MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/06/10
石川真介「不連続線」(光文社文庫'99)

第2回鮎川哲也賞受賞作品。'91年に東京創元社からハードカバー版が刊行されたものの、同社では文庫化されないまま、初めてこの光文社文庫で刊行されている。

夫が交通事故で亡くなり、紀子は義母と東京での二人暮らしを始める。その矢先、旅行に出た筈の義母がなぜか名古屋駅裏の路上で鞄に詰められた他殺死体となって発見された。義母は死の直前、何らかの理由から方方に電話を掛けていた形跡があり、さらに義母の友人からの電話で彼女が東京駅のコンコースで駅弁を購入していたことが判明する。夫と義母が亡くなったまま、現在の居所にて生活するという自身の境遇に折り合いをつけるため、警察とは別に紀子は義母の足取りを辿る。義母が直前に出かけた浜松へのパックツアーの会社に出かけ、参加者の名簿を入手、どうやらそのツアーの途中で義母は緑内障を発症し、眼科にかかっていたことが分かる。紀子は現地へと赴いて、関係者に話を聞いて回る。その眼科医は何も知らないらしかったが、受付にいた看護婦が、義母が偶然待合室で出会ったある老人と旧知だったらしくいろいろ話しかけていたことを教えてくれる。その男の態度は不審で、彼こそが義母を殺害した犯人ではないかと考えた紀子は、捜査の過程で知り合った上島警部に連絡を取り、応援を乞うた。

鮎川哲也賞の”ために”書かれたとみえる、本格風トラベルミステリ……
これが普通に毎月刊行されるトラベルミステリとして、どこかの新書版として発表されていたのであれば、逆にそれなりに評判を得たのではないかと思う。義母が殺害され、名古屋駅裏の歩道にて鞄詰めとなって発見された。その謎を、残された義理の娘が浜松、武生といった地方都市を旅し、三十年過去の人間関係から発する謎と、容疑者の鉄壁のアリバイを解き明かす――というストーリー。
本書の場合、良きにしろ悪きにしろ鼻につくのが「鮎川哲也LOVE!」な内容。そもそもが鬼貫警部シリーズを意識したかのような展開であることに加え、登場するのが碑文谷や鎌倉といった鮎川作品ゆかりの土地の数々。鮎川氏本人のイメージを主人公が思い出してみたり、とどめは作中のある人物が発表したという推理小説の題名が『黒いトラック』『詩のある風景』『人それを上司と呼ぶ』って笑うとこなんですよね、たぶん。この「鮎川哲也LOVE!」ミステリが、第二回の鮎川哲也賞に応募され、まだご存命だった鮎川氏による最終選考で高い評価を受けて、見事受賞するというのは、何というかキモチワルイです。(どこか素人パスティーシュを高く評価してアンソロジーまで刊行してしまった時期のあの方を彷彿させます)。
実際、客観的にみた場合、この女主人公をはじめ、登場人物に魅力が欠けていて華が無い。途中から推理がバトンタッチされる刑事の方も地味で無個性。物語展開についても、推理の思いつきパターンなどの不自然さが微妙に鮎川哲也の作品と重なって見え、オリジナリティに欠けてみえる。鮎川哲也の場合、それが不自然であっても味として読めるのに、別の作家だと「マネし」としか評価できなくなるこちらに問題がある可能性はありますが。
では、本格ミステリとしてトリックなどがスバラシイのかというと(まだ鮎川賞の位相が定まってなかったかもしれない時期だったことを割り引いても)、少なくとも小生の判断基準のなかでは微妙と言わざるを得ない。メインとなる(以下ネタバレ)写真トリックに相当無理があるし、その日にイベントがあったという記録が残されているのが普通だし、そこから聞き込みが入れば一発でばれるでしょうこれは。わざわざ遺体を駅前に置きにいった不自然さについて、いろいろ理由づけられているものの、やっぱり無理があるし。
ただ、異なる角度で捜査を進め、警察が気付かない事実を引き出す主人公の立ち位置については考えられている。(薬売りであった証拠をある角度から見つけ出すあたりとか)ただ、その義母の過去が関係している以上、本来は推理のスタートは彼女の遺留品をチェックするための家捜しというのは常識だと思うのですが……。

なぜか縁がなくてなかなか手に取ることのなかった鮎川哲也賞拾遺。平成年間に初刊されたとは思えない微妙に古いセンスが鮎川氏にだけは届いたのかもしれませんが。トラベルミステリも鮎川哲也も好きなのに、これほど肌に合わないという点に驚きました。


06/06/09
福澤徹三「ピースサイン」(双葉社'06)

2000年『幻日』でのデビュー以来、実話風かつ地域系ともいえる怪奇小説をものにし、その地位を着実に固めつつある福澤氏。本書は『小説推理』誌に02年11月号から06年1月号にかけて発表されたノンシリーズ短編からなる怪奇小説集。福澤氏の”らしさ”は本書のようなかたちでもっともその特徴が引き出されるように思う。

カメラに向かってピースすると早死にする……。学校で流行った都市伝説に対抗した親友が死んだ。その過去を引きずる早紀子は母親になった今もそのことを気にしていた。そんなある日小学生の娘がピースした写真を持ち帰ってきた。 『ピースサイン』
サラ金会社などから金を借りまくる四十男。スナックで知り合った若い女性と交際するうちに借金に染まってしまったのだ。今はその愛人もおらず、借金だけが残っている。強烈に醜い酔っぱらいを彼は目撃したが……。 『嗤う男』
その夏、無職でパチンコ屋に通う生活をする”おれ”のアパートに、板金屋見習いの谷口が夫婦仲をこじらせて転がり込んできた。男二人の生活はそれなりに楽しかったが彼がギャンブルで大当たりを取って……。 『夏の収束』
毎日毎日、終わりのない激務に追われる百貨店の広告部。関係者の苦労を知ってか知らずか、上層部はたびたび彼らスタッフに対する無茶な要求を突きつけてくる。まとめ役の藤岡は今日もまた疲れきっていたが……。 『憑かれたひと』
ヤクザから命ぜられた牢屋直行が確実の半端仕事を受けるのが嫌で、”おれ”は恋人の愛を連れて東京を脱出することにした。その愛は、家にあった仏壇から出てきた紙から、おれの故郷の福岡に行こうと言い出す。 『帰郷』
身体が不自由な父親と二人暮らしの信雄。スナックのママを恋人にしている彼は、家屋敷を売ればまとまったお金が手に入ることに気付き、父親に打診するが一喝されてしまう。しかし、周囲がその金を当てにするようになって……。 『狂界』
勤め先のソフトウェア会社が倒産し、営業課長の”わたし”は失職した。のんびりと構えてようやく再就職を果たし出勤するが、その勤め先といきなりうまく行かず、次の日から会社に行けなくなってしまう。 『真実の鏡』 以上七編。

下方系日常のなかに入り込む狂気と、その狂気を狙う妖気。福澤流のキレが冴える”日常の恐怖”短編集
福澤作品の特徴というか、相変わらず、市井の人々の日常にぺたりと張り付いたような生活描写が巧み。毎日毎日、終電どころか始発で帰宅を強いられる度を超した激務に疲れ切ったデザイナー、ほとんど働かず、日がなパチンコで暮らす男たち、愛人に渡す金に事欠き、借金まみれになる男、モデル崩れで二人暮らしの父親から金をせびることしか考えていない男――。
そういった安い人間たちの日常を赤裸々に描きつつ、その隙間に絶望や希望に連なる、ほんの少しのsupernaturalな事柄を(時には見事な毒を)効果的に一たらししてある。その瞬間、日常世界の足下が揺らぎ、世界が変質する。 その日常風景が強固なまでに日常を主張しているだけに、その落差が実に大きく感じられるのだ。
特にこの作品集は、怪奇そのものよりも登場人物のどうしようもない日常の方が主格。その主格たる登場人物や個々の舞台がリアリズムに裏付けられているがゆえに、現代怪談らしい恐怖感が引き立てられるのだといえるだろう。様々な職業を経験し、多くの人々を観察してきたという作者自身の経験による裏付けが、作品世界の形成に際して最大限に生かされているように思える。この日常と怪奇の落差があまりに強烈で、それぞれの作品の”その部分”、エッジが立っているかのような鋭さを感じるのだ。

個人的に福澤氏の怪奇小説は間口が広いように思うのだけれども、あくまで幻想や、supernaturalによる持続的な恐怖を追求するタイプの読者には却って受け入れ難いものがあるのかもしれない。(当然、実話怪談系を好まれる方であれば、間違いなく絶賛ものだと思う)。ただ、この読み口とラストに至っての鋭い切れ味はやはり一流。ダーク系のテイストが堪りません。


06/06/08
竹本健治「狂い咲く薔薇を君に 牧場智久の雑役」(光文社カッパノベルス'06)

近年の竹本健治作品においてウロボロスシリーズと双璧を成すシリーズ探偵・プロ囲碁棋士・牧場智久が探偵役を務める中編集。但し、視点については智久のガールフレンド・武藤類子に憧れる後輩・津島海人の視点に統一されており、学園推理の様相が強いか。(しかし、殺人ばかりぽこぽこ起きる恐ろしい学園である)。

学園のテレビ放送をジャックし、「この傘、思い当たることがあるでしょ」と同級生の春山成美が津島海人に迫るが、海人本人は全く心当たりがない。更に放送室に関係者が駆け付けたところ、ハウリングが鳴り響く放送室内部でその成美がナイフで刺されて死亡していた。 『騒がしい密室』
学園演劇部の公演に助演として駆り出された海人。ちょっとした手品的手法により王女が胸を矢で貫かれる場面で、衆人環視のなか本当の矢によって王女役の美樹本亜由が刺されて死んでしまった。劇は中止、警察が駆け付け犯人探しが始まるが……。 『狂い咲く薔薇を君に』
早朝の校庭内に描かれた直径15m程の模様の真ん中に置かれていた女生徒の屍体。彼女・堀越梨香の遺体は下半分の内蔵がそっくり抉り取られた異様な状態で発見された。オカルトに凝った生徒がUFOの仕業を叫ぶなか、海人たちは推理を開始する。 『遅れてきた屍体』 以上三編。

正統派の学園本格ミステリ――ではあるのだけれど、今となっては「遅れてきた」ような印象が
本書収録の中編は各編二度に分けて『ジャーロ』誌に二〇〇四年春号から二〇〇五年秋号にかけて発表された作品で、竹本健治氏のあとがきによると、『刻Y卵』を著した故・東海洋士氏が九六年頃に竹本氏に持ちかけてきたミステリマンガ原作の話があり、福井健太氏と千街晶之氏らを交えて何ヶ月もブレストして出来上がったアイデアのうち、竹本氏が提出したトリックを牧場智久シリーズに置き換えて小説化したもの――だという。竹本氏は「いつもの僕と違ったテイストがあるならば、それはこういう経緯を辿ったせいであることを明言しておこう」と書いている。テイストとしては、個人的に感じている牧場智久シリーズの延長として違和感はなく、更にはむしろ本格ミステリとしての手続きが周到に高められた分、評価は高いものになる。(事実『騒がしい密室』は、アンソロジー『本格ミステリ05』に選ばれている)。
ただ――違和感を覚えたとするならば別の部分。ラノベ風のイラストが付加されていることと、学園ものとしての感覚の古さといったところ。本書がそのアイデアが練られていた96年頃に発表されていたらいわゆる”新本格ミステリ”の流れのなかで違和感は(感じるヒマが)無かったものと思う。殺人事件が連続する学園、真剣に見えつつも実際は興味本位、ゲームとしての推理といった事柄については本格ミステリを構成するうえでの必然として目を瞑るとして、だけどやはり”高校生”の描写が、どうにも十年(下手したら二十年)前の感覚に基づいているようでいてならない。ラノベ風のイラストが醸し出す現代性(?)と内容に落差が感じられてならないのだ。ただ、年代を明記している訳ではないので、これは的はずれの批判かもしれない。ただ、2006年の新刊書としてはやはり違和感が残る。

先にも書いたが、本格ミステリとしての論理形成、そして従来にあった様々な先例トリックを俎板の上に乗せて検討・議論する点などは、本格スピリットの発露として大いに評価できる点だろう。トリックそのものについても、論理と伏線が駆使されていて解決も興味深い。ただ、後少し舞台装置に違和感がなければ……という印象はやっぱりあるかな。


06/06/07
若竹七海「猫島ハウスの騒動」(光文社カッパノベルス'06)

単行本としては『死んでも治らない』以来、長編としては2001年末刊行の『悪いうさぎ』以来? MYSCONにもおいで頂きました若竹七海さん四年半ぶりの書き下ろし作品。待たされた分の期待に応える若竹コージーの真骨頂。

砂渡島――通称・猫島――は、葉崎半島の西に位置する一周五百メートル足らずの小さな島。昭和三十年代から少しずつ人が定着し始め、現在は中心にある猫島神社の宮司、土産物屋、民宿兼食堂など定住者が三十人以上。しかし猫の数は倍以上。ある専門雑誌にこの島の猫の写真が掲載されたことがきっかけとなり、猫の楽園として有名な観光地となった。杉浦響子・十七歳もそんな島の住人の一人。家業である民宿〈猫島ハウス〉の土産物部門を一人で切り回し、この夏の孤独を恨んでいる。そもそもボーイフレンドの菅野虎鉄とあんなことさえなければ……。その虎鉄。元実家が猫島にあり、ナンパ目的で島をぶらぶらしていたところケバい女性と知り合い、地元民が知る秘密の入り江に彼女を導く。しかし、そのど真ん中にナイフの刺さった猫が……。警察を呼ぶ虎鉄だったが、その猫はぬいぐるみ。但し、駐在の七瀬巡査は神社での騒動で不在で、たまたま妻のお供で島にいた葉崎警察署の駒持警部補が現場に同行する。駒持は猫アレルギーに加え、ある物質のアレルギーを持っていたことから、この猫のぬいぐるみの意味する事件性に気付いた。更にその三日後、マリンバイクで海上を暴走中の男の上に、人間が降ってきて衝突するという奇妙な事件が発生、夏を迎えてかき入れ時の島はとんでもない混乱に巻き込まれてゆく……。

猫好きでなくても堪らない。若竹流のちくりとした毒と笑いが効いた一流のコージー・ミステリ
山口雅也であれば観音シティ、若竹七海だったら葉崎市。この葉崎市の外れにある島が舞台となる作品。もちろん、これまでの若竹ミステリに登場してきた様々な固有名詞がちらりちらりと見え隠れするあたりは若竹ファンにとっては嬉しいポイントだ。
そして、猫づくし。小生は違うけれども、この猫、猫、猫という内容は、恐らくは猫ファン(?)にとってもきっとツボに入るに違いない。が、猫の描写もいいけれど相変わらずの登場人物の設定にまず味がある。彼らを自由自在に操ることによって猫島を中心としての日常(非日常?)なドタバタが物語の中心。ここで、非常に軽いタッチの文章により彼らの騒動を面白可笑しく描く筆力は健在。 一見はそう見えないながら、実は多いに毒のある人間描写が読者をぐいぐいと作品世界に引き込んでくれる。序盤で登場する猫を神社に押しつけにきたおばさんの運命あたりなんかは定番といえる展開ながら胸のすくような演出だし。また、猫島に住む個性的な人々の描き分け、更には微妙な人間関係も独特で、国産では随一のコージー作家だという点にも頷ける水準を保つ。
……というような若竹七海一般論はさておき、本書は(作者がそう呼ばれることを好むかどうかはとにかく)、本格ミステリとして読んでも十二分に読者を堪能させてくれるだけの内容となっているのだ。一読した後、冒頭の一章だけ再読するだけでも、その伏線の周到さに舌を巻くはず。島の無秩序を演出するためのちょっとした描写、一見、通りすがりにみえる登場人物、そういったところ全てが、後々の物語展開、事件の解決に寄与している。その段階段階での物語展開をじっくりと描き出していて、笑いも取り、事件も進め、捜査を展開し、だけどそれが振り返った時に別の意味が込められていたというアクロバティックな構造。「あれも、これも実は伏線ですかー」という感動が後半に待ち構えているので、期待しながら読んで吉だといえる。特に、一人一人さりげなく、普通に設定しているようにみえる人物に裏があり、その裏が微妙な繋がりをもっている点に周到な企みを感じる。その分、謎が集中的ではなく散漫な印象も無くはないが、それでもやはり一冊のなかではまとまりをもっているといえるだろう。

物語の終盤では半端でない台風がやって来てパニックとなるあたりも、名作『火天風神』を思わせるし、全体としてユーモアとシニカルのブレンドが絶妙な点は相変わらず。夏の暑い日にリゾート地に持ってゆきたい、そんな一冊。


06/06/06
霞 流一「プラットホームに吠える」(光文社カッパノベルス'06)

「まったく新しい鉄道ミステリーの出現」という帯の文句が強烈。霞流一氏による共著を除くと十七冊目となる久々の書き下ろし長編は鉄道ミステリ、かつ「狛犬」づくしの趣向を備えた一冊。なぜ犬でなく、狛犬なのか。あとがきによれば、「犬」となると数多の名作があるため「石で武装コーティングして神社にもすがり狛犬としたわけであります」とのこと。

警視庁警務部厚生課に勤務し、季刊の警察広報誌「解喜プレス」の編集を担当する寿宮明・二十七歳。彼はある警察ライターを担当していた。そのライターとは、明の祖父の寿宮日太郎(ヒタロー爺)。齢七十七歳にして今なお矍鑠とした警視庁捜査一課の元警部である。明はヒタロー爺のお守り役を編集から押しつけられるかたちで、「狛犬」の取材に同行していた。向かった先は練馬区の戸良馬神社。ここには左右の「阿吽」が逆の狛犬があるのだという。この宮司から狛犬の諸情報を聴き、更にその息子から『大きな足だらけの狛犬が海で吠えていた』という謎の会話が若い女性とその弟と思しき人物の間で交わされていたという情報を得た二人は、その女性・鈴鹿咲江に興味を抱く。訪ねたマンションが不在で、後に電話を入れたところ警察がその電話を取った。部屋の主でシナリオライターの、その鈴鹿咲江が喉を切られたうえマンションから落ちて変死しているのだという。捜査の指揮を執るのは明の父親で警視庁捜査一課の現役警部である寿宮晴彦(ハレチチ警部)だった。関係者の証言によれば、咲江は上昇志向のためには手段を選ばぬ性格で敵が多かったという。そして彼女の姉が、山陰地方で通り魔に刺される事件により三年前に死亡していたことも判明する。

鉄道ミステリとしては確かにこれまでにない「かたち」を実現。ミステリとしての消化度合いは、その分で微妙か
探偵役は、寿宮一家のかかりつけとなっていてヒタロー爺の元気の源ともなっている鍼灸師の蜂草輝良利(キラリ)。彼女は『スティームタイガーの死走』で初登場し、『首断ち六地蔵』でも探偵役を務めている、霞氏が擁するシリーズ探偵の一人。ただ、本作ではワトソン役が初登場の人々であるため、これらとは異なる手触りがある。また動物テーマが多い氏の作品だが、『首断ち六地蔵』は「地蔵」がテーマであり、本書の「狛犬」は動物シリーズの一環というよりも、この「地蔵」との繋がりの方を強く感じさせる内容だ。
鉄道ミステリーと大書されていながら、ポイントは「まったく新しい」の方。ホームにおける列車の滞在時間とそこで起きた事件の謎がポイントとなっている。だが、時刻表を用いた不可能トリックや列車や駅の構造などに着目する謎解きでもなく、何故彼らがこういったシチュエーションで、この場所に居たのか? というところに焦点を当てている。この点、確かに新しい発想だけれども、ちょっと恣意的に過ぎて読者が推理出来るような内容ではないでしょうこれは。そしてもう一つ、宗教団体が残した奇妙な建物の内部で丸い看板がギロチンとなって被害者が絶命しているという不可能トリックが二つ目の大きな謎として存在している。これはこれで霞本格ならではの強引な解決が心地よくはあるのだけれど。ただやはり、二つの事件、人間関係などまでは繋がっているながら、物語全体としてのまとまりの方は今ひとつ無理矢理繋げている印象が強い。更には、狛犬と事件との繋がりも、確かにそう受け取ればそう取れるというくらいの内容で説得力としては今ひとつなのもちょっとつらいところか。個人的には「大きな足だらけの狛犬が海で吠えていた」の狛犬の正体に期待された程の合点がいかなかった段階で評価が微妙に辛くなった。

少なくとも個人的に高く評価している、これまで打ち出されてきたトンデモとあろうが力業でねじふせる霞本格の凄みは本作からはあまり感じられず、むしろ新境地を開拓すべく設定や謎にこれまでと異なる方向性を打ち出したことで、作品全体に微妙な無理が重ねられている方が気になった。キラリシリーズとしてならば、連作ミステリの傑作『首断ち六地蔵』や戦前の探偵小説を思わせる『スティームタイガーの死走』の方を推したい。


06/06/05
太田忠司「東京『失楽園』の謎」(祥伝社NON NOVEL'97)

『失楽園』には「エンジェル」とルビあり。霞田兄妹シリーズの六冊目にして第一部の完結編にあたる。ただ、この後も祥伝社NON NOVELからは同シリーズの第二部として'99年より『紫の悲劇』以降が刊行されている。

新しいマンガ雑誌の創刊にあたり、霞田志郎原作、霞田千鶴画の作品が欲しいという編集の依頼があり、その打合せのために志郎と千鶴は揃って上京を果たした。担当の編集者・菊池真夜子との打合せを終えた志郎は、元より予定していたパソコン通信のジュヴナイル・フォーラムのオフ会に出席すべく臨海副都心に向かうことになっていた。『天使』をモティーフにした東京マコノムという施設の中の店に予約があるのだという。それまで志郎は神保町で古書店回りをするといい、一方の千鶴は真夜子に誘われ、有名なブックデザイナー・浅井竜の工房に出向くことになる。千鶴も後からオフ会に合流することを約し、本郷三丁目の洋風の一戸建てを訪ねた二人。しかし、いる筈の浅井から返事がなくやむなく家に入り込んだ二人の前に、喉に矢が突き立った浅井の死体が……。更に電話を掛けに行った筈の真夜子も戻って来ず、探しに出た千鶴は彼女が頭を割られて死亡しているのを発見する。犯人に怯え、一室に閉じこもった千鶴に迫る何者かの影、それは彼女には「死神」に見えた……。一方、志郎は志郎で一向に現れる気配のない千鶴にやきもきしながらも、オフ会を楽しんでいた。しかし、その出席者の一人がトイレの個室で絞殺されているのが発見され、別の事件の渦中に巻き込まれていた。

事件・『失楽園』(エンジェル)・東京という都市の三位一体が見事に決められた。霞田兄妹ものの意欲作
事件に際しての出馬を嫌がりながらも、一旦引き受けるとなるときちんと警察とも折り合いをつける礼儀正しいSF作家兼名探偵・霞田四郎。実際、彼の場合は彼自身か、妹の千鶴が絡む事件でなければ事件解決に乗り出さないのであるが、本作の場合は律儀にも四郎にも千鶴にも別々の事件が割り振られている。霞田兄妹。千鶴の遭遇する事件は、天使と悪魔が登場する幻想的ですらある殺人事件。一方の四郎はベイエリアで開催されたパソコン通信のオフ会における動機不明の殺人事件に巻き込まれる。ちょっと興味深いのは、この霞田兄妹シリーズのメインとなる舞台は、これまで一貫して都市シリーズの題名が付けられていながらも(作者が住む)名古屋近辺であったことに対し、本作は彼らが上京して、東京が冠された事件と向き合う点。 この結果、その地に住まわない者による新鮮な視点による東京の最新地域の観察は、首都圏の作家とはまた異なるムードを作品にもたらすことに成功している。国産作品では一般的な東京を舞台としながら、一種のトラベルミステリー、もしくは東京文化論のような雰囲気が出ている。最近の東京の変化を捉えて「文明が滅びて廃墟になって初めて美しいと思える建物」と建築関係者には失礼ながら、ばっさり切り捨てている点など鋭い指摘だと思う。
さて本書。『失楽園』にエンジェルとルビがある通り、テーマは天使であり聖書。霞田兄妹が取りかかろうとしている物語にも関係し、志郎の事件の舞台となる”東京マコノム”なる建設物にも取り入れられ、プロローグに使われるシロウとチヅルの登場する童話にも関係し……、と天使尽くし。千鶴の巻き込まれる事件にしても「死神」と「天使」が重要な役割を果たしている。事件そのものの不可能的興味は確かにあるが、その不自然な状況を最終的に繋げる補助線が……これまた「天使」なのだ。 フーダニット、ホワイダニットの結末を天使で埋めてしまう作品であり、その犯人が明らかになった時点で天使の持つ意味、怖さが体感されるというおまけつき。実に論理的、そして綺麗にまとめられた本格ミステリとなっている。

得てして、このシリーズは都市や事物に物語が寄りかかり過ぎてしまい、犯罪や犯人が微妙かなと思われるところが偶にあるのだが、本作はそのバランスが絶妙に取れている。特に千鶴の事件の不可能犯罪も面白く、きちんとその裏側にモティーフと通底させて説得力を持たせている点も面白い。意外すぎる犯人の狂気が作品に独特の彩りを添えていて、読了後の微妙な後味の悪さも嬉しい。(ただ、作品自体は志郎や千鶴たちの本人の運命を予感させる温かい終わり方となっているので、その後味は流されるのだけれど)。 シリーズを続けてきちんと読んできた人への御褒美ともいえる作品である。


06/06/04
笹沢左保「泡の女」(講談社文庫'81)

(泡は旧字) 元版は1961年に東都ミステリの一冊として書き下ろし刊行された長編。生涯の著書が四百冊を超える笹沢氏のデビューは'60年の『招かれざる客』であるが、早速同年より精力的に作品発表を続けていた関係から、本作はそのデビュー翌年の作品でありながら、単行本としては五冊目か六冊目(すみませんきちんと調べてません)となる。

地方統計局に勤務しながら、職場で温和しい男性と知り合って結婚した夏子。小学校の校長をしている父一人、娘一人の生活のため、彼・達也は婿養子となることを承諾、木塚家で暮らし始めた。子供は出来ないもののそれなりに共働きのまま夫婦仲睦じく暮らしていたはずの彼らに激震が走る。伊豆に旅行に出ていた父親が、なぜか茨城県の大洗で首を吊って死んでいるのが発見されたというのだ。父親の所持品に夫のくしがあり、更に所持品から不自然な指紋が出てきたこと、さらに当日の明け方帰ってきたという夫の行動を証言するものは夏子一人。夫が虚偽のアリバイを申し立てていたことも警察にあばかれ、彼らが住む一帯の土地価格の高騰による財産を狙った夫の犯行だと警察は断定、達也を容疑者として拘束してしまう。弁護士の岩崎をはじめ、会社関係者は夫の無実を信じておらず、夏子は孤立無援。しかし、彼女は夫の弁護のために父親が他殺ではなく、自殺したのだという証拠を探すため、父親の行動を洗い出そうとする……。

無力な一女性の孤独な戦い。ロマンティシズム(と人間不信)を重視する笹沢氏らしいミステリ
起訴処分までに三日間。この期間中に容疑者となってしまった夫の無実を晴らすためには、こちらも愛する肉親である父親の醜態を世間に晒し、悩んだ末の自殺であることを証明しなければならない――。どちらにしてもヒロイン・夏子にとってはあまり有り難い結果とならない、しかしやり遂げなければならない。
当時「新本格派」と呼ばれた笹沢氏にしては、本格色よりもむしろサスペンス色の濃い作品。美貌の人妻が夫の救済をするために奔走するのだが、例えば弁護士、それから職場の人事課長、更に組合の幹部へと理解と協力の直訴をするが、次々に協力を断られてゆく場面から人間不信が増大する。(むしろ作者はこういった、人の情けにも見捨てられた孤独な女性を描きたかったのではないかと思われるのだが)。更には、真面目一辺倒であったと思い込んでいた父親が、バーで遊び、彼女よりも若い女性を妊娠させていたという事実など、事件が起きてから初めて明らかになる周囲の人間の醜悪さに彼女は大きなダメージを受ける展開は、読んでいるこちらもどんよりとした気分にならざるを得ない。
さらにそのラストがまた衝撃的。警察に拘置されているがゆえにほとんど登場しない夫の心情を知った時の彼女のショックもまた哀しい。結果的に、こういった経験を経て夫婦生活の虚妄を描き出している。蔑視とまではゆかないが、こういった女性心理を描くことを笹沢左保は好むといい、このあたりのセンスが現代の読者の価値観に訴えるものになるかどうかは微妙な印象もある。

事件全体の背景として思わぬ構図が潜んでおり、そういった意味でのサプライズはあるものの、ぎりぎりまでその手掛かりは伏せられていて「本格」として読むことは適わない。素直にサスペンスとして彼女の心情に同情しながら読むのが手だろう。ある意味でのカタルシス、最後の数行、そして題名の意味。最後にじわりと心に染みいってくる。


06/06/03
福井晴敏「Op.ローズダスト(上下)」(文藝春秋'06)

「Op.」は「オペレーション」と読む。『戦国自衛隊1594』等ノベライズや短編集の仕事は発表されてきたなか、発表した作品が次々と映画化されてゆき、現代を代表する人気作家となった福井晴敏氏。本書は、オリジナル長編としては『終戦のローレライ』以来三年半ぶりとなる大作。

ネットを中心として莫大な利益を上げ、今や着々と実業界にも進出を果たしているのが日本を代表するIT企業「アクトグループ」。そのグループ会社の防衛庁出身の重役・水月聡一郎が東京・赤坂のビル内駐車場で爆殺された。付近一帯は騒然となるなか、”ハムの脂身”と揶揄される公安四課の警部補・並河次郎は本能的に中心部に入り込もうとする。その現場を一人の若者が暴力的に押さえた……。その若者の名は丹原朋希。防衛庁情報局に所属する彼は、警察を代表するかたちの並河と特別に協力体制を組まされ、連続テロ事件を阻止しようと知恵を絞る。ローズダストと名乗り、テロを押し進める五人組は、かつて朋希がある防衛庁によるオペレーションで寝食を共にした仲間だった。朋希の裏切りによって彼らは日本を逃げ出し、北朝鮮に潜伏、一流のテロリストとして密かに来日していたのだ。特にリーダー格の入江一功は、朋希にとって憧れであり、同じ境遇であり今は亡き堀部三佳を想いあったライバル。警察・防衛庁とも組織内部の軋轢など問題が山積みななか、東京の湾岸地帯を中心にローズダストは次々とテロを成功させ、かつて彼らを追い込む決断を下し、今は防衛関連企業に連なるアクトグループの重役となっている人々を追い詰めてゆく。果たしてローズダストの目的は、そして東京は?

単なるエンタメとしてよりも、これまでのシリーズ同様、やはり安穏と暮らす日本人への警告として読んだ。
相変わらずの大作指向。ただ、福井氏の作品の場合、その大作指向が必ずしもだらだらとした内容を意味せず、緊迫した状況や終盤に向けての伏線となるエピソードなどがぎゅうっと詰まった状態で、更に長いものだから読み飛ばしを許さない圧倒的な迫力が全編に漲っているという印象だ。
基本的に、まだ若いながら戦いの分野に関してはエキスパートの丹原朋希と、様々な経験を積んだ喰えない中年男・並河次郎のコンビがローズダストと戦うという趣向。ここに過去のエピソードや因縁が本編と同じ密度で加わり、更に一つ一つの戦いがクライマックス並みの丁寧さで描かれるものだから、どうしても作品自体が重厚とならざるを得ない。加えて武器や兵器、周辺設備、組織といったところへの詳細な記述も福井作品の特徴で、これはこれで物語自体の真実味を増すためには絶対必要な要素である。ただ、やはり注目すべきは背景であり、「日本という国家の防衛とは何か」「無差別テロに応ずるために日本に何が足りないのか」「日本人の流されやすさ、忘れやすさはどうにかならないのか」「国家の自立とは」といった命題が、実際に物語のなかにすんなり溶け込まされている点には感心する。決して作品内で表立って議論しているわけではないのに、日本という国家が実に不安定な基盤のうえで存続していることに気付かされるのだ。また、一連の戦いは、ローズダストの配慮(?)もあって、出来る限り一般の犠牲者が出ないようにしてあるし、福井氏自身もどうやら意図的にそういったプロ戦闘員以外が巻き添えを食う場面を排除して描写する傾向にある。ただ、プロであっても様々な人間としての繋がりは持っていて、そちらから訴えるだけでも十二分に戦いの虚しさは伝わってくる。恐らく、一般人の悲劇は書こうと思えば書けたであろうに、その部分を排することでエンタメとしての質を高めていると同時に、国家論といった「訴えること」が物語内部の理屈で伝わるような構成にしているようにみえるのだ。(これが肌感覚の嫌悪感だと、恐らくは日本人はそこで思考が停止する。「戦争は絶対ダメ」とか。そうではなく、戦わなければならない側面だって現代日本にはあるという事実を訴えるにはこのような展開が相応しい。恐らくそこまで福井氏は読んで物語を創っていると思う)。
また、もう一つ、読んでいて感じたのは物語上で肉弾をぶつけ合う戦いとするために、事前にデジタルの要素を排除せざるを得ないという事実。他の現代を扱った作品においてもいえることなのだが、ほとんど必ず能力の高いハッカーが最初に標的を攻撃して電子的に無効化してから攻め入っている。このへんも何か現実の防衛要綱への提言めいているような気もするなあ。

ローズダストという単語が「新しい言葉」を象徴しているように、現代日本、しかも東京の象徴である湾岸地域一帯を主戦場として取り上げているように、現代の、そして新しい日本を守るべき方法、精神といったところが心の底にずんと来る。多くの人が実は国家防衛に無関心である点についても、どこか福井氏は警鐘を鳴らしているようにも思う。ただ、丹原の平穏な暮らしや普通の恋愛に憧れる心情など、そういったことを考えない読者にとってもくすぐりのような描写もあり、やはり超一級のエンターテインメントとしてのみで評価されるのだろうなあ。


06/06/02
本岡 類「女流棋士殺人事件」(講談社ノベルス'84)

本岡類氏は'81年に「歪んだ駒跡」により第20回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビュー。'84年に初単行本となる長編『飛車角歩殺人事件』を書き下ろす。本書は続いての第二長編で、前作に引き続き、プロ棋士・神永英介七段とその娘佐紀、新聞記者・高見智彦らが探偵役を務める。

細面で整った顔立ち、二十一歳の森島真理子女流棋聖は目下売り出し中の美人棋士。西急デパートの将棋まつりのイベントで、神永英介七段から彼女の公開対局における大盤解説の聞き役を高見智彦は誘われた。彼女の逆転勝ちによって大好評のうちにイベントは終了、真理子が神永の妹弟子にあたる関係から神永と高見、三人で食事に出掛けた。しつこく二次会に誘う神永から逃れ真理子は帰宅。しかし、忘れ物をして連盟に戻った二人は、真理子殺害のニュースに直面する。彼女は自宅のある町田のマンション近くの公園で胸部を鋭利な刃物で一突きされて死んでいたのだという。そして彼女の手には詰め将棋が……。高見は旧知の熊谷警部から連盟の噂を集めて欲しいと依頼され、交換条件として捜査状況を手に入れる。そして案の定、神永七段は高見を巻き込みつつ、自ら素人探偵に乗り出した。神永は、彼女が所属していたアマチュア将棋クラブ”竜王倶楽部”が関係あると睨み、その会長・栗原竜男のもとを訪れるが、その栗原が密室状況の内部で死亡。現場には、絶縁状態にあったという森島真理子の父親が姿を見せていた……。

将棋の世界やその勝負、そして小道具をさまざまに取り込んだ、ユーモア感覚を残した軽妙ミステリー
本岡類という作家は、本格ファンにカルト的人気を誇っているのだが、その対象となる作品はどちらかというと本作以降、三冊目(例えば『白い森の幽霊殺人』だとか)から後になる作品群のようだ。だが、デビュー作から順に読むとこの棋士探偵二冊に行き当たる。ユーモアミステリなのか、本格ミステリなのか、純然たる将棋ミステリなのか……といった物語総体の焦点がこの段階では定まっておらず、むしろそういった要素を全て貪欲に取り込んだ結果生まれた作品のように思われる。
一冊目ではトラベルミステリめいた様相もあったが、本作はそこは控えめ。むしろ、男性社会ともいえる将棋界のなかでの、女性棋士の悲劇といった様相を呈している。ただ、タッチはほとんど「妄想探偵」の域にある神永七段のおかげで、どこかほのぼのとした雰囲気を保っており、内容的に重さを感じさせず読みやすい。この「妄想」が、結果的に真実を呼び込んでゆく展開もユニークだ。AB型の父親からO型の娘が生まれるという特殊な蘊蓄を物語内部に巧く取り込んでおり、加えて密室殺人における時差及び物理トリックなどにも心配りがあって、この部分に関しては本格ミステリとして通用する内容だ。(物語全体の要素や動機といった部分については、類推が多すぎて緻密さに欠けるきらいがあるのも事実だが……)。一方で、詰め将棋に込められたメッセージは、理解までは出来るものの、いくら将棋というキーワードで繋がっている関係であっても、ちょっと納得し辛いものがある。暗号のための暗号でしょう、これでは。
途中、高見智彦と、神永の娘・佐紀による高山行のなかでの控えめなラブロマンス、更にあくまでちゃらんぽらんに見える神永七段による、ラストの探偵術など、個々に意外な見応えのある場面があり、トータルとしてはきっちりミステリとしての要素を備えていることが判る作品である。

まだ小生二冊目につき作家論めいたコメントは控えるが、物語を文章でしっかり読ませることの出来る実力は本書からで容易に読みとれるので、これから手元にある他の作品を読んでゆくのを楽しみにしてゆきたい。


06/06/01
芦辺 拓「千一夜の館の殺人」(光文社カッパノベルス'06)

著者のことばを借りると「書き下ろしとしては二年ぶり、森江春策の長編としては『グランギニョール城』以来となり、中短編集も合算すればシリーズ十五冊目にあたる」のが本作。ただ、森江春策とは先日刊行された『少年は探偵を夢見る――森江春策クロニクル』にてお会いしていることもあり、一読者としてはあまり久々という感じはないか。

事件を一つ片づけ珍しく助手の新島ともかを夕食に誘った森江春策。しかしその森江はある仕事が片づかず、食事の最中もノートパソコンを睨みつけている。彼はフリーズするパソコンに日本製のOS《アストラーベ》が普及していれば、と嘆くが、ようやくともかに注意を向ける。そこで二人は店の外に光電管を利用したと思しき、不思議なイルミネーションを目撃するが、その照明のなかに生身の人間が現れ、ナイフを振り下ろしている場面を目撃する。問題のビルの照明室に駆け付けたさやかは、そこに倒れているのが長年音信不通であった親戚の紗世ちゃんこと是藤紗世子であることに気付いた。しかし救出された紗世子は「また連絡する」と言い置いて走り去ってしまう。更に週明け、その紗世子が事故に遭ったとの報が森江の事務所に入り、ともかは早退してしまい、その後も「休暇届」が出たまま音沙汰が無くなってしまう。一方の森江は、《アストラーベ》の開発者でもあり、日本を飛び出し米国で大成功を収めた久珠場俊隆博士の遺産相続に関する仕事で単身東京へと向かう羽目に陥った。久珠場博士は結婚しておらず、その親戚は天から振って湧いたような巨額の遺産に大喜び。更に関係者として、別に一枚のディスクの受取人として是藤紗世子の名前があった。その場に現れたのは……?

探偵小説めいた序盤、そして元テキスト以上に膨らむ物語。新境地を開拓せんとする精神に斬新なトリックが宿る?
出だしは派手な探偵小説――というよりもむしろ、探偵小説を原作とした派手なシネマ(映画というよりも)といったイントロ。殺人者の影が踊るイルミネーション。すわ事件かと駆け付ける新島ともかと森江春策。果たして何が……という興味のなか、ここで倒れていた彼女がともかの親戚で幼なじみ……というあたりはさすがにちょっと出来すぎ?。ただ、この光の強弱で醸し出される雰囲気はカラーのそれではなく絶対に白黒のイメージで、あとがきにもある通り一九五〇年代の探偵映画を彷彿させるものがある。更には巨額の遺産の分割場面、加えて序盤に関係者の系図が示されるあたりも、伝統的な探偵小説じみた印象を強くする。
本書の特筆すべき点の一つは、まず冒頭に近いある事件におけるトリック。山村美紗の某トリック以来――というのは小生が無知なだけかもしれないが、和室、しかも茶室における密室殺人のトリックとして相当にオリジナリティがあり、その特殊性の利用の仕方、そしてその演出が巧みで感心させられた。また、このトリックが明かされた後も、そのトリック自体が後に述べる全体を通じた大きなトリックに連関しているあたりも心憎い。また冒頭にわざわざ「久珠場本邸全図」があり、中盤以降「あれ、この見取り図は使わないの?」と思わせつつ、意外な論理に使用される。この見取り図の使われ方は前代未聞で、ここから謎解き→暗号解読と繋がっていく展開も読みどころのひとつ。
意外だったのは、遺産相続者にあまり怪しい人物がいない点。この手の作品であれば、相続者みんな犯人の可能性有り! とすべきが常道であるのに犯人タイプの登場人物が見当たらない。当然、連続殺人に対するフーダニット的興味が作品内に込められているのだが、ミスリーディングの結果もあって個人的にはまんまと騙された。
そして、もう一点は全体を通じて博士が遺した謎の解明部分が凄まじい凝り方をしているところ。伝統的な本格ミステリのガジェットが根底にあるなかで、天才博士による現代的な研究、そして最新式の暗号。旧き構図でありながらスパイスに新しさを加えて現代の物語らしい展開・論理の作品としている。この結果、探偵小説的な雰囲気は後半より徐々に現代化され、やはり森江春策の物語となっている点(解決時に一瞬探偵小説的遊び心が覗くにしても)古今折衷の現代的探偵小説の在り方が模索されているようにも思われる。
ただ暗号は難解で(作るのは苦労されたとは思いますが)、手掛かりは明示されているとはいえ普通には解きようがない点、そしてこの大トリックそのものが例えば「千一夜物語」の成り立ちやテキストとしての内容に繋がるかというとそこまでの重ね絵にはなっていないところは少し残念かも。

傑作、『紅楼夢の殺人』に続く、歴史に残る偉大なテキストに対する探偵小説方面からのアプローチ。(その意味では『赤死病の館の殺人』や名探偵博覧会のシリーズあたりもコンセプトは近いかも)。いずれにせよ、そういった事柄だけでなくかつて探偵小説が万人の娯楽であった頃の熱気を作品に込めようという姿勢が溢れる作品だと感じられた。