MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/01/20
北村 薫「ひとがた流し」(朝日新聞社'06)

第136回直木賞候補作品(同回は受賞作ナシだった)。本作は朝日新聞に二〇〇五年八月二〇日から翌年三月二三日にかけて掲載された作品を単行本化したもの。

母と二人きりの暮らしの後、猫のギンジローと二人暮らしをしているテレビ局アナウンサーの千波(トムさん)。写真家の夫・類と再婚して先夫とのあいだにできた子供・玲もまた大学生にまで育った美々。夫とは離婚して女手一つで育ててきた娘がこの春から大学に入学し、互いに一人暮らしとなる牧子。若い頃に共に過ごし、その後も良い関係を継続する四十代の女性三人を中心に、彼女たちの家族、そしてその家族同士の日常の光景や繋がりをゆるやかに描いた作品。特に四月からニュース番組を任されることが内定し、アナウンサーとして一歩大きな前進を踏み出すはずだった千波を静かに襲った悲劇。その結果、彼女たち三人ののあいだで静かに揺れる波風、そして千波がとった行動とは……。

北村薫らしい日常の過剰描写が独特の余韻を紡ぎ出す。四十代女性の心象を巧みに綴った作品。
最初に言っておくと非ミステリ作品。確かに物語の途中、沈み込む千波の姿を追っているとおぼしきストーカー男が登場、すわ彼は何者? とその人物を追いかけていくサスペンスはだしの描写あるものの、そこは物語の展開上の必要があってのこと。そこに特別に何かトリックが凝らされている訳ではなく、あくまで非ミステリに徹した長編作品である。
多様な登場人物が現れるが、基本は充実の四十代を迎えた三人の女性の人生、そしてその彼女たちがいる三つの家庭の様子が全体的に穏やかな筆致で綴られる。章ごとに視点人物が変化するが、毎回そのラストで物が受け渡されるエピソードが必ずあり、微妙な繋がりが演出されていて楽しい。
また、本筋に無関係、ないしほんのちょっとしか関係しない日常のスケッチや、ふとしたきっかけから喚起される思い出といったエピソードがやたらに目立つ。ミステリに分類される北村作品でも同様のことがいえるが、本作ではその作者の類い希なセンス、作品の特徴自体を心象風景や性格描写に巧みに役立てていて単なる雰囲気作り以上の存在感があるように思われた。一方で物語では控えめで抑制された筆致により、普通に生きる人間の喜びや悲しみの感情をより深く描き出すことに専念しているかのよう。 それまでも豊かな”生”を生きてきた女性たちが、ふと立ち止まり、そしてまた歩み出す姿がなんとも味わい深い。柔らかな人々が多いだけにほんのちょっとした悪意に”どきり”とし、意外な展開にも納得させられる。物語を知り尽くした著者だけに何かと周到な物語だ。
悲しい物語にもかかわらず「涙」を排除して物語を書かれたという点、あとがきを読むまで気がつけず。迂闊。ただ、一般サラリーマン層など眼目になく、主婦層をメインターゲットに読者を絞った……というようにみえるのはうがちすぎか。自由業やそれに近いカタカナ職業の人が多数登場して、それがみんないい人だったりするところに微妙な世間受けを考えているような厭らしさも何となく感じるが……。とはいえ、間違いなく良い話です。

物語として良い話すぎて老若男女各層全てに支持されるかどうかは逆に微妙な気が。ただ、恐らくは北村薫が標的としたと思しき層に対しては深いアピールがあると思われる。北村薫の一般向け文芸は、それはそれで「芸」ですねえ。


07/01/19
石田衣良「てのひらの迷路」(講談社'05)

PR冊子「新刊展望」の二〇〇三年七月号から二〇〇五年六月号にかけて連載されていた掌編が23、加えてこの掌編のうち「片脚」と対をなすかたちで「小説現代」二〇〇四年一月号に発表された「左手」が加わった短編集。一編一編はごく短いが、作品毎に後に作者に付け加えられたコメントが加えられている。

作者の個人的な体験に基づく半分私小説にフィクションが振りかけられたような作品。例えば、作者の母が亡くなる前に入院していた時期のことを回想する『ナンバーズ』
思い切りファンタジーめいた作品。次の読者のために内容が変化し、読者を元気づけた後にまた次の読者のために放浪する本の話『旅する本』
ちょっとホラーめいた作品。職業柄、完全なる時計を身体に内包した女性アナウンサー。彼女が僕とのあいだにみるのは一体何なのか『完璧な砂時計』
再び私小説めいた作品。働いてきたプロダクションを衝動的に辞めた後、僕は何を感じ何をしたのか。『無職の空』等々。
作品全てを紹介するのは無理なので以下は題名のみ。『銀紙の星』『ひとりぼっちの世界』『ウエイトレスの天才』『0・03mm』『書棚と旅する男』『タクシー』『終わりのない散歩』『片脚』『左手』『レイン、レイン、レイン』『ジェラシー』『オリンピックの人』『LOST IN 渋谷』『地の精』『イン・ザ・カラオケボックス』『I氏の生活と意見』『コンプレックス』『短篇小説のレシピ』『最期と、最期のひとつまえの嘘』『さよなら さよなら さよなら』以上、二十四編。

ちょっとコジャレでちょっと切ない。石田衣良センスと発想によるショートストーリーズ
特段のテーマを事前に決めず十枚程度の小さな小説を連載する――というPR誌の企画からはじまったという。まえがきの一つにもある通り、最初は私小説のような作品からはじまりながら、あちこち自由に筆が飛び発想が飛ぶ。後半には禁断の「締切前で何も書けない」というようなところを作品に仕上げてしまうのは長期連載のお約束かも。とにかく「自由にやらしてもらっている」ということに起因する楽しさが、全般にこちらに伝わってくるような作品集なのだ。
上記の通り、私小説風、恋愛小説風、ホラー小説風、青春小説風、ファンタジー風……と、これだけ作品があって、分類するに何でもあり、筆が様々なところに飛んでいる点がそのまま石田衣良のこれまでの作品群を想起するようで楽しい。本を巡るファンタジー系の発想もなかなか非凡だが、やはり寧ろ冴えが感じられるのは都会的な恋愛、それも何かちょっと普通ではない(否定する意味ではなく世間的な良識と少し離れていたり、SF的設定が加わっていたり)恋愛を描いている作品から。まあ、脚フェチの男性と手フェチの女性が遠距離恋愛をする『片脚』、『左手』のセット小説の奇妙な面白み、破滅が予感されるなかでの女性の言葉にインパクトある『0.03mm』、四年に一度巡り会う男性とセックスをする(といってしまうと身も蓋もないが)『オリンピックの人』といったあたりが良い印象を受けた。
また、私小説めいた作品のなかにも面白いものがあり、都会の孤独を描いた『LOST IN 渋谷』あたりに独特の石田衣良らしい渋みが漂っている。また私小説系の一連の作品のなかに小説創作の動機や、デビューまでの流れのようなところがあり、そちらも興味深いものがあった。

ショートショートよりもほんの少し長めのストーリーズ。長編で得られるような重厚な興奮とはまったく別の、こういった掌編でしか得られない優しい感覚がある。あまり集中して読書に時間が取れない時にぽつりぽつりと拾い読みしたりして味わっても良さそう。


07/01/18
長井 彬「南紀殺人 海の密室」(講談社ノベルス'87)

長井彬氏は『原子炉の蟹』で第27回江戸川乱歩賞を受賞している作家。当初は社会派、そしてその後は山岳系や旅情ミステリーを中心に発表するようになった。本書は1987年の9月、綾辻行人『十角館の殺人』と同期刊行の作品である。

雑誌などにスキャンダル写真を提供していたカメラマン・福本達也が和歌山県田辺市の海岸で転落水死した。そのことを後から聞かされた福本の友人で、同じくカメラマンの栗栖晶は耳を疑う。福本には和歌山と縁がない筈で、そもそも酒を飲まない彼がなぜそんなことになったのか訝しく感じたのだ。彼は一週間前に福本と会った時に出会った真砂絹絵という女性が鍵を握ると考えて話を聞きに彼女の自宅を調べて出向く。応対したのは絹絵の妹の麻絵。麻絵によれば、絹絵はシナリオライターで田辺市出身、そして現在は映画『昭和道成寺』の撮影でその地に滞在しているのだという。どうやら絹絵は映画の主演男優・松原康二と不倫関係にあるらしい。栗栖は急ぎ田辺に向かうが、福本が発見された海辺は人が入り込みにくい場所でしかも住人がたまたま見張っており、彼らしき人物は見られなかったという奇妙な密室状態だった。また、家庭派の男優として評価されている松原は最近、情熱を燃やすタイプの絹絵を持て余し気味だったこともわかる。その絹絵と面談した栗栖は、彼女が何かを隠していることを直感するが、翌日になって松原と絹絵は早朝から帰京してしまう。

あれあれ? という印象。二時間ドラマのような軽めのトラベルミステリー
芸能界のスキャンダルを追っていたカメラマンが死亡、その親友がその不自然な状況に疑問を抱き、南紀へと飛ぶ……。
基本的にトラベルミステリーだが、「南紀殺人」という風に南紀への旅情をかき立てるかというと、観光地や旧跡描写もあまり丁寧ではなく、事件の舞台が一部南紀地方であるというだけという印象。さらに北海道のスキー場へも主人公は移動するが、こちらについてもご当地描写が淡々としている。ただ、南紀に伝わる将来を契った筈の娘を裏切って逃げ出した僧侶を、娘が執念から鬼のようになって追いかけるという「道成寺伝説」をモチーフとしているところが長井氏の意地か。複数の伝説にまつわる蘊蓄はそれなりに面白く、その部分に限っては南紀らしさが見える。勿体ないのは、作品で大きな役割を果たす真砂絹絵という女性。嫌がる交際相手をものともせずに情熱を燃やして尽くしまくるタイプ(さらに清姫の末裔)ということになっているのだが、物語中途で事件の被害者となってしまうため、折角引き合いに出している伝説と物語と二重写しで最後まできちんとなぞられていないのだ。この部分が完遂されていたらかなり印象が変化したかもしれない。
小生の読み方のせいもあろうが、本書における最大の問題は特に題名に使用されている「海の密室」のトリック。海岸からは誰も出入りできない状況下、海に死体が浮いていた……。被害者のカメラが海岸に放置されており、船は使用された形跡はない。そのトリックとは???  ……「あちゃー」。確かにあれもこれも手掛かりといえば手掛かりなので本格の要件としては整っているとはいえるのだが……、そもそもなぜ犯人はわざわざ手間をかけてそういうことをしたのかの必然性に乏しく、そもそもその方法がとにかく……なのだ。
もう一つ、ホテルで青酸カリを飲んで自殺したようにみえる死体の事件があるのだが、こちらもトリックというには安易に過ぎる。真犯人の動機については理解できるとはいえ、その真犯人を追い詰めた最初の被害者の行動の方に今ひとつ納得がゆかず、結局はWhy done it? にしても中途半端な感は拭えない。芸能界の暗部を描くという意味では成功しているといえなくもないけれど。

あくまでノベルスに対して”軽めの読み物”であることが求められた、時代の要請が生み出した作品なのかな……と思う。ただこの手の作品のニーズというのは現在もあるわけで、その流れが今よりも太く強くあったということなのだろう。残念ながら作品として長く残るタイプのものではなさそう。


07/01/17
鳥飼否宇「樹霊」(東京創元社ミステリ・フロンティア'06)

第21回横溝正史賞優秀賞を本格ミステリである『中空』で受賞。その後、同書に登場した変人観察者探偵・鳶山の登場する作品は『非在』『密林』と出てきており、その続編にあたるため題名が漢字二文字なのだろう。ミステリ・フロンティアでは鳥飼氏二冊目となる書き下ろし。

植物専門の写真家・猫田夏海は某ムックの仕事で北海道の巨樹を巡る取材をしていた。その途中、日高地方最奥にある古冠村で土砂崩れによって巨大なミズナラが数十メートルも移動し、しかも奇跡的に横倒しにならず立ったままであるという話を聞き、早速その村へと向かった。役場で鬼木洋介という若い職員に案内され、古冠村の現状を聞き、そして現場である〈神の森ワンダーランド〉の開発現場へと向かった。第三セクターを利用して巨大なテーマパークを造ろうとしていたところが計画が縮小されたものながら、ひどい乱開発が行われていた。財政問題を楯に若き村長・中山健司郎が計画のストップを図るも、村で勢力の強い土建屋・私市組を経営する私市貴男とその兄で助役の私市康男の兄弟が妨害をしているのだという。一方で、この村では公道に植えられたナナカマドが離れた場所に植え替えられるという謎の事件も複数発生している。そして〈神の森ワンダーランド〉に反対するアイヌ代表の道議会議員が、美人弁護士を置き去りに夏海の宿泊するホテルから失踪する事件が発生した。更に再びミズナラが動いた……?

大胆な設定に緻密な伏線。舞台も世界もきちんとマッチングが成された、味わい深い正統派本格ミステリ
小生は投票しなかったが、本ミスでは個人的に次点クラスの作品として位置づけていたもの。
巨木が水平に移動する、という謎が前半部を多い、拡大的な日常の謎を思わせておいて後半部には殺人事件。これだけ考えるとミステリとしては平凡になってもおかしくない。だが、そういった構成以上にまず設定が周到。 北海道の寒村という設定が斬新。主要な事件関係者が限られ、そのなかに犯人がいるという一種のクローズドサークルとなる”村”を舞台にしたフーダニットという点がまずいえる。また小さなコミュニティだけに、権利関係や野望欲望がわかりやすく描かれ、自然破壊やアイヌ文化という社会派的視点も自然なかたちで物語に寄り添う。 更に”観察者”鳶さんの一風変わった考え方や態度、夏海の仄かな恋愛といった登場人物に関する深みもあり、物語自体に素直に入っていける点も大きいだろう。とにかく、変梃なテーマで変梃なミステリを成しているにもかかわらず、不思議と入り込みやすいのだ。
また、トリックというかまず事象に関する真相が面白い。単純に抜いて植え替えた、自然の動きによって移動したというだけではなく、プラスαの付加価値(?)が真相に付け加えられている。また、下地となる伝説ですら読者へのミスリーディングを引き起こすあたりのミステリ作家の巧さも味わえる。こういった、本格ミステリならではのサービス精神が随所にみられる点も印象を良くしている。
しかし何よりもインパクトがあるのが、一連の事件の犯人であろう。そこに至る伏線が実は至る所に張り巡らされていて、読後にそれらの要素がぴしぴしと抜けていたピースを埋めてゆく。変梃なテーマのミステリだと侮っていた小生のような向きにこそショックが大きい。このさりげなさは才能である。そして犯人の動機と目的の強烈さ。これは終盤になって肺腑を抉られるようなインパクトがある。この犯人、凄くないですか。

本格ミステリファンの方であれば、読んでまず損はない一冊だと思います。舞台が特殊だということを割り引いても、オリジナリティの高いトリックというか真相には衝撃大。さらに従来のミステリの系譜とそうでなくとも風土ミステリー(?)として北海道の特徴が巧みに作品に取り込まれているなど、感心する個所が多数ある。もう少し高い評価を得ても……というのが正直な感想である。(本ミス26位は評価低すぎ)。


07/01/16
島田荘司「犬坊里美の冒険」(光文社カッパノベルス'06)

2006年「月刊・島田荘司」として講談社・光文社・原書房の三出版社のコラボにて行われたキャンペーンのうち、最後から二冊目、10月に刊行された作品。女性週刊誌『女性自身』二〇〇五年八月二三日・三〇日合併号から二〇〇六年九月一九日号まで五一回にわたって連載された。(『女性自身』には以前には竹本健治が連載していたし、ミステリ系作家の執筆が少なくないように見受けられる)。

司法試験に合格した犬坊里美は、故郷のある岡山県に戻り司法修習生として研修に臨むことになった。数人の同期生と顔合わせをした後、各自が弁護士事務所に配属される。里美は山田という弁護士から学ぶことになるが、彼女と一緒に研修するのは芹沢という年輩男性。東北出身で元は日本史教師の五十歳だ。その山田弁護士に国選弁護人の依頼が入ったため里美は山田弁護士と芹沢と三人で津山の拘置所に赴く。事件は総社神社の雪舟祭の最中、神社の離れの縁の下に死後一ヶ月くらいの腐乱死体が現れたというもの。その縁の下に居た藤井という人物が既に逮捕されている。しかし、その死体自体は多数の人間に目撃されていたにもかかわらず、数分後には消え失せてしまっていた。ただ被害者は暫く前から行方不明になっている佐藤という人物だと目撃者の証言や髪の毛などの遺留品からはっきりしており、更に藤井は過去に佐藤と喧嘩した前歴があるという。しかしその藤井の態度は全く協力的ではなく、彼の弁護をしようとする里美も芹沢も困惑させられる。

事件の奇妙さもさることながら様々な設定を巧妙に組み込む主張の妙
『龍臥亭事件』にて田舎の女子高生キャラとして登場以来、島田ワールドの住人となり年の差ある石岡和己との仄かな関係など何かと存在感を増してきた犬坊里美。『龍臥亭幻想』では司法試験に合格したことが知らされ、本作はその司法修習を受ける時期に彼女が体験した事件――という体裁。最近発表される御手洗ものは、過去に飛び現在に戻りと時系列の動きが激しく、一方で着々と変化を遂げる彼女の存在・成長が「作品内現実」の時の流れを動かしているような気もする。ハナにつくことの多かった彼女のキャラにも慣れたことだし。
事件そのものは奇妙であり、島田本格らしい奇怪な眺めを持つ。複数の人々に目撃された死体が消失。さらになぜ容疑者の男は縁の下に居たのか。なぜ容疑者は弁護士に対してこれほどまでに頑なな態度をとり続けるのか。こういった要素全てに”必然”が絡み、解きほぐれてゆくにつれするすると一筋の論理のなかに収まっていく展開は魅力的のひとことに尽きる。また、死体消失のトリックに至ってはバカミスの範疇になってしまうところを、”執念”の要素を絡めて何か鬼気迫る様相を想像させることで「ああ、こういうのもありか……」と力業で納得させられるのだ。突出したアイデアだけでなくそれを物語の要素として織り込む設定が巧いがゆえに一個の優れた物語として完成させる。これはやはり島田荘司という稀代の作家ならではの仕事である。
また、同様に司法に関する仕事に直接里美を携わらせることにより、本作もそうだが島田氏が主題として持ち込むことの多い、日本の裁判制度の問題提起を同時に達成している。本作も冤罪や被害者の気持ちといったところに強い焦点が当てられているし、今後も里美が主人公となった場合はこのテーマが必ず絡んでくることになるのだろう。

島田本格らしい島田本格。 里美主人公という試みが今回初めてだけに彼女の扱い方についてはさすがにまだためらいのような部分が見受けられるが、吉敷ものにも御手洗ものにもない”無力な女探偵役”の存在は、今後の島田ワールドに別の彩りを添えてくれるような予感がある。


07/01/15
桜庭一樹「赤朽葉家の伝説」(東京創元社'06)

1999年、第一回ファミ通えんため賞佳作を受賞した「夜空に満天の星」(改題して『AD2015 ロンリネス・ガーディアン』として刊行)にてデビュー。代表作は2003年より開始された『GOSICK―ゴシック―』のシリーズだが、ミステリ界隈では'04年に『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高い評価を得たことが記憶に新しい。近年はラノベから一般小説への進出が著しく、本書は桜庭一樹の代表作になる可能性の高い大河長編。

山陰地方にある紅緑村。戦前よりこの地には山を拓いて製鉄業を営む赤朽葉家が厳然たる勢力を持っていた。後に赤朽葉家の千里眼奥様と呼ばれることになる万葉は、この地に代々伝わる伝説の”辺境の人”の子どもであり、年端もいかない幼児のうちに紅緑村になぜか置き去りにされていた。万葉は赤朽葉製鉄で働く若夫婦に引き取られ、彼らの子どもと共に成長するが、幼いうちから”未来”を様々なかたちで見通す能力を持っていた。そして更に赤朽葉の奥様の目に留まり、大きくなったら長男の嫁となるよう命ぜられる。実際、高等遊民で通していた赤朽葉曜司に万葉は嫁入りしたが、その婚姻時には何やら不思議な現象が起きた。神様を踏み躙り山を切り開いた赤朽葉家は自然から恨まれているのだ。曜司は浮気がち、そして万葉は長男を生むが、その生む時に彼女は長男・泪の全生涯を視てしまう。更に赤朽葉家は暴走族の頭であり、引退後は超人気漫画家となる長女の毛鞠、そしてその毛鞠の娘である瞳子へと受け継がれてゆく――。

独特な角度から綴られる昭和史にして希有な大河家族小説。どこが凄いといえないが全部が凄いという強大な魅力
予言能力を身に付けており、未来の出来事を透視していた祖母・万葉。そして、その祖母から生まれ”不良”、そしてレディースの暴走族として中国地方を統一してしまい、更には漫画家に転じて大ヒットを飛ばした母・毛鞠。そして、その母から生まれ、平凡な人生を歩み始めている私・瞳子。瞳子を一応の語り手とし、その一人一人で大きな章立てとなって、赤緑村に根を張った赤朽葉家の一族の歴史、そしてその赤朽葉家の関係者を通じて、昭和から平成の”時代”を描き出す作品。
ただ、この作品の魅力を簡単に説明することは難しい。赤朽葉家の人々や、彼らに関係する人々個々の人生が、細かなエピソードを通じて描かれる物語の破天荒さがもたらす面白さ。とにかく強烈な個性を持つ人々のぶつかり合って醸し出される濃い人間関係。紅緑村というネーミングを筆頭に架空の存在を自在に挿入する巧さ、そして大真面目に語られるユーモアめいた個所等々、物語として面白いという事実がひとつ。またそれまでは大河ドラマであったのに、第三章、瞳子のパートに至った途端に、唐突に謎解きがはじまり、実は物語のなかにミステリとしての伏線が含まれていたことにも驚かされる。
しかし、この深い読後感を生み出すのは、本書のベースとなっている”昭和”感覚にあるように思う。昭和から平成に至る歴史を大上段から俯瞰したりするのではなく、あくまで”世相”を活かそうとして、それに成功した内容となっているのだ。歴史的事件がどうしたこうしたという表現もところどころにあるが、この作品で描かれるのは事件そのものではなく、そういった事件が象徴したり、発生するに至った時代の空気。つまり事件、「その結果、人々の考え方や感情に何が芽生えたか」という点が重要なのだ。市井の普通の人々が感じて背負ってきた昭和という時代の流れが、凝縮されて作品内部で生々しく息づいている点がやはり素晴らしい。 万葉の”予知能力”はとにかく、曾祖母を含め少々のことには動じない大奥様という存在感は昭和の旧家を感じさせるし、主人公の曾祖母の時代から、毛鞠の描かれ方などいきなり現実離れしたフィクション的人間像であるし、瞳子やその恋人ユタカといったどこか薄っぺらさを感じさせるところもまた、哀しいかな現在的だという風に受け取れる。男たちにしても、仕事に対するアプローチに時代を経るごとに様々な違いが出てきていることがわかる。豊寿とユタカとの仕事への打ち込み方の差異もまた時代の流れを映している。深読みすればいろいろなことが出てきそうな”深み”がこの作品にはあり、それがまた魅力となっているものだといえよう。

深く構えず読み出すことができて、またなお様々な読み方が出来、誰の心にも残るであろう傑作。読む価値はある。
最後に「レッドデッドリーフ」のデッドはいくらなんでも会社組織なら取るんじゃあ? (というような突っ込みをところどころに残すところが桜庭一樹らしい遊び心なのだとは思いますが)。


07/01/14
本岡 類「「不要」の刻印」(光文社カッパノベルス'01)

プロ棋士・水瀬翔を探偵役兼主人公に据えたシリーズの四作目にあたる作品。(現段階、個人的には前三作は未読)。残念ながら最近、本岡類氏は作家としてもう推理小説は書かないと宣言しているが、本書はその前段階にて「ノベルス系ミステリーの集大成の作品」であり、本作にてノベルス・ミステリーは打ち止めという宣言が作者のホームページで為されている。

買ったばかりのマウンテンバイクを駆るのが気持ちよく、遠回りしていたプロ将棋棋士の水無瀬翔は車からはね飛ばされた黒い鞄を偶然拾う。中身が札束だと確認した途端、警察に捕まってしまった。取り調べの容疑はなんと幼児誘拐事件で、現金は高速道路から落とされた身代金三千万円だったのだ。脅迫されているのは近年急速に業容を拡大しているDIY店「パレット・ホームセンター」社長・斎藤晴彦。しかも水無瀬が、奨励会時代に親しくしていた案野好平が斎藤の下で働いていたことから、二人の共謀が疑われたのだった。しつこい尋問にも耐え、最終的にはアリバイが成立、さらに個人的に親しい津島警視の名を出してようやく警察からは解放された。過去に幾つもの事件を解決したという実績を買われた水無瀬は、案野を通じて斎藤から一人息子誘拐の犯人を見つけて欲しいと依頼される。斎藤は業容を拡大する際に強引な手法をとっており、駆け落ちの挙げ句に婿入りしたかたちの彼に対し、現在専務の義兄が激しい対抗心を燃やしているという社内情勢が背景にあり、彼ら一派が怪しいと考えているのだという。犯人から掛けられてきた脅迫電話に競馬G1のファンファーレが着メロとして残されていたという点を手がかりに、水無瀬は捜査を開始するが……。

トリック・メイカーの面目躍如。主題と題名の絡みもGOOD。ただ物語構成には弱さも……
『「不要」の刻印』という題名が導き出される”脇道エピソード”が何ともいえない味わいによって物語を支えている。本作にはしばしば、ビジネスにおける弱肉強食の時代の断片風景がさまざまなかたちで挿入されており、その描写が生々しい近々閉店が決まった商店街の地元系美容院のエピソードや、人に使われることに慣れた人間の悩みなど、考えさせられるところ、しんみりさせられるところがそこここにある。。現代風にいうと「勝ち組」に対する「負け組」、また本書の言葉を借りると「誠実な二流」。そういった目立たないけれども良い仕事をする人々の悲哀が数多く描かれる。そして注目すべきは、その題名が上記の主題と共に、実は物語の中核トリックをも暗示しており、読了後に振り返るとその巧みさがわかる。
そして本格ミステリとしての本書には、物語全体に影響を与える中核トリックと、後半発生する殺人事件に関するトリックとがあり、特に中核トリックの方には意表を突かれた。犯人の姿が一向に見えず解決されない誘拐事件、そして誘拐事件の動機と、物語終盤に至ってもどうにも収まりの悪かったピースがぴたりぴたりと当てはまってゆくあたりは見事。 確かに周到にコトを運べば、現代でも実現が可能なトリックだと思う。一方、殺人の方は、その実行方法とそれに対する伏線の見せ方などうまいのだが、果たして70キロのチェストが二階から落ちてきたとして確実に相手を殺害できるものか、結果としての死ならばとにかく計画殺人となるとちょっと弱いのではないか――という点が引っかかった。
確かにトリック小説としてのレベルは高く、主題も明確なので作者自身が「自信作です」と自ら宣言する気概にもまあ頷けるのだが、構成というか小説としてのアンバランスさが散見される点が惜しい。中盤の水無瀬の捜査が(特に結果的にミスリーディングとなる部分について)だれてしまうところ(めりはりが薄い)、「不要の刻印」な主題に対しては主人公が熱くなる一方で、幼児誘拐事件に対する態度がどうにも冷たくみえるところなど、ところどころに首を傾げたくなる部分があるのだ。また、偶然だとか混乱の結果といった部分で本格ミステリの重要なプロットが繋がれているところも少々残念か。

夢やぶれた人という主題が生きており、設定に仕掛けられたトリックの巧さは抜群。小説としては上記の通り若干弱さもあるので、トリックを楽しむ本格ミステリファン向けの作品のように感じた。


07/01/13
乙一「さみしさの周波数」(角川スニーカー文庫'03)

既にその独特『失踪HOLIDAY』『きみにしか聞こえない ―CALLING YOU―』に続く、いわゆる「白乙一」中心にまとめられたスニーカー文庫では三冊目となる乙一短編集。収録順に『ザ・スニーカー』誌2001年10月号、02年4月号、8月号に発表されており『失はれた物語』は書き下ろし。本書の一部は別短編集となる『失はれた物語』にも収録されている。

小学生の頃、近所に住んでいた清水と一緒に転校生の古寺の家に行った僕。あまり正確ではないが予言をするという古寺は、僕たちに対し「将来の結婚」を告げる。それから清水と僕は普通に話しがし辛くなってゆく。 『未来予報〜明日、晴れればいい。』
一年前に両親が死に最も近い血縁となった伯母。海外から映画ロケを見学に来たという伯母も持つ財布は、時計の新製品を量産したい俺にとっては喉から手が出るほど欲しい金だった。 『手を握る泥棒の物語』
大学に入り、勇気を出して映画研究会に入部した私。たった一人で部室にいた私は厳重に梱包された8mmフィルムを偶然見つけてその内容を見てしまう。そこにはあり得ないところに少女の姿が映り込んでいた……。 『フィルムの中の少女』
結婚して三年、ピアノを演奏することが得意な妻と自分とのあいだに娘が生まれたが、徐々に二人の諍いが増えていった。また喧嘩した翌朝、自分は事故に遭い右手を僅かに動かす以外の感覚を全て失ってしまう。 『失はれた物語』 以上四編。

どこか欠落感があり、その欠落感を”ごく普通のこと”として温かく平易に描くことによる存在感
たとえば『未来予報』の主人公は、いろいろ御託を並べつつもモラトリアムのまま社会に出てしまい、立派な社会人となった周囲に対して本人の自覚以上の引け目を感じて生きている。『手を握る泥棒の物語』の主人公も、親の希望に反して自分のデザインした時計を売るという夢を引きずり、現実に直面して絶望感とそして焦燥感を覚えている。『フィルムの中の少女』の主人公は、自分自身の意志で進路を選択した筈なのにそれが実はそうではないのではないかと思い悩む。そして『失はれた物語』の主人公は、妻と喧嘩ばかりする日々のなか事故に遭い、外界との繋がりのほとんどを断ち切られてしまう。それぞれの作品、主人公たちは必ず心と身体に欠落を持っている。 むしろ、人間として未完成な時期に欠落があることは当たり前であり、運が悪ければそういった欠落を他人よりちょっと余計に抱え込んでしまうだけ。そしてそれは少なくとも乙一作品のなかでは決して珍しいこととして扱われない。
そして、乙一が巧いのはそういった欠落、時には本人の我が儘が引き起こしたような事態にさえ冷たい視線を向けない点だ。単純に温かいとはいわない。むしろ主人公が何かに気付くことを静かに待ち続ける。そういう印象がある。無理に立ち直らせない。手は貸してあげる。だけど最後に立つのは自分の足。でも誰かに支えてもらって立ってもいいじゃない。……こういった作者の視点を通じて紡ぎ上げられた物語が多くの読者の共感を呼び、そして支持されているのだと思う。
そしてその平易な書き方が、独特の切なさを呼ぶ。人の感情や生き方に対して優しい乙一も、物語に対しては残酷でありリアリストの一面をそれぞれにて覗かせる。その結果、主人公やヒロインは時に最悪の結果を迎えるし、登場人物みんなが幸せになるというような都合の良い偽善も作者は描かない。だが、それでもどこか最後に背筋を伸ばして生きようとする主人公が幻視されるような錯覚に陥っていくのだ。このあたりは天然のセンスなのか。巧い。

ノンシリーズ作品というだけでなく、ちょっとした超常現象を加えてみたり、病人の視点から世界を描こうとしたりと設定に独自の変化を付ける点にも意欲的だ。このあたりに無理な枷を作らない作風もまた乙一の魅力でもある。(個人的にラノベだとなかなか手を出しにくいんだよなあ)。


07/01/12
西尾維新「化物語(バケモノガタリ)(上)」(講談社BOX'06)

鳴り物入りでスタートした講談社の新レーベル講談社ボックスの第一回配本のうちの一冊。『小説現代増刊メフィスト』に2005年9月号、2006年1月号、5月号に掲載された各作品に加筆修正を加え、上巻としてまとめられたもの。下巻も既に刊行されている。

同級生ながら目立たず、周囲に壁を作るような態度を見せる、成績の良い美少女・戦場ヶ原ひたぎ。階段を滑って落ちてきた彼女を偶然抱き留めた阿良々木暦は彼女の体重が極端に軽いことに気付く。彼を脅迫してきた彼女に対し、阿良々木は彼女のことを助けられるかもしれないと考える。 第一話『ひたぎクラブ』
妹二人との母の日を巡る喧嘩により家に帰りづらい阿良々木は公園で暇つぶし。道に迷っているらしい小学生・八九字真宵に声を掛けるが、彼女は実母の家に帰れないという。彼女に嫌われながらも案内をかってでた阿良々木と通りがかった戦場ヶ原、だが真宵の家にはたどり着けない。 第二話『まよいマイマイ』
高校最大の有名人・バスケ部の二年生エース・神原駿河。彼女が急にことあるごとに阿良々木に接近してくる。阿良々木には恐ろしい彼女がいるのだが、どうやらその彼女と関係があるらしい……のだが……。 第三話『するがモンキー』

読みどころはあくまで軽快にして自虐色強い、男の子と女の子の会話。とにかく会話にご注目!
基本的に、かつてある事件(この作品集では少なくとも詳細は書かれていない)に巻き込まれ、この世ならぬバケモノ経験をして特殊な能力を持った主人公が、後からそういったトラブルに巻き込まれている女性たちを救うために行動する内容。登場する女性のタイプ分けが、ギャルゲー(よく知らないけれど)もかくやというくらいに個性がくっきりしている。ヒロインでありその悪舌と強烈な個性をもって主人公を恐怖と恥辱のどん底に叩き込む戦場ヶ原ひたぎはツンデレ、羽川翼はまさに委員長タイプ、さらに小学生ながら弁が立つ八九字真宵、活発体育会系ながら天然ボケの神原駿河。ネーミングは相変わらずの個性ながら、その各々のキャラの立ち方が強烈にして超絶。インパクト強え。
ただ、そういった設定の類型化、更にはバケモノに対する扱いもどこかミニ京極といった面もちがあり、そうオリジナリティがある感じではない。事実、主人公が行っているのもひたすら善意ながら、一種の憑物落としなのである。なぜ登場する人たちが怪異に会うのか、この街に特異な事例が発生しやすいのは何故か、どういった形で怪異が人間の心を捉えるのかといった追求は、各作品によりアプローチが異なっているせいもあって説明はきっちりとはなされない(もしかすると下巻でテーマになる可能性は否定できないが)。少なくとも純粋に”バケモノ”物語として作品鑑賞した場合は物足りないものが出てきそうだ。
で、ようやく触れられるのは本書最大のエンターテインメントは、漫才以上のボケ突っ込みの応酬となる主人公vs各話の女性たちの会話。特にころころと言うことを変えながら、主人公に対して熱い血潮を燃やす戦場ヶ原の言動&行動は、見物といっていいだろう。このあたり、例を引くのは適当ではないかもしれないが、例えば森雅裕作品などで交わされる「減らず口男女」の会話の応酬によって得られる楽しさと実に近しいところがある。ここがとにかく面白い。駄洒落もボケもなんでもあり。低俗高級上品下劣、なんでもありの会話の応酬によって物語の雰囲気が出来ていると断言できるくらいだ。

いわゆる萌えだとか、そういったところは小生はわからないのだが、それでも一連の抱腹絶倒の彼と彼女との会話が素晴らしい。ストーリーとしてはどうかなとも思えるが、この”会話”を作品集のごく最初から最後の最後までありとあらゆる会話を行い、それをやり遂げてしまうセンスが西尾作品の魅力だともいえるかも。ミステリとか物語以前にとにかく会話が楽しかったので良し。 下巻も読もう。


07/01/11
田中啓文「蹴りたい田中」(ハヤカワ文庫JA'04)

「蹴りたい田中」により第130回茶川賞受賞後、突然消息を絶った伝説の作家、田中啓文。その希有なる才能を偲んで、幼少時から出奔までの偉大なる生涯を辿る単行本未収録作8篇+αを精選、山田正紀、菅浩江、恩田陸などゆかりの作家・翻訳家・編集者らによる証言、茶川賞受賞時の貴重なインタビュウ「未到の明日に向かって」までを収録した遺稿集。(ということらしいです。2014年に刊行された作品集が、今読めるなんてお得ですね)。

見事に茶川賞を受賞した田中氏に対するインタビュウ。『吐仏花ン惑星』に続く。 『茶川賞受賞記念インタビュウ 未到の明日に向かって』
田舎に住む佐凪徳三に不幸な出来事が立て続けに発生、そのとどめは婚約者の幸江が失踪。そして日本には醜悪な怪獣・エビラビラが現れた。徳三は巨大化しエビラビラを倒すために立ち上がる。 『地球最大の決戦 終末怪獣エビラビラ登場』
キノコを新薬研究の対象にしているホシ薬品に怪しげな団体の男が訪れる。彼はキノコには知性があるといい、実験室のトリュフは自らをアルジャーノンと名乗るようになる。 『トリフィドの日』
トリュフって見たことないけど、どのぐらいの大きさや。 『トリフィド時代』
SF小説の面白さに目覚めたマヤは級友の山田正紀ファン・サキと親しく会話を交わすようになる。サキの山田正紀は留まることを知らず、彼女たちは小説を書き始めた。 『やまだ道 耶麻霊サキの青春』
蚊の私立探偵・かおりは、蚊のストリップに勤務するサンドラから、殺蚊事件の容疑者となっている恋人のマイケルを救って欲しいと依頼される。そのかおりが組まされたのは……。 『赤い家』
地獄のなかで不正を働き栄華を尽くす悪人商人・常習屋に御隠居一行による内偵が入る。老人はスケさんカクさんを従え、悪代官を倒すために立ち上がる。が、ここは地獄。 『地獄八景人戯』
超美形のスター・薫は、己の容貌のみが価値だと信じ不老不死を願っていた。それが異星人によって叶えられた時、薫はその恐るべき副作用に苦しむことになるのだった。 『怨臭の彼方に』
第二次世界大戦中、南国で秘密裡に行われている日本の最終兵器〈和紀〉製造に苦しむ人々。その動力源は少年の……。 『蹴りたい田中』
茶川賞受賞の実績を棄て、長期間単独宇宙航行に挑戦する僕は親父が命を落とした惑星を目指した……。 『吐仏花ン惑星 永遠の森田健作』 以上八〜十編(数え方による)。

ここまで引っ張ってきて、そこに落とすか田中さん。脱力。……という田中流創作妙味が素晴らしい
本書収録の各作品、全てということもないが特徴がある。それは既に存在している作家・作品に対するオマージュが込められているところだ。トリフィドが登場する二編のみならず、東宝系怪獣作品とウルトラマンと(もしかしたらこの作品は『AΩ』に影響を与えているかもしれない)『怪獣エビラビラ』、山田正紀という作家更に作品への限りないオマージュである『やまだ道』、菅浩江さんに失礼なのではないかと思われる『吐仏花ン惑星』。ある意味、通常の短編集に収録しにくいテーマ性の強い作品を敢えて拾遺しているようにもみえますね。
更に特徴といえば、全ての作品が基本的に田中啓文という作家の最大特徴だとさえ思われている「駄洒落」系である点もまたそう。単に作品中の地の文や会話文に駄洒落が使用されているだけではなく、物語の最終的なテーマ、物語上で最高に大切な事柄についても”駄洒落”なのだ。そのメインテーマである駄洒落に対して、あえて苦難の道を選び、世界観から作り上げて、そのオチに使用される駄洒落に相応しい物語の方が後から創られているかのようにも見える。(というか、たぶんほとんどではそう)。その潔さ、しつこさは感服するに値する。
一方で、では駄洒落だけかというと(そう主張する向きもあろうけれど)そんなことはなく、やはり読者を引き込ませる物語作りに技巧が感じられる。それが喋るキノコであったり、死者とはいえ地獄の住人をなぎ倒してゆく兇悪な風車だったり、いきなり主人公が”蚊”だったりと様々。真面目に考えるとおかしい話なのだけれども、これらの作品はSFであり、そのジャンルの包容力の大きさが”変な設定”についても何となく許容してしまう気分に繋がる。またSFのパロディも多数込められているが、そちらの指摘はSFプロパーの方にお任せしたい。とはいっても、真面目なSFファンなら目を背けてしまうかもしれないが。
個人的には『怨臭の彼方に』の弾けっぷりがお気に入り。どうしたらここまで極端に物語を拡げることができるのか。悪臭というテーマでアンソロジーを組むのであれば収録間違いなしの一品だ(まあ、あんまり読みたくなる題名ではないな)。また、どうでも良い事物が引き起こすカタストロフィものという意味では『トリフィド』よりも『エビラビラ』の方が好みかな。様々にパロディされた背景が『エビラビラ』では強調されており、小生が個人的に属する世代的な意味でも楽しく読めた。

結局のところ、こうやって苦労して積み重ねていった挙げ句、オチが強烈な破壊力抜群の駄洒落というのが何とも楽しい。特に短編集としては田中啓文という作家の入門編としては非常に適当なのではないかと思う。