MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/06/20
逢坂 剛「禿鷹の夜」(文春文庫'03)

今や逢坂剛という作家の持つ主要シリーズの一つといえる「禿鷹シリーズ」。悪徳警官・禿富鷹秋(とくとみ・たかあき)――通称”ハゲタカ”が登場するその第一作目。'00年に単行本が刊行され、「このミス」で第三位を獲得。本書はその文庫版。

上野から神宮署に異動してきた警部補・禿富鷹秋は生活安全特捜班所属にして鼻つまみ者の悪徳刑事。転属早々、渋谷を根城とし渋六興業を名乗る暴力団組長とその娘の会食で目を付けられたかと思うと、そこに襲撃にやって来た南米マフィア〈マスダ〉の刺客からその組長を守る。また渋六興業が集金した金を奪い取り、またその金を戻してやることで、この組織に取り入ってゆく。更に国会議員を脅しつけたり、新たな南米マフィアの刺客・ミラグロを返り討ちにしたりし、暴力団内部でも一目置かれるようになる。だが、禿鷹を持て余すようになった渋六興業は、彼に図書館司書の目立たない恋人がいることをつかんだ。しかし、しつこく渋六興業を付け狙う南米マフィア、更にその禿鷹の恋人が一連の事件に巻き込まれ、自宅で喉を刃物で切り裂かれて死亡。渋六興業を踏み台に、禿鷹はその南米の殺し屋に復讐活動を開始する。まずは、渋六興業の情報網にかかったミラグロと行動を共にしていた日本人のチンピラを捕らえ、警察には届けないまま、その男を”事故死”させたのだ……。

特異で印象に残るダーティ・ヒーローの登場。主人公を外側から描くハードボイルドといった感覚か
一般的には、本書は「悪徳警官を主人公とする警察暗黒小説」といった形容になるのだろうか。事実、暴力団に情報や便宜、さらにはボディガードといった利益を供与するかわりにそれなりの金銭を彼らから受け取る主人公。そこに警察官が持つべきとされる倫理であるとか正義感というものはない。だけど――あくまで個人的感触では、本書は悪漢小説ではあれど、暗黒小説のような印象はないのだ。個人的な恨みを晴らすために、”敵”と見なした人物を嬲り殺すような人物が主人公ではあるのだが、それでも、この禿鷹には一本のスジが通っており、そのスジが作品内で強く打ち出されて主題を為しているように感じられる。態度はでかいし、自己中心的。だが、それでも恩は返すし恨みも忘れない。そういった描かれ方の結果として、小生としてはむしろ任侠小説に印象が近いように感じた。
この文庫版解説でも述べられているように、本書は一人称多視点というか、複数の脇役の視点によって物語が形成されている。結果として、禿鷹の印象はその個々人によって異なるし、彼に対する先入観なども、その描写に反映される。とはいえ、そういった多視点が交差するところに現れる人物像は、決して冷酷であるが非情ではなく、悪質ではあるが卑怯ではない、独特の矜持を持った男の姿。 こういった方法によるハードボイルドの演出もありなのか。確かに、警察官という形容詞に相応しい人物ではないが、それでもどこか格好良さを身にまとっている。続刊も出ており、この段階で「禿鷹とは」などと語ると熱心な読者には笑われるのでここまでにしておくが、ダーティであるがやはりヒーローの素質を禿鷹から感じたことだけ は事実だ。

愛人を殺害された警察官が、その相手となる南米マフィアの殺し屋を追い詰めてゆく――、そんなシンプルな物語のなかに、巧みな人物造形+意外性のある真相。何の気なく手に取ったが、あっという間に逢坂氏の魔力に嵌った。いずれ続刊も読んでゆくことになる予感。


06/06/19
鏑木 蓮「東京ダモイ」(講談社'06)

第52回江戸川乱歩賞受賞作品。同時受賞は早瀬乱『三年坂 火の夢』。鏑木氏は'92年よりコピーライターとして独立、'04年には短編ミステリー「黒い鶴」にて第一回立教・池袋ふくろう文学賞を受賞した経歴を持つ。

終戦直後のシベリア。帰郷(ダモイ)を望みながらも、零下数十度のなかでバム鉄道建設という目的のソ連の強制労働に送り込まれた旧日本陸軍。その小隊の指揮官・鴻山は、収容所の建物の外で、首を一刀両断にされた死体となって発見された。剣道の達人だった高野が疑われるが、そもそも収容所にはそんな刃物がない。果たしてそこでは一体何が起きたのか。 ――現代。自費出版を専門に扱う会社の若手編集者・槇野は、三百万円の資金を用意したという顧客のために京都の綾部へと出向く。 自分で作った小屋にて極端に質素な暮らしを送るその老人・高津はシベリア抑留中に書いた俳句を出版したいのだという。さらに、その出版社の重版扱いで使われる新聞広告に是非載せてもらいたいという高津は更に追加で二百万円を用意できるともいう。一旦、東京に戻り、改めて原稿を取りに綾部に訪れた槇野は、急用で出かけたという高津と入れ違いになる。高津は、舞鶴の港で変死したロシアの老婦人の事件現場に出向いていた。老婦人はかつてシベリアにて従軍看護婦として働いており、高野はその遺体に取りすがって号泣していたらしい。また、彼女と同行していた筈の東京の医師・鴻山秀樹が鞄を残して行方不明となっていた。

迫真のシベリア捕虜生活の描写、現代に繋がる謎と傷跡……。日本語の力とミステリの力が結束した秀作
そもそも冒頭からあふれ出る物語への吸引力だけでも一級なのだが、現在において六十年前の終戦直後のシベリア抑留地での悲劇を物語の強烈なスパイスに添えるテクニック、さらには失踪・殺人事件の謎や脇役の作り方等々、素人ばなれしたセンスを感じる。冒頭は、零下数十度という極寒の地での捕虜生活がいきなり生々しく描かれ、更には捕虜という環境上、凶器の存在があり得ない状況下での、首切り死体が登場する。この猟奇的な謎が物語の持つ現実味から少し乖離する気もしたが、最終的には様々なキーワードから逆に納得させられることになる。
もちろん、乱歩賞の性格からして、そんな猟奇死体が発生に至るトリックが主眼ではない。序盤のみ現れ、中盤以降姿を消してしまう高津老人の残した、句集の原型が物語に挿入されるのだが、彼が行おうとしていたことは何なのかという「ホワイダニット」、さらには、なぜロシアから来日した看護婦が殺されなければならず、更に関係者が行方不明になっているという「フーダニット」の両方の興味が物語を引っ張ってゆく。
感心させられるのは、物語のためにわざわざ用意された筈の、高津老人の残した「俳句」が(素人目で失礼ながら)秀逸だと思える出来である点。 様々な言葉を掛け、季語を封入し、収容所生活の喜怒哀楽が見事に五七五に込められている。そしてまた、その俳句さえも謎解きの材料となるのだ。このあたり、日本語に対する優れたセンスを持っていなければなかなか使いこなすことは難しいだろうに、それを易々と実現している。
一方、過去の謎以上に、現代の謎は殺人事件に重要容疑者の失踪であり大きな謎である。その収容所時代に理由があるという犯罪は六十年もの時の壁に隔てられており一筋縄ではゆかない。また、老人が数多く登場することであまり仰々しくないながら、それなりに社会派にも通じたテーマをも含有しているあたり(個人的に評価するしないは別だが)に、デビュー作でありながら小説家としての余裕めいたものさえ感じてしまった。一方で謎解きに対処する二十代の若者や彼が抱く年上の女性に対する憧憬を描かせながらも違和感なく、一方の老人たちが中心となる六十年前の犯罪と捜査側の刑事や編集者コンビの老若のコントラストが物語を立体化している点なども特徴だといえるだろう。ロシアと日本を繋ぐ地理のスケール。終戦直後と現代を繋ぐ時のスケール。いずれも小さくないのだが、着実にそれらが結節し作品としての力強さを感じさせてくれるのだ。事件の動機であるとか、現代の事件の結末であるとか微妙に急いだり強引と思われるところもあるが、物語全体の壮大さのなかでそれらは相殺されて、かつお釣りがくるように思う。

起承転結が綺麗に決まり、かつ時の流れをうまく物語に取り込んでいる。数々の謎も魅力を孕んでおり、トリック含めミステリとしても十分な魅力を保っている。今後、着実に地歩を固めてゆける実力を持った作家だと思う。もちろん本作は今年のミステリファン必読作品の一つとなると思われる。


06/06/18
我孫子武丸「かまいたちの夜 挟み忘れた栞」(セガミステリー文庫'06)

「セガxチュンプロジェクト編」。我孫子武丸氏がシナリオを担当するゲーム『かまいたちの夜x3』の予約特典として配布されたオリジナル文庫。一般販売はないが、堂々の160ページに加え、カバーはもちろん帯付きで「文庫本」の体裁がきちんと取られている。

我孫子氏が、本プロジェクトに初めて参画する牧野修氏と田中啓文氏に、ゲームブックとはなんぞや? という疑問に応えようと書き下ろしたゲームブック形式の短編 『〆切り編』
一応、登場するのは透と真理。二人が何を来てデートにゆき、何をして、ナニをするのか。求めるものは二人だけの熱い夜。だけど間違えると二人はソッコー離ればなれ。本書の大部分を占める中編ゲームブック 『ラブテスター編』
『かまいたちの夜x3 三日月島事件の真相』にて初登場する、新生・ペンション・シュプールの厨房担当・姫島麗子は、いかにして小林真理と契約を結ぶに至ったか――? の秘密が分かる超短編小説『流れシェフ 姫宮麗子』 以上三編から成る。とはいってもほとんどが『ラブテスター編』ではある。

「ゲームのおまけ」とあなどることなかれ。我孫子氏のユーモア炸裂の文章に大笑い
とはいっても「おまけ」であるという位置は変わらず、本書は「かまいたちの夜」のユーザーであることが読者の前提。ただし「〆切り編」については、牧野修・田中啓文氏が実名で登場。異形コレクションの〆切に間に合わない三人の作家が辿る運命をどっちに転んでも悲劇的に描いた内容で「〆切」というものを抱える職業の方であれば、涙なしには読めない作品。(ただ、サイコホラーちっくな落としどころが非常に美しいので、公にされるだけの価値はあったと思う)。
『ラブテスター編』は、ゲームブックとしてもちょっと珍しい、男女がペアになって進める形式。ちなみに「一人で読む」という選択肢もあるが、次の項目で強制終了させられる。男性の読み手が透に扮し、女性の読み手が真理に扮して、デートに出掛けるという設定。まあ、基本的にはいかに二人の息を合わせて、最後に○○○に持ち込むか――という巷のエロゲーにも狙いそのものは似ていなくもない(と思う)が、その過程が実に凝っている。双方で選ぶ服装(スーツorカジュアルor着流し)だとか、所持金とデートコースの関係だとか、最後のホテル代に至るまで気が抜けない。また、双方の選択によって相性が変化し、その結果によってはもちろん最後までは行き着けない。基本的には真理が様々な理由で「帰ってしまう」のだが、ゲートボールやらタガログ語やら、これはホントに突きつけられたら男としては実に哀しい思いをする結末が多数用意されている(ところがおかしい)。下手をすると、このデートがきっかけになり透はホームレスにまでなってしまう。また、なんとかコトに及ぶや「○○○が×××で△△が××××。」(これは激しい愛情描写を表現)といった具合にほとんど伏せ字表現で、それがかえって想像力をかき立てる。これは男性と女性の協力体制がなければグッドエンディングには到底至りません。
最後『流れシェフ 姫宮麗子』は、ごくごく短い短編。ちょっとジェニーちゃん(まるしーくろけんさん)と被る大男オカマ ・姫宮麗子が真理に仕掛けるちょいとしたトリックとその素直な感覚がもたらす好関係が微笑ましい一編。裏話でしかないのだが、ゲームをプレイしている人にとってはこのキャラクタに親近感が湧くことだろう(それでプレイが有利になるとか、そんなことは何もないのだが)。

もとよりゲームのシナリオの一部になるはずだったこともあろうけれど、とにかく『ラブテスター編』の文章が好調で一定のエッチ度を保ちながら、笑うところが多すぎ。でも、シュプールも軌道に乗せないといけない真理と大学生の透とで、そんなにデートのお金を使ったらダメですよお。


06/06/17
太田忠司「狩野俊介の事件簿」(トクマノベルズ'94)

太田忠司さんの代表的名探偵・狩野俊介シリーズの二冊目の短編集。狩野俊介シリーズは順次、徳間文庫にて刊行されているが、本書と『玄武塔事件』については徳間デュアル文庫にて刊行されている。

四年前に引退した市長・滝之水武男が、なぜか「狩野俊介」宛に遺言を残していたと弁護士から報せが。俊介は確かに面識はあったがそれほど親しいわけではない。しかもその遺言は暗号で書かれていた。滝之水の遺族らから反発を受けながら、俊介たちが見つけだしたものは……? 『一時間目 国語――俊介への遺言』
デパートの美術展で有名画家の絵が一枚盗難に遭った。高森警部から相談を受けた野上。警部によれば、犯人と目されている人物もおり容疑も確かに濃厚なのだが、何か引っ掛かるものがあるのだという。俊介らは、胡散臭いものを感じながら捜査に乗り出すが……。 『二時間目 理科――それなりに科学的な日々』
事務所にやって来た俊介の友人・遠島寺美樹。彼女が訪れていた宝石展示会に泥棒が入り、その泥棒が彼女らの見ている前で姿を消してしまったのだという。野上と俊介は彼女からの話を聞きながら、女子トイレで消えた犯人の行方について考える。 『三時間目 数学――奇妙な等式』
俊介の友人の一人、久野徹。政治家の父親と文芸評論家の母親を持つ彼の豪邸に、俊介と野上はやって来た。久野家に、徹にまつわる脅迫状が届いているのだと両親から聞かされる。とはいえ、自分の体面を保つことに汲々とし、子供の心配を本気でしているのか分からない両親に俊介は反発するのだが……。 『四時間目 音楽――家族のための旋律』 以上四編。

狩野俊介という”中学生”的側面に光をあてた、それでもシリーズらしさが漂う中編集
国語、数学、理科、と来たら「社会」は? というツッコミはおいておいて。もともと『狩野俊介の時間割』という題名も考えられていたという本作、一応、石神探偵事務所で扱っている事件ではあるのだが、狩野俊介の「学校的知識」によって解決がもたらされる点が面白い。(その意味では、ツッコミを入れた「音楽」については、狩野俊介の学友の事件とはいえ解決についてはちょっと色合いが異なっている)。
国語→暗号、理科→物理トリック、数学→パズラー、といった組合せ。 それぞれが趣向に応じた事件が割り振られて、かつ人が死なないミステリである点も好感。それぞれトリックというか、ミステリとしての工夫があるとはいえ、物語の主題はむしろ狩野俊介の優しさ、正義感といったところに裏打ちされている点から全編が暖かさに包まれている。その意味では、時間割から外れるとはいえ『家族のための旋律』からは、これまでも狩野俊介シリーズに通底している(いや、中期迄の太田作品から強く訴えられている)親と子供の関係性が深く事件と関係しており、”シリーズらしさ”を強く感じさせる内容となっているといえるだろう。この場合、トリックというか事件の構成は見え見えであっても、やはり最後の”犯人”の主張に至るまで、物語全体が見せ場となっており、ミステリという形式を超えたところに太田氏の狙いがあるように感じられる。
ただ、四編とも野上・俊介・アキさんら主要メンバーに加え、脇役としてお馴染みの登場人物が出演しているとはいっても、全体的に外伝的な性格を持っている点は否めない。逆にそこから、シリーズ途中であっても一冊抜き出して読むことができる内容であるともいえるのだが。

恐らく作者自身が楽しみながら執筆したであろう雰囲気も伝わってくる。本格ミステリとしての体裁も整ってはいるが、むしろ”狩野俊介シリーズ”全体の流れの外伝として、その温かい味わいを素直に楽しむ作品集だといえるだろう。


06/06/16
山本ひろし「心理捜査」(チュンソフトノベルズ'06)

2004年の春に募集されたという「チュンソフト小説大賞ミステリー/ホラー部門」の金賞受賞作品。チュンソフトは、ゲーム『かまいたちの夜』を企画した会社で、このチュンソフトノベルズとしては『かまいたちの夜』関係ほか、幾つかオリジナルのノベルズ作品が刊行されているようだ。

とある地方都市・佐羽市のマンションに暮らしていた八並真は、失業中の独身男性。次の就職先も決まらないうえ、現在の住居も会社の寮扱いだったもので近く退去を迫られている。そんな八並はヒマに任せて周囲を双眼鏡で観察していたところ、同年代の主人がいる一家に興味を抱く。少し調べたところ、旦那は大手スーパーの店長であり、順調に出世を遂げていることが分かる。また、妻の生活パターンや娘の通う小学校を確認したところで、八並はスーパーに侵入してモデルガンを用い、さらに娘を誘拐したと偽り、言葉巧みに店長を脅迫、首尾良く五百万円あまりの売上金を強奪することに成功する。更に引っ越しを実行すること、更には事件の際にアリバイ工作を実施していたことから、警察の捜査対象として話を聞かれても余裕ある態度を保てた筈だった。しかし結果、何度も捜査員の訪問を受けた挙げ句、様々な質問が彼に対して為され、最終的に犯罪は見破られてしまう。この他、通常では検挙の難しい事件が何件もこの佐羽市に限っては解決されていた。その裏に、特殊な捜査方法があると睨んだライターの御船知里は、密かにその方法が何なのか、調査を開始する。

フィクショナルな捜査方法を中心に据え、意外な「ホワイダニット」を実現した意欲作
第一章として完全犯罪が描かれる。特別に凝ったことをしている訳ではないのだが、丁寧にターゲットの背景をつかんだ上で、あえて職場で強盗を働き、相手の動きを止めるあたりの演出が巧み。(まあ、偶然の要素も実はあるのだけれど)結果的に成功した犯罪に対し、さらにトリックを利用して周到なアリバイ工作をしている点がミソ。――この段階では、この八並という人物を中心にしたクライムノベル、ないし名探偵が登場しての倒叙ミステリなのかと想像させ、それを裏切るところにまず驚き。 第一章のラストで読者にも理由が今ひとつ分からないまま、八並は捕まってしまうのだ。
そこで第二章。今度は、なぜ完全犯罪を犯した犯人が逮捕されるのか? という謎に移る。ここで登場するのがライターの御船知里。この部分では警察が使っているというある捜査方法(但し、現実的ではありそうだけれども完全なフィクション)が登場、読者は一旦納得する。ただ、第三章に至り、この御船知里の過去の事件に絡む人物が変死し、その結果、この捜査方法を使う警察と、捜査方法を知る彼女との息詰まる戦いが演出されるのだ。こういった、段階を踏むことで読者にとっての「謎」が章を追うごとに変転し、結果的にその御船千里が何をしたのか、何をしようとしたのか? という部分が謎となる。この部分の着地を、少しだがひねっていることで本書の評価が一段上がった感。
ただ――多くの文献を引いたと思うし、それを作者が咀嚼していることも分かるのだが、科学的捜査や理論の部分がいかにも「蘊蓄」になっていて、物語のなかで浮き上がってしまっている。また、その理論自体に作中でもう少し疑いを差し挟んでも良さそうなのに、実地にやってみたらそうなったで説得してしまうあたりちょっと違和感。この部分が本書の「核」であり、現実の理屈にこだわるより、もう少し徹底的に(例えば、もう一歩進めたトンデモ機器を登場させるとか)読者を煙に巻いてくれても良かったかも。一方で、図書館の閲覧記録は警察といえどそう簡単に確認できない筈なのに、など警察関連の記述にはところどころに引っ掛かりがある。

本書そのものは小粒ながら着想も面白く一定の水準はクリアしている。ただ、正直なところ、他の激戦となるミステリー関連の賞であれば最終候補クラスではないか。一渡りの修業の成果は感じられ、小説としてのまとまりはあるのだけれど、アイデアはなかなか独特までもその扱い方のひねりが小さい。数多くの作家が集まるミステリ界で、独自のセンスというか、他にはないオリジナリティをもっと強く出してゆかなければこの後ちょっとツライかもしれないと思いました。(今後への期待を込めて敢えて書いておきます)。


06/06/15
大崎 梢「配達あかずきん 成風堂書店事件メモ」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

大崎梢:東京都生まれ、神奈川県在住。とだけしかプロフィールがないが、その後、東京創元社のWEBサイトなどで発表されたところをみるに、長いこと書店で勤務されていた方らしい。これまで刊行された&近刊を利用し、しかも実際に使われていない表紙をずらりと並べた写真を用いたカバーは、自己言及的ながら秀逸。

「あのじゅうさにーち いいよんさんわん ああさぶろうに」このコメントから本を探して欲しいという依頼。 『パンダは囁く』
書店であることに気付いた老婦人が、そのまま失踪したと娘が相談に。彼女の弟が二十年前に亡くなったことに関係しているらしい。 『標野にて 君が袖振る』
近所のお店に雑誌の配達に出たアルバイト店員が転倒したとの報が。何やら配達した雑誌に絡むトラブルらしい? 『配達あかずきん』
入院していたという女性が、見舞いの母親が成風堂で勧められた本が素晴らしかったのでお礼を。しかしその五冊を薦めたという店員はいない? 『六冊目のメッセージ』
出版社のディスプレイコンテストに応募するために設営した、有名マンガのディスプレイが閉店後に荒らされた。果たして犯人は? 『ディスプレイ・リプレイ』 以上五作品。

書店の裏話、書店ならではのエピソードをいろいろ連ねた珍しい作品集。
図書館を舞台にして、司書を探偵役とする作品は多いし、古書店を舞台にして店主を探偵役とする作品もあるし、だけど普通の書店を舞台にして店員を探偵役とする作品はちょっと珍しい。
一作目の『パンダは囁く』は、この謎のコメントしか伝えられないという注文主の設定が凝っている。ただ、コージー的な雰囲気としてはとにかく、ミステリとしてきっちり鑑賞できるのはこの作品くらいで、残りの作品については、先に結論ありきというような、かなり恣意的な展開が目に付きすぎ、ひねりも足りずちょいと微妙。小生は書店員やアルバイトであった経験はないが、本書で言及されているような事柄はある程度耳にしているレベルの話であり、楽屋落ちというか、あるある話としても何となく物足りなさが感じられた。本読み関係のブログ等では本書を絶賛する方が多いようなのだが、それが何故なのか小生にはよく分からない。
特に二作目。この作品への違和感が最大の理由かも。発端なんかはなかなか魅力的であるし、現実にあるベストセラーを持ち込んでそれを自然に物語への流れに繋げてゆく展開などはなかなか読ませる。だけどやっぱり(あくまで個人的な感想ながら)いろいろ引っ掛かりがあるのだ。(以下ネタバレにつき反転)生徒と先生の恋を、いくら色々価値観を認めると格好いいこというとはいえ教育者である同僚が温かく見守ろうというあたりがとてつもなく不自然だし(まともな教育者なら、いくらその関係を認めるまでも、卒業するまで待てとかいうんじゃないでしょうか?)、ダイイングメッセージの「先生」という言葉、相手を一個の人間として感じているならば「名前」を呼ばせないと変なような。「先生」てのは記号であって、これでは単なる年上の先生に憧れる少年という図式で、互いに真剣に愛し合ったというよりも一時のはしかにしか(小生には)見えない。それに、現役の先生と生徒が避妊もせずに性行為を結んでいたわけで、こういった関係を遺族や部外者が讃美して美談に終わらせているところに何ともいえない気持ち悪さがある。これが事故で弟さんが亡くならずに、事態だけ発覚していたら本人たちがどう思おうとこれは醜聞でしょう。高校生の男の子に”責任”なんて取れないのだから。『ディスプレイ・リプレイ』でも、閉店後のビルにてこんな悪戯が発生した段階でソッコー警察沙汰(不法侵入&器物損壊)ではないのかとかも思うなあ。(終わり)

文章そのものは読みやすく、書店員&アルバイトという二人の探偵役も悪くない。なので普通のミステリとして読もうとするとちょっと無理が生じるだけで、書店という業界の裏側エピソードを魅力的に描き出している、という視点から読むべき作品なのかも。巻末座談会についても、そちらの思惑を補強しているということで。


06/06/14
化野 燐「件獣(くだんじゅう) 人工憑霊蠱猫」(講談社ノベルス'06)

ある意味で共通したエピソードを描き続けた先の三冊『蠱猫』『白澤』『渾沌王』から、ようやく次のエピソードに至った本作。これがまたいきなりかなりの衝撃作にして説明しづらい内容である。

『本草霊恠図譜』を巡る争いのなか、鬼神たちを生み出す妄想形成場の核と思しき巨岩を封じ込めていた図書館の結界が破壊され、その周辺が開放された結果、鬼神たちが凝集し実体化し始めている。龍造寺らは美作研究学園都市全体に壁を巡らせ、都市外に拡散しないように一応の手は打った。白石の心のわだかまりを取り去る旅から戻る途中、龍造寺は白い人影が高級自動車から降り立つことに気付く。大生部龍彦。有鬼派の幹部にして人体実験も辞さない狂信者だ。彼は炎の鬼神”畢方”を操る設楽、更に二人の男女を従えて、空中に妄想記述言語を描き、何やら化け物を召還したようだ。小夜子やモモさんの登場もあり、やっとのことでその蜘蛛の化け物を撃退した彼らは、時実が留守を守っていた筈の研究所から『本草霊恠図譜』が盗まれたとの衝撃の報告を聞く。どうやらその事件には龍造寺と浅からぬ因縁のある諏訪苑子の影が……。その裏には”件”の発掘、さらに『本草霊恠図譜』を取り戻そうとする彼らの前に立ちふさがるのは、良心の欠片もなく爆殺する鬼神を操る軽部空也、そしてやっかいなある事象を操ることの出来る軽部時子……。

外伝的性格ながら、クライマックスの極致。小夜子らを襲う悲劇の行き着く先は……?
初刊時「01」〜前作「03」まで存在したナンバリングが今回は消えているが、”人口憑霊蠱猫”シリーズの四冊目。前作までは同じエピソードを様々なかたちで描き出していたストーリーが、本作で一気に進む。進む……のだが、表現が難しいながら、本作自体はあくまで外伝、脇道にあるエピソードだと捉える必要がある。(こればかりは詳しく書けないので読んで頂くしかないのだが)。前作を読んでおく必要がありながら、恐らく続刊を読むのに必ず必要はない? ちなみに龍造寺の一人称は「ぼく」。
前回必死で彼らが守った『本草霊恠図譜』が盗まれ、それを取り返す戦い。ただ、その前提となるエピソードとして”件獣”を掘り返すために雇われた学芸員・奈義の話があり、牛の骨が大量に埋まった古墳を孤独に発掘する彼の様子がどこかホラー小説めいたタッチで描かれる。題名にも示されている通り”件(くだん)”に繋がるエピソードであり、件といえば未来を予言する妖怪(本書の場合は鬼神か)にあたる。そういった方面の心得ないまま一般の人間が古来からの禁忌に触れてゆく過程が実に禍々しく、その取り込まれ、精神に変調をきたしてゆく経過が実に恐ろしい。 妖怪を使役するバトルも良いのだけれど、こういった本格怪談系ホラーを描いたとしてもこの作家はそれなりの筆力で描ききりそうだ。
一方で、その一連の流れに対抗すべく龍造寺や白石らが戦いを挑むが、これまた相手が強大に過ぎて「おいおい、大丈夫?」と思わせる流れに驚かされる。(マジで)。最終巻としてこの作品で幕を閉じるのか――(いや、もちろん既に続刊も出ている訳ですが)、とちょっと勘違いさせられた。ただ、いわゆる「反則」ネタを巧くアレンジして使っており、一冊の作品としてはまとまったものとなっている。

本当に妖怪が好きな作家が描いた妖怪アクション小説であるだけに、そのこだわりが本格的。アクションを描きたくて妖怪を持ち込む作家とは一線を画した仕上がりを、特に妖怪マニアの方々には楽しんで頂きたいもの。


06/06/13
荻原 浩「押入れのちよ」(新潮社'06)

'05年『明日の記憶』が山本周五郎賞を受賞、映画化もされ絶好調の荻原氏。本書は(恐らく)氏のいわゆる”奇妙な味わい”の作品を集成した短編集にあたる。『小説新潮』『小説現代』『小説すばる』『文芸ポスト』等、各社の看板文芸雑誌に一九九九年〜二〇〇四年に発表された短編に、書き下ろし『コール』が加えられている。

戦後すぐのロシア。山の中に隠れて暮らす母親と、双子の二人の娘。貴重品を売って生計を立てる母親だったが、とうとう売るものが無くなって……。 『お母さまのロシアのスープ』
大学時代に美雪と三人仲良しだった僕と雄二。一人が彼女と結婚したことから仲がぎくしゃくとする。さらにその美雪の夫の方が急死。残された二人は墓参りに訪れるのだが……。 『コール』
会社を辞めて無職のとなった多村は格安物件へと引っ越した。近隣の住人は怪しく、そのアパートには夜な夜な、明治生まれの小さな女の子が現れる。しかし多村はその子供に徐々に慣れてゆき……。 『押入れのちよ』
画家だった叔父が亡くなり、唐突に川嶋は一戸建てを相続することになった。ただアトリエに一匹、叔父が飼っていた老猫が住み着いていて我が物顔に振る舞っていた……。 『老猫』
仲の冷え切っている文彦と久仁子の夫婦。釣りに行ってきたという文彦は自ら包丁を裁き、毒のある食べ物を彼女に与えようとするが、一方の久仁子も何か企んでいるようだ。 『殺意のレシピ』
夫の両親と同居して窮屈な思いをした挙げ句、散々介護をさせられた苑子。残された舅に対し、介護の名を借りて苑子は虐待の限りを尽くしていた。しかし、ある夜……。 『介護の鬼』
平下隆三はちょっとしたいざこざから愛人を発作的に殺害してしまった。悩んだ挙げ句、死体を処理しようとした平下だったが、その愛人宅に予期せぬ訪問者がやって来た。 『予期せぬ訪問者』
幼い頃、田舎で隠れん坊をしていたまま、妹のやよいは神隠しにあってしまった。それから十五年、姉の私は再びその地を訪れる。数々の怪異と巡り会い、彼女が得た結論とは。 『木下闇』
今から三十年前。病弱だった私を外に連れだしてくれたしんちゃん。親に止められないよう、夜中に抜け出し、私はしんちゃんと”おたま池のほこら”を目指す。 『しんちゃんの自転車』 以上九編。

荻原流の切なさ溢れる描写が冴える。ちょっと奇妙な”ちょっと奇妙な物語”集
↑に「ちょっと奇妙な」を重ねてみたのはワザと。世の中には「ちょっと奇妙な物語」という系譜の作品があり、その流れに乗るような作品がずらりと並ぶのだが、その系譜のなかでも荻原流の処理によってまたちょっと二段重ねの「ちょっと奇妙な」が作品集全体にあるように考えたからだ。(とはいっても、とんでもなく変化があるという訳でもなく、あくまでちょっとだけ奇妙な、ということだ)。
作者の題材を取る幅の広さを活かし、戦争直後のロシアから現代のサラリーマン生活に至るまで非常に様々な背景、登場人物が扱われている。共通しているのは、物語構成にちょっとしたひねりを持ち込み「どきっ」とさせたり「いい話」に仕上げたりしている点だろう。その方法論にしても、ホラー系や不可解系、幽霊系等々、作品毎に別のネタを使っていて、なかなか先を読ませない。ただ、先は確かに読ませないとはいうものの、その各種の手法そのものには、ほとんど前例なり先例なりがあるタイプであって、前人未踏のサプライズ――といった作品ではない。むしろ、伝統的な怪談やミステリ、恐怖小説、日常系SF小説などでよく使われるtipsめいたテクニックが荻原流に巧みに噛み砕かれて応用されているという印象。 (実は○○でした、とか)。このあたりのセンスに微妙に従来型とのズレがあり、そこが味わいになっている。つまり、萩原浩らしい物語づくりによって、そういった古い革袋にふんだんに新たに情感溢れるストーリーが注ぎ込まれているということ。
このため作品から受ける印象は優しく、暖かみを感じさせられる。その意味では、ちょっと怪奇小説風の味付けがあっても、作品集全体から受ける印象は、これまでの萩原浩の創り出してきた世界観と非常に近しく思われ、そこがまた奇妙な味のなかでの、どこか更に奇妙な味わいに通じているように思うのだ。一方で幕切れが恐ろしい『介護の鬼』などもあり、一筋縄ではゆかない作品が散見される点もまた特徴として付加されよう。

従来からの作品のファンで、怪奇小説っぽい内容に引いている人もいるかもしれないが、そんな必要はなく、素直に楽しめる内容となっている。本作品集を面白く感じられた方は、朱川湊人の諸作品などとも比較してみてはいかがでしょうか。


06/06/12
皆川博子「絵小説」(集英社'06)

本書の場合、皆川博子/宇野亞喜良−画、と宇野氏の名前までクレジットするのが正解のようにも思う。あと題名は『絵小説』でも間違いではないと思うが『絵|小|説』と間に縦線を入れるべき――なのかも。短編としては『小説すばる』誌に二〇〇四年三月号から二〇〇六年二月号にかけて掲載された作品が集められているのだが、単行本となって初めて更に完成形が高められているように感じられる幻想小説集。

(以下は、皆川さんが宇野氏に送った詩文と出典、そして作者。そして本作品収録短編の題名)
「冬といふ字が好きだった/むかしのゆめを 冬とよんだ/匂はぬ霜を 肩になすり/石の閨に 朱い燭涙 こぼして去った」木水彌三郎「幻冬抄」より  『赤い蝋燭』(蝋は正字)
「風が風をさそった/狼を喰いに行こうと/蒼い肉 すばやい血/おお夜の杉 夜の塔」多田智満子「風が風を」より 『美しき五月に』(美しきは”うるわしき”)
「鎧戸よ、海上で磔刑になつた男の/君等はその肋骨だ、/窓よ、開かれた君等の硝子の腕の間に/肋骨が透いて見える。」ジャン・コクトオ「わるさながらも素晴らしい」より 『沼』
「四人の僧侶/井戸のまわりにかがむ/洗濯物は山羊の陰嚢/洗いきれぬ月経帯/三人がかりでしぼりだす/気球の大きさのシーツ/死んだ一人がかついで干しにゆく/雨の中の塔の上に」吉岡実「僧侶」より 『塔』
「わたしは名づけるだろう/かつてのお前だったこの城を砂漠と、/この声を夜と お前の顔を不在と/そしてお前が不毛の大地の中に/倒れるだろうとき/わたしは名づけるだろう/お前を支えていた稲妻を虚無と。」イヴ・ボンヌフォア「真の名」より 『キャラバン・サライ』
「魂は、泳ぎが大好きだ。/泳ごうとして、/人はうつ伏せになって身をのばす。/魂は関節から外れ、逃れ出る。/魂は泳ぎながら、逃れ出る」アンリ・ミショー「怠惰」より 『あれ』 以上六編。

言葉の持つ魔術、画の持つ魔術、組み合わされることにより更に膨らむイマジネーションの渦
あとがきではなく、本編の最後の作品「あれ」のなかにて作者が顔を出し、この作品集(雑誌発表の作品なので厳密には一連の作品)の成立経緯についての説明が行われている。曰く、まず皆川さんが好きな詩の一節を宇野氏に送り、宇野氏がその詩をベースに画を描き、その画を眺めつつ、皆川さんが自らの感覚に従った物語を仕上げる――というかなり特殊な方法にて構成されたコラボレーションが実現している。ラノベなどで物語にイラストが付けられることによって、翻って物語の作者の方にインスピレーションが働いて……、というケースはしばしば聞くけれど、初めから画によるインスピレーションを前提にしした物語作りというのは相当に画期的な試みなのではないだろうか。
そしてその物語。宇野亞喜良の画そのもののイメージが持つ、幻想的で豊饒なイメージが重視された文章表現により、印象的に描かれた場面場面の断片が連なっている。元より宇野氏の画と皆川さんの文章とのあいだには、どこか相引かれるものがあるのだろう、その両者には違和感どころかしっとりと絡み合うような親和感しかない。物語の方も皆川流であり、人間と人間は、その独特の官能で惹かれ合う者同士が結びつき、血の繋がりや世間的なしがらみが極端に煩わしいものとして描かれる。老若男女問わず、主人公が幼き日の皆川博子を彷彿とするイメージで描かれているのは、これまでの作品でもそうだが、本書の場合それが更に強調されているようだ。また、接触や性交をあまり重視しない、精神の官能のすさまじさ、業の深さが合わせて強い意識で描かれる。このように表現されてみれば、こういった感覚は宇野亞喜良氏の画にも実はそういった感覚が封じ込められているような気がしてくるのだ。

物語性を求める読者にはイメージが強すぎて少々辛いかもしれないが、幻想文学特有のイメージの波間にたゆたう感覚は、やはり傑物。皆川ファンであれば是非味わって頂きたいところ。また、本書は宇野氏の画が主人公の片割れともなっているため、出るかどうか不明の文庫版などを待つのではなく、絶対にこの単行本版を永久保存するべきですよ。


06/06/11
東野圭吾「赤い指」(講談社'06)

直木賞ほか数々の賞を獲得したうえ、ミステリ界隈では様々な付随する議論を呼んだ超話題作『容疑者Xの献身』以来、受賞後第一作となる長編作品。『小説現代』一九九九年一二月号に掲載された「赤い指」という短編をもとに書き下ろされている。また、表紙や帯のどこにも”ミステリ”という言葉がないことに、何というか哀しい感慨もありまする。

いつも通り残業をこなしていた会社員・前原昭夫のもとに妻の八重子から電話がかかってきた。とにかく「早く帰ってきてくれ」の一点張りである。妻の八重子とは十八年前に結婚したが、一人息子の直己が生まれてから微妙に結婚生活に変化が生じている。何事も子育て中心といえば聞こえが良いが、昭夫のための家事を放棄するようになったのだ。更に昭夫の実家側とちょっとした行き違いの結果、八重子は一方的に事実上の縁切りを宣言、直己を連れて前原家に連れてゆくことすら難色を示すようになる。彼女の激怒を恐れ、汲々と現実逃避をする昭夫。実家の父親が亡くなり、母親が家で一人になって更に介護が必要となった時、ようやくマイホーム獲得の打算から一切介護を手伝わないことを条件に八重子は同居に合意する。――急ぎ帰宅した昭夫は、家の庭に女の子の死体があることを知らされる。どうやら息子の直己がとんでもないことをしでかしたらしい。自首を考える昭夫に八重子は食ってかかり、渋々昭夫はある計画を提示し、実行してしまう。一方、女児行方不明から殺人事件捜査に携わるのは、捜査一課の松宮。松宮には叔父の隆正がおり、癌で入院中だった。その隆正の息子・加賀恭一郎とペアを組んで捜査にあたることになる。しかし恭一郎は隆正と何があったか、見舞い一つ訪れようとしない点に松宮は不審を覚える。

破綻が決定づけられた半倒叙の犯罪小説形式から浮かび上がる様々な「家族像」。
もともと短編のアイデアを長編化したものというが、まず、そこからこの「厭な感覚」を醸し出す点はさすがだと思う。 核になるのは、まず夫の実家と全く合わそうとしない妻と、内心その関係を苦々しく思いながらも無関心を装う夫、更にはその妻に溺愛され我が儘いっぱい、一方で学校ではいじめに遭って半引きこもりの息子、と極端にデフォルメはされながらも現実にもありそうな”壊れた”家族。彼らはその夫の母親と同居していながら、妻は一切介護せず、夫にしてもそんな妻を咎め立てせず、通いの妹に任せきりで無関心を決め込む。特にこの夫の昭彦が視点人物ということもあって、周囲の人間の無責任ぶりばかりがクローズアップされているようにみえるが、よくよく読めば、この男自身も自己中心的で身勝手な人物である。
物語としては、そんな彼らに降りかかってきた災難(という表現が適当かどうかは別にして)。息子の直巳が、行きずりの女子小学生を自宅で殺害してしまう。自分の殻に籠もり罪を認めない息子、そんな息子を必死でかばう妻、さらには”自首”という正論を頭に浮かべつつも、結局これまでの人生通り、状況に流される夫……。そんな彼らの愚かな行動が、半倒叙とでもいうべき手法で描かれる。当然、プロの犯罪者ではないため、彼らの狙いにしても邪悪な心を持ったミステリ系の読者にとっては容易に想像がつくものである。更に、この事件に相対するのは、東野圭吾のデビュー作品から登場する刑事にして探偵役の加賀恭一郎。分が悪いことはこのうえない。
巧いのは、加賀自身に名探偵としての役割を振りながらも、物語の焦点を彼の謎解きに置かない点か。実行段階から破綻が約束された犯罪計画を、どのように解き、どのように解決に持ち込むのか。その過程にこそ読みどころがある。 その題名が意味する、思いがけないところに凝らされたトリックよりもベタではあっても家族の絆を最後に取り戻させる展開の方が重視されているように思うのだ。ただ、その一方で、この中学生の息子・直巳が、最後に漏らす「親のせいだ」というひと言もまた重い。

『容疑者Xの献身』が犯罪を通じて究極の恋愛を描く小説だというのであれば、本書は犯罪を通じて、倒錯の家族愛を描く小説である。この家族、さらには加賀自身の父親への対応などから、様々な家族の姿が浮かび上がる。教訓めいているようでいて、教訓ではなく淡淡と事態を描いているあたり、ある意味で邪悪だよなあと少し思う。