MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/08/10
横山秀夫「真相」(双葉文庫'06)

元版は2003年に双葉社より刊行された単行本で、収録作品はそれぞれ01年12月号から02年8月号にかけて『小説推理』誌に発表された、ノンシリーズ短編。本書も当然、横山節は満載ながら共通する主人公等のないノンシリーズ作品集となる。

税務会計事務所を親から継いだ篠田。彼の息子は十年前、何者かに殺されていたが、その犯人逮捕の報が警察から入る。その事件が明らかになるにつれ篠田の知らなかった息子の姿が少しずつ明らかにされていく。 『真相』
祖父が村長を務めていたことから県庁に勤めていた三十六歳の樫村は、呼び戻されて高畠村の村長選挙に出馬することになる。後ろ盾のない彼には絶対に落選できない理由があった。ひとつは家族、そしてもう一つはかつて犯した罪のため……。 『18番ホール』
会社をリストラされた四十七歳の山室は睡眠に関するアルバイトを受けた結果、睡眠障害になってしまった。うまく眠れない彼が出掛けた朝の散歩の最中、近所の住民が運転する不審な車を目撃、その方面ではアパートで殺人事件が。 『不眠』
大学時代、空手部に入り理不尽なしごきの数々を受けてきた城田。そのクライマックスは海辺で行われる夏合宿だった。暴力を振るいに来たOB、連日の深夜の襲撃。一回生六人は死を予感していた。その稽古の最中に……。 『花輪の海』
意志の弱さゆえに人から誘われ強盗の罪に問われて服役してきた貝原。妻と共につましく暮らそうと望むのだが、彼の前科が知れた途端に他人は掌を返す。現在のアパートを追い出されそうになった時、ある人物が彼らに声を。 『他人の家』 以上五編。

ストーリー以上にその人間の心情描写が濃厚。物語のサプライズがさらに登場人物の心理の闇を浮き上がらせる
もちろん本書はクライムノベルの作品集ではないし、淡々とリストラ男の心情を綴るお涙頂戴の人情小説でもない。基本的にはどこかでどんでん返しのある、れっきとしたミステリの作品集である。ただ、それ以上に短編でありながらメインで描写される主人公の心理描写が実に濃いのだ。
表題作の『真相』では、殺されてしまった息子の行状が犯人逮捕の結果明らかになっていくこと、そしてその結果浮かび上がる家族のすれ違いへの主人公の焦燥や苛立ちといったところが次々と顕わになっていく様子。『18番ホール』では、順風満帆のはずの村長選挙で少しずつ不利になっていくことで信頼すべき仲間すら疑いの目をもってみてしまう主人公の様子。『不眠』では、自らの境遇に忸怩たる思いを抱く男の保身、同情、そして疑惑へと至る心理の過程が赤裸々と浮かび、『花輪の海』では究極の状況に追い込まれたかつての自分が抱いた、感じてはいけない感情への後悔がじっくりと表現される。『他人の家』は、刑務所帰りの男が陥る哀しい運命が強調されており、その点では本書の流れに沿っているものの、こちらで浮かび上がる「真相」はサプライズの方がより強調されていて、横山ミステリの常道に近い作品ながらむしろ作品集のなかでは異質な印象があるくらい。
いずれにしても、主人公は人生の上で何らかのストレスを抱え込んでいて、そのストレスがもたらすプレッシャーによってその感情や神経が剥き出しにされてしまっている。横山氏はそういった男の(本書の場合は特に男性主人公ばかりなので余計に)、図太いようでいて実は繊細な神経がずたずたにされていく様子を巧みに描き出す。建前と本音のうち、心のなかで抱える本音により強く迫った結果、主人公たちの言動や行動は実に格好悪くなっているのだが、その格好悪さこそが、本質的に人間が抱える心の暗さであり弱さなのだと思う。 実際、人間はヒーローにはなかなかなれないのだ。
この主人公たちとまるで同じ境遇である読者はそう沢山はいないと思う。だけど、その境遇が”明日は我が身”とも思わせる設定が見事。この結果、読者は自らの生活の延長線上に彼らの姿を重ねてみてしまうのだ。そしてその心情を共に憂いてしまうという物語のスパイラル。一流の人間観察のみならず、巧みな表現力を持つ横山氏ならではの作品集だと思う。

ミステリとしてのサプライズも、例えば『不眠』『他人の家』といったところでは巧みに凝らされているが、やはり主人公たちの抱える人間ドラマが見どころ。決して読んで元気になるとかそういった類の作品ではないが、大人の鑑賞に耐える小説集であると強く感じる。


06/08/09
柄刀 一「連殺魔方陣」(祥伝社NON NOVEL'06)

副題は「長編痛快ミステリー 天才・龍之介がゆく!」。御存知、柄刀氏の創造した探偵の一人、IQ190を誇る天才・龍之介が登場する長編作品にして七冊目。但し、従来であれば「本格痛快ミステリー」であるところが「長編」に置き換わっているところが微妙に気にならないでもない。書き下ろし作品。

以前に龍之介が遭遇した「ミステリー・トレイン」の事件でスポンサーを務めていた亀村家の晩餐会に、これまた以前に龍之介が遭遇した事件の関係者であった芸能人・吾妻達臣の招待によって招かれた天地龍之介や光章の一行。名家である亀村家は企業グループ”KISON”を率いており、その豪華な晩餐会の前には、亀村家の裏家紋から九星気学や魔方陣が話題となる。総勢十四人からなる晩餐会が始まった。気難しい当主ら、一癖も二癖もある人物たちが揃うなか、グループの幹部である吾妻忠一が突然倒れた。毒を放り込む間はなかった筈なのに毒殺されてしまったのだ。しかもその状況は郵送されてきていた予告状通りの状況。食事中であっても毒を扱うことができたメイドや調理人に疑いがっかるなか、龍之介らが犯人探しに乗り出すのだが……。

趣向を凝らした数々の魔方陣と、その魔方陣のなかに込められた人間の哀れなる妄執……
財産をもった大きな一族のあいだで繰り広げられる連続殺人劇……と書いてしまうと通俗推理小説の極みのように感じられるが、本書も基本的にはそのゴールデンパターンに嵌っている。通俗というと問題あるかもしれないながら、これまでのミステリの動機付けとしてはかなり上位にランキングされるパターンといえばパターンであろう。そういう意味で龍之介シリーズということを割り引いてもやはり設定自体は陳腐化の延長線。なので読み出してすぐに「ああ、またこれか」と思わせる部分が正直少しある。
ただ、その退屈さを吹き飛ばすのは蘊蓄をも含めて本書のなかでかなり徹底して語られる魔方陣にある。魔”法”陣ではなくて魔”方”陣。即ち、正方形を縦横に何段階か区切り、その一つ一つの升目に数字や言葉などを入れて、縦横、場合により斜めまでをも何らかの意味合いで統一している……というアレである。パズルでもあり暗号でもあるこの遊び(あえていうとやっぱり”遊び”でしょうこれは)を、うまくミステリの展開のなかに持ち込むことで一風奇妙なサスペンスが喚起されるのだ。偶然できたものであろうと、人が呻吟して作り上げたものであろうと、魔方陣という完成体にはどこかその”魔”という言葉通り、何か人知を越えた力があるように思われる。普通の頭ではちょっと考えつかないような偶然、ないし巧緻。完成させられること自体が奇跡のような存在。その魔方陣の”魔”に魅入られ、取り込まれる――ということが、そのまま犯罪者の狂気を作り上げているという理屈に奇妙なまでの説得性が存在するのだ。
もちろん本書ではその犯罪者が誰なのかはフーダニットの対象として、終盤までは読者から隠されているし、連続して発生する毒殺の、個々のトリックについては、トリックメイカーの柄刀氏ならではのオリジナリティを感じさせる巧さがあり、ミステリとしての吸引力はなかなかのもの。とはいえやはり、作品の本質を魔方陣に持ち込むことで、龍之介が解くべき事件としてバランスが良くなっているように思える。

龍之介シリーズの独特したほんわり感は若干薄いかもしれませんが、安定した水準に好感が持てます。シリーズ作品なので、順番に読むべき――とも思えるのだけれど、そうでなくともこういったパズル大好きという方や、数字のクロスワードが得意というようなタイプの方なら単体でも面白く感じられるはず。


06/08/08
蒼井上鷹「出られない五人」(祥伝社NON NOVEL'06)

'04年に短編『キリング・タイム』にて第26回小説推理新人賞を受賞し、'05年には同作品が日本推理作家協会賞候補に選ばれる。その作品を含む短編集『九杯目には早すぎる』にて単行本デビュー。本書は蒼井氏の二冊目の本にして初長編となる書き下ろし作品。

アルコール依存症にしてカリスマ小説家、そして役者もミュージシャンとしての顔を持つ伝説の小説家・アール柱野。彼が脳溢血になる前まで飲んでいた行きつけのバーが〈ざばずば〉である。その〈ざばずば〉のマスターもアール柱野のあとを追うように急逝。一年近く、店は閉まっていたがそのテナントが入っていたビルの取り壊しが決まった。そんな情報が流れたある日、インターネットでアール柱野と〈ざばずば〉を偲ぶオフ会(こっそり)しようという募集がかかった。もちろん不法侵入の違法行為である。当日集まったのは五人。幹事役を引き受け、様々な食料や酒を持ち込んできた峰。看護婦の熊野幸と、その彼女の愛人を気取る医者・田沼。ペース良く酔っ払ってゆく八角という男性と、鵜飼伊予という若い女性。実は、彼らはそれぞれ様々な思惑をもってこのイベントに集まっていた。しかし、その〈ざばずば〉跡地に入り込んでいたのは、決して彼ら五人だけではなかったのだ……。

シチュエーションに凝りすぎた結果か? 本来あるべきユーモアを逆に殺してしまっている印象
普通のミステリとは一風変わった設定が数々本書には登場する。まず、夭折した伝説の変人作家を集う集まりという点でひとつ。既に主のいないバーをわざわざ復活させて集まろうという点でひとつ。その五人が五人、皆それぞれに事情を抱えているという点がひとつ。彼らだけでなく、別の人間が隠れていたり、身許不明の別の死体がそこにあったりするところがまたひとつとひとつ。そして事件が起きても誰一人、警察に届けようとしないところがやっぱりひとつ――といった具合。これらのうちのふたつやみっつまでが設定として存在しているのであれば、意外とオーソドックスなユーモアミステリとなっていたことだろう。だが、これだけ様々な、数多くの設定が次から次へとシチュエーションに被せられてゆくと、なんというか本来”笑い”であるはずの部分に重みがどんどん生じてしまい、結果的に笑うに笑えなくなってゆくように思えてしまった。 個別の設定自体は悪くないのに、過ぎたるは及ばざるが如しというか。ポップそのものを体言したお洒落な装幀と、ポップを目指しながらも、どこかうまくいっていない内容とのギャップがあるというか。
ただ、そうとはいっても展開やこの場で生じる人間関係は悪くないし、密閉された場所で次々と生じる事件、互いへの疑心暗鬼、そして工夫によって難局(?)を乗り越えてゆこうとする中盤の展開は悪くない。このあたりについては設定以上に、人間心理であるとか、登場人物設定に負うところが大きいかもしれないが、それでも作者らしい毒のあるユーモアが程良く効いている。
一方で、ラストではその毒が効きすぎている印象も残る。折角ここまでしておいてこれ、というのは作者の意図としては読者のサプライズを呼び込むつもりだったのかもしれないけれど、何となく単純に後味を悪くしているだけのように思われた。ユーモア・ミステリというと先行する作家を幾人か思い浮かべることができるが、その誰とも微妙に異なっている。ただ、やっぱり一般的なミステリの読者には本書のようなセンスはなかなか受け入れられないのではないだろうかという気もするのだよなあ。

これはこれで完成形となっているだけに、あくまで上記は小生の感想でしかない。もしかすると蒼井氏のような独特の毒が効いたミステリが今後流行るのかもしれないし。正直、もう少しシチュエーションのひねりを減らして、物語展開でひねるような作品の方が受けると思うし、前作などを読む限りそういった方向性もありなのではないかと感じる。


06/08/07
浅暮三文「ポケットは犯罪のために 武蔵野クライムストーリー」(講談社ノベルス'06)

ファンタジーから実験小説、加えてハードボイルドといった様々な作風を使い分ける”小説家”浅暮三文。そのグレさんによる連作短編集。というかむしろメタ趣向を後から加えたノンシリーズ短編集というべきか。『メフィスト』誌に二〇〇四年九月増刊号から二〇〇六年五月増刊号にかけて発表された短編に「○○○駅前のベンチで」という挿入エピソードが書き下ろしで加えられている。

百貨店の売上が現金輸送車に運ばれるところを狙った強盗。三人組の男たちは首尾良く大金を入手したが、高飛びまでに金を隠した場所が良くなかった。 『ポケットは犯罪のために』
玩具メーカーを定年退職した私はおもちゃの修理屋をひっそりと営んでいる。そこに時々暴走するRCカーを持ち込んだ少年がいて……。 『J・サーバーを読んでいた男』
投げ込みチラシを配る男が行き当たった遺産相続に揉める一族たち。彼女たちにとって重要な遺書が千切られて、中途半端なかたちで捨てられていた。 『フライヤーを追え』
喫茶店でくつろぐ男が目にした中学生。下校途上らしき彼らが、なぜか薔薇を一輪だけ持って次々と通り過ぎてゆく。果たして何があったのか? 『薔薇一輪』
宝石を持って警察の包囲網から逃げ出そうとする男。商店街にある寂れた古本屋の一番高価な本に宝石を隠したまでは良かったが……。 『函に入ったサルトル』
どこかでみたような登場人物が再登場。爺さんが若かったころ、田舎の村で峠で出会って、かつ着替えてきた若者は一体なにをしていたのか? 『五つのR』 以上六編を収録するメタ連作短編集。

何気ないミステリをメタ趣向で囲むことによって”ただものではない”雰囲気を漂わせる。アサグレ・マジック
短編ひとつひとつだけをみると、もちろんそれぞれミステリなのだけれども、むしろその設定であるとか登場人物の使い方など「骨の髄から小説家」としての浅暮三文の匂いが濃厚に立ち上っている。ユーモア溢れるばかりという訳でもなく、ペーソスが全編に滲んでばかりという訳でもなく、だけど物語の冒頭を少しかじったところでどこかするするとそれぞれの世界に引き込まれてしまう。強烈に突飛な設定が用意されているでもなく、ある程度の本読みにとってはどこかで見たことのあるような場面であっても、何か不思議な吸引力が文章にあるように思う。特に表題作でもあり、ユーモア・クライム・ノベルである『ポケットは犯罪のために』や、本格ミステリアンソロジーにも収録された『J・サーバーを読んでいた男』など、普通のミステリ作家との着眼点やアプローチの違いが顕著に出ていて、物語以上に”語り”が面白く感じられるあたりがその秘密か。ただ、純粋に本格ミステリの観点からすると、奇妙な現象に対しての理由付けまでは良いものの、どんでん返しにあたる部分がほとんどの作品において一重であるところが残念。本格ミステリとして評価されるためには、あと一ひねり、二ひねりは必要だったところだ。(ただ、アサグレ氏がそんなこせこせした考えを持っていたとも思えない)。
もちろん、エピソードとして短編と短編のあいだに挟まれた趣向も独特で(むしろこれはこれで一気に読んだ方がとぼけた味わいがあって良いかもしれない)、物語を引き立てる効果がある。ただ、彼の発想そのものは面白いが、当然所与の存在である短編それ自体に影響を与えるほどではない。ちなみにこのメタ趣向によって短編そのものに「別の貌」を与えて、読者を二重構造の外側に位置させてしまう手法はものすごく独特だと思う。 思い切り短編毎の趣向が異なっているため、いわゆる連作としての効果は薄いながら、その薄い効果をあとがきまで含めてとんでもない方向でまとめてしまう悪ふざけもまたグレさんならではだといえるだろう。

全体を読み終えた時に、大傑作小説集『実験小説 ぬ』あたりで感じさせてくれた時の感触に近いものが残る。特にメタ構造の枠組み部分の大胆さなど、なかなか普通の作家が思いついてもやらない趣向で溢れている。短編それぞれも何か「小説」として引っ掛かりが残る不思議な作品だと思う。

そうそう、グレさん、生きてますからね。念のためいっときますが。


06/08/06
北川歩実「運命の鎖」(東京創元社'06)

最先端の科学技術や医学知識といったサイエンスの知識を斬新に物語に取り込んで新しいミステリを構築するという、独特の作風を誇る北川歩実の連作短編集。『ミステリーズ!』Vol12〜15にて発表された作品に書き下ろしの一編を加えて単行本化した作品。

(物語中に設定される架空の)遺伝子病・アキヤ・ヨーク病。中年期に発病してやがて死に至るという遺伝病だ。精子バンクに登録して世の中に遺伝子学上の子供を多数持つと思われる理論物理学者の志方清吾は失踪して行方が知れない。それから二十数年が経過、その志方の血を引く子供たちが様々な人生の岐路に立っていた……。かつて、志方の恋人であった舞川響子は精子バンクから、志方の精子を買ったと思われる人物のリストを入手し、彼女たちに手紙を書いていた。何か助力が必要であったら協力する、と。その彼女に対し何人かの女性から連絡が戻ってきた。その子供たちも今や大きくなり、受験、出産、結婚といった人生の岐路に立つようになっていた。果たして、彼らはどうするのか、どういった選択をするのか……?
『愛の結晶』 『あなたの明日』 『子供の顔』 『大切な人』 『運命の鎖』 以上五編。

作者得意のサイエンスミステリ……であるけれど、どこかこれまでと異なる感触
謎の遺伝子病が登場するものの、その病気そのものの正体を解き明かすことが本作のキモではない……。実はこの点が本作における重要なポイントで、そのこと自体が従来の北川作品の系譜との違いを感じさせる。 というのは、先端サイエンスをテーマにミステリを構成することの多かった北川氏の作品を振り返ってみるに、そのほとんどの場合「この世の中にあまり知られていないけれども、実際に存在する、ないし現在の科学技術の延長で近い将来に起こりえる」事象を扱っていたように思う。だが、本作に登場する「アキヤ・ヨーク病」は完全に架空の存在。その病気の特徴、即ちその遺伝子を片親から受け継ぎ、50%の確率で死亡する可能性がある志方の、さらにその血を引いた子供たちは25%の確率で、その病で突然に死亡する可能性がある――という点、例えばSF本格などでみられる「こういうもの」という前提条件に近いように感じられるのだ。サイエンスを主題の謎にするのではなく、その設定に翻弄される登場人物が主眼になっている点、やはり本書は独特だといって良いのではないか。
物語は、連作というよりもその「前提」にある子供たちや母親たちが、受験や出産、結婚といった人生の岐路に立ったときにどのような選択をするのかという部分に焦点が当てられ、さらにそこに入り組んだ人間関係を加え、彼らの本心を見えにくくすることでミステリとしての構成を成している。ここで改めて気付かされるのは、これまで北川作品ではあまり表に出ることのなかった(むしろ描かれていたにもかかわらずあまり感じさせられなかった)人生の重みや感情を伴う人間ひとりひとりの豊かな表情だ。 究極の局面ゆえに悩みを深くし、隠してきたエピソードが顕わとなり、それでいて自ら生き方を選択をせざるを得ないという個人。重いテーマながら、一人一人にきっちり作者の視線が行き届いていており、物語としてじっくり読ませてくれる。(多少、人間関係がややこしすぎるきらいはあるけれど)。
最後の最後まで引っ張る、志方清吾にまつわる謎(彼はなぜ失踪したのか、遺伝子病を持っていたのか)といったところが、若干あっさりしていたようにも思うが、それはそれ。そこに至る過程が重い分、わざとこのように結末を軽めに仕上げたのかなとも思う。

もしかすると北川歩実の作風のなかでも本書がターニングポイントなのかもしれないし、ちょっとした寄り道なのかもしれない。いずれにせよ他の作家にはない、独特のアプローチについては堅持されており、ファンならばやはり読んでおいて損のないところ。


06/08/05
森 博嗣「λ(ラムダ)に歯がない」(講談社ノベルス'06)

森博嗣氏の”Gシリーズ”、五冊目の書き下ろし作品。これまでの作品同様、加部谷恵美、山吹早月、海月及介らが登場する一方で完全に西之園萌絵が大きな役割を占める。他に犀川創平や真賀田四季、さらには保呂草なる名字を持つ人物も現れ、全体を巡る構図への興味が益々高まってくる。

那古野市郊外にあるT技術研究所に、共同研究の実験のために訪れていた国枝研究室の面々が居合わせたのは偶然。同じ敷地内ながら少し離れた構造系の建物内部で四人の男性の射殺死体が発見されたのだ。構造系の建物は研究棟と実験棟が隣接しており、大型シャッタの横に出入り口があるが、その出入りは完全にプログラムによってモニターされている。死体が発見されたのはそんな完全に施錠が施された密室状況のなかで、凶器となった拳銃も現場にはない。しかも身許が分からない四つの死体はそれぞれ死後に強制的に歯が抜かれていた。さらに、彼らのポケットそれぞれには「λに歯がない」と記されたカードが発見された。山吹らは離れていたこともあって事件については全く気付いていなかったが、現場にいた近藤刑事からこの不可解な状況を聞き出して、西之園萌絵に連絡を入れる。丁度、西之園家に泊まりに来ていた加部谷恵美と萌絵は現場を訪れる。ただ、さすがの萌絵にしても「φ」からはじまる一連の事件の関係も不明、犯人が出入りした方法、拳銃が捨てられた方法全てが不明であった。研究所の所長が行方不明になっていたが、そんななか被害者についての有力な情報がある人物から寄せられる。

考えてみれば、ここまで”森博嗣”らしい物理トリックはひさびさ? 不可能犯罪らしい不可能犯罪を堪能
恐らくは最終的にこのシリーズが終了する際には「なぜ彼らの周りでこんなに事件が発生するのか?」という点には、何らかの回答が用意されているとして。ただ、本格ミステリという観点だけに絞ってみたときには、現段階個人的にはこの”Gシリーズ”のミステリのなかで本作がベスト。 その理由は、ある意味バカミスともいえるトリックがあまりにも正々堂々と使用されている点にある。
ほとんど背景描写がないままに、作品冒頭からいきなり密室殺人事件発生。その場所が最新の建築技術を取り入れた建設会社の研究所という点、初期の森博嗣氏の作品とどこか通じるものを感じる。電子的に監視された現場、少なくとも現場とは無関係と思われる身許不明の射殺死体が四人、更に抜かれた歯と残されたカード。この全ての問いに対する回答は先に述べておくと百点満点とはいえない。特に歯を抜いた理由といったところには、読者として理解はできるがむしろ森博嗣らしく無さが意外性を喚起する。また、犯人が誰なのかという部分についてもそれほど引っ張るところはない。
本作の個人的評価の高さの理由、それはこの”密室の形成方法”に尽きる。過去の先人たちが使用しているトリックと発想のところは似たところがある(森博嗣氏がそういった作品を想定していたかという点については、むしろ多分知らないのではなかったかと思う)のだが、その強引だ、無理だと揶揄されるようなそれらの設定が、いつの間にか現実に先端技術として存在するようになっている点を見逃していないところに価値を感じた。(とはいっても、トリックとして使用するにはこういう技術研究所といった特異な環境が必要だったことも事実だが)。森博嗣という兼業作家の広く知られている本業に関係があるあたりは微苦笑するしかないけれど、それでも古い酒を新しい皮袋に移し替えたといっても良いのではないか。

ただ――このシリーズについて再三書いている通り、一定の登場人物説明はもはや省かれており、シリーズ読者のための作品と化していることも事実であって。無条件に本格ファンに一読を、と言いづらい点は難。ただ、物理トリックマニアの方には、それでも目を通しておいて頂きたい作品である。


06/08/04
石田衣良「反自殺クラブ 池袋ウエストゲートパークV」(文藝春秋'05)

今や”ミステリ作家”とは誰も考えていない人気小説家・石田衣良の原点は、やはりこの「IWGPシリーズ」。本書はその五冊目(外伝含むと六冊目)となる作品集。『オール讀物』誌の二〇〇三年十月号、二〇〇四年二月号、四月号、八月号に発表された作品四編を収録。

風俗業からの依頼を受け、その独特の魅力を持って池袋の女性をスカウトするタイチ。連載エッセイのネタに困っていたマコトは彼に声を掛け話を聞く。しかしそのタイチを慕うウェイトレスが、思い込みから危地に陥ったことからマコトは助けに動き出す。 『スカウトマンズ・ブルース』
かつて一度大ヒットを飛ばした後、今は泣かず飛ばずの中年ミュージシャン。マコトは、池袋の空き地に「ロックの殿堂」を建てるための手伝いとしてGボーイズの動員を依頼される。ところがその土地はヤクザが絡むややこしい地所で、その裏に犯罪が隠されていた。 『伝説の星』
世界中で大ブームとなっている人形・ニッキー・Z。生産のほとんどが中国で、その中国工場の地獄のような勤務によって姉が死んだという中国人女性・コモモがマコトに助けを求めてきた。彼女に共感して、その販売元企業の前でビラを配る二人だったが……。 『死に至る玩具』
親が自殺した過去を持つ三人の若者が、集団自殺の阻止を旗印とした《反自殺クラブ》を結成。マコトに助力が要請される。自殺を煽るサイト内に、実際に集団自殺を押し進めてゆく謎の人物・スパイダーが存在するのだという。彼らはそのオフ会に潜入し、その人物の動きを止めようとする。 『反自殺クラブ』 以上四編。

先端が集う池袋を舞台とした奇妙な事件の不安感と、いつもの登場人物が後ろに控える安心感
ある意味、そう目立つ作品ではないけれど本書の冒頭作品である『スカウトマンズ・ブルース』は、さりげなくもこのシリーズの集大成といった趣がある。事件そのものは悪質な風俗スカウト事務所の連中を懲らしめる話であり、池袋を描くアイデアとして決して突飛なものではない。だが、その解決手法にはこれまでの重要人物たちが次々と都合良くマコトに対して協力をしてゆくという展開で、IWGPとして典型ともいえる筋書きが集成されている。ヤクザの大物であり、マコトの中学時代の同級生のサル、Gボーイズの王様・タカシ、池袋の生活安全課の刑事・吉岡。そういった彼らを電話一本で動かすことのできるマコトの存在は読者に大きな安心感を与えるし、その”池袋の影の王様”でもあるマコトにたてつく悪質事務所の連中がバカっぽくすらみえる。控えめにみても強大な力を持つマコトが、どうやって相手を懲らしめるかという一点にポイントが絞られた作品だ。もちろん勧善懲悪の面白さはあるが、新趣向は薄くこれまでの蓄積を吐き出しているような印象を受ける。
だが、ちょっと危惧されたワンパターンに作者も気付いたか、他の三作は新規の趣向を込めている。それぞれ地面師の絡んだ犯罪と中年ミュージシャン、世界的に爆発的に売れている大企業による人形販売と若い中国人女性、自殺を促す自殺志望者という特異な存在を炙り出す《反自殺クラブ》という風に、二つ以上の特徴的にして斬新なネタを物語の道筋に配置しているところが特徴。やはりその結果、事件に向けて悩み行動するマコトが活き活きと躍動するようになり、人生の虚無や巨大な組織に対して無力や挫折を感じさせるエピソードが光り、困難を乗り越えて解決に向かうカタルシスも大きくなっているように思うのだ。作者もエピソードを集めるところには苦労していそうにみえるが、やはりそういった作品の方が面白いこともまた事実であろう。
特に表題作では、伏線があまりにも見え見えとはいえ、ミステリとしての趣向が込められており、その人間関係の構図は現代社会の矛盾を炙り出すのに役立っている。哀しい場面もあり、全般的に読み通すのにツライ作品ではあるが、こういった特有の苦みもまたIWGPの良さだと感じられる。

タカシ、ゼロワン、サル、吉岡(そしてマコトのおふくろさん)といったところまでは、完全にレギュラーキャラとして定着し、どの作品でも必要があれば顔を見せる。その一方でこれまでのエピソードのなかで脇役として登場してきた人物(考えてみれば、一作切りには勿体ない魅力を持つ人物も多数いる)は、以降の作品ではほとんど絡まない。マコトが解決した事件で元気になった人物の姿を後のエピソードで登場させるなどしてくれても良いのに、と少し思う。


06/08/03
多岐川恭「絶壁」(毎日新聞社'61)

この1961年に本書が刊行されたきり、文庫化も再刊も行われていない長編。一応ジュヴナイルという情報だったのだが、帯に「多岐川恭の推理小説 容易に見抜けぬ奇想天外な結末 一家そろって楽しめる新作長編」とあるあたりがそうなのか。内容的にはむしろ一般作品に近い。

警視庁捜査課の刑事・姫野は東海道線を鉄道に乗って大川原という小さな都市へと向かっていた。その途中、うたた寝をしていると見せかけたところをスーツケースをちょろまかそうとした沼田という若者を強引に臨時の助手にしてしまう。大川原市の市長・福塚が何者かに命を狙われており護衛して欲しいという依頼が出ていたが、地元警察はそれをノイローゼといて取り合わない。一方の姫野は自分が関わった盗難事件のあとに自動車事故で死亡した戸並竜夫という人物が「福塚、やつがくるぞ」と言い残して死んだことを聞いていたため、警視庁からわざわざやって来たのだった。その姫野に対して福塚は、自ら率いた小隊で戦時中にビルマにいた時分に現地の金持ちの宝石を強奪した過去があった。その時の仲間が戸並であり、また大村なる人物であった。姫野刑事がそういった話を聞いているところに、福塚家の女中が脅迫状が届いていたと伝えてくる。これが五度目の脅迫、そして実際に大塚は何度も何者かに命を狙われ、危険な目に遭ってきたのだという。

物語のトーンは完全に多岐川恭。なのに細かな整合性の無さ、設定のいい加減さがジュヴナイルという奇妙な一品
例えば、主人公の姫野が汽車のなかで居眠りをしている時に置き引きをしようとした若者をそのまま強引に助手にしてしまうあたりが多岐川恭。だけど、事故死した人物が名字しか呟いていないのに遠く離れた大川原市長と結びつけてしまうのがジュヴナイル。その市長が何者かに何度も何度も狙われ、だけど助かるところが多岐川恭。その手段がどうも見え見えなのがジュヴナイル。だけど、最終的にそういったところに強引ながら全てに意味付けをして物語をまとめてしまうところが多岐川恭……。
――と、訳の分からない表現になってしまったが、トータルとしては多少見え見えなところ、「おい、気付けよ!」というツッコミを入れたくなるところがあるところを除くと、多岐川恭らしいシニカルなのにどこかユーモア(実際に笑えるところなどない作品なのに)とペーソスとが漂うそれなりの好作品に仕上がっている印象だ。多岐川作品の一部では定番でもある、どろどろの愛人関係のもつれだとか、男女間の感情のもつれといったところを全く持ち込まず、その恨みを戦時中のエピソードにしてしまっている点も、発表時期を考えると妥当なところだといえるだろう。また、脅迫を行っている真犯人についても、現代ミステリならばかなり無理をしないと難しい強引な設定ではあるが、この発表された時期であれば(戦後の混乱期を経ているという点で)まだしも説得力が高まっているのではないかと思える。(厳密に現代の基準で考えると、本格のフェアプレイから外れていると言わざるをえないだろうが、それは発表年代と対象を考えるとやむを得まい)。
また、行きがかりで助手になった沼田や、福塚市長の娘の圭子といった登場人物に個性があり、事件そのものが決して明るいトーンではないところを救っているし、細かなトリックがいろいろと使われている点、物語のサスペンスを小出しにしている点など「読み続けさせる」ための意欲も感じられる。ただ総体としてジュヴナイルと断じてしまえない、上の世代が読んでも十二分に通用する作品だといえる。

おいそれと入手できる作品ではないのでお勧め云々は無しとしたいが、一連の作品で多岐川恭のファンとなった方であれば、絶対に喜ばれることは間違いない。


06/08/02
平山夢明「独白するユニバーサル横メルカトル 平山夢明短編集」(光文社'06)

『超「怖い」話』『怖い本』シリーズなど実話怪談系のエースにして、フィクションでも『SINKER――沈むもの』といった作品がある平山夢明氏の初短編集。『異形コレクション 魔地図』に発表された表題作品が第59回日本推理作家協会賞を受賞した。本書収録の八編のうち五編が「異形コレクション」収録作。

恵まれた家庭に育つたろうは街の人にも元気に挨拶する少年。しかしある日を境にそれまで見たことのない少年からいじめを受けるようになる。そんな時、家の反対側にある湖の畔に来たたろうは、粗末なテントにクラス汚らしい人を会話を交わす。 『C10H14N2(ニコチン)と少年――乞食と老婆』
不義理を働いたスナギモが射殺され、俺はハツから腐りかけの象のような巨体を持つオメガなる人物の世話をするよう指示される。人間を食すというオメガは汚らしく糞尿を垂れ流しにしていたが恐るべき知性を備えていた。 『Ωの聖餐』
精神的・肉体的に強烈ないじめにあっている小学生・ふみ。暴力を振るう義父と新興宗教に嵌る母親は頼りにならない。そんな折り、ふみの通う学校の周囲で暴力的な連続殺人が発生、ふみはその犯人に会いたいと切に願っていた。 『無垢の祈り』
人類全てが社会に適合するために必ず【条件付け】が為される世界。芸術を敬う者はその事実を隠し堕術者として犯罪扱いされるようになっていた。その堕術者を狩る組織・オペラントに所属する男がある女性を監視することになった。 『オペラントの肖像』
天才殺人鬼が捜査に携わる女性の動物的勘によって逮捕された。殺人現場に必ず卵の殻を残すことからマスコミが命名するところの卵男。実は反撃も出来たのだがある理由から甘んじて収監されることにした。 『卵男(エッグマン)』
十八年ぶりに渋谷で再会した父親・ドブロクと共にアジアにある国名すら聞いたことのない謎の国を訪れたヒロ。その国の奥に勝手に王国を築いた呉なる人物の公開暗殺指令が仕事なのだが……。 『すさまじき熱帯』
私は建設省国土地理院院長承認下、同院発行のユニバーサル横メルカトル図法による地形図延べ百九十七枚によって編纂されました一介の市街道路地図帖でございます。私は今お坊っちゃまにお仕えしております……。 『独白するユニバーサル横メルカトル』
人間をバラバラに生きたまま解体することを生業としているMC。何年も彼の助手を務めた男が突然自殺してしまったため、ドンは別の人物を助手として寄越してきた。MCはココと名乗る若い女の解体を開始する。 『怪物のような顔(フェース)の女と溶けた時計のような頭(おつむ)の男』 以上八編。

読み終わるとくらくらします。推協賞受賞の表題作すら地味に見せてしまう鮮烈な個性の数々
いやあ、こんな衝撃(ホラー・幻想系で使う頭脳に対して)は信奉している某作家の何年か前に出た短編集以来。小生ごときが断言するのは憚られますが、幻想・ホラー系がお好みの方にとっては間違いなく傑作作品集といえましょう。帯に綾辻行人、京極夏彦、柳下毅一郎といった各方面の大物諸氏が絶賛の辞を寄せておりますが、この看板に全く偽りなし。
作品集でありながら文体や構成に似たものが一切ないながら、全体として匂い立つように徹底しているのは人間存在に対する絶対的な不信感あたりか。その設定はSFじみたものから日常の延長まで様々で、だけれどもいずれにせよ何か人間であっても人間でないような存在が世界を侵食してくる。そしてほとんどの結末は絶望と虚無に繋がってゆく。主人公がそうであるMCや地図そして卵男、一室に繋がれたオメガ、謎の王国の内部の人々……。いわゆる世間様がもつ常識とは無縁、そしてそういった細々とした一般世界から超越した価値観と思考方法を持つ「何か」。彼らによって物語は侵食され破壊され腐食していく。例えば、普通の少年であったはずの太郎にしても中盤から狂気に蝕まれていくように見える。だがこの作品の怖さは別に誰か、ないし何かの影響を受けたのではなく突然太郎が変貌していくところに怖さがある。この冒頭作品の恐怖が象徴するように、深層心理ですら認識できない人間の心の奥底にへばりついた厭らしく醜い感覚を平山夢明は極大化して読者の目の前に次々と提示してゆくのだ。誰かさんの狂気と他人ごとで簡単に片づけられないところに本作が発する独特の怖さがあり、恐らくは人間すべてが自覚も意識もしないところに持っている「何か」を切り取ろうとする作者の悪意(良い意味での)が作品を濃厚にしている。
もう一つ、独特の世界観の構築が素晴らしい。というか普通こんな設定思い浮かびませんよ。『すさまじき熱帯』における言語感覚など斬新でキレが素晴らしいし、MCの職業であるとか『無垢の祈り』の小学生とかよくぞここまで……といった突き抜け方を感じる。(ただ、これは小説よりも強烈な実話怪談を蒐集してきた著者ならではの発想なのかもしれません)。

肉体的な苦痛を想像させて怖がらせる、虫や爬虫類など生理的嫌悪を発動させる、人間心理の持つ欲望などを肥大化させて恐怖を演出する――といった、これまでのサイコサスペンスやホラー小説が技巧として有してきた”恐怖感覚”を、全く別の角度から喚起し、表出させた作品群。グロ系が苦手でなければ取り敢えず読んで損はないのではないかと思われます。(逆にグロが苦手な方は絶対に読まないでください)。


06/08/01
島田荘司「溺れる人魚」(原書房'06)

書き下ろしの表題作と原書房刊行の『名車交友録('05年8月)と『島田荘司「異邦の扉」に還る時』(2004年4月)に収録されていた三作品を合わせたオリジナル作品集。

かつてオリンピックで複数個の金メダルを獲得したポルトガルの天才スイマー・アディーノ・シルバ。彼女は結婚後に奇妙な症状を取り暴力的な発作を起こすことから脳に関するある手術が為された。その結果訪れた悲劇。そして彼女が選んだのは拳銃自殺。しかし、同じ拳銃により同じ時間帯に彼女への手術を強硬に主張した大学名誉教授もまた殺害されていた。 『溺れる人魚』
当時ストックホルム大学に居た御手洗が江戸時代に日本人が作った人魚をニセモノだと見破る。しかしロシア人が頭から尻尾まで一本の骨で繋がった人魚の、黒こげ死体の写真を見たことがあるという。これをきっかけに御手洗は持ち前の行動力により戦時中のドイツを知る人物を捜し回った。 『人魚兵器』
中央アジアに行ってきたという御手洗。彼はロシアやアジア各地で耳の光る赤児が四人生まれたという現象を調査していた。彼女らには一見何の関係もなかった。更にロシア政府が調査に横槍を入れるようになったが御手洗は諦めない。 『耳の光る児』
日本にいる石岡が御手洗に送った思い出を綴った手紙。そして石岡は東京の街で無責任な男性に弄ばれながら生きる力を再び徐々に取り戻した女性からの手紙を同封していた。 『海と毒薬』 以上四編。

二十一世紀の御手洗シリーズの様々な特徴が四つの収録作から見受けられる
まず島田荘司氏の作品としてテーマのクオリティが一定以上であること。とにかく読み物として抜群のリーダビリティを誇り、強いクセのない文章を武器として、歴史・科学・その他・ありとあらゆる事象を切り口としてしまう博学が必ず作品内にて顕示されている。極端な話、本格ミステリとしての謎解き(物理的な不可能犯罪)が無くとも、歴史や科学に関する事象に独特のifやWHYを持ち込んで、その方面について全く知識がなくても魅力的な読み物に仕立てあげてしまう。元天才スイマーの悲劇を通じてロボトミー手術を語る『溺れる人魚』、ドイツ軍の大戦中の秘密実験について触れる『人魚兵器』、やはり軍事目的に使用されたある物質がテーマとなっている『耳の光る児』。社会派として何かを訴えるというよりも、権力者が隠そうとする過去の悲劇を暴き出しているといった印象が強い。それでもテーマとしては”社会派”ということになってしまうのだろう。
そして、同時に不可能趣味を読者に見せつける手腕が健在であること。ただ、その謎こそ本当に不可思議な内容を提起してくるのだが、近年の島田作品のトリックはところどころ「あれ? これでいいんですか?」というものが混じるところもご愛敬。いずれにせよ、そのまま放置せずどんなかたちであれ現実に着地させる腕力については定評通り。
そして物語において取り上げられる舞台が全く地球上のありとあらゆる場所であること。今回もリスボン、スウェーデン、ロシア、横浜とバラエティに富んでいるが、ここのところの作品群は本当に凄まじく世界に拡がっている。それでいて全く違和感を覚えさせず、どんな土地であってもしっかり手の内に入れて描ききる実力は、平凡なミステリ作家にはとてもではないが追随できるものではないと思う。
あとは、最後の作品についてのみいえるのだが、自作に登場する人物たちに対する過度ともいえるフォローを作品にて行っていること。御手洗、石岡、里美、レオナ……(吉敷も?)。御手洗−石岡の関係性を維持し続けず、他の人物を時に主人公にし、時に思い出話を語らせる。こういった自作に対する寄りかかり具合もファンにとっては魅力だといえるだろう。(冷静に読むと苦笑したくなるケースもあるけどね)

島田荘司氏の一連の作品群とこの作品集だけを比べるとするならば、本作に特別大きなインパクトがあるものではない。だが、やはり日本のミステリ界においては島田荘司氏そのものの存在感が強烈に存在し、作品発表ごとにそのレベルの高さに舌を巻く。やはりオンリーワン、島田荘司というレーベルそのものが、既にミステリ界のなかでは一つのジャンルを形成していると思う。