MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/06/30
星 新一「だれかさんの悪夢」(新潮文庫'81)

いわずとしれた大御所・星新一氏のショートショート集。(個人的には)中学生の時分以来くらいの再読。ただ奥付やらをみてショックというか驚いたのは、本書のオリジナルが刊行されたのが実は1970年(昭和四十五年)であったこと。もう三十五年以上前なのですか……。

休日の午後、ひとり家でのんびりしていた中年のエヌ氏。ベルが鳴り三十歳くらいの男がやって来た。彼はレジャークラブ・センターというところから来た勧誘員で、各種の趣味の会を顧客に提供しているのだという。興味を感じたエヌ氏は彼からの話を聞く。上品な感受性を持つ貴方には詩のクラブはどうか、内に男性的な強さを秘めている貴方にはヨット射撃クラブはどうかといろいろ勧めてはくるのだが、エヌ氏の感受性に合うクラブはないようだ。勧誘員は急に居丈高にエヌ氏を脅しつけるように様々なクラブを勧めるが、エヌ氏は頑として受け付けず最終的には勧誘員を追い出してしまう。しかし、情けない男を撃退したというエヌ氏の心の中には、何か高揚したものが残った。すぐにベルが再び鳴り、先ほどの勧誘員が戻ってきていうことには……『レジャークラブ』
朝、出社して一服ついたエヌ氏はポケットからライターを取りだし愕然とする。いかにも高価な外国製ライターだったのだ。本来の自分のものはもっと実用的な安物で、エヌ氏は自分の病的な盗癖を嫌でも思い出す。半年ほど前からポケットに見知らぬモノが入っていることが多くなり、医者の診断によればエヌ氏は自己の意志に関係なく、衝動的に物品を盗んでしまう病気なのだという。気を許して放心状態になっている時が危ない。それからエヌ氏は気をつけて常に緊張状態にあるようにしていた筈なのだが、またやってしまったらしい。昨晩の行動を振り返り、自らの心が空白だった時間帯を思い出したエヌ氏は、給料を前借りして思い切って通勤途上にある店に寄ってみた。『空白の行動』
ほか、ショートショート四十七編

違う未来の”現在”であるけれど、時代を超越する作品は、本当に時代を超えて面白い
星新一氏の描くショートショートの世界は、初めて読んだ当時(だから二十年以上前)からしてもあまり”現在くささ”を感じさせないところがあった。かといって未来世界を詳細に描いているかというとそんなこともなく、ただ政治や経済の本質を見抜いて、そこから予測される将来像を淡々と描いていたことが、独特の”新しい感覚”に繋がっていたのだなと今になって思う。なので、その感覚のオリジナリティが鋭いがため、執筆当時からすれば十二分に”未来”である現在読んでも、星新一氏のショートショートは、永遠の”未来小説”であり続けることができるのだ。
またもう一つ気付いた点は、ショートショートのオチにあたる部分や、根源的な物語の成立理由に”人間の限りない欲求”を据えているところ。これまた政治経済といった世間の状況は変化しても、他人よりも楽がしたい、人の上に立ちたい、モテモテになりたいといった人間の気持ちは変わりない。それぞれのショートショートにおける主人公や視点人物の気持ちが、時代を超えてしっかりと理解できる。そういったところも、長らく読み継がれて古びない理由の一つに挙げられそうだ。
一方で、誤解していたというか勘違いしていたのは、星新一のショートショート全てが傑作ではないということ。これだけ本数があれば、ひねりが少なく「え、こんなオチなの?」という作品もある。だけど、一方では何本かに一本は必ず「これは凄い!」と思える作品があるところもまた素晴らしい。本書でいえば、平凡な生活を送るように見える男の密やかな楽しみがロボットを夜な夜ないたぶることだという『眠る前のひととき』、一人の女性を巡って二人の男がビジネスで勝負をする『女とふたりの男』、社長に対して部下が報告を始めたかと思うと、あるタイミングで労働組合の訴えに変化してしまう『けじめ』、UFOが地球へ到着したが乗っていたのは偉く原始的な人々だった『宇宙をわが手に』といったところが印象深かった。――ただ、恐らく最初に本書を読んだときに印象深かった作品も何となく上記のセレクトと同じだったのではないか、という気もする。

あとひとつ、ショートショートの利点は本当に読書をしていて全く肩が凝らないところ。いつでもどこでも読み始められるし、ちょっとした区切りで途中で止めても全く問題がない。本書もそんな感じで知らず知らずのうちに読み終えてしまいました。


06/06/29
米澤穂信「ボトルネック」(新潮社'06)

もともと'01年『氷菓』で第5回角川学園小説大賞奨励賞〈ヤングミステリー&ホラー部門〉を受賞してデビューした米澤氏。……ではあるが、『さよなら妖精』『犬はどこだ』に加えて「小市民シリーズ」が人気を博し(ということは仕掛け元はやはり東京創元社ということになる)、青春ミステリの書き手として地歩を固めつつある。本書は書き下ろし刊行のノンシリーズ作品。

双方が浮気を続けた結果、両親が不仲で冷え切った家庭で生活する嵯峨野リョウ。金沢に住む彼は、二年前、ただ一人彼が好きになった諏訪ノゾミを弔うために東尋坊に来ていた。ノゾミはこの東尋坊の柵に腰掛け、折からの突風により崖から転落して死亡した――と、リョウはノゾミの従姉妹であるフミカに聞いていた。そこへ、以前からバイクで事故を起こして寝たきりだった兄が死亡したとの連絡が入る。しかしリョウは、持参した花を東尋坊に投げ込む際に突風に煽られ転落した――筈だったが、気付くと金沢市にある馴染みの公園で目を覚ました。訝りながらも帰宅したリョウだったが、そこにはサキと名乗る女性がおり、双方面識はない。警戒しながら話し合ううちに、リョウはサキが自分の世界では生まれてこなかった姉であると確信するに至る。自分はどうやら、自分が居たのとは異なる世界にやって来てしまったらしい。

これもまた青春小説のひとつのかたちか。若さゆえの過ちをこういった残酷なかたちで浮き上がらせるとは……。
ひとことでいえば、あるきっかけからパラレルワールドに飛ばされてしまった少年が、自分が生まれず、自分の世界では流産の結果生まれていなかった姉が自分の位置にて生活している世界と接する物語。一見するとSF設定ミステリ(例えば西澤保彦作品のような)であり、確かにそういった設定ではある。……なのだが、設定を極限まで活かしてサプライズを目指すというよりも、人間の根源的な運命を追求してしまうのが米澤穂信の色であり、怖さ。 読み終わった後、震えた。 理由は書けない。いや書きたくない。
いや、作品としても細々とした部分に気が遣われて巧みに世界が構築されていると思う。パラレルワールドの処理やその飛ばされた理屈などはあっさりしすぎている印象ながら、その二つの世界の対比が見事。更に、この展開であれば、飛ばされたリョウが自分の世界に戻るのに、幻の(?)姉であるサキの力を借りて……という冒険譚に少なくとも中盤までは見せかけているあたりも周到だ。この文脈であれば、無条件で「さて、どうやってリョウは自分の世界に戻るのでしょう、お手並み拝見」となるじゃないですか。おかげでラストでのリョウが(そして読者が)受ける衝撃の理由にはなかなか目が行かず、目の前でそういった事実が次々と並べられているにもかかわらず、補助線として繋げることを読んでいるあいだに全く出来なかった。
……しかし、これは残酷だ。 これまでの米澤作品にはいわゆる「こざかしい」登場人物(中学生でも高校生でも)がしばしば登場してきて、それはそれでその「こざかしさ」が時に後悔の対象となっていたわけなのだが……。本書の場合は、こざかしくもないけれど、人生に達観している”つもり”の人間に現実を、それ以上に直視させ、奈落に突き落として終わる。実はこのパラレルワールドは、神が作った地獄なのだ。

本格ミステリとしての対象となるかは微妙ながら、今年読了した本のなかでも”インパクト”という意味では間違いなく一二位を争う作品である。確かにばらばらの伏線を一つにするという意味ではミステリにカテゴライズされようが、普通の意味でのミステリを読んだ時とは全く異なる感慨を受ける作品であろう。こんなパラレルワールドは死んでも行きたくない。

うーーん、『犬はどこだ』の感想、書いてなかったけかなぁ(リンク先がない)。


06/06/28
樹下太郎「小説四十九歳大全集」(光文社文庫'86)

デビューした直後、約五年間のあいだにコンスタントにミステリを執筆していた樹下氏だが、ある時期よりミステリから離れ、サラリーマン小説にその軸足を移してしまう。本書は'70年に刊行された同題の短編集が元版にあたり、題名通りのサラリーマン小説集である。

会社内の行く末に限界を感じている四十九歳の私。万博要員で駆り出された同期の光田は逆に元気になり、妻と回転ベッドのあるホテルに行ったことが自慢。 『四十九歳大全集』
戦争中、中国を二人、徒歩にて行軍していた小川と北村は、通りかかった将校の命令で一人の女性と行動を共にすることになる。 『キクと菜の花』
閑職の課長職にある私は、パンティよりもズロースにエロティシズムを感じる。それはかつての生活環境にあるのだと思う。 『ゴム紐えれじい』
社長代理として全国のイベントに参加する課長待遇の私。私は全国各地で女性を買うことに密かな悦びを見出していた。 『人妻と風呂敷』
三十一歳の部下の女子社員と”恋愛”していたことが発覚した四十九歳の私。彼女は出向させられ、私は一人職場に取り残される。 『小音楽堂の秋』
自宅を飛び出した妻を連れ戻して欲しいと友人に頼まれた四十九歳の作家。神戸への旅行で彼は様々な経験をする。 『神さまと大きなお尻』
行きずりの男と性交の後、殺害された妻。残された四十四歳の夫は、その原因が妻の、過度に感傷的な性格ではないかと考えてみるのだが……。 『感傷的な女』 以上七編。

三十数年前の四十九歳、つまりは”戦中派”の群像。大らかなのか厚顔なのか何なのか……
最後に付け加えられている『感傷的な女』を除いた六作品の主人公が全て設定上”四十九歳”となっており、作品集の表題に相応しく、本当に四十九歳の”大全集”となっている。その『感傷的な女』にしても、主人公を別に四十九歳にしてしまっても差し障りはないように思えるのだが、どうしてそうしなかったのだろう? (作者のミス?)
ただ――どこか、残りの六作品の手触りは非常に近しい。万博の年、つまりは一九七〇年に四十九歳を迎える男――(作者は1921年生まれだから、作者の分身たち)は、普通に結婚し、相応に年を取った妻がいて、子供たちは既に大学生で遠くで下宿していたり、既に社会人となって独立していたりと既に手はかからない。また、それがサラリーマンの場合は出世コースから外れ、年下の上司を持ち、だいたいは課長待遇で閑職が割り当てられている。特に目立った特技があるわけでなく、男前だったり、性格がモテ系ではないのだが、そんな男たちが素人・玄人女性とのセックスを求めたり、言い寄られたりと必ず色気が入るのがポイント。 果たしてこの当時の世の四十九歳が、その年齢でもみんなセックスが大好きだったのだろうか?(少なくともこの文章を書いている今でいえば、85歳くらいの方々にあたる)。ただ、彼らの場合は本来の青春時代がちょうど戦争中にあたりいろいろと不自由してきたという負い目というか運命を今になって取り戻そうという気があるようだ。また、閑職にあるとはいえリストラの心配もしておらず、その大したことない仕事で給料が貰えている姿には、どこか今の殺伐としたサラリーマン社会を思うと羨望すら感じる。
確かに、それぞれに哀歓があり、妻以外の女性との情事には別れも失敗もつきものなのだが、そういった若い女性との情事という行為そのもの(さすがに決まり悪いのか露見は避けたい心情はうかがえる)にあまり悪びれないのは時代なのか、この時代特有の現象だったのか。そもそも、格好良くもなく身なりもなく、大したカネを持つとも思えない彼らが……、モテるわけないよな、フツー。
だから余計に、本書は(当時の)同世代に向けた、大人のファンタジー小説といった位置づけでもあるのだ。

先に書いたように当然ミステリではなく、その世代のサラリーマンの当時の状況がよく分かるという作品。同じ日本の話ではありますが、今となっては何もかもが異なる(価値観すら)世界を眺めるための作品集……という位置づけでしょうか。サラリーマン小説がお好きな方であれば楽しめるかも。


06/06/27
石持浅海「顔のない敵」(光文社カッパノベルス'06)

光文社文庫の『本格推理』に投稿し、石持浅海初の活字化作品となった『暗い箱の中で』、さらに、いわゆる「地雷シリーズ」がまとめられた短編集。「このミス」「本ミス」上位に作品が並んだことで一躍人気作家の仲間入りした石持氏であり、既に著作もかなり出ているのだが短編集は初めてとなる。しかもデビュー直後から近作まで、幅広い期間をおいて発表された作品がまとめられている。

公園の野外ステージで地雷の危険を訴えていたサイモンが地雷に足をやられた。踏んでもブザーが鳴るだけの仕掛けだった筈なのに一体なぜ? 『地雷原突破』
火薬を使わない、二ヶ月で無効化される地雷が国内メーカーの技術者によって開発された。ジャーナリストの取材の最中、その開発者の同僚が不可解な死を遂げた……? 『利口な地雷』
カンボジアで地雷撤去の手伝いをするNGO。彼らに協力的な地元の権力者の息子が地雷で頭が吹き飛ばされた死体で発見された。果たして彼に何が起きたのか? 『顔のない敵』
交通事故で亡くなった男が鞄に入れていたトラバサミ。地雷撤去のNGOに参加していた彼は思想的に過激で、そのトラバサミを東京のどこかに仕掛けたらしい? 『トラバサミ』
NGOの資金集めのために大手メーカーの社長と面談することになった坂田とサイモン。しかし社長室には社長と、射殺死体が。しかし社長は犯人ではないという。 『銃声でなく、音楽を』
地雷撤去のロボットを制作した日本人たちがカンボジアで実地テスト。しかし、そのメンバーの一人が顔面を特殊接着剤まみれにして死亡していた。 『未来へ踏み出す足』
飲み会に出た会社の同僚たち。忘れ物を取りに事務所に戻る途中のエレベーターで停電、そしてその小さな密室の中で殺人事件が発生した。犯人は一体……? 『暗い箱の中で』 以上七編。

現実から離れすぎないところにある非日常。その非日常ならではの動機。そして論理的解決と
(既にアンソロジーに含まれていたりする作品もあるので、既読もありますが)、一読した印象は石持短編は、これまで発表されてきた長編群とノリが基本的に同じ。現実のどこかにはあるものの、非日常の世界を舞台にしていて、奇妙な、だけど奇妙すぎない謎を提示して、論理的な分析から飛躍した着地を見せるという特徴が完全に共通している。また、地雷という普通の日本人にはちょっと馴染みのない小道具を、シリーズとして共通に扱って”別世界”を(とはいってもあくまで現実の延長のなかにおいての)構築しているあたりは小憎い。同一テーマの短編集ということもあろうけれど、どこか全体として読んだ場合には、長い長編のうちエピソードの幾つかが短編として登場しているようにすらみえる。しかしこの小道具(つまりは対人地雷)、更にはNGOといった団体を手を変え品を変え、年代すら推移させて、角度を変じて描き出している。この結果、同一テーマでありながら変幻自在に様々なパターン(他の収録作にも、既に発表されている長編とも似ていない)を生み出せることが可能になっている。この発想のユニークさ、自由度の高さは注目すべきポイントだといえるだろう。
そして、その珍しく、そして実に危険なテーマのなかに独特の(この独特の、がポイントです)暖かみ、優しさを込めている点は、作者の人柄が滲み出ているからか。一瞬の寒気を味わいつつ、通しで読んだ時に得られる読後感の温かみは、我々読者へのメッセージをも内包している。個々の作品において一方的に何かを悪だと決めつけない姿勢もまたフェアで、それがまたミステリとしての難易度にも微妙に貢献している。個別の作品においては、長編のような論理と論理による対決姿勢は薄れてはいる。だが、それでも必ずそれぞれどこかに伏線があり解答はそういった伏線の回収及びそこからの論理によって成立している――と書くとやはり”石持浅海らしさがある”ということになろうか。

そんななか特に気に入ったのは、地雷シリーズ最終話「未来へ踏み出す足」。トリックの説得力はそう高くないものの、(少しネタバレ  個人的には接着剤は顔面半分くらいで、しかも動転していたため、一回でそうなった、 くらいの方が説得力が高いと思った) 物語として、序盤に登場したコン少年が大人になった姿であるとか、犯人に対する堂堂とした、かつ咄嗟に取った行動であるとか、更には作者自身の願いが込められたかのような設定であるとか、いろいろと感銘を受けた。これら一連の話の一つひとつをもって現実性が薄い、説得力が低いといった批判も可能であろうが、全体のテーマ全体を見据えて全体を読み終えた時にはそんな印象は吹き飛んでしまう。

テーマ性が強すぎるせいか、本格としてどうか、という基準ではなかなか読むことが出来ない。むしろそういったツマラナイジャンル意識を捨て、「石持浅海の地雷ミステリ」として、オンリージャンルの作品だと考えて読むのが吉ではないか。そう思った。


06/06/26
多島斗志之「バードウォーズ アメリカ情報部の奇略」(文春文庫'92)

'88年、天山ノベルズとして刊行された長編の文庫化。初期の多島作品らしく国際謀略関係がテーマの長編ながら、微妙に”凝って”いるあたりが小憎い。

ゴルバチョフによるペレストロイカが少しずつ進行しているが、まだまだソ連国内にはその反対勢力が根強く残っていた時期――。KGBの東京支局に勤務するレオノフは、日本人の有力ジャーナリスト、通称”バイカル”を協力者――エージェントとするべく根気強くコンタクトを続けていた。バイカルは別に共産党員でもソ連シンパでもなかったが、通信局員を名乗るレオノフに対し、急にカネが必要になったので取引したいと申し出てくる。様々な背景調査と、KGBの背後からのテストに合格したバイカルは、〈ワシントンで要職につく友人〉がもたらしたという情報をレポートにしてレオノフに提出した。内容には実は期待されていなかったのだが、「CIAが鳥、しかもコウノトリを使ってペレストロイカ崩しを企んでいる」という一文が、本国の情報分析者の目に留まった。バイカルレポートの分析を担当したロボフは、米国に不審な鳥類研究機関が設立されていることに気付く。更にその調査機関の主要メンバーは南アフリカに滞在しているという。その裏側にある米国の計画とは――?

先を読ませぬ国際謀略ものの面白さを知り抜く作者の強烈な一撃。まさに逆転に次ぐ逆転
副題に「アメリカ情報部の奇略」とあるからして、米国が舞台となっている作品か――という先入観はあっさり裏切られる。上記の梗概にも記した通り、物語はいわゆる”ソ連側”の複数の人間が視点人物となる。彼らはおしなべて優秀なKGBのベテランエージェントだ。その彼らが、米国の奇想天外な作戦に対して、いかに対策を打つのか、という点が読みどころの作品である。冒頭の舞台は日本だが、本作では日本人には対して重要な役割を果たす人物はいないため、馴染みの薄いKGBのスパイたちにどうしても感情を移入してしまう。
特に注目すべきは、物語が進めば進むだけその時点までの謎が解決される一方、必ず新たな謎が生まれてゆくというストーリーテリングの妙。 一部だけ種明かしをしてしまうと、特殊な細菌兵器を米国がソ連に持ち込もうという作戦が序盤に明らかになる。その方法はコウノトリ。そして、その自然現象ともいえるコウノトリを限られた条件のなかでソ連サイドは阻止せねばならなくなる。ただ、ソ連の側も一枚岩ではなく、ペレストロイカに反対する勢力が更に妨害を仕掛けてくる……といった塩梅で、次から次へと障壁が現れ、その障壁を乗り越えるのはどのような手なのか? という疑問もまた次から次へと湧いてくるのだ。なので、はっきりいって途中で止められない。
特にペレストロイカ前のソ連という我々自由主義圏の人間には馴染みの薄い世界であっても、その描写はまるで「見てきたかのよう」。モスクワの情景あたりは何とかなるかもしれないが、スパイという職業における心情であるとか、また組織内部の軋轢や争いといったところにも迫真の迫力がある点が素晴らしい。そして何よりも、最後の最後までどんでん返しが繰り返され、終盤になっても尚、作者は仕掛けを用意している。最後に至ってようやく、副題の意味に気付くものの後の祭りという寸法だ。

華麗なる多島斗志之の作品歴のなかでも決して目立つ長編とは言い難いが、国際謀略をテーマにした国産小説のなかでは十二分に評価できる内容である。加えて「ありそうもないこと」をこういったスパイ組織を通じて、逆に描き出してしまうテクニックも堪能できる。初期の多島氏らしい作品で、多島氏ならではのアイデアに満ちている。 面白いですよ。


06/06/25
赤川次郎「三姉妹探偵団」(講談社文庫'85)

赤川次郎氏の数あるシリーズ探偵作品のうちの一つ「三姉妹探偵団」の記念すべき一冊目。『別冊小説現代・推理小説特別号』昭和五十七年初夏号にて一挙掲載され、同年九月に講談社ノベルズより刊行された作品が元版にあたる。このシリーズは映画化、テレビドラマ化両方が実現している。

おっとりした女子大生・長女の佐々本綾子、早くに亡くなった母親代わりを務めるしっかり者の女子高生の次女・夕里子、金銭感覚抜群、ちゃっかりした性格が持ち味の女子中学生・珠美の三姉妹。出張に出たはずの父親不在の自宅で就寝していたところ、なぜか煙が入ってきて夕里子が目を覚ます。「火事だ!」慌てて飛び出し、五体満足で逃げ出すことに成功した三姉妹だが、自宅は全焼。さらに父親の書斎の焼け跡から若い女性の全裸死体が発見されてしまう。しかも死体は焼死ではなく、刺殺されていたのだという。学校の先生や友人宅に一時的に身を寄せる姉妹だったが、頼りたい時に彼女たちの父親との連絡が一切取れない。被害者の女性はOLで、何者かと不倫の関係にあることが判明、しかもその相手と疑われる父親は何日も経過しても帰ってこない。ショックを受けた三姉妹は、少しずつ立ち直ると事件の真相について、それぞれが性格を活かしつつ調査を開始することにするのだが……。

手堅い……。サスペンスとシチュエーションのユーモアのバランス感覚がやはり絶妙
大作家・赤川次郎氏に対して手堅いとは何事か、という向きもあろうが、正直に思ったところがやはりミステリ・エンターテインメントの一大ブランド「赤川次郎」としての手堅い仕事であるということ。性格の異なる美人三姉妹を登場させ、その三人を不幸の渦に叩き込み、一方で気丈な次女を中心に探偵役をさせてしまうという設定。ただ、その不幸が微妙に最悪ではないというバランス。人数を区切ったかのような登場人物のなかに、多種多様な性格の人物を配し、そのなかでレッドへリングから意外性まで全てを演出しきるだけの構成。手慣れているというか、読者の反応までをも計算にいれたかのような物語作りはやはり「赤川次郎」だと思うのだ。
ただ――長い間、その”先進性”を誇ってきた赤川次郎の女性たちも、ここへきて時代の方が追いついてきたかの感覚も同時に覚えた。三姉妹に対して現実性における違和感が全くないのだ。(発表されたのが二十年以上前であることを考えると、それはそれ、やはり驚異的なセンスであることはいずれにせよ間違いない)。男性顔負けの推理と行動力で犯人に肉薄し、一方で女性だから陥ってしまう危地もまたある。男性が弱くなり女性が強くなっていった結果としての”現代”が、なぜか二十数年前の作品のなかにある。 これは「作者が凄い」というより「不思議能力を持つ作者」といった問題であるように思う。

脱線するが、本書の解説のなかで、赤川次郎氏は中学・高校と男子校だったのだとあったこと(更に、その六年間で一度しか女性と口を利かない生活だった)にも驚いた。軽妙洒脱なセンス、魅力的な女性……といった赤川次郎作品のキーワードは、実は実体験というよりも、その六年間で培われた”幻想”の産物だったという解釈(文庫版解説の説によれば)も有りということなのか? 漠然と”作者のいい女性遍歴”が反映されているような印象があったのだけれど……。

純粋にミステリとして本作を捉えた場合、やはり本格ではなくサスペンスに分類されよう。解決シーンにしても実に”劇場型”となっているし。ただ、単純なそこいらにあるサスペンス以上に登場人物が明るく、そして魅力的である点が、やはり作品シリーズの人気に繋がっているのだと推察される。赤川次郎については百冊くらい読まないとあまり語れない(語ってはいけない)と思うので、とりあえずここまで。


06/06/24
田中啓文「落下する緑 永見緋太郎の事件簿」(東京創元社'05)

異色伝奇小説作家として知られる田中啓文氏には、別にジャズ評論家としての貌があり、その知識を活かした連作ミステリ集が本書。そもそも表題作の『落下する緑』は、光文社文庫の「本格推理2」に収録された田中氏の短編デビュー作品。あとがきによれば、デビュー長編『背徳のレクイエム(『凶の戦士』改題)』よりも、二日入選の報が早かったので、この『落下する緑』が田中氏全体にとってもデビュー作品にあたるとか。その後、「駄洒落もグロもギャグもなし」という条件で執筆依頼を受けた……というくだり、「あとがき」も面白いので興味のある方はそちらからどうぞ。

絵画の個展に訪れた唐島とそのバンドメンバーの永見緋太郎。その個展を開催した大御所の絵が一枚だけ逆さになっていた。緋太郎は、その真実をあっさりと見抜いてしまう。 『落下する緑』
伝説のクラリネット・キングの象徴であるクラリネット。持つべき奏者とは別の人間が、自分がクラリネット・キングの真の継承者であると主張し、その証拠に楽器を取り出す。 『揺れる黄色』
かつての天才トランペット奏者・桜島。行方不明の今なお彼を慕う千鶴は一枚の写真から彼の居所を探そうとするのだが……。 『反転する黒』
亡くなった大ベストセラー時代小説作家の遺稿が遺族が発見した。だが金に困った遺族の自作自演ではないかと編集サイドは疑っていて……。 『遊泳する青』
演奏も聴かずに感想を書く業界の大御所評論家。傍若無人な態度に各方面で顰蹙を買いまくっているが、その影響力は多大。そんな彼に緋太郎が挑む。 『挑発する赤』
尺八の名人に惚れ込み、弟子入りしたフルート奏者のデイヴ。その彼は師匠の言いつけが守れず、破門されたと自棄になってしまう。 『虚言するピンク』
一流メンバーとしか演奏しないという狭量な名奏者。彼の自慢はフランソワと名づけられた三千万円のベースで控え室まで気を遣っていたが、その楽器が演奏会の最中不具合を起こしてしまった。 『砕けちる褐色』 以上七編。

物語世界がかっちり、謎解きはすっきり。田中啓文氏のミステリ才に感嘆。それにしてもああ、ジャズが聴きたい……。
ジャズ以外には全く興味がないが、その代わりに偏見やこだわりなく、物事の本質を見抜く力が抜群ゆえに名探偵の役割を果たすミュージシャン・永見緋太郎。唐島英治クインテットのテナーサックス奏者で、そのバンドのリーダーである唐島が、物語の語り手の役割を果たしている。
……しかし、いきなりいうのもなんだが表題作『落下する緑』は、本格推理当選作という箔以上に、内容が素晴らしい。登場人物とその性格付け、事件とその意味。厳密にいうとロジックは素晴らしいもののトリックが凄いというものではないが、本格ミステリならではの滋味がじわじわと効いてくる印象だ。ここで、恐らくほとんどの読者はいっぺんに探偵役の永見緋太郎の魅力に参ってしまうことになるだろう。(かくいう小生がそうだ)。次の『揺れる黄色』は、今度は楽器入れ替わり事件のトリックが素晴らしい。ジャズという固有の世界と、そのトリックが見事に絡み合い説得力の高い論理を造り上げている。犯人役の性格の歪み方も印象的だが、これまたジャズならではの世界観と溶け合っていて、単なる電波さんに終わっていないところもまた巧い。『遊泳する青』は、一転して時代小説作家の遺稿にまつわる謎であるが、不思議な温かみが余韻となって残る。謎そのもののトリックや動機とかというよりも「意外な犯人」テーマというか。これもまた味わい深い良作。『挑発する赤』は、さらに作風が変転して、今度は天網恢々疎にして漏らさず、悪人はいつかは滅ぶ! というテーマ性の方が重視されていて、それがまた素直に痛快。ラストで手を思い切り叩ける結末へと繋がっている。エンタメ性が高まったという感じか。 そして『砕けちる褐色』、これは本編で緋太郎が行う、犯人の心理状態を探る手法が、往年の探偵小説的な面白さに満ちている。ただ、この作品の最大の魅力というか驚きは、音色が年月と共に変化するという『神の楽器』の秘密の方。こいつは奇想天外ですねえ。

と、気付いたことを上記してみたが、個々の作品毎に魅力というか、読んでいて面白く思うポイントが異なっていて、それでいて全部が全部面白いという希有なミステリ作品集。 さすがは『笑酔亭梅寿謎解噺』の作者である。御本人はSF・ホラー系の陣営にいると思い込んでおられるようなのだが、こんなに凄いミステリを書ける作家、そこいらにはなかなか居ません。本来もっとミステリ界隈で評価されるべき作品なのになあ、と「田中啓文」というレーベルの在り方についてちょっと思いを馳せてみたり。

ついでに読むと、本書を通して読むと間違いなくジャズが聴きたくなります。 ビールが飲みたくなったり、何かを食べたくなったりするミステリは数多いですが、何かを聴きたくなるミステリというのは、これまた希有でしょう。


06/06/23
牧野 修「月光とアムネジア」(ハヤカワ文庫JA'06)

牧野修氏の初期の傑作『MOUSE』や、第23回日本SF大賞を受賞した『傀儡后』など、牧野氏の作品群のうちSFとして世評に高い作品は早川書房から刊行されているものが多い。本書も同文庫書き下ろしで発表された”複雑怪奇幻想長篇”で牧野パワー全開。

地元の暴力団にも恐れられた県警一の強面の刑事・漆他山(うるし・たざん)。三十半ばの彼はレーテ性認知障害症候群に冒され、記憶障害を引き起こして入院中だった。半年前、彼は〈レーテ〉に巻き込まれた。全世界的に観測されているが、この国に特有の天災で、ある日突然、直径数キロから数十キロにわたって愚空間と呼ばれる特殊な場が発生、その中に入った人間が三時間ごとに記憶を喪ってしまうという現象だ。この再起動が繰り返されると脳はひどいダメージを受け、愚空間で半日も過ごせば重度の記憶障害か植物人間になってしまう者も多い。漆他山も〈レーテ〉に巻き込まれたが、現在は奇跡的ともいえる回復を遂げていた。そんな彼のもとにレーテ内での犯罪を捜査する、県警の特務部から命令が下される。彼らのいるアガダ原中県に拠点を持つ犯罪結社〈ホッファ窯変の会〉に所属する町田月光夜という伝説の殺人者が〈レーテ〉に入り込み、対立するケモン帆県に脱出しようとしているのだという。アガダ原中県の誇る不死身の〈ゆずす兵〉・鶴田灌木を隊長となり、漆他山ら十二名が〈レーテ〉に入り込むことになった……。

強靭な壁にて現実を遮断した幻想的牧野ワールドのなかで繰り広げられる、言語と記憶の実験と戦い
牧野修氏の作品は、初期の一部作品を除くとSF風味の(電波系?)ホラーと、尖った感覚と人間という存在に対する懐疑を伴うSFとに大別されるように思う。『屍の王』とか『リアルヘヴンにようこそ』とかは前者。『MOUSE』だとか『呪禁官』シリーズなんかは後者かな。本書はハヤカワ文庫という版元が示す通りに、その後者、SFの方。現在の地球上には存在しない、記憶が数時間ごとにリセットされ、更には何度もその状態を繰り返すうちに記憶障害から廃人となるという異世界をどどんと打ち立て、その中で更に電波系の人間たちを暗躍させてしまう。 その独特の言語センスをもってネーミングされる固有名詞(アガダ原中県だとか)が、彼ら独特の世界を強く補強。加えてレーテ侵入後に中心人物となる鶴田は強烈な「アガタ原中弁」なる方言を用いるなど、一般名詞は我々の現実と通じているとはいえ、この世界固有の考え方や風習といったところにまで牧野修の細かな配慮が及び、確とした異世界を構築しきっている。中途半端に現代社会と繋げる気のないこの世界は、ほとんど「結界」のイメージだ。
牧野氏の意欲は、その世界の構築だけでは終わらない。この世界のなかにおける記憶の領域に更に踏み込むことで、物語自体の流れに混迷感を付け加えることに成功している。そもそも視点人物に記憶障害があるわけで、その人物の記述を読者が信じて良いものか分からない状態に落とし込まれるのだ。何が正しく、何が正しくないのか。その朧気な感覚と実際に発生している事態を通じて、少しずつ読者はこの「世界の謎」に踏み込んでゆく。理屈よりもむしろ感覚が頼りである。そして中盤以降、殺人者「月光夜」の正体が、そして最終的には〈レーテ〉の謎が明らかにされる。このなかでは特に〈レーテ〉発生の理由には驚かされた。この世界を用いることでこういうことが出来るのか。

紛うことなき牧野SFで、その牧野作品のなかでも傑作に連なる作品のひとつになるだろう。一般的なエンターテインメントとは異なるかもしれないが、特異な実験的精神と奇怪な物語世界が見事に絡み合い、ひとつの牧野世界を体現しつくしている。


06/06/22
加納一朗「死体がゆっくりやってくる」(ソノラマ文庫'78)

初期ソノラマ文庫に十冊以上の著作を寄せている推理小説作家・加納一朗氏。本書もそういった流れのなかの一冊。

折角の夏休みながら、多忙な両親にどこにも連れて出て貰えない、青井是馬(これま)荒馬(あらま)の兄弟。上は中学二年生、下が小学校六年、学校の成績は悪かったが食欲だけは人一倍、さらに無鉄砲で強い冒険指向を二人が二人とも持っていた。そんな彼らが、父親の友人のコネクションを介し、二人だけで道具を持って電車でキャンプ地へと出向くことになる。行き当たりばったりの準備、そして出発。目的地はN県の駅から、さらに二十キロ離れた、過疎に悩む木里切(きりきり)村にあるキャンプ場。彼らはいきなりの雨で荷物を流されてしまい、女性編集者・厚井夏子に助けられる。彼女によれば、この村ではUFOが目撃されているというのだ。更に、一夜の軒を借りた廃屋ではニュースで放映されていた”黄金の棺”を盗み出してきた泥棒一行に巡り会う。

ひたすらにユーモアに徹した日常SFジュヴナイル。そしてどこかノスタルジックな味わいも
そのオリジナルとなる発想はシンプルながら本格SF的。夏休みに二人だけのキャンプに訪れた中学生と小学生の兄弟が訪れた村は”盗まれた街”だった――。その裏には、地球人を誘拐し標本化を図る宇宙人の姿が……。ジュヴナイルなので、このあたりは無理を承知でいうのだが、このシンプルにして奥深い主題に対する肉付けにあたる部分、こちらもまたシンプルに過ぎていて、ある意味薄っぺらい。例えば、タコの姿をした宇宙生物、人間の冷凍保存装置、表面がつるつるしたいかにもな宇宙船、不細工なロボット、太った人間型の宇宙人。 これらの描写は挿入されているイラストのせいだけではなく、いわゆる”典型的すぎる”ガジェットに満ちあふれていて特異なオリジナリティを全く感じさせない。その結果、誰にでも通じる”分かりやすさ”があり、そちらの方がむしろ作者の狙いなのかも。
――だが、食いしん坊兄弟に美人(自称)独身週刊誌記者が、この物語、そしてガジェットに関わることで、奇妙に面白いやりとりが生まれ、ユーモアSFとして十二分に鑑賞に堪える内容となっているのが不思議。刊行された時期から考えると普通なのかもしれないが、全くの色気も恋も無し。 ひたすらに食欲を中心に動く兄弟、自己中心的ながら憎めない女記者の珍冒険がひたすらに進んでゆくのだ。当然、「偶然」だとか「ご都合主義」がラッシュのごとく作品内に溢れているのも予定調和。これはこれで、それでも、この時代のユーモアSFだと割り切って読むには実に楽しい。さらにベースとなる「夏休みに両親がどこへも連れていってくれない」という根底のテーマにも、どこか懐かしいものを感じる。

題名から、ホラーかミステリか? と購入する時には勘違いしていたのだが、内容としては完全にSF。謎解きらしい謎はなく、恐怖シーンもあるにはあるものの、手加減されているせいかぜんぜん怖くない。やはり、この愛すべき兄弟の無軌道でおバカな行動を鑑賞し、ひたすら笑えばよろしいのではないかと。


06/06/21
柳 広司「シートン(探偵)動物記」(光文社'06)

二〇〇四年夏号から二〇〇六年冬号にかけて雑誌『ジャーロ』に連載されていた短編に書き下ろし『ウシ小屋密室とナマズのジョー』が加えられてまとめられた連作短編集。題名通り、探偵役はあの『シートン動物記』の著者、シートン先生である。

「狼王ロボ」を観察していたシートンが、その生態から農夫惨殺事件の真相を見抜く話。 『カランポーの悪魔』
観察していた賢いカラスの巣でダイヤモンドを見つけたシートン。盗難に遭って大騒ぎしている婦人にダイヤを返却したのだが、数日後に再び盗まれた。 『銀の星(シルバー・スポット)』
猫に育てられるリスを飼う町はずれの家。その家で火事が発生、主人と思われる焼死体が発見されるが……。 『森の旗』
シートンが子供の頃、家族同士仲が悪かった時期に、兄の一人が牛小屋で昏倒しているのが発見された。隣家の次男が疑われるが……。 『ウシ小屋密室とナマズのジョー』
血統書付きの猫を見つけだして欲しい。高慢な婦人の要求を受け入れ、前後の状況は関係者の証言からシートンはある事実を浮かび上がらせる。 『ロイヤル・アナロスタン失踪事件』
シートンの友人のセオドア・ルーズベルトの秘書のうち誰か一人がルーズベルトを裏切っているのだという。シートンはルーズベルトを森に連れだし、自然について語るのだが……。 『三人の秘書官』
猟師を何人も返り討ちにした巨大クマ。東部の金持ちの一人息子とその友人が無謀にもその熊の王様に向かっていこうとするのだが。 『熊王ジャック』 以上七編。

(知っているはずの)豆知識が鍵。様々な趣向と楽しみが詰まった”偉人型”本格ミステリ
アーネスト・トンプソン・シートン。本好きであれば子供の頃に大方の人が読んだことのある(小生は小学生の頃に嵌った)「シートン動物記」の作者である。本作は、柳広司氏の得意分野ともいえる「歴史的有名人物が探偵役」+「本格ミステリ」 を体現したタイプの作品で、流れとしてはシュリーマンが探偵役となる『黄金の灰』や、同じくダーウィンが登場する『はじまりの島』などに近い。
特徴的なのは、それぞれが歴史的に名を残した業績(というか分野)が、そのまま事件と絡んで謎解きのキーポイントになっているところだろう。で、本作はシートンだ。またこれが「動物記」を知る世代の気持ちをくすぐるエピソードが数多く使われている。冒頭から「狼王ロボ」と来た日にゃ、ぐぐっと来ない方がおかしい。(但し、一部の特定読者にとってかもしれないけれど)。
ただ、本書を読んで改めて感じたのだが、優れた博物学者はもともと推理能力に優れている。即ち、対象のごく些細な部分から膨大な知識を駆使し、想像力を働かせてその全体像であるとか、行動パターンであるとかを推理することがその才能であり日常なのだ。例えば古生物学者であれば化石の欠片から、古代に生きた恐竜の全体像をイメージしてしまうのである。本書でのシートンや、先のダーウィンやシュリーマンにしても根本的な能力には近しいものがある。
本書では、功成し遂げた老齢のシートンがインタビューに答え、これまで巻き込まれた不思議な事件について語るのを、新聞記者がヒアリングして物語にまとめたという体裁を取っている。動物の仕業に見せかけた巧妙な殺人事件、宝石の盗難事件、血統書付きの猫が行方不明になった事件……。当然いずれも動物が絡み、その動物の特性であるとか、特徴であるとかが事件の真相に深く関わっている。 面白いのは、シートンが途中で「これだけ話せば分かるでしょ?」とばかりに、事件の話を途中で打ち切ってしまうところ。本格ミステリの定法であれば、そこで読者が推理すれば真相が分かる……筈なのだが、本書の場合は動物の特殊な特徴なんかが絡むこともあって推理はハッキリいって無理。だけど、謎が更に謎が高められるような緊張感が味わえる。もちろん最終的にシートンがその真相を述べる部分では、動物に関する蘊蓄と本格のロジックとが絡み合った、本シリーズ独特の美しさがある。

個人的にもともと好きでもあるのだが、本書もまた柳広司のポテンシャルが遺憾なく発揮された佳作。シートンという人物、動物たちとその生活する舞台、更に当然事件とが渾然一体となって、他ではなかなかお目にかかれないミステリとなっている。お勧めです。