MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE
MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE フクさんの独断偏見に満ち満ちた感想・書評群。

 −著者名別索引 及び読書歴(平成編)−
 −著者名別索引 及び読書歴(昭和編)−
−著者順全部索引− 


07/04/10
星乃彗理「獅子座の兇劇 血塗りの殺人カード」(トクマノベルズ'94)

若桜木虔氏と矢島誠氏による合作・星乃彗理。十二ヶ月連続刊行(予定)だったシリーズ、『殺戮の紅い雨が降る』に続くシリーズ五冊目にあたる。順番から考えて、本作は矢島氏の担当分。また、未完に終わったため本作はラス前なのだが、謎は全く収拾がつく気配なし。(ホントに徳間ミリオンの倒産て突然だったのね)。

大学時代の友人が沖縄で結婚式を挙げる。その出席のために東京地検の検事・早乙女蘭は友人で占星術の専門家・内山聡美と共に沖縄に向かっていた。蘭の上司で東京地検の検事正・多田夫妻も仲人として出席する。だが到着後、ガーデンレストランで寛いでいた筈の多田が突然苦しみはじめ、亡くなってしまう。青酸化合物による毒殺と判明したが、毒物の投与経路が不明だった。蘭は、多田が常用していた薬に疑いを持ち、帰京後に病院を調査する。しかし、担当の薬剤師・柳本は多田と同じ頃、中軽井沢の高級リゾートホテル内で覚醒剤によるショック死を遂げていた。部屋は密室で自殺とみられた。さらに検事正の家族のもとには魚座の男なる人物からの脅迫状が。多田が入手したカードを寄越せというものだった。多田は実は名家の出身で満州に関する多数の文献を所有していた。カードの受け渡しには蘭自身が出向くが、野尻湖畔の別荘地に呼び出された彼女は犯人の罠に嵌められ、自白剤を飲まされてしまう……。

読者サービスか濃っ厚な魚住と蘭のラブシーン。暗躍する魚座の男! 事件の全貌はいったい?
今までは、魚住と蘭とにあまり関係のない殺人事件に、陰謀の匂いを嗅ぎ取ってはトラブルに巻き込まれていた二人。だが、本作の事件はこれまでも蘭に対して温かく便宜を図ってくれていた上司・多田検事正。まず過去四冊を読んできてそんな伏線が一切無かったために、非常に事件そのものに意外性があった。毒殺の方法、犯人を自殺に見せかけて殺害する方法など、今回のトリックはおとなしめ。警察でも当然想像するような方法と、ちょっとした物理トリックであり、前作に比べるとこの部分にあまり力点は置かれていない。むしろ、ポイントはこれまでの事件の陰の真犯人といえる「魚座の男」なる人物が登場する点だろう。巧妙な手口で蘭を油断させ、最後は力でねじ伏せて自白剤を強要……といった展開は、暴力的でもあり、彼らの”ワルさ”が強調されている。また、前作くらいから表に出てきた「満州」というキーワードが本作でも思わせぶりに登場、どうやら本作の核心は、いわゆる満鉄にあるらしいことは想像がついてきた。

ただ、そういうミステリそのものよりも、シリーズ作品としての読者サービスが非常に高いのが本作の真の姿

一旦は「魚座の男」の罠にかかり警察の手に落ちて勾留される魚住! しかし移送中、魚住は乗車していた車が事故を起こした際に脱出! さらにタイミング良く、彼を救いに現れた黒衣のライダー、それが蘭だったのだ! しかも、その蘭は、友人の星占いによってこの事故を予見したのだ! 二人は逃亡する途中、池畔の濡れた岩の上でいきなり”アダムとイヴ”になるのだ! 烈火のごとく燃え上がるのだ! 
しかし、その裏側で例の如く、一瞬だけ魚住抹殺の野望が成就しかかりながらも相変わらず散々な目に遭う洞沢警部の姿が延延と描かれており、これまたシリーズ読者にとってはお楽しみとしかいいようがない。段々、彼の遭遇する”ひどい目”がエスカレートしてゆくのもたまらない。

ということで、作品個々の質はとにかく大きな流れとして盛り上がって参りました。ただ、六冊目を読む前に書いているのですが、この大きく拡げられた風呂敷は、まとめられない方が良いのではないか? 下手な理屈をつけるよりも思わせぶりのまま闇に葬って読者を欲求不満にするくらいの方が丁度良いのではないか? ……などとシリーズ全体の謎については愚考しました。残りは一冊だけ。


07/04/09
渡辺啓助「鴉――誰でも一度は鴉だった」(山手書房新社'90)

雑誌『新青年』にてデビューした渡辺啓助氏。氏は鴉(いわゆる鳥の、そこらへんにいるカラス)好きが嵩じて、そのマニアという顔を持っており、その晩年、2002年に百余歳でお亡くなりになるまで鴉を題材に多くの画を残した。そんな渡辺氏の鴉にまつわるエッセイ集。

本書の副題に取られているのは村上昭夫の詩集『動物哀歌』に入っている「鴉」という詩の冒頭部分。
あの声は寂寥を食べて生きてきたのだ/誰でも一度は鴉だったことがあるのだ
渡辺啓助は自問する。何千年もの昔から人間との共同生活を行っていた鴉。ペットにはなりたがらず、人間の好みに迎合しない。自由な生き方を好み、知能指数は全動物を通じて抜群に高く、生命力もまた強く、平均寿命は実は人間の倍ほどもある――。渡辺啓助が鴉好きであるというのは、ポーの『大鴉』から、というのは表層に過ぎない。むしろ、何かのきっかけから魅せられてそのまま動物学的にも自然科学的にも、文学的にも絵画的にも、ありとあらゆるアプローチから鴉という動物を愛するがゆえ、その対象にまつわることであれば何でも知りたい! という愛情めいた気持ちから生まれているようだ。その各方面からのアプローチについて、細かく章に分けて文学や絵画で描かれる鴉、世の鴉好きの人たちの逸話、自分自身の体験談、そして鴉に対する考察と渡辺氏ならではの見解。そういった文章が綿々とまとめられている。
ちなみに探偵小説らしい話は一切なし。 唯一、『新青年』時代に渡辺氏の名前を騙った結婚詐欺師が現れたという話が当時を偲ばすネタか。ただ、その話にしても詐欺師をカラスと呼ぶところからの発想であり、本当にこの人は鴉が好きだったのだなということが分かる。

ひたすら鴉、寝ても鴉、醒めても鴉。芸術から文学、自然科学、ありとあらゆる角度から鴉を語る
エッセイだけでなく、二ページに一枚(一葉)の割合で渡辺啓助自身が描いた鴉の画が登場する。写実的なタッチというよりも、どこか戯画的、それでいて奇を衒ったものではない不思議な画。タッチは繊細さとラフさが混じっている独特なもので、鴉だけに白黒が圧倒的に多いようだ。(印刷のせいだけではないと思う。鴉の黒色という色という部分にもこだわりが感じられるし)。
そして文体もまた優しい。決して鴉嫌いの人々を鴉好きに変えようという啓蒙の意志などはなく、ひたすらに好きなものについて語る口調。少々、現実の分析などにあまりにも鴉寄りの、手前味噌なところはあるけれども基本的にはなぜ渡辺啓助氏が鴉を愛するのか、その魅力はどんなところにあるのかといったところを中心に文章が続く。また、古今東西で鴉をきっちり評価して描いた画家や文学者、映画監督らに対する賛辞を惜しまない。一部の作家による描写(例えば松尾芭蕉)を残念がってはいるが、世間の人々はあまり鴉を好きではないという事実自体を憤ったりもしていない。なので、極端に心情を移入することなく、淡々と読める印象。実際の人物が経験した鴉にまつわるエピソードも、あまり類を見ないタイプの話が多く、興味深く読めた。特に人間と愛情を通じた鴉が、人間の口に自分の餌を突っ込もうと奮戦する場面など微苦笑を禁じ得ない。
個人的には、鴉はあまり好きな動物ではないけれど、このような愛に溢れた見方を提示されるとちょっとだけ関心が生まれた。決して人間からは愛されているとは言い難いながら、人間と離れて暮らさない鴉。これほどまでに言われるのであれば、今度じっくり鴉を眺めてみよう。

本書はMYSCON8オークションでcakeさんから譲っていただきました。多謝。(エッセイと分かって読み出しましたが、上述の通り創作でも、況や探偵小説でもありません。鴉好きの好々爺の綴る文章というくらいで接するのが良いようです)。あ、もちろん鴉がとてもお好きだという方ならば、本書に共感を覚えること間違いなし。


07/04/08
倉阪鬼一郎「騙し絵の館」(東京創元社'07)

創元クライム・クラブのハードカバーで書き下ろし刊行された本格ミステリ。ノンシリーズ作品ながら帯にある通り「詩情溢れる野心的ミステリ」という真っ向勝負の作品。(内容はいつも通り、完全な倉阪節ではありますが、怪奇幻想小説ではありません)。

プロローグ。館に父母と住まう少女。天使の絵が描かれたマッチ箱のおみやげ。彼女はマッチの焔の美しさに魅せられ、厩の愛馬にその焔を見せようとする。風が吹き炎はあっという間に燃え広がる。執事に助けられた彼女。しかし館は燃える。悲鳴が聞こえる。少女は泣き崩れる。――都心から離れた閑静な住宅地。惨劇の舞台。最初の少女が殺される。古い洋館の裏手の庭。「美しいもの」が取り去られた少女は庭の土の中で眠る。
本編。……館。そこに住む鏡子と、彼女のことを「お嬢さま」と呼ぶ執事。窓を見てその光景から何かに怯える彼女。助ける執事。自称ミステリ作家。伊原真彦という筆名を使う金原美彦は、バスを乗り継いでその館にやって来た。前作を事情からお蔵入りさせた駆け出しの彼は、取材のために館を訪れたのだ。何か秘密の匂いを館で嗅ぎ取った美彦は、館に入る。「いらっしゃいませ」。声の割に何か動揺する久村と名乗る赤い蝶ネクタイの男。奥から「お客さまなの?」と女性が現れるが、具合が悪いといって引き込んでしまう。果たしてこの館に込められた秘密とは……?

倉阪鬼一郎独特の幻想的な文章がそのままトリック。張り巡らされた地雷が数々の強烈インパクトを醸す
いやはやよくいえば念入り、語弊を恐れずいえば偏執的なまでに張り巡らされた罠が素晴らしいを超えて凄まじい。猟奇連続少女殺人事件を背景に、さも何か曰くありげな館に住む鏡子と執事。その館に創作意欲からか執着する自称作家・金原美彦は母親が高名な女優だった関係でデビューができた幸運な男だが、何か暗い影が感じられる。さらにかつての金原の担当編集者の事故死や、樹海を彷徨う女性のモノローグなど、とにかく曰くありげなエピソードがそこかしこに挿入されている。この段階ではゴシックホラー、さらにその導入部のような印象を受ける。西洋風の建物、そしてそこに何かありそな嫌な雰囲気は、そもそも怪奇小説作家でもある倉阪氏にとってはお手の物であり、本物の迫力がじわりじわりと来る。とはいえ、この序盤あたりだけを捉えた段階では「どうもまとまりに欠ける作品だなあ」という印象を正直持つ。次から次へと場・人を異にする回想場面が、しかも幻想的な描写にて唐突に出てくるのか読者には分からないから。また視点人物の美彦自身が、何かいろいろ抱え込んでいることもあって、前半部はやや重たい印象がある。
しかし、後半に差し掛かり、次から次へと真実が明るみに出てきた結果、実は本書は恐るべき計算によって成り立った本格ミステリであることが明らかになるのだ。そう思って読んだとしても簡単に全貌が把握できる作品ではないのだが一応反転、叙述トリックがメインにして主題の作品である。ただ、その扱いが一般的なこの系統の作品とは若干趣きを変えているような印象なのだ。即ち、大きな落差もっと読者を突き落とすことを目指すのではなく、むしろ大中小各種取り混ぜてその複数に引っかけようとするようなイメージ。 さらにそういった試みと、倉阪鬼一郎という作家の紡ぐ独特の文章とが奇妙なまでにマッチしているところも大きい。元もと幻想文学系統の作品も多い倉阪氏だけに、この手の多少あやふやな、思わせぶりの描写はお手の物。むしろ読んでいるあいだは、幻想ミステリをたゆたうような気分にさせられた。
また、本作で取り入れられた手法の長所は、読者の一点突破では物語の全貌がつかめない点だ。通常、この手のミステリはある一点に気付けば、後は認証作業のような読書になってしまうのだが、本書ではそういった読み方が不可能。一つ一つは小粒だったりピリ辛だったりと様々で前例があるトリックもいくつか使われているが、一つ二つ見破っただけでは本書の謎解きに勝利したといえないようになっている。まだ本格ミステリにもこの手が残されていたのかと読了後に思い切り感心させられた。

特に前半部を覆う幻想的な光景が、きちんと回収されてゆく後半部がお見事。さまざまな特殊なシチュエーションを設け、ミスリーディングを施すのは、倉阪ミステリの常道ではあるが、本書はまた新境地を開拓したといって良いだろう。個人的にはこの「試み」だけでくらくら。やられました。 近年の倉阪ミステリの代表作になり得る作品だと思う。


07/04/07
赤城 毅「書物狩人(ル・シャスール)」(講談社ノベルス'07)

赤城氏は'61年東京生まれ。'98年、伝奇小説『魔大陸の鷹』にてデビューしたれっきとした作家でもあるが、軍事史研究家としても業績がある。欧州への留学経験があり、その体験などが本書に影響を与えていることは想像に難くない。個人的には喜国雅彦さんによる帯に惹かれた。

図書を巡る裏の世界には「第二国際古書籍商連盟」(略称:SILAB)という組織に所属する「書物狩人」たちがおり、彼らは億万長者や政府機関、大企業など、ごく少数の依頼人からの仕事を引き受け、合法非合法の手段は問わずに入手困難な稀覯本を入手するプロフェッショナル。本編の主人公・大学教授のナカライという仮の名前を持つ人物は、見た目には全く印象の残らない容貌をしながら、まだそれほどの年齢とは思えないのに髪の毛だけは銀色。新聞広告に特殊な暗号で連絡を取ってきた依頼人には「狩人」を意味する好きな言葉で自分のことを呼ばせるが、特にお勧めはフランス語での「ル・シャスール」という名前である。
ニューヨーク五番街で古書店を営む店主が殺害された。発見者は日本の大学教授だというナカライ。警察は彼のことも怪しく感じるが、店主の弟子格の人物・マルティーニが失踪しており犯人は彼だと目された。警察はナカライの動きを張り、ナカライがマルティーニと接触し”教科書”を取引する現場に立ち会うが突如マフィアの襲撃を受けてしまう。 『教科書に準拠して』
東京の英字新聞に掲載された依頼で日比谷公園を訪れたル・シャスール。彼は依頼人はヴァチカンからやって来た人物であると看破。その目的となる書物はセリにて争われる……。 『神々は争う』
読書好きのナポレオンは自らの読んだ本に必ずサインを入れたのだという。そのナポレオンの署名本を、太平洋戦争の戦利品として持ち帰った人物の子孫から取り返して欲しいという傲慢なドイツ人からの依頼だったが……。 『Nの悲喜劇』
新光国際大学の非常勤講師・羽村園子が英国の古本街で偶然入手した漢籍の書物。謎の中国人が彼女を訪問、譲って欲しいという。そんな彼女の困惑を救ったのは、ほとんど大学に出てこない教授・半井であった。 『実用的な古書』 以上四冊。

確かに古書は古書ながらスケールの異なる世界。歴史を動かしかねない稀覯本を巡る争いはスパイ小説のような趣き
あくまで一応ながら、古本者を自認していることもあり、そういった興味から本書を手に取った。いやまさか世界各国を股に掛けて活躍する主人公が、新宿伊勢丹の古書市初日にエスカレーターを駆け上がるなんて……(嘘です。そんな描写は本書にはありません。別の本にはありますが)。 扱われる本はケネディ暗殺にまつわるものであったり、キリスト教の根本が揺らぐような書物であったり、ナポレオンの署名本であったり、中国の国防省が血眼になって探し求める本であったりと、根本的に我々の扱う古本とはスケールが異なる。昭和三十年代の貸本探偵小説(しつこい)の入手難易度の比ではなく、世界にただ一つしかない本ばかりが標的となっている。
そういったあまりにも危険で、価値の計り知れないような書物ばかりが蒐集対象となっているため、主人公の「ル・シャスール」が遭遇する事件簿は、古本収集というよりも、書物を巡る対抗勢力との知力と武力を尽くした争いとなっている。どこかでこの感覚は味わったことが……と考えて、思い当たったのはスパイ小説。敵方の秘密文書をあらゆる手段を使ってでも入手し、それを持ち帰る……といった物語の流れにどこか近い。堅牢強固な守りを誇る秘密基地や、主人公に好意を寄せる美しい同僚の存在などからも、同じような印象を受ける。
ただ、その流れ以上に、本作では「入手困難な稀覯本」の背景や由来といった方向に、実に様々な趣向が凝らされている。実際の歴史や事象を題材に取り、「そんな本があるかもしれない」というリアリティが補強されている点が素晴らしい。即ち、歴史の流れや現在の国家状況すら変えてしまうくらいのインパクトある理由がそれぞれの稀覯本にあるのだ。むしろそちらの存在及び説明の方が、本書の場合の知的なスリリングさとして重点が置かれているように感じた。実際に歴史上で知られた事件がひっくり返るだとか、某宗教団体が壊滅的ダメージを受けるとか。でなければ、敵方もそこまで必死に奪おうとしてこないわけで、物語上の必然といえば必然。とはいえそれぞれその主題の大元にある発想がユニークで、さらにその周辺を埋めるための蘊蓄も豊富。ただ、その蘊蓄もそれほど鼻につくものではなく、ほどよいバランスが取れた物語となっているのも特徴だ。

多少、想像していた内容とは異なる(何を想像していたのだ?)内容であったが、書物を巡るミステリとして、そして歴史ifのフィクションとして両面から楽しめた。背景にある事件が、現実準拠であり非常に真面目な内容である一方で、登場人物が劇画チックなところが少々微妙か。でも、これを真面目に書き出すとバランスが崩れて何の作品か分からなくなるので、登場人物は軽めに描かれるくらいで丁度良いのかも。


07/04/06
皆川博子「ジャムの真昼」(集英社'00)

『小説すばる』誌一九九八年十月号から二〇〇〇年五月号にかけて発表された一連の短編がまとめられた作品集。単行本自体のサイズが少々大きめに設定されている。各作品の冒頭には「絵」や「写真」がカラー(元がカラーのものは)にて掲載されているが、そのモチーフから皆川さんが発想の羽を拡げて個々の作品を執筆したのだという。後の『絵小説』の先駆けになる作品集だともいえる。

東欧にパック旅行に出向いた三十前・独身の精神科医。ツアーガイドの娘に親近感を覚えつつ、足の怪我がもとで一日観光をキャンセルする。ホテルのバルコニーで読書していると隣の部屋のカメラを構えたいかつい男から声を掛けられた。 『森の娘』
少女時代〈双子〉ちゃんと呼ばれ人気を博していた芸人。一人は死にもう一人は老婆となって私の勤めるホテルに居を移した。私はかつて彼女たちを知ることを隠しながら、彼女の世話を献身的に続けてゆく。 『夜のポーター』
戦争が終わり、トラックに乗り込めなかった僕は西に向かってひたすら歩き続ける。ああ、愛しいオーガスティン。叔母は口ずさむ。僕はジャムを指で掬っては舐め、叔母はアトリエに次々と男を引っ張り込む。『ジャムの真昼』
祖父の遺品が置いてある『博物館』の更に向こうに父の書斎があり、ぼくはずっと立ち入り禁止にされている。ぼくに対し厳しい父は戦争で負傷して片腕がない。だけどぼくは、父が詩作をしたノートを博物館で見つける。 『おまえの部屋』
田舎にあった古い修道院を改造した広く寒い家。ぼくは父母と女中二人でその家に暮らしていた。その家には地下室があり、かつては監獄として使われていたらしい。更に地階と一階とは伝声管で繋がっており、母とぼくはそれで遊んだ。 『水の女』
長い旅の末、姉の住む田舎の村にやって来たわたし。都会的だった姉はすっかり田舎めいており、夫と二人、粗末な家で粗末な暮らしを営んでいた。わたしは数日のつもりで姉の手伝いをしながら馴染めない暮らしを手伝い始める。 『光る輪』
小説家のわたしが観劇のために訪れたニューヨーク。ブロードウェイの合間、前衛劇の〈グラーフ〉という劇場を勧められ、慣れない土地を彷徨い、その〈グラーフ〉を捜す。やがてわたしは〈グラーフ〉だという男に事務室のようなところに案内された。そこは劇場ではなかったが、ユニークな劇団の写真があった。 『少女戴冠』 以上七編。

抗えない大きな波=戦争と欧州における人間とそれとの関わり。魂の欠落、あるいは精神の充足……
冒頭に示した通りの由来を持つ作品群。その画(絵であり、写真である)をベースに想像の力を拡げ……というのが確かに基本。加えて、その画が欧州のものであるせいか、もともと皆川さんの近年持つ指向なのかは分からないが、第二次世界大戦などの”戦争の遺した傷跡・爪跡”といった隠れテーマもまた背後に存在しているように見受けられる。そして、その禍々しい災難は、個人の肉体や精神に何らかの欠落ないしは付加という、いわゆる一般市民の良識(という言葉自体が嘘くさいにせよ)から、少し外れた人々を創り出す。決して悪い意味ではないフリークス。一般市民と肉体的・精神的に異なることによって喪われるのではなく、得られる何か。 それを丁寧に、そして奔放に描いた作品である。そしていつものことながら、皆川さんの彼らに向ける眼差しは優しく、そして真摯なのだ。自伝的な作品などでよく描かれる通り、皆川博子なる人物自体がその眷属(この言い方が適当なのか自信はないけれど)であるからかもしれないが……。
どれも珠玉という言葉が似合う作品ながら、個人的に最も印象に残ったのは最後に配置された『少女戴冠』。それと表題作である『ジャムの真昼』も素晴らしい。馴染めないニューヨークにて迷子になった挙げ句に辿り着いた場所で体験する共感・そして幻想。作者ならではの実経験もあるのだろうが、この選ばれたもの同士が醸し出す不思議な空間の演出は優美であり、優雅。何より美しい。客観的には肉体的に一般とは異なる彼らと、作者の分身であるわたしとが共鳴する場面は、他の作家には描きようのない独特の美学に彩られる。『ジャム』の方は、むしろ一種の叙述トリックのような構成が、異形の主人公の持つ言いようのない哀しみと喜びを際立てている。幻想味という点では、他の作品に一歩譲るが、個人的に元もと持つミステリ魂がこの作品に反応したためかもしれない。
ほか、その他に収録された作品にも軽めの叙述トリックが用いられている作品が散見される。ただそこには読者を騙そうというミステリ小説的な意志はあまりなく、むしろ物語構成のなかで、それら真実が明らかになる場面にて叙情をより高めるような効果のために用いられている印象だ。その結果、登場人物の持つ哀しさや悦びは、鮮やかな残像とともに読者の胸にしみ入ってくる。そのインパクトの使い方こそ「画」的だと思う。(とはいえ、画を改めて確認させるような作品はあまり無く、画とは別の絵を皆川さんは描こうとしているように感じられた。)

多少ミステリめいたことを上に書いたが、基本的にはもちろん幻想小説として受け止めるべき作品群である。毎度繰り返すことになってしまい気も引けるが、豊富で洗練された語彙で構成された日本語に紡がれることによって、豊饒なイメージが作品からあふれ出している。 これもまた名作揃いだとは思うものの、広く薦めるというよりも皆川作品を好きな人にだけ読んで貰えばよい、やはりそんな気分になってしまう。


07/04/05
海堂 尊「ジェネラル・ルージュの凱旋」(宝島社'07)

第4回「このミステリーがすごい」大賞を『チーム・バチスタの栄光』で受賞、その後も同じ桜宮市や東城大学附属病院を舞台としたシリーズとして『ナイチンゲールの沈黙』や『螺鈿迷宮』を発表、海堂人気は衰えを見せない。本書は鳴り物入りで登場する正編三冊目、著者の長編としては四冊目となる書き下ろし作品。真っ赤な表紙にヘリコプターの絵柄が描かれた装幀が格好いい。(その意味は本書を読めば分かる)。

東城大学附属病院オレンジ新棟一階・ICU病棟。その一室で十二台のモニターを眺め指示をくだす救命救急センターの部長・速水はその傍若無人にしてカリスマ的性格により、病院の一部から慕われ、一部からは蛇蝎の如く忌み嫌われている。その速水はかつてのデパート火災の際に獅子奮迅の活躍をみせ、「血まみれ将軍(ジェネラル・ルージュ)」の称号を病院内で得、さらにその後も的確な診療と緊急時の采配については高い評価を得ていた。しかし、ICUは速水とその片腕であるナンバー2の医師・佐藤、看護師長・花房らによってまとまっており、激務にかかわらず”将軍の近衛兵”とも呼ばれる鉄壁のチームワークを誇っている――。『ナイチンゲールの沈黙』にて緊急入院した歌姫・水落冴子の治療を行ったその夜、通称”愚痴外来”の医師・田口は匿名の告発文を手にしていた。「速水部長は医療代理店と癒着している。ICUの花房師長も共犯だ」 病院長の高階にこの問題の扱いを相談した田口は、倫理問題審査委員会(エシックス)での解決を命ぜられる。しかし同委員会は揃いも揃って反病院長派であり、田口のことも快く思っていない。実際に問題に入る前の段階から、浴びせられる嫌味と要求される膨大な書類に、田口は立ち向かうことを余儀なくされる。

「事件は現場で起きているんじゃない、会議室で起きているんだ!」 医療&会議エンタという希有にして極上の作品
帯に「シリーズ最高傑作のメディカル・エンターテインメント!」とあり、その言葉を否定する気などなく、確かに受賞作含むこれまでの四作品のなかでも最高の完成度を誇る傑作だと思う。ただ病院が舞台なのでメディカル・エンターテインメントなのだけれども、本書の面白さの中心の一つは速水という軽薄そうでいて実に奥深いキャラクタ造形と、もう一つは田口を中心に会議室で交わされる反対派委員との丁々発止のやり取りにある。 本書においても、シリーズにて必ずピックアップされている医療問題(本書の場合はそのままICUの抱える諸問題にあたる)を取り上げようという意図は強く感じられる。事実、その点に関する作者の危機意識溢れる問いかけは物語に内包されており、読了後にはすっと頭に入るようになっているのだが、本作に関してはその問題そのものと速水部長という人物の性格や思考方法が切っても切れない関係にあるため、問題そのものよりもむしろ速水部長という人物自体が読みどころだと思うのだ。特に終盤に委員会に向かって、告発文書に関して啖呵を切る姿、更に奥底にある深い問題意識は重要。この救急専門の医師としての信念が揺るがないがために、傍若無人にして唯我独尊、豪放磊落といった彼の表層面の格好良さが裏打ちされているのだと思う。
もう一方、その速水部長に対する匿名の告発文書が巻き起こす問題も手が込んでいる。人間、社会生活を送るには何某か会議というものとは縁が切れないが、本書の舞台はその悪い例。先例主義、形式主義、権威主義がはびこっており、さらにはその目的すらはき違えた輩が集う悪魔の集会。そこに飛び込む田口の奮戦、そして思わぬ味方や問答の在り方の格好良いこと。単に会議であり、議論の場でありながら、下手な法廷小説など吹き飛ぶほどの緊張感とスリルが込められている。 偽りの正義をかざす彼らを、更に彼らの得意な武器で逆に論破してゆく場面がもたらす快感は、まさに冒険小説のそれ。胸が空く思いを味わうことができる。(これもMYSCON8インタビューでは、実際は彼らは会議でルールまでをも変えてしまうので、なかなかこうはいかないというような話もありましたが)。

『ナイチンゲールの沈黙』とこの『ジェネラル・ルージュの凱旋』は、本来完全同時進行、上下巻にて構想されていたものだという。実際、多視点同時進行の体裁はそのままながら、速水に焦点を絞った本書の方が出来は上。『螺鈿迷宮』の前振りともいえる姫宮と速水が大活躍するラストの修羅場は、医療関係者ならではの迫力に満ちた出来映えだと思う。最後の最後にちょいとセンチメンタルを込めるのも吉。間違いなく年間ベスト級の一冊。


07/04/04
海堂 尊「螺鈿迷宮」(角川書店'06)

チーム・バチスタの栄光』で第4回「このミステリーがすごい」大賞を受賞した海堂氏。この「バチスタ」は現段階で単行本のみで二十五万部を超えるヒットとなっている。続く二作目が同じく東城大学附属病院を舞台にした『ナイチンゲールの沈黙』が'06年10月に刊行され、本書はシリーズからスピンアウトしたかたちの長編第三作目となる。書き下ろし。

自動車事故で幼い頃に両親を喪い、その賠償金で現在・東城大学医学部に在籍する大学生・天馬大吉。彼は幼馴染みの別宮(べっく)葉子の務める時風新報にたまに原稿を書いたりしていた。その葉子から呼び出され、天馬は特殊な終末期医療を行っているという碧翠院桜宮病院への潜入取材を要請される。なんと新聞を通じて厚生労働省からの正式な依頼までがある。幸い同病院はボランティアを募集しており、葉子は既に天馬の名前で申し込み済ときた。天馬はイカサマ麻雀で嵌められ、「メディカルアソシエイツ」の結城に莫大な借金を背負ってしまい、彼からも病院への潜伏依頼を受け引き受けざるを得なくなった天馬。事実上企業舎弟の結城なのだが、その娘婿が桜宮病院を訪れたまま戻ってこない事件までをも調べる必要が生じてしまった。。察とも関係の深い同病院は桜宮巌雄院長と、その娘である小百合とすみれの美人姉妹によって事実上運営がなされている。その業務のメインは終末期、即ち余命があと僅かになった人々をいかに送り出すか――というもので、相互扶助によって運営される方式は画期的なものだと思われたのだが……。

日本における終末期医療の現実とは。さらに病院対病院の確執の奥深さ・陰険さを描きつつ、それでもかっちりエンタ小説。
小生、バチスタ→ナイチンゲール→ジェネラルの順に読んで、実はその後に本書を手に取ったのだが、スピンアウト作品とはいえ一連の東城大学シリーズとの繋がりが非常に濃く、場合により本書だけしか読まない読者にとっては登場人物の(特にちょろっとだけ登場する人々だとか白鳥とか)説明が不足しているように感じられるかもしれない。だが、裏を返すとシリーズ読者にとっては「あれも、これも人物やエピソードがこんなに繋がっている!」という密やかな愉しのある作品になっている。(MYSCON8時のインタビューによると、基本的には桜宮市は、東京以外にある地方都市であり、どこかを特に想定しているものではないという。ついでに、今後発表される作品も、発表媒体が何であれ、時期は違えど基本的にこの桜宮が舞台になる模様)。
ということで、本書の主人公は語り手でもある大学生・天馬大吉になるわけだが、重要な登場人物には東城大学附属病院から派遣されてきたという触れ込みの看護婦・姫宮がいる。彼女の『失敗ドミノ倒し』ぶりは健在で非常に微笑ましい(そうか?)。また後半には”白鳥先生”なる謎の皮膚科医が登場して大活躍。ということで病院こそ違えど(むしろ本作では東城大学附属病院は、桜宮病院側から敵視されている)、幕引きを担当する登場人物は同じということなので、やはりシリーズ作品の一つに数えるべきなのだろう。
といいながら、必ず一冊にひとつ医療上のテーマを盛り込んでくる海堂氏。本書におけるテーマは梗概にも書いた通りの終末期医療と、もう一つは検察医制度というか司法解剖の制度。 生きている人々にお金をかけようという厚生労働省(現実の)の方針にフィクションとはいえ警鐘を鳴らしている。即ち、既に死んでしまった人々や、もう手を尽くしても助からないという人々を切り捨てようという流れだ。この点については断片的な情報でしか得ていなかったので、個人的にはいろいろな点が理解できためになった。実際、医療従事者でなければなかなか分からない本音や現実が描かれている点が、このシリーズの人気を下支えしている要因の一つだと思う。
そういった真面目なテーマのなかで、描かれるのは「人が死にすぎる」病院の謎。 ある程度は予想がつく部分もあるのだが、それでもなお真実が明らかにされた時には呆然とさせられる。病院という仕組みを深く知る著者だから生まれ得たトリックというか、着想だと感じた。だが、その悪魔的犯罪を乗り越えて、本書をエンターテインメントとして仕上げている点にも注目して欲しい。終盤はむしろ映画的な”場面”が演出されている印象だが、その過程におけるこれはオリジナルのさりげないユーモアやほろりとさせる叙情なども巧み。クライマックスの迫力の十分で、特に最後の最後、作者のレッドヘリングがすばりと決まっているところも素晴らしい。彼女が向かった方向がジェネラルと同じなのは将来的な何かの伏線なのか。

全体を通じて医療というテーマ性と潜伏捜査というエンターテインメント性がきちんと同居したスリリングな作品に仕上がっている。敢えて難点を挙げるなら、やはり登場人物の多さゆえか、ストーリーがかなり込み入っている点か。特にお寺と病院との関係性などじっくり読まないと理解は難しいかも。それでも、東城大学附属病院シリーズを読了された方ならば必読。 この点は間違いなし。


07/04/03
清涼院流水「パーフェクト・ワールド What a perfect world! Boook.4 Four Winds〔四方八方〕」(講談社BOX'07)

2007年の講談社ボックス特別企画・大河ノベルも『刀語』と共に本書は四冊目。作者もこなれてきたのか、本書シリーズのテーマともいわれる「英語」「京都」「運命」が段々きれいに溶け合ってきているような印象に。

二十歳の青年・一角英数〈エース〉と、一角家に一年間のホームステイで滞在中の米国人・レイ。現在の障害の原因となった交通事故にある人物が関係していることを知り、その運命の悪戯に激しく落ち込むエース。とはいえ時間が少しずつ過ぎて、その衝撃から癒えてきたエースは家族と共に円山公園の花見へと出掛ける。そこで出会ったのはレイの大学での友人、親父ギャグが得意だという謎の美女・王明蘭(ワン・メイラン)。その晩かかってきた京都の芸妓・梅吉から「ワンネス」への手掛かりを持つと思われる「絶対外れない占い師」クローバの伝言が伝えられる。『役者が揃いはじめたね』。その意味はまだ分からない。しかしエースはクローバとの再会の必要性を感じ取り、梅吉にしつこくアドバイスを求めた。あきれながらも彼女は、京都でも最も情報通だといわれる『四条坊』の存在を伝えてくれる。早速、四条大橋上に立つ托鉢僧にアドバイスを求めに行くエースだったが、最初の段階ではにべもなく撥ねつけられてしまう。

ようやく動き出したストーリー。(個人的にはそれよりも)英語学習パートに目からウロコが続く。
日本のなかでも最も伝統ある都市・京都。徹底的に京都の街にこだわりながら進められる、オリジナル英語学習と「運命」の物語。この三位一体が作者自身がこなれてきたのか、非常に良い具合で混じり始めているというのが第一印象だ。これまでも演出はされていたものの、この四月が舞台の物語においては”花見””桜”といったキーワードで代表されるような季節感が強調されている。桜の舞い散る京都を舞台にしていながら、過度に伝統や観光名所にこだわらずにまとめられていることも、この巻の読みやすさに繋がっているように感じられる。(どうしても名所旧跡が舞台となると、その背景や周辺環境などを説明する必要が生じてしまって、物語であってもガイド臭さが感じられてしまうのだ)。ちなみに今回は、円山公園や四条河原町近辺など、観光としての京都ではなくむしろ生活としての京都が舞台。 だから余計に舞台に気を遣わずに済んでいるということか。
物語の方は、車椅子に乗った僕と謎の占い師・クローバとの決戦が後半のメイン。とはいえ戦い方そのものやアクションシーンに眼目はなく、そこに至って顕れる友情やチームワークがメインか。詳しくは書かないながら、伝統的少年漫画系統の匂いが微妙に感じられる。
そして何よりも個人的に気に入ったのが英語学習のパート。この巻より「カナスピーク」から「シゴスピーク」へとレベルアップしている。これがまた日本人が本来学ぶべき英会話の本質(日本における英語教育での誤謬、まさに実践的英会話の入門)を表していて素晴らしい。そもそも、発音を発音記号などで書くのではなくネイティブの発音をカタカナ表現するあたりも斬新だったが、今回は「I think」だけに最初にこだわるというのも面白い。英文の全体を頭で考えてから発言するという日本人の思考方法を真っ向から否定、そしてこれは多分正しい。

物語の方は、巻を追うごとに次々と新キャラが登場して流れに入ってきている。またその総勢(となるであろう)人数についても今回明らかにされている。この新規登場人物の属性というか、造り方についてはまさに従来通りの清涼院流水的であり、この点について氏の作品を苦手としてきている層にはツライかも。だがそれ以上に、やっぱり「英語」がどう進化するのか個人的にはすごく気になるので続きも読む。


07/04/02
太田忠司「落下する花 ―月読―」(文藝春秋'07)

本格ミステリマスターズの一冊として刊行された『月読』(つくよみ)の続編にあたる中編集。『別冊文藝春秋』誌に一号おき、第二六一号から第二六七号にかけて発表された作品がまとめられている。

その世界では人間が死ぬと月導(つきしらべ)と呼ばれる、科学では解明できない奇妙な現象が発生する。何もないところに植物の蔓のようなものが出てきたり、真夏に桜が一本だけ咲いたり、庭石のなかに腕時計が埋め込まれたり。この世界の科学はこの月導の研究に時間を費やしすぎた結果、同じ日本でも若干科学技術が現在よりも遅れている。今は月導は科学研究の対象としては無視されるようになり、人文科学の研究対象にしかなっていない。そんな月導研究の第一人者・登之場助教授の研究室に大学生の友喜は入ることを決意していた。登之場は、同時に月導の残した思いを読み取る”月読”も研究しており、学界でも異端視されていた。友喜は一人の月読と出会うがその直後、研究室のマドンナ的存在・桜月が校舎から墜死する場面を目撃してしまう……。 『落下する花』
図書館にて孤高を保って仕事一筋で生きてきた智子伯母。彼女は自分の死に際し、月読を呼ぶよう遺言し、その費用も残していた。その残した言葉には大した意味はなかったが、智子伯母は姪の真由子にかつての芸能人の月導のカケラを遺していた。 『溶けない氷』
買い物の途中で交通事故で死亡した母親。そこに現れた月導はまるで般若のように見えた。遺された家族は、月導のあまりにも恐ろしい表情から近所の人のいわれなき中傷を受けており、月導にその想いを聞いてもらうことにするが……。 『般若の涙』
その殺人現場で死体となっていた三十台の男。彼の手には彼のものではない捩れた箸で構成された月導があった。被害者はかつて娘を事故で亡くしていた。手にあったのはその娘の月導。離婚して自動車工場で働いていた彼の身には一体何が? 『そこにない手』 以上四編。

舞台はSF、手法はミステリ。だけど訴えてくる何かは実に普遍的で切実な人間の想い――
前作が刊行された段階では長編で舞台も探偵役(月読の朔夜一心)も初登場だということもあって、ノンシリーズと断じていた。……が、結局はシリーズ化されたことになる。ただ、そうなったことも分かる。この舞台設定があまりにも良く出来ており、様々な物語を描きやすく、そして印象深く紡げるからではないか。 時間的設定こそ現代でありながら、科学技術進歩の致命的な遅れが我々のいる現在からは存在し、それがまた従来型のミステリが活躍する余地を残している。いわゆるSFでいうところの(SFでなくともそういうか)パラレルワールドである。携帯電話もなく半導体すらない、そんな世界がごくごく自然に描けるのだから。さらに――死んだ人間のそばに発生する奇跡が”月導”である以上、何らかのかたちで”人の死”に関わる物語となり、そこに残る謎はミステリへと繋がっていく。
だが、本書を読んで感じるのは、被害者や遺された人々の持つ重厚な”想い”のすれ違いが発するなんともいえない切なさなのだ。月導そのものに意味は小さくても、自らの死後にそれを読み取って欲しいと思う気持ちそのものに意味がある『溶けない氷』、最愛の妻・母親の月導からはじまる小さな誤解を描く『般若の涙』、月導を握りしめて死んでいく殺人被害者。その月導の形状から様々なことが類推され、犯人が語るあまりにも哀しい物語『そこにない手』。それぞれ、ミステリの手法が採用されているのだが、謎が解かれた快感(それはそれで確乎りとしたものがあるのだが)よりも、最後に印象に残るのは、結局のところは人の気持ちの方。そこから事件が解決していくのはひねくれた言い方をすればおまけのようなものでしかない。月読自身、常に運命的な状況に立ち寄らざるを得ない、静かな苦みが彼にはある。それでも心優しい月読。朔夜一心lこころはいかばかり傷付いているのだろう。

作者の術中に嵌ったかも。これほどまでに設定も手法もそれぞれジャンルを意識するような内容でありながら、しっかと心のなかにさまざま”気持ち”が刻まれる。真犯人とは無関係に、その余韻がじわりと染みこんでくるような作品ばかりなのだ。前作とのリンクもあり、『月読』を読んでから本書に臨む方がお勧めか。


07/04/01
多島斗志之「症例A」(角川文庫'03)

多方面にわたっての著作がある多島氏の作品群のなかでも(失礼ながら)出世作ともいえる作品。2001年度版の「このミス」にて9位にランクインしている。

精神科医の榊は以前にいた病院を都合で辞め、S病院の常勤医として着任する。このS病院は患者に対する対処が榊の考える理想に近かった。前任の沢村から引き継いだ患者のうち一人が十七歳の女子高生・亜左美(仮名)。沢村は病院の屋上から謎の墜死を遂げていたが、そのことは患者の動揺を避けるため出来る限り秘密にされていた。亜左美は沢村により精神分裂病(現在では統合失調症と呼ばれる)だと診断されているが、回りの空気を読んで榊におもねったりすねたり、甘えたりと非常に多様な側面を見せる。一方、榊をサポートする立場にある臨床心理士の広瀬由紀は、亜左美に対して別のある症状ではないかという疑いを抱いていた。一方、首都博物館に勤務する江馬瑤子は、同じく戦時中に博物館に勤務していた祖父の手紙から、所蔵されている青銅の狛犬が精巧な贋作ではないかという疑いを抱く。彼女は金工の岸田にそのことを相談するが……。

誇張もなく精緻に精神病理の世界を誠意にて描く。人間心理の謎に丁寧に迫る力作
はっきりいってしまうと、統合失調症、境界例、そして解離性同一障害(つまりは多重人格障害)といったミステリの世界ではどちらかというと扇情的にこれまで取り上げられてきた要素に対するアンチテーゼのような作品である。本文庫の解説で、その道の本業の方が絶賛している通り、素人目にみても本書で描かれる数々の疾患は丁寧に現状における精神医学の”現実”を丁寧に踏まえているように見える。その結果、B級作品にて散見される、物語を成立させるための恣意的な発症状況の偏りや、物語にとって都合の良い解釈を抜きにしてあり、あくまで”現実”の精神病がしっかりと描かれる。フィクションでありながらその点が異常なまでに充実して嘘がない(と思われる)。この点だけであっても本書の評価は高かったであろう。
そしてその学術的な裏付けがしっかり取られた世界を構築しつつ、一見無関係な国立博物館の贋作疑惑を配している。淡々と描かれている文章のなかにはさまざまな事件や現象の伏線となる要素が丁寧に埋め込まれており、二つの物語の交わり方によってさらにミステリとしての体裁が整っていること、また幾人かの登場人物の性格を丁寧に掘り下げていて、人間の心が持つ多様性をこういったかたちから浮かび上がらせているところにも感心した。
このまた、後半になってごくごく一部ながら博物館の部と病院部との結びつきが出てくるのだが、一種謎解きに相当する過程を経て、物語自体の見え方が後半にがらりと変化してくるところも素晴らしい。主人公の医師としての成長物語という要素もたぶんにある。

多島氏の特徴でもある抑制の効いた文体や文章が、非常に主題とマッチしている。本作にて登場する人物の理想の追求や精神病棟の現実なども実に丁寧。また、亜左美、由紀といった脇役の女性にも魅力があり、単なるサプライズを求めるようなミステリ作品とは確実に一線を画しているように読めた。確かに地味、だけど地味ながら非常に心に強く残る作品となっている。 この落ち着いた感銘こそが多島作品の良さかもしれない。