MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/09/20
三崎亜記「失われた町」(集英社'06)

三崎氏は、第17回小説すばる新人賞を『となり町戦争』で受賞してデビュー。第59回推理作家協会賞候補作品『バスジャック』を含む短編集を上梓後、本書が三冊目となる長編作品。『小説すばる』誌の2005年12月号より不定期連載された作品に加筆修正、さらにプロローグとエピローグが付け足され、堂々の長編作品となっている。

その世界では「町」が意志を持ち、その町に住む住人を三十年ごとに消し去っていた。「管理局」はその余波を防ぐため、消滅した町に関する記録を全て消し去ることになっていた。町の消滅は人々に「穢れ」の意識を植え付けており、それに関連した人々は被差別の対象となっている。実際、町の住人のほぼ全ては単に消え去ってしまうが、ごくごく稀に町に残ったまま消されずに生き残る人物がいる。消滅耐性を持つとされる彼らは自らの哀しい運命を受け入れてゆく。月ヶ瀬という町が消滅した際、その周辺には様々な人物がいた。心の支えとして将来を誓い合った潤を奪われた十五歳の由佳、その町での作業に借り出され、月ヶ瀬の元住人・和宏と運命の出逢いをする二十五歳の茜、その町の生き残り三歳の女の子・のぞみを育てた信也、そして月ヶ瀬で”本体”の妻を喪い、”別体”とのあいだに子供を作った英明。そしてそれ以前、倉辻の消滅の時の生き残りで管理局で働く白瀬桂子……。「町」という強大な意志と対峙し哀しみを植え付けられてきた彼ら、彼女たちは、その経験をどう乗り越え、そしてどう生きてゆくのか……。

堅牢なる世界設定の魅力と、人生の様々な局面を鮮烈に描き出すエピソードの冴え。心に残る名作
正直、三崎亜記という作家の実力がここまであるとは考えていなかった。『となり町戦争』にしても『バスジャック』にしても「面白い作品だなあ」という感想以上のものはなかったのだが、この作品で一気に著者の株が急上昇するような予感がする。
「町」が意志を持ち、三十年ごとに一つの町の人間全てを消滅させてしまう――という不思議な設定。本書の凄さはその設定そのものよりも、”描かれていない”方のディティールにある。「町」の意志、その住人を消してしまうという行為自体の不可解さ。なぜ一行政区分で人が消えるのか。考えてみれば奇妙過ぎる設定なのだが、こちらについては結局我々の世界観から見たところの合理的理由は存在しない。一方で、その状況に合わせて理論のうえでの対抗策であるとか、特殊な能力を持つ個人であるとかのエピソードが丁寧に描かれている。この裏側にて支えているであろう膨大なディティールが本作の物語としての深みを増し、ひとことでは言い表しづらい世界観を支えている。
特に、その”世界”の在り方に対して戦う姿勢が静かながらも全編の登場人物に貫かれている点も物語の牽引力となっている。大切な人を喪う/救う/中途半端といった哀しいエピソードが続きながらも、冒頭の「プロローグ、そしてエピローグ」の章が全体を巧みに支配していて物語全体のトーンをきちんとまとめあげている点が特徴だ。群像として描かれる個々のエピソードの主人公たちが、それぞれ身近で大切な人を喪っているのだが、物語を悲しみだけで切り上げていない点もまたその証左といえそうだ。
一方で、その理論とか理屈といったところ、確かにSF的に検証するには穴もあろうし全ての設定が効果的ではないという考え方もありそう。だけれども、世界そのものが日常的には同じ感覚を持ちながら、歴史や行政といったところが我々の現実とは異なるパラレルワールド的設定(このあたりは前作同様だ)となっているため、個人的にはそれほど気にならなかった。むしろ、時系列をさりげなく取り入れ、登場人物に年齢を重ねさせるテクニックの方に素直に巧さを感じた。

物語のラストにゆきながら、そして最後にどうなるか――については、方向性を持たせながらもある程度読者の想像に任せているところがある。この世界全体の在り方そのものをファンタジーとして捉え、そこで活躍する人々のエピソードを個々に感じ取るのが良い読み方のような気がする。


06/09/19
西澤保彦「春の魔法のおすそわけ」(中央公論新社'06)

これまで多作を誇ってきた西澤保彦氏だからか。2006年3月刊行の『キス』以来ひさびさの……と思ったがまだ半年しか経過していないんですね。書き下ろしのミステリアス系恋愛小説。(ミステリとは断言しづらい作品です)。

ぐちゃぐちゃに酔っぱらい、二日酔いのまま所在地もわからず地下鉄駅を降りてきた四十代独身女性作家・鈴木小夜子。前の晩の記憶も定かではなく盛大な嘔吐を歩道橋から撒き散らす。そして慌ててセミショルダーを探ってみるとある事実に気が付く。この鞄は自分のものではない。その鞄を無造作に開けた小夜子は慌てて駆け出し、トイレに飛び込んで中身を確認する。札束。帯封がかけられた百万円が二十。二千万円。小夜子の胸の中にいろいろなことが去来し、躁状態の小夜子はその二千万円を豪勢に使い切ることに決めてしまう。まずはコンビニでビールを買う。しかし急に自分のなかで孤独感が吹き上がってくる小夜子だったが、千鳥が淵の側で一人の美青年と出会ってしまう。彼に興味をもった小夜子は、失礼なことばを散々浴びせたあげく、しかし彼をお金で買うことを決める。そしてなぜかその彼も彼女に対してまともに受け答えし「どうぞよろしく」といい、彼女に素直についてくるのであった……。

身も蓋もなくいえば酔っぱらい系中年女性の性的ファンタジー。そしてでも、西澤ミステリ
西澤氏の作品群のなかでいえば”森奈津子”系統の、羞じらいも何もなくむしろ破天荒な性格をもった(世間的には中年だけれども本人にその自覚があるようなないような)四十五歳の女性を主人公とした作品。彼女が偶然手に入れた二千万円という資金を元手に、目の覚めるような美青年を好きに扱う……という展開は、一般的な恋愛小説でも無論ミステリでもなく、むしろハーレクインとか熟女系レディスコミックとかにありそうな(そしてたぶんある)ような強引な設定でもある。一応は作家という肩書きを持ちながらも、人生に対して中途半端。自らの拠り所を失いつつある女性の姿は、正直読んでいてかなり痛い。酔っぱらいの延長、躁状態であることを差し引いたとしてもやっぱり痛いのだ。
そんな彼女がありつく夢のような時間――。丁寧な描写の結果、その”夢のような時間”が本書のうちのおおきな部分を占める。ただ、その時間がいったい何だったのかという後解釈が切れている。他の西澤作品のように複数の推論者が意見を戦わせることもなく、本書でたまたま探偵役を振られた編集者が事件を解釈するという展開。それは状況から導かれる推論であり、あくまで裏付け・証拠のない推理でありながら、これまでのファンタジック(?)な展開を反転させるのに十分なパワーがある。 やっぱりここに至って、本作は中途半端な恋愛小説などではなく、西澤流の解釈が入った、やはりでもミステリなのだと改めて感じ入るのである。
気のせいだといいのだけれど「これからは恋愛小説の時代!」とかいう風潮に西澤さんが迎合したかのように冒頭あたりでは一瞬感じた。だが、ここまで主人公を痛痛しく書くとあまりいわゆる感情移入に至らないわけで、こういった形式であっても結局のところは計算された西澤ミステリとして読むべき作品なのだと思う。

ただ、ファンシーな題名、恋愛系としか思えない表紙、何となく恋愛小説(とはどこにも書いていないが)を思わせる帯に至るまで、路線としては従来の西澤作品とは一線を画そうとしている(一線を画しているではない)ような印象がある。まあ確かにそう読めないことはないけれど、やはり中年女性の妄想を踏み台にした、むしろ残酷なまでに西澤ミステリというのが本質のような気がする。読後感はまとめられているものの、やはり本質としては残酷なんじゃないでしょうかー。


06/09/18
北國浩二「夏の魔法」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

北國浩二(きたくに こうじ)氏は'64年大阪府生まれ。俳優業、フリーライターを経て、'03年『ルドルフ・カイヨワの事情』で第5回日本SF新人賞佳作入選、同作品を改稿・改題した『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』によって'05年にデビューした。本書が二冊目の著書となる。

早坂夏希・二十二歳。九年前、初恋の相手・ヒロと家族同伴でこれまでの生涯で最高の夏を過ごした風島に彼女は一人訪れようとしていた。夏希は早老を伴うある病気にかかっており、二十二歳という年齢でありながらその風貌や肉体は既に六十歳過ぎとなっていた。更に彼女の余命が長くないことを彼女自身が知っており、その僅かな残り時間を病院ではなく、その思い出の島にて過ごしたいという希望を両親に無理矢理に通したのだ。宿泊先は、九年前と同じ民宿内海。偽名で申し込みをし、老女として扱われることに慣れた彼女であったが、そのペンションでアルバイトとして働く、二十二歳の潮崎洋人・ヒロと再会してしまう。ヒロはどうやら彼女が夏希であることに気付いていないが、夏希が十四年前に彼にあげたペンダントをいまだに「大切な宝物」として首にかけていた。そして彼は眩しいほどに爽やかな青年として成長を遂げていた。奇跡の再会に驚きつつも、内心に大きな葛藤を抱える夏希。更には民宿内海には、誰から見ても眩しい沙耶という女性がアルバイトとして働いていた。自分が失った若さへの嫉妬に苦しむ夏希だったが、その感情を抑え一夏の思い出を堪能し始める……。

通り一遍の恋愛小説以上に人の心の奥底へ斬り込みが。レーベルの是非すら問う異端の恋愛小説
悪い魔女に魔法を掛けられた王女の悲劇――。 それを現代に置き直したファンタジーともいえるのが本書。早老症に罹った少女→苦しみを乗り越えるための、彼女によるセンチメンタルジャーニーのはずが、そのかつての幸せだった時分に包んでくれた人々と再び相まみえるという残酷なストーリー。王女=主人公の気持ちは、作中でも引用されている通り、いわゆる童話”人魚姫”の人魚のそれを再現している。ただ――。途中の主人公の気持ちの分岐によって、この物語は確実に人魚姫からは訣別し、ミステリ・フロンティアらしい展開となってゆく。この心の動きには”優しいクライムノベル”とでも称したくなるような独特、かつ説得力の高いものがあり、読んでいて心が締め付けられるような気分になりながらも、主人公の心情・行動に同調してしまうのだ。
ただ、物語の真相を知ってしまった後になって改めて振り返ると(ネタバレではないですが内容が想起される可能性があるので反転します)、恐ろしく夏希を取り囲んでいた世界が彼女にとって残酷だったことに気付く。それは彼女が感じていて作中で表現されている若さに対する嫉妬がもたらす残酷さとは異なる。例えヒロの心情が本気だったことを割り引いても、その他の人々が感じていたであろう感情にまで彼女自身が思い至った時のショックはいかほどのものがあるのだろう。夏希がもっとも知られることを忌み嫌っていた事実に、実際は囲まれていたのだという衝撃。(ここまで)このことを想像するに、物語自体はファンタジーを超えて、古来ファンタジーが本来的に持つ”残酷な物語”にまで繋がっていることを実感するのだ。

確かに切なく中盤までの主人公の心情は余りにも痛痛しく、運命の残酷さがひしひしと読者に伝わってくる内容となっている。本書を極上の恋愛小説として崇める方がいてもおかしくない。だけど、個人的にはそういった優しさに囲まれた、あくまでクライムノベルのように思えてならないのだ。
個人的には本書から入ったが、デビュー作品である『ルドルフ・カイヨワの憂鬱』は全く畑違いの近未来ハードボイルド小説らしい。調べるとそちらはそちらで好みっぽいのでいつか機会があれば読んでみたい。


06/09/17
高木彬光「死を開く扉」(角川文庫'75)

もとは『四次元の目撃者』の題名で'57年『宝石』誌に中編作品として発表され、同年に長編化されて刊行された作品。名探偵・神津恭介もの。元版は出版芸術社『神津恭介の回想』にて読むことができる。(すみません。たぶん国産ミステリ読みには基本となる作品の一冊だと思いますが、初読なんです)。

骨休めのために若狭地方を訪れた作家の松下研三は、吉浜町にて地元の開業医として働く福原保の歓迎を受ける。福原は松下や神津と東大医学部の同窓生にあたり、久方ぶりの再会であった。地元にある埋蔵金の話などで盛り上がる二人。さらにその地には、地元の名士ながら自宅の離れの二階に「四次元へ通じる扉」なる、扉を取り付けた変人がいるのだという。地元の景勝地を観光した二人は、たまたま居合わせた地元警察署長と一緒に飲んでいたところ、殺人事件が発生したとの報を受け取る。殺されたのは林百竹なる人物で、かの四次元への扉を作った男その人であった。しかも現場は奇怪な密室状態となっており、そのなかで林は奇妙に身体を捩じ曲げ、銃で撃たれて死亡していた。凶器は見あたらず、しかし部屋には誰も出入りした形跡はなかった。素封家でもある林家は複雑な家族構成となっており、林に対して殺意を抱く人物がそれなりにいる。更には福原にも動機があった。しかし何よりも密室の謎が彼らの前に立ちはだかる。知恵を絞る松下だったが、真相に肉薄するのは困難であり、東京にいる神津に助力を求める。しかし神津が来るのはしばらく後になりそうで、彼は松下に幾つかの捜査上のアドバイスを提示した。

後の「新本格ミステリ」との類似点と相違点。今となってはいろいろ考えさせられる不思議な本格推理小説
――読了して思うのは、「踏み絵」のような作品だな……ということ。新本格ミステリの巨大なムーヴメントを経験した後と、恐らく当時、社会派推理小説が全盛の頃とに読むのとで作品評価ががらりと変わりそうな印象がある。というのは、後の新本格に通ずるような作品構成なのだ。(むしろ、新本格以上に近しいと思うのは、島田荘司の一連の作品なのだが)。オカルトを信奉していたと思われる被害者による奇妙な行動がもたらす謎の密室、まさに”物理トリック”という形容が相応しい真相。さらには手紙や伝言で伝わる真意のみえない名探偵の推理過程、そして最後の解決。高木らしい流麗な筆致によって文章は読ませるものの、その内容といえば現実から若干遊離した、推理小説のための推理小説のような世界観に支配されていている。そのせいかリアリティといった観点からは真っ先に拒否反応が示されそうな内容でもある。
一方で、現代読むと、この作品の(というか、本作のモチーフとなっている『緑の扉』含め)内容が、様々なかたちでその後に発表された作品に影響(オマージュもあったと思う)を与えていることが感じられる。また、そもそものオカルトめいた奇想と、その奇矯な行動がもたらす謎といった展開は近年のミステリ界ではよく使われる手法だ。それを些か愚直ともいえる方法によって最初に開拓したのが実は彬光だった(のかもしれない)、という点に改めて気付く。ついでに島田荘司も心の師として高木彬光を深く尊敬していたことも思い出されたりもする。なのでやはり、一連のミステリ界の動きというものがフィルターとなって、この作品の評価はどちらにも動くように考えられる。中編が膨らませられたことによる装飾部分には少々野暮ったさがあるが、現代的(新本格の時期的かも)な本格ミステリ精神を、かなり先に、時代に反旗を翻すかたちで取り込んだ作品だといえると思う。

現在であればバカミスとして片付けられそうなトリックも恐らく当時としては全く新しい試みであったと思うし、カーを意識したかのような背景もまた今なお面白く感じる。(このあたりダメな人はダメかもしれないが)。しかし、この構成のもとにある精神は、やはり後世のミステリというジャンルに対して影響を多少なりとももたらしているといえよう。


06/09/16
沖方 丁「マルドゥック・ヴェロシティ3」(ハヤカワ文庫JA'06)

マルドゥック・スクランブル』の続編にして、過去の物語。『マルドゥック・ヴェロシティ1』『マルドゥック・ヴェロシティ2』に続く三週連続刊行となる完結編。

ボイルドに対して奇想天外な要求をするネイルズ・ファミリーの一人ナタリア・ネイルズ。彼女は自らの持つ病を乗り越え、あるものを求めようとしていた。それに応えるボイルド。そしてマルドゥック・スクランブル=09メンバーを統率してきたクリストファー・オクトーバー。マルドゥック市が原因不明の停電と労働者による暴動によって大混乱しているなか、その二人が突然姿を消してしまった。必死の追撃をするメンバー。クリストファーの居場所は突き止めて現場に急行したものの、そこに待ち構えていたのは宿敵・カトル・カールの面々と謎の戦闘ピエロ軍団を率いるナタリアの兄・ニコラス・ネイルズだった。しかもこれまでの戦いの結果を分析してカトル・カールはマルドゥック・スクランブル側メンバーの攻撃やフォーメーションを効果的に無効化する方策を実行してきており、何よりもこれまで電脳面での作戦をサポートしてきたウィスパーにカトル・カールの電子戦担当が侵入、通信や連携においても大きな不利が。メンバー数名を犠牲にしカトル・カールに大打撃を与えながらも彼らは拷問死体となったクリストファーと対面する。改めて捕らえられたニコラス、そしてカトル・カールの所業を撮影し続けてきたカメラマン・エルマー・プリッツ。彼の口から衝撃的な事実が証言され、更にマルドゥック・スクランブルには激震が走った。この都市が抱える秘密、そしてニコラスの”バック”とは誰なのか。

壮大なる構想が結実し、恐るべき虚無が物語を支配する三冊目。オールタイムベスト級、大傑作として讃えられるべき”物語”
一巻目、二巻目ともすごいすごいと言いながら読んできたが、この三巻目が特に素晴らしい。ボイルド自身、ネイルズ&オクトーバーファミリー、マルドゥック・スクランブル法案、カトル・カール、一冊目のグランタワーの自殺からクリストファー暗殺、シザースといったこれまでの物語で綴られてきた大小の謎が、全てこの三巻目にて解明/説明が成されるのだ。あの伏線がこう繋がって、あの発言の真意は実は、などこの快感は良質のミステリを読んだ時の興奮に近いかそれ以上。(ちなみに小生にしては珍しく、三巻モノだというのに読了後にすぐ1〜3を再読した。予想通りというか、全体の構図を理解したうえで最初から読むことで新たな感動と驚きを得ることができた)。それほどまでに物語の持つ趣が深いのだ。
そういった壮大にして緻密な全体構図の凄さとは別に、この三巻目では物語の持つ迫力とスピード感にまた拍車がかかっている点も素晴らしい。特に二巻から継続する冒頭の戦闘場面がスゴイ。ピンチと逆転の連続、奇想の戦い/ぶつかり合いが展開することによって最初の百ページくらいまで、真の意味で息も吐けないようなテンションが維持されている。ここまで読み終わった段階で喉がからからになった。また、最終的にウフコックと訣別することが前作によって既に運命づけられている主人公・ボイルドが徐々に虚無へと落ち込んでゆく後半部。謎解きと連動しながらも、その虚無から逃れられない彼の姿からは、戦闘場面の動的迫力とは別の、静的な迫力(圧迫感か?)を強く感じさせられる。 加えて、途中まで抜群の連携を誇ったメンバーが少しずつ思いがけぬ理由から脱落していく様子、そして彼らもまた変貌せざるを得ないところにもまたいい知れない哀しみが(思いっきり感情移入しているからですが)あるのだ。

その登場人物や壮大な設定における奇想、闇に落ちていく人間、権力者の腐敗、政治的な権謀術数、戦闘場面の迫力ある描写……等々、具体的にはいろいろと”スゴイ”と思う部分が沢山あるのだが、その魅力は到底小生ごときでは伝えられるものではない。数々の拷問場面、ただれきった人間関係や欲望など人間の腐敗した部分、醜い部分が徹底的に描き込まれているがために、ほんの少しの美しい場面や素直な心情にほっとする。物語に存在する何もかもが、そして読者の感情の動きでさえ作者により隅々までコントロールされている。大作にして名作エンターテインメント。いやもう。読んで。それだけです結局は。


06/09/15
大藪春彦「血の来訪者 伊達邦彦全集2」(光文社文庫'97)

野獣死すべし』で鮮烈なデビューを果たした大藪晴彦。その処女作に登場し、その後もしばしば大藪作品に登場する人物が、本書でも主人公となる伊達邦彦である。本書は『野獣死すべし』第三部となり、この光文社文庫の「伊達邦彦全集」においても第二巻にあたる。(第二部は、第一巻内に収録)。

獣性と野望を兼ね備えた青年・伊達邦彦。彼は日本でも随一の電機メーカー大東電気の創業社長の娘・神野知佐子に近づき籠絡に成功。婚約者がいながら、伊達の魅力にどっぷり浸かり伊達の子供を宿した知佐子は伊達との結婚をせがむ。伊達は彼女を踏み台にこの企業の中枢に入り込む計画を立てていた。しかし、千葉へドライブの最中、チンピラに絡まれ彼女は暴発した銃弾にて死亡してしまう。邦彦は一瞬にして方針を転換、銃を奪ってその二人のチンピラを殺害し、知佐子の遺体を車で引きずり回して素性を隠した挙げ句、双方を沼に沈めてしまう。彼女の車を別の場所に捨て、自らの痕跡を消して自宅に帰り着いた伊達は、神野家に対して身代金要求の手紙を出した。神野家はすぐさま警察に連絡、要求を呑むことを連絡し使い古しの札で三千万円を準備した。郵送という奇妙な方法で身代金を運ばせる伊達。そして彼は郵便配達員を見張りの刑事共々に殺害し、現金を奪い巧みな変装を駆使してまんまと逃げ去った。次はその金を洗浄するため、伊達は我流で暴力団員とのコンタクトを試みる。

野望を基準とした徹底した破壊と裏切り。”大きすぎる何か”と戦い続ける悪漢の持つ魅力
将を射んとせばまず馬を射よ、のことわざの通りに開始される冒頭部分。伊達邦彦は、自身の男性としての魅力を最大限に駆使し、野獣の素顔を隠して狙う企業の社長令嬢をたらし込む。この冒頭から一気に意外性を孕んだ物語が加速をつけて展開してゆく点が魅力。 ヒロインかと思った女性がいきなり安いチンピラに殺害され、そこから銃や肉体を駆使したアクションが展開していく。
脇役については感情が吐露される場面があるが、三人称一人視点の文体では、ほとんど伊達の思惑や心情が語られない。この描写から心に深淵を湛えた悪漢の姿が強烈に浮かび上がってゆく。何しろ常識や道徳がない。罪悪感がない。他人を従わせるのに暴力を厭わない。彼が場面場面において、果たして何をやってのけるのか、全く先が読めないのだ。
まあ、犯罪計画自体、周到なようでいて客観的・冷静な視点で考えると結構、偶然であるとか強引さをもって乗り切っているところがあるのだが、そう思わせないのが大藪晴彦の硬い文体の凄さ。読者もまた、伊達と共に妙に熱くなったままポイントポイントの盛り上がりを乗り越えてゆくような印象がある。その一方で、1960年発表といった年代の差異を全く(というと多少はオーバーだが)感じさせない構成やディティールの妙も素晴らしい。銃あたりについてはマニアであれば現在の状況との違和感もあるのだろうが、細かな蘊蓄よりもその扱い方にこだわる頑固な姿勢が醸し出す毅然とした雰囲気が、その方面にそれほど詳しくない読者にとっては雰囲気のみを高めるのに役立っている。また、犯罪行為の筋道も、マネーロンダリングという名前はなくとも犯罪者としての狙いが同じであるなど、驚くほど(でもないか)現代的なのだ。

いろいろな意味でやはり凄さの方が時代性を上回っており、悪漢(ピカレスク)ロマンとしての魅力を今なお湛えていることを再確認出来て個人的に幸せ。以前に『野獣死すべし』を読んだ時にこのシリーズを続けて読みたいと考えていたのが、三年越しになってしまったのだけれど。


06/09/14
本岡 類「住宅展示場の魔女」(集英社文庫'04)

'81年に「歪んだ駒跡」により第20回オール讀物推理小説新人賞を受賞してデビューした本岡類氏。一連の棋士シリーズをはじめ、本格推理小説ファンにカルト的な人気を誇る氏の文庫オリジナル短編集。『小説すばる』誌に'96年から'01年にかけて発表された短編が集められている。

通信販売に嵌っているサラ金会社社員。仕事の関係とその性格から人から恨まれることの多い図太い彼のもとに送られてきたあるものとは? 『通販天国』
懸賞マニアの主婦が殺害された。捜査する刑事の妻が被害者と同じサークルに。懸賞への執念が事件を解決に導く。 『当日消印有効』
女子高内部での不審な事故死。そして生徒の自殺。女子高生イメクラで欲求不満を解消する気弱な教師が気付いた事実とは……? 『女子高教師の生活と意見』
初恋の女性との思い出が蘇り、若い頃に流行ったベルボトムに異常な執着をみせる刑事。しかしよりによって初恋の彼女が殺害されてしまった。 『束の間の、ベルボトム』
ゴールデンレトリバー。常に勝負強く実力以上の組織に潜り込んできた男が転落。人生に残ったのは一匹の役に立たない犬だった。 『メリーに首ったけ』
厚底ブーツの女性ばかりを狙った謎の連続傷害事件が発生中。その管轄下で社会のダニのような男が他殺死体で発見された。 『気持はわかる』
女性に貢がせて優雅な暮らしをしていた喫茶店店主。その女性の横領が発覚しそうになったところで釣りにかこつけ彼女を殺害する計画を立てる。 『山女の復讐』
住宅展示場で家の購入を検討する振りをして粗品を稼ぐ貧乏女性。彼女がかつて振られた男と出会い、その幸福な生活を知るうちに悪意が燃え上がる……。 『住宅展示場の魔女』 以上八編。

依存症? フェチシズム? ”何か”の妄執に取り憑かれた人々の運命が皮肉なかたちで描かれる
ほとんどの作品において、何らかの依存症をもった人間が登場する。(そういったテーマで発表した作品を選んだのか、同誌に対してそのテーマで統一した作品を意図的に発表していたのかは不明だが)。通販や懸賞にのめりこむ人々というのは結構普遍的に存在しそうだけれど、それをミステリに持ち込む発想は珍しい。一種のアリバイトリックと懸賞への執念を絡めて仕上げた『当日消印有効』あたりは、その発想とトリックとが綺麗にまとまっている印象。また住宅展示場巡りという行為に、依存症というか嵌り込む要素があることは本書で初めて知った。
ミステリとしての構成だけでいうならば『束の間の、ベルボトム』が最もまとまっている。世代を超えて流行が復活するという現象をうまく作品に織り込んでいる。ただ、他の作品については偶然の要素やリドルストーリーのようにして終わらせているところがあり、アイデアとしては一定の水準だとは思うものの、あまり目新しさは感じなかった。
また、全体にどことなく枯れた筆致のせいなのか、物語に対する作者の視点位置のせいなのか、読んでいて若干だが”古びた印象”を覚えた。というのも現代社会を皮肉な視線で切り取ってはいるものの、流行や若者に対する視線自体にどこかジェネレーションギャップがあることが確信されるのだ(あくまで小生との、だが)。収録された作品の発表年代からいっても、実際の描写についても確かにそれなりに現代的。ただ、登場する特に若い世代の扱い方、彼らの考え方といったところに昭和時代の残滓のようなものが感じられる。特に『気持はわかる』あたりがその点に顕著で、その他の作品でも描写は現代なのに考え方が微妙に古風という印象が強い。

本岡氏のミステリ作品としては最新の作品集ということになるのだが、最近は非ミステリ作品を発表するなど作者はこの分野から外れる方向に向かっているようだ。そういった背景を加味して考えると、ミステリ風味を持った軽い読み物として楽しむべき作品なのかもしれない。


06/09/13
山之内正文「八月の熱い雨 便利屋〈ダブルフォロー〉奮戦記」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

『風の吹かない景色』で2001年に第23回小説推理新人賞を受賞、続いて受賞第一作として発表された「エンドコール メッセージ」が第55回日本推理作家協会賞の短編部門最終候補作に選ばれた。本書は『エンドコール メッセージ』に続き中編集だが、題名通り便利屋を営む主人公による連作となった。他に長編『青い繭の中でみる夢』がある。

アパートの一室を住居兼事務所にして、ひとりで便利屋を営む彼女いない歴二十五年の男・皆瀬泉水。彼のもとに珍しく直接依頼人がやって来た。彼女は麻倉亜季と名乗る大学二年生。彼女の六十七歳になる祖父がオートバイが原因で元気を無くしてしまったという。どうやらものすごく大切にしていたオートバイを手放してしまったらしいのだが……。 『吉次のR69』
〈ダブルフォロー〉が開設するホームページに飛び込んできた依頼メール。一切の素性を明かさない依頼者は「ボクと彼女の姿を遊園地で撮影してください」というものだった。先の事件で知り合った亜季を誘うと、表情に乏しい女性と軽薄そうなカップルがいたのだが……。 『ハロー@グッドバイ』
優雅なひとり暮らしの老女からの本を読んで欲しいという依頼。しかし彼女は、かつてごたごたと共に退職した牧原元市長婦人であった。さらに謎の少年たちがその家を気にしている様子で、無言電話もかかってくる。依頼人もあまり読書そのものが本心からの希望とは思えない。 『八月の熱い雨』
スーパーで買い物をしてきて欲しい。頼まれた買い物をしてきた泉水が配達に訪れた家は普通だったが中にゴミがため込まれており、だらしない格好の中年女性が品物を受け取った。家には小学生の娘がおり、何やら事情がありそうだった。更に泉水に夕食を家で作って欲しいという依頼が。 『片づけられない女』
退職したかつての恩師と将棋の勝負。その恩師が長らくハガキだけで対戦していた岩菅なる人物からの返信が来なくなったというのだ。しかもその人物からは何の前触れもなく高価な将棋盤が送られてきた。 『約束されたハガキの秘密』 以上五編。

爽やかにして心温まる(浪花節?)な謎と読後感。それ以上でもそれ以下でもないが、満足
確か『エンドコール メッセージ』にも便利屋テーマの作品があったよなあ、と思ったがどうやら主人公は別の模様。(但し、非常に似た設定の作品はあるので興味のある方は一読を)。なので皆瀬泉水は本書がオリジナル(だと思う)。私立探偵だと重すぎ、かといって様々な人々から相談を持ちかけられる一般人で自然な設定……となると便利屋というのは中間点で良いポジション。(そういえば『なんでも屋大蔵でございます』なんかもモロに便利屋ですね)。それを作者は、作者のやりたい物語の導入に向け、うまく活かしているといった印象だ。
便利屋としての依頼があって、その依頼にはどこか謎めいた部分があって、その謎について類推を進める主人公。謎は謎として機能しており、発端から結末に至るところに飛躍が必ずあるものの、全体にひねりが薄く物語の中途で想像される着地点へとおおよそのところは辿り着いてしまう。ただ、主人公の泉水や、その相棒として(恋人関係になっていかないのはどうなのか)活躍する活発な女子大生・亜季、そしてカツ丼屋を営む主人公の両親といった登場人物が善意と暖かさに満ちており、全体的な雰囲気が非常に明るいのがポイント。事件そのものについては、特に『ハロー@グッドバイ』を筆頭に、強烈ではないものの人間の悪意が満ちた作品がいくつかあるため、単に日常的な”良い話”の羅列ではない。だが、基本的に物語は登場人物の人情味がしみわたるようになっており、最終的には物語をハッピーエンドに必ず持ち込んでしまうところに作者の人柄の良さがにじみ出ている。 (作品そのものには無関係だし作者を知るわけではないのだが、何となくそう感じた)。また、かえってその結果、ミステリ云々よりも個々の物語の後味の良さが強く印象に残る結果となっている。

折角小説を読むのだから、わざわざ陰惨に過ぎる幕切れは必要ない――。そういった作者の物語に対する心情が滲みでているところがかえって吉。物語自体も読みやすく、テンポも良いため一旦手に取るとするすると一気に読めてしまう。もう少し「謎」の方にひねりがあれば個人的にはもっと評価できたかも。とはいえ、こういった緩やかなミステリとして創作されている以上、そのあたりに難を求める必要はないかな。


06/09/12
矢部 嵩「紗央里ちゃんの家」(角川書店'06)

第13回日本ホラー小説大賞長編賞受賞作品。本年のホラー小説大賞は隔年大賞受賞というジンクスをまたしても破ることができず、長編賞・短編賞のみ。選考委員・高橋克彦氏には「限りなく大賞に接近した長編賞」と言わしめている。矢部氏は1986年東京都生まれ。武蔵野大学在学中とのことで若い才能である。

僕たち一家は夏休みのうち数日間、父さんの妹の叔母さんの家に泊まりがけで遊びに行くことを毎年恒例の行事としていた。叔母さんの家には従姉妹の紗央里ちゃんがおり、中学二年生で僕より三つ年上、一人っ子。今年もまた夏休みがやって来て僕たち家族は叔母さんの家に行くことになった。だけど、僕の姉が高校受験で行かないことになり母親もまた姉の世話で家に残ることになって、僕と父さん二人きりで出かけることになったこと、そして最近、叔母の家に住んでいた僕とも仲良しだった祖母が亡くなったことから何となく居心地の悪さを感じていた。強い雨のなか、高速を降り、叔母さんの家に到着した。しかし、戸尾さんがインターホンを鳴らしてもなかなか誰も出てこない。ようやく叔母さんが扉を開けたかと思うと家の中から強烈な臭いが漂ってきた。しかも叔母さんは上半身が大量の血で汚れておりぐちゃぐちゃだった。叔母さんは「魚をさばいていたの」という。しかし晩ごはんに魚は出てこずカップ焼きそばを皆で食べた。紗央里ちゃんがいないことを僕がいうと一瞬家の中が凍り付き「家出をした」といわれる。そうして僕はお風呂あがりに洗濯機の下から誰かの指を見つける。

何かが噛み合わない感覚のまま、淡々と不協和音軋む日常系異常譚が綴られてゆく……
文章や表現が幼く拙いことを逆手に取ったような作品。小学生の視点で、叔母さんの家に起きている現在進行形の奇妙な出来事を描き出すのだが、その視点自体がまともだと思ったのも束の間、洗濯機の下から何ものかの切断された指を発見してからまともさを逸脱して突き進んでゆく。幼い感覚とアンモラルへの憧れみたいなものが混じり合い、更に常識を麻痺させたような視点が物語を単純な恐怖を超えた奇妙な方向へ突き進ませてゆく。 この吸引力がなんとも魅力的。更に、叔母さん一家が事情を抱えたマトモさ(当たり前に考えると祖母殺しをしてそれを何とか隠蔽しようとしているといった)を持っていればまた物語は違った方向にゆくのだろうが、その隠蔽の方向がむちゃくちゃで主人公の感覚が歪んでいるのみならず、舞台自体もまた歪んでいる。
個人的に本書最大の見せ場だと思うのは、立ち位置が不明確であった主人公の父親が帰りの車のなかで咆吼というか慟哭というか、独白する場面。この結果、不条理に振り切れそうだった物語が若干揺れ戻されるのだ。(それが異常値であるという点は変わらないのだが)。最後の最後まで理に落ちず、更には幻想に振り切れず、とにかく良くも悪くも不気味な曖昧さがあって、それが魅力に感じられるという作品だ。
この発想と展開は確かに受賞するに値するが、いろいろな文体を書き分けるなかでこの表現を選んだというよりも、この一人称表現を最大限に効果的に利用したことで作品が出来上がったようにも見え、そのあたりが大賞受賞を逃した理由の一つではないかと思える。作者が次作以降でどんな作品を、というよりもどんな文体を打ち出してくるかというあたりに興味が湧く。あと、一人称の変てこりん小説という意味ではあせごのまん『余は如何にして服部ヒロシになりしか』とも共通している。こういった不条理な感覚を伴った一人称小説が現在の選考委員には好まれるのかもしれない。(日本ホラー小説大賞の傾向と対策)。

日常系ホラーのなかでも、また特殊なジャンル。ただ奇妙な人々の奇妙な感覚に、一般に生きる普通の読者が引き込まれてゆくという異様な吸引力が魅力。いわゆる理に落ちる恐怖ではないため、幻想文学系がお好みの方の方が嵌るかな。


06/09/11
三津田信三「凶鳥(まがどり)の如き忌むもの」(講談社ノベルス'06)

題名からも類推可能なように、先に原書房から刊行されている『厭魅の如き憑くもの』の続編にあたる長編書き下ろし作品。怪異譚を収拾する怪奇小説家・刀城言耶を軸とするシリーズ二作目。(前作を読んだ時はすぐに続編が出るとは思わなかったのだが……。嬉しい誤算)。

怪異譚を求めて日本全国を飛び回る作家・刀城言耶は瀬戸内海の兜離(とり)の浦の沖合に浮かぶ鳥坏(とりつき)島にて十八年ぶりに行われる儀式への参加を許され、島に渡った。現在は無人のこの島で行われるのが祀神を大鳥様とする鵺敷神社の巫女・朱音。島の断崖絶壁を利用して建てられた拝殿内部で行われる”鳥人の儀”。その十八年前に行われたその”鳥人の儀”では、巫女・朱名と六歳になる朱音軍に繋がる民俗学研究所の六人が島に渡り儀式が行われたのだが、生還したのは朱音だけで残りの人員は消息を絶ってしまっていた。錯乱した朱音曰く「鳥女(とりめ)が出た……」。そして今年、刀城言耶や女学生、そして村の有力者の二代目といった若い面々が見守るなか”鳥人の儀”が行われた。事前に拝殿内部は厳重に脱出口などがないかチェックされ、更には入り口に見張りがいたにも関わらず、巫女・朱音は完全に拝殿内部から消失してしまった。更には、訪れていた人々に対しても”鳥女”の魔の手が迫り、一人また一人とその行方が判らなくなっていく……。

徹底、そして過剰なまでに彩られた背景が魅力。民俗ホラーと本格ミステリのハイブリッドが興奮を呼ぶ
「密室状態からの人の消失」とだけ書くと、並み居る本格ミステリファンでなくとも「はあ?」となるくらいこれまでミステリの世界においては書き尽くされてきたテーマだと思う。同様に帯にある「空前絶後の”人間消失”にミステリー界騒然!!」という言葉もどこか適切でないというか本書の魅力の本質を伝えていないように思う。確かに人間は消えるが、それよりも過剰なまでに執拗に構築された(オリジナルであるのにそう思えないような)民俗・土俗の原始宗教に支配された世界観が素晴らしい。 横溝正史作品で背景に使用されるような昭和初期〜中期にあったと思われる土俗信仰を、平成の作品として新たに力業で築き上げてしまうのだ。信仰や宗教、それにまつわる怪談めいた出来事に対する作者の書き込みがまた執拗。前作『厭魅の如き憑くもの』でも顕著にみられたこの手法、その宗教観ならではの宙吊りにされるかのような恐怖感を醸すのに絶大な効果があり、個人的に非常に好みである。(但しその結果、非常に過剰で執拗に世界に対する記述が続くため、本書につきあえる根性のある読者しかついてゆけなくなる可能性はあるが……)。
修飾部分にあたるところに謎も数多く配置されている一方で、本筋にあたる謎は確かにシンプル。巫女が拝殿から不可能状況下で消えた。ただ、そのことについて議論しているうちに同行していた人間が次々と姿を消してゆき、恐怖感が高まっていくところがポイントだろう。この儀式の秘密が暴露された際に、同時に数多くの謎が真実の姿をさらけ出す。それまで単なる描写としか見えなかったポイントですら、実は伏線であったことが明らかになっていく。本書のラストに抱く読後感は、やはり良質の本格ミステリにて感じるものと同等だ。(その意味では『厭魅』の時に感じた後に引くような恐怖感は本書ではやや薄い)。とはいえ、土俗・民俗ホラーと本格ミステリとの両方に跨り、かつそのハイブリッドとしてきっちりと丁寧に仕上げられた本作、良作だと断言して差し支えあるまい。

まさか原書房で刊行された続編が同じ年に講談社ノベルスで刊行されると思わず、さらに三津田信三+講談社ノベルス=作家・三津田信三シリーズという思い込みがあって、若干手に取るのが遅れたが読む価値は十二分にあった。(題名の共通点で気付けよ、俺) プロローグにある『九つ岩石塔殺人事件』、これもまたどういうかたちでも良いので発表されると嬉しいな。(恐らくこのシリーズはもの凄く発表にパワーと労力がいるのではないかと推察されるのだけれど、それでも)。