MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/02/28
芦原すなお「わが身世にふる、じじわかし」(創元推理文庫'07)

ミミズクとオリーブ』『嫁洗い池』に続く、作家のぼくとその妻、そして河田警部が繰り広げる安楽椅子探偵譚シリーズの三冊目。『ミステリーズ!』のVol.13(二〇〇五年十月号)からVol.18(二〇〇六年八月号)にかけて連載されていた作品がまとめられたもので、この文庫版がオリジナルにあたる。

NYでの研修から河田警部が帰ってきて渋谷署に勤務、早速厄介な事件を持ち込んできた。渋谷に住む高名な詩人がナイフで刺殺された。両刃と思われる凶器は残されておらず、現場にも不審な点が。そして現場には「ト・アペイロン」と題された詩が残されていた。 『ト・アペイロン』
河田がNY研修中に遭遇した事件。ギリシャ神話をモチーフにした劇の公開前に主演俳優が舞台内で殺害された。死体は頭が割られ毒を飲まされた奇妙な形跡があったが死因は心不全、さらに容疑者の劇団関係者は変人ばかり……。 『NY・アップル』
高尾署に異動になった河田が、風邪で朦朧としているぼく宅を襲撃。酒造会社の高齢社長と同じく高齢の専務が相次いで失踪した事件についてアドバイスを妻に求めてきた。そのうち一人は夜遊びが過ぎた挙げ句に公園で発作を起こして死亡。彼は暗号で書かれた謎の封書を持っていた。 『わが身世にふる、じじわかし』
府中署に異動になった河田。郷里から送られてきたソースでお好み焼きを作ろうとしていたぼくを襲撃。輸入家具販売会社の会長夫人が亡くなった。夫は認知症で入院中、年齢が半分以下という後妻の彼女は心臟に負担がかかっての変死で病死扱いだったが河田は何か怪しいとにらんでいた。 『いないいないばあ』
富坂署に異動になった河田が、ソラマメと共に持ち込んできた事件。人気プロレスラーがリング上でバックドロップされた結果、死亡してしまったというのだ。相手はロートルレスラーで事故死扱いになりそうなところを河田の勘が殺人ではないかと告げるのだという。 『薄明の王子』
戸塚署に異動になった河田が、イリコと共に持ち込んできた事件。精神科医が遺書を残してメスで首を切って死亡した事件。男の妻は以前に鬱病から自殺、彼は自宅で妻の幽霊をみたと騒いでおり、その顛末を反省してノイローゼとなった結果の自殺だと思われたのだが……。 『さみだれ』 以上六編。

推理のキレは緩くなりつつあるが、その全体の緩さ自体が独特の魅力へと昇華
三冊目となると定型パターンの変化(というのも微妙な表現だが)が純粋に楽しく感じられるようになる。 河田が今回はどこに異動になっているのか、今回供される料理はどんなものなのか、そして持ち込まれる事件にはどのような解決が図られるのか。毎回毎回名推理を働かせる”ぼくの妻”の、大の男二人を相手にしての包容力のあるも魅力だし、今作に関しては”ぼく”に関する過去や思い出が多数ちりばめられている。そういった郷愁を誘う場面もまた読者を引き込むポイントの一つに上げられるだろう。
もちろんそういう意味では相変わらずの料理、例えばちらし寿司やお好み焼きとか実に美味しそうだし、料理や事件に伴う”ぼく”と河田との悪友ならではの二人が織りなす悪口合戦も以前に増してヒートアップしているようで面白い。だが、事件の方にもちょっとした趣向があるように思われた。その残酷なシーンを厭う妻の性格に反して、本作で描かれる場面は事件そのものが陰惨だったり、その背景に許されざる人間関係やどろどろした愛憎関係のもつれがあったりと、すっきりとしない後口の悪い事件が多い。『ト・アペイロン』と『さみだれ』、事件の構図が良く似ているように思われ、改めて考えてみて気付いたのだが、どうもその一連の事件が作品集のなかで連関し、繋がっているように感じられた。
ネタバレになるのであまり詳しく書くのは控えるが、ひと言でいえば人間関係のうえでも表面に出ない(裏に隠されて)虐げられていた人々が相手に復讐を遂げるという哀しい事件が作品集のなか全体的なテーマとなっているように見える。一見は事故や自然死にみえる事件の裏側にある感情を見抜いてしまう”ぼくの妻”の能力ゆえの哀しさが物語全体のトーンを明るく持っていかせない。 (河田や僕のやり取りだけであれば、実に能天気な話になってしまうところ)。本来、もっと明るく楽しい作品集であるはずなのにどこかトーンがそこまで抜けていかないのは、その分を事件でバランスを取ってしまうせいだろうか。

とはいえ、基本としてはその料理や郷愁といった彩りが前面に出る、万人受けする安楽椅子探偵譚であることは間違いない。多少、本格ミステリという意味に限定した場合はキレが落ちてきている点は否めないが、その元からもつ設定の雰囲気の良さは従来以上に向上しており、読み物の魅力としてはむしろ上がっているかもしれない。のんびりと、更に続編が続いていくことを期待して待ちたいシリーズだ。


07/02/27
星乃彗理「牡羊座の兇劇 殺しの幕はあがった」(トクマノベルズ'94)

本書の作者にあたる”星乃彗理”とは若桜木虔氏と矢島誠氏による合作における筆名。もちろん十二星座全ての刊行が目論まれていたものだと思われるが、この星座の兇劇シリーズは六冊まで刊行されたところで発行元(発売元ではなく)の徳間オリオンが消滅したことにより、中断されたまま現在に至っている。本作そのものは矢島氏が担当した作品のようだ。

資産家の祖父を持つ早乙女蘭はT大学法学部在学中に、同級生の魚住純と熱烈な恋に陥る。しかし魚住は親が事業に失敗した関係で大学を中退し、キャリアではなく普通に警察に入った。一方の蘭は順調に卒業後、検事への道を進んでゆくが二人の愛情に変化はなかった。しかし蘭の祖父・恭平は二人の結婚に長い間反対を続けていた。その恭平からある日、魚住の元に連絡が入る。ある調査を恭平から請け負い、解決することを条件に結婚の許可と多額の報酬を与えようというのだ。早朝、出勤前に恭平宅を訪れた魚住は、散ったばかりの桜の花びらで囲まれた密室内で恭平が殺害されていることを目にする。さらに『うお一』と書かれたダイイングメッセージが。素早く計算した魚住は、自分がもっとも疑われる立場にあることを察知し、蘭にだけ報せてそのまま失踪した。自らの手で犯人を捕らえる必要を感じたからだ。事件の捜査にあたった洞沢は蘭に横恋慕しており、その恋人の魚住を執拗に追い詰めようとする。一方、横浜では舞台劇上で劇団を退団しようとしていた人気俳優が毒殺された。しかし、誰も毒を盛った形跡がない……。二つの事件には知られざる繋がりが……。

まずは開幕。追われる刑事と協力者という展開のもと、不可能犯罪の謎解きと盛りだくさん
先に明かしてしまうと、冒頭のソメイヨシノの花びらの密室、恋人の祖父がなぜ殺害されて主人公が罠に嵌められたのかという謎は、この作品単体のなかでは解決されない。恐らく主人公が警察に追われる立場というサスペンスがシリーズ全体のテーマとなっているのだろう。少なくとも本作では彼の身は潔白になっておらず、次作以降もその立場が続くようだ。伝言ダイヤル(時代性があるなあ)で連絡を取り合う主人公とヒロイン、その二人の立場を嫉妬から憎む警察キャリアという図式は、意外というかベタながら効果を発揮しており、作品内のゲーム性を高めているように感じられる。
先に殺された祖父・恭平が残したメモのなかに、次の事件の被害者の名前があった……という点で繋がる第二の事件。ただ劇団を舞台にしたこちらの事件は全く別のプロットが使われている印象。途中に登場する野暮ったい新聞記者の推理がトンデモ系で面白いものの(二階から目薬だとか、口の中の毒薬入りカプセルを飛ばしただとか)、真相そのものは「被害者が自らが毒殺に見せかけることを協力する」というありがちなパターンに終わっており、本格を楽しむうえでの満足度は高くない。被害者が残したというダイイングメッセージもちょっと反則気味。(実は犯人の偽証でそんなこと言ってなかったというオチ)。また冒頭との事件との繋がりも解決された後でもすっきりしないところが残る。(わざとかもしれない)。
ただ終盤近くで蘭へのストーカーじみた愛情が捜査方針へ及ぶ公私混同男・洞沢がとっちめられるシーンがあって、その部分は単純だといわれようと好きだ。

シリーズ六冊をある方から譲って頂いたので(多謝!)残りも読んでゆこうと思うのだが、まず一冊目としてはこのシリーズ全体を覆う謎の牽引力があまり高くないような印象がある。一冊目で決めつけられない部分が多々あると思うのでもう少し読んだうえで判断してゆきたい。


07/02/26
大槻ケンヂ「縫製人間ヌイグルマー」(メディアファクトリー'06)

作家でもありミュージシャンでもある大槻ケンヂ氏が率いていたバンド〈特撮〉のセカンドアルバム『ヌイグルマー』のもととなった楽曲「戦え! ヌイグルマー」という曲。この曲からスピンアウトして生まれた長編作品。『ダ・ヴィンチ』2004年11月号から2006年12月号にかけて連載された作品に加筆修正が加えられて単行本化された。

宇宙からやって来た綿状生命体。そのほとんどが力無く地球に降り積もり、霧散してしまったが、その一部のものたちは南国タイのサマイ島のぬいぐるみ工場にたどり着いた。彼らは綿に混じり、ぬいぐるみにされて世界各地に送り出されていった。そのうち一体は、日本の高円寺にあるおもちゃ屋に辿り着く。売れない作家を父に持つ姫子へのクリスマスプレゼントとなったそのパチモンのテディベアは、”ブースケ”と名づけられた。姫子はブースケを実の兄弟のように大切にし、そして実は生命を持つブースケはそんな姫子を愛しく思い、影ながら彼女を助けていた。姫子の父親の死を境に姫子の幼馴染み・ダメスケと共にブースケは姫子をボタンの瞳にかけて守り抜くことを誓う。一方、米国ではフィルという子供にチャーリーと名づけられたあみぐるみのクマがいた。フィルは不幸な生活の末に家庭内暴力を受けて死にかかり、チャーリーと合体する。全世界に復讐することを誓ったチャーリーだったが、巨大企業・MB社の会長に取り込まれてしまう。その会長は異形の殺人フリークスたちを部下に従え、不幸をもって全世界を統べようと企んでいた。

音楽、格闘技、フリークス、B級映画になつかしのヒーロー。オタク要素を盛り込みつつも感動を呼ぶアクション・ファンタジー
笑いあり涙ありスリルありアクションあり。ひとことで表現することも出来ないし、ちょっと(特に活字では)他に類を見ないスーパーエンターテインメント作品。 大槻ケンヂの創作作品にしばしば登場する、ロリータ少女、フリークス、ゾンビといったテーマが物語のそこかしこに溢れ、その一方でぬいぐるみが世界と、一人の少女を守るために立ち上がる。一昔前のスーパーヒーローものテレビドラマの黄金パターンに、大槻ケンヂのおたくっぷりと嗜好とが深いところから混じり合っている印象。これが、めちゃくちゃに面白い。
しかし単純なヒーローものという括りからは大きくはみ出ている。ヒーロー一派も、高校生になって姫子がぐれていたり、ダメスケがそのままダメスケだったりと頼りなく、また敵方にはゴスロリおばさんから赤ん坊殺人鬼まで盛りだくさん。中野サンプラザを買い取った巨大企業が、阿波踊りに大量のゾンビを送り込んで実験するなんて発想、誰が他に思いつく? さらにブースケと対抗する勢力は生き別れになり、今や変貌してしまった元仲間にしてあみぐるみのチャーリー。彼らの常軌を逸した戦いぶりには、格闘技やプロレスのエッセンスが込められ、でもぬいぐるみが忍者のような柔らかい(ぬいぐるみだけに)アクションまでをも披露してゆく。展開の凄まじさは形容しがたいが、その形容しがたい全てを許容してしまう(ある意味)壮大な物語なのだ。
主人公がぬいぐるみだけに「綿いっぱいの愛を」「このボタンの瞳にかけて」等々名台詞がいっぱい。また、ゾンビ阿波踊りに正統派阿波踊りが対決するシーンや、仲間を活かすために自分を犠牲にするフリークスなど思わず感動させられる場面も多数。エンターテインメントに徹しながらもツボを押さえた展開に、はらはらどきどきわくわくが止まらない。

自分的に傑作。大槻ケンヂの作品はイメージに淫したような独特の世界が魅力だと思っていたが、こういうアクションを描かせても実は一流だったようだ。場面場面はフェティッシュとオタクとスーパーヒーローものの切り貼りにしか過ぎないのかもしれないが、全編に流れるさまざまな対象に向けた”愛”に身を任せ、展開にわくどきするのが吉。


07/02/25
西條奈加「芥子の花 金春屋ゴメス」(新潮社'06)

西條奈加さんは異色時代小説(……というか、時代小説なのだが現代が舞台という)『金春屋ゴメス』にて、第17回日本ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞してデビュー。本書は書き下ろしとなる受賞後初長編にして書き下ろし作品。デビュー作を読んだ時に続編も読みたいと思ったが、本当に続編が出てきたところに逆に驚きがあった。

時代は二十一世紀の半ば。だけど江戸時代そっくりの暮らしを営む江戸国は日本から独立してから三十年、その独自の市政と鎖国制度から、江戸の住人たちはすっかりと江戸国の生活に馴染んでしまっている。最近、事情があって江戸国に入国したばかりの辰次郎は、江戸国に発生する諸問題を裏表から取り締まる長崎奉行・金春屋ゴメスのもとで働く日々。人使いが荒く、自己中心的で暴力的なゴメス(女性)に散々な目に遭わされる辰次郎だったが、その根性だけは認められていた。実家に戻って五ヶ月、再び金春屋に戻ってきた辰次郎は、ゴメスに雇用して欲しいという美人剣士・三芳朱緒と出会った。女や嫌だというゴメスに散々に頼み込み、朱緒は使用人の一人として加わることになった。その頃、諸外国に上質の阿片が出回り、その産地として江戸国の名前が挙がっていた。老中から探索を命ぜられたゴメスは、ビルマと中国の国境の出身者(異人)たちの住む麻衣椰村に眼を付けた。しかしその村の行商の少年・サクと辰次郎や、朱緒は仲良くなっており、彼らを裏切ったような気分に陥ってしまう。しかし、阿片事件の裏側では幕府の上層部の影がちらほらと見え隠れしていた……。

時代アクションにして強烈なキャラクタ小説。そしてSF設定と時代劇との融合が引き続きお見事
デビュー作である前作ではむしろ(というか当然)、この現代にありながら”江戸”を再現しているというこの世界の設定紹介に多くを費やしていた。それでいて中盤以降の怒濤の展開に凄まじい迫力とどことなくとぼけた味わいがあった。続けて刊行された本作、何かその設定を忘れてしまう程に(普通の)時代小説めいた展開で進む。確かに、歴史的な江戸には無かったはずの異人だけが住む村があったり、外部(日本)と内部(江戸国)とのあいだの麻薬犯罪に言及されていたりと、この世界が前提となっていることは事実だが、今回はこの”世界”などではなく、登場人物が素直に主人公を務めているところが特徴か。結果、肩の力が抜けたストレートなエンターテインメント作品へと進化したような印象を受ける。
そのエンターテインメントの源泉となっているのは、主人公・辰次郎をはじめとした、ゴメスに仕える『裏金春』の人々のキャラクタにある。一本気で真っ直ぐで正義感の強い辰次郎だけでなく、調子の良い松吉や今回初登場の朱緒にしても、それぞれに書き分けがしっかりと為されていて人間味が溢れている。もっとも相変わらず印象が強いのがゴメスである点は前作と変わらないが。時代ファンタジー特有の人情や義理といったところを重要視しつつ、意外と理詰めで犯罪があばかれるし、その動機や悪人側の人物像にしても、周到に伏線が張られていてそれぞれ納得できるところも魅力だろう。
あと、作品のなかで印象に残ったのは辰次郎と松吉が、実際に”島流し”に臨む場面。小さな江戸国ならではの島流しというアイデアも良いし、彼らのそこからの脱出劇なども読み応えがあった。アイデアという面では、この江戸国があくまで日本の属国であることを最後に強調して幕を引くあたりも巧みに感じられる。最後の裁きにしても後味が良く、作者の筆力の高さは二作目で確たるものになっている。恐らくは文庫化された後、もっと広範に読まれてゆくシリーズになってゆくに違いない。

新潮社には、西條さんと同じファンタジーノベル大賞出身の畠中恵『しゃばけ』シリーズがあり、ファンタジー+時代小説というアプローチは(設定は全然違うけれども)どこか両作近しいところがある。まさか二匹目の泥鰌を狙っているわけではないだろうが、本書でも思わせぶりなラストである通り、恐らくは続編をまた読むことができるのだろう。


07/02/24
村崎 友「たゆたいサニーデイズ」(角川書店'06)

村崎友氏は2004年、『風の歌、星の口笛』にて第24回横溝正史ミステリ大賞を受賞してデビュー。本書はその受賞後初作品になる。連作にもみえるが実質は長編作品。

スポーツが得意な生徒が多い晶嶺館高校の新二年生・野音こずえは合唱部に所属。とはいってもこの学校の合唱部は三月に最上級生が卒業してしまった結果、三年生で手の掛かる先輩・宮本とこずえの二人きりになっていた。それでも二人は別にめげることもなく、部活動を続けていた。しかし春休み最後の日から一年にわたって、学園ではちょっとだけ不思議な事件が発生し続けていた。誰もいない筈の部屋にあった合唱部の新入部員受付ノートに記載された「中村雫」の名前。こずえが仄かな想いを寄せる野球部員・渡来を巡る部室内の盗難事件。学園祭の当日、自主的に撮影された映画のDVDが壊されて棄てられていた事件。そして野球部室の小火騒ぎ……。そのどれもに、なぜかへらへらしているだけの宮本先輩が、こずえに対して推理を提示するのであった……。

題名が示す通りの、日だまりの温かさとそして緩やかなイメージが魅力
ひとことで言うといわゆる学園ミステリの範疇に入る作品。主人公は高校二年生の女子ではあるけれど、この手の作品にありがちな恋愛的要素が相当に薄められて、実に仄かに下敷きとして挿入されているが、なんというかとてつもなく健全なのだ。喫煙程度の話はあっても、とんでもない悪ガキがいるでもなく、熱烈な恋愛の結果泥沼に陥るカップルがいるでもなく、夜遊びもなければ、受験で周囲を蹴落とすような自分勝手な生徒もいないという、ある意味これだけ健全な学園生活が物語の舞台となることは珍しい。目立つのは作中でも重要な役割を果たす渡来というプロも注目する野球少年くらいか。その彼にしても、実に爽やかな好青年として描かれている。
本作の舞台となっている学校。この晶嶺館高校という学校の周辺設定が丁寧に作り込まれていて細やか。「小鳥屋」なる食べ物屋や、校舎の配置や位置関係、そういった点がきっちりしている。これら設定は物語の奥行きを深めるためだけではなく、作品内の謎解きと密接な関係を持っている。――というような、健全な学校生活と作り込まれた学校設定が醸し出す軽めのミステリというのが本書の特徴か。
学園生活の一年、様々なイベントの合間に発生する、ほんの少し奇妙な謎。出入り不可能状況で残された名前。出入り不可能状況での部室荒らし。出入り不可能な状況でのDVD破損事件。そして部室の小火騒ぎ。全体として「出入り不可能状況」における謎解きが多く、個々のタイミングの謎解きは微温的であり、本格ミステリに慣れた身には作品の印象にも重なったぬるめの印象。最終的には一連の謎の裏側にも秘められたテーマ的謎があるのだが……。

全体的に設定だけでなく、物語としても生真面目な印象が強い。 ただ実際のところ、そんなに高校生活なんてそうそうドラマティックでもなんでもないわけで、こういった平凡ななかのちょっとしたイベントの繰り返しで出来ているもの。そういった設定のなかでも、あくまで日常の謎レベルではあるけれど本格ミステリをやろうとした心意気を買いたい。しかし、日常の謎を解き明かす行為は、実際はそのまま日常の秘密が明かされるということなのか……などと少し思う。


07/02/23
清涼院流水「パーフェクト・ワールド What a perfect world! Boook.2 Two to Tango〔タンゴを踊るふたり〕」(講談社BOX'07)

二月頭に『刀語』と共に順調に二冊目が刊行された「12ヶ月連続刊行企画」。清涼院流水氏による二冊目が本書。前作に引き続き、テーマは英語と京都、そして運命。しかし今までの小説の概念からは着々と外れつつあるところが頼もしいというか何というか。

子供の頃の事故で脚の不自由な二十歳の青年・一角英数〈エース〉は、父親から習った〈キャナスピーク〉を駆使して、米国からの留学生で一年間での日本語習得に意欲を燃やすレイとの交流を深めてゆく。レイには日本語とは別に、大きな目的を別に持っていた。彼には行方不明中の父親がいて、その父親の唯一の手掛かりが「ワンネス」なのだという。その「ワンネス」(たった一つのもの)が何なのかはわからないのだが、一週間に一度だけ、京都の観光名所に出現する「なにか」がだと聞いているのだという。しかし京都には歴史的な寺社仏閣だけで二千以上、付随する老舗などを含めると優に一万以上も観光名所がある。エースとレイは協力しながらその「ワンネス」を探し出すべく京都の街や観光名所を回った。しかし節分の日。レイの様子に何かおかしいことがあることにエースは気付き、それからどこか二人の関係が微妙にぎくしゃくし始める。

英語の学習と京都案内が物語にのっかったまま、作品進行は独特路線を驀進中!
第一巻でもたいがいインパクトがあったが、第二巻でも、英語と京都という路線は踏襲されていて、むしろポイントはその二点のまま両方が発展第一形態に入った印象。まず英語だが、英語はダメ! というエースの母親に対してエースとレイが英語教育をするという展開が段々板についてきているようで、「ディナ・イズ・(ゥ)レディ」"Dinner is ready."といった日常によく使われる英語が〈キャナスピーク〉にて展開されている点は相変わらず。ただ、これも慣れてくると「なるほど」と思わされる点が多く、下手にカタカナを英語に打つならば本書のようにやってやった方が、いろいろな面からメリットがあるのではないかと思わされる。ただ、英会話の本当の意味でのテキストではないので辞書引きのようには使えないし、本書記載の表現をまるまま暗記できるかというと微妙だし、で実用性は〈?〉だと思う。ただ、日本人が苦手とされる発音の弱点を克服する方法がいろいろ書かれている点は、真面目な意味で興味深い。
また、「ワンネス」探しの過程で描かれる京都。こちらも京都の観光名所が写真入りで登場する。(この方式は一部トラベルミステリでも既に用いられている)。歴史背景や名所の成立背景に触れ、ロケーションに触れ、その名所自体の面白さ、見どころを的確に伝えてくれる。ただ、これも流れのなかで登場するので、全十二ヶ月刊行されたあかつきには「名所索引」のようなものがあった方が実用的かも。

物語としての進捗は……。あるようなないような。レイの正体が謎めいてきている点、謎の老婆が実はレギュラー的に登場してくる点など、まだ明らかにされていない部分がポイントなのだろう。この展開についてはいずれ。


07/02/22
北山猛邦「少年検閲官」(東京創元社ミステリ・フロンティア'07)

北山氏は『『クロック城』殺人事件』で第24回メフィスト賞を受賞してデビュー後、世紀末をイメージした一連の作品世界を構築、着々とその実力を発揮し始めている。(正直、デビュー直後は文章などが今ひとつだったものが、近作になるにつれ明らかに良くなってきており、そもそも北山氏が本来持つ実力がストレートに作品に発揮されるようになってきていると思う)。

その世界では、何人も書物というものを所有していてはならない。隠し持っていることが明らかになった場合、政府機関から派遣されてきた人々によって隠し場所から全て焼却処分に処せられる。子供たちの教育は全てラジオに託され、一部で受信可能なテレビにしても、政府の検閲が入った内容のものしか流れない――。そういった時代が長く続いた結果、人々は書物がどんなかたちをしているものかさえ知らないようになった。母を亡くし、父を潜水艦の事故で喪った英国人の僕・クリスティアナ(クリス)は書物を探し求めて一人旅をしている。両親の影響で日本語が問題なく操れる僕は、日本を訪れていた。僕は父親から聞いて「ミステリ」の知識を持っており、そして書物禁止の導入がもっとも遅れている辺境の日本であれば、その実物を目にすることができるのではないかと考えたのだ。何日も歩き続けて訪れたのは森に囲まれた閉鎖的な村。この村では森の中に真っ黒な服を着た『探偵』がいて、森に彷徨いこんだ者たちを首切り死体にしてしまうという伝説が今なお生きていた。またかなりの家の扉や壁に赤い十字架がペンキで描かれるという事件も発生しており、それもまた『探偵』の仕業だと考えられている。余所者の僕に対して警戒心を剥き出しにする村人、そんななか僕は車椅子に乗った少年・ユーリに出会い、その父親で宿屋の主人・アサキの元に厄介になることになる。しかしまた村では自警隊の隊長が衆人環視の湖上で首切り死体になる事件が発生して……。

パラレルワールドの(北欧風?)日本が醸し出す幻想的なイメージが目眩まし。真相に吃驚
何冊か読み込んできたこともあるが、この北山猛邦の創作する世界のセンスに自身馴染んできたように思う。各作品で同じ世界観を共有している訳ではないのだけれど、どこか世界自体の現実味が薄く作り物のようであり、それでいてその世界そのものは壊れかけていて、さらにその世界の持つ真実は物語のテーマとは別個に存在している――という、そんな茫洋としたつかみ所のない世界。 作品のベースとして、それぞれが別個に世界を要しており、初期作では作者の構想に文章力がついていっていなかったようなところもあったのだけれど、本作あたりではバランスが徐々に取れてきているように思う。ただ、それはあくまで(通常の意味とは微妙に異なるが)ファンタジーの世界観。現実世界との枝分かれであるとか、厳密な考証抜きの北山猛邦の世界観が発現しているというニュアンスで捉えて頂きたい。
ミステリはおろか、書物の存在すら知られていない世界での奇妙な犯罪。首切り屍体を自然死と言い張る村人。『探偵』と名づけられた何か。その世界のなかの不条理に対する解釈の仕方など前時代的で、無理筋ですらあるのだけれど、その世界の存在が全てを許容する。そこに作者は二つの異物を挿入する。その世界自体に馴染んでいないながら、旅人の視線で冷静に事態を観察する主人公・クリス。そしてその世界自体の真理を知り、優れた技術を用いて現象を解体しうる存在・少年検閲官・エノ。特に視点人物でもあるクリスに記述者(=ワトソン役)を割り振ることで、読者をもまたこの幻想的な世界の境界に立たせることに作者は成功している。また世界を知る者(=ホームズ役)のエノの存在も、通常の探偵役とは異なっていて不自由の方が先に立っている。その結果、異邦人としてのクリスと、異能者としてのエノが互いに惹かれ合う様が演出されているといえるだろう。
そして何といっても特筆すべきは、一連の事件の真相にある。この幻想的ですら作品世界と狂気に満ちた犯罪の理由が、結果的にがっちりと握手していたことに、とにかく驚かされる。この世界の設定全てが事件の内容に奉仕しているのだ。ちなみに本書で用いられているトリックだけが現実世界にて描かれていてもバカミスにしかならない。ところが本作、世界自体を現実から変貌させることによって独特の効果をむしろ高める役割を果たしているのだ。理由も動機もこの世界であれば、そこまで目の前に転がっている事象で解決に到ることができるのに、恐らく99%の読者はその方向に思考を働かせるのは困難なのではないか。だからこそ特異な本格ミステリとして高く評価できるのだ。

自分個人のツボもあるけれど、この作品における斬新かつ飛躍したアイデアとその処理を行っている物語構造を素直に評価したい。これまでの北山作品を読んで肌に合わないという人であっても、とりあえず読んでおく価値は間違いなくある。


07/02/21
森奈津子「踊るギムナジウム」(徳間書店'06)

異色作家・森奈津子さんによる「ゲイ・コメディ」短編集。収録作前から順に「SFジャパン」2002年夏季号、「青春と読書」2001年5月号、『SFバカ本 宇宙チャーハン篇』に発表された作品で表題作は書き下ろし。先に発表されている百合コメディ短編集『姫百合たちの放課後』と姉妹編にあたるらしい。

魔法の国からやって来たプリンセス・ロージーが人間のふりをして日本で暮らす。底抜けに明るいロージーは、人間界に嫁いだメイ叔母様が住む、渋谷家の家族として暮らしている。その家には一人息子の鷹志がいたが、彼は実は自分がゲイであることで悩んでいた。そのことを知ったロージーは魔法で解決しようとするのだが……。 『魔女っ子ロージー ――男色ドッキリ大作戦!の巻』
何事もそつなくこなす中学生・桜田は同級生で不良の山口に体育館裏に呼び出される。シメられるものと思いきや、山口から告白されて混乱、桜田は逃げ出す。そこに現れたのが生徒会長の森だったが、三人は古い建物のエレベーターに閉じ込められてしまう。 『実験台のエレベーター ――カミングアウトのお作法とは?』
二十三世紀のこと。宇宙貨物船の乗組員・炎也は宇宙海賊に襲われ、冷凍睡眠カプセルに入れられて宇宙を漂流する羽目に陥ってしまう。目が覚めると二十五世紀。しかしこの頃には同様に冷凍睡眠でこの時代にやって来た人間も多く、炎也はそれほど珍しい存在ではなかった。彼のもとに派遣されてきた指導員はハンス。そして彼はゲイでマゾだった。 『マゾ界転生』
王国の末っ子ながらみそっかすのトニオは九つ年上の人妻に恋い焦がれていた。しかし彼女のもとに意気揚揚と乗り込んだトニオの前に居たのは、同い年の世話役・フランツ。しかも女装。罠に嵌められたトニオはそのまま宇宙船に載せられ、惑星〈青薔薇〉の全寮制の男子校に放り込まれることが決定していた。その惑星には独特の文化があったのだがトニオはフランツの勧めも聞かず、事前学習を拒否。到着したトニオは意外にも学生生活が快適なことに驚いていたがやはり……。 『踊るギムナジウム』

テーマをゲイにせずともこの弾けっぷりが奈津子エンタ。オバカで明るい恋愛コメディ
個人的にあまりというか全然、BL方面に詳しくないので一概にはいえないのかもしれないが、正面からゲイを扱いながらもテーマ特有の背徳感や(そっち方面の)官能などをほとんど感じさせない作品が並ぶ。これは作品テーマの取り上げ方だとか、物語の作り方などというより、根本的に作者の気っ風によるような印象。 それぞれ、幼児向け魔女っ子アニメーションのパロディを行いつつもそのテーマがゲイだとか、ゲイのカミングアウトについていわゆる”良い子悪い子普通の子”の三者が入り乱れて独特の雰囲気を醸し出すだとか、ノーマルな男が各種のタイプのゲイに取り囲まれ大変な目に遭うだとか、男子寮内部の甘美なソドミィの饗宴が、何故かミュージカルによって表現されてしまうだとか……、恋愛ドラマや恋愛マンガにあるような「どこかで見たようなシチュエーション」、そこにトンデモな(おバカな)設定が加えられて、森奈津子さんしか表現し得ない独特の世界が築かれているのだ。それぞれ、恐らくこれが男女の普通の恋愛コメディであっても十分楽しく、そして濃い中身を誇っているのだが、そこにゲイという要素を加えることによって作中のドタバタ度を引き上げている印象だ。しかし単に面白がらせるだけではなく、時に大真面目に、時に思い切りふざけて、それでも作品からどこかマイノリティの恋愛による切なさ(?)が漂ってくるのが不思議。
設定そのものにはSFの要素がある一方、もちろん謎解きの要素はほとんどない。かといってもちろん一般文芸に区分される作品でもなく……と、こういう分野を真面目に分析することにあまり意味はなさそうだ。そう、森奈津子さんらしさがストレートに出た作品集。 これでいっか。

語弊を恐れずいえば、作品集を通じて発する精神や立場は、魔夜峰央の『パタリロ!』をはじめとする一連の作品群に近いようにも思う。まあ何と言いますか、森奈津子ファン、そしてそういった作品がお好きな方向けですね。