MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/05/20
平山夢明「つきあってはいけない」(ハルキホラー文庫'04)

平山氏は、第59回日本推理小説作家協会賞短編部門を「独白するユニバーサル横メルカトル」(光文社文庫異形コレクション『魔地図』収録)にて受賞したが、代表作はあくまで実話系怪談を集めた『怖い本』のシリーズだろう。本書はその取材過程の中で集められた、実話集。ティーン向けの雑誌『POPTEEN』に連載されていた経緯からか、恋愛ネタが中心となっている。

一日に四時間、日中にウインドーショッピングなどを付き合うだけで一万円。カナコは、タカオという大学院生に気に入られていたが半年ほどしてバイトを辞めた。彼は「ウッ、ウッ」と気持ち悪い笑いをし、カナコに「白いセーターを着てジャンプして欲しい」など理解しづらい要求をしてきていたのだ。そのタカオからしつこく彼女につきまとうようになり、もう一度その特殊なデートをしようと誘う。実家に帰ろうか迷うカナコは、掛かってきた彼からの電話に思い切り悪態をついた。ちょっとすっきりしたその晩……。 『リモコンデート』
将来ペットショップを持ちたいというシンジ。居酒屋のバイトを通じて、エイコは彼と付き合うようになる。シンジの部屋には本来南国で暮らすイグアナと陸ガメがおり、冬だというのに暑いくらいに温度設定がされていた。旅行に行くため、彼の部屋で待ち合わせた時、エイコは毛むくじゃらのクモに手を刺されてしまう。大丈夫だと言い張るシンジだったが、その刺された痕は赤黒く腫れてきてしまう。それでもシンジの様子がおかしい……。 『命の次に……』
ほか、『行き倒れ』『伝票』『狂気的な彼女』『ひき逃げ』『オーディション』など三十三の短編が収録されている。

男と女がどこか知り合って、好き合って付き合って。どこにでもあるそんな風景が実は恐怖の入り口という……。
いわゆる恐怖実話に属する系列のお話。だが、場合によってはフィクションのホラー小説より、怖いという意味では怖いエピソードが、まさにてんこ盛りとなっている。基本的に物語の中心を為すのは交際スタートの時期ではなく、その後。交際開始直後の蜜月時代が終わり、ちょっとしたきっかけから別れを切り出した後にまで諦め悪く(というか執念深く)つきまとってくる場合の恐怖と、実はその交際そのものに恋愛とは異なる奇妙な目的があったという恐怖の二つのパターン。(もちろん、それ以外のものも幾つか含まれているが……)。
まずその前者、諦めの悪さがしつこさに繋がり、一種の生理的嫌悪から勝手な思い込みがもたらす恐怖へと発展する。相手の領域に踏み込み、精神を病み、標的とされた人間にとっては堪ったものではない。ストーカー規制法の前か後か、エピソードの時期は明確にされていないので分からないが、いずれにせよ幽鬼のようにつきまとい、時に危害を加えてくる彼らの姿は醜く、そして哀しい。人間ではあるが、神出鬼没の彼らの姿はsupernaturalなホラー作品で得られる感覚に近い恐怖を喚起する。(もちろん、現実ですから違いますよ。念のため)。
一方、交際相手の女性(男性)を、一般的な恋愛対象として捉えていないというパターンもかなり強烈である。あらすじで紹介した『命の次に……』などは、女性の身体を使ってある目的を果たそうという男の話で、いろいろな意味での強烈な嫌悪感を催すし、他にも身体そのものが目当てだったり、それ男女の交際の果てのある事柄が目当てであったり。彼らの妄念は、対象を人間として捉えていないにも関わらず「愛」だと勘違いしている怖さがある。どちらかといえばサイコサスペンスに近いだろうが、なまじっかのフィクション以上の強烈なフェチズムが恐ろしい。
そういった男女交際の特殊ケースが三十以上収められているわけで。いやあ、色々な人が世の中にはいるものですなあ。 (ちょっと反応としては間違っているかも)。

あと、表紙のみならず挿絵も担当されている金本進さんの絵がまた怖いんだ。決してそのものを描いているわけではないのに、邪悪な人間の瞳を描き出す力は相当なものがある。ということで、「どこまで現実なのか」を想像する以前に、普通に読むだけで十二分に怖い気持ちを味わえる小説集です。


06/05/19
永嶋恵美「転落」(講談社'04)

東京創元社のミステリ・フロンティアにて『一週間のしごと』が刊行され、ファンの裾野を拡げつつある永嶋恵美さん。本書はその出世作となる第三長編で、2004年の「ミステリ・チャンネル」でベスト10入りを果たし、当時まだあまり知られていなかった永嶋さんの知名度を上げた作品である。

荷物からほんの一瞬目を離した隙に、ボクは真っ昼間の公園で所持金のほとんどが入った荷物をホームレスにひったくられた。その駅に降り立ったボクの姿は旅行者そのもの。そういったあたりから狙われていたのかもしれない。ポケットに残ったのは数百円が入った小銭入れのみ。家を出たときは単なる旅行者でいるくらいのつもりだったが、事態が悪い方に転がり、ボクはやむなく逃亡者となっていたのだ。所持金が八日後に尽き、ボクは「バックパッカーくずれ」から「新参のホームレス」へと変化した。ボクは昼間のうちに飲食店の下見をし、そして残飯を漁る暮らしへと突入する筈だったが、幸いお墓の供え物を漁ることで飢えをしのぐ暮らしを開始した。そんなある日、ボクは「カナ」と名乗る小学校五、六年くらいの少女から声を掛けられる。最初は菓子類、そして食事が彼女から恵まれる。彼女の母親が食事を作り過ぎるのだという。ボクはその代わり、彼女のいう通りに”悪質な悪戯”を方方でさせられることになるのだが……。

特殊な境遇にある人々の物語と思わせて、徐々に”姿勢の人々の日常の恐怖”にたち戻ってくる不思議な展開
三部構成の、奇妙でいてどうにもこうにも厭な気分の漂うお話。第一部は、理由がはっきりと明らかにされないまま、全所持金の入ったナップザックが盗難されてしまったがゆえにホームレスになった、まだ若い”ボク”。ホームレス暮らしに馴染むうちに小学生のカナと名乗る女の子に残飯を定期的に与えられるようになり、彼女の下僕となって、命ぜられるがままに彼女の気に入らない対象にいたずらを仕掛けてご機嫌を取るようになる。第二部は、ある事件の関係者が、別の犯罪を犯した人物を匿う話で、第三部はそれまでに登場してきた人物のあいだにあった過去が描かれる。
ホームレスや児童虐待といったテーマが淡淡と、そしてリアルに生々しく語られ、一見はそちらの社会問題が主題のようにも見える。(墓場で供え物を漁るエピソードなどリアルだとしか言い様がない……)。だが、本書に通底しているテーマは、題名通り「転落」だと思う。
市井の、普通に暮らす人々がちょっとしたことで陥る「転落」の構図。そして執拗に描かれるのは、本来被害者である筈の人々までもがスケープゴートにしてしまう、日本人特有の気質みたいな部分。善意と悪意とがごっちゃになって傷ついた自分を免罪符に他人を傷つけることに無神経になる人々。本来自分が犯した罪でなくとも、引き受けさせられそうになる恐怖。最後の最後に至るまで、このテーマは一貫して物語の骨となって存在している。
ミステリとしての仕掛け、多重構造の凝った章立てといった部分以上に、醜い人間性や、心の弱い人々の揺れる心情を描いている部分が巧みで、重いテーマであるのに目が離せない。救いなどなく、ひとことでいってもやはり怖い小説だと思う。
本書を読むとミステリ・フロンティアで先に読んだ『一週間の仕事』での、じわじわと後半に盛り上がってきたサスペンス感覚が前半部から先鋭的に演出されており、著者の本領はこっち(サスペンス)にあるのか! という点を知ったことも恥ずかしながら個人的には驚いたポイントの一つ。ちょっとした他人の狂気が人々に及ぼす影響などに知悉しておられますね。

薄めの長編だし気軽に読めるだろう……と分量だけで先入観無しに読み始めたが、ミステリとしての趣向以上にそのテーマ性がヘビイ級。 軽めに読むと毒されかねない怖さを内包した作品。フィクションでありながら、すぐ隣にあって普段は気付きにくい恐怖を巧みに演出しています。癒し系などに飽き飽きしている読者にはお勧めかも。


06/05/18
古川日出男「ボディ・アンド・ソウル」(双葉社'04)

『小説推理』二〇〇三年に二月号〜十月号に連載されていた作品がベースで、確認した訳ではないが徹底的に単行本化の際に筆が入っているであろう長編作品。古川日出男氏の言葉を借りるならば「雑誌バージョンと書籍バージョンは異なる歌曲(カント)である」そうな。

で、あらすじ。……。ここまで紹介しづらい作品は最近珍しい。が、あえて。
二〇〇二年十一月から二〇〇三年七月 東京。 僕ことフルカワヒデオは物語を創る。たとえば僕がここで死んだふりをしてみる。そして霊魂が抜け出す。取り残された肉体はどうなるのか。そんな物語。そして僕は、武蔵小金井で午後三時、友人の小池宏之と居酒屋で飲んでいる。話題は音楽の話。読者がついてゆけるかどうかなど関係ない。そういう音楽のマニアックなフルカワヒデオと小池宏之が「いい」と思う音楽の話だ。二〇〇二年十一月、鯛飯を作って食し、仕事(小説)を切り上げて趣味の散歩に出掛ける。新宿から参宮橋を抜けて明治神宮。ここでもクリスマス教に関する傑作小説の筋書きをモノにしてしまう。空腹から飲み、そして家に帰って寝ないで待っていた妻と話をする。だけどチエはいない。また、そして文藝春秋出版局の佐藤洋一郎と、角川書店書籍事業部・郡司珠子と打ち合わせる。食べる。物語が浮かぶ。散歩する。そういう話。

天性のモノガタリスト・古川日出男の普通ではない日常と思考、東京を描いた散文詩にして愛の物語
普通の意味の小説ではない、と最初に言っておく。だけど、本書に込められた圧倒的な力(パワー)は、普通の意味の物語のもつそれと近しく、それでいて比べモノにならない程のボリュームを持っている。 基本的には、小説家・古川日出男の日常と生活がベースとなっている。その時々、味わったモノ、話し合ったモノ、見たモノ、感じたモノが時に詳細に、時に簡略化されて書き込まれ、そういった断片から生まれたイメージが幾つもの物語と化してゆく過程を読者は視ることができるという仕掛けだ。エイリアン、トキ、ヨルダン河、特務員、プラシーボ……。古今東西ありとあらゆる事象が、ほんの些細な何かをきっかけに膨らみ、物語として語られる。(主にあらすじとして)。その中には、後に刊行された「ああ、あの作品のことだな」というものもあれば、未だ物語としてまとめられていないものもある。繋ぎはあるが、まとまりのない展開。だけど、それは、わざとだ。 こういった形式でしか描き得ない何かが、この作品にある。
日常の快感。音楽、風景、土地、人、食べ物、旅。そういった事柄が詰まり、一方で金銭やセックス、名誉といった世俗の欲求からは物語は導かれないし、そもそもそういった描写がない。それでいてこれは古川日出男(という名のフィルター)を通じて見た東京の現在を描いた小説でもある。具体的な人や地名、店名も克明に描かれるし、不要なものは描かれない。東京という都市が、これほど刺激的な存在であるということを改めて知らされる。
そしてもう一つ。そのバラバラの中に込められているのが妻であり、今はいないことが暗示されるチエの存在。虚実がどうなのか不明な彼女に対し、フルカワヒデオは世界最大級の愛情と賛辞を示し、その結果途轍もない寂寥感が共に込められてもいる。

基本的にアッパー系の文体がビートのリズムを刻み、テンションはひたすらに高く、読者の心をも高揚させる。だけど、単なる文字の羅列ではなく、あくまで器としての本がボディ、そして作者本人のソウルが籠もった一個の作品であることも間違いない。そのまとまりを欠く内容ゆえ、古川日出男初体験一作目としてお勧めできる作品ではないが、幾つか作品を読んでいる人であればこのパッションは実に心地よいはずだ。


06/05/17
奥田英朗「ララピポ」(幻冬舎'05)

'98年のデビュー以降、大藪春彦賞、直木賞を獲得し、人気作家となっている奥田英朗氏。近著でも『サウスバウンド』など高い評価を得ており、クセがない文体で変な人を描かせると天下一品の面白さがある。本書もその系譜に連なる。『ポンツーン』に不定期連載されていた作品がまとめられた連作短編集。

三十二歳のフリーター・杉山博。若者向け情報誌の要約が唯一の仕事というライター。彼は三十を過ぎてから人と会うことが恐怖を覚えるようになっていた。 『WHAT A FOOL BELIEVES』
二十三歳のスカウトマン・栗野健治。キャバクラ嬢のスカウトが仕事。彼は一日に何十人もの女性に声を掛ける。 『GET UP, STAND UP』
四十三歳の主婦・佐藤良枝。娘も社会人となった彼女は毎日が日曜日。適当に家事をしAVに出る彼女には更に秘密が。 『LIGHT MY FIRE』
二十六歳のカラオケボックス店員・青柳光一。強引に押しつけられるとノーとはいえない性格が災いし、損をすることが多い。 『GIMMIE SHELTER』
五十二歳の官能小説家・西郷寺敬次郎。彼は今日も口述筆記でエロ小説を書く。そして最近、援助交際に嵌っている。 『I SHALL BE RELEASED』
二十八歳のテープリライター・玉木小百合。彼女は西郷寺の小説のテープ起こしをし、杉山博とかつて交際していた。 『GOOD VIBRATIONS』 全六話。

変な人々がエッチに描かれた作品集であるけれど、普通の人々のエッチで変な部分が描かれる作品集でもある
引きこもりの高学歴フリーライター、おミズ系(含むAV)職業のスカウトマン、崩壊した家庭で毎日が日曜日の主婦、売春宿と化したカラオケボックスのフリーター店員、援助交際に嵌る売れっ子官能小説家……といった人々を交互に連関させながら一人一人の性癖を赤裸々にポップに描く連作短編集。前の作品で登場した人間が、次の作品で主人公格となっていく展開で世界が繋げられており、「現代のトーキョーを赤裸々に描き出す」というような見方も出来よう。ただ、登場する個性的なひとびとは、本書のことばを借りるならば、「ルーザーの祭典」となるのだろうが、それ以上に筆の立つ奥田流の文章による、戸梶圭太が説くところの「”激安”人間の祭典」といったイメージの方がより強い。こいつら、勝ち負け以前に勝負してねーもん。
とはいえ、個々の人間の性癖にしても人間離れしているとか、極端で常人には理解しがたいフェチズムを持つという程では なく、どちらかといえば本能系で普通の性癖。ただ、こうなってしまうのは極端に意志が弱かったり運が悪かったりするというシチュエーション組合せの妙技でしょう。また、その持て余される性欲・エッチ系の趣味だけではなく、彼ら自身様々な別の”問題”を抱えているのが本書の盛り上がるポイント。特に最初のエピソードではミステリ的な仕掛けもあり、予想していなかっただけにちょっと驚かされた。(いやでも後出しとはいえ、伏線が確かにあって……)。
ただ、そういった「敗け」、そして読者の「覗き趣味」を満たすためだけの物語ではない。 その鍵は「ララピポ」にある……。
「ララピポ」。不思議な響きを持つ言葉。この言葉に意味があり、連作短編の最終話にてようやく明かされる。(それ以前は登場すらしない)。ただ、この言葉の意味を知った瞬間に、特殊な個人を描いたエピソードだったこの連作集が、普遍的な人々をちょっと突き落としただけという連作集に変ずるような錯覚を覚えた。まあ、結局はどこにでもいる小市民の話だった訳なんですね。

気軽に手に取って気軽におもしろがりながら読むのに適した本。単行本で読める方はそれで良し、文庫になった時にもっと広く読まれるようになるのだろうなあ。(それはそれで面白いことです)。


06/05/16
米澤穂信「夏期限定トロピカルパフェ事件」(創元推理文庫'06)

創元推理文庫を舞台に米澤穂信が打ち出す”小市民シリーズ”第二弾。『春期限定いちごタルト事件』に続く書き下ろし第二作目にあたり、大きな枠では長編作品。(但し、幾つかの段落に分かれており、うち二つのエピソードは『ミステリーズ!』にて先に短編として発表されている)。

ぼく、こと小鳩常悟朗は、賢しらに他人の考えていることを言い当て、つい名探偵を気取ってしまうことを戒めるため、小山内さんは、嬉々として復讐という甘美な行為に手を染めてしまうことを戒めるため、二人して日々を平穏に過ごす”小市民”を目指す。そのため、二人は恋愛関係にも依存関係にもない”互恵関係”を築き上げ、協力して学校生活を送ることにしている。そして夏、典型的な小市民らしく祭の夜店に繰り出したぼくは、狐の面を被った小山内さんと偶然出会う。彼女は、この夏〈小山内スイーツセレクション・夏〉を計画し、それをぼくに付き合って欲しいという。彼女のセレクトしたお店のスイーツは絶品で、甘いものが決して好きといえないぼくをして虜にするのを十分な魅力があった。小山内さんにセレクションのリストにある買い物を頼まれたぼくは、彼女が家で席を外した隙に運命のケーキと出会ってしまい、彼女の分も食べてしまう。その結果、ぼくは彼女の計画に付き合わされることになるのだが……。

本格を意識してなのかしてないのか。絶妙の設定が醸し出すストーリーテリングが読者を引き込む
刊行されたのは奥付上2006年4月14日。出てすぐ読まれた方も多いだろうが、本書の内容は暑い夏の日に読んだ方が、より親近感が持てるのではないか。お勧めは夏休み。近年の日本の、暑く、ひたすら暑い夏とこの作品の展開とはよく似合う。
恐らくほとんどの方は『春期』を読まれて本書に臨んでいると思われる、ご存じ”小市民シリーズ”。まずは、常悟朗vs小山内さんの知恵比べから始まる。もともと『シャルロットだけはぼくのもの』として先に発表されたこの倒叙作品は、ケーキをひとつ余計に食べるという謎そのものよりも、「キャラを知るがうえ」の緊張感によって面白みというか凄みを発しているように思われる。この事件(?)の負けがきっかけで、常悟朗はひと夏の事件に巻き込まれてゆく。ただ、このあたりから伏線というか実は序盤の展開の一部になっているところは後で振り返るに驚異的だ。
さらには、メインとなるスイーツ食べまくり、そして謎の誘拐事件と事件は続く。ほのぼのとした流れの下にある不穏な空気の演出も見事。
しかし、本書のミステリとしての凄まじさは登場人物設定をそのまま長編の事件・謎・展開に絡めて不可分にしてしまっている点だろう。事件に巻き込まれることを嫌がる探偵役を「本音では探偵役をやりたがって仕方がないが、いろいろ厭なことがあったので自粛したがっている」小鳩常悟朗というキャラ。そして「復讐を至上の悦びとする自分を戒め、そういう自分から脱却したがっている」小山内ゆき。一連の事件の背景は、彼と彼女でしか成立し得ない作為性に満ちている。本格ミステリでしばしば使われる「操りテーマ」が、シリーズ二作品目にしてこのようなかたちで発露されるのは読者には想定外で、この手は最終作品とかでするもんだという思い込みが吹き飛ばされる。
また、この仕掛けの結果、二人の関係性に変化が訪れざるを得ないラストも印象的。この合理性と、だけどその理屈だけでは割り切れない余情が本書をやはり青春ミステリにさせているように見える。この、男女の付き合いにしても何かと理屈を付けないと行動できない小鳩常悟朗の「小賢しさ」もまた、どこかで見たような不思議な懐かしさに繋がるぜ。

まだ、二作しか発表されていないのにこの不思議な存在感はどうだろう。ミステリとしてどこか実験的な構造であり、ねじ伏せるような内容でもありながら、緊張感はあっても全く圧迫感がない。 恐らくは一年分となると思われるシリーズの”夏”にしてこのインパクト。シリーズ完結に至るまでどのような展開になるのか、目が離せない。


06/05/15
辻 真先「ブーゲンビリアは死の香り シンガポール3泊4日死体つき」(新潮文庫'84)

出版社ごとともいえるほど、辻真先氏は多くのシリーズ探偵を抱えているが、そのなかの一人にあたるツアー・コンダクター萱庭智佐子が登場する第一作目。可能キリコ&牧薩次シリーズにおいて重要な脇役であったキリコの兄にして「夕刊サン」の記者・可能克郎がコンビを組む。本作品は、本文庫での書き下ろし刊行。

旅行会社・三良旅行社に勤務する新米社員・萱庭智佐子。先輩社員の忘れ物がもとでシンガポール3泊4日ツアーに急遽ぶっつけ本番、コンダクターとして同行することになってしまう。参加者のなかには、つい先日智佐子と別れたばかりの元恋人・井崎総三と彼の新しい恋人である榛名歌子、更に彼らに対して以前、即席での恋人役をお願いしたことのある可能克郎も偶然そのツアーに参加していた。また、一癖ありそうな千石夫妻、年輩と娘くらい年の差ある伊藤夫妻を不審な眼で見つめる殿村、騒がしいOLトリオ等々、他の参加者もクセ者が揃っている。現地人ガイドのハンの助けを得て、何とかシンガポールのホテルにまで辿り着いた一行だったが、突如歌子が謎の失踪を遂げてしまう。しかも、智佐子は女子トイレで彼女の死体を目撃したように思ったのだが、改めて探してみるとそんなものはどこにもないのであった。井崎はうろたえながらもOLトリオと仲良く過ごしそれでも智佐子は彼のことが忘れられない。可能克郎は、智佐子にのぼせ上がるなか、続いて千石氏が行方不明、事故か他殺か、ホテルから少し離れた崖下で死体が発見された……。

軽めの文章に仕込まれた本格トリックの数々。ユーモアと叙情と「謎」のさりげなくも素晴らしいカップリング
登場人物の配置や性格付けにしても、そのシチュエーションの設定にしても、テンポの良い物語進行にしても、一見軽めに造作されているようにみえる。実際、文章そのものに改行も多く、平易な文体は読みやすくするすると頭に入ってくる。登場人物は、主人公と、その元恋人、元恋人の現在の恋人、主人公に恋い焦がれる可能克郎と四人を配置する一方で、曰くありげな登場人物を無駄なく配置して、物語展開をシンプルに判りやすく盛り上げていく。その結果、シチュエーション・コメディ的要素が発生するため、あくまで「一見」、作品は軽くシンプルな読み物として捉えられよう。 このあたりの作り込みに関しては、辻真先氏がテレビ出身であり数々の脚本を書いてきたことと無関係ではないだろう。小説なのに「画」になるかどうかが吟味されているように思えるのだ。
ただ、軽いばかりではない――のが、やはり著者のセンスの良さ。ツアー中に次々と発生する不審な失踪と死亡事件。それでもツアーが続行されてしまう点に最低限の現実との折り合いを付け、その一連の事件の裏側には当時としては斬新ともいえる「ある権利」に関する動機が存在させている。ユーモアある文章にて薄められているが、不可能犯罪の数々も、本格ミステリの視点からみても十二分に満足できるものであり、謎の奥行きが実に深い。 南国シンガポールのツアーが舞台ながら、関係者にはアリバイがあり、死体は思いも寄らない方法で動かされ、フーダニットでありながら犯人が誰なのか、さっぱり見当がつかない。一方、真相が開示されたあと、数々の伏線がこの文章内にて描かれていたことに愕然とさせられる。ツアーという偶然一緒になった人々のあいだで発生する連続殺人。その裏側にある動機に、辻氏ならではの蘊蓄と思わせられていた一文が、真相に機能している点など驚きである。
主人公・智佐子の複雑な恋心、可能克郎の彼女に対する必死のアプローチなどに対して、ところどころに作者自身のコメントが入るところはご愛敬。国産メタ・ミステリを開拓してきた著者らしい、サービス精神の発露とみるべきだろう。作者自身がこの作品を楽しんで書いたであろうことも、そういった遊び心からも推測ができる。最後の一行で思わぬ叙情を感じてしまった点も嬉しい誤算だ。

一気に、軽く読めてしまう割に読後感の深い一冊。あまりミステリに親しくない読者であっても楽しめることはもちろん、手練れの本格マニアであればあるほど、作者の深謀遠慮に唸らされる、そんな作品だと感じた。


06/05/14
小峰 元「ピタゴラス豆畑に死す」(講談社文庫'75)

アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞し、ギリシャの哲学者の名前を題名に冠した独自の青春ミステリ群を発表してきた小峰氏。(実は乱歩賞受賞以前にも小説は発表していたようだ)。本書は、『アルキメデス…』に次ぐ第二長編。

奈良県の飛鳥への行き道にあたる近鉄の駅で、東京は浅草の高校三年生・沓野正之と、金沢の高校を卒業したあと東京で浪人生活を送る辻本雅美はちょっとしたきっかけがもとで知り合いになる。二人は日本全国の各高校の生物研究会や妖怪研究会などの集まり、ツチノコを探索するという共同研究の場に赴く予定だったが、沓野はその山道で地元有力者の関係者の乗用車と接触し、病院に送られる。一方、辻本は近辺の大地主で八十八歳になる森林王・本間彦左衛門に気に入られ、秘書をするよう要求される。その代償は、彼の所有する土地でのツチノコ探しの許可であったが……。しかし、本格的な探索に入ったその晩、発見されたのはツチノコではなく、大阪・堂島高校の生徒、後宮茂光の死体であった。しかも、その死体の喉首にはツチノコのものと思われる咬傷があり、警察は頭を悩ませる。地元の人々はツチノコの祟りだと恐れおののき、更に関係者のあいだでは不審な死亡事件が続いてゆく……。

一風変わった設定と、思いがけない展開。若者世界と大人世界の対立を描いた主題の奥行きが深い
以前、『アルキメデス…』を読んだあと、登場する若者像に違和感がある(現実にこんな若者たちがいたの?)といったことを某氏と話し合ったところ、小峰作品における若者像は、リアルタイムの読者にとっても現実離れした存在だと受け止められていたと聞いた。その観点から改めて本書にあたるといろいろな点で頷ける。「…げす」といった語尾や喋り方に奇妙な気取りがあることで隠されてはいるが、例えば歴史的人物、例えば名所旧跡、例えば古典文学など、若者同士、大人同士の会話のなかに巧妙に教養主義(ちょっと使い方が違うか)といったジャンルにこだわらない蘊蓄が多用されている。当時の若者すべてがこういった頭良すぎな共通言語を有していることは恐らくあり得ない。単なる青臭いだけの青春ミステリとは一線を画す意図があったのかどうかは判らないが、小峰作品全体における味わいが他の普通の青春小説と異なっているのは、こういった点も要因だといえるのではないか。
物語の方は、幻の生物・ツチノコを追い求める若者気質と、株でボロ儲けを企む大人社会とが順繰りに描かれ、その世代ギャップのある交流が背景にある。その一方で、なぜ若者が次々と殺害されなければならないのか? というホワイダニットがミステリとして貫かれており、次々と現れる死体の意味合いが最後に繋がる展開はなかなかスリリングで、その意味では終盤にも意外性が。またこれらの過程においていろいろなトリックが弄されているものの、むしろあっさりと解かれてしまっている印象がある。一編の小説に様々な要素を込めるために、文章そのものをぎりぎりまで削り、贅肉を削ぎ落とした無駄のない文章がミステリ部分にまで及んでしまっているからかもしれない。
本書で本筋とどう繋がるか判りにくい株式取引の裏側など、現在にも繋がる寓意があって面白い。そして一連の事件の残酷な真相は、大人の事情に否応なく、通り魔的に巻き込まれてしまった若者の姿が晒されており、これもまた世代の対立の一場面として考える必要があるのだろう。

ツチノコ探しという、少々現実離れした行動に夢中になる若者像と、金儲けや地位といった現実的利権に汲々とする大人像とが不思議なかたちで繋げられた作品。先に書いた通り無駄を省いた文体により、今となっては読みやすい文章とはいいづらいが、読了後の趣はなかなかに深い物語だといえるだろう。


06/05/13
伊坂幸太郎「終末のフール」(集英社'06)

単行本が刊行されてすぐに読了していた作品なのに、なぜか感想書き忘れ。『小説すばる』誌に二〇〇四年二月号から二〇〇五年一一月号にかけて掲載された作品がまとめられた連作短編集。

小惑星が地球に衝突することが判明、世界の寿命があと八年と決まってから五年が経過した世界。半狂乱となった狂騒状態から人々は醒め、残りの期間をいかに生きるかを模索し始めたいつかの日の物語たち。
五十代の夫婦が息子の処遇を巡って家を飛び出した娘の帰宅を静かに待つ。父親の態度は以前同様頑なであったが、内心には様々な葛藤があった。 『終末のフール』
優柔不断な富士夫、積極的な美咲。長らく子供が出来ない夫婦であった二人。その美咲が妊娠、だけど生まれてくる子供は三年で小惑星衝突してしまう……。 『太陽のシール』
元アナウンサーで現在は家族と仙台に暮らす杉田。彼を殺害すべく兄弟は家に押し入る。犯罪被害者の彼らの妹がテレビで杉田に取り上げられた結果自殺した恨みを晴らすためだ。 『籠城のビール』
両親に置いてゆかれ自宅で一人暮らす美智。三つの目標は「両親を恨まない」「父の本を全て読む」「死なない」。二番目の目標を達成した彼女は「恋人を見つける」を新たな目標に掲げる。 『冬眠のガール』
「鋼鉄のキックボクサー」苗場。彼の通うジムに改めて通い直すことにしたぼくの家は、方舟騒ぎで揺れていた。苗場は騒ぎのあいだもずっとそのジムで練習を続けている。 『鋼鉄のウール』
五年前に妻を亡くし、現在、ロープを結び居間で死のうとしていた矢部は、唐突に学生時代の変な友人・二宮のことを思い浮かべる。その二宮から急に電話がかかってきた。 『天体のヨール』
小劇団出身で、仙台に戻ってきたわたしは、おばあちゃんの孫娘、妹の姉、二人兄妹の母親の役を順繰りに演じて回っている。それが終わると一階に住む一郎の部屋へ行く。 『演劇のオール』
三世代同居の貸しビデオ屋店長の渡部。二年前から同居し始めた父親は、閑さえあれば屋上にて櫓を組み立てている。洪水が来た時、最後まで見物するのだというのだ。 『深海のポール』
 以上八編。

来るべく破滅的な状況のなかですら、アクティブにポジティブに生きる彼らが人類の希望を拓く
いきなり感じさせてくれるのは、設定の妙。「世界の終わり」が、現実的にあり得ないとは言い切れない設定のなかで想定されていることだけならば一般的なSF作品にもあるのだろう。けれど、その混乱とパニックを直接的に描くのではなく、そこから一ひねりして、それらが収束して、人々がその運命を受け入れる心地になった後の物語というのは、その段階で斬新なものだと思う。そんななか、また伊坂幸太郎ならではの、魅力溢れる登場人物が何人も活躍していく展開なのだ。面白くない筈がない。
「自分がそのような状況にあったら、どうなるのだろう」ということを考えさせているような、考えさせないような。そんな状況下で子供を生むことは是なのか否なのか、日々をどう生きてゆくのが良いのか。登場人物は、深く考えたり、考える前に行動したり。ただ、基本的には皆、アクティブにしてポジティブなのだ。 現段階の絶望を受け入れてしまった人々は、もしかするとこの物語が始まる前に退場してしまっているからかもしれない。(逆にいえば、多少普通の感覚とはずれた人々の物語ばかりである、ともいえるのだが)その結果、これほどのツライ状況のなかでも、なんだかんだと前向きに、例えばこれまでに発生した出来事への復讐であっても、進んでいく登場人物像が妙に心地よい。
『終末のフール』で描かれる死んでしまった弟に対する悲しみと親子の葛藤。『太陽のシール』における優柔不断な主人公の悩み。『籠城のビール』で描かれる兄弟の怒りと受け入れる一家の絶望。『冬眠のガール』における不思議なポジティブ感覚――。書き出すときりがないが、そのポジティブの裏側には、わざと描かれていないいくつもの深い悲しみがある。その悲しみから「人がどう立ち直り、生きてゆくのか」。現在の我々が抱える悩みや絶望にしても、地球が終わることに比べれば大したことがない――ような錯覚感が本書の持ち味だ。
また、伊坂流の伏線の張り方――というか、本書の場合は人物と人物の繋ぎ方がやはり巧く、物語の最後を飾る『深海のポール』にて、巧く物語がまとめられている印象。また、過去に発生したであろう残酷な事柄がさらりと描かれている個所も多いのに、あまり陰惨な気持ちにさせない点も、伊坂氏のストーリーテリングの巧さとして特筆されよう。

……なぜだろう、あまり本書についてこれ以上たくさん何か書きたいと思わない。それはこの『終末のフール』を他人に勧める必要がないからではなく、むしろ読んで頂かないとこの感覚が共有できないことが判っているから。 世の中の絶望のなかにある「希望」、個人的にこういった設定がツボであることもあるけれど、伊坂氏の巧さがいろいろなかたちで発露した作品であると思うのだ。


06/05/12
乙一「銃とチョコレート」(講談社ミステリー・ランド'06)

「かつて子供だったあなたと少年少女のための――」というキャッチコピーにて'03年7月に開始されたこのシリーズも、とうとう四年目に突入、第十回配本にまで漕ぎ着けた。執筆予定陣は残り八人、果たして完結するのか――? という興味も。本書は、近年は映画や漫画などでも活躍する乙一氏の初のジュヴナイル作品。書き下ろし。

家から胡椒が瓶ごと無くなり、病気がちだった父と主人公のリンツは数枚のコインを握りしめ市場へと買い物に出かけた。普通の店の胡椒は高くて買えなかったが、露天商で胡椒を買い、更に聖書がおまけにつけられていた。その父親も亡くなり、学校に通うリンツは若く美しい母親と二人、貧乏な暮らしを強いられていた。学校では、名探偵ロイズが大人気。子供は皆、富豪の家から貴重な宝物を盗み、“GODIVA”カードを残してゆく怪盗”ゴディバ”を追うロイズの樣子をラジオで聞いたり新聞で読んだりして胸をときめかせていた。そんなある日、リンツは父の形見となった聖書から古びた地図を発見する。新聞記者のマルコリーニから、本物のゴディバのカードには裏に風車の絵が描かれているという情報を聞き、リンツは驚く。その地図の裏側にも風車が描かれているのだ。早速、怪盗情報の募集に応じて、自分の持つ地図に関する手紙を書いたリンツ。その結果、憧れの名探偵ロイズが変装して彼の街にやってきたのだった。

乙一(らしい/らしからぬ)登場人物と物語が魅力。ミステリー・ランドの意義を体現するエンタ
これまでミステリーランドの執筆陣(実際に発表した人も、まだ予定に留まっている人も)を眺めた時、やはり乙一は抜けて若い。 プロフィールを明らかにしていない殊能将之を除くと次が麻耶雄嵩? というくらいではないか。その乙一が打ち出してきたのが、古き良き時代風の、しかも海外を舞台にした冒険活劇小説というのは意外であり面白い。
世間を騒がす怪盗と、それに対峙する名探偵という図式に憧れる主人公という図式。だが主人公は、その国に移民としてやってきたがゆえに理不尽な差別を受けるし、怪盗も名探偵も彼らを補佐する人々も、実は別の貌を持っているという大人社会ならではの矛盾を詰め込み、旧き良き少年向け探偵小説の持つ牧歌的雰囲気を借りつつも、本質的にはそこから訣別した内容になっている。 ただ、それがゆえにストーリーは二転三転、果たして誰を信じて良いのか分からなくなるような展開が実に巧みで、乙一のストーリーテラーぶりが遺憾なく発揮されているといえよう。ラストに至るまで、数多くの伏線と裏切りがあって、さらに冒険小説特有の熱気を伴うという、現代のジュヴナイルに相応しい内容だといえるだろう。
しかし、主人公の性格は少々気が弱いながらもまっすぐで、やるときはやるというすっきりした設定。その結果、脇役群こそ邪悪で矛盾に満ちていて、これまでの乙一作品に登場した人物たちと共通した雰囲気を持っていることに対し、その主人公ゆえに物語全体から醸し出す雰囲気は爽やかさに満ちている。(乙一作品にも爽やかな物語はあるが、それらとも本書はどこか一線を画していると感じる)。この雰囲気の違いを味わうだけでも、本書には一読の価値がある。
この作品に登場する固有名詞のほとんどがチョコレートにまつわる名前が冠されている。その中でも物語途中で害される人間に限って、同じチョコレートでも一般名詞が付けられているように思われる。そりゃ商標人物が、物語のうえとはいえ殺されるというのはマズイやね。(もしかするとこれもミステリとしてのヒントのうち?)。
また、本書の挿絵を描いているは平田秀一氏なのだが、この強烈にデフォルメされた登場人物の画が印象的。下手にアニメ系のイラストレーターでなかった点、この物語に更なる深みを加えていると感じられた。

「ミステリー・ランド」のシリーズ、どれも趣向があって面白いのだけれど、毒が強すぎたり、逆に平易に過ぎたりと、「かつて子供だったあなた」「少年少女」のいずれか向けに内容が偏る作品が多いことも事実。そんななか、その両者が本気で楽しめる作品のひとつを生み出したのが、執筆陣最年少の乙一というあたりは面白い。乙一自身、さらには乙一氏に執筆を依頼した編集者のセンスが光る一冊だといえよう。


06/05/11
梶尾真治「精霊探偵」(新潮社'05)

'70年代よりSFジャンルでは星雲賞受賞など一定の支持を受け続けている人気作家カジシンこと梶尾真治氏。近年『黄泉がえり』が映画化され大ヒットを記録するなど、一般読者のあいだでも遅ればせながらその知名度が広まりつつあるようだ。本書はノンシリーズ長編で書き下ろし刊行された作品。

妻・那由美の運転する自動車で交通事故に遭い、妻を喪った男、新海。事故のあと、新海は茫然自失の体でマンション内で引き籠もりに近い生活を送っていた。彼を心配してくれるのは一階にある喫茶店「そめちめ」のマスター夫妻。彼らは大家でもあるのだが、最大の理由は彼らの背後霊が、なぜか新海の両親なのだ。新海は事故後、視線の焦点をずらすことで人間の背後霊を視ることができる特殊な能力が身に付いてしまっており、「そめちめ」の客の失せ物を探すなど不思議な能力があると評判になりつつあった。そんな彼を訪ねて山野辺という男が「そめちめ」にやって来た。彼の妻が、彼と幼児二人を残して失踪してしまったというのだ。その妻は那由美とも知り合いだったのだという。頼み込まれ探偵役を引き受けた新海。だが、山野辺にはどうやら背後霊がついていないようだ。活動の結果、少しずつ精気を取り戻す新海は、まずは山野辺の妻・香代がパートに出ていたというスーパーマーケットを訪れる。さしたる手掛かりが見つからないまま、スーパーを出た新海は、ホームレスの荒戸という人物と知り合った。香代が同僚に手渡したカードから少しずつ調査を進めるうちに、新海は恐るべき陰謀が街中で進行していることに気付く。

一風変わったSF設定探偵小説 → 盗まれた街 → 「涙」「感動」よりもあまりにも意外な不意打ちが印象的
精霊探偵という題名だが、その内実は背後霊探偵。関係者の背後霊を視、そして会話したり排除したりすることによっていろいろ本人が気付かないような出来事を創り出す能力を持つ人物が主人公。ただ残念なことに彼自身は、自分自身の背後霊を視ることができず、それが自分の妻の那由美であって欲しいという願望を持っている。序盤は、この能力が中心となって、マンション内のDVを受けていた女子小学生を救ったり、ホームレスの不幸を取り除いたりと、短編的なエピソードによって物語が演出される。一方、引き受けた調査依頼から物語は、大方の読者の想像を裏切る展開をみせる。即ち、家出人の捜索だった事件の背後に、大いなる陰謀が見え隠れするようになるのだ。読み進めている段階では、ここに少々違和感があった。いきなりベンツに乗ったヤクザまがいの男たちに「余計なことにクビを突っ込むな」と暴行されるなんて、陳腐でありがちな上に、本書の筋からするとやはり唐突。
だけど、中盤以降は、どうしてもこうなる必要があったことに気付かされる。実際、大いなる陰謀が街中で進行しているのだから。背後霊の見える新海だから気付く、人類乗っ取りの動き。ネタに関わるのであまり書けないのだが『盗まれた街』に近いテーマへと物語は移行する。序盤に助けた女子小学生・小夢(さゆめ)と元ホームレスの荒戸の活躍、そして陰謀の中枢へと迫る展開は、テンポ良く独特の不気味さと迫力が両立している印象。そして黒幕は……?
といったところで、幾つかの不意打ちを食らうのだが。個人的には、黒幕の正体は二者択一(妻の那由美か双子の弟)のどちらかと踏んでいたので……その点は予定調和だと思ったのだけれど、問題はそれ以外のところにありました。こちらはすこんと横から突かれた感じ。
カジシン得意の人情譚的温かみはあるものの、正直そちらは感動でぼろぼろという程ではなく、あくまで「温かみ」止まり。むしろ仕掛けられたサプライズに強い印象が残る作品でした。確かに伏線がいろいろと……。

厳密な本格ミステリの観点からすると、SF的設定の部分もサプライズに寄与しているため伏線が完全ではない……ということになるかもしれない。だがサプライズという意味ではなかなか巧く機能していると思われた。作品としては軽快なのでカジシンファンならずとも気軽に手にとって楽しむのが、もっとも相応しい読み方かな。