MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


06/10/10
平石貴樹「スノーバウンド@札幌連続殺人」(南雲堂'06)

サロメの夢は血の夢』以来となる孤高の本格ミステリ作家・平石貴樹の書き下ろし長編。前作に引き続き、車椅子に乗る美貌の女弁護士・山崎千鶴が探偵役として登場。(結末については触れないが、本書がもしかすると彼女の最後の事件となるのかもしれない)。

1990年秋から冬にかけ、札幌で発生した連続殺人・傷害・自殺事件。その一連の事件を経験した被害者の関係者四人が、それぞれの見たこと聞いたことを後から手記にてまとめたという体裁。生徒に暴力を振るう田丸という教師とその責任を曖昧にする学校に対抗する連絡会議を取り纏め、訴訟の準備をしていた札幌の弁護士・岡本里緒が何者かに後ろからこづかれて鎖骨骨折の怪我を負わされたことから始まる。さらに十七歳の藤田浩平は札幌の街中で同い年の島村久美子をナンパした。彼は意気投合した彼女を自宅に連れ込むが、そのまま彼女を監禁して一千万円の身代金を彼女の親に要求する。しかし、久美子の親は裕福ではなくそんな大金が家にあるとは思えない。クローゼットに監禁されていた久美子は、部屋のなかで人が争う声を聞くが、やがて音が聞こえなくなりそのまま眠ってしまう。最終的に何者かの通報によって部屋に警察が駆けつけるが、その場には、殺害された浩平の遺体があった。彼は誰とどういう誘拐方法を考えていたのか。果たしてその共犯者とのあいだにどういう問題があり、浩平は殺されたのか。そもそもなぜ久美子が狙われたのか。また浩平もまた、中学時代の教師であった田丸にひどい仕打ちを受けたことから、美緒とも繋がりがあった。美緒から一連の奇妙な事件を聞いた、車椅子に乗る美貌の弁護士・山崎千鶴は東京から三日間だけはるばる札幌を訪れ、謎を解き明かしてみせると意気込んで関係者の証言を聞いて回る。 その千鶴が帰京する日、島村久美子の父親・義夫が殺害された。

精緻な物理トリックに加えて周到な騙しのテクニックが融合したマニア狂喜の直球本格ミステリ
札幌在住の女性弁護士、誘拐の被害者となった十七歳の女の子、最初の殺人事件の被害者の友人二名。これら四人の視点により交互に事件が描かれる。文章はノートに口語体によって書かれているという設定で、当然その立場と年齢性別によって文体も描写の精度も異なっている。結果的にそれが場面場面における事件の臨場感の演出という点では効果があるように感じられた。また、ポイントは最後の解決部分についてまでこのノートが続くものではないということ。その一連の事件をあくまで再現してみているというところが、それはそれで一つの試みとなっているのだ。結果、真相が読者以上に関係者サイドからみても、全く分からないという奇妙な状況が巧みに導かれている。ただ、はじめから叙述に特異な試みをしたと宣言される前作『サロメの夢は血の夢』ほどではないながら、この設定のなかにも読者に対しての仕掛けがあるため、注意して読まれたい。
年代を明記したうえでの記述であるため、ところどころ認識ミスがあるようで少々引っ掛かるところがあったのだが、一九九〇年当時の雰囲気としてはよく出ているように思われた。実はこの年代を選んだところにも物語上のポイントがある。ただ、読了してみて振り返ると細やかな記述や場面の描写に至るまで、実に細やかな伏線が張り巡らされていることに改めて気付く。 ぶっきらぼうな若者特有の言葉に紛れてはいるが、必要な部分についてはしっかりと記述されている。ただ「ああ、あれが伏線だったのか」と思い至るのではなく、ある記述に対し、そこから事件の真相を推理しようとした際には更に一定の類推が必要なのだ。 いわゆる難易度が高く同じ本格ミステリというジャンル内でも、よりマニアの方に受けそうな構造になっている。それはそれで、平石貴樹という作家に反応する読者層を想定した場合は正しい在り方なのではないかと思う。小生の場合、真犯人の想像はつくのに決め手がないよなー、という読み方をしていたら、実はそこかしこに証拠が残されていたことを最終的に指摘されたあたりに衝撃があった。これもまた、平石本格の醍醐味だといえそうだ。

本格ミステリ優遇の時代では無くなりつつあるせいか、こういった正面きったド本格ミステリとなかなか出会えなくなりつつあるのだが、逆にこれだけコアに迫る内容であれば時代に逆らっても生き残るのではないかという気がする。旬の長い作品だと思うので、我こそはと思う本格マニアの方ならばいつか必ず読んで欲しい作品である。


06/10/09
福澤徹三「すじぼり」(角川書店'06)

ホラー小説作家として鮮烈なデビューを飾って以降、『真夜中の金魚』を発表するなど地方に住む若者の青春を描く作品にも才があることを見せつける福澤徹三氏。本書もその系列にあって若者と、昔気質のヤクザたちとの不思議な交流を描く作品。『野性時代』誌二〇〇六年三月〜七月に連載された作品の単行本化。

北九州市で三流私立大学の四年生になる”ぼく”こと亮。親友の和也や翔平らと共に就職活動にも踏み切ることができず、大学で学ぶデザインに打ち込むことも出来ず「何か面白いことはないか」と、日々を虚しく過ごしている。そんなある日、和也の自宅で集まって大麻をキメさせられる。和也はその頭で大麻を売る若者向けのヒップホップ系のサーティーンという店に、大麻を盗みに行こうと言いだし、実行する。ごった返す店内で役割を分担し、カウンターの大麻入り手提げ金庫を持ち出した彼らは店員に追われることに。亮も必死で逃げるが追いつかれそうになり、ビルの奥にある”アッシュ”という名のバーに駆け込んだ。その店にいた男は追ってきた二人を「ウチの客だ」と強烈な手段によって撃退、「真和会の速水」と名乗る。初めて出会った本物のやくざに強烈な印象を抱いた亮は、翌日再びアッシュを訪れ、改めて速水を待つ。再会した速水は、亮たちが行った所業を既に知っていたが、翌日事務所に来いという。速水は速水総業という事務所を運営しており、正確には真和会大内組速水総業といい、この地域最大の組織・真和会の枝の組を預かっていた。若頭の武石は面倒見がいいが時々ぶち切れる武闘派、若頭補佐の目黒は水商売を束ねる優男風。その下には堅気から四十過ぎになってこの世界に飛び込んだ尾崎と十九歳の電話番・松原がいた。速水は松原にパソコンを教えてやるよう亮にいい、それから亮は組事務所にアルバイトのようなかたちで出入りするようになる。タクシー運転手をしている父親と二人暮らしの亮は、そんな自分をうしろめたく思いつつももちろん親に相談できない。そして目黒の代わりにデリヘル嬢の面接に行った時、菜奈と運命的な出会いをする――。

現代風モラトリアム世代と、昔気質の昭和やくざの邂逅。ピカレスクの興奮と小組織の悲哀と……。
いかにも現代の「いつか何かやってやる」と口だけ達者で、実は何も持っていない若者たちによる群像青春小説としても、ひょんなことからやくざの世界を覗き込むことになった若者の視点からみるピカレスク・ロマンとも、古き良き時代のやくざたちが辿る哀しい末路を描く任侠小説とも――読める。というか、こういった三種類の要素がバランス良く配分され、更に福澤作品らしい細やかなディティールが加わることで独特のエンターテインメント小説となっているといった印象だ。
ポイントになっているのは、主人公・亮の(少々語弊があるが)魅力の無さ。頭は決して悪くなく時には機転も利くのに人生に対するポリシーがなく、状況に流されやすい。まあ実際、人間というものはこんなもので、だからこそ彼に対して親近感を覚えるのだけれど。また、亮からみれば”憧れ”のような速水にしても、無鉄砲な武石にしても、こちらは人間的な魅力があるにもかかわらず、やはり”やくざ”。その超えようのない世界に、入り込もうか入り込むまいか逡巡する亮のさまざまな行動が、またどこか一般人的。決して亮自身に魅力がないのに、結局、読者が彼に自分自身を投影してしまうような物語になっているのだ。気の弱い尾崎、亮を慕う松原、軟派な目黒といった面々それぞれに独特の魅力が付与されており、それがまた亮の迷いを倍加させている点も面白い。
また、どこか昭和期を引きずるような古いやくざたちを描くディティールは抜群で、水商売や債権回収などの細かいエピソードが物語に厚みを加えている。結局、亮の存在が引き金となって、徐々に対立組織とのあいだの抗争が激化していく様子もリアルな展開だといえるだろう。最終的には物語全体がうねるような流れとなり、クライマックスへと繋がっていく。その隙間に、亮と和也、翔平といった大学生たちなりの友情や、菜奈とのやるせない恋愛などが挟まるのがアクセントとなっていて、そのクライマックスに至っても本書を単なるやくざ小説と断定させない膨らみがあるように思うのだ。題名にもある「すじぼり」が、亮にとっての転機であり、だけどそれでも心が踏み切れない彼の姿に何か切ないものがある。

じっくり楽しませて頂きました。これもある意味でのジャンルミックス小説となるのか。装幀の龍の絵と題名の「すじぼり」からは任侠小説の雰囲気しか漂ってこないような気がするのが少し勿体ないかも。実にしっかりとした”小説”である点、留意されたい。


06/10/08
高木彬光「呪縛の家」(角川文庫'79)

高木彬光の神津ものとしては『刺青殺人事件』に続く第二長編にあたり、旧『宝石』誌に'49年から翌年にかけて連載された作品。初稿版と改稿版があり、この角川文庫等は改稿版に相当する。

戦前から太平洋戦争にかけて予言によって栄華を誇った新興宗教「紅霊教」も、その教祖・卜部舜斎の予言が当たらなくなって戦争後はひっそりとその郷里に引き込み、教祖は三人の孫娘と暮らしていた。松下研三の一高時代の友人・卜部鴻一はその舜斎の妹の孫で、彼はかつて神津恭介が十数年後に犯罪捜査で名を成し、そして鴻一と改めて事件を巡って相まみえると予言していた。その卜部鴻一から不吉な予感がするので相談に乗って欲しいという手紙を受け取った松下は、単身その紅霊教本部のある八坂村へ向かっていた。途中、謎の男に道を尋ねると「汝の娘、水に浮かびて殺さるべし」と教祖に伝えるよう言われる。彼は舜斎と袂を分かった紅霊教のかつての弟子・卜部六郎であり、舜斎とは別に紅霊教を立て直そうとしているのだという。鴻一と再会した松下は、早速その孫娘の一人・土岐子が毒に倒れてしまうところに行き会わせ、村の菊川医師と共にその対処にあたる。更には監視され施錠された密室となった風呂場で三姉妹の一人、澄子が何者かに殺害されているのを発見する。その胸に深々と突き立てられた短刀。さらに紅霊教の一族は奇怪な方法で次々と殺害されていく……。

国産本格探偵小説黎明期の傑作。さまざまな要素をふんだんに取り込み、怪奇趣味と論理がみごとな融合をみせる
大昔に読んでいたはずなのにすっかり内容を覚えておらず初読感覚で読みました。
新興宗教を下敷きとして、予言や怪奇じみた風習といったところを物語のうえで正当化してしまうという手法がまず巧み。 人里離れて暮らし、結果的に狂信的犯人によって殺人の標的とされる一家の存在からまず不自然さを拭いさる。特に戦争の傷跡が生々しく残る時代、軍部に宗教的に荷担したというのは重い十字架となるものなのだろう。その結果、動機面からは関係者の全てが疑わしいという状況を作り上げている点がまず見事だ。
そこから、奇怪な現象を伴う連続殺人事件が展開される。しかも宗教者による予言があり、その裏を掻い潜るようなかたちで被害者が次々と増えていく。登場人物にとってはもちろん、読者にとっても居心地の悪い状態が続き、「どうやって」がなかなか見えないなか謎はどんどん積み重なってゆく。このあたりの緊張感の演出も素晴らしい。最終的に神津によって解き明かされる数々のトリック、そして犯人の悪魔的計画の全貌も衝撃的だ。手掛かりが全て供出されており、読者への挑戦が挿入されているが、この作品を初読で解くにはかなり豊かな想像力が必要だと思う。(共犯関係を考えないと解けない点はちょっと犯人当てとしてはマイナス点かもしれない)。
神津作品にはなんとなく都会的なイメージがあったのだが、改めて考えると本書には同じく国産探偵小説に本格の論理を組み込んだ横溝作品の代表作とも似たテイストがある。(一方で、横溝正史も都会的な作品を数多く実は擁しているのだが)。また『刺青殺人事件』と同じく本書も日本家屋における密室殺人を扱っている点は興味深い。但し風呂場の構造は”当時の”ものである点を考慮する必要があり、現代に通じるものではないのだが。
しかし何よりも印象深いのは、この一連の事件の裏側にいる人物。名探偵神津にしても、彼に対する無力感を最終的に提示せざるを得ない。この人物の存在により、怪奇連続殺人事件という表層の物語に、探偵小説としての深みが加わっている。

日本という風土固有の感情や背景を扱いながら、実に論理的な本格探偵小説を指向した作品であり、ミステリ史的にも重要な作品のひとつ。小生のことを棚に上げることになるが、日本の本格ミステリの源流における重要作品の一つであり、本格ファンであれば必読といえるだろう。


06/10/07
有川 浩「図書館戦争」(メディアワークス'06)

『本の雑誌』による2006年上半期エンターテインメント部門で第一位を獲得した作品。有川さんは第10回電撃小説大賞〈大賞〉を『塩の街』で受賞し'04年にデビューし、その後『空の中』『海の底』二冊をハードカバーで刊行し、ライトノベル風ながら特異なエンターテインメントを展開している。

昭和最終年度に導入された「メディア良化法」により拡大解釈が可能な検閲を執行機関に許した結果、その権限は時を経て拡大し、この三十年間のあいだにその権限が恣意的に拡大されていった。事実上の言語統制により、メディア良化法を執行するメディア良化委員会に対抗できるのは、検閲を退けてあらゆるメディアを収集する図書館のみ。そして図書館もまた「図書館の自由法」により自衛の手段を得るようになった。良化隊員と図書隊員の抗争は激化し、両者とも火器を保有するに至ってその抗争により死傷者が出ても超法規対応がなされるようになっていた。その時代。小学生時代に図書隊員に救われた経験を持つ笠原郁は、女性では珍しく防衛隊員を志望していた。指導員の堂上にしごかれながらも彼女は剥き出しのファイトとガッツで厳しい訓練に食らいついてゆく。同室の柴崎麻子にちゃかされながら、そして同期でクールなエリート・手塚に疎まれながらも郁は図書防衛隊のエリート舞台図書特殊部隊に配属され、日々図書館を襲う事件に脊髄反応で対処してゆく。

……どうしても違和感が拭えない設定ながら、その乗り越えた先のエピソードの出来は上々
先に述べておくと陸上自衛隊のような人々によって護られる図書館……という点までは個人的には許容範囲。だが、メディア良化委員会という存在と図書館とが非武装の職員を含めて命のやり取りをするような世界という点には読んでいて違和感の方が大きかった。メディア良化委員会側を悪の先鋒とし、その存在と戦う図書館ということであれば何も自衛隊のような戦い方以外、訓練されたボディガードや頭脳戦のスパイのような存在の方がしっくりする。恐らくは自衛隊のような組織にするのは作者の趣味だろうし読者ががたがた抜かす必要もないのだろうけれど「いきなり戦争かい!?」という良くも悪くも驚くような流れによって、折角の本を楽しむ自由を守るために存在する図書館側の様々な法律とか組織とか、考え抜かれたと思しき(図書館防衛隊以外の)設定までもが引きずられるように歪んでしまっているところが少々残念。特に同じ日本人同士が戦っているのに相手方の意図が今ひとつ読めないんですよね。
ただ、連作短編のような構成によって挿入されている様々なエピソードについては丁々発止のやり取りが面白い。 特に小学生vsPTAの構図など快哉を叫びたくなるような胸の空く展開が多い。また主人公・笠原郁の突っ走りとところどころ思い出したかのように”女の子”となる部分であるとか、序盤で想像がつく通り彼女の王子様は実は……であるとか読みどころも多数ある。特にその事実が読者に正式に開示される部分は(予想されていたのに)思わず吹き出してしまった。登場人物がそれぞれ”キャラ立ち”しているのは優良作品の要件なのだろうが、そのあたりの作り込みが非常に巧みであり、そこから物語がふくらませてある分、ストレートに物語が胸に飛び込んでくるような印象だ。

近未来SFとして読むにはちょっと甘いので、むしろ恋愛風味の味付けがある冒険活劇的な読み方が吉のように思う。その意味では徹底的にエンターテインメントに徹しており、(設定にごちゃごちゃ文句を付ける小生のような読み方をしなければ)素直に幅広い世代で楽しめるように思う。活字文化が嫌いな人はそもそも本書を手にも取らないだろうしね。


06/10/06
多島斗志之「海上タクシー〈ガル3号〉備忘録」(創元推理文庫'06)

創元推理文庫による《多島斗志之コレクション》の第三弾。二冊目となった『二島縁起』の姉妹編で、そちらが長編だったことに対し、本作は多島には珍しい連作短編集となっている。

〈ガル三号〉をチャーターした小さな子供を連れた若い母親。彼女は事情があって、子供を両親に預けようとしていた。行き違いになり子供が船から海へ……。 『N7↑』
〈ガル三号〉をチャーターした男は、当初の約束と違う場所へ向かうように指示。その難所で別の船と何かを受け渡す。事情を知った寺田は、灯火を消してその船を追う。 『部屋の瀬戸』
八年前の殺人事件。その容疑者の一人は寺田の同業・海上タクシーを経営していた。その男・西浦が使った速度の遅い船を利用したトリックとは。寺田の師匠が登場。 『見えないロープ』
重要文化財の刀剣が戦後の占領期に当局の命令で廃棄指令が出たことが。一時的に刀剣を隠した関係者の一人が「謎々」を残したまま、その刀は長年行方不明になっていた。 『謎々』
海で無くなった息子の弔いのために〈ガル三号〉をチャーターした年配の婦人とその息子。その日、謎の貨物船が二度までも、〈ガル三号)につっこんできた。 『マーキング』
大型レジャーボートが座礁、乗っていた美男美女の二人を助ける寺田と弓。しかし女性の方は、脱出できたそのボートに戻りたくないという。その理由とは……。 『コウゾウ磯』
大切な話があるという弓。しかし仕事が始まるとその話題を彼女は避けようとする。その日の客は興信所の女所員。家族の依頼で小島に住む男性を調べたいという。 『灘』 以上七編。

海の上には事件がいっぱい。多様な事件を裁く寺田と弓のコンビが魅力、多島の力量が遺憾なく発揮された作品集
”非常に多岐にわたる分野を描く”という多島作品を説明する際の枕詞/形容詞がよく似合う、その作風の魅力が凝縮されたかのような作品集。 この作品集における収録個々の作品において取り上げられる事件はむしろ地味といっていいような作品が多いのだが、本格ミステリ風、サスペンス風、冒険小説風といったそれぞれの短編に様々な趣向が凝らされており、それがなんと個々に確実に成功しているのだ。筆致も抑制が効いており、主人公の船長・寺田の冷静さ、個々の状況における沈着な行動はむしろ落ち着き払っている印象ながら、彼(と、名相棒の弓)が、普段は秘めている熱さが表出する時にさまざまなかたちで物語が変化するところが素晴らしい。
また、作品全体を通じて海上タクシーという特殊な環境下、その小型船舶ならではの特徴や瀬戸内の不思議な自然現象といったところに至るまで、細やかな知識や蘊蓄をさりげなく作品に織り込み、主題の底流を落ち着かせ、さらには個々の作品の勘所にしている点なども技巧という意味でのすごさを改めて感じさせられた。(一編だけを取り出すとシンプルに過ぎて誤解されるかもしれないが、作品集全体(加えて『二島縁起』も)がそれで統一されているところなどに、深い配慮があるように思う。
どの作品も読みどころが多いが、『海賊モア船長』の一連のシリーズ作品を彷彿させる海洋アクション『コウゾウ磯』の緊張感が個人的にはもっとも気に入った。序盤の「ちょっといい話」から一気に変転して、「何が起きるのか全く気を抜けない」というテンションが物語全体を覆ってゆく展開がなにより魅力。オチはある程度予見できるものの、そこに至るまでの緊迫感のすさまじさは並みではない。最終的に船を下りる決意をする弓にまつわるエピソードで本文は締め括られるが、その最後の 一行、この醸し出す余韻というか、この一文からもたらされる感慨の深さ広さもまた印象に強く残る(というか刻まれる)。シリーズの結末を締め括る言葉として「うまい!」としか言い様がない。

また、この文庫版における杉江松恋氏による解説が素晴らしい。多島斗志之の変幻たる世界を読み解くある補助線を提言しているのだが、今まで幾つか読んできた段階では考えつきもしなかった角度から多島世界観について考察が加えられており、まさに目から鱗。これは名解説といって差し支えないでしょう。全体的に地味である点を否定はしませんが、その地味さのなかにある、名品ならではの味わいをじっくり感じ取って欲しい作品集です。


06/10/05
我孫子武丸(他)「犯人当てアンソロジー 気分は名探偵」(徳間書店'06)

'05年の5月から10月にかけ「夕刊フジ」にて「犯人をさがせ!! ザ・懸賞ミステリー」という企画があった。新聞連載で問題編を提示し、読者が犯人を当てるという懸賞つきの企画。新聞連載も初めてという本格系の気鋭の執筆者が揃った充実の企画を単行本にまとめたもの。巻末には六人の作者による座談会(これまた覆面方式で作者当ての趣向あり)つき。

ストーカーに追われる女性を護る筈の探偵が何者かに頭を殴られ昏倒。しかしそのストーカーが犯人が限定される状況下で殺されてしまい、一転して容疑者扱いされてしまう。だが凶器はどこにも見当たらない。 有栖川有栖『ガラスの檻の殺人』
刑事の桂島が作家の吉祥院先輩のところへ知恵を拝借しに出掛ける。山荘内部での謎の連続殺人を記した記録。その記述者を含め五人全員が死亡していたと桂島はいうのだが……。 貫井徳郎『蝶番の問題』
木更津悠也が苦手にしている女性からの依頼。研究者で彼女の弟が殺人容疑者とされているという。大学に出入りするフルフェイスの謎の人物、そして関係者の証言によれば……。 麻耶雄嵩『二つの凶器』
新幹線の洗面台で後頭部を殴られ昏倒している男。車内で様々な人にいちゃもんをつけていた男だが、果たして誰がこの男を殴ったのか。通りかかる証言者のことばを元に推理が進む。 霧舎巧『十五分間の出来事』
瀬戸内海の島で発見されたのは、事故で記憶を喪った男。彼を助けた肥った女性と地元に里帰りした男性。男の持っていたメモには孤島で繰り広げられた芸能界の暗部の記録が書かれていた。 我孫子武丸『漂流者』
妹を自殺させた人物を捜していた男が返り討ちにあって殺された。その男はヒラド・ノブユキという名前で三人が特定された。法月綸太郎は三人の証言から、その犯人を推理してゆく。 法月綸太郎『ヒュドラ第十の首』 以上六編。

各作者の趣向の差が味。犯人当て小説の”難しさ”が改めてピックアップされている感
新聞発表段階で懸賞がかかっていたことからも判る通り、いわゆる”犯人当て”のみで構成されたアンソロジー。その新聞連載時も存在は知っていたけれどさすがに追い切れず、単行本化された今回はじめてそれぞれを読み、そして”挑戦”してみた……のだが。難しい。 まず一つはアプローチの難しさ。各作者の作品はそれぞれ何冊も読んできている方ばかりであるが、どこに推理のキモとなる部分を置いているのか事前に読めない点。つまりは、物語をそのまま捉えて良いのか、何らかの叙述めいたトリックが仕掛けられているのを読みとらなければならないのか、それとも物語のうえに何らかの知識を付け加えて推理しなければならないのか。読者としての腰の据え方というか、事件に対する視方というか、そこが定めにくい。また、貫井氏の吉祥院先輩、麻耶氏の木更津悠也、法月氏の法月綸太郎とシリーズ作品に登場する探偵が出ており、サービス精神という意味では楽しいのだけれど、あまりその情報も読者としての視点を定める手掛かりにはなりにくい印象を受ける。
とはいえ、全て読み通すといろいろと楽しいことに気付く。それぞれの作品に込められた趣向が、どこかやっぱりその作者の一連の作品群と共鳴しているようなところがあるのだ。例えば、貫井・我孫子作品であればアレだし、有栖川作品はアレだし、霧舎作品はアレだし……といった(具体的にはしないけど)ところ。法月作品の場合はそのネタそのものはどちらかというと”らしくない”のだけれど、そこから導かれる逆転場面に快哉を叫んでしまう。このトータルとして見事にひっくり返してしまう美しい流れは一連の法月綸太郎シリーズに通じるものだといえるだろう。
それぞれ本格ミステリとしての体裁はきちんと整っており、重度の本格マニアの方も満足できるものと思われる。 細くするとその理由として、参加作家のほとんどがミス研出身だったりマニアだったりと鮎川・クイーンといった過去からの”犯人当て小説”の流れをしっかりと汲んできているところも挙げられそうだ。

企画ものとしても(セールスは不明だが)内容的には大成功だと思う。巻末の覆面座談会も趣向としては楽しく、思わずメモしながら考えてしまった。さすがにこちらは答えが判ったけれど。(もうクイズとしての締切も過ぎているし答えを書いておくとA貫井B法月C有栖川D麻耶E我孫子F霧舎、のはず)。各作家の短編集にも収録されてゆくのだとは思うが、この作品集で読むのも決して損ではないですよ。


06/10/04
横溝正史「金田一耕助の冒険1」(角川文庫'79)

旧角川文庫版で大量に刊行されていた横溝正史の”緑304”。この『金田一耕助の冒険』は映画化の関係で後から二分冊になっているが、当初は一冊で刊行されていた。元は東京文芸社の金田一耕助推理全集の第6巻『金田一耕助事件簿』として刊行された短編集。それが『金田一耕助の冒険』と改題されて、最終的には角川文庫で全十一編となった。うち六編が本書に収録されている。

東京が深い霧に覆われた夜、宝石店で万引きがありその人物を追った店主が腹を刺されて殺されてしまう。 『霧の中の女』
バーを経営する精力絶倫の男が手放した郊外の家。その庭の隅の木の洞からコンクリ詰めの女性死体が。 『洞の中の女』
読唇術が出来る女性と銀座で茶を飲む金田一耕助。彼女は別の席のカップルが殺人の相談をしているという。 『鏡の中の女』
海水浴に来た金田一耕助。彼が寝そべるすぐ側のパラソルから嬌声が聞こえてきたが、後に絞殺死体が発見される。 『傘の中の女』
何者かに頭を殴られ記憶を喪った男。彼の記憶には一人の女性の顔が焼き付いて離れないのだという。 『瞳の中の女』
船上捕物の後、濃霧の中ででくわしたのは犬の檻の中に入った息絶え絶えの女性。果たして川沿いの彼女の家には惨劇の痕が。 『檻の中の女』 以上六編。

金田一耕助の周囲には常に事件の匂いが……という名探偵ものの定番設定。玉石混淆の作品集
「○の中の女」で題名が統一された短編が集められた作品集。「週刊東京」という雑誌に連載されていたせいなのかどうか不明だが、金田一長編の代表作とは微妙にテイストが異なっており夜の女性だとか二号だとか、醜い男女関係に端を発した事件が多く、昭和のこの時期特有の風俗が強調されているような印象があった。また金田一耕助という探偵について指摘される弱点、つまりは探偵が事件のすぐ側にいながら全く殺人事件を止められない……という事件もみられる。特に海水浴で昼寝をしているすぐ隣のビーチパラソルの中で犯罪が行われている『傘の中の女』などはその典型だろう。
一方で、ミスリーディングが巧みで大きなサプライズを得られた作品もあった。 『鏡の中の女』がそれで、読唇術をもって喫茶店の男女の会話を盗み見た連れの女性と金田一。この女性が過去の事件で金田一の捜査を助けたというあたりが憎い。実際、その喫茶店で殺人の相談をしていた筈の男女が次々と死体で見つかって……というあたりまでは探偵小説の「意外な展開」の常道にあるのだが、その真相にあたる部分に凄まじい秘密が隠されている。まさかこんな動機で……という人間の自分勝手なプライドは、現代作品であってもおかしくないが金田一シリーズの絶頂期にもこのような趣向の作品があったのか。
ただ、『霧の中の女』あたりだと第一の事件で盗まれた品物が第二の事件で発見された点が繋がっていないし、『瞳の中の女』は事件自体が明確な解決をみず、非常に歯切れの悪いかたちで幕切れしている。かなり締切が厳しかったのか、全体的に作者の眼も完全に行き届いていない印象を受ける作品があることも事実。とはいえ、この「○の中の女」シリーズから、『壺中美人』など長編化される作品もあったわけで、もともとアイデアの蔵出しのような位置づけで作品が発表されたのかもしれない。

映画化が意識されたわけではないだろうが、全体的に舞台回しが早くテレビドラマを見ているかのような印象もある。本書のみで断言するのは憚られるが、金田一耕助という探偵は、その探偵方法だとか推理のキレといった部分から、どちらかというと長編向けキャラクタなのかなと少し考えさせられるものがあった。


06/10/03
東野圭吾「使命と魂のリミット」(新潮社'06)

『週刊新潮』誌に、二〇〇四年一二月三〇日・二〇〇五年一月六日合併号〜二〇〇四年十一月二十四日号にかけて連載されていた作品の単行本化。ノンシリーズ作品で医学サスペンスに挑戦した内容となっている。

心臟血管外科医を目指す新任研修医の氷室夕紀は、帝都大学附属病院にて実習中であった。夕紀はかつて父親を心臟の病気で亡くしており、その執刀医が現在師事している西園教授。しかし元警察官で当時警備員として働いていた父親の手術を担当していたのが当の西園であったことに夕紀はわだかまりをもっていた。更に夕紀の母親・百合恵は父の死後、しばしば西園と会っており、遂に二人は婚約をしたのだという。しかし夕紀はやはり二人に対して素直に祝福する気持ちになれない。一方、同じ病院に勤務する二十一歳の看護師・真瀬望は最近、直井穣治という電気機器メーカーのエンジニアと交際を開始していた。彼は望の愚痴を聞いてやりながら、自動車メーカー社長の島原総一郎という人物の動向に耳を澄ます。穣治は、病院を舞台としたある犯罪を実行しようという決意を持っていた。望との交際もその一環でしか無かったが、何かに付け穣治に対して献身的に奉仕する彼女に心から惹かれそうになる自分を押さえていた。穣治は望に手引きを依頼し、病院の手術室への侵入に成功。望はそんな穣治の姿から何か不穏な空気を感じ取るのだが……。

物語の中心点はほぼ一点。だがそこに別エピソードを絡め物語全体を豊かに膨らませてしまう感性はやはり天才的
物語を動かすという意味で配置された主人公クラスの人物が二人いる。一人は研修医の氷室夕紀、一人はある理由から病院を付け狙う脅迫者・直井穣治。この二人の描写が対比的。 積極的に過去のエピソードが描かれ、西園という師にして身内になろうという人物への疑惑を隠せない夕紀。一方では現在進行形の場面が断片的に示されるのみで、過去に何があったのかほとんど明らかにされない(もちろん最終的には判明するが)まま、周囲にも読者にもその目的や狙いを明かさないまま着々と「何か」の準備を進める穣治。一人は病院勤務、もう一人は病院関係者に恋人と、それぞれ近い場所にいながら二人のエピソードは微妙に重ならない。この二人を重ね合わせることで帯にある惹句「あの日、手術室で何があったのか? 今日、手術室で何が起きるのか?」という言葉が実現し、そしてクライマックスが強烈にインパクトのあるものになっている。特に一方が「手術室」という密室での出来事の解明(というか得心)にあり、もう一方は「手術室」という密室に対する働きかけであり、この両者の異なるアプローチを絡ませクライマックスに持っていくストーリーテリングは絶妙というしかない。
ミステリのニュアンスとしては、その穣治の方の犯罪遂行方法の描写に興味を惹かれる。ある手術を妨害しようという彼の意図はかなり早い段階で判るように書かれているのだが、その手段が序盤では全く見えない。何やら準備をしている行為が、後にどう繋がるのか。彼は当日に何をしようとしているのか。順に進められていく犯罪行為への準備が、一種のゲーム性を込めて描かれていてその周到さに驚かされる。また、彼の行おうとしている犯罪の動機に微妙な社会性のバイアスがかけられており、無茶ともいえる犯罪が現実性をもった動機によって物語に溶け合っている点も巧妙だ。
あくまで小生の推測でしかないが、物語の根本にあったアイデアは病院の機能停止という点、一点だったのではないかと思うのだ。そこから物語をふくらませるだけふくらませて、それを一個の長編にまとめているような印象を受ける。つまり、描こうとした人間ドラマが先にあってそこからトリックが加えられたという作品ではないということ。それでいてこれだけ豊饒なエピソードを紡ぎ、多様な視点を交えて世界を膨らましてゆく東野圭吾って――やっぱり偉大、と素直に思う。

とはいえ、主眼は間違いなくサスペンス。数ある東野圭吾の代表作にとって代わるほどのインパクトはないが登場人物の個性、アイデア、物語といった点全てが軽々と水準をクリアしている。一定以上の面白さをもったエンターテインメントであることが東野圭吾というレッテルにより保証されている。 安心して読める作品だ。


06/10/02
恩田 陸「中庭の出来事」(新潮社'06)

携帯電話向けの小説配信サイト「新潮ケータイ文庫」に'03年5月9日から'04年2月26日まで配信された作品が、紙媒体の単行本として刊行されたもの。ノンシリーズの長編作品。

坂道の途中でコートのボタンが取れていることが気になる。だがその女性は気を取り直して小さな古いホテルの中庭へと向かう。そこは隠れ家めいたカフェ・レストランとなっており、そこに対決すべきあの女性がいるのだ。茶色いサングラスを掛け、ゆったりと赤ワインを片手に我が家にいるかのように寛ぐその女性。彼女たちはちょっとしたやり取りのあと、すぐに本題に入る。かつてこの中庭で行われた演劇関係者のパーティ。そこで紅茶をがぶ飲みしながら上機嫌で歩き回る脚本家の神谷は毒に倒れた。彼女は、その女性が行った殺人であるとある事実から推理を披瀝する……が、肝心なところに至ると相手の女性は蒼冷め、そして崩れ落ちる――。脚本家はなぜ死んだのか。愛する男性を殺害したと思われる心の底から憎いと思う相手のアリバイを偽証する女性たちの心理とは。中庭で絶命した就職活動中の少女は、なぜ三方向から笑っているようにも怒っているようにも泣いているようにも見えたのか。劇中劇として演じられる殺人事件、そしてその外枠にて行われた殺人事件。そもそも現実の謎はどれなのか、そしてその真相とは一体何なのか――?

語りは騙りであり、場面は作為であり演技により真意は見えない。演劇とミステリの不可分なる融合
とりあえずかなり実験的な作品である。恩田陸の近年のミステリ系統の作品には、語り手をさまざまに切り替えることによって、核心となる事件の輪郭を曖昧にぼやかしてしまう傾向があるのだが、その手法を極端なまでに追求していった作品だといえそうだ。というのも「中庭にて」と呼ばれるパートは、三人の女優がそれぞれに自らの性格を活かして同一のシナリオを演じる場面が繰り返されるのだ。そのうち一人は両親が芸能界で活躍するサラブレッドの血脈と才能を持つ若手女優、小劇団の裏方からスタートし決して美人ではないが特徴のあるオーラをまとった性格系中堅女優、そして往年に大活躍し、年輩層には今なお人気の高い大女優の三人であることが明らかにされる。彼女らのうち一人が脚本家から強請られ、そして彼を殺してしまったのではないか――というのが強いていえば筋書き。いわば、同じ現象に対する基本的に同じ証言が三様の手法によって描かれるのだ。その三人がいずれも天才的な女優であり、劇としては観客をテキストにおいては読者を欺き続けるのである。
一方で「旅人たち」のパートでは、中庭のようになった噴水で絶命した少女の謎などを、山奥にある廃駅を利用した劇場に向かおうとしている二人の男たちが語り合う。こちらは女優三人の饒舌に相対するかのような寡黙なパートとなっている。ただ、この男二人のあいだで交わされるエピソードなど、興味深いものがあった。
ただいずれにせよ、劇中劇にしてもそのメタ構造にしても登場人物の関係性が非常に入り組んでいる。 また地の自分を演技によって表現する必要に迫られ迫真の演技をみせる女優たちの存在も、作品自体の入り組んだ印象に拍車を掛ける。全てが演技にしてフィクション(のはず)だけど、そのなかで解かれるべき謎があり、その真相は曖昧で解かれても解かれてもそのベールに包まれている真相が見えない。真相がみえてもそれが真実なのかわからない。 劇中劇、即ちフィクションとわかりながらも、謎を求める読者はその答えを捜そうとする。作者が登場人物にやらせようとしていることは、作家が読者に対して「読書」という行為によって提供する何かと通じるものがある。フィクションであろうと現実の問題であろうと、そこに謎があれば解きたくなるという読者の気持ちをそのまま更にフィクショナルな枠のなかにて弄ばんとするように。 そして、物語中で提示される謎にはいくつもの合理的な解釈がなされるし、劇中劇の真相も最終的には明らかになる。だが読み終わった後もまた、尾を引くような眩瞑感がつきまとうのだ。単に作者が「やろうとしたこと」だけを書くのではなく、様々な興味深い短いエピソードがあいだに入ることで物語世界は深みを増す。ちょっとしたエピソードや登場人物の会話から導かれる様々なサジェスチョンもまた心地よい。

謎が謎を呼び、解かれることで更なる謎が生まれていく。ミステリであるかと問われると「そうだ」と答えざるを得ないのだが、少なくとも普通の意味でのミステリ小説ではない。そういう恩田陸らしい企みと試みに満ちた意欲的な作品だと思う。


06/10/01
赤川次郎「三姉妹探偵団5 復讐篇」(講談社文庫'91)

年頭恒例の『小説現代』(昭和六十三年二月号・三月号)に分載され、その四月('88年)には講談社ノベルスとして刊行された作品が元版。ご存じ「三姉妹探偵団シリーズ」の題名通り五冊目にあたる作品。

いわゆる大金持ちで大邸宅に住む吉沢家の一人娘・早苗の誕生日パーティには、躾の厳しいことで知られるK女学校の彼女の学友や教師たちが多数参加していた。だが、そのパーティに小西という少年が紛れ込んだ。彼は早苗のボーイフレンドだったが、早苗が彼が通されたという応接間に駆け付けたところ、ナイフが胸に突き刺さって絶命している彼の死体が。その傍らには早苗の母親が血塗れの手をして立っていた。吉沢家の使用人・沼本が死体の運び出しを主張、彼女たちはパーティに戻った。一方、いつも賑やかな佐々本家では、長女の綾子が自分が不治の病にかかっているという妄想に取り憑かれていた。次女の夕里子や三女の珠美は相変わらずのこととて相手にしない。だが、佐々本家には「息子の命を奪った女性を殺す」という物騒な留守番電話が掛かってきていた。綾子しかいない佐々本家に乗り込んできたのは小西清子。先日、死体で発見された小西栄一の母親だった。小西栄一は自殺ということになっていたが、実は殺されていたことが判明。珠美の友人が彼と吉沢早苗の噂を聞いており、事件の秘密はK女学校にあるように思われた。国友の協力を得て長女の綾子は、探偵役をかってでて教育実習の先生として学校に赴くことになるのだが……。

小〜中規模のクライマックスがラッシュ。物語は山あり山あり。展開を繋いで魅せるエンターテインメント
事件の発端は、金持ち少女と貧乏少年の報われなかった恋ということになるのだが、そこからの展開はひとことでいえば”怒濤”のごとし。誰がなぜ彼を殺してしまったのか? というフーダニットが物語にあるはずなのだが、終盤に至るまで全くその謎があること自体の意識が飛んでしまう。というのも三姉妹を巡るサスペンス的な展開が次から次へと訪れるため、おおもとの謎解きに立ち返るヒマがほとんどないのだ。
佐々本家に心当たりのない中年女性の襲撃、佐々本綾子先生の奇妙な実習風景、命の危険に曝されていながらも全く気付かず日常生活を送る綾子、何者かに誘拐されてしまう珠美、売春女子高生と間違えられ、手込めにされかける夕里子とその撃退。さらには女学校の生徒を襲う謎の殺人者……。ひとつひとつのエピソードを取り上げてゆけば、どれもこれもそれなりに掘り下げることでいろいろな要素(それこそ謎解きであるとか)を付随させることも可能だろうに、結構あっさりとした扱いを受けている。結果、瞬間瞬間でかああっと盛り上がりつつ、すぐに次の場面へと移り、更にその次の場面が新たにかああっと盛り上がる……といった内容なのだ。従って読み終わったあと暫くすると「エンタメ場面のかたまり」という印象こそ残るものの、恐らく数年(数ヶ月?)すると読了した記憶が薄れてゆきそうな予感を覚えた。特に終盤に明らかにされる犯人は確かに意外ながら、伏線がほとんどないためあまり心に残らない。むしろその犯人が殺人事件を犯した動機というのも、なんというか陳腐だし、伏線抜きにこれはいくらなんでも無理があるよなあ。(そういう点にこだわってはならないのだろう)。

読んでいるあいだは実に楽しく、それでいて読み終わるとすっと抜けてゆく。 赤川エンターテインメントが(カルトでコアなファンがいることは承知だが)一般の別にミステリーとは限らない読者に広範な支持を受けている理由の一端はこういうところにあるのだろう。深刻ぶらない軽い読み物、だけど読んでいるあいだ実に楽しい。そういう作品である。