MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/09/10
小路幸也「東京公園」(新潮社'06)

ファン層が着実に増加しているように見受けられる現段階では『東京バンドワゴン』が好評の……という形容詞になるのだろうか。ファンタジーを起点にしながらも、様々な作風を誇る小路氏の九冊目となる作品。書き下ろしの現代小説。

旭川から上京してきた大学生・志田圭司。亡くなった母親がフォトグラファーだった関係で、現在も写真を撮り続けている。彼のテーマは家族写真。時間があると彼は都内の公園に出かけ、そこにいる普通の家族の写真を撮影していた。そんなある日、圭司は撮影しようとした家族の若い父親から依頼を受ける。初島と名乗るその男はエリートサラリーマン。彼は一回り歳の離れた若い妻と娘がしばしば都内の公園に出掛けるので、その場面を圭司にこっそり撮影して欲しいのだという。浮気を疑う自分に苦しむ初島に同情し、依頼を引き受ける圭司。彼は同居人のヒロにもそのことを相談する。一戸建てを分け合って住むヒロは三つ年上でライターやミュージシャンを目指す幅広い人物だ。結局、初島さんからメールを受け取り、圭司は撮影を開始する。初島百合香・二十三歳。圭司はその母子を撮影するうちに彼女が自分が撮影していることを彼女たちが知っていることに気付く。しかし拒否はされない。ファインダー越しに覗く母子に圭司はいつしか魅了されるようになるが……。

ひろーーーい意味でのミステリー。登場人物の個性が光るハートウォーミングな小路ストーリー
かなり積極的に作品を発表している小路幸也氏だが、その作品ジャンルは、ファンタジーを基本路線としながらも意外と多岐にわたっており、作品を実際に手にとってみるまで予断を許さない。本書は一応は恋愛小説の括りになるのかもしれないが、多感な少年(といっても二十一歳だから、青年なのだろうけれど、でも少年と書きたくなる)の心の揺れをじっくり描いた青春小説といった印象。SF的要素はなく、現代を舞台にして柔らかで個性的な人物との交流がメイン。
ちなみに、「なぜ初島の妻は、撮影に気付いているのに不審がらないのか」といった緩やかな謎が物語を進行させる原動力となっている。その真相がまた本書全体の雰囲気とマッチしているのが良い感じだ。一方で、梗概に書きづらいのだが圭司の姉・咲実、圭司の小学校時代からの同級生で東京で再会した富永といった女性たちとの緩やかな交流が描かれていて、やはりこのあたりの先が伏せられた展開はどこか恋愛小説を思わせる。『東京バンドワゴン』ではシチュエーションが思いっきりテレビドラマだったが、本書の場合もまた、どことなく(今や死語となった)往年のトレンディ・ドラマを感じさせる気がした。(登場人物同士の微妙な関係だとか、生活臭の少ないシチュエーションだとか)。
ただ(だから?)、彼ら登場人物たちが若い割に、ちょっと台詞がキザすぎたり、柔らかくとも説教くさかったりするよなあ、とも思う部分もあるのだけれど、終盤に主人公の幼なじみ・富永に関して「映画みたいに」というくだりではたと膝を打つ。映画やドラマなんかのクライマックスではないけれども「ああ、いい関係だなあ」とか「いい光景だなあ」といったところがコラージュされている感じなのだ。決して盗作だとかそういう意味ではなく、オリジナルでの「日常系いい場面」を積み重ねることで作品が構成されていてそれが作品全体を通じての暖かみに通じている。個人的には、主人公の相棒が犯した罪を償っていく過去の場面がツボで、不覚にも涙ぐんでしまった。

東京に公園がたくさんあるというのは、以前に住んでいた時期にも感じていたのだけれど、その公園のそれぞれの良さを公園の個性といった形で様々に引き出している点にも好感(さすがに公園が主人公とまではいかないけれど)。毒のある場面がないので、肩の力を抜いて、ほっとしたい気分の時にお勧めの作品です。


06/09/09
沖方 丁「マルドゥック・ヴェロシティ2」(ハヤカワ文庫JA'06)

マルドゥック・スクランブル』の続編にして、過去の物語。『マルドゥック・ヴェロシティ1』に続く三週連続刊行となる二冊目。

マルドゥック市を裏側から牛耳るネイルズ・ファミリーの一人、ニコラス・ネイルズ。警察組織に裏側から侵食し、政治家とも結託した彼からマルドゥック・スクランブル−09メンバーは少しずつカードを剥ぎ取り、直接彼に繋がる犯罪へと結びつけてゆく。フライト刑事を筆頭とした警察の面々とボイルドらマルドゥック・スクランブルのメンバーは密告から遂にネイルズの居場所を突き止め、そこに急行する。ネイルズは確かにそこに居たが彼を護るのはやはり人体改造を極め尽くした宿敵・カトル・カールの殺し屋たちであった。鉄の義手を持ち火焔放射器を振り回すブランドマン・スピットファイヤー。一輪車の下半身で鉄の鞭で相手を叩き潰すスパンカー・モノライダー。少女姿で車輪式の義足、そして鋼鉄の顎を持つリッキー・ヒッキー。赤いレザースーツに蚤の手足、ぴょんぴょん飛び回って両手のフックで相手を突き殺すホッパー・スクラッチャー。小さな頭が巨大な上腕筋に埋まるベイビーヘッド・ハングマン。人間の姿をしているが素早い動きで刀を振り回す司令官にして親代わり、先の作戦でもメンバーを恐怖させた戦闘能力を持つフリント・アロー……。最初の戦いは引き分け。結局ネイルズは捕らえられ、続いてはネイルズの妹・ナタリアがボイルドのターゲットとなる。特殊体質により寝た男をウイルス感染によって死に至らしめる毒婦。メンバーの一人が犠牲となり、しかもネイルズは証拠不十分で釈放されてしまう……。

加速、加速。最強にして最兇な宿命の敵を得て、市の陰謀も彼らの戦いも凄まじさを増してゆく
「1」に引き続き、テンションは衰えず、むしろ加速を強めている。マルドゥック市にはびこる何か。この都市の裏側で行われている様々な行為などの意図、そして”バック”の最終目的とは。「1」で紹介されたマルドゥック・スクランブル−09のメンバーが水を得た魚のように都市に溶け込んで、手がかりを求めて危地へと飛び込んでゆく。この「2」の一冊をかけて、そのマルドゥック市の上層部の企業グループ&ギャンググループの争いであるとか、権力闘争といった一連の事件の背景がぼんやりとだけど着実に輪郭をもって現れてくる。 本来アンタッチャブルの上流階級・幹部連に次々と切り込んでゆき、なかなか尻尾を見せない人々を追い詰めてゆく”尋問の緊張感”といったところが目立たなくともスリリング。
もちろん『ヴェロシティ』におけるマルドゥック・スクランブルとの好敵手にして仇敵・カトル・カールの面々が出そろい、そもそも先に忍法帖と評したスクランブル側以上の特殊能力&人体改造を施されたへんてこかつ兇悪な姿を顕わにしてくれる。ゴキブリそっくりの動きをする男だとか、男性器の代わりに大量の銃をぶら下げた人物だとか、ほとんどB級アメリカン・コミックに登場する悪役、それもそいつらを更にデフォルメしたような存在。(個人的にはスパイダー・マンあたりの悪役を想起しましたよ)。何度もある彼らとの戦闘場面の迫力は凄まじい。特に、沖方氏が本作で特に強く取り入れている文体は、特にアクション場面に映えていて、これもまたコミックのアクション場面を切り取って活字にしているような印象がある。(それとは別に、チームに分かれて同時進行で捜査をしている場面など、中間的な部分の表現にも適している。簡素化されすぎているきらいもあるけれど)。
但し、一連の事件そのものや重要人物の証言など思わせぶりな(明快でない?)言葉や表現のなかで理解する必要があったり、高度な政治的・犯罪的テクニックや思惑がごくごく短い文章のなかでシンプルに表現されていたりと、物語の全容を理解するためにはそれなりに読書に向けたパワーも必要。 ただ同時に次へ次へと物語自体が読者を引きずってでも進んでゆく。

登場人物の凄まじい個性と迫力と裏側で進行する陰謀との深みとがマッチしてオリジナルにして深みのある世界が作り上げられていることは確かだが。あと、ホラー小説も真っ青な残虐な描写も数多くなされているのでそういった場面が苦手な方にはお勧めしにくいところもあるか。にしても、これは大傑作の予感が漂います。さて「3」だ。


06/09/08
中町 信「目撃者 死角と錯覚の谷間」(講談社文庫'97)

昭和四十年代のデビューの後、一貫してこだわりある本格推理小説を発表し続ける中町氏。定期的に着実に作品をモノにしており、本書は'94年に講談社ノベルスより刊行された作品が文庫化されたもの。(ちなみに文庫の解説が「氏家小一郎」ってなってましたけれど、この名前は作者の擁する探偵の一人・氏家周一郎をパロっていることが明白なのですが、これは作者の自作自演てことでいいのかな)。

歩道を母親と歩いていた三歳の幼児が、反対側にいた三十代の男性が手を振っていたのに応えて車道に飛び出し、若い女性の運転していた白い車がその子供を撥ね、さらに対向車線の軽自動車に衝突、軽自動車に乗っていた祖母に抱えられていた赤ん坊もまた首の骨を折って死亡。そのドライバーは現場から逃走、さらには手を振っていた男性も事件現場から立ち去った……。そうみられる、二人の幼い命が絶たれた事件は大きな反響を呼ぶ。この事件を目撃し、男性の顔の証言が唯一可能だった香織。その香織が、同僚と出かけた白骨温泉のバスツアーの最中、発生した地震による落石により死亡したとの報が入る。香織の姉で時代小説作家の千絵、そしてその夫の和南城(わなじょう)健は現場に駆けつけ、交通事故の際に香織が目撃した男が同じツアーに参加しており、彼女はその男に殺害されたことを確信する。千絵と健は関係者のもとを訪ね歩き、遂にツアー客のうち河合浩一が犯人だと目星を付ける。だが、香織の事件を目撃していたツアー客・鳩谷郁江、さらに河合浩一が立て続けに何者かに殺害されてしまい、事件は混迷の度合いを深めてゆく。

轢き逃げの容疑者が次々に殺害されるサスペンス。ただ不可解だけでなくラストに反転の構図が
推理小説はその構成に人工的ならではの美しさを兼ね備えているケースが多いが、本書にもその美学がみられた。一つはもちろん中町信作品の特徴ともいえる、象徴的なプロローグと、そのプロローグを反転させた結果から得られるエピローグの妙。本書の冒頭では、梗概にも記した通り飲酒した結果、赤ん坊を殺してしまった祖父母の悲劇と、交通事故を目撃した”私”が邪な考えを抱くに至る過程が描かれている。この光景が「読者の想像したもの」と同様の展開を作中ではみせるものの、幾つもの「謎」を解明した結果、そこに錯覚があったことに気付かされる。このどんでん返しの面白みは、中町作品であれば必ず存在しているといっていい特有のカタルシスをもたらしてくれる。
一方、構成美といった面白さも包含している。というのは、本書の事件は「目撃された交通事故の関係者」が、自分の罪を暴かれたくない一心で殺人を犯している……という内容なのだが、とにかく素人探偵である和南城夫妻が推理を巡らし、「この人物が怪しい」と決め打ちされた段階で、続々それらの人物が殺されてしまうのだ。続々である、続々。また、各々の殺人が密室で行われていたり、奇妙なダイイングメッセージを伴っていたりと、ミステリファンが喜びそうなツボを作者はよく心得ているのも特徴。(ただ、この密室トリックはちょっとなんだが) ダイイングメッセージはそれなりの意外性があった。(しかし、考えてみれば部屋が真っ暗になってしまうとそのもの自体が見えなくなるようにも思うのだが……)まあ、いいや。
その過程での登場人物の引っ掛かる台詞や関係者の微妙な行動などの結果、真実が浮かび上がり、それがエピローグで明かされる真実に繋がっていく過程は読みどころである。

中町信らしい手堅い仕事。特に一歩間違えるとユーモア・サスペンスになりそうな展開をぎりぎりで普通のサスペンスに抑え、あくまで本格推理小説に留めているあたりが巧み。解説にもあったが、作者が初孫を抱いている時に本作のとっかかりを思いついたとのこと、ミステリ作家は因業な商売だなあ、と思ってしまった。


06/09/07
宮部みゆき「名もなき毒」(幻冬舎'06)

'05年3月1日から12月31日まで「北海道新聞」「中日新聞」「東京新聞」「西日本新聞」(他に「河北日報」「中國新聞」にも時期ズレで連載)に連載された作品が単行本化された作品。『誰か Somebody』に続く、杉村三郎シリーズの第二作目。

偶然によって妻・菜穂子と出会った結果、彼女が会長の娘であったことから”逆玉”に乗り、児童文学編集者から今多コンツェルンの会長室直属のグループ広報室に勤務するようになった杉村三郎。所帯六名の広報室では、学業のためにアルバイトを辞めたシーナちゃんの代わりに、原田いずみという自称編集経験のある女性を採用した。しかし彼女は実はトラブルメーカーだった。経験も足りず仕事にも不誠実、そのことを指摘すると逆ギレする、怪文書を会長宛に送りつける。杉村は責任をもって彼女を解雇するため、彼女の前の職場からの紹介を受け、私立探偵・北見のもとを訪れる。だが、そこには女子高生の先客がいた。彼女・古屋美知香が倒れたところを助けた杉村のところに、その母親・古屋暁子と美知香がお礼に訪れた。美知香の祖父は、巷で発生している連続無差別毒殺事件の被害者の一人なのだという。美知香はその相談のために北見の元を訪れていたのだ。一方、手を尽くして原田いずみを解雇に持ち込んだ杉村だったが、今度は美知香の相談を受けるようになる。彼女によれば、祖父殺しの容疑者として母親もまた疑われているというのだ。そんな折り、連続毒殺事件の容疑者が逮捕されたという一報がニュースで流れるのだが……。

悪意が増殖する、魔が差す、弱さが悪事を引き出す。様々な「毒」模様を凝縮しつつもそれを自然体で描く
前作『誰か』は地味だけど滋味といった趣旨の感想を書いた。杉村シリーズ二作目となる本書ではそれなりに派手な犯罪が描かれつつも、その犯罪に振り回される人々の目線が独特かつ普遍的で、ひたすらに宮部みゆきの筆力と構成力の妙味を感じさせられた。派手ながら滋味。 ひとことでいえばそんな感覚だ。
恐らくは本書を読まれた方全てが感じるのではないかと思うのだが、トラブルメーカー・原田いずみの描写が秀逸だ。 満足に仕事ができずにトラブルを立て続けに引き起こし、虚言を弄してその非を認めず反省のカケラもないまま他人に責任を転嫁する。果ては他人を攻撃しだし、解雇の果てには更に陰湿なかたちで攻撃をエスカレートさせてゆく――。この広報室での所業だけであっても目を覆いたくなるようなひどさだが、彼女の場合は途中で両親によって告白される彼女が親からも絶縁されるに至った事件が凄まじい。自分が認められないことの苛立ち、他人の幸福に対する嫉妬というところから、自家中毒的に毒を増幅していく彼女の姿はもちろん強烈なデフォルメがあるものの「自分の人生のなかでもどこかで見たような光景」と重なるような感覚がある。日常の延長であっても、これに近い出来事ってあるよなあ、という現代的恐怖を喚起する。身近な人による悪意、身に覚えのない中傷。そういった誰にでも降りかかり得る「毒」
その一方で描かれる連続毒殺事件。そちらは恐怖感は当初はないものの、事件の真相に近づいてゆくにつれてやるせない虚しさが込み上げてくる。いわゆる世間、周囲と異なる自分、不幸な自分を考えてゆくスパイラル。他人との差異を感じ、その悲しみのなかからじわじわと蓄積されていく「毒」。発する方、その「毒」を受ける方。いずれにせよさしたる理由もなく、格別の理由もないという時代。いつでも誰でも加害者にも被害者にもなり得る、そういった現代が淡々と描かれているのだ。普通に平凡に暮らしていると主観的には思っている自分が、特定の他人からすれば妬みや嫉みの対象となってしまうのが現代なのだ。
こういったことを心に染みこむように読ませる物語に仕上げている原動力は、細かなエピソードの積み重ねが実に巧みだから。平凡・日常であるといった事柄であっても、物語に特に大きな影響を与える事柄でなくても積み重ねることで世界の奥行きを増すことに繋がっている。(下手な作家がこれをやっても冗長になるだけだというのに!)。普通に世に暮らす人を普通に描きつつも、それが特別な一人であることを描き出す。やはり希有な才能だと思う。

とりあえず描写とその奥行きについて書いたが、物語全体をミステリとして仕上げる構成力もまた素晴らしい。連続毒殺事件の真相は? という「謎」と、原田いずみが何を仕掛けてくるのか? という「サスペンス」とが精緻に織り込まれる結果、最初から最後まで一気に読ませられる物語となっているのだ。いわゆる本格ミステリとしての評価軸は当てはまりにくいが、普遍的なミステリベストであれば本年のベスト候補であろう。


06/09/06
太田忠司「甘栗と金貨のエルム」(角川書店'06)

太田忠司さんの新キャラクタ。現段階でのシリーズ化は未定の模様。高校生〈?〉探偵・甘栗晃を主人公とする私立探偵小説長編。書き下ろし。著者のホームページの情報によると、目指したのはリューインだそう。

私立探偵事務所を開いていた父親・清吾が、交通事故で亡くなった。絵を描くことが好きな高校生・甘栗晃は既に母親を亡くしており一人で生きていくために通っていた高校に退学届けを提出した。遺品の整理のために父親の事務所に来ていた晃は、一人の少女の訪問を受ける。仁礼淑子(にれとしこ)と名乗る彼女は十二歳。かつて清吾に急にいなくなった母親の捜査依頼をしていたのだという。清吾の死にショックを受けていた彼女だったが、晃に対し探偵業務を引き継ぐよう強い口調で頼み込む。報酬で清吾に渡した金貨が見つかれば、彼女の依頼を退けることもできたのだが、結局見つからず、晃は”エルム”と渾名をつけた彼女の母親に関する資料を父親の残した品々から探し出す。エルムの父親は、祖父の国会議員の地盤を引き継いで 出馬することが決まっており、母親・美枝子はそれから急に失踪。エルムの父親は何か知っているようなのだが、彼女には教えてくれないがために、思い詰めた彼女は探偵に依頼したのだという。父の残したメモに走り書きで書かれていたのは「美枝子は鍵の中に」という謎めいた言葉だった。

柔らかい装幀の内実は高校生による私立探偵小説兼ハードボイルド小説。微妙なギャップが独特の味わいを醸す
アニメ系のイラストによる表紙、甘栗・金貨・エルムといった題名におけるキーワードから、前情報無しに本書を書店で目にした時には、てっきりファンタジー小説だと思い込んでいた。改めてきちんと手にとると探偵事務所とか青春ミステリといった言葉が帯にあってその誤解も解けたが。(なんとなくセールス的にはこのミスマッチがプラスに作用しているような気もする)。
高校生の主人公と十二歳の依頼人。とだけ書くと日常系ミステリのようだが、その依頼内容はれっきとした失踪人捜しで、その捜査の手順にしても(試行錯誤はあるにせよ)、私立探偵小説の常道に乗っかった正統派の内容。さらに主人公の一人称が”私”であり、その微妙に背伸びした感覚がむしろ青春小説的味わいを深めている。(彼が”私”を一人称に使う理由も作中に説明されている)。その一人称のせいだけではなく、主人公の感覚に確固としたものがあり、暴力はなくとも大人の世界に立ち向かってゆく彼の姿には十二分にハードボイルドの要素をも備えていると感じさせられた。探偵だった父親からの血筋なのか、見知らぬ人物にもあまり臆せず対峙し、更に推理を巡らせて真相に気付く主人公・甘栗晃は探偵(名探偵ではなく)の素質十分。作者がその気になれば、十分今後のシリーズを担う人物となり得る存在感を持っている。
エルムの母親の失踪にしても、その裏側に意外な秘密を隠しており、幾つかの伏線がそこで繋がる面白さがある。ただ本書で感じたのは、太田作品に通底する”身勝手な親とその親に振り回される子供”というテーマ。この作品においてもその傾向は顕著で、だけどそこがまた作品の本質(秘密)にも深く関わっている点は巧みだと思う。その意味ではこのエルムにもまた今後も登場できるだけの”強さ”を感じるのだ。
もう一つ触れなければならないのは、藤森涼子シリーズとの世界の繋がり。ゲストとしてかなりの存在感をもって藤森涼子が登場するだけではない。そもそも甘栗清吾の事故は涼子が依頼した仕事の途中で起きたことであるとか、涼子の元同僚・島が重要な情報を晃にもたらすとか、もともと甘栗探偵事務所で働いていた事務の女性・奥山が、一宮探偵事務所に転職しているとか、積極的といっていいほど物語に関わっている。ラストにしても、涼子が締め括っているようなところもあり、本書には藤森涼子シリーズの外伝的性格があるのだ。従って同シリーズのファンにとっても必読だといえるだろう。

太田忠司さんの目立たずとも最大かつ最高の特徴である、接しやすく入りやすい物語作りは本書でも健在。このイラストに騙されて(?)まだ手にとっておられない方にも広く読んで頂きたい作品だと思う。


06/09/05
道尾秀介「シャドウ」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

'04年、『背の眼』で第5回ホラーサスペンス大賞特別賞を受賞後、『向日葵の咲かない夏』で第6回本格ミステリ大賞候補、「流れ星のつくり方」で第59回日本推理作家協会賞候補に選出されるなど、立て続けに注目を浴びる道尾秀介氏。本書は著者四冊目にあたるノンシリーズ長編。書き下ろし。

相模医科大学に勤務する我茂洋一郎の妻、そして小学五年生・我茂凰介の母親である咲枝が癌で亡くなった。その葬儀には我茂の親友で相模医科大学で研究員をしている水城徹とその妻・恵、そして凰介の同級生でもある娘の亜紀が訪れていた。洋一郎は暫く勤めを休むといい、凰介も学校を休みしばらく二人で過ごすことになる。亜紀に誘われ、学校の運動会に出てきてみたものの亜紀の様子が何かおかしい。風邪を引いたといい帰ってしまう。そして亜紀。運動会の日。亜紀は自宅でずっと待っているのだが母親の携帯の電源がなぜか切られている。夜の十一時。父の携帯に電話をする。「お母さん、まだ帰ってこないんだけど」「誰かと会っているんじゃないか」という冷たい声。そして深夜になって警察から電話が鳴った。亜紀の母親・水城恵は夫の職場である相模医科大学の建物から落下して死亡した。夫婦仲が悪くなったことを苦にしての覚悟の自殺と思われたのだが、さらに亜紀が交通事故に遭い災難は続いてゆく。我茂凰介。父親の様子もどこかおかしい。果たして一連の事件の裏側にはどういった事態が隠されているのか……?

家族、そして絆がテーマ。しかしミスリーディングの仕掛けそして細かな違和感の配置が絶妙
本書を読み終えてまず思ったのは『ドグラ・マグラ』だったりするのだけれど、それもちょっとおかしいか。三人称の多視点(洋一郎・凰介・亜紀ほか)によって紡ぎ出される物語は、何か薬をやっていたり本人の記憶が曖昧だったりと何か頼りなげな印象があり、その記述や他の登場人物の言動をどこまで信じて良いのか判らない頼りなさが全体として存在する。また、三人称を逆手に取って、その視点人物にとって物語上で都合の悪い部分を「書かない」ことによって謎を深めるようにしており、このあたりの計算については『向日葵』あたりと似た印象を覚えた。
当初から病死・自殺と人が死ぬ話が続き、凰介の明るい性格をもってしても物語全体のトーンは沈鬱。ただ作者は一旦突き落としておいて(実は二段構え以上の策略を巡らせてある)、さらに読者を突き落とし、そしてそれでも最終的には救いを授けてくれる。こういった流れなのだが、読者にそのあたり、つまり作者の企図している物語の流れを悟られぬように周到に伏線として描写し、ともすれば登場人物の行動について勘違いさせるように仕向けている点はお見事。
幾つかの伏線はあからさまにすぎて逆に疑ってかかったが(その想像の一部は当たり、その一部は外れた)、それでも幾つかはやはり伏線が見抜けておらず、やっぱり読了してから作者の深謀に舌を巻いた。特にミステリとして騙した/騙されたのレベル以上に、物語内部から発する「叫び」が大きく、その要因を考えるにやはり現代家族の在り方といった問題につきあたる。直感的な印象だが、道尾作品に登場する大人はその年齢よりも幼く、子供はその年齢よりも遙かに老成した存在として描かれている。 現代における「家族」の真実を、こういったかたちで作者は見抜いているのではないか――と思うのだ。精神的に未熟なまま我慢の効かない親になってしまう大人。身体が子供のままで、精神的に年齢以上に成熟してしまう子供。そんな大人とそんな子供が従来からある伝統的・封建的な家族を演じて生きてゆくのは難しい。あくまで間接的にではあるがそういったテーマが表現されているようにも思えた。

物語やミステリのセンスは、伊坂幸太郎と近く”伏線派”に少なくとも本作は分類されよう。(ただ伊坂とは伏線の敷き方に微妙な違いがある)。作者が登場人物の口を借りて語ること、語らないこと。細やかな言葉や行動が後に別の意味をもって立ち現れること。トリックということばはあまり似合わないのだが、読者の見ている物語世界をちょっとしたきっかけで反転させてしまうことは間違いない。特に傑出したトリックがあるわけではないが、先に述べた物語のテーマ性とサプライズの理由が噛み合っており、その結果としてこの作品を非常に印象深いものにしているのだろう。


06/09/04
沖方 丁「マルドゥック・ヴェロシティ1」(ハヤカワ文庫JA'06)

あの伝説の大長編『マルドゥック・スクランブル』全三冊より三年。別に沖方丁は沈黙していたわけではないが、シリーズの続編が刊行された。三週連続というファン泣かせ(嬉しがらせ)の刊行方式、ばらばらと順に取り組んでいるので一冊毎にあらすじとポイントを紹介していく。

広大な山林に覆われた療養施設。その実体は優れた兵士と兵器を供給する最後方支援施設。自分自身を売り渡したボイルドは、相棒のウフコックを探して施設内をうろついている。施設を支配するのは三人のプロフェッサー、つまりは軍属科学者。厚顔のチャールズ、人間のコントロールが可能だと主張する猿の女王・サラノイ・ウェンディ。そして被験者たちの管理責任者にして大企業の御曹司にして人体と兵器の一体化のスペシャリスト・クリストファー・オクトーバー。彼らはウフコックを救うためにとったボイルドの行動を非難する。忠誠を装い、もめ事を避けるボイルドだがその内面にはかつて麻薬中毒だった自らが起こした悲惨な事故の記憶が染みついている。そんな平穏な世界が終わりを告げる時がやってきた。戦争が終わり、彼らの処遇が問題になりはじめたのだ。政府が取った結論は「抹殺」。夜中に侵入してきた正規の軍隊。音もなく被験者たちを抹消=殺害していく。ボイルドはウフコックを求め、その他の特殊な能力を持つ被験者たち数名と共に戦いを開始した。その結果、彼らを待ち受けていたのは、意外な運命だった……。

シャープにして癖のある文体。緩急ついたキレある展開。とりあえずテンションならスクランブル以上か
『マルドゥック・スクランブル』以前の物語。 『スクランブル』においてルーン=バロットの敵役として登場するボイルドが主人公で、一部当然『スクランブル』にも登場する人物の名前がちらりちらりと登場している。ウフコックはもちろん最初から変身できるネズミだが、その知性はまだ成熟しているとは言い難い。彼ら、特殊能力を人体に内包した人々がまずどのような経緯で生まれてきたか、改造を受け入れることになったかが淡々と描かれる。戦争という戦いの場において得られたもの、失ったもの。それらを補うために人体にハイパーな改造を施し(単に武器をくっつけるというだけのものではなく、肉体自体の改造っぷりは風太郎忍法帖のようだといっても過言ではない)、しかしほとんどそれを試すことなく生きている人々。彼らが新たに戦いに巻き込まれ、そしてプロフェッサーの一人・クリストファーのもと、人命救助のための緊急動議・マルドゥック・スクランブルを遂行するための組織に組み入れられる。彼らが自らの存在意義を見出し、充実した時間を手に入れる――まで。
それぞれが「少年ジャンプ型」……ともちと違うかな。当初よりそれぞれが特殊能力を持った登場人物が、いきなりチームとなっているところがポイントだろう。言葉通りの意味で鋼鉄の拳を持つジョーイと、死んでも自分の寿命を削って生き返るハザウェイ。特殊な体組織を得て他人そっくりに化けられる”サンドマン”・レイニー、特殊な鼓膜と声帯でどんな音でも聞き取り、他人に声を聞かせる究極の通信兵・ワイズ。特殊なナノテク「線虫」を体内に飼い盲目ながら数十個所の視界を確保するクルツ、そしてその相棒は身体を透明化して人語を解する猟犬・オセロット。特殊な義手により金属を機銃弾よろしく発射できるラナ。彼女のパートナーは謎の”自殺”を遂げており今は居ない。そして重力を操り、空間を歪める能力を持つボイルド、そして様々な道具/兵器に変身できるウフコック……。
とりあえず、彼らが外敵を退けて、さらには外の世界でもチームワークを活かして活躍する過程はスリリングにして快感。ただ――『スクランブル』以前の物語である以上、単純なハッピーエンドはまずあり得ないという点が知識として頭を過る。 既にこの一冊目の段階で何やら寂しさ/哀しさを覚えてしまうのだ。これから彼らが巻き込まれるであろう強烈な運命に。

とりあえず一冊目。顔見せそして、この世界の説明。 黒幕と新たなる敵を予感させ、物語は「2」に向けてぶったぎられる。最後になったが、沖方丁の本書の文体、特殊。一つの言葉が多元的にイメージされるというか。無駄な接続詞を省いていっぺんに全部書いてしまうというか。いずれにせよ、この文体が独特のリズムを紡ぎ出し、この世界を「加速」させていることもまた間違いない。「2」へ続く。


06/09/03
友成純一「宇宙船ヴァニスの歌」(双葉社FUTABA NOVELS'87)

以前にシリーズ四冊目にして完結編にもあたる『戦闘娼妓伝』を読んで小生が「ああ、前三作が読みてええええええええええ。」と絶叫したという、伝説の〈宇宙船ヴァニスシリーズ〉の第一巻。この段階では「スーパー伝奇アクション」と裏表紙には書いてある。友成純一氏の著者紹介にも「大型新人として期待されている。」。そういうところがいちいち面白かったりするわたしはもう病んでます。ちなみに本作のみ、『聖淫女軍団(セントアマゾネス)』と改題され天山文庫入りしています。

〈第一部〉
採掘作業員と春をひさいだ結果、謎の生命体に身体を乗っ取られてしまったミオ。彼女の内なる何かは彼女を内側からめちゃくちゃにしようとするが……。 『満艦飾の女』
全身の多くの部分をサイボーグ化してしまった結果、娼妓船ヴァニスを率いる女将・リリーはちょっとやそっとでは感じられない身体になっていた……。 『サイボーグ女将(リリー)』
亜空間エンジン室ではファックやそれに類する行為は禁じられている。その決まり事を作るに至った顛末とはいったい。 『虚人の呼び声』
宇宙を漂流していた不自然な状態で発見された美女は、女性に高い理想を持つドクターの理性を寝ているだけで奪い取ってしまい……。 『異次元の天使』 以上四編。
〈第二部〉
採掘都市に訪れたヴァニスは地元で働く男たちをしっぽり楽しませ続ける。男たちを取られた気の荒い妻たち〈娘子軍〉は、ヴァニスのシャトルへ乗り込み、返り討ちにあって半殺しにされてしまったマルタのあまりの惨状に怒り心頭。豆タンク・茶子を筆頭に戦闘隊を組織してシャトルへと戦いを挑むのだが……。

やはり読みどころは意味のない骨肉の争いを地元住民と繰り広げる娼妓たち。第二部のめちゃくちゃな盛り上がりサイコー
いやはや、やはりスゴイわ。第一部にあたる部分には一応登場人物紹介を兼ねたような、あくまで比較的には普通のエロSF短編が収められている。その友成らしい狂気の端緒はみられるものの、脱力系とはいえそれなりのオチがありまとまっている。(結構グロではありますけれど)。『満艦飾の女』にしろ『異次元の女』にしろ、アイデアはそれなりなのにヴァニスの娼妓たちのバカっぷりによってそれがめちゃくちゃなところに話が進んでしまうという展開。はっきりいって予想不可でずるずるとこの〈宇宙船ヴァニス〉の世界に引きずり込まれるという寸法だ。
そして、圧巻は第二部。笑うトコ満載。まあ、採掘都市でそのエロティックな手管を尽くして男性を喜ばせる場面は確かにエロティックだし、その旦那を娼妓船から取り返しに乗り込んできた妻を、サディスティックな手段で半殺しにする場面は確かにグロ。だけど、その全体を通じたあっけらかんとして、そして徹底した人間軽視の精神が物語のテンションをめちゃくちゃに引き上げている。戦う理由、戦い方。それなりにマジメであるのに作者の残酷さは登場人物を次々踏みつぶしてしまうのだ。よくぞまあ、そんなに虫けらみたいに登場人物を扱えるもの。特に、妻を半殺しの目に遭わされた後、自身の身体を改造してシャトルに乗り込むニールさんの凄まじさは……やっぱり笑うトコですよねえ。そのオプションはさ。ついでにいえば、状況的に不利になった娼妓軍を救うリリーもスゴイすよ。これもまた笑うところ、というか笑うしかないです。 オチというよりも結末は予想されるものの、そこへ至る過程があまりにも凄すぎて想像がつかない。そういう作品すね。

まあ、マジメなことをいうとこの作品は「面白がれる」人にとっては最高に笑える作品なのだが、普通に受け取るとエロにもグロにも拒否反応ということになることも間違いなし。覚悟をもって手に取られよ。 しっかし、エログロと笑いは紙一重だというが本書もそう。少なくとも「面白がれる」タイプの読者は笑い死に注意だ。 さらに、よく言われているように作者のあとがきも面白い。これは『キャプテン・フューチャー』だったのですか元は。物語だけでなく、あとがきでも笑いが取れるなんてなんとお得な作品なのだろう。シリーズの未読が後二冊。読みてえええ。


06/09/02
大崎 梢「晩夏に捧ぐ―成風堂書店事件メモ(出張編)―」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

元書店員による本格書店ミステリということで話題を呼んだ前作『配達あかずきん』の続編にして、著者の初長編作品。書き下ろし。副題が同じく「成風堂書店事件メモ」である通り、同書店に勤務する杏子とアルバイトの多絵が、地方書店に出張して謎解きをする。

横浜の駅ビルにある成風堂書店に勤務する杏子は、二年前まで同僚として働いており、現在はN県の老舗書店「まるう堂」で働く高木美保から手紙を貰う。その「まるう堂」で立て続けに幽霊が目撃され、大騒ぎになっているという。これまでも謎解きの実績のあるアルバイト店員の多絵を伴って、次の休みに来て欲しいという要請。杏子はあまり乗り気ではなかったが、多絵に丸め込まれるかたちで現地を訪問することになる。その「まるう堂」は確かに杏子が惚れ込むような老舗のこだわり書店。そして地元ではその幽霊は、二十七年前に殺害された地元の有名作家にまつわる事件だという噂が立っていた。果たして、幽霊は誰なのか。そして弟子が犯人、そしてその男が獄中死したという事件には、いろいろな異説が飛び交っていた。作家殺人事件の真相と、そこで隠された原稿とは。美保の案内で、当時の関係者から話を聞いて回る二人は、真相へたどり着けるのか?

ディティールにところどころ「?」も、引き続き、物語として軽快。
先にうるさいことを書いておく。前作を読んだ時に「いろいろ引っ掛かる」という点について書いたが、本書でもそういった細かな引っ掛かりがやはりまたある。ネタバレにならない範囲でいうならば、二十七年間締め切っていた家屋の状態があまりにも普通過ぎるとか(手を全く入れていないという前提ならば凄まじい埃や蜘蛛の巣だらけのはずで、靴を脱いで普通に状態が観察できる状態だとは思えない)、蕎麦屋に昼時に聞き込みに行ってキミタチはそこで食事もせずになぜわざわざコンビニで昼食を買うのだ、とか。ミステリとして特に東京創元社レーベルで刊行するということは小生含むうるさ型の読者をも対象にしてしまうことになるので、ディティールはやはりもっと徹底した方がいいのにと思う。
一方で、物語としての読みやすさは前作以上になめらか。 幽霊騒ぎの解決など最初から無理と諦めかかっている杏子と一生懸命解決しようとするというか、解決できるものと決めてかかっている多絵との温度差、謎解きを進めながらも地元の名物にすぐに心動かされる女心といった軽やかさといったアクセントが展開に濃淡を加えているし、書店の持つ”良さ”を伝えようという態度には好感が持てる。(とはいえ、ちょっと一面的に過ぎるきらいもあるか)。また、容疑者(というかその候補)にしても、それぞれにいろいろな特徴があって面白い。ミステリ的には過去の殺人にしても幽霊騒ぎにしても多少詰めの甘さがあるのだが、そこは目くじらを立てるような部分ではなく、このノリにおいてはこれで良いと思われる。いずれにせよ、物語のなめらかさとテンポについては一級の腕があるといえよう。だからこそ、先に述べたようなディティールの甘さに起因するちょっとした違和感が勿体なく感じるのだ。

前作を楽しめたという方であれば、この書店へのホンモノの愛情にまた共感できよう。一方でレーベル(出版社)から本格ミステリを期待・想像されている向きには逆にちょっとお勧めしづらい感じか。ただ特に書店員勤務の方にファンも多いようだし、まさに普通の書店でロングセラーになるのだろうなあ、と思う。


06/09/01
松尾由美「安楽椅子探偵アーチー オランダ水牛の謎」(東京創元社'06)

正真正銘の”安楽椅子探偵”。松尾由美さんの『安楽椅子探偵アーチー』シリーズの二冊目。『ミステリーズ!』誌のVol.13〜17に連載された作品が単行本化されたもの。前作は既に創元推理文庫に収録されているが、本作も先の単行本同様、創元クライムクラブのフランス装での刊行。

衛が駅の公衆電話脇で拾ってきた封筒。中には桜の枝、そして表には「オランダ水牛」「スパイ」など、謎の文字が書かれている。アーチーが推理を渋るなか遊びに来た鈴木さんが巧みな誘導を行い、三人による推理合戦が開始された。 『オランダ水牛の謎』
安倍マコトなる塾の友人から、芙紗が一週間だけ預かった猫は引き出しを開けるという特技が。しかし、船員でなかなか日本に居ないマコトの父親が戻ってくるタイミングで猫は預けられるようになったのか。 『エジプト猫の謎』
衛と芙紗の学校にて図書委員をしている五年生・楠小百合。彼女の姿を模して彫刻を教育実習に来ていた美大生が創ったが、その像が密室状態のなか壊された。容疑がかかるのはその頃に校舎にいた四人の生徒だったが……。 『イギリス雨傘の謎』
母親が仕事で、代わりに芙紗を食事に誘い、グルメサイトで評判のインド料理の店に訪れた衛と父親。その店では謎の男がテーブルクロスをひっくり返すという奇行を。父親はサイト管理人による合図だと信じ込むが……。 『インド更紗の謎』
夏休み。参考書を買いに行く友人の都合が悪くなったため、一人で予定をこなしドーナツ屋に来た衛。一人の中年男性が翻訳家の名刺を差し出し話し相手になりたいという。しかし小銭が足りず男は衛から三十円借りることに。一週間後にその店で返すという男だったが、一週間後には現れず、名刺の住所にもいないようだった。 『アメリカ珈琲の謎』 以上、国名シリーズ(?)五短編。

安楽椅子探偵形式から別の物語への移行。松尾作品らしい暖かさが勝って、それがまた良し
あとがきで作者が書いている通り、前作の刊行からは三年、ただし作中の時間経過は半年。小学校五年生だった衛も、六年生に。ガールフレンドの野山芙紗も同じく六年生、こちらは自分の意志により中学受験のために塾通いをしている。ただ、椅子であるアーチーは相変わらずの老人っぷりで何やら我が儘度合いに拍車がかかっているようだ。(このあたりはシリーズ通しての伏線になっているような気もする)。
そして、もう一つ。本作はあくまで衛の物語である印象が強いのだが、その最大の理由は、前作に比べ「喋る椅子」という強烈な個性を持つはずのアーチーの出番が控えめ、というかほとんど活躍らしい活躍をしないこと。アーチーが推理を率先して行うことはないし、衛らの要請に対しても乗り気ではないし、多少推理を行ったとしても「眠い」(椅子なのに)などの理由で推理が途中で切れてしまったりする。衛自身、そしてガールフレンドの野山芙紗といったところに対して「自分で考える」ことを促しているようだ。さらには最終作品に至ってアーチー自体、ほとんど登場しないという……。恐らくは衛の成長の度合いを描きたい作者の意図が強いせいなのかと類推するのだが。
ただ、安楽椅子ものならではの推理合戦(想像合戦ともいいそうだ)は、やはり本書では魅力の一翼を担っており、表題作の「明らかに創られた謎」であっても、『エジプト猫の謎』のように、無理のあると思える解決が真相であっても、あることをテーマに複数の人物が検討を重ねるスタイルはやはり楽しい。なので、後半に至って徐々に物語のスタイルが変化するところには「これもいいよなあ」と思う一方で、微妙な寂しさを感じたりも。

とはいえ、不条理であっても、謎の設定に多少の無理があっても、松尾由美さんらしい暖かさは全体を通して感じられる。というか、やはり少年の成長しつつある姿を見守るような気持ちにさせるところが計算か。強烈な悪意も描かれず、ミステリとしては本格としてもディティールとしてもバランスが微妙。あくまで個人的な想像だが、このままミステリ味を薄めつつ、少年の成長小説としてシリーズが続くのではないか――とか考えた。