MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/07/10
山村美紗「葉煙草(シガリロ)の罠」(講談社文庫'79)

山村美紗が京都を舞台としたミステリーを量産して二時間ドラマの女王となる遙か昔。乱歩賞に三度の投稿の結果『マラッカの海に消えた』で何とかデビューを果たし、第二長編として『花の棺』を刊行して女流トリック・メイカーとして売り出し中……の頃の作品。'77年に書き下ろし刊行されたもの。

ルポライターの夫を持ち、空いた時間に外国人相手の京都観光ガイドを務める森麻子。彼女はフィリピン人大物実業家・ベルナスの案内をして京都各地を訪問していた。彼は平等院鳳凰堂で何か態度に変化をみせ、さらに翌日清水寺では麻子に英文パンフレットを購入して欲しいと依頼する。その麻子が戻ってきてみるとベルナスは何者かに背中を刺されて死亡していた。彼の手には十円玉が握りしめられており、同行していた麻子は京都県警の刑事・狩矢らから犯人ではないかと疑われる。ベルナスの会社は葉煙草を取り扱っており、日本の窓口は大南物産という中堅商社だった。警察の調べによれば一年前、ベルナスの息子と大南物産のマニラ支店長・野村晴夫と飛行機で煙草畑を視察している最中、墜落死していた。麻子の夫の森一郎は、この事件の背景に葉煙草の輸入拡大を巡る専売公社と政治家、そして大南物産との歪んだ関係があるとみて、アクの強い同業の友人・石川と共にこの件の調査を開始した。どうやら、専売公社から天下りしていた大南物産の営業部長・松村克彦と、野村晴夫の妻・亜矢子とに不倫関係があるらしいことを嗅ぎ付け、京都のホテルでその証拠をつかむ。だが、その証拠のテープを持参した石川は、亜矢子と共に死亡しているのが発見された……。

意外なトリックがアクセント。とはいえ社会派テーマを中心に企業・政治家の利害のロジックを重視
現在は、喫煙者人口も減少し、専売公社は大昔にJTと民営化されて名前を変えている。それ以前、煙草の葉っぱをどこから輸入するか……という問題が、社会派のテーマに成り得たのだなあと微妙な感慨をまず感じた。ベースになるのは輸入先の主流である米国産から、もっと安いフィリピン産に切り替えを図ろうとするビジネスの流れとその利権に群がる人々といった構図である。ただ、その社会派の構図は凝ってはいるもののいわゆる黒幕が裏で糸を引いていたり、その流れのなかでトカゲの尻尾切りが行われたりと、全体としてはよく見られるパターンの積み重ねとなっている。ただ、そのなかにいる個人の悲劇などもアクセントになっており、強い印象は残らないものの力の入りようはうかがえる内容だ。
個人的に感心したところが二ヶ所あり、その一つはルポライターの森一郎、森麻子の夫妻を関係者として登場させたところ。仕事に夢中になるあまり、妻のことを蔑ろにする夫の本心が徐々に垣間見え、夫のことを信じたい妻が徐々に不安感を募らせてゆく。妻がある理由から危難に陥って助けを求めている時にさえ自らのスクープを優先してしまう結論に至る過程で、夫婦関係の危ういバランスを見せつける。この夫婦関係の微妙な展開そのものがサスペンスフルな興趣となるうえ、社会派テーマの物語を別の側面から強くアクセントとして支えている点、強く感心した。
もう一つは、この飛行機事故で死亡した野村晴夫を巡るトリック。彼が生きているのでは……というトリックを前提に、更に作者は物語上で彼を二度殺害している。ただ、二回目の死亡において彼自身が延延とある人物の殺害を認めた自筆の遺書を認めているのだ。短文の遺書であれば、いろいろと作為の施しようもあるし、実際そういうトリックも数あるのだけれど、本書のように長々と遺書を残す場合にはそうトリックらしいトリックなど無さそう……なのだが。ここで「どうやって遺書を書かせたか」という点について、物語全体の構図のなか様々な伏線が絡み合って奇妙な説得力がある理由がトリックとして背景に存在している。この点は非常に巧い。この遺書のおかげで後半部における、微妙な人間関係の結果、芋蔓式に悪人が捕まっていく過程が多少引き締まってみえるのだ。

作品に対して著者が非常に力が入れて貪欲に執筆したことはすぐ判るし、物語として読ませるものである点は認める。ただ、執筆から三十年近く経過した現代でもいまなお強く訴えるものがあるかというと、やはり社会背景の変化によりそれは減少しているといわざるを得ないか。山村美紗ファン向けですね。


06/07/09
森 博嗣「τ(タウ)になるまで待って」(講談社ノベルス'05)

森博嗣氏の”Gシリーズ”、三冊目の書き下ろし作品。これまでの作品同様、加部谷恵美、山吹早月、海月及介らが登場、またこれまでの登場人物である犀川創平や西之園萌絵が後に控え、特に本作では真賀田四季の名前がちらほらと登場する。

山吹の友人の代理で探偵・赤柳初朗の助手として山奥にある〈伽藍離館〉(がらりかん)を訪れることになった山吹、海月、加部谷の三人組。この館には巷で超能力者といわれる”神居静哉”が二人の女性と共に暮らしていた。赤柳一行と同時に館に到着していたのは、その神居を取材に来たという新聞記者・富沢健太とカメラマン・鈴本倫子、そして案内人の不動産業者・登田昭一。神居らは彼らに対し協力的で、富沢は予定通りインタビューを、そして赤柳はこの伽藍離館内部で資料調べを開始することができた。極端に窓の少ない館、天気予報とは無関係に嵐を予言する神居静哉、そして豪華な晩餐のあと、同じ部屋のなかにいる筈なのに互いの姿が見えないという奇妙な超能力を加部谷恵美は体感する。しかし、なぜか二つある館の扉はいずれも開閉不能となり、彼らは外に出られなくなってしまった。更に二人の女性と共にラジオを聞くといって引き込んだ神居静哉は、そのまま何者かに密室内部で殺害された死体となって発見される。外部との連絡が絶たれるなか、携帯電話を無理矢理繋げて、彼らは西之園萌絵と連絡を取る……。

フーダニット抜き、ホワイダニットの”ホワイ”は持ち越し? ハウダニットオンリー・森ミステリィ
異世界を行き来するという怪しげな超能力、施錠していないのに出入りできなくなる館、天気予報に反して轟く雷鳴……といった奇妙な謎がサスペンスっぽく提示される展開。 その謎について関係者が「ああでもないこうでもない」と討議するあたりが本格パズラーっぽい一方、現場に無理矢理連れてこられた犀川がちらりと考えただけで、その謎のほとんどがすっぱり解決されてしまい、超名探偵の全能感覚も味わえる。(もちろん、海月も十分探偵役としての役どころをつかみつつある)。ノベルスであるのに一段組で分量としては短め、さらに歯切れの良い文章は読みやすい。但し、人間関係はシリーズ全体(というよりも、森博嗣の作品世界全体)を使って展開されているため、本書一冊を読んだだけではすっきりとは出来ないものと思われる。
ということで、異形に進化した本格ミステリなのだ、この作品は。
理由らしい理由もなく奇妙な館に連れてこられる主人公たち。奇妙な館は奇妙な館として建築されており、そこに深い理由は示されない(超能力者を超能力者たらしめるための館とでもいうのか)。また、超能力者を自称する男の二人の美女の登場はいかにもうさんくさく、なぜわざわざ七人も館に訪問者が訪れた時に殺人事件が起こされたのか、その理由も明らかにされない。そもそも何故、被害者が殺されなければならなかったのか。動機や犯人に関する説明が省略されている点も特徴といえば特徴だろう。シリーズ全体の謎として後に持ち越すおつもりなのかもしれないが。
謎があり解決がある。だけど理由が分からず動機も提示されない。ひたすらハウ(HOW?)でホワイもフーも最低限の説明か下手すりゃ無視。 深読みかもしれないけれど、森博嗣なりの本格ミステリ観を示しているのかなあ、と。(つまりは森ミステリィ?)。動機や犯人といった部分以上に、本格ミステリのエッセンスとして一番面白いのが「どうやって実現したか不明の事象」を「実はこうすれば出来るのだ」という点にあると割り切ってしまっているようにみえるのだ。つまり、面白いハウダニットであれば、他の点は少々無視しても”魅力的な”ミステリが成立しうるという、森博嗣らしいクールな考え方が顕現していると。暴論を承知で書くと、物語性を犠牲にしてでも本格にこだわる天城一と森博嗣の一連の作品群には(あくまでそこに至る経緯は別にしてもミステリに対する考え方、割り切り方の部分において)どこか近しいところがあるのではないか……とまで考えてしまった。

まあ、シリーズを通して読まないと登場人物や断片で放置されている謎が解決されない……という作品だけにファン以外には正直お勧めできないのだが、作品そのもののこと以上に、一マニアにとっては何か考えさせられるものがあったことも事実です。


06/07/08
東野圭吾「ウインクで乾杯」(祥伝社ノンポシェット'92)

'85年『放課後』によって東野圭吾のデビューした後、七冊目となる長編作品。'88年にNON NOVELにて刊行された当初は『香子の夢−コンパニオン殺人事件』ともっとベタな題名であった。ふと東野圭吾の初期作品が読みたくなったので探し出してみた。再読のはず(内容をほとんど覚えていなかった……)。

パーティ・コンパニオン派遣会社・バンビ・バンケットに所属するコンパニオン、小田香子は上昇指向の持ち主で仕事前に宝石店で商品を眺め、これらを気軽に入手できる身分を夢見ている二十四歳。その宝石店『華屋』が主催し、クイーン・ホテルで開かれたパーティに来ている三十代の若き不動産会社役員・高見俊介を密かに狙っていた。あれこれ手管を使い、高見と自 然な接近を図った香子。同僚の牧村絵里と控え室を最後に出たところ、ホテルの喫茶ラウンジにいる高見を発見し、更に偶然を装って近づいてゆく。ところが、その間に忘れ物をしてホテルに戻ってきたという牧村絵里が、施錠された控え室内で死亡しているのが発見され、大騒ぎになった。彼女は毒入りビールを飲んだのだといい、密かに交際していたバンビ・バンケット社長・丸本との三角関係のもつれから自殺したのではないかと思われた。香子は、彼女のアパートの隣に偶然引っ越してきた警視庁の芝田刑事が、実はその事件は自殺ではなく密室殺人なのではないかと疑っていることを聞かされる。

意図的に演出された、”ライト感覚のミステリー”。改めてすごさをかみしめる
女性主人公という部分自体はたぶん東野作品において珍しいケースではないけれど、職業はコンパニオン、目指すは玉の輿というなかなかにしたたかな目標を掲げる現代女性(我ながら表現が陳腐だなあ)を主人公に据えた作品は本書だけだろう。彼女から、そして彼女を巡る、軽めの恋心をスパイスに不可解な連続殺人事件がメインディッシュという贅沢な内容。
なのに、軽いのだ、これが。短く切ることを心がけた文体、当時の(なので今は少々古い)最新風俗を取り入れるのみならず、登場人物の感覚も(例えが適当かどうかはとにかく)赤川次郎的な軽快さに満ちている。ただ、東野圭吾の作品は他にも多数読んでいるなかで、やはりこの作品はちょっと異質な感覚がある。だけど、その異質な作品が、”ライト・ミステリー”の雰囲気をカンペキに身に纏っている、のだ。もちろん芸風の幅といってしまえばそれまでだが、東野圭吾らしさを多少殺してでも、こういった作品をデビューして数年できっちり仕上げてみせるあたりのセンスは非凡としかいいようがない。ユーモア混じりの軽めの恋愛ミステリーでありながら、このジャンルのコア作家に全く引けを取らない仕上がりを見せているのだから。主人公・香子の料理場面など笑えるシーンも多々あるし、結末を迎えての後味の良さもまた素晴らしい。
ただ、内容としてはミステリとして論じた場合に些か軽い感じは否めない。ホテル内部のオリジナリティ高い密室殺人や、関係人物が弄した複雑なアリバイなど、軽いばかりではなく新進気鋭の若手本格ミステリー作家(当時ね、あくまで)としてのプライドというか、矜持みたいなものは、この謎解き部分に見え隠れしている。ただ実際のところ、真犯人に対して、かなりの人数協力者の存在が明らかになるなど、狭義の本格ミステリとしては若干割り引かざるを得ないところがあることも事実。それでも、そういった小さなトリックに眼目はなく、どちらかといえばホワイダニットとフーダニットが混ざり合っている印象だ。もちろん、ミステリとしての整合性や、論理展開などに破綻はなく、むしろこの手の作品であるにもかかわらず、きっちりフェアに勝負している印象も受けた。あまり苦労した風をみせずにさらりとこういった作品を打ち出すところに、やはり東野圭吾の底知れぬ才能を感じてしまう。

少なくとも今より発表当時”東野圭吾”という名前はマイナーであったものと思われる。そこかしこに力の入った描写やトリックが凝らされているところに独特のサービス精神すらうかがえる。こういった作品にも手を抜かず貪欲にきっちり仕上げてきたことが、現在における稀代の人気作家・東野圭吾の礎となっているともいえるのだろう。


06/07/07
永瀬隼介「去りゆく者への祈り」(実業之日本社'06)

永瀬隼介氏は'60年鹿児島県生まれ。週刊誌記者、ノンフィクションライターを経由して、2000年に『サイレント・ボーダー』を発表して小説家としてデビュー。その後は、『アッシュロード』『デッドウォーター』『永遠の咎』など著作を順に重ねつつある。本書は月刊『ジェイ・ノベル』二〇〇五年八月号から二〇〇六年三月号にかけて掲載された長編の単行本化。北関東に居を構える私立探偵・古城が主人公で、どうやら前作もあるらしい。

東京から特急で一時間ほどの北関東の地方都市・香田市。依頼人から貰った巨大なドーベルマンと共に暮らす古城は元刑事の私立探偵。県警捜査一課に所属していた彼だが、今は浮気調査専門の仕事をこなす毎日だ。事務所と同じビルの実業家の愛人を尾行していた彼は、その女性の浮気相手が元同僚であることを知り、調査内容を変更して報告した。それが依頼人にばれてしまい、その依頼人・熊谷の長男で、半年前に東京に飛び出したきり音沙汰の途絶えた茂を香田に連れ戻して欲しいという次の依頼を引き受けざるを得なくなる。犬を預けて上京した古城が、大久保にある茂の住居を訪ねたところ、謎の中国人にいきなり痛めつけられる。元ヤクザの園山に助けられた古城は、彼らのボス・李秀龍に引き合わされる。中国の犯罪組織・幇から送り込まれたという李は、若くして新宿の中国人犯罪者を糾合して率いるという超大物だった。しかし彼らの組織にスパイが入り込み問題が発生しているのだという。古城は、そのスパイ(S)が誰なのかを明らかにすることと茂の身柄とを交換することを約束させられる。

現代最新の裏社会暗黒面を舞台に拡がる、元・刑事小説にして私立探偵小説
出だしは人捜し――という私立探偵小説の決まりパターンから物語が始まる。主人公はもう中年にさしかかった一匹狼の元刑事にして私立探偵という点、上京したまま帰って来ない息子を捜し出して欲しいという親の依頼、上京する前に離婚した妻とのあいだにいる中学生の娘と会話を交わしている点――等々、切り口としては、”ハードボイルドの出だし典型”が感じられ、少々時代がかっているかのような平凡な印象を冒頭では受けた。
……だが、これが上京してからが大変。物語は一転して暗黒小説・ヤクザ小説的な現代型娯楽小説へと大きく転換。 特に新宿を中心とした風俗街・暗黒街の状況を背景にした、権謀術数と裏切りと欲望が渦巻く裏社会同士、そして裏社会vs警察の戦いに主人公が巻き込まれ、物語のスピード感が一気に高まってゆく。特に、幇(パンと読む)と旧来の日本の極道、即ちヤクザとを対比的に描いている結果、ワルのレベルの差のすさまじさが劇的に演出されており、中国人と日本人の(悪人の)比較文化論めいた印象すら受ける。
また、苦難な状況に対しても淡淡と対処する古城の性格が、良くも悪くもとらえどころがないため、(何を考えて行動しているのか本当に良く分からない)、一般的なハードボイルド以上に、展開の先読みを難しくさせている。組織に潜入しているスパイが誰なのか? という命題については犯人に強烈な隠れ蓑があることもあって意外性があるが、その正体が説明されると、なるほどそういった背景(バック)であればこういうこともあるかも、と妙に納得させられるような印象。ただ、基本的には主人公の古城の視点であるのだが、視点人物が時々ふっと入れ替わることがあり、一瞬「あれ?」となってしまうため物語の流れを阻害している印象。(この点においては、伝統的で純粋なハードボイルドとしての資格をも喪っているといえるのではなかろうか)。
ただ終盤のクライマックスに向けての盛り上がり方は、先の理由で先が読めず、最後の最後まで一気に読ませていただいた。あと、少し最後はセンチメンタルに過ぎるかな? (きっぱりと彼女がいなくなるのも幕切れとして余韻があったかもしれない)。

独特な味わいのある私立探偵小説として読む分にも、最新の裏社会事情を知る情報小説として読む分にも良いだろう。凝った構成の背景も充分こなれており、現代的エンターテインメント小説と素直に面白かったといえる内容である。ただ希望をいえば、もう少し主人公のキャラクタをかっちりさせても良いのではないかと思う。


06/07/06
笹倉 明「愛闇殺」(ハヤカワ・ミステリワールド'06)

最近のミステリ系叢書のなかでも個性的なラインナップが光るハヤカワミステリワールドの一冊として刊行された作品。笹倉氏は'81年、「海を越えた者たち」で第7回すばる文学賞佳作を受賞してデビュー後、'88年『漂流裁判』にて第6回サントリーミステリー大賞の大賞を受賞。同書は第100回の直木賞候補にもなった。翌年、『遠い国からの殺人者』にて第101回直木賞を受賞。……「直木賞を受賞した著者が、再び本格的にミステリの世界に帰ってきた。満を持して贈る待望の長篇書き下ろしミステリ。」(早川書房のホームページより)。

恐喝相手を殺害した容疑で逮捕された須山昭一、四十三歳。以前に脅迫した旅行会社の社員を脅迫し、金を脅し取った挙げ句に殺害したのがその容疑だ。須山は一旦海外へ逃亡していたが、一ヶ月後に帰国してきた際にあっさりと空港で逮捕されている。その須山を取り調べしていた捜査一課の岩海は、その須山が漏らしたひと言から、彼には別に殺人の経験があると直感し、その余罪の追及捜査をしたいと上司に申し出る。岩海と気の合う女性刑事・坂野を助手に付けてもらった岩海は、早速、須山昭一が恐喝を働こうとした旅行会社に出向いた。彼はそこで三人分の東京−バンコクの航空チケットをせしめており、同行者が他に二人いた。一人はタイに住むブローカーで人相の悪い下崎留夫、そして花井彰一郎という寿司屋の主人であることが判明した。岩海と坂野との話し合いの結果、須山の余罪はタイが舞台となっているのではないかという推測がなされた。果たして、そのチケットを受け取った三人の一人、花井はタイのホテルで死亡していたのだ。

日本−タイを結ぶ殺意の連鎖……なのだが。全般に事件に工夫の少ない平坦な作品
ベテランの刑事が、容疑者の漏らしたひと言から余罪を追及するというあたりの展開は良いし、その相棒に魅力的な女性刑事を配したあたりも良い感じ。また、日本人男のタイ妻・ミユあたりの描写などはさすがに直木賞作家らしく深いものがある。とはいえ、全般に人物に対する書き込みを熱心にしている印象はなく、登場人物に関してはまずは水準をクリアしているという印象。そういった事件の関係者あいだに様々な関係を構築し、最終的にはそのどろどろとした中身が明らかにされるのだが、(今時のミステリにあって、特に珍しい設定でも何ともなく)実はそれすらあまり印象に残らない。
そして個人的に致命的だと思われるのは、ミステリと称する割に、全体的に最初の保険金殺人にしろ、後半のタイ国内で起こされる殺人事件にしろ、トリックや欺瞞といった作為がほとんどみられず、犯人たちが非常に杜撰な動きをしているようにみえること。一応、物語上ではそれぞれ困難な犯罪で真犯人が見つけられないだとか、他殺の疑いを捜査当局が持たなかったということで大袈裟に扱われているのだが、いくらタイの警察が日本とは違うとはいえ、邦人が死んでここまで捜査がいい加減かなーというあたりに強い違和感。違和感以上に描かれる犯罪がシンプルに過ぎるうえ、犯人側と捜査側両方から正直に描かれているため、事件に関しては謎らしい謎がなく、あっても常識の範囲内の答えが結局正解でした、となってしまう結末に正直ちょっと腰が砕けた。
物語の中心舞台でもあるタイの描写は、その魅力の片鱗は理解できるものの決して国家の裏側をえぐるほどに深いわけでもないし、数々描かれるタイ人のエピソードにしても、物語展開には多少活かされているとはいえ(出家とか)、ミステリに はほとんど何の関係もない。血液型のエピソードなど伏線に使用するのにもってこいだと思うのだが。それらの点から全体的に「捜査が日本より甘い」という理由以外に、タイに物語の主体を持ち込んできた意味合いは感じられなかった。

レーベルがレーベルなので読んでみたが、本格的なミステリを期待する読者には不向き。昔から笹倉明のファンですという方が手に取れば良いのではないかと思われる。


06/07/05
芦辺 拓「探偵と怪人のいるホテル」(実業之日本社'06)

芦辺拓氏のデビューは表向き、第一回鮎川哲也賞を受賞した『殺人喜劇の十三人』ということになるのだが、それ以前、本名名義で第二回「幻想文学」新人賞に佳作入選している『異類五種』という作品もある(弊サイトで以前レビューしたこと有り)。本書はその『異類五種』をはじめ、それ以前に執筆・発表されていた作品を含む、著者初のノンシリーズ・非探偵小説・短編集。

作家志望を断念した青年が宿泊したホテルには、大時代的な探偵小説の切り抜きが。しかし実は彼の命をろくでもない親戚連中が狙っていた。 『探偵と怪人のいるホテル』
とある貴族院議員が所有する宝石を狙う怪盗は、その議員の一人娘を拐かす。一方では変身願望を持つ地味なOLがホテルで丹念に化粧を。 『仮面と幻夢の躍る街角』
カウンセラーの前で淡々と箱庭にミニチュアを組み立てる少年。箱庭療法の結果生まれた街は、なんと屋上遊園地を再現したものだった。 『少年と怪魔の駆ける遊園』
かつての中国各時代における、五つの怪異とそれに交わる人々を描いた作品。このあたり参照のこと。『異類五種』
一人の女性を争う親友同士、室町中納言と烏丸大将。彼らは種々の方法で相手と戦うが、その対象となる姫は醜いものを何よりも愛していた。 『疫病草紙』
衛生状態が今よりも悪く、各種の疫病が都市を席巻していた時代にあった悲劇。宿泊客が見た蛍にまつわる物語を浪速旅館の女将が語る。 『黒死病館の蛍』
大正十一年。折しも来日していたアインシュタイン博士は「男爵」を名乗る人物からの招待状を受け取る。不思議な空間を経て「男爵」の招待に応じた博士は……。 『F男爵とE博士のための晩餐会』
千日前一帯の興行物のなかにサーカスの一団が。大阪地元紙の新聞記者がその取材を命ぜられ、給仕をしている少年と連れ立ち大阪見物としゃれ込む。 『天幕と銀幕の見える場所』
江戸川乱歩作『屋根裏の散歩者』。その映画撮影に出演者として駆り出された江戸川乱歩しかし撮影の最中、一冊の大切な手帳を紛失してしまう。 『屋根裏の乱歩者』
『伽羅荘』と名づけられた建物に長逗留しているわたしの部屋で死体が発見された。星影龍三や鬼貫警部がその謎解きに参加、果たして……。 『伽羅荘事件』
今なお現存する東京ステーションホテル。ここはかつて明智小五郎と怪人二十面相が初めて相まみえた場所であった。 『探偵と怪人のいたホテル』 以上、短編小説十編とエッセイ一編。

旧い探偵小説の持つ良い意味でのいかがわしさ、そして魅力を抽出し、独自の物語世界を造り上げる。芦辺テイスト横溢の好作品集
発表時期の順番にこだわらず、作品の持つ雰囲気であるとか主題を中心に考えて配列された並びがまず嬉しい。序盤には「探偵」vs「怪人」をテーマにした作品が、中盤に『異類五種』『疫病草紙』という初期作品(歴史系)があり、続いて古い大阪を舞台にした作品が連なる。ここから、偉大なる先達へのオマージュを意識した作品が終盤を固めて、意外にも最後はエッセイで締め括っている。実は、これらの配列における”テーマ”は、そのままこれまで発表された芦辺拓全ての作品群内部に存在する”テーマ”と共通しているという点がまず興味深い。
即ち、探偵と怪人といった仰々しさは、探偵小説のトリックやサプライズ以上にもともと”探偵小説”が有していた物語性の部分を強く意識したミステリ群と繋がるものがあるし、博識をベースに架空の中国世界を物語化(『異類五種』は微妙に異なるが)する手法は、近年の『紅楼夢の殺人』など、偉大な物語をベースにしたミステリを発表する氏の意欲の源を感じさせる。また、偉大なる先達(本書の場合は江戸川乱歩や鮎川哲也)への敬意は、例えば『名探偵博覧会』あたりを例に引くまでもなく芦辺作品における最重要モチーフに数えられる。これらの結果、この作品集、確かに非ミステリ作品ばかり集まっているものの、これまで感じてきた、いわゆる”芦辺テイスト”そのままの作品集だと感じられるのだ。加えて、全般に古い映画や大阪の都市論めいた背景を有する作品も多く、この点もまた芦辺テイストの隠し味として効いている。
小説のうち、光文社文庫の恐怖小説アンソロジー『異形コレクション』に発表された作品が半数を占めている。それ以外の作品『伽羅荘事件』や『屋根裏の乱歩者』にしても全般に共通する特徴は、その物語世界と現実世界とが別個に存在し、現実の人物がその境を超えて反対側の世界に(もしくはその逆)に入り込んでしまうという点にある。本来は別世界に入り込むことは恐怖の対象となる筈であるのに、むしろそこには憧憬がある。ツマラナイ現代世界の生活を捨て、わくわくする物語の世界に入っていけたら、もしくは入り込んでしまったら。物語の復権を願う著者にして、物語の世界こそが理想郷であるということになるのか。『異形コレクション』としての物語の異形さは保ちながら、それぞれ切り口が異なっており、受ける印象もまた微妙に異なる。ただ恐怖というよりも、巻き込まれた登場人物がおしなべて幸福そうにみえるのは印象的である。
また、意識してかつての大阪の都市風景を凝らした『黒死病館の蛍』、『天幕と銀幕の見える場所』といった作品も素晴らしい。物語の流れとは別に百年以上前の大阪の、現代となっては知られざる姿を巧みに活字にて現出させている。少なくともミステリ界隈ではこのようなこだわりがある作家は数少なく、近年は大阪へのこだわりから脱却されつつある芦辺氏の動きを改めて残念に思う。
最後に、あとがきによれば、芦辺拓以前どころか二十歳の頃に書かれたという『疫病草紙』。ストーリーとして際立つ程オリジナリティが高いわけではないが、登場人物が個性的でかつ無駄がなく、伏線が微妙に効いて結末へと繋がるあたり実に巧みな構成によって作られた作品である。そして、この語り口が絶妙。 特に乗馬で競争するくだりは、文章のキレ、文体ともに完成されており、一流の講談師の語り口を耳にしているような錯覚があった。てっきり最近の作品だと思いながら読んだため、あとがきで二重のショックを受けた。

以上のように、非ミステリではあるが、芦辺拓という作家の個性が遺憾なく発揮された作品集である。むしろこちらの作品群の方が作者らしさが強く打ち出されている気がするくらい。幻のデビュー作が掲載されているから、などという理由以上に芦辺拓氏の創作姿勢の根源に近づくことが出来るように思われる。


06/07/04
青井夏海「星降る楽園でおやすみ」(中央公論新社'06)

1994年に『スタジアム 虹の事件簿』を自費出版後、2001年に同書が創元推理文庫で刊行されたのが一気に存在がクローズアップされた青井夏海さん。「赤ちゃん」シリーズ以降、創元以外の版元から書き下ろし長編を発表するようになった。本書もそういった一冊で、現段階ではノンシリーズ作品になりそうだ。

マンションの一室を借り、園長の早紀を中心に盛り上げてきている「アイリスキッズホーム」。かつては普通の託児所であったが早紀が園長に就任後に経営を転換、高所得世帯を主な相手にし、認可外ながら堅調な運営を行っている託児所である。だが、死んだ姉の遺児でナンバー2の淑恵はそんな経営方針に反対で、何かと早紀につっかかってきていた。数人いる保育士たちもその争いには加わらない。そんなある晩のこと、夕方までに五人の子供を預かったアイリスキッズホームを福祉局を名乗る二人組の男が訪ねてくる。彼らは、強引に部屋に押し入ると大量のおもちゃを子供に与えたはいいが、子供を人質に立て籠もってしまう。リーダー格の男は、子供の親に次々と電話を掛け、五百万円の身代金を夜中の十二時までに持って来るよう指示をする。もちろん、警察に届けたりした場合は子供の命はないという。ただ一方、子供を預けた親たちにしてもいろいろ事情を抱えており、ことはすんなりと運びそうにない……。

一風変わった籠城ミステリ。だけど日常のなかに存在する欺瞞や棘が、嫌な気持ちのなか掘り返される
大きな筋書きとしては、夜間保育を引き受ける保育園の子供たちを人質に犯人たちが身代金を要求するという事件を軸に、それに応じる親たちの様々な姿と、その保育園で犯人と駆け引きをする園関係者の姿を重ね合わせて同時進行させる作品。園内部での話に加え、五人の子供の親たちの様子がそれぞれ描かれるため、場面転換が多く漠然とした不安感が積み重ねられるような印象がある。(もとよりそれを狙っているのだと思う)。序盤のスピード感ある展開、犯罪者とのやり取り、また親たちが身代金を要求されてパニクっている様子など、個々にリアルが溢れサスペンスとして優れている。
そんな物語なのだが、底流となるテーマとなっているように感じたのは、「いい加減さ」というキーワードのように思えた。まず、誘拐され身代金を要求され、パニックに陥る親たち。事情があって五百万円など大金が作れない親、用意は出来るけれど親としての常識的な対応を欠く親、そもそも子供を預けていることを夫に知らせていない妻、等々どこか親たちの姿に必死さ以上に何か子供に向き合う行為に対する「いい加減さ」を感じる。そして実はもう一つ。徐々に明らかにされていくのだが犯人たちの行為もまた「いい加減」。本書では脅迫行為が機能しているが、ひとことでいうとあまり頭の良くない犯罪者、なのだ。なので、生活のバランスが崩され、各家庭の持つ「いい加減さ」が開示されていくうちに、言いようのない「痛さ」が読者にも伝わってくる。現代の夫婦や犯人たちの姿を通じて何も知らない子供たちを襲う(かもしれない)悲劇を思い、さらにまた手を打つものの全てが裏目に出てゆく早紀の行動もまた事件の痛さを助長する。真犯人の意外性は乏しいが、その協力者といったところに、また加えて痛みがある。(ただ最後、犯人による独白という手法自体は細々とした説明が過ぎるため、個人的には否定的)。
あと、物語全体を通じて考えたこと――。本作、こういった託児所の存在、その託児所に預けざるを得ない親たちについて何か主張したいことがあるのかないのかがすっきりしない。少なくとも、現代の夫婦像や無認可託児所といった社会派的テーマに踏み込んでしまっている一方で、そのテーマの扱いを持て余してしまっている印象がどうしても残る。恐らく作者にその意図はないと思うけれど、物語の流れからは結果的に、無認可託児所=防犯体制のない悪い場所であり、そんな場所に子供を預けてまで働く親は無神経――と読めてしまうのだ。まさか作者がそんな一面的な考え方しかお持ちだとは思えないので、このあたりには改善の余地があるように感じられる。

前作である『そして今はだれも』に続く、青井夏海さんの日常の悪意&サスペンス路線。本格のロジカルも微妙に使用されているが、読者が共に推理するというよりも、その”過程”のスリルを共有するタイプの作品だといえるだろう。


06/07/03
貫井徳郎「空白の叫び(上下)」(小学館'06)

小学館発行の『文芸ポスト』誌に2001年春号〜2006年冬号にかけ、足かけ五年連載された長編。原稿用紙換算2,100枚、貫井徳郎の作品のなかでも最もボリュームのある作品となっている。著者自身がホームページで述べているので補足しておくと、本書は貫井氏の代表作の一つ『殺人症候群』執筆中に、そこで描けなかったあるテーマを補完する目的で構想された作品であり、ある意味では姉妹編にあたるのだという。(その理由は読めば分かります)。

久藤美也、十四歳。小学校の頃からいじめられっ子であった彼は、中学入学後にある事件からその関係を逆転させ、現在は他者に暴力を振るい、怯えさせる立場にいた。両親や周囲を軽蔑し、調子の良い友人の水嶋以外とは誰とも交わらない彼は、自分自身の胸の底に巣くう黒い瘴気を持て余しており、常に苛苛としていた。そんな彼の前に非常勤の女性教師・柏木が立ちふさがろうとする。
葛城拓馬、十四歳。医者で大金持ちの父親と元芸能人の義母のもと有名進学校に通う。美しい顔立ちに優秀な頭脳を持つ彼は、常に周囲を計算して達観した生活を送っていた。誰に対しても距離を置きスマートに生きる彼が唯一苦手にしているのが、使用人である宗像夫婦の息子で愚鈍を絵に描いたような英之の存在だった。彼は無神経に拓馬の生活に土足で踏み込んでくるのだ。
神原尚彦、十四歳。両親との縁が薄い彼は祖母と母親代わりの叔母・聖美とのつましい三人暮らし。幼馴染みの佳津音が彼精神的に支えていたが、その祖母が勤務先で倒れ、重度の糖尿病で入院することになった。尚彦をほったらかしにして自由に生きる母親は聖美叔母と折り合いが悪く、そんな状況でも二人は仲違いを続けている。やがて祖母は亡くなる叔母は多額の遺産を手にしたが、尚彦と母親との仲は最悪の状態になっていた。
そんな三人がそれぞれ殺人を犯し、更正施設へ入所、そこから出て再び社会に向き合い三人が改めて出会って――を描く作品。

殺人という行為が生み出すもの、引き起こされるものとは一体何なのか。困難なテーマを真正面から描く
三人の少年たちが、それぞれ納得させられる生活背景・感情のなかで殺人という大罪を犯し、少年院という居心地のよくない空間でサバイバルまがいの生活を送り、復帰してから様々な困難に直面し、その状況を打開するためにある計画を引き起こす――というのがおおよそのストーリーになる。偉そうな言い方をいきなりするが、もし貴方がストーリーを追うことでしか物語を読めないのであれば、本書はあまりお薦めできない。なぜ彼らがこのような目に遭うのか? 裏で何が起きているのか? など、幾つかある疑問点は伏線を伴ってするすると解消し、ラストに全てきれいに着地するし、そもそも彼ら三人の人生の波瀾万丈もリアルに描かれているので、先に引っ張るだけの求心力を伴っている。普通のミステリやクライムノベルの括り(のつもり)でストーリーを追いかけたとしても、最後まで読み通して一定の興趣を得ることは出来るだろう。ただ、そうするとこれまでの貫井作品には見られなかったようなハードな暴力シーンや、エロティックな場面などが逆に悪印象として残り、後味が悪い作品になってしまう(のではないかと危惧される)。
ならばどう読むのか。『殺人症候群』との合わせ読むとまではいかないまでも『「殺人」という行為とその結果』が、物語全体のテーマとしてその一場面一場面に刻み込まれた作品であること、それを意識の片隅に置くことが必要だ。 三者三様の、その行為に至るまでの経緯。三人が更正の名のもとで味わわされる屈辱。そして社会に戻された後の寄る辺無さと、いわゆる世間様による彼らへの残酷な仕打ち。これらは抽象的表現ではダメで、読者にもリアルにその全貌を伝え、その結果としての絶望であるとか、苦しみまでをもしっかりと文章にする必要があるのだ。作者が敢えて自らの殻を打ち破り、暴力などを赤裸々に描き出すのは、それが理由だろう。
そういった様々なひどい経験、そして仕打ちの結果、久藤、葛城、神原の三人は、その後の人生のみならず、生き方や性格までもが着々と変化してゆく。精神の強い者、弱い者がどう変化してゆくのか。自らの犯した罪に向き合うとはどういうことか。そして、殺人を犯した結果、犯人たる人物が引き受けなければならない本当の事実とは何なのか。 もともと対照的な性格をもつ三人それぞれを別個に描くことによって、その深いテーマは、角度を変えて照らされてゆく。この物語にて語られる結末は、作者なりに考え抜いた「殺人」に対する落とし前であろうが、これが世の中のただ一つの正解だとは考えられてはいないとは思う。だが、少なくとも、これが一つの考え方であり、そのことに対して読者もまたそれ以上に「考えるべき」なのだ。ちなみに、ここで殺人そのものの是非を単純には問うていない。むしろ前半部を読む限りは、この年若い三人の殺人者に同情の余地すら覚えるかもしれない。だが、だからこそ後半部での”彼ら”と我々読者はしっかりと向き合う必要があるのだ。

普段、あまりにも何気なく殺人が登場する作品(つまりはいわゆるミステリ)を読んでいるわけだが、その裏側にどれほどの思いや感情が隠されているのかまでをも伝えてくれる作品はほとんどない。その重厚なテーマに真っ正面から取り組んだ作品であり、間違いなく今後の貫井徳郎の代表作となるもの。その文章自体の読みやすさ、構成の無駄の無さゆえに誤読する向きもあろうが、このテーマ性をじっくりと受け止めるべき作品だと思う。


06/07/02
樋口有介「ピース」(中央公論新社'06)

最近、創元推理文庫より《柚木草平シリーズ》が再刊されつつあり、改めて青春ミステリの希有な書き手としては注目度の上がる樋口有介氏だが、近著の『月の梯子』そして本作と、最近は滋味溢れる大人の小説/ミステリ作家として素晴らしい作品を発表している事実の方は、あまり評判にあがっていないように思える。昔の作品ももちろんも良いのだが、近作にももっと注目されたい。 少なくとも傑作ですぜこの作品は。

山に囲まれた田舎町・秩父でひっそりと営業されるスナック・ラザロ。六十を過ぎ髭を蓄えたマスター・八田が経営し、従業員として年若い梢路と、女子大生でアルバイトの珠枝、そしてピアノの伴奏をする成子がおり、秩父勤務のサラリーマンや、地元住まいのカメラマンなどの常連客でそこそこの賑わいをみせている。珠枝と同じ大学に通う大酒飲みの学生がふらりと訪れ、さらに常連の新聞記者・麻美が訪れた。十一時に珠枝が帰り、一時半にマスターと成子が帰り、店に住む梢路は後かたづけを終える。そこへ一旦出た麻美が戻ってきて、二人は静かで熱い夜を過ごす。麻美は、秩父で百科事典を読み山歩きを唯一の趣味とする梢路の過去を知りたがるが、彼は黙して語らない。――その晩、帰宅した成子は何者かに襲われる。一ヶ月ほど前、寄居町で男性のバラバラ死体が発見されていたが、続いて長瀞でも女性のバラバラ死体が発見された。秩父出身の埼玉県警の坂森らが捜査にあたり、遺留品の指輪や時計から、それがスナック勤務の女性のものだと判明。坂森はその女性が勤務していたラザロを訪れ、旧知の顔を見つける。

田舎を舞台に大人の筆致で静かに描かれるミステリにして、展開の意外性が超・絶妙。すばらしい
秩父の田舎町、その決して流行ってはいないスナックに夜な夜な集う客と従業員たち。一見、静かな展開のなか、その関係者のなかでも意外な人間が殺害され、連続殺人バラバラ死体遺棄事件の被害者となって浮かび上がる――。その展開のなかで、まずは登場人物の様々な過去や現在の行状が静かな筆致により作者によって暴かれてゆく。静かに最低限の暮らしをし、人知れず朽ちてゆくことを望む、まだ若いスナック従業員の梢路、その彼の背後を知りつつ雇う老齢のマスター・八田、梢路と関係を持つ、ローカル紙の女性記者にして子連れ四十代の麻美……。事件によって変化した彼らの生活を追いつつ、時に真犯人の描写を交えてゆく。過剰な手掛かりを読者に提供せず、静かに人々田舎のコージーといった手法でを描き出してゆく。 淡々と一定のテンポで展開される物語には決して過剰な装飾はない代わりに、常に一定の吸引力を保つ文章。読み手を捉えて離さない。
また、それでいてその展開のなかにおける、サプライズの仕掛けどころが抜群に巧いのだ。名探偵が「さて」をいうでなく、名刑事が犯人を追い詰めてゆくでもなく、読者に対して静かに事件の内容が開示される。《ピース》。題名の意味が思い知らされ、犯人は意外なところに用意されている。本格の歴史のなかで、この理由で被害者をバラバラにする作品などあっただろうか。しかし、この犯人は絶対に被害者を切り刻む必要があったのだ。《ピース》。この意味がもたらす感銘は不気味にして深い。 フーダニットとしては手掛かりが不十分だし、ハウダニットの要素はあまりないし、だけど超絶のホワイダニットとして、高く評価したい。
とにかく”小説”がまず巧い。登場する人間が一面的にではなく、さまざまに矛盾する気持ちや心を抱えて悩みながら生きている、という現実的な側面を有しており、それをさらりと書いてのけている。最後に呈示される仮説については、個人的にはあっても無くてもという気がしたが、そこまで含めると更に奥深い。日本のある歴史や日本人のどうしようもない習性を社会派風に内包している部分もある。それらをミステリの手法できちんと訴え出しておいて、更にサプライズに繋げて……だけど、単純にミステリに分類したくなくなるような余情がいい。

こういう作品が出てくるところを考えると「ミステリ、まだまだいけるじゃん」(某小説の帯の真似)という気持ちになる。ぜひとも多くの人に読んでもらいたい。間違いなく今年の収穫の一つ。


06/07/01
倉阪鬼一郎「ダークネス」(ハヤカワ・ミステリワールド'06)

このところ順調に作品が刊行され、またその執筆者のセレクトにも独特のこだわりが感じさせられる「ハヤカワ・ミステリワールド」シリーズに倉阪鬼一郎氏が登場。819枚書き下ろしというノンシリーズ長編。

黒い影を観る、夢の中で故人から話しかけられる――特異な体験をした人間が、ふとしたきっかけから意識を何者かに乗っ取られ、愛する人でも誰でも、目の前にいる人間の頸動脈を常軌を逸した力で掻き切って殺害、その後に心臓発作を起こして死亡する――。無動機連鎖殺人(M・R・S)と後に呼ばれることになる謎の連続殺人事件が、日本全国で繰り広げられる。当初は無関係と思われた一連の事件には、不思議な共通性がある。そのことに気付いた警視庁の特務捜査官・柚木は特別プロジェクトチームを立ち上げ、”影の名探偵”と呼ばれ、これまで非公式に幾多の難事件を解決してきた大学教授の志木上、さらには監察医の窪川らに参加を要請する。当初は散発的に発生していた事件は年を越しても連綿と継続、事件を追っていた新聞記者の娘が加害者となり、更に柚木が友人と恃む岐阜県警の小野田までもが事件の加害者となってしまった。社会現象化したM・R・Sの裏側にはある人物の黒い思惑が隠されていた……。果たして一連の事件の鍵となるものは一体何なのか?

ダークな倉阪色が強く打ち出された展開が魅力。独特な切り口を”謎”に据えたホラー・サスペンス大作
一応現実世界がベースになるとはいえ、その背景にsupernaturalが絡んだ連続殺人の連鎖が中心テーマ。なので、ミステリとして考えるとホラーミステリ、幻想ミステリといった現実にはあり得ない、外の要素までをもその謎解きの考慮に入れる必要のある作品系統に連なっている。ただ元もと怪奇小説家としての実績を持つ倉阪氏だけに、こういった幻想や妄想、そしてオカルトが連なる世界の方がむしろかっちりした本格より親和性が高いように思う。
そして、冒頭に登場人物表が五十名分、ずらりと並ぶがそのほとんどの登場人物が作中で殺されてしまうという鬼畜ぶり。ホラーとサスペンスを融合した作風のなかで、ホラー風味の幻想的描写が挿入されるのは倉阪マニアには堪らないところ。 ただここまで数多くの人間が同じパターンで殺害されてしまうと、さすがに殺人事件被害者の特権性まで奪われてしまう印象もあるか。(簡単にいうと後半にゆけばゆくほどサプライズが減少してしまうということだ)。一方、その手がかりというか事件が伝播するための鍵となるものは、注意深い読者であれば気づける(というか推測できる)レベルにあり、ある意味、フェアプレイ精神をホラーに持ち込んでいるものともいえるだろう。加えて、その幻想、狂気としか思えない場面や描写が、実際にはどういうことだったのか、現実描写や登場人物の感覚に落とし込まれてゆく過程は相変わらず独特の翻訳力に則っていて、ミステリの謎解きにも似た世界の逆転が味わえる。個人的には倉阪氏のミステリ系統の作品に必ずといっていいほど存在する、この幻想→現実への還元/種明かしは物語の一つのキモとして、実に楽しみなのだ。

その真相に比して、謎を解明するサイドの無力さが強調されすぎているきらい(というよりも作者の登場人物皆殺しへの意志というか)もあって、ちょっと中盤が間延びするような印象もあるが、幻想ミステリ好みの読者には十二分に楽しめる内容となっている。本書のようにほとんどの登場人物を破滅させる作品は、倉阪氏には他にもあるがそういった一連の作品に比べても完成度は高いと感じた。