MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/03/20
三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」(講談社ノベルス'03)

三津田信三の作家としてのデビュー作『ホラー作家の棲む家』より始まる”三津田信三シリーズ”の掉尾を飾る作品。とはいえ、実際はこの前作『蛇棺葬』の”続編”というよりも同書とセットで一冊扱いが正しいところ。前作を読まないと単体では意味が見えにくい個所多数あり、注意。

奈良県の一地方、百巳家というさる旧家の百蛇堂という特殊な目的のために使用されるお堂にまつわる、長くも忌まわしくそして不気味な話が終わった――。その話を三津田信三に対して語り続けたその人物、実年齢よりも多少老けてみえる男は、東京創元社のパーティにて知人の編集者Lを介して(実際は偶然に)知り合った。彼、龍巳は小説家志望であることを知り、作家である以前に恐怖譚・怪奇譚を中心とした編集者としての三津田は彼の話に強い興味を持つ。後日、その話を二人の親友、飛鳥信一郎と祖父江耕介に話したあと、その周辺事象を調べて執筆の要請のために京都の龍巳家に電話を入れた三津田。だが、その百巳家のある村の周囲で発生した児童失踪事件の話を口にした途端に龍巳の態度があからさまに変化する。しかし、その龍巳から十日間ほどして長篇小説ほどもある、その事件にまつわる原稿が届けられた。その原稿を読み始めてから、三津田の周囲では何か忌まわしいものが跋扈するかのような奇妙な事象が頻発する。たまたまこの原稿に興味を持った後輩編集者の玉川夜須代がコピーを取って原稿を読んでいたのだが、彼女は身も凍るような恐怖体験をしてしまう。その相談に二人で訪れた喫茶店から彼女は突然いなくなり、そのまま失踪してしまった。

ミステリとホラーの強烈なハイブリッド。そして長編全体をちりちりとした恐怖感で覆う鮮烈なる技巧
先にも書いているが、二冊セットが前提となる作品。ただ、この二冊ホラー・ミステリとして合わせて一本! というか、少なくともそう絶対数の多いとはいえないとはホラー・ミステリというジャンルの中とはいっても、間違いなくその歴史に名前を刻むだけの価値ある傑作である。一つは、かなり長い長編全体を覆う恐怖感。ホラーという以上、怖さを読者に与える必要があるなか、数多くの短編恐怖小説や恐らくは恐怖映画がベースになったものだと思われる印象的な場面など、幾つものバリエーションを設けつつ、痺れるような怖い場面を長編のポイントポイントに連発してきている。 特に”原稿”が読まれるようになった後、その原稿を読む者に訪れる恐怖感覚がたまらない。何かこの世ならぬものが存在しじわじわとそれが押し寄せてくる恐怖。気の弱い人はクライマックスまで読み通せまい。長編のホラーは得てして怖くないことが多いのだが、その弱点を”短編ふう”の恐怖場面をさまざまな場所に埋め込むことで克服している。それがまた単にその場面だけを怖がらせるだけではなく、一連の恐怖がそれぞれこの物語の真相に関係してくるという点は一方でミステリとしての優れたポイントだともいえよう。物語のなかではサブエピソードとなる女性編集者に訪れる怪異など、夢に見そうな強烈な感覚がある。オフィスで夜中に戸締まりするのが怖くなる。
これだけ怪異が出てくるなか、ミステリとしてもこの物語はしっかり機能しているところも素晴らしい。怪異そのものを某テレビドラマのように謎解きをするのではなく、その怪異は怪異として説明がつかないなか、前作『蛇棺葬』における密室の謎を解き明かそうという努力がなされ、さらにその原稿や龍巳なる人物自身が持つ謎など、きちんと伏線をもとに読み解かれていく。その手順にせよ、伏線の拾い方にせよ(物語の特徴上、全体が完全に理に落ちるわけではないのだが)論理的であり本格ミステリが解き明かされる手順と同じだし、その最終的に明らかにされる真相によって物語の見え方が百八十度変換するあたりもテイストとして近い。怪異と論理のどちらを優先しているかというと明らかに怪異なのだが、最終的な結末に関してだけは、間違いなく本格ミステリの持つインパクトを放っていると感じられる。
あと物語としての本質とは無関係ながら、この作品が刊行された当時のホラー小説裏事情や出版パーティの様子などがこぼれ話のようにエピソードに挿入され、フィクションたるこの話をより実話に近づけている手法も興味深い。いしひひさいち氏の奥様をこのようなかたちで使う作品はそうないと思うし。

前作『蛇棺葬』を読了した直後に本作を読もうと決意していたはずが、四年越しになってしまったことを後悔(すさまじい積ん読の山から慌てて掻き出した)。とはいえ、前作で感じたインパクトが更にこの作品を読んで強化された。改めて記すが、ホラーとミステリのハイブリッド作品として、歴史に残る傑作作品である。最近本格ジャンルでも三津田氏は注目を集めつつあるが、その原点はやはりこの三津田信三シリーズにある。


07/03/19
森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」(角川書店'06)

森見登美彦氏は2003年『太陽の塔』で第15回日本ファンタジーノベル大賞を受賞してデビュー。『四畳半神話大系』『きつねのはなし』など独特の文体と奇想に満ちた作風が特徴。本書は2007本屋大賞で僅差の二位を獲得した。

大学の(何の活動をしているのかよくわからない)クラブの後輩「黒髪の乙女」に一目惚れしてしまった現在大学院に通っている「先輩」。しかしその先輩の「私」は、当然ストレートに彼女にその思いを告白することは出来ず、出来るだけ彼女の目に留まるところに出没しようという遠回りで迂遠な計画を実行してゆく。そんな先輩の思いには何一つ気付かず、入ったばかりの大学と京都の街を天真爛漫に探険に出掛けては、次々と奇妙な出来事に遭遇する黒髪の乙女、すなわち「私」。まずは二人に共通する先輩の結婚式の二次会。乙女の「私」は猛烈な飲酒の欲求に突き動かされ、夜の先斗町に出掛けてゆく。そこで知り合ったのは錦鯉を飼育する商売をしていたという東堂なる人物。この東堂がスケベ心を見せ始めたところに割って入ったのが、羽貫なる姉御肌の女性とその彼女に付き従う樋口という謎の人物。この二人に連れられ「私」は、さらに夜の京都の街へとタダ酒を求めて深淵へと嵌り込んでゆく。一方、そんな彼女をつけ回そうとしていた先輩の「私」は、なぜかズボンと下着を何者かに盗まれてしまい、夜の先斗町の路地の片隅で身を潜めることになってしまっていた。

大量の伏線を複雑に繋げる構成と、物語の微妙な定型の使い方にセンス。ラブコメin京都!
自称「天狗」、だけど実際に空を飛んでしまう樋口だとか、京都を練り歩く三階建て電車だとか、竜巻に乗って人間も錦鯉も空を飛び回るだとか、物語世界のベースは”架空・京都”というファンタジー分野にある。だが一方で主人公の男女が徹底的なまでにすれ違うコメディタッチの”恋愛小説”としてのもう一つの軸がはっきりしていて、やはり扱いは”恋愛小説”が正しいのだろう。独特の文体と言い回しが文学チックに物語を傾けている一方で、作品としての本質は'80年代に漫画やアニメで一世を風靡したいわゆる”ラブコメ”路線と本質は近しいように感じられる。
ただ――それが読んでいて実に楽しい。登場人物の奇妙奇天烈な部分(恋愛成就のために同じパンツをはき続けているパンツ番長だとか)を、美少女キャラである「黒髪の乙女」の天然ボケ/天真爛漫な性格が、シチュエーションを何でも受け入れてしまうがために緩和されているし、さらに伏線の張り方が巧みなため(例えば何気なく出てくる冒頭の結婚式二次会にしても、後から様々な個所と繋がりが出てきたりする)、物語としての吸引力が強くなっている。また、京都という土地の扱いにしても、特にエキゾチックな京都という都市ならではの魅力が通常のトラベルミステリーなどとは異なるかたちで発露されているのも心地よい。これは京都という土地そのものの持つ伝統やパワーをエピソードとして消化しているからだろう。つまりは、京都なら”何が出てきてもおかしくない”といった感じなのだが。
また、恋愛に対して奥手な男子と全くその気のない女子を配置することにより、全体的にレトロな感覚で統一されているのも特徴。これは恐らく作者の小道具の使い方が巧いからなのだろうけれど、こういったナンセンスかつファンタジックな雰囲気を活かすのにこういったテイストでまとめているのも計算というよりセンスが感じられる。

「あ! 先輩、奇遇ですねえ!」
「ま、たまたま通りかかったもんだから」


技巧がさまざまに凝らされていることはもちろんなのだが、物語の中心軸がシンプルにしてコミカルにまとめられており、そういった点で読者を引き付ける力がある。一部小難しいことが書いてあっても別に理解するのにまったく難しさはない。この二人の運命がどのように展開・転回してゆくのか素直に眺めつつ読むのが吉。


07/03/18
小林泰三「忌憶」(角川ホラー文庫'07)

「きおく」という題名ばかりを持つ三つの話からなる連作短編集。冒頭作にあたる『奇憶』はかつて祥伝社400円文庫に収録されており単独刊行されていた作品で、残り二話は、その『奇憶』の世界がベースとなって本文庫に書き下ろされた作品。

自分の人生設計に絶大な自信を持っていたはずの直人。学生時代に一つのことに熱中しすぎる性格のあまり周囲とのバランスを取ることが出来なくなり、人生そのものに対する修正が効かずにずるずると堕落して怠惰な生活を送るようになってしまう。その悔悟から過去を舐めるように思い出した時、月が二つあったという記憶がなぜか思い出された……。 『奇憶』
腹話術師の上手な演技を彼女の博美とテレビで眺めていて、あんなのは簡単だと豪語してしまった負けず嫌いの僕。根拠もなく一週間後には博美に腹話術を見せると断言してしまい猛特訓を開始する。ふと会社の帰りに目に付いたおもちゃ屋には人形のような店主がいて熊の縫いぐるみをタダで入手する。更に教えたはずもないのに店主から電話がかかってきて……。 『器憶』
直人が襲われているところを助けようと駆け付けた二吉は頭を殴られ、前向性健忘症になってしまっていた。ふと気付くと手元にノートがあり、必要事項が大量に記入されている。ただそのノートには名前を記すなと書いてあり、その理由は七ページに書いてあるという。二吉は病院の待合室にいて治療を受けると、ノートを見ながらマンションに帰る。しかし何の記憶もない……。 『き(土偏に危)憶』

ちょっとした日常からの寄り道から、どっぷりと狂気の道へと踏み込み、もう戻れない三人の男たち……
まずは冒頭作。『奇憶』における主人公のダメっぷりに接するのは再読につき二度目ながら改めて感服。無理無理に図々しく頼み込んで決めて貰ったアルバイトに、分かっていながら判断を次々に誤って遅刻し、最終的に無断欠勤してゆく主人公の描写。さらに凄まじい部屋のなかの散らかりっぷりの描写など、物語として以前に執拗なダメ人間の生態そのものだけでも一読の価値がある。以前に読んだ時は、ここにクトゥルーを持ち込むセンスに驚いたが、本作では更にその世界を拡げて連作短編集に仕上げてあり、『奇憶』における、目立ちすぎる主人公の陰で独特の個性を発揮していた二人の人物が再登場する。とはいえ、物語のタイプとしては三つ全てが微妙に異なっている。それでもこれら三作が一冊にまとまることによって、小林泰三ならではの邪悪で堅牢、更には無情で無常な世界観が読者の前に屹立することになるのだ。
なぜか腹話術が登場する『器憶』。一人の青年がひょんなことから腹話術に熱心に取り組むところから始まる話ではあるが、どこかその青年の一つのことにのめり込んでゆく感覚は『奇憶』の主人公とも共通する。同じようなタイプに惹かれる彼らの交際相手・博美なる女性の感覚もなにやら怪しく、最終的には小林泰三世界の住人であることをしっかりと証明して物語を閉じる。また最後の話は、前向性健忘症のもたらす恐怖をサスペンスフルに描き出していて読者を混乱にたたき込む。特に彼の家を訪ねてきた年配の女性とのやりとりからは、ユーモアと恐怖感をないまぜにしたような奇妙な感覚を喚起する。この作品は本格ミステリの方向で落とすこともできそうな印象だが、やはりこの「きおく」の輪に連なる作品として結末がつけられている。いずれにしても、日常生活を普通に営んでいたはずの主人公が、ふとしたきっかけから自らの内なる狂気に沈んでいく様が、三者三様の形態にて描かれている。 そしてその踏み外し方があまりに微妙なゆえに、普通の読者が普通に持つ感覚と自然なかたちで繋がっていて、何か精神をねじりあげられるような感覚が味わえるように思う。

登場人物に対してストイックな姿勢で作者が臨んでおり、計算された抑制と開放が物語中に混在している。その結果、読んでいるあいだ、ずるずると物語世界、特に主人公たちの狂気に読者も引き込まれてゆくような感覚がある。これがなんとも麻薬のようでクセになりそう。小林氏は人間の内面に潜む何かを引きずり出して活字にするのが実にうまく、本書でもその才能が遺憾なく発揮されているといえよう。


07/03/17
北野勇作「恐怖記録器(フライトレコーダー)」(角川ホラー文庫'07)

異才SF作家・北野勇作氏による『ハグルマ』『人面町四丁目』に次ぐ、三冊目の角川ホラー文庫書き下ろし長編作品。

あまり売れていない作家の”私”は妻が妊娠したことを機に古いマンションから、袋小路のの奥にある中古の、やはり格安家賃の一戸建て住宅に引っ越しした。その家と塀とのあいだ、ごく狭い場所には、前の住民が置いていったのか狸のようにみ える得体の知れない置物が置いてあり、妻の不在時や夜中に一人でにぐるぐると音を立てて回転している。無視しようとしても今度は光が、ベランダの外にはUFOとしか形容できないような何かが浮かび、更に体長三十センチほどの何か生き物が窓越しにこちらを覗き込んで――。一方、その私は原稿を預けていた編集者・木島から、原稿を本に出来ない代わりに「守秘義務はあるが割の良いアルバイト」を紹介してもらうことになる。しかし、なにやら夢を記録して第三者へと提供するという不思議なビジネスへの実験協力みたいなものらしい。体の良い人体実験。そしてその実験の後、いろいろと説明のつかない、夢のような奇妙な出来事を私は体験、その体験の周辺記憶すら朧気になってゆき……。

何が本当で何が妄想? 記憶や日常、さらには自分の立ち位置自体が揺らぎ、それすら疑う眩瞑ホラー
北野勇作さんのSFやホラー、特にホラー系統の作品を読む行為は、悪い酒を飲んで酔っぱらった時の気分に良く似ている。その時々はわあああっ! と楽しく盛り上がっているし、自分自身がしっかり持てているように思うのだけれど、少し時間が経過して、ふと我に返ってみたときには頭痛と吐き気と後悔が伴うお酒。読んでいるあいだは、ふむふむなるほどこういうこともあるかなあ、と思うのだけれども次の場面、次の次の場面に移ると「さっきのあの描写は一体何だった?」という混乱に落とし込まれる小説。ね、なんか似てるでしょ。(少なくとも小生のなかではとても近しい)。いやもちろん、悪い酒だからいけないとかそういうことではなくて、あくまで読後感とか読中感とかそういったところに関して。
しかも、本作のテーマは当然本文中でも触れられているけれど、SFというかトンデモの世界では、はるか昔より代々使われている由緒正しいある事象(ネタバレにつき秘すが)。こういうネタをストレートに持ち込んでも恐怖感は沸きにくい筈なのだけれど、本書の場合はそちらはあくまでスパイスとしての役割に終始させ、記憶や夢の方の揺らぎを主体にして描いているがため、現代的な恐怖譚としてぎりぎりの縁で成り立っている印象。ただ、この縁から足を踏み外すと奈落まで落ちてゆきそうな感覚ゆえに、あくまで計算された”ぎりぎり”である点がやっぱり素晴らしい。そしてこの眩瞑・酩酊という感覚こそが、そのまま北野ワールドの本質へと繋がる。 ということで本書もまたファンの期待を裏切らない。

これまで諸作で展開されてきた北野ワールドの面白みを奇妙な方向にずらし込んだ作品かと思う。従来ではその眩瞑感はノスタルジーな感覚などに繋がることが多かったところを、素直に「恐怖」という感覚に向かわせるよう特化しており、舌触りはそのままに味わいが若干異なる。ただこの酩酊感は恐らく読者を選ぶような気もするので、そのあたりは合う合わないあると思う。それもまたアルコール(安いやつ)とよく似ているかも。


07/03/16
柳 広司「百万のマルコ」(創元推理文庫'07)

はじまりの島』『黄金の灰』『饗宴』と、近年立て続けに三冊の長編が創元推理文庫入りしている柳広司氏。その四冊目になるのはなんと文庫オリジナルの作品集である。『小説すばる』誌に二〇〇二年五月号から二〇〇五年六月号にかけて掲載された作品に、『ミステリーズ』Vol20発表の「半分の半分」さらに、書き下ろしの「真を告げるものは」が加えられた。

十四世紀のイタリア。ジェノヴァの都市には多くの戦争捕虜が牢に入れられていた。そこから出るには捕虜交換か、もしくは目の玉の飛び出るような身代金を払うしかなく、ほとんどの囚人たちは出ることを諦めて日々を送っていた。そんなところにボロを身にまとった老人が送り込まれた。彼の名は「百万のマルコ」ことマルコ・ポーロ。少年の時分から交易に出かけて東 へ東へと向かった結果、彼は大ハーン・フビライが統治する国へと辿り着き、ハーンの評価を得てその使者となり、彼の指令によって数百もの国と地方を巡っては、その土産話をハーンに聞かせていたのだという。そのマルコはジパングでは黄金を捨てることで黄金を手に入れ、絶対に勝てない馬でハーンとの賭けに勝利し、北方の常闇の国では異邦人の犯した間違いを指摘し、南方のセイラン島では前王が猿に残したという言葉を次王に伝え、暗殺者〈山の老人〉との命を賭けた問いに答え……と様々な活躍をした、のだが、物語の最後に飛躍してしまうため囚人たちは常に議論をする必要に駆られるのだった……。
『百万のマルコ』『賭博に負けなし』『色は匂へど』『能弁な猿』『山の老人』『半分の半分』『掟』『真を告げるものは』『輝く月の王女』『雲の南』『ナヤンの乱』『一番遠くの景色』『騙りは牢を破る』 以上十三編。

奇妙なミステリにして稀代の騙り(ペテン)師・柳広司のファンタジーか、大風呂敷か
柳広司といえば、独自の世界観を物語ごとに打ち出し、そこに本格ミステリを絡める……という手法を得意としているわけだが、本作もまたその系譜。その系譜にありながら、生み出した独自世界以上に、定型となる物語構成に常識破りなことをやっていて、ミステリ以上にファンタジックな感慨が読後に得られるちょっと変わった連作短編集に仕上がっている。ミステリの要素までをも解体してしまい、先に論理のアクロバットが着地し、その過程を想像し推理する構造なのだ。投入される数字がわかっていて、答えもわかっているのだが、その式がわからない。そういった展開が十三作全てに定型として備わっている。こういうヒネリ方は柳ファンであれば身もだえして喜びそうだ。(かくいう私も妙に躁いだ気分で本作を読んだ)。
最初の読みどころ、それは『東方見聞録』を著した百万(ほら吹き)マルコ=ポーロが、大ハーン・フビライが統べる国や、その属国や、周縁国へと旅をするその内容。オリエンタルファンタジーというか、大中国というか、非常に寒い国から常夏の国まで(含むジパング)さまざまな世界が次から次ぎへと登場する。その風俗の一つ一つが短めの短編でありながら臨場感溢れる描写で描かれる。そして続いては、その地ならではの風習などから発生する絡む謎。これも無理矢理めであっても、突飛であっても、奇妙な説得力を持っている。そして先に述べたように、その謎についてマルコが先に結論を言って「おしまい」となってしまう点。物語の結末がわかりながらそこへと到る道筋が飛ばされており、それを周囲で話を聞いている囚人たちが「ああでもない、こうでもない」と推理しているのが楽しい。もちろん終盤でマルコがその種明かしをして読者の気持ちはすっきりするように出来ている。そのトリックがあまりにもめちゃくちゃであっても、きちんと世界観を説明している台詞のなかにヒントがあることだし。
実際のところ、解説でも指摘されている通り、黄金の国ジパングに対する描写含め、その世界を説明する記述、そもそも登場する国々は全体に微妙な嘘で囲まれているような気もする。のだけれど、その嘘は決して苦にならず、むしろプラス面として素直に受け取れる。いや、これはかなり巧いです。

ミステリ……というよりも、ファンタジーの薫りが強い。 ただミステリは、その定型の面白みを演出するために使われているようでいて、その過程にあっと驚く作品も幾つかあって決して侮れない。とはいえ、歴史に対する深い造詣を持つ柳氏ならではの作品であり、いきなり文庫での刊行は吉とでるはず。これを本格ミステリといっていいのか(いいと思う)。作品個々の内容も軽めでもあり、さくさく読んでとっぷりとイメージを膨らませる、楽しい作品集である。


07/03/15
星乃彗理「双子座の兇劇 もうひとつ死体が残った」(トクマノベルズ'94)

若桜木虔氏と矢島誠氏による合作・星乃彗理。十二ヶ月連続刊行(予定)だったシリーズ、『花菖蒲は見ていた』に続くシリーズ三冊目にあたる。順番から考えて、本作は矢島氏の担当分と思われる。

浜田駅始発のブルートレイン「出雲四号」が終着の東京へ向かい、掛川駅を通過した午前四時頃。列車のヘッドライトに突然人影が映った。運転手は慌てて急ブレーキをかけたが当然間に合わず、その人物は列車に轢断されてしまった。一方、その「出雲四号」に乗車していた内山聡美は、売店に出向くためにその時間に列車内の通路を歩いていた。急ブレーキのあと彼女は列車内の部屋からうめき声と血のにおいらしきものを嗅ぎ取った。事故処理の結果、東京駅に三十分遅れで到着した列車から他殺死体が発見され、その死亡時刻はちょうど事故の時刻と同じ頃合いであるのだという。被害者の銀行員・愛宕和平は娘に「何か」を渡すためにわざわざ上京していたらしいのだが、その「何か」は見つからない。また列車に轢かれて死亡した男性は小笠原といい、かつて詐欺事件を引き起こして逃亡中のはずだった。被害者の愛宕和平の名前が、魚住純が容疑を受けている事件から入手された日記に記載されていることに気付いた早乙女蘭は、この二重殺人事件のことを調べようとする。蘭が魚住と接触していることを知る洞沢警部とその部下たちは、魚住の居場所を突き止めようと彼女の持つオートダイヤラーを強奪しようとするのだが……。

トンネル出口で人を撥ねた寝台特急。その時刻になかでは別の殺人が……。謎の設定は魅力的なのに、なのに。
序盤に展開する事件の派手さと不可能趣味、この部分が本書最大のポイントとなっている。特定の列車に突き落とされ、轢断されてしまう人物。同じ列車の内部で同時刻に殺された人物。事故処理で立ち往生した列車に後から乗り込むことは不可能と車掌が断言し、同時殺人でありながら、終盤に現れる重要容疑者はアリバイを主張、それがまた微妙でありながら鉄壁だというおまけ付き。アリバイは崩れるのか、崩れたとしても犯行をどのように行ったのか。序盤〜中盤ではほとんど見通すことができない。ミステリという意味では、似たシチュエーションである高木彬光の作品や草野唯雄の作品に(作者名も題名も出さないまま)言及があり、ニヤリとさせられる場面もある。――ただ、致命的なのがそのトリックと真相。人間の身体を列車に突き落とす方法は相当に物理的トリックに仕上がっていて面白いことは認められる。だけど犯人はいつ仕掛けたのだこんな複雑な仕掛け。もし現場検証されたら一発ではないですか。さらにもう一つの売りとなる鉄壁のアリバイについては禁じ手が使われているように思うのだが……。(ニュアンス的には真犯人は別にいるようなので、この作品で示された解決方法以外が続刊内で説明されるのかもしれない)。
ただ、ヒロイン早乙女蘭に執心の悪役エリート警部・洞沢についてはますますその「イヤな男」ぶりに磨きが掛かっており、それを退ける蘭とのやり取りがまた、こちらはユーモアの一環として面白さがある。職業上の地位を振りかざし、部下たちを人間とも思っていない洞沢が何かと失敗するところが何とも。早乙女蘭vs洞沢警部の図式は、本シリーズの裏側で一貫したエンターテインメント性にも関連しており、シチュエーションコメディのようなこの展開は、毎回楽しみでしょうがない。

とはいってもやはりトリックが洗練されていないことも事実、また、まだ三冊目では明かされていない大きなテーマはとにかく、目の前の事件の解決方法がやはり辛いところ。早乙女蘭をはじめ全体的に詰めが甘く感じられる点もまたやはり残念なところだ。さて引き続き四冊目に入ることといたしましょう。


07/03/14
西尾維新「刀語 第三話 千刀・鍛」(講談社BOX'07)

西尾維新の十二ヶ月連続刊行企画シリーズ大河ノベル「刀語」の『刀語 第二話 斬刀・鈍』に続く第三話。「鍛」は「ツルギ」と読む。

四季崎記紀が作成した変体刀千本、うち完成形十二本のうち「絶刀・鉋」「斬刀・鈍」を入手した奇策士とがめ、そして虚刀流七代目当主・七花が次に向かうのは、出雲の国。かの地にある三途神社の長・敦賀迷彩が三本目の刀「千刀・鍛」の持ち主である。「千刀」はその名の通り、数に重点を置いて作られた刀。三途神社に住む、千人の巫女・黒巫女たちがそれぞれを刀を携えているというのだ。(ただ、三途神社は千段の石段を登った先にあり、体力絶無のとがめは、七花にお姫様抱っこという恥ずかしい格好でその石段を登らねばならない)。とがめは、あくまで「千刀・鍛」の所有者は元・山賊の敦賀迷彩ただ一人であり、彼女(女性だ)一人と交渉することによって「鍛」を入手することも可能だと主張している。そんな会話を交わす二人の前に、ふらりとその人物・敦賀迷彩が姿を現す。この三途神社にまつわる秘密、黒巫女たちの正体を七花は知り、そして彼らが持つ「鉋」「鈍」の二本の刀と、「千刀・鍛」を賭け戦いがはじまる筈だったが、迷彩は「最初の一本」を特定するようとがめにいう。そしてとがめが鍛・最初の一本を見つけてきたとき、新たな戦いがはじまった――。

とまあ、単純時代エンターテインメントのはずが独特の価値観が徐々に透けてみえてきて……
本作においても、少年マンガなどでのエンターテインメントの基本形は踏襲されている。ある目的に対してコレクション的に未知なる敵と戦う必然性。とても強い主人公、しかしその強い主人公の上をゆくような敵、そして奇策。本作においても、刀が千本と、これまでとは全く異なる(少なくとも寡聞にして同じような設定の刀を知らない)タイプの刀と、その使い手が登場しており、神社だとか巫女だとか、そういった部分以上に「なぜ同じ刀が千本あると凄いのか」という、「鍛」の基本ポイントにちょっと驚いた。確かに普通の刀であっても、この理由(ネタバレなので書かないが)であれば全く同じ刀が千本あること自体に大きな意味がある。そして戦いのシーンにしても、この「鍛」が最大限利用されており、敦賀迷彩というキャラクタの個性は実は弱いのだけれども、印象に残る戦いぶりに独特の緊張感と迫力が伴われている。この”戦法”は独特にして奇想に満ちており、それが読めただけでも個人的には満足がある。
ただ、三作目に至って微妙に単なる少年マンガ系時代エンターテインメントから思想が外れてきているというか、その本性(根本的世界観・価値観とでもいえばいいのか)が見えてきて、少々戸惑いも出てきた。主人公・七花があまりにものを考え無すぎるがゆえに、今のところ彼は奇策士とがめの「刀」に徹している。果たしてそれで本当に良いのか。 そりゃ正義だとか悪だとか、単純な二元論が西尾エンタに相応しい考え方だとはいえないだろうが、それでもあくまで私利私欲と私怨のために刀を集めるとがめの「刀」が主人公という微妙な座り心地の悪さ。本作でも正義はどちらに? と素直に考えると、刀は敦賀迷彩のもとにあった方が多数の幸せに繋がるところで、本能に従って七花は彼女をうち倒してしまう。このあたりに本来的に含まれている葛藤、これが徐々に今後のテーマとして浮かび上がってくるのではないか。残り九冊あることだし。

とはいえ、あくまで軽く読めるし、次の刀がどんなものか毎回楽しめるしで結構シリーズを気に入りつつある自分に気付いたり。西尾維新という独特の作家が著しているにしても、(今のところ)基本はあくまで時代エンタ。次なる展開は果たしてどうなることか。


07/03/13
倉阪鬼一郎「うしろ」(角川ホラー文庫'07)

怪奇小説作家として数々の著作のある倉阪氏は、やはり怪奇小説を多く擁する角川ホラー文庫とは親和性があるような印象があったが、実は勘違い。書き下ろしになる本書が、初の同文庫収録作品となる。

音楽大学を中心に学生が集まり、都心からは離れているものの若い女性に人気の街、花陰市。その楡の木が正面に見える一角に、管理人常駐、玄関はオートロック、各所に監視カメラが設置されてセキュリティ抜群というふれこみの女性専用マンションがあった。実はその地には過去に因縁があり地元に長く住む住民は、特にその楡の木に近づかないようにしており、さらに そのマンション自体にもには不穏な噂がいろいろ流れている。事実、非常に住民の回転が早く、人によっては引っ越してきて直後にまた出ていってしまう。――そのマンションにまた四人の女性が越してきた。ストーカーに悩む女性小説家・朝原純夏、韓国からの音楽留学生・キム・イェニョン、音大を出ながら結婚式場でピアノのアルバイトをする麻生たまき、そしてやはり同僚からのストーカー被害から引っ越してきた怪奇小説好きの英語講師・中条よしみ、四人の身の上に降りかかる災禍とは、そしてこのマンションが持つ邪悪な秘密とは……?

視覚イメージと言語イメージの混淆。背後(うしろ)から忍び寄る”邪悪”倉阪ホラー
ストーリーという骨を取っても、文章という肉を取ってもこれまで発表されてきた倉阪ホラーの延長線上にあるのだが、それでいてどこか新しめの感覚が加えられているというのが本書に対する第一印象。思わせぶりな描写、幕間として挿入される過去の因縁といったところから心理的な恐怖、本書の場合は「後ろ」「裏見」といったキーワードで表現されるような、見えない背後に邪悪な存在が居るという感覚がまず表現されている。気付いた、というか感じたのはその恐怖を感じる対象の表現が、これまで以上にフラットに読者にイメージを喚起させられるようになっていることだ。ひとことでいうとわかりやすくなっているというか、喚起される恐怖そのものは形容できないが、その恐怖を感じている人々の視覚イメージが脳裏に描きやすい感じ。 そもそもの設定にしても、展開にしても、その邪悪な存在の形容にしても、(特に倉阪怪奇小説においては珍しく)物語がそのまま映像化できそうな流れを持っているように思う。その意味では繰り返し描かれる芒(ススキ)や夕暮れ、楡の木などの印象的な風景も映像的だといえそうだ。
一方でもう一つ、倉阪作品において特徴の一つである「文字に対するこだわり」も本書に健在。管理人に対し、あるものを使って忌まわしい文字を作ろうとする昏い情熱の演出など端的であり、こういった登場人物の欲求・情動は手の内に入っている感覚ゆえに相変わらず巧い。また、本作の場合はその文字すら映像的な視覚イメージとして表現可能なところもまたポイントのように思える。
それらが融合してカタストロフィに向かってゆく。またこれまでの作品をみているに限り「あっさり」しすぎているようなところもあった終盤の展開にしても、これでもか! といわんばかりのしつこさがあり、ねちっこく恐怖を演出しているところも印象に残った。

怪奇小説ではありながら、現代的な流れを随所に取り入れた角川ホラー文庫に相応しいホラー作品。倉阪ファンならもちろん、そうでなくても一般的なホラー小説がお好きな方にお勧めしやすい印象です。


07/03/12
道尾秀介「片目の猿――One-eyed monkeys」(新潮社'07)

2006年、ミステリ業界のなかでも特に本格ミステリ分野において、高い実力を持つことが認められた注目株・道尾秀介。今年初めての長編となるのが本書。『新潮ケータイ文庫』2006年3月20日から、9月13日まで配信されたのが初出にあたる。

特殊な技能により盗聴を得意とする”俺”こと三梨幸一郎は探偵事務所『ファントム』の所長だ。現在『ファントム』には谷口楽器が仕事を依頼してきている。ライバルメーカーの黒井楽器が同社のデザインを盗用している節があり、その証拠を見つけて欲しいというものだ。俺は中途採用の社員を装い、一年の契約期間のあいだ、谷口楽器に入り込んでいた。その屋上で会話していた社員の情報から、俺は一人の女性に興味を持つ。電車のなかで常にサングラスを掛けて通勤しているある女性、その女性には話を聞く限り、俺と共通点があるようだ。早速、俺は彼女とコンタクトし、そしてスカウトはあっさりと巧くゆく。馴染みのバー『地下の耳』で落ち合った彼女――夏川冬絵は実は同業者。しかし『ファントム』で働くことに合意してくれた。いきなり彼女を黒井楽器に潜入させる俺。しかし、証拠は見つからない。冬絵は『ファントム』のオフィス兼俺の住居のあるローズ・フラットにやって来るが、そのアパートに住む一癖も二癖もある人々を眼にすることになる。さらに俺は谷口楽器の依頼者が聞いてきた情報により、夜中に何かが行われるらしい黒井楽器を張るが、俺の耳は内部で殺人事件が発生するところを聞き取ってしまう――。

心や身体が満たされていない――人々が奏でる交わりがストーリー。ミステリは天然、物語は必然
道尾秀介の作品をこれまで読んできて思うのだが、この作者の読者に対する「騙し」のテクニックは多分に天然、即ち天与の才のように感じられる。伏線を張りまくって後から繋げてゆき見えなかった真相が姿を現す――という、本格ミステリの骨法が物語全体を貫いていることは事実。だが、その伏線→真実としてちりばめられた記述に工夫はあっても血の滲むような努力というところは見えない。(もしかすると非常に苦労しているのかもしれないが、その苦心の跡を全く読者に見せていない)。本書でも、読者にもやもやとした気分を抱かせながらも、その核心を外した記述を行いながら、終盤でそのもやもや感を解放してくれる。ただ、本書の場合だから特にそう感じさせられるのかもしれないが、最初から本格ミステリを企図したものというよりも、物語づくりのセンスによって為された工夫の結果のようにみえる。事件も謎もあるけれど、それすら物語の流れのなかの必然によって生み出されているのではないか。
もちろんサプライズという意味では、間違いなく驚かされる部類に入る作品だ。しかしそのサプライズ以上に、よりストーリーテラー道尾秀介という味わいが強く出ているように思うのだ。そのテーマは「不完全」。心や身体に何か満たされないものがあり、その満たされない状態のままでも強く生きていく人々の逞しい姿が、特徴的な登場人物に重ねられて胸を打つ。(なぜ胸を打つのかは、サプライズと共に最後に明かされていく真実が強烈に目立つからかも)。
確かに描写という面だけに関していえば、キャリアの浅さゆえの甘さというか、未成熟な部分も見え隠れするのだが、それを超えて登場人物の内面を抉るような心理の描写がやはり素晴らしい。 確かに帯にあるように大技・小技がちりばめられた作品であり、それを楽しむのも良し。だけど物語としてもっと評価をしてあげたい作品だと思う。

単行本としては『シャドウ』が先に発表されているが、実際の執筆は連載ゆえに本書が先。道尾秀介の心には”物語”が多数詰まっていて、それをひとつひとつ解放していっている、そんな印象を強く抱く。本格ミステリとして読んだ時のサプライズの大きさ、多様さとして作者を評価してきたが、本書に至って「壊れてしまった何かを愛おしく物語に変化させる」そういった意味でも”マジシャン”の称号を与えたい。


07/03/11
友成純一「覚醒者」(光文社文庫'05)

奇才・友成純一により、2005年に書き下ろし刊行された長編ホラー作品。友成氏の長いキャリアのなかでも初のクトゥルー神話を題材にとった長編である。解説は永井豪氏。

200X年、福岡市中心部に突き上げるような衝撃が襲った。当然大地震かと思われたが、被害はあまりにも限定された区域に留まっている。震源近くで仕事をしていたフリーライターにしてフリーの編集者である岩本は、早速このことを原稿に書こうとするが、少し前まで共同で事務所を構えていたイラストレーター三神がどうしているかが気にかかる……。
地元のフリーペーパーなどに原稿を書く岩本と、しばしば岩本の文章にイラストを寄せていた三神は出会った時から強烈に意気を投合した。というのも岩本も三神も酒好きの福岡人をあきれさせる程の酒好きで、飲み出したら最後、確実に朝まで飲み続ける男だったからだ。二人はそれが理由で酒飲み友達を無くしており、互いに絶好のパートナーになった。特に三神の酒の 強さは尋常ではなく、延延と同じペースで飲み続けても顔色一つ変化させない。二人は共同で事務所を構え、仕事も軌道に乗りかかっていたのだが、三神が突然インドネシアに行くと言い、実際に頻繁に彼の地を訪れるようになって滅多に帰国しないため、岩本は別のパートナーを探さざるを得なくなった。一方、実は複雑な生い立ちを持つ三神は自分の出生の秘密を探りに インドネシアの僻地に向かう。そこで知った秘密とは……?

前半は自伝的アルコール中毒小説、後半は怒濤の国産クトゥルー小説!
岩本、三神とメインとなる登場人物が二人登場するが、うち三神というのが現在は克服したというが、かつては筋金入りのアルコール中毒だったという人物。その部分の細かなストーリーよりも何よりも、その三神のアルコール中毒者ぶりが微に入り細に入り描かれているところが前半の見せ場である。
解説にて永井豪氏が書いている通り、友成氏は一時期、かなりひどいアルコール中毒であった。その状態を振り返って書いたと思われる、中毒者本人の内面から淡淡とその状態や感覚を描いた部分は迫力満点。依存症などではなく本当にアル中になった時の見た目や身体状態の悲惨さと、一方で実は内面では大きな幸福感があるあたり、独特の迫力が伴っている。幻聴や手の震えなどといった外面が迫力をもって描かれる一方、苦しいものと思いこんでいたアル中内面の落差は、ある意味かなり衝撃である。小説の本筋とはあまり関係ないながら、やはりここは本書の読みどころの一つに挙げるべきところであろう。
さて、その一連の描写が落ち着いた後はインドネシアへの謎探しの旅。このあたりから徐々に本書のテーマであるクトゥルー神話へと物語は進んでゆく。古の神々に破れ南の海で沈黙している”かの存在”と、どうやって純国産(かつ日本が舞台)小説を混ぜ合わせるのか。 このテーマの難しい匙加減をあまり前半と結びつけないまま、出生の秘密から繋げてしまうのはご愛敬。たださすがに”かの存在”を凶凶しく描写するには長けたところがあり、思わず引き込まれてしまう。
そしてカタストロフィ。福岡を舞台になぜこのような事態が発生したのか。その前段階としてある事象が発生するのだが、その顔のない存在が実は……というあたりの発想は巧みだと感じられる。

かつての友成純一作品に見られる(そしてカルトな人気を誇る)一時期のめちゃくちゃな展開はすっかり影を潜めて、むしろようやく(?)普通のホラー小説になってきているようだ。贅沢をいうことは承知でいうと、あの狂おしいエロとグロないまぜの作品をもっと世に送り込んで欲しい……のだけれども、今となっては難しいかなやっぱり。