MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/09/30
津原泰水「ブラバン」(バジリコ'06)

あまり聞いたことのない出版社ながら、特に入手しづらいということもなく普通に書店で売っている。様々な方面に著作を拡げてゆく津原泰水氏の自伝的(違うのかもしれない)青春群像小説。

現在、四十路を迎えてあまり客の入らないバーを経営する他片等(たひら・ひとし)。彼は高校時代、吹奏楽部、すなわちブラスバンド部に所属していた過去がある。その高校時代の先輩女性・桜井さんが近々結婚するのだという。その披露宴でかつてのブラバン仲間による演奏が聞きたいと桜井さんがいい、彼女を中心に1979年から81年に入学し、吹奏楽部に所属していた元部員たちに声が掛けられ、三十年ぶりの演奏機会が訪れることになる。思えば他片にとっても、高校時代は思い出深いものがある。ただその一方、高校卒業後も演奏を続ける人間はごく僅か。定期的に飲みに来てくれている友人たちの僅かな伝手を辿る。そんな一人で僕を吹奏楽部に引き入れた張本人で、先輩二人に二股をかけていた過去を持つ、現在はナイトクラブの雇われマダムである皆元優香が交通事故で死亡した。僕は高校入学後、もともと軽音に入るつもりでいたのだが、その皆元に奇妙なかたちで誘われたこと、自分のやりたいことがブラスバンドでも可能なこと、そして昔から知る友人たちが様々な理由で吹奏楽部に入部することが決まったことなどから、自らもこの部に足を突っ込むことになる。

軽妙だけれども軽薄でなく、真剣だけれども深刻ではない。絶妙なバランスの青春ストーリー
とりあえず先に言っておく。青春小説の傑作。 特に時系列の使い方の巧さは絶品で、高校時代の様々な記憶/想い出の回顧と、四十を超えて高校時代からは変化と普遍とを経験して様々な人生を経て中年になった自分たちとの対比や、それぞれのエピソードの挿入など絶妙に過ぎる。何がスゴイってものすごく配慮が行き届いた工夫された構成となっているのに、そう読者に全く負担を強いない構成の妙味があるってこと。ついでに会話文に普通に使われている広島弁が物語のテンションを引き締めている。地方の高校生はその地方の方言を普通に喋るのだ。当たり前なのだが、この計算された泥臭さもまた凄いなあと思う次第。
年を取ってきて中年に差し掛かった時に、高校時代の想い出をさあ綴ってみろ、といわれても綺麗な時系列でなんて思い出せない。やはり友人の顔を見て、もしくはふとした会話をきっかけにぽろぽろと不連続なイメージが想起されるだけだ。ただ、一つの事柄を思い出すと芋蔓式にいろいろなことを思い出すのもこの時期の記憶の特徴で、そんな記憶の自然な流れが小説のなかでみごとに表現されているのだ。高校時代に薔薇色の人生を送ったなんて人間は、実際ごくごく稀なわけで、ほとんどの人物は若さ故の痛さや失敗を繰り返している。そんな普通で平凡であるはずの人生の起伏を緩やかに綴っていながら、深いところから湧き出てくる彼らへの共感が堪らなく熱い。
幾つかのエピソードについては、ミステリ……というほどでもないけれど、読者に対しては伏せられた事実があって、それらの明かし方も巧い。当然、現在の”僕”は全てを承知していても、それを効果的にエピソードに絡めて発現させてゆく展開もお見事。合奏という行為、音楽の楽しさ。単に青春という時代だけでなく、吹奏楽部ならでは連帯が感じられるのエピソードがまた読者を巧みに本筋に引き込んでゆく。いや、うまいなあ。

ドラマ化ないし映画化とかされても良いような作品なのだが、その一方で”普通に”ドラマ化/映画化されてしまうとこの作品の持つ特有の良さが殺されてしまうようにも思う。文章という手段によって伝えられ、読書という形式で読むことで拡がる奥行きが確実に存在する。 今、中年となっている大人に男女問わず読んでみて頂きたい作品である。


06/09/29
田中啓文「十兵衛錆刃剣 SHADOWS in the SHADOW  〜陰に棲む影たち〜」(集英社スーパーダッシュ文庫'95)

『落下する緑』所収の「落下する緑」が鮎川哲也の『本格推理』に入選したのが田中啓文氏のデビューになるのだが、その後『水霊 ミズチ』にて一般向け作品を刊行するまでは、'93年『凶の剣士』で第二回ファンタジーロマン大賞に入賞したことをきっかけにライトノベル系列の作品を十冊近く刊行している。本書はそのなかのシリーズの一つで三冊刊行された十兵衛錆刃剣の一冊目にあたる。

江戸時代、徳川家光の治世。誰よりも強くなりたいという志を奸計を持つ父親に歪められた柳生十兵衛は、妖術をもって右眼に蜘蛛を飼い、数瞬先の動きを見通す「千手眼」の技を手に入れた。国家のためと言い含められ、更に右眼の蜘蛛の血を吸う欲求に合わせ、父・柳生宗矩の指示通りに数十人もの人々を次々と暗殺してきた十兵衛。次なる標的は老境にあるとはいえ、天下の剣豪・小野忠明であった。彼を倒したものの、忠明の残した言葉と自らの境遇に疑問を抱いた十兵衛は懊悩する。そんななか十兵衛は江戸城の天守閣に巨大な化け物・ぬえの姿を認め、それを苦闘の末に倒す。傷付いた彼を助け起こしたのは慈眼と名乗る僧侶。その化け物が、先代の秀忠を呪い殺し、そして家光をもまた苦しめていた化け物だと明かした。その慈眼に境遇を相談した十兵衛は人を活かす剣を目指すことを決め、自らが操る名刀・三池典太光世を庭石にこすりつけ、池に投げ込み錆びさせようとした。一方、病の癒えた家光。家光は小姓として十兵衛の弟の友矩を溺愛していたが、このたびの化け物を倒した十兵衛を城に呼び寄せ、上野国の小藩・友具久藩に潜入するよう指示を出す。そこに出していた隠密五人が誰も戻らないのだという。果たしてこの小藩で何が起きているのか。十兵衛は旅支度を調えて出発する。

目まぐるしくもスピード感ある展開にあまりに多数の登場人物と伏線。後半展開急も田中小説の宿命か
いやいやスゴイ。リーダビリティというか吸引力に溢れた作品である。一応、江戸時代が舞台となっているが時代小説的な背景は一切無用。そう歴史から外れないように書いていると意識はされていそうだが、基本的には時代伝奇小説である。ストーリーはシンプル。暗殺者としての宿命を脱ぎ捨てた主人公が、将軍の命を得て友具久藩に潜入する、だけ。少なくとも本書では友具久藩に潜入はするものの、まだ何にもその謎は解かれていない。たったそれだけの道行きなのだ。なのに、この登場人物の多さは一体なんなのだ。
主人公の十兵衛はもちろん初登場! ということになるのだが、それ以外にも出るわ出るわ。十兵衛の身内には、彼を地獄に突き落とした親の宗矩、さらには家光の愛妾として側に使える友矩、十兵衛を慕う妹にして女剣士・楓。将軍家光はもちろん、老中酒井忠勝。十兵衛をサポートする僧侶の慈眼、十兵衛の旅立ちの結果出会う抜け忍くの一・傀儡のおふう、更に十兵衛の師匠格の”猿”の爺。幼馴染みで友具久藩に済む甘木香三郎。小野忠明の娘で十兵衛を仇と付け狙う美貌の女性・如月、謎の人物・蒼木蒼七郎。妖術を使う術者として、狼を操る犬神獣兵衛、蛙を操る自来也、仏像を操り淫法の使い手・弥陀羅丸と弥陀玲の兄妹、蛇使いの水霊の巫女……。ひいふうみい、十七、十八人? いわゆるライトノベルの分量でこれはさすがに……と思うのだが、恐らくはもっと遙かにボリュームのある文章量だったところをせっせせっせと削った結果出来上がった(という田中啓文氏ならではの創作方法によって)ものと思われる。 さすがに中盤までは普通に読ませるが後半のエピソードがかなり駆け足になってしまうのは勿体ない。ただ、結末まで至ったエピソードも幾つかしかないため、二巻目以降に続いてゆくのだろう。

いわゆるヤングアダルト、ないしライトノベル系列の時代伝奇小説でしかないが、後に発表される一般読者向けの伝奇系作品に連なる面白みがある。(一方で駄洒落も地口もない) たまたま古書店で一冊だけ購入できたので読んだが想像以上に内容が詰まっており感心。二作目以降も機会があれば読んでみたい。


06/09/28
山口雅也「ステーションの奥の奥」(講談社ミステリー・ランド'06)

先日惜しまれつつも亡くなられた講談社文三の名物編集者・宇山日出臣氏が最後に立ち上げた企画がこの「ミステリー・ランド」。完結を待たずに氏は逝ってしまわれたが予定作品はまだ幾つか残っている。きっちりと完結まで続けて欲しい。本書は第11回配本分で、この回はこの山口作品のみ。(ビニールカバーが本体についた代わりに定価2,500円というのはちと痛かったけれど)。

小学校六年生・神野陽太は「自分の将来」という題名の作文で「吸血鬼になりたい」と大真面目に書いた。最近不穏な事件が起きている時節柄、そのことが学校で問題になり、担任は陽太に専門家のカウンセリングを受けることを母親に勧めた。子供に対して無関心な父親に代わり、その弟で同居人の夜之介叔父さんが陽太に付き添うことになる。そもそも陽太が吸血鬼に興味を持つようになったのも、このオタクでインドア型の夜之介叔父さんの影響。ただ、夜之介叔父さんの外観は鬱陶しい長髪に蒼白い不健康な肌、そしてぼてっと肥った体型と決して褒められたものではない。夜之介と共に、伴平久なる人物のカウンセリングを受けた陽太は、いろいろと突っ込まれながらも得意の演技でさらりとかわすことに成功した。一方、夏休み突入後の一週間後から、中学校受験のための栄進ゼミに入ることが決まった陽太。その一週間のあいだに夏休みの自由研究をすることになる。テーマは最近、全面的な改装が予定されている東京駅。その東京駅について徹底的に調べてみようということになった。夜之介叔父さんと共に東京ステーションホテルに宿泊。しかし、東京駅では新任の駅長が首を切られた死体となっているのを普段は人が侵入しない旧自由通路の霊安室で発見、さらに夜之介の部屋ではカウンセラーの伴平が殺され、夜之介の姿が消えてしまうという密室殺人事件が発生。陽太は旧友の探偵志望の女の子・真行寺留美花と共に捜査を開始する。

定番のジュヴナイル冒険ミステリを逆手に取った? 逆転の発想が空想をかき立てる
本書そのもののネタバレは反転としておりますが、それ以前にある程度内容が予見されるようなことを書くので内容に予見を持たれたくない方は以下を読まない方が吉かと。



江戸川乱歩の少年探偵団を源流とする、推理と冒険が合わさったジュヴナイル冒険ミステリ(少年向け探偵小説というか普通)の定番というか、常道として存在するのが「怪奇現象」「超常現象」「怪人物」といった、一般的常識ではあり得ない現象や人物。その存在が物語の冒頭から中盤にかけて主人公たちや世間の人々を恐怖に陥れるのが典型パターンである。名探偵やヒーローがその存在の欺瞞を暴き、化けの皮を剥いで現実の犯罪者や説明できる現象に還元していって、事件そのものも一件落着する。
本書は、丁度そのジュヴナイルの典型を逆パターンに辿っていく。 夜の闇がかつてほど濃くなく、奇妙に大人びて夢のない世の中においては、この逆パターンがかえって新鮮にみえる。即ち、あくまで現実的な視点から物語が進められていくにも関わらず、中盤以降が怪奇現象に彩られてゆくのだ。現実的には「密室殺人」だった筈の現場は「怪人同士の戦いの痕」となり、「猟奇的な切断死体」は「化け物退治をした人物による攻撃の痕と、その痕跡を再び隠すための行為」ということになるのだ。秩序を乱す事件は、その秩序を整えるかたちではなく、秩序を変化させることによって整合性を持たせるという大胆なワザによって物語が構成されている。現代の子供があまり持たない赤い夢というか、夜の闇というか、そういった子供ならではの空想ができる余地が最近少ない世相を反映して、そこにあえて空想を与えこむようで、この試みは興味深く面白く感じた。かつてから脈々と繋がるジュヴナイル定型からの逆転の発想。そしてこの発想がむしろ現代的であるという事実。

東京駅という魅力的な舞台(本編にもあるが、明智小五郎と怪人二十面相が初めて邂逅したもの東京ステーションホテルだ。芦辺拓『探偵と怪人のいるホテル』にそのことに触れたエッセイがある)を利用して、不可解な死体や密室殺人を描く。普通の本格ミステリとして捉えるだけの読み方だと、こういうオチかと脱力する可能性もあるが、やはりここは物語全体の構想の周到さにまで思いを馳せながら夜の闇を楽しみたいところだ。


06/09/27
島田荘司「最後の一球」(原書房'06)

2006年、6月刊行の『帝都衛星軌道』からはじまり、六ヶ月にわたり三つの出版社を巻き込んで行われた「月刊・島田荘司」のラストを飾る長編作品。舞台は1993年で『ロシア幽霊軍艦事件』が起きた直後、そんな時期の御手洗と石岡が登場する。(主人公とは微妙に言い難い)。

北欧に行きたいとしきりに言葉を発する御手洗と英語が苦手で腹痛すら引き起こしてしまう石岡。馬車道で暮らす彼らのもとに一人の青年が訪れた。山梨県の秋山村というところで美容室で働いているという彼・廿楽泰は、母親が遺言状を残して自殺未遂したことを気に掛けていた。田舎ならではの奇妙な風習が母親を追い込んでいると考えた泰は切符まで用意して御手洗の出馬を促そうとする。しかし、御手洗はいつになく弱気な一面を見せた。しかし結局・秋山村に出向いた御手洗は泰の母親に会い、幾つかの会話をもとに彼女が悩んでいる真の理由を見事に当てた。彼女の自殺未遂の理由は、日本の法曹界が壁となって聳える事件と関係したもので、御手洗自身、それを打破する公算を持っていなかった。だが、その奇跡が起きた。その奇跡の裏側には、母子家庭で苦労しながらプロ野球を目指して野球を続け、紆余曲折の末にその夢をぎりぎりで叶えた男の友情物語があった……。

青春と友情という多少クサいテーマであっても、島田荘司のスパイスによって感動の作品になるという話
御手洗と石岡が出会った奇妙な事件によるプロローグ部分が少し長いが、本来の物語の主題は、あくまである野球少年の来し方、そして彼の”野球で食べてゆく”という決心から、さらにノンプロ→プロ野球という流れの方。ここに野球というスポーツを通じた宿命のライバルにして親友というテーマを感動の青春譚として込めてしまうのだ。ストレートといえばストレートすぎるやり方に逆に驚きを覚える。島田荘司=プロ野球というのはどうも繋がるような印象がないのだが、これまでも野球ネタは時々エピソードとして登場していたことを考えると有り得る組合せか。(さらに突っ込んで考えると今から昭和から平成に至る時期を語り出すのに、プロ野球がまだぎりぎり夢を残していた時代を重ね合わせて青春譚としたところに深い計算があるのでは……とも思う)。
さらに御手洗潔の天才性がこれまで以上に強調されているプロローグ。 飛び込んできた息子の言葉の端端からあっという間に真相を読みとってしまうが、その気配のみで真相をなかなか語らない名探偵。。このあたりはホームズ譚の冒頭、依頼者をひと目みただけでその素性を言い当ててしまうエピソードとどこか近い気がする。ただ、スゴイのはそこで一気に読者を物語に引きずり込んでしまうテクニックだ。今さら島田作品にテクニックというのもなんだが、事実なのだから仕方ない。
そのプロローグを先に読者の頭のなかに入れておくという巧みなメタ構造がやはり島田荘司の凄さ。特に青春ミステリを標榜しつつも、悪徳金融業者の所業と日本の裁判所制度の欠陥と不備を社会派的にさりげなく隠し味としてしっかりと描く。その結果、誰もが望む解決に繋がる実に不可解な現象(即ち、不審火)を「不可能」から「奇跡的な成功」に反転させて置き換えてしまう物語構造には溜め息が出る。 うまいよなあ。
あと本編の主人公の野球少年が、苦労しながらプロ野球入りし更に苦労を重ねるといった過程がリアル。特に天才的コントロールを持ちながら、球威と変化球のヴァリエーションに苦しむ主人公の姿は、(個人的にはもう何十年も観戦しているので詳しい方だと思う)プロ野球という世界の厳しさを改めて浮き彫りにしている。これはプロ野球に限らず、”一流”を目指す者の苦労話としてどの世界にも共通するテーマだともいえるだろう。

御手洗の登場するプロローグとエピローグだけでミステリとするならばあまりにもアンフェアな結末ということになる。そのアンフェアさを逆手にとって、中心となる物語を活かすというテクニックが素晴らしい。物語構成の妙味をじっくりと味わえる一編。月刊島田荘司の掉尾を飾るに相応しい作品でした。


06/09/26
梶 龍雄「奥信濃鬼女伝説殺人事件」(講談社ノベルス'89)

この時期、梶龍雄氏は「地名入り名詞」+「惨劇」のシリーズを三冊講談社ノベルスから刊行していたが、心機一転(?)末尾に「殺人事件」がつく作品を刊行している。探偵役も本書オリジナルであり、他の作品には(たぶん)登場しない。ノベルス書き下ろし作品。

某総合大学の四年生。ちょっとひねくれた性格のせいで”ヒネ子”なる渾名を持つ新里可奈子は、どうせやるなら人のやらないアルバイトをしようと、広告が眼についた”カダ・デティクティブ・エージェンシー”なる探偵事務所の人材募集を受けてみることにした。ヒネくれた受け答えが何故か所長の探偵・加田の目に留まり探偵助手のアルバイトとして採用されてしまう。探偵事務所は一等地南青山の最新現代ビルのなかにオフィスを備え、秘書とコンピューター技師が雇われている。可奈子が勤めだして二週間ほど経過後、加田は可奈子を誘って秘境奥信濃・秋山郷にあるプチホテルに出張に行くのでついて来て欲しいと頼む。かつて大手探偵事務所に加田がいた頃からの上客の松代冴子が経営するプチホテルに出向くのだという。現地は交通の便が悪く、鬼女の伝説がある僻地。そこに流行らないホテルを建築して経営する冴子。彼女には大手建設会社社長だった父親から遺産が転がり込んでおり、お金に余裕があった。しかしさらに一週間後、鬼女を見たという冴子からの電話に即座に反応した加田探偵は、可奈子と共に車を駆って秋山郷に急行。二人は何者かに絞殺された冴子の死体と、その愛犬の無惨な姿を発見する。さらに冴子の妹・澄子の行方が立て続けに不明となり、彼女は六本木の自宅で死体となって発見される。現場に残される紅葉の葉。そして多数の利害関係者がいるなか真犯人は果たして?

トリックには意外性が少ないが背景というか伏線を全く伏線と気付かず、後で強烈な驚きにさらされた
序盤から多数の人物紹介が入ったり、登場人物が浮世離れしていたりとちょっと冒頭のリーダビリティには難がある。(まあ、語り手が過剰気味に語りを入れてしまう女子大生だからということも遠因)。とはいえ、大都会のスタイリッシュな新設探偵事務所、更には金のかかった服装を颯爽と着こなすスマートな探偵に採用を告げられ、うきうきとアルバイト生活をエンジョイする女助手による物語は、多少の違和感を残しつつもするすると進んでゆく。さらに奇妙なかたちでの殺人事件の発生。このあたりから作者の本領が発揮され、秋山郷と六本木と離れた地点での殺人事件に鬼女が絡む展開に、本格ミステリらしいこだわりが多数見受けられる。特におどろおどろしさが現実感よりも先にたつ描写において、筆が滑ったようにみえる何気ない描写が、あとあと伏線として効いてくる点が何よりも素晴らしい。こういったさりげなくないのだけれどとらえ所のない伏線、というのは梶龍雄の本格ミステリの特徴でもある。
本書においても、いわゆる根っこにあるメイントリック自体は、取り上げてしまうと本格探偵小説の系譜からいっても決して特異なものではない。題名を挙げれば、誰もが思いつくような幾つかの前例があるタイプのものである。ただ、個人的に感心したのはそのメイントリックそのものではなく、むしろノリの軽い、軽薄な本格ミステリに対する思い込みを逆手にとったかのような伏線の方だ。詳しく書くとネタバレになるので控えるが、颯爽としているという形容詞ですら、結局のところはトリックに奉仕させてしまう念の入り方には恐れ入るほかない。
女子大生が使っていたか定かではない、謎のギャル語の群れ。オゾケる、ホワイト・キック、スタシャン、ポテトチック、チャー……。考えてみれば、この作品の刊行時期に近いところを小生はリアル学生として知る世代ではあるのだけれど「当時の現役大学生ですら聞いたこともない単語がいっぱい」あって、それが実に楽しい。(人によってはイタい、ないし寒いかもしれない)。だけど、梶龍雄を幾つか読み込むとこの謎の女子大生言葉はニヤニヤしながら笑うところになっているはずだ。梶センセ、スゴイです。この言語センス。

とはいえその言語センスを駆使する語り手という存在ですら、梶龍雄の本格ミステリにおいては雰囲気を出すための”装飾”以前に、実は周到な伏線となっている点は素晴らしい。愚直なまでに物語をトリックに奉仕させているというのに、読んでいて全くそう思わせない。このあたりが梶龍雄作品の魅力を端的に示したものだと思う。


06/09/25
柄刀 一「時を巡る肖像 絵画修復士御倉瞬介の推理」(実業之日本社'06)

意外と(?)多くのシリーズ探偵を擁する柄刀氏によって創造された新しい探偵・御倉瞬介。彼が活躍する六つのエピソードをまとめた連作短編集。『月刊J−novel』誌に'04年10月号から'06年3月号にかけて掲載された作品に、書き下ろしの表題作品が加えられ単行本化されている。

素晴らしい「眼」を備えた天才画家・冷泉朋明。その自宅で美術評論家が殺害された。冷泉も現場に倒れていたが、御倉瞬介はその直前、冷泉の行動を目撃していた。 『ピカソの空白』
建築デザイナー・志野正春の妻・香蓉子の肖像画を描く画家として古関誠を瞬介が紹介した。古関は対象を徹底的に知ることで画を描く。そんな折、香蓉子が大切にしていた壺が何かの拍子で壊れる事件が発生した。 『『金蓉』の前の二人』
高名な油彩画家の中津川顕也。その妻で資産家の娘だった琴美は一人娘の雅子を設けた後に離婚。隠遁生活の末に行方がわからなくなる。琴美の一族の者が顕也を糾弾、その弾みで顕也は死亡。だがその間際に絵を指さし、何かを示そうとしていた。『遺影、『デルフトの眺望』』
瞬介の目前、美術界の大家・藤崎高玄が毒を飲んで死亡した。その毒の入った瓶を手渡した、妻で画家のナツが疑われるが、瞬介はもっと深い仕掛けが隠されていることを看破する。 『モネの赤い睡蓮』
風水に詳しい売れっ子建築コンサルタント・戸梶祐太朗は、同業の偉大な父の二代目として無難に仕事をしていた。祐太朗と、彼の番頭格の野木山が事務所内で突然降ってきたガラスで怪我をする。さらに野木山は謎の交通事故に遭って死亡。しかし現場には不審な点が多かった。 『デューラーの瞳』
本来、絵画の修復が仕事の瞬介だったが、その依頼に関してはその逆、新しい絵に古色を付ける作業をしていた。贋作などではなく、その絵と、その絵を描いた画家に哀しい秘密があったからだ。 『時を巡る肖像』 以上六編。

絵画修復士が巡り会う不可解な事件……の裏側に名画を巡る画家たちの想いが深く秘められていて
本格系+美術ミステリ、という意味では北森鴻という先駆者がおり、他にも美術の世界の裏側を巧みにミステリに取り入れる作家としては黒川博行なども挙げられよう。本書は、そういった「名画」と「絵画修復」といった世界がテーマになっており、修復のみならずその元となる名画が生まれた背景などの「創作」という部分に重きを置いている。その分、先述のお二方とはまた違ったアプローチの美術ミステリとなっている。特に「絵画」について、その名画を描いた画家たちの想いや心情、その「絵画」からもたらされる印象といったところが個々の短編において重要なモチーフとなっており、それそれの名画の事情に現代に発生する事件との絡みがもたらされている点は本作品集の特徴といって良いだろう。
とはいっても謎解きに関しては、むしろ柄刀氏がこれまで発表してきた直球ど真ん中本格、かつ最新の物理や化学や医学の理論をトリックに活かした「21世紀本格」の両者を巧みに混淆させたもの。これらが「絵画」「画家」という小道具と結びつき、これまでに存在する美術ミステリとの系譜とはまた異なる、オリジナリティ高い柄刀美術ミステリとして成り立っているといった印象を受けた。『モネの赤い睡蓮』における、画家にとっての眼の問題。『デューラーの瞳』における奇想。心理を応用した悪魔的なトリックがこちらは心に残る。また、『時を巡る肖像』における、病気が理由ながら何とも美しく、かつもの悲しい雰囲気を創り出す手腕などには素直に感心させられた。
一方で、ピカソはどういった心情であのような数々の作品をモノにしたのか。晩年のモネはなぜ睡蓮ばかりを描いたのか――といった、美術界の謎(なのか、定説なのかは小生浅学にして不明)が、さりげなくエッセンスとして物語に込められている。こちらもまた美術ド素人の小生にとっては印象に残る内容でもあった。

個々の短編を取り出せば、やはり柄刀流の本格ミステリだといえる一方、本書のように連作短編集でまとまるとまた”美術ミステリ”に相応しいような風格を備えている。 あと、作者には失礼ながら長編よりも文章のキレが良く、その意味でも初期作品に比べると作品がずいぶん読みやすくなってきているように思う。主題と謎解きとのバランスが非常に良い作品集である。


06/09/24
辻 真先「TVアニメ殺人事件」(ソノラマ文庫'80)

辻真先を代表する探偵の一人(というか一組)ポテト&スーパーこと、牧薩次&可能キリコを探偵役とするシリーズの六冊目にあたる作品。この段階では二人は大学生と浪人生。

社会勉強(?)のため、そして資本主義社会のため(つまりはお金のため)予備校生活を続けながら、にスナック「美枝」でアルバイトを開始したキリコ。牧薩次の気を引くために、開店前の店に彼を呼んだが、何となくはぐらかされてしまう。そこへ現れたのが、店の常連の新進アニメーター・江並準。まだ有名とはいえないが来年には売り出す企画があるという。キリコはその江並からデートに誘われたが、保険のため(そして見せつけようと)薩次をそのお供に連れ出すことにした。銀座で待ち合わせをしていた二人(ホントはキリコ一人)だったが、どれだけ待っても江並は現れない。その江並は電光掲示板で事件速報に名前を記していた。土曜日の早朝、埋め立て地の一角で玩具メーカーのCM撮影をしていたところに、性別不明のメイクをして銀色のコートにブーツ、更には派手な花柄の服を着た男がオートバイで百キロを越すスピードで突っ込み、そのまま壁に激突して死亡したという。それが江並だった。多数の目撃者の証言を待つまでもなく、状況は完全に自殺だと思われた。ただデートの約束をしていたキリコは収まらない。彼の死は偽装自殺であると宣言し、一人探偵活動を開始した。江並は数々の女性と浮き名を流してきたが、その背後にはアニメ業界の暗部が……。

殺人事件の真相よりも、二十年後のアニメ業界を先取りしたかのような設定とに驚き
手塚治虫をはじめとする国産アニメ黎明期から現在に至る歴史のなかでどの時代で区切れば良いのかわからないが、アニメという存在が完全に子供向け、しかもお子様向けの子供だましとしか思われなかった時期が長いことあった。(結局初代のガンダムあたりが転機なのか)。そんな時期だからこそ成立したミステリであり、アニメ業界に長く居る辻真先ならではの、ある意味社会性すら包含した作品である。
メインとなる、最も本書で派手な事件、即ちオートバイが突っ込む(偽装)自殺、更にはサブとなるある人物が自分で胸を突いて死亡する事件、それぞれについてはいってしまえばトリックがあるのだが蓋然性と説得性に乏しく(ひとことでいえばかなり無理がある)、残念ながらあまり評価できるものではない。ただ、そのアニメ業界周辺を取り囲む環境と、事件に至るまでの設定の方にむしろ妙味がある作品だ。(この時期の辻作品の特長であるメタ的趣向も取り入れてあるのだが、それはミステリとしては寄与していない)。決して世間的にまだ認められていないアニメ業界に対する一部の若者の熱気と熱意、その裏腹に現場には経済的に見返りがなく、内部的にはどろどろした利権が渦巻く業界事情といったところがリアルに描かれる。このあたりの状況は現在では日本アニメが一定の評価を得、さらに業界事情なども世間的に知られるようになった現在だとそう違和感はないはず。だが発表当時の状況を考えると、かなり突っ込んだ業界内面小説としても機能したのではないだろうか。 また、そういった業界内部の状況などを巧みに組み込み、トリック以上に犯人を隠す手腕は巧みだし、意外な真相を持ち込んでくるサービス精神は健在。ただ、犯人や真相は、あくまでトリックから導かれるというよりも、登場人物の関係や行動を踏まえての推理になってしまうところが本書を本格らしく無くしている印象だ。いやまあ、必ず本格でなければならない訳ではないんですけれど。だけどこれまでのシリーズの延長上、どうしてもそういう期待感を持ってしまうし。

とはいえ、そういった冷静な分析以上に大人になって互いに惹かれ合いながらも揺れ動くポテトとスーパー(ここだけ渾名で敢えて書いたり)の不器用にすぎる恋愛感情などが良いスパイスになっており、特にシリーズで読んでいる読者にとっては物語として素直に楽しめる内容だといえるだろう。ただ――、やはり微妙な時代性がゆえに今となっては復刊しづらい作品ではあるかもしれない。


06/09/23
都筑道夫「泡姫シルビアの華麗な推理」(新潮文庫'86)

'84年の単行本発表時の題名は『トルコ嬢シルビアの華麗な推理』。トルコ嬢という呼称がちょうど社会現象として問題視された時期でもあり、文庫化に際して本題名に改題された。続編があり、そちらは『泡姫シルビアの探偵あそび』という題名で刊行後、これまた文庫化の際に『ベッド・デティクティブ』という題名に改題されている。まあ、いうならば無難な方へ無難な方へといっているわけで。つまらん話だ。

吉原のソープランド〈仮面舞踏会〉に勤めるシルビア。彼女が得意なのはお仕事、そして客や同僚が持ち込む事件を解決すること。今日は常連客の一人が嫉妬深い女房がシルビアの名刺に無反応だったことを訝り、落ち込んでいる。しかしシルビアはそこから危険な事件の萌芽を感じ取ってアドバイスをする。 『仮面をぬぐシルビア』
吉原の他のお店で客が喉を切り裂かれて死ぬという事件が発生。しかし現場からの出口は監視されており、犯人は密室から消え失せてしまったことになる。 『密室をひらくシルビア』
浮気をしているうちに妻を何者かに殺されてしまった男。傷心の男はシルビアに会い、妻が残したダイイングメッセージについて一緒になって考える。 『除夜の鐘をきくシルビア』
三千万円の貯金をしていたと噂される泡姫・レスリー。彼女が男に無理心中を仕掛けられて死んだ。しかしその遺産の隠し場所がさっぱりわからない。レスリーの友人がシルビアに相談を求める。 『宝探しをするシルビア』
創作に詰まった小説家志望の男。江ノ島で女性同士で心中していた現実の事件をテーマに、その背景にあった真相を小説にしようと想像力を、シルビアと共に巡らす。 『小説を書くシルビア』
シルビアと、同僚のキャロルの得意だった林田という男がアパートで殺害された。彼の部屋には生活感がなく四百万円の大金が鞄に入って残されていたという。 『客をなくすシルビア』
同僚のアノ声を立ち聞きするのが趣味のマノン。彼女はある日、酔っ払った客が殺すとか物騒なことを叫きたてるのを聞き、その言葉をメモしていたが文章の意味が通らない。 『立ち聞きするシルビア』 以上七編。

設定には当然の存在感があるのだが、謎と推理は玉石混淆。昭和期の風俗記録としても価値がある?
いわゆるソープランド嬢が探偵役をする、という設定が有名な作品。風俗嬢が探偵役をするという意味での先駆者的作品であり、後続の同系統の作品が出た場合に間違いなく引き合いにされる。アンソロジーでもよく採用されているように思う。また、本書の解説にもある通り、昭和五十年代に活況を極めた特殊浴場という性風俗の状況を(狙ってかどうかはわからないが)丁寧に記録した作品として、もしかすると後世においてはミステリとは別のかたちで資料として使用される可能性もある(本当に?)。そういった功績とは別に、改めて内容重視で読んでみると、さまざまな試みがないまぜになっているところがあり、個々の作品におけるバラツキが結構あることに気付かされる。
基本的に、客からの相談と同僚からの相談によるエピソードが交互に語られるようになっている。その謎の種類がさまざま。どちらかというと冒頭部については、ソープランドという一種の特殊状況を活かした設定になっているか。風俗に遊びに来る男の家族の問題、ソープランドという建物固有の密室。ただ、中盤以降は別に謎解き役がシルビアでなければならない必然性が薄れてゆく。ダイイングメッセージや、故人の残した通帳隠し場所、漏れ聞いた言葉の断片の真意の推理といったもので、どちらかというとミステリのうちでも作者の恣意性が高く、読者にとって解きにくい系統の謎へと傾斜していく。(このあたりは、何となく都筑先生が忙しかったのかなあ、というような印象すら抱く)。
つまりは全編が本格ミステリというと全くそんなことはなく、むしろやはり泡姫探偵という独特の造形を活かした特殊ミステリというところに作品集全体としては落ち着くのではないだろうか。

とはいえ作品の端端に細やかな都筑作品らしい蘊蓄が垣間見せられたり、同僚たちの造形については個性が出ていて面白い。全体としてツヅキエンターテインメントの系譜に連なることは間違いなく、少なくともファンならば押さえておくべき探偵の一人だろう。


06/09/22
結城昌治「公園には誰もいない」(講談社文庫'91)

日本ハードボイルド史に燦然と輝く(と聞いた風なことを書いてみる)結城昌治の”真木三部作”の二作目、初刊は'67年。(一作目『暗い落日』、三作目は『炎の終わり』。ただ短編が他にもある)。個人的に国産ハードボイルドの勃興期についての諸説・初期傑作については知れども、その”初期の傑作”発表時期が結構長きにわたっているところに微妙に違和感があって納得しきれていない。真木シリーズにしても国産初期ハードボイルドの傑作といわれることが多いが、昭和三十年代から一部そういった作品が出ていることを考えると四十年代半ばに発表されたこのシリーズはもはや”初期”とは言い切れないような気がするのだが。

弁護士の紹介により失踪した売り出し中の若手シャンソン歌手の居所を突き止めるよう依頼された、元刑事の私立探偵・真木。彼女・中西伶子は二十二歳、銀座のシャンソン喫茶「アルカザール」で歌っていたという。彼女が吹き込んだレコード『公園には誰もいない』は、真木が聞いてもなかなか良い曲だったが、伶子は特に昔女優だった母親・三保子の強烈なプッシュと売り込みによって本格デビューが決まったのだという。外交官の父親と、次女の理江は地味な性格だった。奔放な性格をしていた伶子の性格が考慮された結果、失踪してから真木に話が来るまで四日が経過。伶子は店に車を残したまま、居なくなった。真木は家族や、彼女が働いていた店で情報を収集。彼女の元家庭教師だったバンド・マスターの相原や、作曲家の八木沼といったところが関係がありそうだとあたりをつける。そして彼と同様に、伶子のことを捜している男がいることを知った。確認のため、中西家が所有する軽井沢の別荘を訪れた真木は、室内で死体となっている伶子を発見、しかしその場に潜んでいた何者かに昏倒させられてしまった。調査そのものは終了したが、自分のために捜査を継続する真木。その結果、浮かび上がってくるのは打算と欲望とが絡み合った複雑な構図であった。

抑制が利いた文体に痺れる。米国風ハードボイルド形式のなかに独自の美学、そして本格ミステリまでもが潜む
失踪人捜し、というハードボイルドの定型ともいえる事件。 ワイズクラックの類は少なく、だけど沈着さと冷静さについては文句なしの主人公・真木。文体も会話文も抑制が効いており、全体的に悪く言えば地味、良く言えば渋みを感じる文章にて構成されている。 ついでに主人公に関係する女性の影は薄く、ロマンスは物語上では全くといっていいほど存在していない。人間の本質に迫るストーリーを夾雑物無しにぐいぐい迫るような迫力をもって描けているように思われた。さらに、特徴的に思えるのが真木の人物像だ。
依頼された仕事は終わりました。しかし、ぼくは仕事を終わりまで見届ける癖がある。そうしないと次の仕事にかかれない」「誰のためなの」「自分のためです
――というのは真木と関係者の会話だが、この探偵としての立ち位置はハードボイルドのなかでも特異なように思う。物語として事件の真相を解決する必要がある場合でも、あくまで依頼者から最後まで真相の追求を求められたり、依頼を討ちきられた探偵が別の依頼者を捜してみたり、仕事を切り上げようとしているのに犯人側から巻き込まれたり、といった何とか自然なかたちで(不自然であっても)事件との関わりの必然性を求めようとするのに対し、真木は己の興味というか判断基準でその追求を決めてしまうのだ。本家のハードボイルドについてあまり詳しくないのであまり深く考察できない自分も歯痒いのだが、それでも何かこの点はポイントのように思える。直截的に”世の中”と対峙する主人公という必然性を持つというかなんというか。
また、もう一つ特筆すべきなのは意外性のあるフーダニットとして、本格ミステリの要素をも合わせ持っている点だ。ハードボイルドという先入観をもって読めば読むほどに、作者の仕掛けた罠に嵌り込むことになる。
この時期、真木シリーズは講談社文庫でまとめて再刊されているのだが、その再文庫化の際にも著者は従来からの姿勢同様に、相当に文章に手を加えているとのこと。だから、ということもないだろうが発表から四十年近く経過している今読んでもあまり違和感がなく、すんなりと入れる。ただ、その本当の理由は文章にあるのではなく人間心理を追求していく本質的部分が物語としての永遠の課題と重なっているからだと思う。

この作品単体として、今なお、そしてこれからも十二分に読書に耐える作品であることは断言。ただ冒頭で述べている通り、国産ミステリーの歴史的にどうかという点についてはもう少しこの世界を探索してみなければ、まだまだ未熟なわたしには断言したりは出来ませぬ。


06/09/21
蒼井上鷹「二枚舌は極楽へ行く」(双葉ノベルス'06)

第26回小説推理新人賞を受賞した「キリング・タイム」と第58回日本推理作家協会賞・短編部門候補作品となった「大松鮨の奇妙な客」を含む『九杯目には早すぎる』にて蒼井氏はデビュー。その後初長編『出られない五人』を上梓し、本書が三冊目の単行本。『小説推理』誌に2005年から2006年にかけて発表した短編に書き下ろし三編を加えた作品集。

友人宅に集まって飲んだくれた帰り、家主の妻が交通事故にて亡くなった。その犯人は当日の宿泊客に居ると毒入りジュースを飲まされた面々は……。 『野菜ジュースにソースを二滴』
ペットを対象にした葬儀屋を事業にしたいという娘。そして年老いたその母親。ヘルパーとしてこの家を訪ねる家政婦は、ある日突然、その母親の不在に気付く。娘は旅行に出ているというのだが……。 『青空に黒雲ひとつ』
十七年後にこの店で、この酒を一緒に飲もう。約束した一人が長年続いているバー〈レニ〉に現れ、その顛末を現在のマスターに語る。話を聞いた店の常連客はその思いを叶えてあげようといろいろと画策するのだが……。 『待つ男』
長年沈黙していたジャズ・ピアニストの復活。そのシークレットライブの直後、そのピアニストは自宅で死体となって発見された。発見者はマネージャーをしていた兄。問題は、その指のうち一本が切り取られて消え去っていたこと。 『ラスト・セッション』
不正がばれて会社を辞め、借金を繰り返していた身勝手な男。妻にも失職を隠していた彼だが、振り込め詐欺に巻き込まれたことで事態が発覚。行方不明になっていたかと思うと他殺死体となって発見された。 『二枚舌は極楽へ行く』
他、『値段は五千万円』『天職』『世界で一つだけの』『私のお気に入り』『冷たい水が首筋に』『懐かしい思い出』『ミニモスは見ていた』 以上十二編。

短めの切れ味重視の作品にむしろ深い味わい。蒼井作品の魅力を俯瞰できる作品集
普通のノベルスサイズの厚みのなかに十二編……というとお判りのように、内容としては詰まっている。ただ、普通の作品は通常の短編の長さであり、そのあいだにショートショートめいたブラックで短い短編が挟まり、その世界が個々の短編同士でリンクしていたり、他の事件に言及があったりとご町内ミステリ(帯にあるコージーミステリーとはニュアンスは微妙に異なると思う)といった体裁をとっている。感心したのは、ご町内ミステリとしての連環そのものよりも、その前後のエピソードを絡ませることによって挿入された短めの作品のキレが極端なまでに高められている点。 通常の長さの短編については、本格ミステリを意識した作品が多く、それはそれで設定が凝っていたりするため面白いのだけれど本職の本格ミステリ作家の短編と比べ、そう抜け出して特徴がみられるような印象はない。むしろこの作家の特徴は、短めの挿入作品の黒さにあるように感じさせられた。 
『冷たい水が背中に』の女性心理の綾を凝縮したような真相、前作に登場する人物を効果的に配置し、しかもリドルストーリーとして読者の心をも疑心暗鬼に陥れる『懐かしい思い出』、そして、もてない男の卑怯な行動を逆手にとってとんでもない結末に持ち込む『ミニモスは見ていた』。 結果的にだけれど印象に残った上位三つの作品がみな短めのショートストーリーなのだ。もちろん人により、個々の短編の受け取り方は異なるだろうし、同じ見方になるとも限らない。ただ、他の短編だとどこかダレというか冗長な描写が入ってしまうのに対し、これらがすっきり構成としてまとまっている点は間違いなくいえると思う。
ミステリとしての本質とは別に「小者のセコさがよく描けている」という、新人賞受賞時の審査員コメントは本作でもやはり生きており、市井に生きる普通の人々が抱きうるちょっとした悪意や感覚の描写は全編にわたって巧いと思う。特にそのセコさによって無自覚に犯罪に走ってしまう人の描写は絶品ですね。

これまでの作品同様、ミステリとしての楽しさをいろいろなかたちで抽出している作風を堅持している。なので、全体としてトーンが軽く感じられ、その分読みやすさ、手に取りやすさに繋がっているところはこの作者の財産だと思う。軽い気分で読み始めて、ぴりりとところどころに効いたスパイスを味わう。そんな作品集。