MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/08/31
太田忠司「暗闇への祈り 探偵藤森涼子の事件簿」(カドカワノベルズ'95)

太田忠司さんの数あるシリーズキャラクタのなかでも、特異な位置を占める女探偵・藤森涼子シリーズのうち現段階(2006年)における唯一の長編作品。

灼熱の太陽が照りつける夏の日、藤森凉子は一宮探偵事務所・所長の一宮に伴われ、一軒の家を訪問する。依頼人は車椅子に乗った若い女性で、彼女がボランティア活動に参加していた時に知り合った婚約者の青木達也が失踪したため、行方を捜して欲しいということだった。彼女の隣には、姉妹のように彼女を支える友人・町坂みどりの姿があり、連絡はみどりに対して行って欲しいのだという。友人と海に行くという約束をすっぽかし、その一人の留守番電話にメッセージが残されていたのが彼の最後の消息。依頼人によれば、きっちりした性格の彼であればひとこと自分に断りがあるはずなのだと主張する。達也の友人関係にあたる涼子だったが、彼はどうやら潔癖性できまじめな性格らしく、あまり親しい友人がおらず手がかりは乏しい。そんななか、凉子にOL時代に交際していた英田が結婚するという連絡が入る。思わず動揺する凉子。そんな凉子のことを知ってか知らずか、さりげなく彼女をサポートする一宮。達也は失踪の直前、ある作家の講演を聴いたあと、その作家に真剣な顔で何かを相談していたことが判明する。また、岐阜にある達也の実家のことを一宮に頼まれ調べてくれたのは、凉子の旧知の人物、阿南であった。

凉子のハードボイルド人生が切り取られて描写されるだけでなく、シリーズ全体の深い遠慮にも驚く。
長編として、謎解きの要素はむしろ薄く、私立探偵小説の定番めいた「人捜し」が物語の筋書きを成している。いわゆる本格ミステリの流儀というよりも、私立探偵系のハードボイルドの定番といった展開で、人に話を聞くつれ少しずつ手がかりが発見され、それらが繋がることによって意外な人間関係であるとか、隠された事実などが浮かんでくるという筋書きだ。
ただその中途で凉子が巡り会う人々の一人一人に(本当に一瞬登場するだけの人物に対してすら)独特の個性が付与されており、作品世界に立体感を覚える。特に、終盤に登場する苦労して子供を育てる専業主婦と、その家を飛び出して飲んだくれる亭主のコンビが秀逸。短い登場機会に巧みに夫婦のすれ違いを演出しているあたり舌を巻いた。
凉子の人生観が本書一冊のなかでも何となく変化が感じられ、普通の意味でのハードボイルドとは若干印象が異なる。ただ、とりあえず独立した作品として普通にストーリーを楽しむことが出来るように思う。
ただ、個人的には本書の続編二冊を先に読んでいることもあって、本書のなかに続刊で展開される凉子自身の問題についての重大な伏線がたくさん張られていることに驚いた。凉子自身の性格、一宮自身が抱える問題、探偵事務所の面々の性格付けから、さらには探偵事務所の料金の問題まで。まあ、こちらが先にあってそれをベースに作品が展開したともいえるのだろうが、それにしてもキレイに辻褄が合っている。

太田忠司作品らしい優しさがラストにほんわかと香る一冊。ただ、中途については凉子が結構イタイ系かもしれないのでその点のみは注意が必要。改めて感じたが、この藤森凉子シリーズは最初から最後まできっちりシリーズを読み通すことで物語背景による面白さが倍増する。読み逃しがある人は、探して読む価値あります。


06/08/30
高木彬光「白魔の歌」(角川文庫'83)

この後少しして、高木作品のうちで神津ものが一旦断絶する直前に、和銅出版社の「神津恭介探偵小説全集」の一冊として書き下ろし刊行された長編。前年に発表された同題の短編が改稿されたもの。(本来は全く異なる新作長編書き下ろしが予定されていたという)。

戦前に聖職者が起こした保険金詐欺と殺人。白魔と渾名された犯人を捕らえた実績を持つ元敏腕刑事であった鶴巻俊之輔。彼は自分が近く奇妙な死を遂げるかもしれないと予感し、三千万円もの大金を用意して、事件が発生する前からの名探偵・神津恭介の出馬を促す。巨額の謝礼の報を弁護士より伝え聞いた神津だったが、その申し出を辞退してしまう。神津から、かつての名探偵・鶴巻の話を聞いた新聞記者・浅岡典夫が彼の手記を入手しようと一家を訪れるが、彼はパチンコで頭に何かをぶつけられた上に、白魔を差出人とする謎の脅迫状を目にする。また、その鶴岡家に住む人々は、守銭奴から精神異常者、ハイティーン族となにやら怪しい雰囲気を持っていた。そんななか、鶴巻の孫娘が殺害されるという事件が発生。ガラスが破られており外部犯の可能性もあったが、青酸中毒死した死体の首にはパチンコのゴム紐が巻き付けられ、コルクの栓抜きが頭に突き刺さり、脅迫状でくるまれた弾丸が口に咥えさせられているという凄惨な状態であった。神津の出馬を仰ごうにも、彼は香港に外遊中。果たして事件は白魔事件の遺族の手によるものなのか……?

何かが起きるという雰囲気作りの妙のもと、仕掛けられた意外なる一発トリック
神津恭介が探偵役となる作品でありながら、その出番が実に少ないところがまず特徴か。高額の謝礼に見向きもせずに依頼を 断ってしまう神津の姿が巧みなミスリーディング。彼のことを知る読者(まあ、大半がそうだろうけれど)であれば、彼のこういったフェアな姿が逆に「当たり前」の態度として写りそうだから。その結果、新聞記者・浅岡による潜入捜査(?)が、非常に自然な展開として作品内で進むのだ。新聞記者、用心棒、そして神津の名代。悲しいかな、彼の推理能力という点はかなり名探偵とはかけ離れているのだが。
また、その不気味な雰囲気の片棒を担う、鶴巻家の一族の描写が秀逸。 腕白が過ぎる少年から始まり、自己顕示欲の異常に強い娘、口では殊勝なことを述べつつも肚に一物を抱えた鶴巻の愛人、常識人を装いながらも強い金への執着を示す息子、そしてその非常識人に囲まれ、ヒステリックな応対を続けるその夫人。外部犯を読者が信じられないなか、果たして誰が犯人でもおかしくないような展開が巧みだ。
ただ、トリックは正直なところ一発ネタに近い。(というか一発ネタでしょうこれは) この動機によって殺人を犯す真犯人というのは、広い意味では前例があるともいえるもの。とはいえ、この作品のミスリーディングたっぷりの展開からこのトリックを予見するのはかなり難しいのではないか。元は短編であったというところも頷けるもので、そのせいか全体に多少間延びした印象を受けるのも確か。

名作の多い神津もののなかに並ぶとやはり傑作とは言い難いし、むしろ凡作といって良い作品だと思われる。ただ、やはり展開にしろ描写にしろ一流の味があり、高木らしさを感じさせてくれる作品ではある。


06/08/29
大藪春彦「挑戦者(チャレンジャー)」(徳間書店'06)

1958年、江戸川乱歩の推薦で世に出た『野獣死すべし』におけるセンセーショナルなデビュー以来、国産ハードボイルド界の雄として独自の地位を築き上げた大藪春彦。'96年の逝去以来、「大藪春彦賞」が制定されただけでなく、十年が経過する今もなお作品の復刊が相次ぎ読まれ続けている。本書は、大藪氏には珍しいジュヴナイルと商業誌未発表作品などを中心に編まれた企画的意図の強い作品集。年譜と著書一覧付き。

父親を既に亡くして母親と二人暮らしの小学校六年生の昌夫。かつて悪友に騙されてかっぱらいを手伝ったことがあるが、今は真面目に逝きようと誓っていた。しかし再びその事実をネタに年上の純ちゃんに脅され、今度は強盗の手伝いをさせられることに……。 『深夜の銃声』
深夜にお使いで一人で歩いていた昌夫は、後をつけてくる人物に気付くが、それは友人で警察官の杉村さんであった。昌夫は杉村さんと話すうち、昌夫は”ゆうれいやしき”と呼ばれる家に差し掛かる。だが、家の様子が何かおかしい。 『港の銃声』
恩師の研究していた機密事項を狙って、何者かが彼の息子を誘拐していた。城猛彦は身代金受け渡しの情報が交わされるモーターボートに泳いで忍びより、子供を取り戻そうと奮闘するが……。 『挑戦者』
アフリカを転戦した元傭兵の男が、ハンティングを装ってアフリカを訪れていた。傭兵時代に知った男の顔がそこにあったが……。 『黒い死の影』
アイヌ犬を連れて恒例の北海道へ狩猟に出掛ける男。その狩猟の醍醐味が部分的に切り取られ、熱の籠もった描写で描かれる。 『アイヌ犬の咆吼』以上五編。

ジュヴナイルであっても大藪節は全開。文字遣い以外は全盛期作品そっくりの熱気が
テキストとしての価値も資料的な価値も高く(多分)、2006年刊行の復刻系の作品のなかでは”目玉”と言い切れるほどの作品集。個人的には著作一覧など巻末資料が嬉しかったが、そうでなくとも読むだけの価値(特に大藪春彦ファンであれば読み逃すことはできないだろう)ある一冊となっている。
本編のメインは、小学生の昌夫が主人公となる『深夜の銃声』『港の銃声』、そして正義の味方・ヒーローものである『挑戦者』。この二つのシリーズは、本来無力な主人公が勇気をもって戦う(それもかなり無茶な戦い)というタイプと、真っ直ぐな性格で弱者に優しく、本人も修羅場をくぐり抜けた不屈の精神と強靭な肉体を持つ”ヒーロー”城猛彦が物語を引っ張るタイプと、同じ少年向け作品とはいっても異なる構成になっている。特に少年向けということもあってか酒と女に関しては全くクリアだが、城猛彦というキャラクタは、一般向けの大藪作品に登場するダーティ・ヒーローたちと通ずるところがある。 敵とみなした対象に対する情け容赦のない殲滅ぶりであるとか、自分が危地に陥った時の沈着な挽回方法であるとか。そもそも戦いぶりに限らずタフさが人間離れしているところが、やはりヒーローの証明だといえるだろう。一方の昌夫少年も、それなりに暗い背景のある小学校六年生なのだが、特に『港の銃声』においては潜伏捜査まで手伝ってしまうなど、過去の悪事をばらすと脅されて悪い仲間に荷担していたのが嘘のような成長ぶりをたった二作のあいだで示してしまうのだが。それはそれ。大人の世界を覗く少年といった趣があってまた興味深い。
また、いずれにしても銃や車、船に飛行機といわゆるメカ部分に過剰ともいえる書き込みがあり、こういったディティールへのこだわりはやはり大藪春彦らしいといえるだろう。場面によっては銃の固有名詞が出てきたり、妙な唐突感もあったりするのだけれど。
他の二作『黒い死の影』『アイヌ犬の咆吼』については、いわゆる起承転結に基づく物語形式ではない。物語の導入部分のみで終わってしまっているようにみえる作品で、狩猟に関するディティールに関してはさすがの詳しさを感じるが読みどころとしてはそれくらい。まあ、テキスト重視の好事家のための文章だといえよう。

ひとことでいえば、ちょっとフツーじゃないジュヴナイル。 ストーリーとか主人公であるとかはジュヴナイルの定型といってもいい造形なのだが、物語がまんま大藪春彦。歴代の大藪春彦賞作家の方々にも、こんなジュヴナイルを執筆して欲しい、とちょっとマジメに考えてみたり。


06/08/28
霧舎 巧「名探偵はどこにいる」(原書房ミステリーリーグ'06)

第12回メフィスト賞を『ドッペルゲンガー宮』にて受賞、島田荘司氏の推薦を得てデビュー。同作より開始される一連のシリーズは「《あかずの扉》研究会シリーズ」と呼ばれる。その外伝として『名探偵はもういない』が'02年に発表されている。本書はその外伝として二冊目にあたる。

F1のトップレーサー・アイルトン・セナがレース中の事故で死亡、そして中華航空の旅客機が墜落して二百余名が死亡する事故が起きていた頃。警視庁のキャリアである今寺は、妻の葉子に中学時代の思い出話を聞かせていた。今寺は中学三年生ながら先生からも同級生ら生徒からも信頼が厚く、文化祭の実行委員を任されていた。その準備期間中、学校の戸締まりをするところに現れた演劇部の面々。部長でもある地元の有力な代議士を父に持つ下田川静流は今寺に対し突っかかり、今寺の同級生・三ツ池逸美を貶めるような発言をした。その逸美の肩を今寺が持ったため、静流は苛立ち、衣装から飛び散ったアクセサリーの一つが見当たらないことを理由に彼女を泥棒扱いする始末。結局、逸美を送っていくことになった今寺、最後に彼女がみせた謎めいた仕種――その後、自宅が火事になり激動の人生を送った今寺にとって、今となっては永遠の謎だった。しかし、次の朝、今寺は声に心当たりのない女性から呼び出される。「三ツ池さん?」相談ごとがあるという彼女と待ち合わせの喫茶店に出向いた今寺は、彼女の不可解な態度に戸惑い、リチャードとエルに相談を求めた。結局、今寺は代議士・下田川が脅迫されているという事件に不自然なかたちで巻き込まれ、かつて双子が行ったという過去の殺人事件を崇拝する先輩・後動が行った推理をトレースするかたちで解き明かす必要に迫られた。

本格ミステリよりもセンチメンタルが勝ちすぎか。だが、それこそを書きたかった作品なのかも
メタ構造を伴っているわけではないが”過去”の扱い方がいろいろな意味で象徴的であり、その扱い自体が既に本書の特徴となっているような印象がある。中心にあるのは、プロローグでも思わせぶりの発言のある、双子による「殺人事件」。双子があからさまにアリバイを立証するような写真を残しており、ここから後動は何を読みとったのか、今寺が後追いで推理を行う。それとは別に、今となっては何故その過去の犯罪が蘇り、スキャンダルとはいえ今寺が再捜査を要求されているのかという部分。加えて、中学生の頃のスイート(!)な思い出における、恋心を寄せていた彼女の不可解な行動の謎。こういった複数の、時期を違えて発生した謎を、今寺はほぼ一気に解き明かす必要に迫られるのだ。
ただ、妻・葉子の関係、過去に今寺に純粋な気持ちを寄せていた三ツ池逸美との関係、更には互いに結婚しあいながらも今寺に対して複雑な感情を抱く下田川静流の存在と、いわゆる恋愛関係が微妙に交錯する展開が別に存在している。いわゆる刑事事件よりも、物語としての重点がこの一連の恋愛関連に置かれているような印象すら漂う感。 とはいえ、こちらの関係性にしても、ちょいと理屈っぽいところなど霧舎巧ってやっぱりミステリ畑の人なのだよなあ、と別の感慨を抱いてみたり。
ちょっと変化を感じるのは、それぞれの事件がいわゆる物理トリックではなく、事件の切り取り方から発生する謎めいた部分が論理なのだけれども心理的な動きに重点が置かれて解き明かされていくところだろう。大掛かりなトリックを使用せずとも、関係者の心理状態や誤解や勘違いといったところを巧みに汲み取ってゆくことできちんと謎→解決の構造が為されている点、微妙に霧舎巧の作家としての成長を感じたというと褒めすぎか。ただ、そういった心理の綾を強めに描き出した結果、ちょっとセンチメンタルが勝った物語になってしまっているともいえるだろう。(それが悪いということではなく、そういう物語になっているということ)。

最近、《開かずの扉》同好会シリーズの本編の方も久しく読んでいないため、外伝といわれてもあまりピンと来ないことも事実(単に小生の記憶力の問題でもあるのだけれど)。ただ、デビュー直後に比べ間違いなく格段に小説技術が向上しており、この《あかずの扉》の世界に囚われない、新たな設定による作品づくりをそろそろ目指しても良いように感じられるようになった。


06/08/27
舞城王太郎「SPEEDBOY!(スピードボーイ)」(講談社BOX'06)

2006年11月、講談社が立ち上げた新しいレーベル「講談社BOX」の第一弾として配本されたうちの一冊。『群像』2006年1月号に掲載された同題の作品の単行本化。ただ読んでいるうちは数ヶ月にわたって連載されていた作品のような錯覚も。

走るのが従来の人間離れして早く、七回の血液検査と三回のDNA検査を受けて人間と認められた僕・成雄。名字は覚えていないし欲しくもない。親とも絶縁状態。そして僕の背中にはもうもうの毛が生えている。限界を知らない僕はやがて百メートルを二秒を切って走るようになり、甲州街道を全力疾走したらソニックブームで民家の窓ガラスが全て割れてしまう。多摩川を試しに渡ってみると、靴の裏だけ濡れているだけだ。当然海の上も渡れる。自衛隊のジェット機を振り切り、白い丸い玉が存在することに僕は気付く。そして、僕のような人物が次々と現れ、僕はそいつらを保護する役目に周り、楠夏という女の子と知り合い、その白い玉に時々訪れる。(作品のパートごとに微妙に登場人物の立場が異なるようになる)。僕を超えようとする長谷川、当初は新人扱いの槿(むくげ)といった面々が仲間になったり、微妙な関係になったり。そして僕はいろいろなことよりも何よりもスピードを愛し続ける。悩むのは楠夏に会いに行くことくらいだ。

まさにスピードの饗宴。超人類たちの物語にして、人間が普遍的に持つ空虚さと孤独を徹底追求してゆく物語
確か『山ん中の獅見朋成雄』に登場した主人公・成雄も鬣(たてがみ)があって走るのがめちゃくちゃ早いという設定だったと思うのだけれど、本書における成雄は更に特にそのスピード面のみを特化・進化させられた人物。というか、人物であるかどうかの疑いがあってDNA検査されたりしているが、一応は人類扱い。ただ100m走で人類のこれまでの〈限界〉をあっという間に乗り越え、遂にはミサイルやジェット機よりも速く地上を駆け抜け、ソニックブームをまき散らしながら水上・海上ですら普通に走り、空中に捲き散らかされた粉塵を足がかりに空へすら駆け上がる。人間離れした超人間の姿を、だけど人間として淡々と描き出す相変わらずの舞城センスは相変わらずスゴイ。
但し能力と、その内面にあるものは別。年齢が様々で、成雄自身を含め登場人物もリンクしているけれど、七つに分かれたそのパートごとに微妙にシチュエーションが異なる。成雄の年齢や家族構成が異なっていたり、仮想敵であった人物が成雄の仲間として登場してきたり、その逆だったり。(もちろんその世界観についてはほぼ同じ)。その様々なシチュエーションが導くのは、他人と肉体的にも精神的にも異なる”成雄”の孤独。 それが各パートにおいてこれまた微妙に異なったかたちによって強調されている。本人の視点で物語が綴られている結果、その孤独を本人が全く自覚していないかたちとなっている。だが、そのことがより読者が感じる彼の孤独を強調しているようだ。
物語が分割されている結果、一本スジの通った展開となっていない。幾つかの並行世界を同時に味わっているような感覚を読んでいるあいだ、ずっと感じることになる。何らかの整合性、オチのようなものがラストに待ちかまえているかという期待もあったがそちらは無し。むしろ、読み終わってみればその微妙な違和感が心に引っかかり、かえって心に残る作品となっているように思われた。

しかし、足が人間の限界を超えて早い、というシチュエーションからよくぞまあこれだけいろいろと膨らませてあるもの。心温まる感覚があるラストについては若干、文学的にどうなのよ? という安直なんじゃないの? という印象もあるのだけれど、新レーベル講談社BOX、本来はエンタメ路線なのだろう。これでいいのだ。


06/08/26
清涼院流水「成功学キャラ教授 4000万円トクする話」(講談社BOX'06)

2006年11月、講談社が立ち上げた新しいレーベル「講談社BOX」の第一弾として配本されたうちの一冊。『ファウスト』(Vol2〜Vol5)に掲載された第一講〜第六講に、書き下ろしで四講を加え、全十講として一冊にまとめられた作品。

あなたのもとに送られてきた一枚の葉書。先方への問い合わせ情報はなにもなく、文面は「おめでとうございます! 厳正な審査の末、見事、あなたは当選されました! 3年に1度だけ開催される人生成功講義に、あなたを無料ご招待いたします!」、返信用の葉書にはその参加可否を問うのみ。あなたは迷った挙げ句、参加に○を付けて葉書を送り、そして今、キャラ教授なる人物の講演を他、4,999人の参加者と共に聞いているのだ。そのキャラ教授は世界的にも有名なシンクタンク〈錬金塾〉を立ち上げたと聞いて、半信半疑の参加者からどよめきが湧く。確かに有名な組織なのだ。そのキャラ教授が説く「絶対成功術」がこれから一回一時間、で全十回の講義として行われるというのだ。その講義には四千万円の価値があり、一回の講義ですら四百万円の価値があるという。それなりに内容がある講義ではあったが、その後には実は思いも寄らないかたちでの篩い分けが実施されることになっていて……。

うまい話でもなんにも裏はなし。素直に人生指南書・ビジネス書のつもりで読むと吉
11月刊行の作品をさすがに8月のタグを付けるのは心憚られるのだが、まあそれはそれ。2006年11月よりスタートした講談社の新レーベル・講談社BOXの第一弾である。四冊刊行されたとはいえ本書と、舞城王太郎『SPEEDBOY!』以外の二冊は上下巻だし、個人的にはレーベル最初の味見が本書となった。
一応、本書が小説だということにしておくとすると、その枠組みは「人生成功講義」全十回に参加する”あなた”が、個々のシチュエーションでいかに行動し、最後まで講義に残るのかというもの。例えば序盤の例でいえば、当初の参加者は五千人だが、次の案内は主催者側から送られるものではなく、配られたDVDに収録されたストーリーの中で示される電話番号にわざわざ電話してきた人だけ――といった具合。ただ、エンタメストーリーの吸引力としてはむしろ弱め。(こういったトーナメント方式を利用した小説形態は、これまでも清涼院氏はうまく取り込んできているけれど)。
むしろ、本書の興味は「人生成功講義」として語られる内容に尽きる。 清涼院流水にこんなこと語ってもらいたくない! と思う人ほど本書における内容の落差に驚かれるはずだ。特に奇を衒わない、非常にまっとうなポジティブシンキングの作り上げ方について、とうとうと述べられているのだから。
株で儲けるとか、受験必勝法とか具体例ではないが、例えば人生の時間は睡眠時間を差し引いたところから計算しなければならないだとか、具体的に何をやったら「成功」なのか定義をするだとか、大量に仕事に直面した時にどのようにこなすのが良いのかだとか、それなりながらも人生を積んできた小生にとっても改めて語られることで「お?」と思うような、有意義な内容が多いのだ。 少なくとも「これは間違っている」というようなサジェスチョンはなく、同意できないまでも理解できる、むしろ「いいこと言うねえ」と素直に感心できる内容が圧倒的に多い。(ある意味、そういう普通の人生講義が内容であることが清涼院作品としてはサプライズだと思う)。

もちろんこれらを全て実践すればすなわち人生の成功者になるとはいわないまでも、行き詰まったりした時に心に思い浮かべることでポジティブになれる作品。通常のエンタメとは全く異なるけれど、これはこれで高い評価を与えても良いと思う。


06/08/25
皆川博子「伯林蝋人形館」(文藝春秋'06)

(題名の「蝋」は、正字の「ろう」)。『別冊文藝春秋』258号(2005年7月)〜263号(2006年5月)まで連載された作品が単行本化されたもの。

1920年代のドイツ。第一次大戦の敗戦によるインフレーションにより、市井の人々が困窮に苦しむなか、プロレタリアートの革命を呼びかける共産主義一派と一次対戦を戦ってきた元軍人らを中心とする義勇軍との内戦、フランスによるルール工業地帯の占領とその抵抗運動といった激しい内外の動きによって荒れきっていた。通貨改革にて持ち直したかのようにみえる経済、爛熟ともいえる頽廃的な文化も盛り上がるが、再び大恐慌により人々の暮らしはどん底に……。そういった国家状況を背景にヒトラーが支持を集めるのだが、物語ではそちらはさわりのみ。第一次大戦とその終戦後のドイツに生きた六人の生き様がそれぞれ描かれる。貴族階級出身で幼年学校から軍人の道に進み、各地の戦いで活躍するものの平穏な時代に生きる術なくジゴロとして暮らすアルトゥール、ロシアからドイツに亡命し、アルトゥールとの劇的な出会いを胸に生きるナターリャ、争いのなかアルトゥールに救われたことを心の糧に、ルンペンからナチ党員となったフーゴー、ユダヤ人であるまえのドイツ人であると義勇軍に参加しアルトゥールと戦い、実家を継いで実業家として生きるハインリヒ、そして孤高の蝋人形師マティアス・マイ、醜女なのに何事にも怖じない奇妙な魅力を持ち人気歌手となったツェツィリエ。彼ら、彼女らの人生は交錯し干渉し合って昏い時代、さらに密やかで澄み切った情念と心の動きを描き出す。

繊細な人々の濃密な生の凝縮体。戦前ドイツを舞台に繰り広げられる舞台劇にして”操りきれないテーマ”
帯には「『死の泉』から九年、壮大な歴史ミステリー」とあるのだが、ちょっと誤解を招きそうだ。まず皆川さんは『死の泉』以降も『薔薇密室』、『総統の子ら』といったミステリーを軽めに織り込む歴史幻想長編を皆川さんは発表している。さらに本書は一九二〇年代のドイツを舞台にしているものの、歴史に対してのみ鋭い斬り込みをみせている作品ではない。確かに、ヒトラーが台頭するに至る第一次大戦から第二次大戦が開戦するまでのドイツの混乱した内政状況についての記述も、六人が六人の立場で描かれるがゆえに深く心で理解が進む。ただやはり主題としては、その六人の互いの人生における濃密なだけど一瞬の交わり、関わりを中心に、別々の角度から幻想的に耽美的に描写し、人間の宿命や運命のようなものを密度高く表現した作品なのだ。
本書をミステリとして捉えるならば、『死の泉』などでもみられた「この文章は誰による誰のための物語なのか」というテキストの謎、そしてその六人の物語のうち、真の意味での真実を告げているのは誰なのか、というあたりが鍵になるだろう。だが、記述には薬品や麻薬によって醸し出される幻想、事実に対する取り違えや思い込み、彼我の立場による”もの”の見え方の違い――といった、主観的視点の歪みが巧みに織り込まれているため、照合するのはかなり困難。一応、六人の物語には「作者略歴」として、人物の客観的な記述が中盤に挿入されているものの、いつの間にかその略歴もまた物語と化している不思議。生年と没年くらいは真実なのだろうが、それすらも保証されているものではない。
むしろ、そういった幻想感覚や思い込みを組み合わせることで、読者に対して幻視(イリュージョン)を見せようとしているように感じられる。彼らをそれぞれ主人公とする舞台。特に印象的なのは最後に登場するツェツィリエなる女性。彼女の持つ欲求が残り五人の運命を捩じ曲げることに大いに影響があったことが告白されるが、その運命は彼女の掌をするりとくぐり抜けてしまうあたりに歴史の皮肉を感じる。この頽廃的な性格を持つ女性が、本作における作者の分身のように感じられるし、作者であってでも、登場人物の運命を百%コントロールしきれていないところでは、物語の深みを感じさせる。
ガラスのような繊細な精神、外界と隔絶していたから生まれる無垢、そして太く鈍くなっていく神経に対する絶望。 六人もの登場人物がいることで、同じ時代に辛い経験をしてきた人々が抱える様々な”心の闇”が伝わってくる。物語全体で訴えてくる何かに、登場人物と共鳴することで感じられるなにか。恐らく、人それぞれによって本書から受ける感慨は異なることが予想されるけれども、何か魂が奥底で揺さぶられるような迫力があること、これだけは間違いない。

裏側から抉った大戦前ドイツの歴史小説として読むことも出来ようし、無垢な魂を巡る心の物語として読むことも出来ようし、テキストを巡るミステリとして読むことも出来よう。ただ、この重厚にして濃密な物語、いずれにせよどっぷり浸って頂きたい。こういう物語に当たるたび、皆川博子のファンをやっていて本当に良かったとしみじみと感じる。


06/08/24
梶 龍雄「野天風呂殺人事件」(桃園書房'87)

副題は「ストリッパー探偵チエカ」。ということでお判りのように(判るのか?)、本書は短編集『毛皮コートの死体』、長編『浅草殺人ラプソディ』に続く、ストリッパー探偵チエカを探偵役としるシリーズ三冊目。中間小説雑誌(恐らく。すみません調べてません)に発表された作品が集められた短編集。

若い女性の双子のどちらかが犯人? 現場近くで目撃され、凶器が家の中に。しかし二人とも犯行を否定するため警察では決め手がない……。 『ソーセージの味』
バーに勤め売春も引き受ける南しまよ。彼女が客と出向いたホテルで気を喪い、気付くと男の死体が。チエカらが探りに行くと別の男女がその部屋に……。 『コウモリのすみか』
年増のストリッパー・シェリーさんの紐、トクさんがチエカを訪ねてきた。留守中に侵入してきた男にシェリーが殺されたのだという。強盗の仕業だという警察にトクさんは納得しない。 『シェリーのこけし』
ストリップのツアーで熱海に温泉旅行の御一行。野天風呂に入っていた正一とチエカは風呂にさっと入りすぐ出てゆく美女を目撃する。部屋に戻ると、彼女の隣の部屋で殺人が。 『野天風呂殺人事件』
飛び降りて死んだ高校生のポケットには、チエカの数少ないサイン入りブロマイドが。誰に書いたものかチエカは気付くが、よくよく調べると亡くなったのは別の若者であった。 『チエカのブロマイド』
金融会社に勤める旧友に悪戯しようと強盗を装って店内に侵入した若者三人組。そこでは激しいプレイが行われており、三人は何も盗らずに引き上げたはずなのに、五千万円が消えていた。 『おれたちのマドンナ』
恩人から預けられた猫と暮らす女性。恋人は情事を邪魔するその猫が気に入らない。彼女の部屋に泥棒が入り、猫もまた消えてしまった。逃げたのではない誘拐されたのだと彼女は主張する。 『猫と情事』
巷を騒がす女性金庫破り”風猫”がとうとう捕まった。彼女の暮らす部屋では同性の同性相手と毎晩凄まじいアノ声が。しかしその風猫が、警察の連行を振り切って逃走、マンションから消え失せた。 『風猫の消失』 以上八作品。

シチュエーションへの凝りは相変わらず、謎の設定の妙もGOOD。解決だけ全体的にぬるめかな
表題作の『野天風呂殺人事件』は、ストリッパー集団の熱海旅行というシチュエーションとその描写に凄まじいものがあるが、ミステリとしてはシンプルなもの。恐らくチエカが知恵を働かせなくとも、一瞬惑わされたとしても警察の普通の捜査で犯人は捕まるでしょうこれは。とまあ、他の題名を眺めて思うに、ノベルスとはいえ作品集の題名に相応しい作品が他に取れなかったからかと邪推。気に入ったのは、筋道は単純ながら、旧友に嫌がらせをするために強盗のふりをするという悪戯のアイデアが強烈で、真犯人特定に至る論理の過程が光る『おれたちのマドンナ』、そして、双子という反則ワザを用いながら、それをうまく活かして事件そのものの奇妙さを引き立てている『ソーセージの味』あたりか。『猫と情事』の残された遺産は火葬場クラスで焼くと間違いなく一緒に焼けてしまうので、トリックとしてはちょっと難ありでした。
全体を通じていえば、「探偵まがいのことが出来る」ストリッパー・チエカと、そのペットボーイ(ヒモともいう)として彼女を崇拝し行動を共にする正一とのコンビが、謎にぶつかり解き明かすという話。その過程に、チエカらに限らず濃密な性交描写が必ず挿入されており、それがかえって作品においては足枷になっているようにも感じられた。その結果、事件は結構奇妙であるのに、全体的なキレは前作『毛皮コートの死体』収録作品群に比べると、やはり甘めであると感じざるを得ない。
もう一つ、仕方のないことかもしれないのだがチエカ=ストリッパーである必然性が薄い事件が本作では多かったように思う。女性心理を活かすだけならば、他の女探偵でもできることだし、水商売の女性ならではのシチュエーションではあっても事件ではないのも少し残念だったかも。

『毛皮コートの死体』には推理作家協会賞のノミネート作品が収録されたりしているので、そちらからでも読む価値はあろうが、本作はそちらに比べるとかなり甘めといわざるを得ない出来。梶龍雄の熱心なファンだけが手に取れば良いのではないでしょうか。


06/08/23
はやみねかおる「そして五人がいなくなる ―名探偵夢水清志郎事件ノート―」(講談社青い鳥文庫'94)

青い鳥文庫でも有数の名探偵・夢水清志郎。そのシリーズ第一作となり、はやみねかおるの青い鳥文庫デビューとなる記念碑的作品でもある。再読。

わたしたちの家の隣にある洋館に不思議な人物が引っ越してきた。黒い背広にサングラス。表札には「名探偵 夢水清志郎」とある。わたしたちはその人物のことを調べ始める。大量の本と物忘れのスゴイ頭、それでいて大食漢にして……だけどやはりどうやら名探偵のようだ。わたしたちは少しずつだが、夢水清志郎と仲良くなってゆく。夏休みに入ったある日、わたしたちはとなり町の山奥にある超巨大遊園地『オムラ・アミューズメント・パーク』に出掛けることになる。年甲斐もなくはしゃぐ夢水。しかし、その日に行われた『大マジックショー』で「伯爵」を名乗る人物が行う人間消失ショーを見物していたところ、参加していた女の子が伯爵の手によって完全に消し去られ、さらに伯爵が気球に乗って逃げ去ってしまうという事件が発生する。この事件を解き明かすのは「名探偵である夢水清志郎」であるとばかりに、事件に首を突っ込む名探偵。しかも、さらに伯爵は他に三人の子供の消失を宣言し、厳重に監視された遊園地のなかでまたもや子供たちが消えてしまう事件が発生した。しかし、そんな事態にも夢水の態度はあまりにものんびりしているようで……。

改めて、古き少年向け探偵小説の現代版としてのバランスとセンスの絶妙さ加減を堪能する
再読だからということもなかろうが、個々のトリックの方は心理的な死角をうまく使用するものの、有名な物理トリックの焼き直しであったり、推理の基準というか伏線が甘かったりとめちゃくちゃに感心するレベルではない。(これはあくまで大人の本格ミステリマニアの発言であり、ジュヴナイルとしては十二分なレベルだと思う)。ただ、全体の構成がやはり巧いのだ。それも、乱歩などが作り上げた少年向け探偵小説の現代版として、見事な進化を遂げたと喝采するしかない、素晴らしい出来映えとなっている。
いきなり「名探偵」として登場する名探偵と、いきなり敵役であることまるわかりの「伯爵」との二元構成。善悪の戦いの構図はかつての少年少女向け作品では常道ともいえるもの。それを現代に復活させつつも、もう一枚、そうせざるを得ないというか、そうなることが適当だという実に理由を背後に潜ませている点が周到にすぎる。その戦いに警察がほとんど道化役として噛むことによって、ユーモアという面でも面白さがある。事件、そして推理の過程についてはジュヴナイルとして十二分のレベルを経て、名探偵、伯爵、そして警察までもがその「正体」として心理的にも物理的にも、実に現代的な側面を事件後に現すところがやはりポイントだろう。読後感だけでなく、現代読者が序盤から中盤にかけて感じるかもしれない違和感すら、綺麗に中和させてくれ、それでいてきっちり「名探偵」をヒーローとして扱っているあたりのセンスはやはり非凡だ。

やはり本書は、ジュヴナイルのランドマーク的作品だという確信を深めた。まさか、まだ読んだことのない読者はそういないとは思われるが、本格ミステリファンが「大人が読んでも面白い」と称揚したレベルを超えて、素直にもっと多くの大人に読んでもらいたい作品である。(そしてその大人たちが、子供たちに勧めてくれると尚良しですね)。


06/08/22
射逆裕二「情けは人の死を招く」(角川書店'06)

射逆氏は、第24回横溝正史ミステリ大賞の優秀賞・テレビ東京賞のW受賞を『みんな誰かを殺したい』で果たしてデビュー。受賞後第一作にあたる『殺してしまえばわからない』に続く、謎の女装名探偵・狐久保朝志を探偵役とする二作目。前作とほとんど間をおかずに書き下ろし刊行された。

親の遺産により無職でも余裕のある暮らしをしているボクこと斉藤和樹・三十三歳は、自分のもとを去っていった女性が、北海道で暴力的だという元カレとよりを戻したという話を友人から聞き、突発的に北海道へ向かおうとする。自宅を出てタクシーを捕まえようとしたところで、皆井順子と名乗る女性から声を掛けられる。かつてボクは母親からの強い影響により、善意は地球を救うといった危険思想に染め抜かれていた。彼女は十年前、車の事故でヤクザ風の男に因縁を付けられ困っていたところを和樹に助けられたのだという。結果的に、乗るはずの飛行機に遅れた和樹だったが、その飛行機が仙台沖に墜落したことを知り、運命的な出会いを感じて弁護士である順子との交際が始まった。和樹と順子は、小旅行で湯河原にあるリゾートマンションに出掛ける。そこには常連組として元宝塚のトップスターや女流ミステリー作家、引退した大学教授とその孫娘らがおり、更には自称オペラ歌手・船木由紀江とその友人の女装マニア・狐久保朝志らも滞在している。その小さなコミュニティ内部で殺人事件が勃発。元大学教授の和気太が何者かにバットで頭部を乱打され、殺害されたのだ。孫娘の君子に助けを求められた和樹はマンションから遠ざかる人影を追うが逃げられてしまう。当初は外部犯と思われた事件は、ゴミ捨て場から発見された遺留品により状況が変化し……。

登場人物に奇妙な個性を付与するのが巧み。ミステリのロジックは確かだが、事件そのものは微妙か
今回の主人公にして語り手にあたる斉藤和樹。親の遺産で暮らすいわゆる高等遊民的な人物でありながら、その性格付けが独特。人に自然に善意で振る舞える一方で、その結果としての裏切りに落ち込む。作中に”充電式ハンドクリーナー”という形容詞があるように、最初は吸引力があるが諦めももの凄く早く、お節介に近い善意を施すのに抵抗が全くないが、周囲が見えているとは言い難く、その実、表に出さない秘めたプライドはもの凄く高い。ただ、おぼっちゃん的性格が受けて女性にもてる。ただ、やはり長続きしない――という複雑な背景を抱えた彼が、新しくできた恋人とともにリゾートマンションで発生する殺人事件に巻き込まれる。また彼に限らず、前作に続いての狐久保と船木、それにここに暮らす人々の職業や背景がさまざまで、それなりの人数でありながらきっちりと描き分けされているところがこの作品(作者か)の一つ特徴だろう。シーズンオフのリゾートホテルに暮らす有閑人種の寄り合い――の浮世離れしたコミュニティが独特の味わいを醸し出す。だからこそ、ここに心理的な死角や秘められた人間関係が、ちょいと独特であってもすんなりと溶け込んでいる。
ただ、作中で主なところでは二つ描かれる殺人事件は、正直今ひとつ。いや、殺人に今ひとつもなにもないのだが。終盤近くにて探偵役の狐久保がわざわざ関係者全員を呼び寄せて「謎解き」をする。こういった本格ミステリの定番が用意されているにもかかわらず、解き明かすのに重要な伏線が解決まで伏せられていたり、ある人物の秘められた性格がその場面で初めて判明したりという読者に対する手続き上の不備が目立つ。特に第二の事件においてそれが顕著で、トリックそのものに数多くの前例があるものであるうえ、自白のさせ方の無理や類推の多さ、探偵しか持たない手掛かりを使用するなど、少なくとも本格の観点からいうと減点対象だと感じられた。作中で、後に自殺に見せかけて殺されてしまう女流ミステリー作家が、その作品をぼろかすに貶されているのと同じようなレベルの問題点が、少なくとも後半部には見られたように思う。

本格としての厳密さを要求しないのであれば、コージーめいた独特の雰囲気を持つミステリとして楽しめよう。 特にその物理的なトリックへのこだわりの反面、本来の読みどころは人間描写とその裏側に隠された個々人が持つどろどろとした何か。ヒーロー、ヒロインであろうとその例外とならないところがこのシリーズの奇妙な緊張感にも繋がっている。


06/08/21
竹本健治*建石修志「虹の獄、桜の獄」(河出書房新社'05)

「七色の犯罪のための絵本」として『EQ』誌に一九九一年から翌年にかけて発表された竹本氏の短編に、建石修志氏による挿画が掲載された作品集。更に一編書き下ろし「しあわせな死の桜」がついている。趣としては「大人のための絵本」といった感。

完全な虹を探し求める旅に出ている男。切り立った高い塔の上で男はひとりぼっちだという少年と出会う。 『赤い塔の上で』
少年は夜がくるのが恐かった。彼の住む大きな館には夜な夜な黒いマントを被ったお客がやってくるのだ。 『黒の集会』
ほんの気まぐれで少女の一頃に過ごした土地を訪れた彼女。そこで彼女は元気な少年と出会う。 『銀の風が吹き抜けるとき』
ピアノを練習する少女。彼女はだんだんと腕前を上げてゆくが、その反対に顔色がどんどん悪くなってゆく。 『白の凝視』
事件現場の近くで少年と知り合った警察官。その無口な少年を彼は自宅に連れ帰り、共に暮らし始める。 『ラピスラズリ』
次々と人を飲み込むという村のはずれにある緑色の沼。今度は七つの少女が行方不明になり大勢が彼女を捜す。 『緑の沼の底には』
志願して宇宙に飛び出した彼は、地球での二億年の経過を二年あまりで手に入れた。紫の森が地球を覆っている。 『紫は冬の先ぶれ』
もう十数人が巻き込まれた〈神隠し〉。ボクたち〈ハンサム探偵団〉はその痕跡を追い、謎に迫ろうとしていた。 『しあわせな死の桜』 以上、八編。

この世の終わりを待ち望む者たちによる物語と、この世の終わりを象徴するような画が織りなす美しき世界
様々な色を題名に冠し、実際にその色が象徴として機能する小さな物語がまず竹本健治氏の手によって生み出される。その物語とは、むしろ無関係にみえる建石修志氏による幻想画が、カラーやモノクロで物語のなか、そして合間に挟まれている。建石氏の画は、世界の綻びを見つけようとしているようにも見えるし、歪んだ世界をそのまま概念として持ち込んでいるようにも読みとれる。(画に対する基礎的な鑑賞術を保たないので、一般人の印象論でしかないのだけれど)。それでも、一見繋がりを持たないようにみえるそれぞれの画の奥底には、どこか深いところに作者の一貫したモティーフが隠されているように思えてならないのだ。
一方で、竹本氏による短編というよりも更に短い、物語の断片たちがページを埋めている。無造作に描かれる人の死、現実世界と幻想世界の境界領域、絶対的な孤独……等々、人間たちが持つもっとも弱く、最も不合理な感覚を微妙に繊細なタッチで描き出している。 こちらは間違いなく絶対的な世界不信といったモティーフが内蔵されていて、それがまた建石氏の幻想的な絵と不思議なマッチングをみせているのだ。オチに相当する部分がある作品もあれば、ひたすらに幻想的に孤独を描ききる作品もある。ただ、ほんの短い文章のあいだに深いディティールを埋め込み、たった数行で読者を自らのイメージする世界に誘ってしまうテクニックには素晴らしいものがある。

大興奮を招くようなエンターテインメント作品ではないし、もちろんミステリでもなくあくまで幻想小説+幻想画による大人のためのファンタジー作品。 寝る前に少しずつ読み、酔うような感覚で眠りにつく。そんな静かな一時のために読まれたい。