MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/01/10
西澤保彦「ソフトタッチ・オペレーション」(講談社ノベルス'06)

生贄を抱く夜』以来、久々となるチョーモンインシリーズの八冊目にして五冊目となる短編集。例の如く『小説現代増刊メフィスト』誌の二〇〇五年一月号二〇〇六年五月号にかけて掲載された四短編に、書き下ろしの表題作品が加わっている。

独居女性のマンションへの超能力による不法侵入が三度感知され、その住人が次々と引っ越してゆく。彼女たちはその事実に気付いているわけではないのだが……。 『無為侵入』
雪の日の父親と母親、そして血飛沫。そんな幻影に悩まされる私は寝室で目覚め、居間に行く。父親が一人でいるが母の姿が見えない。それは私が……。 『闇からの声』
大学生の頃の保科が出会ったハシモトなる人物。彼は料理をしない。これまで自分が作った料理を食べた人間が、なぜか急な不幸に見舞われ死亡してしまっていたから。 『捕食』
豪邸にひとり暮らしの大学生が殺された。その家には音楽趣味の学生たちが集まってきて発見されたのだ。だが現場ではテレポーテーションが観測されていた。 『変奏曲〈白い密室〉』
大学生の浩美(男)は、殺風景な部屋で目を覚ました。開店早々の居酒屋に入ってお気に入り店員のマイさんと二人で舞い上がっていたところに一服盛られたのか? そして別の部屋には若い女性が二人横たわっている。そして最低限の装飾しかない部屋から出られそうにない。誰が何のために? 浩美は双子の姉とテレパシーを使って会話しようとしたが、生憎姉がいるのは海外で助けになりそうもない。 『ソフトタッチ・オペレーション』 以上五作品。

チョーモンインの存在が前提となりながら続く西澤変奏曲。傑出した表題作の構想に瞠目
これだけチョーモンインのシリーズも冊数を重ねてくると「世界観」の方に読者サイドとしても違和感は無くなってくる。超能力者が世の中に散在して見かけ上普通の暮らしを行っており、実際はその超能力は感知され監視されているものの、超能力者自身にはその実感はない。そういった世界のなかで行われる不可解な犯罪。超能力による犯罪自体が不可解なのではなく、その超能力の使われ方に意外性がある――という点が、このシリーズの一貫したテーマとなっている。
この作品集、チョーモンイン色は全般に薄い。パターンにばらつきが少々あり、西澤作品に顕著なテーマとしてあげられる歪んだ親子関係が背景にある作品が目立ったり、超能力が絡まなくとも幻想譚として評価したい『闇からの声』があったり、真相が意外すぎて超能力が吹き飛ぶ『変奏曲〈白い密室』があったりと、語り口や展開に意表を突かれるものが多い。一方、それら作品がこれまでの定型から外れていることも加わり、超能力は全て関係あってもチョーモンイン自体が活躍する場があまりない。
そういった傾向のなか、表題作『ソフトタッチ・オペレーション』が異色でもあり、妙味が深い。 作品のなかでも言及されているが底流に岡嶋二人の名作『そして扉が閉ざされた』がある。周知の通り、核シェルター内部に閉じ込められた四人による安楽椅子探偵ものだが、本作もまた謎のシェルター構造に閉じ込められた男女の話である。彼らがなぜ閉じ込められたのかわからないうちに美女が降ってきて……と大にぎわい。単純に模倣するだけでなく、さまざまな超能力が前提となっていて、更に動機に深く関わっている点が素晴らしい。またこのシェルターの構造もわかってみるととんでもないもので、その大掛かりなとんでもなさが、チョーモンインのなかで自然に見えるというミスディレクションとなっている点も面白く感じた。(現実的ではないなどとつまらないことは、超能力が自然に存在する世界で云々することは無意味なのだ)。超絶遊び心というか、単体では絶対に許されない(とまではいかないまでもかなり難色を示されそうな)トリックを、このシリーズを積み重ねることによって「有り」にしてしまったあたり、西澤作品を読み続けることの楽しさに繋がっているように思われる。

作品集としての出来もまずまずで、どの作品からも西澤作品らしい論理の帰結の面白みは味わえる。一方で、本当に読者が与えられる手がかりで推理できるかどうかというところは、その飛躍が大きすぎるが故に微妙になってきているところもあるが、それは瑕疵とは言わないだろう。シリーズを読まれてきている方は読み逃すことなかれ。(ちなみにシリーズ全体のストーリーや人間関係についてはほとんど進捗はありません)。


07/01/09
牧野 修「サイレントヒル」(角川ホラー文庫'06)

「サイレントヒル」はもともとプレイステーション用のホラーアドベンチャーゲームであり、更に映画化された同作品のノベライズ。ポーラ・エッジウッドという方が作者であり、牧野氏はそれを編訳したということになる。(つまりは一体、何次制作ということになるのだろう?)

九歳になるシャロンは謎の悪夢により夜中に強烈にうなされるようになり、更には夢遊症を発症、道路に彷徨い出るようになる。養母であるローズはシャロンの夢の根源に「サイレントヒル」という街の存在があることを知り、シャロンを精神病院に入れようとする夫のクリストファーに対抗、その街が実在していることを調べ出す。サイレントヒルは炭鉱火災によって三十年前に滅び棄てられた街。そして今なお地下では石炭や天然ガスが燃えており、街は白い灰に覆われているのだという。クリストファーに黙ってシャロンを連れ、隣町ブラームスを経由しサイレントヒルに向かったローズだが運転中に飛び出してきた小さな子どもを避けるため事故を起こし気を喪ってしまう。気付くとシャロンの姿が消えており、ローズは娘を捜すためにサイレントヒルに入り込む。灰を被った廃墟には、謎の儀式によって犠牲者となった遺体が数多く放置されており、また異形の存在が多数徘徊していた。更には街には極限の状況下で暮らす人間たちも残っていた。ローズは彼女を追ってきたブラームスの女性警官・シビルと協力し街の捜索を開始する。一方クリストファーも行方不明の妻子を追ってブラームスまでやって来ていた。

恐らくは映像は更に凄まじいのだろう。破滅した世界と牧野修の電波との同調
小生、このゲームをプレイしていませんし、映画も観てません。なのでそういった観点から本書について述べることが出来ません。申し訳なし。あくまで牧野作品を追う過程で読んでいるだけなので……。

さてこの独特の世界。牧野氏が創ったのではなく、ベースはあくまでゲーム、そしてこの日本発ゲームが原作となった海外映画。『バイオハザード』の例などを引くまでもなくこのパターンも珍しくない。その『バイオハザード』もノベライゼーションを編訳したのは牧野氏だった。牧野氏はゲームのノベライズにも一定の功績があり、その力量が高く評価されている。とはいえ問題は本作の場合、恐らくは圧倒的な「画」によって魅せる部分が、物語・ストーリーによる恐怖よりも高そうだと思われる点だ。その世界が文章で表現されてはいるのだけれど、小生の想像力不足もあろうが「画」としての生々しい迫力を伴うかというと残念ながら伝わりにくいように思う。雰囲気は伝わるけれどどうしてもダイレクトに感じさせるという点、映像に文章は敵わない。(これは原作となった海外版ノベライゼーションのせいかもしれない)。
一方で、ストーリーテリングや物語のテンポとしては上々。サイレントヒルで行われている儀式、輪廻転生、憎しみの連鎖といったところの表現はさすがに巧みで、こちらは「理解」として、小生のような原作未経験読者にも伝わってくる。感覚的には本質的なこのサイレントヒル世界の法則が、牧野氏がこれまで数々描いてきた電波な人々によるそれとかなり近しいように思うのだ。その結果、中盤のサスペンスというかスリルに物足りなさがある一方で、後半の世界の破滅に至る展開が急に生々しく感じられるようになっている。特に狂信者たちの描写に関しては抜けて巧さがある。また、一種リドルストーリーとなっているラストシーンについても良い印象を受けた。

ちょっと評価としてはばらついた言い方になってしまったようだが、牧野ファンであれば一読する価値はあるだろう。サイレントヒルそのもののファンの方は自己判断で御検討頂きたい。”素”で読まれる読者は少ないと思うが、ちょっと説明が足りないと思われるかもしれない――という印象だ。


07/01/08
横溝正史「金田一耕助の冒険2」(角川文庫'79)

かつて一冊で刊行されていた短編集『金田一耕助の冒険』が映画化の関係で後から二分冊にされたうちの後半部を収めた作品集。書誌の詳しいところは『冒険1』を参照のこと。

迷宮入りとなった殺された姉の事件の再調査を金田一に依頼していたパチンコ屋の看板娘。夢見がちの彼女が、姉の命日に同じ場所で殺害されてしまう。 『夢の中の女』
雨宿りで寄った作家宅に取り残された女は、そこで殺されたばかりの死体を発見。すぐに警察に通報するが戻ってきたところ死体が影も形もない。だがその作家に関係のある女が用水路から発見された。 『泥の中の女』
美術館から輸送されてきた等身大の塑像。その塑像内部から女性の死体が発見された。その像の製作者によれば、像自体は彼の作品ではないというが、中から発見されたのは彼の先妻だという。 『柩の中の女』
彫刻家が自動車のトランクに入れていた女性像が死体と間違えられるという事件があり、金田一宅にこのことを相談したいという女性の電話が。しかしその女性の夫を名乗る男が依頼の取り消しに現れる。 『鞄の中の女』
海水浴客で賑わう海辺のホテル。滞在中の金田一は新婚のカップルを目撃するが、夫妻それぞれに過去に関係があったような人物が宿泊していることが気になる。果たして殺人事件が起きた……。 『赤の中の女』 以上五編。

題材が風俗的なれど張り巡らされる論理は深い。ただ金田一よりも目立つのは事件構造の妙味
”玉石混淆”と評した『冒険1』に比べるとはるかに「玉」の比率が高く、本格ミステリ的な観点から考えても満足度の高い作品が『冒険2』の方に揃っている。金田一の果たす役割というか事件への関わり方は『冒険1』も『2』もそう変わらないことを考えると、恐らくは作者によって演出された事件構造の差異が効いているように思われる。(ただ、初出自体は一連の流れの中で次々発表された短編ゆえ、執筆時期などが理由ではなく単なるセレクトの問題であるのだけれど)。
ただ、そう書きたくなる程に本書には魅力的な事件が多いのだ。過去の殺人と同様の方法で親族が殺害される一方、動機と真相のカムフラージュが見事な『夢の中の女』。死体消失というつかみが素晴らしく、更に一旦道筋ついた事件をひっくり返す『泥の中の女』、ホームズのナポレオン像から発想を得たわけではないだろうが、彫像詰めの死体の問題を鮮やかに解きほぐす『柩の中の女』、テープレコーダーという文明の利器(当時)を利用した推理=読者に対するフェアな手掛かりという点が面白い『鞄の中の女』、そしてこちらも細かな手掛かりが犯罪と犯罪のぶつかり合いを解きほぐすきっかけとなる『赤の中の女』……と、金田一の推理のキレは肯定されながらも複雑な事件構造がいずれも丁寧に構築されているのが特徴なのだ。
事件そのものの装飾というかガジェットは彫像に死体を詰め込むといったあたり猟奇的ではある一方で、探偵小説独特のロマンの香りを発揮している点も見逃せない。この一連の事件簿内部で金田一と対決させられた犯罪者もまた、探偵小説的犯罪者であり、彼らが種々計画を凝らすことによって事件自体が複雑化し作品としての、そしてフィクションとしての面白みが増しているとも思うのだ。

金田一の推理は、その事件構造を読者に開陳するきっかけであって、やはり事件の演出の仕方がこの作品集における魅力となっているように感じられた。あと、一編一編が意外と濃いのでこの短編集の分冊もまた成功していると思う。十一編を一気に読むのは何か勿体ない気がするし。


07/01/07
友成純一「無頼漢」(双葉社FUTABA NOVELS'88)

双葉ノベルスの友成純一といえば、ある種大傑作「宇宙船ヴァニスの歌」シリーズであることは間違いないのだが、それとは別に一冊だけノンシリーズで存在するのが本作。ああ、どうせならヴァニスだったら良かったのにというのは置いておいて、開田裕治画伯による装画が素晴らしい。工事用のヘルメットで目線が隠れた筋骨隆々の大男がタンクトップをはだけて胸の筋肉を強調しているの図。インパクトあるなあ。

鬱蒼とした樹が生い茂る新潟県のI市の山腹にて大規模な土木工事が進行していた。悪徳政治家の巣窟として名高いI市の議員肝煎りで誘致されたこの現場は、一般には極秘となっていたが防衛庁と防衛事業の最大手Y重工が社運をかけるあるプロジェクトの量産工場になる予定になっており、議員とも繋がりの深いS建設がその作業を全面的に請け負っている。ここ数日、何日か雨が続き作業が進められないその現場の内部の空気は淀んでいた。そこで喧嘩が始まった。筋骨隆々の大男・ブル公が、ひょろひょろした青年・ウラナリをぶちのめそうというのだ。ブル公の圧勝が予想されたが、ウラナリもまた予想外の健闘を見せる。がやはり実力差、ウラナリは倒れて雨の中放置される。そんなウラナリを拾って介抱してやったのはこちらもしなやかな肉体を持つ海野英雄とアル中の藤原の爺さん。彼らに他意は無かったが、ウラナリはこの現場に軍事機密があり、それを探り出して金に換えようとしていること、更に建設会社がスパイを幾人か放っており、その一人がブル公であることを語る。ただ、ウラナリのいう機密が超能力だと知り、彼らはバカにされているのかと憤るのだが……。

読了すると間違いなく途方に暮れるという……。尻すぼみが極まり逆に印象が強烈という謎の作品
山奥にある脱出不能の飯場、そこに集まる履歴の怪しい人物たち。彼らのうち異能がある者たちが、弾みから軍事機密に興味を持ち探り始める――というパート。そして一方で展開するのは、その軍事機密を扱うY重工業のエリート社員や、防衛庁御用達のI技研でその機密研究を続けるマッドサイエンティスト――のパート。二つのストーリーが並行して進められる終盤までは物語のテンポも良く、「あれれ、やけに現実趣味の話やなあ」という感想が超能力とそれを研究する科学者の登場で、「うんうんやっぱり友成作品だなあ」と奇妙な関心が喚起される。
変人揃いの飯場の種々の喧嘩や、さらに人体実験を重ねて生き残ったものを成果とする超能力研究のむちゃくちゃな様子など、友成作品らしい無茶がところどころに見え隠れし、友成ファンには安心して読める内容となっている。(あくまで友成ファンにとっては、のところ注意)。研究に興味を持って探り出そうとした一般的欲望をもった建設会社幹部の末路など、悲惨すぎてもう何とも。
そして最終章。作業現場にいた彼らが市内にある研究所に突入するのだが。この二十数ページの展開に「唖然」とすることになる。ラスト九行の破壊力たるや、読者の脳味噌を溶ろけさせようという意図があるに違いない。ここにその理由を詳述したい欲求が高まるのだが、それだけは伏せておく。ただここまで積み上げてきた内容を「え? え? こうしてしまうの???」と脳裏にクエスチョンマークが複数連なるような結末であることだけは保証したい。ここまで強烈な尻すぼみってのはなかなか小説で読むのは難しいですよ。

ただ、その尻すぼみゆえに強烈なインパクトを読了してからも残す。もしこれが作者の意図であれば凄まじく高級な一手ではあるけれど、それがそのまま評価に結び付かないことは言うまでもありません。友成ファンでなければ理解できない(そして許されない)世界。 ということで普通の人が読むと激怒間違いなしという一冊でした。


07/01/06
佐橋法龍「こちら禅寺探偵局」(講談社ノベルス'87)

副題として「伊那高遠殺人事件」。佐橋氏は長野県松代町にある真田家の菩提寺曹洞宗長国寺の住職で禅関係の著書が多い。その余技として推理小説を数冊刊行しており、他に『師家殺人事件』『信濃古寺殺人事件』などがある。本書も私家版で再刊行されており、さらに別に私家版の推理両説がある模様だ。

かつて真田十万石の城下町だった長野県松代町にある小さな禅寺洞谷院で住職をしている禅僧・望月法元。彼のもとには大愚と顕宗という二人の弟子がいる。法元はある日、高遠にある瑞雲寺に行く用事で杖突街道の途中で休憩を取っていたところ、出版社に勤める藤本摩耶という若い女性と知り合いになる。法元一行が高遠に到着してみたところ、偶然旧知の警察署長・川路と出会った。老舗和菓子屋の主人・池下宣三が殺されたという事件に、新任署長でもある川路はおろおろしており、かつて事件解決に才を発揮した経験のある法元は幾つか川路にアドバイスを施す。その結果、撲殺とみられていた事件は、実は拳銃で殺害されたものだと判明、さらに事件で使用された拳銃は、東京の大学生殺しに使用されたものと同一だと判明した。その犯人は転職を繰り返す癖のあった吾妻という男だと判明していたが、吾妻はどこかに潜伏したまま逮捕されていない。更に瑞雲寺の住職が続いて謎の失踪を遂げてしまう。どうやら、一連の事件の裏側には珍しい禅の古書が絡んでいるようなのだが……。

筋書きはきちんとしていながらも、恣意的な展開が目立ちすぎるのが瑕。
読了してしまうと「ああ、なるほどこういう筋書きだったのか」と理解ができるのだけれども、読んでいる途中にどうもこの世界に入り込みにくいというか、読者に対するつかみがぼやけているような印象があった。ちょろっと分析するに禅関係、また信州関係の描写がその柔らかめの文体以上に唐突に、詳しすぎる程の内容になってしまっていること、加えて普通は使わないところに《○○》を使用して強調する文体や、若い人物の描写がいかにも上の世代が描く若者像といったところがある点あたりが、読みやすさを阻害してしまっている印象がある。また、物語が進むにつれ法元の思いつきでしかないアドバイスが捜査の進展に役立っていく展開があまりにも恣意的で、さすがにちょっと苦笑せざるを得ない場面も。(行方不明の犯人が禅寺に逃げ込んでいるとか)。
放火を利用したアリバイトリックがあり、恐らくは実際に作者も実験したのではないかと思われるのだが、力が入っている割には驚きに乏しい内容だったのも残念。一方、真犯人の犯行動機については時代がかっているものの、これはこれでありとしたい。そういった全ての要素が明かされてみるとそれなりに一本スジが通った物語となっているのだけれど、個々の場面における演出がやはり微妙に一般的なミステリとずれている印象は変わらない。

総合的に判断すると、やはり現職の僧侶が書いたミステリという点で余人には真似できない禅に関する表現であるとか、地元信州に対する歴史的に深い理解があること等は間違いないながら、それのみがポイントである作品。ミステリの要素のみを抽出した場合には、残念ながら深みに欠けている。
土曜ワイド劇場にて松平健が法元を演じてドラマ化されていたようだ、但し、筋書きは大幅にドラマ向けに改変されている。さらに本作品は佐橋法龍和尚が勤める寺の名義で最近私家版が復刻されている模様だ。とはいえやはりあくまで好事家向けの作品だといえそう。


07/01/05
大槻ケンヂ「ロコ! 思うままに」(光文社'06)

元「筋肉少女帯」、現在は「特撮」とロックバンドを率い、作家としても二年連続星雲賞受賞という実績を持つ、大槻ケンヂ氏の短編集。本作は表題作が「オバケヤシキ」にて発表されているなど『異形コレクション』収録の短編が中心となっており、そのせいかホラー色が若干強めか。

フリークスたちに囲まれ、光のない世界で育てられた少年、ロコ。彼の住む世界を訪れた一人の少女・リサによってその世界に疑問を抱き、父親に問いかける。 『ロコ! 思うままに』
火事で妻と幼い子どもを喪った三十男が僕。そんな僕がゲームセンターで出会ったのが熊のぬいぐるみ。モモと名づけられたぬいぐるみは僕にとって実子そのものだった。 『モモの愛が綿いっぱい』
全国を旅するロックバンドのツアーワゴン。十八歳かそこらの僕たちは追っかけ少女を食い荒らしていた。そんな中引っ掛かったのが摩知だった。 『ドクター・マーチン・レッドブーツ』
明智小五郎の妻・文代はなぜいつしか作品に登場しなくなるのか。彼女は実は明智と二十面相のあいだで心引き裂かれるような思いを抱いていたのだ……。 『怪人明智文代』
文化祭でキティちゃんもどきの着ぐるみを、不良少女たちは退屈凌ぎにひと目の無い部屋に連れ込みぼこぼこにし、あまつさえ校舎から突き落としてしまう。 『キテーちゃん』
世界を席巻する少女のゾンビ群・ステーシー。彼女たちを再殺する非合法集団「再殺愚連隊」所属の若者たちは、ある日山にステーシー狩りに出たまま、一人を除いて戻らなかった……。 『ステーシー異聞 ゾンビ・リバー』
十五才のグラビアアイドル「新月」は、売れないロックアーティストの僕の自宅に通ってくるようになる。中身がないことを気にする彼女に僕は一つアドバイスをしたところ……。 『アイドル』
太平洋戦争末期、海底から敵艦に忍び寄り棒の先に括り付けた機雷で爆破するために訓練を繰り返す特攻部隊。稲太は海中の孤独に耐えるため、ある方法を思いつく。 『イマジン特攻隊』
奔放な発言を繰り返すB級アイドルに魅せられたロコは、彼女の希望を満たすためギターの特訓に明け暮れる。そんな彼女が急な引退、田舎に戻る彼女の車を追うロコは、奇妙な人物たちが乗るバスに同乗させてもらうことに。 『天国のロックバス ロコ! もう一度思うままに』 以上九編。

ロックバンドを描かせると天下一品、それに妄想と偏愛が加わって世界が変質させられる……
小生の世代のせいか、大槻ケンヂという固有名詞を聞くとそのまま”筋肉少女帯”というバンド名が思い浮かぶ。小説を書いていることは昔から知識としては知っていたが、その作品を実際に目にするまでは、これまた思い込みで「しょせん、他世界で活躍するアーティストの手遊び」といった風に考えていた。……が、いつだったろう。たぶん異形コレクションか何かで、この人の短編を読んで微妙に考えを変えることになった。それから短編集を読み、本書はまだ単行本として読むのは二冊目にしか過ぎないのだが、この世界にどうしようもなく魅力を覚える自分がいる。(自分語りすみませんごめんなさい)。でも、同様に「大槻ケンヂの小説」を色眼鏡で捉えている方は他にもいるんじゃないかと思うのだ。それは間違いなんですよ。
少なくとも本書、独特の美学に彩られた異形の短編群であり、かつ自身のロックアーティストとしての経験が(たぶん)創作に活かされており、それが大槻作品独特のリズムとなって身体のなかに染みこんでくるような印象があるのだ。単に恐怖、単に狂気が描かれるのでなく題材として、背景として音楽が絡むところから、物語全体を使って不条理な音楽を聴いているかのような気分にさせられる。また追っかけ少女の生態や芸能界を描くところのリアルさ(もとよりこの世界には現実にも種々の欲望から紡がれる魑魅魍魎が渦巻いているであろうし)が、作品自体に不思議な落ち着きを与えているあたりも巧い。一方で内部に様々なものを抱え込んだ不器用な若者たちの生態を描く点についても優れており、普通の作家や読者と住む世界が異なる点をその小説創作においてもプラスに作用させていると感じられた。魅力なのは、狂気に取り憑かれた人々を”内側から”描いている点。狂気の理屈に読者をするっと取り込んでしまう腕前には、センスというか天性のものを感じる。
あと、ミステリ的に注目したいのは「怪人明智文代」。明智小五郎もののパスティーシュとして独特の考察のうえで更にイマジネーションを飛躍させており、自身の乱歩趣味を一歩押し進めたかの大胆な仮説や、様々な乱歩作品への言及、さらには文代と小林少年との葛藤、文代を巡る明智と二十面相の対決など、これまで読んだことのない角度での作品構成とその巧みさに驚かされた。

作品内部で紡がれる独特の慕情といい、登場人物が発揮する狂気のセンスといい、幻想恐怖譚として上々の内容だと確信させられた。遅れてきたファンということになるので今後、過去作品をもう少し追ってみたいと考える。


07/01/04
蒼井上鷹「ハンプティ・ダンプティは塀の中」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

蒼井氏は、第26回小説推理新人賞を受賞した「キリング・タイム」と第58回日本推理作家協会賞・短編部門候補作品となった「大松鮨の奇妙な客」を含む短編集『九杯目には早すぎる』を刊行後、近年になり矢継ぎ早に初長編『出られない五人』、第二短編集となる『二枚舌は極楽へ行く』を発表、本作は著者四冊目となる連作短編集。

車を運転中、因縁をつけてきた相手を引きずって怪我を負わせたかどで留置場入りした和井ことワイ。相部屋の留置場にはプロ泥棒にして部屋長のデンさん、クスリで捕まったミュージシャンの卵・ノブさん、古書蒐集の趣味がたたって衝動的に財布の置き引きをして捕まった老人・ハセモトさん、そして『詐欺のようなもの』をして捕まっているというマサカさんがいた。そのハセモトさんは年若い妻との暮らしで大量の古書コレクションを持っていたが、隣人との折り合いが悪く様々な悪い噂を流されていたのだという。そこに実際に捕まったものだから家は恐らく大変なことに。しかしマサカさんは、そんなハセモトさんに様々な要求を突きつけるのだが……。 『古書蒐集狂(ブック・コレクター)は罠の中』
留置場から僅かにみえる外の世界。そこに毎日のように来てノートパソコンを弄ぶコスプレ美少女。果たして彼女は何のために、誰のためにそんな行動を? 『コスプレ少女は窓の外』
留置場に新たにやって来たのはトマベ。彼は一流企業でプロジェクトに抜擢され張り切っていたところをクスリで捕まった。彼は仕事が気になると先輩・サイキと連絡を取りたがるが、そのサイキが殺害されてしまう。 『我慢大会は継続中(エンドレス)』
留置場の新入り・ハッサンは実は日本人。留置場にいる先輩たちの一人、ワイがバーのママが交通事故死したのは殺人ではないかと状況を話し出すが、実はハッサンもその事件の関係者だった。 『アダムのママは雲の上』
数々の事件を解決に導くマサカ。彼は弁護士一族のはみ出しっ子で下着泥棒の疑いで留置場入りしていた。そんな彼宛に届いた殺人予告状、しかしその決行日は既に二日前の日付だった。 『殺人予告日は二日前』 以上五編。

特異な閉鎖環境における、小心ものの変人たちによる本格ミステリ。変化球の更なる変化
閉鎖環境といっても犯罪の場が密室だからとか絶海の孤島だとかではなく、単なる留置場。既に捕らえられて籠の中にいる登場人物たちは、自らの捜査するでなく想像力と論理の力でもって、聞いてきた事態や塀の中の出来事について推理を巡らす。ただ、関係者も基本的には犯罪者。そもそもの前提となる問題編(となる記述・会話)からして疑ってかかる必要があるわけで……。さらにさらに、その最終結論も探偵役が塀の中ゆえに綺麗に検証されにくいときている。
つまりは、本格ミステリの骨格を個々の作品が持ちながら、その内実は変化球に更に別角度から小石が飛んできて方向が変えられた球(ボール)みたいなもので、最終的にどこに落ち着くのか全くみえないのだ。これまでの著作も含め、特殊な場や変人の登場人物といった設定に凝り、その結果生まれる予想外の変化そのものが蒼井作品の特徴みたいなところもあり、現段階での蒼井上鷹という作家の特性が本書あたりは最もストレートに出ているといえそうだ。
個々の作品が実にユニークであるという点については異論を待たないが、その特異な設定ゆえに結末に至るまでにどこかキレが落ちたり、オチが若干甘かったりするのが弱点といえば弱点。物語をふくらませ過ぎて作者自身があっぷあっぷしながらコントロールしようとしているようにもみえる。その中では『我慢大会は継続中』が最もバランスが良くまとまっている。留置場のなかにいれられ、自由を剥奪された犯罪者ならではの言動からの推理。意外性も大きくオチも綺麗に決まっているため、個人的には作品集中のベストかと思う。

行き着くところまで行っている本格ミステリに独特のオリジナリティを付与せんと奮闘する作者の姿勢に好感。今後もこの変化球本格ミステリ路線を突き詰めていって欲しいように思う。(ただそれがマジョリティたる一般ミステリ愛好家までに受け入れられるかはわかりませんが……)。
本作の番外編が東京創元社のwebサイトにて読むことができる。「ラストコール」がそれ。読了後の方が楽しめると思います。


07/01/03
加納朋子「モノレールねこ」(文藝春秋'06)

デビュー作からして連作短編集、その他の代表作にも連作が多い加納朋子さん。本作は同じ短編集ながら、『沙羅は和子の名を呼ぶ』に続いて二冊目となる”ノンシリーズ”の短編集。2005年から2006年にかけて『オール讀物』発表した四編が中心だが、他はアンソロジーや他誌発表した作品となっている。

そのネコはデブで不細工で、ノラだった。そんなネコを介しサトルとタカキは奇妙な文通を始めた。 『モノレールねこ』
専業主婦となった私は時間をつぶすのが下手で、ひたすらジグソーパズルをする。だけど実の母親との微妙な関係に悩みがあった。 『パズルの中の犬』
両親と祖父母を同時に亡くし、家族の中で一番ダメで頼りない叔父さんと高校生の私は二人残されてしまった。この叔父、本当に何もできない人なのだ。 『マイ・フーリッシュ・アンクル』
独身でいても不都合はない。「結婚しないの」の声が厭で私はミノさんとの偽装結婚に合意する。ミノさんは婚約者を亡くす過去があり、その家族と不思議な同居をしていた。 『シンデレラのお城』
三十を過ぎて生まれた娘が亡くなり、私は娘の誕生祝いをしたあのホテルに一人で宿泊した。そのホテルは亡くなった人に出会えるとも言われている……。 『セイムタイム・ネクストイヤー』
叔父の経営する「ラーメン蝶々」二号店を任された俺。順調な滑り出しかと思いきや、変な客に因縁を付けられたことがきっかけに業績が急降下……。 『ちょうちょう』
ろくでなしのクソオヤジ、それが俺の父親。そのひどいエピソードは数知れず、だけど俺は婚約者をオヤジに紹介しなければならない。 『ポトスの樹』
俺は公園の池に住む、一匹の若いザリガニだ。しかしちょっとしたきっかけから子どもに捕まってその家にて「バルタン」と名づけられた。 『バルタン最期の日』 以上八編。

ミステリからは徐々に距離。だけどいわゆる”加納節”は全開。素直に心が温もる好作品が揃う
全部が全部ミステリではないかと言われると、「ミステリ風の作品もある」という程度の答えになってしまうか。基本的には人間の(バルタンは人間ですらないが)心の微妙な繋がりや機微を巧みに描き出している人情や恋愛、家族にまつわる普通小説による作品集だ。扱われるテーマも様々で、男女の恋愛の端緒を予感させる作品があるかと思うと、結婚生活の話や不器用ながら離れられない親戚や家族の話……といったふうで、統一感はそこにはない。――が、加納朋子さんという作家の存在がそれらの状況や本心、事態の裏側にある事柄を見事に演出して見事に小説に仕上げていることにより、不思議な、そして統一感のあるオーラを全編が纏っている点がポイントだ。
恐らく、読者の立場や性別、年齢といった受け手の違いによって本書でツボに入る作品は様々であることが想像される。それぞれの物語構造自体は童話的といっても良く、ちょっとした謎かけがあっても落としどころはここしかない! というところに綺麗に収まる。そうなるだろうという安心感が作品の魅力の一つ。ただ、その作品から受ける印象とは裏腹に、加納さんの描く小説にはしばしば「どうしようもない」人間の「どうしようもない」描写(それは時には強烈な悪意であり、あまりにもひどい行動だったりする)が登場するが、その「どうしようもない」人々は本書でも健在。特に『ポトスの樹』あたりの父親キャラクタの強烈さには、頭がくらくらする。それでも、そんな人々であっても単に徹底的に懲らしめるといった扱いをせず、きちんとその存在感をプラスに発揮して物語を終えられる優しさが素晴らしい。
また、ラストに収まっている『バルタン最期の日』は特に傑作。 その家族を描写するアングルといい、過程といい、結末といい、単に泣きを演出しているだけではなくその裏側に込められた種々の技巧も光っている。主人公のバルタンが結末を迎えた後、家族の彼に対する態度、姿勢が微妙にそれまでと異なる点、数行ながら深みのある演出である。ラストの決め台詞も小憎く、本作品が最後に座っている配列もまた巧い。

いわゆる「加納朋子さんらしさ」が全開であり、加納ファンであればもちろん、そうでなくても優しく温かい小説が好きという方ならば読んで損はない作品集。連作よりも、場面のバリエーションが豊かな分、どんな読者に対してもどこか(どの作品か)に必ず”ツボ”があるのではないかと思う。


07/01/02
都筑道夫「世紀末鬼談」(光文社文庫'87)

文庫オリジナルの短編集で、刊行当時単行本未収録の作品ばかりが集められている。副題は「恐怖小説傑作集」となっているが必ずしも恐怖譚ばかりではない。

わかれた女房とかつての恋人が登場する悪夢。果たして今見ているこの光景は現実なのか夢なのか……。『夢しるべ』
一万円札だけを持っての夜更けの散歩。タバコがないとなると無性に吸いたくなる。同様の男に声を掛けられ……。 『自動販売機』
声だけの幽霊が出るという無人のアパート。取材企画で数人の男女が乗り込んできているが、果たして幽霊が現れた。 『声だけ』
夫と別居して二年になる奈代子。発展家の友人・美保との電話の最中、夫が残したと思しき赤い鍵を発見する。 『赤い鍵』
作家の元を訪れた刑事たち。彼らがいうには殺人事件の被害者女性のところに彼からのハガキが数枚あったらしい。 『にわか雨』
アパートの一室に住む破魔子は私のセックスフレンドだった。しかし別の場所で会った私のことは完全に無視する。 『ころび坂』
多摩由良駅の近くのスナック開店祝い。扉を開いてやってきた見知らぬ男は「開店祝い」と呟いて息絶えた。 『開店祝いの死体』
メゾン多摩由良商店街で紅子が見つけた泣きじゃくる迷子。警備室の兄貴を連れて戻るとそこには死にかけた青年が。 『育った死体』
警備主任宛にかかってきた電話を紅子が取った。「このままだと家内を殺す」ので止めて欲しいと男は言うが。 『生きていた死体』
結婚するつもりの女性が暫く会わないで欲しい、だけどちゃんと結婚をするという。悩んだ男は電話相談を。 『もしもし倶楽部開業』
引っ越ししてきたのに旦那が「幽霊に会いにゆく」と以前のマンションに戻って数日暮らすという。悩んだ妻は。 『秋風よ』
年輩の男性が告白する、戦時中の殺人。東京大空襲の日、逃げまどう人々のなかで彼はある人物を殺害したという。 『三月十日』 以上十二編。

乾いた文体に深い蘊蓄。さらにホラー・ミステリetc, 各方面に向けた才が凝縮して感じられる作品集
解説の高橋克彦氏による「まさか、この本で都筑センセーの存在をはじめて知ったり、はじめて読む、なんて人はいないんだろうな」というコメントがある意味絶妙。昭和後期に発表される都筑作品のイメージを集約したかのうような作品集なのである。この後「万が一、そんな人がいたら、これはもう宝くじに当たったようなものだ」とあるのは、ちょっと身贔屓というか褒めすぎのような気もするけれど。ただ、一部の作品の巧妙さについては「流石」といった感じで、一方のミステリ系の作品は少々物足りなさがあるという点も、どこか後期の都筑作品に繋がるように感じられる。
印象的なのは副題の「恐怖小説傑作集」となる現代的な怪談、奇譚。個人的には『自動販売機』のシュールさが好きだが、他も人間心理や狂気の描写に長けた作品が揃っており、からっとした筆致で描かれる悪夢という点では共通している。都筑道夫の恐怖譚はどこか独特で、技巧が走っているせいかもしれないが恐くない時は全然恐くないのに、ツボに入ると強烈な印象が残るのだ。本書収録作は技巧とツボが両立している作品が目立ち、やはり巧さを感じる。
一方「○○死体」という題名がついた三編は『全戸冷暖房バス死体つき』等に登場する滝沢紅子ものの短編になる。口語による言葉の第三者的受け取り方にトリックを共通させているという興趣があるものの、全ての事件がメゾン多摩由良で発生していて、三編とも殺人というのはちょっと忙しすぎる印象。(ま、フィクションなので仕方がないのだけれど)。
また終わりから三編は「もしもし倶楽部」という無料電話相談がテーマの連作で、会話文だけで物語が進行する。この三作のなかでは著者の戦争体験が活かされる『三月十日』の東京大空襲の描写が秀逸(ただ、オチは頂けないが)。三編ともミステリ仕立てながら、その会話から推理するという面白さはあるものの、ミステリとしては出だしがユニークな割に落としどころがちょっと弱い印象か。

とはいっても、本書を最初に読むという読み方が、都筑道夫にとって良いかというと正直やはりそんなことはなく、いわゆる世評の高い名作から徐々に入っていくべきだと思う。ある程度、都筑ワールドの全貌をつかみかかった方のためのボーナストラックという位置づけは、恐らくこれからも変化ないだろう。


07/01/01
津原泰水「ピカルディの薔薇」(集英社'06)

売れない作家・猿渡と黒ずくめの衣装を着た怪奇小説作家(短編によりその素性は時々変わる)”伯爵”とが巡り会う世にも奇妙な物語集。怪奇趣味が横溢する傑作集『葦屋家の崩壊』から七年、『小説すばる』誌や、各種アンソロジーに収録された短編作品がまとめられ、ついにシリーズ続編の刊行と相成った。

一軒家を売りに出し、買い手がつく前にアパートに越した男。その彼が娶った妻は、二人が二人とも亡くなった。特に二人目は餓死していた。彼のみた白昼夢とは。 『夕化粧』
人形作家の展示会に招かれた猿渡は、その作者の青年に出会う。介添人が五感がないという彼は、サナトリウムで人形を作っており、薔薇園のあるその施設に猿渡は招かれる。その青年の最後の新作は? 『ピカルディの薔薇』
リゾート計画が進行中の奄美諸島のある島に招かれた猿渡と伯爵。計画を立てた女社長・白鳥飛鳥なる人物は、この地にある見事な榕樹(ガジュマル)に魅せられ、その伝説にこだわっていた……。 『籠中花』
前作でも登場した白鳥飛鳥と猿渡・伯爵とのあいだで奇妙な盛り上がった世界各国に伝わる・珍味や風土料理の数々の話題が散文的に描かれる。 『フルーツ白玉』
猿渡は性器の先端に痛みを覚え、泌尿器科へと通う。一方、平太郎は時代や世界を超越した不思議な夢のなかに登場、その妹の月埜に夢の内容を語って聞かせる。 『夢三十夜』
猿渡が行きつけにしている古道具屋。若者が売っていったウクレレの名器をきっかけにある人物が手に入れ、人生すら狂わされた名器の話へと続いてゆく。 『甘い風』
昭和初期。満州に興味のある猿渡(祖父)は、満州の交響楽団に所属する学友の伯爵を頼り渡満する。コンサートまでの寄宿先の娘に案内され、満州人の邸宅を訪れた猿渡は奇妙な経験を……。 『新京異聞』 以上七編。

幻想というより幻視の文学。不器用に人生に向き合う猿渡ならではの世界観に舌鼓を打つ。
中井英夫オマージュからあたかも食エッセイ風に綴られた軽妙な文章まで、怪奇幻想を主軸に強烈な幻視が印象的であった前作と共通点も多いが違いもまた多々ある印象だ。特に、津原作品においてしばしば感じられる、その精緻に構築された技巧よりもむしろ、津原泰水という稀代の物語作家のセンスがそのまま流れるように表出しているようにみえる。いわゆる物語としての定型や約束事にこだわらず、短編作品としてキレイにまとめることすらも場合によっては放棄されたような(とはいえ一方では幾つかの作品はかっちり短編としてまとまっているが)独特のセンスと奔放なイマジネーションの連なりが、そのまま”作品”となっているかのようだ。
しかも、アンソロジー収録作品はきっちりそれぞれのオマージュとして先行する存在へのリスペクトが感じられ、それでいてそのテイストは紛う事なき津原作品でもあるあたりは唸るしかない。個人的には、稲生平太郎アンソロジーにも収録されている『夢三十夜』における、数々のイメージの組合せとその裏側にある物語がさらに幻想風に処理されて……という入れ子構造が気に入ったのだが、『籠中花』『フルーツ白玉』の二作に続けて登場する女社長・白鳥飛鳥の強烈にして特異なキャラクタにも惹かれるものがあった。特に自分の命が危なくなっても告訴だ告訴! と喚いているあたり始末に困る酔っぱらいにも似た人間の姿に、簡単には割り切れない”人間”の訳の分からない深みを感じる(ちょっと感想としては一般的ではないかも)。

大量に蠢く寄居虫(やどかり)のイメージや、人間の突如の変貌など恐怖を喚起するようなガジェットもあるにはあるが、少なくとも読者をその感情に巻き込むことが主眼ではないようにみえる。むしろ津原泰水という作家のイマジネーションにたゆたいながら、そのうねりを楽しむべきが読み方のように思われた。好作品集。