着地がなければ何の意味もないという……。難しいところです、はい。
その一方で、時代設定が七十年代前半ということがまたもう一つ別の意図がありそう。先鋭的な右翼集団を背景に持ち込んだのは、決して孤島行きの設定を説得力あるものとするためだけではない筈だ。ここのところ山田ミステリにて試みられている日本史の再評価の意図が(とはいっても、ここではどう位置づけるのかは判りにくいが)あるのではないかと勘ぐりたい。ミステリとしても、右翼という一集団のなかでも各々の立ち位置が異なることが事件の謎の段階段階を複雑化させていることもあるが、この”差”、つまり集団が一枚岩ではない、という点が後の日本の進路に対する象徴的な存在となっているかのようにも受け取れる。(正確には受け取れないこともない、か)。

総合的な評価は、秋頃刊行されるというもう一冊を読んでみてから。ただ、本書一冊としては山田正紀の魔術的筆致は堪能できても、あくまで本格ミステリの観点からは微妙な作品だということで。(ある意味ではもの凄いのですけれどね)。


06/05/08
畠中 恵「ぬしさまへ」(新潮文庫'05)

第一作『しゃばけ』は第13回日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞受賞作品。本書はその「しゃばけ」シリーズの二作目で、病弱な若旦那一太郎と、彼の周囲を取り巻く過保護な妖怪たちが謎解きをする――という趣向を同じくする第二弾。本シリーズ、大人気で続々シリーズが続刊され『ねこのばば』『おまけのこ』『うそうそ』と続いている。(どうやら現時点でシリーズ全部で七十万部を超えているらしい)。

他人様からみれば男前、だけど正体は妖怪という仁吉のもとに届けられる恋文。金釘流の下手な字で書かれた送り主の”くめ”が火事騒ぎに紛れて堀で死体となって浮かんだのだという。 『ぬしさまへ』
一太郎の幼馴染み、菓子屋の息子・栄吉。彼の下手な菓子を定期的に買いに来ていた老人が、毒死した。栄吉の菓子が原因ではなかったが、落ち込む彼をみて一太郎が一肌脱ぐことに。 『栄吉の菓子』
桶屋東屋は従業員に厳しい店。その店で丁稚として働く松之介は、近辺で発生する犬猫殺しの下手人にされかかる。彼を庇うのが店の娘・おりん。だが、おりんが関心を持つのは松之介の隠された生まれにあった。 『空のビードロ』
病弱な一太郎のために両親がしつらえた新品の布団から女の泣き声が。店に苦情に出向いた一太郎は、その布団屋主人の厳しい性格に気を喪ってしまう。どうやらその主人に怪異の原因があるらしい。 『四布の布団』
病がすすみ、薬を飲めない一太郎のために、仁吉がかつて経験した恋物語を語って聞かせる。妖異の者である彼が千年もの昔に運命の人と出会い、片思いのまま長らく彼女に付き従う物語。 『仁吉の思い人』
過保護に慣れた一太郎だったが、最近どうも周囲の人間が自分に対して少しだけ冷たくなったように思える。彼らは彼らなりに普通に仕事をしているのだが、一太郎の感じる違和感の正体とは。 『虹を見し事』 以上六編。

起伏ある展開のなか、じっくり味わえるのがほのぼのとした人間関係、そして大いなる安心
前作以上に切り口がばらばらで、それぞれの物語においても起承転結がきっちり存在している。それでいて、大きく不安感が煽られるわけではなく、むしろ一作一作を読み終えた後に、いい知れない安心感を伴う作品集だと思う。もちろん、それがワンパターンを意味するものではない。むしろ、殺人の絡む事件を解き明かす『ぬしさまへ』『栄吉の菓子』といったところから、物語の背景の一端を描く『空のビードロ』『仁吉の思い人』、さらには一太郎の視点で奇妙な出来事を描いた『虹を見し事』に至るまで、作品のバラエティは豊か。ミステリ仕立てとなっている作品にしても、本格ミステリ風に手掛かりが呈示されている『ぬしさまへ』も、どちらかといえば事情を明かされていく展開にミステリーの味がある『四布の布団』にしても、体裁は異なるものの違和感がない。畠中恵さんのストーリーテリングの巧みさが、いずれにしても十二分に発揮されているのだ。
そしてそういった印象の背景にあるのが、個々の作品のみならず、シリーズ全体の枠組みがしっかりしていて常にそのラインに則って世界があるという安心感。病弱ではあるものの恵まれた環境にあり、だけど常に心の自立を図ろうとする一太郎、その周辺にあって彼のことを必死にサポートする仁吉と佐助の二人の手代、さらには彼らの周囲にある妖怪たち。また、一太郎の性根が真っ直ぐで優しいため、解決にしても読者にとっても優しい落ち着きどころへ必ず至る展開。幼馴染みの栄吉にせよ、べた甘の両親にせよ、少なくとも一太郎の周囲の人間関係に不協和音がない。平和というと言い過ぎかもしれないが、その平穏無事な確固たる枠組みのなかで物語が起承転結をするため、読んでいて不安感があまり湧き出てこないのだ。これが、このシリーズが、楽しい妖怪エンターテインメントとして専門筋以上に一般読者の支持を取り付けている理由だと類推する次第。個人的にも、この流れは悪くないと思う。

文庫が出てから読んでいるという追い方のため最新作レビューに至らないのだが、それでも魅力あるシリーズだと思っている。時代劇の良さにファンタジーの良さを加え、双方が相乗効果をあげている印象で、少し気が早いが時代を超えて読み継がれてもおかしくない。


06/05/07
平井和正「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)〈3〉」(角川文庫'78)

累計二百万部のベストセラーとなった、平井和正絶頂期の作品。〈2〉〈1〉の順に読んでしまい、ようやく完結編はまともに読むことができました。ふぅ。(本シリーズの紹介は、〈2〉を御参照ください。)

人間に憑依し、その取り憑いた人間を意のままに操る宇宙からの侵略者・ゾンビー。唯一の肉親であった姉をそのゾンビーに殺され、そのゾンビーを憎むことで激烈なる力と、強烈な生存本能によって類い希なる資質を備えたゾンビー・ハンターとなった田村俊夫。だが、先の戦いで任務の遂行に失敗し愛する者を喪った俊夫は、強烈な喪失感に廃人同様になってしまった。ゾンビー・ハンターの養成所である中米に浮かぶ「ゾンビー島」に最収容された俊夫は、司令官「S」の命によって、強烈な洗脳が施されてしまう。その結果、同僚で何かと俊夫のことを気遣ってきた林石隆が呆然とするほどの、殺人機械と化してしまった。今の俊夫は、かつて彼を愛したゾンビー・ハンターの仲間、ライラが拷問されて死に瀕していても何も感じていない。また、狂乱して襲いかかってきた同僚を何の躊躇いもなく撃ち殺してしまうことができた。しかしそんな中、ゾンビー島の重要施設である発電核炉に異常が発生、島にパニックが発生する。放射能防護服を持って俊夫の部屋を訪れた林は、ベッドで大麻をふかして平然としている俊夫を叱咤するのだが……。

ゾンビーとの最後の戦いに至るまでに存分に見せられる、人間の醜い深層。そしてゾンビーとは一体?
もともとゾンビー・ハンター、つまりは暗殺者として最高の能力を示していた俊夫が、肉体のみならず精神まで洗脳されてしまう第一章。これまで、ゾンビー・ハンターでありながら人間的な優しさ・熱情を持つところが弱点でもあり魅力だった俊夫の姿が消え失せてしまう。淡々とその変化が描写されるこの章は、これまでの物語展開を否定してしまうだけの暗いインパクトに満ちている。また、中盤は脱出の手段がないなかでのゾンビー島のパニックが描かれる。なまじ武器弾薬が揃い、強靭な肉体を持つ者たちが揃うだけに、このパニック状況の描写は陰惨を極めたものにならざるを得ない。こういった、人間の弱さや、極限状況の持つ恐怖を描くのがこの最終巻の主眼かと思わせておくのが作者の巧みなところ。これだけであっても、骨太のSFアクションとして十分なインパクトがあるのだが、後半に向けて更に意外な展開を作者は用意していた。
司令官「S」の非情な決断が、ゾンビーの正体を浮き上がらせる。ラストでゾンビーと対峙する俊夫と、必死で未来を切り開こうともがく(こちらもまた超人である)林石隆との対比が実に見事。そしてその二つの”戦い”の結末がものの見事に作品の主題を浮かび上がらせている。かたや絶望とかたや希望。 だが、作者があとがきでこのシリーズは”人類ダメ小説”と決めつけている通り、ゾンビーとの戦いを主眼としていた筈の物語は、このエンディングでもって人間自身の物語に回帰する。この物語は、実は田村俊夫という人間を通じて人間の弱さや身勝手、そして残酷さを読者の心に刻み込む作品だったのだ。読者が現実に立ち返った時に、このままでは人類はダメになる――という危惧を抱かせる。そういった狙いがこのシリーズにあるように思えてならない。

アクション満載、謎も満載のSFアクションエンターテインメントに見せかけながら、実は人類の遠大なるテーマを孕んでいるというのが最大のサプライズ。 これは確かに、未来永劫読み継がれるべき作品でしょう。SFというジャンルならではの物語性とテーマ性がそろい踏みした傑作シリーズです。


06/05/06
海渡英祐「積木の壁」(実業之日本社JOY NOVELS'81)

雑誌『週刊小説』に昭和55年2月22日号から、6月27日号まで連載されていた作品がまとめられたもの。物語の流れが章ごとに断ち切られているような印象は、この連載時の名残であろう。たまたま手元のノベルス版で読了したが、'85年には同題で徳間文庫でも刊行されている。

経営不振に不良債権が回収できないことで追い打ちがかかった丸高商事は、大手商社の東栄物産へ吸収合併された。世間でも話題になったこの倒産劇の結果、丸高に勤務していた多くの社員が会社を辞めることになった。多くの社員は、スパイ紛いの行動で東栄に身売りをし、東栄物産でも役員の地位を確保した北沢に恨みを覚えている。現在、企業コンサルタントの肩書きで調査会社を運営する岩岡もその一人。丸高の調査部で鍛えられた岩岡には、その合併劇のなかで不振な取引があることに気付いていた。その影にいるのが岩越隆なる人物。一方、岩岡は、丸高商事秘書室のナンバーワン・笹本紀子を恋人にしていた。彼女は東栄物産に残留を果たしたが、その岩岡という人物を知っているうえ、何か大きな秘密を抱えているらしいことに岩岡は気付く。しかし彼女は、最近悪戯電話がよくかかってくる上、誰かに見張られているような気がすると岩岡へ訴える。調査を約束した岩岡だったが、その紀子が何者かに殺害されているのが発見された。彼女はマッチ箱に入った鍵を握りしめ、ベッドの上にはトランプが。紀子が名前を口にしていた「ポール・ブライアン」なる人物が事件の鍵を握るとみた岩岡は、独自の調査を開始する……。

謀略系の企業推理にサスペンス。だが主題の謎にどうも主人公が引き裂かれてしまっていて……
これは海渡英祐の作品群のなかでも位置づけが難しい。というのは、物語の「謎」たる要素が複雑に絡み合っていながら、どうもその一つ一つが別個の謎として存在していて、それぞれ関係していながらも「溶け合っている」という印象を得られないのだ。物語の背景にあるのが商社同士の不透明な合併劇があり、その合併自体の不正が「謎」としてある。また、主人公はその真相を探りだし、それをもとに何か恐喝めいたことを考えている。これもまた「謎」。一方で、恋人だった紀子殺しについても、警察とは別の角度で真相を探り出そうという動きをするのも「謎」、さらに彼や、紀子の妹の明子を襲い、紀子が持っていた「謎」を探り出そうという強引な勢力が何者なのかという「謎」――とにかく「謎」がてんこもり。
ただ、その個々の「謎」は本格ミステリ風の手掛かりや伏線をもとに解決できるものではなく、ストーリーが進んで条件が明かされなければ読者が事前に察知することが不可能なタイプである点が、読んでいて微妙に疲れる理由のように思われる。また、恋人を亡くしたばかりで読者からすると魅力があるのかどうかよく見えないこの岩岡がモテまくること。同級生の人妻から、恋人の妹から、職場の女性社員から、銀座のホステスから、よくもまあそんな。そのたびごとに主人公が悩みを独白するあたりもちょっと辟易させられた。最終的に明らかになる、紀子を殺害し、岩岡を苦しめる犯人の名前についても、本来は意外なはずがここまで限定されるとそう魅力を感じるものでもないし……。
結局のところ、大きな謎を追う流れと身の回りの危険とに対して微妙にちぐはぐな反応を主人公が示すあたりに違和感の大元があるように思われる。ハードボイルドのように強烈な信念があるわけでもなく、企業推理としての切れもない。もちろん名探偵でもない普通の人物がちょこちょこ動き回っているだけ、というのは言い過ぎかな。いずれにしても全体的にバランスを欠いてしまっていることだけは間違いない。

海渡英祐作品ということで、過度の期待をしすぎたかもしれない。むしろ軽めの「読み物」として割り切って、流して読むこと自体が目的の作品だと捉えれば、謎が連続して立ち現れていく、本書の展開で正解のかも。リストラ(当時はこの言葉はなかった)が、物語の中央にあるが、そこに復讐を持ち込むというあたりがかえってこの時代を感じさせる。ファン(というかマニア)以外は読む必要ない作品でした。小生は海渡マニアなので。


06/05/05
あせごのまん「余は如何にして服部ヒロシとなりしか」(角川ホラー文庫'05)

2005年、第12回日本ホラー小説大賞短編賞の受賞作品が表題作。これに書き下ろし短編が三作加わって刊行されたデビュー作品集。ちなみに著者は、大阪産業大学の非常勤講師で「あせごの」が性、「まん」が名である。収録作のうち「克美さんがいる」は第59回日本推理作家協会賞短編部門の候補作品にもなっている。

”僕”こと鍵和田は、駅から友人の姉の後ろをついていくままに、かつての同級生の家に招じ入れられる。しかし、その家は、その友人の姉さん・サトさんをはじめ、何かがおかしかった。 『余は如何にして服部ヒロシとなりしか』
大学院の試験に失敗し、バイクで公道を飛ばしていた米田健一は対向車線のトラックを避けるために急制動、そして転倒……。健一は闇の中で眼を覚ました。周りに人が何人もいるようなのだが……。 『浅水瀬』
ICUに入った瀕死の家族がいる状態で、葬儀社の相談をする家族。中学生の桃子はそんな状態が許せない。いざ葬儀が終わると早速家族のあいだに意地汚い諍いが発生した。 『克美さんがいる』
山のなかで一人で炭焼きをする男と、そこに嫁に来た女。二人のあいだになかなか子供は出来なかったが地蔵にお参りするうちに男の子が授けられた。まん、と名付けられたその子は野生児として逞しく育つのだが……。 『あせごのまん』 以上四作品。

淡々と、時に迫力と。様々な語り口が紡ぎ出す、センスある物語群。作者の底はまだ見えない――
選者の荒俣宏が帯にて「異様に気にいった。」と述べているのが良くも悪くも本書のポイントを貫いているように思う。個人的にもこの作家、妙に気に入っているので、荒俣氏の選評云々ということではない。ただ「異様に気にいる」人以外には、この作家、意味不明で理解不能――というだけに終わってしまう可能性もあるようにも思う。迫力ある語り口と豊穣なイメージがあくまで主、ストーリーは従といった幻想寄りにしてバラエティの豊かな作品群が魅力なのだ。その一方、ストーリーにこだわったり、ホラーであっても理に落ちなければ納得しないというタイプの読者にはツライかもしれない。
表題作にして受賞作、これがいきなりスバラシイ。十五年ぶりに友人の服部の姉に出会った僕は、彼女のあとをつけて服部家を訪れる。高校の学園祭で服部と作った張りぼての風呂桶が埃まみれで置いてあり、服部家の庭木には人糞がビニール袋に入れられて多数ぶら下げられている。僕は彼女に勧められるままに、緑色のペンキで塗られ、大量の埃が積もったお湯のない風 呂に入らされることになる……。シュールや不条理という言葉で片付けてしまうこともできようが、緩めの、あってなきがごときのストーリーの流れのなかで、異様なシチュエーションや脈絡不明の考え、行動が次々と現れて、僕の(読者の)アイデンティティを緩やかに崩壊させていく。 こういった展開、幻想小説やホラー小説の流れのなかでは個人的にツボ。先の読めない展開と、個々の描写の気持ち悪さが(良い意味で)堪らない。
臨死における体験を古典的な手法で描いた『浅水瀬』は、内部で語られる不吉な恐怖譚を堪能。作品中もっともミステリ寄りの「克美さんがいる」は、他の作品を愉しむのとは別の視点から(ミステリ読みとして)オチこそ先まで読めてしまえるものの、それでも興味を喪わないだけの内容がある。特にミステリの手法を恐怖の演出に巧みに使う点がオツ。『あせごのまん』 は圧倒的な迫力を伴う展開を素直に楽しんだ。

日本ホラー小説大賞の受賞作品には多かれ少なかれ、理に落ちるだけのホラー小説よりも、supernaturalないし幻想的要素が加えられているものが多い。本書はその”要素”の方を全般に重要視した作風が感じられる。それでいてきちんとしているのは、その”要素”に互するだけの表現のセンスがあるからだろう。幻想系文学を好まれる方であれば、とりあえず必読でしょうね。異才です。


06/05/04
大倉崇裕「福家警部補の挨拶」(東京創元社'06)

知る人ぞ知る事実であるが、大倉崇裕は『刑事コロンボ』の大ファンであり、『刑事コロンボ』のノヴェライゼーションにも挑戦している。これは小山正氏による解説で初めて知ったのだが、この一連のノヴェライゼーションに原書に相当するものはなく、このシリーズは翻訳家や作家が映像化された本編と翻訳されたシナリオを参照して本筋を変えずに物語を膨らませたものが作品となっているのだという。ただ実際はこのシリーズを数作書いているにもかかわらず、二見文庫に大倉崇裕名義で収録されているものは一作品のみというのは面白い。(後は本書の解説を参照)。
と、前置きが長くなったが、本書は東京創元社「ミステリーズ!」Vol12(二〇〇五年八月号)からVol16(二〇〇六年四月号)まで連載された作品を一部改題、順序を入れ替えて収録した作品集である。

これまで愛情を注いできた図書館がオーナーの死と共に売却の危機に。保険金詐欺を餌にその息子を図書館に呼びだした館長の天宮祥子は、事故に見せかけた殺人を行うのだが……。 『最後の一冊』
とある動機から大学の同僚に殺意を抱く柳田教授。同僚のある嗜好から行動を予測した柳田は、暗闇で相手を殴り殺し、近辺で頻発していた強盗の仕業に見せかけて立ち去った……。 『オッカムの剃刀』
ライバル関係にある女優から、オーディションを辞退するよう写真をネタに脅迫された小木野マリ子。その女優宅を訪れた彼女は、かねてから用意してあったシナリオを実行に移した……。 『愛情のシナリオ』
零細ながら確かな味でファンの多い造り酒屋。しかし大手の佐藤酒造の圧力により買収される寸前まで追い込まれていた。社長の谷元は、佐藤に醸造の秘密をみせると夜中に誘い出し……。 『月の雫』 以上四編。

コロンボ、古畑任三郎の系譜にしてそれ以上。完全犯罪を目論む犯罪者と対峙する仰天の発想、そして執拗な追及
ベースになっている刑事コロンボでもいいし、鮎川哲也の諸作でもいいのだけれど、倒叙ミステリの魅力は、完全犯罪にみえる犯行経緯を読者が犯人と共有し、その気付かなかった”穴”を、探偵役が突き崩し、犯人に犯行を認めさせるところにある。フェアな作品とするためには伏線や手掛かりが犯行中の行為に残されていなければならず、本格ミステリの一つのジャンルとしても認められ、これまでも幾多の名作が世に出ている。また、このタイプの作品では、犯人は高い知能を有し、かつ周到な準備をもとに確信的な犯罪に身を投じているために、二重三重の安全弁を犯行に際して準備していることが多い。なので当然、探偵にとっても難易度の高い事件となるのだ。
本書に登場する福家警部補は、見た目が童顔で、一見警察関係者にはみえないという捜査一課所属の女性刑事。実は体力は十分でほとんど寝なくても平気な体質で、気になる容疑者・関係者のところに足繁く通い「あと一つ」と言いながらしつこく質問する姿はやはり「刑事コロンボ」に通じているか。先の倒叙における犯人像にしても、コロンボや古畑など伝統的倒叙ミステリに登場する犯人像を踏まえており、全体構成から受ける印象はやはり「刑事コロンボ」に近い。
その意味では収録作品のうち導入部にあたる『最後の一冊』と『月の雫』に関しては、そのイメージの枠内に収まるようにみえる。殺意を持つ犯人が相手を殺害するが、福家警部補により論理的な矛盾やミスを指摘されることで犯行を認めざるところを得ないところに追い込まれてゆく。一方、その枠内から一部飛び出すところのあるのだ『愛情のシナリオ』。さらに『オッカムの剃刀』に至ると完全に別格。この作品は今年の本格ミステリの収穫に数えられる傑作である。
『愛情のシナリオ』と『オッカムの剃刀』に共通なのだが、犯行そのものは描かれているものの、犯行の動機が物語の序盤ではどうもすっきりしない。それなりにちらちらと見えてはいるのだけれど、読者に対してその点が伏せられている。『愛情…』ではどこか一足飛びにその動機がラストで明らかにされるところがあり、それはそれで背景に深みが増していて良い。だが『オッカム…』に関してはさらに犯人のさまざまな行動全てが連環のなかにあって綺麗にまとまっている点、深く感心させられた。なぜ福家警部補が、科警研OBである柳田を疑うに至ったか。警察の手の内を知る柳田自身の周到な犯行計画の裏側とは。実際、この作品のみ連載二回分に相当する分、深くなっている部分もあろうが、作者による全体構成の深みは、犯行における犯人のミスのピックアップ以上に、その心の闇に迫っている。倒叙ミステリ以上に、ミステリらしい一個の物語として強い印象に残る作品だ。

さまざまな関係者に対して心理的な揺さぶりをかけるなど、とにかく口を開かせることが抜群に巧い福家警部補のキャラクタが面白い。とはいえ、彼女のバックグラウンドはまだほとんど語られておらず、秘密めいた印象がある。今後少しずつ個性を出していって欲しいと思うし、そのためにはシリーズを継続して貰わなければ。大倉先生、宜しく!
作品成立背景について詳しく書かれた小山正氏の解説も的確で、まずは「刑事コロンボ」「古畑任三郎」シリーズのファンであれば、まず期待は裏切られない。加えて普通の本格ミステリのファンに対しても、素直にお勧めできる内容であり、是非読んで欲しい。


06/05/03
浅暮三文「ペートリ・ハイル! あるいは妻を騙して釣りに行く方法」(牧野出版'06)

メフィスト賞デビュー、推理作家協会賞作家、グレさんこと(?)浅暮三文氏初のエッセイ集。徳間書店の『問題小説』誌に二〇〇三年一月号〜二〇〇五年十二月号にかけ〈妻を騙して釣りに行く方法〉〈釣人雑記 ペートリ・ハイル〉に加筆修正したもの。挿画は京部澤克夫氏。黄色い背表紙をはじめ、造本自体も美しい。

宇宙人がやってきて「釣りとはなにか?」と訊いたとしよう。(前書き) 「もし宇宙人が部屋にきたら」
結婚式の新婚旅行、行き先は欧州、パリ。その新婚旅行からグレさんは釣りをすることを考えていたわけで。更に奥様との年に一度の海外旅行。これもさりげなく釣りが絡んでいるという。 『妻を騙して釣りに行く方法』
釣りと旅行。すると色々な土地柄が出た事物が目に入る。おもちゃ、キノコ、水。 『釣り旅の脇道で』
そして、病膏肓に入った色々な釣り人がおり、そして釣りはいろいろな発明があり、世界がある。魚にも釣り具にも、人にも。 『釣人雑記』
そして浅暮三文は、なぜフライフィッシングを始めたのか。その起源に迫る。『僕が釣りをはじめた理由』
そして宇宙人は釣りに出掛ける。 「もしも宇宙人に連れ出されたら」

全ての釣り人と、釣り人を理解しない人へ(帯のコピー)。それと、書斎と通勤電車の釣り人たちへ。
これは、本書からの引用じゃありません。けど書いとく)。
「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
 三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。
 八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。
 永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」
上記の一文の出典は、個人的に子供の頃から読み込んでいる写真集+紀行集にある印象的な言葉。もちろん開高健『オーパ!』である。開高健はブラジルの言葉で驚愕を意味する『オーパ!』と叫び、浅暮三文はドイツの言葉で釣仲間の幸運を祈る『ぺートレ ハイル!』と宣う。もちろん、現在以上に交通の便の悪かった各国の秘境をルアーで切り開く開高健と、同行させる妻を騙して(恐らく、奥様は気持ちよくグレさんに騙されてあげているのであろう。素晴らしい奥方である)、欧州の観光地にて、フライで遊ぶ浅暮三文。二人には、コピーライター出身、執筆当時の身分は作家、そして何よりも釣りが大好きという共通項がある。そして大人ならではの滋味に満ちあふれた文章と、酒と女性を心から愛し、文章ひとつで雰囲気ある空間を紡ぎ出すという技を持つ。様々な点が、両作家に共通しているように思うのだ。とまあ、マジメに比べてみても始まらない。だけど、この『ぺートレ ハイル』も、ロングセラーになった『オーパ!』と同じくらいかそれ以上の魅力があると思うのだ。(あ、でも写真がないか……)
序盤は「妻を瞞して釣りに行く方法」と題され、海外での結婚式ですら、自らの嗜好(即ち釣り)を何とか両立させようというフランス編から、少しずつ経験値を積み、インターネットを駆使して情報を仕入れ、いろいろな試行錯誤の末、欧州各地で釣り釣り釣り、フライフライフライと限定的ながら充実な時を過ごしてゆくステップアップが面白い。この、奥様のご機嫌を取りつつ自分の趣味は趣味できちんと成し遂げてしまう……というあたり、世の妻帯している男性諸君にとっては、必ずどこかデジャビュのような感覚があるのではないだろうか。この微妙な背徳感覚が何ともくすぐったく、さらにこのエッセイの魅力をかき立てているという風にも思える。
また、後半部は釣り師、魚、道具といった釣りにまつわるあれやこれやが色々と描かれる。このパートは、単なるエッセイ以上に、個々のテーマに対する切り口がユニークなのが楽しい。この趣味が病膏肓に入る状態は、小生の周囲では「古本」という世界で実感しているものに近い。本書では、日常生活全てが釣り用語と繋がってしまうというエピソード(エビフライですら、食べ物に見えないとか)があるけれど、小生だって、ありとあらゆる看板が全て古本関係に見えるという病気ならかかったことがあるので共感めいたものを覚えてしまう。同じ「釣り」という共通項を持たれる方なら、なお共感される事柄であろう。それがグレさんの見事な語り口で次々に描写されていくのだ。釣りと関係ない人々ですら、この本の世界に引きずり込むことは間違いない。
ほか、この魚などに関するエッセイにしても、どこか奇妙なところにこだわりがあり、いわゆる一般的なエッセイとは一線を画している。場合によっては切り口が斬新過ぎて、『実験小説 ぬ』で感じたような「斬新な文学」に近い手触りすら感じられるものもある。

浅暮ファンは必読。 それだけでなく「フライフィッシングのファン」に浅暮作品に触れて欲しいとも思われる。このエッセイ集は、それでもやはり釣りが好きな人のためにあると思うから。(書斎の釣り人を含む)。そうそう、『オーパ!』との共通項をもう一つ思い出した。 「釣り、また行きたい」 読了して思わせるだけの魅力があるという点。


06/05/02
森山 東「デス・ネイル」(角川ホラー文庫'06)

'04年『お見世出し』にて日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、同題の作品集でデビューを果たした森山東氏の、受賞後初となる第二短編集。

ネイル・アーティストの世界に飛び込み、その筋の学校でセンスを褒められ本気でのめり込んでゆく奈々子。ボランティアで訪れた老人ホームで担当した老婦人の爪を美しく彩った。彼女は非常に喜んだが数週間後、遺族からその老婦人が亡くなったとの報せが入る。遺言により老婦人から贈られた眼鏡には不思議な映像が見え、その映像を活用することで奈々子は一流ネイル・アーティストへの成功の階段を上り始める。 『デス・ネイル』
衝動買いした熱帯魚のアロワナは、中国では幸運を呼ぶ魚として知られている。そのアロワナを大切に育てていた男は、作家になる、所長になるという夢が立て続けに叶うが、家族全体の幸運を呼び込むことが出来ない……。 『幸運を呼ぶ魚』
急な仕事で行けなくなった妻を置いて、小学生の娘二人を連れて学童保育のキャンプに参加することになった私。妻は近所の有馬さんが参加するので楽しみができて良かったね、という。事実、有馬さんは美女で日本人離れしたプロポーションをして彼に対して親しみをみせる。 『月の川』
修学旅行に来ている仲良しのチャミとサキ。朝、ねぼけ眼で起きだしたところいきなり旅館の女将の幽霊が。別の親友のユカの声に誘導されて慌てて旅館を飛び出すと明るすぎる光と、そして止まっていたのは薄緑色のタクシー。 『感光タクシー』 以上四編。

前作以上に作品内容に幅、そして恐怖には深み。ただそこで得たものと喪ったものがある?
前作は、京都という都市特有の伝統を恐怖譚に込め、上質のホラー作品を打ち出した森山氏。正直、大賞を取ってもおかしくない出来であったと思う。本作は、どちらかというと先の作品集とは路線を変更したか、作風の幅を見せつけるかのごとく、どちらかといえば現代的なテーマを取り上げたホラー小説が並ぶ。
表題作の『デス・ネイル』は、ネイルアーティストを目指す女性の物語。いわゆる熱心な生徒が、あるきっかけで幸運のアイテムを入手し、そこから爪にまつわる怪物的な存在と対峙するストーリー。その爪の怪物(とまで言及するのは差し支えなかろう)の奇妙さと迫力が強烈。本当にそんな病気があるのか創作なのかは不明ながら、爪という存在の不可思議さ、そしてまつわる様々な”痛さ”が恐怖を体現する。ただ、短編にしてしまったせいか、ネイルアーティストとして一時代を築いた後の主人公と、それまでの真摯な態度を崩さない主人公とのあいだにどこか溝があるようで、ある一点から性格が唐突に変化しているように見えてしまうのがちょっと残念かも。
『幸運を呼ぶ魚』は主人公にとって不合理な展開が好み。また幻想色の濃い『感光タクシー』は、さすがに構成としては見え見えなのだが、その内容を逆手に取ったか途中から恐怖譚から友情ストーリーに変化してしまう。これはこれで面白い。『月の川』については、恐怖の対象となる親子の不気味さは抜きんでているものの、終わってみると主人公一人を対象にここまで手の込んだことをするのか? という疑問(というか作為性というか)が残ってしまった。

前作とは全く傾向が(少なくとも取り上げている主題が)異なるため、純粋かつ現代的なセンスによるホラー小説集として楽しむ本になっている。様々なテーマに挑戦していることもあり、ポイントというかツボが広く取られていて、この点が逆に幅広い読者に受け入れられるような印象だ。


06/05/01
大山誠一郎「仮面幻双曲」(小学館'06)

鳥飼否宇『激走 福岡国際マラソン』、柳広司『吾輩はシャーロック・ホームズである』に続く「小学館ミステリー21」の新刊作品。 携帯・パソコンによって受信できる文学配信サイトのひとつ『eBOOK』に配信された作品の単行本化。大山氏にとっては『アルファベット・パズラーズ』に続く二冊目の単著(他に翻訳作品あり)となる。

昭和二十一年。酒で身を持ち崩しているが腕の良い整形外科医に手術を依頼した占部武彦は手術の成功を機に、医師を撲殺して逃走した。翌昭和二十二年十一月、川宮圭介、奈緒子は琵琶湖畔にある双竜町を訪れた。彼らが経営する探偵事務所に着手金と共に占部文彦なる人物から訪問を要請されていたのだ。占部文彦は占部製糸という会社を経営する町の有力者で、彼の伯母・貴和子の案内で、彼らは屋敷へと案内された。川宮兄妹は、文彦から身辺警護の要請を受ける。彼の一卵性双生児の弟・武彦が整形手術で顔を変えて文彦のことを狙っているというのだ。彼ら兄弟は元社長の甥であり、復員を機会に跡継ぎとして期待されていたのだが、性格は正反対だった。ちょうど一年前、占部製糸の女工が自殺した。そのきっかけとなったのは彼女を中傷する手紙で、彼女と身分差を超えた熱愛状態にあった武彦は、それが文彦の差し金だと誤解をしているのだという。そして今日、その彼女の命日にあたった。十分なもてなしをうけた川宮兄妹は、早速文彦の寝室の前の廊下で寝ずの番をつとめるが、翌朝、武彦は部屋の中で、ナイフによって刺し殺されていた。完全に施錠されていた筈の鎧戸と窓が開け放たれ、現場には土が。早々の殺人事件だったが、兄妹は貴和子からの依頼もあり、犯人捜査のためにその地に留まることになった。

双子を効果的に使った現代的本格パズラーを、終戦直後舞台の”仮想”世界に乗せて
本格パズラー作家としてのセンスと、その世界に対するスピリットを感じさせる。
何よりも、細かな描写や違和感が伏線として強く機能しているのが魅力。双子というミステリの古典的テーマを使い、律儀にそのトリックを踏襲するかと思えば読者の思いこみを逆手に取った逆転の発想を加えて、真相で大逆転を仕掛けてくれる。特にその時間的な差異や、空間の差異(これ以上書くとネタバレになるので)を巧みに利用して、関係者のみならず読者をもレッドヘリングの方面を向かせる仕掛けには感心させられた。また伏線の使い方も巧みで、明らかに「これは伏線だな」と思わせる描写をきちんと回収することはもちろん、単なる背景説明と思わせる部分にも後から別の意味を示すあたりのセンスも素晴らしい。古典的な舞台装置に現代的な発想を取り込むことで独自の世界を作り上げている点、賞賛に値しよう。
ただ、その”独自の世界”に対しては、あえて”仮想世界”という言葉を使いたい。昭和二十二年、復員してきた双子の兄弟が旧家と会社を巡って、男同士骨肉の争い(少なくとも表層は)が物語の背景にあり、東京から来た探偵たちが巡り会う連続殺人事件――このように書くとお解りの通り、横溝正史を意識した伝統的本格探偵小説が枠組みに意識されている。だが、残念なことにその時代特有の生々しさは感じられず、背景のみに関しては時代考証が微妙に足りないようにみえるのだ。 少なくとも登場人物の視点での描写で用いられる言葉や、風俗など読んでいて本筋、推理ともに無関係に幾つも引っかかったことは事実で、なんというか舞台描写に関しては「つい最近撮影された横溝正史原作のテレビドラマ」のよう。様々な構成上の理由から、現代感覚の本格パズラーをこの終戦直後を舞台に描いた以上、仕方ないのかもしれないのだが、敢えてこの違和感についてはこの世界を本格パズラーのための仮想空間と割り切るしかなかった。

ただ、先に述べたように本格パズラーとしては、読者の思いこみによる盲点を突くタイプの新しいトリックがメインに据えられており、ほとんど無駄がないその構成、伏線の結末への奉仕、その犯人の悪魔的周到さなど非常に魅力のある作品 であることは間違いない。本格ファン、特に本格パズラーをお好きな方であれば、取り敢えず今年の必読作品の一つだとして挙げておきたい。