MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/08/20
太田忠司「追憶の猫 探偵藤森涼子の事件簿」(実業之日本社JOY NOVELS'03)

巻を重ねるごとに「着実に成長する主人公」という、太田作品のシリーズ探偵では他に類をみない特徴を持つ、藤森涼子シリーズにおける現段階(2006年)における最新作品集。「週刊小説」「J−novel」に'01年から'03年にかけて発表された作品がまとめられている。

年齢を偽った高校生が依頼してきたのは、姉の婚約者の行状調査。しかし疾しいところが一点もない調査結果を涼子は提出する。しかしその後、調査対象となった人物が、彼の姉と共に一宮探偵事務所に怒鳴り込んできた。彼らはフォーマットこそ同じながら、なぜか涼子の提出した内容と全く異なる内容の調査報告を持参していた。 『高台の家』
一枚の絵から、その絵を描いた人物のことを知りたいというお金持ちの老婦人からの依頼。探偵事務所を辞めた涼子は、元同僚に口説き落とされて仕事を引き受ける。幸せいっぱいに暮らす夫婦を捜し当て、その妻が作者であると報告する。その老婦人は、実は夫の愛人の娘だという彼女に大金を贈与することにするというのだが……。 『迷彩の庭』
刑事・土岐との結婚問題を前にして心が揺れ動く涼子。彼女のもとにかつての事件で関わりのあった美紀が訪ねてきて、友人の依頼を引き受けて欲しいと懇願。その友人の別居している母親を探して欲しいというものだったが……。 『追憶の猫』
果たして結婚して良いのだろうか。自問する涼子のもとに古西と名乗る探偵が現れた。土岐の親からの依頼で涼子のことを調べていたのだという。さらに彼は彼女が一宮元所長の元を訪ねた事実を問題視、やんわりと彼女を恐喝するが涼子はその申し出を断る。しかしその古西が何者かに殺害されるにあたって涼子は容疑者筆頭候補となってしまう。『天上の花』 以上四編。

”探偵”という人生を宿命づけられた、一人の独身女性の生き様を描くシリーズへの昇華
本書で特徴的なのは、過去の事件を通じて藤森涼子が知り合った登場人物が、さまざまなかたちで復活して再度物語に登場している点にある。彼ら、彼女らの登場によって藤森涼子の内面が本書一冊のなかでも大きく揺れ、変化を遂げてゆくのだ。当初、「求む、バカな人」という求人広告に釣られ、一宮探偵事務所の扉を叩いた気っ風の良い独身OLだった彼女が、いつの間にか名古屋界隈の探偵業界でも有名人となり、さらに本書では一宮所長の入院、探偵事務所の変革に伴って事務所すら辞めてしまうという矢継ぎ早の展開が打ち出される。確かに、太田忠司氏の他シリーズ、例えば霞田兄弟や狩野俊介にしても、事件や物語を追い、その結果を出してゆく経過のなかで少しずつ成長する姿が描かれている。ただ、それらはあくまで”少しずつ”であり、本シリーズほど急に展開してゆくのは珍しい。(実は、藤森涼子がペットを飼っていないことが最大の理由かもしれない――という分かるような分からないような邪推は保留しておくけど)。
本書に登場する四つの事件もまた、独特というか象徴的である。不可能犯罪というタイプではなく、むしろ探偵の介入によって事件が起きたり、探偵という存在そのものが事件の要因となっていたりと、なんとも主人公にとっては辛い事件が並ぶ。その辛さによって、自身の信条すらぶれまくり、様々なものに縋って生きようとし、それでも結局己自身の感情に正直に生きることを余儀なくされてしまう。シリーズの当初から読んでいる(実は個人的には『暗闇への祈り』も『ペットからのメッセージ』も欠いているのだけれど)読者には、それぞれが心に響く内容となっている。

事件そのものにももちろんサプライズは仕掛けられているけれど、そのサプライズ自体だけを狙うミステリではない。ここに至るとやはり「藤森涼子の人生」が今後どうなるのか。作品における謎だけでなく、どうしてもこの点にも注目せざるを得ないのだ。ある意味、『天上の花』あたり、ここでシリーズが終わってもおかしくないような結末だが、本書以降もまだ作品は発表されている。続編がいずれ刊行されるはず。


06/08/19
天城 一「宿命は待つことができる」(日本評論社'06)

天城一の密室犯罪学教程』『島崎警部のアリバイ事件簿』に続く、天城一傑作集3。天城一の数少ない長編作品のうち私家版しか刊行されていなかった表題作を軸に既刊では未収録となっていた短編、更には書き下ろしの最新作品を加えた「豪華すぎる補遺篇」の作品集となっている。

第一部 長編。 いくつもの時代を枠組みとしたかつての事件。柳小路美鈴そして後のバロネス・ベル。そして警部補時代の島崎。神戸のホテルで死んだ男と気を喪った女性が一人。カウンターは監視されており、地元の刑事は女性が犯人だと意気軒昂。しかし、ただ島崎は女性が犯人ではないことに気付いていた。そして事実、その裏には様々なドラマが……。(非常にあらすじを書きにくい作品なので綺麗にまとめるのは諦めます)『宿命は待つことができる』
第二部「島崎警部と春の殺人」……短編八編。 『彼らマンダレーより』『春は名のみか』『春の時代の殺人』『落葉松の林をすぎて』『東京駅23時30分―湘南ブルース―』『春 南方のローマンス』『早春賦』『失われた秘策』

探偵小説の形式を借りながら、戦後という現象に対する様々な著者の思索が内包される作品集
まず一つ意外だったのは、作品それぞれにどこかロマンティックな叙情性があることに気付かされたこと。特に表題作『宿命は待つことができる』が顕著だったように思う。これまで読んだ(数少ない)天城作品はむしろ理詰めが徹底し、人間感情などについてもその論理的思考方式同様、機械的な割り切りがあるように感じていた。(その存在を無視するでなく、パターンとして型に嵌めてしまうというか)だが、この作品にはそこから離れ、全体に揺らぎが多いようでロマンのような心情が登場人物に多く感じられるのだ。ただ、例の如く文章は研ぎ澄まされ、更に高度な教養が必要な(天城氏にとっては常識なのかもしれないが)暗喩や隠喩も多く、巻末の山沢晴雄氏曰くの《天城文学難解の魅力》を湛えている。もしかすると、これまで読んできた作品にも同様の狙いがあったのかもしれないが、個人的には本書で初めて気付いた次第。
ただ、自作解題でも散々触れられているのだが、昭和史(戦後史、占領史、戦争観、敗戦観……)に対する独特の視点があり、そこから逆算していく物語作りが巧み。その視線による物語構成もまた、天城作品の独特な味わいに繋がっていることも間違いない。ただ、小生はその史観に対し半端なコメントや分析を付けるほどの知識も才覚もないことを自覚しているので、この点についてはここまで。ただ、その思索や思考が先行するあまり、例えば一般的な作家としての文章技巧であるとか読者に対する読みやすさへの気配りだとか、動きや状況の形容方法であるとか、そういった部分についての配慮があまりないため、文章そのものに取っつきにくさがあることは事実。(もともとプロとして発表していないのだからというエクスギューズもあろうけれど)。だが、その読みにくさを乗り越え、深読みによって状況を読みとり書かれていることを理解するようにすることで滋味ある世界が拡がる点が深い。
また、これまでの作品集同様、本書収録の短編でも探偵小説という形式、その使用されているトリックが普通以上に十二分に吟味されている。結果としてそのトリックなどが元もとの天城氏の思索によって描き出すと決めた時代をしっかりと演出することになる。本書では様々なトリックの趣向を凝らした『落葉松の林をすぎて』が印象的だった。

ちょっと気になったこと。「乱歩さんが探偵小説は作者と読者の知恵比べと定義して、それが広く世間に伝えられて多くの人々に今も信奉されていることはとんでもない間違いだと思っています」 とまあ、ここまでは良いのだけれど、この場合の「知恵比べ」の天城氏による定義は、どうも一般的に流布しているこの言葉の常識とは異なるように思う。天城氏の言説では、頭の良さ(記憶力の良さ)を比べているように思うのだけれど、普通は違いますよね。

トリッキーというより、頭から尻尾まで意識的な探偵小説であり、「天城一」という作家の名前を知らない方(つまりは本格ミステリにそれほど興味のない方)が無理に読むべき作品ではないとは思うのだが、この方の昭和史の独特の捉え方についてはその道の方々の意見を伺いたくもある。この感想を書くのに少し読み直したが、初読より再読、再読より恐らくは再々読に味が出る。 考えてみれば、この点、探偵小説としては実に希有な存在だといえよう。


06/08/18
山田正紀「早春賦」(角川書店'06)

『野性時代』二〇〇三年一二月号から二〇〇五年二月号まで隔月連載された作品の単行本化。山田正紀久々の時代小説長編でノンミステリ作品。伝奇でもなく、むしろ青春小説的な味わいが深い。

徳川家により武田家が滅んで以降、その小人頭が配下の小人と共に八王子郷に移り住み、その地の警護を仰せつかった。その八王子にて施政を扱ったのが八王子総奉行であった大久保長安である。当初は二百五十人ほどだった小人は最終的には千人となり、後に「千人同心」と呼ばれる集団となる。だが、それから十数年半士半農の彼らは「郷士」となり、若い世代は自分たちが武士だという意識はほとんどなかった。十七歳の風一もそんな一人。卒中で倒れた父を支えて暮らしていた。ある日、その身体の不自由な父が家におらず探しに出た風一は、父親が真剣な顔で林のなかで物見をしていることに気付く。父を助けて、行きがかり上、早馬に乗った武士を倒した風一らにより、大久保長安の死亡を知る。幕府は長安を裏切り者と見なしており、その一族郎党を死罪と決めていた一方、大久保長安の配下・石見屋敷の一党は幕府に手向かうことを決めていたのだ。千人同心は幕府に背くことなど思いもよらないなか、小人頭の集まりに使者として訪れた火蔵・火拾の兄弟によって主だった人々の多くが惨殺されてしまう。そのなかには風一の父も含まれていた。火蔵は風一とは幼馴染み。また、寺の小僧として生きる山坊、村に囲われる解死人・林牙らと一緒に遊んでいた間柄だった。大人へなりつつある彼らが、いつの間にか立場を分けての戦いに巻き込まれてゆく――。

かつての山田正紀らしい、瑞々しい青春&どきわくの冒険譚が時代小説の形式を借りて復活
生前にその才覚によって栄華を尽くした大久保長安という人物。没後、その関係書類すら処分されてしまう程の苛烈な徳川家の怒りを買っている。果たしてその前後にどのような事件があったのか、今となってはよく分からない――という歴史の隙間に敢えて題材を取った作品。(同じように山田風太郎描くところの忍法帖でも長安は不思議な人物として描かれている)。
その隙間にあったかもしれない遺臣たちの蜂起と、蜂起されては困る土着化した武士との争いを軸に、またその地で行われていた養蚕という行為をさらに織り糸として描かれる青春小説が本書。主人公は、武士であった父親に育てられながらも、武士の自覚などさらさらない十七歳の風一。争いのない時代に、互いの身分を意識せぬまま交流してきた幼馴染みである孤児のきぬ、石見屋敷の倅・火蔵、名僧といわれた牛照上人の弟子である山坊、そして”いざという時”のために村人に養われる林牙といった面々を効果的に配置している。幼馴染みが手を組み、戦うという宿命的な部分をさらりと流し、それぞれの立場を無心に守って生きていく彼らの姿が、戦いのなかにあっても清々しい。
特に、風一の淡々とした生き方に萩原なる徳川家の謎の人物が絡み、成長を促してゆくエピソード自体も良いし、クライマックスにあたる部分で攻めにくく守りやすい八王子城に潜入し、火蔵・火拾の兄弟と死闘を繰り広げる展開も迫力がある。そしてエピソードにあたる部分における清々しさもまた心地よい。戦国時代の価値観から、徳川家の治世における価値観へと移りゆく時代ならではの、若者の姿の描き方がかえって静かな変動の時代を思わせるのだ。
もう一点、本書では恐らくは意識的に註釈無しの方言が生々しく使われている。「えーかん精が出るよな。薪が要るだろうと思うてな。かのうを持ってきてやった」「お上人、やっとかめじゃんか。待っとっただわ。話は聞いただでー、石見屋敷の陣衆がどえでやーたけたそうじゃんか。たーけたことをー、むちゃするでかんわー」といった感じ。(前者は甲斐弁、後者は三河弁か)。もちろん、方言一辺倒ではなく場合により、読者が普通に理解できる武家言葉なども使われるし、方言ではあっても押さえて喋る場合はまた扱いが異なっている。確かに我々も友人と喋る場合は方言を使っていたとしても、公式の場では標準語を使うといった使い分けをするケースがあるし、シチュエーションや心情をこういった「言葉の使い分け」で表現する方法もあるのだな、と感心した次第。

本格的なSF作品を矢継ぎ早に発表していたデビュー直後の山田正紀、さらに本格ミステリを様々なテーマで打ち出している直近の山田正紀のどちらでもなく、それらの中間期に様々なかたちでSFや冒険小説を次から次へと発表していた山田正紀氏の仕事と重なる印象。(リアルタイムで読んできた読者ではないですが)。ただ、滅法面白いという意味で、間違いのない作品である。でも、ちょっとあっさりとした印象は少しあるかな。


06/08/17
新堂冬樹「毒蟲VS.溝鼠」(徳間書店'06)

徹底して自己中心的で残忍な主人公を描いた超絶ノワール問題作品『溝鼠』の続編。『問題小説』誌に2004年11月号から2006年3月号まで連載された作品の単行本化。

前作でヤクザ宝田組との抗争の果て、最愛にして美貌を誇る姉・澪と父親・源治を殺害したうえ海外に逃げた「溝鼠」鷹場英一が顔を変えて日本に戻ってきていた。徹底した自己保身と吝嗇、残忍さを併せ持つ彼は、ユニークな性格を持つ配下をスカウトし「青い鳥企画」という”復讐代行業”を立ち上げていた。例え理不尽であろうと金さえ積まれれば対象が徹底的にダメージを受けるかたちで復讐を代行するその仕事ぶりは、ヤクザたちですら関わりを憚る凄まじさがあった。一方、かつて鷹場によって婚約者を奪い取られ、自身も大怪我を負わされた結果、性格が百八十度転換した大黒という男がいた。毒蜘蛛やムカデ、蠍といった毒虫を扱って同様に復讐代行業「スペシャル・サポート」を営んでおり、彼は「毒蟲」と噂され、やはり徹底した残忍さでもって対象者を地獄の底に叩き込んでいた。大黒の念頭には自分をこんな目に遭わせた「鷹場」への復讐心があったが、その鷹場は二年前に死んだと思い込んでいる。その妻を軽薄なペットショップ経営者に寝取られた、身体の不自由な男が大黒に復讐代行を依頼、大黒たちが実行した結果、その男が「青い鳥企画」へ復讐代行を依頼、物語は動き始める。

”超”のつく変態たちの祭典。吐き気を催すエログロ描写のオンパレードによるディティールの凄み
一週間人を殴らないと禁断症状が出るというタイソン、SMクラブの元ナンバー1の醜女・富子、元外科医という経歴で独特な残虐行為を施す教授、老婆だろうがなんだろうがオールOKの精力絶倫の種馬男・捨五郎、故意のデッドボールが大好きな元高校野球選手・球児といった主人公二人に負けず劣らずの変態たちが多数登場。揃いも揃って残虐行為が大好きときており、彼らが一般人に対して行う残虐行為は酸鼻を尽くしたエグさがある。
「溝鼠」「毒蟲」をそれぞれ大将とし、その配下が残虐の限りを尽くすという本書をひとことで言い表すと、変態オールスター戦。 前作を読まないまま本作を手にとってしまったので主人公の昏い情念をノワール小説として描き出すというよりも、友成純一的究極変態たちが、紅白に分かれて風太郎忍法帖のごとくその特徴を出し合って戦う変梃エンターテインメントを期待していたのだが、その激突部分の描写は一部を除くとあっさりしていてやや不満足かも。ただ、その一部である”真正サディスト”の河童禿・国光vs.”コンプレックスの塊”小卒斑禿チビデブ男・鉄吉の舌戦はめちゃくちゃに面白かった。やはりこの感じで変態同士のめちゃくちゃな戦いを延延と続けてくれるところを希望。(って全滅してますがな全員)。
対象に対する徹底的な精神的、肉体的苦痛を与えるとひとことで書くとそういうことだが、その表現はちょっと転載出来ないようなグロい内容ばかり。ストーリーもあるようなないような展開で、大筋はシンプル。(多少、後半に登場する助っ人たちには驚きもあるけれど)。結末も結局はこうなんだろうな……という範疇を超えておらず、生き残り戦にしてもサプライズは少ない。なので、本書の意義はこの徹底した変態たちの描写に尽きるように思う。

いわゆる世の中の暗部の更に暗部を描き尽くしたような作品。まともな神経を持つ常識的な人々には当然勧められません。ある世界の極北を描写しつくした有害図書。フィクションをフィクションと割り切れない方は絶対読んではならない禁断の作品でありました。世が世なら発売禁止だろうなあ。


06/08/16
加賀美雅之「風果つる館の殺人」(光文社カッパノベルス'06)

加賀美氏は、2002年『双月城の惨劇』がカッパ・ワン第一期のうち一冊に選ばれデビュー、'04年には上下巻の大作『監獄島』を刊行している。

北アイルランドの辺境に立つ豪邸『風果つる館』。海岸沿いで激しい風の吹くこの館では、また別の嵐が吹き荒れようとしていた。『ユニオン鉱山株式会社』の創業者にして鉱山王であったクリストファー・ケリイと妻イングリッド。そのクリストファーの愛人で三人の子供を持つイヴォンヌ・ドワノーのうち、イヴォンヌがかつて館の内部の迷路内で不審な死を遂げた。首を切断されたその死体の周囲には彼女と、彼女の娘クローディアの足跡しかなく、凶器も犯人の足跡もなかったのだ。その事件の後、クリストファーも死亡。事業はイングリッドが実権を握り、イヴォンヌの三人の娘たちはそれぞれ会社の幹部を夫にし、男女二人づつの子供を設けていた。パリ警視庁の予審判事・シャルル・ベルトランを叔父に持つパトリック・スミスの恋人、メアリー・ケリイはそのクローディアの養女だった。メアリーは、滞在先の南フランスから遺言の執行に立ち会うため『風果つる館』に呼び戻される。パトリックは彼女に同行し、彼女を巡る複雑な人間関係について聞かされる。さらに彼らが館に到着する前に、謎の自動車故障があり、さらに発表された遺言は前代未聞のものだった。ケリイ一族の従兄弟同士で最初に結婚したものの一族に全財産が渡るというものだったのだ。かくして膨大な遺産を巡る惨劇の幕が切って落とされた。

重厚長大も良いけれど、そろそろ”黄金期の探偵小説”ならではの何かが欲しい
突然、巨額の遺産を相続することになったヒロイン、彼女のもとに届く「帰ってくると惨劇が起きる」という手紙、更には三姉妹、顔を隠した謎の人物など、思いっきり「犬神家」なのでどこかパロディめいた予感も漂ったが、この点に関してはその意識もあるようだけれどもそう単純なものではなさそうだ。事件の導入として古式ゆかしい探偵小説のひな形を流用したといった感覚だろうか。もともと加賀美氏の作品自体、常に黄金期の探偵小説を強く意識しているようで、その意識ゆえにか「物語形式」全体に何となくレトロっぽさが漂い、例え試みが新しかろうと全体の雰囲気によって飲まれてしまいやすい。厳しい言い方をすると伝統的な形式に乗っかかること以上の”新しさ”が作品から見えにくいのだ。トリック自体は独創的であるのだけれど、物語トータルで捉えた時にその使い古された形式ゆえにどうしても読者の採点は厳しくなってしまうように思う。
本書における、遺産相続のために集まった人々が次々と連続殺人に巻き込まれるという展開は別に悪くない。この特殊な特徴を持つ館についてもこの時代背景であれば存在自体も許容範囲だろう。そういった状況と場所を背景に発生する一見不可能の連続殺人事件……。真相が明らかになる以前の不気味なサスペンス感覚は素晴らしい。――だが、個々の事件の真相についてに統一性が取れていない点は(偶然だったり、自作自演だったり、共犯だったりするところ)やはり黄金期を意識した本格探偵小説においては問題のような気がしてならない。また、この遺産相続条件の扱い方というのもちょっと変だと思う。現代常識が通用しない世界なので遺言の内容、そして条件そのものはこれまた作品の背景のなかでは許せるのだけれど、その後に明らかになる「実は……」という部分は頂けない。徹底した遺族に対する憎しみが背景にあるのであれば遺言はこのままで良いし(非常にダークな雰囲気で塗り込められることになっても)、「実は……」があるのであれば探偵役が登場する前に事件が収まらなくては不自然なのだ。
種々の事件、そしてそこに奇想的な発想が込められている点は認めたいし、これだけの時代背景などを(現代において、改めて)構築したこと自体も作者にとって大変ハードな仕事であったであろうことも想像に難くない。複数のトリックも独創にこだわっていることがよく分かる。ただ、黄金期を再現しようとするがゆえのメリット・デメリットまで計算しつくされたとはいえないように思うのだ。三作続けて読んできているが、この背景ならではの”新しい何か”をそろそろ作者は求められる時期に来ているように思う。

結局のところ本格ミステリというよりも、本格探偵小説に対するこだわり――なのだと思う。これまでの二作は不可能犯罪てんこもりの豪華絢爛さが目立ったが、本作ではトリックの凄まじさ、インパクトの点でやはり前二作に比べると若干見劣りがするように思う。その結果、全体の枠組みの重さに物語が押し潰されたようになって、本来目が届かない瑕疵まで見えてしまうのかもしれない。この作者の描くシンプルな長編作品を一度読んでみたい気がする。


06/08/15
竹本健治「ウロボロスの純正音律」(講談社'06)

『ウロボロスの偽書』『ウロボロスの基礎論』に続く、竹本健治氏による実話系メタ・ミステリ「ウロボロス」シリーズの三冊目にして最後となる作品。小説現代増刊『メフィスト』誌に一九九九年五月号から二〇〇六年五月号の長きにわたって連載されていた話題作、遂に単行本化。

ミステリ作家の竹本健治は自宅のある町田の路上で南雲堂の南雲という人物から仕事の依頼を受ける。遅筆の気のある竹本は乗り気ではなかったが、提案されたのは書き下ろしでの漫画単行本の刊行であった。かつて漫画家を志していた竹本にとってその魅力は抗いがたく承諾の返事をする。勝手の異なる漫画の作業のため、竹本は都内にある南雲の私邸「玲瓏館」の一室を借り、「祭り」とばかり、ミステリ関係の人脈を駆使して様々な著名作家やマンガ家、評論家を招いて少しずつ作業を手伝ってもらう計画を立てた。その「玲瓏館」は南雲の曾祖父が建てた館。代々南雲家に仕えるクォーターの美人メイド、力仕事を一手に引き受ける大男らが住まい、「黒死館」と見紛う好事家好みの豪奢な造りを誇っている。内部にも人形、暗号など黒死館を思わせる遺物や、黙示録を描いた絵画などが揃い、訪問者はその館の醸し出す独特の雰囲気に魅了される。さらに歴史あるこの家の図書室に「お宝」の匂いをかぎ取った彼らは、南雲の許可が下りてその扉が開かれる日を心待ちにしていた。そしていよいよ、その図書室が開放された日、訪れていたライター・福井健太が館にある作り付けの暖炉の煙突に身体を突っ込んで謎の死を遂げる事件が発生した。彼の死を悼む間もなく、関係者によって推理が開始されるのだが……。

各方面の作家による実話劇であることを除くと、黄金期の名作+第三の波初頭の話題作の混淆でしか……。
連載が超長期間にわたっていたこともあり、本書の舞台となっている'96年〜'97年頃と今とでは、本格ミステリ界の状況がかなり異なっているように見受けられる。物語の実話部分の背景となるのは'99年に刊行された竹本健治の囲碁マンガ『入神』の創作端緒となる時期。実際、都内に仕事場を設け、竹本人脈の様々な作家、漫画家、評論家が千本針形式で作品に手を入れたというのは、今となっては有名な話である。その仕事場を黒死館のごとき”館”にして、その館にて訪れる作家や漫画家のあいだで謎の連続殺人事件が発生するという趣向。
登場人物は(小生が存じ上げない方も多数おられるものの)基本的には実在人物。ただ、登場人物の一部が殺人事件の被害者になるなど後半部分に行けばゆくほどに現実との遊離感は高まっていく。その、個々の人物の話しぶりや行動などが、漏れ聞く噂と合致していたり、逆にその噂を否定するものだったりと、まず「実話系フィクション」の意味での興味を満たしてくれる内容である。
もう一つ、この館の来歴というか囲碁、天文学、音楽の蘊蓄の果てに顕れる、この館そのものの秘密は非常に興味深い。 後で述べる個々の殺人にまつわるトリック等よりも、個人的に本書でもっとも感心したのはこの部分。オールド探偵小説ファンを狂喜させるような設定であり、ウロボロスシリーズからこのような展開となることを予想していなかっただけにサプライズが大きい。実はむしろウロボロスシリーズだからこそ設定することが可能になった部分だともいえそうで、試みとしても成功しているといえるだろう。また、序盤のポルターガイスト現象に対する理由付けなどにも一定の説得性は感じられた。
ただ一方の連続殺人については賛否有りそうだ。結局のところ、黄金期の初期大名作とはいえ、バカミスの祖ともいえる作品と、新本格の名作で同じくやはりトリックに関してはバカミスといえる作品が混淆したものが主軸となるトリック。確かに最初の作品を無理なく現実に成立させるのに、後の作品のトリックが必要といったところは理屈としては理解できなくもないのだけれどオリジナリティがあるとは到底いえまい。これだけの大作を手にした読者としては釈然としない気分は残る。それにこんな合わせ技、古くからミステリ界の顔として君臨する竹本氏でなければたぶん許されなかったんじゃないかなあ――というのが率直な気持ちがやはりある。

やはりウロボロスシリーズ一連の読者のための締めくくり、そして帯に登場する各作家の熱心なファンのための一冊。というか、それ以上の位置づけにはちょっと出来ない。本格ミステリの論理や謎解き”のみ”を期待する向きにはちょっと勧めづらい作品である。何しろ本来おまけの楽屋落ちがメインディッシュという作品なのだから。


06/08/14
島田荘司「UFO大通り」(講談社'06)

2006年の「月刊 島田荘司」シリーズ(?)の三冊目に相当する単行本。内容は小説現代増刊号『メフィスト』誌に2004年一月号に発表した『UFO大通り』そして同誌に2006年五月号に発表した『傘を折る女』の二中編から成る。

昭和五十六年。横浜に住む御手洗と石岡のもとに鎌倉に住む少女がやって来た。彼女の知人のお婆ちゃんが家の外をUFOが通っているのを目撃し、更には近くの山で宇宙人が戦争をしているところを目撃したのだという。テレビでもその証言をした結果、そのお婆ちゃんは息子からボケ扱いにされかかっているらしい。事件に興味を持った御手洗は早速鎌倉は極楽寺へと乗り出し、そのお婆ちゃん・小平ラクさんの話を聞く。 『UFO大通り』
一九九三年の五月。御手洗と石岡が一緒に過ごした最後の春。ラジオ番組を聞いていた石岡は、そこで語られた興味深いエピソードを御手洗に伝える。雨が降っているなか若い女性が所持していた一本の傘をわざわざ車道において通ってくる自動車に踏ませ、無理矢理に折ったというもの。御手洗はここからなんと殺人事件の存在を推理してしまう……。 『傘を折る女』 以上二中編。

島田荘司の「二十一世紀型」奇想が醸し出す安心感、そして意表を突くのはむしろその展開。
とりあえずまだ「月刊 島田荘司」祭り最後の『犬坊里美の冒険』を手にしていない段階でありながら、本書が一連の作品のなかで本格ミステリとしての意図とその作品の中への入り込み具合がもっとも高いように思われる。これまで島田氏が体現してきた”二十一世紀本格”の骨法をきっちりと踏まえ、そのうえでロジカルな展開が醸し出す探偵小説の面白みが加わっているのだ。素敵な話ではないか。
まず『UFO大通り』。奇矯な言動からボケが疑われるお婆ちゃんの一連の目撃証言。道を通るUFO、更には霧の中でレーザー光線で撃ち合い、奇妙な声を挙げる宇宙人たち。それだけでなく近所で発生したUFOを信じる青年の不審な死、残された婚約者……といったところを繋ぐ御手洗の推理が冴える。そのトリックというか原因は島田荘司の提唱する「二十一世紀型」本格そのもので、読者が推理しようにもある知識を持つことが前提となっている(ただ、既に幾人もの作家がミステリに応用している現象であり、知る人も多いはず)。島田荘司の凄さは、その事象から逆算して作り上げるのだと思うのだが、読者の目の前に通常の感覚では説明のつかない奇妙な現象を見せつけることに実に長けている点にあるだろう。ただ、実際にそういう現象を神の視点で描くことは少なく、そう証言する人物像を無理なく演出する巧さともいえるだろう。登場人物の知識不足、見え方の限定、想像力の働かせ方の方向性など、その証言者が真っ向からその奇妙な事態を信じ込んでもおかしくない状況をつくってしまうのだ。その演出の結果、生み出される芸術をしかと堪能したい。
そしてそれ以上にスゴイのが『傘を折る女』。序盤の御手洗流「九マイルは遠すぎる」だけでも熱いのに、更にそこに倒叙形式を持ち込み、さらにさらにどんでん返しの展開で読者の意表を突く。『UFO大通り』とのカップリングを意識したトリックも一部に重ねて使われてはいるものの、それがまた普通の作家では考えられない掟破りの趣向なのだと感じられるのは島田御大ならではの凄み。いや、熱い。

これまでの、特に中期以降よりも初期の島田荘司の作品がお好きという方に久々にきっちり勧められる本だと思う。”奇想”という言葉を、トリックだけに限らず、物語構成や作品集のなか、様々なかたちで趣向としてミステリに織り込んでしまう島田氏の姿勢が強く感じられる作品集となっている。


06/08/13
赤川次郎「三姉妹探偵団4 怪奇篇」(講談社文庫'90)

ダメだ、読み出した三姉妹探偵団が止められない。一冊読むとつい次の作品に手が……、ということはとにかく。例年通り『小説現代』の'87年の2月号、3月号に分載された作品が同年にすぐ講談社ノベルスにて刊行された作品。本書はその文庫版。

クリスマスも過ぎ、年末も押し迫るある日。相変わらず父親の出張不在中の佐々本家の三姉妹は年末年始の買い物に出ていた。二人とはぐれてぼうっとしていた長女・綾子は「オレンジ色のタクシーに乗っちゃだめだ」と言い残した不思議な少年と出会う。彼女たちは結果的にタクシーに乗り損ねるが、その乗るはずだったタクシーは大事故に遭遇していた。ホテルでの食事中、不思議がる三姉妹に対し、偶然綾子の大学のゼミ教授・沼淵と遭遇、沼淵は綾子に元教え子の息子の家庭教師を依頼する。場所こそ雪の中の山荘ながら待遇も抜群、三姉妹全てと夕里子の恋人・国友刑事までも同行可という条件に、彼女たちはすぐに飛びついた。その国友は、年末押し迫る公園で若い女性の死体と対面中。身許の判らない彼女の口元が笑ったようにみえて、国友は昏倒、長期の休みを申し渡された。一行は、早速その家庭教師先の石垣家に向かい、途中で夕里子の友人たちとも合流、結果的に十人近くがその石垣家に滞在する予定となるのだが……。その結果、彼女たちの周囲で奇妙な出来ごとが続発するようになる。

赤川流のサスペンス・ミステリに、ホラーの調味料をぱらぱらと振りかけたら出来上がり
さあて、今回の副題は上記の通り”怪奇篇”。これまでのシリーズはサスペンスが強調されていても所詮は人間のしでかしたことという括りがあり、結果的に(多少無理があったとしても)人間関係や、隠れた動機にて説明される内容の作品であった。今回は、その括りをとっぱらってホラー風味を強調した作品となっている。作品内で提示されるほとんどの謎についてはそれなりの説明がつくものの、どこかそれだけでは納得しきれないあたりがポイントだろう。純粋なミステリ信者にとってはどこか歯痒いところがあるかもしれないが、ミステリも好きだけれどホラーも楽しめるという嗜好を持つ読者にはうってつけの作品となっている。
東京で発見される身許不明の女性の遺体。条件の良すぎる家庭教師の口。交通事故の最中に行方不明になるクラスメイト。旦那さんがいる筈なのに全く姿を見せない山荘。何もかも悟りきったかのような冷静な少年。……何か人工的なホラー作品めいた展開が、もともと本シリーズの持つサスペンス感覚を強調する。 むしろミステリを基本に展開されてきているこのシリーズにおいては、この「とらえどころの無さ」は異色といっても良いだろう。少しずつ物語のヒントが開示されるなかで、読者の心のなかには「○○○」という古今東西伝統的なネタが思い浮かぶようにされており、その結果逆に、中途における物語の進行と展開が全く読めないものになっている。このあたりの読者を引き込むテクニックが抜群。
その「○○○」だけで終わらせず、一応現実的な解が物語に登場するし、そこに至るまでの三姉妹は相変わらず無鉄砲に事件に首を突っ込んでゆくし。この展開にはサスペンス以上に冒険小説めいた印象すら漂う。ただ、最後の最後に三姉妹絶体絶命のピンチを経て、事件が解決に向かってゆく部分は割り切れる感覚と同時に、そこからはみ出す部分がどうしても残って独特の恐怖感を喚起する。果たして別荘に住まう親子は何者だったのか。最後の最後にずしりと来るサプライズがあるのだが、その余韻を巧みに活かし”怪奇篇”に相応しい読後感を与えてくれるといっていいだろう。

山荘自体に抜け穴あり地下室ありと読者に大してフェアかどうかという点はこの際、目を瞑って。ページを捲る順に彼女たちを待ち受ける運命に共感し、同情して作中に入り込みながら読むのが吉。しかし三姉妹、たいがい危ない目に遭うよう遭うよう行動しているようにみえるところが不思議、そして面白い。


06/08/12
西澤保彦「キス」(徳間書店'06)

『SF Japan』に発表された三作品に、書き下ろし『舞踏会の夜』が加えられて単行本化された作品集。『なつこ、孤島に囚われ。』『両性具有迷宮』に続く「森奈津子シリーズ」の三冊目にして初の短編集。

レストランで食事をするモリ嬢とチヅカ嬢。食欲旺盛な彼女たちの強烈な猥談。その会話を耳にした中年男・蛯原は給仕していたシロクマもどきの存在に何か秘密があることに気付き、一計を案ずる。果たして一人でラブホテルに入って二時間後に一人で満足げに出てきた男の秘密とは……? 『勃って逝け、乙女のもとへ』
かつての恋人の息子と偶然に出会った熟女がその息子を誘惑してしまう――という物語を執筆中の森奈津子のもとに謎の電話がかかってくる。彼女のことを知るようで知らないふりをしているようなその電話をきっかけに、彼女の部屋に現れたのは北欧系の美女――。 『うらがえし』
イラストレーターの樋口あかりは「恋愛、性愛の悩み相談」を引き受けるレイディNの元を訪ねた。そこに居たのは森奈津子と名乗る女性。あかりは、二十年くらい前に亡くなった気になる女性と再会したいという望みを持っていた。二週間の代償を払い、彼女自身が変わってしまうことを恐れなければそれが可能なのだという――。 『キス』
なんやかんやで地球から離れられないシロクマ宇宙人は、執筆した小説を森奈津子にみてもらう。最初の作品は偽善的な被害妄想を持つ男の妄想が実現してしまう「凶歩する男」なる作品、次はオタク学生の一夜を描いた「夜のオノマトベ」、そして最後はSF幻想を描いた「スノウ・ドラゴン」……。 『舞踏会の夜』 以上四編の連作集。

とてもエッチで妙なところでロジカル。ところどころに西澤保彦氏の原点すら垣間見える。不思議な作品集
もともと、西澤保彦氏による森奈津子さんの描写は「神」を描こうとする行為に似ている(ように見える)。森奈津子さん御本人の実際のところはとにかく、女性ながらバイ、それでいて奔放にその行為について語り、ポリシーをもってコトにあたり、余人の反論を受け付けそうにない彼女の生き様は(伝え聞く限りだけれども)平々凡々に汲々と世間の眼を気にしながら生きる人間には模倣不可能であることは間違いない。同じ人間なのに遠い存在というと語弊はあるかもしれないが、その結果、特に「森奈津子シリーズ」における”森奈津子さん”は、あたかも気まぐれな女神様のごとき存在であるように描かれている。物語においては、それはそれとして機能しているので構わないと思う一方で、「森奈津子? 誰それ?」というような読者にとってはこのシリーズはなかなかに受け入れられにくいように感じられる。
ただ、本書はあくまで西澤流。ただ、ミステリ作品にてこれまで存分に駆使されてきたその”ワザ”が、掲載誌の関係もあろうけれど着地点をSFにもってきてしまうエンターテインメント集が本書。確かに『キス』などは、その西澤氏ならではのジェンダー意識が超絶に顕現されたラストが同時に複雑な意外性を醸しだしているし、『舞踏会の夜』に登場する作中作は、かつての西澤氏の習作がベースとなっているそうで、その方向性の模索具合にもどこか西澤氏らしさが垣間見えて興味深い。だが、作品集全体のなかではやはり「神」=「森奈津子」の視点は作品内で重要な地位を占めており、例え狂言回しに過ぎないケースもあるとはいえ彼女=森奈津子さんの存在によって成立している物語群といった面もちは変わりない。
そして内容は、ちょっぴりとか少しとかではなくどぎつくエロティック。かなりハードな濡れ場が展開され、お子様にはお勧めできない内容であることも間違いない。ただ、それもこれも作者に対する何か心理的抑圧の反動なのかな……と読者サイドがいらぬ心配をしてしまう。(というか、森奈津子さんという媒体を通すことで西澤保彦さんが弾けてしまっている、という風にみえる)。ロジックは存在するし、微妙なかたちではあれ謎解きもある。だけど、やはり従来の西澤作品のシリーズとは一線が画されたシリーズだと強く感じる。

困ったことに本書から暫く西澤さんの新刊が出ていないのだけれど……。なんとも従来の評価軸からは評価しづらく、かつどちらかといえば好事家好みの作品集であるだけに、本書は本書で味わいはあるとはいえ、「普通の西澤ミステリがすんごく読みたいんです」けれど。お待ちしております。


06/08/11
鳥飼否宇「激走 福岡国際マラソン 42.195キロの謎」(小学館'05)

「小学館ミステリー21」シリーズの作品で携帯・パソコンによって受信できる文学配信サイトのひとつ『eBOOK』に配信された作品の単行本化。

二〇〇七年師走、福岡国際マラソン選手権大会は日本晴れ。この大会は来年行われる北京オリンピックの選考会を兼ねていたが、陸連は既に世界陸上選手権で好記録優勝した祐徳選手を代表に内定しており、残り二つの枠を争うかたちになっている。注目されるのは持ちタイムトップの日本期待の小笠原、ナルキッソス化粧品の二階堂、さらに地元九州製薬の谷口といったところ。更にこのレースには一般参加や、ハンデキャップを持った人々も参加しており、加えてペースメーカーとして参加している市川、名もない中国の市民大会で二時間十分を切ったと主張する岡村など様々な選手が登録している。号砲と共に彼らは様々な思惑を胸に走り出す。夢のために、復讐のために、自分自身との戦いのために。しかしレース中盤で思わぬアクシデントが。有力選手が給水所で倒れる。さらに終盤以降は一般参加の選手が意外な頑張りをみせて――。果たして栄冠をつかむのは一体?

サプライズ以上に「ひたすら走るだけ」のマラソンの見せ方が絶妙。スポーツ・ミステリの隠れた名品
マラソンというスポーツは地味な割に不思議な吸引力があって、テレビなどでふと見始めると結局ラストまでずっと見ているということが(個人的には)多々ある。基本的に始終抜きつ抜かれつという場面が繰り返されるわけでもなく、だいたいが画面を見ていても「たったったったった」とリズム良くテンポを刻む選手の姿が映っているだけなのだが、それでも数少ない盛り上がりポイントを楽しみに最後の最後まで眺めてしまうのだ。「マラソン中継を楽しめる」という人が多数派とは思えないのだけれど、本書はそんなマラソンの魅力を活字で伝えてくれる作品である。
冒頭からいきなりレースがスタートするところから物語は開始される。テレビ実況や応援者などレースの外側からの描写もあるにはあるながら、メインとなるのは出場各選手数名に焦点を絞って、彼らの内心や思いをそれぞれに語らせるところ。 出場選手がレース中に不審死を遂げる事件こそあるものの、手練れのミステリ読者にとってはそのトリックは(明かされた後であれば特に)心当たりのあろうタイプでそれほど強烈なものはいえない。むしろ、その参加者それぞれが抱える思いが直接的に交錯するラスト数百メートルに物語としても、ミステリとしてもクライマックスを迎える点がポイントだ。特に一点に関しては、あからさまにずっとヒントが示されているにもかかわらず、全く予見していなかっただけに強烈なサプライズをもって受け止めることになった。
また、ミステリというよりも物語としての部分、ただひたすらに走り続けるマラソン選手の孤独とその自分自身との戦いを、赤裸々に泥臭く描ききっているところも評価できよう。極限の走り、肉体の限界のなかで選手たちが何を想い、何を感じているのか。同一フレーズの繰り返しも効果的。超人は一人もおらず、やはりこういう長距離走ランナーたちも我々と同じ人間であることを改めて感じさせられる。

小説として描くにあまり向いていないだろうマラソンを(だって互いにほとんど会話なんてする余裕ないですよ)を徹底して描いた点だけでも及第点。加えて、奇想天外なラストを持ち込んでいる点が素晴らしい。重ねて読み返すタイプのミステリ作品ではないが、一発ものだとしても出来の良さは明らかだ。