MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/05/31
広川 純「一応の推定」(文藝春秋'06)

第13回松本清張賞の受賞作品。「選考委員会全会一致!」という帯に誘われた。

年末、クリスマスイヴの午後。滋賀県、東海道線の膳所駅のホームから一人の老人が転落、新快速電車に轢かれて死亡した。正月明け早々に、被害者・原田勇治が加入していた掛け捨て型傷害保険に対し請求があった。加入後三ヶ月、保険金額は三千万円。生命保険とは異なり、傷害保険の場合は加入の翌日から保障が発生するかわり、この死亡事故が自殺であれば保険金の支払いは行われない。調査事務所に勤務し、定年を間近に控えたベテラン調査員・村越が、グローバル損保よりこの事件の死亡原因調査を請け負った。被保険者は被害者の妻で、彼らには難病で苦しみ、海外での移植手術でしか助からない孫がおり、その費用を捻出するためにどうしても保険金が早急に必要なのだという。保険会社としては費用の支払いをしないにこしたことはなく、若手社員の竹内を村越に付けて調査を開始する。当初から自殺ではないかという先入観をもって調査にあたろうとする竹内をたしなめつつ、村越は地道な調査を開始するが、被害者の周辺からは徐々に自殺を思わせるような情報が集まりだす。

”松本清張”的な公約数を現代風景に溶け込ませる。様々な計算が作品内に込められた社会派推理
ほぼ全編が”聞き込み”という地味な作品である。だが、様々な作者の計算がちりばめられている。特に感心するのは読み手となる者のストーリーに対する感情の置き所がどこになるか、という点にうまくバランスを取っている点だろう。保険の調査員を主人公としながら、彼に対する視点はニュートラル。ヒーローを期待すれどもなかなかそういう動きはない。難病の子供を抱えた家族、そしてその祖父の死が果たして自殺なのか事故なのか、それとも他の何かなのか。どうしても読者は弱者に肩入れしてしまい、自殺の先入観を持つ社員の竹内への視線は冷たくならざるを得ない。
一方、関西全域を中心とした地道な聞き込みからは、東大阪の工場など苦しい懐事情がもたらした家族の悲劇などが、金融機関をワルモノとした視線から徹底的に描かれる。社会派作家が大切にした(と思う)誇張されたリアリズムに対するこだわりがこういった点からも感じられる。
ストーリーの展開そのものも含め、良きにしろ悪しきにしろ作品全体には様々な視点から松本清張賞という賞に対する計算のようなものが見え隠れする。(小生もあまり清張を読み込んでいるとは言い難いので断言はできないのだが)、結果的なのかどうも最大公約数的松本清張作品の特長のようなものから、いくつかポイントをピックアップして、作品内部に織り込んでいるようにみえるのだ。例えば、それまで関西を中心に巡っていた物語が、目撃者と思しき人間の妻が鳥取に居り、彼女を訪ねて重い口を割らせる場面。捜査側の旅、そして決して豊かではないなかで暮らす人々の描写。本筋から必要というよりも、こういった場面が効果的だから割り込ませてあるようにもみえる。ただ、そうであっても一個の作品としての完成度は高い。むしろ、それらよりも作品の中心を織りなしたと思われる一本の捜査が完全に終盤にぶち切れ、ラストに至ってそことは無関係な脇筋で真相を導き出している点の方に引っ掛かったかも。

最近の新人賞では社会派を重視する傾向が復活しつつあるが、本書では更にそれが突き詰められている感。登場人物の魅力で引っ張るのではなく、物語の展開力で読ませる力量は凄いと思う。(登場人物に無理に個性を付加しようとする姿勢はない)。今後は下手にトラベル系に向かわずにこの路線で作品作りが続くかどうか注目してゆきたい。


06/05/30
太田忠司「維納オルゴールの謎」(祥伝社NON NOVEL'94)

太田忠司さんの代表的探偵の一人(?)霞田兄妹シリーズの第四長編。”維納”はウイーン。文庫版では元もと付けられる予定だったという「維納音匣の謎」と読みは同じながら漢字に変更された題名となっている。

旧知の三条刑事のプライベートのデートのお誘いによって高級ホテルで開催される「維納の銘菓とモーツァルトの夕べ」というイベントに参加した霞田千鶴。三条の緊張した面もちから、千鶴は微妙な緊張感を味わう。数々の美味しいお菓子を堪能しているなか、主宰者のシェフ倉坂基の姪でピアニストの倉坂杏のドレスに粗相があり、着替えのためか倉坂杏は退場する。その会場に、杏の付き人をしている女性が駆け戻ってきた。倉坂杏が殺されている! その報に三条と千鶴は現場となった客席に駆け付ける。彼女は紐のようなもので絞殺されており、花束が彼女に乗せられていた。さらにはなぜかオルゴールが部屋の中に響いていた。磯田警部ら警察の人間が駆け付けたため、千鶴はホテルを後にする。家に帰り、兄の志郎に事の次第を報告しようとする千鶴だったが、数々の事件を解決した彼は話に乗ってこようとしない。中途半端な事件の関わりかたが嫌なのだという。しかし翌朝、愛知県警から志郎のもとに正式の捜査依頼が届く。報せを届けに来た三条によれば、現場のホテルはオートロック方式で、更に杏は鍵を持っていなかったため、本来彼女は部屋に入れなかった筈なのだという。奇妙な逆密室状況。しかし志郎はその点については解釈を持っていた。捜査が進められるなか、倉坂家の人間が続いて殺害される事件が発生した……。

悩める探偵と強烈な”真犯人”との対決に、オルゴールとお菓子の蘊蓄が華を添える……
最近の太田忠司さんとオルゴールといえば、『レストア』だろう。主人公兼名探偵がオルゴールの修復師であるのみならず、オルゴールそのものがミステリの鍵となる作品が並んだ連作集だ。最近そちらを先に読んだせいもあるが、実は本書と『レストア』は、オルゴールを間に挟んでみごとに対をなしている。(恐らく両方を読まれればある事実が対になっていることに誰でも気付くとは思う)。少なくとも本書から『レストア』発表まで十年以上の年月が経過しているなか、太田さんのオルゴールに対する興味と愛が長らく継続していることだけは間違いなさそうだ。
さて、本作。まず最初に登場するのは密室殺人事件。とはいっても通常の”密室”とは微妙に趣向が異なり、オートロック方式の部屋に鍵を持たない被害者が入り込んで死んでいた、という逆密室の形式。――ただ、こちらのギミックについてはよくある方法の応用でもありそれほど感心する程のものではない。本書の場合、そういったミステリとしての形式などを超えたところ、”真犯人の造形”が最も心に残るのだ。プロローグからしてさりげなく強烈。田舎で魚釣りをしている少年が、道に迷った老人に同道を快く申し出て、鞄を持ってあげようという。「ああ、いい話だなあ」と思わせておいて老人が18金の懐中時計を取り出し、その価値を少年が確認した途端に彼は老人を突き飛ばして殺し、金時計を持って帰ってしまうのだ。一連の澱みのない動作、そして殺人後も全く動揺を見せない態度。良心をどこかに置き忘れてきたかのような、この少年が本書に登場して、恐らくは犯人となるのだろう、とは予想がつく。そして、それが霞田志郎にとって相当な難敵になるであろうことも。
料理学校経営者の一族を巡る過去の遺恨と確執がレッドへリングとなり、オルゴールを伴う連続殺人事件が続く。一旦、解決にみえた事件の裏側とは……? この時点に至り、物語の流れ全体をロジックで解釈するミステリであることに気付かされる。犯人との対決そのものは、微妙に恣意的(物語上は決定的だが、犯人のミスも微妙。とぼけようと思えばとぼけられるのではないか)なのだが、開き直った後の犯人のふてぶてしい態度がとにかく凄まじい。 前半の志郎の、探偵としての悩みを嘲笑うかのような犯人像を持ち込むことで、逆に心に引っ掛かり(良い意味で)を残す作品となっているといえるだろう。

唯一残念なのは、オルゴールもお菓子も丁寧に描かれ、事件にも繋がっているのだが、物語の本質とは微妙に繋がっていない点か。とはいっても、よく出来たミステリであるには違いなく、霞田志郎シリーズの一冊としての風格と意義を備えているといえる作品だと思う。


06/05/29
多島斗志之「クリスマス黙示録」(新潮文庫'96)

叢書・新潮ミステリー倶楽部の一冊として'90年に書き下ろし発表された作品。文庫の方は、宝塚を引退して女優の道を踏み出した天海祐希が初主演した日米合作の映画の原作として、本作が採用されたタイミングに合わせ刊行された模様で、表紙がそのまま天海祐希である。

「パールハーバー」の記憶が呼び覚まされる十二月の米国。ニュージャージーに住むFBI(連邦捜査局)の日系人捜査官・タミ・スギムラは、ワシントンDCへの出張を命じられる。二十一歳の日本人女性・カオリ・オザキが十四歳の米国人少年を車ではねて死亡させた。少年側に非があったこともあり不起訴処分になったのだが、少年の母親がカオリへの復讐を宣言して失踪したのだという。母親の名前はヴァルダ・ザヴィエツキー、ポーランド系の米国人で現職の警察官。射撃の腕が優秀で銃を持ち出しているのだという。カオリの父親は財界人で日米合弁の企業にも携わる人物。スギムラは日本語の話せる現役捜査官としてピックアップされ彼女の警護を要求されたのだ。カオリ自身、米国に何をしにきたか判らない留学生、更にはザヴィエツキーには地元警察を中心に同情論もあり、スギムラは複雑な気持ちで仕事に臨むことになる。そんな折り、日本人ばかりを狙う連続殺人事件が発生。現場にはザヴィエツキーの息子の名前が残されていた。厳戒態勢のなか、カオリは帰国のためにスギムラらの護衛により車で空港に向かうのだが……。

表現しづらい米国の空気を緻密に描き、強い女同士のクライマックスへと繋ぐ名人芸
前半は、読者が”日本人”ということを強く意識させられる。「パールハーバー」というかつての日本の行為、それに発表当時がちょうど相当するバブル期におけるジャパンマネーの跋扈。そういった意味であからさまでなくとも、日本人の持つイメージが悪化している時期の事件。主人公のタミ・スギムラにしても日系人とはいえ米国民。だからこそそういった雰囲気をより強く感じている。また、自分が子供を交通事故死させたことに無自覚なカオリ・オザキの存在もまた、そういった雰囲気を読めない日本人の象徴として登場しているようだ。(重要な役割ではあるが)。
その”空気”を醸し出すことによって、決して孤立無援ではないながら、いつ裏切りに会うとも判らない状況下、タミ・スギムラは否応なくFBIのプロとしての仕事が求められる。精神的に孤独、だが強い。 そんな彼女の造形が結局、本書のひとつのテーマのようにみえる。序盤に映画『ダイ・ハード』が登場するのも、本書のテーマを比喩的に象徴している。
ただ、物語自体の構図はあくまでFBIvsテロリスト・ザヴィエツキー。特に数々の捜査の網をくぐり抜け、強靭な精神力をもって周囲のものを全て利用して目的に向かう彼女は、別の意味で強い。そんな”強い女同士の対決”がクライマックスを強烈に盛り上げる。 彼女に対抗するFBIについても多島氏は徹底した調査により、その組織について詳しく述べている。その結果、組織の脆さや強さといった部分も背景やサイドストーリーとして物語全体を強く底から押し上げているように感じられた。
最後に、終盤の山荘の対決は、ホラー映画さながらの演出が魅力。追うザヴィエツキー、逃げるスギムラ。スギムラとカオリが味わう極限の緊張感と神出鬼没のザヴィエツキーの行動と存在は圧倒的。 最後は知恵と知恵との対決になる冒険小説的な演出も決まり、名場面として心に残る。

映画の方は残念ながら未見ながら「この作品を映像化したい」という衝動を感じさせる魅力を持つ小説であることは一読瞭然。また、十数年経過した今読んでも全く内容に古さを感じさせない。恐らくは、物語として何かに寄りかかっていないから。被害者以外ほとんど日本人が登場しないながら、それでも日本人にしか書けない作品だと強く感じさせられた。


06/05/28
光原百合「銀の犬」(角川春樹事務所'06)

第55回日本推理作家協会賞受賞作品である『十八の夏』が映像化されるなど、ミステリの業績の方がクローズアップされた結果「日常の謎を得意とする本格ミステリ畑の作家」のように近年は思われがちだが、光原百合さんはもともと詩集や絵本、童話などにも業績がある方。本書は、ミステリ風味を残しつつも、書き下ろし連作集という凝った方式で刊行されたファンタジー小説。これはこれでじっくり読ませるのはさすがです。

非業の死を遂げた楽人が荒野で魔物と化して旅人を襲っている。その魔物がかつての恋人・フィルの曲を弾いていることにモードは気付き、彼を止めようとするが逆に魔物に襲われる。そんな彼女を救ったのが「祓いの楽人」オシアンと、その相棒ブランのコンビだった。 『声なき楽人(バルド)』
どんな相手でも歌を聴かせるだけで彼を恋させることの出来る魔力を持つガンコナー。呪い師の弓矢で傷付いた彼は、人間の娘の看病を受ける。彼のことを気遣う娘は呪い師の娘でもあった。ガンコナーは遂に彼女に対し歌を使ってしまう。 『恋を歌うもの』
海の底に眠る街イース。そこでは会いたい者に必ず会えるのだという。ロディはその街にたどり着き、三年前、愛するアーニャと初めて出会う場面を目の当たりにする。やり直せればアーニャを喪わずに済む。しかし、その二度目の人生もまた……。 『水底の街』
大きな農園主の娘リネットととその召使いブリジット。彼女たちが山犬に襲われかけたところ『獣使い』を名乗る男が救ってくれる。彼はその犬の子供を育てて欲しいと頼む。若者は突然立ち去るがクーと名付けられた犬はそのままリネットの忠犬として大きくなった。しかし惨劇が起きた。 『銀の犬』
古くて誰も住まない大きな城。十年前にトゥリンと呼ばれる王様が住み、ディアドラという王妃がいたが彼女が王の一の騎士・フィンと道ならぬ恋に落ちたため、王は二人を殺した。それから間もなく王は死にその魂がまだ成仏できずに城で幽鬼となって彷徨っているのだという。 『三つの星』 以上五話からなる連作集。

喪ってはじめて気付く大切な人とその想い。その悲しみと癒しとを角度を変じて温かく描き出す――
確か北欧神話にこんなのがあったよなあ……と思いながら読んでいたら、しっかりと「あとがき」でも触れられていた。(あとで更に振り返ると序文にもケルト民話とあるではないか)。ケルト民話で語り継がれてきた「オシアン」のエピソードがベースとなって光原百合が作り上げたファンタジーが本作。中世の欧州をベースに、魔物や妖魔が現実に跋扈し、まじないや占いといった防衛手段が当たり前に行われている世界が、堅固にイメージされている。 そこにぶれがないため、エピソードなどで後から設定が追加されてもすぐに世界に溶け込んでゆき、物語世界全体が豊饒さを増してゆくような印象を受ける。
ただ、それぞれ五つのエピソードは全て愛する人を喪う話が絡んでおり、その中心となる筋書きは悲劇的とならざるを得ない。だが「祓いの楽人」オシアンと、その相棒ブラン、後半から登場する「獣使い」ヒューらが、その悲劇のおおもとにある誤解を解きほぐし、魂に安らぎを与えてゆく。一旦、読者もろとも悲劇に突き落としておいて引き上げるという手法とでもいえば良いのか。それでも読後感が良いのは、やはりその救いが死者にとっても生者にとっても確実に最善の道を選んでいるからだろう。
また、光原流の物語作りにおいて習い性になっているのか、三話目にあたる『水底の街』を除くとファンタジーでありながらミステリの手法が援用されている点も特徴だ。先に述べておくと『水底…』に関しては、登場人物の体験が寧ろ悲劇を強調しているようでいて、余韻には哀しさがつきまとう。ただ、この短めの作品が前二作、後ろ二作の真ん中に挟まれている点も象徴的ではある。一話目の『声なき楽人』は、登場人物の紹介がどちらかといえば主眼となっている。ある点にミステリ風の仕掛けがあるものの、サプライズを呼び込むというよりもエピソード全体の意味合いをマイナスからプラスに変じる役割を担っているような印象だ。二話目『恋を歌うもの』と四話目『銀の犬』が、ミステリとして読んだ時の味わいが濃い。『恋…』は、絶対条件を持つ筈の妖魔の歌声に彼女が最後に背いたのが何故なのか、というハウ&ホワイダニットのポイントがある。特に、この真相に至るまできっちり伏線にて紡がれた論理が繋がる点が素晴らしい。『銀の犬』は、なぜ「獣使い」は途中で去ったのか、絶対忠誠の筈の犬がなぜ彼女を襲ったのかという、こちらもホワイダニットの要素を強く持ち合わせる。ただ、表題作であり中編なみのボリュームを持つこの作品、悲劇を引き起こした張本人が善人であるがゆえの結末で、これはこれで仕方ないながら、すっきりと嫌な奴にして何らかの強烈な罰があった方が更にまとまったようにも思われる。最終話『三つの星』は、倒叙形式(みたいなもの)。ある状況の真実がどのようなかたちでそこに至ったのかが逆算して語られてゆく。意外性という意味合いは薄いが、悲劇へ至る真実の見せ方として巧みだと感じた。

いずれにせよ、喪ったものは還らない。だけど、それに付随する誤解を解き明かすということで魂の浄化を行うという「祓いの楽人」の仕事は、やはり殺人事件の被害者を代弁する名探偵のそれと近いのか。 五つのエピソード全てが「切ない愛の物語」(帯)であることには間違いないのだけれど、つい広義のミステリ感覚で小生などは読んでしまいました。従来の光原作品では書かれなかったようなエピソードもあり、光原百合さんの新境地ともいえるかも。意欲作です。


06/05/27
小路幸也「キサトア」(理論社'06)

これから間違いなく旬を迎える作家・小路幸也の新刊。版元が理論社。理論社といえば絵本だとか小中学生向けのシリーズ作品の版元として知られる出版社であり、どうも同社のWEBサイト等から類推するに、やはり本書も一般が読める内容ではあるものの、小学校高学年以上くらいからを想定読者に据えているようだ。

五年前、アーチ、キサとトアのふたごの姉妹、そして三人の父親で〈風のエキスパート〉の父親・フウガは、南の町から三日間も汽車に乗ってこの町にやって来た。この町では海から昇る朝陽と沈む夕陽を同じ場所から見ることができる。日の出と共に目覚め、日の入りと共に眠りにつくキサ、そして日の入りと共に目覚め、日の出と共に眠りにつくトア。この二人のために、この場所に住むことが重要だと父さんは決めたのだ。現在の父さんは誰もが羨む特殊な職業〈風のエキスパート〉の仕事を休職してこの地域にある〈巨人の腕〉と呼ばれる風車の管理人、そして〈カンクジョー〉と呼ばれる宿泊所を経営して暮らしている。僕ことアーチは六年生。病気で色がわからない。だけど、その微妙な色彩感覚で創造した絵やオブジェは世界でも高い評価を得ており、リトルアーチストとして実は有名な存在だ。だけどそんなことには関係なく、僕はクラスメイトのアミ、メグ、カイそしてリックらと仲良く生活している。そんなある日、〈水のエキスパート〉であるミズヤさんが、町に呼ばれてやって来た。この町で仕事をするあいだ〈カンクジョー〉にて暮らしている。実は町の産業の一つ、漁業が父さんの作った〈巨人の腕〉の影響を受けて落ち込んでいるという噂を調査するのもその仕事の一つ。しかし、その噂の結果、アミと僕とのあいだに微妙な亀裂が生まれて……。

ひたすら温かく、ひたすらに健やか。小路幸也らしいファンタジー世界を幅広い読者に
小路幸也の描く独特のファンタジー世界には、特殊な能力を持つ人々が必ずといっていいほど登場する。本書においても風や水の流れを読み取る能力を持ち(エキスパート)の称号を持つ人々がいる。また、その(風のエキスパート)の息子で、主人公格のアーチにしても、色覚を喪ってはいるものの、小学生にしながら特異な美術センスが高く世界で評価されているという能力を持つ。ただ、そんな父の娘たち、アーチの妹たちにあたり、表題ともなっているキサとトアは二人同時に起きていられない。……等々、能力者には事欠かない。まず、このあたりの設定の妙味が素晴らしい。これら、彼らの能力が、物語の進行と共に百パーセント活かされていて無駄がない。
一方で、この町がまた設定からして、もうひとつ主人公となっているようにもみえる。日の出と日の入りを一カ所から眺めることのできるという位置、双子の泣き岩や、道なき道、〈夏向嵐〉(かこあらし)といった地質学的要素、加えて街の人々の気質、パレード、マッチタワーコンテストなど、町に付随するいろいろなイベント等々。こちらも物語と溶け込み、この町の住人ともども物語をしっかりと固めている。大人でも子供でも、この町に住んでみたいなあ、と思わせる魅力があるのだ。
そんな町に住む主人公たち、その周辺を固める”いい人”たち。アーチ周辺の友人たちは皆”いい奴”で、大人は大人なり、青年は青年なりに周囲に気を配り、みんな”いい人”なのだ。そんな恵まれた環境下ですくすくと成長する主人公。……ええ、エピソードばっかりやなあ、と思ってよくよく考えてみれば、この作品「毒」に相当する部分がないのだ。だけど、この物語はそれで良いのだと思う。極悪人も詐欺師も悪の化身も登場せず、さらに剣も魔法も登場しないファンタジー。 だけれども滅法面白い。どう面白いかというと、自分の子供がこの本を読めるくらいに成長したら読ませたい、そういう風に思わせるくらい。

終盤に進むにつれ、「え、もう終わり?」と思わせるテンポの良い物語展開と進行はストーリーテラーの小路氏ならでは。気持ちの良い本を、気持ち良く、気持ちよい人に読ませたい。小理屈を言う奴は読まんでよろしい。(ああ、オレのことかー)。 でも、読んですっきり。癒しとは違う”優し系”。 ぬるかろうがなんだろうが、この世界が小生は好きです。


06/05/26
東 直己「探偵くるみ嬢の事件簿」(光文社文庫'02)

もともと初刊は'97年に廣済堂文庫から『ソープ探偵くるみ事件簿』と題されていたものが、本光文社文庫版では改題されている。初刊段階でいえば『月刊小説』誌に一九九三年二月号から十二月号までのあいだに隔月で発表された作品に、文庫版で後半二作が書き下ろしで付け加えられている。いずれにせよ、ハードボイルド作家として知られる東直己氏にとり、異色の一冊であることは間違いなかろう。

ヤクザが殺され容疑者はスナックのバーテン。だが、その容疑を晴らすべく、くるみは証言者の雑貨屋の老人から大胆な方法で手掛かりを得る。 『くるみ観音』
〈家族風呂ガルボ〉に突如現れた、ボケの入ったおばあちゃん。彼女の娘が働いていると信じ込んでいる。その娘は悪徳宗教法人に所属していた。 『くるみVS聖人様』
警察のでこぼこコンビ・若木と老松がくるみに相談を持ちかける。資産家が殺されたが現場が猛犬によって密室状態となっており、犯人が見当たらないというのだ。 『くるみと猛犬』
来内別近くの原生林を撮影のために訪れたテレビ局の一行。その中心人物で多方面から恨みを買うプロデューサーが殺された。刺された被害者は灰皿と小説本をホテルから投げ捨てていた。 『破れたページ』
老年の大スター・花形星男が今年も来内別にやって来た。お忍びで彼の相手を務めたくるみ。しかしその花形が密室で銃で撃たれて死亡する事件が発生。 『くるみと大スター』
好事家のあいだでちょっとした価値がある醤油皿が、ペンション内のパーティの際に盗まれた。被害者は穏便な解決を望み、状況からくるみは犯人を指し示す。 『消えた醤油皿』
学校教諭が刺された殺人事件の容疑者となる若い乱暴な男が、〈ガルボ〉でくるみを人質に立て籠もった。男の話からくるみの推理によって導き出されたのは……。 『くるみと乱暴者』 以上七編。

シチュエーションも推理もユニークながら、なんといってもどれもが人情譚なのが素晴らしい
考えてみれば都筑道夫作品を読み込んでいるつもりが、本書のルーツに(たぶん)あたるベッド・ディテクティヴ『泡姫シルビア』のシリーズを全く読んでいないことに気付いた。が、そういった予備知識など本書には不要。設定から登場人物に至るまでオリジナリティ溢れ、実に楽しく読めた。謎解きについては作品ごとにレベルはばらつくものの、一部は本格ミステリとしても優れており、何の予備知識もなく手に取った作品ながら実に楽しく読めた。
北海道は旭川の近くにある来内別市。かつては炭坑で栄えながら閉山を境に人口の減少が続き、日本一小さな〈市〉になった時、市長が「目をつぶろう」と警察署長と保健所長に頼み込んだ結果生まれたのが、ススキノをしのぐといわれるピンク都市。ただ街を挙げてのバックアップゆえに客にも従業員にも住み良い街となった……というあたり、現実に某市が破産したりしていることを考えるに現実の延長線上にあるフィクション。また、若さと美貌を兼ね備えた人気ソープ嬢の岸本くるみが謎解きをする形式ながら、安楽椅子探偵形式あり、自ら乗り込んで(独自の)捜査をする過程ありと作品ごとに様々な趣向が凝らされている。設定の関係から多少は下系のネタもある一方で、下品になっていないのも心地よい。また『消えた醤油皿』『破れたページ』といったあたりは、推理のロジックが冴えており、本格ミステリとしても通用する内容となっている。冒頭でいきなり支配人の古渡の家族構成をホームズばりに推理するあたりから、そういった予感があり嬉しくも的中したという格好だ。
また、若い老松刑事、年長の若木刑事といった警察の凸凹コンビ、支配人の古渡やユニークな同僚たちなど、脇を固める登場人物にもさまざまな性格があり、彼らとのやり取りが作品独特の面白みを醸し出している。まあ、全部が全部ではないが風俗嬢ならではの推理が働かされるところなど”ユニーク”としか言いようがないのだけれど。ただ、謎解きとしては巧拙があるものの、全般にくるみが”もっとも良い解決方法”を模索し、それを実現するところに本書全体を包む良さがある。

ユニークな設定に絶妙の登場人物が絡み、東作品の特徴である”北海道”というキーワードにもきっちり繋がっている。恐らく作者も書いていて楽しかったのではないだろうか。そんな気持ちが伝わってくる作品集である。


06/05/25
倉阪鬼一郎「下町の迷宮、昭和の幻」(実業之日本社'06)

月刊『ジェイ・ノベル』誌に二〇〇三年五月号から二〇〇六年五月号にかけて掲載された、昭和の薫りを色濃く残す東京下町を舞台にした怪奇・幻想短編をまとめた連作短編集。共通した舞台や登場人物があるわけではないが、共通した色合いがあるため、やはり連作というイメージが強い。

坂の街・田端に建っている古い銭湯・昭和湯。妻の反対を押し切り、義夫は親の跡を継いだ。しかし利用客は減り続け……。 『昭和湯の幻』
夫の暴力に耐えかね離婚したかおりは、息子を保育所に預け、都電に乗って仕事に出掛ける。 『飛鳥山心中』
韓国から日本に来た留学生・ソーラ。荒川の線路沿いの下宿に出る何か、それは……。 『無窮の花』
二十代で壁にぶつかったまま伸び悩む囲碁棋士・彰彦。彼は神田である幻を見かける……。 『絵蝋燭』
転落の人生を辿り、遂にホームレスになった男。根岸を歩き回るうちに句が頭のなかに浮かんでくる。 『廃屋』
かつては人気があったが十年前に相方に死なれ、今は売れない浅草の漫才師。ふと立ち寄った店にいたのは……。 『奥座敷』
地下鉄の新駅のすぐそばという好立地。しかしその立ち食い蕎麦屋はあまりにも繁盛しなかった。 『まどおり』
かつて谷中で紙芝居屋をやっていた男。ある紙芝居の強烈な絵柄を見て、その作者に興味を抱いた。 『紙人形の春』
オーケストラからちんどん屋へとクラリネットを持って職を替えた男。独立したまでは良かったが……。 『クラリネット遁走曲』
東京を離れるにあたり、かつて暮らしていた日暮里を訪れた老夫婦。彼らは跨線橋から電車と思い出を眺める。 『跨線橋から』 以上十編。

昭和の光と影を、さまざまな小説の様式で描き出す。ステージが一段上、これは倉阪文芸!?
これまでも倉阪作品にカタチを変えて(時に笑いのネタになり、時に狂気の元となる)しばしば扱われる、時代から取り残された不器用な人々が、本書収録の多くの作品に登場する。実際に彼らを置いてゆくのは、時代だけではなく親しい人々や、愛する人々であったりするのだが、残された人々の諦念や自覚していない寂しさといった感情が、物語をモノトーンに染め上げている。 この結果、主題はいろいろであり、作品の結末も不幸だったり、本人なりに幸福だったり、土地から逃げ出すだけだったりと様々であるにも関わらず、作品集全体としての統一感が強く打ち出されている印象がある。
特に、語弊がある表現だが様々な職業・年代の”敗残者”の描き方に味と冴えがあり、敗残者文学として洗練された雰囲気すら漂う。 彼らの見る無明の闇が、ホラー/怪談/幻想文学など微妙に異なる手法によって描き出されている点も巧妙。それぞれのエピソードに相応しいかたちで物語が展開し、処理されていて、それぞれ読んだ者に後を引く余韻を残す。また、舞台となる東京の下町の描写も(作者が長年その近辺で暮らしていたという背景もあろうけれど)、住民ならではの視点が数多く取り込まれていて、内側から眺める東京といった面もちがあり、それもまた作品全体をしっとりとした雰囲気にするのに役立っている。
泪坂』あたりから続くレトロな味わいは、これまでの倉阪怪奇小説とは明らかに一線を画した大人の味わいがある。『泪坂』からの連想になるが、その意味では本書のBGMもまた、昭和歌謡、そして演歌だよなあ。藤田新策氏による表紙、そして短編それぞれの題に重ねられたコラージュもまた良い味。

叙情味溢れた滋味な味わいがあり、ホラー・怪奇小説といった方面から入り込んだ倉阪氏の世界が、エンターテインメントという森を抜け、文学までは行かないまでもその手前、叙情溢れる”文芸”といったジャンルに踏み込みつつあるように思う。倉阪ファンにはもちろん、これまでの倉阪作品を読んで、少し苦手と感じたことのある方にこそ読んでいただきたい。作者の進化が実感できるはずだ。


06/05/24
加藤実秋「インディゴの夜 チョコレートビースト」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

加藤氏は、この前作『インディゴの夜』の表題作にて第10回創元推理短編賞を受賞してデビュー。題名通り、本作も同一シリーズでホストクラブ〈club indigo〉のメンバーが再登場する作品集である。

ホスト業界の頂点・新宿エルドラドの空也に以前の事件での借りを返すよう求められた晶。雑誌の誌面を飾った有名店の人気ホストが次々と襲われる事件が発生しており、空也はその犯人が彼の付き人の樹という新人ホストではないかと疑っていた。それを確認して欲しいのだという。 『返報者』
〈club indigo〉を晶と共同経営する塩谷が、謎の美女連れで歩いている。晶とホストたちは興味津々。雑誌の編集をしている塩谷の後輩の妻で、その後輩が行方不明になっている事件の相談に乗っていたのだ。晶は塩谷と共に、その後輩が働いていた編集部に忍び込んで手掛かりを探す。 『マイノリティ/マジョリティ』
有名なオカマ・なぎさママの経営するダイニングバーが強盗に襲われていた。現場を偶然訪れたママは強盗を投げ飛ばし退散させる。晶も加勢し手近のバッグを投げつけるが、そのバッグにはなぎさママが愛するプードル犬まりん(別名:四十三万円)が入っていた。強盗はそのバッグだけ抱えて既に逃散していた。 『チョコレートビースト』
手術の必要な心臓病を抱えたままホストを続ける吉田吉男。彼に生きる目的を持たせようと近々開催されるホスト選手権の代表に彼を選ぶ〈club indigo〉の面々。彼らの助力と本人の意外な才能の結果、地区予選を突破するが、その日から店に対する徹底的な嫌がらせが開始された。 『真夜中のダーリン』以上、四作品。

二作目にして、完全にエンタメのツボを心得た? 情報小説から人間関係中心のミステリへの移行
前作から登場人物・人間関係を完全に引き継ぎ、事件に絡むゲスト的な人物のみを作品ごとに新登場/ピックアップするという方法。これが、みごとにツボに嵌っている。人間関係を整理する必要もなく、登場人物を必死に覚える必要もなく、ひたすらに物語の起伏を読者は楽しむことができるのだ。思えば、石田衣良のIWGPシリーズなどにも近しい印象は相変わらずなのだが、現代風俗を積極的に取り入れていく姿勢、社会的には半端物扱いされがちな若者たちの必死の生き様を描いている点に加え、その物語手法までもが重なっているからだろうか。
とはいえ、こちらはこちらで徐々に風格めいた雰囲気も漂いつつあり、デビュー短編から引き続き人間関係を借りているにもかかわらず、そのバランスが絶妙なところも相変わらず。シリーズ化されると決まる前の短編から、既に人間関係が完成していたのかと思うと、その遠慮には空恐ろしいものもある。
個別の物語における、ミステリはどちらかというと隠れた人間関係や、ある人物の裏の顔といったところをホスト探偵団オリジナルの情報網と、妄想探偵と揶揄される晶の推理、そして抜群の(向こう見ずともいう)行動力によって明らかにされるというもの。ゲスト的登場人物の人数が限定されているうえ、伏線も律儀に張ってあるため、謎解きという意味での妙味は若干薄いかも。ただ、断っておくが犯人の意外性そのものは高いとは思う。特に『返報者』あたりの完成度は高い。とはいっても、犯人探しの過程そのものを楽しむべきか。つまり、謎解きに至るまでの流れるような物語のグルーヴ感覚にひたすら従えば宜しい。 それだけで十分面白いと思うから。

一応本作からの読者に配慮したかたちで人間関係は説明されているが、やはり本作を読む前に前作を読むことをお勧め。そして考えてみるとまだ憂夜の正体は明かされていないし、『真夜中のダーリン』にしてもシリーズをまとめるようなエピソードでもないため、まだこのシリーズは続くのだろう、きっと。


06/05/23
有栖川有栖「乱鴉の島」(新潮社'06)

題名は「らんあのしま」と読む。犯罪学者・火村英生を探偵役としたシリーズ、いわゆる”作家アリスシリーズ”としては四年ぶり、初の孤島ものとなる長編……というのが売り文句。とはいっても書き下ろしではなく、電子書籍配信サイト「TIMEBOOK TOWN」にて二〇〇五年五月から二〇〇六年四月にかけて連載した作品に加筆修正が為された作品である。

下宿の婆ちゃんからの強い薦めによって、伊勢湾に浮かぶ小さな島に骨休めに出掛けることになった犯罪学者・火村英生助教授と作家・有栖川有栖。だが、汚いFAXの字の判読を間違えた結果、本来の目的である民宿のある鳥島ではなく、意味ありげな人々が唯一の一軒に集まっている烏島に連れられて来てしまう。その名の通り、多くの烏が乱舞するその島では、有栖の敬愛する大作家・海老原瞬が隠遁生活を送っていた。その海老原を慕ってか、先端医学者、保育士、彼の崇拝者と思しき人々が子供二人を含めて十人近く既に集まってきており、彼らは招かれざる客として船が迎えに来るまで共に過ごすことになる。更にそこに、ヘリコプターを駆って、オタクビジネスを旗印に会社買収を繰り返している世間的に有名なIT長者、”ハッシー”こと初芝真路が登場する。しかし、その集まりには何やら胡散臭いものが感じられ、また火村と有栖に対して彼らはその島に集った目的について言葉を濁して語ろうとしない。そんな微妙なバランスのうえに乗った人間関係のなか、海老原邸を管理する木崎夫妻の旦那が行方不明となり、初芝が滞在していた廃屋でその死体が発見される。さらに初芝は行方不明に……。彼らの目的は、そして孤島の殺人者は誰なのか?

時流を意識した内容が含まれ、現代型の孤島生活を強く意識する一方、事件の方は実に手堅い本格
この作品そのものの惹句というか、帯にて大々的に書かれているのは「火村シリーズ、初の孤島もの」ということになろう。確かに舞台は孤島、船が迎えに来るまでは何人も脱出できない状況というシチュエーションそのものは確かにそうなのだ。だが、連綿と続く本格ミステリにおける”孤島もの”の意義(謎の魅力)と、本作における”孤島である必然性”という点に断絶があるように思われた。本書の場合(ネタバレ)IT長者の死によって期待される、株式取引におけるインサイダー情報を、実際にマーケットが開かれる平日まで持ち越すために死体を隠す行為が、ポイントの一つとなる。これは周囲から物理的以上に情報も孤絶した島であるからこそ通用するもの。人間関係が物理的に遮断されていても種々の情報は遮断されないという点は、実にユニークに現代型の孤島生活を捉えていると思う。その一方で、本格ミステリにおける孤島の妙味は、脱出不可能状況における殺人鬼の跋扈によるサスペンス感だとか、外部犯を無視したり警察捜査を無効化して論理的推理への特化が図れるなどあるが、こういった点には本作あまりこだわりがないようにもみえるのだ。(犯人探しを警察関係者以外が行うことへのエクスギューズの意味合いはもちろんあるけれど)。
もちろん、本編における中心となる「謎」は、なぜこの作家一人が住まう島に、彼を崇拝しているという共通点しかない無関係な人々が、子供連れで滞在しているのか――という点にあることは明白。これも藤井という登場人物の持つ、とある学術的な功績がキーとなり、読者の目を惑わせる。火村と有栖による様々な類推は、人類のタブーに触れるがゆえに人目に触れない孤島に集う人々のイメージと重なり、独特の不安感はかき立てられる。さらに最終的に明かされる真相から、男女間の愛情の深さを思い知らされるあたりのロマンティックな(表現が微妙か)部分は、実は有栖川作品では結構重要なモチーフだと考える。
ただ、そのメインの謎と連続殺人事件とが、繋がっているかというとその絡みが薄いように思われるところがあって、全体としては微妙な評価とならざるを得ないように思う。特に火村本格の割に、真犯人の動機が薄い(というか、後付けであり本編からは絶対に類推できない)点はちょっと逆に驚いた。

とはいえ、ポーのある作品やその訳詩に対する敬意が、現実のIT長者やクローンといった現代的なテーマを浮つかせずにまとめあげていたり、やはり殺人事件の解明に気持ちの良いロジックが展開されていたりと、大作家・有栖川有栖の持つ妙味は十二分に味わえる作品だと思う。ヒムアリのシチュエーションがお好きな方はとっくに購入されているのだろうが、その二人の掛け合いも面白く、ファンの方には間違いなくお勧め。


06/05/22
梶尾真治「時の”風”に吹かれて」(光文社'06)

短編の名手として知られるSF作家・カジシンこと梶尾真治氏の、近年の「異形コレクション」などアンソロジー収録の作品に雑誌発表の短編を集めた短編集。最も発表が古いものが『異形コレクション 教室』に発表された「再会」で二〇〇三年九月なので、それ以降、二〇〇六年にかけて発表された作品が集められていることになる。

友人が発明したタイムマシンに乗り、かつて叔父が愛した女性に会いに行こうと決めた男。その結末は……。 『時の”風”に吹かれて』
自身でタイムマシンを発明し、実験にも成功。そして自分自身が第二次大戦中の米国へ……。 『時縛の人』
あらゆる方面に天才的な頭脳を発揮し、女性にももてまくる柴山博士の過去には空白部分があった。 『柴山博士臨海超過!』
運命の出逢いをして婚約した愛する女性と平凡なぼく。深夜の公園でオヤジ狩りに遭遇したぼくは……。 『月下の決闘』
会社を出て一服しているぼくに代わりに電話を掛けて欲しいと依頼する男。その男の妻が出るが……。 『弁天銀座の惨劇』
外国のロボット見本市に出掛けてきたお茶の水博士と鉄腕アトム。お茶の水博士のライバルがその国にいたが。 『鉄腕アトム/メルモ因子の巻』
粗暴な父と二人暮らししていた私は、道に迷ううちに入り込んだ路地で別れて暮らす母親と出会うが……。 『その路地へ曲がって』
新しく我が家で飼いはじめた猫。私はその猫が小さな女性の姿に見えた。家族には単なる猫にしかみえないようだが……。 『ミカ』
病床にある父親。彼が愛し、息子・浩司の母親である女性は口裂け女。自分を哀しみ出奔して今はいないが……。 『わが愛しの口裂け女』
通っていた分校がダムに沈む。中年となった男女が集まって過去を懐かしむが、一人の子供の名前が出てこない。 『再会』
いきなりスパイと疑われ、早口言葉を強要される私。私は彼らを早口言葉で撃退したが、彼らにはある目的があった。 『声に出して読みたい事件』 以上十一編。

トンデモあり、ナンセンスあり、そしてほろりとさせる作品あり。梶尾真治の”幅”を満喫する一冊
しかし相変わらず、とんでもないことを考えつく方だなあ、というのが率直な第一印象。個人的には”カジシン短編=感動・癒し系統”が代表といった印象があることもあって、更に今回の作品集収録作品の”落差”を楽しんだ感。最大の要因は、個々の作品が掲載された媒体が、各種テーマを抱えたアンソロジーであることなのだろうけれど、それにしても。
普通のカジシン、というかその個人的な暖かい印象に則ったような作品がまずある。表題作の 『時の”風”に吹かれて』、そして『その路地へ曲がって』『再会』といったところはその素直な系譜に連なる。時の流れをSF作家らしく使用して、友情・愛情といった感情が引き起こす奇跡を暖かく描く。これはやはり素直に巧さを認めたい。鉄腕アトム・パスティーシュとなる『鉄腕アトム/メルモ因子の巻』もこちら系統。手塚治虫の描く暖かい話とカジシンの話は根底に通ずるものがあるよなあ。
一方で、さまざまなテーマを巧く拡げ、最終的にオチに繋げるようまとめた作品がある。猫が女性に見えてしまい必死で愛情を注ぐお父さんの姿を描いた『ミカ』、駄洒落ネタに近い『声に出して読みたい事件』は、短い物語ながら一切先を読ませないテンポが良い。『時縛の人』は、先に送って撮影をして戻ってきたタイムマシンの実験結果が、オチに対してピリリと辛い伏線となっている。『わが愛しの口裂け女』は再読だが、やはり口裂け女の特徴をオチの部分で実に意外なかたちで使っている点、心に強く残る。都市伝説を身近な物語に吸い寄せてしまう語り口も見事。
そして、日常を超えたトンデモ、ハチャメチャの世界がひたすら楽しい作品群がある。愛する女性が意外な能力を発揮するまではとにかく、そこからエスカレートする世界観の度合いが凄まじい『月下の決闘』、日常の人間が巻き込まれるには悲惨すぎる事件を描く『弁天銀座の惨劇』、ある天才が注ぎ込まれた強烈に過ぎる愛情が奇跡と破綻を巻き起こす『柴山博士臨海超過!』。これは凄いですよ、ほんまに。
ということで、統一された印象を述べるとするならば、「ばらばらの作風が皆楽しい」というパラドックスをまとめたような感想しか出せないのでした。

あくまでSF短編集であり、カジシンファンであれば間違いなく楽しめる一冊。アンソロジー収録作の集合が、結果的にカジシンをテーマにしたアンソロジーみたいな味わいを醸し出しており、著者に興味のある人ならば初心者にも向いているかも。


06/05/21
東野圭吾「十字屋敷のピエロ」(講談社文庫'92)

2006年現在、既に五十冊以上の著作のある東野圭吾氏の、九冊目の作品で長編では八番目にあたる作品。『放課後』で乱歩賞デビューの後、三年程度が経過しての長編となり、初刊時('89年)は講談社ノベルスで刊行されている。たまたま手元にあったので再読してみた。

林業からスタートし、不動産やレジャー産業まで扱う竹宮産業の創業者・竹宮幸一郎が建築した東西南北十字に伸びる十字屋敷。その幸一郎の死後、長女にあたる頼子が女性ながら素晴らしい才能を発揮し、竹宮産業の社長を引き継いでいたが、一階から駆け上がり、廊下を疾走したあと二階のバルコニーから落ちて変死を遂げた。その日、廊下には普段置かれている「少年と馬」の置物ではなく、なぜかピエロの置物が廊下に置かれていた。そのピエロは事件の一部始終を目撃していた……。それから二ヶ月と少し。竹宮水穂は、母・頼子を亡くして悲しんでいるだろう従姉妹の佳織を訪ね、十字屋敷に一年半ぶりに戻ってきた。佳織こそ元気そうであったが、水穂は、頼子の死後、屋敷内でさまざまな人間がいろいろな思惑を抱えていることを知る。その日、十字屋敷に奇妙な人物が訪れる。「人形師 悟浄真之介」と名乗る男は、この家に売られてきた人形”悲劇のピエロ”を買い戻したいという。一方、その翌日、頼子の夫で現在は竹宮産業の社長の宗彦と、彼の秘書の三田理恵子が屋敷のオーディオルームで不審死を遂げているのが発見される。

凝った構成、ひねった設定と連続殺人事件をベースにした本格ミステリ。ではあるが……何か手触りが普通と違う
特殊(という程特殊ではないが)構造をもったお屋敷、過去の殺人事件と不可解な現在進行形の殺人事件。大会社の跡目を巡る争いに、関係者の限られたフーダニット……と、古式ゆかしい(新)本格ミステリと、少なくとも道具立ては近いものがある。発表時期が'89年1月ということもあり、新本格の開始時期に近い。読んだ当時はその流れのなか(新本格ミステリ風の作品)として読んだ……と思う。だが、改めて読んでみるとその「ねらい目」みたいなところが若干異なっているようにも思える。確かに”ピエロ”という、登場人物でもなく神の視点でもない、独特の視点を物語に加える工夫はされている。そのアイデアの結果、過去に発生した事件については、一風変わったかたちであるがトリックが成立する。そしてそのヒントをピエロの視点のなかから読者に手掛かりとして与えることにも成功している点は、ミステリとして特筆すべき点ではある。だが、このトリックはあくまで物語を構成するうえでの「部分」であり、主題は屋敷に潜む人間関係の方にあるように感じられたのだ。
その人間関係の方、全体像はなかなか明らかにされない一方、序盤から思わしげな記述による伏線がばしばしに張られ、少しずつ明らかにされてゆく。「事件のみ」に対しては、作品内でいくつもの探偵役たちが論理的解決を図る動きがある一方で、最終的にはその人間関係をベースにしなければ、解決はあり得ないのだ。それらがおおよそ見えてきた段階でのどんでん返しの連発こそが本書のポイントである。サプライズ以上に最終的に浮かび上がる犯人像の意外さ、そしてその人物の持っていた感情が静かに物語の底から浮かび上がるところがポイントだ。ここでまた「ピエロの視点」を巧みに利用して幕引きをしているあたりの手際が心憎い。

後から発表された似た形式の作品(視点のコントロール)は数多く、様々な作家が本格ミステリの脈のなかで発表しているものの、本書は発表の時期的にいっても、そういった試みの先駆的作品だということもいえそうだ。別に現在、特にこの作品を、選んで読み返すことに意味があるかというと、ちょっと答えられないものの、いろいろな意味で綺麗にまとまった良作である点は間違いなし。デビュー当時とも現在とも、どちらからも若干作風が異なっているという意味でも面白みは付加されるか。