MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/07/31
草上 仁「文章探偵」(ハヤカワ・ミステリワールド'06)

草上仁氏は'81年「ハヤカワ・SFコンテスト」で佳作入賞してデビュー。その後もSF分野で短編作品を中心に発表し星雲賞を二度受賞している。本書は、そんなSF畑の草上氏による、初の長編ミステリにあたる。書き下ろし。

中堅ミステリ作家・左創作は本業の他に『ザ・ノベル講座』という小説教室の講師をしている。彼は生徒に無記名で原稿を提出させ、その文章の癖や変換ミスなどから作者をプロファイルして誰の作品かを当てる「文章探偵」であった。だが、左自身、妻に出てゆかれるなど数多くの悩みを抱えていた。その左のもとに定期的に蝉の抜け殻と、彼の仕事ぶりを脅迫する文書が定期的に届けられる。その内容とタイミングから、どうも小説講座の人間がその差出人と思われるが……。更に追い打ちをかけるように、左が二次審査を担当する『トパーズ・ミステリ新人賞』に応募されてきた原稿内容と酷似した殺人事件が現実にも発生した。その原稿の内容から、応募者は間違いなく『ザ・ノベル』の講座の受講生と思われ、左はその原稿のプロファイリングを重ねてゆくのだが……。

メタ趣向を取り入れたミステリとして独特の試み。意外性までは成功も、後少しの整理が欲しい
アマチュアが書いた小説文章の一節から、その作者を推定するというのが「文章探偵」の趣向。手掛かりは頻発する単語の特殊性やワープロの打ち間違い。このあたり、素人とはいえ打ち間違いが多すぎたり、文章の誤用があまりにも酷すぎたりするようにみえるが、それがどうしても推理の前提となる部分なので仕方がない。(打ち間違いも普通に推敲すればミスに気付くだろうこれは、というレベルだし、多少特殊な語彙の使用にしても仕事と繋げるのは強引な気がする。”瑕疵”なんて言葉も別に本書で挙げられていない業界の小生だって普通に使うし)。ただ、この多少不自然な前提を、SFミステリなどと同様、所与の条件と考えて認めてしまえばなかなか面白い趣向だと思う。 作中作の謎解きという本格ミステリは幾つか存在するが、その内容以上に文章の断片だけでいろいろな推理をしていくという方法自体がかなり斬新だと感じられる。
ただ、素直に「文章探偵」が単純に謎解きをしているのは序盤だけで、後半にはサスペンスめいた展開となってゆく。実際におきた殺人事件と、内容が同じだが表現がところどころ異なる二つのミステリ新人賞応募原稿で描かれるディティールが同じという問題が発生、主人公の左が必死に文章の細かなクセなどからプロファイリングを試みなければならなくなる。受講者の一人、佐久間が殺され、その妻と、佐久間と恋人同士だったという男が登場し、左は疑心暗鬼に陥っていく。ただ問題は、文章の分析がくどく、かつ容疑者を無駄に多く登場させている部分があってこのあたりがごちゃごちゃしてしまっていること。小生自身、実際は取り組んでいないが、真犯人が判明して二周目で読むと伏線以上に何かミスがあるのではないかという気もする。それに事件の構図が今ひとつ理解しづらく、主人公の行動の意図が分からなくなり、読んでいる途中でしばしば「?」となってしまった。小生の読解力不足といえばそれまでだが、意外な真犯人を立てたがゆえに中盤がとても窮屈になっていたのだと読み終わってから気付いた。(もう一点、小生が混乱した理由は、作中人物が書いたとされる文章はゴシックで区分されているものの、生徒の小説も疑惑の小説もメールも一緒くたになっていたこと。「何の時に書かれた何の文章なのか」がすぐに判断できなかった点もある)。

誤解して頂きたくはないのだが、本格ミステリのコンセプトとしては斬新でありフーダニットにおけるサプライズも大きい。 推理の手段についてもフェアに提示していあるため本格ファンであればじっくり取り組んで楽しむこともできる作品。とはいえ作者のあとがきにあるように〆切に追われたのか、もう少し読者側に立った配慮が欲しかったことも事実だが。


06/07/30
赤川次郎「三姉妹探偵団3 珠美・初恋篇」(講談社文庫'89)

流れで読んでます。三姉妹探偵団シリーズの三冊目。'86年『小説現代』誌の二月、三月号に掲載された作品が初出。

例の如く父親の出張中、三姉妹の末娘・珠美の鞄の中に試験問題のコピーが入れられ、それが先生に発見された。もちろん何もかによる濡れ衣で珠美は反発するが、長女の綾子が先生の前で泣き崩れ、なし崩しに珠美が罪を認めたことになってしまい三日間の停学を言い渡される。そんな三姉妹宅に寄った国友刑事のもとに連絡が入る。珠美の通うM中学で死体が発見されたのだという。被害者は四十代の女性で有田信子。くしゃくしゃの試験問題のコピーがカバンの中から発見された。だが信子の息子・勇一は不良で少年院から施設送りとなっており、現在学校には通っていない。施設で報せを受けた勇一は、母親の死の仇を討つべく密かに行動を開始、母親の死の真相を知っていると勘違いし、三姉妹宅で留守番をしていた珠美をナイフで脅す。そこに国友が来訪するが、珠美は勇一の存在を隠して平然と応対、彼を匿ってやるのだった。

登場人物に付随させる秘密とそのバランス。それを主人公格の人物が徐々に知るという構図
いやいや邪道だとは思いつつも、三姉妹の誰にも感情移入せず(当然萌えもせず)、珠美の恋心に温かい笑みを浮かべることもせずひたすらに「赤川次郎ミステリ」の中期作品の一つとして冷静に読んでしまいました。
そこで判ったこと。当初のシチュエーションは少々突飛につくる。本作では珠美がテスト問題盗難の濡れ衣を着せられ、一方で珠美の学校で、学校とは縁の薄いはずの女性が殺害される。主人公に繋ぐために、彼女にもテスト問題を持たせてしまう。こういった状況を設定し、関係者を登場させる。被害者の有田信子の息子・勇一、また校内で不埒な行為をしようとしていた杉下ルミ、坂口正明。その親で過保護な坂口爽子、有田信子の父親で大金持ちの小峰、その秘書たち。学校の数学教師・丸山……といったあたり。その他にも登場人物はもちろん存在するがストーリーに影響はない。
そして、裏設定というのか各登場人物(主人公以外)にプロフィールを付け、性格で彩る作業を行う。恐らく先にそれを済ませたうえで、思わせぶりに物語に少しずつ登場させていくのだ。この場面は、当然主人公側からすると「未知」の人々にあたるため、その性格や役割によっては怪しくも健全にも見えるし、彼らなりに整合性の取れる行動を取ったとしても、主人公側からは奇妙な行為にしか見えないわけだ。読者も主人公と同じ視点を与えられるわけで、この結果、事件が謎めいてゆくという寸法だ。本作の場合は、トリックらしいトリックは使われていないし、このイレギュラーな登場人物たちの背景が少しずつ明らかになっていくことが、物語において主人公たちの目隠しとなっていた霧を晴らしていくことと同意なのだ。
結果、その裏設定に犯行の動機は書かれているわけで、物語の進展と共にそれらが明らかになって、ミステリとしての解決に持ち込まれるということになる。もちろん、その各シチュエーションにおいて(目的は、そのイレギュラー登場人物の秘密を探ることにある)この場合は三姉妹にちょっと危険な目に遭ってもらうことも忘れてはいない。(そしてもちろん致命的なダメージは受けない)。

謎の設定の部分に独特の魅力があり、それでいて過程がスリリング、そして全てが明らかになったところですっきり。このあたりが綺麗に決まるかどうかが作者のセンスで、やっぱり赤川次郎はこのセンスに長けているということかな。そしてその判りやすさと面白さが多くのファンを引き付け続けている秘密なのだと思う。


06/07/29
麻見和史「ヴェサリウスの柩」(東京創元社'06)

第16回鮎川哲也賞受賞作品。本書がデビュー作品となる麻見和史(あさみかずし)氏は一九六五年千葉県生まれ。立教大学文学部卒業で現在は会社員とのこと。

東都大学医学部解剖学教室に所属する深澤千紗都は三十歳の助手。人間の美しさ、精密さに引かれ園部教授の教室に入って八年が経過していた。彼女に対し同じ教室の講師・小田島が好意を寄せていることは判っていたが、彼女は年輩でも人柄の良い教授の園部に惹かれていた。「ご遺体」を数人のグループが三ヶ月かける解剖実習は医学部生必修で、解剖学教室が指導していた。そんななか一つの「ご遺体」の腹腔からシリコーン製のチューブが発見された。「ご遺体」に実施された過去の手術における「置き忘れ」かと思われたが、その内部には薄い紙にボールペンで「園部よ 私は戻ってきた」ではじまる脅迫状が書かれていた。解剖用の遺体に誰がどうやって? このことを知った園部は明らかに精神的に衝撃を受けた様子だった。園部教室の傍若無人な事務員・梶井と共に、園部には黙ったまま千紗都はこの遺体のことを調べようとするが、続いて彼女は標本室でガラス容器の中に閉じ込められたマウスと共に第二の脅迫状を発見する。さらに先の「ご遺体」がとんでもない場所に放置されてドブネズミが群がっていた――。

人体という密室を利用した不可能犯罪の数々に強烈なサスペンス。但し結末の”強烈にすぎる因果”をどう受けるか
死体を扱うことの多いミステリの世界におきながら解剖学教室という存在はあまり馴染みがない。外から死体が持ち込まれて犯罪を検死官が推理するような作品や、司法解剖を専門に扱う椹野道流さんの鬼籍通覧シリーズとかもあるけど、この内部で奇怪な事件を発生させるというパターンは目新しい。更に「献体を希望した人の遺体から偶然に発見された筈のチューブから脅迫状が出てきた」という奇妙な冒頭、更に立て続けに届く脅迫状とそのショッキングな場面など、読み進めれば読み進むほどに強烈な不安感が読者につきまとうようになる展開が印象的。 また、このファザコン気味女性主人公の巻き込まれ方もかなり強烈だ。(死体が漬け込まれる水槽に突き落とされたりとか)。更にチューブを埋め込んだと思しき医者は、十九年前に自殺してしまっていてこの世にはもういない――。

謎の提示の仕方は独特なれど、間違いなく強烈。一体どうすればこんなことになるの?

ただ、この序盤から中盤にあまりにも強烈に謎めいた状況を演出した結果、終盤の回収がまた凄まじいことになっている。本格で要求されるようなトリックが仕込まれているのではなく、むしろ状況について「説明がつけられる」結末になっているのだが、ここで作者は大風呂敷を用意しているのだ。この「説明」を成り立たせるために、犯人の強烈な悪意と執念が必要となり、またまたその悪意と執念の背景が必要となり、その背景が時を経て復活するための背景を準備し……と特に後半部が説明に忙しくなっている印象。唐突な登場人物だとか、語られていないエピソードを使用したりというアンフェアさはない一方で、ここまで凄まじい因果を関係者に割り振って強引に物語に込めてしまう点は評価が分かれるところのように思う。(小生は「何でもあり」なので、これはこれで楽しめたが)。但し、強引だとはいえ一連の風呂敷を畳むのに使用される論理のうえに瑕疵があるわけではないので、鮎川賞として何ら恥じることのない作品だろう。

とはいえ、強く従来型の本格を指向した作品ではないし、鮎川哲也賞の一連の作品のなかでは異色であることは事実。ただ全体に通じて存在する「ご遺体」を中心とした怪奇小説めいた雰囲気なども悪くなく、一個のミステリとして見た場合には十二分に意義のある作品となっていると感じられた。


06/07/28
近藤史恵「猿若町捕物帳 にわか大根」(光文社'06)

これまで幻冬舎文庫で書き下ろし刊行されていた「猿若町捕物帳シリーズ」の第三弾。が、タイミングの悪いことに前二冊『巴之丞鹿の子』『ほおずき地獄』(いずれも傑作)については既に絶版となっている模様。光文社文庫あたりでの再刊を希望。本書は『ジャーロ』二〇〇四年冬号から二〇〇五年秋号にかけて発表された作品がまとめられている。

吉原の内部で死因が異なるながら、三人の若い遊女が立て続けに死亡した。そのうちの一人が馴染みの花魁・梅が枝が親しくしていたこともあり、千陰は内々にその調べを開始する。彼女たちには一見共通点はないように見えたが、吉原を専門に看る医者の様子に千陰は引っ掛かりを覚える。 『吉原雀』
友人の役者で江戸でも人気絶頂の巴之丞。彼が登場以前に大人気を誇っていた村山達之助が上方から復帰。しかし、かつての彼の芝居とは異なり、間違いなく本人であるのに途轍もなく大根な芝居をするようになっていた。訝る関係者、そして舞台育ちの達之助の幼い子供が不審な死に方を。さらにその後、達之助の演技は精彩が戻って……。 『にわか大根』
天水桶から発見された身許不明の死体。首筋に刺し傷のあるそれは、船芝居役者の円蔵だと判明した。折しもその相方・谷与四郎を巴之丞がかつての朋友だということで探していたが、その与四郎が行方不明となっていた。やがて彼は馴染みの女性のところで発見されるが……。 『片陰』 以上三中編。

江戸情緒や下町人情のみならず、ミステリとしても抜群の冴え。近藤史恵の隠れ名シリーズ絶好調
この「猿若町捕物帳シリーズ」本作が三冊目になるのだが、あまりミステリ方面で大きな話題にならないのが不思議である。いわゆる”新本格系”の作家で時代小説まで手を出している方はごく少ないことからも近藤さんのこの方面への貢献は貴重なのだが、これまでの作品にしても本作にしても”本格”捕物帳として完成されているという凄さがある。(シリーズを通じて主人公と周辺人物が重なっており、できれば刊行順に読む方が望ましいとはいえ、無視できないと思うのだけどなあ)。
三編が三編とも同心・玉島千陰の活躍を描きつつ、その三編を通じてまた一つ緩やかながら良い謎を込めており、連作中編集として読むことができる。特に本作では、序盤に千陰のもとに飛び込んでくる、千陰の年若き義理の母・お駒の従姉妹である商家の娘・おふくの存在がポイント。彼女が義理の母親と折り合いが悪いのは何故なのか。お駒の不審な態度はいったいなぜなのか。そういったことが絡まり、更におふくが手代と駆け落ちをしたというところで読者は「?」に持ち込まれる。そういった背景のなかで、別個の三つの事件がかっちり描かれているのだからスゴイ。
ミステリの観点からの圧巻は『吉原雀』。この作品は伏線を引きながらも重要な事実の読者への伏せ方が抜群に巧い。ミッシングリンクがテーマのようでいて、別のトリックを巧みに作品に組み込んであり、ミスリーディングへ読者を誘う。また真犯人の意外性をうまく意識した構成となっていて、間違いなくこの冒頭の作品を読み終えたあたりでどっぷり世界に浸かるはず。
物語の叙情としては後ろ二作に軍配が上がるか。『にわか大根』の裏側にある男女の醜いまでの愛憎劇、そして『片陰』における愛情とその裏返しの憎しみの凄まじさ。 千陰付きの小者・八百吉による固定視点により、彼の感想や思いが適度にアクセントとなっている点などもテクニックを感じるところだ。
そして三作目の終盤には、千陰本人の物語として返してくるところ、これはシリーズ全体を通じての読者へのサービスか。この後展開される状況も当然想像できるわけで、この作品で打ちきるのも美しくはあるけれど、それでも泥臭くシリーズは続けて頂けないものか。ちょっとやきもきしたりもする。

読むのを楽しみにとっておいただけのことはあり、期待を裏切らない出来に満足。本格ミステリとしても優れていると思うので、時代小説と思って遠慮している方がいるのならば是非手に取ってもらいたいもの。


06/07/27
島田荘司「光る鶴」(光文社文庫'06)

光文社文庫の「吉敷竹史シリーズ」の十六冊目として文庫オリジナルとして刊行された作品。2006年後半の「月刊・島田荘司」の一翼を担う。とはいっても文庫収録のうち二編はノベルス版で刊行された『吉敷竹史の肖像』がベースとなっており、そこに書き下ろし短編『電車最中』が加えられている。

かつて付き合いのあった人物・藤波剛の告別式に出席するため福岡県を訪れた吉敷。彼はそこで昭島と名乗る青年と出会う。昭島は孤児であった過去を告白、藤波の命により「昭島事件」にて被告となっている昭島義明という人物と養子縁組しているのだという。今から二十六年前、昭島はある事件の発生していた当日、稲塚駅構内で発見された赤ん坊。彼の義父・昭島が係わったとされる一家三人惨殺事件であり、藤波は生前、吉敷に事件のことを相談するように遺言していた。『光る鶴』
小学校時代は倉敷でそれなりに恵まれた暮らしをしていた吉敷竹史。彼は別に警察官になりたいと思っていたわけではなかった。高校時代はラグビーに打ち込み、そして学生運動盛んな大学生活。吉敷は学生運動とは一線を画していたが、この時に遭遇した一つの事件が、彼の後の運命を変えた……。『吉敷竹史の肖像』
鹿児島で発生した殺人事件。射殺された被害者の家からなぜか茶碗が一つ消えていた。事件の容疑者となったのは暴力団関係者。鹿児島県警の留井はその茶碗が問題とみて捜査を開始、その根城へと至る路上で割れた茶碗とレシートを発見する。被害者の遺留品に特殊なかたちをした最中のかけらが見つかり、事件は早々に解決に向かうものと思われたが……。 『電車最中』 以上三編。

島田荘司が創造する偉大な探偵の一人”吉敷竹史”。彼の人間味や深みを再確認させてくれる好中編集
収録三中編のうち前二編が再読となり『電車最中』が書き下ろしにつき初読となった。前二作についてもまだ印象は残っており、トリック云々という部分よりについてはあまり心に留めず、むしろ吉敷竹史というベテラン警部の心情に傾きつつ読めたことが収穫だ。『吉敷竹史の肖像』は、前作での表題作であり「吉敷竹史はなぜ刑事という職業を志すことになったか?」というエピソードのみで作品としたもの。以前読んだときは納得と同時に不満もなくはなかったが、これはこれで良いのだと感じた。つまりは、些かエキセントリックなところが強調される御手洗潔と比しての吉敷竹史という人物の泥臭さ、その泥臭さの源がどこにあるのか、ある「詩」をもって体現されていることだ。考えてみれば吉敷作品もほとんど読んできたが、結局のところ、この詩とその心根が共通なのだ。このことは後からじんわりと染みこんできて、これまでの吉敷の活躍と苦労が頭の中に思い浮かぶ仕掛けになっている。
『光る鶴』は、実際の「秋好事件」をモチーフとした作品。その下敷きとなった事件への思い入れを語りつつも、描かれる光と闇とのコントラストがむしろ印象的。 その哀しくも寂しい美しさが「光る鶴」の美しさを際立たせる。社会派としてこれだけ重要な作品を詩的に描ける部分に島田荘司という才能のの凄まじさを感じ取れる。
そして新作『電車最中』。確か『灰の迷宮』に登場した鹿児島県警の留井刑事が主人公で、吉敷は脇役。このキーとなるある食べ物の出所は鹿児島ではないということが判明した時点で何となく予想した通りの結果となっており、逆に盲点とはなりにくいように思う。(これが都電荒川線ではなく阪堺電車だったらこの点はもっと意外性の効果が高かったのではないかと思う)。また、上京した留井が犯人が購入した方法なりを突き止める部分も偶然が勝ちすぎていて、ミステリとしての意外性には乏しい。トータルとしては、ミステリとしてのサプライズよりも、田舎に住まう人にとってのかつての東京慕情、そして吉敷の分け隔て無い優しさを感じる作品となっている。吉敷による快刀乱麻の名推理はないが、「聞き出し役」の人物としての素晴らしさが光っているように感じられた。

「吉敷もの」ファンならばいずれにせよ必読だろうが、もし島田荘司がお好きな方で『吉敷竹史の肖像』を読まれていない方であれば、お勧めできる。『光る鶴』の一風変わった構成は斬新さをも秘めており、味わいが深い。


06/07/26
田中哲弥「ミッションスクール」(ハヤカワ文庫JA'06)

かつて電撃文庫で刊行された《大久保町シリーズ》が大人気(だけど現段階は全て絶版)という田中哲弥氏の二十一世紀最初の新刊が本書である。田中哲弥氏が自身のサイトで明らかにしているように彼は二十四時間机に向かっているのだが、なんと不運なことであろう。きっと「毎月一冊田中哲弥」くらいには原稿が貯まっているに違いない。どなたかこの才能を理解してくれる出版社が「月刊・田中哲弥」を実行してくれないものだろうか。復刊の『やみなべの陰謀』に続く新作で

授業中にトイレに立った十七歳の美人女子高生・山岸香織を追って雄作は席を立つ。雄作は国連の秘密組織、そして香織はMI6の諜報部員で、雄作は彼女のことをサポートしなければならない。教師の三井早苗の誘惑を退け、謎の敵二人をあっという間に倒した雄作は香織に襲われるが、なぜか保健室のベッドの上で二人は親交を深め合う。 『ミッションスクール』
トイレの呪いが原因か、その影響が極大化した結果、生徒や教師が恥ずかしいと思うことを口にした途端、強烈な破壊現象が発生してしまうようになった学校。そのきっかけの一人、八木千秋を止めようとした陽治はなぜか彼女といい感じになるのだが、学校の破壊は続いてゆく。 『ポルターガイスト』
金満にして豪華な学校でありながら備品管理が怖ろしく厳しい学校で秋野絵津は知らぬこととはいえ美術部備品をクラスの友人に大盤振る舞い。その結果、絵津と彼女を心底崇拝する蛍太、部長の坂崎、そして部員の吉井は恐怖の伝説が伝わる「総務部」へと冒険を開始することになった。 『ステイショナリー・クエスト』
頭は抜群に良いが抜けたところのある幼馴染みの恭平の苦境を助けるべく、美少女・菜々美は援助交際をしてその費用を捻出しようとする。そこに引っ掛かった男の持っていた狐に囓られた結果、菜々美はなんとスーパーヒーローの能力全てを持ってしまい、世界を揺るがす闘争に巻き込まれてゆく。 『フォクシーガール』
入学式当日から「学校が沈む」という事態に巻き込まれた新入生・詠一とロビン。彼らは崩れてきた天井と共に学校地下の湖に投げ出される。何とか浮き上がった彼を待ち受けていたのは、運命の出逢いを喜ぶ怪力美少女・百合恵。しかし、詠一はなぜか異常なモテ方をするようになりひどい困難に陥ってしまう。 『スクーリング・インフェルノ』 以上五編。

わけわかんねー、でもめちゃくちゃ面白れー。巨大学園を舞台にしたラブコメめちゃめちゃ冒険譚群
「ミッションスクール」という題名のうち、ミッションはいわゆる「作戦」の意。五つの短編に登場する「スクール」は全て別の学園で、それぞれにウルトラセブンの敵の名前が冠されている(聖メヒラス学園、聖ペガッサ学園、聖キユラソ学園、聖イカルス学園、聖メトロン学園)が、別に深い意味はなさそうで、大体において巨大で、学園内で当たり前のように国際情勢を地球の存亡を賭けるような変梃な事態が発生する。ただ、その当事者になる主人公たち(これも全て異なる)は、そんな異常事態に対しても、奇妙に平常心を保っていたりすることで実に奇妙なシチュエーションユーモアSF作品として成り立っているのだ。
確かに、ラノベ読者の総すかんを食らったというのも判らないでもない。こういっためちゃくちゃな作品に免疫のない、普通のファンタジーとそこでのラブラブ小説しか知らないようあ活字系初心者読者にはいささか毒が強すぎるかもしれない。(しかし、この作品はめちゃくちゃに受けるか顰蹙を買うかの両極端であることは間違いない。十年早かったのだ)。ただ、SF系であろうとその他エンタメ系であろうと、ある程度すれた大人の読者であれば狂喜乱舞するようなセンスに溢れた希有な作品であることも断言しておきたい。
そう、物語はめちゃくちゃで、田中哲弥お得意の(たぶん)男女のラブコメはギャグの部分にしか寄与しない。だけど、とにかくこのめちゃくちゃな展開(大抵の場合、日常の平和な学園生活からいきなり世界が崩壊してゆくのだから)、一行先すら先読みを許さない自由で破天荒な発想、このセンスが素晴らしいものであることはとりあえず断言したい。御承知の通り、SFとしてどうのとかはいえないし、ミステリとして凄いとかもいわない。だけど、なんというか狭い一部の読者層に向けた強烈なエンターテインメントであることは間違いない。(問題は、対象が”狭い一部の読者層”であることだ)。

読書に、その言葉の意味通りの”楽しさ”を求める読者には最高のプレゼント。 田中哲弥ワールドを堪能できる作品で、だけどどれだけ需要があるのだろう? 例え荒唐無稽であっても、本当に面白い作品を心から面白がれる方には是非読んで頂きたい作品だと強く感じる。


06/07/25
高田崇史「QED〜ventus〜 御霊将門」(講談社ノベルス'06)

そのオリジナルな発想に底を見せない「QEDシリーズ」本体に続く導入部、そして観光案内(?)としての機能も有する「〜ventus〜」も本書で三冊目。題名の通り、日本の悪人として知られる平将門がテーマとなっている。

編集者の仕事を一区切りつけた妹の沙織の誘導(?)により、棚旗奈々はタタルこと桑原崇と三人で九段・千鳥が淵に花見に行こうということになる。早速当日、やはり彼らはまず最初に靖国神社にお参りすることになる。そこで蘊蓄を聞かされた沙織はその帰り、ちらりと見えた別の神社を話題にする。平将門が祀られている築土神社。江戸時代は田安明神として江戸三社の一つに数えられていたというその神社は、伝説では京都で獄門に懸けられていた将門の首を有縁の者が持ち去り、下総に埋められていた胴体と合わせ、塚を築いて祀ったことが起源なのだという。大怨霊とも呼ばれる平将門、その将門を祀った神田明神は、靖国神社と共に明治天皇が参拝したただ二つの神社の片方なのだという。タタルに引っ張られるかたちで急遽彼女らはタクシーで神田明神に向かうことになり、その道行きで平将門についてレクチャーを受ける。平将門は自分の開拓した土地を巡り、朝廷と対立しやがて激しい戦闘の結果、藤原秀郷らに討ち果たされてしまう。そしてそこから首級が喋ったり、空を飛んだりといった将門にまつわる怪異がはじまるのだが……。

大悪人にして大怨霊・平将門の実像にピンポイント。なぜ江戸っ子は成田山にお参りをしない?
怨霊ということを除くとなんというか平将門に詳しい訳もなく「平将門の乱」で朝廷に反旗を翻した……というイメージしか小生は持っていなかった。が、本書を読むと沙織のみならず将門ファンになってしまいそうだ。というのも高田氏の仕事が丁寧だから。まずは一般的な歴史における将門像を提示し(ここが有り難い)、それを現代に残る寺社の縁起などから様々な類推を重ね、その平将門という人物の実像に迫ってゆく。平将門がどんな人物だったかという点についてはもちろん、なぜ後世において悪党扱いされるようになったかという歴史の流れまできっちり把握させられていく。こういった手法が突き詰められた結果、ある意味定番となっている「QED」ではあるが、本書に至ると同じエンターテインメントながら、ノンフィクションの手法による面白みに近いようだ。
ただ、その平将門の歴史上の功績であるとか、その背景を裏読みして人物像に迫るだけではないのがQEDの面白いところ。更に一旦、将門と成田山との確執といった”世間の常識”を取り上げながら、その裏をかいてくる。この桑原崇によるアプローチがスリリングで、ヒントが本文に既に登場していたりするところから、棚旗奈々の何気ないひとことをきっかけに全く別の仮説を組み立ててゆく過程が楽しい。結局のところ本格ミステリの謎解きと、構成やロジックに近しいところがあるのだ。特に後半部において、どぼどぼに将門に感情移入(というのは大袈裟だけど)をしてしまう読者にとって更にラストに浮かび上がる事実の意外性は心地よいものとなるだろう。
ただ、本作では珍しく(というか初めて?)現実のパートに殺人事件が発生していない。『熊野の残照』にて初登場した神山禮子がまた登場して、成田に住んでいるという設定となっており、その彼女を巡る小さな(ミステリ的な比喩であり、実際に小さいとは言い切れない)事件が微妙に付加されている。ただ、趣向はあるもののサプライズとして大きいものではなく、むしろ「〜ventus〜」の冠が取れる次の「QED」作品への伏線となってゆくものと考えられる。こちら側の驚きや仕掛けがなくとも、「QED」の方、即ち歴史の常識がひっくり返されること自体が快感であり、「QED」を好む読者層に対して、現実レベルの犯罪が薄いことは、そう大きな影響にはならないものと思う。

もちろん、シリーズ他作品を読んでいなくとも全く問題なし。さらに例の如く観光マップ代わりにもなる地図が東京中心部、茨城県、更には板東市などの分が付属している。と思えば、帯をみると高田氏を囲んで将門ツアーまでが企画されているらしい。地域的に参加は難しそうだけれど、面白そうだなあ。
(感想が一冊飛んでしまってますが、読了したままどう書こうか悩み過ぎていただけで他意はありません。いずれ追いつかせます)。


06/07/24
森 博嗣「ε(イプシロン)に誓って」(講談社ノベルス'06)

なんだか快調に冊数が重ねられていく「Gシリーズ」の四冊目。このノベルスにて刊行されていながら二段組みにしないボリュームが良くも悪くも影響しているような気がするぞ。

東京ディズニーランドに一人で遊びに行った加部屋恵美。彼女は別件で上京していた山吹早月と帰りに同じ夜行バスに乗ろうと待ち合わせしていたが、出発時刻に間に合わなくなり慌てていた。結果的にバスは雪で出発が遅れていて二人は間に合い、乗車したバスは三十分遅れて出発した。バスには他にも個別の事情を抱えているような乗客が数名いたが、バスの運転手は本来の人物から交代していた。その担当、市川昌夫は出発前、寮で殺害されていたのだ。暫く進んだ後、二人の乗ったバスは謎の人物にジャックされてしまう。武器を持った男は丁寧な口調ながら銃器のみならず、バスに爆薬を仕掛けたと宣言、あっという間に乗客は完全に制圧下に入ってしまった。しかし何故か携帯電話の使用はOK。更に都市部にも爆弾を仕掛けたという犯人グループは声明を出していた。しかしバスには《イプシロンに誓って》という謎の団体旅行客も乗りこんでいた。山吹は留守宅にいる海月に助けを求める。一方、事態を知った西之園萌絵も名古屋県警と共に動き出していた。

バスジャック事件の顛末は森博嗣の十八番で。全体テーマへの関与の方を重視すべきかも
よりによって山吹早月と加部谷恵美が乗ったバスがジャックされた? 事件現場へ至る道筋はこれまで同様に極度に簡素化されており、無駄に文章を積み重ねずいきなり事件のパートから物語がはじまるような印象。ただ、この森博嗣+バスジャックという発想が斬新で「裏にいったい何があるのだろう?」という興味と、走る密室と化しているバスの中での緊張感が両輪となって物語に読者を引き込んでゆく。 本来、もっと伏線を引くべき物語中の犯罪計画についても最低限の説明しなしていないところが森博嗣らしく、逆にいえば「美味しいところだけ切り取ったのでどうぞ召し上がれ」という感覚が、現代読者の肌に合うのだろう。
また、本書に登場する自殺願望を持つ人々の内面描写も巧み。全体的に登場人物は浮世離れしているし、その彼らが独白する「死にたい」という動機にはほとんど共感ができないのだが、それでも森博嗣氏が描くことによって独特の統一された厭世感覚が浮かび上がってきている点は興味深い。都市型テロとの相関、警察の介入、そしてバスジャックに相対するといったシチュエーションの説得性も高く、「携帯電話による外との連絡はOK」と人質に許可を与える真犯人の不気味さ、大胆さも実は意外な伏線として後で効いてくる。
ただ、ミステリとしてのポイントはバスジャックだけに集中しており、そのサスペンスと真相とのバランスが些か悪い部分がある。(というか解決についてどこか説明っぽくなってしまっていることにも不満)また、道中の海月らの推理の過程は鋭いのだけれど、何となく解決・真相と比した時に何やら中途半端な印象も否めない。いずれにせよ定型のミステリからの評価を拒絶するような作品だと感じられた。逆にそのせいもあって単体でも独立して読める作品にはなっていると思う。

とはいっても、やはり「Gシリーズ」を幾つか(できれば最初から)読了していなければ判らない部分も多く、本作もまた新たに登場する幾つもの謎が本書以降へと持ち越されている。従って単行本として分かれてはいるが、恐らく最後の最後に森博嗣氏の構想をもって、このシリーズは”超長編”としての別の貌を見せるだろうことも間違いない。ここまでくるとお付き合いすることになりそうです。


06/07/23
京極夏彦「邪魅の雫」(講談社ノベルス'06)

題名は「じゃみのしずく」と読む。シリーズの数え方が難しいのだが、ご存じ京極夏彦の「妖怪シリーズ」「京極堂シリーズ」の長編では(『塗仏の宴』を一作と換算すれば)八作目。『陰摩羅鬼の瑕』以来、三年ぶりの書き下ろし長編ということになる。

榎木津礼二郎の探偵助手をしている益田は、榎木津の従兄弟・今出川欣一から奇妙な事実を聞かされる。榎木津と見合いをすることになった女性が次々と不幸な目に遭っているというのだ。人によっては殺人事件に巻き込まれているという。しかし立て続けとはいえ、彼女たちはまだ榎木津との見合い自体が実現していないのだ。その調査を引き受けさせられた益田は混乱したまま京極堂の元へと赴く。一方、刑事の青木文蔵は江戸川河川敷に商社員の変死体が転がっていたという事件の捜査に携わっていた。いろいろ青木の機転によって事件の手掛かりは浮かぶのだが、その事件は大磯や平塚で発生している毒殺事件と関連があるものとされてしまう。青木は先輩である木場のところに相談に赴き、その毒が何か特殊なものなのではないかという示唆を受ける。大磯、平塚の毒殺事件、その裏側には謎のストーカーの影があり、一方、商社員の事件にはその現場にいた女性の姿が。全く繋がりのなさそうなこれら一連の事件は、なぜ捜査本部でまとめられるのか。容疑者と目される人物が次々と殺害されるなか、この地区に関係者が少しずつ集まり始めた……。

もしかすると京極堂シリーズの転換点なのか。良質のミステリであることまでをも覆い隠しかねない長大な一作。
なんというか、ひとことでいえば「突き抜けてしまった」印象。
この「妖怪シリーズ」には、これまでの登場人物がレギュラーないし準レギュラーとして再び別の話に登場するケースが多いが、本書はその点が顕著。今回はその位置を授かるのが益田であり青木であり大鷹であり、彼らの人物が小さく常識的なため(すみません、大鷹は別)、冒頭から作品の印象を地味にしている。また、今回初登場する人物(事件関係者)たちの「死」や「生」に関する陰鬱な独白が数多く述べられ、そのたびごとに虚無感漂う文章が提示されるために、前半部については正直かなり読みづらいものとなっている。(文章は相変わらず流麗ではあるけれど)。一方で、そういった個々の人物の吐く台詞、そして内容・主張が彼ら論理できっちり再現されており、その点にいちいち異なる感性を持つ人々を次々と登場させる作者の技巧が感じられる。とはいうものの確かに毒殺を原因とする殺人事件が次々と発生しているのだが、警察小説(青木サイド)としても探偵小説(益田サイド)としても、そういった事件の関係者による独白や行動の様子が次々と挿入されることにより、どちらにも乗りかかれない構造となっている。もちろん作者の狙ったことは理解できるが、それと読みやすさや魅力とは別だと思う。もともと青木や益田に思い入れのある読者は少ないだろうし。主要メンバも出るには出るが、そういった数々の特徴的な登場人物に寄りかからない作品構成からは、これまでの「妖怪シリーズ」との差異を思わせるのだ。
終盤になり、ようやく条件が揃って謎解きとなる。ここに至ってはじめてこの事件の構図がゆるゆると読者の前に立ち上ってくる、ということは前半部については解くべき謎が何なのかよく見えない茫洋とした状態が続くということだ。但し、長さへの文句と内容は別。この真相と事件、テーマ的にも具体的な部分でも先行作品がないでもないが、事件構造とその真相に至る過程の緻密さはさすが。特に本格ミステリにおけるかつての定番ともいえる「一人二役ないしそれ以上}であるテクニックと、「操りテーマ」などが意表を突くかたちで持ち込まれている点には驚かされる。容疑者・被害者の事件への関わり合いは即ち内面描写が絶対必要であり、そこが唯一本書の余りにも大きなボリュームの免罪符となっている……ともいえるだろう。探偵小説というか推理小説、即ちミステリとしての構造については間違いなくこれまでの「妖怪シリーズ」に引けを取らないスケールを持っている。
一方で本作、「妖怪」だとか「憑物落とし」といったキーワードが機能していないように思われる点が従来と異なっているようにみえる最大のポイント。 確かに物語の真相と邪魅という妖怪とは相性が良さそうだが、それがあまり前面に出てこない。(すなわち、一連の事件が妖怪の仕業ではないかと一瞬でも疑わせる瞬間がないのだ)。また、終盤の京極堂の登場シーンにも違和感が残る。ある人物の思い込みを落とすのだが、その彼には「邪魅」がついているように思えない。その結果、お馴染みの口上で披瀝され対象に影響を与える京極堂の台詞は、精神科医と名探偵を合わせて割ったもののように見えてしまう。回りくどくはあるけれど、意外性が薄いというか。少なくとも京極堂のこれまでの活躍と方向性が明らかに異なっている。(どうでも良いが「仮面ライダー響鬼」のスタッフが中途で交代した時と同じような違和感があるのだ。同じシリーズで同じ登場人物なのにどこか根本的に違っているといった感じ)。

なかなか読み終わらなかったが、読み終わったら終わったなりに納得させられているし、面白かったと思う。だけど今後もこのようなかたちで進められるのかどうかについてが見えない。活躍するのは名探偵の下僕たちではなく、やはりメインの登場人物たちである方がエンターテインメントとしての面白みが上がると思うのだが。とりあえずのんびりと次作を待つこととします。


06/07/22
山田正紀「カオスコープ」(東京創元社'06)

えっと、きっちり調べた訳ではないのだけれど本書、東京創元社で初めての山田正紀単行本になるのではないでしょうか。『ミステリーズ!』Vol04(二〇〇四年春号)〜Vol13(二〇〇五年十月号)に掲載された作品に大幅な加筆修正が加わった長編。

頭部に受けた怪我の結果、記憶に障害を持った鳴瀬君雄。自ら記憶に障害があることを自覚している彼の記憶、それはフランスパンを持っているのにパン屋に入ろうとする男の姿、ゴミ出しをしている時にいきなり路上でポーの『大鴉』について語りかけてくる老人、そして運転する車がトラックに突っ込んでしまう瞬間。一方、『万華鏡殺人事件』を追う県警捜査一課の若手刑事・鈴木惇一。彼はビルの屋上から二人の男が揉みあい転落したと証言する警備員の話を聞いていた。被害者は鳴瀬君雄。瀕死の彼は救急車で病院に運ばれ、集中治療室に入れられた。そこで捜査員の動きが急に慌ただしくなる。『万華鏡連続殺人事件』の犯人が特定されたというのだ。その事件は三人の女性が殺害され、三人目の被害者が万華鏡を握っていたためにそう呼ばれるようになっていた。迷宮入りになりかかっていた事件が、新任された本部長のもと若干の捜査方針の転換が行われ一変した。共通点のなかった被害者たちは、同じデリバリーピザを利用していたのではないか? そこから若槻という若者が真犯人として浮かんだのだ。だが、鈴木は電話機に関する疑問から、この犯人説について微妙な疑いを抱いていた……。

混沌とした記憶が織りなす妄想ミステリ。とらえ所の難しさが作品自体の評価を拒絶する
すみません、映画ファンでないので元ネタはさっぱり判りません。ただ、そうであってもなくても、かなりとらえ所のない難解な作品であることには違いがないように思われます。
基本的には、記憶障害を公言する鳴瀬君雄の一人語りと、「万華鏡殺人事件」を独自の視点から捜査する鈴木惇一の1.5人称による記述が入り交じっている。そもそも、どの部分が「解かれるべき謎」なのかが、読者にも見えにくく、本人が記憶障害と宣言している人物の記憶がどこまで正しいのか不明のなか、過去の断片がしかも幻想的(というか思い込みなので妄想的といった方が正しい)に描写される。一方の、鈴木惇一自身、存在するのかどうかよく判らない”相棒”に時々アドバイスを受けながら捜査を進める男。それでもまだしも彼の行動の方が、現実の捜査に携わっている分判りやすくはある。結果、読者は構図がよく判らないまま事件の渦中に踏み込まざるを得ない。まさに混沌(カオス)のただ中に投げ込まれたような気分となる。「あのー犯人わかっちゃったんですけど」とか「おまえのやったことは全部お見通しだ!」というあたりは、この難解な作品のなかでは遊びすぎのような気もするなあ。
ただ、その過程が曖昧ながら、ラストに至った時にはきっちりと陰謀が浮かび上がり、記憶障害のなかで発生した謎も解け、事件の焦点が実はその記憶障害そのものにあったことが明らかになる。(こう書いてもあまりネタバレになる気がしないので、反転はしない)。キーワードは「記憶の逆転」であり、あまりにもひとりよがりであるようにみえる鳴瀬君雄の自分語りも(この幻想的場面の解体は本格ミステリの手法が用いられている――ともいえるか)、全て計算された結果であることが判る。個人による対応が不可能な、こういった強大な陰謀というテーマは山田作品においてはよくあるパターンともいえようが、そこに実験的なネタを組み込むことにより、余人には真似も出来なければ思いつきもしないような不思議なミステリになっているといえるだろう。確かに真相が見えてみると、そこに至る記述がフェアではあったことに気付かされる。やっぱりこういった「前人未踏のすごいこと」を常に指向しているあたりは山田ミステリの醍醐味ですなあ。

まず山田ミステリのファンであること、そしてじっくりじっくり読み込む時間があることが二つの必要条件。少なくとも一般ミステリファンが気軽にさらさらと楽しもうという作品ではないことは断言できそうだ。映画に元ネタがあるそうなのだが、少なくともミステリにおいては全く新しい境地に位置する作品だと思う。


06/07/21
吉村達也「読書村の殺人」(中公文庫'96)

六巻連続の超・長編ミステリ『時の森殺人事件』(中公文庫→ハルキ文庫)に登場する本木雅弘ライクの里見警部の登場する作品。元版はC☆NOVELSで、『時の杜』よりも前に発生した事件ということになっている。ちなみに、もう一冊『日本国殺人事件』が里見シリーズでは続編に存在する。まあ、このシリーズについては賛否両論を醸したとだけ書いておく。(あ、ちなみに題名は「よみかきむらのさつじん」と読みます)。

明治時代、木曽にあった三つの村が合併した。与川村、三留野村、柿其村、その頭文字を取って「よみかき」、読書村の誕生である。それから月日が流れ百二十年後、市町村合併の結果、読書村はもう無くなってしまっていたが、その地にあたる南木曾町読書で殺人事件が発生した。被害者は人嫌いで知られる古書店店主の宇賀神悠三・49歳。その死体は現場の台所にあったと思われる包丁でメッタ刺しされており、なぜか更に本の山に埋もれた状態にあった。現場に残された便箋には《読書の好きなやつは死ね!》との文字が。事件の捜査にあたった長野県警捜査一課の里見警部と相馬刑事は、現場に夕刻届いた郵便物のなかから『光の回廊』と題された短編小説と、東京の奥村という大学教授からの手紙を発見する。その手紙には宇賀神の近所に住む葛城なる人物の名前が。捜査にあたった里見だが、関係者の協力的なのか非協力的なのか判らない証言にペースをつかむことができない。だが、そんななか同人誌に投稿された詩から、事件が満州、そして悲劇のなかで生を受けた女性たちの物語であることが浮かび上がってくる。

作品内作品、猟奇的死体……意欲的ではある。ただ、どこか全体的に空回り感が漂うのは何故だろう
ちなみに文庫版の帯には「時代を超えて燃え上がる女の情念 真の犯人は最後の1頁で逆転する」とある。先に述べておくと、その犯人、犯人像としては確かに多少の衝撃というか微妙なサプライズの対象となる人物ではある。ただ、その動機が後出しじゃんけんで、かつ本格ミステリの「操り」テーマからすれば、説得力はあっても説明に欠けるといった印象。従って「何でこんなことに気付かなかったんだやられた」といった感覚を味わうことができない。正直にいえば「はあ、なるほど」なのである。(正直、家の中で発掘して内容がうろ覚えだったことに加え、この帯の文章の意味がどうしても思い出せずに再読したのだが)。
また、事件の構図は最初にきっちり引かれていることは理解できるものの、個々の人物の行動が合理的なようでいて、どこか座りの悪さを感じさせるものがある。冒頭でメッタ刺しの場面があるものの、そこから死体が奇妙な装飾に彩られるあたりの説得性が薄い。なので、サスペンスとしての興趣は盛り上がるものの、読者は想像しか結末を許されない。
ただ、作品の中にある作品の意味であるとか、その歴史を分断して連なる情念であるとか、サブとなるエピソードについてはなかなか凝っており、表面上物語だけを追う分にはそれなりに楽しめるものと思う。確かに終わってみると歴史を縦糸にした強烈な謎が存在しているのだけれど、現代の登場人物の合理性の無さがそれを無にしてしまっているように思えるのだよなあ。
この里見警部シリーズ、登場人物紹介に顔イラストがあり、それが芸能人にそっくりで作品内イメージもそれに近いというワザが使用されているのが特徴。本作もいろいろ登場しており、それが誰なのかを想像するのはこのシリーズの楽しみの一つではある。

2006年現在は入手不可となっている模様。だからという訳ではないが、とりあえずは吉村達也ファンが読めば良い作品だと思われる。この地名(読書という地名)の妙味以外はあまり見るべきところのない作品。